今日のご案内は、トスカーナのピエンツァ近くにある、
ロマネスク様式の小さな素朴な教会ふたつをどうぞ。
ロマネスク様式の小さな素朴な教会ふたつをどうぞ。
後の時代と違い、この時代の教会は大変素朴で簡素、装飾なども稚拙な
味わいの私好みですが、今日のご案内も全然抹香くさくありませんので、
ははは、かっての博物館的感覚でご覧下さいね。
曇り空の日で、写真の色も暗く写り残念ですが、
だんだん良くなる法華の太鼓で、ははは、ちょっとのご辛抱を!
だんだん良くなる法華の太鼓で、ははは、ちょっとのご辛抱を!
まずはピエンツァから北のカステルムーツィオの町郊外、畑の中の道を
進んだ所にあるピエーヴェ・ディ・サント・ステーファノ教会・
Pieve di Santo Stefano a Cennanoから。
Pieve di Santo Stefano a Cennanoから。

ピエーヴェ・Pieveと呼ばれるのは、中世において田舎に造られた、
洗礼堂を持つ教会を指すのだそうで、当時はその周辺の宗教文化の中心と
なっていたのだそう。
写真は正面の様子で、ロマネスク様式の教会とはいえ、少し飛び出した扉、
入り口部分はゴシック様式とあり、
私程度の知識では、読んでも、はぁ、左様で・・、という程度ですが、ははは、
私程度の知識では、読んでも、はぁ、左様で・・、という程度ですが、ははは、
建設完成が1285年、ですが後の時代に何度もの 修復改築を経ている様子。
右奥に見える鐘楼は、こんな様子。

横から紐状のものが下がっているのが見えますが、
屋根の上で纏まっていますから、電動で鳴る仕掛けですね。
この教会はどこにあるか、地図をどうぞ。
教会は左上に、右下の緑線で囲ったのがカステルムーツィオの町。

最初にサイトでこの教会の素朴な後陣の写真を見つけ、見に行こう!と
思ったのですが、実は探し回りました。
名前の後に付く a Cennano・ア・チェンナーノ、普通にはこれは土地の名
名前の後に付く a Cennano・ア・チェンナーノ、普通にはこれは土地の名
ですが、地図検索でも見つからず、かってはこんな村の名だったのでしょうが、
で場所はサイトに、カステルムーツィオ・Castelmuzioとか
タルクワンダ・Tarquandaとか好き放題に書いてあり・・!
タルクワンダ・Tarquandaとか好き放題に書いてあり・・!
でshinkaiはどうしたか、
衛星地図でこの周辺を拡大、しらみつぶしに眺め、遂に県道から入り込むのが
衛星地図でこの周辺を拡大、しらみつぶしに眺め、遂に県道から入り込むのが
ピエーヴェ通りであるのを見つけ、それでストリート・ヴューで確認と言う次第!
先日来、イタリア版のグーグル地図も変わり、現在は衛星地図と下の欄の
写真がすっと繋がるようになり、何ヶ月かの違いによりずいぶん楽になりました。
そんなこんなで、やっと見付たぞぉ!と嬉しく、ロマネスク専門のクリスさんに
コメントすると、ああ、あの町手前の小道を入っていく奴でしょう?とあっさり!
クリスさんは苦労せずに見つけられたようで・・、さすがぁ。
クリスさんは苦労せずに見つけられたようで・・、さすがぁ。
地図のSP71が、モンティージ・カステルムーツィオ・ピエンツァを結ぶ県道。
モンティージのご案内
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461831429.html
カステルムーツィオは
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461454296.html
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461831429.html
カステルムーツィオは
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461454296.html
正面上部にあるステンド・グラスの入った窓。
うっすらと絵柄が見えますが、この教会の名の聖ステーファノ像と。

このステンド・グラスも後世の修復によるものでしょうが、内部に入り、
余りの暗さにすっかり後ろ上部を振り返るゆとりもなく、写真も撮らず、
でもサイトでも見つかりませんから、ははは、
どなたも同じような感じだったと見えます!
入り口、扉上の半月部分。


周囲の壁の古さ、苔むした感じに比べ、真ん中に嵌めこまれた文字盤と、
右側の顔の辺り以外は新しいので、後に修復されたものと。
教会正面から右奥に広場が繋がり、こんな建物。
かっては教会関係だったのでしょうが、今はオリーヴ・オイルの製造販売所で、
手前の庭でシニョーラが花の苗を植えていて、横から内に入れますからね、と。

で、横からの眺め。

横の扉、入り口と、

上部右上の窓。 こちらの窓は、左側のよりも少し小さいのですが、
古いままの様子で、如何にもの中世風人物像と鷲。


さて内部に。3廊式になっていて、これは内陣から後陣部分ですが、
ご覧の通り13世紀建設のオリジナル部分は少しだけ残っていて、
真ん中に見える祭壇は18世紀に修復されたバロック式と。

これは身廊部分にあった聖水盤と思いますが、これも後の時代に
嵌めこまれた物と見え、暗い中で何度もトライしましたが、手振れご容赦!

この柱の裏側で、こんな彫りこみも見え、

柱頭部に残る装飾。

こうして見ると、内陣部分のアーチなど修復されているのが良く分かり、
手前の一般庶民席部というのか、はは、教会手前側は、単純に列柱のみで
屋根が支えられています。

床の様子。 大きさ、素材様々な石の床で、これはきっとあちこちから
持ち寄り、リサイクルされた床石なのでしょう。

外に出て、今左に見える小さなアーチ、隣の建物との境を潜り、
後陣後ろに回ります。 この辺りが13世紀のオリジナル部分の様子。

全体の姿。 曇り空で残念ですが、なんとも質朴で美しく、良いですねぇ!

帆形鐘楼部分、屋根との繋がり部分から見て、後に増設された物と納得。

この写真ではちょっと無理ですが、元のを見ると、一番上の三角部分の
真ん中に小さな盤がはめ込まれ、156X と年号が彫られているのが見え。
もう一度古い石組みを眺め、

周囲のオリーヴの木と赤いポピー、花咲く草原を愛で、古い小さな教会を後に。

う~ん、後陣の姿は良いですが、内部はイマイチ味わいに欠けるかな、
という感想でしたが、そうそう、この教会では毎日曜にミサが行われ、
夏にはクラヴィチェンバロのコンサートが開かれるとの事。
夏にはクラヴィチェンバロのコンサートが開かれるとの事。
さて2つ目にご案内の教会は、ピエンツァの町のすぐ外、緑の線が古い町の
位置で、歩いても1km程の距離にある
ピエーヴェ・ディ・コルシニャーノ・Pieve di Corsignano。
ピエーヴェ・ディ・コルシニャーノ・Pieve di Corsignano。

コルシニャーノというのは現在のピエンツァの古名で、15世紀にこの村出身の
教皇ピオ2世が、理想の町造りに励み、町の名もピエンツァに改めた、
と町のご案内の際にご案内を。
緩やかな下り坂を行くとちょっとした広場に出て、脇にこんな泉があり、
手前側では、かっては女性達がお洗濯をしたのでしょうね。

訪問した5月初旬には既に手前の木々の葉が茂り、全体の姿が見えず、
これはサイトから拝借。

大きな円筒形の鐘楼があり、これは教会よりも古く、以前にあった建築物の
上に造られた物だろうと・・。
円筒鐘楼に見える鐘。

そして入り口部分。


扉上にある興味深い浮き彫りは、2つの尾を持つ人魚が中央に、
その左には誘惑に身を任す男性像で、右は動物の首を掴む男が
もう一方の手で女性の腕を捕らえ、つまりキリスト教徒のよき姿と・・?!
かなり異教徒的な趣のある正面浮き彫りで、
この2尾のある人魚像は古い教会に見られ、確かトスカーナ南部の
古い町ソヴァーナ・Sovanaの教会にも。
脇の柱には、上に雄山羊の顔があり、下に笑いかける顔、
そしてみっちりと彫りこみのある脇の円柱。


蛇足ながら、雄山羊の顔というのは、テンプル騎士団のシンボルに
よく使われているのだそうで、・・こういう謎解きは古い教会に付き物で。
実際この教会の現在残るロマネスク様式からみると、12世紀建設と、
がそれ以前の7世紀に既に記録にあり、教会の古くからの名は
サンティ・ヴィート・エ・モデスト・Santi Vito e Modestoですが、
現在は一般にコルシニャーノの教会・ピエーヴェ・ディ・コルシニャーノと。
ソヴァーナの教会のご案内は
ソヴァーナの教会のご案内は
入り口上には、女性像が円柱代わりの窓。ギリシャ神殿の女性柱の
イメージもありますが、埴輪を彷彿させる、と思うのは私だけ?!

入り口からの眺めで、この教会も3廊式で、それぞれの奥に祭壇が。


ここも大変暗く、余りよく撮れませんでしたが、木造のキリスト像も
なかなか良い雰囲気で、石の色のせいもあるのか、素朴で暖かいイメージ。
内陣辺りは修復があった様子で、右手前の角柱にも継がれた跡が見え、

こちらは右側の祭壇部分で、素朴なロンゴバルド様式の模様が。

こちらは左側祭壇。

説明に、角柱に蛇が2匹彫られている、と読み、気が付かなかったなぁ、
と思っていたのですが、
この写真の一番右の角柱の柱頭部分に、かすかに。 分かりますか?
この写真の一番右の角柱の柱頭部分に、かすかに。 分かりますか?

半ば伝説的に、王の蛇とも呼ばれるのだそうで、トスカーナのアペニン山脈
一帯に残る伝説の蛇、ずんぐりの大蛇で光る鱗、背中に小さな翼を持ち、
秘密の宝を護り、1世紀に一度現れては出会った不幸な人々を食べてしまうと。
秘密の宝を護り、1世紀に一度現れては出会った不幸な人々を食べてしまうと。
そんな蛇の姿が教会の柱頭に今も残る、というのも、大変珍しい例なのだそう!
そしてこの右廊の壁沿い、出入り口に近い方に四角い石が見えますね。

これです。 これは洗礼盤で、上にある表示には、

ラテン語で、教皇ピオ2世とその甥がここで洗礼を受けたと。

ピオ2世はもうご存知でしょうが、1405年にここで洗礼を。
その甥というのは、ピオ2世の妹の子で1439年に誕生、ピオ3世として1503年に、
アレッサンドロ6世ボルジャの後に教皇になられた方なのだそう。
ピオ2世の引き立てもあったとはいえ、優秀な人物だったそうですが、
なんと教皇選出27日にして死亡! 脚の潰瘍が元とも、毒を盛られたとも。
なんと教皇選出27日にして死亡! 脚の潰瘍が元とも、毒を盛られたとも。
継ぎを襲ったのは、ピオ3世選出を援けたジュリオ2世。
そうです、ミケランジェロにシスティーナ礼拝堂の天井画を、ラファエッロも招き、
ローマのルネッサンス化を進めると共に、外国勢の進入とも戦った
政治家軍事的教皇ですが、う~ん、この教皇就任経過は色々匂いますですね、はは。
それはともかく、洗礼盤上に記された、甥もここで、というのには、
重箱の隅を突きたいshinkaiとしては、ちょっと疑問。
というのも、後のピオ3世は、ここコルシニャーノから30km以上も離れた
重箱の隅を突きたいshinkaiとしては、ちょっと疑問。
というのも、後のピオ3世は、ここコルシニャーノから30km以上も離れた
サルテアーノ・Sarteanoで生まれたというので、わざわざ洗礼の為に
赤ん坊をここ迄連れて来たのかなぁ、まぁ、両親に見せるついでにという事かな、
叔父さんと同じ栄誉にあやかるようにかな、とかね。
こちらは円筒形鐘楼の中を覗き、

入り口扉から見える、外のマロニエの大樹は花盛り。


教会横手は奥に建物が見え、オリーヴの木もありますが、近寄れず、

これは教会前の細い道に出ていたハイキング用の道しるべ。

サン・クイリコ・ドルチャには、まっすぐに、
温泉で有名なバーニョ・ヴィニョーニには9km 2時間半。
温泉で有名なバーニョ・ヴィニョーニには9km 2時間半。
バーニョ・ヴィニョーニのご案内は
バーニョ・ヴィニョーニに行く、下るには、教会前のこのオリーヴの
大樹前の細い道を辿り、

ほら、ずっと先にはこんな農家も見えます。 頑張って歩いて下さいねぇ!!

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