先週12日から14日にかけてヴィチェンツァの奥、アルプスの麓の町
アジアーゴ・Asiagoにおいて、
「第79回アルピーニの大会」が開かれ、イタリア国内のみならず
世界各国から20万人が集まり、盛大に行われました。
アジアーゴ・Asiagoにおいて、
「第79回アルピーニの大会」が開かれ、イタリア国内のみならず
世界各国から20万人が集まり、盛大に行われました。
アルピーニ・Alpiniとは、アルプス山岳兵の事。
19世紀末からの歴史を持ち、祖国イタリアの独立のために、
勇敢に戦った兵士の集団で、毎年各地に置いて集会が開かれるのですね。
19世紀末からの歴史を持ち、祖国イタリアの独立のために、
勇敢に戦った兵士の集団で、毎年各地に置いて集会が開かれるのですね。
と、5月12日はヴェネツィア共和国がナポレオンによって、
1000年に及ぶその歴史を閉じた、いわば命日で、
ヴェネトの一員として、変わることなき我らが真心を捧げたいと思います!
これはアジアーゴのコムーネ・市役所で、この一帯には、かって1300年代に
ドイツのバヴァリア地方から「チンブリ」という山岳民族が移り住み、
独特の言葉、体格、伝統、習慣等を持ち、暮らしていた所なんだそう。
ドイツのバヴァリア地方から「チンブリ」という山岳民族が移り住み、
独特の言葉、体格、伝統、習慣等を持ち、暮らしていた所なんだそう。

同じ民族は、ヴェネトのヴィットリオ・ヴェネトの奥にも、やはり山の民族として
暮らしていた、というのを読みました。
今はこの一帯は、夏の避暑地、そして美味しい「アジアーゴ」のチーズで有名です。
アルプスの麓からヴェネト平野にかけ、そして東のトリエステ辺りまで、
第1次大戦では大激戦地だった所で、町外れには大慰霊碑がありますが、
第1次大戦では大激戦地だった所で、町外れには大慰霊碑がありますが、
全体を撮っておらず、探しましたがガイドブックにも見つからず残念。
これは大慰霊碑から、町を望んだ所。

上の写真から、ずーっと町の中心をアップした所。
なだらかな草地に囲まれた、小さな町の様子がお分かりと思います。

牧草地が広がっています。 如何にも美味しいチーズがありそうでしょう?!
その眺めの中、あちらこちらと小さい村が見えます。
アジアーゴに行くには、バッサーノ・デル・グラッパからバスで。
その眺めの中、あちらこちらと小さい村が見えます。
アジアーゴに行くには、バッサーノ・デル・グラッパからバスで。

では、ヴェネツィア共和国へいざ!
ヴェネツィアの守護聖人サン・マルコのシンボルである、翼のあるライオンが
描かれた旗は、かっての共和国の領土の下、
何処に行ってもこのライオン君が今も健在です。
描かれた旗は、かっての共和国の領土の下、
何処に行ってもこのライオン君が今も健在です。

ヴェネツィアの発祥地、ラグーナ。 ラグーナとは干潟の事。
5世紀に始まる北方の蛮族の襲来におされ、ラグーナに逃げ込んだ住民達は、
やがてトルチェッロ島にヴェネツィア発祥の基礎をおきます。
5世紀に始まる北方の蛮族の襲来におされ、ラグーナに逃げ込んだ住民達は、
やがてトルチェッロ島にヴェネツィア発祥の基礎をおきます。

この春飛行機の中から写したもので、夕闇とブレで見難いのはお許しを。
これはドージェ、ドメニコ・コンタリーニの旗艦に掲げられていた旗で、
コッレール博物館所蔵。
翼を持つライオン君は、前足を地に、後ろ足を海に、
ヴェネツィア共和国の領土の広さを現します。
コッレール博物館所蔵。
翼を持つライオン君は、前足を地に、後ろ足を海に、
ヴェネツィア共和国の領土の広さを現します。

「アドリア海の真珠」と讃えられた、ヴェネツィアの表玄関。
かって海から訪れる外国人を迎えるのは、この眺めでした。
煌く日の光と、素晴らしい建物群、どんなにか、訪れる人を魅了した事でしょう!
かって海から訪れる外国人を迎えるのは、この眺めでした。
煌く日の光と、素晴らしい建物群、どんなにか、訪れる人を魅了した事でしょう!

アッカデミア美術館のカルパッチョの絵には、木製のリアルト橋が描かれていて、
真ん中が割れ、大きな船が通れるようになっていて、
つまり当時は、帆船がまだ主流だった事を示しています。

全長4キロ、逆S字型に流れるカナル・グランデの真ん中にかかるリアルト橋。
いくつの恋が、この橋の上を、そして下を流れた事でしょうか?!
いくつの恋が、この橋の上を、そして下を流れた事でしょうか?!
かってゴンドラは今の様に黒一色でなく、好きな色に塗られ、小部屋がついていたと。
ご想像あれ、大運河を色とりどりのゴンドラが行く様を。
で、余りにも派手になりすぎ、遂に「黒1色」に統一する旨のお触れが。

ゆらゆらと進むゴンドラの、舟ベリを叩く密やかな波の音。
ほら、心が高鳴りません?
ほら、心が高鳴りません?
サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ教会前の広場の、コッレオーニ将軍騎馬像。
彼はヴェネツィア共和国の傭兵隊長でした。
この騎馬像はフィレンツェのヴェロッキオ工房、レオナルド・ダ・ヴィンチが
弟子入りした工房の師匠ヴェロッキオの作で、フィレンツェとのひとつの接点。

ニュースによると今この騎馬像は修復中で、6月には再び雄々しい姿が見れるとの事。
この男、ナポレオンが、1000年に及ぶヴェネツィア共和国を倒しました。
もはや、倒れる状態になっていたにしろ・・。 1797年5月12日、命日。

ヴェニス共和国の滅亡によせて
かつて華やかな東方を領有し、
西方の砦たりしヴェニスの価値は
その生まれを辱めることなかりき、
ヴェニス、自由の長子よ。
いかなる奸計にも誘惑されず、
いかなる力にも犯されることなき
輝かしく自由なる処女の都市。
その夫を選ぶとき、
永遠の海原をめとるべきかりき。
栄光が薄れ、称号が消え、
その力衰え行くを見る時、如何にせん。
されど、その永き命の終わる日、
愛惜の貢物が捧げられるべし。
我ら人の子、かつて偉大なりしものの影
消え去らんとする時、悲しむべきなり。
西方の砦たりしヴェニスの価値は
その生まれを辱めることなかりき、
ヴェニス、自由の長子よ。
いかなる奸計にも誘惑されず、
いかなる力にも犯されることなき
輝かしく自由なる処女の都市。
その夫を選ぶとき、
永遠の海原をめとるべきかりき。
栄光が薄れ、称号が消え、
その力衰え行くを見る時、如何にせん。
されど、その永き命の終わる日、
愛惜の貢物が捧げられるべし。
我ら人の子、かつて偉大なりしものの影
消え去らんとする時、悲しむべきなり。
・・ウイリアム・ワーズワース
追記:このナポレオンの肖像は、ヴェネツィア共和国崩壊後の取り決めを
オーストリアとの間で行った、フリウリのマニン邸での会議について、
「カンポフォルミドの会議」の展覧会が1997年の暮れに、
ヴェネツィア共和国崩壊200年を記念して行われた時の物。
ポスターを見て写したのが画質変換で汚れていて、サイトで探しましたら
運よくカタログの写真が見つかったという次第で、ここに。
オーストリアとの間で行った、フリウリのマニン邸での会議について、
「カンポフォルミドの会議」の展覧会が1997年の暮れに、
ヴェネツィア共和国崩壊200年を記念して行われた時の物。
ポスターを見て写したのが画質変換で汚れていて、サイトで探しましたら
運よくカタログの写真が見つかったという次第で、ここに。
サン・マルコ広場の眺めを。 長くのびる影、暮ゆく日、名残の夕陽。



ヴェネツィアにはやはり、憂愁の想い、微かに香る退廃、肌ざわめく官能
が似合う気がします。
この街にお出での時は、想いに浸り、ゆっくりと、彷徨って下さい。
異邦人のままで心の紐がほどける、 ・・ヴェネツィアはそんな街。
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