・ n.3 モンテプルチャーノ再訪 ・ 町とサン・ビアージョ教会

引き続き有難うございます! モンテプルチャーノのご案内を、続けます。

まずはサイトから拝借の写真を。上空からの眺め、左が南、右が北で、
見えるのは町の南の高い方、町の半分程で、ずっと下る北は写っていません。
でもこの町の美しさ、高低差があり、建物の大小のメリハリのある美しさをどうぞ!
        
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下の通りを歩くと、時に家並の隙間から、こんな風に緑が覗ける場所があり、

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城壁沿いに出て、眺める平野。 ここの麦秋も美しいでしょうね! 
6月末から7月初旬のね、う~む。

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城壁沿いから上の町を眺め、

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再度通りに戻り店を覗き、テラコッタの陶器店のここは絵柄が上等でした。

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そして、麻織物。ウンブリアもそうですが、麻織物は中世から続く特産品で、
色もしっとりの柄も古代柄が今も続き、素敵なのです。

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寄木細工の店。 お店番も奥に控えていますが、はは。

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う~ん、技術的にはともかく、問題の絵柄がshinkaiにはイマイチ。
南のソッレントの物凄い技術品や、古い寄木細工の素晴らしさを見知っていると、
はぁ、お値段の問題は抜きとしてもですねぇ、ははは・・・。



古い中世の建物が並ぶ通りにも、こんなモダンで愉快なアピールをする店もあり、

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一日中歩いて疲れ、風も強い町で、そろそろ上に戻ろうと。

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後で気がついたのが、も少し先まで行くと、この町出身15世紀の人文学者詩人の
アンジェロ・アンブロジーニ、単にポリツィアーノ・Polizianoと呼ばれる
人物の生家があったのに!

彼は父親が殺害された後フィレンツェに出て教育を受け、ロレンツォ・イル・マニーフィコの
息子達の教育にも携わった、ルネッサンス期の重要な人文主義の学者だったそうで。
まぁ、またのチャンスをね。



中心のグランデ広場に戻る坂道の下、駐車した車の上の猫ちゃん。
車の色もなんとも良い黄緑色で。

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坂道が余りにも急なので、ゆっくり歩きつつ、こんな3輪車を眺めたり・・。

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これは建物の角を削られない為の、はは、車除け、というより馬車の車輪除けね。

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上のグランデ広場の東側を占めるコントゥッチ邸の扉前。 現在は有名なカンティーナに
なっているのですが、屋敷前の石のベンチの足が、ライオンの足なのですね。

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で、座っているカップル。 彼はジェラートのコーンを齧り、彼女はタバコ一服、ははは。
眺めるshinkaiは、お尻冷たくないのかな?!と心配を。

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この広場では、様々な催しが行われる様子で、勿論こんな旗振り競技もね。

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さて翌朝、やっと快晴の眩しいほどのお天気になり、広場の正面、市役所。 
フィレンツェのヴェッキオ宮に良く似ているでしょう?!

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入り口扉部分と、

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壁にずらっと並ぶ、馬つなぎの輪、兼、松明入れ。

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市役所、そして塔からの眺めのご案内は



朝の光りを浴びるドゥオーモ。

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城壁沿いの道に出て来て、

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眺める町の下の家並みと、葡萄畑。

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遠くに光るのは、トラジメーノ湖と。

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飽きもせずにまた町の下り坂の所まで行ってみて、ははは。

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サン・フランチェスコ修道院の前庭から、サン・ビアージョ教会・San Biagioを。

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で、前回は傍まで行かなかったサン・ビアージョ教会に。18世紀の、町にたくさん
建築物を残すアントニオ・ディ・サンガッロ・イル・ヴェッキオの建設。

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庭の端にカノーニカ・Canonicaと呼ばれる司祭館、住居があり、

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そのお隣に、エノテカとレストラン。

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こちらが正面ですが、

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修復中で、脇扉から覗けるだけで、扉横の聖水盤。

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ここが十字型を成す、中央部分に当り、

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丸屋根ドームと、

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左に祭壇部。

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中央部の床が、ははぁ、かなり凸凹しているんだと・・!

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正面側にある井戸。

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イギリス人親子らしいのが写真撮影で手間取り、息子と娘はさっさと立ち去り、
それでもまだ入念に井戸を撮るパパ。

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ちょっとそっけないご案内で済みませんです。 が、この手のスタイルの建築物には
興味の無いshinkaiで、見た、見た!と、ははは、宿題が済んだみたいに解放され、

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この後、既にご案内したモンティッキエッロに向ったのでした。



もう少しすると、この教会もこんな姿を見せるのでしょうし、

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これはグランデ広場での年越しだそう。 良いですねぇ、もう少しですねぇ、年越しも!

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長いご案内にお付き合い頂き、有難うございました!
お楽しみいただけました様に!!


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・ n.2 モンテプルチャーノ ・ カンティーナ、お祭り


スカーナはシエナ県、ヴァル・ドルチャとヴァル・ディ・キアーナの境の山の上、
海抜605mに位置するモンテプルチャーノ・Montepulciano.

今日はその2回目という事で、写真整理を始めましたが、余りにも多く、といって
削り過ぎると面白みが減りますので、う~~んと頑張って奥の手を出し、ははは、
結局3回に分ける事にしましたので、へへ、よろしくお願い致します。 

写真は、町の北端の門を出た向こうのサンタニェーゼ教会・Sant'Agnese. 
が、中に入らずに戻り、

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エトルスク期からのワイン蔵が無料で見られる、ワインと土地の物産店に行き、
地下のワイン蔵の見物を。

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店前のこの写真は出てきた時のものですけど、手前に見えるこのブルテリア君も、
ご主人と一緒に私より先にカンティーナ見物をね。



こんな様子の狭い階段を降り、

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小さい部屋が次々と繋がりながら、地下にも、横にも、

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新しい大きな樽の部屋もあり、

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樽の中で寝かせている内にワインが蒸発するそうで、上に見える緑のガラス瓶の中に
ワインを入れておくと、自然に蒸発した分が補給されるとか。

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低い天井、古い壁、そしてこんな坂道もあり、

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下って小さな部屋に繋がり、

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古い薄暗い部屋に見える、古い小さな樽。

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博物館式にかっての道具類の展示もあり、これは葡萄絞り器。
上から重石をかけ、出る葡萄汁を手前下で受けます。

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多分ここが一番古く、深い地下なのだと思いますが、
ひんやりした空気の中を降りていくと、

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こんな小さな部屋。 エトルスク期からのワイン蔵、ちょっと湿気も感じ、
余り深いと不便でしょうし、今は使われていませんでした。

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それにしても、ワインは静かに、温度も一定の場所で寝かすと聞きますが、こんな風に
ずっと開けっ放し、人もしょっちゅう出入り、おまけにワン君までと、ははは、
こういう場所でワインがじっくり熟成できるのかいなぁ、と他人事ながらちょっぴり心配を。

我が町コネリアーノに、素晴らしいワイン樽製造所があり、こちらにご案内を。
       


モンテプルチャーノのワインで検索すると、ヴィーノ・ノーヴィリ・ダブルッッォ・
アブルッツォ種の葡萄からのモンテプルチャーノのノーヴィリ・ワインとして、
たくさんカンティーナの名前が挙がり、美味しいそうな美しい葡萄、葡萄畑、ワイン、
料理の写真がずらりで、その中からほんのちょっぴりを!

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所でこの町独特と思われる、ワインとワイン樽に関連するお祭りで、
ワイン樽ころがし・Bravìo delle Botti・ブラヴィーオ・デッレ・ボッッティ
と言うお祭りがあります。

区域を8つに分け、毎年8月最後の日曜開催、町中が沸き立つお祭りなんだそう!
元々は14世紀頃から始まった騎乗の競争だったのが、17世紀に人身事故があり
中止され、今の樽ころがしに。
ブラヴィーオというのは勝者の区域に与えられる旗の事で、写真中央に見えるのがそれ。

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シエナのパリオの「パリオ」と同じで、毎年手描きの絹の旗が、柄は毎年違うのが
与えられ、この写真は2006年。

どのお祭りも即競技が始まるわけではありませんで、出発点で2列に並ぶ順番の
くじ引きから始まり、ははは、旗振り競技、そしてブラーヴィオを持った行列行進と
続くうちに、町中に興奮に溢れ、沸いていくわけで、
       

さて、いよいよ出発点からの競技の始まり、始まり!
ほらね、左後ろにマルゾッコの円柱が見えるでしょう?!

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前後2列に4つずつの樽、重さは80kで、勿論途中での衝突で樽を間違えたりせぬ様、
しっかりと区域の焼印が押される写真もサイトにあり! 



見て下さい、この坂道! 歩くだけでも大変なあの坂道を、80Kの樽を2人で押してる!! 
それはもう、応援の人の熱気も上がるわけですよねぇ。
 
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ここは多分下側の道を上って行っての一旦の下り坂で、ここでまぁ一息つけるでしょうがね。
町の南で折り返すと、また上り坂があります。

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一度車で町の道を上っている時、うっかり間違えて入り込み、車が通れる道なので、
ホテルの近くにでも出れるだろうと思いつつ上っていきましたら、
突然目の前の道が、ダッシュボードの先から見えない!!

わっ、ぎゃ!! とサイド・ブレーキを引き、そろっと車のドアから出てみましたら、
崖っぷちではなく、ははは、急傾斜の下り道の始まりで、ああ、やれやれ、の
そんな経験もある、町の道なんですよ。



なので、あの坂道を樽を転がしながら上がる、というこのお祭りに興味を持ち、
どの道を通るんだろうと、行程図を探し回り、ははは、見つけました。

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地図右側のマルゾッコの円柱前から上り坂、途中から下り町の南側を上りつつ迂回し、
最後の折り返し点がまた急傾斜。 そして最後はドゥオーモの前に出てくるのですね。
全長1,7kmだそうで、ようやるよ選手諸君たち!!



という事で、ゴールの写真。 広場に集まった人々の数も凄いですね!

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いやぁ、シエナのパリオも燃えますが、これもきっと同じでしょう!
道中の様子をドゥオーモ前の人々も見れるように、実況中継等あるのかな? 



町の道を行ったり来たり、先回ご覧頂いたプルチネッラの塔から南側辺りはいわゆる
下町と言うのか、中世の面影が強く残る小さな家が建ち並んでいますが、
城壁沿いの道からの眺めはこんな様子。

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この右手下の平野では、ジオストラ・Giostra と呼ぶ遊戯公園ができていて、
大音響の音楽が聞こえ。



町の下を通る道を辿りますが、中世の面影が濃く残る建物郡。

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上の道とを繋ぐ階段、坂道を下から眺めるとこんな傾斜!

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見上げる家並み、建物。

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ちょうど中ほど、町の上下を結ぶ道が三叉路になる所、16世紀頃の町の経済の
一番の中心であったと言うピアッツァ・デッレ・エルヴェ・Piazza delle Erbeで、
ロッジェ・デル・グラーノ・Logge del Grano, またはロッジェ・デル・メルカート
と書いたのもあるので、まさに商取引、穀物取引の中心だったのでしょう。

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道を進み、そしてくぐるのが、町の門カヴィーナ門・Porta della Cavina.

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その先の店前にこんな表示が出ていて、1157年、紀元前5世紀のエトルスクの
古い2つのお墓の上にこの門が建設されたと。

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多分町の南半分の高所に先に町が出来、この辺りが当時の町の境界だったのと。
で、木の標識の下の写真は、ここで、映画「ニュー・ムーン」が撮影された、と。



映画「トワイライト・サガ」の「ニュー・ムーン」というの、ご存知ですか? 
この俳優は確かTVシリーズの「ドラキュラ・ダイアリー」に出ていたと思いますが、
shinkaiはオカルト的なのは見ないので・・。

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こちらのシーンでは、ドゥオーモ前に大きな泉も作られ、赤マントの大集団が集っての
撮影風景。映画では、かなりの迫力だった事でしょうね。実際は無い泉も出てね。

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この町ではたくさんの映画が撮影されている様子で、「トスカーナの空の下」でも、
この広場での旗振り大会が出て、「ノスタルジア」「イギリス人患者」も、他にもたくさん!
「ニュー・ムーン」のあの俳優は、shinkaiの泊まったホテルに泊まったのか、
フロント横に写真がありましたっけ。



歩きながら漏れ聞こえた弦楽の響きに導かれ、入ったジェズ教会・Chiesa del Gesù.

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はい、この町の若者達の春のコンサートでした。
はっ、出来具合ですか? はぁ、まぁ、若者というより少年少女達のグループで、
頑張っていたと思います、はい。

と言う所で、次の n.3 モンテプルチャーノに お願い致します。


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・ n.1 モンテプルチャーノ再訪  トスカーナ、丘の上の町 

先回ご案内のモンティッキエッロから東に9km程、ヴァルドルチャと
ヴァルディキアーナ・Valdichianaにまたがる山の上、海抜605mに位置する
人口14500人ほどの町、モンテプルチャーノ・Montepulcianoのご案内を。

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以前訪問した時は町のいわば南半分しか見ておらず、昨年春再訪2泊し、
きつい坂道の町をゆっくり見て歩きましたが、余りの写真の多さと、お天気が
イマイチだったもので、ご案内をしそびれておりました。
が、モンティキエッロの再訪記を載せると、もう逃げられず、
ははは、はい、頑張って参りたいと思いま~す。

ですが、繁栄した歴史を持つ町ですので、見所はたくさん! おまけにshinkaiの
興味をひどくそそるお祭りもあり、ははは、自分の写真にサイトからのを合わせると、
それはもう・・・!!
      
で、2回に分ける事にし、それでも多いのです、はい、
どうぞご容赦願い、ごゆっくりお楽しみくださいますように!

上の写真は雨上がりの翌日、まだしっとり煙る中を北西の方から近づき、
町が見えてきた所。 狭い坂道で結構車が多かったのが、それでもこの眺めに
何人も車を止め、車外に出て撮っておりました。

山道を辿ってくる道で、こうして見える町の姿は格別で、おお、見えた!
 
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町西端の麓のサン・ビアージョ・San Biagioも、雲に霞みながらしっかりと。

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午後宿に着き早速探訪に出かけましたが、写真の発色が良くないのでパスし、
まずは初日の夕暮れの写真を。

宿はドゥオーモのすぐ近くで、町のいわば中心位置にある
サン・フランチェスコ修道院の前まで行くと、

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ここはちょうど絶好のパノラマが広がる場所で、下を覗き、町の西、下町を。

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暮れなずむサン・ビアージョ教会も、この位置に。

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遠くに少し鮮やかな夕暮れの西空。

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こちらは町の東側、光りが点在し、村や町の在りかを。

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ドゥオーモの前に広がるピアッツァ・グランデ・グランデ広場の西側を占める
パラッツォ・コムナーレ・市役所と塔。

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この建物、そして塔に上っての眺めなど以前のご案内に。
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461279571.html       



こちらが今回2泊したホテル・ドゥオーモ。 お値段も安く町中で、部屋も悪くなく、
駐車場も近く、shinkaiには上等な宿、ははは。

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さて翌日の、ドゥオーモとピアッツァ・グランデ。

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午前中は曇り空で、写真の発色が良くなく、と言いつつ撮らずにはおれず、はは、
午後、広場に戻って来た時に陽が射し喜んで撮った物。
      
17世紀の末に完成したドゥオーモですが、正面は未装飾、未完で、
それが逆に迫力ありで・・。
       


広場の北側正面パラッツォ・カピターノ・デル・ポーポロ・
Palazzo Capitano del Popolo・行政長官の館とでも、
右にちょっと見えているのがパラッツォ・ノービリ・タルージ・
Palazzo Nobili-Tarugi・ノービリ・タルージ邸、
どちらも設計はアントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ヴェッキオ・
Antonio da Sangallo il Vecchio.

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15世紀初頭から16世紀の半ばにかけ、この町は政治的にも安定し文化芸術も
花開き、一番の繁栄期を迎え、と共に建築ブームとなり、町の貴族達の
豪壮な館やドゥオーモの建設も行われます。

上に名の見えるノービリ家、タルージ家、同じグランデ広場の東側を占める
コントゥッチ邸・Contucci、ベッラルミーノ・Bellarmino、リッチ・Ricci、
チェルヴィーニ・Cervini、ベンチ・Benci等など、今もその邸宅が町に残ります。
       
       

2つの建物の空間にあるグリーフィとライオンの井戸・
Pozzo dei Grifi e dei Leoni. 1520年作、6つの球、メディチ家をあらわす
盾を持つライオンで、この設計もダ・サンガッロ・イル・ヴェッキオだそう。

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2頭のライオンが、ちょっと小首を傾げているみたいでしょう? 
傍で見ると、ねっねっ、メディチ家なの、これも!と笑いかけているで、ははは、
いつも内心クスッとなるshinkai。



元カピターノ館、現在は裁判所の様ですが、この壁がとてもお気に入り!

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グランデ広場の真ん中辺りは様々な催しの為か、ぴちっと赤レンガで敷き詰めて
いますが、周囲はこんな風に古いままの石や煉瓦敷きが残り、とても良い趣。

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町の地図と有名な建物などの位置をどうぞ。
南側に大きく囲んだ辺りが、ドゥオーモ、市役所、タルージ館で、
道を辿り中間辺りに飛び出した所が、サン・フランチェスコ修道院、
       
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そして道を下りながら、サンタ・ルチーア教会・Santa Lucia,
サンタゴスティーノ教会・Sant Agostino, プルチネッラの塔・
Torre di Plucinella. そして町の一番北の位置にマルゾッコの円柱・
Colonna del Marzocco.



朝の曇り空でもしつこく撮りましたが、ははは、お日様が出ると眺めがどんなか
見たく、再度サン・フランチェスコ修道院の前庭に戻りますが、
その手前を左に折れ下ると、グラッサ門・Porta di Grassa.
翻る旗は、町を8分する区域の旗。

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下まで坂道を下り、見上げる町の高さ!

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さて上に戻り、サン・フランチェスコ修道院前からのパノラマ! 正面かなりの高さに
小さな町の姿が見えますが、モンテフォッローニコ・Montefollonicoかな?
サイトで見ると、ここも中世の面影を残す素敵な村の様。

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この写真では良く見えませんが、モンテフォッローニコの左にちょこっと高い山が
ありますね、あの左の山の上にカステルムーツィオの町が写っておりました。



町の麓の畑、丘のうねり。

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今こうして見える豊かに広がる麦畑、葡萄畑は、如何にも自然と、人間の叡智と
努力の見事な融合とでも言うのか、素晴らしい眺めですが、
かってはトキワガシや栗の森、砂地の土地、沼の多い湿地帯だったのを開墾し、
土地改良に勤めた結果なのだそうで、

やはりまず政治的に安定する事が大事で、この町がシエナの元から最後は
フィレンツェと結んで発展したのも納得できます。



さて、サン・フランチェスコ修道院から北に行く道は、ははは、冗談やめてと
笑える程のこんな下り坂で・・!

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正面に見える鐘楼はよく見ると3つ重なっていて!
奥がサンタニェーゼ・Sant'Agneseの鐘楼の先っちょと分ったものの、
その手前の2つはどこのか分かりませんでしたぁ・・。



町の上と下の道を繋ぐ階段と、その急な傾斜!

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サンタ・ルチーア教会・Santa Luciaの前に出て来て、

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ドッシリと重厚な古い感じにちょっと魅せられ、中も見ましたが、
う~ん、shinkaiには重たいだけでしたぁ。



広場横の幼稚園らしき建物の聖母子像。ルーカ・デッラ・ロッビア作の愛らしさ。

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細い古びた小路をくぐり、

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また本通りに出て来て、・・それにしても見える2又の道、どちらも急な坂!!

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少し先に見えたプルチネッラの塔。

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「プルチネッラ」というのは、コンメディア・デッラルテに登場する、怠け者の癖に
哲学的なお喋りをする道化役。 これは木製の像に金属板を被せ彩色した物で、
下に見える時計と連携していて、時を知らせるのだそう。



その向かいにサンタゴスティーノ教会・Sant'Agostino. オリジナルは13世紀に
遡りますが、現在残るのは15世紀にミケロッツォ・Michelozzoが改装したもの。

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ご覧の様に素晴らしい扉と、上のルネッタ・半円部に見えるテラコッタの浮き彫りは
ミケロッツォの作だそうで、内部にロレンツォ・ディ・クレーディ・Lorenzo di Crediの
「磔刑図」、中央祭壇に木製彩色のドナテッロ作の「十字架像」もと。
う~ん、中を見たんだったっけ?
 
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ドゥオーモからずっと上の道を通るとまるで店がなく、もう一本の下の道には
店が並んでいますが、漸くにこの辺りから、観光客用の土産物店も見かけます。
今、下から自転車で上ってきた4人組、

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道に固まっていた中高年団体の一人が、道を開けてぇ!と大きな声を上げ、
彼らは漸くに通り抜けまた坂道を。 こんな坂道続きを、ようやるよ!

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shinkaiが参加しているグループもまさにこの通りで、ははは、皆が喋りながら
固まっていて、車が通りかかってもクラクションを鳴らさず待っているので、
誰か先に気が付いた者が、「マッキナー! 車」と大声をね。
shinkaiも良く大声を上げますです、ははは。



少し先にあったブチェッリ邸・Palazzo Bucelli. この入り口扉の両脇は大変な
リサイクル活用で、早い言葉が泥棒ね、ははは、墓石らしきものもあちこちに見える
建物の基部でして!

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この高所にあるモンテプルチャーノは、エトルスクからの町と言われますが、
右に見えるのはエトルスクの彫刻が多いらしい! やるなぁ!

ガイドを読むと、このブチェッリ家はエトルスク、ローマの石碑などのコレクションで
有名だったらしいですが、集めていたのをフィレンツェ大公などに奪われ、今殆どが
フィレンツェに収まっていると! はぁ、上には上がいるのですねぇ、ははは。



お土産用のパスタ製品、ピーチとか、ピリ辛のトマト・ソースとか、

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土地の物産とワイン店なのですが、ここのエトルスク期からのワイン蔵が無料で
見物できるというので、勿論ね!  様子は次回にご覧頂きますね。

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ヴィーノ・ノービレ・ディ・モンテプルチャーノ・DOCGで名高い町ですものね、著名な
エノテカもたくさんあり、レストランも勿論美味しいワインが飲める事を売り物に。



町の北端に近いサボナローラ広場の手前に見えた大きな建物、売りに出されて
いる様子でしたが、アヴィニョネージ邸・Palazzo Avignonesi.
16世紀に建設のルネッサンス様式の建物。

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調べてアヴィニョネージという姓の一家だったらしい、と分かったものの、このなんとも
良いライオンの顔に惹かれたshinkaiには、もうちょっと何か分ると喜んだのですが・・。
       


通りの突き当たりに広がるのがサヴォナローラ広場で、蔦の絡まる歴史あるホテル・
マルゾッコ・Marzoccoがあり、なかなか良いホテルの様ですが、
     
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右に円柱が見えますね。
       


円柱は傍らのホテルの名により「マルゾッコの円柱」と呼ばれ、
その上に鎮座するのが、このライオン君。

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1511年、シエナの元から最終的にフィレンツェの元に移った際、シエナのシンボルの
メス狼・ルーパから、フィレンツェのライオンに取り替えられたもの、と。

次回にご紹介予定の大変興味深いこの町のお祭り、「樽ころがし」と言うお祭りは
このライオン像のある円柱の下から出発するとの事。 お楽しみに!!
       


この円柱の前から左に緩やかな坂道を下ると、見えてくる町の門、
アル・プラート・サン・ベルナルド・Porta al Prato San Bernardo.
門は2重になっていて、

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門の外はこんな様子で、内側の門の脇に、中の様子が見れます、という張り紙が
あったものの、鍵がかかり誰も居らず・・!

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門の外側、谷の下には大駐車場が広がり、町の北側からの眺めはこんな様子。

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ああ、上から重なって見えた鐘楼の先と、アーケード式の鐘楼も見えるのになぁ、
むむ、町の教会の名を手がかりに虱潰しに?!

という所で、今回はお終いに。
次回には、町の下の通りと、お祭りなどのご紹介を。 お楽しみに!


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・ モンティッキエッロ再訪 ・ トスカーナの小さな村

さて次はどこをご案内?とポコッと頭に空白、これはブログをされている
皆さんはきっとご経験があると思いますが、 で、ふっと思い出したのが、
       
トスカーナはオルチャの谷、ピエンツァの東にあるこの小さな集落
モンティッキエッロ・Monticchiell.

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既に1度ご案内しているのを見ましたら、
麦秋の、刈り入れ時のベージュ色が広がる風景で、今回は緑色の風景で
OKかと思ったのと、
       
この村が懐かしく思い出されたTV番組を見ましたので、それも絡めて再度の
ご案内を。 なるべく写真もダブらないようにしますので、ごゆっくりどうぞ!
再訪は昨年の5月、ピエンツァからモンティージを経てモンテプルチャーノに行き、
そこから山越えでオルチャの谷に再びやってきた時で、
最初にピエンツァに寄った時とはうってかわって大変良いお天気で、
       
上の写真はオルチャの谷のシンボルともいえる美しいアミアータ山・Amiata.



曲がりくねった細い道を下って行きますが、なんでこうなるの?!と言いたい
色違いの緑の畑が広がったり。 これはいつみても不思議な思いに・・。

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見えてきたモンティッキエッロの村。
東からやってくると、城壁に囲まれている事が良く分ります。

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さて、こちらがモンティッキエッロの町の唯一の門、13世紀建設のサンタガータ門・
Porta S.Agata. そう、ここから出入りする町には唯一の門。

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上に続く西側。 物見の塔も残っていて、現在はレストラン。

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西に見えるピエンツァの町。
地図上では近いのですが、実際はモンティキエッロ、海抜500m、からくねくねと
道を下り、ぐるっと回り、ピエンツァ・海抜491mへの坂道、と9k程の道。
       
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今回の写真は最後に色調整で、マイクロソフトに入っているソフトを使いましたら、
がたっとバイト数が減り、つまり画質も落ち、ぼけっと成ってしまい、済みませんです!

と、例により、我がブログ名のない写真は、サイトからの拝借です。



ピエンツァとの町の間の谷には、シエナのクレーターで見る石灰岩の塊が
あちこちに顔を出します。

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さて、モンティキエッロの町ですが、町というよりも村、と言う感じで、
中世独特の雰囲気をそのままに、住人が200人余りというこの町ですが現在は
町の外、坂の下に新しい住宅地がありますし、実際にこの小さな城壁の中に
住んでいるのは、半分ちょっとかも。

上から見るとこんな感じで、真ん中の一番大きな高い建物が教会
聖レオナルドと聖クリストフォロ・pieve dei Santi Leonardo e Cristoforo.

左下に見えるのが町の門で、今回行くと町中も7年前よりかなり整備されていて、
駐車場も大きなのが町の東下に。
       
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が、町の門を一歩入ると、ああ、ああ、と懐かしく思い出される建物の数々。

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こちらが町の教会聖レオナルドと聖クリストフォロ。

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前回は何日も滞在しオルチャの谷訪問の基地としたのに、中に入っておらず・・!



聖レオナルドの方は図が分りませんでしたが
祭壇左には、高さ5mの聖クリストフォロのフレスコ画が見え、

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◆ 追記を ◆ 
クリスさんが写真のしっかりたくさん載っている、教会サイトのアドレスを
送って下さったので、聖レオナルドが分りました。

正面祭壇右側のフレスコ画、4つに分けられている右下部分、
このすぐ上の写真に写る、胸から上が残っている方が聖レオナルド。

我が町コネリアーノの守護聖人でもありますが、1世紀の方で殉教者ではなく、
伝道活動、また後世でも多くの奇跡を起こされたそうで、囚人、捕虜、産婦、
病人、また家畜の守護聖人でもあると。
クリスさん、有難うございました!



こちらは教会入り口を中から。

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行った時は灯りが点いておらず暗く、私の眼よりもカメラの方が優秀で!ははは、
この様にに撮れましたが、鳥目のshinkaiには難しい内部でした。



教会前の階段の上から見る右側の布屋さん、お喋りしたり、布を買いましたが、 
ありゃ、あの時の布をベッド・カバーにするつもりが、どこに仕舞った?!

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こちらは左側の、気に入ってるお家で、

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右側の小路は、こんな風に。

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教会の南側面に回ると、正面が上の写真のお家で、右が教会の壁、
そしてここに広場が開け、

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こんな様子。 手前右に四角い井戸があり、奥にも丸い井戸。

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今右奥に教会の支え壁が飛び出しているのが見えますが、



ここにタベルナ・ディ・ブロンゾーネ・Taberna di Bronzoneがあり、

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こんなポスターが。
  タベルナ・ディ・ブロンゾーネ 特別開催 昼食と夕食
  春のメニュー 4月25・26・27・30  5月1~4日。

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残念! shinkaiが行ったのは5月5日でしたぁ!



中はこんな様子。

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実はここは教会のクリプタ・地下部分を横からくりぬいた場所で、夏にこの町で
開催の町の人々の劇公演、「テアトロ・ポーヴェロ・貧しい劇場」公演時に、
昼夕食を美味しく安く提供する場所、
または上のポスターの様に、特別に開く事もある場所なのですね。

ブロンゾーネという名は、どうやらかっての守備隊長の名で、1553年3月17日、
スペインのカルロ5世の襲撃の元に粘り強く奮戦し、
最後は誇りある降伏をした守備隊長の名に因むのだとか。



この期間限定のタベルナ・食堂で供されるのは、土地の特産品を使ってのピーチ・
太いパスタとか、トゥリッパ・牛の胃袋煮込みなどで、
ほらね、こんな嬉しそうな顔が揃った写真もみっけ!

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ご存知、生ハムにメロン。

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これはピーチに、クルミのソース、黒胡椒かな?

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今年のメニューをどうぞ。
7月25日から8月16日まで昼食と夕食を。 劇公演は毎夜(7月27日を除き)
21時半から、8月15日迄。

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テアトロ・ポーヴェロは、戦後の閉塞感を自分達で笑い飛ばそうと、町の人々が
自ら演ずる物で、年数を重ね立派に成長している様子。

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無料で参加、年代を問わず、とあり、むむ、ワン君も参加? ははは。



所で最初に、この町を懐かしく思い出したTV番組、と書きましたが、お昼ご飯の
お供に見るTVで、この夏この町が出て、それも、オーストラリアの料理番組に!
日本では「マスター・シェフ」という番組をしていますか?アメリカ、カナダ、フランス、
スペイン、勿論イタリアも、そしてイスラエル、インド、ニュージーランド等でも
大変人気のある番組だそうで、

プロの料理人でない人々が参加し、勝ち抜き式に残って行き、最後に
マスター・シェフとして勝ち残ると、多額の賞金と自分の料理の本が出版できます。
決められた材料、またはテーマに沿い制限時間内に料理する、実技に長けている事、
そしてアイディアに富んでいるのが必須という番組で、審査員は国の有名シェフ3名。

この夏たまたまオーストラリアのマスター・シェフの2012年版を再放送で、
10名にまで勝ち残ったのが、イタリアにやって来た放送が何回分かあり、

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ローマから始まり、フィレンツェの田舎、パスタ・バリッラの工場の職員食堂等など、
そしてこのモンティッキエッロでは、2組に分かれてそれぞれが昼食を分担し、
村の人々が審査という構成で、前菜から始まりパスタ、子豚の丸焼きなどもあり!
       
町の人々があのブロンゾーネのタベルナに集まり、わいわいと食べ、
周辺の町の中も写り、とても懐かしく、美味しそうで・・!
それを今回思い出し、そうだ、ブログでご紹介しようと。

勝ち抜き戦ですから、各国の番組の中では競争相手の悪口の言い放題もあり、
厳しい面もあるのですが、この年のオーストラリアのメンバーは、本当に人柄が
良いのが揃ったというのか、お国柄というのはこんなに違う物かと思ったほどに、
おおらかで、勝ち抜き戦の中でも助け合い、見ていてとても気持ちが良かったのです。
それに、イタリア版も含まれたのでね、記憶に残ったのでした。



ちなみにこの年の優勝者は、後列真ん中の水色のシャツ、アンドリューで、ははは、
名前まで覚えていた! 最終戦は後列左の金髪女性とでした。
       
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さてもう少し町の中のご案内を続けますが、
別の広場に見える正面の建物、ここにアグリトゥリズモがあり、前の滞在の時は、
あの3階の向こう側の部屋に泊まり、こちらの窓側にあった古い調度の居間で
朝食を食べ、広場の家々を眺めたものでした。

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扉の窓に水彩スケッチが見えますが、アグリトゥリズモの女主人が描いていて、
スーヴェニールとして売っていたのですが、ここもちょっと整備された様子。

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近くのお家のガレージに見える、古い車!

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タベルナの向かいにインフォメーションがあるのですが、今この3輪で、がたがたと
揺れる道を連れてこられたワンちゃん。
可愛そうにも可笑しいにも、ちょうどウンチをしたくてね、ははは。

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少し外れの方も歩きましたが、皆古くからの石造りの家々で、石の色も
黄土から茶色で趣があり、
  
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この手作りの品を売っている店も、なかなか素敵でしょう?

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最後は町の門の脇で出会った黒猫ちゃん。

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モンティキエッロからピエンツァに向う道、見える農家の角で左に曲がり、下ります。

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ちょっと脇道にそれての眺め。 この丘の起伏の凄さと、緑の色違い! 
丘の上に見える農家は改装中で、ブルトーザーがお仕事中。

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で、ぐるっとピエンツァへの道を辿ってくると、上の写真の家の反対側に出て、

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ピエンツァの町がこの位置に見え初め、坂道を上って行きます、

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で、はい、今回はお終いに。  むむ、次回はどこに・・?!


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・ イタリアの晩秋 ・ 黄葉煌く快晴の朝 

イタリアの黄葉の秋が、そろそろ終盤です。
日本の紅葉、黄葉の煌びやかさをあちこちで拝見しているので、
ちょっぴり負けん気を起こし、ははは、
静かなイタリアの黄葉も、なかなかの物ですぞ!
と、先週日曜の朝、快晴の元で撮ったのをご覧下さいね。

日曜の午前中は仲間と歩き会をしていて、暑かった夏も過ぎ、脚を痛めていた
友人もそろそろ復帰となり、雨でない限りは大体2時間半程は歩きます。

で、この日曜日は、私が日本にいた間に亡くなった友人のお墓参りを兼ね、
オリアーノ村まで行こう、という事に。

写真は元気付けのカフェの後、北に向って歩き出し、モンティカーノの
川沿いに出てきた所。 

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この川にはたくさんのイタ鴨たちがいるのですが、それはまた最後に。

スコミーゴ村の四季  その周辺 ご案内 
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460835296.html

我が町コネリアーノ  その周辺  ご案内
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460854137.html

真っ赤に色付いた小さな実が鈴生り!何かと思ったら野生のリンゴで、
キンカンほどの大きさで、やはりリンゴの味がするそう。

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大快晴の朝の強い光線の元、少し影が濃く写りましたが、
肉眼では本当に煌びやか。



日本のように紅葉は殆ど無いのですが、黄色からベージュ、オレンジから
茶色と、静かなトーンのハーモニーで、爽やかな空気の元なんとも美しく、
なんといい日なんだと何度も仲間と言い合った事でした。

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少し上り坂の左手にあるのは馬場で、
今一頭歩いて出てきたのが、下の写真に見えるかな?



この辺りまでカーヴしながら上ってきて、スコミーゴ村の我が家には
真っ直ぐこの景色を見ながら下って行きますが、
歩きの時は車の多いこの道を避け、左手に曲がり、

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こんな道に入ります。 道はも少し広くなったりしながらも、
カーヴしながら、坂道を上ったり下ったり。

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道脇は大概どちらかが谷か平野に下り、

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奥に見える鐘楼がオリアーノ村の教会。

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葡萄畑の葉がすっかり色づき、落ちかけ始めた所で、

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振り返っての西の方面。

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葡萄畑が、本当に良い色でしょう?!

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お家の生垣に咲いていた薔薇。

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オリアーノ村への曲がり角に近づき、東南に広がる畑の色。

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正面に見えてきたオリアーノの教会と鐘楼。
手前下に見えるのはオリーヴ畑で、南向けの日当たりの良い畑で、
良いオリーヴが取れると聞きました。

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この辺りの畑の畝の美しさに惹かれ、若葉の頃に撮りたいと思っていたが
今年は逃しましたので、来年は!

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が、ここからオリアーノに向っては、下り坂と上り坂のキツイのが2度続きます!
坂の途中から見上げる、中間点の農家!

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道脇の赤い実。 夏にはプルーンをもぎ取って食べましたっけ。

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坂道にある桑の木。 昔はイタリアも養蚕が盛んだった残りです。

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途中で振り返える丘の眺め。
う~ん、こうして見ると坂道のキツイのは見えませんねぇ!

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白く木の幹が見えるのが、なかなかでしょう?!
イタリアにも結構白樺の木があるのですが、これはどうかな。

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遠くに見えるのは、フォルメニーガ村の教会。



さて、オリアーノ村に到着。 お墓に寄った後、バールで一休み。
すぐ前のサッカー場では、少年達の試合が行われており、

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ここから見る我がスコミーゴ村。
左に見える無粋な四角い鐘楼がスコミーゴので、ははは、
我が家は右寄り奥に見える階段状のコンドミーニオに。

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こちらも何度も見て頂いている、右、ヴェネツィア方面への高速で、
私は左に3K程のヴィットリオ・ヴェネト南から出入りします。

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そうなんですよ、オリアーノからは地平線が見えるのです!



バールで一休み、冷たいオレンジの生ジュースを。
隣に座っていた、黒い大きなワンちゃん。 肝心の顔が写らなかったよぉ。

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行き掛けに茸取りのシニョーラと出会ったり、別の友人とのお喋りで
少し時間をとったので、帰り道は少し急ぎ足で、せっせと戻ります。

今回最初に見ていただいた道の分岐点、馬場の上辺りまで戻り、
コネリアーノの町が見えてきた所。

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戻りには少し靄がかかり、逆光で色がよく出ませんが、
丘の繋がりの上に見える塔が、コネリアーノの城の塔で、
手前の林の向こうに、週2回通うプールがあります。



モンティカーノ川沿いに来ると、岸辺でイタ鴨たちがのんびり寛いでいて、

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餌を持ってくる方もおられるので、既に朝ごはんが済んだ時間帯で、
泳いでいるのは少なかったですが、かなりの数なんですよ。
       
という8日の日曜、歩いたのは2時間半、9,25k(休憩を除く)
歩数は14920歩。
私のスマート・フォンにも歩行距離計、GPSのソフトを入れましたので、
ヘッヘッヘッ、次の日曜日が待ち遠しい!
       
    
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・ n.2 信州安曇野 ・ 碌山美術館 

東穂高出身の日本近代彫刻の父ともいえる荻原碌山
(本名は守衛)の素晴らしい美術館を安曇野に訪ねました。

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先回ご案内のわさび田から西に行った所で、
長閑でこじんまりとした一廓、木々に囲まれてありました。

荻原碌山が安曇野出身であった事も知らずでしたが、
中で出会った様々な人物名、高村光太郎、相馬黒光などと
どんな関係だったのかを知る為にもあれこれ読み、
明治末期の日本の芸術家達の様子をも想像しながら、
碌山美術館の本当に細部まで拘った美しい館を
懐かしく想い出しています。
      
殆ど何も知らないまま見学し、その資料展示などからも
博物館と思ったのでしたが、
「碌山美術館」となっている事を知りましたので、ここに訂正を。
上は、道に面してある「碌山美術館」の入り口。



植え込みがあり、右手に切符売り場で、シニアで、と言いましたら、
ここにはそれはありませんと。あれま!

そしてそこから振り返ると左手奥に、この教会を模した建物。
こじんまりと、そして格調高く!

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建物の入り口に絡んだ蔦が、ちょうど紅葉を始めた所で、
とても良い雰囲気。

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敷地内には幾つかの展示館があるのですが、
この一番の主たる展示館の様子を右側から撮った写真を
サイトで見つけたので、拝借し。

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こんもりとした木々に囲まれ、静謐な空間。



入り口に向う右手に、この「労働者」の像。
       
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これは第3回文展に出品したものの落選したそうで、
像が戻ってくるなり、碌山は左腕と両脚を取り除けたと。



入り口上部。 塔の上にあるのは鳩の像。

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扉にあった碑。

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碌山美術館    1958
この館は29万9千100余人の力で生まれたりき。

美術館は、地元の人々の寄金により出来上がったのだそうで、
この碑も単なる碑ではなく、周囲を楓の葉かな、が囲み、
留め金部分も、ほら、薔薇の花みたいでしょう?
この他にも、扉のノッカーが、キツツキだったと。
  
主となっている「碌山館」の設計は、今井兼次と言う方がされ、     
他の2棟の設計は基俊太郎と言う方が。
彼のお父さんは彫刻家で、碌山の友人だったご縁の様で、
そんな事もあってか、まさに心のこもった配慮の設計が感じられ、
それが大変に居心地の良い、暖かな美術館となっている様子。
       


入り口を入った所のロビー部とでも言うのか、
左側に彫りを施した厚板の台があり、

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右側には、暖炉と薪置き台。 

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館内は写真禁止でしたので、碌山美術館のサイトから拝借の
写真で様子をご覧くださいね。

入り口部分から奥に。 上部に見えるのが碌山の写真で、
手前はフランスに留学中の作品と言われる「抗夫」、
奥の左から2番目、腕を組んでいるのが「文覚」

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奥から入り口部分を、右列真ん中にお尻が見えるのが
「絶望・デスペア」

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真ん中左に見えるのが「女」。 碌山の絶作となった作品。

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両手を後ろで組み、ひざまずいて立ち、何かを求めるように
上を向き喘いでいる女の姿。 
      
この作品は碌山の死後、文部省に買い上げられ、
日本の近代彫刻としてはじめて重要文化財に指定されたものと。



この作品の粘土での試作と、碌山が一緒の写真。
    
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荻原碌山
1879年・明治12年12月1日-1910年・明治43年4月22日
画家を志し1901年にニューヨークに渡り学び、
1904年にパリでロダンの「考える人」を見て深く感動し、
彫刻家になる事を決意。
1906年からパリのアカデミアで彫刻を学び、1908年に帰国。
1908年に文展に「文覚」入選。
1910年「女」を制作。 4月22日に急逝。
       
僅か30年の生涯、画家を志しニューヨークに渡ってから10年、
彫刻を学び帰国して後2年! の本当に短い生涯でした。


上の「女」の像は、実際のモデルがいますが、
新宿中村屋の創業者相馬愛蔵と妻の黒光(こっこう)夫妻の
黒光が碌山と恋仲であり、モデルだったと言う説が通っています。

その相馬黒光(本名は良で、その才気を少し黒く隠せという
ニックネームから来ているそう)で、少女の頃の様子と、

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これは碌山の一周忌に、彼を偲んでアトリエに集まった人々の
写真で、安曇野の旧家出身の相馬愛蔵、碌山の長兄の本十も、
他にも著名人の名が見えます。

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碌山はまだ安曇野にいる頃に、土地の旧家の相馬家に
嫁いできた黒光と知りあったそうで、
帰国して新宿にアトリエを構えてからは、中村家に通い、
家族の一員のようにして付き合い、
留守がちの夫に代わり事業を切り回していた黒光に、
弟のように甘えたりもしていたそう。

夫の愛蔵の浮気に悩む黒光を慰め励まし、それでも離婚しない
黒光への愛情と渇望に苦しむ中から生まれたのが、
「女」の像と言います。
       
が、手前真ん中に見える中村彝、に実は驚いたshinkai。



まん丸の赤いほっぺの少女像、同じ顔の裸婦像も
相馬夫妻の娘の俊子だったと知ったのも驚きでしたが、
 
中村彝のこの「ワシリー・エロシェンコ像」の画家が、
ずっと昔、絵を始めた頃に衝撃を持って見つめたこの絵の画家が、

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いわゆる中村屋に集まる文化人のサロン「中村屋サロン」の
常連の1人だったと言うのにも驚き!



こちらは劇団関係にも援助をしていたと言う相馬夫婦の、
そちらの集まりの際の写真。

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中村屋サロンの幅広い交流を通し、確かに芸術家達が育っていった、
と言うのも間違いないようで。

中村屋の3Fに美術館が開館し、サロンを通して交流した
芸術家達の作品が見れる様子です。
新宿中村屋サロン美術館
https://www.nakamuraya.co.jp/museum/


ちょっと話が前後しますが、
碌山が、黒光を慕い愛し、切望したのは確かだろうと思うのですが、
よく書かれている様に、黒光が夫の浮気に苦しむ姿云々により、
と言う単純な人物構図だけではなかった事も、今回読んで知りました。

確かに夫の愛蔵の浮気に黒光が苦しんだ事もあったようですが、
愛蔵は大変度量の大きな人物で、逆に黒光の男関係には
一言もいわず、黒光はサロンに集まる男達を、才気と美貌で
ペットにする部分もあった様で、
実際、碌山の親友の高村光太郎などは、彼女を大変に嫌っていたと。

確かに彼女の才気、事業での頑張り、成功には敬意を表しますが、
女同士として友人になりたい人かというと、ちょっと違うかも。
       
私が読んだ「相馬黒光という女」は見つけられませんしたが、
こちら「相馬愛蔵 相馬黒光」にはかなり詳しく、周囲の人物像についても。       
https://www.klnet.pref.kanagawa.jp/information/pdf/jitsugyouka/012souma.pdf
    


館の南側と、見える塔。

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そして西の裏扉。 この佇まいがとても気に入りました。

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この脇に高村光太郎の詩を刻んだ碑があり、

荻原守衛

単純な荻原守衛の世界観がそこにあつた、
坑夫、文覚、トルソ、胸像。
人なつこい子供荻原守衛の「かあさん」がそこに居た、
新宿中村屋の店の奥に。

巌本善治の鞭と五一会の飴とロダンの息吹とで荻原守衛は出来た。
彫刻家はかなしく日本で不用とされた。
荻原守衛はにこにこしながら卑俗を無視した。
単純な彼の彫刻が日本の底でひとり逞しく生きてゐた。

――原始、
――還元、
――岩石への郷愁、
――燃える火の素朴性、

角筈の原つぱのまんなかの寒いバラック。
ひとりぽつちの彫刻家は或る三月の夜明に見た、
六人の侏儒が枕もとに輪をかいて踊つてゐるのを。
荻原守衛はうとうとしながら汗をかいた。

粘土の「絶望」はいつまでも出来ない。
「頭がわるいので碌なものは出来んよ。」
荻原守衛はもう一度いふ、
「寸分も身動きが出来んよ、追ひつめられたよ。」

四月の夜ふけに肺がやぶけた。
新宿中村屋の奥の壁をまつ赤にして
 荻原守衛は血の塊を一升はいた。
彫刻家はさうして死んだ――日本の底で。

昭和十一年 高村光太郎 作


他にも2棟、碌山と交流のあった人物の作品の展示館が
ありましたが、省略させて頂き、


これは入り口に近い場所にあったグズベリー館、ショップ。
       
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入り口にかかる暖簾に「Love is Art」とあるのを見て、
きゃ、と敬遠したのですが、すみません、こういう言葉は苦手で。

ですが、今回あれこれ読んでいて、これは碌山の言葉
  LOVE IS ART, STRUGGLE IS BEAUTY.
  愛は芸術なり 相剋は美なり  
から来ているのだと知りました。 言葉の独り歩きは、怖い!!



ショップの前にあったこんなテーブル。

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こちらは倉庫だったか、校倉造りを模し、
細部の和洋折衷装飾が大変に凝っていて、

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なんとなしに帰国した碌山の気持ちを考え、
彫刻を学び生まれた自国に戻ったものの、
当時の日本には西洋彫刻を受け入れる態勢もなく、
時にはどんなにニューヨークやパリを懐かしんだろう、
そんな気持ちが現れているようで、ちょっと切なくなりました。

当時の日本の芸術家達の気持ちは、皆こんなだったでしょうね。
 
ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背廣をきて
きままなる旅にいでてみん。
        萩原朔太郎
       
う~ん、少し湿っぽくなったかな。



最後は、サイトで見つけた雪景色の美術館をどうぞ!

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信州は松本近くまでお出かけになったら、
是非一足延ばし、碌山美術館にお出かけ下さいね!

碌山美術館
住所:長野県安曇野市穂高5095-1
TEL:0263-82-2094

開館日:5月~10月  無休
休館日:11月~4月月曜日と祝祭日の翌日。  
    12月21日~12月31日。
開館時間:3月~10月 9:00 ~ 5:10
     11月~2月 9:00 ~ 4:10 (入館は30分前まで)
入館料:大人700円、高校生300円、小・中学生150円、
    団体料金あり
アクセス:電車利用=JR大糸線穂高駅下車徒歩約7分、
車利用=安曇野ICから約15分 駐車場あり

公式サイト  http://www.rokuzan.jp/


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・ n.1 信州の旅 ・ 安曇野のわさび農場訪問 

日本到着の翌々日、朝から安曇野に出かけました。
「安曇野」という、如何にも日本の故郷を感じさせる
言葉の響きはずっと知っていますが、まだ訪ねた事がなく、
ご案内下さる松本近郊出身の二木さんと出かけました。

安曇野での訪問はわさび田と、安曇野出身でロダンに魅せられ
自身も彫刻家となった荻原碌山の博物館でしたが、
まずは写真整理の済んだ山葵田から、ご覧下さいね。

トップは、ここ一体に広がるわさび田でも一番大きく有名な
大王わさび農場の駐車場から見る常念岳(真ん中)。

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この日は快晴の良い日だったのですが、残念ながら
日本アルプス連山は靄っていて見えず、常念岳のみでした。



私より皆さんのほうが地理を良くご存知かもですが、
一応長野県の中での安曇野、そしてわさび農場の位置を。

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地図は大王わさび農場のサイトから拝借です。
http://www.daiowasabi.co.jp/



駐車場の脇に咲く、赤いスカンポ。

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すぐ近くを川が流れ、奥に水車小屋が見えます。
黒澤明監督の映画に使用されるので作られたという事ですが、
如何にもピッタリと風景の中に収まり。

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この右手手前にゴムボート乗り場があり、
何とか入れずに撮ろうとするのに苦労しましたっけ!


 
この手前を流れる川は湧き水100%の蓼川というそうで、
本当に透明に透き通った美しい水。
川底の水草も綺麗で、さすがぁ、ワサビ田!と思った事でした。

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大王わさび農場は入場は無料でするっと入れ、
道脇の木々も少し紅葉しかけ。

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少し先に、先ほど見えた水車小屋が2軒並び、
いかにも!の素敵で長閑な眺めでしょう?!

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こちらが奥の小屋で、壁に立てかけた農具が見え、

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手前の小屋の農具はこんな感じ。

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脇では水車がゆったりと回り。

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近くにあった説明の立て札には、この説明。

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しっかり読んで下さいました、皆さん?!



ブログ用に縮小したら、ちょっと分りにくくなりましたが、
右手に見える土手のような1本道が、2本の川の境目です。

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そして、お待ち兼ねのわさび田!
この部分は、直射日光避けの寒冷紗のテントが広げられ、

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収穫が済んだのでしょう、次の植え込みを待つ畑も見え、

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はい、お勉強! ははは。
こういう説明を見ながら、なるほどなぁ、と美しい畑を眺めます。

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ほらね、大きな塊の縦筋があり、その縦筋の中にずっと
斜め横に作られた畝が続きます。

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畝の間、畑の間を通り抜け、また合流する川の流れ。

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わさびは、水が綺麗な場所でないと育たない、とは良く聞きますが、
こういう畑のつくりを見ると素直に納得できますね。

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一面に広がる、見事なわさび田!

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大王わさび農場のサイトを見ますと、こんな写真が。

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かっては雑草の生え茂る扇状地の原野だったのを、
大正4年から5町村にまたがる土地15丁歩を個人所有と
することから初め、そののち開拓に着手。
昭和10年までの20年間をかけて開拓したのだそう!
       
夢の一大プロジェクトだったのでしょうね。
園内には神社があり、その脇に開拓を始めた初代ご夫妻の像も。
水温は年間通して13°cだそうで、開拓できてから後の
栽培の大変さも思うと、頭が下がります!

そして現在は、農場面積15ヘクタール
わさび収穫量、年に150トン
年間観光客120万人!
という、日本最大規模のわさび農場なのですね。



上から見ると、結構わさびの葉っぱが虫に食われているのが見え、
逆に考えると、農薬を使っていない事を納得!

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こんなにも透明な湧き水!

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凄いですねぇ、1日に12万トンの湧き水!
そして末は犀川、千曲川、そして信濃川となって日本海に!

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犀川・さいがわ、という名は、長野で育ったshinkaiには、
子供の頃から馴染んだ名なのです。



安曇野には、様々な素朴な道祖神が点在しているようですが、
園内の水車小屋近くにも2つ3つありましたが、
如何にもの狙った感じで、好みでは無く、

逆にこの、わさびだぞぉ!というのはどうでしょうか、ははは。
      
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レストランや、わさび漬け講習会場、そして先回のブログでご紹介した、
わさびソフトクリームや、わさび入りコロッケなどの屋台もあり、
売店でshinkaiはわさび入りオカカを買って戻りました。



道脇に見つけた秋の花、秋の色。

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そして、再度常念岳を見ながら、碌山博物館に。

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安曇野は時間をとって歩いたら楽しそうです。 またいつか、ね。


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