・ スコミーゴ村 秋の日 ・ 秋の色ちょっぴり

3日前の朝8時半過ぎに郵便局に出かけると、靄が薄くかかり、陽が斜めに
射しかかるのに草原が光り輝き、隣のオリアーノ村との境を靄が流れ。

わっわっ、これはすぐ帰って撮りに出かけないと、と郵便局で順番が来るのを
焦りつつ待ち、だって、光りや靄の状態なんて、刻々変わっていきますもの。

我がスコミーゴ村の小さな郵便局は、先々どうやら閉鎖になる様子で、
現在は週に3日間午前中だけ開き、いつも一人の局員で対応で、
この朝はドカッと持ち込まれた小包の整理に時間がかかり、結局30分近く!

でも何とか間に合い、村の巡察に出かけました。
秋の朝の柔らかい薄日、薄靄の風景をご覧下さいね。

我がコンドミーニオを出てすぐのシナノキの並木、少し葉が落ちかけた所。

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これです、これを最初に眺め、この黄金色を撮りたかったのでした!

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遠くに靄るオリアーノ村の教会と鐘楼。 

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家の生垣から覗く、はぜた実。 名前忘れましたぁ。

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薔薇もまだ蕾をつけ、

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オリーヴの実も大きくなりましたが、収穫はまだまだ先。

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庭先を闊歩する雄鶏君も元気!

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土曜の朝とあって、走りすぎる自転車のグループ。
カメラを向けると、皆にっこり挨拶してくれるんですね、ははは。

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先週辺りはちょいちょい収穫の葡萄を積んだトラクターやトラックに出会いましたが、
ちょうどこの朝葡萄摘みをしている、プロセッコの葡萄畑!

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この畑は以前ご紹介したヴィットリオ・ヴェネト司教区の持ち畑で、働いているのは
ボランティアの人々。 通常葡萄摘みの時はたくさんの人が働きに出ていますが、
ここは小人数で、家族が手伝っている様子でした。

この葡萄畑については、 久しぶりのお天気に誘われ、 スコミーゴ村を一回り
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467228290.html



まだ摘み終わっていない畝の葡萄。 どっしりと垂れているでしょう?! 

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この草原も、いずれ葡萄畑になるのだろうと思いますが、
今はまだゆったりの草原、野草の花が咲く空間です。

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ここは新しく植え替えられた1年生の葡萄畑。 きっとここもプロセッコの苗でしょう。
ひょろっと延びていますが、暮れには剪定されます。 

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傍らの草原にも、光る猫じゃらしとタンポポの落下傘。

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草原にはまだこんなに花が咲いていて、

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小さい蝶チョが活躍中。 これはダブルで撮れましたが、

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上の写真の下側にいた蝶。 羽がこんなに痛んでいて、こういうのを見ると、
ご苦労さんだなぁと何かしんみりする気も。

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白い、こちらは綺麗な蝶。 

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ふと草むらを見ると、低く低く、地面に付く程の位置にクモの巣。 朝露いっぱいの
叢だったですが、アップしてみると、こんな小さな巣にも、小さな露がいっぱい!  

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家に戻る途中の、柿の木。 まだもうちょっと早いかな。

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新しい松ぼっくり。  

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我が家近くのシナノキの実。 葉の中途から小枝が出て、
春には素晴らしい香りの花が咲き、今こんな実に。

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という、スコミーゴ村は秋の朝のひと時でした。


*****

◆ 個展のご案内 ◆

2年ぶりの長野県諏訪市、ギャラリー橋田さんでの個展が迫りました。
漸くにDMが出来ましたので、ご案内させて頂きます。

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10月10日(土)から18日(日)まで  ギャラリー橋田様にて 
諏訪市城南1丁目2550  TEL 0266-52-3420 にて。

会期中は私めもずっと会場に居りますので、信州の、諏訪の観光も兼ね、
是非お出かけご高覧下さいます様に。
皆様にお目にかかれることを楽しみにしております。
どうぞよろしくお願い申し上げま~す!!


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・ ブラーノ島に ・ ヴェネツィア・ラグーナ 

先週土曜日、ヴェネツィアからブラーノ島に出かけて来ました。
島のあのカラフルな色とりどりの家並みと、洗濯物と、各家の戸口の前に
下がっているカーテンというのか、を
夏の陽射しがまだある内に撮っておきたかったのです。

もしお天気だったらこの土曜に、と決めていて、朝窓を開けてみると、雲はあるものの
東の空がピンク色! では、と決め、7時40分の電車に乗り、ヴェネツィアに。

写真は、ヴェネツィアに到着前、電車の中から撮った朝日が波に煌く様子で、
行きかう船が立てる波に、陽射しが縞模様を作る様が美しく撮ったのですが、
逆光で余り上手く行かず、これだけを。

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ヴェネツィアに到着し、何よりも驚いたのは観光客の数の多さ!!
未だかって見た事がないほどの混雑で、どうなったのかと思いましたが、
そうか、ミラノEXPOの影響なんだろうと納得。

どこを歩いてもとにかく人、人、人!!! なんとまぁ、と思いつつ、自分も観光客の
shinkaiもあちこちをほっつき歩きながら、ははは、じわじわとサン・マルコの方に。
12時頃にはスキアヴォーニ河岸でしたが、ブラーノ島に渡ってからお昼にしようと、
ヴァポレットの切符を買いました。

既にかなり歩いていますし、通常ならムラーノ島によってからブラーノ島に行く
ヴァポレットが発着するフォンダメンテ・ヌオーヴェまで歩くのも大変だし、
フォンダメンテまで行くヴァポレットを使うつもりでした。
すると切符売り場のシニョーラが、もう一つ先の発着場から14番に乗りなさい、
と教えてくれたのでそちらに。

着いて時刻表を見ると30分ほど間があり、ではと近くでジェラートを買い
舐め舐め待つうちに、がらんとした大きな待合所が見る見るうちに学生達で
埋まりいっぱいに!
そうなんです、島からヴェネツィアの学校に通っている学生達が
乗って帰る便の時間だったのですね。

地図をどうぞ。 ヴェネツィア本島につけた2つの赤点の北が F,te Nove・
フォンダメンテ・ノーヴェ(ヌオーヴェ)で、通常はここからムラーノに寄りブラーノに。

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で、今回は下に見えるサン・マルコの少し東の発着場からで、まずリド島に寄り、
そしてプンタ・サッビオーニ・Punta Sabbioni、トゥレポルティ・Treportiと
回りブラーノ島へ行くヴァポレットだったのですね。
       
プンタ・サッビオーニもトゥレポルティも、いずれも本土からラグーナを囲みぐるっと
延びる先っちょにあり、この辺りだとヴェネツィアに通うのが近いのでしょうね。
     
ヴェネツィア観光、 島巡りツァーはいかが?
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/472823808.html

色いろいろ、そして洗濯物 ・ ブラーノ島
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464497114.html

ブラーノ島 ・ 昼下がりの散歩を
http://italiashinkaishi.seesaa.net/archives/20110609-1.html



  
という事で、満員の学生の端っこに乗りこみ、12時45分出発!
サン・マルコ聖堂の鐘楼、ドゥカーレ宮などを後にし、
      
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デッラ・サルーテ聖堂やドガーナの先っちょを正面に見て、
サン・ジョルジョ・マッジョーレ島の後ろを抜けます。

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こんな感じにヴェネツィアを遠ざかり、

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リド島に到着。 船着場はも少し右ですが、見える丸屋根は納骨堂。

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リド島からはこんな風にヴェネツィアが。

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リド島で学生が減り、次のプンタ・サッビオーニで殆どが降り、
次のトゥレポルティから、新婚さんが乗って来ました。
カメラマンとその助手を連れた、新婚旅行兼のアルバムを作る一行でしょうね。
デッキにいたshinkaiの目の前でパシャパシャと初め、
そうそう、スロヴェニアからの皆さんでした。
       
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あれこれカメラマンの注文に応じポーズを取り、ならばと私めもカメラを見せてにっこり、
良いか?と了承を。 笑っている彼女のサングラスにshinkaiが写っていて、ははは、

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こんなヴァポレット係留用のロープで遊んだりね。

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カメラマンの助手なのか、彼女なのか、こちらも背の高い美人でしたが、       
むすっとしているのを、合間を見てはカメラマンが撮り、優しくしてやったりで・・、
男も大変ねぇ、ははは。



最初は遠回りになる、と思ったのでしたが、久し振りのラグーナ巡りが幸いでした。
お天気は太陽が行ったり来たりだったのですが、広々としたラグーナ・干潟の色と空、
海が本当に気持ちよく、大きく深呼吸をしたような気分に!

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ぐるっと回って、東側からブラーノ島に近づき、2時前に到着。

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船が停まった途端に、船着場まん前の店「フリット・ミスト・魚のから揚げ各種」
から良い匂い!

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ではまず、腹ごしらえを、と思ってこれを。 はい、ポテトは揚げたての熱々で
美味しかったですが、魚がねぇ、揚げすぎで硬くなっていて・・。
まぁ、ビールが終わるまではつつきましたが。

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お皿のパンも食べれます、という事だったのですが、はぁ、カンパンみたいで、
寄って来た鳩ちゃん達には好評でしたぁ。



食べている途中で気が付くと、向こうから新婚さん! こちらもカメラマンを連れた
アルバム写真の作成用で、夫君はカラビニエーリ・国防省警官ですね。

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新婚さんたちは教会での式の後、夕方から始まる披露宴開始までの時間を、
結婚アルバム用の写真撮りに使うのですね。
       


通り過ぎて振り返りましたら、おっ、背中に刺青ぃ! 右腕だけじゃなかったぁ!

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さて、とブラーノ島の目抜き通りに来ましたら、なんとまぁ、ここも超満員!!
狭い島の狭い道なので、なおの事満杯で、

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どう撮っても、やはり人が大勢写り込み、

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即座に脇道の避難すると何とか。 それにしても、なんとも係留の船の多いこと!
土曜日は漁も、運搬のお仕事もお休みなの? 文句をつぶやきながら、
それでもあちらこちらと。

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裏通りでやっと猫ちゃんたちに会えたものの、どことなくそわそわで、
人通りの多さに警戒中なのかも!

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余程覗き込まないと気がつかないような所で眠っていましたが、愛想がなく、

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この子もちょっと表情が硬いなぁ・・。

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奥のほうに入って行って出合った壁の聖人。
素朴なレンガの壁龕と、強い赤色、光りと影、気に入りました!

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タウの十字架があり、子供を抱いているので、パドヴァの聖アントーニオですね。



大きなシーツなどが干してあったのが、殆ど無風なのが残念!

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北に、トルチェッロ島の聖堂と鐘楼。 鐘楼の修復も殆ど済んだ様子ですね。

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ヴェネツィア ・ トルチェッロ島へ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463330033.html



2軒ほどの家並みの間の通りの向こうは、即ラグーナ。

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以前ブラーノに来たのは2,3年前だったと思うのですが、新しい橋が、
以前の橋の横に平らな橋が架かっているのが3つほど見ましたし、
それ以外にも便利なようにか、新しい簡単な橋も別の場所に。

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今見える石橋の横にも、ほら今2人渡っている平橋が。



ゆるゆると歩きながら、あっちこっちと・・。

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島の南端に出ると、そこにも広い干潟が広がり、古いボートが漂い、
奥に見える白いのは水鳥ですが、カモメよりも大きい様で、サギ?

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こちらには白鳥たち。

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ブラーノにしては、珍しく色の少ない壁と洗濯物、ははは。

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他の場所では見ない、ブラーノ独特の洗濯物の干し方というか、ロープの掛け方
というのか、つっかえ棒でロープを持ち上げる方法。

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ブラーノのこの鐘楼もかなりの斜塔でして・・!

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色とりどりの家の中でも、今回とりわけ強烈だった家がこれ!!
洗濯物も白のが少なく、黒に、ブラジャーも青に赤だもんね!

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上の写真のあとでは、とても爽やかで可愛い自転車、ははは。

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ぐるっと島を回って最初の出発点に戻りましたら、まだまだ満員御礼中!

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疲れて、漸くに帰ろうかという気になり、



船着場に戻る所で、良い色の猫ちゃんがベンチの横に、と思った途端、
ワンが来て、猫ちゃんは抜き足であっちに退散し、

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で、猫の代わりに、ベンチでポーズを取ってくれた3人! ははは。
       
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さて、ブラーノを去ります。

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ラグーナの向こう、大きな大きなクルーズ船が悠然と進み、アドリア海に出て行き、

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久し振りにラグーナの風に吹かれ、ブラーノを歩いた日でした。

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・ ゴンドラ についてのあれこれを

さて今回は、ヴェネツィアで見るあのすらっと細長い船
ゴンドラ・gondola、複数形でゴンドレ・gondoleについてのあれこれを。

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ヴェネツィアで、とお断りしたのは、最近は世界のあちこちで「ゴンドラ」と
名乗る船がいる様子で、サイトでとんでもなくずんぐりむっくりのを見たり、
ゴンドリエーレ・ゴンドラ漕ぎ、が半パンを履いていたり! の大反則で。

そういうのではなく、ヴェネツィアの運河にいるゴンドラ、最近ゴンドラを
描く事が増え、かなり見知っている筈が、えっ、ここどうなっていたっけ?!と
焦る事もあるので、1度しっかり調べて見たい、と思っていたのでした。

ヴェネツィアの写真が何千枚にもなっていて、その中からゴンドラの写真を
探そうと思うと時間がかかり、ここのはもっと良いのがある筈と思いつつも
なかなか上手く探し出せませんでしたが、へへへ、と言い訳を、
       
いつかヴェネツィアにお出いでになりゴンドラに乗られる際に、
お役に立ちますように、  ん? 立つかなぁ? はは、
既に乗られた方はその時を思い出し、お楽しみ下さいませませ!

ヴェネツィア全体のご案内は
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460835393.html     



まずはヴェネツィア名所に見るゴンドラの姿で、
溜め息橋

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対岸のサン・ジョルジョ・マッジョーレ島を望み、

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サンタ・マリーア・デッラ・サルーテ聖堂が奥に。

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こちらが休んでいる覆いの架かったゴンドラの姿で、冬などは全部覆われている
事が多いのですが、たくさんの各部の様々な覆いがあるでしょう?
櫂も、あんな風に先っちょが仕舞われるのですね。 

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現在のゴンドラの船体は、最初に見て頂いたように細長く、10,8~11m、
幅が、1,4~1,6m、 船体のみの重さが、350kgあるのだそう。

ですがこれは昔からの姿ではなく、こちらが1500年に描かれたジェンティーレ・
ベッリーニ・Gentile Belliniの絵の中に見るゴンドラの姿。

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現在よりもずっと短く、すんなりとしておらず、1番の違いは現在のように
左右非対称ではない事で、漕ぎ手の位置も平らで低く、櫂受けも現在の様に
曲がっていないと。

そして17~18世紀にゴンドラの使用が大きくなり、船体が長く船体の前後の
傾斜も大きくなり、着いている金属部も大きく、櫂受けも曲がって来たそう。
          
19世紀になると船体の長さも11mとなり、漸くにここで緩やかな船体の非対称が
導入されたのだそうで、これはゴンドラの漕ぎ手からの操作についての必要性
による物で、最終的に現在の形になったのは20世紀の初めなんだそう。

ゴンドラの船体が左右対称でないと言うのは、漕ぎ手が1人で、船首に向って
左側にいますから、それでバランスが取れるように竜骨が曲がっていて、
左舷の方が右よりも約25cmほど長いのだそう。

ゴンドラの黒い色についても、1609年以降、それまでの様々な色や華美な装飾を
廃することが公示され、現在の黒1色になったそうで。
黒はいつもエレガントな色と見なされていた事に因るのですが、
はい、黒は葬儀の色ではなく、当時の喪の色はパヴォナッツォ・pavonazzo
と呼ばれる暗い赤紫色でした。
       


古い写真に見るゴンドラの姿で、これは19世紀のもの。
2人漕ぎで、中ほどにフェルゼ・felzeと呼ぶ客室が見えます。

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この客室があるのは、ヴェネツィア貴族の間では1家に1艘か、または
それ以上のゴンドラを持っていて会合や船での出歩きに使われ、
1般でも1種の交通手段となり始めると、人目を避けたり、また冬などは
厳しい寒さを避ける為にも必要だったよう。



これはドゥカーレ宮の中庭に展示されているドージェの使ったゴンドラで、
一般の物よりもずっと大きく、客室もある、舳先の彫り物が見事なもの!

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ゴンドラの製作は、280もの異なる部分から成り立ち、木材も8種類、
樅、桜、クルミ、楡、オーク、シナ等など、勿論すべて手製で制作に1年以上かかり、
お値段は約2万エウロ! 20年間は使えるそう。 
       
これは確かヴェネツィアで1軒のみ残っていると聞いたサン・トロヴァーゾ・
San Trovasoのゴンドラ製作所・スクエーロ。

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ここはサン・マルコの運河越しの斜め向かいのドガーナ・税関から、
南のジューデッカ運河沿いのザッテレ・Zattereをずっと辿り、
サン・トロヴァーゾ教会の隣にあります。

建物自体も16世紀頃の物のようですが、ゴンドラの船底が平底で、緑色に
塗られているのも見え、大きなマグロがゴロンと寝ている様でもあり・・!



これは舳先の彫り物部分。 如何にも職人仕事である事が分かり、
好きな絵葉書の1枚。

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ゴンドラの舳先のあの鎌みたいな金属ですが、衝突から船を守る為でもあり、
美しさを加味し、そしてヴェネツィアを象徴しているのですね。

よく聞く説明ですが、6本の歯はヴェネツィアの6区を現し、上からサン・マルコ、
サン・ポーロ、サンタ・クローチェ、カステッロ、ドルソドゥーロ、
カンナレッジョ、後ろに伸びるのはジュウデッカ。

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間には挟まる3つは、ヴェネツィア・ラグーナの代表的な3つの島で、
上からムラーノ、ブラーノ、トルチェッロを。

あの大きな一番上はドージェ・ヴェネツィア総督の冠を現し、
その下の半円部分の上のラインはリアルト橋を、中はサン・マルコ前の海、湾と。

いずれにしてもこの重さは10kあり、使っている金属によりそれ以上にもなるそう。
金属の質を書いてあるのが見つかりませんでしたが、やはり鉄でしょうね。

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艫にもやはり金属の飾りがあるのですが、ここの形は様々で、やはり船体を
衝突から守る為とはいえ、はぁ、こんな風に力尽きているのも、結構見ますです。

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ゴンドラ内部の装飾となると、これはもう注文主の美的センス、金銭状態を示し
様々でして、豪華なのから少し質素なのまで!
あれこれ写したのをご覧下さいね。

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こちらは新婚カップル用のゴンドラで、ゴンドリエーレの衣装も違うのですよ。

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これはサイトで見つけた、新婚カップル専用ゴンドラ・レンタル会社ので、

はい、ご用命はこちらのサイトに色々ございますので、どうぞ!
http://www.matrimonio.com/proposte-originali/royal-gondola--e131096



ヴェネツィア名所のその2、リアルト橋にやって参りまして、

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こんな風にカップルでゴンドラを楽しむ人もあれば、

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何艘も連なっていくグループもあり。 

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大概こういうのには、アコーディオン奏者と歌手が乗り込み、歌いながら行きますが、
時に「サンタ・ルチーア」などが聞こえたり!  ナポリじゃぁないんだよぉ!
       


大運河を行くグループは、ヴァポレットやモーターボートと一緒で、
すれ違う時などちょっと波が立ったりしますが、
脇にそれて小運河を行くと、今度はゴンドラ同士のすれ違いがあり、

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ほらね、右の真ん中のゴンドリエーレは足を使っているでしょう?
あれは壁に近寄って、ゴンドラがこすれない為で~す。



狭い運河での出会いの衝突を避けるため、勿論ミラーが付いている場所もあり、
ゴンドリエーレが警笛代わりの声を上げます、「オェ、オェ~!」というような。

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ゴンドラは細長く、そして平底で水面下に沈まないので、あの大きさでも操縦が楽
なんだそうですが、それでも熟練と機敏さとバランス感覚が大いに必要だそうで、

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こんな狭い間を、総勢6人も乗せたのを漕いで行くのですものね、
やはり大変ですよね。

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懐かしい写真が見つかりましたので、
1951年、ハンフリー・ボガードと奥さんのローレン・バコール。
彼も素敵だったけど、彼女のあの目はなんとも素晴らしかった!

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前の教皇様、ベネデット16世。

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一緒に乗っているのはゴンドリエーレの衣装ですけど、みんな棒、もとえ櫂を
持ってからに、警備の人じゃないのかなぁ、ははは。



客待ちのゴンドリエーレ。
冬はお客が少ないからと言って、これは半分職務放棄の姿ね。
    
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ゴンドリエーレ・ゴンドラ漕ぎにとって大事な櫂受け。 
材質はクルミの根で、これは彫りの入った大変美しいものですが、
この様々な角を使って角度や速度を決める様子。
       
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前進で普通に漕ぐには、上の右の半円状に当てているのを見ますが、



英語のこんな図も見つかり、大体これで漕ぐ時の櫂の置き場が分りますね。

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そうそう、櫂の長さは4,2mで、長年寝かせたブナ材から掘り出すのだそう。
       
櫂受けは、取り外しが出来るようになっていて、仕事を終え覆いの架かった
ゴンドラには見えません。



この写真、奥に見えるのはゴンドラですが、手前のカップルが乗っているのは
ゴンドラではなくサンダロ・sandaloと言い、舳先が違うでしょう?

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ゴンドラではありませんので、客引きがゴンドラ、ゴンドラ!と言っても、
引っかかりませんように!



と言うようなゴンドラについての様々でしたが、
ヴェネツィアはいつもヴェネツィア、世界唯一の独特の美しさを持つ街。

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おいでませぇ、ヴェネツィアに!!


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・ フィレンツェの眺め ・ クーポラの上から 

今回はフィレンツェは花の大聖堂の最後、
クーポラの上からの街の眺めをお楽しみ下さいね。

朝早めに上った時は、写真のように肌寒い曇り日で、
すぐ北に見えるサン・ロレンツォ聖堂のクーポラもこんな眺めで、

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東南にあるサンタ・クローチェ聖堂もこんな感じ。 

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ジョットの鐘楼のてっぺん部ですが、はるか西の方の街は
明るく陽が射しているでしょう?

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クーポラの頂上部は、こんな感じになっていて、
   
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飛び出し部と、

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ランテルナ・灯台部。 聖堂内への明り取り兼王冠部分でもあるわけで、
明り取りの部分が高さ8mだそう。

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そしてこの部分に下からも見えるステンド・グラスがあり、 



こんな風に外から見えます。

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このランテルナ部の内側にちょっと仕掛けがあるのを今回知ったので、後程。



上がった時は曇っていたのが、上に暫くいる内に、太陽が顔を出し!
       
そう、そうなるとまるで街の見えようが違うのです。
最初のメディチ家礼拝堂の丸屋根もこんな風にくっきりと、
手前側にサン・ロレンツォ聖堂の正面、そして回廊部も見えます。

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東側、太陽光線で街が起き上がったみたいでしょう?!
右側真っ直ぐ通る道がヴィア・デイ・セルヴィ・Via dei Servi
左に延びるのがヴィア・リカソーリ・Via Ricasoliで、

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ヴィア・リカソーリの奥に見えるのが、サン・マルコ教会。
美しく静謐なフラ・アンジェリコの壁画がありますが、15世紀のフィレンツェの
街に一大宗教改革を起こし、最後はシニョリーア広場で火刑にされた
サヴォナローラがいた教会でもあり・・。

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この通りの斜め向かい辺りに、ミケランジェロの作品で有名な
アッカデミア美術館があったはず。



ドゥオーモのすぐ足元。 大きな建物も見えますが、
小さな家々の並びが陽の射しこみで、なんともくっきりと面白く、

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街を取り囲む北側の山々。 雲が湧き、流れます。

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聖堂の正面側と鐘楼。 
修復中で覆われた洗礼堂の天辺だけが飛び出して見えます。

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鐘楼にも今しっかり陽が当り、

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鐘楼の足元。

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そして、南側の家並み。
なんとまぁ、思い思いに自由な出っ張りのある屋根、屋根で、
中世の名残の小さな塔の家がたくさん見えるのも楽しい!

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n.1 ルネッサンスの都に、中世を探して
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463022763.html

n.2 ルネッサンスの都に、中世を探して
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463022941.html



こんな屋根の上で、お仕事中。

18-961_GF.jpg



南西に見える共和国広場・Piazza della Repubblica.

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街に落ちるクーポラの影。
左に白いクレーンが見えますが、鐘楼の壁の修理でした。

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西に見える大きなサンタ・マリーア・ノベッラ聖堂・S.M.Novella
と、右にちょっぴり見えるフィレンツェの中央駅。

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南の、ヴェッキオ宮・Palazzo Vecchioと塔、そしてロッジャ。
狭い奥にウフィッツィ美術館もちょっぴり見え、

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n.1 フィレンツェ ・ ヴェッキオ宮
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461595223.html

n.2 フィレンツェ ・ ヴェッキオ宮
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461595718.html



南の奥に大きく広がるピッティ宮・Palazzo Pitti.
背後に大きな公園もあるのですが、まだ見た事なし。

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そして、写真左下に見える通りが、ヴェッキオ橋の上で、



ほらね、橋の中央の開いた所に陽が射し込んでいます。

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橋の真ん中辺りから、確かにクーポラの頂上部が見えるのを確かめましたから
間違いありません。

手前の大きな高い建物は、オルサンミケーレ教会・Orsanmichele.
オルサンミケーレ教会、というには教会らしからぬ建物ですが、
周囲には著名な彫像類、内部にも素晴らしい祭壇がありますので、
またご案内いたしますね。

ヴェッキオ橋 ・ フィレンツェ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464157105.html

オルサンミケーレ教会 ・ フィレンツェ
http://www.italiashiho.site/archives/20171007-1.html



そんなこんなで1時間半ほども上で粘って楽しみ、クーポラを下ります。
道中略で、はい、クーポラ内側の壁画が見える位置に。

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全体が見える写真はウィキぺーディアから拝借したもので、
この壁画に取り掛かったのは、クーポラが閉じられランテルナも出来、
頂上の球と十字架も据えられた1461年から100年以上経った1572年。

当初は偉大なクーポラには素晴らしい内部装飾を、という事でモザイク画が
検討されたそうですがクーポラ自体の重みが25000トンもあり!
モザイク画となるとそれに大変な重さが加わる事、経費も莫大になる事、
そして既にモザイク画装飾が主流を過ぎていた事等などで、フレスコ画装飾となり、
   
ジョルジョ・ヴァザーリ・Giorgio Vasari(1511-1574)に仕事が依頼され
開始されたものの、その2年後にヴァザーリは亡くなり、
後継はフェデリコ・ズッカリ・Federico Zuccari(1539-1609)に。
       
ズッカリは殆ど助手も使わず5年ほどの短い期間で、世界で最大の面積のうちの
一つのクーポラ内部、マニエリズモ絵画の代表作でもある作品を1579年に仕上げます。

ウィキのイタリア版説明にズッカリはテンペラで仕上げたとあり、
これがちょっと気になりますので、アンテナを立て調べて見るつもりです。

ズッカリの長兄のタッデオ・Taddeoも歴史に名の残る画家で、
彼が手がけた一連のフレスコ画は、カプラローラのファルネーゼ邸にも。
      


この壁画のテーマは「最後の審判」で、正面に審判を行うキリストがいて、
絵の中で彼の周囲を取り巻く人々は、良き行いにより永遠の生を授けられた人々で、

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その下一周部には、地獄に落とされ苦しむ人々の姿が描かれ、
そう、通廊を歩く我らのすぐ頭の上に、めちゃめちゃ悪魔達にやられる人々の姿、
それも巨大に描かれた苦しむ人々の姿が!

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所々に見える穴は、壁画を描く為の足場の梁を通す穴で、後々の修理の為にも
そのままにされている物で、両方から小鬼やら天使が支える姿を描きこんでいて、
どこかユーモラスというか、芸が細かいというか、ははは。



こんな三つ頭の怪物も、骸骨もすぐ傍に!

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ちょうど悪魔の股間にいるような構図も一枚あったのですが、良質美的を目的の
我がブログには相応しくないので、ひひひ、泣く泣く省略を。
   
透明プラスティックの板が通路を囲んでいて、先回肩位の高さと書きましたが、
こうして再度写真を見ながら考えると、どうも軽く頭を越す高さまでだったっけ、
と思い出しました。
そうですよね、真下の内陣部分に上からひょっこり覗いたりするのがいては、
失敬ですものね。



こちらが上のランテルナの部分を見上げた所。
上で見た、羊と十字架の付いた杖、洗礼者ヨハネのシンボル、が左に見えます。

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所でランテルナの内側に、こんな聖堂の穴の開いたのが付いていて、

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この説明図のように、穴を通った光が内陣の定められた位置に届くのだそう!

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6月の6,13,21,25日の12時半から13時半、内陣部分左にある
クローチェ礼拝堂内に届く光。

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この小穴の名はニョモーネ・gnomone・日時計の指示針というのだそうで、
90mの高さから届く世界で一番大きな物で、
フィレンツェ人数学者トスカネッリ・Toscanelli氏が1475年に付けた物なんだそう。

当日は無料で、カノーニチの扉・Porta dei Canoniciから入場できるそうですが、
予約した方が良いそうです。 Telは055-2302885、ご興味のある方どうぞ!



ロジェッタ・通廊部分にある丸窓のステンドグラス、キリスト誕生と、十字架降下。

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さてまた下りますと、クーポラの建設に使ったという工具類、当時の物のままと、
その後の修復に当って再現した、という道具類が展示されていましたが、
大変暗い場所でして・・。

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という事で降りて参りました聖堂内部。 片道463段の往復分を頑張ったのです!

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上り口は北側でしたが、降りて来て出るのは聖堂参観の人々と同じ南側の出口で、
考えて見ると、上り下りの道で逆行きの人には出会っておりませんので、
内と外の壁の中の道は少なくとも2方向から続いている訳ですね。

ちょうどオルヴィエートのサン・パトリーツィオの井戸の様に、
上り下りが別々の螺旋状の道みたいなものかな、と考えつつ、

ブルネレッスキは凄かったんだねぇ!と改めて感嘆、
偉大な物を残してくれたルネッサンス人に感謝!!



最後は、出口から近いバールに座り、ご苦労様のジェラートを!

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こちらにお尻を向けて彼女を撮っているカップル、どうやら中国人らしく、
可笑しく厚かましいあれこれ見せてくれ、暫し楽しませて頂きましたっけ、ははは。
       
3度に渡り「フィレンツェの花の大聖堂」にお付き合い頂き、有難うございました!!
楽しんでいただけましたように!
   
    
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・ クーポラ登頂と、建設のあれこれ ・ フィレンツェのドゥオーモ 

さていよいよ、フィレンツェは花のサンタ・マリーア聖堂の大クーポラ・
丸屋根の上に上ります!

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そしてかねてから知りたかった建設法について、shinkaiの頭の程度でも
分るように書いてあるサイトをあれこれ探し、読んで分る様に説明できるよう、
そうこれが難しいのですよね、ははは、
で、何とか私なりに納得できた泥縄の知識を皆さんにも!

あのクーポラは内と外と2重の構造になっている、と言うのは
よく言われるので知ってますが、
では、内と外とを別々に造ったのか?なんて考えられた事ありません?

ああた、正直に仰いませ、shinkai同様そう考えた事もあったと。ははは。
なので、実際にどう造ったのかを具体的に、知りたかったのでした。

調べながら探しながら面白い事も分りましたので、
そんなあれこれも含めての登頂記、どうぞごゆっくり!

写真は上空からの写真で、そうなんですよね、フィレンツェの街中の
こんな狭い空間に偉大な美しい聖堂があり、赤いクーポラが街を睥睨!
例によりブログ名のない写真は、サイトからの拝借です。

フィレンツェのご案内全般は
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460834440.html


前日午後にはこんな風に長打の列だったクーポラ上り口ですが、
朝8時半開いたすぐ後でしたので、すんなりと入場。

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この上りの入り口は、聖堂の北側からだった事をご記憶に。
で、こんな階段が続き、

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厚い壁の高い場所に小さな窓。

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そしてまた上り、今聖堂の庇がこう見える位置。

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内側の壁にこんな窓が開いている場所もあり、

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ひょっと開けたかなりの空間、美術品の修復場所でもある様子。

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街がこんな風に見える高さまで来て、

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クーポラ内側のフレスコ画が始まる一番下の高さ。

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この位置にクーポラ内を一巡できる通路があるのですが、
上りの行程では全部回れないようになっていて、
写真の下に見える黒い線の位置まで、透明のプラスティック板があり、
高さはほぼ肩位まであり、下からは見えないようになっています。

このフレスコ画をほぼ同等の高さで見た様子は、また戻りの行程の時に
ご覧頂きますね。



爪先立って覗く、聖堂内陣部。 右の流れが聖堂身廊部で、

11-d0097427_01113580.jpg



これが聖堂内正面扉方向。 正面のウッチェッロ作の時計も見えますが、
こうして見ると、高さの関係で余り広く感じませんね。

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当時にあって世界最大の丸屋根、現在も壁造りのクーポラとしては世界最大、
支えなしで立っている大クーポラ、の建設の流れですが、

13-d0097427_01120600.jpg

1419 クーポラ建設のアイディア募集のコンクールが行われ、
    ブルネレッスキ・Brunelleschiが、型枠なしで造る事を提案。
1420 正式なコンクール勝者の発表はなかったものの、ギベルティ・
    先回見て頂いた洗礼堂の扉の作者と、ブルネッレスキの2人が
    大頭・大師匠として任命され、8月7日から建設に取り掛かります。
1425 建設に関しては不慣れなギベルティが失策をし、左官屋の反乱もあり、
    ギベルティは追放され、ブルネッレスキ一人の手に、仕事が。
洗礼堂の扉のコンクールでも最後まで残ったブルネッレスキで、
この2人は大変なライヴァルであった様で、ブルネッレスキは
わざと不慣れな仕事をギベルティにさせた、とも!

1436 クーポラの屋根部分が完成。
1446 頂上の灯台部分の仕事が始まり、
1461 一番上の円球と十字架が置かれ、建設完了。      



クーポラの建設は、まだ聖堂の建設当時から関係者の間で様々な
検討がされた難問だったと言うのですが、

こちらは聖堂の大きさを比較する図。

14-d0097427_01122192.jpg

赤色の古くからのサンタ・レパラータ・Santa Reparata教会を取り壊し、
オレンジが、最初に建設を請け負ったアルノルフォ・ディ・カンビオ・
Arnolfo di Cambioの考えた聖堂の大きさ、
で薄いオレンジ色が最終案、現在のドゥオーモ、クーポラのかかる大きさ!

なぜどんどんこんな大きさになったのか?!
当時ヨーロッパ第一の財力を握るまでに成長したフィレンツェの街は、
何が何でも大きな素晴らしい聖堂を造る力を持っているのを示したかったと!

それにしてもちょっと笑えません?!
負けん気を起こしてどんどん大きなのを造り始めたのは良いものの、
途中で、クーポラはどうする?!と気づいて、皆が深刻に相談を始めた、
と言うのはね、ははは。



で、ここに登場したのが我らがフィリッポ・ブルネレッスキ・
Filippo Brunelleschi(1377-1446)
公証人の息子として生まれたものの、金細工師、彫刻家となり、
ギベルティと争った洗礼堂の扉の後、ローマに行き古代建築物を勉強、
建築家となった人物。
       
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ユーモアにも富む人物だった様子ですが、かなりのつむじ曲がりと言うか、
性格の悪さでも知られた人だった様子、はは。



ドゥオーモは1294-1295年から工事を初め、クーポラの基礎となる
タンブーロ・ドラム部分の工事は1314-15には既に完了していたと見られ、
但し、当時このドラム部の下に見える窓のある層の、窓は無かったそう。
    
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ご想像を! こんなぽっかり天井の開いた聖堂があり、覆いは架けて
いたでしょうがね、クーポラの建設はこんな所から始まったのを!!
  
八角形のドラム部、内部直径は45m、外径が54m。
従来の建設方法でドーム・丸屋根をかけるには、内側に木材で仮の
支えのアーチ型を造っての建設方法だったので、
この大きさでは、到底重量を支えきれず無理なのですね。

写真の下に見える図は、17世紀後半に再現された
ブルネッレスキがドゥオーモ工事のために発明した、内部で使用の足場。



これは現在のクーポラ見学の行程、図の矢印のように時計回りに、
工事も進んだものと。

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上の図と同じ物ですが、ご説明のために番号を打ちましたので、
それでご覧下さいね。

1. Calotta・カロッタ・半球、屋根のドーム
   内側はある部分では約2mの厚さ、これは他の部分も殆ど同じで、
   外側はもっと薄く、基礎部分は1,3m、頂点部は90cm。
聖堂のクーポラは2重構造になっている、という図で、内と外の厚さの比、
そして内側が外を支える関係になっている、というのも、
この仕切りの壁の様子で良く分ると思います。
で、右側に見える様に、縦と横の仕切り壁で支えられたドラムの8角形の
一つの辺からの壁の中は24の仕切りに分けられ、
それぞれ内と外の壁が繋がり、外側を支えているという訳ですね。
 
18-d0097427_01131886.jpg      

2. Scalo・スカーロ・寄航地、引き上げ斜面
  建設中の工事労働者達の仕事や補填をしやすくする為に、2つの壁の
  間を石段が通っている。 窓から明かりを取った3段階の歩道で、
  最後の段階は直接に急傾斜を内側から外に出るようになっている。
はい、これが現在クーポラ見物の我々も通っている道で、
壁と壁の隙間、幅は約1,2m.

3. Mattoni・マットーニ・煉瓦
  ブルネレッスキはレンガを「ヘリンボーン・杉綾織」に並べる方法を上部に、
  下部には技術ミックスを使った。
  そしてヘリンボーン式の場合、クーポラの傾斜に合わせ軽く内側に
  傾けるように、そして別のレンガとの間が少し開くように角を回して置き、
  隙間をモルタルで埋めた。
  これは衝動や振動を和らげ、ずれを防ぐ為の工夫である。
       
4. Costoloni esterni・コストローニ・エステルニ・外側のリブ、白い肋骨
  クーポラ基礎のドラムの角部分から延びる付け柱。
5. Embrici・エンブリーチ・瓦、スレート
  クーポラの外を覆う瓦。
6. Buche pontaie・ブーケ・ポンタイエ・組足場用の穴
  足場を組む為の梁を通した穴。 何世紀にも渡って残されるのは、
  修復用の足場に使うため。
              
7. Lanterna・ランテルナ・灯台
  クーポラの頂上にある冠、小礼拝堂を模した大理石製で、
  美的な意味づけの他に、2つの層の壁が合い、閉じられた場所。                
8. Volta interno・ヴォルタ・インテルノ・ヴォールト内部
  ジョルジョ・ヴァザーリとフェデリコ・ズッカーリによってフレスコ画が描かれた。
9. Loggetta・ロジェッタ・外のバルコニー、通廊
  多分ブルネレッスキによって既に予見されていたと見られ、1512年に
  バッチョ・ダンジェロ・Baccio d'Angeloにより建設され始めた物の、
  ミケランジェロの「コオロギの巣みたいだ」という酷評により取りやめになった。
クーポラの南東側に一部分のみ残っている、あれです。

10. Tribune morte・トゥリブーネ・モルト(使われない)観覧席
   クーポラからの重量を外側に逃す為の張り出しの扶壁。
11. Oculi・オークリ・丸窓



以上なのですが、部分的に補充する事にし、
shinkaiは一度読んだだけでは分らず、ははは、あれこれその説明を
納得行くまで求めましたので、皆さんにも復習を兼ねまして、

図の左上が内の壁と(実際は内側がもっと厚いのですが)外の壁、
そして間の支え壁の様子。

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壁の厚みですが、これには内部が2,1m~1,5m、外側が75~38cm.
この数字は上での数字とは少し違いますが、大体これ位だとご了承を。



で、問題は右の図で説明している事なのですが、数学に弱いshinkaiには
数字を使ってのご説明が出来ませんで、ご容赦、
       
つまりクーポラの上部に進むにつれ、壁の厚みすべてが内部へ傾斜し、
その断面が切り立っていく訳です。
これが最大の建築問題点だった様子で、如何にそれを解決したか、

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これについては、クーポラ内の中心点に立てた軸棒を基点に、
「コルダ・ブランダ・緩やかなロープ」というのを使って
断面の傾斜を決めていった様子。

これの説明(イタリア語!)とヴィデオがありますので、それで様子を
推察して下さいませませ。

教授が手にされている傾斜棒、これがコルダ・ブランダの働きです。
http://brunelleschi.imss.fi.it/genscheda.asp?appl=LIR&xsl=filmato&chiave=100986



こちらがクーポラの壁の傾斜度数!

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上にも足場の復元図の小さなのが出ましたが、
これもブルネレッスキが発明したといわれる起重機。

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下には馬が1頭ですが、私が見たヴィデオでは牛が2頭回り歩き、
単に荷を吊り上げるだけでなく、(確か)歯車の向きを変える事で
荷を下ろす事もできたのだと。



所でドゥオーモの5分の1サイズのミニが造られ、見る事ができるそう。 
場所はフィレンツェのアルノ河を渡って東に、アンコネッラ公園・
Parco dell’Anconella内。

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クーポラの傾斜部分に使ったというヘリンボーン式のレンガの並べ具合も
見えますが、前におられるのが設計家のマッシモ・リッチ氏・Massimo Ricci。
近年のドゥオーモの研究者で、彼の指導を受けて実際に作ったのは、
フィレンツェの建築高校の学生達だそう。

5分の1サイズで、煉瓦も同じにし、当時の手法を使い造ったそうで、
向こう半分は口を開け、中からの様子も見れるようになっていると。



こちらはクーポラの壁建設の進み具合。

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煉瓦の繋ぎのモルタルの乾き具合を見ながらのゆっくりの仕事。
工事人は一列を1週間かかって並べたそうで、カタツムリの歩みのように
ゆっくりと、30cmの高さに1ヶ月かかったと。

上記したコルダ・ブランダ、ドラム部の円の中央の基礎点に結び付けた
ロープを使い、各煉瓦をどこに置くべきかを指示したと。

そうそう、ブルネッレスキは働き手を88のグループに分け、
一つのチームに何人かは分りませんが、少なくとも88人は居た計算で、
各人がそれぞれの箇所を請け負っていたと。
       
これで賃金などが分るともっと興味深いのでしょうが、
それには本を買って読まないといけませんですね。

ナショナル・ジェオグラフィックのヴィデオもどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=6ecKKg1Rn1w


所で使用した煉瓦について読んでいて、インプルネータのコット・
cotto dell'Imprunetaという言葉に出会いました。

コットというのはテラコッタの事で、インプルネータはフィレンツェの南に
位置する町の名、古くからテラコッタの生産で知られた町で、
ブルネレッスキは厳しい冬の寒さにも強いここの煉瓦を、クーポラの
建設素材に選んだのですね。

あの大きなクーポラの重量を支えるにも、大理石に比しての焼き煉瓦の
軽さが必要だったのですが、粘土に含まれる鉄酸化物があの赤さを
生み出すのだそうで、クーポラの外側に張られた瓦の色がまさにそれですね。

修復に即使えるように、瓦は当時の色を保つ為に、ずっとそのまま
日に晒され現在も保存され続けているそう!

ブルネレッスキの建設煉瓦への要求は厳しく、
形がきちんとしている事、良く焼いている事だったと。



で、このインプルネータの窯元で働く人々の間から生まれた有名な土地の料理が
「ペポーゾ・デル・インプルネータ・Peposo dell’Impruneta」これです。
       
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この写真にはトウモロコシの粉で作るポレンタが添えられていますが、
フィレンツェでもポレンタを食べるのかな?

テラコッタの窯元で働く人たちが、釜の隅にテラコッタの鍋を吊るし、
材料の牛の筋肉とワインを入れ、そのままほって置くと、
5時間後には美味しいとろりと煮込まれた筋肉が食べられるというもの。

ブルネレッスキはこの料理を建設現場にも持ち込み、工事人たちが昼時に
いちいち下に下りずに済む様に、食事場所を建設現場の上に作り、
勿論トイレもね、飲んでも酔っ払わぬよう、水で薄めた赤ワインを添えたと! 
ははは。

このペポーゾの簡単リチェッタは、
・1kgのキアニーナ牛の筋肉
・1Lのキアンティ・ワイン
・20粒の黒胡椒  胃の弱い方は少し控えめに。
・5片のニンニク、薄皮のまま
・サルビアとローズマリーノ、塩
・トスカーナのパン

筋肉は小さ過ぎない角切り、他の材料も鍋に入れ、ワインを注ぎ、
火は弱火、筋肉が余り柔らかくなり過ぎない程度に煮込みます。
最後にパンを切りトーストし、ペポーゾの上に乗せ、即サーヴィスを。

ミラノのトスカーナ料理店でも食べれるそうで、
サイトは  www.tavernetta.it



さてでは、再度登攀にかかりましょう!
 
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天井部が少し傾いていますが、狭いながらまだ普通の階段で、



わぁ、サンタ・クローチェ教会が見える! 

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徐々に暗く、急坂となり、目に故障がある私めは暗いと鳥目になり、
足元を確かめつつ、

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ほら、この高さに大きな窓があり、
真ん中がバディア・フィオレンティーノ修道院の塔、左がバルジェッロ宮の塔。

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いよいよ急坂! でもまだ撮ってる、ははは。

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この時点で初めて煉瓦の壁に出会い、通路が角ばり、
煉瓦が斜めに走っているのに驚いたのだと。
ほら、ヘリンボーン式に縦に挟まる煉瓦も見えますね。

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左手からの壁の傾き、中の通路も右に曲がりつつ上り、

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左手前、中側の壁の煉瓦の並びの傾斜具合!
本当は壁ももっと傾いていたのかも。

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暗くて見えにくいですが、穴倉を通り抜けて行く様な、
頭の上からも、石段の横も傾いていて、

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これは通り過ぎてきた方を振り返っていて、左側が外の壁で、
中の壁共に傾斜し、通路のために補助を入れているのが分りますね。

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そして最後の天上部に上る部分!
女性の皆さん、ミニははいて行かないで下さいね!!

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という事で、463段の石段の末漸く辿り着いた天井の穴、
小さい灯台部への出口、これは聖堂の正面側にあったと。
入り口の石のすり減り具合!!

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クーポラが建設されたドラム部分の高さは、地表から55m、
クーポラの高さは34m。
聖堂全体の高さは、ランテルナの上の十字架の高さまで入れ、116,5m!!

クーポラが出来て後、再度ランテルナのコンクールが行われ、
当然ブルネッレスキの案が選ばれますが、彼は最後の仕上がりを見ず
1446年に世を去り、1461年ランテルナが建設され、上の金色の球、
十字架も据えられ、全部の完成を見たのは1468年の事。
       
       

ばんざ~い! フィレンツェの街だよぉ!
ドゥオーモのクーポラに上ったぞぉ!! 

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街に落ちるクーポラの影!
    
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クーポラの建設については私の長い宿題でしたので、
今何とか書き終えて、ホッとしています。
上手くご説明できています様に!


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・ フィレンツェのドゥオーモ ・ 朝の眺めと内部

日中はまだ陽射しが強く暑いものの、朝夕はすっきりと涼しく、秋めいて。

少しは写真の整理に励まないとと思い出し、昨年9月の末に行った、ははは、
フィレンツェを眺めています。が、
なにせ撮る時は狩と同じで、下手な鉄砲数撃ちゃ当る式に撮っていて、
いざ開くとその枚数だけにも恐れをなし、ははは、
漸くにドゥオーモの朝の様子と内部を纏めました。

宿がドゥオーモから2,3分の所にあり、時間はちょうど7時5分ほど、
街中も閑散とし、まだ観光客はおらず、ドゥオーモの足元も見えます!

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空がここでも既に秋の空っぽいでしょう?

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サンタ・マリーア・デル・フィオーレ聖堂、正面。

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9年前に出かけた時の写真を眺めながら、自分なりにあれこれ
頭の中に構成していた地理と、再会して見た時の聖堂周辺の広さが、
随分違うのに我ながら驚きました。

つまり、実際にこのドゥオーモのある周辺がとても狭いのに、
聖堂が大きいので尚の事思ったのかも知れませんが、
その狭い地に、びっしりと詰まっている美の凄さに驚いたのでした。

花のサンタ・マリーア大聖堂正面 ・ フィレンツエ



聖堂前の階段上も、綺麗に水で洗われ掃除がすみ、

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向かい正面にある洗礼堂にぴったり付いて撮っても、これでいっぱい!

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まさにサンタ・マリーア・デル・フィオーレ・花のサンタ・マリーア聖堂の名に
相応しい美しさ! 尼僧さん達が何度か通り過ぎて行き・・、



正面扉。 漸くに観光客2人登場。

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そして上部。

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向かい側にある洗礼堂は、昨年秋は修復ですっぽり覆われていて、
これが大いに目算を外れたのでしたが、
ちょうど8年前の9月末の朝に撮ったのがありますので、それをどうぞ。 
北側斜め前から。

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正面。 そうですね、本当に壁が汚れていたのですね。

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洗礼堂の東の門ですが、「天国への扉」とも呼ばれるのは、
この扉に嵌めこまれた中央10枚+他の化粧版の美しさからで、
1401年のコンクールで選ばれたロレンツォ・ギベルティ・
Lorenzo Ghibertiの作品によります。

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今回撮ったものの内から、下から2段目の右、ジェリコの壁の陥落

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左、十戒を受けるモゼ。

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扉の真ん中に並ぶ2人の頭部、左が作者のギベルティで、
右が息子でもあり協力者でもあったヴィットーリオ・Vittorio.

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ですが、ここにあるのはコピー作で、ギベルティが1424年から28年間
精根傾けて作った本物は、ドゥオーモ博物館に。

洗礼堂の北側の扉の化粧版も彼の作というのですが、
チラッと見ただけで記憶に残らず、次回またのチャンスに。

サン・ジョヴァンニ洗礼堂 ・ フィレンツェ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/466187077.html      



少しずつ明るくなって来ていますが、

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聖堂の北側下部には、まだ暗さが残ります。

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7時半前か右の扉が開き、警備員が現れ掲示板を出しますが、
観光客の入場は向って左の扉なので、また閉まり、

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ふと気づくと、鐘楼の角に朝日があたるのが見え、

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カルツァイウオーリ通り・Calzaiuoliの角の建物にも。
手前角は、ロッジャ・デル・ビガッロ・Loggia del Bigallo.

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朝日を浴びる鐘楼。

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フィレンツェ ・ ジョットの鐘楼より
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464151136.html



聖堂南側から見るクーポラと、

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朝日に煌く聖堂の頂上にある十字架。

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南側の壁、余りにも広く大きいので、どう撮っても傾斜がつき・・。

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朝日を浴び浮かび立つ、なんとも美しい鐘楼!

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この撮っている位置の後ろに救急病院があり、救急車の係りの女性も
一緒に眺めていて、本当に美しいね!と言い合った事でした。
      


ではちょっとサンタ・マリーア・デル・フィオーレ聖堂に付いての基本を、
モンダドーリのガイドブックから。

番号順に、
1. 中央入り口  常の観光客は左の扉から。
2. ネオ・ゴシック式の大理石のファッチャータ・正面。
   ジョットーの鐘楼風模様ですが、装飾建築は1871~1887年に。
3. 鐘楼 ジョットーにより設計された85mの高さで、ドゥオーモより6m低い。
4. ブルネレスキ設計建築の丸天井。 当時に於いてかってなかった
   大クーポラを、伝統の木製足場なしで建設。 頂上まで463段の
   階段で上る、別の一回り小さな内側のクーポラを造り、
   それが外側を支える仕組み。

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4-2. クーポラの頂上。 素晴らしい街の景観が見られる。
5. 様々なサイズの煉瓦、曲面煉瓦とヘリンボーン(杉綾模様)を
  組み合わせた方法で、ブルネレスキはローマのパンテオンを見て発見。
6. 内部の「最後の審判」のフレスコ画、ヴァザーリ作。
7. 大理石の床。 クーポラに上りながら16世紀制作の床の模様を
  見ると、迷路風になっているのが分ります。
8. クーポラへの入り口、とありますが、現在入り口は反対側の北にあり、
  ここは出口。
9. クーポラの真下の聖所、八角形。
10. クリプタ・地下への入り口があり、ここには現在の聖堂以前の、
   4世紀に遡るサンタ・レパラータ教会の遺構が残ります。

聖堂の起工式が行われたのは、1296年9月8日。
その時にサンタ・マリーア・デル・フィオーレ・花のサンタ・マリーアと命名、
なんとも素晴らしい名前ですねぇ!
       
以前この場所にあったサンタ・レパラータ教会・S.Reparataの遺構は、
現在地下博物館として見学できますが、
その何倍もの大きさに、しかも2度に渡る計画変更で拡大され、
途中の中断も経ながら1380年に身廊が完成、
1418年にはクーポラを残すのみにまでに進行します。

で、この当時はこの大クーポラを如何に架けるかが問題だった訳ですが、
ブルネレスキ・Filippo Brunelleschiが解決、1434年8月30日に
頭頂部が閉じられます。

その後の頭頂部の上の明かり取り部分の完成は1461年、
そして天頂の球、金色ブロンズ製が取り付けられたのは1468年、
レオナルドの師ヴェロッキオ・Verrocchioに依ります。

つまり170年程の年月が掛かった訳ですが、
現在に残るルネッサンスの素晴らしい聖堂ですね。



別の日の午後、ドゥオーモの内部に。

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以前は左の扉から入ると、中は自由に行き来出来たのですが、
今回は、正面扉から奥にいわば3角形に入れない空間が作られ、
その分、逆に聖堂内が広く感じられました。



脇の床模様。

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奥に進むにつれ、クーポラ内部の壁画が見えて来ます。
そう、ヴァザーリの「最後の審判」。

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クーポラの真下の聖所、いわば内陣部分。

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脇の壁に見えたダンテ像、「神曲」を手に持ち、
背景は「神曲」の図解とフィレンツェの街。

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真下から見るクーポラ内部のフレスコ画。

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今回はクーポラの上まで上がりましたので、写真整理が出来次第、
頂上からの街の眺め、近くからのこの壁画もご覧戴きますね。



内陣付近から見る、天井部と入り口扉周辺、そして床。

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正面上のこの24時間時計がずっと好きだったのですが、
今回これはパオロ・ウッチェッロ・Paolo Uccelloの作品と知って、
嬉しくなりました、単純、ははは。

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フレスコ画で出来ていて4,7m四方、1443年の作。
記録された支払額は、1443年の2月22日に時計周囲の頭部に
10リレ、4月2日に時計全体の装飾に、これの金額が分りません。



左の扉入り口付近にある、右の騎馬図もパオロ・ウッチェッロ作の、
フィレンツェの為に働いた傭兵隊長ジョン・ホークウッド・John Hawkwood
の記念騎馬図、1436年の作、8,2x5,15m.

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当時大売れっ子で忙しかったウッチェッロは、3ヶ月で仕上げたのだそう!

最初はブロンズの騎馬像にするつもりだったのが予算不足となり、
ウッチェッロに依頼し、ブロンズ像らしい効果を狙ったと読んだ記憶あり。

で、現在見える周囲のグロテスク模様のエレガンテな額縁は、
1524年に修復したロレンツォ・クレーディ・Lorenzo Crediがつけたものと。

左は、アンドレア・デル・カスターニョ・Andrea del Castagno描く、
ニッコロ・ダ・トレンティーノ・Niccolò da Tolentinoの記念騎馬図、
1456年作。
       
このニッコロ・ダ・トレンティーノという傭兵隊長は、ウッフィッツィ美術館の
ウッチェッロが描いている有名な「サン・ロマーノの戦い」の、
フィレンツェ側の隊長だったそう。

で、この「サン・ロマーノの戦い」について、大変興味深い話のTV番組を
見ましたので、また纏めてみたいと思っていま~す。



こちらもガイドブックの写真から、

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上はドゥオーモの裏というか、クーポラのある東の外側の様子。
3つの飛び出した後陣が、内部にはそれぞれ5つの礼拝堂を持ちますが、
15世紀のステンドグラスは、ギベルティを初めとする他の作家の作と。

下の写真は、ドゥオーモの内部の床模様。



午後の半ばの、ドゥオーモの北側。

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身廊から後陣部分がちょっと飛び出す手前に、



この扉があり、ここが現在クーポラへの上り口。
      
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午後半ばに行くと長蛇の列、で翌朝8時半過ぎに行きすんなりと。 
が、階段部分は何とかかんとかOKでしたが、へへへ、
薄暗いのが、目に故障を持つ身にはきつかったです!



入り口前の掲示板。

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聖堂の図の赤点が現在位置で、切符売り場は洗礼堂の向かいに、  
オープンは、月~金は8時半から午後6時20分
土曜は8時半から午後5時、 日曜祭日は上れません。



最後は、聖堂前にいたライオンみたいなワンちゃん!
一体何種だろ?! お母ちゃんが浮気したとか・・、ははは。

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楽しんで頂けましたように!


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