・ 狙いたがわず!  モンティージの町

トスカーナはシエナ県、オルチャの谷の北に位置する
カステルムーツィオサン・ジョヴァンニ・ダッソと続きまして、
この地域三点セットの、ははは、今回最後を〆ますは、
モンティージ・Montisiのご案内。

サイトで知る町の歴史、イメージ情報、衛星地図で見る町の形などから、
ここは良さそう!と狙って行ったのですが、
まさに!珠玉の町と呼ぶに値する姿を見る事が出来ました。

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上の写真は町の東側からの眺め。



海抜413m、町の住人350人弱という様子をゆるゆるとご案内、どうぞ!

旅の初めに1泊した朝、前夜からのかなりの雨降りの中を歩きつつ、
これは良い町だ、出直そう!と決め、旅の最終日の快晴の空の下にもう一度
訪問したので、ここにアップの写真は殆どが2度目の訪問時の物。

町は東西に細く伸び、西端と北側に駐車場があり、宿に近い西側に停め、

町を抜ける一本道ウンベルト1世通り・via UmbertoI に
出てくる角にこの小さな礼拝堂。
案内も何もなく、そう古い物でもなさそうですが・・。

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グランチャ・ディ・サンタ・マリーア・デッラ・スカーラ・
Grancia di Santa Maria della Scala・
サンタ・マリーア・デッラ・スカーラの荘園が道の向こうに。

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これです!
こちらが入り口で、緩やかな坂道の敷石には、荷車を引いて上がった
かっての轍の跡が残り、建物全体は素晴らしく大きく、
今、車が通る左端の向こうにチラッと見えるオレンジ色のミラー、
あれより奥まで続きます。

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現在は手前側の建物がアグリトゥリーズモの宿にもなり、イタリアで一番
小さい劇場の一つでもある、座席58席のテアトロも近年復元されていると。
       


入り口扉上に見えるシエナのデッラ・スカーラ病院の紋、
スカーラは梯子、階段の意。

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入り口脇の角に見えるタベルナーコロ・
聖母像などを安置する壁龕。

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タベルナーコロをたくさん見かけたジェノヴァの街は
       

       
こちらが奥に続くまさに巨大な建物で、
見えるあの扉には「オリーヴ油エキストラ・ヴェルジネ直販」の看板が
出ていて、13世紀から延々とこのグランチャの歴史が続いているのですね。

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今回モンティージに行くにあたり、デッラ・スカーラ病院の荘園が
あったのを知り、今までもあちこちでこの病院の名前と設けていた
巡礼宿に出会っていますので、今回は少しその実態について知りたくなり、
読んでみました。ほんの一端ですがどうぞ。

かってあった大きな高い塔、シエナのカンポ広場にあるマンジャの塔を
模したといわれる塔は、第2次大戦終戦間際、ドイツ軍が引き上げる際に
爆破したといい、現在ありませんが、



これは1762年の財産目録・カブレーオ・Cabreoに描かれた、
この荘園の細部に至るまでの図が添えられた目録だそうで、
塔以外は現在と余り変化の無いのが良く分かります。

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現在内部を一般公開しておらず見れないのが残念ですが、
サイトからの写真を1枚どうぞ。
入り口扉を入った第一の中庭で、もう一つ中庭があるそうで、
坂道から門のアーチを入った所の、石の擦り減り具合が印象的!
     
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サイトはこちらに。 http://www.lagrancia.com/
道脇から眺め、まさに要塞!と感じた威容、圧迫感ですが、
これがグランチャ、中世における修道院付属の荘園の姿です。
       
このモンティージのグランチャの元は1295年、
町の領主シモーネ・カッチャコンティ・Simone Cacciacontiが
彼の資産すべてを、シエナのサンタ・マリーア・デッラ・スカーラ病院に
遺言で残したのに始まり、これについては後に再度触れますね。

グランチャ・Granciaと呼んでいますが、一般にグランジャ・Grangia
とも呼ぶそうで、
15世紀の記録に残る記述によると、
   塔のある邸宅、外扉と回廊内庭を挟んで巻き上げ橋、
   深い外堀がある城壁が取り囲み、
   内部の住居、穀物倉、ワイン貯蔵庫を護るまさに要塞
という当時の様子。
はい、現在無いのは塔と外堀、そして巻き上げ橋!

こういう大規模要塞造りの荘園を、デッラ・スカーラ病院はイギリスの
カンタベリーからローマへの巡礼通商道のフランチージェナ街道沿い、
またその近辺に設け、つまりトスカーナ一帯に跨る各地に。

モンティージの他にこの近くではサン・クイリコ・ドルチャ、
その南東にあるスペダレット・Spedaletto

先回ご案内のサン・ジョヴァンニ・ダッソの城・要塞も一時
デッラ・スカーラの持ち物だったとありましたし、

つまりその周辺の穀物の集積場、倉庫であり、保管し護る為の要塞であり、
またオリーヴ油やワインの製造所も兼ね、如何に合理的に膨大な農産物を
管理するかで、
最初はこの荘園も、修道院付きの信用できる僧侶達が管理を任され、
15世紀まではそれで続きましたが、それ以降は世俗の人物に任せたと。

一方モンティージの町は1371年にシエナの元に入るものの、シエナの凋落
と共にフィレンツェのトスカーナ大公国の元に。
続く世紀はこの町を貧しさが覆いますが、サフランの栽培で何とか凌いだ、
という記述も!

サフラン栽培で町が発展したサン・ジミニャーノのご案内は


1778年にここのグランチャを私有にする事になり、町の有力者である
イアコポ・マンヌッチ-ベニンカーザ・Iacopo Mannucci Benincasa
が買い取り、現在に。
まさに町の歴史そのままのグランチャの歴史、姿なのですね。

マルケ州のファブリアーノの紙の博物館で、
たまたま開催中の公証人の展示会で見た愉快な落書
農民が荘園に農産物を納め、管理する修道僧の様子もどうぞ。

       
中世の巡礼道ヴィア・フランチージェナについては
       


衛星地図で町の様子を。
左下斜めに薄緑の線で囲った所がグランチャで、
町中を通る道がヴィア・ウンベルト1世・Via UmbertoI.

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中程、薄緑の四角を打った広場に今回泊まった宿があり、
広場から通りの右側2軒目の大きな建物が、マンヌッチ-ベニンカーザ邸、
写真撮り忘れ、へへ、元々はフィレンツェ出身の貴族の家系なんだそう。

ブルーのバス停の位置から坂道を上り、右上の楕円形部が町の古い中心核。



さて、グランチャから町の中心に向かい、
緩やかにカーヴする道をそろそろと行きますが、

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道の両脇に並ぶ建物群の背が高いこと、重厚な事など、
単なる田舎町でない事を示します。
       
建物の壁には、デッラ・スカーラの紋がある所も見え、
その関連の建物でもあったのでしょうね。



ここが町の通りの中心広場、見える鐘楼は、
古い一廓にあるサンティッシマ・アヌンツィアータ教会のもの。

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実はこの日、町の入り口で時代衣装を纏った人々が出かけるのを見かけ、
どうもなにやらあるらしいと・・。
窓から白い布が翻っているのが見えますが、最初は単に洗濯物かと、
ははは、失礼、思ったのですが、訊ねてみると、やはりぃ!

ポルトガルのファーティマの聖女像が、今日この町にお出ましになり、
皆さんでお出迎えし、上の教会まで行進するのだそう!

ポルトガルのファーティマ・Fátimaにも行きましたが、
ご案内は宿題のままで!

強い民間信仰の雰囲気にも触れていますから、
町の皆さんが浮き浮きと興奮するのも分りましたが、
上の町の路地を歩いている時には、車椅子に座った
お年寄りから、今日はね・・! と話しかけられたりでした。



広場から、ラ・ロカンダ・ディ・モンティージ・
La Locanda di Montisi、泊まった宿。

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朝食の部屋は、古い17世紀頃という建物の雰囲気を利用していたものの、
各部屋は特別の事はなく・・、
それにしては今回の宿で一番お高い、シングル75エウロ!


この広場で町の皆さんが、食べて飲んで騒いでいるのを!
毎年8月に開催される町の最大のお祭り、と想像、
ジオストラ・ディ・シモーネ・Giostra di Simoneの後、    
勝者をたたえ、負けた地区は慰めあい・・、はは、の光景。

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こちらがそのジオストラの様子。
ジオストラというのは、現在の移動遊園地も指しますが、
回顧の馬上競技、槍試合などを言います。

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大体がこういうサラセン人と見立てた像の持つ標的を槍で突いたり、
下がる輪の中を突き刺したりですが、ここのは凄いですよ、はは、
標的は左手部分に、左の肩には輪が、槍の先5,5cmよりも1,5cmだけ
大きな直径で、延ばした右手には石膏の球が2つ下がり・・!

この石膏の球は、標的を突くと像自体がぐるっと回り、つまりその勢いで
この石膏の球が、走りの遅い騎士をぶっ叩く、という事なので~す!

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輪を突き通す、または標的の真ん中を突くと点数が加算され、5回の勝負の
通算点で、町の地域の一つが勝者に。
はい、町は4つの地域に分けられていて、勝つと聖母子像の描かれた布・
この町ではパンノと呼ぶそう、が与えられると言うもの。

shinkaiめが何で必死に読んだかと言いますと、標的の数もさる事ながら、
ははは、ジオストラに冠された名前がシモーネのジオストラ、なんですね。
これはこの町の領主だったシモーネ・カッチャコンティ、
シエナのデッラ・スカーラ病院に遺言で資産を残した、男の名に由来しますが、
読んで分った事はです、

このシモーネは悪辣な領主で、町の住人から憎まれモンティージから追放
されますが、自分の兵士を使い逆襲し、町を焼き払い略奪、
農園の家畜を皆殺しという残虐行為。

挙句、結局町を治められずシエナに逃げてそこで亡くなり、
遺言で町を病院に残したのだ、というのを知りました。

つまり18世紀には既に記録にある、というこのお祭りで、未だに13世紀の
悪辣領主が槍で突かれ続けているという、
ははは、そんな由来のあるお祭りなのでしたぁ!



さて町の古い地区、衛星地図でも見えた北東部に。
素晴らしい青空でしょう?!

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時計塔は、かってトスカーナ大公国に入る前の町の動乱期、フランスの占領下
にもあったようで、その時の遺産ですが、かなり改修を経ているとの事。



翻る旗は町を4分する地区の一つ、ここカステッロ地区のもの。

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道の奥に見えるサンティッシマ・アヌンツィアータ教会・
Pieve della Santissima Annunziata.
13世紀建設のロマネスク様式で歴史的にも由緒あるそうですが、
入り口上の半円のモザイク部分、内部も改修されています。

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今日は重要な祭日とて、扉も開け放たれ、

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こちらは最初に訪問した時はガラス戸が閉まり入れずに、
カメラを押し付けて撮った内部。

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で、扉の開いていた祭日に撮った写真はもっとボケ!
はぁ、ボケのshinkai・・。



教会の横、鐘楼と隣の建物の間に隙間があるのを見つけ、
そろっと覗きに行きましたら、

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はい、町のパノラマ! 金網が残念!

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教会前の建物、道に沿ってのカーヴが面白いでしょう?
右手前の建物からは、ぐぃ~~んとドリルの音が響き、

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石版彫刻のギーゴ・Ghigoというシニョーレの工房でした。
町の至る所で彼の作品を見かけましたが、ええ、素朴稚拙な味わいの。

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古い一廓をあっちにこっちに行ったり来たりで、楽しみます。
 
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ご覧の通りちゃんと人々が住み手入れされた家々で、姿は見ないものの
寂れた感じは一つも無く、石の色も美しく、見かける人々もにっこり!



細い路地を辿り、町の一番の高所の広場に。 こちらが南側で、

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西側。 あれ、白いワンちゃんがいるのか、と一瞬思うほどの

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大きな猫ちゃんが、寝ておりまして・・、

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こちらは北側ですが、こちらには茶色の猫ちゃん。 見えますか?

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ほらね。

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東側の大きな高い建物はカッゼーロ・Casseroと呼ばれる
元々はモンティージの領主の住まいだったと。

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その後小学校になったり、様々な改修もされ、現在は住宅に
なっているそうで、確かに自転車やボールが転がり・・。



茶色の猫ちゃんに触らせてもらって遊んでいると、
後ろに白ちゃんがやって来て、ごろんごろんして見せてくれ、
おお、可愛いねぇ! と喜ぶshinkai。

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すると後ろで茶ちゃんが、
何だ、その位で喜ぶのかぃ、そんなの簡単じゃぁないかぁ、と
ごろんごろんをね、ははは、うれしいぃぃ!

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遊んでもらって、じゃぁね、またねぇ! 元気でねぇ!



と再度路地歩きを。

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教会の鐘が切れ目なく鳴り始め、ろそろ行事の始まりを告げるのを潮に、
バールでカフェとクロワッサンを食べ、引き上げますが、

道脇の下にのんびり日向ぼっこのワンちゃんを見つけ、チッチッ、と
舌を鳴らして呼びますが、見てくれたのは茶色の方だけ! ははは。
このワンちゃん達は、トリフ探しのワンちゃん!

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駐車場脇のサクランボの実、5月上旬の日、まだ緑色。

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そして、脇のオリーヴ畑。
 
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眩しいほどに晴れ上がった5月のトスカーナ。
素敵な町を見た喜びを味わいながら、
北のシエナのクレーターの道に向かいます。

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