・ n.2 スペルロンガ ・ ティベリウス帝の別荘跡と博物館

先回のスペルロンガの町のご案内に引き続き、今日のご案内は町の東の
浜続きにある第2代ローマ皇帝ティベリウスの別荘跡、洞窟と、
洞窟内から発掘された大彫像などを展示している博物館のご案内を。

海辺に面する別荘跡の写真をサイトから拝借で、右下に見える建物が博物館。

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私はローマ史に弱く、ギリシャ神話にもまるで疎いので、最初に博物館内を見学し、
ギリシャの大古典であるホメロスのオドュッセイに関連した大彫像群を見ていささか困惑。
ガイドさんの説明も殆ど聞かなかった事を白状いたしますが、へへ、

一人で館内を歩きつつ見ているうちに、船が難破しかけ、なにやら海獣たちに
喰いつかれる人間達の、その迫真の彫像を見て、これは凄い!!と感じ、
今回これらが何を現しているのかをあれこれ読み、写真も集め、
ああ、そうなのか!と納得したので、

shinkai同様、こういうのがいささか苦手、という方にも分かりやすく、
私がそうなんだ!と納得した方法でご説明いたしますので、
お付き合い頂ける様、お願いいたしますです、はい。



博物館前、  国立考古学博物館 ティベーリオ(ティベリウス)の洞窟

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入り口入ってすぐの左側、ガラス張りの天井から射し込む光の下、
シッラ・Scilla(セイレーン、スキュラ)・海の怪獣たちに襲われるオドュッセイの船。

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かなり破損し失われている部分が多く、元の姿を想像するのが困難ですが、
援けになったのは、横にあったこの写真。

セイレーン(スキュラ)という怪物がオドュッセイの船を襲っているらしいのは分かりますが、
見える女性の上半身と、男達を襲う動物との関連が良く分かりません。

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で、見つけたのがこれ。 そうなんですね、このセイレーンの下半身が6つもの海獣(犬)
に分かれ、男達に喰らいついている凄まじい場面!

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こうして見ると、オドュッセイの第12話に詠われた、オドュッセイが船にしがみつき
何とか無事に過ごせそうなものの、

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頭はスキュラの手に捕らえられ、危ない状態ですし!!
ははは、持って行かれず助かって良かった!

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ライオンにも似たこの凄まじい犬達に、むさぼり喰われる男達!!
       
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ホメロスのオドュッセイ物語は、同じくイーリアスと並んでのギリシャの大古典といわれ、
shinkaiも名前のみは知っておりますが、荒筋を読んだ程度の無知でして・・!

このオドュッセイを詠った英雄叙事詩の大筋は、トロイア戦争での勝利から
故郷に戻ろうとしつつ、ギリシャ神話の神ポセイドンの怒りを買い、10年に及ぶ
漂泊の身となり、遂に家に戻ると、亭主が既に死亡したものと思い、妻に言い寄る
男達を発見、それらを殺害、復讐する、という物語で、なかなかに凄まじい物!
       
で、このオドュッセイの逸話の中から、大きな彫像群としては第2話、
上のセイレーンが船を襲う場面と、



第9話の、一つ目の大怪物ポリフェーモ・Polifemo(ポリュペーモス)の目を
オドュッセイと仲間達が突き潰すというもので、

それがこちら。 博物館の奥隅にあり、建物の大きさと比較してご想像下さいね!

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こちらも全体の想像図を見つけましたが、これだと分かり易いでしょう?!

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一つ目の大怪物、とはいえ、こういう肉体美の像でして・・!!

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発掘された実物の方も展示されていて、

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まさに考古学者たちの細心にして忍耐の賜物である復元像に驚き、感嘆のみ!!



これは一つ目怪物の上から、目を狙うオドュッセイの顔。

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所でこれらの彫像群は、1957年西のテッラチーナから東のガエータに至る道を
建設中に偶然発掘された物で、
建設技師が考古学に大変詳しい方で、発見されてすぐに大変な物らしいと分かり、
私費で工事人たちに発掘させた様子ですが、

当初から、あれに良く似ている、とされた彫像がこちら。 
1506年にローマのトラヤヌス浴場付近で発掘され、見学したミケランジェロに大きな
感銘を与えたと言われ、現在ヴァティカン美術館に所蔵されている、ラオコーン像。

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トロイアの神官ラオコーンが、ポセイドンが送った海蛇の怪物2匹に、
息子もろとも喰われたというもので、

確かに後に確かめられたのは、このラオコーンの彫像の作者名3人と同じ、
Agesandro、Atanodoro、Polidoroの名が見つかったとの事。
そして発掘された像の幾つかは、ギリシャのヘレニズム期・紀元前180年の
オリジナルである事も確かめられたと。



これらの大彫像群を含めた素晴らしい大理石像が、どのようにティベリウス帝の
別荘に隣接の洞窟内にあったかという事ですが、

博物館にあったこの図をどうぞ。 洞窟内の円形プールの真ん中に、
最初にご覧頂いたセイレーンに襲われるオドュッセイたちの船の像、B、
洞窟の奥、右の小洞穴に一つ目のポリュペーモス像群、C、
       
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現在は無い円形プールの突き出した部分に、A アキレスを救い出すオドュッセイ
D パラス神殿の強奪
と洞窟入り口上に、E 鷲に拉致されたガニメーデ像、と配置されていた様子。
    


こちらが博物館にあった、鷲に拉致されたガニメーデ像と、顔の部分。

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と、洞窟上部にあるコピー像。

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なんとも凄い趣向のガニメーデ像を、ヴェネツィアの館で見たことがあります。
     
なぜガニメーデが登場するのか、オリンポスの神々へのお給仕の為に鷲に拉致された
というので、成る程、夏の食卓、横臥宴会場のあるこの洞窟に相応しいという
皇帝の思し召しだった訳ですね。
       


博物館内には発掘品の幾つか、壷や、彫像、モザイクも。

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そして外に出て、ヴィッラ発掘場所に向いますが、
       
庭に見えた、これは浴槽でしょうか?

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サボテンにたくさんの実がつき、熟れていて・・!

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草むらに咲く花。

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今日最初に見て頂いた上からの眺望写真に見える、博物館と遺跡との間の
木々は刈り取られ、見晴らしが良くなっていて、

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こちらが全景。 海のすぐ傍の大別荘で、一番手前は兵舎や馬小屋だったそうで、

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その向こうに広い中庭を取り囲む形で住居や召使達の住まい、台所、フォルノ、
パン焼き釜部分などが広がります。



壁の造りがとても厚く、見事なサイコロ型の石の斜め積み。

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そして床はレンガの杉綾模様に。

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山に沿った東側に洞窟が見え、屋根の掛けられた部分には、

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こんな風に、フレスコ画装飾された部屋がある様子ですが、ここは見ておりません。
きっとこの奥まった部分に、皇帝の居室、寝室があったものと。       

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これはヴィッラ跡の一番の南西角にあったもので、水洗トイレ跡なんですと!

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どう使ったのか良く分からず隣にいたエレオノーラに訊ねると、
ローマのオスティアにも有った同じ形と言い、見ていないshinkaiが再度訊ねるのに
ガイドさんが気がつき、ははは、詳しく説明してくれたのですが、

周囲に水が流れていて、今は無いものの、石とか木製の突き出した椅子式おまるがあり、
それに腰掛て用を足し、拭き取るにはスプーン状の物でぬぐったのだと!
       
もうちょっと詳細にお尻にお知りになりたい方は、図がたくさんのこちらを。 
http://www.romanoimpero.com/2011/04/latrine-romane.html

ガイドさんの話では、水洗とはいえ、やはりかなり匂ったと! ふむ、さもありなん!!



この別荘は、元々ティベリウスの母方の祖父、つまり初代ローマ皇帝アウグストゥス
の妻にもなったリディア(リウィア)の父、が持っていた物と見られ、
紀元後1世紀の始めに拡張し、自然の洞窟にも手を加えたものと。


さて、洞窟の正面からですが、上部にガニメデの像が見え、手前に広がるのは生簀、
魚の養殖をしていたプール! で、洞窟の正面に四角くプールが見えますね。
その真ん中に草の生えた四角い部分が見えるのは、夏用の食卓!

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図をどうぞ。 白く点々の付いた道が見学用に歩ける道で、上に遺跡群があり、
中庭を囲み住居部が広がる様子、北に離れて兵舎、厩舎があり、
洞窟の中に丸いプールがあり、これは直径12mで、真ん中に島が見えるのは、
ここにセイレーンと船の像があった場所で、手前に方形プール、その中心部の
色の濃い部分に夏用食堂。

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魚の養殖をしていた外側の広い四角いプールは海水ですが、淡水魚も山からの
水を引いて養殖していたとの事なので、円形とその手前の小さい方形プールは淡水か、
もしくは海水とが混じるようにされていたのかも、ですね。

洞窟の奥に、左右に奥まる小洞窟があり、右は奥にポリュペーモス像群が
置かれていた部分で、この手前には小さな滝があり、水の遊びが出来た様子で、
左には横臥食堂があったそう。



外側の大きなプールには、今も悠々と大きな魚が泳ぎ、狭い道を列を作って歩く我らは、
うっかり落ちると魚に食べられそう、と笑う位の大きさ! ははは。

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洞窟内の大きさはかなり広く、手前に円形のプールがあり、奥に見える小洞窟は、
手前に小さな滝があったり噴水があったりで、
その奥に一つ目の怪人の目を潰すオドュッセイ達の群像があった場所。

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これはそこから流れ出す水を、円形プールに導く溝。
多分円形プールでは淡水魚も飼っていたろう、と想像する水の流れ。

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洞窟内から見渡す現在のスペルロンガの町。 夏の暑い日、海風の吹き込む
この涼しい洞窟内から海を眺め、あの正面に見える夏用の食卓で、
美女をはべらせ、養殖している新鮮な魚を食べ、音楽を聞き・・!!

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こちらは左にある小洞窟の方で、奥に横臥食堂があったと言いますが、
      
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この一部に最近修復が済んだという、皇帝の寝室もあったそうで、
覗きこむと、床に黒いモザイクの跡が見えました。

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壁脇にある穴、これは何かとガイドさんに訊ねましたら、花を生けていたのだそう! 
なんと優雅な!!

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いやぁ、紀元1世紀に生き栄華を尽くしたローマ皇帝の、夏の別荘なのでしたぁ。



洞窟のすぐ傍まで迫る海、見える石積みは防波堤。 位置から見て、
かっては船の停泊も出来たのだろうと。

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近くの砂浜に出来た波の紋。

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スペルロンガの町を望み、

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夏の夕暮れにはこんな風に!! 

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そして頂く海の幸。

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う~ん、ローマ皇帝の権力栄華には及ばずとも、我らもきっと彼と同じ位の幸せは
味わえているのですね、そう思われません、皆さん?!
    
  
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・ n.1 スペルロンガ ・ イタリアの一番美しい村々の1つ

南ラツィオの旅のご案内、今日はスペルロンガ・Sperlongaを。
「イタリアの一番美しい村々」にも選ばれていて、写真は町の東にある
ローマ皇帝ティベーリオ(ティベリウス)の別荘跡から眺めたもので、
町の旧中心部は、こんな風に突き出した崖上に。
       
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ローマ皇帝ティベーリオ・Tiberioというのは、ローマ帝国第2代皇帝、
初代皇帝アウグストゥスの養子だったそうで、「ティベーリオの別荘」というと
カプリ島にあるのが勇名ですが、ここの別荘跡もかなりの大きさ。

傍らにある洞窟内から発掘された素晴らしく大きなギリシャの大理石彫刻群が
現在隣接の国立考古学博物館に収容展示されており、次回にご案内したいと
思っていますが、今回はまず町のご案内を。



スペルロンガの町はどこにあるか、地図をどうぞ。 ローマの南、車で約2時間程で
行ける位置で、

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上記のティベーリオの別荘跡、洞窟内の発掘などは、テッラチーナ・Terracinaから
ガエータ・Gaetaに至る道を建設中の1957年に、偶然に発掘されたのだそう。



これは上の写真に、町から海に突き出した岩場の上に見える物で、
かっての海賊船相手の物見の塔トゥルーリア・Torre di Trugliaで、
16世紀に元のローマ期の塔の後に建設されたものと。

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現在は一帯が自然博物館公園となり、博物館として使用されているそう。
それにしても、ペンキ塗り立て、みたいな凄い色で、ははは。



町のある高さは55mで、人口は3300人程ですが、この位置からは隠れる向こう側の
浜辺に、現在は新しい町が広がり、

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右端に見える木々のある場所、ここに海を見渡せる展望台が。



さてティベーリオの別荘、洞窟跡見学から町に移動し、バスを降りて見える風景は
こんな新しいそっけない広場で、えっ、大丈夫かいなといささか心配に・・!

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広場にある古いオリーヴの根元で、ぐっすり眠る黒猫ちゃん。

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展望台から見渡す東側の海、浜辺。 ほら、洞穴みたいなのがポコッと見えますね、
あれがローマ皇帝ティベーリオの別荘跡と、彫像群の見付かった洞窟。

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こちらが西側、崖の上にそそり立つ町の古い部分。

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展望台でかなり長いガイドさんの説明があり、こちらは早く町の中に行きたく
気もそぞろで、ははは。 やっと集合時間を告げられ、町の広場に向いますが、

まずこんなに高い家が見え・・!

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先ほどの海の岩場の上の見張り塔の他に、町の中にも3箇所ほど見張り塔が
あったというのですが、この高い建物が案外その1つだったかも、ですね。



中心広場に出て来て、ブーゲンビリアの花がもうこんなに!!


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この辺りは夏はきっと大変な人出でしょうね! ローマから2時間ですものね。



広場のカフェの椅子の下。

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広場から西に延びる小路。 そう、どこもかしこもこんな小路があっちにこっちに。
緑の十字のネオンは、薬屋さん。

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小路突き当りの建物の入り口の脇柱の足元。 なにやら由緒ありげと見ましたら、

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内部は12世紀の元教会の建物で、カフェを兼ねた催し物とか集会場とかに変貌。

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前を横切る小路の天井部は青く塗られ、右に見えるアーチをくぐると、

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奥に小さな広場と井戸が見え、手前の左側の壁と、奥の建物に残るフレスコ画。

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こちらは古いフレスコ画で、どうやらトルコの海賊船!

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そしてこちらは建物の2階の壁に描かれた騎士物語りのロマンス。 海賊船にも
かかわりがあったと思うのですが、ガイドさんから聞いた話はきれいに忘れ・・! へへ。

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旧石器時代に既に住人が居たらしいこの町は、町の東に残るローマ皇帝ティベーリオの
別荘にも見られるように、ローマ期にはかなりの数のローマ貴族の別荘があった様子。
が7世紀頃には、あの洞窟も海賊から避難する為に使われたと。

町の名の「スペルロンガ」というのは、この一帯にあるたくさんの天然の洞窟、くぼみ、
穴を意味するスペルンカエ・speluncaeから来ているのだそうで、
町の名が記録に登場するのは10世紀で、今は無い町の城壁が11世紀に造られ、
今も残る町の門に残るのはカエターニ家の物と。       
       

最初に見て頂いた町から突き出す岩場の物見塔、そして町の中にも3つ程あったと
いわれる物見塔、そして城壁と様々な防御にも拘らず、この町は2度トルコの海賊に
破壊されており、最初は1534年、そして1622年と、

この海賊の名はバルバロッサ・Barbarossa・赤ヒゲ(1475-1546)と呼ばれる
Khair ad Din・ハイレッディン、オスマントルコの提督で、
16世紀のイタリアの海岸沿いは、軒並み彼にやられたのでした。
こんな小さな漁村を襲って取る物があるのか、と思われるかもですが、
そう、人間を略奪し、奴隷に使った、売り払ったのですね。

そして町はずっと小さな貧しい漁村、として近年まで来て、ティベーリオ帝の別荘跡が
偶然に発見されたという道路の建設で、一挙に状況が変わり、
それ以降観光の町に変わったのだと。
       


細い小路の両脇に高い建物が迫りますが、一番上の窓も綺麗にされ、
住んでいる事が分かり、

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こんな色違いの扉、これは多分倉庫の扉、も並び、

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狭い土地にかなりの人々が住んでいたのだろうと想像できる建物の高さ!
    
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この右手前の建物は、



こんな感じ、この高さ!!  途中で拡張され、嵩上げされたのも分かりますね。 

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玄関脇の狭い土からも、木々が頑張り! 

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上の玄関から顔を覗かせる、暇そうなワン君! 

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脇に延びる下り坂の先に見える、ちょっと興味を引いた形の建物。

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小路の名は「元の病院通り」とあったので、案外貧者や病人の救護所だったのかも。 
時間があったらねぇ。



なんとなし、髪の毛を細い細い三つ編みに何本もたらし、ビーズなどを編みこんだ
髪型を思い出した扉、ははは。 扉の開け閉めのたびに、ちゃらちゃらと鳴りそう!

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郵便受けの上の青い陶板には4人家族の名前が書かれ、その上左には
飼い猫ちゃんが居るのも分かり、ただし名はなし、はは。



一方こちらは頑丈一式の扉、ただし、救命浮き輪風の飾りあり!

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大概のお家の中はかなり狭いのではないかと想像したのですが、
この入り口部をご覧くださいね。
番地の札を見ると、51、53、55とここに3軒分あり、

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同じ建物の2階には、左から43、45、47、49と4軒分! まぁ2階のお家は中が
2階建てになっているのだと思いますが、やはりかなり狭い居住環境なんだろうなと。

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ここがずっと辿ってきた道の下り坂、つまり旧中心地の終わりの下り坂で、
上って来た仲間からもそう聞き、上り坂は避けたいshinkaiは引き返します、へへ。

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ご覧頂いているように、建物の色は殆ど白で、入り組んだ小路と階段という
特徴がありますが、扉の色、玄関周りの小さい飾りでそっけなさが消えていますし、
何よりも路地が綺麗、掃除が行き届いている感じを受けました。



夏のこの辺りの海の色を思わせるような青い扉!

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今度は家の前の石段に、腰を下ろしているワン君。
う~ん、狭い1段には、お尻と前脚が入りきらないんだね、君は!

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隙間から見えた港、青い海。

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来る時通った時は何もなかったこの階段に、
そろそろ店開きをする手前のワイン・バーがクッションと明かりを。

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細い路地を覗きながら、ゆっくりと戻ります。

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ティベーリオ帝の別荘跡横の洞窟が真っ直ぐ見え、
      
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午前中に傍で見た時は、なんとなしに自然洞窟と思い込んでいたのが、この写真で
手を加えて入り口を掘ったんだと気が付き、調べて、やはりそうなのを知りました。
かなりの厚みを掘り込んでいるのが分かりますね!



小路が狭すぎ、扉の前からだとレンズに入りきらないのが殆ど!

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入り込む小路と階段が至る所に!!

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中心広場まで戻り、

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カフェ・テラスの椅子席を占領している猫ちゃん2人!

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猫ちゃんの詳細は  スペルロンガの猫たち
http://italiashinkai.seesaa.net/archives/20160623-1.html



町の新しい広場の角の展望台から見る、薄い夕焼けの色。

あの岬の向こうの町、テッラチーナまで戻ります。

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正面に見えるポンツァ島。

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この日の最後は、海に射し込む一筋の光。

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我らが行った5月下旬は、漸くに浜辺の準備が整いだした頃で、
少し曇り空の日でもあり、小路に射し込む陽も弱かったですが、
今頃はきっと暑い夏の陽射しの下、町はヴァカンス客があふれ出している事でしょう!

あの狭い路地に余り人が溢れるのはちょっとね、と思いますが、
夏はまた別の表情を見せるのであろうスペルロンガの町。

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狭い路地奥のレストランで、美味しい魚料理を食べるのも
きっと美味しく楽しい事でしょう!!


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・ n.2 セルモネータ ・ カエターニの城

先々回にラツィオ州にあるセルモネータ・Sermonetaの町をご案内しましたが、    
今回はこの町にほぼ完璧な姿で残るカエターニの城・Casello Caetaniと
呼ばれる中世からの城塞見学のご案内を。

写真はサイトから拝借の城の形が良く分かる物で、主塔・マスキオ・Maschio
と呼ばれる塔が見える左に、張り出したテラス状の物が見えるのにご留意を。

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で、左下に見える低い張り出し部が、城への入り口部。



町の中心にあるコムーネ広場から上り道を辿り、このアンニバルディ門をくぐり、
さらに小路を上って行くと、
        
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右手に城が現れ、この部分は主塔の手前の館部分で、一番上に主塔の
てっぺん部分が覗いています。
    
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ここが城の入り口、切符売り場。

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木曜が定休日で毎日公開されていますが、内部はガイド付きの案内で、
10時から1時間毎、午後は3時から。
サイトはこちら http://www.castellodisermoneta.it/



入り口を入ると草地の小広場・オルミ広場があり、 そこから折り返す感じで
城内部への入り口にかかりますが、
これは切符売り場の先から見上げる、最初の跳ね橋。 

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最初のオルミ広場から見る城への入り口ですが、下から見上げた最初の跳ね橋は
この門の手前で、鎖が見えますか?
          
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跳ね橋の上から見る平野の眺め。 写真では分かり難いのですが、遥かに海が!

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そして左に折れる形で、2つ目の跳ね橋があり、

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それを渡ると城の中庭に出ますが、分かり易い様に上から撮った写真でご説明を。
2つ目の跳ね橋を渡ると、内庭の手前左隅に出て来て、正面に見えるのが
枢機卿の家・Casa dei Cardinaleと呼ばれる建物。

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カエターニ城と呼ばれるこの城ですが、13世紀、当時の教皇からこの一帯を
領土に預かったアンニバルディ一族が建設した物で、
現在も残る主塔マスキオ、高さ42mと、それに付随している小さい塔・マスキエットを
主とした完全に中世の戦闘的要塞。

それが1297年、当時経済的危機に陥っていたアンニバルディ家から、教皇になった
ボニファーチョ8世の甥ピエトロ2世カエターニが、セルモネータと近接の土地を
14万フィオリーニ金貨で、既に庭園をご案内したニンファの土地を20万フィオリーニで
買い取ります。
            http://italiashio.exblog.jp/23182212/
建物も増設、この地をカエターニ家の本拠とし、着々と勢力を伸ばしますが、
1492年ボルジャー家のアレッサンドロ6世が教皇に選出されると、
1499年カエターニ家は破門措置を受け、財産も特権も没収され、
この城はボルジャー家の手に渡り、以前にも増し軍事色の濃い配備がなされ、
城壁を完璧にし、主塔の上部にあった教会を潰し、1400年代からそこに埋葬の
カエターニ家の領主の墓も潰し、
後世1536年に神聖ローマ皇帝カルロ5世が、騎馬千頭、歩兵4千をもっても
落とす事ができなかったという要塞城に。

きっと城の軍事的改造にはチェーザレ・ボルジャーも来て、あれこれ実際の指揮を
取ったに違いなく・・、と、あれこれ想像が広がります、はい。
       
で、上の写真のご説明に戻りますが、この正面に見える「枢機卿の家」というのが、
ボルジャー家がここに居た短期間・約5年間、アレッサンドロ6世の死1503年まで、
彼らが唯一建設した住居で、ここにはかのルクレツィア・ボルジャも住んだ事があったと。


そして1504年、教皇ジューリオ2世によりカエターニ家に戻され、

内庭の南側はこんな感じで、枢機卿の家の斜めの位置に2棟の建物があり、

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14世紀にカエターニ家がここに住み始めて建設、拡張した物で、
見える左側の建物に、フレスコ画の描かれた部屋があり、



内庭の西を占める形でこの建物があり、そして塔への入り口階段。

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広場真ん中にある大きな井戸は、高所にあるのを配慮した天水利用の井戸なんだそう。




主塔マスキオと小塔マスキエット、そして右下に第2の跳ね橋からこの内庭に続く
アーチの入り口が見え、塔の左に主塔への階段上り口が。

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塔の上部と、

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塔への階段上り口。

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見学は内庭の東側に見えた「枢機卿の家」からで、これは壁にあったカエターニ家の紋。

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内部はとにかく広い広い部屋が3つ、だったっけ?あり、余りにも整備され過ぎ、
写真の撮りようもなく・・!

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壁にはかってこの城を訪れた客人たちの落書き、作曲家であったカエターニ家の
一人の五線譜の音符などもありましたが・・。



建物を出て、城郭の東南角に当たる部分。ここの角部分が崩壊した廃墟部と
なっていて、その幾何学的ともいえる形態に、光が射し込む様子に魅せられました!

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石畳の下り阪を行き、左に折れると、

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先頭は今回の旅のガイドさん、元気で美人のリンダさん。



内庭からの下り道を振り返るとこんな様子で、

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城の東南角の崩壊部分。

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ここには小麦を挽く、碾き臼の部屋があったそうで、挽石等も地面に見られましたが、
上階は多分居室だったのでしょう、暖炉の名残も見えます。

17世紀になり、平野を通るアッピア街道も再開発されると、カエターニ家も
平野部に一族の本拠を移し、この城は放置され、18世紀、スペイン軍、フランス軍の
略奪破壊にも遭い、19世紀には軍や農作物の倉庫代わりに貸し出されたりもし、
漸くに19世紀の末になり、カエターニ家が修復を始めたのだそう。
       


で、先ほどの石段の下りの先には、
これは入り口部分を逆に見ていますが、

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ここに厩舎があり、

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この小さなアーチ部分、これは古いのが残された物と思いますが、
ここに秣を置いたと見られ、

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片側に20、つまり20頭、全部で40頭の厩舎だそう。
ここにずらっと駿馬40頭が並んでいる姿をご想像あれ!
かっての栄光時は、きっと煌びやかなものだったでしょうね。

この厩舎は映画の撮影にも使われ、10年ほど前まではここで室内楽の
コンサートも行われたのだと。



細長い厩舎の突き当りを出ると、この右の壁は周囲を囲む城壁で、
この内側の広場で馬の毛をすいたりしたのだと。

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石段道を戻り、奥に見える建物の奥の扉から入りますが、

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建物の壁の装飾が単純にフレスコ画と思っていたのが、
少し削っているのにも気が付き・・。

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建物の端には台所がありましたが、そっけないほど台所仕事を想像させる物もなく、

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単に大きな大きな吹き抜けの煙突!

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ここでは城内の兵士すべての食事を賄うのではなく、
貴人達のみの食事を作っていたのかも、と。



隣の建物の入り口から入ると、ここは大広間で、「狩の部屋、または男爵の部屋」と
いう部分と思いますが、大宴会なども開かれた部屋と。

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仲間が一緒で部屋の写真が撮れず、上のはサイトから拝借で、

右奥に見える扉から入ると、



客人用の寝室が2部屋あり、ピンタの部屋と呼ばれる15世紀後半の
フレスコ画装飾された部屋で、

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主題は伝説的、神話的なもので、画家はピントリッキオ派の無名画家だそうですが、
絵として余り上等とは思えず、これでピントリッキオ派なんて言ったら、
師匠が泣くのではないかと、ははは。



古いまま残った窓際の席と、

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出窓の天井にあったカエターニ家の紋。

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1つの出窓から町の姿が見えました!
飛び出している鐘楼は、サンタ・マリーア・アッスンタ聖堂のもの。

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これは南西に見えた教会で、コムーネのサイトで分かったのは、
サン・フランチェスコ教会と元の修道院。13世紀頃からの古いものだそうですが、
今見えるのは15世紀の物と。

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建物を出て、主塔に上るべく移動しますが、

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内庭越しに見る北の城壁。 最初に内庭に入ってきた時も、この城壁の威圧感が
凄かったですが、壁の厚さは3mもあるのだそう。

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上のメルレット・レース飾りと呼ばれる凸凹も、ボルジャー時代の改造だそうで、
この上の歩哨の見張り道を、後ほど歩きましたぁ!



右が塔で、左が建物に沿った外階段で、今見える渡り橋は
かっては跳ね橋だったのだそう!

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で、塔との間の隙間部分は、こんな感じの深さ!で、
足の悪い方、高所に弱い方は下で待つように、と言われ。

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多分、かってはここにも床が在ったのだろうと想像しますが、
窓越しの遥か向こうに、海が見えましたぁ!

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一旦小塔の部屋に入ると書斎があり、主塔の中に、代々の領主達の寝室が
そのまま残されており、この天蓋つきベッドも、オリジナルなんですと!

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48-6347_GF.jpg       

つまりこの領主の部屋に至るには3つの跳ね橋を通る訳で、この部屋から
外のテラスに出るにも、跳ね橋が在るのだと。
テラスに出ましたが、跳ね橋には気がつかずでしたぁ!

小塔の方にある書斎は、20世紀の始め、この城の修復に取り掛かった
ジェラージオ・カエターニ・Gelasio Caetaniが使っていたそうで。



これは部屋の隅にあった暖炉で、如何にも古い作りでしょう?

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ちょっと脱線しますが、あれこれ写真を調べたりしていて、このセルモネータの
カエターニ家の最後の人々の写真も見付かり、
おまけになんと、母親のアーダと一緒にニンファの庭園作りに取り掛かった
ロッフレード、彼の名が現在の財団の名に残りますが、

その兄の15代セルモネータ公爵レオーネの妻ヴィットーリア・コロンナ、
ローマ貴族コロンナ家の名を引く様ですが、
彼女と当時の未来派画家ウンベルト・ボッチョーニとの2ヶ月間に渡る秘密の、
いや、秘密ではないですね、ばれて別居になったようで! 情事なども知りましたぁ。
なぜ2ヶ月だったか、つまり彼が落馬して亡くなったのだそうで。

「カエターニ」で検索していて素晴らしく美しい婦人の写真が見付かり、
それからずるずると芋蔓式にたどり着いたのでしたが、あれこれ詳細記事が見付かり、
ははは、が、いまだしっかり読んでおらずで、暫くひっそり楽しめそうです、うひひ。
       


さて本題に戻り、ここが領主の寝室から跳ね橋で出る主塔から張り出したテラス。

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つまりこのテラスまでは敵が上って来れても、跳ね橋があるので領主の寝所には
入れない事になりますが、味方の謀反程度ならいざ知らず、本当に大群の敵に
取り囲まれた場合、塔の中に引きこもり無事であっても、兵糧攻めになったら?!



これが城壁の上の見張りのパトロール道、広いでしょう?!

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一番東端まで行き、間から見晴らす北の眺め。

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そして狭い階段で潜り込んだ、城壁の壁の厚みの間をくり貫いたトンネルの
パトロール道。  ここを逆行きに戻り、

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階段を下り、2つ目の跳ね橋の脇、つまり内庭に出るアーチの横に出て来て、
7世紀間を生き残ってきた城塞見学がお終いに!

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我々見学者に公開されている部分はこんな感じですが、



この方角からの城の写真に見える、周囲を取り囲む城壁の上、またこの南面に
見える建物上階に続くテラスなど、きっとずっと兵士の見回り道があり、
今も上れるのだろうと。

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いやぁ、如何にも堅固な中世の城という感じで、華麗さは無いものの興味深かった。
ニンファの庭園に行かれる方、お近くにお出かけの方、
可愛い小さな町の散策と共に、お城見物も是非どうぞ!!


◆ おまけ ◆
町のご案内の時に、「ロカンダ・ボニファーチョ8世」という宿とレストランの表を見て、
中はどんなのかと思ってましたら、写真を1枚見つけましたので、どうぞ。

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階段の段差が少し複雑に入り込んでますが、如何にも中世風な趣でしょう?!

町の S.M.アッスンタ聖堂・セルモネータ については
http://italiashinkai.seesaa.net/archives/20160618-1.html


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・ n.1 セルモネータ ・ グーグルのStreet Viewで、美しい6村の1つ

今日のご案内は再度ラツィオ州南の旅に戻り、セルモネータ・Sermonetaという、
中世がそのまま残ったような小さな素敵な町のご案内を。

写真は、平地から山の上に町が見えて来た所で、

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こんな様子!

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セルモネータの町はどこにあるか、地図をどうぞ。 ローマの南にあるラティーナ・
Latinaから東に入り、山を上ります。

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この日は午前中セルモネータの町を訪問、昼食の後先回ご案内のニンファの庭園に
行き、最後ちょうど中間に見えるヴァルヴィショーロの修道院に寄った、という日程。



セルモネータの町は海抜237mに位置し、平地からぐんぐん坂道を上り始め、
そして見えてくるのがこれ、
突き出す岩山の上の塔、モンティッキオの塔・Torre di Monticchio.

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中世のセルモネータの領主によって、ちょうど良い丘の上に建設され、
近辺一帯の平地の見張り基地とされたものだそうで、兵士や家族達が住んでおり、
もしも敵の接近が見られたならば、即座にリレー式に町に知らされ、
防御なり攻撃なりの態勢がとられたのだと。
   
この近辺は近くを通る街道や鉄道施設に使う砂利採取が行われたというので、
今見るこの姿は特殊ですが、建設当初はもっと緩やかな丘の姿で、
砂利採取で周りが削られたのではないかと、想像しますが、この姿で大丈夫?!



曲がりくねりながら続く町への道。 漸くに見えて来た所!

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町からかなり離れた場所に駐車場があり、そこから歩きますが、
谷の向こうに見える山の斜面は、一面のオリーヴ畑。

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北の人間は働き者だけど、南の人間は・・、なんていうのは嘘だね、と
思うほどにぴっちりとオリーヴが栽培されていて、
       


こちらの道の脇に見えるオリーヴのこの幹! きっと何千年も経ているのでしょう!!

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道の左手には、町から張り出したと思われる要塞が続き、先方に町が見えてきて、

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さて、町の門。 ここから中心に。

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町の地図をどうぞ。 右の2の位置の門から入り、ガリバルディ通り・
Cosrso Garibaldiを行き、中央上に見える赤い大きなのが、カエターノの城・
Castello Caetano.
       
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1. サン・ジュゼッペ教会
2. ビアージョ・マルキオーニの階段  見逃しましたが美しい階段の様子
4.18. カエターノ宮・陶器博物館
8. コムーネ広場
9.10. ロッジャ・デイ・メルカンティ・商人達のロッジャ
13. 見晴らし台 横に市役所
14.15.16. サン・ミケーレ教会
19.20. サンタ・マリーア・アッスンタ教会



ガリバルディ通りを行き、奥に聳えるカエターノの城の塔。

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一番右手前に見える大きなテラスの建物は、




これ、番号4.18.のカエターノ宮、現在陶器博物館の様子。

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町の中心コムーネ広場に到着。 見えるアーチが9.10.の、
ロッジャ・ディ・メルカンティ。 多分ここでかっては商取引が行われたのでしょう。

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セルモネータの町がこの高所にあるのは、かって下の平野は湿地帯でマラリアが
蔓延していた事や、サラセン人の襲撃などを逃れる為だったといい、
当時はローマへの通商道がこの山側を通っていた為、通行税の取立てや
商交易の繁栄もあったのだそうですが、
 
16世紀に入り平地の干拓が始まり、アッピア街道も再開発されると、町は次第に衰退、      
13世紀の末からこの町を拠点にしていたカエターノ家も、平地の、セルモネータからは
北西にあるチステルナ・Cisternaに本拠を移したと。


グーグルのストリート・ヴューによる”美しい村の人気度は、6つの内の1つ”、
とあり、後の5つはどこか不明! 
   
◆ 追記です ◆
グーグルのストリート・ヴューによる美しい村の人気6村を早速にクリスさん
調べて下さり、それによると、

アオスタのエトロブレス(Etroubles) エミリア・ロマーニャのサン・レオ(San Leo)
カンパニアのカステッラバーテ(Castellabate) カラブリアのボーヴァ(Bova)
シチリアのガンジ(Gangi) そしてこのセルモネータ、 だそう。
クリスさん、有難うございました!


古い歴史を刻み残ったこの町の趣の深さは、やはり単なる田舎町ではないのを感じ、
そして、この高さのこの辺鄙な位置にある町なのに、訪れる人が多いのも分かり、
寂れていない事が心地良いです。
       
コムーネ広場から見えるこの道を辿ると、地図19.20の教会サンタ・マリーア・アッスンタ
があり、ベノッツォ・ゴッツォーリの素晴らしい可愛い聖母の絵もあったのですが、
教会ご案内は次回に。
  
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コムーネ広場は3角形で、ロッジャ・ディ・メルカンティの上から眺める様子はこんなで、

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我らはカエターノの城、サンタ・マリーア・アッスンタ教会の見学が済んでの昼食は、
この広場の奥に見える白いテントの下で。



ロッジャ・ディ・メルカンテの横にかっての城への門があり・アンニバルディ門・
Porta Annibardi、道は細く上り坂に城に続きますが、
      
脇道の様子がどこも素晴らしく、皆が覗いて撮りながら、ぼちぼちと上っていきます。

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門の脇辺りにはかってユダヤ人のゲットーがあり、シナゴーガも(普通の家という)
あったそうなのですが、午後一人で少し歩いた時は、見逃しました。

カエターノ家の城、中世の要塞は素晴らしい威容でほぼ完璧に残っていて、
見張りの兵士達の歩いた城壁の上の道も通れ満足でしたが、
ここのご案内も次回にさせて頂きますね。



コムーネ広場の点景と、広場の敷石。 如何にも硬そうで古く、つるつる滑り。

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さて城から戻り、教会の見学も昼食も済ませると、集合までの時間を、
ガイドさんが教えてくれた小路歩きに出かけますが、
両脇から高い建物が押し迫り、古い石造りの威圧を覚え、

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狭い小路を抜けていくと、どことなく生活の匂いも感じられ、

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この家は一体いつからの物だろうと感嘆した家!
道が狭く後ろに下がれずで、下と上に分け、

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これが上の住居部への階段。 凄いでしょう?!

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かと思うと、レモンが実る大きな木もあり、

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小路を上に上に辿っていくと、城の下に出て・・。
凄い高さでしょう?! まさに中世の要塞城なのですね。

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土台には自然の岩も組み込んであるのですが、
脇にあるお家の方が植えたのでしょうね、ピンクの薔薇も。

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3輪車が2台。 そう、こんな車でないと辿れませんね、小路は。


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城の脇から中の道を辿り下りますが、
       
半分だけ木の扉にして修復されていると、しかも濃い色でね、
なんとなしモダンな感じも受け、

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坂道に見えたお家ですが、扉の上にある年号は、1560年!

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古い壁に残る、古い丸窓。

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保護色みたいになって見え難いですが、ははは、
コムーネ広場の所で書いたアンニバルディ門の裏側に。

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ロマネスク寺院めぐりの旅を続けられているクリスさんが、昨年10月にセルモネータに
行かれており、違う駐車場から町歩きをされているので、どうぞ。
http://4travel.jp/travelogue/11110654
トップの写真が、このアンニバルディ門。



門を出ての右側の眺め、陶器店の看板。
陶器博物館もありましたから、陶器製造が盛んだったのかも。

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門の脇から横道に入り、すぐの店。 ここも陶器で作った家の模型店の様でしたが、
如何にも古い趣でよい感じでしょう?!

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少し入り込み、見上げる建物の壁と、

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建物の壁の角が作り出す、小さな一廓。

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ここには本当に中世の趣を感じ、暫く佇みましたっけ。
ベンチやバイクを除けたら、そのまま時代が遡る感じでしょう?!



そろそろ集合時間近くなり、コムーネ広場に出て来ると、我々がお昼を食べた
バールのテラス席には、中学校の生徒達がお昼を食べ終わりわんわんと騒いでおり・・!

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なぜか窓の外に置かれているパン籠!

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昼食後の一刻の時間、観光客の姿もなく、来る時には見えなかった物が見え、
仲間の姿もなしで、時計を見ながら、歩きながら、パシャパシャとやり、

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ロカンダ(宿)ボニファーチョ8世の看板の出た扉。 代々のカエターノ家の中でも
一番の著名人の名が付いていると、中はどんなのか興味がわくではないですかぁ?!

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昼下がりの町の中を振り返り、

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朝、町の門から入ってすぐの所にあった半円の塔の内部。 今はぞろぞろ歩く仲間も
おらず、しっかり見え。 時間があったら、あの銃眼から覗いたのに、残念!

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町中から駐車場まで15分はかかるから、そのつもりで集合を、と言われていたのを、
門を出たら駐車場がすぐだった様に勘違いしており、必死にはぁはぁ言いながら歩き、
ははは、途中でまだのんびり歩いている連中を追い越し、一安心!

という様子でセルモネータの町を後にしたのでしたが、次回にお城と教会のご案内を。

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ブログ「セレナ日和」のabiさんが、shinkaiが描かせて頂いた
愛猫セレナ君の絵を、お家に掛けて下さった様子を載せて下さいました。

猫ちゃん好きな方、見てやって下さいね!

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・ イタリア共和国 建国70周年記念パレード ・ ローマ 

イタリアは第2次大戦後の国民投票により、それまでの王国から共和国となり、
今年で70周年。  その意味ではとても若い国なのですが、
毎年6月2日を共和国記念日として祝う祭日となり、ローマの中心
フォーリ・インペリアーリ通りで軍事パレードが行われる様になったのも、
先々代のチャンピ大統領の2000年からの事。

写真はフォロ・ロマーノの近くのお家にかかる、大きな三色旗。

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以前はよくTV中継を見ていたのですが、久し振りに今回中継を見て写真を撮り、
皆さんにも様子をと張り切ったのでしたがぁぁ、
情けない事に、コンデジ・オートで撮ったら余り良く撮れず、ご容赦願います!
       
が、イタリアの建国記念日、祭日の軍事パレードのTV中継、
どんな様子かお楽しみ下さいね!


フォーリ・インペリアーリ通り・Via dei Fori Imperialiは、
コロッセーオから北西のヴェネツィア広場を結ぶ850mの通りで、

ヴェネツィア広場の西角にあるヴィットリアーレ・無名戦士の廟に
朝イタリア共和国大統領マッタレッラが月桂樹の花輪を捧げた様子が
番組の最初に流れ、 http://video.sky.it/news/politica/2_giugno_lomaggio_al_milite_ignoto_e_le_frecce_tricolori/v286755.vid
素晴らしい! ヴィデオがちゃんと残っておりましたぁ! 2020.2.2

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3色の煙を吐きながら、上空をアクロバット飛行隊が通った様子も。

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どちらの写真にも見える煌びやかな甲冑姿は、コラッツィエーレ・Corazziereと呼ぶ、
大統領の儀式で護衛を勤めるもので、乗馬が出来ること、背が高い事を条件に
カラビニエーレ・Carabiniere・元々国王の護衛から派生したという警察、軍組織、
から選ばれるのだそう。
       

正面にコロッセオの見える風景。 左に見える通りがパレードの行われる
フォーリ・インペリアーリ通りで、右側にフォロ・ロマーノの遺跡跡が広がります。


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フォーリ・インペリアーリ通りの左側、既に観客がいっぱいですが、後ろにも遺跡群。    

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正面にコロッセオの見えるフォーリ・インペリアーリ通り。 右に半分切れて見えるのが
ヴィットリアーレ・Vittorialeで、無名戦士の廟はここに。
 
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パレードは、コロッセオの方からこちらに向かって進んで来ます。

中継を見る時いつも思うのが、本当に舞台装置が良いなぁと!! 思われますよね?!
       
コロッセオの修復は済んだのでしょうが、手前側にまだ少し覆いが見え、これが残念。
それにしても、少し修復が綺麗過ぎるのではないかと思いますが、
ローマ期の人々は、こんなコロッセオを見ていたのでしょうか?!
       

音楽隊がコロッセオに向って進み、

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大統領の乗られた車を護衛する形でコラツィエーリが登場、後部座席奥に大統領の姿。

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こうして中央の貴賓席前に到着され、 

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お迎えの上院下院議長と首相にご挨拶され、
貴賓席中央にお着きのセルジョ・マッタレッラ大統領・Sergio Mattarella,
第12代イタリア国大統領、現在74歳。

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はい、イタリアに大統領が居られるのは余りご存知無いかもですね。
大統領はイタリア国を代表する方ですが、国政に直接関与せず、首相に助言を与える、
というお立場なんだそう。

先々代のチャンピ大統領の時よりイタリアは大統領に恵まれており、
とshinkaiは勝手に思うのですが、
チャンピさんは国民に初めて大いに愛された大統領であり、先代のナポリターノ大統領は
ご自分で任期を延ばして、あの恥知らずなベルルスコーニ大統領と戦われた大統領でしたし、
       
現在のマッタレッラ大統領は、イタリア憲法の判事だった方で、彼の弟さんは
1980年にシチーリア州知事を務めていた時にマフィアに暗殺され、
それが政治界に入るきっかけとなったと聞きました。



コラッツィエーリの団長(言葉が浮かばず・・!)が音頭を取り、
      
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ファンファーレが流れ、ついでイタリア国歌の演奏。

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今年建国70周年のパレードの先頭を切ったのは、イタリア国中から集まった
400人の市長の行進で、8000の市の参加があったそう。

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先頭の真ん中にいるのは、前列左から2人目レオルーカ・オルランド・
Leoluca Orlando. パレルモ市長で、その右も顔は知ってますが名が・・。

今年は共和国建設70周年記念ですが、婦人の投票権獲得70周年でもあるのだそう。



貴賓席前列中央に並ぶ、左から首相のマッテオ・レンツィ・Matteo Lenzi、
上院議長ピエトロ・グラッソ・Pietro Grasso、マッタレッラ大統領、
下院議長ラウラ・ボルドゥリーニ・Laura Boldrini、一番右は・・、知りません。

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貴賓席前を護衛するコラツィエーレ。

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そしてその脇にしゃがみこむのは、招待された子供達。

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さて、カラビニエーリの軍楽隊の行進が始まり、

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中央貴賓席前で、礼を捧げて行く姿。 ピッタリの言葉がありましたっけ?

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パレードは軍隊の行進が主で、右から、陸軍、海軍、空軍、カラビニエーリ、財務省軍。

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日本で大蔵省が軍をというのは考えられませんが、イタリアには財務省の軍があり、
大いに働いています。 はぁ、脱税が凄いそうですし、密輸との戦いもですね。
       


そしてイタリア20州の旗の行進、こちらも軍関係が。
       
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この方は軍在籍でパラリンピックに出場される方だそうで、車椅子に乗っての行進参加、

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その後ろには、各軍からのオリンピック参加の選手たち。

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陸軍の先頭を切って登場は、有名な歌う部隊、サルデーニャはサッサリ・Sassari旅団で
第一次大戦の時は「赤い悪魔」との勇名を馳せたそう。

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歌はこちらで。 https://www.youtube.com/watch?v=FaziOWtRaV4
歌詞は勿論サルデーニャ語! で、まるで分からずですが、
「お前がもしイタリア人なら、サルデーニャ語で話してみろ」と!

おまけでもう1つ。 https://www.youtube.com/watch?v=YvxBMu_UmcI
コロッセオ前で前がつかえ待ちの体制になり、「アリヴェデルチ・ローマ」の曲を。
勇猛で鳴る軍隊もこんなサーヴィスで、笑いました。



貴賓席で拍手するレンツィ首相と、左の女性は、マッタレッラ大統領と一緒に車で
登場してきた、初の女性防衛大臣ロベルタ・ピノッティ・Roberta Pinotti、52歳と。

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寄り道ヴィデオ。 朝会場に上院議長グラッソと歩いて到着のレンツィ首相。
市民達から、頑張れ、投げ出すなよ!と声がかかります。
https://www.youtube.com/watch?v=xLMYE1ikCrM
政治オンチのshinkaiですが、今までのイタリアの政治家とは違う彼に、
どこまでやるれか、頑張れるか、密かに声援して見ています。



これは赤十字のヴォランティアの皆さん。

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アルピーニ・イタリア山岳兵部隊、オーストリアからのイタリア独立で
大いに戦ったアルプス兵、帽子に黒い羽1本が目印で、

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今回はスキーを担いだ姿も登場。

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普通の行進速度は、1分間に130歩だそうですが、
アルピーニの速度は遅く1分に100歩。
逆にパレード最後に登場のベルサリエーリは駆けるので、180歩!



たくさんの部隊、士官学校の生徒達、様々な伝統衣装で登場ですが、
とてもすべてご案内できず残念!

海軍の登場、まずは軍楽隊から。

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士官兵達が、サン・マルコ(連帯名)!と叫んだ所。

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海兵の中に、肌色の違う兵もいるのを見つけました。
イタリアは既に軍は皆職業軍人ですので、イタリアで生まれ育った人達が
軍に入っているのでしょうね。



空軍。

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驚きましたぁ! モデルが扮装したのかという様な女性が、
ヘルメットにカメラを付けたパイロット姿! 立派!!

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カラビニエーリ。 元は国王護衛の憲兵から派生した警察であり、
軍組織もあるカラビニエーリ。

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ミラノのスカラ座前辺りで白馬に跨っているのもカラビニエーリですが、



軍であり、アフガニスタンにも中近東の紛争にも派兵。

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こちらはカラビニエーリ所属のワン君たち。 綺麗に撮れずにごめんよ!

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そして財務省軍、フィナンツァ・Finanzaといいますが、
どの軍も最初に軍楽隊が行進し、

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ほらね、軍隊であるのが分かるでしょう?マフィア相手の財産差し押さえとか、
襲撃とか、やはり軍である必要がいろいろあるんだろうな、と想像。

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そして赤十字の皆さん。

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国の警察・ポリツィーア・Polizia関係、刑務所警察、地方警察などなど
たくさん登場してきたのですが、この方達だけは外せず、
       
プロテッツィオーネ・チヴィーレ・Protezzione Civileの皆さん。
様々な自然災害の時に働いてくれる方々です。

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そして最後を締めるのは、ベルサリエーリ・Bersaglieri.
黒い羽根つき帽子を被り、走って行進する歩兵隊。とても人気があるんですよ!

まず整列して、演奏しながら走り出し、

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あっという間に通り過ぎて行きます!
       
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こんな感じで~す。https://www.youtube.com/watch?v=c0kBETseDmQ
ベルサリエーレのファンファーレのヴィデオはたくさんあるのですが、共和国記念日の
パレードのがちょうど良いのが見つからず、少し古いので済みません。



マッタレッラ大統領が近くの皆さんにご挨拶されはじめ、

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そろそろと、テレビ・カメラが捉えたフィレッチェ・トゥリ・コローリ・ 
Frecce Tricolore・3色の矢。

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ああ、やっと1枚綺麗に撮れましたぁ! そう止まっていてくれたらね。
いつも思う事ながら、RAIのカメラマンは本当に良い目をしています!!

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大統領お迎えのカラビニエーリの軍楽隊と、コラツィエーリが近づき、

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貴賓席前に整列。

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再度、国歌演奏が始まると、上空をアクロバット飛行隊「3色の矢」が飛びます。 
綺麗! いつもわぁお~!と見とれます。

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2019年の飛行をどうぞ。 
https://www.youtube.com/watch?v=gJKZWFtoLQo

訓練風景を  フレッチェ・トゥリコローリ ・ 「イタリアの3色の矢」飛行隊
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463999146.html


貴賓席前にいた子供達が、自分達で描いた5mもの、
記念日の印象の絵を差し上げ、記念撮影を。
       
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ローマの空を去っていく、フィレッチェ・トゥリ・コローリ。

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パレードの間は何とか保った曇り空が、遂に小雨となりましたが、
車のホロをそのままに、コラツィエーリに護られ会場を去る大統領。

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お帰りになる大統領官邸、クゥリナーレ宮・Palazzo Quirinaleに翻る旗。

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という、イタリア建国70周年の軍パレード。

毎年同じではなく、今年は装甲車類の参加もなく、1度見て恐ろしくも
感じた騎馬の槍部隊の参加もありませんでした。

私は単純に煌びやかなイタリア軍の男達を眺め、
空を飛ぶ美しい「三色の矢」の軌跡に憧れ、パレードを見つめます。
イタリアの一面を楽しんでご覧頂けると、嬉しいです!

イタリア共和国記念日のお祭り 2019.6.2
http://www.italiashiho.site/archives/20190608-1.html


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