・ n.1 ヴィテルボ ・ 中世への誘いと、泉のご案内4つ

さて私めに取っては大きな宿題だったヴィテルボのご案内を。

というのも2回の訪問で撮ってきた写真の数も多かったのですが、それらが意味する
物を調べると奥が深く、知らない事も多く、纏めるのが大変と、はは、
逃げていたのですが、さて褌を、いや、気持ちを締め、まずは取り掛かりやすい所から。

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エトルスクに元を発するというこの街ですが、ローマの軍駐留地、ロンゴバルド族と
様々な影響を受け、10世紀以降人口の増大があり、12世紀にフェデリコ1世・
バルバロッサの支援を受け自由市になったり・皇帝支配下、
現タルクイニアのコルネートの占領下・教皇領に置かれたりしますが、
13世紀の初めに漸くに教皇領に入り、ここにこの街一番の繁栄を迎えます。

ヴィテルボの案内で良く見かける言葉が、「法王に愛された街」。
これだと歴代の教皇様が避暑にでも来られた様な印象ですが、ははは、
まぁ、「教皇のテルメ」と名づけられた温泉が今も郊外にありますので、
温泉につかってのんびりもあったのかもですが、

13世紀に僅か30年程ではありましたが、ちょうど南仏のアヴィニョンの様に、
この街に教皇庁が移された事があり、
また現在の新教皇選出の際に使われるコンクラーベ・Conclaveという言葉も、
このヴィテルボでの最後の教皇選出の時に生まれた言葉。

ダンテが「神曲」に詠っている、凄まじい殺人事件が教会の中で行われ、
はたまた現在もこの街の夏の夜に行われる、「サンタ・ローザの大灯明」の行列、
そしてかっては「100もの泉の町」と呼ばれたというヴィテルボ。
     
というように並べて見ると、少しはとっつきやすい感じになるでしょう?! という事で、
現在も残る泉を含め、今回はちょっぴり「中世への誘い」の序奏を、助走でもあり、
はは、ご案内をしたいと思います。 どうぞ宜しく、そしてごゆっくり!!

上の写真は、かっての旧市街の城壁にある13の門の1つである、
ポルタ・フィオレンティーナ・Porta Fiorentinaと、ぐるっと旧市街を取り囲む城壁。

他の町からやって来るとちょうどこの門の前に出て来るものの、この門は一方通行で
入れずで、shinkaiは焦ってこの門前を通りすぎ城壁を回った別の門から入ると、
今度は宿に着かずで、焦ってまたこの門から出て入りなおすという、ははは。
そんな事も思い出した門で、これは2度目の訪問時のバスからの眺め。

それに凄い城壁でしょう?! こんな城壁が現在もほぼ完璧に旧市街を囲みますが、
現在のヴィテルボの街はぐんと大きく、かっての旧市街は現在の南西部に当り、
電車駅はこの門から東に行った所に。



現在の旧市街の地図をどうぞ。 街が繁栄を誇った中世にあって中心地区であり、
ご覧のようにぐるっとほぼ4kmの城壁が街を取り囲み、全部で13あるという門が
各所に開きます。

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上でご覧頂いたポルタ・フィオレンティーナは、地図の一番上、緑の四角い点を
打った所に。
緑の線で囲った位置、まさに中心にあるピアッツァ・プレビシート・
Piazza Plebiscitoが、かっての行政庁が並んだ広場で、

並んでジェズ教会・Chiesa del Gesù、歴史に残る殺人事件!はは、
赤字のパラッツォ・デイ・パーピ・Palazzo dei Papi、ここが教皇庁だった建物で、
その隣にこの街の聖堂サン・ロレンツォ・San Lorenzoが。

今回のご案内は中心のピアッツア・プレビシート迄と、後は街の様子や泉をご案内し、
      
次回に中世の一番の中心地であったかっての教皇庁の建物や、ジェズ教会、
サン・ロレンツォ聖堂などをご案内致しますね。
  


初めてヴィテルボに行ったのは5年前の秋。 宿は上の地図の、緑で囲った3の左
Piazza G.Verdi近くにあり、
この辺りからCorso Italia・コルソ・イターリアを通り、中心に。

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と、こんな感じに、すぐに中心広場の時計塔が見えて来ますが、

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もう1枚地図を、こちらは旧市街に今も残る泉の地図。 ここにあるのは全部で11、
でshinkaiが見たのは7つ。 そのつもりで探したのではなく、歩いていて自然に
出合った数ですから、かなり優秀でしょう?! はは。

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あ、上に書いた「100もの泉の町」の100というのは、実際に100もあったのではなく、
たくさん!という意味とご解釈を!

地図の一番上に見える Piazza della Rocca・ピアッツァ・デッラ・ロッカ、
その斜め下の San Faustino・サン・ファウスティーノ、
右端中央の Piazza Dante・ピアッツァ・ダンテ、
一番下、実際はも少し下になりますが、del Piano・デル・ピアーノの4つを知らず。

が、これらは http://viterbo.artecitta.it/opere.php?Tipologia=Fontane
で見ることが出来ますし、
中程のメニューの帯の「Opere」の横の小さい3角をクリックすると出るカテゴリから、
建物・Palazzi 教会・Chiese 門・Porte 記念物・Monumentiなどから、
街のそれぞれが見られる優秀なサイト、お暇がある方、どうぞ!



コルソ・イターリアを北から中心に向って歩き、上の地図の中ほど真ん中の
エルベ広場・Piazza delle Erbeにある泉。
       
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17世紀に造られた泉で、最初に見て頂いた地図には「ライオンの泉」ともあり、
こういった少し大仰な大きな泉は、記念碑的泉の物が多く、
ここも教皇アレッサンドロ6世の記念だった様子。
       


時計塔も近くなり、塔の上の美しい鋳造の飾りと、大きな鐘。
       
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塔は高さ44mの細身の塔で、1487年に前身の塔の後に建てられ、鐘は15世紀の物で、
城壁外にある美しい教会のサンタ・マリーア・デッラ・ヴェリタ教会・
S.Maria della Veritàから、18世紀に移されたのだそう。



プレビシート広場の北角の建物に出て、ポデスタ邸・Palazzo del Podesàに
埋め込まれた形の塔が良く分り、
 
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可愛く繊細な印象の陶板製の時計部分が良く見えますが、1424年のヴィテルボで
始めての公衆への時計であり、公共時計としてはローマについで数年遅れなんですと。

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上でも見えた、このポデスタ邸・現市役所の建物の角に見える円柱上のライオン像、
正確にはパルモ・椰子の木と一緒のライオン像は、ヴィテルボの街のシンボルで、
街のあっちにもこっちにも!

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その上に見えるのは、エステ枢機卿とアルディンゲッリ司教・Ardinghelliの紋と。
     

  
プレビシート広場全体の写真をサイトから拝借し、

正面に見えるのがポデスタ邸・現市役所で、建物のオリジナルは13世紀ですが、
何度も再建改修で元の姿は残っていないと。

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左側がプリオーリ宮・Palazzo Prioriで、ポデスタ邸と渡り廊下を経て繋がり、
どちらも内部が見物できる様子。

右中に見えるのが、教会サンタンジェロ・イン・スパータ・S.Angelo in Spatha.
スパータというのはこの教会を保護していた家の名で、最初に教会が記録に
残るのは850年という古い教会。



これが教会のアップで、右脇に白い石棺が見えますね。
現物は市の博物館にあり、市民からは「ベッラ・ガリアーナ・Bella Galianaの墓」
と呼ばれて物だそうで、
     
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はい、お話はローマ期に遡りまして、美しきガリアーナに恋したローマの男が結婚
したがったのが、ガリアーナはうんと言わず、最後は矢に射られて死んだのですと。



こちらがプリオーリ宮、このプレビシート広場、かってはコムーネ広場と呼ばれた
広場の拡張に伴い1264年に建設が始まり、とりわけ1271年にこの町に教皇庁が
移ってきた時には、最重要とされた建物だったと。

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1階部のアーチが連なるロッジャはオリジナルで、それ以上の階は14世紀以降の物と。




2階の壁に残る紋は15世紀の教皇シスト4世・デッラ・ローヴェレ・della Rovereの物。

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サイトから拝借の、プリオーリ宮のレジーナ広間・Sala Reginaのフレスコ画16世紀。

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1階のロッジャの真ん中を通りぬけ向こうの庭園に出れる様で、
ただ何気に噴水がある、と思って写真を撮ったのですが、プリオーリ宮の泉。

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サイトから拝借の、美しい夕暮れの写真をどうぞ。
やはりここにも、街のシンボルであるライオン君が見えます。

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広場の南には現在県庁の建物がある様ですが、その建物の角にもこのライオン君。

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この通りを少し先に進むと、ジェズ広場・Piazza del Gesùに出ますが、
今回はこの辺りから脚と気分に任せて辿った道々の様子をどうぞ。
       
事前調査もせず、地図も見ずに歩いたので、ジェズ広場から南に下った一帯が
まさに中世の古い建物、道が入り組んだ区域だった様子で、少し残念! また次回!!

ですがすぐ近くを辿っていた様で、こんな古い教会も垣間見たり、
       
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説教壇にいるらしき人の姿もこんな風に残り、

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残る窓にも、陶板装飾の素晴らしい物があったり、

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細い通りも緩やかに蛇行し、塔も残り、

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この小さな窓、入り口も素敵でしょう?!

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そしてこれはパラッツォ・ガッティ・Palazzo Gatti、最初の町の地図で
右下に緑で1と打っている場所に。

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ガッティとは、ガット・猫の複数ですが、その敏捷さと巧妙さから姓にしたといい、
莫大な富を持ち、当時のヴィテルボの市民政治を牛耳ったというガッティ家で、
後の教皇選出選挙でも一族のラニエーロ・Ranieroが活躍しており、
ちょっと探して読んでみたので、お楽しみに!

現在は今残るこの塔が1つだけですが、当時は少なくとも7つの塔があり、
敷地も大変広いものだったと。



どちらの小路を見ても如何にも中世風で、

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こうして出会ったのが、フォンターナ・グランデ・Fontana Grande、
地図ではガット邸 番号1の上辺りに。 作られたのは1212年。

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shinkaiは、わぁお、大きいなあ!と上の方しか撮っておらずですが、
如何にもの、ははは、昔の絵を見つけましたので、皆さんにも!
       
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フォンターナ・グランデとは大きな泉、の意味ですが、まさに大きな泉なのでしたぁ。



塔も見え、狭い道が走る一廓があり、

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現代風に改装されていても、元の中世風姿がそのまま残り、

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こちらはポーシャ邸・Casa Poscia、13世紀。 最初の地図ほぼ中央の
Palazzo del Podestàという行の間に緑の点を打ち、矢印で2と書いているそこに、

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美しい外階段があり、紋章もすり減っていますが、

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往時の素晴らしさを残す建物で、ポーシャ邸のポーシャという名はこの邸宅の
最後の持ち主だそうで、
       
プレビシート広場の前の教会の石棺の主ベッラ・ガリアーナは、ここに住んでいた、
という伝説もあるそうですが、そんな無茶な、時代がまるで合わんやんかぁ!ははは。



再度エルバ広場のライオンの泉に出てきて、

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こんな古い塔の上の鐘を見たりしながら、奥の小路に入り込み、

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これもまた大きな古い建物! 名前を探しておりませんが、検索して置きましょう!

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こちらは泉の地図、右上のサンタ・マリーア・イン・ポッジョ・
S.Maria in Poggioの泉で、背後の教会も同じ名。

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13世紀のもので、この中心が膨らんだ形・紡錘形が泉としては古い形になるそうで、
イタリア語でFuso・フーゾと糸をつむぐ紡錘を呼びますが、
ヴィテルボでは泉を単純に"fuso"と呼ぶと読み、ピンと来ず、友人のジュリアーナに
SOSのメールを送り、教えて貰ったのでした。



一番上では男女が何かを運んでいるのか、取り合いっこかな、

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水はこんな口から出ており、

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教会側の高い位置から見る泉と、前の家並み。

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そして石畳は、つるつるに光り・・。

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という、ヴィテルボの街歩きその1、中世への誘い でした。
さて、これからまた必死にあれこれ読んで次回に備えますので、どうぞ宜しくぅ!


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・ 有翼の馬 ・ タルクイニアの国立考古博物館 ラツィオ州

ラツィオ州はタルクイニア・Tarquiniaにある国立考古博物館。
ここはエトルスコ文化の一大宝庫なのですが、その中にとびきり素晴らしく
美しい「有翼の馬」があり、それに魅せられました!

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タルクイニアの町の南東一帯に広がる発掘された古墳の数々も見学し、
装飾画の色と線の美しさにも驚き、博物館では発掘品の数々、陶製、テラコッタ、
青銅の薄板、レリーフなどなど、物凄い数の品も見たのですが、
エトルリアの文化について語れるほどに系統だって知りませんで、
あれこれちょびちょびの齧りばかりですので、
     
この考古博物館で一番興味を持ってみた「有翼の馬」周辺について
ご案内を絞ろうと思いますので、宜しくお願いいたします。
  
上の写真は、タルクイニアの町の城壁から中心街に入る所。



タルクイニアの町はどこにあるか、地図をどうぞ。
ラツィオ州の北、ヴィテルボ・Viterboから南西に45kmほど、
ティレーニア海に近く、ローマへは100km足らずに位置します。

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地図を見つつ、 南にあるトルファ・Tolfaは、かっての明礬鉱で有名だった場所で、
ブラッッチャーノ湖・Braccianoは、確かここでトム・クルーズが結婚したのでは、
何番目の結婚だったのか、はたまた既に離婚してしまったかどうか、ははは、
ネーピ・Nepiには、かのルクレツィア・ボルジャが城を持っていたっけ・・、
なんぞと知っている地名を探し出して楽しみました。



最初の写真でも城壁が見えましたが、この町もかってはぐるっと城壁が
取り囲んでいたのが現在もあちこちに残り、

奥に見える門の手前に城壁の門、つまり2重になっていたのが分ります。

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ちょうど横にあった町の地図で、大きな赤丸に今ここ、とあり、
斜めの道を辿り、インフォメーションも向い側にある国立考古博物館に向います。

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も一つ囲った赤枠は市役所のある広場で、タルクイニア訪問はこの2ヶ所を見たのみ!



考古博物館に向う道はこんな感じで、

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中心の広場に近づくと、細い道の隙間から、ほら、威圧的に高い建物が見え始め、

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こんな大きな窓も持つ、ルネッサンスの香りする建物で、

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全体写真が撮れずで、サイトから拝借し、
       
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ヴィテッレスキ邸・Palazzo Vitelleschi、現タルクイニア国立考古博物館・
Museo archeologico nazionale tarquiniense.



横の道に面する壁の高さ!

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ヴィテッレスキ邸の建設が始まったのは1436年頃、完成したのは1480~90年、
枢機卿ジョヴァンニ・マリーア・ヴィテッレスキ・Jovanni Maria Vitelleschi
が建てた物で、彼はかってコルネート・Cornetoと言ったこの地の生まれ。

1435年教皇エウジェニオ4世が教皇領の安定の為、枢機卿ヴィッテレスキへの
賞与としてこの地を司教区としたのを受けての建設だったのでしょう。
ご覧の通りの大きさ豪奢さで、当時のこの町の繁栄振りも伝わりますね。
       
話が前後しますが、この町は紀元前7~6世紀頃にエトルリア人の移殖定住があった、
古く重要な町のひとつだったのですが、紀元前3世紀ローマの元にくだり、
ローマ領の一部となり、その後も次々と領有者が変わり、8世紀には教皇領に。
が蛮族やサラセン人に荒らされ、人口も激減し経済的にも衰退。

そして10世紀頃かっての古い町に近い丘の上に、新しい集落ができ、
コルネート・Cornetoという名で11~12世紀にかけ大きな穀物産地ともなり、
港を利用してのジェノヴァやピサとの交易で発展を遂げ、
13世紀にはフェデリーコ2世の襲撃にも抵抗し、地中海と北の地域との
重要な連絡港ともなり、という変遷だった様です。
       


ちょうど考古博物館の前が広場で道が十字に交差、西側は下り坂なのですが、
そのずっと先に海! 

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反対側、緩やかな上り道の先に見えるこんな建物。
この道の奥には博物館の見学の後にちょっと。      
       
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さて、国立考古博物館に参りましょうか、

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建物は第2次大戦中ドイツ軍の司令官事務所が置かれていた為、
アメリカ軍の爆撃を受けたそうで、戦後に再建設、修復されたそう。



入り口を入るとこんな中庭があり、左は先ほど見て頂いた高い石塀で、
       
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右側はこういう感じで3階建て、色違いの石のアーチが優雅でしょう?

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中庭にはこんな石材の発掘がゴロゴロしており、

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石棺もまたあっちにこっちに!

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階段のレンガ模様。 段差がとても低いので、
ひょっとするとここも、貴人方は騎乗での上り下りだったかもですね。

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2階から見下ろす中庭部分。

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そして西に見える海と、

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テラス越しの眺め、上の眺めの続き方面。

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煉瓦で組んでいる2階のアーチ天井、と上の窓。

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こちらは外に面している大きな窓。

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陽が射し込む窓の内側のベンチ。 いつもながらのこの壁の厚さ!

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たくさんの陳列品もあったのですが、たくさんの見物人もで、はぁ、
今回はそれらすべてを省略し、

これが今回ご案内したかった「有翼の馬・I Cavalli Alati」!!
テラコッタ製 高さ1,15m  幅1,25m        

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これが紀元前4世紀の初め、今から2400年も前の作品と思えます?!
如何にも駿馬らしい若々しい引き締まった体形、
今にも空に駆け上りそうな、出発を待ち、足踏みする姿!
この熟練した描写力の素晴らしさに、まさにまさに感服!!

足元辺りに丸い黒い物が見えるのは、後ほどに。
実はここは確か撮影禁止だったと思うのですが、はは、
ガイドさんの説明を聞きながら、内側の誰かが内緒でパチッとやり始め、
皆と一緒なら怖くないで、ははは、
遂には皆がしっかり撮り始め、ガイドさんも黙認という・・!



この馬たちはどこから発掘されたか、もう一度地図をどうぞ。
左に赤い点を打ったのが、上の町の地図で見て頂いた、私はここ、の位置で、
上に考古博物館と市役所の囲いがあり、

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右下のNecropoli di Monterozzi・モンテロッツィのネクローポリ(墳墓)
とある道の東南一帯、こに古墳群があちこちに広がり、見学できますが、

赤い印のある場所から東北東に3k弱の位置に、レジーナの寺院・
Ara della Reginaと呼ばれるエトルスク神殿の発掘場所があり、

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「レジーナ」というのは、現在ディアーナ・Diana(ダイアナ)と呼ばれる
神だろうと推測されるそうで、
 
ここの発掘現場で、1938年地下3mの深さに埋もれていたのを、
考古学者ピエトロ・ロマネッリ教授・Pietro Romanelliにより発見されたもの。

100以上もの破片になっていたのを修復したのだそうで、
まさにエトルスク芸術の逸品と言えるのではないでしょうか?!
この馬以外は、残念な事に何も救えなかったそう。
       
寺院があったとされる位置は、写真内、長方形の敷地内の奥でもあったでしょうか。



で、かってどこにこの馬達がいたかというのですが、
この様に寺院の正面、屋根の下3角形の部分の左端に、後ろに2輪の馬車を
引いた形で、木の梁部分に打ちつけられていた、と。

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こちらのYoutubeを是非ご覧ください!
https://www.youtube.com/watch?v=GCHEVN6hGiw
最初にロマネッリ教授が発掘し、感激しながら取ったスケッチ、
破損した馬の頭の見事なスケッチなども写りますので。



斜め前からの馬の胸の厚みはこんな様子。
       
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で、上のYoutubeで、1938年当時の修復以来、この有翼の馬は2度目の
修復作業が2000年から行われたのも見ることが出来ます。
これは2007年夏発掘以来初めてタルクイニアを離れ、ローマのヴィッラ・ジューリアの
国立エトルスク博物館・Museo Nazionale Etrusco di Villa Giulia
でのお目見えの前に行われた物。

その内容に付いては、http://www.arsetfuror.com/r4Restauri05Art2.htm
「修復と・・その周辺・Restauri e Dintorni」
で知る事が出来ましたので、興味深い部分をご案内致しますね。
サイトには修復中のの写真も載っており、これも興味あるもので、是非どうぞ!



この修復に当たったのはイングリッド・レインデル女史・Ingrid Reindellで、
テラコッタの表面を綺麗にした所で分った色は、元は黄土色だったのが、
もう少し赤みがかかった色であった事、
そうなんですね、この馬たちは彩色されていて、Youtubeでも部分的に赤色が
残ったのが見えましたし、

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私は昔、以前の古い黄土色の馬の写真を見て以来、照明で光っていたのを、
ずっと黄金の馬かと思い込んでいたのを告白致しますです、へっへっへ。



馬の背後から、テラコッタを焼く際に出るガス抜きの為の小穴も見えるそう。

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馬車を曳く引き綱が後部に少し残っているのですが、
赤と濃い色(青か紫かな)と間の明るい色との3色なのも分りますし、
そう、尻尾の毛が結わえられているのも見え、楽しくなります。

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見える黒い丸は、背後の梁に打ち付けられていた釘で、最初の修復では
ボルトで留められていたのが、その後の発掘調査で似た釘が出てきたので、
それを模したものに変えられたそう。
破片類も新しく接着しなおされた様で、以前より0,5mm低くなったとの事!



こちらは博物館に展示されていた、多分こういう色に彩色されていたのではないか、
という復元想像図で、

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古墳内で見た色鮮やかなフレスコ画などと同じく、
きっと晴れやかに天を駆ける馬達の姿だったのでしょう!!


そうそう、博物館廊下に古墳内のフレスコ画のあれこれを撮った写真パネルの
大きなのが2枚展示されており、
Takashi Okamura タルクイニアの写真家、と日本人名が掲載されていたのも、
嬉しくご報告を。

また博物館内でたくさんの素晴らしい壷絵なども見ましたが、ギリシャの壷絵と
良く似た描写で、古墳内のフレスコ画や像の顔などはギリシャとは違う様式が
はっきり見えるのですが、壷絵は違いが良く分りませんでした。

それにどれも大変素晴らしい線、形で、どうしてこんな風に描ける?
イタリアの焼き物などは下手丸出しのもたくさん見るのにと、失礼、ははは、

長年の疑問だったのですが、ガイドさんに型紙を使っていたのだろうか、と質問し、
多分そうだったろうね、と同意を得て納得の部分もありましたぁ。
       


そんなこんなで大いに満足し博物館を出て来ると、城壁外のバスの
集合時間まで少しあり、ではあの奥に見える建物まで行こう!という事になり、

ゆるゆると坂道を上ってきた広場で、向こう半分は修復され綺麗になっているのが、
市役所の建物で、手前14世紀と17世紀のものと。

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壁に見える大きなアーチはロッジャを兼ねている様子で、階段の上には教会が。

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これは広場にあった、円柱を持つ大きな噴水で、

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土地の段差を利用し、噴水の奥にこの教会。

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市役所の建物の真ん中のアーチは、こんな風に通り抜けとなっていて、
       
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ここを抜けて行くと町のいわば旧市街だそうで、時間がなく行けなかったのが残念。
たくさんの教会と塔と城壁と古い町並み、またいつかゆっくり訪問したい町のひとつ。



ロッジャの上から見通す博物館前の広場、そして遥かに海!
       
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この後はバスの集合場所に急ぎながらも写真を撮り、一人が集合時間お構いなしで
のんびり撮るので、例によりタータがね、最後はバスが見えた時点で走り、ははは、
       
タルクイニアの有翼の馬と、ちょっぴりの町案内でした。


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・ ヴィッラ・ランテ ・ ラツィオ州バニャイア

今回のタイトルをお読みになって即、ああ、あそこか、とお分かりになる方は、
かなりと言うか、大変に通の方! と思うのですが、
ここにはイタリアでも有数の庭園を持つヴィッラがありまして、はい。

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首都ローマのあるラツィオ州ですが、北部に位置するヴィテルボ・Viterbo周辺を
4年前の春に訪問、ヴィテルボはそれ以前にも訪問しているのですが、
余りにも見所の多い土地、街町で、ご紹介できたのはほんの少し!
で、ずっと私めの宿題になっておりました。
が、この春再度ラツィオ訪問のチャンスが訪れそうで、前の分を消化しておかないと!
とお尻に火がつき、ははは、頑張って写真整理、検索に励んでおりま~す。

という事で、今回はヴィテルボのすぐ東にある町バニャイア・Bagnaiaの
ヴィッラ・ランテ・Villa Lanteのご案内を。

上と次の写真2枚は、バニャイアの町の広場で、なんと名前がない!

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というよりも、かっての町の中心は見える塔の、脇にある門をくぐった中にあり、
この前の道をヴィテルボからのヴィア・フィウメ・via Fiumeが通り抜ける、
という場所なのですね。

追記です。 シニョレッリさんが役場で貰った地図に「9月20日広場・
ピアッツァ・ヴェンティ・セッテンブレ」 と書いてあると教えて下さったので、訂正を。
シニョレッリさん、いつも有難うございます!



地図をどうぞ。 バニャイアの町はヴィテルボから東に5Kmほど、緩やかな坂道を
上った所にあり、中世のローマへの巡礼道のヴィア・フランチージェナが通っていた町。

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南にあるカプラローラ・Caprarolaには、素晴らしいファルネーゼ家の城と
庭園があり、ここは既にご案内済み。
ヴィーコ湖・Lago di Vico一帯も含め、ヴィテルボから南西に50kほどの、
ティレーニア海に近いタルクイーニア・Tarquiniaにはエトルスコの一大墓地群があり、
この町の博物館で見た有翼の馬の像も素晴らしかった!ので、
ぼちぼちご案内できると良いなと思っています。
       
今日は皆さんにも良く分って頂ける様、不足の写真をサイトからかなり拝借し、
shinkaiのサイト名のないのが、拝借した写真です。

カプラローラ ・ ファルネーゼ家邸宅のある町
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467764132.html



地図だけでは分り難いでしょうから、上空からの写真もどうぞ!
これ素晴らしいでしょう?!

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北上に、谷に突き出す形で見えるのがかっての町で、
左上に見える谷を渡るアーチ型の道を左に行くとヴィテルボの町で、
町に入って四角に見える広場が上の写真で見て頂いた広場。

手前に四角く見えるのが庭園の一番下部分で、山腹に沿い、左側一帯にも
ずっと広く広がります!



町の広場から上り坂の道の奥に見える庭園の門。

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さて、坂道を上り、庭園に入って頂きましょうか。
この庭園の開園時間と値段ですが、月曜休園で、夏は9時から19時半、
冬は9時から16時半。入園料は大人2エウロ、シニアまたは学生1エウロ。
       
ラツィオ州の博物館に付いてのご案内サイトは
http://www.polomusealelazio.beniculturali.it/



上の写真で見えた門は中央の門で、現在の入り口はその右側にあり、

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入ってまず見えるのは、土地の段差を利用したペガサスの泉。
大きな円形の泉の真ん中にペガサス・翼を持つ天馬。



泉の右に見えた階段を上がるとこんな感じで、庭園内にある並んだ建物
2つの内の右側のと、

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右一帯に広がる林と言うか、広大な庭部分。
人々がゆっくりと散策を楽しみ、日向ぼっこをしたり・・。

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上の写真に見えた右の建物の脇にある門を入ると、奥にもう一つ、
良く似た建物があります。

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これは手前建物の窓部分の装飾とフレスコ画で、上に見える四角い網の目は、
殉教した聖ロレンツォが炙られた格子を現しており、教会への忠誠を示すものと。

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2つ並んでよく似た建物があると言いましたが、右はこの庭園を造った枢機卿
ガンバラ・Gambaraの名を冠し、パラッツィーナ・ガンバロと呼び、
30年ほど後に建てられた奥を、パラッツィーナ・モンタルトと。



覗きこんだガンバロ小邸の、内部装飾のフレスコ画。

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で、見れなかった、撮れなかった部分をサイトで見つけると、
なんと真ん中に描かれた風景は、カプラローラにあるファルネーゼ家の城と庭園!!

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ファルネーゼ家の城と庭園建設が改めて再開されたのは1559年で、
こちらヴィッラ・ランテの前身が建設され始めたのは1511年。
で、ガンバラ枢機卿が多分建設途中の物を手に入れ、1566年に一応完成を
させたものの、亡くなった1587年までずっと続いた様子で、

同じ枢機卿同士の行き来もあったでしょうし、近くですし、
素晴らしい庭園や城を見て描かせたのかも、と想像します。
   
そしてなんと、設計建設が同じジャコモ・バロッツィ・ダ・ヴィニョーラ・
Giacomo Barozzi da Vignolaである事にも、気がつきました!

ガンバラ卿の没後はヴィテルボの聖職管理職・枢機卿でもあった
アレッサンドロ・ペレッティ・ディ・モンタルト・Alessandro Peretti di Montalto、
シスト5世教皇の甥、14歳で枢機卿に任命され、当時僅か17歳だった
モンタルト枢機卿が後を継ぎ、工事を完成させ、2つ目の小邸にその名を残します。



こちらは小邸のロッジャ部分で、真ん中に上のフレスコ画が見えます。

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これはチラッと修復中の建物内に入らせて貰った時、写真禁止と言われたのを、
厚かましくパッシャッとやりまして、へへへ。
時代が後のが分る繊細な装飾文様でしょう?!

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こちら、庭園全体の様子が分かる写真を探しました。
外の広い林部分は別として、内側庭園はこんな感じ。

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刈り込まれて模様を形作る低い植木もですが、上から水が流れ落ちながら
次々と様々な噴水で遊ぶ、その様子が見所だと思いますので、

今回はshinkaiが見たのとは順序を逆にし、水が流れ落ちる順に上から、
つまりかっての貴族達が楽しんだ様を皆さんにも!!

という事で、こんな椿の咲く小道を一番上まで上って頂きますね。

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上には、こんな東屋があり、

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軒下の壁にはっきり浮き彫りの海老が見え、下にDE GAMBARA・デ・ガンバラと。
       
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反対側には、JO FRAN CAR、つまり左右を繋ぐと、
Francesco Cardinale Gambara・枢機卿フランチェスコ・ガンバラ、と
この庭園造りに情熱をこめた枢機卿の名!



ロッジャというか、東屋と言うか、中の壁にもフレスコ画があり、       
芸術の女神、多分、と鳥と植物、優雅ですねぇ!

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さてこちらが枢機卿フランチェスコ(1533-1587)
ジョヴァンニ・フランチェスコ・ガンバラと言い、ブレーシャの貴族出身。

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バニャイアの土地は13世紀から教皇領で、近くのヴィテルボの司教に恒例的に
管理が任されていたのだそうで、
このヴィッラ・ランテの建設が始まったのは多分1511年で、一応の完成を見たのは、
ガンバラ卿によって1566年と。

普通ヴィッラには建設者の名がついて残るのが一般的で、後に持ち主が変わった
場合は、並んで名がつくのですが、
なぜかここはヴィッラ・ランテと、建設後100年にして持ち主となった
ボーマルツォ公爵のイッポリート・ランテ・モンテフェルトゥロ・デッラ・ローヴェレ・
Ippolito Lante Montefelrto della Rovere, Duca di Bomarzo
の名のみが残ります。

ボーマルツォと言うと怪物公園で有名ですが、
n.1 ボーマルツォの怪物公園
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467762980.html

n.2 ボーマルツォの怪物公園 と 町
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467763742.html

ウィキでも余りガンバラ枢機卿の事が分らなかったのですが、ひょんな事から、
ヴィテルボの時代に活躍した異端裁判官であったらしいのが分かりました!

それに、ヴィテルボのドゥオーモ、サン・ロレンツォ聖堂の上にもやはり、
Io Giovanni Francesco Cardinale de Gambara と彫り込んでいる事も!
 
異端裁判官としては、かのミケランジェロがあがめた
ヴィットーリア・コロンナにも矛先を向けた男だった様で。
現在は歴史の中に埋もれた様な枢機卿ですが、そんなこんなで、
案外に皆が記憶から消したかった名前でもあったのかと思った事でした。
       
  
       
さていよいよ一連の水の遊び、水運びの様子ですが、
   
一番上にあるのがこれ、
フォンターナ・デル・ディルーヴィオ・fontana del diluvio.

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町の背後にあるチミーニ山系から、傾斜を利用して運ばれて来た水は、
岩を装ったアーチに隠され、ここから徐々に流れ落ちます。

手前の水槽にちらっと見える岩は、泳ぐイルカたちで、



これはその前にある4面像!

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そして、そのも一つ手前にある噴水。
 
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この海老をかたどった形から、海老の手、ハサミをかたどった細い通路を、
水が流れ落ちて行きます。

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水路の写真は下から眺めているのですが、分りますね?



そしてフォンターナ・デイ・フィウミ・fontana dei fiumi・川の泉。
または巨人の泉とも呼ばれる様に両側に巨人像があり、幾筋もの水が流れ落ち。

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で、この細長いプールを挟んでのテーブル状の物は、
メンサ・デル・カルディナーレ・Mensa del Cardinale・枢機卿のテーブル。

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夏の外での宴会の折には、この水の流れに食物や飲み物を浸し、
水面が反射してクリスタルのようだった、という枢機卿のテーブル!



テーブルの終りは、こんな風に口を開いた男から水が流れ、

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最後の大きな水の遊びは、フォンターナ・デイ・ルミチーニ・
fontana dei lumicini・小さな明かりの泉、
70ある噴水の元が蜀台の形をして、噴水が煌くという訳ですね。

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これらの素晴らしい水の様々な遊び、細い水の流れから滝のように落ちる、様々な
調和の遊びは、全体の設計をしたヴィニョーラが、シエナから水の設計専門家である
トンマーゾ・ギヌッチ・Tommaso Ghinucciを自分で呼んだのだそうで、
彼の天才ぶりは今もここにこうして健在!



この辺りから漸くに下の庭、刈り込まれた植え込みと、真ん中の四角い泉が
良く見え、左側から順に、

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この植え込みは、フランスのフォンテンブローや、サン・ジャン・アレーの城と同じ、
まさに最初の花壇の造り手たちの手になるものなのだそう!!
       


植え込みは背の高いものではなく、中には入れませんが、
ご覧の様に木が傷んでいる部分があり、少し痛々しく・・。

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こちらの写真のように、多分建物の中からでしょうが、これ位高い場所からだと
植え込みの模様もはっきりで素晴らしい!

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ガンバラ・Gambara・海老という枢機卿の姓から、紋章にも海老がありましたが、
水の流れの囲いにも、そしてこの植え込みにも、海老らしい形が見え楽しい!

イタリアで一番素晴らしい植木の迷路 ・ ラビリントを
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467389643.html       



真ん中に見える四角い泉は4つに仕切られ真ん中に丸い噴水があり、
植え込みからそれぞれに道が付き、通れる様になっているのが見えますが、
四角く区切られた泉のそれぞれに小舟が浮かび、中に人型もという芸の細かさ!

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真ん中の丸い泉は2段になっていて、真ん中に4体の人物が腕を差し伸べていて、
shinkaiが見た時はこの修復前の姿だったのですが、

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現在は梨でもあり山の形でもある、モンタルト家のシンボルを支えた姿に修復済み。

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この泉はフォンターナ・デイ・モーリ・Fontana dei Mori・と呼ばれ、
1597年に教皇クレメンテ8世がお越しの時に、当時の持ち主であった
モンタルト枢機卿が取り付けたものの様子。



というイタリアでも有数な庭園のご案内でしたが、お楽しみ頂けたでしょうか?

実はこの下に見える古い町の中もちょっとでしたが見て、その中世が残る
古さの壁や建物にも魅せられました。

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が今回はあれこれ読むのに疲れまして、ははは、町のご案内はまたのチャンスに!


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