・ n.1 ヴィテルボ ・ 中世への誘いと、泉のご案内4つ

さて私めに取っては大きな宿題だったヴィテルボのご案内を。

というのも2回の訪問で撮ってきた写真の数も多かったのですが、それらが意味する
物を調べると奥が深く、知らない事も多く、纏めるのが大変と、はは、
逃げていたのですが、さて褌を、いや、気持ちを締め、まずは取り掛かりやすい所から。

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エトルスクに元を発するというこの街ですが、ローマの軍駐留地、ロンゴバルド族と
様々な影響を受け、10世紀以降人口の増大があり、12世紀にフェデリコ1世・
バルバロッサの支援を受け自由市になったり・皇帝支配下、
現タルクイニアのコルネートの占領下・教皇領に置かれたりしますが、
13世紀の初めに漸くに教皇領に入り、ここにこの街一番の繁栄を迎えます。

ヴィテルボの案内で良く見かける言葉が、「法王に愛された街」。
これだと歴代の教皇様が避暑にでも来られた様な印象ですが、ははは、
まぁ、「教皇のテルメ」と名づけられた温泉が今も郊外にありますので、
温泉につかってのんびりもあったのかもですが、

13世紀に僅か30年程ではありましたが、ちょうど南仏のアヴィニョンの様に、
この街に教皇庁が移された事があり、
また現在の新教皇選出の際に使われるコンクラーベ・Conclaveという言葉も、
このヴィテルボでの最後の教皇選出の時に生まれた言葉。

ダンテが「神曲」に詠っている、凄まじい殺人事件が教会の中で行われ、
はたまた現在もこの街の夏の夜に行われる、「サンタ・ローザの大灯明」の行列、
そしてかっては「100もの泉の町」と呼ばれたというヴィテルボ。
     
というように並べて見ると、少しはとっつきやすい感じになるでしょう?! という事で、
現在も残る泉を含め、今回はちょっぴり「中世への誘い」の序奏を、助走でもあり、
はは、ご案内をしたいと思います。 どうぞ宜しく、そしてごゆっくり!!

上の写真は、かっての旧市街の城壁にある13の門の1つである、
ポルタ・フィオレンティーナ・Porta Fiorentinaと、ぐるっと旧市街を取り囲む城壁。

他の町からやって来るとちょうどこの門の前に出て来るものの、この門は一方通行で
入れずで、shinkaiは焦ってこの門前を通りすぎ城壁を回った別の門から入ると、
今度は宿に着かずで、焦ってまたこの門から出て入りなおすという、ははは。
そんな事も思い出した門で、これは2度目の訪問時のバスからの眺め。

それに凄い城壁でしょう?! こんな城壁が現在もほぼ完璧に旧市街を囲みますが、
現在のヴィテルボの街はぐんと大きく、かっての旧市街は現在の南西部に当り、
電車駅はこの門から東に行った所に。



現在の旧市街の地図をどうぞ。 街が繁栄を誇った中世にあって中心地区であり、
ご覧のようにぐるっとほぼ4kmの城壁が街を取り囲み、全部で13あるという門が
各所に開きます。

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上でご覧頂いたポルタ・フィオレンティーナは、地図の一番上、緑の四角い点を
打った所に。
緑の線で囲った位置、まさに中心にあるピアッツァ・プレビシート・
Piazza Plebiscitoが、かっての行政庁が並んだ広場で、

並んでジェズ教会・Chiesa del Gesù、歴史に残る殺人事件!はは、
赤字のパラッツォ・デイ・パーピ・Palazzo dei Papi、ここが教皇庁だった建物で、
その隣にこの街の聖堂サン・ロレンツォ・San Lorenzoが。

今回のご案内は中心のピアッツア・プレビシート迄と、後は街の様子や泉をご案内し、
      
次回に中世の一番の中心地であったかっての教皇庁の建物や、ジェズ教会、
サン・ロレンツォ聖堂などをご案内致しますね。
  


初めてヴィテルボに行ったのは5年前の秋。 宿は上の地図の、緑で囲った3の左
Piazza G.Verdi近くにあり、
この辺りからCorso Italia・コルソ・イターリアを通り、中心に。

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と、こんな感じに、すぐに中心広場の時計塔が見えて来ますが、

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もう1枚地図を、こちらは旧市街に今も残る泉の地図。 ここにあるのは全部で11、
でshinkaiが見たのは7つ。 そのつもりで探したのではなく、歩いていて自然に
出合った数ですから、かなり優秀でしょう?! はは。

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あ、上に書いた「100もの泉の町」の100というのは、実際に100もあったのではなく、
たくさん!という意味とご解釈を!

地図の一番上に見える Piazza della Rocca・ピアッツァ・デッラ・ロッカ、
その斜め下の San Faustino・サン・ファウスティーノ、
右端中央の Piazza Dante・ピアッツァ・ダンテ、
一番下、実際はも少し下になりますが、del Piano・デル・ピアーノの4つを知らず。

が、これらは http://viterbo.artecitta.it/opere.php?Tipologia=Fontane
で見ることが出来ますし、
中程のメニューの帯の「Opere」の横の小さい3角をクリックすると出るカテゴリから、
建物・Palazzi 教会・Chiese 門・Porte 記念物・Monumentiなどから、
街のそれぞれが見られる優秀なサイト、お暇がある方、どうぞ!



コルソ・イターリアを北から中心に向って歩き、上の地図の中ほど真ん中の
エルベ広場・Piazza delle Erbeにある泉。
       
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17世紀に造られた泉で、最初に見て頂いた地図には「ライオンの泉」ともあり、
こういった少し大仰な大きな泉は、記念碑的泉の物が多く、
ここも教皇アレッサンドロ6世の記念だった様子。
       


時計塔も近くなり、塔の上の美しい鋳造の飾りと、大きな鐘。
       
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塔は高さ44mの細身の塔で、1487年に前身の塔の後に建てられ、鐘は15世紀の物で、
城壁外にある美しい教会のサンタ・マリーア・デッラ・ヴェリタ教会・
S.Maria della Veritàから、18世紀に移されたのだそう。



プレビシート広場の北角の建物に出て、ポデスタ邸・Palazzo del Podesàに
埋め込まれた形の塔が良く分り、
 
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可愛く繊細な印象の陶板製の時計部分が良く見えますが、1424年のヴィテルボで
始めての公衆への時計であり、公共時計としてはローマについで数年遅れなんですと。

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上でも見えた、このポデスタ邸・現市役所の建物の角に見える円柱上のライオン像、
正確にはパルモ・椰子の木と一緒のライオン像は、ヴィテルボの街のシンボルで、
街のあっちにもこっちにも!

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その上に見えるのは、エステ枢機卿とアルディンゲッリ司教・Ardinghelliの紋と。
     

  
プレビシート広場全体の写真をサイトから拝借し、

正面に見えるのがポデスタ邸・現市役所で、建物のオリジナルは13世紀ですが、
何度も再建改修で元の姿は残っていないと。

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左側がプリオーリ宮・Palazzo Prioriで、ポデスタ邸と渡り廊下を経て繋がり、
どちらも内部が見物できる様子。

右中に見えるのが、教会サンタンジェロ・イン・スパータ・S.Angelo in Spatha.
スパータというのはこの教会を保護していた家の名で、最初に教会が記録に
残るのは850年という古い教会。



これが教会のアップで、右脇に白い石棺が見えますね。
現物は市の博物館にあり、市民からは「ベッラ・ガリアーナ・Bella Galianaの墓」
と呼ばれて物だそうで、
     
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はい、お話はローマ期に遡りまして、美しきガリアーナに恋したローマの男が結婚
したがったのが、ガリアーナはうんと言わず、最後は矢に射られて死んだのですと。



こちらがプリオーリ宮、このプレビシート広場、かってはコムーネ広場と呼ばれた
広場の拡張に伴い1264年に建設が始まり、とりわけ1271年にこの町に教皇庁が
移ってきた時には、最重要とされた建物だったと。

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1階部のアーチが連なるロッジャはオリジナルで、それ以上の階は14世紀以降の物と。




2階の壁に残る紋は15世紀の教皇シスト4世・デッラ・ローヴェレ・della Rovereの物。

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サイトから拝借の、プリオーリ宮のレジーナ広間・Sala Reginaのフレスコ画16世紀。

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1階のロッジャの真ん中を通りぬけ向こうの庭園に出れる様で、
ただ何気に噴水がある、と思って写真を撮ったのですが、プリオーリ宮の泉。

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サイトから拝借の、美しい夕暮れの写真をどうぞ。
やはりここにも、街のシンボルであるライオン君が見えます。

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広場の南には現在県庁の建物がある様ですが、その建物の角にもこのライオン君。

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この通りを少し先に進むと、ジェズ広場・Piazza del Gesùに出ますが、
今回はこの辺りから脚と気分に任せて辿った道々の様子をどうぞ。
       
事前調査もせず、地図も見ずに歩いたので、ジェズ広場から南に下った一帯が
まさに中世の古い建物、道が入り組んだ区域だった様子で、少し残念! また次回!!

ですがすぐ近くを辿っていた様で、こんな古い教会も垣間見たり、
       
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説教壇にいるらしき人の姿もこんな風に残り、

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残る窓にも、陶板装飾の素晴らしい物があったり、

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細い通りも緩やかに蛇行し、塔も残り、

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この小さな窓、入り口も素敵でしょう?!

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そしてこれはパラッツォ・ガッティ・Palazzo Gatti、最初の町の地図で
右下に緑で1と打っている場所に。

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ガッティとは、ガット・猫の複数ですが、その敏捷さと巧妙さから姓にしたといい、
莫大な富を持ち、当時のヴィテルボの市民政治を牛耳ったというガッティ家で、
後の教皇選出選挙でも一族のラニエーロ・Ranieroが活躍しており、
ちょっと探して読んでみたので、お楽しみに!

現在は今残るこの塔が1つだけですが、当時は少なくとも7つの塔があり、
敷地も大変広いものだったと。



どちらの小路を見ても如何にも中世風で、

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こうして出会ったのが、フォンターナ・グランデ・Fontana Grande、
地図ではガット邸 番号1の上辺りに。 作られたのは1212年。

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shinkaiは、わぁお、大きいなあ!と上の方しか撮っておらずですが、
如何にもの、ははは、昔の絵を見つけましたので、皆さんにも!
       
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フォンターナ・グランデとは大きな泉、の意味ですが、まさに大きな泉なのでしたぁ。



塔も見え、狭い道が走る一廓があり、

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現代風に改装されていても、元の中世風姿がそのまま残り、

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こちらはポーシャ邸・Casa Poscia、13世紀。 最初の地図ほぼ中央の
Palazzo del Podestàという行の間に緑の点を打ち、矢印で2と書いているそこに、

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美しい外階段があり、紋章もすり減っていますが、

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往時の素晴らしさを残す建物で、ポーシャ邸のポーシャという名はこの邸宅の
最後の持ち主だそうで、
       
プレビシート広場の前の教会の石棺の主ベッラ・ガリアーナは、ここに住んでいた、
という伝説もあるそうですが、そんな無茶な、時代がまるで合わんやんかぁ!ははは。



再度エルバ広場のライオンの泉に出てきて、

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こんな古い塔の上の鐘を見たりしながら、奥の小路に入り込み、

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これもまた大きな古い建物! 名前を探しておりませんが、検索して置きましょう!

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こちらは泉の地図、右上のサンタ・マリーア・イン・ポッジョ・
S.Maria in Poggioの泉で、背後の教会も同じ名。

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13世紀のもので、この中心が膨らんだ形・紡錘形が泉としては古い形になるそうで、
イタリア語でFuso・フーゾと糸をつむぐ紡錘を呼びますが、
ヴィテルボでは泉を単純に"fuso"と呼ぶと読み、ピンと来ず、友人のジュリアーナに
SOSのメールを送り、教えて貰ったのでした。



一番上では男女が何かを運んでいるのか、取り合いっこかな、

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水はこんな口から出ており、

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教会側の高い位置から見る泉と、前の家並み。

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そして石畳は、つるつるに光り・・。

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という、ヴィテルボの街歩きその1、中世への誘い でした。
さて、これからまた必死にあれこれ読んで次回に備えますので、どうぞ宜しくぅ!


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・ 有翼の馬 ・ タルクイニアの国立考古博物館 ラツィオ州

ラツィオ州はタルクイニア・Tarquiniaにある国立考古博物館。
ここはエトルスコ文化の一大宝庫なのですが、その中にとびきり素晴らしく
美しい「有翼の馬」があり、それに魅せられました!

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タルクイニアの町の南東一帯に広がる発掘された古墳の数々も見学し、
装飾画の色と線の美しさにも驚き、博物館では発掘品の数々、陶製、テラコッタ、
青銅の薄板、レリーフなどなど、物凄い数の品も見たのですが、
エトルリアの文化について語れるほどに系統だって知りませんで、
あれこれちょびちょびの齧りばかりですので、
     
この考古博物館で一番興味を持ってみた「有翼の馬」周辺について
ご案内を絞ろうと思いますので、宜しくお願いいたします。
  
上の写真は、タルクイニアの町の城壁から中心街に入る所。



タルクイニアの町はどこにあるか、地図をどうぞ。
ラツィオ州の北、ヴィテルボ・Viterboから南西に45kmほど、
ティレーニア海に近く、ローマへは100km足らずに位置します。

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地図を見つつ、 南にあるトルファ・Tolfaは、かっての明礬鉱で有名だった場所で、
ブラッッチャーノ湖・Braccianoは、確かここでトム・クルーズが結婚したのでは、
何番目の結婚だったのか、はたまた既に離婚してしまったかどうか、ははは、
ネーピ・Nepiには、かのルクレツィア・ボルジャが城を持っていたっけ・・、
なんぞと知っている地名を探し出して楽しみました。



最初の写真でも城壁が見えましたが、この町もかってはぐるっと城壁が
取り囲んでいたのが現在もあちこちに残り、

奥に見える門の手前に城壁の門、つまり2重になっていたのが分ります。

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ちょうど横にあった町の地図で、大きな赤丸に今ここ、とあり、
斜めの道を辿り、インフォメーションも向い側にある国立考古博物館に向います。

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も一つ囲った赤枠は市役所のある広場で、タルクイニア訪問はこの2ヶ所を見たのみ!



考古博物館に向う道はこんな感じで、

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中心の広場に近づくと、細い道の隙間から、ほら、威圧的に高い建物が見え始め、

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こんな大きな窓も持つ、ルネッサンスの香りする建物で、

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全体写真が撮れずで、サイトから拝借し、
       
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ヴィテッレスキ邸・Palazzo Vitelleschi、現タルクイニア国立考古博物館・
Museo archeologico nazionale tarquiniense.



横の道に面する壁の高さ!

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ヴィテッレスキ邸の建設が始まったのは1436年頃、完成したのは1480~90年、
枢機卿ジョヴァンニ・マリーア・ヴィテッレスキ・Jovanni Maria Vitelleschi
が建てた物で、彼はかってコルネート・Cornetoと言ったこの地の生まれ。

1435年教皇エウジェニオ4世が教皇領の安定の為、枢機卿ヴィッテレスキへの
賞与としてこの地を司教区としたのを受けての建設だったのでしょう。
ご覧の通りの大きさ豪奢さで、当時のこの町の繁栄振りも伝わりますね。
       
話が前後しますが、この町は紀元前7~6世紀頃にエトルリア人の移殖定住があった、
古く重要な町のひとつだったのですが、紀元前3世紀ローマの元にくだり、
ローマ領の一部となり、その後も次々と領有者が変わり、8世紀には教皇領に。
が蛮族やサラセン人に荒らされ、人口も激減し経済的にも衰退。

そして10世紀頃かっての古い町に近い丘の上に、新しい集落ができ、
コルネート・Cornetoという名で11~12世紀にかけ大きな穀物産地ともなり、
港を利用してのジェノヴァやピサとの交易で発展を遂げ、
13世紀にはフェデリーコ2世の襲撃にも抵抗し、地中海と北の地域との
重要な連絡港ともなり、という変遷だった様です。
       


ちょうど考古博物館の前が広場で道が十字に交差、西側は下り坂なのですが、
そのずっと先に海! 

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反対側、緩やかな上り道の先に見えるこんな建物。
この道の奥には博物館の見学の後にちょっと。      
       
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さて、国立考古博物館に参りましょうか、

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建物は第2次大戦中ドイツ軍の司令官事務所が置かれていた為、
アメリカ軍の爆撃を受けたそうで、戦後に再建設、修復されたそう。



入り口を入るとこんな中庭があり、左は先ほど見て頂いた高い石塀で、
       
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右側はこういう感じで3階建て、色違いの石のアーチが優雅でしょう?

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中庭にはこんな石材の発掘がゴロゴロしており、

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石棺もまたあっちにこっちに!

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階段のレンガ模様。 段差がとても低いので、
ひょっとするとここも、貴人方は騎乗での上り下りだったかもですね。

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2階から見下ろす中庭部分。

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そして西に見える海と、

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テラス越しの眺め、上の眺めの続き方面。

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煉瓦で組んでいる2階のアーチ天井、と上の窓。

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こちらは外に面している大きな窓。

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陽が射し込む窓の内側のベンチ。 いつもながらのこの壁の厚さ!

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たくさんの陳列品もあったのですが、たくさんの見物人もで、はぁ、
今回はそれらすべてを省略し、

これが今回ご案内したかった「有翼の馬・I Cavalli Alati」!!
テラコッタ製 高さ1,15m  幅1,25m        

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これが紀元前4世紀の初め、今から2400年も前の作品と思えます?!
如何にも駿馬らしい若々しい引き締まった体形、
今にも空に駆け上りそうな、出発を待ち、足踏みする姿!
この熟練した描写力の素晴らしさに、まさにまさに感服!!

足元辺りに丸い黒い物が見えるのは、後ほどに。
実はここは確か撮影禁止だったと思うのですが、はは、
ガイドさんの説明を聞きながら、内側の誰かが内緒でパチッとやり始め、
皆と一緒なら怖くないで、ははは、
遂には皆がしっかり撮り始め、ガイドさんも黙認という・・!



この馬たちはどこから発掘されたか、もう一度地図をどうぞ。
左に赤い点を打ったのが、上の町の地図で見て頂いた、私はここ、の位置で、
上に考古博物館と市役所の囲いがあり、

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右下のNecropoli di Monterozzi・モンテロッツィのネクローポリ(墳墓)
とある道の東南一帯、こに古墳群があちこちに広がり、見学できますが、

赤い印のある場所から東北東に3k弱の位置に、レジーナの寺院・
Ara della Reginaと呼ばれるエトルスク神殿の発掘場所があり、

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「レジーナ」というのは、現在ディアーナ・Diana(ダイアナ)と呼ばれる
神だろうと推測されるそうで、
 
ここの発掘現場で、1938年地下3mの深さに埋もれていたのを、
考古学者ピエトロ・ロマネッリ教授・Pietro Romanelliにより発見されたもの。

100以上もの破片になっていたのを修復したのだそうで、
まさにエトルスク芸術の逸品と言えるのではないでしょうか?!
この馬以外は、残念な事に何も救えなかったそう。
       
寺院があったとされる位置は、写真内、長方形の敷地内の奥でもあったでしょうか。



で、かってどこにこの馬達がいたかというのですが、
この様に寺院の正面、屋根の下3角形の部分の左端に、後ろに2輪の馬車を
引いた形で、木の梁部分に打ちつけられていた、と。

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こちらのYoutubeを是非ご覧ください!
https://www.youtube.com/watch?v=GCHEVN6hGiw
最初にロマネッリ教授が発掘し、感激しながら取ったスケッチ、
破損した馬の頭の見事なスケッチなども写りますので。



斜め前からの馬の胸の厚みはこんな様子。
       
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で、上のYoutubeで、1938年当時の修復以来、この有翼の馬は2度目の
修復作業が2000年から行われたのも見ることが出来ます。
これは2007年夏発掘以来初めてタルクイニアを離れ、ローマのヴィッラ・ジューリアの
国立エトルスク博物館・Museo Nazionale Etrusco di Villa Giulia
でのお目見えの前に行われた物。

その内容に付いては、http://www.arsetfuror.com/r4Restauri05Art2.htm
「修復と・・その周辺・Restauri e Dintorni」
で知る事が出来ましたので、興味深い部分をご案内致しますね。
サイトには修復中のの写真も載っており、これも興味あるもので、是非どうぞ!



この修復に当たったのはイングリッド・レインデル女史・Ingrid Reindellで、
テラコッタの表面を綺麗にした所で分った色は、元は黄土色だったのが、
もう少し赤みがかかった色であった事、
そうなんですね、この馬たちは彩色されていて、Youtubeでも部分的に赤色が
残ったのが見えましたし、

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私は昔、以前の古い黄土色の馬の写真を見て以来、照明で光っていたのを、
ずっと黄金の馬かと思い込んでいたのを告白致しますです、へっへっへ。



馬の背後から、テラコッタを焼く際に出るガス抜きの為の小穴も見えるそう。

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馬車を曳く引き綱が後部に少し残っているのですが、
赤と濃い色(青か紫かな)と間の明るい色との3色なのも分りますし、
そう、尻尾の毛が結わえられているのも見え、楽しくなります。

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見える黒い丸は、背後の梁に打ち付けられていた釘で、最初の修復では
ボルトで留められていたのが、その後の発掘調査で似た釘が出てきたので、
それを模したものに変えられたそう。
破片類も新しく接着しなおされた様で、以前より0,5mm低くなったとの事!



こちらは博物館に展示されていた、多分こういう色に彩色されていたのではないか、
という復元想像図で、

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古墳内で見た色鮮やかなフレスコ画などと同じく、
きっと晴れやかに天を駆ける馬達の姿だったのでしょう!!


そうそう、博物館廊下に古墳内のフレスコ画のあれこれを撮った写真パネルの
大きなのが2枚展示されており、
Takashi Okamura タルクイニアの写真家、と日本人名が掲載されていたのも、
嬉しくご報告を。

また博物館内でたくさんの素晴らしい壷絵なども見ましたが、ギリシャの壷絵と
良く似た描写で、古墳内のフレスコ画や像の顔などはギリシャとは違う様式が
はっきり見えるのですが、壷絵は違いが良く分りませんでした。

それにどれも大変素晴らしい線、形で、どうしてこんな風に描ける?
イタリアの焼き物などは下手丸出しのもたくさん見るのにと、失礼、ははは、

長年の疑問だったのですが、ガイドさんに型紙を使っていたのだろうか、と質問し、
多分そうだったろうね、と同意を得て納得の部分もありましたぁ。
       


そんなこんなで大いに満足し博物館を出て来ると、城壁外のバスの
集合時間まで少しあり、ではあの奥に見える建物まで行こう!という事になり、

ゆるゆると坂道を上ってきた広場で、向こう半分は修復され綺麗になっているのが、
市役所の建物で、手前14世紀と17世紀のものと。

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壁に見える大きなアーチはロッジャを兼ねている様子で、階段の上には教会が。

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これは広場にあった、円柱を持つ大きな噴水で、

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土地の段差を利用し、噴水の奥にこの教会。

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市役所の建物の真ん中のアーチは、こんな風に通り抜けとなっていて、
       
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ここを抜けて行くと町のいわば旧市街だそうで、時間がなく行けなかったのが残念。
たくさんの教会と塔と城壁と古い町並み、またいつかゆっくり訪問したい町のひとつ。



ロッジャの上から見通す博物館前の広場、そして遥かに海!
       
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この後はバスの集合場所に急ぎながらも写真を撮り、一人が集合時間お構いなしで
のんびり撮るので、例によりタータがね、最後はバスが見えた時点で走り、ははは、
       
タルクイニアの有翼の馬と、ちょっぴりの町案内でした。


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・ ヴィッラ・ランテ ・ ラツィオ州バニャイア

今回のタイトルをお読みになって即、ああ、あそこか、とお分かりになる方は、
かなりと言うか、大変に通の方! と思うのですが、
ここにはイタリアでも有数の庭園を持つヴィッラがありまして、はい。

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首都ローマのあるラツィオ州ですが、北部に位置するヴィテルボ・Viterbo周辺を
4年前の春に訪問、ヴィテルボはそれ以前にも訪問しているのですが、
余りにも見所の多い土地、街町で、ご紹介できたのはほんの少し!
で、ずっと私めの宿題になっておりました。
が、この春再度ラツィオ訪問のチャンスが訪れそうで、前の分を消化しておかないと!
とお尻に火がつき、ははは、頑張って写真整理、検索に励んでおりま~す。

という事で、今回はヴィテルボのすぐ東にある町バニャイア・Bagnaiaの
ヴィッラ・ランテ・Villa Lanteのご案内を。

上と次の写真2枚は、バニャイアの町の広場で、なんと名前がない!

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というよりも、かっての町の中心は見える塔の、脇にある門をくぐった中にあり、
この前の道をヴィテルボからのヴィア・フィウメ・via Fiumeが通り抜ける、
という場所なのですね。

追記です。 シニョレッリさんが役場で貰った地図に「9月20日広場・
ピアッツァ・ヴェンティ・セッテンブレ」 と書いてあると教えて下さったので、訂正を。
シニョレッリさん、いつも有難うございます!



地図をどうぞ。 バニャイアの町はヴィテルボから東に5Kmほど、緩やかな坂道を
上った所にあり、中世のローマへの巡礼道のヴィア・フランチージェナが通っていた町。

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南にあるカプラローラ・Caprarolaには、素晴らしいファルネーゼ家の城と
庭園があり、ここは既にご案内済み。
ヴィーコ湖・Lago di Vico一帯も含め、ヴィテルボから南西に50kほどの、
ティレーニア海に近いタルクイーニア・Tarquiniaにはエトルスコの一大墓地群があり、
この町の博物館で見た有翼の馬の像も素晴らしかった!ので、
ぼちぼちご案内できると良いなと思っています。
       
今日は皆さんにも良く分って頂ける様、不足の写真をサイトからかなり拝借し、
shinkaiのサイト名のないのが、拝借した写真です。

カプラローラ ・ ファルネーゼ家邸宅のある町
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467764132.html



地図だけでは分り難いでしょうから、上空からの写真もどうぞ!
これ素晴らしいでしょう?!

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北上に、谷に突き出す形で見えるのがかっての町で、
左上に見える谷を渡るアーチ型の道を左に行くとヴィテルボの町で、
町に入って四角に見える広場が上の写真で見て頂いた広場。

手前に四角く見えるのが庭園の一番下部分で、山腹に沿い、左側一帯にも
ずっと広く広がります!



町の広場から上り坂の道の奥に見える庭園の門。

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さて、坂道を上り、庭園に入って頂きましょうか。
この庭園の開園時間と値段ですが、月曜休園で、夏は9時から19時半、
冬は9時から16時半。入園料は大人2エウロ、シニアまたは学生1エウロ。
       
ラツィオ州の博物館に付いてのご案内サイトは
http://www.polomusealelazio.beniculturali.it/



上の写真で見えた門は中央の門で、現在の入り口はその右側にあり、

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入ってまず見えるのは、土地の段差を利用したペガサスの泉。
大きな円形の泉の真ん中にペガサス・翼を持つ天馬。



泉の右に見えた階段を上がるとこんな感じで、庭園内にある並んだ建物
2つの内の右側のと、

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右一帯に広がる林と言うか、広大な庭部分。
人々がゆっくりと散策を楽しみ、日向ぼっこをしたり・・。

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上の写真に見えた右の建物の脇にある門を入ると、奥にもう一つ、
良く似た建物があります。

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これは手前建物の窓部分の装飾とフレスコ画で、上に見える四角い網の目は、
殉教した聖ロレンツォが炙られた格子を現しており、教会への忠誠を示すものと。

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2つ並んでよく似た建物があると言いましたが、右はこの庭園を造った枢機卿
ガンバラ・Gambaraの名を冠し、パラッツィーナ・ガンバロと呼び、
30年ほど後に建てられた奥を、パラッツィーナ・モンタルトと。



覗きこんだガンバロ小邸の、内部装飾のフレスコ画。

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で、見れなかった、撮れなかった部分をサイトで見つけると、
なんと真ん中に描かれた風景は、カプラローラにあるファルネーゼ家の城と庭園!!

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ファルネーゼ家の城と庭園建設が改めて再開されたのは1559年で、
こちらヴィッラ・ランテの前身が建設され始めたのは1511年。
で、ガンバラ枢機卿が多分建設途中の物を手に入れ、1566年に一応完成を
させたものの、亡くなった1587年までずっと続いた様子で、

同じ枢機卿同士の行き来もあったでしょうし、近くですし、
素晴らしい庭園や城を見て描かせたのかも、と想像します。
   
そしてなんと、設計建設が同じジャコモ・バロッツィ・ダ・ヴィニョーラ・
Giacomo Barozzi da Vignolaである事にも、気がつきました!

ガンバラ卿の没後はヴィテルボの聖職管理職・枢機卿でもあった
アレッサンドロ・ペレッティ・ディ・モンタルト・Alessandro Peretti di Montalto、
シスト5世教皇の甥、14歳で枢機卿に任命され、当時僅か17歳だった
モンタルト枢機卿が後を継ぎ、工事を完成させ、2つ目の小邸にその名を残します。



こちらは小邸のロッジャ部分で、真ん中に上のフレスコ画が見えます。

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これはチラッと修復中の建物内に入らせて貰った時、写真禁止と言われたのを、
厚かましくパッシャッとやりまして、へへへ。
時代が後のが分る繊細な装飾文様でしょう?!

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こちら、庭園全体の様子が分かる写真を探しました。
外の広い林部分は別として、内側庭園はこんな感じ。

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刈り込まれて模様を形作る低い植木もですが、上から水が流れ落ちながら
次々と様々な噴水で遊ぶ、その様子が見所だと思いますので、

今回はshinkaiが見たのとは順序を逆にし、水が流れ落ちる順に上から、
つまりかっての貴族達が楽しんだ様を皆さんにも!!

という事で、こんな椿の咲く小道を一番上まで上って頂きますね。

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上には、こんな東屋があり、

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軒下の壁にはっきり浮き彫りの海老が見え、下にDE GAMBARA・デ・ガンバラと。
       
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反対側には、JO FRAN CAR、つまり左右を繋ぐと、
Francesco Cardinale Gambara・枢機卿フランチェスコ・ガンバラ、と
この庭園造りに情熱をこめた枢機卿の名!



ロッジャというか、東屋と言うか、中の壁にもフレスコ画があり、       
芸術の女神、多分、と鳥と植物、優雅ですねぇ!

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さてこちらが枢機卿フランチェスコ(1533-1587)
ジョヴァンニ・フランチェスコ・ガンバラと言い、ブレーシャの貴族出身。

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バニャイアの土地は13世紀から教皇領で、近くのヴィテルボの司教に恒例的に
管理が任されていたのだそうで、
このヴィッラ・ランテの建設が始まったのは多分1511年で、一応の完成を見たのは、
ガンバラ卿によって1566年と。

普通ヴィッラには建設者の名がついて残るのが一般的で、後に持ち主が変わった
場合は、並んで名がつくのですが、
なぜかここはヴィッラ・ランテと、建設後100年にして持ち主となった
ボーマルツォ公爵のイッポリート・ランテ・モンテフェルトゥロ・デッラ・ローヴェレ・
Ippolito Lante Montefelrto della Rovere, Duca di Bomarzo
の名のみが残ります。

ボーマルツォと言うと怪物公園で有名ですが、
n.1 ボーマルツォの怪物公園
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467762980.html

n.2 ボーマルツォの怪物公園 と 町
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467763742.html

ウィキでも余りガンバラ枢機卿の事が分らなかったのですが、ひょんな事から、
ヴィテルボの時代に活躍した異端裁判官であったらしいのが分かりました!

それに、ヴィテルボのドゥオーモ、サン・ロレンツォ聖堂の上にもやはり、
Io Giovanni Francesco Cardinale de Gambara と彫り込んでいる事も!
 
異端裁判官としては、かのミケランジェロがあがめた
ヴィットーリア・コロンナにも矛先を向けた男だった様で。
現在は歴史の中に埋もれた様な枢機卿ですが、そんなこんなで、
案外に皆が記憶から消したかった名前でもあったのかと思った事でした。
       
  
       
さていよいよ一連の水の遊び、水運びの様子ですが、
   
一番上にあるのがこれ、
フォンターナ・デル・ディルーヴィオ・fontana del diluvio.

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町の背後にあるチミーニ山系から、傾斜を利用して運ばれて来た水は、
岩を装ったアーチに隠され、ここから徐々に流れ落ちます。

手前の水槽にちらっと見える岩は、泳ぐイルカたちで、



これはその前にある4面像!

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そして、そのも一つ手前にある噴水。
 
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この海老をかたどった形から、海老の手、ハサミをかたどった細い通路を、
水が流れ落ちて行きます。

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水路の写真は下から眺めているのですが、分りますね?



そしてフォンターナ・デイ・フィウミ・fontana dei fiumi・川の泉。
または巨人の泉とも呼ばれる様に両側に巨人像があり、幾筋もの水が流れ落ち。

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で、この細長いプールを挟んでのテーブル状の物は、
メンサ・デル・カルディナーレ・Mensa del Cardinale・枢機卿のテーブル。

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夏の外での宴会の折には、この水の流れに食物や飲み物を浸し、
水面が反射してクリスタルのようだった、という枢機卿のテーブル!



テーブルの終りは、こんな風に口を開いた男から水が流れ、

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最後の大きな水の遊びは、フォンターナ・デイ・ルミチーニ・
fontana dei lumicini・小さな明かりの泉、
70ある噴水の元が蜀台の形をして、噴水が煌くという訳ですね。

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これらの素晴らしい水の様々な遊び、細い水の流れから滝のように落ちる、様々な
調和の遊びは、全体の設計をしたヴィニョーラが、シエナから水の設計専門家である
トンマーゾ・ギヌッチ・Tommaso Ghinucciを自分で呼んだのだそうで、
彼の天才ぶりは今もここにこうして健在!



この辺りから漸くに下の庭、刈り込まれた植え込みと、真ん中の四角い泉が
良く見え、左側から順に、

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この植え込みは、フランスのフォンテンブローや、サン・ジャン・アレーの城と同じ、
まさに最初の花壇の造り手たちの手になるものなのだそう!!
       


植え込みは背の高いものではなく、中には入れませんが、
ご覧の様に木が傷んでいる部分があり、少し痛々しく・・。

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こちらの写真のように、多分建物の中からでしょうが、これ位高い場所からだと
植え込みの模様もはっきりで素晴らしい!

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ガンバラ・Gambara・海老という枢機卿の姓から、紋章にも海老がありましたが、
水の流れの囲いにも、そしてこの植え込みにも、海老らしい形が見え楽しい!

イタリアで一番素晴らしい植木の迷路 ・ ラビリントを
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467389643.html       



真ん中に見える四角い泉は4つに仕切られ真ん中に丸い噴水があり、
植え込みからそれぞれに道が付き、通れる様になっているのが見えますが、
四角く区切られた泉のそれぞれに小舟が浮かび、中に人型もという芸の細かさ!

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真ん中の丸い泉は2段になっていて、真ん中に4体の人物が腕を差し伸べていて、
shinkaiが見た時はこの修復前の姿だったのですが、

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現在は梨でもあり山の形でもある、モンタルト家のシンボルを支えた姿に修復済み。

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この泉はフォンターナ・デイ・モーリ・Fontana dei Mori・と呼ばれ、
1597年に教皇クレメンテ8世がお越しの時に、当時の持ち主であった
モンタルト枢機卿が取り付けたものの様子。



というイタリアでも有数な庭園のご案内でしたが、お楽しみ頂けたでしょうか?

実はこの下に見える古い町の中もちょっとでしたが見て、その中世が残る
古さの壁や建物にも魅せられました。

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が今回はあれこれ読むのに疲れまして、ははは、町のご案内はまたのチャンスに!


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・ 夜の松本、街散策を ・ 縄手通り、中町通り 

松本を訪問した夜は晩御飯の後、古い町並みを保つ縄手通りと、
土蔵通りともいえる中町通りを歩きました。

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時間が少し遅かったので、どちらの通りも閉まっている店があり、
それでも夜の明かりの中で雰囲気満点!
ちょっとしたタイム・トリップのようで、情緒ある町並みを満喫
することが出来ましたので、皆さんにもお楽しみ頂けます様に!

上の2枚はサイトから拝借の、縄手通りの昼の様子で、
1階建ての家並みで、様々な小さな店が細々と並び。
サイトから写真を拝借し、ブログ名があるのがshinkaiが撮った物。



地図をどうぞ。
流れる女鳥羽川・めとばがわ、に沿って、北側に縄手通り、
川筋の通りから1本南に入った通りが中町通り。

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JR松本駅から歩いて10分位の位置だそうですから、
お城見物の寄り道にもちょうど良いかもですね。

松本の街中を流れる一級河川の女鳥羽川、
字ずらがちょっと凄いので何か謂れがあるのかと思ったですが、
江戸時代初め頃は「女堂田・めとうだ川」と呼ばれていたそうで、
やはり「女」が入るのですが、謂れは分りませんでした。

この川は松本市を流れ、何度か合流しつつ梓川に流れ、
犀川となり、信濃川に、そして日本海に注ぎます。



女鳥羽川の川岸に並ぶ、縄手通りの店の裏側。

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川岸のこういう木の建物に明かりが付き出窓があると、
なぜか艶かしいイメージを持つのは、shinkaiだけ?



通りを挟んで両側に店が並びますが、全部で50店程と。
ほらね、ちょっとレトロ気分になるでしょう?!
道がちょっぴりカーブしているのも、良い感じですよね。

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涼しいと言うよりは少し肌寒い程の夜だったですが、
表のテーブルで一杯やっているグループもで、お元気、ははは。

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ここは何?!と一瞬考えたんですけど、
大きな高層マンション入り口! ちょっと良いでしょう?

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飲み屋さんとかカフェ以外は、店は既に殆ど閉まっておりまして、
明かりが付いているのは覗きます。
ここは和風小物店で、若い女の子達が好きそうな物がたくさん!!

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道の中ほどに在った「かえる神社」。
狐の代わりに蛙ちゃんがいて、そういえば橋の袂にも蛙の像があり、
調べてみましたら、ここのご本尊は蛙大明神さま!

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かって女鳥羽川には河鹿蛙がたくさんいて鳴いていたのが、
水が汚れ蛙が住み着かなくなり、同時にこの通りも廃れ始めたそう。
で女鳥羽川の水を再び綺麗な水にし、蛙たちも戻るようにとの
願いも込め、縄手通りの再興のシンボルとしての蛙ちゃんなんだそう。
毎年6月にはかえる祭りも開かれる様子。



かえる神社の向かいには四柱神社・よはしら、 という
大きなご利益を頂けそうな神社もあり、

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各お名前を書いても、皆さんもすらすらとお読みになれないでしょ?!
ははは、でも字ずらだけでも有難そうでしょう?!



かなり広い境内の奥に、この神社が。
ですが、周囲を高いビルで囲まれておりまして。

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中町の蔵通りの方を歩き、戻りに再度縄手通りを通りましたが、
やはりこの感じが素敵ですねぇ!

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さて、こちらは中町通り。 ね、土蔵が並び、壁もなまこ壁で、
タイム・スリップした感じでしょう?

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これは蔵シック館と名づけられた中町通りのシンボルで、
表の写真がピンボケでしたので、サイトから拝借し、

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元は造り酒屋の母屋、離れ、そして土蔵をここに移転させたそうで、
中は自由に見学出来、作家達の展示スペースとして利用され、
土蔵は喫茶店に。



夜、表から夜覗いた土間の様子で、
この天井部が、組み写真の左上の豪壮な吹き抜けの梁組。

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こちらは土間から見える板の間と座敷。
なんとも豪勢で、栄えた様子が良く分りますね。

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昼は喫茶店になっている土蔵部分。

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こちらは如何にも古くからの店らしい、漆器店伊原。

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お店の中をちょっぴり覗き、

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隣にあった飲み屋さん。

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メニューを拡大して読むと、豚肉料理がお勧めの様でしたぁ。
清酒「夜明け前」ですって。 島崎藤村、信州ですねぇ!



「カレーの店デリー」と看板の出た店。
壁の色が黒く、そういえば漆器店も隣の飲み屋さんも壁が黒く、
建物が大きいので、かなりの迫力!

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一緒に歩いて案内して下さった我が絵の師にして友人の二木さんが
言われたのは、このカレー店は、彼がこの中町通りを高校通学で
毎日通る頃から在ったのだそう!
ははは、いつも腹減り時代の記憶にあるカレー店を考えると可笑しい!!

彼の話によると、中町通りのすべての店が最初からこんな風に
土蔵でなまこ壁だったのではなく、改装する際には統一感を、
という事で出来た通りの様で、こういう意識が良いですねぇ。
2つ並んでいる自動販売機も、なまこ壁の意匠で笑え、ははは。



というので、こちらはちょっと洋風なデザインですが、
しっくりと溶け込んでいる洋品店。

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駐車場の塀越しに見える、本格的な土蔵の壁の厚み!!

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下駄屋さんのウィンドウがあり、

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手水鉢があり、ちょっと江戸時代の雰囲気を感じるでしょう?

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ガラスの電燈の笠があり、

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赤い暖簾が目を引き、

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小布施の栗菓子のお店の支店、もあり、

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秋の暖簾各種、きっと四季様々な意匠に変わるのでしょう。
shinkaiの部屋の前にも掛けれると嬉しいだろうけどなぁ・・。

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東の端近くにあったこのお店、翌日午後明るい内に覗くと、
陶器の品があれこれありましたが、

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店先のこの、鯉にまたがった猫ちゃんの像が嬉しくて!!
昼間値段を見ると、ははは、到底shinkaiには買える値では!

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そう、昼間もう一度この通りを見たいねと歩きました。
縄手通りの方は下町風というのか、小物類の店が多く、
こちら中町通りの方はちゃんとした店構えの店が並ぶ様子で、
どちらも江戸情緒の漂う商店街と言えましょうか、
で、開いている店には様々な誘惑品がありましたぁ!!

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中町通りは車が通るのがちょっと難だとは思いましたが、
2本の通りはどちらも、町並み保存でなかなか雰囲気が良く、
松本にお出かけの時は、お立ち寄りをお勧め致しますです!
       
こちらに観光案内所のサイト。
https://www.matsumoto-tca.or.jp/association/tic

最後はサイトから拝借で、美しい夕暮れの松本城をどうぞ。

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・ 松本城訪問 ・ 信濃の国 

昨年の秋日本に行った時、松本と安曇野を訪問しましたが、
今回は、松本城訪問の様子を見てやって下さいね。

信州長野生まれで育った私は、確か小学6年生の春に
松本から諏訪への修学旅行で1度訪問していますが、
それ以降はいつも素通りで、町の様子も知らずのままで、
今回漸くに安曇野も含め訪問できたと言う訳でした。

写真は、お城、天守への内堀を渡っての二の門。

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復元された門との事ですが、立派で控え壁には鉄砲用挟間も
見られ、外人観光客の姿もかなり多く。



案内図をどうぞ。
上の二の門は、中ほど下に見える「現在地」から上、
6の数字にあり、

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2.本丸御殿跡、3.二の丸御殿跡も実際には建物が無いので、
6.の二の門の後は11.黒門を通ると、広い庭園になります。

6.の右、外堀を渡っての位置に、10.太鼓門、門の上に
楼上があり、鐘と太鼓で情報を伝えていたと言い、
ここは見ませんでしたが、復元された大きな立派な門で、
多分こちらが家臣の登城門だったのでしょうね。



11.の黒門、こちらも復元された物と言いますが、
本丸御殿に通じる重要な門で、

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柱にも初代城主であった石川氏の笹竜胆の紋。

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門の内側に、この城の歴代藩主の名と紋所が。
       
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元々は16世紀の初め、当時深志城と呼ばれた城が築かれたのが
始まりのようで、城主は戦国の世の中で色々変遷があり、
       
最初に名の見える石川数正が入城したのは1590年、徳川家の
関東移封後で、彼が天主を築き、城郭、町の整備も行ったとの事。
こうして代々城主が変わりながらも引き続き、
明治2年までという城の歴史です。

松本城のサイトはこちらに。
http://www.matsumoto-castle.jp/splash



黒門から入ってくると、広い庭園の向こうに大天守が聳えます。

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そうなんですよね、この松本城は平城!
もともとの築城年を考えると、ちょっと不思議な位なのですが、
天守のある城としては唯一の平城なんだそう。

そして、えっへん、私が威張っても始まりませんが、ははは、
そう、この松本城は日本に5つある国宝の城の1つ!なんですねぇ。
(4つかと思っていましたが、松江城が昨年指定を受け)
他の3つは犬山城、彦根城、そして姫路城ですね。
       
犬山は明治村に寄った記憶がありますが、まだ城は知らずで、
重文指定の他の7つの天守も美しく、チャンスがあれば!です。
       


サイトで見つけた、名と高さ入りの写真をどうぞ。
       
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という事で、乾小天守と大天守を繋ぐ渡り櫓の下にある、
大手口から入ります。



これは大天守の石垣の迫り出し具合。 角の上には石落としも
見える実戦構造の城で、黒の色は漆塗りなんだそう!

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石垣前に武者姿のこの方がおられ、皆さんとの記念撮影に
応じられていたのですけど、shinkaiがお願いしますと言い、
1人撮影とわかって、あっ、あれっ、とちょっと照れたりして、ははは。
      
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むむ、お持ちの三階菱の紋所は、2代目城主小笠原氏の
物でござるな、おぬし。



ささ、大天守へいざ、いざ、お進みめされ!

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ちゃんと靴を脱いで、ビニール袋に入れて持って上がって下さいよ、
そこの外人さん。 英語でなんていうの? ははは。



松本城天守の構造。 

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上がる前にしっかり読んで、というのをいつもパシャッと撮って、
ブログ書きの前に読んでなるほど、というshinkaiで、

戦国時代終わりの築城にしても、やはりそれなりの実戦体制を
取っての築城だったのが、鉄砲攻撃に備えての厚い壁とかで分りますね。

大天守の壁の中には、木の枝とか縄を挟み塗りこめてあり、
厚さが20~30cmもあるそうで、これだと火縄の玉も通しません。

明治時代にこの大天守が傾き、大改修が行われた様子で、
この説明の2の、天守台の石垣の中に16本の栂材の丸太柱を
埋め込み、千トンの重さを支える、というのが、丸太柱の老朽で
支えきれなくなった、という事情もある様子。

昭和に行われた解体大修理の際に発掘された柱は、
殆どが腐食され形を留めていなかったとの事。
400年もの歴史を持つ城ですものね!



大天守の北にある乾小天守ですが、「北」にある小天守が
「乾」・北西を指す、と呼ばれるのは、
「北」が意味する言葉の不吉さを嫌ったからなのだそうで、
大天守と違って、こちらには丸太の柱も使われているそう。

すり減り、磨き上げられた、床と柱の美しさに目が行きます!

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階段の踏み板も、支えもツルツルすべすべ。

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中はやはり薄暗く、窓の外の快晴の空、緑が嬉しく、

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ね、この柱の見事さ! 木目の美しさ!
床が黒いのは、これもかっては漆塗りだったんだろうか?

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大天守側への渡り櫓部にあった、大きく曲がった梁の太い柱。

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こんな自然のままの柱は強度に強いのだそうで、
傍らの管理の小父さんが、この柱は何の材木だと思いますか、と出題。
でも、この城の名に因んだ名前です、とヒントもね、ははは。
というので覚えると、忘れませんよね。



でもね、凄みのある木目でした!

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昭和の大修理(昭和25~30年)で取り替えられた展示品もあり、
これは鬼面鬼瓦。
余り怖くなく、笑っている可愛い顔にさえ見えますね、ははは。
     
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大天守の1階の大広間、鉋や手斧で仕上げられた柱が
整然と薄暗い中に並びます。

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この広間の周囲は約45cm低い武者走りが取り囲みますが、
土台は2重になっているそう。



大天守の上を守っていたシャチ。 口を開けているのが雄で、
閉じているのが雌、というのですが、これは雌かな?

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かなり興味をそそられた火縄銃の各種の展示があり、
長いのと、馬上筒と呼ばれる短い物。
       
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説明図によると、大筒と呼ばれる口径30mmの物が、大阪夏の陣では
昼夜を分かたず打ち込まれ、和議を早めたという事で、
これ位のものだと射程500mほどの命中率はなかなかのものだった。

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馬上筒は加藤清正が武器として取り入れたのが初めで、馬上で使い易いよう
50cm程の長さの火縄銃で、近距離用。勿論連続発射は出来ず。

右上に見える抱え大筒とは、口径25~40mm程までの火縄大筒で、
これを抱えて撃つ日本独特のものなのだそう。
狭い坂道でも抱えて運べ、山城攻めとか、戦国後期に威力を発揮と。



こちらは鉛の玉。 勿論手つくり。

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で、考えた事もなかったですが、これは戦国期の武士の妻や娘の
仕事だったそうで!

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夫の火縄銃に合った玉作りに精を出すかっての女達の姿を思うと、
いじらしくもあり、少々おかしくもあり!

火縄つくりも大切だったようで、良い火縄だと命中度が違い、
木綿の火縄だと火持ちも良く、灰も真っ白で軽く、
引き金を引いて玉の出るタイミングもとても良いと!

ですが、木綿はかって北の国では栽培できず大変に高価だったので、
刺し子や菱刺しの起源もこの理由からでしたし、
古くには繊維の長い竹や麻を混ぜて火縄を作ったとも。



甲冑ですが、後ろに「当世具足」と見えるように、
戦国時代に当時の鉄砲戦に相応しい形を考えだした物で、

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かっての煌びやかな革の小片を繋いだものではなく、
鉄を使った大量生産で、鉄砲戦に対応した強い物、玉を
反らせるために曲線や傾斜を多用し、機能性を重視が特徴と。

背中に玉込め用の棒・カルカを背負い、腰には玉入れを下げ、
肩から口薬・点火薬入れの水筒みたいなのを提げ、
これで火縄を持つと約20kgの重量だったと!

ふっと気づいたのですが、玉込め用の棒がカルカとは!
イタリア語でカーリカ・caricaは職務、積荷、充填、仕込みなど
を指し、戦闘での「弾込め、撃つ用意!」は動詞caricareから、
carica・カリカなんですね!!

仏壇にお供えする水を「閼伽・あか」と言うそうですが、
これはacqua・アックワから来ているのかも、と聞いた事があり、
遠い土地からの由来の言葉だったかも、と思い至りました。



これは4階にあった大広間の一廓、御簾で囲った御座所。
有事の際の御座所として使われた様子。

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窓の形は、大屋根の下に作られる千鳥派風・東西と、
南北にある唐派風とがあり、こちらは唐派風で、

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こちらが千鳥派風の窓。

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大天守の中には1階から6階まで階段が7箇所あるそうで、
どの階段もかなり急な階段で、とりわけ4階から5階への階段が
傾斜が61度もあり、おまけに蹴上げが約40cm!

掴まりながら上がるのですが、足元は勿論見る余裕がなく、
ヨイショ!と足で探りながら上がる感じで、
今奥に見える階段の上の部分がそれ!

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昔の人は体も小さく、脚も短かったでしょうに、はは、
大変だったでしょうねぇ~、ひひ。



こうして上がった最上階、屋根の下に見えた注連縄。
納得しますです!

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見えた、国宝指定書、昭和二十七年三月二十九日。

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窓から見る松本の街。

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乾の小天守の屋根。

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内堀の西側と埋橋(うずめ橋)。
4年前の地震で埋門の石垣がずれ、現在こちらからの入城が
停止されているとの事。

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そして黒門方面。

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階段を降り、最後はこの月見櫓。
       
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大天守に続いての辰巳附櫓、そして月見櫓ですが、
徳川3代将軍家光が長野善光寺参拝の途中に松本に寄る、
というので建てられたそう。
       
外側には赤い欄干を巡らした月見櫓らしい風雅さなのですが、
結局善光寺参拝は中止になったそうで・・。



大天守の最上階に上がった辺りで、カメラ電池の消耗に気づき、
最低限の写しにしていたのですが、
     
遂に最後の1枚!となった、内堀越しの大天守の眺め。

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という、長年の夢でもあった松本城再訪でしたぁ。



最後はサイトから1枚拝借、美しい雪化粧の松本城をどうぞ!

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・ 年明けのお休みは、楽しい映画をどうぞ!

皆様、新年明けましておめでとうございます!
本年もどうぞ宜しくお願いいたします!!

良いお年をお迎えになられた事と思います。
お家で新年をゆっくりお迎えの方、
暖かい部屋での映画鑑賞は如何でしょうか?!

懐かしくて、もう一度見たかった映画、映画を見たら面白かったので、DVDを
買ったなどなど、今日ご紹介の映画の中でまだ見ていないのは1本だけの、
そんなあれこれのご紹介を。

◆ プロヴァンスの贈りもの
  ・2006年アメリカ
  ・監督・制作 リドリー・スコット 
  ・ラッセル・クロウ、アルバート・フィニー、マリオン・コティヤール

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現在はロンドンの証券取引で凄腕を発揮しているマックス。
かっての少年時代は南仏に葡萄畑を持つ伯父の家で夏休みを過ごし、
たくさんの懐かしい思い出を持っているのが、
その伯父の死に伴い、遺言で遺産相続をする事に。

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最初は屋敷ごと売り払うつもりだったのが、かって伯父に教えられた
ワイン醸造についての思い出や、土地の女性と知り合う事などから、
自分の生き方についても考え初め・・。
     
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南仏ゴルド・Gordes の町が映り、彼女が働いている町中のレストラン
という設定の場所も、よく覚えていて懐かしく、
広い葡萄畑も屋敷内も、如何にもフランスの佳き田舎というイメージで・・!!
こういう人生の転機に出会えば、それはもう! と納得できる、ははは、
       
原作は「南仏プロヴァンスの12か月」のピーター・メイルと知り、
大いに納得したものでしたが、

映画のイタリア語タイトル「ウンノッティマ・アンナータ・Un'Ottima Annata」
は、a good year・良い年 ではあるのですが、
とりわけ葡萄(ワイン)の出来の良い年、を表すときに用いられます。
       
ヴィデオもどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=bV5ET6KrT7A


12月にオンライン・ショップであれこれDVDを漁っていた時、はは、
50周年記念発売、というのを2本見つけまして、まずはこれ、

◆ マイ・フェア・レディ・My Fair Lady
  ・1964年 アメリカ
  ・監督 ジョージ・キューカー
  ・オードリー・ヘプバーン、レックス・ハリソン

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余りにも有名ですのでご説明も要りませんね。
確かこのミュージカル映画は男友達が奢ってくれて見に行った筈、
なんともう50年以上経つのかぁ!



貧しく、きちんとした英語も話せないイライザが、ヒギンス教授の
家で教育を受け、こんな娘だったのが、

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6ヵ月後にこうなる!という、ははは、

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難しい事は言わず、主役2人の魅力と素晴らしい曲の数々、
アカデミー賞を幾つも取った名画を楽しみましょう!
       
ヴィデオはこちら。
https://www.youtube.com/watch?v=c880_rbzbxk



そしてもう一つの50周年記念盤は

◆ サウンド・オブ・ミュージック・The Sound of Music
  ・1965年 アメリカ
  ・監督 ロバート・ワイズ
  ・ジュリー・アンドリュース、クリストファー・プラマー

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イタリア語タイトルは、トゥッティ・インシメーメ・アッパシオーナメンテ・
みんな一緒に情熱をこめて、と長~いタイトルなんす!


こちらもタイトル・ソングから、ドレミの歌、私のお気に入り、も
すぐメロディが頭の中に浮かびますが、

これは、父親のフォン・トラップ大佐が忘れ去っていた音楽に再会、
子供達の前でエーデル・ワイスを歌う場面。

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タイトル・ヴィデオをどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=5fH2FOn1V5g

映画「ピンク・パンサー」のタイトル場面に、ピンク・パンサーが
まさにこのアルプスのお花畑で踊るもじり場面があり、笑いましたっけ。
そう、「ピンク・パンサー」の監督はブレイク・エドワーズで、
ジュリー・アンドリュースのご主人だったのでした。      



日本への飛行機の中で、片道3本見た映画で面白かったのも
2本揃えましたが、まず

◆ ショコラ・Chocolat
  ・2000年 アメリカ
  ・監督 ラッセ・ハルストレム
  ・ジュリエット・ビノシュ、ジョニー・デップ、ジュディ・デンチ

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ちょっと謎を秘めた母子2人がフランスの田舎町にやって来て、
チョコレートの店を開くものの、村はまだまだ閉鎖された伝統と因習、
宗教観に捉われており、
 
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チョコレートの美味に少しずつ村人の心も開け始めるものの、
流れ着いたジプシーとの交流も歓迎されず、

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ジュリエット・ビノシュがやはりとても美しく魅力的で、ジョニー・デップと
踊る場面の前に、彼が弾く音楽も良かったなぁ。
でも、ジョニー・デップの素顔ってどんなのかなぁ・・。

ヴィデオはこちらに。
https://www.youtube.com/watch?v=sVJ_tf_DXDo



2,3年前にTVのCMにダスティン・ホフマンが出て、片言のイタリア語を
喋ったり、ウンブリアの町を歩いたりで、映画を撮っているという事だったですが、
この映画だったのですね。

仲間とのバス旅行の戻りの車中で半分見たものの、遠くで良く見えず、
飛行機の中でもう一度見たのが良かったので、

◆ カルテット! 人生のオペラハウス・Quartet
  ・2012年 イギリス
  ・監督 ダスティン・ホフマン
  ・マギー・スミス、トム・コートネイ、ビリー・コノリー、ポーリーン・コリンズ

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音楽家達が引退して住む「憩いの家」に、かってプリマドンナだった
ジーンが入居して来て、資金難に悩むこの家も、
かって一緒に歌った仲間達、短い時間結婚した元夫にも一波乱。

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が資金難を救う為のコンサートでカルテット・四重奏を歌おう、
という案に、既に高音が歌えないと断る彼女に、
既に皆老人なんだから、そんな事は問題ではないのだと説得し。



ダスティン・ホフマンの写っている写真が見つかったので、
       
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この「カルテット」を見ながら、もう何十年も前に見たドキュメンタリー映画
「ヴェルディの家・Casa Verdi」を思い出したのですが、
調べてみるとやはり、やはりモデルにしていることを知りました。

ジュゼッペ・ヴェルディが資金を出し1899年にミラノに設立した
カーザ・ヴェルディは、かっての音楽家、演奏家達が入れるホームで、
       
映画の中で入居者達が様々な舞台の思い出を語りつつ、
同じホーム内でもかっての主役と端役の差があるのを見た記憶があり、
そんなこんなも今回の映画の中にもチラッと見え、印象深かった。

でも、年寄り連中が元気で長生きするのを見るのは、
元気つけられますねぇ!! がんばろ!

ヴィデオはこちらに。
https://www.youtube.com/watch?v=FORQrkqy9GE


       
◆ インビクタス/負けざる者たち・Invictus
  ・2009年 アメリカ
  ・監督 クリント・イーストウッド
  ・モーガン・フリーマン、 マット・デイモン

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タイトルの「invictus」というのは、南アフリカ共和国の初の黒人大統領
となったネルソン・マンデラの座右の銘、
「我が運命を決めるのは我なり、我が魂を制するのは我なり」
英国詩人ウィリアム・アーネスト・ヘンリーの詩「Invictus」からだそう。



1990年27年間の投獄生活から釈放され、大統領となったマンデラは、
1995年に同国開催のラグビーのワールド・カップ開催に向け、
黒人選手がただ一人だった国のチーム「スプリングボクス」を存続させ、
黒人と白人の融合、和解と団結の象徴にすべく、働きかけ、
       
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遂にワールド・カップの決勝戦で、強国ニュージーランドと対決、
優勝したのですねぇ。



監督イーストウッドと主演2人の写真を。

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映画のヴィデオはこちらに。
https://www.youtube.com/watch?v=SWLm16Kip-w

強豪ニュージーランドのナショナル・チーム・オール・ブラックスが
試合前にご披露するハカ。
ちょうど南アフリカとの対戦のが見つかりましたので。
https://www.youtube.com/watch?v=Zhs3EUfY-sA

「ハカ」を見るのがとても楽しみで!
大阪弁で言うと「顔でもびびらそうとしてからに!」 ははは。



◆ 許されざる者・Unforgiven
  ・1992年 アメリカ
  ・監督 クリント・イーストウッド
  ・クリント・イーストウッド、ジーン・ハックマン、モーガン・フリーマン
   リチャード・ハリス

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渡辺謙さんが日本語版を作ったという、イーストウッドのオリジナル版。
今回買い込んだDVDの中では唯一 shinkai未公開の映画で、
荒筋も評判にも目を通し、むふ、お正月に楽しむつもりで~す!

ヴィデオはこちら。
https://www.youtube.com/watch?v=U0WLWlPLT10
  

◆ 追記を ◆

見ました! 良かった!! 
通常の西部劇らしいちょっと残酷な場面もありましたが、
それ以上に普通の人間らしさ、弱さなど、とりわけ年をとった主人公の姿が
垣間見える、後味の良い映画でした! 

やはり、イーストウッドは凄い俳優であり、監督ですねぇ。


映画館で見て大いに楽しんだフランス映画も2本。

◆ ラ・ファミーリア・ベリエール・La famiglia Bélier
  ・2014年 フランス
  ・監督 Éric Lartigau
  ・Louane Emera François Damiens Eric Elmosnino

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牧畜業を営む聾唖者一家の長女ポーラ16歳1人が健常者で、
家族全部の世間との橋渡しを勤めながら、家畜の世話をし、
日曜には町の市に出すチーズ屋台でも働く、明るい女の子。

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学校への通学バスが通る停留所までも、自転車で通う田舎に住む彼女。
好きな男子学生がコーラス部に入った事から、彼女もコーラス部に入り、
そこで美声と声量の持ち主である事が発見され、
指導の先生から、パリでの試験を受けることを勧められ。

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家の仕事、両親の事を思い、一旦は諦める彼女に、
事情を察した父親はパリの試験を受けさせる為に試験場に。
そしてパリの音楽学校に入る為に家を巣立っていく訳ですが、

試験で歌う「私は飛んでいく」がとても素晴らしく、
学校のコンサートで歌う「恋の病は7歳から70歳まで」は、
我ら仲間内で、あと何年いける、と、ははは、笑いましたっけ。

日本ではまだ公開されていない様子ですが、
公開されたら是非是非ご覧になられるよう、お勧めします!!




◆ 私達の娘と結婚しないで!・Non sposate le mie figlie!
  ・2014年 フランス
  ・監督 Philippe de Chauveron
  ・Christian Clavier  Chantal Lauby
    
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クロードとマリー夫婦には娘が4人いて、上の3人は既に結婚していますが、
いずれも移民者の息子とで、それも中国人、アルジェリア人、ユダヤ人と、
ははは、皆宗教も風習も異なり、婿同士の間もしっくり行かず。

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せめて末娘だけはカトリックの白人と結婚して欲しい訳ですが、
彼女が連れて来た彼は、カトリックはカトリックでも
コートジュボアール人、つまり黒人!

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これは娘の夫婦のみならず、彼側の両親にもショックであり、
あれこれ一波乱起こりますが、最後は親同士も親しみあい、
上の婿3人も仕事を通じて親密となり。

2014年度のフランス映画では、最高の収益を上げた映画だそうで、
とにかく可笑しく、笑いながらもさもありなんという問題続出で、
      
これも日本公開がありましたら、是非是非どうぞ!!
ヴィデオはこちらに。
https://www.youtube.com/watch?v=u5NB5yBRuMo



最後は、以前に一度ご案内しましたが、DVDを買ったのでもう一度、はは。

◆ 最強のふたり・Intouchables 
  ・2011年 フランス
  ・監督脚本 Olivier Nakache, Éric Toledano
  ・フランソワ・クリュゼ、 オマール・シー

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脊椎損傷で車椅子生活を送る富豪のフィリップと、介護人の
貧民街出身のドリスとの、単なる雇い人と雇われ人との関係を超えた、
2人の友人同士のような関係。

彼だけが自分を病人として扱わない、というフィリップの言葉通り、
車椅子のスピードを変えて楽しむ姿や、

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フィリップの誕生日に集まる親類一同。
フィリップに言わせると、まだ生きているか見に来る、の誕生会、ははは。

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ヴィデオは、誕生日のパーティで踊るドリスの姿を。
https://www.youtube.com/watch?v=Gd9wSNRcbco

日本でもこの映画は大変ヒットしたようですが、
まだご覧になっていない方、是非是非どうぞ!!!


いやぁ、映画は楽しいですねぇ!!
映画館の大きな画面で見るのは勿論良いのですが、
家でのんびり、一人で好きな映画のDVDを見るのも大好き!

今年も秋の個展を控えしっかり描いていかないといけませんが、
新しい大きなTV画面で楽しむのを飴に、
頑張って行きたい、生きたいと思っております。

どうぞ、今年もまた宜しくお願いいたしま~~す。
   
    
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