・ n.2 総集編 ならびに食べた物 ・ ウンブリアの春2015 

先回に続き今日は、ウンブリア旅行の総集編と食べた物の2回目、
アッシジと出かけた近くの町の事など、少し長いですが、ごゆっくり!

まずアッシジに到着の日、コムーネ広場の近くで食べたお昼。
広場のインフォメーションに行く時に、すぐ手前の急な坂道
ヴィア・ポルティカにセルフ・サーヴィスの店が出来ているのを見つけ、
急ぐ時にはちょうど良いと、インフォメーションのあと引き返したのですね。

かなり広い明るい店で、1番奥がほら、窓際の明るい席で、
左のお皿が、カンネッローニ・cannelloniという筒状のパスタに
リコッタ・チーズとホウレンソウの詰め物が入ったもの。

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右は茄子にタマネギ、ズッキーニ、ペペローニなどの野菜にパン粉をかけて
オーブンで焼いたもの。 ゆで卵の一切れに、インゲン豆なども見えますね。
で、ビールは生を1杯!

このお店はなかなか味もよく、お値段もそれなりで、
旅先で待たずに食べれるのには良いと思ったですが、昼間だけの営業。

       

夕暮れ前からサン・フランチェス聖堂前で日暮れを待ち、
ライト・アップの変化を追います。

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聖堂前の坂道を行ったり来たり、お腹も空いて来るし、
空の色、明かりの色の変化も逃したくなし、
ついに広場の前角のカフェに入り、オレンジ・ジュースとトルタをね。

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すぐ横の窓からは聖堂と空が見えるし、夕暮れの空を追いたい時は、
いつも夕ご飯とのジレンマ!

店にはレストラン部分もあるのですが、まだ開いておらず、
途中もう一度店に行きビールを頼み、ついでにカウンターにあった
オリーヴを少し貰いましたっけ、ははは。

ホテルに戻ってから、持参していたクラッカーと干し果物をかじりつつ、
これも持参していた赤ワインをちびちび。 そう、備えあれば憂いなし、ははは。



この日の最後、とっぷりくれた夜空に浮かぶ聖堂。

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翌日午前中は、アッシジの町の坂下にあるサンタ・マリーア・デッリ・アンジェリ・
Santa Maria degli Angeliの聖堂に。
何度も横を通りつつ、この如何にもの大聖堂を敬遠していたのですが、
行って見ない事には話にならないと改心し、はい。
       
聖堂の横からの眺めと正面。

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中は想像していた様に写真禁止で、サイトから拝借。
内部にはポルツィンコラ・Porzincolaと呼ばれる小教会、
聖フランチェスコによって修復された3番目の教会といわれ、
ここで彼は1226年に亡くなります。

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勿論当時はこの様にフレスコ画で装飾されてもいなかったのが、
16世紀教皇ピオ5世により、保存保護する為に現在の大聖堂が、
ポルツィンコラを内蔵する形で建設されたと。



(サンタ)キアーラも俗世を捨て、家から逃げてフランチェスコの下に来たのが
このポルツィンコラだったと言われ、アッシジの聖堂に次ぐ一大巡礼地で、
聖堂前の広い広場の脇には、ずらっとスーヴェニール店。

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暑い暑い日でして、レストランに行く気にもなれず、横道を入った所の
バールにメニューが出ていたので、野菜スープと、小ピッツァを。
車で行ったので、自粛してお水のみ。

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アッシジ2日目の6日の午後から、
いよいよお祭り公演が始まり・・、1枚だけね、ははは。

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公演は午後3時か3時半に始まり、その後の夜の公演も今回は2回あり、
朝、近くの町に出かけるにはちょうど良いのですが、
時間には戻ってこないといけずの制限つき。



この日の夕食は、鱈のサラダとビール。
鱈の小さな切り身にトマト、カッペリ、アッチューゲ、黒オリーヴ、サラダ菜と
ルーコラだったと思うのですが、これがさっぱりで美味しかった! 

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翌日午前は、アッシジの町から30分もかからないスペッロ・Spelloの町に。

町のコンソラーレ門・Porta Consolare、ローマ期からの主要門で、
現在門の下のローマ期の遺跡の修復で通れず、脇のちょっと先から町の中に。

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以前来た時はちょうどお昼で閉まっていて見れなかった
サンタ・マリーア・マッジョーレ教会・S.M.Maggiore内の、
礼拝堂のピントゥリッキオ・Pinturicchioの美しい壁画もしげしげと。
       
優美で美しいピントゥリッキオの絵は好きで、余り画家好みの美人の癖がなく、
ははは、ただただいとも美しい、というのが好きなのかもですが、
傍に目を寄せじっくり見ると、やはり素晴らしく上手いのですよねぇ!
と、当たり前の事を改めて発見、楽しみました、はい。


爽やかな緑の並木道の下のカフェで、

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ファッロ麦のサラダを。  ほら、ナイフが緑を映しているでしょう?!

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ファッロ・farroはスペルト小麦と出ましたが、言葉はわかってもね、
むちっとした歯ごたえの大きな麦で、夏のサラダによく使われ、
トマトにルーコラ、オリーヴなどが入り、上からパルミッジャーノ・チーズの
削ったのと、バルサミコ酢。
美味しかったですが、量が少し多めかな、shinkaiには。


この頃はカフェを飲まなくなり、最後はオルゾ・大麦の代用カフェをね。
勧め上手に乗せられお菓子を1つ取り、外はさっくりの、中にクリームだったと。 

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お客にはとても愛想がよかった若いカップルの店主たち。
でも店の主導権争いでの何度もの些細な口げんかを眺めつつ、
あれこれ勝手に想像しながらのお昼も楽しかった! ははは。



町は山に沿っての高所に広がり、上から眺める古いサン・クラウディオ教会・
San Claudio. 帰りに寄りましたが、やはり閉じていて。 

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戻りにもう一度、コンソラーレ門を。 朝は陰の中だったので、
帰る頃には光の当り具合がちょうど良いだろうと思っていた通り。 

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このスペッロの町はインフィオラーテ・Le infiorateと呼ばれる花祭りで
有名な町で、今年6月6・7日のポスターも見えました。

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お祭りは、広場とか道に花弁の色を使って図柄を描くもので、
実際に見た事はないのですが、写真で見ただけでも、
そのデザインの細かさ、中間色の繊細さなどに驚きましたっけ。

みんな、広場へ ・ ウンブリア紀行 3
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462901061.html

スペッロ ・ Spello ・ 穏やかな、小路の町
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461551769.html



この日は午後の公演の後、町の一番の高所にある要塞に行き、
夕陽から町の灯がともるまで粘り、薄暗くなった石段、坂道を降りて来て、
遅めにレストランに。

1人で、はたまた遅めにレストランに行くとどの席に座らせられるか、ええ、
壁際の席から埋められて行きますから、大体真ん中の空いた席で。
余り落ち着かなくとも、照れるほど若くもなし、ははは。

この日食べたのは、初めて出会ったパスタで、それも初めての味!
パスタの名はストロッパプレーティ・stroppapreti、

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直訳すると、坊主の首絞め、とでも、ははは。
そうそう、見えているのは黒ビール。

ピーチと呼ぶトスカーナやウンブリアの太いウドンの様なパスタがあり、
これは美味しくて大好きですが、
それを2本合わせた様な感じで、5-6cmほどの長さ。

つまり食べにくいので、大喰らいの僧侶などが急いで食べると
喉に詰まるさ、という悪口から来ているのだそうで、
このパスタがあるのは中部イターリア、つまり教皇領のあった土地!

で初めての味と書いたのは、今まで食べた事のない味で、ご覧の様に上に
タルトゥーフォ・トリフがかかっていて、ぷ~んと良い香り! うひひ。

ですが、1口食べた時、甘い!と思ったですね。 甘い味のパスタなんて
想像できます? 白くぶつぶつ見えるのは、リコッタ・チーズで。
喉には詰まりませんでしたが、ははは、初体験の不思議な味のパスタでしたぁ!
もう一度食べたいパスタか?
ええ、トマト味だったら、美味しかろうと思いますです。
       


一緒に頼んだ野菜のグリルも、上からチーズがヴェールみたいに
薄くかかり、余計な事をと、ははは、除けて食べましたが。

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てな事でこの日の最後は、グラッパ酒でお口直しを、ははは。

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翌朝は、サン・フランチェスコ聖堂から下って来た所の駐車場、
私めも5日間停めていたサン・ジョヴァンニ・パオロ2世駐車場のすぐ横から
階段を下りての道、上でご紹介したサンタ・マリーア・デッリ・アンジェリ聖堂に
続く煉瓦敷きの道を行き、この参拝道に敷かれたレンガには、
寄付した人々の名が刻まれており、聖堂まで4kあるそうで、

その道脇のこんな泉を見に。

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現在は飲み水には使われていませんが、かっては参拝客用だったのか、
由緒正しい泉の姿で、木々の背後には無人の農家が見え、
道を往き来する人も余り見ない現在、3つに区切られた水槽の
かっての使い方をあれこれ想像し。

山腹に広がるアッシジの町は、きっと湧き水が豊かだったのでしょう、
ヴェネツィアで見る様な町の広場の井戸は見かけません。
コムーネ広場のすぐ下とかその先にも、大きな水槽の様な泉や、
噴水式の泉、そして小さな水飲み場と見かけ、
この町の泉についても、ちょっと知りたい気持ちです。



こんもりと茂った木々からの木漏れ日に、ちょろちょろ落ちる
水の反射が煌き、 

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上にはこんなイコンの写真も。  

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町の中心に戻り、この日のお昼は先日と同じセルフ・サーヴィスの店で、
食べた物は
右、カルチョッフィと、野菜のグリル各種
左、メルルッツォのパン粉焼き、付け合せにホウレンソウ、そして、生ビール。

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魚が大きかったし、ホウレンソウもあっという間にどかっとお皿に載せてくれ、
このお昼も食べ過ぎぃ~!

という事もあったのですが、なぜかこの日の夕食にはお醤油に酢味とか、
おにぎり、野菜の素朴な煮物等ばかりが頭に浮かび。

これは到底無理ですし、お腹も減らず。 暑いので日頃は食べない
ジェラートも食べていますしね、
で夕ご飯は抜きで、ホテルでカリカリと持参品をちょっぴり。



翌日はアッシジ最後の日で、この日も抜けるような青空の暑い日、
午前中は車をアッシジの駅前に置き、電車でペルージャ・Perugiaに。
ペルージャの街は大きく、大学もあるので駐車場探しの大問題があり、
以前も往生したので今回は電車で、30分足らずの距離。

で駅前からバスに乗るのに、はぁ、アルファベットは依然苦手で、ははは、
それより単なるドジのせいか、バスを間違え、どんどん田舎の道に!
それでもぐるっと回って戻るのかと、待っていてもどうも違う。

隣の席の女性に尋ねると、いや、このバスは行ったままで戻らない。
気の毒だけど、少し歩いて戻って別のバスを待つしかないと!
すぐ停車のベルを押してくれ、降りたのですが、さてどうするか・・。

いつ来るか分らないバスを待っていると、アッシジにお昼過ぎに戻れない。
で、亀の甲より年の功、はは、
携帯電話の店があり入ると若い男性の客がいたので、用が済むのを待ち、
バスを間違えペルージャに戻りたいので、タクシーをして下さい!と。
快く彼が街のほぼ中心に近い所まで送ってくれ、
大体の距離は見当が付いたので20エウロ渡し、彼も満足、私も救出!

という事で、ははは、無事辿り着いたペルージャの中心、プリオーリ宮・
Palazzo dei Prioriと、フォンターナ・マッジョーレ・Fontana Maggiore.

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ドゥオーモの中も拝見しましたが、今回狙って行ったのは2つあり、
1つはこれ、ローマ期の水道橋が現在も残っている道で、
中程から左に延びる細いのがそれ。

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この辺りは以前も見ているのですが、水道橋に降りる道、
この写真の風景がどこから見えるのかグーグルで探し、行ったと言う訳。
       
あの水道橋の細い道も歩いてみましたので、またご案内を。



もう1つ確かめたかったのは、エトルスコの門・Arco Etrusco、
またはアウグスト門・Arco di Augustoと呼ばれるこれ。

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ペルージャの街の門はどれもこれも高く頑丈そうで、はは、
それだけでも田舎者には威圧感を覚えるのですが、はい。
       
この門の内側の古い石組み、つまりエトルスク期のが
見事で素晴らしい存在感で、見に行って良かった!

この前の道を右にぐるっと回っていくと、先ほどの水道橋の上の道に出て、
私が居た時もど真ん中に観光バスが停まり!



お昼は、街の目抜き通りのテントの下で、茸のパスタを。
暑い日、爽やかな風の通る場所で、道行く人やワンちゃんを眺めつつ
頂くビールと美味しいパスタ、最高!

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中には厚切りのポルチーニが幾つも入っていて、私めには
タルトゥーフォよりも美味しい茸で~す。



中心のヴァンヌッチ通り・Corso Vannucci、突き当りがドゥオーモ。

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ペルージャ行きの田舎者には、もひとつおまけのドジがありまして、
駅までバスで戻り電光時刻表(別の言葉があったっけ?)を見ると、
予定していた戻りの電車がない! なんでやねん?!
落ち着いてよくよく見ましたならば、土曜日は運行なし、ははは。
仕方なく1時間待ちましたが、ペルージャはshinkaiには鬼門なのかも!

以前のご案内  ペルージャ ・ 町の中心を、ほんの少し
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/471449262.html

ヴィア・アックエドット ・ 水道橋通りと、エトルスコ門 ・ ペルージャ
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/471851624.html



アッシジ最後の夕食は、パスタのノルチャ風を頼むと、またまた
タルトゥーフォがかかった奴で、ははは。 香りは良いものの、味がねぇ。

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そしてサラダの小とビールを。



タルトゥーフォが本当に美味しいと知ったのは、この1度のみ!
秋の味覚、 トリフ と ポルチーニ について 
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461474928.html



アッシジを去る朝、9時前のサン・フランチェスコ聖堂前。
まだ観光客も参拝客も少なく、空気も少しひんやり。

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聖堂前の広場の兵士、この広場に2人、上の広場の横にも2人、
重装備で防弾チョッキも付け、さぞ厚く重たかろうと!

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ですが時々カフェを飲みに角の店に入って来たり、お菓子類を箱に入れて貰い
持ち帰る姿も見たりで、やはりイタリアの兵士はイタ男だと可笑しかったり。
       
はい、車に乗ってもう1度この道を通り、ホテルの鞄を引き上げ、
アッシジに別れを告げたのでした。

また来れると良いなぁ! 次は晩秋とか、雪の舞う聖堂とかね。

アッシジ全体のご案内はこちらから
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460871638.html



アッシジから最後に寄ったのがグッビオ・Gubbio.
一層整備された姿ですが、この眺めは変わる事無く。
真ん中に一際聳えるのが、コンソリ宮・Palazzo dei Consoli.

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お昼を食べた時、見上げる町の北側の山が、かなりの風で
雲が動くたびに表情を変え、

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以前のご案内   グッビオ ・ インジーノ山の麓、ローマ期からの町
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462901650.html


8日間の今回の旅は、宿も長い泊まりで見た町も多くなく、
それでも朝早くから夜遅くまで歩き回ったり、公演を見たり、
何よりもあの坂道石段の連続に疲れていたのか、
家に帰るとなると、戻ってのゆっくりのお風呂も恋しくて、

何かさっと食べて帰りたい一心で、ははは、道脇のカフェのテラスで、
モッツァレッラ・チーズとトマト、黒オリーヴ、茸のサラダを。
勿論茸はマッシュルームだよね、ははは、・・考えの至らぬshinkai!

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という事で、今回のウンブリアの旅総集編の最後は、
抜けるような青空の下のコンソリ宮を!

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長いお付き合い、お疲れ様、そして有難うございましたぁ!!


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・ n.1 ウンブリアの春2015 総集編ならびに食べた物

出かけた後の恒例により、はは、食べた物、旨いものを見て頂くのに、
お皿の写真だけ並べてもと考え、周辺も少し加えると結構な枚数になり、
ならばと総集編を兼ねる事とし、その日の各部を加えて2回に分ける事に。 
で今日はその1を。

タイトルに即、旨いもの、と書かなかったのには訳があり、
はい、見て頂くとお分かりと思いますが、
肉を食べない上に、今回はもひとつ貧乏旅行となりまして、
まぁ、これもイタリアの素顔であると、きゃはは、ご了解を!

写真は、今回の旅行で最初に撮った1枚。

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場所はトスカーナの南、カプレーゼ・ミケランジェロの村に行くべく
E45のガタゴト自動車道をサント・ステーファノで降り、上り坂に、
はい、かなりの上り坂にかかった辺り。
少し曇天でしたが、のんびりの田舎の春風景が広がります。
       


さてカプレーゼ・ミケランジェロ・Caprese Michelangeloですが、
この村にはミケランジェロ・ブオナロッティ・Buonarrotiの生家
といわれる館があり、こちら。

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実際にはこれはパラッツォ・ポデスタ・Palazzo Podestà・
執政長官の館と呼ばれるもので、ミケランジェロ・の父親ルドヴィーコ・
Ludovicoが、1384年からフィレンツェの支配下に在ったこの村の、
長官として居住していた時に彼が生まれたというもので、1475年、
彼の家ではなかったのを今回知りました。



現在はミケランジェロ博物館として、内部もこのように整備され、

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建物前面にある階段を上った2階の部屋、

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そして奥に2部屋在る内の南側のこの小部屋、
ここでミケランジェロが1475年3月6日に生まれたであろうと。

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村の歴史は古く、この区域はロッカ・カステッロ、要塞・城と呼ばれ、
村の一番北側の高い位置にあり、他に大きな建物が2つ、
周囲は城壁に囲まれたかなり広い区画で、
現在はミケランジェロ博物館の一環として、彼の作品コピーや、
他の彫刻作品の展示などもされておりました。

彼の父親の執政官としての半年の任務期間はちょうど3月で終り、
当時大変厳しい経済状態であったらしい一家は、フィレンツェ郊外の
セッティニャーノの村に戻ります。

この村は石を産し石工の多く居た村で、石工の娘であり妻であった
乳母の家に預けられたミケランジェロ。
多分この村で自分の生きる道を選んだのでしょうね。




城の前の道を村に下り、少し東に。 このサン・ジョヴァンニ・バッティスタ教会・
San Giovanni Battistaで1475年3月8日ミケランジェロは洗礼を受けたと。

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お昼前に村に到着、我が家から365km 約4時間、博物館は終日
開いているのを良いことに、ゆっくりのんびり見ている内に、
お昼をとっくに過ぎ2時半頃。

博物館すぐ下のトラットリーアからは、お肉グリルの良い匂いが周囲に充満! 
いや、これは食べられないし、通りがかりのシニョーレが教えてくれた
村外れのレストラン前に。 ここも賑やかな声が聞こえ、お肉の匂い!

こういう田舎でこういう店に一旦入ると、長く待たされるだけなのを
経験済みですから、まぁ、そう遠くないからと、40k 40分ほど、
今夜の宿であるチッタ・ディ・カステッロの町に向かう事に。

途中で道脇にサーヴィス・エリアのあるのを見つけ、食べれるかと聞くと、
3時で閉めたとのこと。
       
てな事で、旅初日のささやかなお昼は、ははは、
リンゴのタルトと、パイナップル!! 嬉しくて、写真までブレてる!

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今回行った範囲の、ウンブリアの地図をどうぞ。
旅の初めに2泊したチッタ・ディ・カステッロ・Città di Castello.
ここはウンブリア州に入ってすぐの町で、翌日行ったモントーネ・Montone、
       
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ペルージャ・Perugia、アッシジ・Assisi、アッシジから出かけた
スペッロ・Spello、そして最後に寄ったグッビオ・Gubbio.



チッタ・ディ・カステッロの町のホテルに荷を置き、まずは町の中心、
ピアッツァ・マッテオッティ・Matteotti広場に。
日曜の午後、しかも5月1日からの連休最終日とあって、
町の人とともに、かなりの観光客の姿。

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長方形に広い広場の西側を占めるこの建物、パラッツォ・ポデスタ・
執政長官の館で、正面はこんな17世紀のバロック様式。

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所が横のコルソ・カヴール・Corso Cavourに入った途端に驚いた、
この元の姿を物語る壁の威圧! 14世紀後半の建物だというのが
素直に頷けます。

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で、続く市役所・Municipio. 扉が開いていたので入ってもOKだろう
とは思いつつ、とにかく真っ暗! 
      
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先に入った人々が喋りながら階段を上っていくので、まぁ、牢屋ではないだろう、
ははは、と思いつつshinkaiも。
古い古い煉瓦敷きの階段を上り、上の会議室様も見て参りましたぁ。
  


そしてその先に、こちらがドゥオーモ。 傾斜地を利用しているせいか、
入り口階段も高く、どこもかしこも重厚な印象の町。

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町2日目の夕方もまた出かけてあちこちうろうろしたのですが、
お天気が回復しての、ドゥオーモの裏に在る円筒式鐘楼。
上れる、とは書いてあるものの、扉は閉まっていて。

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現在市の絵画館パラッツォ・ヴィテッリ・アッラ・カンノニエーラ・
Palazzo Vitelli alla Cannoniera. 町の有力一族ヴィテッリ家の
建物の1つという事ですが、美しい壁画で装飾。

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所蔵品にも心を惹かれたのですが、日曜は既に閉め、月曜休館、
火曜は朝10時からというので、待ちきれず今回はパス。



この道を跨ぐ姿ですが、左に見えるこの城壁が町を取り囲み、

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こんな形で良く保存されていて、外側は散歩道に。
奥に見える壁内の建物辺りが、今回の宿。



チェック・インした時、ホテルのレストランでは3種の中から選べる式の
夕食が16エウロです、というので予約し、7時半に。
南に行くほど、夕食時間が遅くなる気がするのですがぁ!

プリモに、ペペローニの入ったちょっとピリ辛のペンネを。
美味しかったですが、量が多かったぁ!

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白ワインを半L頼んだのですけどね、待ち時間にちびちびとやって
足らなくなり、もう半分! こちらも飲みすぎぃ!



セコンドには、鱸のグリルと、付け合せにタマネギのフライ。
うん、この鱸も美味しかった! 久し振りのおちゃかな、にゃぉ~ん。 

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部屋の窓から見る旅初日の夕暮れ。

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この町も駐車場に苦しみ、どの道も満杯! 道の突き当たりに上記の
美しい絵画館があるのですが。

手前右に見える広場というか工事現場で、ローマ期の遺跡にぶつかり、
工事は遠慮がちに向こうの端で。
保存問題が解決するまで、まだ何年もかかる事でしょう。



翌日はチッタ・ディ・カステッロの町からだと30分ほどで行ける
モントーネ・Montoneの町に。 「イタリアの一番美しい村々」にも
選ばれており、一度行ってみたかったのですね。

自動車道から外れ坂道に差し掛かると、みずみずしい緑!

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が、この後が物凄いカーヴと坂道の連続で、ははは、 まぁナヴィの教える
通りに行き、駐車もできましたが、どうやら町の南端に着いた様子。
この眺めは、町の北端の要塞跡から。

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上の写真の手前側に見える町の門にある、モントーネ・雄羊の紋章、
1487年の年号が。

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モントーネで一番古い教会という、ロマネスク・ビザンティンの
サン・グレゴーリオ教会・San Gregorio.
町の外、こうして見える位置にあるので、今回はパス。

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古い石組みの家、細い上り下りする小路、光と影が美しい陰影を
見せてくれる小さな町の中を何度も行ったり来たり。
町の中心の広場には、町の人が休んでいたり話し込んだり、

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トラットリーアやレストランはいくつかあったものの、どこかにのんびり座ってお昼を、
という気持ちから今回は少し遠く、ついに広場の角のバールに。
生ハムなど挟んだパニーノはダメだし、

ついにこの日も、オレンジの生ジュースと、トルタと小ピッツァ!

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古い建物の中を改造したバールは、天井がレンガのアーチが重なり、
面白くきょろきょろ眺めつつ、天井近い小窓から外を歩く人の足が見えたりで、

こちらは、上手くあしらってくれたバールのシニョーレ。

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この小さな歴史ある古い町はとても気に入りましたので、
また改めてご案内いたしますね。



モントーネから戻って来て、チッタ・ディ・カステッロの町に入る所で、これを!
そう、アルベルト・ブッリ・Alberto Burriの作品。

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戦後のイタリア美術において、現代抽象美術の先駆けとなった
絵画彫刻作家ブッリの作品なのですが、
私は単に名前とこの作品の写真を何度か見ているだけ。
それがたまたま見えたので、そうだったっけと撮りましたが、

このチッタ・ディ・カステッロは彼の生地で、町中と、写真の背後に見える黒い建物、
元タバコの乾燥工場に彼のコレクションが収蔵されていると。

こうして撮ると赤く見え、今まで私も赤と思っていたのですが、実際は錆茶色で、
いつもながら色の見え方の不思議さ、取り合わせによる色違いにも頷いた事でした。

ブッリのサイトはこちらに。 http://www.fondazioneburri.org/



この日の夕食は、ホテルの近くにたまたま見つけたインド料理店、
物凄く分り難い開店日と時間表を睨みつつ、
なんとか今夕7時には開いていそう、わぁ、イタリアに来て初めて
インド料理が食べられそう、何十年ぶりだろうと大喜び、ははは。
町の散歩も時間をみて切り上げ戻ってきましたら、

何の事はない、休日! 前日は表に出ていた看板もシャッターの中!
もう一度町中に戻って店を探す元気も失せ、再度ホテルのレストランで、ああ。


ビールを頼み、待つうちに、

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プリモの、魚介と野菜のリゾット。
はい、これも美味しかったけど、やはり今日も量が多いなぁ。

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セコンドのオムレツ、というより、かき混ぜ卵じゃん! 付け合せにジャガイモ。
選んだ私がバカだったぁ、と思う一瞬。 あ~ん、インド料理ぃ。

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翌朝アッシジに向う途中、ペルージャの街の北端にある
テンピオ・ディ・サンタンジェロ・Tempio di Sant'Angeloに寄りました。
円形の、古く良さそうな面影の教会に惹かれたのでしたが、

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中に入ると、素朴な形はともかく、床材も新しく、天井部のアーチ部分も、
そして天井の覆いも、どうやら修復されたのが近年らしく、
明るすぎるほど光が入るのも、ちょっと意外な感じで。

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調べてみると、オリジナルは5世紀に遡るものの、1o世紀頃にかなり改装、
その後15世紀にペルージャの有力者バリオーニ家・Baglioniにより、
軍事目的に使われたりで傷めつけられた様子。

戦後になって修復工事がされ、床も天井も新しく、窓も再度開けられ、
という事は以前にもあったのですね、古いフレスコ画なども見つかり、という事。


ボローニャで見た、やはり古い円形の礼拝堂。 素晴らしいものを見ていると
つい比較してしまい。 
n.2 ボローニャ ・ サント・ステーファノ聖堂
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/469029525.html



見つかった、という古いフレスコ画。
    
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一番左に見えるのは多分聖女XXで、どなたかな、胸が赤くなっているのは、
昔女性を処刑する時は、無残にも両乳房を切り取ったという事で。
       


入り口脇にあった、古い石碑。 逆向きですが、光の映り具合が
良いと思うので、このまま。

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という事で、ウンブリア総集編と食べた物その1、でした。
少し長くなりましたが、楽しんで頂けましたように!


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・ ウンブリアの春 n.3 ・ アッシジに再会の日

今回の「ウンブリア旅行」と言うより「アッシジ再訪」は、かなり唐突に、
1ヶ月ちょっと前に決めたのでしたが、
いざ決めると、ほんわりと心の底から嬉しさが湧いてきて、
くしゃくしゃになっていた車のクッションも洗い、古くなって糸の綻びていた
いつも使っている財布もつくろい、ははは。
 
車の免許を取ってすぐに、初めて一人で運転して出かけたアッシジを想いだし、
7年ぶり6度目のアッシジ訪問は、あの道を通って!と決めたのでした。

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7年ぶり6度目の訪問、と書きましたが、初めての訪問は日本からの旅行の
1984年ですから、なんと31年前の事で、3度訪れていて、
その後の2度がイタリアに住むようになっての事。
なんとも静謐な町の良さにとても惹かれているのですね。

上の写真は、そうして土地の道を通って行き、
初めてアッシジの姿、サン・フランチェスコ聖堂が見えた時!

やはりこの町の姿は美しい!!



レンズの向こう、山に迫る形でサンタ・キアーラ聖堂も!

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緩やかな坂道を下り、アッシジに向う県道との合流点に出ると、
同じサン・フランチェスコ聖堂がこんな威容を!

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8年前に初めてこの道から見たアッシジの町、そしてこの道から見る
サン・フランチェスコ聖堂のこの威容、要塞とも見まがう程のこの威容に
ただ驚いたのでしたが、

今回はちょっと道が違っていたのもあって、聖堂の威容より先に、
山腹の緑の中にゆったりと広がる町の姿が見えたのでした。



旗の立っているのが見えるのはサン・フランチェスコ門。
門の脇に信号があって、今、赤になっているのが見えますか?

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この写真の右下広場に地下駐車場があり、一般車は町の中に入れませんが、
ホテルへの鞄の乗せ下ろしはOKで、この理由で後ほどshinkaiめも、
あの信号の門を通り、すぐ左に折れての坂道を行き、
サン・フランチェスコ聖堂前の広場に出て、ジャ~ン、
そこから右に坂道を上りサン・フランチェスコ通りのホテルにね。

狭い道の多いアッシジの町は殆どが一方通行で、サン・フランチェスコ通りも
東行きのみですから、ホテルへ荷を降ろした後は、町の中心のコムーネ広場
まで行き、この広場は通り抜けできず、西からも東からもここで筋違いの
一方通行の道で折り返す事に。

で、西からの道はコムーネ広場から山の手の細い道をず~っと行き、
サン・ジャコモ門の前から曲がって下り、再びサン・フランチェスコ聖堂前広場
に出て、ジャ~ン! ゆるゆると下って下の駐車場に、という事に。

ですから、この度もshinkaiは、サン・フランチェスコ聖堂前広場を2往復、
4回も車で通っちゃったんでありますぅ、うひひ。

てなことで、まずはホテルに鞄を下ろしチェック・インし、駐車場に戻り
5日間のカードを作ってもらいましたが、
7年前より一日に付き確か2エウロの値上げで、一日12エウロに!
     
  

こうしてゆるゆると再度、今度は歩いて坂道を辿り、
見えてくるサン・フランチェスコ聖堂の正面側。
この道の右に曲がった奥に、下から見えたサン・フランチェスコ門。

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最初に目に入るポスター、
右、アッシジのカレンディマッジョ 2015年5月 6.7.8.9
左、カレンディマッジョの期間限定タベルナ・簡易食堂オープン

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そうなんです、この春アッシジに行こうかと考えた時、
即、ではもう一度カレンディマッジョのお祭りを見よう!と。
あんなに楽しんだお祭りの切符も予約し、いそいそと出かけてきた、という訳です。

アッシジ 春のお祭り、カレンディマッジョ 2008年その前夜
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461552319.html




サン・フランチェスコ聖堂前広場。
青空の下、聖堂の変わらぬ簡素で典雅な美しさ、集まる参拝の人々。 

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ここに来る団体の多くは、僧侶、尼僧に導かれていたり、
広場でも出会う僧侶達に説明を受けていたり。

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まずはコムーネ広場の観光案内所で、予約した切符を受け取り、
席を確かめておこうと行きますが、

これがまたコムーネ広場直前のヴィア・ポルティカが凄い坂道で!
おまけに春の修学旅行の子供、学生達で溢れかえっているのです。

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コムーネ広場の西の端にある、市の観光局、インフォメーション。

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1ヶ月前に予約し、写真を撮りたいので一番上の列の一番端の席を、
と頼んでいたのが思う様に取ってくれておらず、それを言うと、
もう売り切れなので、ダメなら返金します、という強気の姿勢。

上の方の席ですよ、と自分で上がって座って見せたりで、
よし、通路の一番上の席に座れば良いのだ、と了解。

翌日からのお祭り開催で、はは~ん、と分ったのは、中央の良い席は
まず全部町の人々が占め、圏外、観光客の飛び入り用に、
脇の区画が取ってあるんだという事。
       
まぁ、町の人々が主催、参加し楽しむお祭りではあるので、分からない事では
ないですが、せめて4日間通しの切符を買った者には配慮しても良さそうなもの、
と思ったのは確か。



コムーネ広場の塔とミネルバ教会。

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塔には、お祭りの主役の旗、下の区域の赤と、上の区域の青の旗が下がり、

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桟敷席も既にこんな風に準備万端ですが、

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ミネルバ教会前の舞台ごしらえの方は、トントンカンカン。
  
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コムーネ広場の東側にあるこの泉、周囲のバールやカフェにもたくさんの
人々が群がり、お祭り前日のなんともざわついた雰囲気。

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町の東の端にあるサンタ・キアーラ教会に向いつつ、
あちこちの小路を覗きながら、変わっていないのを確かめつつ・・。

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サンタ・キアーラ教会前。 ここも変わらず清楚で可憐な正面。

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ちょうど小学生達が、聖堂から出て来て記念撮影中。

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教会前広場からの眺めも変わらず。

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いや、この下にやはり大きな地下の大駐車場が出来、そこからのエスカレーター
がこの広場に連絡していて、その屋根が右端に見えるので、
写らないように気をつけて。



そうそう広場の端には、こんなメリーゴーランドもね。

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変わっていないと思うのは、広場から見晴らす平野の眺め。

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コムーネ広場からまたまたこんな急坂の道を上り、

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サン・ルフィーノ聖堂前に。 こちらがアッシジの町のドゥオーモ。

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で、サン・フランチェスコ聖堂はバジリケ・パパーリ・Basiliche papaliと
呼ばれる6つの聖堂の一つで、

そのうち4つがローマにあり、その一つにサン・ピエトロ聖堂も含まれるほどの
ローマ・カトリック教会での最上の格付けで、
ローマ以外の二つの一つがサン・フランチェスコ聖堂で、
もう一つがアッシジの下の町サンタ・マリーア・デッリ・アンジェリの聖堂で、
前教皇ベネデット16世の時より加わりました。



正面扉の前で何か作業中なので、寄ってみると、

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こんなお祭り用の輪を製作中。 使われている枝はローリエ、月桂樹の枝。

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聖堂前の店前、黒い子犬が籠の中に入っていたのを、観光の子供が大喜びで
撫で回し、草臥れて外に出て来たワンちゃん。
見ましたら、この上地区のスカーフを首に巻いており、ははは。

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山の上の要塞にはさすが上りませんでしたが、一応西から東までの町の
偵察をし、ははは、再度町の西の端下サン・ピエトロ教会前まで戻ってくると、
太鼓の音がするので、もしやと・・!
そう、やはり下の地区の太鼓隊のメンバー達。

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ですが、盛んに太鼓を叩いているのは、こちらのチビ君2人!
結構ちゃんとリズムを取リ、小さい方も負けていないのですね。

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後ろに見えるのが、この2人のお父さん、ほら、お兄ちゃんの眉と目、鼻が
そっくりでしょう? お父さんも太鼓を下げる皮具をつけているので、
きっと彼らも揃って、太鼓隊のメンバーに育っていくのでしょう。



夕暮れ迫るサン・フランチェスコ聖堂前に再度。
平野の手前、大きな糸杉の足元の祠が見え、

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暮れかけた聖堂のライト・アップが始まります。
右手前の銅像は、フランチェスコの帰還と。 若き日、ペルージャとの戦争に
出かけ負傷し、意気消沈しアッシジに戻ってきた姿。

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この後ライト・アップされ、変化してゆく聖堂の姿を追ったのでしたが、
この上の道では、下の地区のお祭りの準備が進み、今夜は大予行演習と
聞きましたが、

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長い一日に疲れ果てたshinkaiは、漸く宿に戻る事に。

はい、7年ぶりのアッシジに再会の日は、こんな風に暮れたのでした。

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・ ウンブリアの春  n.2 ・ 要塞化された小さな村とワン君

ウンブリアから戻って以来、ずっと気持ちに小さな引っ掛かりが残っているので、
今日はそれを含めてみてやって下さいね。

旅行最終日アッシジから家に戻るのに、久し振りのグッビオにも寄ろうと思い、
それも自動車道ではない土地の道を辿りました。

で、突然出合ったこんな要塞化された小さな村!
ずっと丘や山道を行く道中、パッと目の前に現れたので、驚いて車を止め、
偵察を、ははは、する事に。

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上の写真だけではちょっと印象が伝わりにくいかと、サイトから拝借してきた
写真がこちらです。

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お分かりでしょう? 単なる廃墟ではないのは車がたくさん、といっても
城壁の前に10台もあったかですが、並んでいますし、
私のすぐ後からやってきた車も止まったのですね。

写真右手前に見えるのは、第1次、第2次大戦で戦った
この村の戦没者慰霊碑だそう。



サン・グレゴーリオ・San Gregorioという村であるのは、門の前に書いてあり
すぐ分りましたから、家に戻ってから検索をかけました。
アッシジから14kほど、車で20分ほどの距離。

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村の入り口の門、跳ね橋があった事が分る切れ込みと、
塔の上からは矢や石を投げた事が分る造り!

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この塔に続く左の壁、家の扉が2,3あったその一つの扉の前に
ワンチャンが座っていたので、いつものように、チャオチャオ!と挨拶し・・。



後から来たシニョーレが門の中に入っていくのを見、その後もう一人の
シニョーラも入って行きましたし、門の右奥からは、賑やかな子供達の声も
聞こえるので、shinkaiもね。

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細い上り道の小路が奥に続くのが見え、ゆっくりと辿ります。

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ふと振り返ると、さっきのワンちゃんが門の所から私を見ているのが見えるのです。

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写真はすぐ傍からではなく、かなり遠くから撮り、切り取ったのでピン甘ですが、
警戒監視中ではなく、なんとも寂しそうな顔に見えません?

今までの人生で、いや、犬生で、一度も楽しい事がなかった様な、
一度も笑った事がないと言うような顔の雰囲気が最初からして、
気にかかったのでした。



住んでいる人のいることが分る、かなり立派なお家とか、

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横の小路を覗くと、城壁らしきもの!
左手前の家の扉丈夫、庇代わりに布が掛けられていて・・!  

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小路を辿ると 、こんな感じの壁が2方に。 

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きっとかっては単なる壁ではなく、家並みが連なる窓で、
現在は内庭みたいに見える場所も狭く塞がっていたのでしょう。


どんな村だったのか調べましたら、海抜279mにあり、アッシジとペルージャ・
Perugiaとの境界線に近く、現在の住人は10人前後!

村の最初の記録は、1114年にアッシジのサン・ルフィーノ教会
・現在のアッシジのドゥオーモの、レトゥオーネ・Letoneという多分教会の長に、
この村が贈られた、と言うもので、
きっとこれは教会に保護を求めたものだったのでしょう。

1232年には約150名がこの村に住んでいたそうで、村は要塞化されます。
ペルージャとの国境近くで常に抗争が絶えず、かのアッシジの聖フランチェスコ
(1182頃-1226)もペルージャとの戦争で負傷し戻っている時代。

村の周囲を壁で囲み堀を巡らし、入り口の門には跳ね橋ですね。
それでも1320年、1382年にはペルージャの支配下に落ち、とはいえ
ずっとアッシジ側であったそうで、1479年には更に厳重に要塞化され、
現在もよく残っていると。 まさに!
       


元の真ん中の小路に戻って振り返ってみると、あのワンちゃんが道の真ん中に
座ってこちらを見ていて、写真では、ちょっと首筋を掻いていますが・・、

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この後シニョーラが通りかかると、パッと飛び退くのですね。
何もされず、言われもしないのに、です。
こんな仕草を遠くから見て、ちょっと哀しくなったshinkai。



小路の突き当たりまで行って見ると、奥にも壁が見え、

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まさに中世がそのまま残っているような小さな村!
奥の小路からゆっくりと町の門に戻ります。

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サイトによると、この村では村の人々による、参加者もあるのか、
プレゼーピオ・presepio・キリスト降誕のシーンを人形等で現す、のを
生きた人間で表現する、のが行われているそうで、
さぞ雰囲気が良いだろうなと思った事でした。

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門の所まで戻ると、最初の扉の脇にあのワンちゃんが座っていて、
旅行中のクラッカーや干し果物があったのを思い出し、隣のお家の扉前にそっと。
それでも逃げ腰になるワンちゃん!

私が戻るのを見て傍により、匂いを嗅ぎましたが食べず・・。
お腹が減っていないとか、菜食はしないぜ、というのなら結構、
と思い出発しましたが・・。

家に戻っても、ずっとあのワンちゃんの事が、あの目、あの顔が浮かびます。 
幸あれかし!



最後の写真は、村からもっと先の行程ですが、グッビオへの山越えでの、
ウンブリアの緑の山々。 まさに、目に眩しいほどの緑、緑でした!

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・ テーヴェレ河上流の風景 ・ ウンブリアの春 n.1 

皆さん、こんにちは!
お天気に恵まれたウンブリア旅行から真っ黒に日焼けし、昨夕無事戻りました。

アッシジの坂道や石段を6日間行ったり来たり、上っておりて・・!
さもありなんと持参したサロンパスのお陰で筋肉痛は残っていませんが、
・・追加も買い、ははは。
サロンパスを貼って汗をかくとどうなるか、ご存知ですか? 後が痒くつい引っかき
腫れ上がる、はは、今現在あちこち腫れあがっているshinkaiで~す。

ブログ全力再開の気力にはまだ欠けておりますが、撮ってきた写真の程度を
見るためにも整理に取り掛かりませんと、で、

ウンブリア最初の訪問地チッタ・ディ・カステッロ・Città di Castelloを流れる
テーヴェレ河・Tevereの上流風景。
       
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エミーリア・ロマーニャ州の南に水源を持ち、悠々405K、トスカーナを流れ、
レオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザの背景にも描かれ、
最後はローマの街中を滔々と流れるテーヴェレ河。

ウンブリアの一番北に位置するこのチッタ・ディ・カステッロでは、
まだ大河ではありませんが、なかなかの水量でゆったりと流れておりました。

ウンブリアの旅の始まりに、新緑を映して流れるテーヴェレ河河畔をご覧下さいね。
町に入る橋の上から見る上流側です。

チッタ・ディ・カステッロの町の中心には初めて行ったのですが、
8年前に1人で運転した免許を取って3か月目の初のウンブリア旅行では、
町郊外の民衆伝統博物館に寄っていたのを、今回横を通って思い出しました!

民衆伝統博物館 ・ チッタ・ディ・カステッロ ・ Città di Castello
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462901367.html



ちょうど夕陽になりかかる一時で眩しく、
あ、鴨がいる、と大体の見当で撮りましたら、なんとか!

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1度橋を渡って見たものの、川岸に降りれない事が分り残念。
対岸に見えるカヌーは、どうやら教室・クラブがある様子。

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橋を渡って戻り、川岸に。 こんな風にベンチもあり、散歩道もあり。

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これが橋ですが、アレティーナ通りの橋、とだけで名が分らず。
ちょうど橋のこちら側の手すり工事中で赤い覆いが目の邪魔ですが、
水面に一面に浮かんでいるのは、今盛んに飛んでいるポプラの綿毛で、
水が汚れているのではありません。

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河畔の小路はこんな風にずっと続いている様子で、散歩やジョギングの人々が
次々に通り過ぎて行きます。

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チッタ・ディ・カステッロの町を過ぎると次第に大河となり、
こちら側がやがてはローマに至る流れ。

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こんな風に少しずつ整理して、簡単に見て頂ける様なのも良いですね。
・・と言いつつ、また出来るかな?


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・ ヴィッラ・カルロッタ ・ コモ湖の別荘、庭園を

そちら日本はゴールデン・ウィークが始まっていますね。
爽やかな新緑の候、あちこちお出かけの計画がおありの事と思い、
こちらも負けずに、ははは、

先日のコモ湖旅行で訪問したヴィッラ・カルロッタ・Villa Carlottaの
素晴らしい庭園をご覧頂こうと思います。

写真は、午後素晴らしく晴れ上がった中、べッラージョから対岸に渡るおり、
見えてきたヴィッラ・カルロッタ。

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ヴィッラ・カルロッタはどこにあるか、地図をどうぞ。

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コモ・Comoから遊覧船に乗り、途中右、左と各停留所に停まりつつ、
べッラージョ・Bellagioまで2時間。
ここで船をおりてお昼解散となり、午後再度集合し乗船、
対岸のVilla Carlotta(Tremezzo・トゥレメッゾと同じ停留所)に渡り、
船着場のすぐ横に、このヴィッラ・カルロッタがあります。



上の写真左に見えるお屋敷がそれですが、
見えてくる庭園の様々な色!傾斜地に沿っての様々な新緑、花の色が見事。

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そして、お屋敷の正面を通りすぎ、

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停留所から入場口に。 見上げる像とお屋敷。

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さて、ヴィッラ・カルロッタにその名を残すカルロッタ・Carlottaなる方ですが、
プロイセン貴族の美しい方。

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やはりちょっとは、どんな方だったか知りたくなりません?

正式名は、Friederike Luise Wilhelmine Marianne Charlotte
von Preußen はい、読める方はどうぞ、ははは、
1831-1855年、1850年ゲオルグ2世公爵と結婚したものの24歳の短い生涯、
音楽の才があり、幾つかの作品も残しているそう。
恋仲で結婚した夫との間に4人の子を出産後に亡くなりましたが、 
この別荘は、彼女の母親からの結婚の贈り物だったのだそう。

ところでこのカルロッタの母なる方、オランダの王族出身で
マリアンネ・フォン・オラニエ=ナッサウと言い、プロイセン王の第4王子と
1830年に結婚、カルロッタを長女として1男3女が生まれますが、
1845年に浮気者の夫から逃げ、元御者の愛人と暮らし始め、
やったぁ! ははは、歴史ゴシップ大好きshinkai! 

1849年には正式に離婚が成立したと言うのですが、先進的夢想的な女性だったとはいえ、
不義はお家のご法度、その後宮廷生活からは完全に閉め出され、
イタリアとドイツで暮らしたそうで、それでこの別荘との関係が分りますね。 
       


広い広い庭園とはいえ、植木を刈り込み幾何学模様を描き出した庭園ではなく、
世界各国の植物を集めた庭園でして、

こんなオレンジとシトロンのトンネルもあり、下を通り抜けつつ、
オレンジの爽やかな良い香りを吸い込み、

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木立ちの隙間から、コモ湖の美しい湖面が見え、

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後にしてきたべッラージョの町も!

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ちょうどツツジの花が咲き始めた所!!

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傾斜地に広がる庭園の間を小道が縫い、

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小花たちが、それぞれ色を競います。
これらの花は毎週一番良い状態のものに取り替えられるのだそう!

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きっと南の国から来たのであろう植物も見え、

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こちらはシダの谷と呼ばれる、自然の地形を生かし何十種類ものシダが生息して
いるそうで、湿気を保つ為、定められた時間ごとに各所から噴霧されるのだと。

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庭園全体でと思うのですが、12人だったかな、の庭師が常に働いているそうで、
やはりそれだけの手間をかけてこれだけの植物庭園が保たれているのですね。



これはメタセコイアの樹、初めて見ましたが、顔が見えているのがコモのガイドさん。

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メタセコイアの樹の葉は樟脳と同じで、拾った枯葉を揉むと
ツンと樟脳の匂いがし、箪笥にいれると虫除けになるそう。

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足元、小路に出ているポコポコゴツゴツの木の根。

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もともとのこのヴィッラは17世紀の終りに侯爵ジョルジョ・クラリーチ・Giorgio
Clariciが建設したもので、大きくとも他のこの地の別荘に比べ地味なものだったそう。
それを次の持ち主ジャン・バッティスタ・ソンマリーヴァ・Gian Battista Sommariva、
彼は企業家で政治家、ナポレオンの友人、美術の収集家だったそうで、
19世紀の初めにここを買取り、庭園の改修をし、屋敷内にコレクションを。

そして結婚の贈り物としてカルロッタの母親が買ったわけですが、
カルロッタの夫のサッソーニア・マイニンゲン公爵が植物学に大変情熱を持った方で、
現在の形に仕上げたのだそう。
7万平米を越す敷地に、ツツジや石楠花だけでも150種を越す種があるという、
素晴らしい植物庭園なのですね。



庭園の小路を辿りながら高い位置に行くと、こんな感じ。
長い年月を経て、様々な樹が大きく育っているのが良く分かります。

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こんな可愛い細工も、まぁ、許せますね。 中に見える青い小花は忘れな草。

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忘れな草が上手く撮れなかったので、これはつい先日撮った、我がコンドミニオの
庭に咲くものを。 お隣のシニョーラ、ヴェネリタはお花育てがとても上手で・・。

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忘れな草のイタリア語名はNontiscordardimé・ノンティスコルダルディメ、
同じ題名の有名なカンツォーネがありますので、古き良きイタリアを偲び、どうぞ!

リフレインで歌われる歌詞は
  non ti scordar di me   私を忘れないで
  la vita mia legata di te   私の人生は君に結ばれている
  c'è sempre un nido nel mio cuore per te
  私の心にはずっと君の為の巣がある
  non ti scordar di me    私を忘れないで
ああ、イタ男!



所々に置かれたベンチに座り、

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コモ湖の素晴らしい風景を。

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赤い椿の長い生垣もあったのですが、まだ蕾が多かったので、
ひっそりと咲いていた椿2種を。

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庭園地図を見ても、我らが歩いた何倍もの広さがあり、植物好き、お花が好きな
方には見飽きないと思いますが、我らはお屋敷内の見物に。

これは優雅で上品な1階の部屋の天井、

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こちらは居住区だったと言う2階の、素晴らしい天井画で、吊るされたランプも
素晴らしかった!

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と、ひとまずお部屋のイメージをご覧頂きまして、はは、



ここのコレクションに、アントーニオ・カノーヴァの作品があり、
この男性像は全身の大きなものでしたが、バランスが少し危ういかもと、
この部屋に運び込まれたままなのだと。
       
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いかが、素敵なお尻でしょ?! 



マグダラのマリーア。 暗い部屋、後ろに鏡という舞台装置。 

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プシケの愛。 プラトニック・ラヴで、近寄るだけで接吻できないのだとかなんとか、
ガイドさんが熱を込め説明を。
本物(第一作?)の他に、3つほどコピーがあるとか。

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これは可愛い作品でした。

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他にもアイエツ・Hayezの「最後の接吻・ロミオとジュリエッタ」等もありましたが、
あのアイエツの描く女性の横顔、のぺーっとした横顔がどうも好きでなく・・、
済みません、省略です。
      
A.カノーヴァ塑像博物館 ・ ポッサーニョの夕暮れ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467387849.html

アントニオ・カノーヴァ ・ 塑像博物館、テンピオ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463694164.html



屋敷の上から見る、正面入り口。
あの可愛い噴水のある小池には、オタマジャクシがうようよ!

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礼拝堂の向こう、プラタナスの樹が2本見えますね。
あれはスタンダールの「パルムの僧院」に登場するプラタナスの並木、
本をちゃんと読んだかどうかも記憶にあやふやですが、へへ、
それの現在残っている2本なのだそう。

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「パルムの僧院」に、パドヴァのカフェ・ペドロッキが登場するのは覚えており、
きっとどこかに指摘があったので読んだのでしょうが、
確かザバイオーネをご馳走になったとかなんとか・・。
うん? 誰がご馳走になったん? ・・ちゃんと読んでない事判明!



ヴィッラ・カルロッタの見物を終え、屋敷前から見るべッラージョの
ヴィッラ・メルツィ・Melzi.  ここもお庭が公開されておりましたっけ。

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背後に聳える高山は、あれはコモ湖のレッコ側の背後に辺り、
ドロミーティに含まれる山々、雪が見えます。



屋敷前の細い道を行く、真っ赤なアルファロメーオ!
そう、ガルダ湖と同じで、湖畔沿いの道は細くカーヴ続き。

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さて、コモ湖訪問を終えた我らは、レッコの宿に。

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素晴らしい景色もあれこれ見れ、もう一度と思う場所もたくさんありましたが、
う~む、あの細い道と車の多さを考えると、さて・・!


*****

ええとです、日本はゴールデン・ウィークですよね?! という訳でもないのですが、
3日から10日まで、ウンブリアに出かけて来ます。

ちょうどアッシジで「カレンディマッジョ」のお祭りもあるので、それを見かてがら
アッシジに5泊しますが、
往きにミケランジェロ・カプリオーラでミケランジェロの生家により、
まだ行った事のないチッタ・ディ・カステッロに2泊。

アッシジからは、近くのスペッロとペルージャに半日ずつ、とにかく今回は7年ぶりの
春のアッシジに浸るつもりで、戻りにグッビオに寄ろうかな、という程度の計画です。

という事で、ブログは16日までお休みを頂きます!
これが済みましたら、もう秋の日本行きまでお休みしませんので、
はい、良い収穫があるよう、願ってやって下さいませませ!

では、行ってまいりま~す!
皆さんにも、良い春の休暇でありますように!!

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