今日は、ちょっと変わったヴェネツィアにご案内、そう、白黒写真に残る
旧き良きヴェネツィアです。
旧き良きヴェネツィアです。
色鮮やかなカラー写真に飽き足らず、白黒、セピア色の写真がお好きな方も
多い様ですが、単に白黒写真の絵葉書ではなく、いかにも時代を反映している
かってのヴェネツィアへ、ご案内いたします。
多い様ですが、単に白黒写真の絵葉書ではなく、いかにも時代を反映している
かってのヴェネツィアへ、ご案内いたします。
まずサン・マルコ広場。 如何? 今と一つも変わっていませんね。

後ろの建物の壁が、すすけて少し黒っぽく見えるかな?程度の違いだけで、
人の数も少なく、鳩がやけに多く感じます。
が、何よりも、人々の服装の違いから来る全体の雰囲気!
絵葉書の裏に年代が記されてなく、それが残念。
絵葉書の裏に年代が記されてなく、それが残念。
御存じ、リアルト橋。 右側の橋の中央の道真ん中に屋台の列が見え、
そのほかの閑散とした様子!

建物の壁のポスターが、何のポスターかと拡大しましたが、確定出来ず、
なにやら白い衣装の女性と、上半身裸の男性が!
なにやら白い衣装の女性と、上半身裸の男性が!
が、拡大して分った事は、この絵葉書はカーニヴァル時期の物で、
殆どの人が、仮面をつけているのが分りました! 今のカーニヴァルと違い、
まだ地元の人々がチョッピリ仮面をつけ、楽しんでいるのでした。
殆どの人が、仮面をつけているのが分りました! 今のカーニヴァルと違い、
まだ地元の人々がチョッピリ仮面をつけ、楽しんでいるのでした。
ヴェネツィアに帆船が! それもかなり大きな帆船です!
これは実際に仕事中の帆船ですね?! 凄い!

左側に見えるのはジュウデッカ島ですから、ここはアッカデミアの東南辺りですね。
この辺りを北に入っていくと、ゴンドラ製作所が今もあります。
アッカデミア美術館の建物自体は今と変わっていませんが、大きな違いが一つ、
屋根の上の像で、今はありません。かなり大きく、手前はライオンの様にも。
屋根の上の像で、今はありません。かなり大きく、手前はライオンの様にも。

今はこの前の広場に、スーヴェニールの屋台があり、アッカデミア橋も違います。
見えるこの橋はどうやら鉄製の様ですが、今は木製の少し弧を描く橋に。
カンポ・サンタ・マルゲリータは、アッカデミアから、サン・バルナバ、映画「旅情」の
骨董店のある、を経て、ローマ広場に至る道順にある広場。
骨董店のある、を経て、ローマ広場に至る道順にある広場。

ご存知の様に、ヴェネツィアではピアッツァ・広場と名乗るのは、サン・マルコ
前の大小の広場のみで、他の広場は全て、カンポ・畑、広っぱ と呼びます。
このサンタ・マルゲリータの正面に見える半分に切られた鐘楼、横の建物の並び、
は全て今もそのまま! 歩いている人々の数と、衣服が違うのみ。
なんとなし人々の背が低いように、感じられませんか?
は全て今もそのまま! 歩いている人々の数と、衣服が違うのみ。
なんとなし人々の背が低いように、感じられませんか?
左の建物群の奥に、アルセナーレの入り口辺りが見え、
絵葉書に見える右側の野菜果物店、まったく同じ場所に今も八百屋さんが!
絵葉書に見える右側の野菜果物店、まったく同じ場所に今も八百屋さんが!

女性の長いスカート! 年代が分らないのが、本当に残念。
これは上でご覧頂いた、大きな帆船が停泊していたよりも西ですね。
やはり大きな帆船で、奥に煙を吐いている黒い汽船も見えます。
手前を行く、ステッキの粋な紳士はカンカン帽。 道の右辺りに、
確かフランス大使館があったと。
やはり大きな帆船で、奥に煙を吐いている黒い汽船も見えます。
手前を行く、ステッキの粋な紳士はカンカン帽。 道の右辺りに、
確かフランス大使館があったと。

サン・マルコ広場に何か大きな展示館が出来ている様子。
何の展示館か分りませんが、左中程を行く女性の長いコートの感じから見て、
カーニヴァルの期間ではないかと言う気がします。 仮面をつけている感じも。
何の展示館か分りませんが、左中程を行く女性の長いコートの感じから見て、
カーニヴァルの期間ではないかと言う気がします。 仮面をつけている感じも。

それにしても、この人の少なさ! 隔世の感あり、ですね。
ヴェネツィア名物、アックワ・アルタ・高潮!

先月11月4日は、フィレンツェの大洪水から40年、でニュースがありましたが、
あの当時、ヴェネツィアも大変な高潮の被害を受けたようです。
ただフィレンツェの被害が歴史的に大きかったのと、ヴェネツィアの高潮は
「いつもの高潮」とみなされ、大したニュースにもならなかったとか。
この写真で見る限り、海と陸の境がなくなっていますね。
あの当時、ヴェネツィアも大変な高潮の被害を受けたようです。
ただフィレンツェの被害が歴史的に大きかったのと、ヴェネツィアの高潮は
「いつもの高潮」とみなされ、大したニュースにもならなかったとか。
この写真で見る限り、海と陸の境がなくなっていますね。
こちらはリド島です。 左端に馬車馬が見え、それになんといってもこの母子の姿、
「ヴェニスに死す」の親子を思い出させます。
ボクが少し小さいですが、この服装! 「タッジュウ」と「マンマ」ですね。
「ヴェニスに死す」の親子を思い出させます。
ボクが少し小さいですが、この服装! 「タッジュウ」と「マンマ」ですね。

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