・ ピエトロ・ベンボとルネッサンスの創造展 ・ パドヴァ 

先週の木曜にパドヴァで開催中のピエトロ・ベンボ展に仲間と出かけました。

展覧会の正式名はタイトルの様に「ピエトロ・ベンボとルネッサンスの創造展・
Pietro Bembo e l'invenzione del Rinascimento」と言い、

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詩人であり、近代イタリア語の父として知られるベンボを(1470.5.20ー1547.1.18)
その幅広い交友関係、関係した宮廷、宮廷文化等を通し、彼自身は
意図していなかったにせよ、ルネッサンス文化を創り上げた人物の一人と捉え、

彼の芸術コレクション、関係した作品、手稿本などを一同にした
絵画作品などの規模は小さいものの、大変に内容密度の濃い展覧会だったと。

とは言え、私は彼の名前、作品等の名は知っているだけで詳しくはなく、
到底それらについては語れませんが、嬉しい事に、
ジョルジョーネ、ティツィアーノ、ラファエッロ、ミケランジェロのデッサンも、
そして今回舐めるようにして見る事の出来たマンテーニャがあり、
そんなこんなをご覧頂こうと思います。

ベンボは日本ではまだ余り知られていない人物の様ですが、
展覧会の難しい事などよりも、いつものshinkai流に、あちこち脱線しつつの
ご案内となると思いますので、お気軽に、お楽しみ頂けると嬉しいです。

今回の写真は全て会場で求めたカタログとパンフレット、サイトから拝借した物。
      


上は、会場で配布していたパンフレットの表紙で、ジョルジョーネの「2人の肖像」
で、上の作品の全体像がこちら。

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同じくジョルジョーネの作として展示されていた「緑色の本を持つ若者」

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ベンボは、当時のヴェネツィアで画期的な出版を続けていたアルド・マヌーツィオ
との交流も深く、何冊か出版もしているのですが、絵に見える小型本が
ベンボのアイディア、という様子。
       
絵もジョルジョーネかという疑問もある様ですが、絵の美しさにほれぼれと・・。

今回は平日の朝一番に会場に行ったのですが、それでもかなりな入場者数で、
おまけにこの時期は学校の見学期と重なり、小学生から高校生まで。
が、それでも日本の展覧会を思うと少なく、傍に寄ってじっくりと矯めつ眇めつ
眺める事も出来、

このジョルジョーネの若者の、向かって左目がちょっと気になる感じもあり、
良く見ましたら、一旦削って描き直した跡がありました。



ジョルジョーネの「若者の肖像」 

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ジョルジョーネ「フランチェスコ・マリーア・デッラ・ローヴェレの肖像・
Francesco Maria della Rovere」
勿論子供時代の肖像画。

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以前見たジョルジョーネ展で、初めて彼の絵の素晴らしさに感嘆したのでしたが、
今回は4点も素晴らしいのが並び、それはもう圧巻でした!!

ジョルジョーネの生まれた町ヴェネトのカステル・フランコと、
ジョルジョーネ展についてはこちらを。
       

こちらはサイトから拝借の、青年期のフランチェスコ像、ラファエッロ作。

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すっきりとしたお顔に成長されておりますが、はい、彼はウルビーノ公
フェデリーコ・ダ・モンテフェルトゥロの娘ジョヴァンナを母にデッラ・ローヴェレ家に
生まれ、母の弟グイドバルド、つまり叔父が継承者なしで亡くなり、
ウルビーノ公国を継承した、という人物。

ですが、なかなか複雑困難な人生を送った方の様子で、大人になっての肖像は
ティツィアーノ作がありますが、大変厳しい顔になっておりまして・・。



ルネッサンス期の文化で名高い宮廷、ウルビーノ公国の名が出ましたので、
このベンボ展に出品のラファエッロ作の「エリザべッタ・ゴンザーガの肖像・
Elisabetta Gonzaga」(1471年ー1526年)を。

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と書いたのですが、実は私はこの作品をどうしてか見逃しまして・・、

彼女はマントヴァのゴンザーガ家から、ウルビーノ公国のグイドバルド・Guidobaldo
に嫁いだ、教養と美徳を謳われた女性で、ベンボは彼女と彼女の夫から、
ウルビーノの宮廷に1506年から数年間招かれた、と言う事情です。

ただしエリザべッタは上記した様に、継承者なしの結婚生活、はたまた時代変遷の
狭間にあってウルビーノに定住できず、最後はフェッラーラで亡くなっております。
マントヴァ侯爵夫人として名高い、イザベッラ・デステ・Isabella d'Esteは、
彼女の兄嫁に当たる、という関係。

◆ お断り ◆
私はこの作品を見逃した、と思っていたのが、どうやら東京にお出まし中という事で、
なんともイタリアらしいチョンボで、納得致しました。



ではおまけに、エリザべッタの夫グイドバルドの肖像、これもラファエッロ作と、

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グイドバルドの子供の頃、父のフェデリーコ公との姿を。

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ウルビーノの、パラッツォ・ドゥカーレ・Palazzo Ducale di Urbino
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463304758.html       



清楚で優しさに満ちたジョヴァンニ・ベッリーニ・Giovanni Belliniの聖母子像。
ベンボは大変彼の絵を好み評価していた様子ですが、
    
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こちらは会場にあった、ガブリエーレ・ダッラ・ヴォルタ・Gabriele dalla Volta
描く所のジョバンニ・ベッリーニ像。

この髪形と僧服に驚いたのですが、理由は探しかね、見つめるかなり厳しい目、
それにも少し驚きました。
       
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彼の絵は一見優しそうに見えますが、大変な勉強家で、姉のニコロシーア・
Nicolosiaが結婚したマンテーニャからは勿論、
ピエロ・デッラ・フランチェスカ、アントネッロ・ダ・メッシーナ、ジョルジョーネ、
果てはデューラーからも学んでいる様子が分かるそうですが、

決して自分を失くさずの、ヴェネツィア派絵画の大家でした。



ちょっと息抜きに、はい、会場にあったこの絵を。
ロレンツォ・コスタ・Lorenzo Costaの「若い女性の肖像」

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こちらはティツィアーノの作品で、たぶん40歳頃のベンボ像と。
目も鼻も後の彼の枢機卿の姿、ティツィアーノ作にそっくりですものね。
 
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そしてこちらが好奇心満々のshinkaiが、見たかった物、
はい、ルクレツィア・ボルジャの金髪の一房!

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ええと大きさは、上の金髪が入っている部分、両面からガラスで挟んだ薄い物が、
10x5cm位、髪の毛の長さは、まぁ15cmちょっと位でしょうか。

金髪、キラキラ輝く鮮やかな金髪、というイメージはなく、
ベージュ色、藁色という様な髪の毛でござった。


ルクレツィア・ボルジャとベンボの出会いは1502年、ベンボ32歳、ルクレツィアが
10歳年下の22歳、彼女が3度目の結婚でフェッラーラにお輿入れして後の事。
3度目の結婚というので、なんとなしも少し歳が行ってた様な気がしていましたが、
なんとまぁ、いまだ22歳だったのですねぇ。

抗しがたい危険な情熱に陥った2人、ですが、プラトニックな関係と書いてあるのも
幾つかあり、まぁつまりです、彼女は自分の髪の一房を彼に贈った、のですとさ。

彼が我に帰り、危険な関係から逃れた得たのは、翌年の12月に彼の弟が
ヴェネツィアで亡くなった時の事で、家に帰らざるを得なかったからなのですと。



ここからちょっと寄り道を致しまして、ははは、
ルクレツィア・ボルジャ・Lucrezia Borgiaの肖像を何点かどうぞ。

これはもう大変有名なバルトロメーオ・ヴェネト・Bartolomeo Venetoの肖像で、
美人でちょっとばかり勝気で、男を蕩かすタイプに見えますね。

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一方こちらは、もうまるで楚々たる美人像、ピントゥリッキオ作・Pinturicchio。
ヴァティカンのボルジャのアパートに描かれた物で、全体と、

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少し色が違いますが、細部を。
私の偏見かもしれませんが、こちらの方が実物のイメージに近いのではないかと。

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ベンボなる人物も知りませんが、こういう楚々とした一見か弱げな女性像の方が
男はんを、密かに情熱的な恋に引きずり込む、ははは、と思うのですけど、
皆さんはどの様に?

法皇アレッサンドロ6世・ボルジャの娘として生まれ、兄にチェーザレ・ボルジャ、
いまわしい噂もあれこれ囁かれ、生涯3度の結婚を、父と兄の政略でさせられた女性。
が父も兄も亡くなった後もフェッラーラで39歳まで。 それにしても短い人生ですね。
      
今時の研究では、かっての淫乱女性のイメージどころか、慈善や福祉にも熱心
とかいう説があるそうですが、
う~ん、こういう女性は常に、愛されている、という確信を、男はんの目の中に
認めたいのでしょうねぇ。 ・・うん、まぁ、これはどの女もそうかもしれんっちゃ!



再び展覧会会場に戻りまして、ラファエッロ・Raffaelloの作品2点を。
こちらは「聖家族」まだ若い頃の作品と。

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ナヴァジェーロとべアッツァーノの肖像・
Andrea Navagero e Agostino Beazzano.

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2人はベンボの親友で、同じくウルビーノで知り合い親友となったラファエッロ
と共に、彼がレオーネ10世教皇の秘書となりローマにいた時、
バルダッサーレ・カスティリオーニ・Baldassarre Castiglioni
「宮廷人」の作者も連れだって、ティヴォリに出かけたりも、と。

カタログには、話していた友人がふとこちらを見た様子と説明があるのですが、
会場で見た時には大変難しい絵だと・・。
つまり、絵を見る方は視線が割れ、どちらを見たら良いのかが、正直な感想。



こちらは金糸も織り込んだ大変豪華なつづれ織り、デザインはラファエッロで、
これは一部分で、大変大きな物でした。

ヴァティカンでレオーネ10世が貴賓を迎える場で使っていた物だそうで、
後にベンボはこれを買う為、パドヴァの土地を売ったとか。

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ラッファエッロの生家、そして、殺人的坂道のウルビーノ!
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463304481.html
       


ラファエッロの師のぺルジーノ・Peruginoの作品「サンタ・マッダレーナ」も会場に。

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私は意外とぺルジーノが好きでして、多分初めて実物を見たのだと思いますが、
しげしげとその美しさを堪能致しました。
肌の色は、後世のニスのせいかも知れませんが、もっと黄土色という感じで、
はぁ、美しい絵でございましたぁ。



これはミケランジェロのデッサンで、なんとまぁ、やはり凄いなぁという単純な感想のみ!
ベンボはミケランジェロを賛美、感嘆していたのだそうで・・。

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そして今回のこの展覧会で、私めが本当に感嘆し、何度も戻っては矯めつ眇めつ、
舐める程の距離に顔を寄せ、また離れて見、そして見上げてしげしげと・・、
しましたのは、 

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このマンテーニャの「サン・セバスティアーノ」A.Mantegna - San Sebastiano
絵はヴェネツィアのカ・ドーロ、フランケッティ美術館からお出ましだったのです。



カ・ドーロのこの絵が置かれている場所は、この館の修復に生涯を捧げた様な
ジョルジョ・フランケッティの本当に心の籠った素晴らしい場所、
この作品の為に設えた礼拝堂の様な奥まった場所で、

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全体の素晴らしい調和の中にあり、が傍には寄れず、遠くから眺めるだけなのですね。

所がこの会場には絵のみが来ておりまして、最初は味気ないなぁ、と感じた物の、
次の瞬間にはその魅力に引き寄せられました。

上のカタログからの写真は全体がありませんが、213x95cmの細長い高い作品で、
一瞬私はフレスコ画かと思い、いや、それにしたらなんとも柔らかい、なんだろ?! 
と傍にいた管理の女性に訊ねに行き、キャンバス地にテンペラ、と教えて貰いました。
それをも訊ねる程の、肌合いが柔らかい作品だったのですね。



これは同じマンテーニャの、ミラノのポルディ・ペッツォーリ博物館にある
美しい「聖母子」ですが、キャンバス地に描かれたのはすぐ分かりますよね。

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所がこのサン・セバスティアーノの作品は、もわっと柔らかい質感を持ち、
マンテーニャ独特の固い線も、雰囲気も無いのです。

何度も何度も顔を近づけて見て、布端の糸も縫い目もしっかり描かれているのも、
白い布の白い所は何度ものハッチングの重ねによる物で、下から見上げると、
本当に白く描かれた部分は、テンペラで描く際に使う、卵の艶が光る程なのも認め、

そして布の陰は、バックのグレイとも渋い緑ともつかぬ色に溶け込むばかりに描かれ、
肌の色は本当に美しく、ほんのりと朱が入った感じ。

75歳で亡くなったマンテーニャの最晩年の作品だった様で、
その凄さに、圧倒されました!

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こんなにしげしげと絵を見たのは、以前あったっけ?!
10cmも離れていない所まで顔を近づけ、また下から見上げ、舐める程に何度も!
こんな絵の見方をさせて貰える有難さ!!


絵の凄さ、それはもう即自分に跳ね返り、文句を言わず、謙虚に描け!!
そんな風にぶちのめされ、見れた事、出会えたことに感謝しつつ、
大いに気分高揚して戻って来たのでした。
      

この絵は、画家が1506年に亡くなった時にアトリエにあり、その後暫く後には
パドヴァのベンボの家にあった、という記録があるのだそうですが、
       
ベンボ展のお陰でこんな近くで見るチャンスを得、有難い事でした。


カ・ドーロのマンテーニャの絵についてはこちらに。
n.2 ヴェネツィアの館 ・ カ・ドーロ
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463741340.html       



という事で、最後はティツィアーノ描く所の枢機卿姿のベンボ像をどうぞ。

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ピエトロ・ベンボというと、枢機卿の赤い衣装姿にサイトでお目にかかりますから、
かなり若い時期に枢機卿になったのかと、思っていました。
所がファルネーゼ家出身のパオロ3世によって枢機卿に任命が1539年の69歳、
亡くなる7年前の事で、この絵は枢機卿任命の同年の作。

これも傍でしげしげ眺め、向かって左の襟の部分の描き増しはすぐ見えますが、
肩から腕の部分、そして帽子の形がかなり小さく削られている事にも
目が止まりました。

もう一枚亡くなる前年か、ベンボ最晩年の枢機卿の姿もティツィアーノは描いており、
これも先年見ましたが、
ここではまだゴマ塩の髭が見事に美しく白くなっており、
いつもながら、ティツィアーノが男を描く時は本当に素晴らしい、と!

ファルネ―ゼ家のパオロ3世について、こちらに。
       

という様な事で、絵画作品を主にご案内いたしましたベンボ展、
作品出展は他にもあり、コレクション品も他にたくさんあったのですが、
正直、好きな絵を見るのに気を取られ、殆ど見ておりませんで・・。
お楽しみ頂けました様に!
お付き合い、有難うございました!


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