・ n.2 ポンツァ島 海からの眺めと ・ 暑中お見舞い

皆様、暑中お見舞い申し上げます!
梅雨明けのそちら、如何お過ごしでしょうか? 蒸し暑い日本の夏を思い出し、
ついでに冷たい素麺、冷奴、鰻、生ビール、枝豆、冷やし中華・・、
ああ、他に何があったっけと忘れかけているのにも気が付き・・!
まぁ、しっかり美味しい日本の夏の味を食べ、・・くやち、
夏バテなどなさいませんように!
       
今日は少しでも暑気払いにと、ラツィオ州のポンツァ島、島の様子は既に見て
頂いたので、今日はボートで回った海からの眺めをご覧下さいね。
蒼い海と断崖絶壁の島でした!

写真は、港から出発し、湾の北側の眺め。 一番左端手前に見える黄色い建物、
ここは今小さなホテルになっている様ですが、

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1928年ファッシスト政権はこの島を政治的対立者達の流刑地とし、何人もこの島に
拘留した様子ですが、ムッソリーニ自身も1943年の7月27日から8月7日までの2週間、
アブルッツォ州の標高2200mにあるグランサッソ・Gransassoのホテルに
移される前にこの島のこの家に。

ですが、9月12日にはドイツ軍のグランサッソからの救出作戦が無傷で成功、
ムッソリーニはドイツの傀儡政権として、ガルダ湖のサロにイタリア社会共和国として
終戦まで政権を、という混乱期の歴史の一駒が続きました。
       


ポンツァ島の地図をどうぞ。 海の周遊コースとしてはあれこれあるようですが、

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我々は細長い島の真ん中右側、赤点を打ったポンツァの港から出発、島の南側を行き、
ちょうど反対側のくびれ部分、キアイア・ディ・ルーナの手前で引き返して戻った様。

島内周遊で上から見たキアイア・ディ・ルーナの絶壁は素晴らしかったですし、
幾らガイドさんの説明をちゃんと聞いていなかったにせよ、へへ、
見て分からない事はなく、ちょっと残念でした。



こちらが島半分、南側の地図で、Grotta・グロッタというのは洞窟で、有名なのが
港を出て南に曲がった辺りに2つ、Grotta di Pilato・海賊の洞窟、
Grotta di Ulisse・ユリシーズの洞窟。

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Faro・ファーロは灯台で、港の先に1つ、南の先っちょに1つ、
Faraglione di Calzone Muto・カルツォーネ・ムートの離れ岩。



湾内の桟橋で、ゴムボートで出かける支度中の人々。

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崖上に見えるパステル・カラーの四角い建物。 なんとなしに玩具箱を積んだ様。

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港を振り返り、

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湾内の北側に見える、モーナコ・僧侶と呼ばれる岩。
僧侶がお花を手にしている様だと、ガイドさんは言いましたが・・。

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湾の南側の先っちょ、上り坂にあった教会も見え、

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上に見える白い灯台、となるとこの辺りが海賊の洞窟なのかな?

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も少し先に進むと、別の趣の洞窟が続き、こちらはユリシーズの洞窟?

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絶壁の下、岩のうねりは海に続き、

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離れ岩の潜り穴。

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岩と岩の間から覗く、遠くの離れ岩。

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絶壁と、

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しがみつく木。

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離れ岩と観光周遊船。

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襲い掛かるかのような白い絶壁。

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絶壁の上に建つ家、窓に遊び心が見え・・。

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たゆたうヨット。

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白い岩に、掘り込みの後。 住むつもり?!

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青い空、青い海に白い岩が映え、

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かと思うと、こんなゴロゴロした岩山、

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そして、蒼い蒼い透明の海。

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岩礁にいるカモメ君。
すぐ傍を我々の船が通っても、我関せずの顔。

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白い絶壁の眺め。

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もこもとと背の低い植物がしがみつき、黄色い花も見え、

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白い岩に口をあけたかのような赤い岩の層。

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ダイヴィングに人気のある島なのが良く分かりますね。

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カモメ君が横を飛んで行き、

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島のこの部分にだけ見えたヤギの群れ。
かなり前に誰かがヤギを連れて来たものの、今は野生の群れに。

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ダイヴィング・スクールの船。

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ゴツゴツの岩山が迫り、

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上に見える灯台は、

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ほら、島の南端に突き出している灯台!

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煌く水平線。

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引き返して見る、先程の灯台のある岩の岬。 
こんな凄い岩山の先っちょに灯台を造っているんだ!

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海に迫るこの大岩!

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港近くまで引き返してきて見る、離れ岩。

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最初の灯台が見え、この先を回るともう港に。

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ほら、岩の穴から港の町が見える!

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湾の中に入り、

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船が上げる飛沫にかかる小さな虹。

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蒼く蒼く透き通る海、野性味溢れる自然が厳しくも美しい姿を見せるポンツァ島。
島の南側の周遊にお付き合い下さり、有難うございましたぁ!

n.1 カプリ島 一周にご招待!
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/465140971.html

n.2 カプリ島 一周にご招待!
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/465141146.html



最後はサイトで見つけた、夕暮れの色を。

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・ n.2 ナルニ ・ 修道院、地下教会、異端審問所、輪の競馬 

先回に続いてのウンブリアはナルニの町のご案内ですが、
ちょっと特殊異質な場所へのご案内を。
       
写真は地下教会のもので、この写真提供は、ナルニのヴォランティアのグループ。
現在この地下教会、異端審問所の管理、さらにはサン・ドメニコ教会の
地下室の新しい発掘にも働いておられるUTECから送って頂いたもので、

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内部写真禁止で、もし写真が欲しい方は申し込んで下さったら送ります、というので
大いに期待してお願いしましたら、上の写真を含めたったの3枚!が届き、
それも雰囲気を盛り上げる為の、キャバクラかと思うような照明のもの!!
       
なのでここでは1枚のみ拝借し、他はサイトから探しました。
結構あり、へへ、それも良く見える、状態が良く分かるものをここで使わせて頂き、
サイト名の入っていないのが、拝借の写真です。
       

先回ご案内の元のサン・ドメニコ教会、現在講演会場等に使用の教会地下に、
12世紀の地下教会があり、異端審問所があったのですが、
現在はナルニ・ソッテラーネア・Narni Sotterraneaとして公開されており、

町の中心の通りをずんずん行き、元のサン・ドメニコ教会より手前に
こんな表示が出ていて、ちょっとした広場になっているのを曲がります。

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1番下の表示は、幼稚園があるという表示ですが、



広場は幼稚園の子供達が遊び、迎えに来た母親達で混雑していて、
そこで以前の訪問で見た覚えのこんな塔を撮っていましたら、

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1人のチビ君が、撮って!とポーズし、OKと撮って見せると、即仲間を連れてきて、
ははは、全員でポーズ! 性格や将来の顔立ちも分かる様で面白いでしょう?!
    
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左上角で笑ってみているのはアンジェラで、以前ちょっと書いた、50年前日本からの
養蚕指導に訪れた日本人達と、松本で暫く働いたという彼女です。



広場にある入り口門をくぐり、階段をおり、右手に見える入り口が事務所、
切符売り場。 広場からはかなりの高低差。

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事務所内から庭に出れるようになっていて、そこからの眺めがこれ。

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つまり元のサン・ドメニコ教会は町の北西の崖っぷちにあり、奥の山腹に見えるのが、
サン・カッシアーノ修道院・Abbazia di San Cassiano.
       


アップするとこんな様子。 北からの高速をオルテ・Orteで降り、ナルニに向い谷底の
道を来る途中で見上げる高さだった、10世紀建設のベネデッティーノ派の修道院。

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サイトで見つけた修道院内部、教会入り口の写真。

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14世紀に元のギリシャ十字の形から3廊式の聖堂様式に変更され、16世紀頃から
僧侶達が退去しだし、ついには無人となり、建物の衰退も著しく進み、
1970年代の修復までほって置かれたのだそう。
       
内部にはあれこれ興味深い柱頭などもある様子ですが、時代が混乱するような
部分もあり、さて現在はどのような管理で、公開されているものかどうか。



遠望する写真で見えた位置から、かってはこちらの庭当りまで、修道院の領地
だったという事ですが、

こちらの庭にはこのアカンサス・Acanthusがたくさん咲いていて、
       
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shinkaiはこの花びらの形が柱頭の飾りの形をなったと思っていたのですが、



この葉の形、アザミの葉を大きくしたような葉の形が、装飾文様に使われたのだそうで、

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コリント式のと、ヴェネツィアのパラッツォ・ドゥカーレの柱頭飾り。

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さて、庭から入った場所でガイドさんからの一応の説明を受けますが、
入り口の様子を一連でご覧頂きますと、

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最後の軒下に見える左側の扉口、これが発見された地下教会の入り口で、
上の屋根はかって発見された時はなく、手前の前庭というか、この一帯は当時
住み着いていた老人の家庭菜園だったのだそう。



つまりです、1979年5月の事、青年ともいえない少年の年頃の6人が洞窟探検と称し、
新しく手に入れたロープの装備を使い、上の高い壁を伝ってこの庭に下りたのだそう。
     
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第2次大戦の際、この一帯は爆撃を受け城壁が崩れていたのだそうで、
きっと少年達には格好の遊び場と思われたのでしょうね。

所が下に住み着きちゃっかりと家庭菜園を作っていたエルナーニ・Ernaniの上に
舞い下り、畑を荒らした少年達に老人は怒りますが、洞窟探検、宝物探しと聞き、
エルナーニは、この壁の奥に宝があるに違いないと思っていると!

上の写真で見て頂いた地下教会の入り口には、今でこそ張り出しの屋根も付き、
鉄柵も装備されておりますが、当時は石の壁で塞がれ、上部がほんの少し
開いていたのだそうで、エルナーニ自身は何かあるのではと思いつつ、
自分は潜りこむ気もなく、少年達に教えたわけですね。



これが当時の少年達6人で、現在もボランティアたちのグループUTECの創立者でもある
ロベルト・ニーニ・Roberto Niniが20歳だったそう。

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このロベルト・ニーニは、後程リンクするあれこれのYoutubeに登場し、
地下教会や異端審問所に付いての説明をしておられる方で、彼はこの後大学に進み、
考古学を修めらたのだそう。

ちょうど当時の冒険で出会ったこの地下教会を初めとする歴史の謎が、
彼の一生を決めたという事ですね。



潜り込んだ少年達が見つけたものはこの地下教会!

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上からたっぷりと毎日与えられていた家庭菜園の水が浸み込み、滴り、発見当時は
上から薄く石灰の幕をかけたようになっており、それでもフレスコ画に描かれた
左右の天使の目が射る様に見えたと。

左の下に槍を持っている天使は大天使ミケーレで、発見されて後この教会は改めて
聖別を受け、サンタ・マリーア・デッラ・ルーペ・Santa Maria della Rupeと
呼ばれますが、元の名はサン・ミケーレ・アルカンジェロ・San Michele Arcangelo
というのが分かったそう。



少年達は周囲の壁を叩き音響の変化を探り、ある部分の壁奥が空白であるのを知り、
崩したく焦りますが、隣に住んでいる住人シニョーラが、自分の家にも被害が
及ぶのを恐れ許しません。

で、町中が見物に出かける「輪の競走」の夜を狙い決行、
とその奥に、長い細い通路が口を開け!!
       
その通路の先にはやはり広い地下室があり、それがかっての異端審問所で
あった事が分かったのですね。
    
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異端審問所、そう、キリスト教の教義に反する者であるかどうかを審議する所、
その為には拷問もし、まずは死を逃れられない審問所。
恐ろしいのは、その人自身のみでなく、証人させようと狙われた人間も拷問を受けた事!

ここがその場所であった事は、ヴァティカンの記録にあった地図で分かったと言いますが、
ガイドさんの話では、今ここに見える拷問台2つ、
右が引き伸ばし器、左が上に見える三角の角の上に上から落とす、ぎゃっ、は、
ここに残っていたものではない、との事でしたが。

https://www.youtube.com/watch?v=Lw_p9RK6z8U に、拷問の図も出ます。
       


この異端審問兼拷問所の横にあるそう広くも無い独房がこれ。

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壁一面に刻み込まれた様々な暗号のような図と文字!
       
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これの殆どを掘り込んだ人物名は、Giuseppe Andrea Lombardini・ジュゼッペ・
アンドレーア・ロンバルディーニ、と彼自身が刻んでおり、
彼はスポレートのサンタ・セーデ・Santa Sede、この言葉をどう訳したら良いのか、
意訳し、カトリック教会での最高権威を持つ事務所とでも?に勤める伍長で、
逮捕された友人を救うために働き、逆に逮捕された様子。
       
一番上に見えるのは、真ん中に IHS ・救世主キリストの意 を図案化した物で、
その左右に IL PARA   TISO SANTO・Il Paradiso Santo・聖なる天国
に見えるように、わざとDの字が省かれ、Tで置き換えられています。
Rが我々にはVかとも見えますが・・。

これは上記した彼の名前の中のDを使うべき箇所もTの字になっており、
自分をこの様な異端審問所、独房に落とし込んだドメニコ会派の頭文字である
Dを意識し、憎み、省いたものだろうと。

引っかき削り込み、墨で、また赤く見える字は砕石+おしっこ、なのだそう。
中にはシンボルらしき印が何か分からなかったのが、ここを訪れた観光客の一人が、
あれはフリー・メイスンの印であると教えてくれたりもあり、とにかく全部の壁一面に
広がっていますが、未だに書かれた意味が判読できないものもあるそうで。

4,12,1759の数字も見えますが、もう1つの数字から想像するに、彼がこの独房で
過ごし、取調べを受けたのは約3ヶ月間だったろうと言い、その後特赦を願い
3年後に許しが出て、その後の彼がどこに行ったか、どこで亡くなったかは分からないと。

彼の名はヴァティカンの記録にも残っているのが10年ほど前に分かったそうで、
独房の文字は殆どが彼の掘り込んだもので、他には2人かな、の名前が見えるそう。
       
彼の他にもう1人名前が挙がるのが、ドメニコ・チャボッキ・Domenico Ciabocchiで、
1726年の4月重婚罪で逮捕され、この独房に入れられたのが看守を絞殺して逃亡。

逃げた後どうなったかを、ガイドさんが詳しく話してくれ、はは、
逃げたものの2人目だったかの妻が恋しく便りを出し、勿論ちゃんと見張りがついていて、
会う約束を教皇領との境の町にして返事を出し、やって来たのを再逮捕。
      
この異端審問所と独房に至る戸口は石を積んで隠してあり、1860年に
イタリア国家統一がなった時、ガリバルディ軍が到着し修道院を略奪したので、
ドメニコ会僧たちは放棄して逃亡。

老人達の言い伝えで、町に地下があるとは言われていたものの、誰も見た事が
なかったのを6人の少年達が見つけ出した訳ですね。

つまり新しいイタリア国が出来る直前の19世紀まで!我らが中世の歴史と思い込んで
いたあのおぞましい異端審問所なるものが、纏綿と続いていた事になります!!

という事は、きっとナルニの町だけの事ではなさそうと思われませんか?
ドメニコ会派は異端審問では大いに活躍したという話ですしね。
       

重婚罪のチャボッキの記録は、町の記録にも名前があったのが見つかったそうですが、
全審問記録が見つかったのは、なんとアイルランドはダブリンの
トリニティー・カレッジの図書館から!

これも聞いていて、携わったヴォランティアの方にとっては鳥肌物の因縁話の
様にも感じられたろうと思うほど興味深い話なので、ここにご披露しますね。

つまりこの記録類は、ナポレオン軍が到着してあれこれかっぱらい、しっかりパリに
持って帰っていたのを、ヴァティカンから特使が行き、どんな記録かを調べた後、
大したもんではないと思うのを古物市で売ったらしいのです。
一駄分と言ったか、一行李と言ったか、ちょろまかしたとか・・。
       
それを買ったのがダブリンの図書館に収まっていると知ったのも、学生がここの見学に
来て話を聞き、それは自分の大学の図書館にあると。

ヴォランティア達はこの地下を整備し公開し、そうやって幾らか稼いでは保存費用、
新しい発掘に使っているのだそうで、到底ダブリンにまで出かけて調べる余裕もなく、
ヴァティカン図書館でも、コピーを頼むと1枚80エウロなんだそうで!(泥棒め!)
半ば諦めていたのが、ある日大きな荷が届き、中にはいっぱいの裁判記録のコピー!

それが重婚罪でつかまったチャボッキの全記録だったそうで、
漸くに長い年月の調査、約30年間の調査の末に、
この地下の異端審問所の働きも明らかにされた事になります。

Youtubeはイタリア語のみで、説明も重複しますが、
https://www.youtube.com/watch?v=ZzxES-0zloo
https://www.youtube.com/watch?v=PKlMvtGJES8
2つ目のには、町のご案内もありで、




長々とお話しましたが、他の地下室を利用しての展示もされており、
その中のひとつ、ちょっと見難いのですが、中央の鉄製の物にご注目を。

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南ラツィオ州で見た真っ直ぐ続くアッピア街道に感嘆したものですが、その建設などに
使ったものがこれ。上に十字に渡された棒から、錘に糸のついたのが2本ずつ下がり、
これを支柱の後ろから眺め真っ直ぐの位置を決め、先行する杭打ちに指示したと。
そうなんだ、こんな道具を使って、あの真っ直ぐな美しい道が出来たのですね。




こちらは現在のヴォランティアの皆さん達で、中央がロベルト・ニーニ氏。

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地下教会、異端審問所の公開は、ガイド付きで約1時間

6月15日から9月15日まで
月曜~金曜12時と16時  土曜 12時 15時 16時15分 17時30分
日曜と祭日 170時 11時15分 12時半 15時 16時15分 17時半
       
4月1日から6月14日  9月16日から10月31日
           土曜 12時 15時 16時15分 17時30分
日曜と祭日 10時 11時15分 12時半 15時 16時15分 17時半
11月1日から3月31日  土曜 15時
日曜と祭日 11時 12時15分 15時 16時15分
クリスマスは休館
ガイドはイタリア語、英語、フランス語などで、他はオーディオ・ガイド
予約は 333.1041645 または 0744-722292
info@narnisotterranea.it 規定時間以外の日時でも予約は可能との事

追記:シニョレッリさんが2017年6月に行かれた際、見学人が少ないため事前予約のみ
   受け付けている、との事で閉まっており、見学できなかったそうです。
   サイトを確かめましたが時間は上記の通り、グループ以外の予約は
   必要ないとの事ですが、
   ご希望の方は予約をされた方が良いかと思います。



地下を辿って元のサン・ドメニコ教会内もちょっと拝見。 写真なし、うろつきなしで、
こういう柱の壁画などは見られず。

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今回は少し重いお話が続きましたので、最後は、毎年5月に行われるナルニの
町を挙げてのお祭り、「輪の競走・コルサ・ディ・アネッリ」の写真を少しご覧に。

中心通りで繰り広げられる「中世の市」、様々な屋台店が並び、楽しそうでしょう?

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「輪の競走」の前夜には、町の各地区の楽隊の競演もある様で、

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これは2015年Youtubeですが、余り手振れが無いので、
https://www.youtube.com/watch?v=TA4R9j_t1e8



美人さんを。 2015年のオフィシャル・イメージですと。

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競技の模様を2枚。 先に吊るされた輪の中を騎乗の選手が槍で突くのですが、

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競技場の広い場所と、町中の狭い通りでのと2種類見つかりましたが、
競技は2週末に渡り繰り広げられる様子なので、その違いかも。



勿論、お祭りには美味しい食事も付き物ですが、 
ははは、こういう人が作る料理は絶対美味しい筈ね!!

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最後に落穂ひろいを。
先回ご覧いただいた紀元前27年のアウグストの橋ですが、
 
1826-27にフランスの画家カミーユ・コローが描いたものを見つけました。
ルーヴルに収蔵されているようですが、

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なんとネーラ川がかなり幅広いではないですかぁ!
私が見た撮った川の2倍は軽くありますねぇ。

今この左岸のすぐ近くを国鉄が走り、家も立っているのですけど、
現在は水量が少なくなったのか、それとも画家のデフォルメかな?

という、ナルニのご案内その2でした。
お楽しみ頂けました様に!
    

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・ n.1 ナルニ ・ ウンブリアの、古代からの戦術的拠点の町

長い間ご案内をせずのまま、眠っていたナルニの写真ですが、この春再訪する
チャンスに恵まれ、漸くに宿題であったウンブリア州はナルニ・Narniをご覧頂きます。

先回の訪問は2008年5月8日、今回は5月18日、奇しくも同じ5月で、
同じお祭りの旗が掲げられ、町中の様子は余り変わっていないのも確認し、
とはいえ観光的に開けてきている様子も見受けられ、
今回はグループでの移動で行けなかった場所の写真も以前のにありで、
先回の青空の写真も混ぜ、ご覧頂こうと思います。

写真は丘の上240mの高さに広がる町の様子で、人口は2万人弱とありますが、
少し離れた北の平地に新市街があるので、それも含めての人口と。
 
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こちらは町の下に広がる駐車場の様子で、中央奥の駐車場の先にケーブルカーの
線路が見えますね。 駐車し、このケーブルカーと次に接続している
エレヴェーターを乗り継ぎ、町の中心に楽に出ることが出来ます。

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ナルニの町はどこにあるか、地図をどうぞ。 行政上ではウンブリア州のテルニ県に
含まれ、ご覧の様にペルージャ・Perugiaに、西のオルテ・Orteを経てローマに。

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ローマ期の執政官街道のローマとアドリア海岸のリミニを結ぶフラミーニア街道・
Via Flaminiaが、ローマからほぼ真っ直ぐ北に進みここナルニを通っていて、
古代からの戦術的地点であったというのがお分かりかと。

ナルニの北に見えるNarni Scalo・ナルニ・スカーロ、ここがナルニの新市街で、
電車の駅もここにあり、旧市街にはシャトル・バスが連絡していると。



町の上に上ってきた所から見下ろす東の眺め。見える川はネーラ川・Fiume Neraで、
マルケ州に源を発し、ウンブリアのネーラ渓谷を下る116kの流れ。

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この後ナルニの西のオルテで、トスカーナから流れ下るテーヴェレ河に合流し、
ローマに至ります。 ここで見える流れは広く、滔々として見えますが、
後ほど狭い狭い流れもご覧に。



ナルニの町の地図をどうぞ。 右側が北になり、細長く下膨れに丘の上に
広がるナルニの町。 建物類の名前が見え難く、赤字で番号を打ちました。
そして今日のご案内は、ほぼこの番号順に。

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1.アルボルノスの要塞・Rocca do Albornoz
□ 小広場に赤点は、お祭りの写真、中世の井戸のある場所
2.ドゥオーモ・Cattedrale San Giovenale
3.市役所・Palazzo Comunale
4.プリオーリ宮・Palazzo Priori
5.サン・ドメニコ教会・Chiesa di San Domenico
 上に見える赤点は、地下教会ならびに異端審問所のあった場所
6.エローリ博物館・Museo Eroli



という事で、まずは番号1のアルボルノスの要塞。 町からは一段とまた高く、
海抜332mに位置し、枢機卿アルボルノスによって1367-1378年に建設されたもの。

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同じアルボルノスの要塞に付いてはスポレート・Spoletoにある要塞が、
それ以前の1363年に建設された規模の大きなものですが、
ナルニのも堅固な造りで、1527年のローマ略奪の際の戻りの駄賃に攻撃した
ドイツの傭兵集団ランツクネヒトにも落ちなかったと。 
ただし麓にある町は略奪破壊されたのだそうで・・!
       
8年前に行った時は要塞内は公開されておらずでしたが、現在は修復済み、
公開されているそう。
4月1日から6月14日まで と 9月16日から10月31日までは、
  土曜 10時半から12時半、 15時半から18時半
  日曜 10時半から18時半
6月15日から9月15日まで
  火曜から土曜まで 10時半から12時半 15時半から19時
  日曜 10時半から19時
11月1日から3月31日まで
  土曜 15時から17時
  日曜 10時半から17時    
連休と8月は特別に公開

n.1 アルボルノス要塞 ・ スポレート
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/471736468.html

n.2 アルボルノス要塞 ・ スポレート
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/471736708.html


要塞近くからの町の眺めですが、木が邪魔。

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地図の小さな広場に赤点を打った場所ですが、ちょうどお祭り、4月最週末から
5月の第一週末に行われる「Corsa all'Anello・輪の競馬」とでもいうか、
この町の有名なお祭りの、細い糸で吊るされた輪の中を、各地区の騎馬の選手が
槍で突き通すというお祭りに因み、

飾り付けられ、一杯やる席も設けられておりました。

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広場の一角に中世の井戸もあり、

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中世の日々を偲んでのちょっとした店の屋台とでも?

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だらだらと細い小路を下り、こんなアーチもくぐって来ると、

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このガリバルディ広場・Piazza Garibaldiに出てきますが、この広場が
町の下から坂道を上ってくると出てくる広場で、古い中央に泉もあり、
奥の角の建物がなかなか良い雰囲気でしょう?

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所がです、今年の写真に写る奥の建物は、こんな色!

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綺麗に修復されたのは
良いですが、あの鄙びた面影はなくなり、しかもパステルカラーでちょっと残念!
       


泉の真ん中の噴水塔?の周りには、如何にもの中世の顔が付いていて、
暑い日で、鳩が2羽水を飲み。

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広場の南側から眺める聖堂サン・ジョヴァナーレの姿がなかなか!

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脇扉前の階段と、扉と、獅子の像。

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階段上から見る町の人々。

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聖堂の右側はこんな感じでアーチが開いていて、

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これが8年前に行った時には、このアーチを潜って行くと町の旧中心部に出るのが
ピンと来ず、焦って探し回った記憶が!
       


上の写真のアーチを潜ってくると、聖堂前のロッジャがこんな様子で、
こちらから聖堂内に入れます。

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内部もこんな感じで、町中はお祭り一色!! サイトではお祭りの前の時代衣装の
行進や、この聖堂内で祝福を受ける様子もありました。

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町の旧中心部を探し回ったと上記しましたが、その時ガリバルディ広場から
西に抜けた場所も見ていて、
       
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町のすぐ西はこんな感じの深い谷で、見える谷底の川はネーラ川、そう、東に見えた
広い流れが、ナルニの町の北から深い谷を細く流れて、今この西側に。
そして西に下りオルテ、そしてローマに。

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こちらは町の北麓を流れるネーラ川を渡るローマ期の橋、ローマから東へ
アドリア海のリミニに抜けるフラミーニア街道が通る、アウグスト帝が紀元前27年に
架けたアウグスト橋。

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推測できる橋の長さは160m、高さは30m. 残念な事に1055年に落下したそうで、
1724年の研究では、この橋の石の強化の為、中心の鉄に鉛ではんだ付けを
していた事も分かったそう。

いやぁ、この橋をガイドブックで見て、どうしても実物が見たく、橋の袂に
出れる筈の道をさんざん調べ、でも見つけられず探し回り、下の道は遂に断念。
後に撮った写真を見ると工事中で閉めていた様子でしたが、
それでも橋は見たく、ははは、

遂に車で町の中を突っ切り、町の北に降りる細い酷い坂道をガタガタと。
そして歩いて現在の橋まで行き、撮ったことを思い出します。
う~ん、8年前はまだまだ元気で、がむしゃらでしたねぇ!



再びご案内に戻りまして、
       
これは聖堂横のアーチを潜って出た広場の、右手の壁にあった写真。
町のお祭りの40周年を記念しての、記録写真の展示会。

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勝った地区に勝者のシンボルであるパリオ・幟旗が出る、町を揚げて
興奮する競技競馬なのでしょう。



ナルニの町の中心ガリバルディ通り・Via Giuseppe Garibardi. 右奥に塔が
半分見えますが、あそこがプリオーリ宮で、その向かい側に市役所・コムーネ。

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写真の左手前にチラッと階段が見えますが、



通りは両側からの建物を支える為のアーチが幾つも続く鐘楼への道・
Via del Campanileで、道を辿ると奥に聖堂の鐘楼が見えて来ます。

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さて元のガリバルディ通りに戻りますが、8年前はちょうどお祭りが終わってすぐに
出かけた様で、町の飾り付けがまだそのままで、

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通りのお店のショウウィンドウもすべてこんな感じに、つまり現代風をあからさまに
見せない工夫がされていて、

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旗のみでなく、お家の窓からも飾り布が垂らされていましたね。

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横に伸びる小路を何気なく覗いて気がついた壁の穴。これは門を閉める閂の穴で、
きっと小路の奥に立派なお屋敷でもあったのでしょうね、

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ここは土地の特産品を食べさせる店の様で、残念、歓迎されても、ははは、
お昼を済ませたばかり!

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鐘のある塔と、その向こう側の大きなアーチの見えるのがプリオーリ宮、
つまりかっての執政官の館で、
      
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入っていませんが、大きなアーチの内はロッジャ・開廊にでフレスコ画が描かれ、
天井部分には輪が下がり、多分ここに罪人のさらし台・ゴーニャ、鳥かご式かも、が
下がっていたのかもと・・!



これは塔との境にある、多分執政官のお達しを告げた壇と。

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道の向かい側にはコムーネの建物があり、入り口扉と、少し見える建物内部。

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扉の上の壁に残る彫像がこれで、右の獅子像の、なんとも言えない稚拙な表情が、
子犬みたいでもあり、ははは、可愛いでしょう?!

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その右にある彫像群がこちらで、1枚目はこの春ですが、細部のは8年前の物。

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獅子の目をむいた顔も人間的で笑えますが、その下の女2人が両側にいる像にご注目。
左の女性が剣を持ち、寝台上の人間の切り取った首を手に下げ!

ユーディットのお話でしょうか? 他のは騎士の騎乗試合の様子のようなのと、
出会いの様でもあり・・。



町の目抜き通りに並ぶ建物は大きくどっしりと古びていて、如何にも古い町の風格、
かっての繁栄を偲ばせます。

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コムーネ宮の先に道が広まった感じの広場があり、ここに聖堂前の広場のと同じ形の
泉があり、その先は道が細く少し下り坂のマッツィーニ通り・Via Giuseppe Mazzini.

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ここに12世紀のサンタ・マリーア・インペンソーレ教会・Santa Maria Impensole、

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入り口の中央扉と、その周囲の飾り彫り、

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内部は素朴な3廊式。

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右側廊のフレスコ画が残っていた部分で、アーチの形から、元は何があったのかと。

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我々は番号5の元サン・ドメニコ教会の地下の教会、そして異端審問所の見学を終え、
そのついでに内側から元のサン・ドメニコ教会、今は教会活動を止め公会堂、
音楽堂となっているのを見学し、ビザンティンの床モザイクなども見学したのでしたが、
なにせ写真禁止で。

この地下教会、そしてかっての異端審問所はちょっと衝撃でしたので、
次回に改めてご案内を致しますね。


で、ここでは以前に撮った修復中のサン・ドメニコ教会の正面と入り口をどうぞ。

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12世紀に、元はローマ期のミネルヴァに捧げられた神殿跡に建てられたもので、
元の名は、初めて聖母に捧げられた名を持つ教会で、サンタ・マリーア・マッジョーレ・
Santa Maria Maggioreと言い、
ドメニコ会派に預けられたので、サン・ドメニコ教会とも呼ばれるのだと。



入り口扉の彫が素晴らしく、中で工事中だったのですが、

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じっくり撮ろうとしている所に、中からシニョーレが出て来て、写真はダメです!と。
いや、中には入らないから、と言ったのですが、ダメってさ。



これは地下教会の見学を終えて出てきた所にいたワン君と飼い主君。
       
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そしてタータがやって来て、ワンの前に行った途端に、こんな感じ! 
タータの傍に行くぅ!

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何だ、お前はぁ! ああいうのが趣味なのかよぉ! ゆったったぁ、きゃはは。



これはどこの塔にあった彫像か覚えておらず・・! ナルニの町のストリート・ヴューは
中心の通りのみで探せませんでしたが、キリスト様と思い。

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町のショウウィンドウにあった写真。 この町の宝の1つとshinkaiは思う、
素晴らしく美しい、ギルランダイオの「聖母被昇天」

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これは町地図6のエローリ博物館にあり、感嘆して本も買って戻っていますので、
いつかご紹介を。     



この博物館にはパドヴァのサンタントーニオ聖堂前にある、ドナテッロの
ガッタメラータ将軍騎馬像の、胸部のコピーがあり、
そうなのか、実物はこんなに大きいのかと感心したり。
       
そうなんですね、ガッタメラータ将軍はナルニ出身のエラーズモ・ナルニが本名で、
博物館にあったのでしょうが、

それを眺めていた時、すぐ外の隣の屋根の上に出てきた猫ちゃん。
ガラスをコツコツとやったら、びっくりして眺めましたっけ!

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ガッタメラータのガッタとは雌猫の事でもあり・・。
という、新旧の写真を取り混ぜての、歴史あるナルニの町のご案内でした。
 
長いお付き合い、有難うございました!
      

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・ イ・ヴィヴァリーニ展 ・ ヴェネツィア絵画の煌き、移り

先週、イ・ヴィヴァリーニ展・I Vivariniに出かけて来たので、
今回は「黄金背景の祭壇画」の煌きをたっぷりご覧頂きますね。

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地元のコネリアーノで2月下旬から開催されていたのを、
も少し暖かくなってからね、と引き伸ばしていたのが、
友人それぞれに予定があり、6月5日終了迄に出かけられず・・。
残念と思っていたのが、会期延長で7月17日まで!との
市の通知が郵便受けに入っており!
それで漸くに友人のジュリアーナと出かけたという次第です。

「イ・ヴィヴァリーニ」とは名前も知らずの!画家でしたが、
ヴェネツィア、そしてヴェネト近辺の町で活躍した15世紀の、
アントーニオ・Antonio 1420頃-1476~1484
バルトロメーオ・Bartolomeo 1432頃-1491以降
アルヴィーゼ・Alvise  1446頃-1503~1505 の3名。

アントーニオとバルトロメーオは兄弟で、
アルヴィーゼはアントーニオの息子という関係で、
これにアントーニオの姉(妹)と結婚していた、つまり義理の兄弟である
ジョヴァンニ・ダレマーニャ・Giovanni d'Alemagna(1411頃-1450)も、
初期には一緒に仕事をしていた、という一家。

上記したように、ヴェネツィアはもとよりヴェネトの各地、
とりわけ教会の祭壇画などを多く手がけていた様で、
当時としてはかなり売れっ子だったのではないかと。

今回はそんな彼らの作品を集めた展覧会で、兄弟、親子といえども
かなり作風も違い、時代がちょうどゴシックからルネッサンスに移り行く
15世紀の末とあり、その影響も作風に見受けられる興味深いものでした。

作品はカタログの写真と、サイトから集めた物でご覧くださいね。
カタログからの写真はshinkaiのサイト名を入れましたが、
その他はサイトからのものです。

トップの写真はカタログの表紙になっていた物で、バルトロメーオ作の
祭壇画の一部、大天使ミケーレの顔。
後ほど全体もご覧頂きますが、かなりメリハリの効いた表現。

私はかなり偏った好みを持ち、有名画家にも好き嫌いがあり、
余り美術評論家的褒め言葉ではなくあれこれ書きますが、
かといってその評価を認めていないわけではありません。
ただこのように見た、思った、と言うのを正直に書きますので、
どうぞそれをご了解下さり、読んで頂ける様にお願いいたします。


父親ミケーレはパドヴァ生まれのガラス職人で、兄弟はヴェネツィアの
ムラーノ島の生まれ。 
アントーニオの作品が記録に最初に残るのは1441年とありますが、
    
今回展覧会場の第1作はこちら、クロアチアのパレンツォ(Poreč)
の博物館からの祭壇画と細部。1440年。
諸聖人に囲まれた聖母子と、昇天するキリスト。

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見ての正直な感想は、女性像は美しいけれど、男性像がちょっと
類型的というのか、イマイチしっくりしてないなぁ、と。
まぁ、この辺りがゴシック絵画でもあるのですが。
       


こちらはアントーニオの師匠と言うか、その一派であると見なされる
アンドレア・ダ・ムラーノ・Andrea da Murano(生没年不詳)の、
現在ヴェネツィアのアッカデミア美術館収蔵の物。
ムラーノのサン・ピエトロ・マルティレ教会にあった祭壇画と見られ、    
1475年頃の作品と。

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かなり強い作風で、北方絵画の影響も見られる様な。



そして義理の兄弟でもあったジョヴァンニ・ダレマーニャの作品で、
こちらもヴェネツィアのアッカデミアに収蔵の祭壇画。
彼は元はドイツ人で、装飾的、北方絵画の影響が強いとあります。

4-2-d'Alemagna.jpg



もう1枚、アントーニオが強い影響を受けたと言われる
ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ・Gentile da Fabriano(1370-1427)
の「三博士の礼拝」を。

5-fabriano.jpg



そしてこちらが、展覧会には来ておりませんでしたが、アントーニオの
「三博士の礼拝」現在ベルリンにあるそう。

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煌びやかな表情が良く似ておりますが、こうして並べて見ると、
やはり力の違いが歴然と。



アントーニオとジョヴァンニ・ダレマーニャ合作の「玉座の聖母子」
1443年頃 現在パドヴァのディオチェザーノ博物館蔵。

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サイトからの全体像の写真は濃く写っておりますが、実際は下の
部分像よりももっと明るく美しい物で、とりわけ聖母子共に、
肌の色が涼しく、大変細やかな表現で、衣装の赤と金の部分が素晴らしく、
表情も最初にご覧頂いた聖母と比べると、随分と違いますよね?!



アントーニオの義理の兄弟ジョヴァンニは、アントーニオよりも年上
だったと思いますが、初期の作品は合作が多く、そしてお互いの良さが
上手く融合していたと思われます。

1人で一緒に参加して仕事をしたのに、パドヴァのエレミターニ教会・
Eremitaniのオベターリ礼拝堂・Cappella Ovetariの
フレスコ画があり、1448年と1457年の制作と言いますが、

この礼拝堂の仕事には、彼らよりも年の若いアンドレア・マンテーニャ・
Andrea Mantegna(1431-1506)未だ未成年の年頃だったのが、
働いていた様子。

このオヴェターリ礼拝堂のこちら部分は1944年3月に爆撃を受け、
いくらかの破片が残る位で、これは白黒写真が残っていたのに
着色した物だそう。

9-Ovetari.jpg

蛇足ながら、エレミターニ教会の隣には、
ジョットーがあの素晴らしい壁画を残したスクロヴェーニ礼拝堂があり。

スクロヴェーニ礼拝堂 ・ パドヴァ
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463179334.html



同じオヴェターリ礼拝堂の後半に描かれたマンテーニャのみの、
有名な遠近法を活用した「聖クリストフォロの殉教と遺体の運搬」は
爆撃以前に剥がされ、別の場所に保存され無事残ったという次第。

10-Ovetari.jpg

今回ヴィヴァリーニ兄弟の事を知るのにあれこれ読んでいて、
パドヴァのサンタントーニオ聖堂の前のドナテッロ作の騎馬像、
「ガッタメラータ将軍像」も、
フィレンツェ在のドナテッロが作って送ったと単純に考えていたのが、

そうでなく、ドナテッロがフィレンツェを離れパドヴァに10年程(1443-1453)
住んで仕事をしていた事も含め、
当時のフィレンツェと比べると田舎であったパドヴァに、ルネッサンスの
空気を運んで来たのを知りました。

そんなパドヴァで仕事をし、マンテーニャを始め、その師であり養父であった
スクアルチョーネ・Squarcioneが、いわば絵画で、パドヴァの
ルネッサンスの音頭取りをし、
ここから北イタリアにもルネッサンスが広がっていった、
その時代の空気を吸い大いに刺激を受け、勉強したのであろうと想像し、
こちらもいささか興奮しました!
       
パドヴァのご案内はこちらから
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460835170.html



アントーニオとの合作でよい成果を生み、パドヴァでも一緒に働いた
義兄弟のジョヴァンニ・ダレマーニャが1450年にパドヴァで死亡しており、
年代から考えて仕事中の事故死だったのかも。

彼の死はアントーニオにとって、大変な痛手であったでしょうが、
アントーニオの末の弟、何人兄弟だったのか、12歳ほど年下の
バルトロメーオが成長して来ます。
パドヴァを訪問しマンテーニャを知り、大きな刺激を受けたに違いなく、

これはマンテーニャの描いた「聖セバスティアーノ」ですが、

11-mantegna.jpg



こちらはバルトロメーオの祭壇画 1491年。 現在ベルガモの
アッカデーミア・カッラーラ収蔵で、
右側のサン・セバスティアーノの部分をどうぞ。
       
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大変良く似てはおり、また少し違うとも。



バルトロメーオのもう1つの祭壇画 1488年
こちらもベルガモのアッカデーミア収蔵。
    
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右端の大天使ミケーレの部分を最初に見て頂きましたが、
真ん中の聖母子が美しいでしょう?!



そして左端のサン・ピエトロ。 最初にご覧頂いたアントーニオ作
1440年の祭壇画の聖人像に比べると、ぐんと現実感が溢れる
聖人像になってきていて、半世紀ほどの違いの差が良く分かります。

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バルトロメーオ 玉座の聖母子 1465年
ナポリのカポディモンティ美術館蔵
 
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実際はこの様に派手でなく、と言っても修復による物かもですが、
大変に美しい作品で、とりわけ聖母の衣装がなんとも綺麗!
       
興味深いのは、バルトロメーオのご覧頂いた祭壇画1488年のに
比べると、脇の聖人像の顔がまだ不安定な事! 
いや、こういう見方は邪道なのかもしれませんが、
年数を描いていて良くなる、というのは安心しますです、ははは。
       


今回見た中で一番気に入った作品、本当に美しいと思ったのはこれ、
バルトロメーオの「聖母子」1465-1470

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実際はこんなに背景の赤、金箔を貼る下塗りの赤の見え方が
これほど強く見えず、顔の赤色ももっと薄く、肌の白さと衣装の黒に
近い青、そして赤色とインパクトも強く、美しさに暫し見とれました!

ただ気になったのは、アントーニオもそうでしたが、
子供の手と足の描き方で、前を向く足が異様に短く、
足首のプックリさの描き方が変に凝っている様子で。



サイトから見つけた、バルトロメーオの別の「聖母子」を。
これはワシントンにあるようですが、美しいでしょう?!
       
19-Washington.jpg



そしてボストンにあるという「マグダラのマリーア」

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マンテーニャに大いに影響を受けたというものの、
辿った道は違っていた、と言うのが良く分かる気がしますね。



そしてアントーニオの息子アルヴィーゼの登場で、「聖ヒエロニムス」 
1476-1477 ベルガモのアッカデーミア蔵
人物も背景も、暗い茶色の如何にも古典的で、空の色のぼかしも!

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アルヴィーゼ  左「聖母子」1480年代 ヴェネツィアの
サン・ジョヴァンニ・イン・ブラーゴラ教会 
右「十字架を運ぶキリスト」1475年頃 ヴェネツィア、
サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ聖堂 画布にテンペラ

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当時既に油絵が画布に描かれるようになっていたのが、
彼らは板にテンペラ画で、アルヴィーゼは画布にテンペラも試み、
キリストの顔なども如何にも油絵的手法が試みられ、
劇的効果を求めてか、かなり影が濃くなっている印象を受けます。



かと思うと、またこんな涼やかというか、クールな表現もあり、
「パドヴァのサンタントーニオ」1480-1481

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これは父親のアントーニオと、叔父さんのバルトローメオとの合作の、
1458年の祭壇画ですが、

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上のアルヴィーゼの作品は、この中の男性諸聖人の薄い感じに
良く似たところがあると思ったのでした。



アルヴィーゼ 「聖母子と諸聖人たち」1500年
この表現などは既にルネッサンスの空気で、油絵風というか。

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最後はアルヴィーゼの「キリスト昇天」1497-1498

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これを最後の部屋で見た時、ほぉ~と見とれ、ティツィアーノや
ラファエッロの作品を連想しました。

同じようなのがあったっけ、と探しましたが見つからず、
きっと如何にも晴れやかなルネッサンスの空気を感じて、
後世の画家の作品を思ったのでしょう。


こちらは後になって見つけたティツィアーノ作ですが、多分この印象が
私の頭にあったものと、

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15世紀の僅か60~70年代の絵画表現の変化が、
こんな風に一家の3人に現れているのはとても興味深く、
当時の時代の変化の激しさも想像した事でした。


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・ n.1 ポンツァ島 ・ 青い蒼い海、野性に満ちた風景 

今回のご案内は、南ラツィオはテッラチーナから船で1時間15分で行ける
ポンツァ島・Isola di Ponzaを。

朝8時40分出発の船・往復38エウロに乗る為に港に着いた時は、
煌く海に突き出す突堤での釣りの姿が見え、

1-6755_GF.jpg



目指す船に乗り込みますが、なんとまぁ、どんどんどんどん乗り込んで来て、1階と
地下は超満員! 上のデッキは開けておらずで、座席に座れぬ人たちは船尾に。

2-6752_GF.jpg



ポンツァ島の名前は今回の旅行前に初めて知りましたが、位置は、ここ。

3-Pontine.jpg

ポンツァ島が一番大きく、この周辺の島パルマローラ・Palmarola、ザンノーネ・
Zannone、ガーヴィ・Gavi、ヴェントテーネ・Ventotene、サント・ステーファノ・
Santo Stefanoの一帯がポンツァ島のコムーネに含まれます。



と、ポンツァ島の地図をどうぞ。 南東Ponzaと見える所に港があり、本土北から
言うとアンツィオ、サン・フェリーチェ・チルチェーオ、(我らの)テッラチーナ、
フォルミア、そしてナポリから連絡があります。

4-Ponza.jpg

ご覧の様に入り組んだ海岸線で、海抜は最高280mの山、細長く少し右に曲がって
伸びた、殆どが丘陵地帯の、素晴らしい青色と透明度の高い海に囲まれた島。

入り江の奥まった場所に狭い砂浜があり、背後は切り立った崖、という立地で、
この島はまたダイヴィングの宝庫、なんだそう。 島の西にも東にも何ヶ所も
ダイヴィング・ポイントがあり、30mから、所によっては80mも潜れるのだそう!

我々はポンツァからミニ・バス2台に分かれて乗り、島の真ん中をうねうねと進む
道を行き、左中程に赤線で囲ったルチーア・ローザの離れ岩・i Faraglione
di Lucia Rosa、レ・フォルナ・Le Fornaの大きな集落と入り江、
赤点を打った辺りと思う、亀の岩、

そして北端に近い道の分かれに赤点を打った場所、ここでお昼を食べましたが、
少し歩いてもう1つ海辺の赤点、カーレ・フォンテ・Cale Fonteを見て、戻りに。

最後にポンツァの港の裏側キアイア・ディ・ルーナ・Chiaia di lunaを見て
港に戻り、その後船で島の南側を周遊という様子でした。

が、今回のご案内はバスで回った場所のみで、
船での周遊はまた次回チャンスを見て、という事に致しますね。



船の中は超満員で、1時間15分曇っている窓からぼんやり見える海の水平線と、
島が近づいて来ると見えるのは切り立った岩礁のみ!

漸くに船からおりてやれやれ! ごった返す船着場周辺から見えるのは、
こんな建物類、白とパステル・カラーの四角い、屋根の無い建物類で、
南イタリアに多い、雨の少ない地方の特徴なのですね。

5-6757_GF.jpg

この島からは近いカプリ島に似ている、全体に少しこちらの方が庶民的な印象だと
思ったですが、やはり最後まで見ての感想も同じで、若者達に好かれる島だろうと。

n.1 カプリ島の散歩道、 見晴らし台に
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/465141298.html

n.2 カプリ島の散歩道、 見晴らし台に
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/465141440.html

カプリ島の海と空と ・ 朝と夕暮れ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/465140785.html



港から一段高い通りに上り、ガイドさんから集合時間を知らされ、放し飼いに。

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見下ろす、港と我らの乗ってきた船。

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一段高い通り、と言った意味がお分かりでしょう?
漁船が舫っている下の通りと、その上の町の通り。

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こちらの端から港を見晴らし・・。

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少し上に上ると教会があり、

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脇の通りを見下ろし、エンツォ君のバイクとお揃いの色のヘルメット。

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教会脇を少し上って見つけた、素晴らしいピンク色! はは。
      
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港の北側の建物群。 島の人口は3360人で、殆どが観光業、そして漁業と。
       
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見下ろす海の色!

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島周遊ツァーも勿論ですが、貸しボートも多い様。

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下の道におりて歩いてみると、店は少なく、倉庫や事務所で、
時化の日は、ぴっちりと締め切るのでしょうね。
こちらは漁船。

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思わず笑った、これは何かのおまじない?!
吊るされた犬のプルートの縫いぐるみと、カモシカの頭骨?

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港の底の浅い部分を覗くと、鎖の近くに小魚がいっぱい!

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揺れる波紋と色。

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集合場所に近い港の北側にあった、レンタ・カーとバイクの店。
いかにもヴァカンス中!!という気分を表す様な、派手な可愛い色と形、ははは。

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テントに書かれている名前に気がつき、笑いました。
Giulio il Pescatore・ジューリオ・イル・ペスカトーレ!
店主の名はジューリオ、イルが付いていて、ペスカトーレはニックネームで漁師の意。

つまりジューリオという名はたくさんあるので、良く分かるようにちゃんと
ニックネームまで書いてあり、こんなの、観光客に関係ないすよね、ははは。
それに「漁師」とわざわざ名乗るなら、ピエトロならもっと迫力があるのにね、
ははは。 漁師ピエトロ=ヴァティカンのサン・ピエトロですもん!



5月下旬、浅瀬では既に男達がボール遊びをしていて、
     
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浜でには日光浴のカップルと、遊ぶ子どもと。

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ポンツァ島は元々は火山島だったようなのですが、新石器時代からの住人達が
いたとされ、フェニキア人たちは交易の中継地点としていたとか。そしてギリシャ人。 
ポンツァという名もギリシャ語のPontia、つまり「海」なんですと。

紀元前4世紀にローマ人がやってきて、長い間流刑の地とされ、また勿論別荘地
でもあった様子。 そして入れ替わり立ち代り領有者が変わりながら存続してきた
これらの島々が経済的に変わりかけたのは18世紀末の事。

その後もshinkaiなんぞがちょっと読んだ位では飲み込めぬほどの変遷があり、
現在は大勢の観光客、海水浴、ダイヴィング客が押しかける
夏の一大ヴァカンス地なのですね。
       

       
さて、ミニバスに乗って出かけます。 港からすぐのこのトンネルが出来て、
とても交通の便が良くなったと。

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それにしても道が狭く曲りくねっているので、大型バスは通れず、我らもミニ・バスに
分乗ですが、それもレストランに客を運ぶ、と言う口実なのだそう!
多分公共のバスは走っていないのでしょうね。



港から少し離れた位置の岩が見える場所に出て。
この岩は「僧侶・モーナコ」と呼ばれるもので、そうぉ、そう見えます?

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高い位置から見下ろす位置。 ほら、モーナコがまた見えています。

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青い海、ヨット、波紋の広がり。

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坂道を上りきった位置から見える、西隣の島パルマローラ。
この島は夏場だけいくらかの住人があるそうで、多分観光客用の施設がね。

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こちらポンツァもその様ですが、問題は水なんだそう。
つまり飲み水確保が出来ず、昔からそれで住人がなかったと。



地図で島の西側下から2つ目に囲った位置、ルチーア・ローザの離れ岩。
       
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ルチーア・ローザと言う19歳の若い女性の名が伝わるのは、19世紀に起こった悲劇で、
貧しい農民に恋をした彼女ですが、家族に反対され、この岩から身を投げたそう!
それで村人達が彼女を哀れみ偲んで、この岩の名につけたと。



所々に広がる集落、というよりは夏のヴァカンス用の貸し部屋、小ホテルなのかも。
      
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そして島の西側中央上のレ・フォルナのカーラ・フェオーラ・Cala Feola.
奥に突き出して見える岬の内側と、こちらとで2つの入り江となり、
手前側にはかなりのボートが舫い、右半分は天然のプールと。
入り江周辺はかなりの建物が立ち並び、有名人の名も何人か!

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こちらが奥の入り江の方で、ここもかなり有名な海水浴場の様子。

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手前隅の、これが「亀」と呼ばれる岩。 うん、そういえば、そうね、ははは。  

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道脇に家の集落が始まり、ほら、屋根の上に丸い形が見えるでしょう?
アマルフィ海岸に行った時も目に付き、何かなと思ったのでしたが、

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かっては水の問題があり、雨の少ない事から、この丸さで効果的に天水を集め
地下に貯蔵する様子。

ナポリ、アマルフィ海岸全体のご案内はこちらから。
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460834306.html



我らが美味しいお昼をたらふく食べたレストラン。

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近くでバスをおり歩いて岩場に向いますが、かなりの新しい民家もあり、
とにかく植物の大きさに驚くばかり!! カプリ島に行った時も、見上げる程延びた
サボテン類に驚いた物ですが、ここのも凄かったぁ!

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下は、このまま画面いっぱいに描くと、ジョージア・オキーフ風になりそうでしょう?! 



最後のこれは、イタリア語で「姑の椅子」と呼ぶのですけど、
姑が嫁に勧める椅子なのか、姑に座らせたい椅子なのか、ははは。

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カーレ・フォンテの岩場に下りますが、打ち寄せる波と、水の色に魅せられ!!

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ここでは仲間の大勢が記念撮影をしたがって、にわかカメラマンのshinkaiは大もて!



ここがカーレ・フォンテ。 岩で囲まれた小さな溜まりですが、水の透明度を!!

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下った所に人々が集まり、日光浴中で、

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むひひ! ごついスニーカーとリュック、金髪、北国の女性かな?

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お昼ご飯を美味しくお腹いっぱい食べた後、再びミニバスに乗り戻りますが、

山越しに見える煌く海!
       
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空と海に挟まれた道を自転車で行く若者達。 

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ポンツァの町が一望に見張らせる場所まで戻り、
  
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見下ろした入り江の奥に、小さな浜と崖の上にホテル群。

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ほら入り江の奥に洞穴が見え、手前に階段があるので、上のホテルから、
トンネル式でこの浜に出れるのでしょうね。

場所が特定できなかったですが、多分ポンツァの港の入り江のも1つ上の
大きな入り江フロントーネ・Frontoneの一部だと。



ロバ君が2頭いて。 そうね、昔は島の交通はロバ君が主役だったのでしょうね。


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ここは地図で西側の一番下に見えたキアイア・ディ・ルーナ。
港からも近く、この迫力ある美しさで人気があるのだそう。

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突き出す岬の先っちょと、

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絶壁と浜。 今回見た中で一番凄い!と思ったshinkai。

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朝出発した港の浜に戻って来ると、引き潮になっておりましたぁ。

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最後はサイトで見つけた、キアイア・ディ・ルーナの夕陽を。
       
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いやぁ、南国の香りのする、素晴らしい海の島でした。
今頃はきっとヴァカンス・シーズン真っ最中で、さぞ賑わっている事でしょう!


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・ 夏の夜の楽しみは・・、 映画のヴィデオとDVD! 

遂に今年も後半戦の7月に突入! 早いですねぇ!!
雨が多く涼しい日が続いていたこちら北イタリアも、
先日来よりテントを下ろし、雨戸をうっすらと明けたゴキブリ生活に。

となると楽しみは、ひんやりの部屋でのんびり楽しめる映画ですねぇ。
暮に大画面のTVを購入、ついでに録画再生器もつけましたので、
TV放映の映画番組を見ては、せっせと予約録画!
で半年間、ご飯のお供に映画をお昼に夜にと見る生活を続け、ははは、
懐かしい映画との再開、見たくて逃していた映画、新しい映画などなど、
漸くに映画への飢えもなくなりましたぁ。きゃはは、
       
そう言えばこんな映画もあったっけ!!と懐かしく再会し、
また見たいよね、これは良い、と思うのはDVDを買うことにし、
というのも、なにせ録画物はCMの量が半端ではなく、
予約録画だと時に頭が切れたり、結末が尻切れトンボになったりですのでね!
それに殆ど毎日のように、誘惑のプロモーション・メールが、
10%引き!とか3X2(3つ買って払いは2つ分)と届きますので、ついついね。

という訳で、今日は先日買い込んだDVDの中から、
皆さんにも多分懐かしいのではないかと思われる映画と、
こんなのご存知?!というのを、録画で見た中からご紹介です。

前置きが長くなりましたが、まずトップは、
◆ 尼僧物語
  ・1959年
  ・監督 フレッド・ジンネマン
  ・オードリー・ヘプバーン、ピーター・フィンチ

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ベルギーの医者の娘であるガブリエルが、アフリカ・コンゴでの尼僧の
医療活動に携わる夢を持ち、厳しい修行と勉強に耐え尼僧となり、
念願のコンゴでの生活が始まります。

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が結核に感染している事を知り、優秀な助手である彼女を
手放したくない外科医の療法によって回復するものの、
第2次大戦間近のベルギーに戻る事に。

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そして父親がナチスによって殺害された事から、それまでも常に
彼女の内心で戦ってきた「規律に絶対服従」「敵をも愛する」事に
従えなくなり、還俗する、というお話。

実在人物の半生を描いた小説は日本でも訳され、まだ若かった
shinkaiも読みましたし、映画もずっと以前にTVで。
本当に久し振りに見て、懐かしかった!

若い頃に考えていた尼僧さんの生活には、今の年になると、ははは、
憧れる事はなく、こちらで垣間見える様子からあれこれ想像し、
神の仕事をお手伝いする道具の1つなんだなぁ、と、今は思います。



◆ 大列車作戦
  ・1964年
  ・監督 ジョン・フランケンハイマー
  ・バート・ランカスター、ポール・スコフィールド、ジャンヌ・モロー

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第2次大戦終了間際のパリ。 ルーブルの美術作品を持出し、
汽車でベルリンに運び出そうとするナチス。

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それを様々なサボタージュで対抗し、汽車が動かないようにしたり、
爆撃されないよう列車の屋根を白く塗ったり、パルチザンと連絡を取りつつ
時間稼ぎをしながら抵抗する機関車の操車長。

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駅の名を替え、ポイントの接続を替え、遂にこの汽車は
フランスを出る事なく済んだ実話を元にしたお話。
       
ジャンヌ・モロー扮する宿の女主人が、色を添えておりますです。



◆ スパルタカス
  ・1960年
  ・監督 スタンリー・キューブリック
  ・カーク・ダグラス、ローレンス・オリヴィエ、ジーン・シモンズ  

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イタリアでは「ベン・ハー」とか「十戒」などなど、キリスト様が絡む映画は
定期的に時期を見て繰り返しTV放映されますが、はい、
この「スパルタカス」は本当暫く忘れておりましたぁ!

何を隠そう、ははは、shinkaiは中学の時に見ているのです。
同じクラスの男子が2人やはり見に行き興奮し、掃除道具の箒などを構えて、
廊下で戦っていましたっけ、ははは。

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実際に紀元前1世紀に起こった闘士達の反乱を主題に、
ローマの正規軍の大勢の前に大敗して散った奴隷達。

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そうなんですよね、昔は70mm映画というのもありましたっけ!

日本語訳がついているのよりも、画面が幾らかましなのでこれを。
https://www.youtube.com/watch?v=HcIMY1Ah3aw



◆ カラーパープル
  ・1985年
  ・監督 スティーヴン・スピルバーグ
  ・ウーピー・ゴールドバーグ
        
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アメリカ南部の黒人達の困難に満ちた生涯。 とりわけ女性達の人生の
厳しさに胸が切なくなり、彼女達の生きる姿から力を与えられた想いを。

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改めてアリス・ウォーカーの原作を読み返し、
良い作品に出会えた思いを強く感じています。





◆ お暑い夜をあなたに  アヴァンティ!
  ・1972年
  ・監督 ビリー・ワイルダー
  ・ジャック・レモン、ジュリエット・ミルズ

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イタリア語のタイトルは、「僕の父さんと君の母さんの間に何があったの?」
という長いもので!

アメリカの大企業の社長がイタリアのイスキア島で事故死。
駆けつけた息子が追々と事情を知って行くのは、この10年間毎夏
イスキア島に健康の為と称して出かけていた父親が、
なんとロンドンからの女性とのランデブーの為だったと!

交通事故死もその女性と一緒だったと知り、葬式に来たその娘と知り合い、
徐々に惹かれ、ついには父親、母親と同様に、毎夏1ヶ月間を
このイスキア島のホテルで逢う約束に、ははは。

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ジャック・レモンはじめ芸達者たちが繰り広げる人間模様が笑えますが、
一番可笑しいのはホテルのマネージャー!

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お客達の機嫌を損ねぬよう、そして時にはピリッと刺したりしつつ、
様々な要望に応じつつこなしていく姿で、
ニュージーランド出身の、クライヴ・レヴィルという俳優と知りました。
       
追記: 日本でも映画が公開され、DVDが出ているのを知りました。       
    これは本当に愉快な映画ですので、是非ぜひ!!
 
両親のお葬式の可笑しなYoutubeは
https://www.youtube.com/watch?v=6R7GS6Cz_6A



◆ 12人の怒れる男 評決の行方
  ・1997年
  ・監督 ウィリアム・フリードキン
  ・ジャック・レモン、ジョージ・C・スコット、ジェームス・ガンドルフィーニ

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実はTV番組でこの映画のタイトルを見た時、てっきりヘンリーフォンダ主演の
映画かと思ったのですが、リメイク版の新しい方でした。

が、やはり内容は以前と同じ、法廷陪審員達が集まり、評議を重ね、
1つづつ疑問点を持ち話し合い、ついには父親殺しの有罪と見られていた
少年の無実を突き止めるお話。

TV番組にもなったようですし、やはりこの主題の重さは格別で、
緊張感溢れる作品の仕上がりとなっています。



こちらは、1957年のヘンリー・フォンダ主演の作品。
こちらもDVDを購入しました。

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◆ 星の旅人たち
  ・2010年
  ・監督 エミリオ・エステベス
  ・マーティン・シーン
        
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日本語タイトルは、時々とてもメロドラマ調だと思うのですが、はぁ、
オリジナルは「The Way」、 イタリア語は「サンティアーゴへの道」
スペイン北西にある中世からの巡礼の参拝地
「サンティアーゴ・ディ・コンポステーラへの道」ですね。

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長い間疎遠になっていた息子がサンティアーゴへの旅の初日に
嵐にあって亡くなリ、遺体引き取りに出かけた父親は、
そのまま息子の装具を引き継ぎ、道々で出会う巡礼の標識に
息子の遺灰を撒きながら歩み始めます。

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道中で知り合い、道連れとなった若者3人と。

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長い困難な道のりを自分の足で歩く事により、
自分の内にある何かが、様々な問題が徐々に吹っ切れて行くような。

これを見るのは2度目ですが、広大で荒れたスペインの大地の
風景にも憧れ、もう少し若かったら・・、と思うshinkai。
       
サンティアーゴ・ディ・コンポステーラへの巡礼道、街の様子はこちらから
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460834259.html



◆ 飛べ! フェニックス
  ・1965年
  ・監督 ロバート・アルドリッチ
  ・ジェームス・スチュワート、リチャード・アッテンボロー、ハーディー・クリューガー

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サハラ砂漠上空を飛行中に砂嵐に巻き込まれ、砂漠に不時着。
発見される航路からは遠く、飲料水も少なくなり。

そして壊れた機体から、残ったエンジンとボディの使える部分を
流用し、新しい小型飛行機を作るアイディアが出て!

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これは昔見た時は本当に興奮しましたねぇ。
一緒になって新しい単発機を作り、砂漠脱出に関わったみたいで!

予約録画して見始めたのですが、止めました。
こういう映画はCMでずたずたにされないでじっくり見たい、DVDを買おう!と。
はい、こうしてDVDを買い、ゆっくりと楽しめるようになりました。



◆ ジョージア・オキーフ
  ・2009年
  ・監督 ボブ・バラバン
  ・ジェレミー・アイロンズ、ジョアン・アレン

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ジョージア・オキーフ・Georgia O'Keeffe(1887-1986)は
20世紀のアメリカを代表する女性画家で、
大画面いっぱいに広がる花の絵で有名なのですが、

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夫の、写真家で画廊経営者でもあったスティーグリッツを
ジェレミー・アイロンズが演じており、
彼女の本を昔読んだこともあり、様々な関心を持ち見た映画です。

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スティーグリッツが彼女をモデルに、様々な裸体写真を撮った事から
一躍有名になったようですが、一筋に自分の絵に取り組む姿勢が見え、
それも気持ちよく!



後年移り住んだニュー・メキシコ州の赤い土の砂漠から生まれた
牛の頭蓋骨の絵も、改めて見つけ出し、ここに。

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ジョージア・オキーフの作品
http://italiashinkai.seesaa.net/archives/20160703-1.html



最後に、フランス映画の面白かったのを2本。 名前の発音も良く分からず、
日本では公開されていないかもですが、ひょっとして、の期待も込め。

◆ 友人たちとの夕食 Cena tra amici (Le Prénom)
  ・監督 Alexandre de La Patellière
  ・Patrick Bruel、Valérie Benguigui、
   Charles Berling、Guillaume de Tonquedec

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エリザベスとピエール夫妻の家に、エリザベスの弟ヴィンセントと     
妻のアンナ、そしてエリザベスの子供時代からの友人、オーケストラで
トロンボーンを吹いているクロードが夕食に。

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家庭での友人との会食のメニューも興味深いですが、
始まる素晴らしいスピード会話のあれこれ!

様々な問題が浮き出てくるわ、ヴィンセントが持ち出した近々誕生する
男の子の名前をアドルフにする、と喧々諤々!
そしてクロードが愛する女性は・・?!
最後のオチが、見事締めくくってくれます!
     
   

◆ 家の改修  Travaux ・ Lavoro in casa
  ・2006年
  ・監督 Brigitte Roüan
  ・Carole Bouquet  Jean-Pierre Castaldi

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女性弁護士シャンタルは、移民問題にも理解を持ち救済の道を考えつつの、
離婚して2人の子供を抱える魅力的な母親。

そして狭い家の中を何とか広い間取りの素晴らしい家に改造したい。
でも家に入り込んでくる移民の労働者達で、家の中は大混雑!
一体いつになったら、素晴らしい家の改装が出来る?!

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裁判官を彼女の魅力でひき付けるこんな美人さんも、

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仕事から帰る家の中は、こんな感じ!

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まぁ、最後には、素晴らしい家になりますので、ご安心を!!


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