・ ルイーザのお正月休暇 ・ フランスの雪の村 

あっという間に1月の末になりましたが、今日ご覧頂くのは、
年末年始をフランスの雪の村で過ごしたルイーザ・Luisaからの写真。

クリスマスを過ごした後、孫ヴィットリオの顔を見に、
夫のレナート・Renatoと出かけたのですね。
とはいえ、ヴィットリオの顔写真をブログに出すのはママ、
ルイーザの娘クリスティーナが喜ばないと言うので、
ヴィットリオ・Vittorioはホンの豆粒ほどを、ははは。

その代わり、青空の下の素晴らしい雪景色をお楽しみ下さいね!
写真は、イタリア・フランス国境辺り、まだ路面に雪のない状態。

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が、フレジュース・Frejusのトンネルを越えた辺りからこういう感じになり、

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行程図をどうぞ。 昨日グーグル・マップから引いた時、思わず笑いましたが、
ははは、何この連続工事中は?!

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彼らが住んでいるサン・ヴェンデミアーノの町から、ブルグ・サン・モーリス・
Bourg Saint Mauriceまで6時間41分。
7時間かかると聞いていますが、レナートは飛ばし屋ですから、
はは、間の食事休憩を挟んでちょうどですね。

上記した、アルプス越えのフレジュース・トンネルは正確にはどこにと
調べましたら、左側に見えるグレーの国境線を越えた所、
赤い■点を付けた位置に。

地図のブルグの左上に見えるAlbertvilleは、そう、冬季オリンピックの
アルベールヴィルの開催地で、
同じくグルノーヴル・Grenobleは、もっと南西の位置に。



今回の写真の中で、もっとも迫力ある1枚!
寒がりshinkaiは見ただけで背筋がぞくっ。

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こんな山間の小さな村も通り過ぎ、

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到着の日のお天気はどうだったのか、いずれにしても素晴らしいお天気が
続いたようです。

フランス全体のご案内はこちらから
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460834284.html      
 


出かける前ルイーザが、雪がないらしいと言ってたのですが、
ちょうど出発の前日辺りのニュースで、フランスの大雪と混雑を伝えており、
50cm程の積雪があった様。
       
これは家の前の道でレナートと、ワン君クーティ・Kuti.

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後ろに川が見えますが、



この川で、水面に棒が下がっているのは、ここで夏にはカヌー競技が
開催されるのですと。 水から湯気が立っているのが見えますが?! 

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川の横にある湖。 ここでカヌー競技の選手達が準備をするのだそうで、
中に見えるのはその為の施設と。 

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上の写真では水面が少し溶けている部分も見えましたが、
こちらの方は凍り、表面が溶けかけてはまた凍りで、
こんな風にクリスタル状になるのだそうで!

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夜は零下15℃から20℃にもなり、お天気の良い昼にちょうど-0℃位と。
ですから雪もさらさらで、雪だるまは作れないと。
地図でもアルプスに囲まれた地なのが分りますが、やはり冬は厳しい様子。



見た目はユーモラスですが・・! エンジンに支障はないのかなぁ。

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我がコンドミニオで、先々週10日間ほど壁の手入れの為足組みを組み、
我が家のガレージの扉が開かない状態となり、その間外に駐車を。
グループ旅行で1週間ほども出かける時なども、スーパーの駐車場に
皆と一緒に停めて平気なのに、
我が家の近くに夜外に停めている、となると気になり、
ははは、ナンパされませんようにと・・!



娘さん夫婦の家は、ブルグ・サン・モーリスの町の郊外にあり、
歩いても行ける距離ですが、いつもは車を使うそうで、
       
家から出ると、すぐこんな光景が広がるのですね。

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気温は低くとも、お天気が良い日はとても気持ちが良かったとルイーザが
言っておりましたが、
川沿いの散歩道、クリスティーナ、ヴィットリオ、そしてクーティ。

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それはもう、一番満足して走り回るのはクーティで、一旦お座りさせられても、

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じっとしろと言うのが無理ですよね、ははは。

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ルイーザ。 Ciao Luisa!

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この筋の付いた道は、スキーで通れるよう、市役所が雪ならしをしているそうで、

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ほらね、こんな風にスポーツを楽しむ人。

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さて、お家の中の小さなクリスマス・ツリー。

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これは2014年の大晦日の晩御飯の準備中で、
既に白ワインを飲んでいるのも見えますが、はは、

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さて、食卓にご馳走が並び、黒パンにチーズとサーモン、別の穀物パンに
パテとサーモン、鮭のマリネ、 上に、燻製のハムかな、海老のマリネ、
ピーナッツ、アボガドのサラダ、ポテトの様ですね。

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こちらイタリアは、大晦日の夜はチェノーネ・cenoneと称し、
ご馳走を頂きながら年を越す、新年を祝うのが普通ですので、
いつもとちょっと違う、サーモンや海老が並んだのでしょう。



さて町の中心に。 教会の右横広場は、夏の間子供達への遊園地風に
様変わりしますが、今回は雪の広場。

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後ろは市役所、前にも窓にもたくさんのツリーで、暮の写真にはなかった
氷の2015年の彫刻。

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右の通りでは屋台の市が店開きを。



町中の薬屋さん、中央薬局ですって。 この古い建物素敵でしょう?!

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ふむふむ、祖父ちゃん祖母ちゃんの行くお店はこれよね、ははは。

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こちらは土地の物産店、ワインに蜂蜜にチーズに・・!

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通りで見かけた可愛い飾り付けの家。

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突き当たりに見えるのは、ブルグ・サン・モーリス駅。

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どこからの連絡があるのか、1度聞いたのを忘れ、ルイーザに問い合わせし、
パリの北駅、またはスイスのジュネーヴからシャンベリー経由でリオン西駅、
グルノーヴルからはアルベールヴィル経由で、
夏冬もたくさんの観光客が来る町なのだそう。
       
ただイタリアのヴェネト辺りから行こうとすると、7回ほどもの乗換えで、
12~14時間ほどもかかると。 なので彼らは7時間かけて車で行くのですね。
      


最後は緑の中の、ヴィットリオとクティを。 これはママのクリスティーナが
撮ったそうで、素敵な写真でしょう?!

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彼がまだ1歳かそこらの頃、勿論犬の方が断然大きくて、
半分にも満たない写真もありましたっけ。

イタリア語とフランス語を使い分けつつある彼は今4歳。
6月に5歳になる頃には、従兄弟か従姉妹が誕生する予定。
これはルイーザのもう1人の娘ロセッラからで、
今、祖父ちゃん祖母ちゃんは大喜びで待っています!


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・ ドージェ(ヴェネツィア共和国総督)のサングラス 

今日はちょっと小話的な、はたまたゴシップ的な話題も含め、見て頂きますね。
昨夏ドロミーティの麓、ティツィアーノの生家のある事でも有名な
ピエーヴェ・ディ・カドーレ・Pieve di Cadoreに行った時、
興味深いものを見ました。

ティツィアーノの生家博物館のある坂道を下った所に、眼鏡博物館・
Museo dell'Occhialeがあり、
何気なく見たホテルの受付のパンフレットに、ドージェの眼鏡・Occhiali da Dogeと。
このパンフレットがそれですが、明らかにサングラスと分りますよね?

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えっ、ドージェ・ヴェネツィア共和国総督がサングラスを?!
歴史の中における様々な物・者の関連を良く知らないshinkai、
ちょっと驚き興味を持ち、見に行ったと言うわけですが、展覧会タイトルは、 
「ドージェの眼鏡 18世紀ヴェネツィアにおけるサングラス」

今回知ったのは、この展示会はピエーヴェ・ディ・カドーレ以前に、同じく昨夏
ヴェネツィアのマルチャーナ図書館で開催された様子。
サイトは https://marciana.venezia.sbn.it/mostre/occhiali-da-doge-gli-occhiali-da-sole-nella-venezia-del-settecento



正面に見える大きなガラス張りの新しい建物が眼鏡博物館で、
前の道を左に上っていくと、ティツィアーノの生家博物館。

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この一帯の地場産業で有名な眼鏡メーカーの願いから、1990年に開館した様で、
ガラス張りのモダンな展示部分は2007年から。



様々な眼鏡の展示は勿論、眼鏡の歴史、製造法方なども含め、
大人も子供も楽しみつつ学べる博物館のようでした。

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サイトはこちらに。 イタリア語ですが、コレクションの写真が見れます。
http://www.museodellocchiale.it/

ティツィアーノの生家博物館 ・ ピエーヴェ・ディ・カードーレ
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467641435.html
   


所で、眼鏡の歴史は大変長く、12世紀半ばには既に存在し、
ただし近視用ではなく老眼用だったのはご存知ですか?

で、眼鏡をかけた人物が絵画に初めて登場したのがこれ、
我がヴェネトはトゥレヴィーゾのサン・ニコロ教会、カピートロの間にある
フレスコ画内の人物。

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この方はドメニコ会派の司教ウゴーネ・ダ・プロヴェンツァ・Ugone da Provenza
画家はトンマーゾ・ダ・モーデナ・Tommaso da Modena,
1352年の作品で、司教ウゴーネはその1世紀前に存在された方なのだと。

眼鏡の歴史についてはcucciolaさんがこちらに。
http://blog.livedoor.jp/cucciola1007/archives/764877.html

n.1 トゥレヴィーゾ ・ Treviso
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462521537.html

n.2 トゥレヴィーゾ ・ Treviso
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462522259.html


       
展示会では興味を持って見た古いサングラスの展示部分のみのご案内に
絞りまして、へへ、
まずこれ、ツルの部分にご注目を!

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残念ながら、これの説明を撮っておらず、年代が。
耳の後ろにツルが回るとか、後頭部のカーヴに合わせて、というのは年代が
下がってからの様で、当時の眼鏡は耳の後ろ辺りを詰めつける形だったのですね。
かなり頭痛発生の原因ともなった様子。



いずれも18世紀の品で、右のアップをサイトで見つけ、

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ツルの部分はどちらも明るい色の角(鹿)で、
右のには、眼鏡と頬の間を覆う絹布がついています。


で、サングラスの歴史をひも解きますと、えっへん、

先史時代からイヌイット族は目の上に眼鏡状の面をつけ、これに細い横線を開け、
雪に反射する強い光線を防いだとも、ローマ皇帝ネロは剣闘士達の戦いを、
片目にエメラルドを当てて見たと言われますが、
15世紀にヴェネツィアのムラーノ島で、色ガラスを使っての眼鏡、
最初のサングラスが出来たという事なのですね。

現代でこそ様々な色のサングラスがありますが、こうして見て頂くと、当時は
圧倒的に緑色で、その様々な諧調の色、明暗、ブルーから黄色がかった緑、
であることがお分かりと思います。

これは科学的根拠というよりは、経験から選ばれた色のようで、
ラグーナの波の反射光を防ぐ為にもこれは最適。
18世紀には大変普及し、「ゴンドラの眼鏡」と呼ばれたのだそう。

こうしてイタリアでは圧倒的に緑色が多いのですが、17世紀にはイギリスで
ブルーが作られ、多分ロンドンの光線はイタリアよりも弱いからだろうといい、
後に18世紀にやはりロンドンでグレーが生産されたと。



こんな天眼鏡みたいなのも、はは、ありましたが、
これはご婦人用のもので、木製着色の枠に花柄なども。
       
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こちらは眼鏡屋の宣伝ではないかと。

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さて本日の主題、ドージェのサングラス、じゃ~~ん!

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眼鏡ケースをご覧下さいね。
花弁が五つの花(薔薇)が色違いに上下にあり、上にドージェのシンボル、
コルノと呼ばれる被り物が描かれ、鼈甲の眼鏡のツルの支えの部分にも花が2つ。
よくみると円形の縁に小穴が3つずつ開いていますが、多分これは、
ここに目と頬の角を覆うための絹布が付けられる様になっていたのでしょうね。



で、この家紋とドージェのシンボルから、このサングラスの持ち主が判明しており、
この方、アルヴィーゼ4世・モチェニーゴ・Alvise IV Mocenigo,
ヴェネツィア共和国118代ドージェ(任官1763-1778)

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1797年にナポレオンによって崩壊するヴェネツィア共和国の120代続いたドージェの、
終りから3代目でして、選出選挙の立候補も彼のみですんなりという、
経済危機深く、既に終焉間近のヴェネツィア共和国ドージェでした。

この顔に、上の緑のサングラスをかけた場面をご想像下さいね!!
楽しくなりません?! うひひ。

モチェニーゴ家というのは、ヴェネツィア貴族の中でも有数の名家と富裕さで知られ、
この家系から全部で7人のドージェを輩出するほどで、
アルヴィーゼという同名のドージェも4名居り、
彼はアルヴィーゼ4世・ジョヴァンニ・モチェニーゴ。

ウィキを読みつつよく分らない彼と彼の妻の話があり、クラウディオ・レンディーナの
「ドージェたち」で確認。 ははは、勿論ゴシップ大好きshinkaiですよって、ね。

判明したのは、外交官として活躍した彼のキャリアはさておき、
口の悪い庶民達から、彼はカッポーネ・食用にする太った雄鶏、
妻・ドージェ夫人のピサーナ・コルネール・Pisana Cornerはオーカ・アヒル、
つまりアホの代名詞、とみなされていたと・・!
きっと美人でしたでしょうしね、可笑しくもあり可愛そうでもあり・・、うひひ。
       
経済情勢困窮の時代にあって、このアルヴィーゼ4世はその裕福さを誇るような
大宴会を機会あるごとに催し、後年には、はしたないお喋りの貴族女性達との
噂が絶えず、ドージェの印章付き指輪がある女の手に渡った事もあったとか、
で、ございました。
       


モチェニーゴ邸は大運河沿いにも何軒か、他にもあちこち大邸宅がありましたが、
少し中に引っ込んだサン・スタエの邸宅は、20世紀に最後の家系の継続者無しで、
市に寄贈され、現在、美術館そして布と衣装の研究所としてオープン。

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映画で使われた素晴らしい衣装の展示会などもあったようで、
TVニュースを見た時は、内装の素晴らしさに目を見張りましたっけ。

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モチェニーゴ邸のサイトはこちら。 https://mocenigo.visitmuve.it/
       

ドージェのサングラス展から始まった今回ですが、あちこち脱線し、ははは。
まぁ、春を待つ寒い日、お楽しみ頂けました様に!

この夏は、丸いグリーンのサングラスで、バッチリお決め下さいね。 ははは。


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・ サン・ガルガーノ修道院 

今日のご案内は、トスカーナはシエナの街から南西に約35kほどの位置、
平野に聳えるサン・ガルガーノ修道院・Abbazzia di San Galganoを。

サン・ガルガーノ修道院の名を覚えておられずとも、この大きな廃墟風教会の
写真はどこかでご覧になられていると。
そう、タルコフスキー監督の映画「ノスタルジア」にも登場した、あの大聖堂です。

ちょうど訪問した日は生憎の雨、しかも本格的な降りでして、
少しでも乾いた写真をと、はは、wikipediaから拝借のもの。

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今回は少し写真が多くなりましたが、ごゆっくりどうぞ!



地図をどうぞ。
盆地風のメルセ平野・Merseに位置し、西に見えるキュズディーノ・Chiusdino
の町が最寄で、ここで修道院に名を冠された聖ガルガーノが生まれています。

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南東にチラッと見えるモンタルチーノ・Montalcinoの町の南には、
これも有名なサンタンティモ修道院・Abbazia di Sant'Antimoが。

サンタンティモ修道院 ・ Abbazia di Sant'Antimo
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461363897.html

サンタンティモ修道院再訪 ・ Abbazia di Sant'Antimo n.1 
http://www.italiashiho.site/archives/20170414-1.html

サンタンティモ修道院再訪 ・ Abbazia di Sant'Antimo n.2
http://www.italiashiho.site/archives/20170415-1.html



さて当日は朝からかなりの降りの中をちょっと山越えをし、平地のこんな道に、

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近くのアグリトゥリズモの横に駐車し、糸杉並木が続く修道院への長い道を。



正面の扉と、そのアップ。

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そして円柱と柱頭飾り。 シトー派修道院独特の、簡素な装飾。

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正面脇の2つの扉の位置からは中が覗けるのですが、覗こうと近づいた所で、
草むらの水溜りで既にびちゃびちゃとなり・・!

もう一度聖堂を見晴らす感じに道を辿り、

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正面の南に延びる建物、往時の威容も忍ばせます。

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切符売り場の横に広がるカピートロの間・Sala di Capitolo.
質素なフレスコ装飾ですが、この廃墟風の中で見ると、少しホッとする感じで・・。

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カピートロというのは、本の章とか節の事を言い、この部屋に毎日修道士達が
集まって修道院の会則の一章を読み、様々な話し合いもされたのだとか。

       

これは隣接の部屋で、面会所・Parlatorioなんだそう。

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他にもスクリプトリウム・scriptoriumという筆写室も見れたようなのですが、
見逃し残念! 2階には修道士達の個室と礼拝堂があるのだと。

一体全盛期には何人程の修道士達が居たものでしょうか?
今回数字が見つけられませんでしたが、またのチャンスに。


    
もう一度建物の外にでて、聖堂に向いますが、窓の飾りが残っている部分も見え、

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入り口脇にあった平面図で、奥行き71m 幅21mの3廊式、
並ぶ円柱は左右に8本ずつ。 右横に見える1の部分が上のカピートロの間。

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聖堂内に入った途端、目に入る水溜り、雨だれ!! ああ!
そうだった、ここの天井は抜けているんだったっけ・・!

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左に見える鉄柵部分が入り口で、左の側廊側を入り口に向き、
       
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写真手振れご容赦! 傘を傾けて撮るのに、やはり焦ったようで、
今回はピンが甘いと思っても、雨が降るのが写っていたりで・・、



聖堂内入り口付近の、唯一天井が残っていた部分。 アーチの組方も良く見え。

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はい、ここだけ地面が乾いていたのですが、ここに引っ込むと何も見えず、撮れず。

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内陣部分から、最初に見た入り口を振り返り。
見事に主廊部の天井が落ちていて・・。

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このサン・ガルガーノ修道院が建設に取り架かったのは1218年で、
完成したのが1288年。

名が冠されている聖ガルガーノは、上記した様にすぐ近くのキュズディーノの貴族の出、
騎士で、正確な姓も記録には無い様ですが、ガルガーノ・グイドッティ・Guidottiと。
1148年頃に生まれ、1181年11月30日に没。

彼の時代はトスカーナ一帯に抗争が絶えず、このキュズディーノ周辺はヴォルテッラの
司教の下にあり、当時はシエナ共和国とのいわば境界線で、争いも絶えなかった事と。

こんな時代に青年期を過ごしたガルガーノが、放埓で自堕落な我が身を恥じ、
夢のお告げに導かれ隠者の生活に隠遁した後、亡くなったのですが、

ヴォルテッラの司教がすぐに1185年頃に礼拝堂を建設、この司教の後継
イルデブランド・パンノッキエスキ・Ildebrando Pannocchieschiが修道院建設を。

ガルガーノは既に生前シトー派との繋がりがあったようで、計画は大きな弾みがつき、
シエナのたくさんの貴族たち、フランスのシトー派教会からの直接の参加もあり、
1201年には既に修道士たちの最初の活動が。

建設も迅速に進み、1227年にはすぐ傍らの山の上の教会と、これは後ほどご覧に、
下の教会も出来、1228年には病室が、翌年には修道士達のの部屋も終了という、
一大修道院の発足でした。



逆に入り口扉近くから、内陣方面を。

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廃墟に相応しい雨の風景、と思ってやって下さいまし。



内陣部にある祭壇部分かな?

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見上げる主廊部分の壁。
この高さ、この荘厳さ! 当時の威容を想像します。

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南仏のセナンク修道院もシトー派修道院ですので、
内部の厳格で簡素な様子が少しでも偲ばれるかと・・。



大きな疑問は、これだけ素晴らしい見事な大聖堂が、
どうしてこれほどな廃墟になったのか、と言う事ですが、
読んでみると、意外にこの聖堂の命が短かった事を知りました。
       
1262年に殆どの工事が終了し、1288年には聖別式も。

修道院に集まるたくさんの修道士達の働き、財産の寄付、神聖ローマ帝国
皇帝のエンリコ5世、オットーネ4世、続くフェデリコ2世からも大きな贈与が続き、
13世紀の半ばにはトスカーナにおけるシトー派の最大の修道院となったと。

沼地を開拓し、川の流れを利用した水車を持ち、毛織物の縮絨機も、
製鉄所も修道院内に。
建築家彫刻家のニコラ・ピサーノと契約を結び、シエナのドゥオーモの説教壇を作ったり、
シエナ共和国との結びつきも深くなり、修道士がカメルレンゴ・camerlengo・
この場合は財政管理者と、に指名されるようにまで。

14世紀に入り、事情悪化が始まります。
まず1328年の飢饉に続き、1348年のペストの蔓延と修道院の発展が止まると共に、
当時一帯の修道院や荘園がそうであったように何度も略奪され、

現在フィレンツェの花の大聖堂に騎馬像の肖像があるジョン・ホークウッドなど、
ご丁寧に2度も侵入を!

こうしてこの世紀の末には、8人の修道士が残るだけになったと。
15世紀に入っても状態は好転せず、修道士達はシエナに建物を建設し引越し、
修道院を放棄する事に。

ですがまだ建物類は健在ですから、その所有権を巡りシエナ共和国と教皇との
抗争が始まり、1506年には教皇より聖務停止を命じられますが、
平常通りの聖務遂行で粘るシエナ共和国。

が1503年より修道院を預かっていた僧の一人が、悪辣にも屋根を覆っていた
鉛を引っぺがし売り払うという・・!
これで一挙に建物自体の衰退が始まり、1576年には修道院に住むのは、
僧服もつけていない修道士が1人だけとなり、窓のガラスはすべて割られ、
僅かに病室のあたりのみに残る有様に。

衰退はどんどん進み、1781年にはアーチが崩れ始め、1786年には稲妻に
やられた後に鐘楼が崩れ、13世紀からの残った大鐘は、溶解され青銅として売られ、
遂に1789年、最終的に教会としての神聖を失う結果に。

まさに失礼な言い方なれど、あがきは長かったものの、
これだけの聖堂が活動したのは、僅か2世紀間なのでした。



側廊側のアーチと、円柱角柱と柱頭飾り。

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壁側の柱の足元。

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外に出て、後陣の後ろ側からの眺めと、

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ウィキから拝借の写真で、後陣の上空から。

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19世紀の終りから保存への研究も始まり、1926年新しい建設はせず
残った部分を保存、という修復が始まり、現在に至っているとの事。



後陣の後ろから見える上の教会、通称ロトンダ・Rotondaと呼ばれる
モンテシエピMontesiepiのエーレモ・eremo・隠所。

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ぬかるみの道を、半ばやけくそで、ははは、岩に刺さった剣を見たさに、
も一つ頑張って、ははは、上ります。



ぐるっと後ろを回る感じで辿りつくと、なんと車が止まっているではおまへんかぁ!
なんだぁ、車で来れたんかいなぁ!!

いや、中世の巡礼さの謙虚さを見習い、
はい、こちらが山の上のエーレモ、ロトンダでございます。

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下の聖堂の建設様式にも、シトー派の様式に則った上にエトルスクやケルト、
テンプル教団の匂いがある、というのですが、ここもまさにその象徴なのだそう。



円形の主体に、今右奥に人が見える玄関の張り出し部分、そして私のいる
手前奥に張り出した四角い礼拝堂があり、真ん中に見える透明の覆いの中に剣!

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実際はかなり暗く、写真を見て初めて、あ、猫ちゃんが居たんだ、と気が付き残念。



ぐるぐるとバウムクーヘン式の天井! 色は煉瓦の赤茶と石の白。 
正面下に祭壇用のテーブル。

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サン・ガルガーノが岩に突き刺したと言う剣。

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彼は大天使ミケーレのお告げに導かれ、このモンテシエピに辿りつき、ここを隠所に
定めますが、十字架にする木が無く、岩に己の剣を突き刺し十字架に見立てた、
というのが、1180年のクリスマスの日の事。

ですから、神に誓いを立て隠者の生活を始めて後、僅か1年ほどで亡くなった事に・・。

伝承によると、彼を妬む仲間が留守の間に引き抜こうとするもダメで、
その悪さの報いは彼ら3人に下り、川に溺れ、稲妻に撃たれ、狼に腕を食われたり!
戻った彼は折れた剣を見て悲しむものの、お告げにより繋ぐとピッタリと合い、
また一本の剣になったのだとか、はい。
      


傍にあった小さな説明には、
 このモンテシエピの頂上にあった岩に、1180年ガルガーノ・グイドッティが
 平和と贖罪のシンボルとしてあるように剣を打ち込んだ 

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サン・ガルガーノのあれこれの逸話を読みながら、やはり騎士道物語で有名な
アーサー王や、裕福な商人の家に生まれ、騎士になりたかったものの転向した
サン・フランチェスコとの共通点を思います。

中世に在って、騎士道に疑問を感じる人々も多かったでしょうし、案外ガルガーノの
選んだ道は内心密かに賞賛され、この聖堂の発足が大変順調だったというのも、
その辺りからの援助も大きかったのかなとも思いました。
       
ところでこの剣の実証がパヴィア大学の教授によって行われ、12世紀の武器で
ある事が証明されたのだそう。
で、その下に小さな字で、
  1924年頃まで、この剣は岩の割れ目に突き刺されており、抜く事ができた、と!  
  ワシャ知らん。



円形の主体から左奥に突き出す形の小礼拝堂、

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ロレンツェッティの礼拝堂と呼ばれているのだそうで、暗く、
目いっぱい露出を上げて撮ると、こんな天井画。

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左に多分聖母に聖人達の祭壇画があるのでしょうが、
アンブロージョ・ロレンツェッティの作とは知らず、故障持ちの目では到底見れず・・!



ぐちゃぐちゃに濡れた足で、戻りは車の通り道を。 距離は長いものの歩くのは楽で、
      
畑の向こうの聖堂を見つつ、

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道脇の畑に穂を持つ作物、これは何でしょうか?
雨に煙る風景の中、畝の間に咲く黄色い花が鮮やか。

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さて、正面近い位置から、煙る聖堂をもう一度。

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聖堂・修道院は毎日オープン、9時から19時、
冬季11月から3月は 9時半から17時半 だそう。



最後はサイトから拝借の写真で、月夜の聖堂をどうぞ。

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・ サルメデの絵本原画展 と 仲間との美味しいお昼

ここ何年間かの年末年始の恒例となっている、すぐ近くのサルメデ・
Sarmedeの町で開催中の「子供の為の国際絵本挿し絵元画展」に、
先週土曜出かけました。

絵本のお話自体には余り興味がないのですが、すみません、
現役プロの、素晴らしい作品の原画を見れるのは嬉しく、
仲間との美味しくて安いお昼にも釣られ、ははは、
今年も出かけて行きました。

トップは、イタリアの主賓招待作家のジョヴァンニ・マンナ・
Giovanni Mannaのなんとも優しい色。

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ですが、このジョヴァンニ・マンナという作家の作品に一番驚いたのは、
その描く作品の幅広い事。1966年フィレンツェ生まれ、
インクと透明水彩、原画には少し鉛筆の線も。

これは「ロビン・フッド」で、
  
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こちらは「マルコ・ポーロ」 
どこか掛け軸風の縦長を意識した部分も見られ、うふふ。
   
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彼のサイトはこちらに。 http://www.giovannimanna.com/



サルメデの町の壁画や、絵本展開催の元となったステファン・ザヴレル・
Štěpán Zavřelの一番新しい絵本が、日本で出版されたのを翻訳し、
昨年イタリアで出版されたそうで、「色泥棒」とでも。

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彼は既に1999年に亡くなっているのですが、新しい絵本が
日本から逆輸入という感じでしょうか。
クレヨンで描き、上から透明水彩という手法で、
彼の描く色、柄は素晴らしいと。



他にもたくさんあれこれ展示されておりましたが、到底全部は
ご紹介できないので、ほんの少しだけを。
レナート・モリコーニ・Renato Moriconi ブラジル
「線のない電話」 板に油彩

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エリン・E・ステッド・Erin E Stead アメリカ 
「もし鯨を見たいなら」 チョークとリノリウム版画 

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大変雰囲気も色も優しく余白を生かしたもので、
最後のオチは、鯨を探す小舟の下に、大きな鯨が! 



ヌーシン・サファコー?・Nooshin Safakhoo イラン
スフィ・動物とスルタン  ペンとコラージュとCG 
お国の伝統がどこかに感じられ、面白いなと。 

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日本から唯一参加の、刀根 里衣さんの「大きなニンジン」 アクリル 

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絵の密度も高く色も美しく、素晴らしい作品!
存じ上げずで調べましたら、日本でもいくつか出版済みで、
現在はミラノにお住まい、各国の絵本を手がけていると。

先日友人から届いたパンフレットで、フェルト作家の中山みどりさんの
作品を知りましたが、これも大変愛らしい素晴らしい作品群でした。

他にも木彫で動物達を生み出す女性達もいますし、
日本の若い女性達の素晴らしい活躍、台頭が誇らしく、
こちらの仲間達に語ったことでした。



今回の主テーマは、スコットランドだったのですが、
私的にはあまり大したことなく、失礼、はは、


それよりも、この人凄いなぁ!と思ったのは、これ、
マリーナ・マルコリン・Marina Marcolinの作品、透明水彩

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これは展示されていた作品で、柔らかい光とそよぐ風、
そしてノスタルジックな雰囲気を運んでくるでしょう?



会場で見たのも含まれますが、サイトで見つけた作品類を。

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どんな人かと調べてみると、こんな若い華奢な女性。

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1975年ヴィチェンツァ生まれ、アルクニャーノ・Arcugnanoという
ヴィチェンツァ市から南に20分足らずの町の、湖と森の間に
住んで仕事をしている、と。

そう、こんな繊細な感性を表現する女性作家が、
ここにも活躍中でした!

以前知ったロベルト・インノチェンティの素晴らしい作品は
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/474837907.html



さて、さて、お待ち兼ねのお昼ご飯! 会場のあるサルメデから急坂を
登り、以前一度来た事があるアグリトゥリズモに。

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今回の献立はすべてベジタリアン仕立てで、
まず、ニョッキのトマトソースと、ラディッキオとリコッタ・チーズと胡桃を
クレープで包み、オーブンで焼いたもの。
これが素晴らしく美味しかったのですよぉ!!

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写真でもお分かりのように、ニョッキがかなりの量!
これにパルミッジャーノをたっぷりかけて食べ終わった頃、
お代わりのいる方は?と出てきたもので、もう少し頂き。
そうこうする内に、ジュリアーナがクレープがまだあったら、と頼み、
来た所でまた三分の一ほどをお裾分けに預かり。
       
つまりです、プリモだけでかなりの満腹感になっていたのが、

       
その後、出てくる出てくる、大好きカルチョッフィ。

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ラディッキオ、炒め煮とマリネと2種類出てきて、

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大好きなペペローニのグリル、

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個別写真は以下略で、つまりは私のお皿の上はこんな感じ!

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真ん中上から時計回りに、ラディッキオ2種、カルチョッフィ、ペペローニ、
リコッタ・チーズ、ポレンタ、チーズ2種とピリ辛ジャム、真ん中はインゲン豆、
その左はラディッキオのサラダ、細かく刻み胡桃を加え、
バルサミコ酢で合えたもの。 これ簡単で美味しいですよ!

その他にサラダ菜もあり、途中追加もあり、ははは。



肉食人種に、と大皿で2種出てきたハム類! 

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そしてデザート、ティラミス。
ふんわりしっとり甘さ控えめで、お腹満腹ながらぺロリ! 

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最後のカフェを、この所カフェを飲まないshinkai、
 オルゾ・Orsoという、大麦のカフェ風を頼み、
でもしっかり、食後酒のグラッパもね、ははは。 

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「プロセッコのグラッパ」と見えますが、醸造元は違うものの、

グラッパ酒の蒸留所見学 ・ アンドレーア・ダ・ポンテ
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467230336.html

皆が食べすぎたぁ!と言うほどに満足の量と質、勿論ワインも 
白と赤が出て飲み放題で、この日は1人分16エウロでした、満足ぅ!!

ここは予約によってのみ開くそうで、我々は9人でしたが、
人数が多いともっと安くしてくれるそう!

追記」 現在はレストランはなしで、B&Bと昼食、夕食、のみに
替わり、サイトは http://www.casacastelir.it/  2020.5.1



高い位置にあり眺めは最高ですが、この日は下界は靄がかかり、
奥のほうだけうすぼんやりと。

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お腹ごなしに少し近くを散歩。 ボケも連翹も、
陽の当たる所ではほころび始めており、

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こちらは黒い車のボディにくっきり、梅の花、ははは。

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下界に下りつつ、夕日が赤くまん丸に。

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家に着くまで大丈夫かな?、と思ううちに残念。
スコミーゴ村の坂下から見る、オリアーノ村の鐘楼。

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長い1日のお付き合い、有難うございましたぁ!


*****

ところで皆さんは、アメリカ西部はグランド・キャニオン周辺に
興味がおありでしょうか?

私は昔から西部劇映画の舞台、背景として登場していた
周辺の大景観に好奇心があり、アメリカにもし行けるのであれば、はは、
見たい所はグランドキャニオンとニューヨークというイチビリ!

ところが先日から、リンクさせて頂いている
チャーオ!トスカーナ '糸杉につつまれて'の Granpa di Itosugiさんが、
この年末年始に旅行され、その壮大な様子をアップされています。
http://bu10148bu.blog31.fc2.com/blog-category-34.html

shinkaiのブログの写真が少々多かろうと、ははは、
彼のブログに比べれば、なんのなんの、子供みたいなもの!!
トスカーナ、ギリシャの記事もたくさんありますので、
どうぞお時間をたっぷりとってご訪問、
しっかりお楽しみ下さる様、ご案内いたします。

*****

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・ ヴォルテッラの朝 ・ 目覚めてゆく町と平野

お正月気分を吹っ飛ばす様な、パリでのテロ事件があり、こちらイタリアの
TVニュースも大きく揺れています。 亡くなった方々は大変お気の毒で・・。
ですが家の中で暖かくしつつ写真を整理し、絵を描いていると、
平和な田舎での日常生活が有難く・・!
       
そんなこんなで、少しでも良い気分をお届けしようと、
昨秋のトスカーナはヴォルテッラ・Volterraの朝の写真を。

宿からまっすぐ100mかそこら行くとバス停の広場で、西に向いての眺望が開け、
朝6時半頃そこに。

で、北側に見えるドゥオーモの鐘楼と洗礼堂。

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海抜が531mものヴォルテッラの町。
道脇のすぐ下はこんな家の眺めになり、その向こう一面に起伏ある平野が
広がりますが、まだ夜明け前の薄暗さ。

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そのうちに南の方の空が明るみだし、

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あ、ご来光だ、と思うものの、南から東にかけては並木が続き、
町が広がり、到底眺望は無理!

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ならばと、大急ぎで、前日場所を確かめていたテアトロ・ロマーノの跡に向かい、
横目で現市役所のパラッツォ・デイ・プリオーリを睨みながら急ぎ、

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テアトロ・ロマーノ跡に到着。
ここからだとやや北西向きになるのですが、ほんのりバラ色の空!

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崖っぷちの大きな教会も、まだ靄の中。

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東の平野の奥、山並みにかかる雲海が動いていくのが見え、

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南は家並みと木々で、明るいオレンジの空の色だけ!

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テアトロ・ロマーノに近い北の教会が、光に輝きだし、

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遠い崖上の教会にも、朝日が当ります。

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目の前に広がる、素晴らしい朝焼け!
こんな朝焼けを見れた時は、
旅に出れた嬉しさと、美しい朝に出会えた幸せをしみじみと・・。
  
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サン・ジミニャーノの朝、雲海の朝



さてでは、ともう一度町の中心に戻ります。
高い建物の上部に射し込む陽。
朝の早いバールなどが店を開き始め、

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上の写真の左に見える覆いの架かった部分はサン・ミケーレ教会で、
この前で旅行支度のグループにつかまり、皆一緒の写真を撮ってくれと。
       
が、スマート・フォンでの写真の撮り方を知らず、ははは、2度失敗、3度目に
やっとOKになりましたら、グループのお兄ちゃんが喜んでほっぺにキッスをね。



横の路地は、まだ陰の中。

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中心広場のパラッツォ・デイ・プリオーリにも陽が当り、

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あの塔の上に上がった時の笑い話は、またいつかね、ははは。




洗礼堂にも陽が射し始め、

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向かい合わせのドゥオモの鐘楼も、くっきり。

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最初の広場の端に戻ってきての、洗礼堂と鐘楼。
少しの間にも、どんどんと陽射しが変わって行き、

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今、町越しの光が平野に届きます。

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目覚めていく家々! そしてこの、丘の起伏の面白さ、色!!

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少し靄がかかり、丘と谷の間にはうっすらと雲のかかるのも見えますが・・、

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光も少しずつ強くなり、近くの畑が煌き始めます!

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・ n.1 暦月の間  ・ トレントのブオンコンシーリオ城

年明けに相応しい最初の話題はと考え、今日ご覧頂くのは勝手に重々しく
「暦月の間」と呼んでいる、カレンダーの様に月毎の様子をフレスコ画で描いた
トレントの城の、アクイラの塔・Torre Aquilaの部屋の装飾のご案内を。

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トレントのブオンコンシーリオ城・Buonconsiglioは、クリスマス風景を
見て頂いたトレントの街の最初の写真にチラッと出た、

街の北東の高台にある現在は博物館の城塞で、オリジナルはローマ期の城だった様で、
13世紀から街の城壁要塞を兼ね、その後の何世紀間の拡張を経て、
アルプス一帯においても一番大きな要塞城の一つなのだそう。

城の中の写真もまだ整理できておらず、へへ、 この装飾の部屋は唯一写真禁止で、
城のブック・ショップで買って戻った本からの写真で、ご覧下さいね。



城の全体図をどうぞ。 上の写真は左側からですが、余りの大きさに真ん中までしか
写っておらず、今日ご案内のアクイラの塔・鷲の塔は一番右端に。
 
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ちょっと字が見にくいですが、大きな円形の塔の見える左の白い部分が
カステルベッキオ・旧城。
右に広がる白い部分は16世紀に建設のマーニョ・パラッツォ・Magno Palazzoで、
カステルベッキオとの間に見える茶の部分が、17世紀に統合部として建て増しの
ジュンタ・アルベルティーナ・Giunta Albertina.

1390年から1419年までこの一帯の司教領主として君臨した
ジョルジョ・ディ・リヒテンシュタイン・Giorgio di Liechtensteinが、
カステルヴェッキオを要塞城から君主の居城風に変え、
アクイラの塔も、彼が街の東側の管理の為に建設されたものだそう。

大きな城の長い変遷については以下略と致しまして、はは、



カステルヴェッキオのテラスから、街の眺めをどうぞ。

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アクイラの塔には城壁の上の長い狭い渡りを行きますが、
塔の中の部屋はこんな感じで、素敵でしょう?!
これは南西側で、部屋への入り口はこの写真の右手前側に。

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この部分は左の5月から10月の部分で、薄暗い中に広がる濃密な風景と
人物の醸す空気は本当に素晴らしく、ほっとため息がもれます!



今日は前半の1月から6月までのご案内とし、後半はまた初夏の頃にでもとし、

まず、1月をどうぞ。  3.05x2.27m
そう、一面の雪景色!!

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下半分では貴族たちが雪合戦の真っ最中で、楽しそうに雪だまを投げつけたり、
スカートに抱えたり・・、
そう、5世紀以上も前から雪合戦があったのですねぇ、ははは。
こういう雪景色というのは、西ヨーロッパでは初のものと。

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画面上部に見える城はステニーコ・Stenicoにある城と確かめられており、
右には雪の中の猟師2人。
それぞれが猟犬2頭を連れ、上の猟師は肩から兎や鳥の獲物を下げ、       
その脇の草むらには狸が隠れ、上の森には狐がうろつき・・。

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2月    1.27x2.22m 
貴族たちの騎馬戦と、右下に鍛冶屋の工房。

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2月のモチーフに騎馬戦を選んだのは、多分カーニヴァルの季節の関係だろうと。



上部の桟敷席や窓から20人もの女性たちが顔を覗かせ、楽しい。
下では騎馬合戦が繰り広げられ、左では従者たちが着付けをさせ、
戦う者の足元では、砕け散った武器の破片を拾ったり・・。
 
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一方、貴族たちの着飾った衣装にも、祭り騒ぎにも一切関係なく、
素朴で実用的な衣服を着けた一般庶民がせっせと仕事を。 

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ところでこの壁画には3月が欠けています。
というのも、ちょうどの部分に螺旋階段があり、それを覆っていた木の板の上に
描かれていた3月分が、火災で失われたのだそうで、残念!

この壁画は上記のジョルジョ・ディ・リヒテンシュタインがボヘミア人の画家
ヴェンチェスラオ・Venceslaoに描かせた物で、
1397年に街の記録に残る事から、1400年前後の作と見られます。

月毎の境を細い螺旋形が囲う円柱で仕切り、貴族社会の様々な行事と、
その季節を表す一般庶民の仕事、季節の色や畑仕事を一つの画面の中に平行させた、
こういうスタイルは当時大いに好まれたものなのだそう。
       

月毎の貴族社会と農民の生活を描いた素晴らしいものでは、以前ご紹介の、
ランブール兄弟の「ベリー公のいとも豪華なる時梼書」がありますが、

こちらはミニアチュールの優雅な大傑作、おまけに1世紀後の15世紀の作で、
大きさも、描く早さの違いもあり、一概には出来栄えの差の云々を言えませんね。

それに対しこちらの壁画には、一般庶民の生活の匂いが感じられる気がします。

そして大きな壁画での暦月の間としては、フェッラーラのスキファノイア宮に、
1470年代にコスメ・トゥーラ・Cosmè Turaやフランチェスコ・デル・コッサ・
Francesco del Cossaが携わったと言う素晴らしいものが。

剥落部分も多いものの、壁画の厳しい美しさはまさに一見の価値あるもので、
残念ながらここも写真禁止ですが、いつかご案内したいもの・・。

ベリー公のいとも豪華なる時梼書
       


フェッラーラ、エステ家のお城 その1と2



4月   3.5x2m
この月は様々な題材が描かれていて、春を迎えての農作業のさまざまが、
愛情込めて登場です。

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左下には馬と牛2頭に引かせて土を耕しているお百姓2人、茸の生えている
林の中で兎を追う犬、囲われた畑の中では水をやったりの仕事中。
水車小屋から荷運びの男が牛車で、その後から荷を担いだ男が。

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水辺では白い衣服の巡礼が休み、傍らの家々は藁葺き屋根、
釣瓶のついた井戸が見え、犬が一人のんびりと。
岩山の麓の畑では馬に引かせた鋤を使い、もう一方は種まき中。

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そして下の右端では、貴族の女2人が着飾り、
一人は月の境の円柱に手をかけ、5月に入り込もうと・・。

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5月   3.5x2.4m
春、花咲き乱れる緑の野で遊び戯れる貴族の男女、
4組のカップルと、左端に2人の若い娘と中年の男。

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咲き誇る薔薇の描写も美しく。

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上には、山麓の城から小川を渡り、林の傍の草原で野外宴会を楽しむ男女がいて、
大理石で作られた泉からは水がほとばしり流れ・・。

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こんな春の野外の愉しみを描いたフレスコ画はここにも。

スポレートのアルボルノス要塞 その2 と 1
      


6月   3.5x2.4m
この場面も5月に続く貴族たちの屋外の楽しみと、右上には働く農民達。 

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下半分の左に5人の音楽を奏する楽人、右に5組に分かれて踊る貴族の、
左から2人目は司教様で、楽人のラッパに付く赤い旗もこの司教様の紋だそう。

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上部左はやはり5月同様に城からピクニックに出かける貴族の男女がいて、
犬たちが喜んで走り回り、草むらには野鳥の姿も見えますね。

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右側には牛たちがのんびりと寝そべり、乳を搾る女、桶で運んでくる女性、
そして板葺の小屋の近くでバターを作る男と、桶に詰めている女ですね。      

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細長い筒のような容器に乳牛をいれ、上から棒で突きバターを作る容器は
山の博物館で見ましたっけ。


という、カレンダーの壁画1月から6月。 素朴で温かみのある題材でしょう?
かなり農民達の仕事に詳しい表現もあり、画家の育った環境を
偲ばせる楽しさも感じます。

また後半のご案内もお楽しみに!

     
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・ 新年 明けましておめでとうございます!

皆様、新年明けましておめでとうございます!
良いお年をお迎えの事と思います。
       
本年も、当ブログを宜しくよろしくご愛顧くださいますよう
お願い申し上げま~~す!!

さて、今年は羊年ですよね。

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平成何年かは既に頭から消え失せているのですが、へへ、
干支はどこかからか察知できますので、

年初めは何を? 昨年同様、羊の群れがいっぱいいたウンブリアの大平原
からにしようか、と写真整理し始めた所で、

そうそう、スコミーゴ村の羊の群れが残っていた筈!!
という事で、我が村に到着した羊ちゃんたちの群れをどうぞ!

以前ブログに2度スコミーゴ村に到着の羊を載せましたが、
タイトルに「北からの客人」と。 が、実際は北から来て、もっと南で冬を過ごし、
北に戻っていく羊たちなので、「北の客人」なのですね。

北のお客人 ・ そして、春の訪れ
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462252694.html

北のお客人 ・羊の群れ、到着!
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460927524.html

ヴェネト平野から峠を越える、  サン・ボルド峠 ・ 難所の峠越えは
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467388089.html



今日ご覧頂く写真は、第2回目に載せたブログの翌日、同じスコミーゴ村の
別の畑にいたのを撮ったもので、撮ったのを印刷して持って行きましたら、
大いに喜び、勿論羊ではなく羊飼いの小父さんですが、ははは、
これはバーチョの価値がある、とほっぺにチュッとしてくれましたっけ!

写真は2008年3月21日ですから、既に春の色濃く、
前日の畑よりも近寄れたので、面白い写真が撮れたと。

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歩いて移動しながらせっせと食べ、お腹がくちくなると、一休み。

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ですがね、中にはこちらを、あんた誰?と見つめるのもいて、

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この羊さんは、もうすぐご出産かな?

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彼らが3人いたガードマンの内の若手。
左の子、顔洗ってないだろ、目やにぐらい拭きんちゃいやぁ!

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この子は少し大きくなっていますが、  

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こんな小さな子もいて。

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マンマは白黒茶のブチで、チビちゃんは白黒。 こういうのありなのね、ふ~む。

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春先なのでチビちゃんの数も多く、

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ね、可愛いでしょう?!

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みなちゃま、shinkaiのおばちゃんが、
今年もよろしく!と言えって、いってまちゅ!! 



最後はベテランのガードマン、渋い中年男、いや、
中年の渋い素敵なマダムかも、はは。

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ねぇ、私の干支の出番は何年後なのぉ?!    
は~い、もすこしお待ちあれ、3年後で~す!

 
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