先回に続いてのウンブリアはナルニの町のご案内ですが、
ちょっと特殊異質な場所へのご案内を。
写真は地下教会のもので、この写真提供は、ナルニのヴォランティアのグループ。
現在この地下教会、異端審問所の管理、さらにはサン・ドメニコ教会の
地下室の新しい発掘にも働いておられるUTECから送って頂いたもので、
内部写真禁止で、もし写真が欲しい方は申し込んで下さったら送ります、というので
大いに期待してお願いしましたら、上の写真を含めたったの3枚!が届き、
それも雰囲気を盛り上げる為の、キャバクラかと思うような照明のもの!!
なのでここでは1枚のみ拝借し、他はサイトから探しました。
結構あり、へへ、それも良く見える、状態が良く分かるものをここで使わせて頂き、
サイト名の入っていないのが、拝借の写真です。
先回ご案内の元のサン・ドメニコ教会、現在講演会場等に使用の教会地下に、
12世紀の地下教会があり、異端審問所があったのですが、
現在はナルニ・ソッテラーネア・Narni Sotterraneaとして公開されており、
町の中心の通りをずんずん行き、元のサン・ドメニコ教会より手前に
こんな表示が出ていて、ちょっとした広場になっているのを曲がります。
1番下の表示は、幼稚園があるという表示ですが、
広場は幼稚園の子供達が遊び、迎えに来た母親達で混雑していて、
そこで以前の訪問で見た覚えのこんな塔を撮っていましたら、
1人のチビ君が、撮って!とポーズし、OKと撮って見せると、即仲間を連れてきて、
ははは、全員でポーズ! 性格や将来の顔立ちも分かる様で面白いでしょう?!
左上角で笑ってみているのはアンジェラで、以前ちょっと書いた、50年前日本からの
養蚕指導に訪れた日本人達と、松本で暫く働いたという彼女です。
広場にある入り口門をくぐり、階段をおり、右手に見える入り口が事務所、
切符売り場。 広場からはかなりの高低差。
事務所内から庭に出れるようになっていて、そこからの眺めがこれ。
つまり元のサン・ドメニコ教会は町の北西の崖っぷちにあり、奥の山腹に見えるのが、
サン・カッシアーノ修道院・Abbazia di San Cassiano.
アップするとこんな様子。 北からの高速をオルテ・Orteで降り、ナルニに向い谷底の
道を来る途中で見上げる高さだった、10世紀建設のベネデッティーノ派の修道院。
サイトで見つけた修道院内部、教会入り口の写真。
14世紀に元のギリシャ十字の形から3廊式の聖堂様式に変更され、16世紀頃から
僧侶達が退去しだし、ついには無人となり、建物の衰退も著しく進み、
1970年代の修復までほって置かれたのだそう。
内部にはあれこれ興味深い柱頭などもある様子ですが、時代が混乱するような
部分もあり、さて現在はどのような管理で、公開されているものかどうか。
遠望する写真で見えた位置から、かってはこちらの庭当りまで、修道院の領地
だったという事ですが、
こちらの庭にはこのアカンサス・Acanthusがたくさん咲いていて、
shinkaiはこの花びらの形が柱頭の飾りの形をなったと思っていたのですが、
この葉の形、アザミの葉を大きくしたような葉の形が、装飾文様に使われたのだそうで、
コリント式のと、ヴェネツィアのパラッツォ・ドゥカーレの柱頭飾り。
さて、庭から入った場所でガイドさんからの一応の説明を受けますが、
入り口の様子を一連でご覧頂きますと、
最後の軒下に見える左側の扉口、これが発見された地下教会の入り口で、
上の屋根はかって発見された時はなく、手前の前庭というか、この一帯は当時
住み着いていた老人の家庭菜園だったのだそう。
つまりです、1979年5月の事、青年ともいえない少年の年頃の6人が洞窟探検と称し、
新しく手に入れたロープの装備を使い、上の高い壁を伝ってこの庭に下りたのだそう。
第2次大戦の際、この一帯は爆撃を受け城壁が崩れていたのだそうで、
きっと少年達には格好の遊び場と思われたのでしょうね。
所が下に住み着きちゃっかりと家庭菜園を作っていたエルナーニ・Ernaniの上に
舞い下り、畑を荒らした少年達に老人は怒りますが、洞窟探検、宝物探しと聞き、
エルナーニは、この壁の奥に宝があるに違いないと思っていると!
上の写真で見て頂いた地下教会の入り口には、今でこそ張り出しの屋根も付き、
鉄柵も装備されておりますが、当時は石の壁で塞がれ、上部がほんの少し
開いていたのだそうで、エルナーニ自身は何かあるのではと思いつつ、
自分は潜りこむ気もなく、少年達に教えたわけですね。
これが当時の少年達6人で、現在もボランティアたちのグループUTECの創立者でもある
ロベルト・ニーニ・Roberto Niniが20歳だったそう。
このロベルト・ニーニは、後程リンクするあれこれのYoutubeに登場し、
地下教会や異端審問所に付いての説明をしておられる方で、彼はこの後大学に進み、
考古学を修めらたのだそう。
ちょうど当時の冒険で出会ったこの地下教会を初めとする歴史の謎が、
彼の一生を決めたという事ですね。
潜り込んだ少年達が見つけたものはこの地下教会!
上からたっぷりと毎日与えられていた家庭菜園の水が浸み込み、滴り、発見当時は
上から薄く石灰の幕をかけたようになっており、それでもフレスコ画に描かれた
左右の天使の目が射る様に見えたと。
左の下に槍を持っている天使は大天使ミケーレで、発見されて後この教会は改めて
聖別を受け、サンタ・マリーア・デッラ・ルーペ・Santa Maria della Rupeと
呼ばれますが、元の名はサン・ミケーレ・アルカンジェロ・San Michele Arcangelo
というのが分かったそう。
少年達は周囲の壁を叩き音響の変化を探り、ある部分の壁奥が空白であるのを知り、
崩したく焦りますが、隣に住んでいる住人シニョーラが、自分の家にも被害が
及ぶのを恐れ許しません。
で、町中が見物に出かける「輪の競走」の夜を狙い決行、
とその奥に、長い細い通路が口を開け!!
その通路の先にはやはり広い地下室があり、それがかっての異端審問所で
あった事が分かったのですね。
異端審問所、そう、キリスト教の教義に反する者であるかどうかを審議する所、
その為には拷問もし、まずは死を逃れられない審問所。
恐ろしいのは、その人自身のみでなく、証人させようと狙われた人間も拷問を受けた事!
ここがその場所であった事は、ヴァティカンの記録にあった地図で分かったと言いますが、
ガイドさんの話では、今ここに見える拷問台2つ、
右が引き伸ばし器、左が上に見える三角の角の上に上から落とす、ぎゃっ、は、
ここに残っていたものではない、との事でしたが。
この異端審問兼拷問所の横にあるそう広くも無い独房がこれ。
壁一面に刻み込まれた様々な暗号のような図と文字!
これの殆どを掘り込んだ人物名は、Giuseppe Andrea Lombardini・ジュゼッペ・
アンドレーア・ロンバルディーニ、と彼自身が刻んでおり、
彼はスポレートのサンタ・セーデ・Santa Sede、この言葉をどう訳したら良いのか、
意訳し、カトリック教会での最高権威を持つ事務所とでも?に勤める伍長で、
逮捕された友人を救うために働き、逆に逮捕された様子。
一番上に見えるのは、真ん中に IHS ・救世主キリストの意 を図案化した物で、
その左右に IL PARA TISO SANTO・Il Paradiso Santo・聖なる天国
に見えるように、わざとDの字が省かれ、Tで置き換えられています。
Rが我々にはVかとも見えますが・・。
これは上記した彼の名前の中のDを使うべき箇所もTの字になっており、
自分をこの様な異端審問所、独房に落とし込んだドメニコ会派の頭文字である
Dを意識し、憎み、省いたものだろうと。
引っかき削り込み、墨で、また赤く見える字は砕石+おしっこ、なのだそう。
中にはシンボルらしき印が何か分からなかったのが、ここを訪れた観光客の一人が、
あれはフリー・メイスンの印であると教えてくれたりもあり、とにかく全部の壁一面に
広がっていますが、未だに書かれた意味が判読できないものもあるそうで。
4,12,1759の数字も見えますが、もう1つの数字から想像するに、彼がこの独房で
過ごし、取調べを受けたのは約3ヶ月間だったろうと言い、その後特赦を願い
3年後に許しが出て、その後の彼がどこに行ったか、どこで亡くなったかは分からないと。
彼の名はヴァティカンの記録にも残っているのが10年ほど前に分かったそうで、
独房の文字は殆どが彼の掘り込んだもので、他には2人かな、の名前が見えるそう。
彼の他にもう1人名前が挙がるのが、ドメニコ・チャボッキ・Domenico Ciabocchiで、
1726年の4月重婚罪で逮捕され、この独房に入れられたのが看守を絞殺して逃亡。
逃げた後どうなったかを、ガイドさんが詳しく話してくれ、はは、
逃げたものの2人目だったかの妻が恋しく便りを出し、勿論ちゃんと見張りがついていて、
会う約束を教皇領との境の町にして返事を出し、やって来たのを再逮捕。
この異端審問所と独房に至る戸口は石を積んで隠してあり、1860年に
イタリア国家統一がなった時、ガリバルディ軍が到着し修道院を略奪したので、
ドメニコ会僧たちは放棄して逃亡。
老人達の言い伝えで、町に地下があるとは言われていたものの、誰も見た事が
なかったのを6人の少年達が見つけ出した訳ですね。
つまり新しいイタリア国が出来る直前の19世紀まで!我らが中世の歴史と思い込んで
いたあのおぞましい異端審問所なるものが、纏綿と続いていた事になります!!
という事は、きっとナルニの町だけの事ではなさそうと思われませんか?
ドメニコ会派は異端審問では大いに活躍したという話ですしね。
重婚罪のチャボッキの記録は、町の記録にも名前があったのが見つかったそうですが、
全審問記録が見つかったのは、なんとアイルランドはダブリンの
トリニティー・カレッジの図書館から!
これも聞いていて、携わったヴォランティアの方にとっては鳥肌物の因縁話の
様にも感じられたろうと思うほど興味深い話なので、ここにご披露しますね。
つまりこの記録類は、ナポレオン軍が到着してあれこれかっぱらい、しっかりパリに
持って帰っていたのを、ヴァティカンから特使が行き、どんな記録かを調べた後、
大したもんではないと思うのを古物市で売ったらしいのです。
一駄分と言ったか、一行李と言ったか、ちょろまかしたとか・・。
それを買ったのがダブリンの図書館に収まっていると知ったのも、学生がここの見学に
来て話を聞き、それは自分の大学の図書館にあると。
ヴォランティア達はこの地下を整備し公開し、そうやって幾らか稼いでは保存費用、
新しい発掘に使っているのだそうで、到底ダブリンにまで出かけて調べる余裕もなく、
ヴァティカン図書館でも、コピーを頼むと1枚80エウロなんだそうで!(泥棒め!)
半ば諦めていたのが、ある日大きな荷が届き、中にはいっぱいの裁判記録のコピー!
それが重婚罪でつかまったチャボッキの全記録だったそうで、
漸くに長い年月の調査、約30年間の調査の末に、
この地下の異端審問所の働きも明らかにされた事になります。
長々とお話しましたが、他の地下室を利用しての展示もされており、
その中のひとつ、ちょっと見難いのですが、中央の鉄製の物にご注目を。
南ラツィオ州で見た真っ直ぐ続くアッピア街道に感嘆したものですが、その建設などに
使ったものがこれ。上に十字に渡された棒から、錘に糸のついたのが2本ずつ下がり、
これを支柱の後ろから眺め真っ直ぐの位置を決め、先行する杭打ちに指示したと。
そうなんだ、こんな道具を使って、あの真っ直ぐな美しい道が出来たのですね。
こちらは現在のヴォランティアの皆さん達で、中央がロベルト・ニーニ氏。
地下教会、異端審問所の公開は、ガイド付きで約1時間
6月15日から9月15日まで
月曜~金曜12時と16時 土曜 12時 15時 16時15分 17時30分
日曜と祭日 170時 11時15分 12時半 15時 16時15分 17時半
4月1日から6月14日 9月16日から10月31日
土曜 12時 15時 16時15分 17時30分
日曜と祭日 10時 11時15分 12時半 15時 16時15分 17時半
11月1日から3月31日 土曜 15時
日曜と祭日 11時 12時15分 15時 16時15分
クリスマスは休館
ガイドはイタリア語、英語、フランス語などで、他はオーディオ・ガイド
予約は 333.1041645 または 0744-722292
info@narnisotterranea.it 規定時間以外の日時でも予約は可能との事
追記:
シニョレッリさんが2017年6月に行かれた際、見学人が少ないため事前予約のみ
受け付けている、との事で閉まっており、見学できなかったそうです。
サイトを確かめましたが時間は上記の通り、グループ以外の予約は
必要ないとの事ですが、
ご希望の方は予約をされた方が良いかと思います。
地下を辿って元のサン・ドメニコ教会内もちょっと拝見。 写真なし、うろつきなしで、
こういう柱の壁画などは見られず。
今回は少し重いお話が続きましたので、最後は、毎年5月に行われるナルニの
町を挙げてのお祭り、「輪の競走・コルサ・ディ・アネッリ」の写真を少しご覧に。
中心通りで繰り広げられる「中世の市」、様々な屋台店が並び、楽しそうでしょう?
「輪の競走」の前夜には、町の各地区の楽隊の競演もある様で、
美人さんを。 2015年のオフィシャル・イメージですと。
競技の模様を2枚。 先に吊るされた輪の中を騎乗の選手が槍で突くのですが、
競技場の広い場所と、町中の狭い通りでのと2種類見つかりましたが、
競技は2週末に渡り繰り広げられる様子なので、その違いかも。
勿論、お祭りには美味しい食事も付き物ですが、
ははは、こういう人が作る料理は絶対美味しい筈ね!!
最後に落穂ひろいを。
先回ご覧いただいた紀元前27年のアウグストの橋ですが、
1826-27にフランスの画家カミーユ・コローが描いたものを見つけました。
ルーヴルに収蔵されているようですが、
なんとネーラ川がかなり幅広いではないですかぁ!
私が見た撮った川の2倍は軽くありますねぇ。
今この左岸のすぐ近くを国鉄が走り、家も立っているのですけど、
現在は水量が少なくなったのか、それとも画家のデフォルメかな?
という、ナルニのご案内その2でした。
お楽しみ頂けました様に!
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