・ 今年も一年間、有難うございました!!

2014年もあとわずか!
ブログご訪問、コメント、励まし、本当に有難うございました!
お陰さまで当ブログも10周年を迎える事ができ、
またせっせと続けて参ります、はい。

今年はトスカーナにも春と秋の2度、ドロミーティの足元にもと、
大いに楽しみ、収穫も多い年でした。
まだまだ見て頂いていない写真はたくさんあるのですが、ひとまず後半の
ハイライトをと、とりあえず整理した分を今年の最後分としてここに。
この所少し写真が多くなり過ぎなのも反省し、はい、ちょっぴりに絞りました。
       
最初のは、ドロミーティに行った際の、コルティーナ・ダンペッツォから
ミズリーナ湖に行く途中のシン湖、エメラルド色した小さな湖の畔。

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山の名はどれもまるで見当もつかず!

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ミズリーナ湖・Lago di Misurinaの畔で。


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下の写真の奥に聳える峰だけは知っていて、トゥレ・チーメ・3つの峰の内の2つ。

トゥレ・チーメ・ディ・ラヴァレード ・ ドロミーティの大景観!!
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/468344876.html



冬は凍結する湖ですが、夏はカモ達が泳いでいて、

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その鴨を狙って冷たい水に飛び込み、ははは、
驚いた飼い主に叱られつつ拭いて貰っていた、まだ濡毛のディーヴァちゃん。

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ドロミーティのご案内はこちらから
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460834798.html



ここからボローニャ。
現市役所になっているコムナーレ宮の内部見物を。

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中にあると聞いていたジョルジョ・モランディの博物館は、現在MAMboという、
駅近くの博物館に移されており、興味深い展示もあったものの、写真禁止で。

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ボローニャ、エミーリア・ロマーニャ州のご案内
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460834489.html



フィレンツェに!
5年ぶり程になると思うのですが、やはりいつ来ても、何度見ても、ね!!

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フィレンツェ  シエナ のご案内は
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460834440.html



今回の私にとっての目玉は、ドゥオーモの上に上がった事!

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かなりの急な石段で、次にもう1度上がれるかなと思い、
上からの眺望を1時間半ほども愉しみましが、
曇り空の朝だったのが、徐々に晴れてきて、
くっきりと建物が浮かび上がるのを見れたのは幸運でした。

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最後は、バラ色に染まるドゥオーモを!

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今年一年のご愛顧を心より感謝し、
       
皆様、良いお年をお迎えください!!
そして、来年もどうぞよろしくお願いいたします!!

     
*****

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・ ヴェネツィアの冬 ・ 霧の朝

昨夕、美しい夕暮れの空を見て後鎧戸を閉め、夕ご飯の後に表に出ると、
一転して深い霧がひしひしと・・。 そして今朝も霧!
       
と言うからではないのですが、はは、今日は昨年12月中旬のヴェネツィアの、
霧深い朝の様子をご覧下さいね。

写真は宿のすぐ脇の運河。 奥に見えるのはギリシャ正教の教会鐘楼で、
時間は朝の7時ごろ。
      
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前日の   霧深きヴェネツィア ・ 冬の夕暮れから夜
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/472983575.html

ヴェネツィアの、クリスマス・イルミネーション
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463739686.html
       
ヴェネツィア全体のご案内は、こちらから
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460835393.html



まだまだ夜が開けきらないスキアヴォーニ河岸。
ヴァポレット・水上バスの停留所の灯りが霧ににじみ、

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ピエタ教会もこんな感じ。

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男性ソプラノ歌手による、・ ピエタ教会のコンサート
http://italiashinkaishi.seesaa.net/archives/20110611-1.html

A.ヴィヴァルディが洗礼を受けた教会と、その周辺を
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463740577.html



サン・マルコ広場の方に歩くにつれ、少し明るくなり、
・・でも運河の向こうは、霧だけ! な~んにも見えず!!

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ヴィットリオ・エマヌエル2世国王の碑。
う~ん、この霧ではねぇ、前進も難しいだろうねぇ・・!
       
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少しブレ写真ですがご容赦を。
ちょうどヴァポレットが通りかかり、一瞬霧の中に光が溢れ、

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ヴァポレット停留所前の掲示板。

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霧のため、 1行目  この線は平常どおり
      2行目  区間により運行停止
      3行目  大運河航行 OK
      4行目  運行停止  eccecc



エディーコラ・新聞雑誌等の販売所 の明かりが暖かく、

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右はかっての牢獄の建物で、向こうがドゥカーレ宮。
霧の中に見える明かりと街灯がとても暖かく。

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荷物船は既に働いており、

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ちょうど牢獄の建物の明かりが消え、・・うう、寒いよぉ!

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ドゥカーレ宮と牢獄を繋ぐ、溜め息橋もまだ少しぼんやり。

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まだこの時間、観光客は殆どおらず、はは、shinkaiを除き。
はい、この写真を撮っている方がお1人。

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ドゥカーレ宮南面と、上の裁きの女神像。

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鐘楼もすっかり霞み。

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いぇ~い、長年ヴェネツィアを撮っておりますが、
この位置からの眺めで観光客なし、というのは初めてぇ!!

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2本の円柱上に居られるのが、左は鰐の背の上の聖テオドール、先の守護聖人、
右が有翼のライオン、現守護聖人サン・マルコで、



はい、鰐の尻尾と、ライオン君の尻尾。

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霧に霞むドゥカーレ宮。 いつもと違い、本当に静か!!

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サン・マルコから西に河岸をそのまま進みます。
サンソヴィーノ図書館の壁のこの広告、
はぁ、イタリアでは空軍の宣伝もこうなりますの、はい。

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ヴァポレットが到着すると、お勤めの方、学生がぞろぞろと降りて来て、
急ぎ足で去って行き、

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ヘミングウェイも通ったという「ハリーズ・バー」。
shinkaiも、我らの仲間も入ったことないと、ははは。

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はい、いつもはこの背景にデッラ・サルーテ聖堂が立ち塞がるのですけど、
運河の向こうはまるで見えず・・!

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小路に向いてのホテル、クリスマスの飾り。

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サン・マルコ広場の方に戻ります。
広場もすっぽりと霧に包まれ、広場中央を通る人もちらほら。

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が、既に仕事は始まっていて、荷の運搬、そして左官仕事のお兄ちゃん。

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コッレール博物館の入り口。

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サン・マルコ広場北側のポルティチ、観光客が2人。

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霧に霞む時計塔の上。

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時計塔探訪 ・ ヴェネツィア、サン・マルコ広場
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463622959.html



ドゥカーレ宮正面からの全体は、霧のため見えずで無し。
もっともまたすっぽりと修復の覆いが架かっていたのですが、
イスタンブルから獲ってきた黄金の馬4頭も霞み!

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小広場の方では、手前に写真を撮っている観光客が見えますが、
他の急ぎ足の方々は、ヴァポレットから下りたお勤めの方。

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運河の向こう、まだな~んにも見えず! でも少し空が明るくなってきていますね。



ドゥカーレ宮回廊の明かりも消え、

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回廊の下、鳩たちがプックリと胸を膨らませ、まだじっとうずくまったまま。

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8時半頃、朝食に宿に戻りますが、ここは最初に見て頂いた運河と鐘楼、
漸くに朝の明るさ!

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杭の上のカモメちゃん。 チャオ、霧が深いね、今朝は!

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朝食の後チェック・アウトし、ヴァポレットで大運河をサンタ・ルチーア駅まで
往復して戻り、既に11時頃だったと。
漸くにぼんやりと太陽が見え、

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最後は、漸くに一瞬煌く波とゴンドラを。

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皆様、良いクリスマスをお迎えくださ~い!!
ブオン・ナターレ!!       


◆ お知らせ ◆
我が絵の師である二木さんが、ご自分の課題とされていた
ピエロ・デッラ・フランチェスコの「出産のマドンナ」、彼は「懐妊の聖母」と
呼ばれますが、についての、様々な考察を4回にわたりブログにアップ。

絵の謎を、そして技術的なことも分り易く解説される大変素晴らしい内容です。
どうぞご訪問され、ご一緒にピエロの絵の面白さ、奥深さを愉しまれるよう、
ご案内申し上げます。




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・ トレント ・ クリスマス間近の街をちょっぴり

今日ご覧頂くのは、北イタリアの街トレント・Trento.
北国ドイツの雰囲気も漂う歴史ある街ですが、昨年12月初旬クリスマス市で
賑わう時に出掛けた、冬の大快晴の日、クリスマス・デコレーションも華やかな
街の様子をご覧下さいね。

とはいえ、混雑の人々やクリスマス市の様子はトレントでは撮らずで、
街のデコレーションだけなので、ご自分が散歩するおつもりでどうぞ!

この前夜の ロヴェレートのクリスマス市の様子は
写真は、街の北東に位置する素晴らしい城ブオンコンシーリオ・Buonconsiglioの
見学を済ませ、街の中心にあるドゥオーモに移動する所。

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このお城の中と、素晴らしい壁画のご案内は、またいつかぁ・・!

ロヴェレートの街、そしてモーツァルト
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/468629128.html       

ロヴェレートからトレントに、そして古城


まだまだお昼には時間があるのですが、先を歩く仲間の影はこんなに長く・・!

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ほら、星のデコレーション。 夜はさぞ美しいことでしょう!

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星のデコレーションもですが、奥の角の家の壁、かっては鮮やかなフレスコ画が。

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街の簡単な地図をどうぞ。 左が北。 北東少し高台にブオンコンシーリオ城、
右下に街のドゥオーモ、サン・ヴィジーリオ・S.Vigilio聖堂、
その中間に囲ったのがサン・ピエトロ教会・San Pietro.

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街の観光バス・トレニーノも走っているのを横目で睨みつつ、
撮っては仲間を追いかけるを繰り返し・・、ははは。

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一見素晴らしく大きな建物ですが、これ2軒分が寄っていて、でも5階建て!  
オリジナルは中世ですね。 右隣のベランダは木の、いかにもの北の香りが。

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テラスの間に見えるフレスコ画はこれです、上が日時計で、下にキリストと聖人達。 

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冬の晴れた日、賑やかに人々が行きかう大通り。

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地図で見ていただいたサン・ピエトロ教会の前も素通りし、

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でも、こんなワンちゃんを見ると、立ち止まってしっかりご挨拶をして、ははは。

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ほら、ワンちゃん達だってご挨拶しているもんね。

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こんな可愛いデコレーションも見え、

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ドゥオーモの横にある市の塔。

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こちらはドゥオーモの一廓をなす司教のお住まいだった、と思う、
カステレット・Castelletto・小さな城の意と呼ばれる部分。 
当時はこの一帯、司教様が領主だったのですね。

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市の塔の横を抜け、ドゥオーモ前広場に出て来ます。 広い広場中央に
ネプチューンの泉、広場の向こう側を囲む家並み、そして立ちはだかる山々。

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こんな感じにドゥオーモ。 我々にはトレント公会議、16世紀に20年近くもかかり、
北から押し寄せる宗教改革に対抗する為の公会議が開かれた場所、
として覚えさせられた、はは、聖堂ですね。

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が、今回はクリスマス・デコレーションの街並みに絞りますね。



ネプチューンの泉、1767年から69年にかけての設置だそう。 
今まだ広場に陽が当っているので、皆さんここに居られるのですがぁ・・、

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ほらね、今こちらが陰ってきて、皆さん移動しているでしょう?!
ははは、そうなんですよね、快晴でも北国なので、影になると途端に寒さがね。
ドゥオーモの丸い鐘楼の影もしっかり!
  
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上の写真に見えた広場からの通りは、こんな感じ。
フレスコ画で装飾された素晴らしい建物がたくさんあったのですが、またのチャンスに。

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が、広場の右角を占めるフレスコ画装飾で埋められた建物2軒を。
カーゼ・カズッフィ・レッラ・Case Cazuffi-Rellaと呼ばれ、1535年の
オーストリアのフェルディナンド皇帝の訪問の際に、装飾されたものなのだとか。

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左に見えるタイルの丸屋根は、上の写真の右端に見える教会のもの。



右の全体と、細部。 主題は神話の逸話からなのでしょうか、
当時の人々は、絵を見ると主題を納得していたのでしょうねぇ。

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恐ろしく傾いたベランダ! ははは。



こちらは左側で、上下の模様部分は色があるのですが、人物は最初から白く
描いていたのかどうか・・。 でもこの方が新鮮さを感じませんか?

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建物の角の部分にこんな鷲の留まった円柱があり、蛇口が見えるので、泉だった?

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現在の建物の上階がどうなっているのか良く分かりませんが、右の1階の
ポルティコにはバールがあり、冬の陽射しを皆さん、楽しまれて。

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この鮮やかなチロル帽子の方は、他のグループのガイドさん。目印にも最適ですね。

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一旦お昼解散になり、我々の仲間はお昼を食べれる場所を探しつつ、
屋台がずらっと並ぶクリスマス市も覗き込みつつ、

街の南側の、城壁外にまで!

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高いですが厚みが薄い古い城壁で、検索しましたら簡単に。
ピアッツァ・デ・フィエラ・Piaza de Fieraの城壁と呼ばれ、13世紀の、
現在街の中心に唯一残る城壁なんだそう。

この広場には屋台市がぎっしりで、大変な人で、何を売っている店なのか、
覗き込むのも大変!



お腹も空いているし、こんなデコレーションも見えるし、いささか焦りつつ、ははは、

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とにかく大変な人出で賑わい、座れる店がなく、でも漸くにスナック・バールに席を。
まずはビールで乾杯!! で、これはラザーニャ、

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こちらは野菜の入ったラザーニャ、菜食のジュリアーナとshinkaiに。
見かけは余りパッとしませんが、美味しかった!
ええそう、お腹が減っているから、尚美味しい! ははは。

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ダイエット中のロレダーナはサラダ。 上のチーズは多分ギリシャのフェタ・チーズと。

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少し塩辛く、イタリアにはもっと美味しいチーズがいっぱいあるやんかぁ、とshinkai!



トマト・ソースのニョッキ、多分ルイーザね。
寒かったせいか、結構皆、熱いのをたっぷり目ですねぇ!

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お昼を食べちょっと休憩し、再度広場に集まる頃には、時間はまだ早いものの
午後の陽が傾き、寒さも少し増し・・、

広場の前のこの建物に、お土産のストゥルーデルを買いに。
フレスコ画の装飾が素敵でしょう?!

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で、もっと素敵だったのは、建物の前庭にこんな焚き火があったのです!
火というのは、本当に暖かいですねぇ!! やれやれ!でしたぁ。

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◆ お店のご紹介を ◆

当ブログからリンクさせて頂いている「パンダ通信
のパンダさんは、イタリア料理教室の先生でもあり、
手作りパスタ工房「あ・まーの」の工房長でもあるのですが、
イタリアにもパスタの研修や、本物の味を求めて何度も通われる研究熱心な方!!

で遂に念願叶い、ご自分の手作りパスタやイタリア料理、
マンマの味を追求したドルチェを提供するお店を先頃から!

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すっきりとした店内の様子はこんな感じで、お料理のお値段もとても良心的で驚き。
       
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そうなのです、壁に見える見える絵は私のもので、昨秋諏訪での私の個展に
ご主人ともにお出でになり、改装するお店用にとお求め下さったのですね。
お店の改装も、絵に合わせてして下さったという事で、感謝のみです。
お店に行かれたら、見てやって下さいね!


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本物のイタリアの味を日本人の胃にも合う様に研究されているパンダさんのお店、
どうぞ、味わいにお出かけ下さ~い!!
     


最後はサイトから拝借の、雪景色のトレント、ドゥオーモ前広場をどうぞ!

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クリスマスももうすぐ! 皆さん、楽しみのご予定はもうしっかりですかぁ?!


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・ サンタ・ソフィーア聖堂博物館 ・ イスタンブル

イスタンブル観光で見落とせないものはたくさんありますが、
中でも私にはこのサンタ・ソフィーア聖堂がその1つでした。

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歴史の長さ、変遷の多様さ、その素晴らしい美と大きさ、
それらすべてが、少々読んでも飲み込めず、
実際の訪問時も、ガイドさんの話も聞かずに見とれ続け、
写真撮りに熱中、という様子でした。

でブログでご案内をと決め、写真を整理しつつ改めて読み、
漸くに少し何を見て来たのかが分かり、
今回はいつもよりまた写真が少し多くなりましたが、
年末のお忙しい時、お茶でも入れてご一服、ごゆっくりどうぞ!!

上は、正面から南向きの威容。
この聖堂に向い合わせの位置に、ブルー・モスクがあります。



近寄った位置から。 主ドームの上には、イスラムの半月の飾り。
かっては外装が漆喰で塗られ、彩色されていたのが残ります。

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このサンタ・ソフィーア聖堂、アヤソフィア、ハギヤ・ソフィアと
あれこれ呼ばれますが、「聖なる叡智」を現すそう。

東ローマ帝国(ビザンティン)の正統キリスト教の大聖堂として、
コスタンティーノ帝により335年に建設されたのが初めで、
その後拡張415年、地震、大火による被害など等と続き
ジュスティニアーノ帝により再建設されたのが537年、
その後の修復なども何度かあり、

聖堂内に入る前に横に回ると、
この様に以前の建材が保存されておりました。

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1453年、オスマン・トルコにこの街が征服されて後、聖堂は
モスクに改装され、周囲に4本のミナレット・尖塔も増設。

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入り口脇に清めの泉があり、

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軒下の飾リ文字、装飾と、丸屋根上の飾り。

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これは確か聖堂側の壁際だったと思うのですが、
たくさんの清めの為の蛇口。

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サイトから拝借の図で、この聖堂の大きさをどうぞ。
聖堂中心の大ドームの先までの高さ、55,6m
内部の長さは80,9m  内部のみだとほぼ正方形、3廊式。

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こちらもサイトから拝借の内部の図。 1階部のみですが、 
2.が外にあった清めの泉

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19. 説教壇
20. スルタンの御座所
21. ミフラブと呼ばれる、メッカの方角を示す壁龕
22. 大理石の壷 
24. 2階の回廊への上り坂



たくさんの人で、前廊にあるこの入り口扉の写真が撮れず
サイトより拝借。

皇帝の扉と呼ばれ、かっては多分皇帝のみが使ったものと。
現在は我々庶民もの入り口、ははは。

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上に見えるモザイクと天井のフレスコ画は撮っており、



こちら。 キリストの足元に跪くのは、「賢者」というニックネームの
レオーネ6世帝。 

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なかなか身辺事情がややこしい興味深い方の様で、へへ、
関心のある方、日本語版ウィキ(レオーン6世)でどうぞ。



では内部にどうぞ。 まずモスク独特の、低めに吊り下げられた
たくさんの明かり。

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この中央の大ドーム、そして両側に半球の形で続く小ドーム、
全体に広がる煌びやかな大空間!

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正面奥に小さく見えるモザイク画にご留意を。
       
とにかくたくさんの人々で、広い空間を撮り切れず、
後ほど2階の回廊からの写真をご覧頂きますね。



中央ドームの奥の半球部分、キリスト教教会でいうと
後陣部分に見えたモザイクがこれ、黄金背景の聖母子像。

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聖母のお顔も素晴らしく、shinkaiには子供のキリストが
ちゃんとサンダルを履いているのが可愛く、はは。

こういったキリスト教関係のモザイクは、15世紀にモスクに変換後、
ずっと漆喰で塗りこめられていたといいますが、
近年こうして改めて発掘、姿が見れるように。



中央ドームを支える4隅、支え壁の装飾も黄金モザイクで、
4隅にある天使像の、この部分のみに天子の顔がありますが、
写真多く他をご紹介できず! ちょっとおっさん風で、ははは。

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中央ドームの全体、周囲を40の小窓が囲みます。
周囲の窓から射し込む光に黄金モザイクが美しく煌きます!!

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余りにも大きなドームのため、崩壊したりの修復も重なり、
真ん丸でなく、直径31,24m~30,86mと、ほんの少し楕円と。



正面奥、内陣部手前左側にあるスルタンの御座所。
細かい柄の装飾で囲まれておりますが、足元見えず。

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正面奥、後陣部分のステンド・グラス。

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下にちょっぴり尖がりの屋根が見えますね。
実はこの下が重要だったのですが、写しておりませんでぇぇ!



で、サイトから拝借の写真で、ここにミフラブ・mihrabと呼ばれる
イスラム教のメッカの方角を示す壁龕が置かれていて、

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なぜ目が行かなかったのかと言いますと、言い訳、ははは、
この猫ちゃんがです、一番の主祭壇の部分、人間どもが入れない
その中に座っておられましてぇ、はは。

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shinkaiが撮ったのはブレと後頭部の2枚で、ん、もぅ、
ジュリアーナから送って貰った、寝起きの不機嫌な顔!ははは。
この猫ちゃんに惑わされている内に、先に進まねばならずで。

今回サイトで写真を探しましたら、この猫ちゃんが聖堂内の
あちこちに出没しているのも分り、もう1人、白とブチの子も
聖堂内を縄張りにしている様子!



内部の大理石の装飾では様々な柄が使われ、

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柱頭部、アーチの飾りも大変に手の込んだもの!

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入り口扉の両脇にある様子の、大理石の塊から掘り出したという
大きな壷。 古い宗教儀式で使われた清めの為の水入れと。

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さて、こんなに擦り減った石の坂道を上り、

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かなり薄暗い上り道ですが、2階に。

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素晴らしく広く、高いでしょう?!

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南の窓から燦々と光が射し込みます。
3階部の左の半円窓が、最初に正面から見えた窓ですね。

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丸い額にある飾り文字は、マホメッドと正統カリフ・かっての
宗教政治の共同体の指導者、の名をを記したものだそう。
この額はかなり後期に取り付けられた物のようで、
ちょっと雰囲気にそぐわない、威嚇的な感じ。



床の柄。 大理石と、縁の柄は彩色と。

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上階正面からの眺めと、

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正面東のアップで、
スルタンの御座所、ミフラブ、そして右の細く高い説教壇。

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ほら、2階南側の回廊部は、こんなに幅広く、明るく、

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アーチの飾りもこんな風に良く見え、

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途中にあった大理石の扉。

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イタリア版ウィキの説明によると、教会会議の際にこの扉から入退出、
という様な説明ですが、うろ覚えながら、ガイドさんが言ったのは、
この上階に皇妃とお付のロッジャがあり、
儀式の際にはそこから階下を見下ろしていた、との事で、
その仕切りの扉だったと聞いた様な。



で、この位置に素晴らしいキリストのモザイクがあり、

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このモザイク表現の素晴らしさ、秀逸さ!!
片はかなり細かく、顔のデッサンの確かさに驚きますが、
一方衣服の表現は伝統的で、この辺りが面白いですね。

1度ヴェネツィアで、ロレンツォ・イル・マニーフィコが所有していたという、
コスタンティノープル産のキリスト像を見たことがありますが、
寸法が長辺で20cm位だったかな、のモザイク作品で、
渋めな彩りながら、1片の大きさが1mm四方ほどの大きさ!

それはもう、素晴らしい描写のモザイク画で、
さすが持ち主が持ち主だけの事はある、と感嘆した記憶が。



この壁の向かい合わせだったと思うのですが、
ヴェネツィア共和国第41代総督エンリーコ・ダンドロ・Enrico Dandolo
1205年にこの街で亡くなった彼のお墓があります。

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ご覧のように質素で、名前の部分を残して棺の1部でも切り離した
様な感じにも見えます。 

それに、19世紀になっての聖堂修復の際にこのお墓も調査され、
信憑性に疑問というのも読みました。

が、15世紀にこの街を陥落させ、オスマン・トルコの領土とした
マフメト2世が、ヴェネツィアから呼んだ画家のジェンティーレ・ベッリーニ
をいたく気に入り、1480年と入った、彼が描いた素晴らしい
スルタンの肖像画は、現在ロンドンのナショナル・ギャラリーに所蔵されており、

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その際ヴェネツィア共和国政府から画家を通し、ダンドロの遺骨返還を
願い、スルタンの好意で兜、甲冑も故国に戻ったのだそうで、
現在お墓の碑のみここに残る様子。


なぜここヴェネツィアから遥か遠い地に彼のお墓があるのか、
その説明には1202-04年の第4次十字軍抜きには語れませんが、
塩野七生著「海の都の物語」の上巻にも詳しいので、簡単に。

この十字軍はフランスの騎士連中を主に、ヴェネツィア共和国が
1枚加わった様子で状況が進行しますが、当時80歳を過ぎて
ドージェになったエンリーコ、
殆ど視力を失った身でありながら、鉄の拳と叡智で祖国を導いた、
と言われる狐の彼に、フランス騎士連中はいい様にあしらわれ、

この図は、ギュスタブ・ドレ描く所の、サン・マルコ聖堂における
エンリーコ・ダンドロの十字軍遠征への賛同呼びかけ。

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こうして最初はエジプトのカイロ攻略が主目的だったのに、
同じローマ・キリスト教の地であるアドリア海岸のザーラ攻略、
のちには正統派と宗派は違えど同じキリスト教徒の地である
コスタンティノーポリ攻略という!

こうしてこのビザンティンの素晴らしい都市は陥落し、
富も美術品の類も略奪され、現在ヴェネツィアのサン・マルコ聖堂の
正面入り口上にいる4頭の黄金の馬も(本物は聖堂博物館に)
この時の分捕り品だったとの事で笑いましたが、

騎士連中も領土を得、ヴェネツィアも領土と地中海の各港確保、
という、大きく迂回した第4次十字軍遠征だったわけです。

こういった祖国にとっての大仕事を終えた1205年に、
ドージェ・エンリーコ・ダンドロはこの地で亡くなり、
このサンタ・ソフィア聖堂に葬られ、そのままお墓がここに。
    
彼の肖像は確かかな、というのが見つからず、
一応これをどうぞ。

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広い2階の回廊部で休憩の人々。
壁に残る大理石の色柄が、なんとなし藍染みたいでしょ。

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このビザンティン初期建築の最高傑作と言われ、
後のローマ・カトリックの建築様式にも、モスクの様式にも大きな影響を与え、
16世紀にローマのサン・ピエトロ聖堂が出来るまで、
キリスト教世界ではヨーロッパ最大であったこの聖堂!

正統派キリスト教の大聖堂であったのが、ローマ・カトリックの聖堂
となり、再度正統派キリスト教聖堂、そしてイスラム・モスクへの変換、
さらに最後1931年から博物館となっている訳ですが、

この大聖堂の素晴らしさと威容を目の当たりにし、その歴史の
変遷の重さを考えると、良くぞ1500年近くを無事で残ってくれた、
と思わずにおれません!!



こうして出口から出てくると夕方の陽に変わっていて、正面向かいに
こちらは6本の尖塔・ミナレットを持つブルー・モスク。

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体調を整え、ははは、しっかり根性を入れて後、
またご案内いたしますね!



夕暮れ近い陽を浴びながら、壁際でまだ居眠りの子。
       
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最後は夜の照明の、サンタ・ソフィア大聖堂。
       
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長いお付き合い、有難うございました!


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・ ヴェネツィア ~ イスタンブル  空の旅をどうぞ! 

この気忙しい12月に当ブログご訪問、有難うございます!
でタイトルをご覧になって気が抜けた方、ははは、まぁ、お許しを!
実はサンタ・ソフィーア聖堂博物館を用意していたのですが、
急に予定が詰まり、到底あれこれ読む時間が不足となり、
急遽予定変更を、という次第です。
       
日本からイスタンブールにお出でになる方は、ヴェネツィア経由では
お出かけではないですよね?!
という事で、片道2時間の飛行を往復、ははは、
気忙しい12月ですからこそ、ごゆっくりのんびりお楽しみください!

出発のヴェネツィア、マルコ・ポーロ国際空港ですが、
雨だったっけ?!と写真を見るまで忘れておりましたぁ!

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離陸。 飛行機はトルコ航空、勿論エコノミー席、はは。

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ヴェネツィア空港では、西から着陸、東に離陸で、
今回は東南に向うので、暫くラグーナ・干潟が眼下に広がり、

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この後上空では雲が多すぎて殆ど見えずとなり。



うっすらと海岸線が見え、陸地に。
帰りの機内飛行案内によると、この海岸線はどうやら
クロアティアはイーストゥリア半島南の様子。

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今回は進行方向に向かい右の窓際で、常に午後の光が直射、
色が余り良く出ておらず、ご容赦を!

雲の上をバルカン半島内部に進み、

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見えて来た山、山、また山の険しさに驚きつつ、
白く光る河の蛇行にも魅せられ!

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険しい山にたなびく白い煙、一筋、二筋、そしてまた・・。
何の煙なんだろ? 人が住んでいる?

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いやぁ、本当にこの山々の険しさ、深さ、広さに驚いて
見つめ続けていました。
       
今までも何度かあの辺りの地図を見てはいますが、
東欧圏、ましてバルカン半島辺りには余り関心も持たずですから、
地図を見ても国の名前とか街の位置にしか注意を払っておらずで。
    
が、こうして上空から初めてあの地域を見て驚き、地図を確かめると、
確かにバルカン半島南部は濃い茶の部分があちこちに!
・・しらなんだぁ!



漸くに山々の峰が低くなり、

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大きな湖と流れ出す河2筋。

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蛇足ですが、今回イスタンブルのご案内の為に読んだのに、
       
ミラノからイスタンブルまで、車で行くと何時間かかるか?!

イタリア・スロヴェニア・クロアツィア・セルビア・ブルガリアを通り、
そうです、あの山々を越えるわけ!
イスタンブルまで1972km、405時間!!
さぞやさぞや、走り甲斐があるでしょうねぇ、ははは。

ミラノからイタリアのアドリア海岸を下り、アンコーナから対岸の
クロアツィアのスパラートに渡りそこから陸地を辿ると、
1992km、366時間!

ちなみにかのオリエント・エキスプレスではというと、
1883年に開通した際はルーマニアのGiurgewoまで列車で、
そこから船でドナウ河を下り黒海に出て、イスタンブルに80時間!
1889年に漸くにイスタンブルまで開通し、
列車のままで70時間かかったのだそう。

現在はヴェネツィアからイスタンブルへには平常通っておりませんで、
年に2度だけパリ・ブダペスト・ブカレスト・イスタンブルが走り、
年に1度イスタンブル・ブカレスト・ブダペスト・ヴェネツィアが
あるのだそう。
ですがぁ、ヴェネツィア・イスタンブル間、
8月の末に旅行するとなると、2人で13160エウロですってさ!!
ひぇ~~!

オリエント・エキスプレスのサイト 日本語も選べますです。
http://www.belmond.com/venice-simplon-orient-express/

オリエント・エキスプレス発着駅 ・ イスタンブル
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461093121.html


       
スナック菓子と飲み物のサーヴィス。
往きの便では食事は出なかったっけ?

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平野が広がり始め、

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郊外の新しい住宅地かな、が見え始め、
どうやらマルマラ海に出た様子。

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海の波打つ様子が、ちりめんの皺みたいな!

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漸くに秋色の木々、大地が見え、いぇ~い、着いたぁ!

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着地!

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入管審査に手間取り、いぇ、取調べが厳しかったわけではなく、
単純に入国希望者の数に比して係員の数が圧倒的に少なく!
ぞろぞろと列を作り、文句を言いいい、ははは、

漸くにロビーに出て来て、あちこちから集まってきたグループが、
引率のガイドさんを待っている所。

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一同やっとバスに乗り込み、

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うん、ずっと自分の目で見たいと思っていた
イスタンブルに着いたんだよね!

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あれこれガイドさんの説明を聞きつつ、街中のホテルに向い、



こんなの、あんなのを見つつ楽しんで4日半を過ごし、

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イスタンブルのご案内はこちらから
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460834203.html



さて、あっという間に、ははは、ヴェネツィアに帰る日。
ところでイスタンブルの空港はどこにある?
左の印の所が空港で、右に囲った辺りが旧市街の中心ですから、
はい、かなりありますが、便利な地下鉄が通っている様子。

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こんな新興住宅地の様子を見ながら、空港に。
やはり彩りの、色彩感覚が違いますねぇ! 

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出発ロビー、その広さに驚きましたっけ!

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スペイン ・ マドリッド空港は
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/474113696.html 

韓国 インチョン国際空港にて
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461230228.html



外の風景も見納めに。

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飛行機に乗り込み、そろそろと滑走路に向かい、
アタトゥルク空港ちゃん、さようなら! またいつか会えるかな?

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滑走路。 これなかなか面白い構図が撮れたでしょう?

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離陸し、夕暮れの空の下、マルマラ海を北西に。

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落日。

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機内案内図で、航路を知ります。
イスタンブルを離陸し、ブルガリアを斜めに北西に。

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2時間の飛行ですが夕ご飯が出て、嬉しいshinkai!
チキンにご飯、野菜と、右下はサーモンと野菜のクリーム煮かな、
左下はデザート、そしてビール。
      
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トルコ料理は世界三大料理の1つに数えられるのだそうで、
いやぁ、街で食べたのもどれも本当に美味しかった!
・・想い出の中で、美味しい食べ物は何倍にも美味しくなるのかも!!



バルカン半島を北西に横切り、ヴェネツィアまで後35分ほど。

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お、ヴェネツィアがすぐそこ!

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帰って参りましたぁ。 ただいま、で~す!
      
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旅は、出かけて嬉しく、帰ってまた嬉しいもの。
そしてブログで反復すると、何度も楽しさを味わい返すようなもの!
皆さんにも、楽しんで頂けてるよう、願いま~す!!

       
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・ ガラタの塔から ・ イスタンブル 

遂に今年も最後の1ヶ月、12月に突入しましたねぇ!
こちら北イタリアはまた雨続きになっておりますが、
寒さもそう酷くなく、ただお天気が待ち遠しい毎日。

どこか旅に出たく・・! ちょうどフランチェスコ教皇様がトルコに
4日間のお出かけ。 イスタンブルのサンタ・ソフィーア聖堂博物館で、
などのTVニュースを見て、そうそう、まだたくさん残っていたっけ!

という訳で、3年前のちょうど11月初旬に出かけたイスタンブル・
Istanbulの旅行から、今日はガラタの塔・Torre di Galata
からの眺めをお楽しみ下さいね!

写真は、下から見るガラタの塔。

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参加したツァーは、ヴェネツィア・イスタンブルの往復飛行機、
4泊5日、ホテルは提示された内から選び朝食付き、
市内ツァーは参加したい物を選択、それ以外はフリー、というスタイル。

我ら4人は2回の市内とクルーズ・ツァー以外は、相談しながら
地図を見ながらの街歩きで、オリエント・エキスプレス発着駅、
このガラタの塔、バザール近くの小さな美しいモスクなどを。

もう1度は2人ずつに別れ、私とジュリアーナは博物館に、
もう2人はトプカピ宮殿にもう1度、と大いに楽しみ、
風は強かったもののお天気が続き、今も、もう1度行きたいねぇ、
と話す楽しい旅行でした。
    

   
こうしてこの日の午前、塔に登るべく、今ガラタ橋を渡って来た所。

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ガラタ橋は、釣り人天国 ・ イスタンブル
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461093420.html

オリエント・エキスプレス発着駅 ・ イスタンブル
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461093121.html

n.1 バザールの魅力を ・ イスタンブル
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461092516.html

n.2 バザールの魅力を ・ イスタンブル
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461092849.html



橋を渡った脇のバールのテラス席、顔つき合わす中年カップル。
そう深刻な話ではない様ですが、はは。

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彼らのテーブルにはチャイ・紅茶のカップが見えますが、
後ろにいっぱい見えるのが、オレンジとザクロ。
そう、この生ジュースが美味しかったのよねぇ!



イスタンブルで食べた旨いもの その1~3
 


ガラタの塔は海抜140mの高さにあり、いわば海上に架かる
ガラタの橋からだと、ずっと上り坂!
こんな感じの細い道や石段の道を上ります。

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下の写真、手前に写っている若いカップル、
ブレが残念ですけど、ほら、美男美女なんですよ!



はいはい、まだまだぁ、上って上って!!

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道脇に店を広げるおじさん、

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店先に翻る色柄がとても鮮やかな布。 何に使う布だろ?!

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道脇の隙間から見えるモスク。 我らは上階の高さを歩いているよ。

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小さな広場の角、かっての泉に今は水道栓が。

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ああ、やっと! もうちょっとだぁ!!

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3年前はまだ仲間との歩き会に参加しておらず、旅行の時に写真を
撮りつつ歩くのは、かなり大丈夫だったものの、
こんな坂道をせっせと休みなく歩く、のはきつかったぁ!

で、2年前から歩くようになると、やはり違うのですね。   
ヴェネツィアを歩きで結構往ったり来たりしてもそう疲れない、と
自覚できるようになり、仲間の若手の方ですから、ははは、
簡単に負けてはおれずで、今はお陰さまで、大分歩けるように。



塔の周囲を小さな広場が取り囲み、はい、ここが入り口。

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切符を買いエレベーターで上に。 8階になるのか、バール・レストラン兼
ナイトクラブがあり、その周囲を狭い見物テラスが囲みます。

塔の高さは、1番上にある金色の飾りも含め66,9m、直径は8.95m 
壁の厚みは約2m弱と。

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このガラタの塔は、イスタンブルのガラタ地区(バイオール)にある、
城壁要塞の一部として、ジェノヴァ人が1348年に建設した物と知り、
そうなるとやはり実際に見たかったのでした。
      


地図をどうぞ。 下側がイスタンブルの旧市街、コルノ・ドーロ・金の角
と呼ばれる、人口は1400万人を超す大都市のこれはほんの一部で、
 
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上から突き出す形に見える部分、今も通称ガラタ地区と呼ばれる地区で、
一番上に囲ったのが今日見て頂くガラタの塔、そして見えるこの部分が
かってのジェノヴァ共和国の植民地(1273-1453)
最初は商人達の移殖から始まり、そして植民地に。

ビザンティン帝国内に入り込んだ形の植民地で、この地区をぐるっと
囲む城壁の要塞の一部としての塔だった様子。

下に延びる橋がガラタ橋で、下側に突き出す右の広い部分がトプカピ宮殿、
すぐ南側にサンタ・ソフィア聖堂博物館、それに続いてブルー・モスク。



もう一つサイトから拝借の小さな地図を。 イスタンブルの街が、
まさにヨーロッパとアジアの接点に位置している事がよく分ります。

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トルコの国としては、西ヨーロッパ側にほんの少し延び、
東側アジアに広大な領土が広がる事で、現在の首都はアジア側の
アンカラに移っていますが、私めはイスタンブルの小旅行のみで。

ヨーロッパとアジアの間を流れるボスフォロ海峡、その源には黒海があり、
ボスフォロ橋が見えますが、現在はもう1つ北に第2のボスフォロ橋が。

私はこの第1の橋を日本企業が架けた、と思い込んでいましたが、
第2の橋の方を日本が架けたのだと、今回知り!
あの時のクルーズで仲間もそう思い込み、あんたの橋よ、と
言ってくれてたのも、はは、早とちりでしたねぇ。
       
地図に金の角・Corno d'oroとある部分が、上の地図部分で、
右端ガラタ橋に緑の点を打った場所がガラタの塔。
ボスフォロ海峡から南のエーゲ海に至るマルマラ海が広がります。



さてお待たせいたしましたぁ、 ガラタの塔の上から360度の眺めをどうぞ!

まずは東に広がる建物群、結構間口の狭い細い建物が多いでしょう?
歴史の古い土地柄によるのかもしれませんね。

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目を右に移すと海峡側で、紅葉が始まっていて、

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これが第1のボスフォロ橋。 長さ1510m、幅が39m、車両専用。

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この橋はクルーズが終わった後、バスでアジア側から渡ったので、
またのチャンスにご覧頂きますね。
       
ボスフォロ海峡、黒海とマルマラ海を繋ぐこの海峡は、
長さが31,7km、幅が550mから3kmなんだそう。



突然ですが、ははは、塔の上で偶然に会って写した男性、
ちょうどこの角度位でしたので。
       
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イスタンブルで出会った人びと
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/474373187.html



また少し右に角度をずらし、
       
右中程に突き出している先が金角湾の向こう岸で、
写真上がアジア側、マルマラ海。

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この突き出した先からガラタ地区に向け、金角湾の守備の為に
出入り口を塞ぐ形で、戦時には鎖が張られたのだそう。



上の写真で小さく突き出していた部分、あの高台に見える
広大な部分がトプカピ宮殿。

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1453年にオスマン・トルコの前に東ローマ帝国が陥落以降、
19世紀中頃に至るまでの、代々皇帝の宮殿でした。

仲間の2人エレオノーラとヘルガは、ハーレムがツァーでは
見れなかったので、出直しましたが、良く見れなかったと、ははは。
いやぁ、余りにもでかすぎて、おまけに祭日と重なり、凄い人出で、
トプカピ宮で何を見たのかよく覚えていないのが正直な所。



南に向き、金角湾の対岸と、渡ってきたガラタ橋。

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左から見える大きなモスクが、サンタ・ソフィーア(アヤソフィア)

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そして、スルタンアフメト・モスク(ブルー・モスク)

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上の写真で、この右に続く大きなのが特定できず、
とにかく、いっぱいいっぱいあるのですよぉ!



逆光に光るガラタ橋。 橋の左袂に見えるのが、イェニ・カミ・モスク。

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塔の足元、歩いてきた辺りを見ると、
       
屋上にカフェ席があり、皆さん、のんびりとお茶を楽しまれていて、

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徐々に目を移すと、ほらね、ガラタ橋の釣り人も見え、

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その右側には、聖ピエトロとパオロ教会。
元々はドメニコ会派の教会でしたが、15世紀後半モスクに、
そして19世紀に今の形に再建されたものだそう。

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家々の瓦もこうして上から見ると、平板な形なのが分り、
面白いですね。



楕円形の古い塔が見え、屋上にあった家が朽ちていますね。

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そう、古い塔の方は頑丈で、はは、新しいのは住む人がいないと、
すぐに雨水が入り込み、木が朽ち、天井が落ちるのですね。
       


ガラタ橋の北側にかかるアタトゥルク橋、
そして奥に大きく聳えるのが、ファティFatih・モスクと。
       
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モスクの名がもし違っていたらごめんなさい。
ガイド・ブックがどこかに紛れ込み、分らないのがもう1つ!



そしてもう1つ先に架かる橋、第1ボスフォロ橋から街の北をぐるっと
迂回してここに出て来る来る車専用橋。
名前が読めまへん、いや、発音できませんで、はは。

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いやぁ、こうして見ると、本当に大きな街ですねぇ!!


塔の足元、北側を。
    
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そうそう、塔の見物の後、あの大きな国旗の向こうまで歩き、
近辺をあっちこっち歩き回り、まだその後仲間達はガラタ橋を
渡って戻る、というので、
か弱いshinkaiは到底ついて行けず、タクシーで1人でホテルにね。
後で聞くと、連中はまたトプカピ宮殿の近くまで行ったとか!!
恐るべし、イタリア女のヴァイタリティ!!



塔の上から眺める、足元の小さな公園。ヴァイオリン演奏を楽しむ人。

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日向ぼっこを楽しむワンちゃん達。

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という様子の一回り、お疲れ様でしたぁ!



最後は煌びやかな夜のガラタ橋とガラタの塔。

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そうそう、イスタンブルと姉妹提携しているイタリアの都市は、
ヴェネツィア、そしてフィレンツェですが、日本は確か下関が。
昨年の春の日付で、ジェノヴァとの提携がだいぶ進み、
夏頃には、という記事をサイトで見ました。
       
そうですよね、こんなにもイスタンブルの歴史に加わった
ジェノヴァが、まだ提携がない、というのがおかしな位ですよね。
また追加ニュースを調べてみますね。


*****

お陰様で、12月の最初で、ブログ10周年を迎える事が出来ました!
皆様、本当に有難うございました!

最初は5年ぐらい続けられるかな、と始めたのですが、
だんだんと深みにはまりまして、ははは、あれこれ大変と思いつつ、
でも大いに楽しみながら、せっせと頑張っております、です。

皆さんに自分が見てきた場所をご案内、と言いつつ、
実は自分が知りたい事を調べ、何を見て来たのかを知る、
という、考えてみれば自分の為のブログみたいなもので、はは、

本当にこの10年間は、自分の新しい楽しみと共に、
生まれて初めて自分の知りたい事を大いに勉強してきた様な、ははは、

写真を撮ることも、整理する事もあれこれ知り、
イタリア語で読んで知る事も覚え、書く事にも徐々に馴染み、
       
まさに私にとっては、最高の10年間だったと思います!!
お付き合いくださり、教えて下さり、応えて下さり、
本当に有難うございました!!
皆様に心から感謝です!!

そしてまだもうちょっと、ははは、元気な間は勿論、
続けさせて頂きますので、

今後とも、どうぞ、よろしくよろしくお願い申し上げます!!
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