・ ルチャーノ・パヴァロッティの家博物館訪問 ・ モデナ

先週水曜にモデナをグループで、市内の聖堂、エステンセ美術館、
そして郊外にあるルチャーノ・パヴァロッティの家博物館、
モデナ名物のバルサミコ酢醸造元、等を訪問して来ました。

当日、生憎と小雨が時にぱらつきましたが、天気予報の終日雨よりはまし!
たっぷりぎっしりの日程をこなして楽しんで来ましたが、
    
今日はまずイタリアが誇る世紀のテノール歌手、
ルチャーノ・パヴァロッティ・Luciano Pavarotti(1935-2007)
の家博物館の様子をご覧くださいね。

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shinkaiめはまだ日本にいる頃から彼の歌声の大ファンでして、
あの明るく豊かな声量の歌声を聴いていると、まさにイタリアの煌く青空が
私の中にいっぱいに広がる様な・・。
そんな印象で、憧れと共に惚れ惚れと聞き惚れていたのでした。

なので今回グループ旅行で嬉しく行く事ができ、皆さんにもモデナ訪問の最初に
ご案内という、ははは、様子で、彼の歌声も最後に聞いて頂きますね。
            
家の前、明るい彩の家、門扉が目に付き、

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一番左に見えるこれ、これは彼が歌い終わってのいつものご挨拶姿、
手に大きなハンカチを持ち、両手をいっぱいに広げる姿。

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この家博物館はどこにあるか、モデナ市郊外、Stradello Nava 6に。

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蛇足ながら、パヴァロッティ博物館のすぐ北に、高速A1を挟んで見える
B&B Contrada という民宿。
ここに2年前の秋、トスカーナに向う前に1泊しており、とてもお安く、
猫や犬が居たのを良く覚えている、懐かしいB&Bが偶然に出て!

トスカーナより、無事戻りました! ちょっぴり総集編
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/465664249.html



さて入り口の門扉から見る家、左手の黄色い部分は現在ブックショップで、
母屋は右手のサーモン・カラーの部分。

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広い庭の木々に花が咲き始めておりました。



母屋の入り口。

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ガイドさんに連れられて入り口を入ると、右手の奥にピアノが見え、

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説明によると、彼は自分の幸運だった人生を振り返り、パン屋の息子に生まれ、
特別の財産があったわけでもない彼が、その折々に人々から受けた支援で
今があると考えていて、この家にやって来る歌手志望者には、
ここのピアノで無料レッスンを与えていたそう。

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左に切れて、彼の着ていたモーニングが見えますが、さすが、大きい!!



ピアノの右手の壁には、大きな書棚。

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この家は古い農家が売りに出されたのを買取リ、取り壊し、彼の長年の
アイディアのすべてを込めて、新築された物なのだそう。
80年代に買取リ、設計が始まり、実際に工事に掛かったのは90年代。 
彼はすべてを自分の思うようにしたい、がしょっちゅう海外公演に出かけるので、
しばしば工事停止にも。
       
で、実際に家が完成し、ここに住んだのは約3年間!
そして、このお家で亡くなったと。 


入り口側の壁はこんな感じで、
       
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ここにはプッチーニの手紙のコレクションが。

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そうですよね、ジャコモ・プッチーニのオペラ作品、トスカ、トゥーランドット、
ラ・ボエーム、蝶々さん、等など、パヴァロッティの当たり役がたくさんありました!

オペラに生き、恋に生き ・ プッチーニの家博物館
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/465781145.html
       


家の中の家具類などは、すべてここで使っていたものがそのままにされており、
それに博物館としての資料を加えている、という事で、

この陳列ケースには、左上にメモ帳、その右下に折れ釘、舞台で手に持っていた
ハンカチ類(右上光って見え難く・・!) 蝶ネクタイなど。

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折れ釘、というのは最初の舞台だったかな、舞台で見つけた折れ釘をポケットに
入れて居たのが上手く歌えたので、それ以来彼のおまじないのようになったのだそう。



左上にあったメモ帳、かなりのメモ魔だったようで、

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左側のには、各公演日に *TOSCA OK one などと。
oneは、benoneの略で、bene良い、の上級形、つまり公演の出来具合を記し、

右側の開かれているページには、あれこれ料理のレシピが!
ガイドさんによると、パン屋の隣に大統領の電話番号があったりで、
彼にとっては皆同じだったんだろうと、ははは。



入り口扉の正面にはエレベーターが備えられていて、

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そりゃぁまぁ、あの体格で階段を上がるのは大変でしたでしょうしね、はは、
そのガラスに書かれていたのを見て、あれ?!

Buongirono a questo giorno che si sveglia oggi con me,
buongiorno al latte ed al caffè,
buongirono a chi non c'è...
今朝一緒に目覚める君にお早う、
カフェラッテにお早う、
ここに居ない君にお早う・・

この歌詞はしばらく前にTVで流れたヌテッラ・半液体チョコレートのCMで、
パヴァロッティが歌っていて、懐かしく彼の声を聞きましたっけ!  
多分彼の最後の録音曲なのかも・・。
https://www.youtube.com/watch?v=N0HFzt4NCak
   


1階の反対側の部屋には、彼の写真とシャツがあり、 
    
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部屋にかかっている油絵は彼が描いたものだそうで、

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部屋の壁の色も明るいでしょう?! 明るい色が好みだったそうで、
絵もその通り明るい色調。 そして、やはり美味しい物が大好きだったと!



この部屋の半分の天井はこんな風に古い格子天井が使われていて、

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こじんまりとした居間風で、クッションでいっぱいのソファー。

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カード遊びが大好きで、公演旅行にもカード仲間が一緒だったと!

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彼のお父さんは、やはり美声のアマチュアで歌っていたそうで、
まさにステージ・パパとして、世界中の公演に付いてまわっていたと、
これはイタリアに来てからの彼のインターヴューで聞きました。
     


間の細い廊下、脇の棚には食器類、を抜けると、

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広い黄色い台所!

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流し台と6口のガス台の間が遠いのが、ちょっと気になりましたが、はは、
すぐテラスに続くドアがあり、夏など気持ちの良い夕食だったでしょうね!



さて我らは、明るいサーモン・ピンク色の階段を上り、

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2階と3階の中央は吹き抜けになっており、天井が開き明るい広い空間に。

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左に曲がると、クローゼットがあり、

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その奥は、キングサイズのベッドがある寝室!

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部屋にかかる自作の油絵、2度目の結婚で生まれたチビちゃんと。
彼の愛情が溢れていますね。

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彼は2度結婚していますが、shinkaiがイタリアに着て後、TVニュースで
彼と秘書のニコレッタとのゴシップが流れるようになり、遂に前の奥さんと離婚、
若いニコレッタと結婚、女の子誕生、という様ないきさつがありました。

日本で単純に彼の歌声を聞いて惚れ惚れしていたのと違い、
イタリアでのジャーナリストのインタヴューの肌合いの違いにも驚いた物でしたが、
例えばインタヴューで、貴方はお金に細かいそうですが、本当ですか?
なんぞとは、日本では大物歌手には訊ねないですよね?
という様な違いもあったのですが、

ニコレッタと一緒になってから始めた公演、パヴァロッティと友人達、という
音楽ジャンルを問わずの、若いミュージシャン達との公演中継も最初の何回かは
TVで見たものの、やはりちょっと違うな、という感じとなり、

ニコレッタが冷たい、と言ったという様なゴシップも聞くと、次第にCDを
聴くのみとなり、そして訃報、という様子でした。



寝室の隣にバス・ルームがあったのですが、普通サイズのバスやとトイレで?! 
皆がちょっと驚き、ただし体重計は大型でしたぁ!

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寝室の反対側には、こんな風にすっきりの白い部屋もあり、

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屋根裏っぽい部屋には、大型スクリーンを寝転んで見れる設えがあり、

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暫く眺めていましたら、この懐かしい、歌い終わっての姿が出て!!

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たくさんの出合った人々との写真!!

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左上はダライ・ラマ、ポール・マッカートニー、コロンボ警部、ははは、
アナン国連総長ですよね、左下は誰かな、カラヤンとミレッラ・フレーニ、
彼女は同じモデナの、しかも家も近い子供の頃からの知り合いだったそうで、
ボエームの舞台も一緒だった時のCDも持っています、ヨハネ・パオロ2世とも!



家のあちこちに大きな彼の写真があり、舞台で使った衣装も展示されていて。
反対側の隅には、彼の肖像画。
       
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上から見下ろす吹き抜け部分。

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上からエレベーターで地下1階まで降りると、世界各地から届いたファンレター、
写真、プレゼントの展示があり、

彼は馬が好きでここモデナに厩舎も持っていたそうで、馬との写真もたくさんあり、
       
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パヴァロッティとフレンズ、の公演仲間との夥しい写真! 

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お家の庭の隅に、子供用の遊び道具があり、
       
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彼の理想の家とすべく、長い年月をかけて造った家に僅か3年、
というのを聞き、ちょっと哀しくなりました。
2度目の妻と子は、現在ボローニャに住んでいるそう。
  
享年71歳、まだまだ歌える年だったと思うと、ちょっとね。
冥福を祈ります!!

彼の一番有名な曲というと、やはりプッチーニの「トゥーランドット」の
ネッスン・ドルマ・Nessun Dorma・誰も寝てはならぬ、でしょうか?
こちらでどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=xs-p1oEvuGg

shinkaiの大好きな、情緒てんめんたる、はは、カルーゾ・Carusoを。
https://www.youtube.com/watch?v=L7g_8i57gu8

最後は皆さんに、イタリアの青空の広がりを!
懐かしい、ホセ・カレーラス、プラチド・ドミンゴと一緒の楽しいのを。
https://www.youtube.com/watch?v=HqmF-B2-3NA
       
こうして聞き直すと、やはり本当に素晴らしい偉大なテノールだったと!!
同時代に生き、折々に近しい感じで聞ける事が出来たのを嬉しく思います。



パヴァロッティの家博物館は、
月曜休館 毎日10時から18時までオープン、
住所は Stradello Nava 6 Modena 

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公式サイトはこちらに。
http://www.casamuseolucianopavarotti.it/
       

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・ スコミーゴ村に羊の群れ 到着!

土曜の朝、我がパソコンが突然インターネットに接続出来ず、
色々やって見ても所詮我が腕では手に負えるものではなく、はぁ、
いつも頼む店は週末休みだし、日曜夕のブログ更新もダメかも・・。

と思いつつ10時頃、何気なしにスマート・フォンで店のサイトを見ると、
今日開いていると! きゃ! 試しに電話してみると、開いてますよとの事で、
パソコン本体を持って駆けつける事に!

でスコミーゴ村の端まで来ると、何と羊の大群が到着しているではないですか!!

残念! でもまぁ、帰りにもまだいる筈よね、と出かけ、
パソコン本体の事故ではなく、テレコムの問題であろうという事で、
5分もかからずに、また代金もとらずにすらすらと解決。
で、はい、家に戻ってカメラを持ち、再度出かけました!

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が残念な事に、羊の大群はいましたが、今朝出かけに見た時は皆もりもりと
食べている最中だったのが、今は殆どが食後の休憩に入っており!

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それでも少数が移動しながら食べており、カラカラと鈴の音があちこちから聞こえ、
その合間に結構、あちらからこちらから、めぇぇ~、めぇぇ~の声。
お母さんのお腹の下から顔が見えたり、

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しっかりお母さんに引っ付いていたり、

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チビちゃんも食後の休憩を。

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固まって休みつつ、shinkaiのほうを見たり、

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チビちゃんも安心して寝ていて、

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大変良いお天気で暑い位だったせいか、奥の木立の方にかなりの数がもぐりこみ、

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横を流れる小川に挟まれた半日陰で皆休憩中。

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この草地の東側はちょっとした住宅地になっていて、そこに車を止めて
羊飼いが見張っており、

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こちら側には、黒いワン君3匹が油断なく!

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彼らは秋に北の故郷から南に下って来て冬を越し、今春になって北の国に
戻って行くのですね。

峠のトンネル越えの様子は、  サン・ボルド峠 ・ 難所の峠越えは
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467388089.html



お母さんの横で、気持ち良さそうでしょう?!

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1人で、3人で、日向ぼっこ。

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この子が1番後に生まれた子の様で、歩くのもまだひょろひょろ。
毎日の歩いての移動で大丈夫なのか心配ですが。

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これで全部の羊! いつもコネリアーノに出て行く時に通る谷の道で、
向こうの丘の上がオリアーノの村。
 
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この畑にいる羊は初めて見たのですが、この道を挟んでの右側の畑、



ここには来ていたのを見たことがあります。
ですが、この春先から奥の雑木を切り倒し整理している最中で、何の畑になるのか。

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畑の手前のお家に咲きだしている花。

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そして、退屈しているワン君! でもね、羊のお守りは大変なんよ、体力勝負でね。

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道の手前角にある、サン・ピエリンの礼拝堂。 へへ、サン・ピエリンというのは
土地の訛りで、サン・ピエトロの事で~す。

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と言うような様子を土曜のお昼前に撮ったのですが、
これを書いている今朝日曜、まだあの草地にいるんだろうな、朝の草を
食べているのを、仲間との歩き会に出かける前に見に行って来ようか、
とちょっと気になり、8時前に出かけました。

我が家から真っ直ぐ出て、突き当たりがT字で、左に行くと草地に行くのですが、
ぶらぶら歩いていくと、Tの字の所で右からの車がきゅっと止まり、
ちょっと下がってこちらに曲がって来るのを見かけ、ははは、行き過ぎたんだろうよ。

所がなんと、曲がり角を曲がった途端見えたこの光景! 道いっぱいどころか、
広がれるだけ広がって、ははは、羊達がやって来るではないですか!!

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昨日見かけなかったロバも2頭、羊達に挟まれて歩いており、
わぁお~、幸運だったぁ!!
5分でも遅れていたら、この光景は見れませんでしたものね。



私がいる草地の所まで来ると、先頭の羊飼いが横に向き、

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草地に上がって来るのに羊達が続きます!

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この時ボンジョルノ! と挨拶でき、
全部で何頭いるのかと聞きましたら、450頭ですって!!



ここも結構広い草地で、それにいっぱいに広がり、朝露のついた草を
歩きながら、食べながら・・。

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1頭だけいる茶色の羊も傍で見れ、

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ロバたちも勿論食べつつ、常に皆が一斉に移動して行きます。

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ガードマンのワン君は、大活躍!! 羊飼いの号令も勿論ですが、
ちゃんと自分で判断し、縦横無尽に走り回り、羊達を纏めます!

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その内にオリーブの葉っぱまで食べ始め、ははは。

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少しはここでゆっくりするのかと思うまもなく、さっと引き上げて行きます。

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T字の角で少し詰まったら、皆が一斉にshinkaiの方を見て、
ははは、挨拶されたみたいな気持ちがしましたっけ!

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角の墓地の横を曲がり、少し上り坂の道を行く450頭!

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先頭を少しお年の羊飼いが行き、しんがりを若い羊飼いが。
今日はどこまで行くのか、と訊ねましたら、さぁ~、と。



チビちゃんたちが最後から行くのに、こちらを振り返り止っているのを、
若い羊飼いが、ほらほらと押しやり。

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坂道を上り左に折れ、

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左右に広がる葡萄畑に即入り込むのを、ワン君が走り回って
団体行動をとるようにと、ははは。

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犬の鳴き声を聞き、奥から何事?! と駆け寄るお馬ちゃん親子、ははは。

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こんな感じで、スコミーゴ村を去っていった羊の大群でした。
      
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見ていると、奥の曲がり道を左に上って行きましたが、あの奥にまた草原があり、
それからヴィットリオ・ヴェネトへの道、北に向かう道に出ます。

そして峠を越え、北の故郷に戻っていくのですが、彼らが北の自分の家に
戻るのは、さていつ?!  大変な仕事ですねぇ!!


*****

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・ ヴェネト 春の訪れと、友人宅でのお昼

少しずつ春が近づくのを感じる今日この頃ですが、この日曜は久し振りの
お天気の日曜で、仲間との歩き会も3週間ぶりくらい!

ちょうど友人のジュリアーナ・ミランからお昼のお誘いが仲間一同に届き、
では彼女の家の近所を少し歩きお昼を、という事になり出かけました。

彼女の家はコネリアーノから坂道を上り20分弱ほどにあり、
写真は彼女の家、奥と家の前に庭が広がります。

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こちらは玄関脇。 「猫に注意」札が見えますが、家に猫は居らず、
通いの猫ちゃんがいたのですが姿を消したと。

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写真でもご覧のように、彼女は大変に花が好きで、家の前にも、
出窓にも鉢植えの春の花がいっぱい!

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玄関横のクリスマス・ローズと、これは渋い良い色ですねぇ、と前庭にも。

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水仙。 八重の方は虫食いだらけで!

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前庭の木の下の桜草、でしたっけ?

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素晴らしい青紫のヒヤシンスもあり、 

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これは我らが持参した石楠花の鉢。 彼女は「赤色」が好きだそうで、
大変喜んでくれました。

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庭にある大きなオリーヴの木。  

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皆さん、ご存知ですか? オリーヴの葉は左右に同じ位置から出て開きますが、
一段ずつ交互に向きが90度変わるのですね。
これは以前描いた時、近くの家まで確かめに行きましたぁ! へへへ。

イチヂクの大きなのも2本ほどあり、昨年夏には木からも食べ、
たくさんお持ち帰りもしましたっけ。



裏庭にはマキ小屋があり、まだこんなに! 台所に大きなストーブがあり、
部屋も温め、調理も出来ます。

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手前に見える植物ですが、



これ何かと思って訊ねましたら、モグラ防ぎの植物なんですって!
これを植えておくとモグラが来ないと聞いて植えているそうで、白い花が咲くと。 
花を見た覚えはあるのですが・・。

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遅いと思っていたプレゼントの花鉢を積んだヘルガの車が、コネリアーノ外れの
坂道で煙を吐き出し止ったという連絡!
エレオノーラが迎えに行き、到着するまでに少し時間が開き、
shinkaiは家の近所を写しに。

先日来続いていた雨で、北に見える山々は再び白くなりましたが、
ほら、奥には白く花が咲いているのが見えるでしょう?

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いつも我が家の前から北に見えるビゼンティン・Visentinの山も、1763m、
ここからだとちょっと斜めの位置に。

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所で、このヴィゼンティンの山の向こう側にネヴェガル・Nevegalと呼ばれる村、
一帯が広がリ、ずっと以前夏に一度行った事がありますが、
スキー・リフトも何本もあり、近くで滑れるので人気なのだと聞いていました。
で今回何気なしにサイトを見ていて、そんな写真を見つけましたので、どうぞ。

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そして夏はこんなトレッキングや、滑り遊びも、何と呼ぶんだろ? ね。
登山はパスですが、下の滑るのはして見たい!!

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さて本題に戻り、ジュリアーナ・ミランの家は道から少し入り込んだ奥に建ち、
家の西奥には樹木が茂る谷があり、

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写真中央奥に見える鐘楼は、サン・ピエトロ・ディ・フェレット教会・San Pietro
di Feletto.  この古寺内部はフレスコ画で埋められており、ご案内も既に。

サン・ピエトロ・ディ・フェレット教会 ・ ヴェネト古寺巡礼
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/472435237.html



木々は一見まだ裸木ですが、木の芽は膨らんできており、

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野生のプリムラもあちこちに咲き群れ。

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shinkaiが家に戻った時、一つアクシデントが起こり! 家の入り口扉は2重に
なっていて、中側は閉めても、外側のは昼はいつも開けて置くのだそう、
鍵も内側に付いているので。 所がそれをジュリアーナが知らずに閉めてしまい、
さぁ、大変!

家の脇から小さな倉庫への鉄窓を外し、お尻がつかえそうな小さな窓から
這うようにして入り込み、ははは、漸くに家の中に入れた、と言う次第!!

いやぁ、私も一度やった事があり、鍵を壊しに来て貰うのに大事でしたから、
それ以来家の鍵は1つ隠しておりますが、
気をつけていても、ははは、時たまやらかしますねぇ。



さて漸くに皆が揃い、中に入りカフェを頂きましたが、
台所にテーブル、隅にはTVもあり、大きな調理ストーブがいつも燃えていて暖かく、
陽も差し込み、とても気持ちよい場所。

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ちょうどエレオノーラが座ったので、はい1枚。

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ガス台の上のフードには、旅行先の様々な思い出がありますが、
いやぁ、もういっぱいで、最近のは見当たりませんね。

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膝の調子が悪いと言う彼女1人をお昼の準備の為にも残し、
仲間と1時間ほど歩きに出かけ、戻って来ると、

手前の大きな鍋では、ポレンタを電動攪拌器がかき回し、奥では
ラディッキオのリゾットを調理中!

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以前の  秋の夜の、ポレンタと茸料理 と 秋色ちょっぴりスコミーゴ村
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/476444623.html



テーブルの上も片付きクロスがかかり、お皿もセットされ、アペリティーヴォを
飲みつつ、TVのスキー・ワールド・カップの中継を見つつ、リゾットを待ちます。

奥に見えるのはスペック・燻製生ハムと、手前はローズマリーの入った、
何と呼ぶっけ、硬いパンとでも。

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さてポレンタ・トウモロコシの粉ですが、彼女のは他にも雑穀が入っている様子で
風味があり美味しい、が出来上がり、ふきんの上に広げられ少し置きます。

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途中からエレオノーラがリゾットをかき回し、ジュリアーナ・ミランが
パルミッジャーノを削り、仕上げに入れ、出来上がり、
皆のお皿に! shinkaiのは多め! ははは。

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ワインも各自が注ぎ、乾杯ぃ~!!



リゾットが済むと、ポレンタとアジアーゴのチーズ、そしてラディッキオのサラダ。
はい、この後、チーズもサラダもお代わりし!

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なにせ仲間のうち3人が肉を食べず、おまけに魚がダメなのが2人おり、
ミランはいつも何にするか困るといい、もてなし料理にならないと言いますが、
こんな感じの方が気楽で良いですよね。
リゾット、ポレンタ、チーズとでお腹いっぱいに!!

デザートにリンゴと柿の乾燥果物、杏のシロップ漬けを頂き、
大いにお喋りを楽しみ、3時過ぎにさよならを。



隣村のオリアーノまで戻って見る、ヴィザンティンの山。
右下に見える教会、鐘楼がスコミーゴ村のもの。

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東に流れる山続き。 今雲の間から陽が射す中腹に、フレゴーナ・Fregonaの村、
あの村を通ってカンシーリオに行きます。

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山の低い部分の奥に顔を覗かすフリウリの高山の頂上、いつも大概真っ白!
フレゴーナの下、右に2本延びるパイプが見えますね、あそこに水力発電所。


ヴェネトの奥には、まだ雪が ・ カンシーリオの森
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462783728.html

ヴェネトの奥、カンシーリオの森 晩秋風景
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/465415971.html

n.1 標高1000m、 森林とアルプス植物園
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/472434773.html

n.2 カンシーリオの森 ・ 平野の眺めとお昼、そして子鹿
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/472435068.html

      
 
我がコンドミーニオの庭への、共同出口の脇。 斜め上のシニョーラ、ヴェネリタが
あれこれ花を植えていて、プリムラやスミレも咲き、紫陽花も目を吹き出しています。
 
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ヴェネリタの夫が設えた丸木のベンチには、朝まだ霜が白いですが、
それでも間違いなく、春はやって来ていますね!
    

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・ パドヴァ ・ ファットーリ展覧会 お昼 カフェ・ペドロッキ

この水曜にパドヴァに展覧会を見に出かけてきましたので、
日本では余り有名でないと思われる、がこちらではイタリア印象派の第一人者と
見なされる画家の作品と、お昼、カフェ・ペドロッキでのカフェ休憩をご覧下さいね。

当日は友人のルイーザと2人。 というのも他の友人達はガルダ湖のシルミオーネと、
ガブリエーレ・ダヌンツィオのヴィットリアーレ見学にグループで出かけていて、
3月末までのこの展覧会がどうしても見たい彼女と、天気予報を睨みつつ
出かけたというわけでした。


上は、パドヴァ駅に到着後、駅のバールでエネルギー補充の、カフェとドーナッツ。
勿論朝食は済ませて出かけていましたが、ははは。
上の齧りかけのクロワッサンは、ルイーザの物。

1-049_GF.jpg

展覧会は、ジョヴァンニ・ファットーリ・Giovanni Fattori
(Livorno 1825 - Firenze 1908) という画家で、19世紀後半のイタリアで、
フランス印象派の先駆けとも言えるマッキアイオーリ・Macchiaioli(色斑派とでも)と
呼ばれる運動の第一人者と見なされている画家の展覧会。

この自画像は1854年、画家が29歳の物。 

2-Zabarella.jpg



会場となったパラッツォ・ザバレッラ・Palazzo Zabarella

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会場のザバレッラ邸の正面は、以前の写真で。
この正面は道に面しているのではなく、狭い小路から塀をくぐった内庭にあるもの。

パドヴァの街の、ちょっぴりお散歩
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462330622.html

n.3 パドヴァ ・ 黄金の世紀 の 2
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462330356.html

n.2 パドヴァ ・ 黄金の世紀 の 1
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462330115.html

n.1 パードヴァ、 でございます!
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462329871.html
       


入り口ホール。 柱に上手く、展覧会の呼び物である絵が展示されているでしょう?

4-052_GF.jpg



ホール左手のブック・ショップ。

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会場内は写真禁止で、これは画家の初期作品の展示があった1階から、2階会場に
上がる階段周りの様子。 なかなか豪華な、かっての邸宅でしょう?

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画家に付いては経歴よりも絵を見ていただくのが一番と、ははは、
サイトから展覧会で見た絵と同じ作品を探し出し、実物に近いと思われた色、
そしてshinkaiが良いと思った物に絞り、ご覧頂きますね。

初期の、小さな板に描かれた物、 1859年 フランス兵

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会場での説明を読んでのルイーザの話に寄ると、従軍画家として働いた時期があったと。



こちらはかなり大きく、当時のイタリア統一戦争時の戦闘を描いた物。
マジェンタの戦い、1861-62 232x384cm

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でもご覧くださいね、馬たちはまだ止まった姿。



初期の肖像画の素晴らしい物から、これは従姉妹さんだったかな、
写真自体がピン甘で、目にピッとハイライトが入っているのも見えず・・!

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大体40歳位の作品に、今のshinkaiが良いなぁ、と思うものがあり、
色は大体写真に近いのですが、全体の雰囲気は実物にはとても不足で残念!!

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11-Arno-at-Bellariva.jpg



草を集める女性達の大作で、1866年
この中の一番左の後ろ向きの女性、彼はこの姿が気に入りだったのでしょう、
何枚かにこの姿が登場します。

12-03.jpg



ここに走る馬が登場し、 逃げる馬

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これが「白い壁」とか「哨兵」と呼ばれる彼の代表作といえるもので、
1872年 板に油彩 37x56cm

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一番色が実物と近いものを探しましたが、
100点ほどの展示の中で、やはりこれが一番良いと思ったです!

白い広い壁に、色としてはどんより加減の空、そして軍服の色、
真昼の空気がぐ~んと広がり、なんとも素晴らしいもの!!

手前の馬の脚などに、ちょっと濃茶のアウトラインが入っているのですが、
それもここではまるで気にならずですが、
後年の作品になると、めったやたらにこの色のアウトラインが目に付き、
こんな広い空間がなくなり、群像のうるささが目に付く感じで・・。失礼。

マッキアイオーリ派という言葉を上記しましたが、1859年ごろフィレンツェの
カフェ・ミケランジェロに通う画家や芸術家達の間に起こったもので、
フランス・印象派の先駆けであるバルビゾン派、1830年頃よりのコローやミレーの、
戸外の風景を描いた物に影響を受け、ただし彼らは屋内で描いたのに対し、
マッキアイオーリ派は、直接に戸外で描いたのですね。

マッキアイオーリ、色斑派という言葉は、勿論それまで画家達が古代の逸話などに
エピソードを求めて屋内で、アカデミックに塗りをすべらかに、色の調子を整え
描いたものに対して、
戸外で、色を直接に、濃淡、光りと影で置いて行く画法を皮肉って名付けたものですが、
これが1870年頃からのフランス印象派の先駆けとなりました。

ただし、印象派は色が先に見え、時に描かれる姿が朧になりますが、イタリアの
マッキアイオーリは、そこまでは行かなかった、というのが、今回あれこれ見ての感想で。



午睡。  明るい戸外の空、草の色などなど、1870~73 キャンヴァス 72,5x35

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農民達が木陰でお昼寝の最中、牛達は繋がれたまま陽を浴び、荷車を守らされ・・、
というのが、正直な所、最初に絵の出来よりshinkaiの頭に浮かんだ感想・・! 

白い大きな牛、キアニーナ種と思うのですが、何枚もの彼の絵に、様々に登場します。
牛の白さがアクセントにもなり、農民達の働く姿、戸外の空気が良く伝わって来ますが、
一枚素敵だと思ったのは、サイトでは見つかりませんでした。



ラ・ロトンダ・デイ・バーニ・パルミエーリ 1866年 板に油彩 12x35cm
いかにも印象派的でしょう?

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こちらも板の小品。 戸外に座る婦人像。

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女学生。 1893年 板に油彩 25x17cm
少し力が弱いかなと思ってみたのでしたが、晩年の作品でした。

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ちょいちょい生まれ故郷のリボルノに戻ってはいたようですが、
長年住んでいた割りには、フィレンツェ街中の作品が少ない様で、
       
ヴェッキオ橋 1870年頃 板に油彩 20,5x32,5cm

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赤い頬 1880年 40x29cm

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後年の作品に、初期の戦争画とは違って、もっと荒々しい迫力が加わったのが
何枚も登場します。

突撃 1877年頃

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若者達が夢見たイタリア国家統一運動がなったものの、社会的規律の改善には
至らずの苦さを噛みしめ、晩年の経済的な生活困難など、
そんな鬱屈した思いが吹き出したかの様な厳しい物が見え、この辺り、
単なるマッキアイオーリではなく、イタリア現実主義者とも見なされるのでしょうが、
鐙を踏み外し落馬し、荒々しく馬に引きずられる絶望的な兵の姿などもありました。



フィレンツェの美術学校アッカデミアでの、晩年の姿。 ここで学び、教えた彼の
アトリエでの様子ですが、

22-studio-e-insegnò.jpg

左背後に見える大作、トスカーナの湿地帯マレンマでの馬や牛と牧童達の、晩年の
作品が何枚か来ておりましたが、このように素晴らしいと思えるのが無く、パスです。



1888年から90年ごろの作品に版画があり、何枚かありましたが、その中で気にいった、
積み藁と牛。

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会期の終盤に近く、余り見学者も多くないので、ルイーザと2人でゆっくり見ながら
一周し、再度気に入ったのを見にもう一度。

絵のすぐ傍に寄れ、?と思ったのは絵に顔を近づけ見る事も出来るので、
イタリアでこうして展覧会を見れるのは、気に入っていますし、
中の1枚か2枚でも、気に入った絵が見つかるのは大きな刺激で、勉強になります。



天気予報ではこの日は終日曇りで、朝も冷え込んでいたのですが、
朝電車でヴェネツィアに行く間に青空が見え始め、暖かい良いお天気の一日に。

会場から出て来ての、中庭の向こう。

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会場近くにも、お昼を食べるのに良さそうなのを見つけましたが、今回はもう一度
中心に戻ってセルフ・サーヴィスの店ブレック・Brekに。
こちらは裏通りに面した広い側面、入り口。

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右奥にサラダ・バーや、ピッツァ部門、左手にグリルやパスタ部があり、

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セルフでお皿に取り、会計で支払いを、

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2人とも魚介のリゾットに、野菜類、生ビールの小で、12,2エウロ!

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野菜はほうれん草に、ジャガイモのグリル、ヴェルザの煮物で、全部は到底食べ切れず。



1時少し過ぎで、特別満員でもなくやれやれ。2階も広く、テーブルがたくさんあり。

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お昼の後は、腹ごなしにデパート・リナシェンテに行き、家庭用品部門で
ぶらぶらと品定めをし、ルイーザは孫達への小さなぬいぐるみを、
shinkaiは藍の柄が入ったレンゲを見つけ一つ、3,9エウロなり!



その後にカフェ・ペドロッキ・Caffè Pedrocchiに行きまして、

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かねてより念願の、ははは、おのぼりさんのカフェ・タイムをね。
というのも、何度も前を通りながら未だにカフェをした事が無く、ジュリアーナと
一緒だと、彼女はこういうのにはOKを出さないので、ははは、
今回は行きの電車の中でルイーザに交渉、快くOKを取りまして・・!



はい、こちらがカフェ・ペドロッキの、カフェ・ペドロッキ!
手前のピンボケがshinkaiの、はは、デカフェイーナので、カフェの上に生クリームとミント、
そしてその上にチョコレートの粉と思うのが振りかけてあり、これで5エウロ! ははは。

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お砂糖も何も入れずにこのままで、と言われまして、
これが生クリームで熱いカフェではなかったですが、美味しかったぁ!!
ミントもほんのりで、甘さもちょうどで誠にクリーミー!
付いて来たクッキーも美味しかったし、



向こうの隅のテーブルで、一皿盛りの料理を食べているのを眺めつつ、

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何を食べている? 幾らする? とルイーザとひそひそ話し、お昼の一皿料理位なら、
そんなに高くは無い筈よね、次回にはお昼を試してみようね、という事に、ははは。



若いウェイターの後ろ髪、ははは。
一番上だけ残しそれを後ろで結んでいるのが、ちょん髷みたいでね、はは。

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こうして予定をこなし、早めに戻ります。 

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スクロヴェーニ礼拝堂の横を流れる川。

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パドヴァには見所が多く、知らない場所もたくさんなのですが、我が町コネリアーノ
からだと、ヴェネツィア・メストレで乗換え、おまけに各駅停車だった朝は
1時間半以上かかりましたが、戻りは大変スムースに1時間ほど。
次回はこういうのにも気をつけ、も少し気軽に出かけようと、話した事でした。



最後は戻りの電車の中、斜め向かいで少し居眠りしていた女性。
ショワショワの髪が素敵な美人!

36-070_GF.jpg        

という、パドヴァにお出かけの一日でした。     


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・ ムーラ ・ 少し遅い春を待つ村 ・ ヴェネト

この27日はパスクワ・復活祭で、寒くは無いものの、生憎とこの日は曇り日。
が友人のジュリアーナと2人で、我が家からだと車で約30分ほどの
北西にある村、ムーラ・Mura に出かけて来ました。

1-1-4265_GF.jpg

はは、お気づきになりましたか? ムーラという村、なんです。
ムーロ・muro・壁、城壁の複数形がmuraなので、村の名に何か謂れが
あるかと調べてみましたが、特に見つからずでした。

昨年末グループで夜のプレゼーピオ、明かりの灯ったキリストの降誕を
人形などで現すもの、を見に行ったジュリアーナが、なかなか良い村だったと
いうので、では春になったら出かけようと言ってたのでした。

トップの写真はこの村の教会、ちょうど到着時間を示していますね。      
       
生憎の曇り空で、今回の写真は余り明るくないですが、ご勘弁を。


ムーラの村はどこにあるか、地図をどうぞ。 我が家は右下Casaと囲った赤点で、
その下Ogliano・オリアーノはいつも見て頂く隣村。

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坂下の道に出て、北のヴィットリオ・ヴェネトまで出て西に、という行程が
早いのでしょうが、家から好きな田舎道を辿る、赤線を引いた村々の
カルページカ・Carpesica、コッツゥオーロ・Cozzuolo、西にコルバネーゼ・
Corbanese、そして北にタルツォ・Tarzo、ラーゴ・Lagoと進み、
Mura・ムーラで、こちらの方が断然四季折々の眺めが良いのです。

ムーラは行政では西のチゾン・ディ・ヴァルマリーノ・Cison di Valmarino
の下に入り、北に見えるサン・ボルド峠・San Boldoは、 
先日見て頂いた羊達が峠を越して北の故郷に戻る峠道。

サン・ボルド峠 ・ 難所の峠越えは
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467388089.html



村に入ると細く曲がりくねった道が続き、両脇に建つ家はすべて頑丈な石造り!

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今は住まう人も居ない放置された家や納屋もあちこちに見られ、
手前四角の大きな家、この辺りこういう木のベランダ柵が特徴なのですが、
2軒分に別れた手前側は売り家の札が付いていて、

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奥半分は、



きちんと整備修復され住んでおられますが、売り家の札。
修復して後に売る、という事なのでしょう。

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近くの修復された納屋と母屋。 母屋の濃い茶色、そしてこの低い軒から
なんとなしに日本の民家を思い起こしたshinkai!

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こちらも修復されたばかりのお家の出窓。 なんとも頑丈でしょう?! 
これでまた何世紀も大丈夫なのでしょうね。

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かっての納屋の入り口かな、右上に見える黒い丸は木の梁で、
壁に見える / とか X の鉄は、梁を閉める鉄の要。

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下の写真のガレージになっている扉口は、ちょっとモダンで素敵でしょう?!



ここも住居入り口は上にあり、外階段が続きます。が現在このお家も空き家。

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お隣の広い庭の奥にワンがいて、ジュリアーナが何度も呼ぶとやっと立ち上がり、
ワン!と一声吠え、またペチャっと腹ばい!

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普通であれば、大急ぎで門柵まで駆け寄り大声で吠え走り回るべきなのに、
この子は全部省略! まぁ、このお腹を見ればね、ははは。



村の中を行ったり来たり、細い道を辿りますが、まさに村の中の家々は
すべてこんな風に石を積んだ造り!!
 
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かろうじて見える門脇の花壇もこんな風!  

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ここもやはり2階には外階段のお家で、2軒分、なかなか良い雰囲気でしょう? 

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村外れまで来ると、葡萄畑の中でお仕事中。
復活祭でも春の仕事があるのですねぇ。

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大きな赤い建物に白い線、そう、チゾンの領主、ブランドリーノ家の
持ち物の印がここにも残りますが、

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奥の低い方の家の窓が開き、中から家畜小屋の匂いが流れ、むぉ~の声。
覗いてみると、やはり牛達がいましたね。  

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村外れの道を南に行くと透明な川が流れ、ソリーゴ川と。

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村外れの道から見るムーラのほぼ全体。
そうなんです、村のすぐ北に山が迫り、いわば屏風の役を。

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丘の向こうに、チゾンのお城、カステルブランドが見えます。

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2000年の歴史 ・ カステル・ブランド・Castel Brando
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462784366.html



村の南外れは平地が広がり、子供の遊び道具のある公園もあり、
道はこんな風に東に続き、村の東側を囲みますが、

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これは南に延びる道。

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村の東に近づくと、花が既に盛りを過ぎ、

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川辺に小さな礼拝所、フレスコ画で装飾されたのが。

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ここに至り、初めて、あれっ、この場所には来た事あるよ!
何年も前、写真仲間と村のこちら側に来た事を思い出し、ははは。

チゾンの村に、春をさがしに
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463526050.html



岸辺にある柳の芽吹き。

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そう、この眺め、覚えているなぁ!
あの小さなのは礼拝所かも。 修復されたようですね。

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垣根の隙間からレンズを突っ込み、動くなよ!と言いつつ、
ははは、来年の干支用を撮り貯めしておかないと・・。

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お家の前の広い庭端には、要りそうで要らない物があれこれ、ははは。

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刈り取ったばかりの木の始末も。

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やはり花を見ると、春だなぁ、と嬉しく! 

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これも見覚えのある水槽。
ですが、上の古い写真陶板は新しく追加された物ですね。 

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古いアーチの中、家が見え、中庭が見え。

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ジュリアーナは子供時代をフリウリの北で過ごしているのですが、
過ごした家は、こんな風に大きなアーチの門があり、中に入ると広い中庭で、
女達が編み物をしたり、フェルト布の靴を作ったり、トウモロコシの実をこそげたりの
農作業をしたり、中庭の周囲を家がぐるっと囲み、他の家族が住み・・。
つまり、アーチの中は門を閉めると小さな村と同じだった、
という想い出話を。 

きっとこの村も、そんな古い時代を何世紀も重ねて来たのでしょうね。
村の中には1軒のバールも、タバッキも、食料品店も見かけず、
まぁ今は、隣のチゾンまで行けばレストランもホテルもあるほどの町ですが、
かっての村人達の生活は大変だったでしょう。
きっと自給自足の助け合い、不足を補っての暮らしだった事でしょう。

ジュリアーナ達がプレゼーピオを見に来た夜は、村でお茶とクッキーの
サーヴィスがあったそうで、やはり一種の村興しというか、自分達の村を何とか、
という皆さんの意思なのでしょうね。
良く保存されていると思いましたもの。



中庭の向こう、綺麗に改装された可愛いお家。

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ふと気がつくと、柵の向こうにワン君がいて、
吠えもせず動きもせずに、尻尾を立てたままポーズ!

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おお、いい子じゃねぇ!と広島弁で褒めてあげ、ははは、我らは道を辿ると、



なんと庭続きにずっ~と一番端まで移動して来て、もう1枚! 
長い黒い耳が目立つ、好奇心の強い、暇なワン君、ははは。

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後ろから、ボクもぉ!と吠え騒ぐ、羊みたいな耳の子!

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こうして村の中の道を行ったり来たり、奥まで入り込み、はは、
村の入り口まで戻って来て、最初の教会前に。

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この教会は村の守護聖人サン・ゴッタルド・S.Gottardoに捧げられ、
この聖人は家畜たちの守り神で、農民達から長年に渡り家畜を病気から護る様
祈りを捧げられたという、いかにも農村に相応しい守護聖人の教会なのでした。

前を通る道が、ヴィットリオ・ヴェネトから西のヴァルドッビアーデネ・
Valdobbiadeneまで続く、この先から白ワインの道と呼ばれ、プロセッコの葡萄畑の
間を抜けていく道。 

n.2 白ワインの道 ・ サント・ステーファノ付近
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462783931.html



村は教会横の道を上った上にも少し続くので、行って見ようかとなり、

お家の裏庭に見えるムスカリの花。

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如何にもの可愛い半円の橋が架かっているのが見えますが、
水路も掘られているのが今は空で、どうして水路がなくなったんだろ?!

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山に近いせいか、ここの花はちらほらの咲きかけ。

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村を見下ろす位置に出て、

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山からの風が遮られ南からの陽が当る位置の木は、正直に花を咲かせ。

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なんの芽だろ、こういうのを見ると嬉しい!

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土手の南面に咲く花。 

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村の南向こう遥かに、雑木を焼く煙がたなびき、

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教会の後ろに戻ってきて、小さい教会なのに、ちゃんと後陣が張り出し、
横にもポコッと礼拝堂があるのに感心!はは。

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時計を見ると12時40分。 2時間ほどのムーラの村散歩でしたぁ。


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・ モンザの中心ちょっぴり ・ 聖堂 鉄の王冠 王宮

ロンバルディアの州都ミラノの中心から北東に約19キロ、
街境のみで言うと約8キロの近くに位置するモンザ・Monzaの街。

日本ではモンザのサーキット場で有名だと思うのですが、古のロンゴバルト族の
首都でもあるモンザのご案内、と言ってもほんのちょっぴりの中心、
美しい聖堂と、そのお宝である鉄の王冠に付いてご覧ください。

ずっと”モンツァ”と思い込んでいたのですが、改めて友人にも尋ね、
発音を聞いてみると"モンザ”ですので、そのように書く事に。
       
さてバスを降りた所から見える、奥に続く並木道。
昨年の春4月半ば新緑の候、なんとも清々しい公園の道でしたが、
後で分ったのは、奥に見える白い壁は王宮の建物の壁。

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地図をどうぞ。 モンザの街の中心は、下に囲った中に見えるうっすらの菱形辺りで、
四角い点を打った所に聖堂があり、赤丸点を打った場所が上の写真の位置。
北に広がる広大な公園の中にサーキット場があり、Villa Realeとあるのが王宮。

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ですから今回歩いたのは、公園の南の端から中心の聖堂辺りまでの往復、
そしてほんのちょっぴり聖堂の脇から川の辺りまで、という事に。



バスを降りた公園の端辺りは既に中心街の外れで、なかなか雰囲気の良い
お屋敷街という感じ。

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街中に入り、この道を中心に向って行きますが、美しく整備された家並みが続き、
やはり中世からの建物保存である事が分かります。

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今回は街中の写真を殆ど省略してますが、これはサン・ピエトロ・マルティレ教会前
広場の、モンザ出身の画家モゼ・ビアンキ・Mosè Bianchi(1840-1904)の像。

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実はこの旅行の少し前に、このモゼ・ビアンキと言う画家の作品をサイトで見て
大変に達者な画家で驚いていたので、あれ、彼なんだ、とすぐ分った次第。

という事で今回分家の絵のブログに彼の作品を少し集めましたので、ご覧下さいね。
モンザの画家 モゼ・ビアンキ
http://italiashinkai.seesaa.net/archives/20160310-1.html



春らしい花が咲く横の小路も眺めつつ、

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これはサンタ・マリーア・デッリ・アンジェリ教会

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散歩中のすべすべ毛並みのお高いワンちゃんにも挨拶し、ははは、
ねぇ、よだれが垂れてるよ!
      

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歩いて行く先にこんな中心の塔が見えて来て、

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塔の先と時計、そして建物の西側なんですがぁ、

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肝心の全体像を撮っておりませんでしたので、サイトより拝借、へへ。
はい、こんな風に建物の下がロッジャになっている、
ラレンガーリオ・L'Arengarioという13世紀の市庁舎。

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我々は写真の向こう側から近づいてきた訳で、
こちらの2階に見えるテラス、かってはここから施政者が市民に話したテラスで、
塔は後の時代に建設された物と。

建物はご覧の通り長方形で、30,3x12,4mで、現在は展示会場に使われ、
ローマ広場と呼ばれるこの広場から道が放射線状に走り出すと。



上のラレンガーリオから小路を辿るとすぐに、ドゥオーモ広場で、
車が入らないここは市民の憩いの場でもあり、
 
15-290_GF.jpg    

  

広場の南面にこの素晴らしいドゥオーモ、
サン・ジョヴァンニ・バッティスタ聖堂・San Giovanni Battista.

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オリジナルの聖堂は6世紀末の物で、現在のは14世紀から建設が始まり17世紀に
完成したもの。 白と薄いブルーの石の縞模様に、細かい細工が施された美しい物!!
     

  
正面扉上の張り出し部に、聖堂が捧げられたサン・ジョヴァンニ・バッティスタ・
洗礼者ヨハネ像があり、左手の上には羊、右手の人差し指で天を指します。

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扉上部の半円ルネッタ部の彫像群。 下段中央左にサン・ジョヴァンニ・バッティスタと、
右に洗礼を受けるキリストですが、

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・・作者は水の表現に苦労したのでしょうねぇ、大変にユニークで、
気がついて笑いましたぁ、失礼、ははは。



扉上の張り出し部分の横に突き出す動物の飾りと、細かい細工、でも大変に
彫りが深いしっかりした美しさ! そしてどこかまだ中世風を感じる部分も残り、
新しい彫像も加わっていますね。

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聖堂内の様子、豪華でしょう?! わぁお~と見蕩れましたっけ。

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天井画と、入り口上のステンド・グラス。

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実は上の聖堂内写真はお昼解散前にさっと撮った物で、またじっくり中が見れるもの
と思っていましたら、そのままになり、内部の写真はこれだけになり、残念・・!



この聖堂には大きなお宝、聖遺物とされる物がありまして、
それがこれ、鉄の王冠・Corona Ferrea・コローナ・フェッレアと呼ばれる物。

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内側真ん中に輪が見えますね、これがキリストの磔刑の時に使用された
鉄の釘という事で、それを叩き延ばし、
その周囲に、
      
 
       
この様な、金と宝石の飾りの金属板を6つ取り付けたもの。
現在は直径15cm 高さが5,5cm 重さが535g.

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聖堂の左側の礼拝堂で実物を拝む事が出来ましたぁ!
       
礼拝堂内に我々が入りますと、入り口の扉は鍵で閉められ、
小さな金庫の扉が鍵で開けられ、中から引き出した箱の鍵を開け、
そしてその中にガラスの箱に入っていた様な・・。
つまり2重の鍵+入り口扉、という厳重さであり、
少人数づつが台の上に上がり、覗き込んで見れた、という・・。

現在は飾りの金属版が6枚と書きましたが、実際は8枚あったそうで。
この王冠は過去にあちこちに持ち運ばれているのですが、1324-45年には
フランスのアヴィニョンにまで行っており、
その際に盗まれ、2枚の金属板が消え損傷を受けたのだそう。

その後修復されたものの、2枚の装飾板が無い為に円周が小さくなり、
現在の直径になっているのだと・・!

この王冠が聖遺物というだけでなく、なぜ大事なのかですが、
かってはこの王冠がイタリア国王の戴冠に用いられたのですね。
       
ジェルサレムでキリスト磔刑の際の十字架を発見したのは、皇帝コスタンティーノ1世の
母であるエーレナであるとされ、その際に十字架に付いていた釘も発見されたと。

其の内の1本が王冠状の飾りとなりコスタンティーノ1世の兜の上に付けられていたのを、
ロンゴバルド王であるテオドージオ1世・Teodosio I がミラノに持ち帰り、
その後コスタンティノーポリに・現イスタンブル、またイタリア・モンザにと変遷し、
兜の半球として保持されていた様子。

6世紀、時の教皇グレゴーリオ1世がロンゴバルドの王妃テオドリンダ・Teodolindaに
釘の1本を贈り、それに対し夏の住まいをモンザに持っていた彼女は、
595年、隣に聖堂を建設したといい、これが現在の聖堂の前身となりますが、
             
テオドリンダは贈られた釘を入れた王冠を打ち直し、装飾の金属板を付け加えた
円の形(王冠)に作ったのだと。

皆さん、お読みになっていて分りますか?
なにせ書いているshinkai自身がどこまでがどうなのか良く分らずで、ははは、
多分こうなのだろうと推察も交えて読み書きしておりまして・・!
・・気を取り直し、
       
こうしてロンゴバルド王がこの王冠を用い、カルロ・マーニョが775年に受け継ぎ、
以後19世紀までイタリア王の戴冠に用いられるようになった、というもの。

王冠が小さくなった後は頭にかぶる事が出来ませんので、いわゆる形として
頭に手で支えて載せた様子で、
この形で有名なのが1805年ミラノで行われたナポレオン・ボナパルトの戴冠式!
ですがイタリア統一後に国王となったサボイア家は、この王冠を用いていないとの事。


1993年にこの王冠は科学的検査をされ、多分1345年に破損箇所が修復された折に
使われたと思われる金属で、鉄ではなく銀であると・・!
       
つまり釘そのものも盗まれた、というような、ちょっと神話伝説まがいの謂れにも
聞きとれる鉄の王冠のお話でしたぁ、お疲れ様!



ドゥオーモの背後にはドゥオーモ博物館も整備されてあり、
なかなか素晴らしかったのですが、なにせここも写真禁止でして・・。

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これはドゥオーモの脇にある回廊部分。

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ここから地下に降りる階段が見え、案内写真の表示もあったのですが、
地下の有名なフレスコ画の見学は無しで、残念!



こうして外に出ると、すぐ脇の道がいかにも中世風の通りで、

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振り返ってみるドゥオーモの鐘楼、1592年建設

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通りの横に見える、かっての街の門と塔。

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モンザの中心を通り抜けるランブロ川・Lambro.
サイトで見た写真には、満々と水をたたえた写真が何枚もありましたが、
なんとこの時は、まるで干上がっており・・!

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川を渡った所で曲がって引き返すヴィットリオ・エマヌエレ通り。
奥の突き当たりに見えるのが、ローマ広場のラレンガーリオ。

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通りに並ぶちょっと高級品店のウィンドウに見つけたのがこれ、
ドッグ・フィーバーとあって、ネックレスや指輪の人間様用も見えますが、

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このお値段の高いこれ、これなんでしょうかぁ?! 上の写真の右下には、
陶器製のもっとお高いのも見えるのですが・・。 指輪? ナプキン・リング? 

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という事で朝到着した広場に再び戻って来て、正面左に奥に続く並木道。

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我らは再びバスに乗り、レッコのホテルに向ったのでしたが、
道を走っていて見えたこの藤の花盛り、右側にもっと長く続き、

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角を曲がって見えたのがこの建物。 あれあれ、と思う間なく、

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こんな広大な建物が見え、王宮と知りました。

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上からの眺めをどうぞ。 広大でしょう、建物も庭園も!
王宮と書きましたが、実際は王家のヴィッラ・Villa realeなんですね。

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1777年、当時北イタリアを統治していたオーストリアの皇妃マリーア・テレーザが、
ミラノに滞在していた4男フェルディナンドの、夏の滞在と狩の為に建設した豪儀な物!!
庭園のほうは徒歩で入れ、建物中央も修復が済むと見物できる様子。
       
という、典雅なモンザのちょっぴりご案内でしたぁ。


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・ ベッラージョ ・ コモ湖の要所にある観光名所

あっという間に3月になりましたが、お天気がまだ不安定ですね。
暖かく晴れた日が待ち遠しい今日この頃ですが、
今回は昨年4月半ばに出かけたコモ湖周辺の旅から、コモ湖の中に突き出す
半島の先っちょに位置するベッラージョ・Bellagio のご案内です。
       
写真は、コモ湖周遊の船着場、ちょっとレトロでお洒落でしょう?

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コモ湖の形、ベッラージョの位置など、地図をどうぞ。 左に見えるグレイの太線が
スイスとの国境線で、そう、一帯はこんな風に入り込んでいるのですね。

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コモ湖は細長く、ちょうど人の字型に南側で分枝し、突き出した半島の先っちょに
ベッラージョがあり、歴史の中では戦略的に大変重要であったようですが、
現在では風光明媚な観光要所として有名です。
湖の側に位置するコモからは24K、ミラノからは57Kほどと。



サイトから拝借の美しい写真で、突き出す半島の様子を。
ベッラージョの町は、頭のようにぽっこりと膨らむ山の向こう側、首の付け根の位置に。

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対岸から見ると、こんな風に広がります。

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コモから出発の遊覧船が、ゆるゆるとあちこち停りながらベッラージョに着いたのは
まだお昼前。 本当に残念な事に曇り日で、写真の色もイマイチですがご容赦を。

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港から見上げる山の上の大きな建物。 これは後でご説明致しますが、
ニューヨークのロックフェラー財団の持ち物なんだそう。
       
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一旦グループから解放され、お昼ご飯用とその後の自由時間があり、
見ると観光電車が止まっているので時間を訊ねると、すぐに出発するのがあり、
戻って来てお昼ご飯にちょうど良さそう!
というので、仲間3人と乗って一回りする事に。
    
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港を眺めながら観光電車は走り出し、

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こんな尖がった家の前を過ぎ、

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オリーヴの小さな畑もあり、

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大きな建物、なんだろ? 
なにせ今回の観光バスは、一切説明なし、音楽もなし! ははは。

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細い道を結構な早さで進みながら、上り坂、下り坂、かなり揺れます!
それでも、春らしい新緑の長閑さも見え、

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曲がりくねる坂道を上り、段々に眺めが良くなり、

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半島に突き出す頭の先っちょを後ろから、の位置。

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上の写真にも見えますが、山の中腹に見える大きな建物、あれが港から見上げた
現在ロックフェラー財団の持ち物となっているヴィッラ・セルベッローニ・
Villa Serbelloni.
15世紀城の跡地に建設のヴィッラで、18世紀アレッサンドロ・セベッローニが所有、
貴重な芸術作品で素晴らしいヴィッラとなっていたのが、その後所有者が変わり、
 
1959年、当時所有していたアメリカ出身の妃が遺言で、ロックフェラー財団に遺贈。
現在建物は国際会議で使われたり、また財団から選ばれた若きアメリカの
芸術家達が1年間ここに派遣され滞在する、というもので、
名前は忘れましたが、著名な芸術家達の名が挙がるのだそう。

ガイドさんの話では、コモ湖の他の事は知らなくても、ベッラージョがアメリカ人に
とても有名なのはそのせいですと。
で、以前アメリカ在の友人がご主人と訪伊された時、コモ湖、ベッラージョ滞在
だったので、なぜ?と疑問だったのが、そうだったのか、と今納得!

そうそう、ラスヴェガスの写真に見える、大噴水のあるホテル・べッラージョは、
このベッラージョに由来するのですって。 これもロックフェラー財団効果?



こちらは東側のコモ湖。

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派手な赤い観光電車が行くのを、ワン君も見送り、ははは。

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坂道、新緑の木々、花の色。

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狭い道脇に駐車している間を抜けて、バスは走り、

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客待ちのレストランも覗き、

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小さな船溜まり、こちらは西側の湖。       

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古い小さな教会が奥に見え、

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大きなお屋敷の立派な門扉と彫像! ちょっと嬉しげね、ははは。

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がたがた揺られながら、また湖が見える位置にまで下り、こんなアーチをくぐり、

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ベッラージョの中心にまで戻ります。

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さて、お昼を食べてのち、町探訪に。 湖岸に沿っての道は平坦ですが、
そこからはすべて細い上り坂!!

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如何にものみやげ物店!

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手彩色陶器の、聖水入れ式飾り物、モザイクの十字架。
アップして値札を見ましたら、高い!と思った値段でしたよ。

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子供用の靴って、何でこんなに可愛いのでしょうね?!

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ちょっと芸術的作品を扱う店もあり、

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坂道を一番上まで辿ると、今度は横切る道に出るのが分り、引き返します。

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狭い道脇の、小さな2人用のテーブル。 見られつつ食べるか、食べながら
通行人を眺めるか、あ、まるで関係ない2人の世界というのもありね、ははは。

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上から眺める船着場。

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若い子供連れのカップルと、長~い金髪の女の子。

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漸くに少し陽が射し始め、嬉しい!

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港のすぐ脇に、藤の花満開!!

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さて船に乗り、湖の対岸にあるヴィッラ・カルロッタに向います。

山の中腹、右に見えるロックフェラー財団の建物。

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遠くに、雪を被ったアルプスの山が見え、

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湖岸に立ち並ぶ、美しいヴィッラと庭園のあれこれ!
午前中の遊覧で、こんな風に見えていたらねぇ!!

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