さて私めに取っては大きな宿題だったヴィテルボのご案内を。
というのも2回の訪問で撮ってきた写真の数も多かったのですが、それらが意味する
物を調べると奥が深く、知らない事も多く、纏めるのが大変と、はは、
逃げていたのですが、さて褌を、いや、気持ちを締め、まずは取り掛かりやすい所から。


エトルスクに元を発するというこの街ですが、ローマの軍駐留地、ロンゴバルド族と
様々な影響を受け、10世紀以降人口の増大があり、12世紀にフェデリコ1世・
バルバロッサの支援を受け自由市になったり・皇帝支配下、
現タルクイニアのコルネートの占領下・教皇領に置かれたりしますが、
13世紀の初めに漸くに教皇領に入り、ここにこの街一番の繁栄を迎えます。
ヴィテルボの案内で良く見かける言葉が、「法王に愛された街」。
これだと歴代の教皇様が避暑にでも来られた様な印象ですが、ははは、
まぁ、「教皇のテルメ」と名づけられた温泉が今も郊外にありますので、
温泉につかってのんびりもあったのかもですが、
これだと歴代の教皇様が避暑にでも来られた様な印象ですが、ははは、
まぁ、「教皇のテルメ」と名づけられた温泉が今も郊外にありますので、
温泉につかってのんびりもあったのかもですが、
13世紀に僅か30年程ではありましたが、ちょうど南仏のアヴィニョンの様に、
この街に教皇庁が移された事があり、
この街に教皇庁が移された事があり、
また現在の新教皇選出の際に使われるコンクラーベ・Conclaveという言葉も、
このヴィテルボでの最後の教皇選出の時に生まれた言葉。
このヴィテルボでの最後の教皇選出の時に生まれた言葉。
ダンテが「神曲」に詠っている、凄まじい殺人事件が教会の中で行われ、
はたまた現在もこの街の夏の夜に行われる、「サンタ・ローザの大灯明」の行列、
そしてかっては「100もの泉の町」と呼ばれたというヴィテルボ。
というように並べて見ると、少しはとっつきやすい感じになるでしょう?! という事で、
はたまた現在もこの街の夏の夜に行われる、「サンタ・ローザの大灯明」の行列、
そしてかっては「100もの泉の町」と呼ばれたというヴィテルボ。
というように並べて見ると、少しはとっつきやすい感じになるでしょう?! という事で、
現在も残る泉を含め、今回はちょっぴり「中世への誘い」の序奏を、助走でもあり、
はは、ご案内をしたいと思います。 どうぞ宜しく、そしてごゆっくり!!
はは、ご案内をしたいと思います。 どうぞ宜しく、そしてごゆっくり!!
上の写真は、かっての旧市街の城壁にある13の門の1つである、
ポルタ・フィオレンティーナ・Porta Fiorentinaと、ぐるっと旧市街を取り囲む城壁。
ポルタ・フィオレンティーナ・Porta Fiorentinaと、ぐるっと旧市街を取り囲む城壁。
他の町からやって来るとちょうどこの門の前に出て来るものの、この門は一方通行で
入れずで、shinkaiは焦ってこの門前を通りすぎ城壁を回った別の門から入ると、
今度は宿に着かずで、焦ってまたこの門から出て入りなおすという、ははは。
入れずで、shinkaiは焦ってこの門前を通りすぎ城壁を回った別の門から入ると、
今度は宿に着かずで、焦ってまたこの門から出て入りなおすという、ははは。
そんな事も思い出した門で、これは2度目の訪問時のバスからの眺め。
それに凄い城壁でしょう?! こんな城壁が現在もほぼ完璧に旧市街を囲みますが、
現在のヴィテルボの街はぐんと大きく、かっての旧市街は現在の南西部に当り、
電車駅はこの門から東に行った所に。
現在のヴィテルボの街はぐんと大きく、かっての旧市街は現在の南西部に当り、
電車駅はこの門から東に行った所に。
現在の旧市街の地図をどうぞ。 街が繁栄を誇った中世にあって中心地区であり、
ご覧のようにぐるっとほぼ4kmの城壁が街を取り囲み、全部で13あるという門が
各所に開きます。

上でご覧頂いたポルタ・フィオレンティーナは、地図の一番上、緑の四角い点を
打った所に。
緑の線で囲った位置、まさに中心にあるピアッツァ・プレビシート・
Piazza Plebiscitoが、かっての行政庁が並んだ広場で、
Piazza Plebiscitoが、かっての行政庁が並んだ広場で、
並んでジェズ教会・Chiesa del Gesù、歴史に残る殺人事件!はは、
赤字のパラッツォ・デイ・パーピ・Palazzo dei Papi、ここが教皇庁だった建物で、
その隣にこの街の聖堂サン・ロレンツォ・San Lorenzoが。
その隣にこの街の聖堂サン・ロレンツォ・San Lorenzoが。
今回のご案内は中心のピアッツア・プレビシート迄と、後は街の様子や泉をご案内し、
次回に中世の一番の中心地であったかっての教皇庁の建物や、ジェズ教会、
サン・ロレンツォ聖堂などをご案内致しますね。
次回に中世の一番の中心地であったかっての教皇庁の建物や、ジェズ教会、
サン・ロレンツォ聖堂などをご案内致しますね。
初めてヴィテルボに行ったのは5年前の秋。 宿は上の地図の、緑で囲った3の左
Piazza G.Verdi近くにあり、
Piazza G.Verdi近くにあり、
この辺りからCorso Italia・コルソ・イターリアを通り、中心に。

と、こんな感じに、すぐに中心広場の時計塔が見えて来ますが、

もう1枚地図を、こちらは旧市街に今も残る泉の地図。 ここにあるのは全部で11、
でshinkaiが見たのは7つ。 そのつもりで探したのではなく、歩いていて自然に
出合った数ですから、かなり優秀でしょう?! はは。

あ、上に書いた「100もの泉の町」の100というのは、実際に100もあったのではなく、
たくさん!という意味とご解釈を!
地図の一番上に見える Piazza della Rocca・ピアッツァ・デッラ・ロッカ、
その斜め下の San Faustino・サン・ファウスティーノ、
右端中央の Piazza Dante・ピアッツァ・ダンテ、
その斜め下の San Faustino・サン・ファウスティーノ、
右端中央の Piazza Dante・ピアッツァ・ダンテ、
一番下、実際はも少し下になりますが、del Piano・デル・ピアーノの4つを知らず。
が、これらは http://viterbo.artecitta.it/opere.php?Tipologia=Fontane
で見ることが出来ますし、
で見ることが出来ますし、
中程のメニューの帯の「Opere」の横の小さい3角をクリックすると出るカテゴリから、
建物・Palazzi 教会・Chiese 門・Porte 記念物・Monumentiなどから、
街のそれぞれが見られる優秀なサイト、お暇がある方、どうぞ!
建物・Palazzi 教会・Chiese 門・Porte 記念物・Monumentiなどから、
街のそれぞれが見られる優秀なサイト、お暇がある方、どうぞ!
コルソ・イターリアを北から中心に向って歩き、上の地図の中ほど真ん中の
エルベ広場・Piazza delle Erbeにある泉。

17世紀に造られた泉で、最初に見て頂いた地図には「ライオンの泉」ともあり、
こういった少し大仰な大きな泉は、記念碑的泉の物が多く、
ここも教皇アレッサンドロ6世の記念だった様子。
こういった少し大仰な大きな泉は、記念碑的泉の物が多く、
ここも教皇アレッサンドロ6世の記念だった様子。
時計塔も近くなり、塔の上の美しい鋳造の飾りと、大きな鐘。

塔は高さ44mの細身の塔で、1487年に前身の塔の後に建てられ、鐘は15世紀の物で、
城壁外にある美しい教会のサンタ・マリーア・デッラ・ヴェリタ教会・
S.Maria della Veritàから、18世紀に移されたのだそう。
S.Maria della Veritàから、18世紀に移されたのだそう。
プレビシート広場の北角の建物に出て、ポデスタ邸・Palazzo del Podesàに
埋め込まれた形の塔が良く分り、

可愛く繊細な印象の陶板製の時計部分が良く見えますが、1424年のヴィテルボで
始めての公衆への時計であり、公共時計としてはローマについで数年遅れなんですと。

上でも見えた、このポデスタ邸・現市役所の建物の角に見える円柱上のライオン像、
正確にはパルモ・椰子の木と一緒のライオン像は、ヴィテルボの街のシンボルで、
街のあっちにもこっちにも!


その上に見えるのは、エステ枢機卿とアルディンゲッリ司教・Ardinghelliの紋と。
プレビシート広場全体の写真をサイトから拝借し、
正面に見えるのがポデスタ邸・現市役所で、建物のオリジナルは13世紀ですが、
何度も再建改修で元の姿は残っていないと。

左側がプリオーリ宮・Palazzo Prioriで、ポデスタ邸と渡り廊下を経て繋がり、
どちらも内部が見物できる様子。
どちらも内部が見物できる様子。
右中に見えるのが、教会サンタンジェロ・イン・スパータ・S.Angelo in Spatha.
スパータというのはこの教会を保護していた家の名で、最初に教会が記録に
残るのは850年という古い教会。
スパータというのはこの教会を保護していた家の名で、最初に教会が記録に
残るのは850年という古い教会。
これが教会のアップで、右脇に白い石棺が見えますね。
現物は市の博物館にあり、市民からは「ベッラ・ガリアーナ・Bella Galianaの墓」
と呼ばれて物だそうで、


はい、お話はローマ期に遡りまして、美しきガリアーナに恋したローマの男が結婚
したがったのが、ガリアーナはうんと言わず、最後は矢に射られて死んだのですと。
したがったのが、ガリアーナはうんと言わず、最後は矢に射られて死んだのですと。
こちらがプリオーリ宮、このプレビシート広場、かってはコムーネ広場と呼ばれた
広場の拡張に伴い1264年に建設が始まり、とりわけ1271年にこの町に教皇庁が
移ってきた時には、最重要とされた建物だったと。

1階部のアーチが連なるロッジャはオリジナルで、それ以上の階は14世紀以降の物と。
2階の壁に残る紋は15世紀の教皇シスト4世・デッラ・ローヴェレ・della Rovereの物。

サイトから拝借の、プリオーリ宮のレジーナ広間・Sala Reginaのフレスコ画16世紀。

1階のロッジャの真ん中を通りぬけ向こうの庭園に出れる様で、
ただ何気に噴水がある、と思って写真を撮ったのですが、プリオーリ宮の泉。

サイトから拝借の、美しい夕暮れの写真をどうぞ。
やはりここにも、街のシンボルであるライオン君が見えます。

広場の南には現在県庁の建物がある様ですが、その建物の角にもこのライオン君。

この通りを少し先に進むと、ジェズ広場・Piazza del Gesùに出ますが、
今回はこの辺りから脚と気分に任せて辿った道々の様子をどうぞ。
事前調査もせず、地図も見ずに歩いたので、ジェズ広場から南に下った一帯が
まさに中世の古い建物、道が入り組んだ区域だった様子で、少し残念! また次回!!
まさに中世の古い建物、道が入り組んだ区域だった様子で、少し残念! また次回!!
ですがすぐ近くを辿っていた様で、こんな古い教会も垣間見たり、

説教壇にいるらしき人の姿もこんな風に残り、

残る窓にも、陶板装飾の素晴らしい物があったり、

細い通りも緩やかに蛇行し、塔も残り、

この小さな窓、入り口も素敵でしょう?!

そしてこれはパラッツォ・ガッティ・Palazzo Gatti、最初の町の地図で
右下に緑で1と打っている場所に。


ガッティとは、ガット・猫の複数ですが、その敏捷さと巧妙さから姓にしたといい、
莫大な富を持ち、当時のヴィテルボの市民政治を牛耳ったというガッティ家で、
後の教皇選出選挙でも一族のラニエーロ・Ranieroが活躍しており、
ちょっと探して読んでみたので、お楽しみに!
後の教皇選出選挙でも一族のラニエーロ・Ranieroが活躍しており、
ちょっと探して読んでみたので、お楽しみに!
現在は今残るこの塔が1つだけですが、当時は少なくとも7つの塔があり、
敷地も大変広いものだったと。
敷地も大変広いものだったと。
どちらの小路を見ても如何にも中世風で、

こうして出会ったのが、フォンターナ・グランデ・Fontana Grande、
地図ではガット邸 番号1の上辺りに。 作られたのは1212年。

shinkaiは、わぁお、大きいなあ!と上の方しか撮っておらずですが、
如何にもの、ははは、昔の絵を見つけましたので、皆さんにも!
如何にもの、ははは、昔の絵を見つけましたので、皆さんにも!

フォンターナ・グランデとは大きな泉、の意味ですが、まさに大きな泉なのでしたぁ。
塔も見え、狭い道が走る一廓があり、

現代風に改装されていても、元の中世風姿がそのまま残り、

こちらはポーシャ邸・Casa Poscia、13世紀。 最初の地図ほぼ中央の
Palazzo del Podestàという行の間に緑の点を打ち、矢印で2と書いているそこに、

美しい外階段があり、紋章もすり減っていますが、


往時の素晴らしさを残す建物で、ポーシャ邸のポーシャという名はこの邸宅の
最後の持ち主だそうで、
プレビシート広場の前の教会の石棺の主ベッラ・ガリアーナは、ここに住んでいた、
という伝説もあるそうですが、そんな無茶な、時代がまるで合わんやんかぁ!ははは。
最後の持ち主だそうで、
プレビシート広場の前の教会の石棺の主ベッラ・ガリアーナは、ここに住んでいた、
という伝説もあるそうですが、そんな無茶な、時代がまるで合わんやんかぁ!ははは。
再度エルバ広場のライオンの泉に出てきて、

こんな古い塔の上の鐘を見たりしながら、奥の小路に入り込み、

これもまた大きな古い建物! 名前を探しておりませんが、検索して置きましょう!



こちらは泉の地図、右上のサンタ・マリーア・イン・ポッジョ・
S.Maria in Poggioの泉で、背後の教会も同じ名。

13世紀のもので、この中心が膨らんだ形・紡錘形が泉としては古い形になるそうで、
イタリア語でFuso・フーゾと糸をつむぐ紡錘を呼びますが、
ヴィテルボでは泉を単純に"fuso"と呼ぶと読み、ピンと来ず、友人のジュリアーナに
SOSのメールを送り、教えて貰ったのでした。
一番上では男女が何かを運んでいるのか、取り合いっこかな、

水はこんな口から出ており、

教会側の高い位置から見る泉と、前の家並み。

そして石畳は、つるつるに光り・・。

という、ヴィテルボの街歩きその1、中世への誘い でした。
さて、これからまた必死にあれこれ読んで次回に備えますので、どうぞ宜しくぅ!
さて、これからまた必死にあれこれ読んで次回に備えますので、どうぞ宜しくぅ!
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