今日はトスカーナの小さな古い町カステルムーツィオ・
Castelmuzioにご案内です。
Castelmuzioにご案内です。
ヴァル・ドルチャ・Val d'Orciaの、世界遺産に指定の町
ピエンツァ・Pienzaの北に位置する小さな町で、
地図も要らないほどの町歩き点描をどうぞ。

上はこの町の案内で必ず出てくる町の門ですが、
この日は雨上がりの曇り空で少し残念。
この日は雨上がりの曇り空で少し残念。
周辺の位置確認をどうぞ。
ピエンツァからだと約10km 15分、
も一つ北の町モンティージ・Montisiには3km 7分。

地図では、ナヴィでは分らないもの!と今回痛感したのが、ははは、
道路のカーヴの、角度は平面図でも分りますがぁ、
高低差は行って見ないと分らない!! これです!
つまりピエンツァからだと一旦谷を下り、そして上って行った所に
カステルムーツィオがあり、町に入る最後の曲がり角は、
上り坂のまま30度を切る角度!!
カステルムーツィオがあり、町に入る最後の曲がり角は、
上り坂のまま30度を切る角度!!
そこからモンティージの町に向かうと、これまた谷を下って上る、
おまけに連続カーヴの道!
おまけに連続カーヴの道!
今回はこの道を結局2回行き来した事になりますが、
日常的に通る方はお偉いですねぇ、ははは。
日常的に通る方はお偉いですねぇ、ははは。
という事で、それぞれの町は山の上に位置するわけで、
カステルムーツィオの駐車場から見た、谷越しのモンティージ。

カステルムーツィオは海抜443m、モンティージは413m、
が、向こうが少し高く見えるのは、はい、カステルムーツィオの
駐車場が、町北側の低い場所にあったからなのですね。
グーグルの衛星地図で、町の古い地区部分をどうぞ。
町は西に広がりますが、まぁ、家並みがある、という程度で・・!
上に切れる部分に駐車場があり、青いバス停の左の印から右下に、
そこに上の写真の町の門が。
そこに上の写真の町の門が。
バス停の左の印位置から見た、町を通り抜ける県道の家並み。

この道を右に通り抜け、町外れ1k程の位置に、
小さなロマネスクの教会サント・ステーファノがあります。
今回一緒にご案内しようかと思ったのですが、
意外に写真の数が増えましたので、次回のチャンスに。
町の門は素敵なのですが、なにせアーチの向こうど真ん中に、
赤丸の交通標識が写るので、味わい半減!
でこんな風に、町を覗く感じでは如何でしょうかぁ?
赤丸の交通標識が写るので、味わい半減!
でこんな風に、町を覗く感じでは如何でしょうかぁ?

そして、門手前横に続く壁の様子。

門の壁の重厚な石組み。

実を言うと、町訪問の時は余り良い印象を受けなかったのです。
門の外の家の庭には、家庭菜園手入れ中の人の姿もあり、
この門のすぐ外では子供たちも遊んでいたのです。
が門内で見た人は、お昼を食べたバール兼宿の2人とお客、
そして教会前で町の人2人だけ!
曇り空の下に見る、寂しい町の姿は余り・・、ですよね?!
ですが写真整理をしながらじっくり見ると、
石組みの石の色が大変美しい事に気が付きました。
石組みの石の色が大変美しい事に気が付きました。
手入れをされている町、という感じは受けていましたが、
重厚な趣を持ち、石の色が美しい!
そう考えつつ写真を整理し纏めると、数が増え!という結果に。
町の歴史もちょっと探しましたが、特記する程でもなく・・。
なので今回は、古い趣きある町点描、という事で、
気軽に町散歩をお楽しみください!
道に沿い、斜めに入り込んでいくと、

建物の下をくぐるアーチがあり、

アーチの下から辿ってきた道を振り返り、

下り坂の道。

また別のアーチをくぐり、町の中心広場に戻り、

中心広場にある教会サンタ・マリーア・アッスンタ・
Santa Maria Assunnta.

元はロマネスク様式というのですがご覧のように改修され、
余り魅力も感じず、失礼! 入らず・・。 鐘楼は16世紀のものと。
余り魅力も感じず、失礼! 入らず・・。 鐘楼は16世紀のものと。
その向かいの、お昼を食べたレストラン兼ホテルの
重厚な造りの建物。

トスカーナで食べた旨いもの
お昼を食べて落ち着き、ははは、
またゆっくりゆっくり、小さな町の中を行ったり来たり・・。
またゆっくりゆっくり、小さな町の中を行ったり来たり・・。

扉が並んだ建物は、レストランの向かい側に。
二つ並ぶ扉アーチの左側、上に1837と刻まれたのが見え、

ですが上に伸びる壁は、こんな感じの中世のまま。
きっと19世紀にお金持ちがここを買い取り、彫り込んだのでしょう。

町の歴史にも特記する程のことは無い、と書きましたが、
町自体の歴史は古くエトルスク・ローマに遡ります。
町自体の歴史は古くエトルスク・ローマに遡ります。
記録に登場するのは1213年、カステル・モッツォ・Castel-Mozzo
というのが古い町の名で、
アシャーノのシャレンガ・Scialengaという郷士がここの持ち主で、
要塞化した、というのが最初の記録なんだそう。
というのが古い町の名で、
アシャーノのシャレンガ・Scialengaという郷士がここの持ち主で、
要塞化した、というのが最初の記録なんだそう。
1270年にシエナ共和国の元に入り、1470年まで
サンタ・マリーア・デッラ・スカーラ病院・
Spedale di Santa Maria della Scalaの持ち物に。
サンタ・マリーア・デッラ・スカーラ病院・
Spedale di Santa Maria della Scalaの持ち物に。
その後ピエンツァの町造りのピオ2世の一族ピッコローミニ家が買取り、
16世紀半ばよりカステルムーツィオの名で
トスカーナ大公国の一部となった、という変遷。
16世紀半ばよりカステルムーツィオの名で
トスカーナ大公国の一部となった、という変遷。
サンタ・マリーア・デッラ・スカーラ病院というのは、
シエナのドゥオーモ前に現在博物館として残りますが、中世以来、
貧民・巡礼救済の為の宿も街道筋にたくさん設けていると同時に大地主。
シエナのドゥオーモ前に現在博物館として残りますが、中世以来、
貧民・巡礼救済の為の宿も街道筋にたくさん設けていると同時に大地主。
お隣の町モンティージには、まさに要塞まがいの修道院・農園跡が
今も残りますので、またご紹介しますね。
今も残りますので、またご紹介しますね。
この石組みも素晴らしいでしょう?!


古い梁の見える暗いアーチの向こう、鮮やかな石の色。

住まいは左の階段が入り口で、下は納屋ですね。

緩やかな下り坂の道の先、

開けた展望をどうぞ! まず、すぐ近くから、

多分通ってきた道。

そして遥か奥に見える町は、



そう、ピエンツァ!
裏から、いや北側からの眺めは珍しいでしょう?!
そして一際そびえる、ラディコーファニ!

そして、これには驚いたshinkai、そう、モンテプルチャーノの町!!
町の右下には、教会サン・ビアージョも上部が見えます。
町の右下には、教会サン・ビアージョも上部が見えます。

地図上の直線距離では8k程ですが、道程は21km 30分!
海抜605mの高さにあるので見えるのでしょうが、
・・そう言えば、風が吹きまくる町だったよなぁ!
モンテプルチャーノの以前のご案内
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461279571.html
例によって一般車は入れない古い小さな町ですが、
三輪車が町の外れに。

古い古い壁に、今年も咲く薔薇。

聖母子像が描かれたアーチも。

ここもなかなかどっしりで・・。

引き上げる前に、もう一度町の門を。

翌日モンティージの西にあるサン・ジョヴァンニ・ダッソからモンテプルチャーノ
に向かう途中、カステルムーツィオを通り抜け、暫くして見えた町の姿。


陽の光の下、オリーヴ畑に囲まれて、なかなか素敵でしょう?!
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