・ ガラタ橋は、釣り人天国 ・ イスタンブル 

先回「イスタンブルの旨い物」の最後に登場したガラタ橋・Galata、
イスタンブルの街でたくさんの興味深い物を見たうちでも、
純粋に好奇心に満ちて楽しく見たもの、
それはガラタ橋に群がるたくさんの釣り人!

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ちょうど4日間続くという国の祭日に当たり、夜出かけた時も、
多くの釣り人で橋の欄干は埋まっていたのですが、

お天気に恵まれた午前中に、橋を渡りガラタの塔に行く時に見たのは、
呆れる程の大勢の釣り人で、おまけに驚いた事に、
それぞれがかなりの釣果!!

今日はそんなガラタ橋の眺めや、新しく知った橋の逸話なども
取り雑ぜてのご案内です、ごゆっくりどうぞ!

上の写真は、2層のガラタ橋と、高所に見えるガラタの塔。


最初のボスフォロ・クルーズの日に、船をボスフォロ橋の脇で降り、
バスに乗り換えて橋を渡り、旧市街に戻るのにその時初めて
ガラタ橋を渡りました。

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これはその時ので、橋上は大変広く幅が42m、長さは484mと。
手前に見えるのはトラム・市電の線路で、
その横が3車線の車道ですが、1車線は駐車場代わりで・・。

この日は祭日の初日にあたり、家族で過ごすのが常だそうで、
はい、ご覧の様にまだ釣り人もまばらでしたね。



地図をどうぞ。
下側に突き出している部分が街の旧市街で、大きく囲った場所が
トプカピ宮殿や、アヤ・ソフィア博物館、ブルー・モスクのある場所、
中に入り込む天然の港が金角湾と呼ばれる物で、何本か橋が架かり、
一番東のボスフォロ海峡側にかかるのが、ガラタ橋・Galata.

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橋の対岸のちょっと突き出した辺り、ガラタと呼び慣わされるこの地の
高台に、14世紀にジェノヴァ人の造ったガラタの塔があります。

なぜジェノヴァ人がと言いますと、この辺りは旧名ぺ―ラ・Pera と呼ばれ、
1273年から1453年まで、つまり コスタンティノープルが
オスマン・トルコに征服される迄、ジェノヴァ共和国の植民地だったのです。

ぺ―ラと言うとイタリア語では梨の事ですが、
ここの名はギリシャ語のイチジク(畑)に由来するそう。

下側南がマルマラ海で、旧市街をかすめて右側をくの字に流れるのが
ボスフォロ海峡で、右上に見えるのがボスフォロ橋で、このずっと奥に黒海が。

イスタンブル 予告編
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461092343.html      

で、いつこのガラタ橋が架かったのかと思いましたら、
なんと1845年に木製の浮き橋が架けられたのが最初!
当初は、橋の通行料を取っていた様ですが、
それ以前は渡し船だったというので、まぁ、同じ様な物かな?

で、強固な鉄橋が架かったのが1922年の事で、
この橋は現在と同じように2層で、レストランやバールがあったようですが、
1992年に火事で大きな損傷を受け、現在の橋に架け替えられたと。

毎日何千人もの人々が頻繁に往来する重要な橋が、
最初に架かったのが19世紀という遅さに驚きましたが、
湾の奥には船のドックもあるというので、その出入りの問題もからかも。



所で、実は1502年、レオナルド・ダ・ヴィンチ50歳の時に
橋の設計図を描き、時のスルタンに売り込んでおり、こちらです。


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それによると、長さは360m 幅24m、水面からの高さが40m、
唯一のアーチ、この言葉で正しいのかどうか疑問ですが、
を持つ物で、その端が図のように4つに分かれているという物。

近年になって当時のスルタン、バヤズィット2世・Bayezid II、
このスルタンはコスタンティノープル、東ローマ帝国を征服した
マフメット2世の子で次代の皇帝にあたりますが、

その記録庫から発見された、この設計の売り込みにつけられた
レオナルド自身の手紙によると、
彼はこの設計に絶対の自信を持ち、
巨大な橋の実現に、自分の首を賭けても良い、とまで書いているそう!
       
スルタンは、唯一のアーチでこの長さを支えるのは不可能と考え、
レオナルドの提案は実現せず、
彼の首も繋がったままになった訳ですが・・!

はい、マフメット2世スルタンの招きで行ったヴェネツィアの画家
ジェンティーレ・ベッリーニが素晴らしいマフメット2世の肖像画を
残しておりますが、
      
彼の滞在中にスルタンが、彼の斬首の絵に疑問を呈したそう。
つまり斬られた首の状態は、彼の絵の様ではない、とね。
で、実際に獄から罪人を引き出して来て、斬首して見せたそう!

という様な逸話もあります偉大な力を持つスルタンですから、
レオナルド様は、もし橋の架橋がOkとなっていたとしたら、
・・ひょっとして、という事が大いにあり得たかも!



そして時を経ての20世紀後半に再研究され、
彼のプランに似た橋が現実となります。
つまりレオナルドの設計は理論的には可能ながら、
彼の他の様々な発明提案スケッチ同様
もっと複雑な計算、材質問題、動力源が必要であるという事で、

ノルウェーの設計家が、改めてレオナルドの橋の研究に着手、
一つのアーチ、4点の支えで、
2002年にオスロに架けられた橋というのがこれです。

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材質は、薄板鋼板を貼った木製、とでも?(legno laminato)
長さは、レオナルドの設計よりも少し短いそう。
      

先日我が町で、レオナルド・ダ・ヴィンチの機械類、という展示会があり、
彼が残しているたくさんの発明のスケッチを、長年にわたって研究し、
小さいけれども実際に動く模型、を作られた方がおられ、その展示で、

あれこれお馴染のスケッチが形を取って動くのを見るのは楽しく、
実現されて使われた物の模型なども興味深く眺め、
写真もあれこれ撮らせて貰ったので、またご覧頂こうと思っていますが、
ちょうどそんな事と重なり、ガラタ橋のレオナルドの提案売り込み、
を知り驚き、なお興味深かったですが、

レオナルドはご存知のように、各地の実力首領者の様々な要求に
応えつつ、絵画から催事の余興、治水工事、はたまた戦時の機械類まで、
そしてそのまた一方で、自分の発明をも売り込んでいた訳ですね。

それが、コスタンティノープルまでも範囲内かと思うと、まぁジェノヴァも
ヴェネツィアも交易していた土地ながら、
現在のグローバル活動さながらに、かの地の話を聞きながら
むらむらと頭脳が刺激されたに違いなく、

これは行けそう!と抜け目なくスルタンに売り込みをする
万能の天才の、抜け目ない商才も窺われ、少々可笑しく・・!

レオナルド・ダ・ヴィンチの発明した物、考案したもの
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461685811.html

「アンギアーリの戦い」始末記と、その周辺もろもろ

レオナルド・ダ・ヴィンチの生家と、その周辺
レオナルド・ダ・ヴィンチの母親について



という所で、ガラタ橋の夜の食べ物屋台やレストランの様子は既に
ご覧頂きましたので、今日は
折からの上天気の祭日に集まる、ガラタ橋の釣り人天国の様子を。
この人々の数と釣り竿の並びを、まずどうぞ! 

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橋に近づいた所で、余りの釣り人の多さに驚き、足元に置かれた
バケツや瓶の中の小魚の多さにも驚き写していると、

ほらほら、と竿の手ごたえを確かめてから手渡され、リールを巻け巻けと。
と、なんと、小魚が2尾上がって来ましてね、
俗に言う、「入れ食い」というやつ! ははは。
ほら、これには5つも引っ掛かっているでしょう?!

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釣りに出かけ、坊主の泣きを見ておられる方々、
一度ガラタにお出かけを。ここでは決して坊主にはなりませんです!!


夜渡った時は、暗いので様子が分からなかったのですが、
陽の光の下で見ると、餌として色々様々、海老やミミズや虫かな、
小魚も売っていますね、浮きもあるし・・、

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この竿支えもいっぱい売っていて、前夜の暗がりでは意味が良く
分からなかったのですが、そうか、こうやって使うのか、と。 

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が、良く見ると、これは手作り品を売っているのですよね、
しっかりしています!



では、釣果をお見せいたしますぞ!
しょっちゅう坊主で泣いている方、
悔しさの余り引き付けを起こされませぬようにね!!

最初はこれ、
私めにリールを巻けと渡してくれた人達のいた、橋の脇側。

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何が釣れるのかと覗きに行ったら、ちゃんと見せてくれ、
ほら、小鯵ではないですか?!

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ガラタ橋の端の方は小魚が主で、真ん中に近い方が、大きい感じ!
それにしても、このバケツ一杯の小鯵!! 旨そうだぁ!!

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この写真、如何でしょうかぁ?!
巨大なモスクを背景に、釣りに励む人々。

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とにかく、隙間ない人の並びで、欄干に近寄って、向こうの海の眺めを
写したいと思っても、びっしり隙間なく、
夜一度近寄って足に釣り糸を引っ掛けまして、はい、
切らずに済んで良かったですが、その位に密なのですね。




椅子に座っている人々の椅子なのですけど、
木の椅子は勿論、奥に見える薄いベージュ色の穴のある椅子ね、
あれも半分に折り畳める椅子なのを、しっかり見ましたです。
多分、長時間粘るのでしょうねぇ、趣味と大実益かも!

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漸くに写す、 ボスフォロの海、ボスフォロの橋。

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こちらは橋の北詰め、つまりガラタ地区に近い方からの眺めですが、
こちらもやはり、釣り人がびっしり!

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殆どが、つまり99,9%まで男性諸子ですけど、
中に何人かの女性も見かけましたよ。



ほら、如何、この人々と竿の並び!

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そして、垂れる釣り糸!
下を歩く人々が釣られないのが不思議な程でしょ? ははは。

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橋の終わりから振り返った眺め。 真ん中を今、トラムも渡っています。
写真左端に見える道路標識は、「跳ね橋」注意です。
ちょうどの時間に居合わさず、これは見れずに・・。

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ガラタの塔。

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夜景を何枚かどうぞ。

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ガラタ橋から見るボスフォロの橋、日本企業が架けた橋ですが、
いつもこんなブルーに見えているので、
これが常の色かと思っていたのですがぁ・・、

あ、真ん中を横切るのは釣り糸です、左にも1本ね、
これは夜、下の層のレストランに食べに行った時の写真でして、



そしてほら、こんな色になって、右側の欠けた部分が残念ですねぇ!

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可愛いピンク色にもなり、

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写真は撮りませんでしたが、
アウトラインだけが点いたり、つまり長~いM字になったり、
真ん中から端に向かってツツツツと移動して点いたり、
逆に点いたりで、色々なテクを見る事が出来たのを、

魚を喰いに行かなかった2人にしっかり話をね、勿論!
どういう時間に変化があるのか、見れて幸いでした。



ガラタ橋の南詰にある巨大なイェニ・モスク。
釣り人の背後に聳えていたあのモスクですが、港に近く、
おまけに基礎が高いとの事で、街に入って来ると、
最初に目につくモスクである事は間違いなく、

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少し小高い場所にある、スレイマニエ・モスクと、
こちらも素晴らしく巨大なモスクで、内部はすっきりした装飾。

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左下はルステム・パシャ・モスクという名で良いのかな、
小さなモスクながら、内部の植物柄の多い装飾タイルが素晴らしく、
また纏めて内部をご覧頂きたいと思っています。



最後は、ガラタ橋の北詰め、逆光の中の釣り人をどうぞ!

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あれだけの釣り人に、あんなにもの釣果!!
この大都会にして、こんな自然の豊かさもさることながら、
如何にも庶民的な感じのする街の楽しさ、愉快さ!
・・なんとなしに大阪を思いました、です。


今回マフメット2世の名が出た事で、街の歴史を思い出し、
再度塩野七生さんの「コスタンティノープルの陥落」を読んでいます。

この街のトルコへの陥落の決め手となった、船を山越えさせ、
封鎖された金角湾内に引き落とした様子など、
ヴェネツィア共和国がそれ以前にガルダ湖で試みている事で、
まるで関連のない異国の歴史とはまた違う思いがし、
まだ読まれていない方に、是非、とお勧めです。


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