この写真で、町の中心街が全て分りますです!はい。

まず右下角に見える道が駅からの道、200mほどで、
ポルティコへの石段に続きますのでどうぞ。
上がると、上の白黒の碁盤の模様が見えるチーマ広場で、
正面がアッカデミア映画館、現在は舞台と講演会場に、
右側のアーチの続いている建物が、市役所の本部。
チーマ広場の下側を、少し弓なりに東西に走る通りが、
9月20日通り、と呼ぶ一番素敵な通りで、
鐘楼の見える下がドゥオーモの位置。
9月20日通り、と呼ぶ一番素敵な通りで、
鐘楼の見える下がドゥオーモの位置。
チーマ広場の左上から西に入って行くと、この町出身の画家
チーマ・ダ・コネリアーノの生家、ちょうどドゥオーモの後陣の
裏側に画家の生家跡があり、
この一帯は古い建物が残り、とても良い雰囲気なのです。
チーマ・ダ・コネリアーノの生家、ちょうどドゥオーモの後陣の
裏側に画家の生家跡があり、
この一帯は古い建物が残り、とても良い雰囲気なのです。
左の中程上に大きな四角い建物が見えますが、
ここは元のフランチェスコ派の修道院あとで、
現在は、国立のワイン醸造業者育成学校の本部に。
ここは元のフランチェスコ派の修道院あとで、
現在は、国立のワイン醸造業者育成学校の本部に。
左下に見える塔の様なのは、9月20日通りの西の門。
左上の端に、細く長く古い市壁の連なっているのが見え、
そして一番上に見える塔がお城で、
そして一番上に見える塔がお城で、
私の住むスコミーゴ村は、塔の辺りからだと、
北に約7キロ位でしょうか。
北に約7キロ位でしょうか。
チーマ・ダ・コネリアーノの絵に描かれた、コネリアーノのお城と
町の一部で、余り変わっていないようですね。
ただ、彼の描くお城の絵は、時々塔の位置が違うとかで、
望郷の念で、描き入れていたのかもですね。
町の一部で、余り変わっていないようですね。
ただ、彼の描くお城の絵は、時々塔の位置が違うとかで、
望郷の念で、描き入れていたのかもですね。

人物は、師匠のジョヴァンニ・ベッリーニの描く顔に似て、
とても優しい顔です。
スコミーゴ村からコネリアーノへの道で、春霞で靄ってますが、
次々と低い丘が入り込み、道はその間を縫うように、
曲がりくねり、上がり下がりしながら続きます。
次々と低い丘が入り込み、道はその間を縫うように、
曲がりくねり、上がり下がりしながら続きます。

途中に見える丘の様子は、少しトスカーナの丘の感じにも似て、
杭が並んで見えるのが葡萄畑。
杭が並んで見えるのが葡萄畑。

ご覧の様に幾つもの丘が重なり、コネリアーノが
アルプスからの山の流れを受ける最後で、ヴェネト平野が広がります。
春先、畑が耕され、新しい土の色が現れます。
この畑は、何の畑? この辺りだとトウモロコシでしょうか。

土の中に大きな石がごろごろしていて、
日本の綺麗にならされた土を覚えている私には、ちょっと驚き。
が、石は水分を含み、土が乾く所では有用なのだとか。
こちらがスコミーゴ村、海抜140m。
隣の海抜150mのオリアーノ村から見た所で、一番手前が葡萄畑。
隣の海抜150mのオリアーノ村から見た所で、一番手前が葡萄畑。

右端近く、階段状に見えるコンドミニオ、
ここの上側から2番目に我が家があります。
さてもう一度コネリアーノの町中に戻って頂き、駅前をまっすぐ来ると、
この「アルピーニの階段」があり、ここを上がると、
まるでタイムトンネルをくぐる様に、中世の町中に到着という訳。
この「アルピーニの階段」があり、ここを上がると、
まるでタイムトンネルをくぐる様に、中世の町中に到着という訳。

ポルティコの真ん中には古い井戸もあり、
ゆっくりと雰囲気を味わい、古きコネリアーノへ。
ポルティコを抜けると、目の前にこのチーマ広場が。

正面のネオクラッシックの建物は、現在は講演会場兼舞台公演の場。
広場に描かれた碁盤の上で、毎年6月には生きた人間による、
「ダーマ・カステッラーナ」の競技が行われます。
同じ広場を北側から見た様子で、「ダーマ」の競技に伴う、
旗振りの演技中。なかなか見物料金もお高く、私はまだ・・。
旗振りの演技中。なかなか見物料金もお高く、私はまだ・・。

向かい側の建物、右から3つ目の建物の下に、
駅との連絡道、潜り抜けるポルティコがあります。
「ダーマ」の催しに参加の、コネリアーノ美人をご紹介。
ダーマは、一種の駒競技ですが、また貴婦人も意味し、
如何、こんな時代衣装を着けると、尚の事美人ですよね。
ダーマは、一種の駒競技ですが、また貴婦人も意味し、
如何、こんな時代衣装を着けると、尚の事美人ですよね。

「ダーマ」と呼ぶには、まだ若いダーマ予備軍。
後姿ですが、なかなか素敵で、さすが、プロのカメラマンですね。
後姿ですが、なかなか素敵で、さすが、プロのカメラマンですね。

生きた人間の駒の「ダーマ」競技の他に、ダンスや、
歴史の一齣の再現シーンも行われる様子。
チーマ広場の前を東西に横切るのがこの9月20日通り・
ヴィア・ヴェンティ・セッテンブレで、 写真は市の広報誌から。
ヴィア・ヴェンティ・セッテンブレで、 写真は市の広報誌から。

ゴシック様式のアーチが続き、その下が柱廊・ポルティコになっていて、
雨の日も濡れずに通れると言うわけ。
丘に沿って広がる町なので、一帯の通りはかなり傾斜してます。
ドゥオモの正面壁全面にフレスコ画が施され、かなりの迫力。

正面の窓の見える2階部分は「サーラ・ダ・バットゥティ」と呼ばれ、
かっては徒歩旅行者や、貧者を収容する場所として使われて
いたそうで、内の壁面も全面フレスコ画で覆われています。
またご案内いたしますね。
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