グロリオーザさんの素晴らしい写真と記事による「トリエステ」をどうぞ。
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今回は、国境の街・トリエステを紹介します。
今回は、国境の街・トリエステを紹介します。
トリエステはヴェネツィアから電車で約2時間、イタリア半島の北東の端にある、
アドリア海に面した港町です。
イタリアといっても、14世紀からハプスブルグ帝国時代の終る20世紀まで、
オーストリアの支配下にあったところだけに、まだ色濃くその面影を残しています。
アドリア海に面した港町です。
イタリアといっても、14世紀からハプスブルグ帝国時代の終る20世紀まで、
オーストリアの支配下にあったところだけに、まだ色濃くその面影を残しています。
駅のまん前にあるリベルタ広場には、ハプスブルグ家の悲劇の皇后エリザベート
の像が、今も堂々と存在していました。
の像が、今も堂々と存在していました。

駅そのものも、宮殿の広間を思わせる風格たっぷりのたたずまいです。

駅隣りのバスターミナルには、国境を接するスロヴェニアや、クロアチア行きの
バスが毎日運行されています。

市街地に入ると、きらびやかな金で装飾された、建物の壁面が目に付きます。
この建物は、イタリア統一広場の政庁舎です。
この建物は、イタリア統一広場の政庁舎です。

同広場の中心にあるのが市庁舎。
ゆったりと海に面したこの広場は、ヴェネツィアにおけるサンマルコ広場
のような存在です。
開放的で、街の人たちがくつろぐ風景が、ここに見る事ができます。

夜に灯される、市庁舎のライトアップは圧倒的迫力。
12月とあって、広場にはクリスマスツリーが整然と並んでいました。

広場前の道路にある街灯は、とても雰囲気のある形。
路面を照らす青い照明もあり、黄昏時の美しさは一入でした。
路面を照らす青い照明もあり、黄昏時の美しさは一入でした。

少し駅側にある、ポンテ・ロッソ広場付近の夜景です。
この辺りは、ウイーン・リンク通りにあるオペラ座周辺を思い出させます。

市民の心の拠り所であり、街のシンボルでもある、サン・ジュスト聖堂。
ローマ時代の2つのバジリカ跡に、サンジュスト教会とアッスンタ教会を
結合させて再建したもので、正面のバラ窓が、大変美しい。

サン・ジュスト聖堂内部。
中央祭壇のモザイクは、わりと新しいもののように見えました。

追記:聖堂内には新しいモザイクもありますが、この正面後陣の
素晴らしいモザイクは12世紀前半の物。 2018.9.20
素晴らしいモザイクは12世紀前半の物。 2018.9.20
近くのお城前広場に建っていた、大きな彫像です。
戦士の姿にも見えたのですが、何なのかはわかりませんでした。
戦士の姿にも見えたのですが、何なのかはわかりませんでした。

ラザレット・ヴェッキオ通り。 明るい陽光の降りそそぐ海岸通りから、
1つ山側に入ったこの通りに、トリエステの代表的詩人ウンベルト・サバの詩が
掲げてあると聞いた覚えがあり、それを探しました。

これが、そうです。
トリエステには、閉ざされた悲しみの長い日々に、
自分を映してみる道がある。
ラザレット・ヴェッキオ通りという名の

この標識のすぐ前のバルで書いた私のメモ。
少し湿った香りの漂うこの通りで今、サバの詩を見つめている。
店の前を通る老人と、ふと目が合った。目尻に刻まれた深いしわ。
それが彼の年輪とするならば、ローマ、アクイレイア、ヴェネツィアの
支配を受け、つい100年ほど前まではオーストリアの領地であった
トリエステの年輪とは何だろうか。
決して自らが主役にはなりえなかった歴史の中で、
悲しみを心の奥に閉ざして生きてきた長い長い時間が、
海も見えず、山にも登りきれないこの狭間の通りから
立ち上ってくるかのように感じられた。
ラザレットという言葉は、伝染病院という意味のようです。
「古い伝染病院通り」 なんと言う恐ろしい名前なのでしょうか。
「古い伝染病院通り」 なんと言う恐ろしい名前なのでしょうか。
ヴェネツィアに戻って地図を見ていたら、リド島のすぐ近くに
「ラザレット・ヴェッキオ島」という島がありました。
「ラザレット・ヴェッキオ島」という島がありました。
ここには、15世紀にペスト患者を隔離するための伝染病院が建設され、
患者が収容されていた歴史があるということです。
ここと関係があるのか、それとも別の歴史を持っているのか。
ご存知の方がおられれば教えてください。
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如何でしたか、グロリオーザさんのトリエステのご案内は?
いつもの様に大変美しい写真で、トリエステの夜を知らない私には
大変魅力的でした。
いつもの様に大変美しい写真で、トリエステの夜を知らない私には
大変魅力的でした。
街も大きく、歴史の変遷も長いこの街のご案内は1度では難しく、
引き続き来週もしてくださる予定です。
お天気に恵まれ、日中の気温が17度にもなったそうで、
次回は、港や、埠頭風景もご覧頂く予定との事。 お楽しみに、どうぞ!
引き続き来週もしてくださる予定です。
お天気に恵まれ、日中の気温が17度にもなったそうで、
次回は、港や、埠頭風景もご覧頂く予定との事。 お楽しみに、どうぞ!
トリエステは、第2次大戦後、敗戦国として国連の統治下になり、
その管理がユーゴ・スラヴィアに任されました。
イタリア統一広場、という名前は、その後イタリアに再統一された記念に由来し、
サン・ジュスト教会近くの広場の銅像は、その記念の、兵士の像と思います。
その管理がユーゴ・スラヴィアに任されました。
イタリア統一広場、という名前は、その後イタリアに再統一された記念に由来し、
サン・ジュスト教会近くの広場の銅像は、その記念の、兵士の像と思います。
お城、そしてサン・ジュスト教会は街の高台になり、
ここからの街の眺め、港の眺めの美しさは最高です。
ここからの街の眺め、港の眺めの美しさは最高です。
サン・ジュスト教会のモザイクは、保存が大変よく新しい物の様に見えますが、
12世紀の物との事。
この教会前に、歴史美術博物館があり、ギリシャの赤絵の壷、ローマ期の
ブロンズ像など、が溢れているそうですが、私はまだ見学しておりません。
12世紀の物との事。
この教会前に、歴史美術博物館があり、ギリシャの赤絵の壷、ローマ期の
ブロンズ像など、が溢れているそうですが、私はまだ見学しておりません。
「ラザレット」という言葉は、グロリオーザさんの書かれている通り、
キリストにより蘇ったラザロ、という青年の名に由来し、伝染病患者の隔離
の為の施設を指すもののようです。
キリストにより蘇ったラザロ、という青年の名に由来し、伝染病患者の隔離
の為の施設を指すもののようです。
で、ヴェネツィアに限らず、あちこちにこの名を持つ施設があったようで、
今もこの名が残っています。
今もこの名が残っています。
という事で、来週の トリエステ その2 をお楽しみに!
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