トスカーナはシエナの南に位置し、ユネスコの世界遺産の町にも
指定されているピエンツァ・Pienza の町。
同じく世界遺産のオルチャの谷・Val d'Orciaに位置し、
周辺一帯にはまさに素晴らしい珠玉の町・村が点在するので、
少し連続してご案内をと思い立ちました。
指定されているピエンツァ・Pienza の町。
同じく世界遺産のオルチャの谷・Val d'Orciaに位置し、
周辺一帯にはまさに素晴らしい珠玉の町・村が点在するので、
少し連続してご案内をと思い立ちました。
まずは、理想郷とも呼ばれるピエンツァの町からどうぞ!

行ったのは、昨年の7月初旬。
東にあるモンティッキエッロ・Monticchielloという
ピエンツァ市に含まれる小さな町を基地にして4泊、
オルチャの谷一帯をあちこち訪ねました。
上の写真は、モンティッキエッロから町に南から近づいた位置で、
あちこちの町に行くのに必ずこの道を通るので、
何度も仰ぎ見たピエンツァの町。 ちなみに町の標高は491m!
東にあるモンティッキエッロ・Monticchielloという
ピエンツァ市に含まれる小さな町を基地にして4泊、
オルチャの谷一帯をあちこち訪ねました。
上の写真は、モンティッキエッロから町に南から近づいた位置で、
あちこちの町に行くのに必ずこの道を通るので、
何度も仰ぎ見たピエンツァの町。 ちなみに町の標高は491m!
鐘楼が見える位置にドゥオーモがあり、右横に少し隙間が見えますね。
あそこから町を取り囲む市壁の道に抜けられ、素晴らしい眺望が。
後ほど!
あそこから町を取り囲む市壁の道に抜けられ、素晴らしい眺望が。
後ほど!
初日はシエナから下り町の北側から入り、北側にある駐車場に止め、
即、町の壁内に入ってすぐのトラットリーアでお昼を。
お皿が届くのを待ちながら前の家を。
修復され綺麗過ぎる感はありますが、花鉢が見事。

これもそのバール兼トラットリーアの椅子。
椅子の座の小穴が影に写っているのを写したのですが、
ははは、よほどお腹が空いていた様子!!

町の地図も見つけましたが、必要ありません。
小さな町で、中心にドゥオーモやピッコローミニ邸があり、迷う事はありません。
小さな町で、中心にドゥオーモやピッコローミニ邸があり、迷う事はありません。
大変に小路の美しい可愛い町ですから、その様子をどうぞ。


あちこち覗きながら、見上げながら、ふらふらと、ゆっくり歩き、
また小路を戻りながら、写真を撮るのを楽しみながら、
少しずつ、町の中心に近づいていきます。
また小路を戻りながら、写真を撮るのを楽しみながら、
少しずつ、町の中心に近づいていきます。
上の写真の突き当たり部分。
特別にどうという風景ではありませんが、何となし、居心地が良さそうな。
あのベンチに座ったら、おしゃべりが弾みそうです。
特別にどうという風景ではありませんが、何となし、居心地が良さそうな。
あのベンチに座ったら、おしゃべりが弾みそうです。

この町の雰囲気が少し他と違うと思うのは、田舎町ではありますが、
空気が洒落ているというか、かといって、大きな町ではありません。
店が並ぶのは中心の通りのみで、小路に入ると、こうした古い壁の家並み。
空気が洒落ているというか、かといって、大きな町ではありません。
店が並ぶのは中心の通りのみで、小路に入ると、こうした古い壁の家並み。

こんな3輪車を良く見かけます。 バタバタと音を立てのんびり走って行きますが、
こうして見ても、風景に納まっているでしょう?!
こうして見ても、風景に納まっているでしょう?!

戸口を囲む植物の奥のほう、白い花が見えるのはジャスミンで、
これもあちこちで見ますが、生垣にも良く使われます。
これもあちこちで見ますが、生垣にも良く使われます。
この写真を見ながら、ピエンツァには余りアーチが無かったなぁ、と。
町の東西の門と市壁を抜ける門、そしてもう2つほどでしたっけ。

文字通り町の中心にピオ2世広場があり、周囲を主要な建物が取り囲み、
これは南側を占めるドゥオーモ。

ピエンツァが他所と違う大きな理由に、町の生い立ち、由来があります。
学者肌の教皇ピオ2世(1405-1464)が、
以前はコルシニャーノと呼ばれていた自分の生まれた村を
理想の町に作り直すべく、取り組んだ成果なのですね。
学者肌の教皇ピオ2世(1405-1464)が、
以前はコルシニャーノと呼ばれていた自分の生まれた村を
理想の町に作り直すべく、取り組んだ成果なのですね。
今、町の真ん中を抜けるコルソ・ロッセリーノに名を残す
ベルナルド・ロッセリーニに設計建設を一任し、
わずか3年で、古い村の中心をルネッサンス様式に都市再建を
実行したという事になりましょうか。
ベルナルド・ロッセリーニに設計建設を一任し、
わずか3年で、古い村の中心をルネッサンス様式に都市再建を
実行したという事になりましょうか。
1462年にドゥオーモと周辺の完成の後、教皇は自分の名を冠した
新しいピエンツァの町を楽しむ余裕もなく、町全体の再建をも
済ます事無く、1464年に十字軍派遣の中途で亡くなります。
新しいピエンツァの町を楽しむ余裕もなく、町全体の再建をも
済ます事無く、1464年に十字軍派遣の中途で亡くなります。
教皇在位も1458年~1464年とわずか6年という、
まさにピオ2世の夢の町、見果てぬ夢の町。
普通は薔薇窓がある部分に教皇の紋章があり、
紋章のあちこちが黒く見えるのは、鳩君たちが休憩中で・・。

ルネッサンス様式に町を再建と書きましたが、まだまだルネッサンスの
最盛期ではなく、建物群には少し素朴なイメージも感じます。
最盛期ではなく、建物群には少し素朴なイメージも感じます。
広場の隅にある井戸、ポッツォ・デイ・カーニ・犬たちの井戸。
ロッセリーニ設計の素晴らしい井戸ですが、なぜ、犬たちの井戸
といわれるのか、今回色々検索しましたが・・、収穫なし。
どなたか、ご存じないでしょうか?

映画「イギリス人患者」に、確かこの広場の井戸が登場したと
覚えているのですが。
後に見える壁面が、広場の西側を占めるピッコローミニ邸。
ピオ2世の一族の建物の跡に建てられたそうで、
建物全体の写真は今回ありませんが、まぁ、サイトで全体をご覧に。
ピオ2世の一族の建物の跡に建てられたそうで、
建物全体の写真は今回ありませんが、まぁ、サイトで全体をご覧に。
町全体の設計を一任されたロッセリーニは、
フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ教会の正面壁や、
フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ教会の正面壁や、
ルチェライ宮の設計でも有名なレオン・バッティスタ・アルベルティの
追随者であり、ピッコローミニ邸もルチェライ宮に良く似ています。
井戸の後、腰板の高さに鉄製の輪が2つ、馬つなぎですね。
かっての駐車場!
レオン・バッティスタ・アルベルティについては、
マントヴァの時に少しご紹介しましたので、こちらを。
広場北西角のテントの見える建物がアンマンナーティ邸と言うそうですが、
スッキリとしたルネッサンス様式に挟まれ、可愛らしく素朴。
右側に少し見える、一階部分ロッジャの建物がプッブリコ宮、現市役所。

2つの建物の間の通りには・・、
アンマンナーティ宮の横側の張り出し窓。

写真を撮っていると、横の観光客が何を撮っているのか、と振り返り、
彼もあわててパシャっと。。
教授料払わんかい! ははは。
広場東側のボルジャア宮。 ディオチェザーノ博物館になっていて、
今になって調べると、かなりの収蔵品ですが見ておりません。
(夏の暑い日には、もう動けなくなりましたぁ!)

右がドゥオーモ、左がプッブリコ宮。
先月ご紹介のイタ猫の、見事に哀れな猫ちゃんは、このロッジャにね。
教皇の館、ピッコローミニ邸の扉。
木目の浮きでた美しさもですが、このノッカー、素敵でしょう?
余り厳しくなく軽くもなく、優美。
木目の浮きでた美しさもですが、このノッカー、素敵でしょう?
余り厳しくなく軽くもなく、優美。

ピッコローミニ邸の中庭。 内部拝観は横着してパス。

庭園はテラスに設けられたもので、この手のものとしては
ヨーロッパでも最古のものの一つとか。これも見てない・・!
中庭に置かれている玉は、弾ではなく、
たまたま展示中のどなたか作家の作品。
たまたま展示中のどなたか作家の作品。
注:後に行った時庭園を拝見しました。 ホテルの庭園ですが、
横の小路から入れます。
が風景のみの目的だと、城壁沿いの道からの方がGooです。
上と同じ作家の作品で、これには思わず、あはは。
部屋の入り口に掛けられた暖簾式で、髭もじゃのムサイ顔の男が
司教の衣服で。 こういう由緒ある邸に相応しいアイディア!
司教の衣服で。 こういう由緒ある邸に相応しいアイディア!

ドゥオーモの横(正面左)を通り抜け、アーチをくぐり、市壁に沿った道に。
ここから素晴らしい眺めが楽しめます!何せ、海抜491m!

少し靄がかかり残念ですが、道はモンティッキエッロからの道で、
刈取りのすんだ麦畑が広がります。

も少し遠くを。
ユネスコの世界遺産にピエンツァの町が1996年、オルチャの谷が2004年に指定され、
まさにその名に恥じない、雄大で、美しいオルチャの谷の風景。
まさにその名に恥じない、雄大で、美しいオルチャの谷の風景。

ドゥオーモ・鐘楼を振り返って。

ピエンツァは、小路の名前が大変面白く、興味深いのでも有名です。
最初は知らずになんとなく見ていて、あれ?!と気がつき笑ってしまい、
その標識のみの栞を売っているのも見ましたっけ。
最初は知らずになんとなく見ていて、あれ?!と気がつき笑ってしまい、
その標識のみの栞を売っているのも見ましたっけ。
この写真でも、ご覧になれるかな?
奥が、ヴィーコロ・デッラ・フォルトゥーナ・幸運の小路、
手前が、ヴィア・デッルアモーレ・愛の道。

ついでに書きますと、道のこちら側に引き続き
ヴィーコロ・デッラ・バーチョ・キスの小路と、いささか出来すぎの感じですが、
ただしフォルトゥーナには、幸運の他に、お金・財産の意味も
ありますから、そう考えるともひとつ意味が深いかも!
他にも、狐の道とか、穴の道、突き当たり(盲小路)とか
面白い名もありますので、行かれた時はお探しに、ね。
面白い名もありますので、行かれた時はお探しに、ね。
これ何か、ご存知ですか?
家の戸口の横にあるのですが、靴の泥落としです。

今時の新しい家の前にはありませんが、日本家屋のように靴を脱いで
家に上がるのではないので、道路事情の悪い昔には必需品だったでしょう。
ヴェネツィア・メストレの息子のアパートは戦後の物ですが、
そこにもありましたっけ。
市壁沿いの道を突き当りまで行き、左の小さなアーチをくぐり戻ると、
町の中心通りのコルソ・ロッセリーノの東端に出ます。
道が分かれる角にレストランがあり、なかなか良い雰囲気。

右に見えるアーチはチーリオ門・Ciglio、町の東の門。
ちなみにコルソの西の突き当たり門は、プラート門・Prato。
さすがにこの道は観光客も多く、お店もあちこちに。

町の人口は現在2200人程で、最高だった1951年の半分以下。
グラフの載っている初年、1861年の3100人よりも低いわけで、
なんとなく気になりましたが・・。
グラフの載っている初年、1861年の3100人よりも低いわけで、
なんとなく気になりましたが・・。
ちなみにイタリアの国税調査は10年毎で、次回は2011年。
店は土地の物産品店が多く、勿論有名なワイン類、オリーブ油、
そしてチーズはペコリーノ(ヤギのチーズ)。
この一帯どこに行ってもペコリーノばかりでしたが、美味しかった!
自家製の蜂蜜をつけて食べたのが美味しく、その蜂蜜も買って戻りましたが、
同じ味の蜂蜜は家の近所では見つかりません!
この看板は狐のようですが、何の店だったっけ?
自家製の蜂蜜をつけて食べたのが美味しく、その蜂蜜も買って戻りましたが、
同じ味の蜂蜜は家の近所では見つかりません!
この看板は狐のようですが、何の店だったっけ?

中心にあるピオ2世広場の近くの、サン・フランチェスコ教会。
13世紀の古いもので、これは入り口の上。

教会内部。
一廊式で、やはり13世紀の古い素朴な壁画が見られました。

オルチャの谷の地図をどうぞ。
昨年の夏訪れ、今回引き続きご紹介しようと思っている町に線を。

左上、シエナからの道がここに。
サン・クイリコ・ドルチャ・San Quirico d'Orciaを基準にしての
距離を書きますね。 所要時間は車でで、バスではありません。
・サン クイリコ・ドルチャ~シエナ 45k 約1時間半
・サン クイリコ・ドルチャ~ピエンツァ 10k 約15分
・サン クイリコ・ドルチャ~モンタルチーノ・Montalcino 14k 約25分
・サン クイリコ・ドルチャ~カスティリオーネ・ドルチャ・
Castiglione d'Orcia 8,5k 約20分
・サン クイリコ・ドルチャ~ラディコーファニ・Radicofani 27k 約40分
・ピエンツァ~モンテプルチャーノ・Montepulciano 15k 約20分
・ピエンツァ~モンティッキエッロ・Monticchiello 10k 約13分
道の距離と、所要時間の関係がまちまちなのは、
土地の道を行くのか、主要県道を通れるかの違いです。
ピエンツァ、モンテプルチャーノには、シエナからのバスもありますが、
ローマ、またはフィレンツェから汽車でキュウジ・キアンチャーノ・
Chiusi-Chianciano迄行き、そこからのバスも便利なようです。
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