イタリアの紙の郷ともいえる、マルケ州のファブリアーノ・
Fabriano のご紹介です。
ここには紙の博物館があり、昨年の夏訪れた時には、
ちょうど、「中世の公証人の古文書」の展示があり、
大変興味深く見ましたので、それも一緒にご紹介いたしますね。

ファブリアーノの町はまた15世紀前半に活躍した画家
ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ・Gentile da Fabriano
(1370-1428)の生地でもあり、没後500年記念の石碑も。
ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ・Gentile da Fabriano
(1370-1428)の生地でもあり、没後500年記念の石碑も。
生年や絵の修業については記録がまるで無いそうですが、
父親は布の商人だったそうで、紙は布から作っていましたから、
いかにもこの町の出身を現していますね。
父親は布の商人だったそうで、紙は布から作っていましたから、
いかにもこの町の出身を現していますね。
彼の代表作と言われるフィレンツェ・ウッフィツィ美術館にある
「東方三博士の参拝」の一部で、煌びやかで、優雅なテンペラ画。

町の中心にある、コムーネ広場の13世紀の噴水。
ペルージャの、フォンターナ・マッジョーレに良く似た小型で、
装飾も少ない、ストゥリナルドの泉。

奥に見えるのが、やはり13世紀のパラッツォ・デル・ポデスタ、
マルケ州における優れたゴシック建築の一つだそう。
ペルージャのご案内は
コムーネ広場の奥のポデスタ宮に向かい、
左側に時計塔を持つ16世紀の司教館、右に2階部分がロッジャ
ロッジャート・ディ・サン・フランチェスコがありますが、
・・今回はダイアル・アップ対策のためすべて写真略で!
これは、司教館の1階部分のカフェで憩う町の人々。
左側に時計塔を持つ16世紀の司教館、右に2階部分がロッジャ
ロッジャート・ディ・サン・フランチェスコがありますが、
・・今回はダイアル・アップ対策のためすべて写真略で!
これは、司教館の1階部分のカフェで憩う町の人々。

7月の暑い日で、おまけにこの日の朝ウンブリアの山奥の
カステルッチョから到着の、いささか暑さ呆けのshinkai。
カステルッチョのご案内は、(また見てやっておくんなまし!)
カステルッチョ、 そして、大平原のお花畑 その1 その2
カステルッチョ、 そして、大平原のお花畑 その1 その2
なにはともあれ、紙の博物館に向かいます。
大きな、かってのサン・ドメニコ修道院が改装され、博物館になっていて、
中心のコムーネ広場から行くと、この後ろ姿。

町の地図は最後にご覧いただきますね。
こちらが入り口。 正式な名は、紙とフィリグラーナの博物館・
Museo della Carta e della Filigrana と言います。

フィリグラーナというのは、紙を漉く時に繊維の液体を枠ですくいますが、
あの枠に、日本だと竹の簀がはめられていて繊維をすくいますが、
あの簀を指し、
ファブリアーノで見たのは青銅製で、
実はここファブリアーノで、フィリグラーナが発明されたのだそう。
入り口で入場料を払っていましたら、英語で何か・・、
イタリア語でお願い、と言うと、辺りにいた男性達がどっと笑い、
博物館の見学の前に、紙の製造歴史のヴィデオを見たいかと。
という事で、かなり長いヴィデオでお勉強を。

それがこの部屋で、以前の素晴らしい壁画が大アクリルガラスの
向こうに見えました。
中庭の向こうには実演している場所があり、入って行くと
実際に紙すきやら、乾燥の行程も見せてくれました。
こうして実演しながら、製品を作り販売も。
写真はダメと言われましたので、パンフレットからご覧頂きますが、
これは、布切れを打ちつき、ドロドロにする行程の機械。
これは、布切れを打ちつき、ドロドロにする行程の機械。

お勉強させられたヴィデオによると、一旦は衰退した紙製造を、
18世紀になりミリアーニという人がこの機械工程を発明し、
盛り返したのだそう。
18世紀になりミリアーニという人がこの機械工程を発明し、
盛り返したのだそう。
溶けた繊維を漉いている行程。
スイッチを入れると桶の中でハンドルが回り、繊維の濃度を一定に。

ファブリアーノの紙というと、スケッチ用のコットン紙でも有名ですが、
まさに麻や綿布を使っての紙製造なのですね。
これはアラブから伝わり、カビ防止に動物のニカワを使用、
滲み防止にもなるので、12世紀頃に有名になった様。
布から紙を作り、それに活版印刷を用い、イタリアで最初に、
ユダヤ聖書全巻が出版された事情については、
ユダヤ聖書全巻が出版された事情については、
ソンチーノ ・ 中世の要塞と、ユダヤ人の印刷所 その2
要塞、お馬好きの方は、
ソンチーノ ・ 中世の要塞と、ユダヤ人の印刷所 その1
ソンチーノ ・ 中世の要塞と、ユダヤ人の印刷所 その1
これが14世紀のフィリグラーナを使った紙、透かし模様ですね。
たくさんの展示があり、紋章入りやら、デザインやら、
かっての、権威を込めたお洒落心、とでも言えましょうか。

昨年6月に我がコネリアーノの町の古文書館を見学できる
チャンスがあり、
その時に11世紀ごろからの羊皮紙の古文書とか、
ヴェネツィア共和国からの通達なども身近に見れましたが、
司書の方がフィリグラーナの話をして、ファブリアーノで発明された事や、
紙を見ると、どこで作られたものか分る事なども教えてくれたのですね。
その下敷きがありましたので、ウンブリアの戻りに
ファブリアーノのこの博物館に寄ったという訳でした。
紙を見ると、どこで作られたものか分る事なども教えてくれたのですね。
その下敷きがありましたので、ウンブリアの戻りに
ファブリアーノのこの博物館に寄ったという訳でした。
中庭の様子。 奥に見える建物部分が、紙製造の実演場。

大変興味深い展示パネルを見つけました。
中国で紙製造が発明されて後、シルクロードを伝わり、
次々とヨーロッパに広まって行った様子が、年代入りで示されています。
中国で紙製造が発明されて後、シルクロードを伝わり、
次々とヨーロッパに広まって行った様子が、年代入りで示されています。

ブログ用に写真を小さくしたら数字が見え難く、大まかな年代を次に。
中国南部での紙の製造発明105年 - 京都610年
シルクロード経由 - バグダッド793年 -
スペイン1150年・ファブリアーノ1264年
そしてヨーロッパ各地に広がりますが、
モスクワには1576年、北欧オスロには、なんと1698年。
シルクロード経由 - バグダッド793年 -
スペイン1150年・ファブリアーノ1264年
そしてヨーロッパ各地に広がりますが、
モスクワには1576年、北欧オスロには、なんと1698年。
博物館で開かれていた、「中世の公証人文書」の展示会。

これは公証人の姿ですが、イタリアにおける公証人は、
単に公文書の作成、認証に留まらず、その適性も保証できる法律家、
だったと言います。
この黒ずくめの衣装の重々しさ、そしてその権威にもかかわらず
彼らも人の子、文書にいろいろ悪戯書きをしているのです!
それを後ほどお目にかけますね。
彼らも人の子、文書にいろいろ悪戯書きをしているのです!
それを後ほどお目にかけますね。
18世紀のガチョウの羽根ペン。
これは偶然に文書の間に挟まっていたのが見つかったものだそうで、
羽根ペンは11世紀頃から使用されていたとの事。
これは偶然に文書の間に挟まっていたのが見つかったものだそうで、
羽根ペンは11世紀頃から使用されていたとの事。

こちらもやはり書類の間から見つかったという16世紀の老眼鏡で、
縁は黒い角を利用。 鼻に乗せ、挟む格好での使用ですね。
使っていた公証人の名前も判明していて、
ペルージャの、ジョヴァンニ・ディ・クリストフォロ殿。

羊皮紙。 これも時代が古いほど幅が狭いのですね。
文書類はこうして巻かれていたようです。
文書類はこうして巻かれていたようです。

一口に羊皮紙と言っても、こうして見るとかなり肌合いが違いますね。
羊だけでは無かったのかもしれません。
995年9月の日付、ペルージャのジョヴアンニという人物が、自分の財産を、
サンタ・マリア・ヴァルディポンテの修道院に寄贈する、という文書と。
凄いですねぇ、1000年前です!
サンタ・マリア・ヴァルディポンテの修道院に寄贈する、という文書と。
凄いですねぇ、1000年前です!

やはりペルージャの、サンタ・マリア・ディ・ミゼリコルディア病院の、
1399年の歳入出簿の表紙に描かれたペン画。
小麦の徴収に対し、支払いする場面との事。
袋を担いで階段を上る農夫の足は裸足ですが、大変達者なデッサン。
1399年の歳入出簿の表紙に描かれたペン画。
小麦の徴収に対し、支払いする場面との事。
袋を担いで階段を上る農夫の足は裸足ですが、大変達者なデッサン。

同年の同じ病院の、捨て子養育院の乳母への支払いの帳簿もあり、
こちらには赤ちゃんを抱いた女性のペン画が。
こちらには赤ちゃんを抱いた女性のペン画が。
当時の病院は、教会、修道院の慈善活動でしたので、経営管理は
神父という事になりますが、スケッチをしたりで息抜きをしたのでしょうか。
神父という事になりますが、スケッチをしたりで息抜きをしたのでしょうか。
これは16世紀の物の様ですが、この様に余白に結構落書きがされており、
中には、ええと、天橋立の逆さ覗きスタイルの、ははは、
女性のオール・ヌードもあり、笑いましたぁ!
中には、ええと、天橋立の逆さ覗きスタイルの、ははは、
女性のオール・ヌードもあり、笑いましたぁ!

この年代が紛れましたが、このガッチリとした書体が、通常見る
公証人の筆記文体で、やはり書き方練習をしたそう。
殆どがラテン語で、中にはイタリア語と両方でもあるようですが、
かなり年代が下っての事と思われます。
殆どがラテン語で、中にはイタリア語と両方でもあるようですが、
かなり年代が下っての事と思われます。

さて町の見物に戻りまして、最初にご覧頂いたコムーネ広場から
司教館との間の道を西に上って来ると、このドゥオーモ前の広場に。
写真を撮っている背中側には、市絵画館。
司教館との間の道を西に上って来ると、このドゥオーモ前の広場に。
写真を撮っている背中側には、市絵画館。

特別に見たい物があって行った訳ではなく、時間が余り、でしたが、
思いがけない掘り出し物を拝見できまして・・。
11世紀建設を17世紀に拡張改築した様で、その為かっての内陣の
フレスコ画が、現在の内陣の奥に、狭く細く残っているのですが、
そのフレスコ画も修復されていて、横から入り込んで見学出来ました。
フレスコ画が、現在の内陣の奥に、狭く細く残っているのですが、
そのフレスコ画も修復されていて、横から入り込んで見学出来ました。

私の大好きな14世紀の素朴なものですが、これはキリスト生誕場面。
右上のヨハネが頬に手を当て、如何にも当惑顔で・・!
まぁさか、誰の子?と思っているのではないと思いますがぁ。
こちらはまた内陣反対側の細い狭い部分。
聖ロレンツォの生涯のお話ですが、聖人に対する拷問場面のオンパレード、
釜ゆで、むち打ち、火ごてあて、ecc,ecc。

右端に、上の小部屋に上がる細いはしご階段が見えまが、
壁画の色も大変鮮やかに残り、この狭い隠れ部屋のような礼拝堂が、
大変印象的で面白かったです。
ファブリアーノの町の地図をどうぞ。
1.コムーネ広場 6.紙の博物館
4.ドゥオーモ 5.市絵画館

鉄道駅は、一番右端に見える道を行った所で、少し離れていたと。
ファブリアーノには、国鉄のローマ~アンコーナ間のテルニ、フォリーニョ
と辿り、エウロスターで約2時間半で行けるようです。
ウンブリアにお出かけの際、一足伸ばしてどうぞ。
ウンブリアにお出かけの際、一足伸ばしてどうぞ。
*****
ブログご訪問、有難うございます!
見たよ! の応援クリックも宜しくお願い致しま~す!
見たよ! の応援クリックも宜しくお願い致しま~す!
*****
コメントの書き込みについてのお願い。
ブログの記事下に、「コメントを書く」が出ていない時は、
上か右の、記事タイトルをクリックして頂けると
記事の一番下に「コメントを書く」が出ますので、よろしくお願いいたします。
上か右の、記事タイトルをクリックして頂けると
記事の一番下に「コメントを書く」が出ますので、よろしくお願いいたします。
非公開コメントをご希望の場合は、非公開で、と書いて頂くと、
コメント承認制ですので、保留にし、お返事だけ公開しますので、
それもご了承下さいませ。
コメント承認制ですので、保留にし、お返事だけ公開しますので、
それもご了承下さいませ。
この記事へのコメント