今日は、ヴェネトの奥に位置しながらも文化の香り豊かに、
文化人、著名人たちを惹きつけて来た典雅な町、
アーゾロのご紹介3回目です。 ごゆっくりどうぞ!
文化人、著名人たちを惹きつけて来た典雅な町、
アーゾロのご紹介3回目です。 ごゆっくりどうぞ!
古い優雅な建物が多いので、窓もまた優雅。

中心のガリバルディ広場の北の通りヴィア・ダンテの建物の窓で、
建物はかってフレスコ画で一面に飾られていた事が偲べます。
建物はかってフレスコ画で一面に飾られていた事が偲べます。
上と同じヴィア・ダンテの窓で、向かい側の建物が写っています。
ヴェネツィアの香りのする、そしてオリエントも香る、大変典雅な窓。

ヴィア・カノーヴァ通りの家、多分由緒ある家と思います。
町の地図には、誰それの家という説明があるので、
歴史に詳しいと、もっと楽しめる筈ですね。
町の地図には、誰それの家という説明があるので、
歴史に詳しいと、もっと楽しめる筈ですね。

かなり変わった趣味というか、エキセントリックなイメージ?
この窓は、アーゾロの写真には必ず、というくらい登場する窓!
これを写した時は、窓辺がお花でいっぱいでした。
これを写した時は、窓辺がお花でいっぱいでした。

上の建物下側の様子。 上の窓だけとかなりイメージが違うでしょ。
入口はかなり古めかしく、左の小さい窓は陰気なほどに・・。
入口はかなり古めかしく、左の小さい窓は陰気なほどに・・。

そしてこれがまた別の季節の、バルコニーのみの写真。
花がないと、またイメージが違いますね。
花がないと、またイメージが違いますね。

窓枠の下の緑の小さいクッションに、気が付かれました?
私は最初猫ちゃん用かと思って、夫の嫁御に尋ねましたら、
「肘をついて外を眺めるため」と、あっけなく判明。 ははぁ~ん。
サンタ・カテリーナ通りのこの家に、大きな厳しいこの家に、
ナポレオンが一夜を過ごしました。
ナポレオンが一夜を過ごしました。

壁にある碑には、
この家に ナポレオーネ・ブオナパルテ 一夜を休む
1797・3・10

彼によって、千年続いたヴェネツィア共和国が倒される、
2ヶ月前の日付です。
サンタ・カテリーナ通りをゆるゆる行くと、大きなお屋敷の
丁寧に手入れされた庭が、あちこち望めます。
南を向く家のお庭はこのように広々と、視界が広がります。
丁寧に手入れされた庭が、あちこち望めます。
南を向く家のお庭はこのように広々と、視界が広がります。

上と同じお屋敷のお庭で、彫像があり、いかにも優雅。

これは道を西から眺めていて、奥に見える白い大きなお屋敷にも
中庭があり、お花が素晴らしく咲き乱れていましたっけ。
鄙びた、いい感じの道でしょ。
中庭があり、お花が素晴らしく咲き乱れていましたっけ。
鄙びた、いい感じの道でしょ。

上と同じ場所から、逆に西向きにこの家が見えます。
そんなに大きくない、やや小さめの家。

これがカーザ・ロンゴバルド・ロンゴバルドの家と呼ばれる前面。
家の大きさに比してのこの重々しさ、迫力!
家の大きさに比してのこの重々しさ、迫力!

建築家もさることながら、私はつい石を彫る職人に思いを馳せます。
「創世記」のシーンと言うのですが、この仕事を大いに楽しんだかな?
道が上と下に二股に分かれ、この家は下の道に沿ってあり、
余り引くと下が見えず、はっきり入れようとすると屋根が切れ、・・言い訳!
2階部分。 この中央の女性像、凄いですねぇ! 16世紀!
バルコニーの部分にも、いろいろ凄い顔が並んでいます。
バルコニーの部分にも、いろいろ凄い顔が並んでいます。

1階部分は残念な事に、片方の窓の彫刻が割れています。
オリエントのターバンを巻いた像の様で、窓の鉄格子も大変凝った物。

この上の道をもう少し行った先に、女優エレオノーラ・ドゥーゼの眠る、
サンタ・アンナの墓地があります。
サンタ・アンナの墓地があります。
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