今日は、ベッルーノ・Bellunoのご紹介を。
ヴェネツィアから電車で北に2時間程、アルプスに続くドロミテ山系の
麓にある大変歴史の古い町で、
我がコネリアーノの町が歴史に登場するのは、ベッルーノの司教領として
砦が築かれた10世紀という事からも、ご想像下さい。
紀元後5世紀のお墓も近郷で発掘されているそうですが、
15世紀にヴェネツィアの下に再構築され、中世前期以前の物はなく、
殆どヴェネツィア風。
この様子から「山の小さなヴェネツィア」とも呼ばれます。ではどうぞ!
町の地図からご覧頂きますが、これは旧市街地部分で、

東を流れるアルド川は、町のすぐ南を流れるピアーヴェ河に
南東角で合流し、
ちょうど河に張り出したテラス状の岩の上に町が存在しますが、
これは敵の急襲、河の氾濫から町を護ったのですね。
コネリアーノから連絡する2両編成の車両はヴィットリオ・ヴェネトを過ぎ、
両側から迫る山の狭い谷の間を、ゆっくりと上っていきます。

堰き止められて出来た人造湖湖(左上に水力発電所)、
谷にある小さな村落。
高速道路は高架上を走りますが、国道は列車と並んで走ります。
湖の岸に見える家。 この家を見るたびに、
「こんな場所に住んだら?」と思いを誘われます。
「こんな場所に住んだら?」と思いを誘われます。

峠を越した所にこのサンタ・クローチェ湖があり、夏にはバカンス客で
大いに賑わい、湖の右奥にはカンシーリオの山、森が広がり、
北にはカドーレの山々が続き、そしてドロミテ山系に。
大いに賑わい、湖の右奥にはカンシーリオの山、森が広がり、
北にはカドーレの山々が続き、そしてドロミテ山系に。

ベッルーノの国鉄駅前から広がる旧市街は道幅も狭く、ポルティコが
続きます。 この道はヴィア・ローマで、町のの大きな中心広場の
マルティリ広場の北側を東西に。
続きます。 この道はヴィア・ローマで、町のの大きな中心広場の
マルティリ広場の北側を東西に。

町の主要な門のひとつドイオーナ門。
オリジナルは13世紀で、こちらの正面側は16世紀と。
オリジナルは13世紀で、こちらの正面側は16世紀と。

上部のアップをご覧下さい。

このライオン君の下に書いてある事を訳すと、
このサン・マルコのライオンは、15世紀に門の内側に置かれたもの。
1874年この場所に再度据えられる。
1797年にフランス兵によって倒された、この場所に。
つまり、ここには別のサン・マルコのライオンがいたのが、ナポレオン兵により
1797年(ヴェネツィア共和国崩壊の年)に打ち壊されたのでしょう。
で80年ほど後に再度、門内部にあって無事だったライオンを据え直した
ものと見えます。
ことほど左様にヴェネトの人間にとって、ヴェネツィア共和国のシンボルでもある
このライオン君は大事なのですね!
クロウタドリ、イタリアではメルロと呼ばれ、あちこちにいて良い声で歌い、
特に春先には、「春が来た!」と実感させてくれるメルロ。

なかなか大きく写せませんが、黄色いクチバシと真っ黒な体、
ちょうど九官鳥位の大きさです。
中心部の東端にあるこのサント・ステーファノ教会は、素朴で、
なかなか良い雰囲気を持ち、内部も素晴らしかったですが、
あるという、ティツィアーノの作品は覚えがありません。
なかなか良い雰囲気を持ち、内部も素晴らしかったですが、
あるという、ティツィアーノの作品は覚えがありません。

教会の前は小さな公園になっていて、木陰下のベンチには
子供連れのお母さん達もたくさん。
子供連れのお母さん達もたくさん。
15世紀ゴシック様式のこの教会の扉の上には、マントを広げたマドンナの
下に庇護を求める信者達が集い、聖人たちが取り囲んでいます。
聖人達の頭の光輪が壁に影を落とし、手を差し伸べているかのよう。
下に庇護を求める信者達が集い、聖人たちが取り囲んでいます。
聖人達の頭の光輪が壁に影を落とし、手を差し伸べているかのよう。

扉が素晴らしい木彫でしたが、 やはり15世紀のオリジナルの様子。

ベッルーノ周辺には、北ヨーロッパの、特にドイツの影響を受けた
木彫の美しい聖母などもたくさん存在しているようです。
町はピエーヴェ河に張り出した高台にあり、東端から低い川床の部分を
覗くと、緑に埋もれて村落がありました。
一塊になり、でもそれぞれの家にちゃんと特徴があり。
覗くと、緑に埋もれて村落がありました。
一塊になり、でもそれぞれの家にちゃんと特徴があり。

先ほどのドイオーナ門をくぐり古い町の道を下り、町全体がゆるい
傾斜地に位置する南の方に。途中のポルティコに、こんな聖母子像。
ポルティコの天井部の装飾もどうぞ。 素敵でしょう?
傾斜地に位置する南の方に。途中のポルティコに、こんな聖母子像。
ポルティコの天井部の装飾もどうぞ。 素敵でしょう?

メルカート広場(エルベ広場)で、ローマ期のフォロがあった場所だそうで、
中心に聖人サン・ルカーノの泉があり、ポルティコとたくさんの紋章の
付いた建物に囲まれた、中世の印象の濃い広場。
中心に聖人サン・ルカーノの泉があり、ポルティコとたくさんの紋章の
付いた建物に囲まれた、中世の印象の濃い広場。

エルバ広場という名は野菜市から来たのでしょう、今も市が立ちます。
ふと気がつくと、バルコニーの下にこんなライオン君達が。
特にこの左側の顔、可愛いでしょ、笑えるでしょ?!
特にこの左側の顔、可愛いでしょ、笑えるでしょ?!

道を右に辿って行くと、ドゥオモ広場に出ます。
ドゥオモの正面は16世紀に再建されたとの事ですが、上部、入口部は、
もっと後の時代に修復の手が入っているようです。
内部には、ティツィアーノの作品もあるとの事。
ドゥオモの正面は16世紀に再建されたとの事ですが、上部、入口部は、
もっと後の時代に修復の手が入っているようです。
内部には、ティツィアーノの作品もあるとの事。

鐘楼はバロック様式で18世紀の物。
町並みの、建物の様子もどうぞ。
町並みの、建物の様子もどうぞ。

一度5月に行った時、ドゥオモ広場の真ん中に日本式庭園が造られて
いましたが、植木屋の宣伝だったのでしょう、お花がいっぱいで、
水も流れ、灯篭やししおどしの仕掛けもありましたっけ。

広場の西にドゥオモ、北にこのレットーリ宮があり、一階がロッジャ、
上階のバルコニーが華やかで美しい、ヴェネツィア・ルネッサンス様式で、
右端に時計塔があります。
上階のバルコニーが華やかで美しい、ヴェネツィア・ルネッサンス様式で、
右端に時計塔があります。

レットーリ宮のバルコニー部分。 優雅な透かし模様。

左はレットーリ宮の時計塔、右側はヴェスコヴィ・コンティ宮と市の塔。
ヴェスコヴィ・コンティ宮はオリジナルは12世紀ですが、
オリジナルが残るのは市の塔のみで他は再建され、今は音楽堂と。

広場の南東角に市の博物館があり、その前に置かれている、
円柱の上部分、柱頭・カピテッロと呼ばれる部分です。
円柱の上部分、柱頭・カピテッロと呼ばれる部分です。

私にはいつの時代の物か分りかねますが、繊細な模様を彫った
素晴らしいものと思います。
反対側には、円柱間に渡す柱をうける穴が、柱が滑らぬ様
工夫して掘ってあるのが見て取れます。
工夫して掘ってあるのが見て取れます。
町の南をピアーヴェ河が流れ、高さが一段低くなった部分に、
この、なんとなく不思議な雰囲気の家があります。
何かの工場で使っていたのを改装して家なのか、良く分りませんが、
古い建物である事は確かで、面白いなぁといつも眺めます。

ちょうど写真中ほどに橋が見えますが、あの左側の低い村のある辺り、
ボルゴ・ピアーヴェと呼びますが、
かってこのベッルーノからモミの樹の材木を筏にして、この地点から
筏師たちが、ヴェネツィアのザッテレ(筏の意)まで運んだのだそう。

地中海を越え東方貿易に行った船の材料が、
ここから筏で出帆して行ったのですね。
ベッルーノは河に挟まれ、突き出した半島のような形の高台の町ですが、
周囲の丘、山の中腹には長閑な牧草地が広がり、
町のすぐ北には、アルプスのドロミテに続く山が迫ります。
周囲の丘、山の中腹には長閑な牧草地が広がり、
町のすぐ北には、アルプスのドロミテに続く山が迫ります。

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