・ ピエロ・デッラ・フランチェスカ ・ 出産のマドンナ

皆さま、ブォン・ナターレ!
キリスト教者でもないのですが、やはり今日はこのご挨拶を。

でクリスマスに因み、この秋トスカーナの小村モンテルキ・Monterchi
で再会した、ピエロ・デッラ・フランチェスカ・Piero della Francesca
が描いたフレスコ画「出産のマドンナ・Madonna del Parto」と、
この一帯に散らばる彼の作品のご紹介をほんの少し。
気ぜわしい暮の一時でしょうが、ご休憩を兼ねてごゆっくり!

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出産のマドンナ・Madonna del Parto・マドンナ・デル・パルト
と呼ばれるフレスコ画は、15世紀前半の画家ピエロ・デッラ・フランチェスカが
自分の母親の生地の教会に
そっとお腹に手を当て、出産を待つ聖母の姿を描いたもので、
1465年頃の作品と考えられています。

     

まずは地図をご覧頂きながら、彼の作品がある土地のご説明を。
左下に見えるアレッツォ・Arezzo は、フィレンツェとローマを結ぶ
大幹線上にあり、行かれた方も多いと思います。

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ここのサン・フランチェスコ教会に、ピエロの素晴らしい大壁画、
「十字架の黄金伝説」の一連の作品があり、この場面は
シバの女王の礼拝シーンで、ドゥオーモにもフレスコ画が残ります。

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そして東にアンギアーリ・Anghiari、
ここはかのレオナルド・ダ・ヴィンチの幻の作品アンギアーリの戦い、
フィレンツェはヴェッキオ宮の500人広間のヴァザーリの壁画の下に
あるかもしれない、と言われる戦いの図の舞台となった町で、

更に東のサンセポルクロ・Sansepolcro、
ここはピエロが生まれ育った町で、ここに家を持ち、亡くなったのも
この町で、市美術館に彼の素晴らしい祭壇画とフレスコ画が収蔵。

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上はキリストの復活 で、手前の茶色の眠っている兵士、
これが彼の自画像であると言われている様子。

そして南にモンテルキ・Monterchi、
ここに今日ご案内の「出産の聖母」がある訳ですが、

       
東に延びている→ の先、ルネッサンスの宮廷文化が花開いた
ウルビーノUrbinoまで僅か70K。
ウルビーノ公フェデリコ・ダ・モンテ・フェルトゥロの宮廷に招かれ、
ウルビーノ公ご夫妻の有名な肖像を描いており、
これは現在、フィレンツェのウッフィツィ美術館の宝の一つですね。

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また公が右手前に描かれた聖母子と聖人たちの素晴らしい祭壇画は、
現在ミラノのブレラ美術館収蔵。

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ウルビーノの美しく素晴らしい宮殿は現在博物館となっていて、
ピエロの作品3点、下の「キリストの鞭打ち」、

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「聖母子」、遠近法や大変理知的な事で有名な「理想の町」も収蔵です。

所で、地図に印を入た、北に見えるカプレーゼ・ミケランジェロ・
Caprese Michelangelo、
ここがかのミケランジェロの生家のある村で、生家は現在博物館で、
なかなか素敵な雰囲気の家でした。


ちなみにサンセポルクロからの距離を計ってみました。
というのも、彼だけではなく当時の芸術家たち、文化人たち、
一般の旅人も皆徒歩旅行だったわけで・・、
モンテルキまで17k  アレッツォは40k  フィレンツェまでは113k

そしてアドリア海沿岸のリミニまで130k
彼はリミニの領主シジスモンド・マラテスタ・Sigismondo Malatesta
にも招かれ、彼の有名なそして素晴らしい肖像も描き、
現在パリのルーヴル美術館にあるそうで、いつか逢いに行きたい作品。

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上の作品群は全て画集とサイトからですが、今回唯一自分で撮った
のがこれ、リミニのマラテスタ廟のフレスコ画です。

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リミニの街、そして絵画作品群、素晴らしい多量のモザイクについては、
また別に纏めたいのでここではこれ1枚を。

ですが、この絵が好きで昔から画集で何度も眺めていたのに、
今回自分の写真でアップも撮ったりし、初めて
彼の後頭部の線が描き直されているのに気がつきました!
見えますか?  またアップでご覧頂きますね。

そして1458~59年には、ピオ2世に招かれてローマに行き、
ローマまで250k、 後にラファエッロがその上に壁画を描き、
消えてしまった法皇の部屋のフレスコ画も描いています。



ルーヴルのシジスモンドの肖像画も見たい作品ですが、もうひとつ見たい
ピエロの作品は、ロンドンのナショナル・ギャラリーにある「生誕」です。
彼独特の、冷気に満ちた静謐な明るい空気が満ち溢れ、
背景の北方絵画を偲ばせる風景も魅力です。

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ピエロ・デッラ・フランチェスカという名前は、直訳すると
「フランチェスカのピエロ」という意味で、
ヴァザーリの説による母親フランチェスカの名前から来ている、と言い、
これを私めもずっと信じて来ましたが、
今回これは違う事を知りました。 ヴァザーリめ!
       
父親はベネデット・デ・フランチェスキ・Benedetto de'Franceschi
裕福な布商人であり、母親はウンブリアの貴族の出自で、
モンテルキ生まれのロマーナ・ディ・ペリーノ・Romana di Perino.

彼は長男で1406年~1420年の間に誕生、没年は1492年10月12日。
彼の他に4人の男子、そのうちの2人は幼くして亡くなり、妹がひとり。

亡くなった時、ヴァザーリによると86歳だったというので
1406年誕生となりますが、両親の結婚が1413年らしいので、
ヴァザーリの説があやふやという訳ですが、
サンセポルクロのコムーネの建物が火事で焼け、書類がないのだそう。

母親は1459年、父親は1464年が没年で、
この記録から見ると「出産の聖母」は1465年頃の作と言いますから、
彼にとっては、母親の生地に描いた両親への追慕も含まれているかも。

「フランチェスカのピエロ」という呼び名は、彼が亡くなって暫く後に
始まったそうですから、この辺り何を意味するか、不明ですね。

また彼はルネッサンス初期の画家という位置づけになりますが、
奇しくも亡くなった日が、コロンブスのアメリカ発見の日だそうで、
確かめておりませんが、そうですか?
これよりルネッサンスの最盛期始まる、と書いてあるのも。
       

という事で、ほんの少し彼の有名作品をご覧頂きましたが、
今日の主題「出産の聖母」に戻りまして、
       
モンテルキの町の様子をサイトの写真でどうぞ。
私はアンギアーリから出かけましたので約15kの距離で、

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この写真だと、右斜め奥にアンギアーリの町があり、
ぽっこりの小山の上に見えるのがモンテルキの中世の古い小さな町で、
現在聖母の絵が収められている博物館は、
町の小山を向こう側に下った、ちょうど影の位置辺り。

右手前に見える家並が新しい町で、ここに到着の後駐車、
せっせと山の中程左に見える坂道を上り、
これがまぁあなた、半端でない傾斜の道でして、ハァハァと上り、
町の中心にあると思い込んでいた博物館が、道を下った向こうと聞き、
いい加減にしてぇ! と。

後で分かって見ると、小山の右下に見える道を辿り
ぐるっと山を回り込むと博物館の前まで平地を歩ける訳で!
聖母の博物館→ に釣られて急傾斜の坂道を上ったのが恨めしく・・、
       
・・いや、今日はクリスマスでありました。
不敬な言葉は読まなかった事にお願いいたしますです、はい。




これは古い町の中心を通りすぎ、かっての町の門の向こうに見える建物。
ベネデッティーノ派の修道院・教会だったといい、
入り口の門は後に加えられたものだそうですが、中々趣のある建物。

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門を出て坂道を下って来て振り返った所で、
右手前から2つ目の白い建物が、お目当ての博物館。
かっての小学校の建物というのですが、余りにも素っ気なく拍子抜けし、
写真も撮らず・・。

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で、例により後悔反省し、サイトから拝借の博物館とその入り口。
ね、元小学校というには立派な気もしますが味気ないでしょ?!

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ピエロ・デッラ・フランチェスカが、母親の生地の教会に
「出産の聖母」を描いたと言いましたが、後にこの一帯を襲った地震で、
奇跡的にこの壁画のある壁のみを残し教会は崩壊、
壁画はブロックごと新しい教会に移され、墓地の礼拝堂として使われ、
この絵はそのまま忘れ去られた状態に。

そして1889年になりピエロの絵が再発見され、
この傑作の素晴らしさもあって修復され、1917年の地震もやり過ごし、
墓地脇の新しい礼拝堂にあったのですね。

最初に私が下の村外れの墓地の礼拝堂を訪問したのは21年前で、
薄暗い中での対面でしたが、
他のピエロの作品に見るちょっと固い表情の女性達とは違い、
優しいイメージを受けた事、そして、管理のシニョーラのお腹も
大きかった事が印象に残っていました。

その後1992,93年の修復を受けた後、現在の博物館に移された
のですが、当時これはかなりの反響を呼んだ事を覚えています。




が、入り口の印象はさて置き、博物館内部、薄暗い右手の
部屋の空調されたケースに安置された、
奇跡的に生き残った聖母の絵は素晴らしかった!

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聖母の青い衣装と、左手の天使の緑の衣装には
これ程の色の違いは見取れず、もっと融和し、
右の天使の衣装も目立つ事なく、
 
      

何よりも何よりも、若い聖母の出産を待つ穏やかで柔らかな
表情の顔が素晴らしかった!

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静かに、どこかから届く声に耳を澄ますかのような、
まだ少女の様な、若さが匂う肌のなんとも言えない美しさ。
背景の色も穏やかで、静謐な空気が漂い・・。

ただ一つの難を言えば、
右の天使の頬の修復部分の色が飛んでいた事位。



こちらもサイトから拝借の写真で、部屋の中はこういう感じですが、
ケースの中はもっと柔らかい黄色がかった色、とご想像下さい。

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リンクさせて頂いている「風色明媚」の日本画家の二木(ふたつぎ)さんが、
こちらにこの聖母について書いておられます

二木さんの師匠である野村義照画伯が、ピエロの「出産の聖母」を
かって日本画で模写され、このモンテルキの町でも展示された事があり、
その絵の素晴らしさがイタリアでも高く評価され評判となった事は、
良く覚えております。

当時展示に関わられた二木さんと、今こうしてブログ・リンクを
させて頂いている事にも不思議なご縁を感じます。
 
二木さんから、以前の礼拝堂はどうなっているのかとメールを頂き、
そうそう、と博物館に電話をして訊ねましたら、
現在は礼拝堂は閉じられている、との事でした。

やはり保存管理の問題もあり、昔の雰囲気を知る者にとっては
残念ですが、きちんとした博物館に安置されるのが万全なのかもですね。



博物館の開館時間と料金、

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そして、町の中心部の夜景をパンフレットからどうぞ。

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実は絵を見た後、町の中心に戻ろうかと思っていましたら、
可愛い中年後期のフランス人女性に声をかけられ、彼女は片言の英語、
こちらは幾つかの単語英語でのやり取りとなり、
つまりアンギアーリに行きたいのだけどバス便が不便、
私の車に同乗させて貰えないか、と。

以前アレッツォに戻るのに往生した思い出があり、
OK! と言いましたら、後ろから男性も現れ、夫ではなく友達だと。
へいへい、わっしには関係のない事でござんすよ、と
一緒にそのまま戻りましたので、町は見ずじまいに終わりました。

◆ お知らせ ◆

我が絵の師である二木さんが、ご自分の課題とされていた
ピエロ・デッラ・フランチェスカの「出産のマドンナ」
・・彼は「懐妊の聖母」と呼ばれますが、
についての、様々な考察を4回にわたりブログにアップされています。

絵の謎を、技術的な事も分り易く解説された大変素晴らしい内容。
どうぞご訪問され、ご一緒にピエロの絵の面白さ、
奥深さを愉しまれるよう、ご案内申し上げます。


その夜、アンギアーリの宿の窓から、南の空に幾つもの花火が
打ち上げられるのが見え、条件反射的に何枚も写しましたうちから、
一番綺麗に撮れたのと、少しブレましたが、可愛い赤いハートをどうぞ。

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町に行った時、ちょうどなにかのお祭りで、下町が大勢の人出で
賑わっていましたし、方角から考え、モンテルキの町の花火に間違いなく。


こちらは翌朝、夜明けの霧の風景。
南に向かい、ちょうど2列目の丘の向こうにモンテルキの町があり、
昨夜の花火の位置もここで、標高の高いアンギアーリからだと、
この低い空に打ち上げるのが見えたのでした。

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◆*◆

ブログご訪問、有難うございます!

今日は少し長いご説明になりましたが、
ピエロの描いたウルビーノ公モンテフェルトゥロや、
リミニの狼シジスモンド・マラテスタの事など
ついでにあれこれ読み始めましたら、例により深入り。

彼らの父親、母親、再婚相手、兄弟姉妹、結婚相手、その縁戚・・、
追いかけだすと止まらなくなり、ついつい夜ふかし。
つまりそれほど??!!が大きい訳で、モンテフェルトゥロと
マラテスタ家の深い確執、スフォルツァ家も、マンフレディ家も絡み、
ああ、まさに現実は奇なり!

なかなか秋の旅行先のご案内が出来ないのも、
この辺りまだしっかり消化できていない理由が大きく・・。
年明けを待ちまして、ぼちぼちと。

で書いた後ヴァザーリの「ルネッサンス画人伝」を取り出し読みましたら、
何の事はない、
ピエロが生まれる前に父親が亡くなり、女手一つで育てられ、
それでピエロ・デッラ・フランチェスカと呼ばれた・・、とかあり、
・・・う~ん、絵画に対する評価以外は
講釈師、見て来たような嘘を言い という部分が多いかも!

皆さま、良いクリスマスをお過ごしください!!

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