・ ピエンツァ ・ ピオ2世の夢の町

トスカーナはシエナの南に位置し、ユネスコの世界遺産の町にも
指定されているピエンツァ・Pienza の町。 
同じく世界遺産のオルチャの谷・Val d'Orciaに位置し、
周辺一帯にはまさに素晴らしい珠玉の町・村が点在するので、
少し連続してご案内をと思い立ちました。
まずは、理想郷とも呼ばれるピエンツァの町からどうぞ!

1-694_GF.jpg

行ったのは、昨年の7月初旬。
東にあるモンティッキエッロ・Monticchielloという
ピエンツァ市に含まれる小さな町を基地にして4泊、
オルチャの谷一帯をあちこち訪ねました。
       
上の写真は、モンティッキエッロから町に南から近づいた位置で、
あちこちの町に行くのに必ずこの道を通るので、
何度も仰ぎ見たピエンツァの町。 ちなみに町の標高は491m!

鐘楼が見える位置にドゥオーモがあり、右横に少し隙間が見えますね。
あそこから町を取り囲む市壁の道に抜けられ、素晴らしい眺望が。 
後ほど!


初日はシエナから下り町の北側から入り、北側にある駐車場に止め、
即、町の壁内に入ってすぐのトラットリーアでお昼を。

お皿が届くのを待ちながら前の家を。
修復され綺麗過ぎる感はありますが、花鉢が見事。

2-625_GF.jpg



これもそのバール兼トラットリーアの椅子。
椅子の座の小穴が影に写っているのを写したのですが、
ははは、よほどお腹が空いていた様子!!

3-627_GF.jpg



町の地図も見つけましたが、必要ありません。
小さな町で、中心にドゥオーモやピッコローミニ邸があり、迷う事はありません。
大変に小路の美しい可愛い町ですから、その様子をどうぞ。

4-628_GF.jpg

5-629_GF.jpg



あちこち覗きながら、見上げながら、ふらふらと、ゆっくり歩き、
また小路を戻りながら、写真を撮るのを楽しみながら、
少しずつ、町の中心に近づいていきます。

上の写真の突き当たり部分。
特別にどうという風景ではありませんが、何となし、居心地が良さそうな。
あのベンチに座ったら、おしゃべりが弾みそうです。
   
6-630_GF.jpg   



この町の雰囲気が少し他と違うと思うのは、田舎町ではありますが、
空気が洒落ているというか、かといって、大きな町ではありません。
店が並ぶのは中心の通りのみで、小路に入ると、こうした古い壁の家並み。

7-631_GF.jpg



こんな3輪車を良く見かけます。 バタバタと音を立てのんびり走って行きますが、
こうして見ても、風景に納まっているでしょう?!

9-632_GF.jpg

戸口を囲む植物の奥のほう、白い花が見えるのはジャスミンで、
これもあちこちで見ますが、生垣にも良く使われます。



この写真を見ながら、ピエンツァには余りアーチが無かったなぁ、と。
町の東西の門と市壁を抜ける門、そしてもう2つほどでしたっけ。

8-634_GF.jpg



文字通り町の中心にピオ2世広場があり、周囲を主要な建物が取り囲み、
これは南側を占めるドゥオーモ。

10-635_GF.jpg

ピエンツァが他所と違う大きな理由に、町の生い立ち、由来があります。
学者肌の教皇ピオ2世(1405-1464)が、
以前はコルシニャーノと呼ばれていた自分の生まれた村を
理想の町に作り直すべく、取り組んだ成果なのですね。

今、町の真ん中を抜けるコルソ・ロッセリーノに名を残す
ベルナルド・ロッセリーニに設計建設を一任し、
わずか3年で、古い村の中心をルネッサンス様式に都市再建を
実行したという事になりましょうか。

1462年にドゥオーモと周辺の完成の後、教皇は自分の名を冠した
新しいピエンツァの町を楽しむ余裕もなく、町全体の再建をも
済ます事無く、1464年に十字軍派遣の中途で亡くなります。

教皇在位も1458年~1464年とわずか6年という、
まさにピオ2世の夢の町、見果てぬ夢の町。



普通は薔薇窓がある部分に教皇の紋章があり、
紋章のあちこちが黒く見えるのは、鳩君たちが休憩中で・・。
    
11-636_GF.jpg
   
ルネッサンス様式に町を再建と書きましたが、まだまだルネッサンスの
最盛期ではなく、建物群には少し素朴なイメージも感じます。



広場の隅にある井戸、ポッツォ・デイ・カーニ・犬たちの井戸。
ロッセリーニ設計の素晴らしい井戸ですが、なぜ、犬たちの井戸
といわれるのか、今回色々検索しましたが・・、収穫なし。
どなたか、ご存じないでしょうか?

12-637_GF.jpg

映画「イギリス人患者」に、確かこの広場の井戸が登場したと
覚えているのですが。

後に見える壁面が、広場の西側を占めるピッコローミニ邸。
ピオ2世の一族の建物の跡に建てられたそうで、
建物全体の写真は今回ありませんが、まぁ、サイトで全体をご覧に。

町全体の設計を一任されたロッセリーニは、
フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ教会の正面壁や、
ルチェライ宮の設計でも有名なレオン・バッティスタ・アルベルティの
追随者であり、ピッコローミニ邸もルチェライ宮に良く似ています。
       
井戸の後、腰板の高さに鉄製の輪が2つ、馬つなぎですね。
かっての駐車場!
      
レオン・バッティスタ・アルベルティについては、
マントヴァの時に少しご紹介しましたので、こちらを。
       


広場北西角のテントの見える建物がアンマンナーティ邸と言うそうですが、
スッキリとしたルネッサンス様式に挟まれ、可愛らしく素朴。
右側に少し見える、一階部分ロッジャの建物がプッブリコ宮、現市役所。

13-638_GF.jpg


2つの建物の間の通りには・・、


アンマンナーティ宮の横側の張り出し窓。

14-669_GF.jpg     
  
写真を撮っていると、横の観光客が何を撮っているのか、と振り返り、
彼もあわててパシャっと。。
教授料払わんかい! ははは。



広場東側のボルジャア宮。 ディオチェザーノ博物館になっていて、
今になって調べると、かなりの収蔵品ですが見ておりません。
(夏の暑い日には、もう動けなくなりましたぁ!)

15-674_GF.jpg

右がドゥオーモ、左がプッブリコ宮。
先月ご紹介のイタ猫の、見事に哀れな猫ちゃんは、このロッジャにね。
       


教皇の館、ピッコローミニ邸の扉。 
木目の浮きでた美しさもですが、このノッカー、素敵でしょう?
余り厳しくなく軽くもなく、優美。

16-675_GF.jpg



ピッコローミニ邸の中庭。 内部拝観は横着してパス。

17-671_GF.jpg

庭園はテラスに設けられたもので、この手のものとしては
ヨーロッパでも最古のものの一つとか。これも見てない・・!
中庭に置かれている玉は、弾ではなく、
たまたま展示中のどなたか作家の作品。

注:後に行った時庭園を拝見しました。 ホテルの庭園ですが、
  横の小路から入れます。
  が風景のみの目的だと、城壁沿いの道からの方がGooです。



上と同じ作家の作品で、これには思わず、あはは。
部屋の入り口に掛けられた暖簾式で、髭もじゃのムサイ顔の男が
司教の衣服で。 こういう由緒ある邸に相応しいアイディア!

18-672_GF.jpg



ドゥオーモの横(正面左)を通り抜け、アーチをくぐり、市壁に沿った道に。
ここから素晴らしい眺めが楽しめます!何せ、海抜491m!

19-641_GF.jpg



少し靄がかかり残念ですが、道はモンティッキエッロからの道で、
刈取りのすんだ麦畑が広がります。

20-643_GF.jpg

トスカーナの麦秋風景はこちらに。
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460855556.html       


も少し遠くを。
ユネスコの世界遺産にピエンツァの町が1996年、オルチャの谷が2004年に指定され、
まさにその名に恥じない、雄大で、美しいオルチャの谷の風景。

21-676_GF.jpg



ドゥオーモ・鐘楼を振り返って。

22-652_GF.jpg



ピエンツァは、小路の名前が大変面白く、興味深いのでも有名です。
最初は知らずになんとなく見ていて、あれ?!と気がつき笑ってしまい、
その標識のみの栞を売っているのも見ましたっけ。

この写真でも、ご覧になれるかな?
奥が、ヴィーコロ・デッラ・フォルトゥーナ・幸運の小路、
手前が、ヴィア・デッルアモーレ・愛の道。

23-653_GF.jpg

ついでに書きますと、道のこちら側に引き続き
ヴィーコロ・デッラ・バーチョ・キスの小路と、いささか出来すぎの感じですが、
ただしフォルトゥーナには、幸運の他に、お金・財産の意味も
ありますから、そう考えるともひとつ意味が深いかも!

他にも、狐の道とか、穴の道、突き当たり(盲小路)とか
面白い名もありますので、行かれた時はお探しに、ね。


これ何か、ご存知ですか?
家の戸口の横にあるのですが、靴の泥落としです。

24-654_GF.jpg

今時の新しい家の前にはありませんが、日本家屋のように靴を脱いで
家に上がるのではないので、道路事情の悪い昔には必需品だったでしょう。

ヴェネツィア・メストレの息子のアパートは戦後の物ですが、
そこにもありましたっけ。



市壁沿いの道を突き当りまで行き、左の小さなアーチをくぐり戻ると、
町の中心通りのコルソ・ロッセリーノの東端に出ます。
道が分かれる角にレストランがあり、なかなか良い雰囲気。

25-662_GF.jpg

右に見えるアーチはチーリオ門・Ciglio、町の東の門。
ちなみにコルソの西の突き当たり門は、プラート門・Prato。



さすがにこの道は観光客も多く、お店もあちこちに。

26-660_GF.jpg

町の人口は現在2200人程で、最高だった1951年の半分以下。
グラフの載っている初年、1861年の3100人よりも低いわけで、
なんとなく気になりましたが・・。
ちなみにイタリアの国税調査は10年毎で、次回は2011年。



店は土地の物産品店が多く、勿論有名なワイン類、オリーブ油、
そしてチーズはペコリーノ(ヤギのチーズ)。
この一帯どこに行ってもペコリーノばかりでしたが、美味しかった!
自家製の蜂蜜をつけて食べたのが美味しく、その蜂蜜も買って戻りましたが、
同じ味の蜂蜜は家の近所では見つかりません!
       
この看板は狐のようですが、何の店だったっけ?

27-663_GF.jpg



中心にあるピオ2世広場の近くの、サン・フランチェスコ教会。
13世紀の古いもので、これは入り口の上。

28-677_GF.jpg



教会内部。
一廊式で、やはり13世紀の古い素朴な壁画が見られました。

29-679_GF.jpg



オルチャの谷の地図をどうぞ。
昨年の夏訪れ、今回引き続きご紹介しようと思っている町に線を。

30-49_GF.jpg

左上、シエナからの道がここに。

サン・クイリコ・ドルチャ・San Quirico d'Orciaを基準にしての
距離を書きますね。 所要時間は車でで、バスではありません。

・サン クイリコ・ドルチャ~シエナ 45k  約1時間半
・サン クイリコ・ドルチャ~ピエンツァ 10k  約15分
・サン クイリコ・ドルチャ~モンタルチーノ・Montalcino 14k 約25分
・サン クイリコ・ドルチャ~カスティリオーネ・ドルチャ・
   Castiglione d'Orcia    8,5k 約20分
・サン クイリコ・ドルチャ~ラディコーファニ・Radicofani  27k 約40分
・ピエンツァ~モンテプルチャーノ・Montepulciano 15k 約20分
・ピエンツァ~モンティッキエッロ・Monticchiello  10k 約13分
       
道の距離と、所要時間の関係がまちまちなのは、
土地の道を行くのか、主要県道を通れるかの違いです。

ピエンツァ、モンテプルチャーノには、シエナからのバスもありますが、
ローマ、またはフィレンツェから汽車でキュウジ・キアンチャーノ・
Chiusi-Chianciano迄行き、そこからのバスも便利なようです。


*****

ブログご訪問、有難うございます!
見たよ! の応援クリックも宜しくお願い致しま~す!


*****

コメントの書き込みについてのお願い。

ブログの記事下に、「コメントを書く」が出ていない時は、
上か右の、記事タイトルをクリックして頂けると
記事の一番下に「コメントを書く」が出ますので、よろしくお願いいたします。
非公開コメントをご希望の場合は、非公開で、と書いて頂くと、  
コメント承認制ですので、保留にし、お返事だけ公開しますので、
それもご了承下さいませ。

この記事へのコメント