・ サン・クイリコ・ドルチャ ・ 中世街道の分岐点

今日はオルチャの谷特集2回目ですが、
地図は先回のピエンツァの最後にありますので、どうぞ。

ローマからシエナに続くカッシア街道が通り、オルチャの谷の北の要所
サン・クイリコ・ドルチャ・San Quirico d'Orciaのご案内を。

エトルスクからの歴史を持ち、中世から街道要所として有名な町で、
サン・クイリコ・ドルチャは有名観光地ではありませんが、
歴史の重みを感じさせる鄙びた良さがあります。
やはり昨年7月初旬の写真で、どうぞ。


町の中心通りダンテ・アリギエーリにあるサンタ・マリア・アッスンタ教会。
やはりこの町も海抜が409mと、南から来るとかなりの急勾配で、
通りを中心に向かっていくとこの教会に出会います。

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11世紀に遡るロマネスク様式で、ご覧の様に、教会の後陣部に
鐘楼がある形で、
       
アッシジの南にあるスペッロの町で、12世紀ロマネスク様式の教会で
この鐘楼の形を見ました。
アーケード式鐘楼というそうですが、あちらは正面壁に続いてました。

写真の右端に小さく、白いスーツ、パナマ帽のシニョーレが写っているの、
分かりますか? 写真が黄ばんでいたら、いつの時代か?ですね。

スペッロの町のご案内は
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461551769.html       


これは上の写真で手前の張り出し壁に隠れていた、
側面入り口の動物のモチーフ。
内部にもあるというのですが、閉まっていて見れませんでした。

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サン・クイリコから南西に、直線距離で約20k、
8世紀からの古い歴史を持つ、サンタンティモ修道院・Sant'Antimo 
のモチーフにも似ていますが、
この大修道院はたいへん興味深かったので、またご紹介を。


この町をローマ~シエナを結ぶカッシア街道が通っていると
上記しましたが、もう一つ有名な中世の巡礼道が通っていました。

イギリスのカンタベリーからローマを繋ぐ巡礼道ヴィア・フランチージェナが
重なるのですが、
これについては次回ご案内予定のモンテリッジョーネ・Monteriggioneで
少し詳しく書きますが、

シエナのサンタ・マリーア・デッラ・スカーラ病院が設置した
病院兼、巡礼者の宿泊所が街道筋に沿って点在していた様子で、


上の写真の教会の斜め前に、13世紀の病院の建物が残っていて、
道側のアーチから中庭を見た様子。

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現在私有になっている様子なので、余り入り込みませんでしたが、
中庭には16世紀の年号のある井戸があります。

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建物の2階部分は、アーチのある壁に広い大部屋の様子で、
いかにも中世の病院跡、巡礼者収容の雰囲気がありました。

建物にあった説明にグランチャ・grancia という言葉があり、
これは修道院付属の荘園を表すそうですから、教会が土地を持ち、
その作物で、またその収益で、巡礼たちへ食物を施し、
施設を維持していたのでしょう。
       
        

道から建物の下をくぐり中庭に入る所にあった、
編んだ座の部分がほつれた椅子。
後ろの厚いはげかけの壁とで、なんとなしに座る人を想像し・・。

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ご案内順が逆ですが、先の教会よりももっと坂道の下、
いわば町のとっつきの道角に、この立派な洗い場があります。
  
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サイトをあれこれ知らべましたが、詳しい説明を見つけられずですが、
中を覗くと水槽があるので、かっての洗い場だったろうと想像しますが、
この立派な形から見て何か由緒がありそうですね。
       


教会、元病院前のダンテ・アリギエーレ通りを中心に向かいますが、
この辺り、如何にものんびりの田舎町の印象を受けました。
奥に見える鐘楼は、サン フランチェスコ教会のもの。

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中心のリベルタ広場・piazza Liberta`とサン・ フランチェスコ教会。
ゴシック様式の正面壁が見えますが、何度もの改修により、
オリジナルは殆ど無いとの事。

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教会名も、本当はマドンナ・ディ・ヴィタレータ教会といい、
こことピエンツァの間にある小さな素敵な礼拝所の聖母像が、
安置されているとの事。
       

ヴィタレータの礼拝所を探して、行きつ戻りつした事を思い出し。
       
まさにブログに書くお陰でより良く知る事ができ、
再度行けたなら、ゆっくり狙って見れるというもの。 お蔭様です!



これは、フランチェスコ教会の正面階段から、リベルタ広場と、
町の門であるポルタ・ヌオーヴァを眺めたもの。

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左にみえるアーチ、あの奥には・・


オルティ・レオニーニ・Horti Leonini と呼ばれる、16世紀の
イタリア式庭園があります。

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右側の市壁に囲まれ、手前はツゲの木を刈り込んだ幾何学式の柄、
大きなマルタ騎士団の十字架をかたどり、

真ん中に見える石像は17世紀のもの、メディチ家のコジモ3世だそうで、
この古い町も、シエナの下に、そしてメディチ家にと、
長い変遷を経ているのですね。

右の市壁の部分にかっては39の高さを誇る塔があり、
町を睥睨していたのが、第2次大戦の空襲でやられたそうで。

奥にはトキワガシの林が広がりますが、大変に奥深いようで、
最初にご覧頂いたサンタ・マリア・アッスンタ教会の裏手にまで続き、
教会の裏には、薔薇の庭園があるようす。



でリベルタ広場からポルタ・ヌオーヴァをくぐった所に、こんな物が!
歴史映画がお好きな方は、お分かりですね、
下に下がっている大鍋に、石とか、燃えている火等を入れ、
バネの反動を利用して敵に投げつける、カタプルタ・Catapulta!
       
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それにしても何も知らずに門をくぐり、パッと遭遇した時は、エエッ?!
勿論複製とは分かりますが、何でこんなものがここに?!
市壁の高さと見比べて、その大きさをご想像下さいね。

ちなみに、イタリア語の楽しく可愛い所は、
現代のミサイル発射台も、同じく、カタプルタ!! ははは。



サン・フランチェスコ教会の横道を辿り、小さなアーチをくぐり外に。

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上のアーチを、外側から。
次々と小さな建て増し積み重なりが続き、中世が色濃く残ります。

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サン・クイリコの町はかっては完全に市壁に囲まれていて、
ここもまさにその一部で、
町の北西部分と南の一部を除き、今も完全に残っていると。



すぐ先にこの塔があり、現在も市壁に14の塔が残るそうで、
これはカップッチーニの門・Porta del Cappuccini.

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ガイドブックなどで見る同じ門は、半円筒形ですが、
つまり塔の下に見えるアーチをくぐって出ると、半円筒形と
言う訳ですが、夏の暑い日の訪問はズクが出ずに・・(長野弁)
14ある塔のうち、これが一番完全な形だそう。


    
こちらは町の東を通るポリツィアーノ・Poliziano通り。
小路ですがなかなか趣があり、立ち並ぶ建物もご覧の様子。

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一際目を引く由緒正しげな、きちんと修復されたゴシックの建物、
カピターノ宮とあり、現在は4つ半星のホテルに。
  
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ローマへの巡礼道、カッシア街道の要所のこの町、
貧しい巡礼だけでなく、貴族のローマ詣でもあった訳で、
賑やか、そして猥雑でもあった事でしょう。

若桑みどりの「クワトロ・ラガッツィ」の中に、
天正の4少年使節がこのサン クイリコの町に到着し、
ローマからの教皇グレゴリオ13世の使者に会った、
と言う一節があり、それを思い出し少し感慨が。

ヴァティカン訪問 ・ 天正4少年使節のご縁により
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462596727.html       
       

上のホテルの向かい側の建物も同じホテルになっていて、
そのわき道が、やはり市壁の塔に続き。

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改めて見ると、町の石は黄土色のかなり明るめな色ですね。



少し賑やかな人通りが見えるダンテ通りを振り返り。
立ち並ぶ各建物の間口が狭いでしょう?
これは中世特有なもので、奥には結構長いのですね。

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ダンテ通りに出てきた道角に、このプレトーリオ宮・Pretorio。
ゴシック様式の素敵な壁面で、以前は市役所が使っていたのが、
今は、観光案内事務所の様子。

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道角の向こうに素晴らしい教会が見え、途端に元気でいそいそと。
コレッジャータ・デイ・サン クイリコ・エ・ジューリッタ・
Collegiata dei san Quirico e Giulittaと長い名。
ラ・コレッジャータと呼ばれるのは、格式としてはドゥオーモの下と。

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写真の右端に見えるピンクと白の建物が、キージ邸と呼ばれる
17世紀のこの町を治めた司教の館。
      
現在市役所はここにあり、ここも完全に修復され、
今春から中が見学できると。


      
キージ邸と隣の教会のちょうど中間に、この井戸が。

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ラ・コレッジャータ教会の側壁に入り口が2つ並びますが、
これは全景写真で見える奥の大きな方で、
ジョヴァンニ・ピサーノの作品と。

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これは上の入り口上部。
植物の飾りの他に、鳥や奇怪な動物も。

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ガイドブックによると、1450年ドイツの貴族ナッソー伯爵が
ローマ詣での戻りに、この町近くでマラリアで亡くなり、
内部にはそのお墓があるそうですが、民話に残る話では、
彼のワン君がお墓の足元にうずくまったまま、後を追ったとか。
      

この教会は、8世紀からの古い教会の跡に13世紀に建てられた、
ゴシック~ロマネスクの様式のものだそうですが、
あちこちに奇怪な動物やら、しかめっ面の小人がいたりで、
嬉しくてそわそわしますが、

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修復され美しくはなっているものの、傍で見ると
大変に侵食されていて残念です。
が、すでに700年の時を経ている訳で、仕方がありませんね。

とはいえ、1585年に天正の4少年たちも見たであろう教会の
見事さを自分も見れたわけで、嬉しく、やはり感慨深く。



こちらが、全景写真には写っていない正面入り口の上部。
両脇にライオンがうずくまり円柱を支える形で、

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この入り口上部は7層のアーチの重なりで、その下に尻尾は蛇の、
2匹のワニがいて、噛み付いているのか、それとも愛噛み?
上の聖クイリコが可愛らしい! 



私は町の通りを逆に辿って来ましたが、
皆さんはここでかっての巡礼になったおつもりで、
北の遥かイギリスのカンタベリーからフランスを縦断し、
アルプスを越え、この町にたどり着いたと、ご想像下さい。

シエナから南に下り、町の入り口を入ったとたん、
道の奥にこんな風に、この教会が見えるのですよ。
ひときわの感激だった事でしょうね。

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上の右の建物の壁に、町の名がこう書かれているのですね。
写そうと思いつつ取り紛れ、残念なのでガイドブックからご覧を。

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現在の町の北側には高架になった州道が通り、
たぶんかっての巡礼が仰いだ町とは雰囲気が違うと思います。

これは南からの眺めで、麦畑の向こう、小高い丘の上の町。
想像の一味を加えて、ご覧を。

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**◆**

先回お約束のバスの接続について調べました。
が結論から言いますと、

バス利用で、シエナからオルチャの谷に行くのはかなり不便です。
シエナ ~ サン クイリコ ~ ピエンツァ ~ モンテプルチャーノ 
の路線がありますが、
ピエンツァに日帰りで行くには、町で2時間程しか時間が取れません。

私のお勧めとしてはシエナを終えた後、サン・クイリコ、
またはピエンツァに宿を取り、動かれた方が良い気がします。 

モンテプルチャーノには、ローマから汽車でキゥージ迄行き、
こからバスで行かれた方が、楽のようですね。
そしてシエナに抜ける、という方法も考えられます。

シエナからの移動は、サン ジミニャーノ、モンテリッジョーニ、
ヴォルテッラなど、北西方面が便利なようです。

シエナからの各方面へのバス時刻表はこちらに。
http://www.tiemmespa.it/index.php/layout/set/print/Viaggia-con-noi/Orari-e-linee/Siena/Extraurbano

時にサイトのページが変更になり出ない時は、検索で
orari pullman extraurbano da siena でお確かめを。

調べるのは面倒ですが、素敵な風景がご覧になれますから、
挑戦して、ぜひ、お出かけ下さい!!

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