・ ピエンツァの夜散歩 と 朝靄の風景 

今日ご覧頂くのは、ピエンツァの夜の風景、それも雨振り、と、
早朝の靄のかかった平野の風景を。

小さな町の中心を抜ける1本道、とご説明も少なく、ははは、
夕食後にひっそりとした道をのんびりと散歩、そんなおつもりでお楽しみを。

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早朝の景色は朝ご飯前のまだ朝靄のかかった時間で、ピエンツァに
行かれても、この時間はまだお休みでしょうし、
はい、暇なshinkaiが、ははは、お目にかけますです。

トップの写真は、町の壁のすぐ外のホテルから来た1枚で、
ちょうど9時頃だったと。

昼のピエンツァのご案内は
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461453714.html       



ピエンツァ・Pienza の町の中心を抜けるコルソ・ロッセリーノ・
Corso Rossellinoの東端に1軒トラットリーアがありますが、他は入り込んだ
広場にのみで、他のお店も既に閉まっていて、明かりの付いた店内だけが、
ひっそりと覗けます。

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どっしりと重い扉と、壁。

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トスカーナのアイディア、と書かれたのが見え、

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オリーヴの葉がデザインされたパッケージの、陶器や石鹸、
化粧品類。 自分へのお土産に最適かも、ははは。

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そのお隣の店だったかな、夜の暗さにちょっと妖艶・・!

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奥の通りを曲がりかける人の姿が見えますが、後は殆ど人通りがなく、
・・ええ、ほっつき歩くのは、ほぼ一名、ははは。

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街灯はこんな形。
写真はかなり明るく撮れますが、実際はも少し暗いかな。

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ピオ2世広場に近く、2軒隣り合って明かりが付き・・。
左は骨董品店、右はバッグとか服飾品だったと。

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そして照明されたドゥオーモ。

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よくよく見ましたら、鳩が3羽ほど飾りにつかまり寝ているのです。
・・夜電気を消すと寝れない鳩もいるんかいな?!



広場の西端の井戸。 今回初めて井戸の基礎石が、ピッコローミニ邸の
下段の石に食い込んだ造りになっているのに気が付きました。

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ピッコローミニ邸と、井戸の円柱を繋ぐ支えもあり。
で、shinkaiにしては少し凝ってこんなアングルで!

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ドゥオーモの側から、右向かいのコムーネのロッジャを。
   
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如何にも人気のない町の夜の様子ですが、
広場のここはバールがあるので、まだ人々が寛いでいて、
ロッジャでは、女の子達が携帯を見ながら騒いでいて・・。



バールの前の人々。   手振れご容赦!

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ピッコローミニ邸とドゥオーモの間を入っていくと、
こんな半円の井戸もあり、    またまた手振れ!

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この井戸がも一つ奥側にあり、後ろを削ったようなおかしな形。

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雨降りでしたが、特別大降りではなかったのですが、この井戸の底から、
物凄い大きな水音がするのです。
ガランゴロン、ゴボッゴボッ、ゴラッゴロッ・・!!
ドゥオーモの雨樋の水が流れ込むのか、反響して凄い音! 暗い道の奥で
一人で聞くにはちょっと恐ろしいほどで、ははは、早々に退散しましたっけ、
はい、恐れのshinkai。


煉瓦敷きの道、ちゃんと柄になっています。

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緩やかな道を辿り、戻ります。

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ささやかな壁と扉、昔の鉄具がそのままなのをご覧に。
左上はよく見る形で、これはちょっと高い位置で、
かっての馬つなぎで、右端のはかなり低い位置!

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扉の右にあるのは、下に小さな蝋燭立てがつき、その上に見える
丸い輪の形は、細めの松明用なのかな?
馬つなぎの輪は場所によっては、ずっと使われた挙句に輪の跡が壁に
食い込んだ様になっているのもよく見かけ、石の文化の名残だなぁ、と。



町の東の端近くから、振り返り・・。

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ちょうど車が通りかかり、角のトラットリーアの植え込みが
明るく照らし出され。
   
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・・さて、ホテルに帰ろ。



翌朝、朝食前にカメラを持って、城壁に沿っての道に。
左の小山の上にうっすらと見える町、一番上に塔も見える、
あれがモンティッキエッロ・Monticchiello の町。

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町に向かう山腹の道が見えますね、あの道も通ってみましたが、
ひっどい部分がありましたっけ!

モンティッキエッロの町の以前のご案内は
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461364302.html       



こちらはもっと北側。

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そして南。 城壁内の道から。
この道はピエンツァに南からやってくる道。

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真ん中のカーブの左に、細長くはみ出している部分が。
あそこはです、車を止め、ピエンツァの町を仰ぎ眺めるのに
最適地で、ああいう一時停車用があちこちにありますです!



上の写真の少し手前部分。
真ん中少し下に細い道が通っているのが分りますか?
あの道を入っていきまして、素晴らしい平野を見ましたっけ!
またご覧に入れますね。

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こちらは少し西側の眺め。
奥に見える特徴ある山のはモンテ・アミアータ・monte Amiata。
手前に何度もカーヴの道は、サン・クイリコ・ドルチャから。

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こんな風に近づいて来ますが、

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部分のアップをどうぞ。

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は~い、この道も通りましたので、またご覧に入れますぅ!

サン・クイリコ・ドルチャの町
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461279240.html       


今回オルチャの谷周辺の道をあれこれ辿りましたが、
パノラマの道、ハイキングに最適、トレッキング用等と案内があり、
様々に眺めの良さの違いはあるのですが、
私めの好み、絵にもなる道、風景となると、ピエンツァ周辺がやはり宝庫
であるとの結論です。 そして、アシャーノ周辺でしょうか。
      
ですが、写真のモチーフとなるとまた別でしょうしね、
ぜひオルチャの谷に、トスカーナの美を満喫しに、
お出かけをお勧め致しま~す!!
     

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◆ 個展のお知らせ ◆

我が絵の師であり友人の二木(フタツギ)一郎さんが、
ながの東急百貨店において、長野初の個展を開催中です。

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長野生まれの私と違い松本郊外出身の二木さんは、
長野に行かれることも本当に久し振りなのだそうで、
そういう私めも、半世紀以上経っての昨秋の訪問でしたが、
ながの東急百貨店における二木さんの初の個展は、
そんな私にとっても大変嬉しいもの!

広い5Fの別館シェルシェ会場で特選秀作絵画展が開かれ、
同時に二木さんの個展もで、多数の作品が展示の様子です。

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どうぞ、お出かけ、ご高覧下さいますよう、
ご案内申し上げます!
新作の写真、長野への想いは、こちらの彼のブログでどうぞ。
https://blog.goo.ne.jp/futa2560/e/444f1960aa41f509377bf82738465cea

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それもご了承下さいませ。

・ モンテ・ディ・ピエタ(公営質店)と、革装飾の部屋 

先回に続きトゥレヴィーゾのご案内ですが、今日は少し毛色の違う、
いや、猫ちゃんのお話ではなく、はは、
かっての貧しい庶民相手の公営質店内部の様子と、
その奥にあった素晴らしく豪華な革装飾の部屋を!

つまりです、その取り合わせの妙にも驚きましたが、サイトで調べていて、
革細工の素晴らしい部屋も他に見つけましたので、最後にご覧頂きますね。

写真は先回申し上げた通り、キメが粗いイマイチのでご容赦願い、
私のよりも分りやすいグーグルのストリート・ヴューのも拝借し、
ブログ・アドレスの入っていないのが、サイトからお借りした分です。

写真は、トゥレヴィーゾの街の中心にある正面がパラッツォ・デル・ポデスタ・
Palazzo del podestà.

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15世紀末建設の執政長官邸と市の塔で、右がパラッツォ・デイ・トゥレチェント・
Palazzo dei Trecento・12世紀建設で、一帯が政治文化の中心でした。
建物同士の角に見えるアーチをくぐると裏の広場に抜けれますが、



グーグルの衛星地図をどうぞ。上の写真は下のシニョーリ広場からですが、
レストランの印のある下のアーチを抜けると、
緑色の印をつけたモンテ・ディ・ピエタ広場に出ます。

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広場の西1の印の2階に、今日ご案内のモンテ・ディ・ピエタがあり、
同じ建物の1階はサンタ・ルチーア教会で、教会入り口は北の丸印に、
2の建物はサン・ヴィート教会で、入り口は北と西にあり、サンタ・ルチーアの
内部と繋がっているという、この辺りちょっとややこしい構造です。



パラッツォ・デル・ポデスタの北側のモンテ・ディ・ピエタ広場には、
ご覧のようにカフェのテラス席が3つほどあり、突き当たりに見えるのが、
今日ご案内のモンテ・ディ・ピエタ・Monte di Pietà.

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こんな感じで入り口。上にはキリスト像も見えますが、
現在はウニクレディト銀行の持ち物。

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ですが入り口を入った所には受付があるのみの狭さで、上の階に上がった奥には
事務所もある様子でしたが、普通の銀行業務はしておらず、広告関係のみとか。
つまり銀行業務に関連した博物館を持っている、とでも。



広場の端、入り口の斜め前にもこんなキリスト像。
       
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まずモンテ・ディ・ピエタ・Monte di Pietàのご説明を少し。
上のタイトルに「公営質店」と書きましたが、このモンテ・ディ・ピエタというのは、
日本の質店とは設立の由来が少し違うのが、まず特徴でしょうか。

キリスト教の教えにおいて、お金を貸して利子を取る、金貸しで儲けるというのは
大変な罪悪の一つで、中世においてはその事業に携わる者は地獄行きの教え!

が、経済の発展により都市生活者も多くなり、小口のお金を求める一般庶民も増え、
そんな必要から金貸しも増えたわけですが、キリスト教の教えが根本にありますから、
これに関係のないユダヤ人の金貸しが幅を利かせ、時に高利貸しという事になります。

ユダヤ人は不動産所有を認められず、数少ない許された業務の一つが
金貸しでもあったのですね。

ところが利子が高くなる、時に20%という記述もありましたが、我が町コネリアーノの
ユダヤ人の歴史を調べている方の話では、時に25%にもなったそう!

そんな様子を見ていて、ユダヤ人の金貸し排斥に立ち上がったのが、
主にフランチェスコ会派の中の一派で、
都市の庶民相手の質店、儲けを目的としない質店を、タリアにおいては
大体15世紀半ば以降に設立します。

質草は、貸して欲しい金額の少なくとも3分の1以上の値打ちである事、
利子は大体5%、時に6%~10%の所もあり、お金を返す余裕は1年間、
それを過ぎると競売にかけて売ったのだそう。

というのが、ここでお話しするモンテ・ディ・ピエタの設立動機で、
聖職者が始めた、儲けを目的としない質屋ですね。


という事で、入り口にキリスト像が掲げられていたりの理由もお分かりと
思いますが、まずは内部の様子をご覧下さいね。

銀行の入り口からすぐ階段を上に上がった所で、これは部屋の中から逆に
奥の階段の位置を見ていて、廊下は敷石の重厚なものですが、
部屋の中はちびた木の床。

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長方形のさほど広くもない部屋の正面にあったフレスコ画。
ここだけ残したのか、残ったのか・・。

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右手の壁にあった絵、作者名も聞きましたがぁ・・。

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小さな秤。 2つあったうちの1つ。

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この部屋の右手奥にもう1つ小部屋があり、部屋の入り口の上に刻まれた文字。

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友人のジュリアーナにも訊ねましたが、読めない、意味不明の言葉が2つ程あり、
要は、出納係りの書付とXXの立会いなしの預けは無効、と。



奥の小部屋の隅に、手洗いの泉があり!
水盤には1557の年号が刻まれ、上にはトゥレヴィーゾの紋。

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こちらの隅に、こんな急な細い階段があり、

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上がった上奥の暗い小さな、いわば金庫室は、木張りを施され、
左手奥にこんな棚があり、貴重品類が収められていた様子。

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つまりこういう貴金属、貴重品などを触った後は、手を洗った、という訳ですが、
この金庫室はサクレスティア・Sacrestia・聖具室と呼ばれます!



最初の部屋の左手に入ると驚くばかりの、こんな装飾の部屋で、
ラ・カペッラ・デイ・レットーリ・La Capella dei Rettori・
長官達の礼拝所、とでも・・!

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奥は半円形で天井部分も半球で、まさに教会の後陣風ですが、
壁の部分をびっしりと革細工が覆っていて、



天井部のフレスコ画はフィゥミチェッリ・L Fiumicelli、16世紀ですが
かなりの修復を経ている様子。
天井のすぐ下の油絵はポッツォセッラート・L Pozzoserrato、17世紀。

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この2人の画家はどちらもトゥレヴィーゾを中心に活躍した画家で、コネリアーノにも
彼らの作品が残り、フィゥミチェッリの作品は、現在ホテルとなっている
元のモンテ・ディ・ピエタの建物の正面壁画で、ドゥオーモの正面上部の壁画が
ポッツォセッラートの作品と。

n.1 チーマ・ダ・コネリアーノ展 ・ コネリアーノの町
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463847804.html

n.2 チーマ・ダ・コネリアーノ展 ・ コネリアーノの町
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463848078.html



天井部の豪華さをどうぞ!

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天井の梁に施された極彩色の模様と、

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その下の、なんと呼ぶのでしょうか、漆喰と金塗りの文様、

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そして部屋の窓側の様子。

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これが周囲を囲む壁の様子で、革に赤色と、金、銀での装飾で、
この柄が左右の壁を覆います。

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金銀の部分には打ち込みの柄が入り、1枚の革の大きさは、今考えると
50x60cm程でしたか、継がれて、壁面全部を覆っているのですね。



正面の奥は、上部がこの革の柄で、下側は革ではなく、フレスコ画だったと。

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とにかく始めてこんな革装飾を見て驚きましたが、ヴェネツィアのドゥカーレ宮にも
革装飾の部屋があるが、ここまで手の込んだ素晴らしいものではない、とも聞き、
箪笥なども革で装飾したのがあるのだ、とも。

もうちょっと詳しく知り、確かめるべくあれこれ検索し、はは、
ここの革装飾は、スペインのコルドバ製のものである事を知りました!
さぞやお高いものであったことでしょうねぇ!!

革装飾はヴェネツィア独特のもの、なんぞとも聞いたのですが、ウルビーノの
ドゥカーレ宮にもあることや、革を使う装飾はかなり広まったものの、
いずれにしても高価なもので、一般庶民のものではなかったと。

ヴェネツィアもウルビーノも、どちらのドゥカーレ宮の革装飾の部屋の写真は、
サイトでは見つけることが出来ませんでしたが、
代わりに、ヴェネツィアにある素晴らしい部屋を見つけましたので、最後にご覧を。


部屋の外、廊下の様子を。
すぐ傍らに、こんな厳しい鉄の格子戸があり、中に見える扉が、
あの皮装飾の部屋の扉なのかどうか・・?

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ここトゥレヴィーゾのモンテ・ディ・ピエタが設立されたのは1462年といいますが、
公的には1496年だそうで、16世紀には現在のサンタ・ルチーア教会の方にも伸び、
最終的には入り口前の広場の北側に、翼廊式に建物が伸びたという繁盛!
あの豪華絢爛装飾の部屋を見れば、一目瞭然ですよね?!

そうなのですね、いくら儲けが目的でないとは言え、利子を取り、元金回収が
ない場合は競売で売るわけで、巨額の富が集積されたであろう、と思われます。

モンテ・ディ・ピエタの歴史を読んでいると、
係りが横領の現行犯で捕まる、 泥棒が入り大金を盗む、資本金の半分が消え
永久に閉鎖、高位聖職者と管理人が金庫を持って逃走などなど、
お金に纏わる笑えるお話もいっぱい!

そうそう、資本金はどうやって都合したのかですが、
まず、お金持ちの寄付、そして家に大金を置かない為にモンテ・ディ・ピエタに預ける、
というのもあったそうで、
そうすると、泥棒の心配も、貧乏人に寄付する心配も要らず、はは、
必要な時にはいつでも引き出せる、というちょっとした銀行代わり。

そしてshinkaiが大笑いしたのは、贖罪の為に払う、というのですが、
この贖罪の中には日頃の罪のみならず、非嫡子を嫡子に認めるとか、
近親相姦の罪をあがなう、というのも!
はい、聖職者というのは、人の弱みを良く知っておられますですねぇ!!


所で、モンテ・ディ・ピエタは町中に、都市生活者の為に、日頃の生活の糧の為の
小口の資金融資が目的で設立されたのですが、
勿論、質草になるのもある、という読みでして!

では田舎の貧しき者、農業者への救済はどうだったかというと、
こちらにはモンテ・フルメンターリオ・Monte frumentarioというのがあり、
種籾を貸し出しており、ウンブリアのノルチャ、アッシジにもこの建物が残ります。

これについては、パドヴァの項で触れておりますのでどうぞ。
n.2 パドヴァ ・ 黄金の世紀 の 1
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462330115.html



これは、新しい翼廊の方にあった壁画で、 
扉に見えるDIREZIONE・ディレツィオーネは、本部、局長室とでも。

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この壁に見える十字架と、元の屋根の形が残るのは、現在西隣に隣接する
サン・ヴィート教会の元の壁と。

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鉄の金庫、かな。
こういう場所で見る、こういう金庫は、一際趣きと実感がありますねぇ!

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廊下の突き当たりの窓から見る、北のサン・ヴィート広場。

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正面のこの建物はどうやら古い様式で建てられた、新時代のと思うのですが、
そのせいか、何の建物なのかどこにも名前が見つからず・・。
       
でも、青空が見えてちょっとホッとする感じ、ははは。

ここのモンテ・ディ・ピエタの活動は19世紀になるまで続きますが、
当時この北イタリア一帯を治めたナポレオン、そしてオーストリアの時代になり
非難攻撃された事から大幅に活動を減らし、遂には預貯金銀行に鞍替えしたとか。



という事で、元のモンテ・ディ・ピエタの見学を終え、裏のサン・ヴィート広場の方に。
階段が見えるアーチから出て来て、今両脇を広告写真に挟まれて見えるのが、
サンタ・ルチーア教会の入り口。

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上に並ぶ窓がモンテ・ディ・ピエタの窓で、上から広場を見た窓は一番右の
アーチ型の窓で、その右側は、サン・ヴィート教会の前のポルティチに。



所でサイトで見つけた素晴らしい革装飾の部屋ですが、ヴェネツィアのどこにあると?
カ・ヴェンドゥラミン・カレルジ・Ca' Vendramin Calergi、大運河沿いの現在は
カジノ・ディ・ヴェネツィア、リヒャルト・ワーグナーが住んだ事でも有名なあの邸宅で、
写真がちょっと小さいのが残念ですが、どうぞ!

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クオーリ・ドーロの部屋・La Sala Cuori(Cuoi革) d'Oro
と呼ぶそうで、やはり金を使ったタペストリー風の芸術品で、15~17世紀にかけ
大変流行ったのだそう。



そしてですね、ここで結婚式が挙げられるのだそう!
http://www.wedding-venice.net/Wedding-in-Venice/sposarsi-a-venezia-a-ca-vendramin-calergi.html

テーブルの置かれた同じ部屋と、他の重厚で美しい部屋の写真をどうぞ!

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という事で、モンテ・ディ・ピエタの少し重い内容も、ヴェネツィアの美しい部屋で
終える事が出来、shinkaiもちょっとホッ! でした。


◆ 個展のお知らせ ◆

我が絵の師匠であり友人の二木(フタツギ)一郎さんが、
ながの東急百貨店において、長野初の個展をされる事になりました。

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長野生まれの私と違い松本郊外出身の二木さんは、長野に行かれることも
本当に久し振りなのだそうで、
そういう私めも、昨秋が半世紀以上経っての訪問でしたが、ははは、

今回ながの東急百貨店における二木さんの初の個展は、そんな私にとっても
大変嬉しいもの!
広い5Fの別館シェルシェ会場では、特選秀作絵画展が開かれ、
同時に二木さんの個展も開催で、多数の作品が展示の様子です。
       
どうぞ、お出かけ、ご高覧下さいますよう、私からもご案内申し上げます!

新作の写真、長野への想いは、こちらの彼のブログでどうぞ。       http://blog.goo.ne.jp/futa2560/e/444f1960aa41f509377bf82738465cea


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・ トゥレヴィーゾ ・ 新緑の候、運河沿い

2週間近く前、友人達と一緒にトゥレヴィーゾに出かけました。
仲間の一人にトゥレヴィーゾ・Treviso生まれがいて、ちょっと珍しい場所に
案内出来るよ、という計画にのり、都合8人で出かけたのでした。

で予約なしでは見れない銀行の、素晴らしい革装飾の室とか、
まだ入った事の無い教会も3つ、見ることが出来ました。

街中を何本も流れる運河の流れが目にとても心地よいトゥレヴィーゾなので、
まず今日のご案内は、爽やかな運河沿いの風景を!

これは我が町コネリアーノから出発前、駅ホームから見る町並みと山の上の
お城の塔。 たまたま金曜日で、手前には市の店開きの様子が見えます。

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ただ今回の写真はです、・・最初にお断り言い訳で、大幅に修正したのですが、
イマイチなので~す!!

と言うのも、暫く前にちょっと書きましたが、最近、今更にカメラの使用説明書を
開いたりしているのですがぁ、で、ISO設定をカメラが自動で、という機能を知り、
このトゥレヴィーゾ行きの日に試したのですね。
       
この最初のコネリアーノの一枚は何とか良いですよね?
なのでそのままずっとISO自動設定で撮り、途中教会の中で、ふむ、余り良く
機能しないな、とは思いつつ、まぁ、横着shinkai、一日をそのままの設定で。
それに、あの日は皆の歩くペースが素晴らしく速く、撮ってはいつも追いかける、
という感じで、見直す余裕も無く・・!

ところが戻って見直して、がっかり!! いつもはお天気加減、影、室内、
教会内などと大雑把なりに自分で設定しているのですが、
このISO自動設定という機能だと、設定できる最大限、
私のカメラだと3200ですが、殆どをこれでやっつけているのですぅ。

とどうなるか、ご想像ください! シャッター・スピードが速くなり、ブレは無いものの、
キメが大変粗くなり、おまけに露出不足加減、発色悪し・・!!
ああ~~ん!

てな事で、盛大に明るくし、ピンも絞り、色も付け、と頑張りましたが、
切れも色もイマイチの写真となりました。
・・ああ、あんなに良いお天気だったのにねぇ! 勿体無い!
       
そういう事で、トゥレヴィーゾには敵討ちにまた行きますが、ははは、
今回ともう1回分は、どうぞ、お優しいお気持ちで見てやっておくんなまし!

街の以前のご案内はこちらに、1と2を。 説明などもダブらないようにしますね。
n.1 トゥレヴィーゾ ・ Treviso
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462521537.html

n.2 トゥレヴィーゾ ・ Treviso
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462522259.html



コネリアーノ・トゥレヴィーゾ間は約30分で到着、駅前から中央に向かい、
シーレ川・Sileを渡る橋。

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街の地図をどうぞ。
今回は運河の風景に絞りますので、川の流れの良く分かるのを。
街の中心部は現在ぐるっと国道に囲まれていますが、この内側に濠があり、
その内に城壁があるとお考え下さいね。

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シーレ川が街の南を西から東に横切り、北の中程から流れ込むのがボッテニーガ川・
Bottenigaで、四角く囲った位置に水量調節の堰があり、
ここから3本に分かれた運河が街の中心を抜け、城壁脇の濠を通り、
南のシーレ川に注ぐ、という様子です。

南に駅があり、赤い四角のしるしを付けた所が上の写真で、
真ん中のパラッツォ・デイ・トゥレチェント・Palazzo dei Trecento周辺が
一番の街の中心。
今回の一番の目玉は、このパラッツォの北裏にあるかっての公営質店
モンテ・ディ・ピエタ、現在は銀行ウニクレディトの上階でしたが、次回ご案内を。

・・次に見れるチャンスがそう簡単に、とは思えませんので、
これは少々写真が悪くともと、はは、ご容赦を先に願っておきますです。
       


さて駅近くのシーレ川に戻りまして、
ここの眺めは本当に、いつも心が晴れるような素晴らしさで、

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カモ達が、だいぶ大きくなった子供たちも一緒に泳ぎまわり、

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流れに沿い少し進むと、街中とは思えないこんな深い木立もあり。

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サン・ニコロ教会に寄りましたが、管理人が出て来て話し始め、
時間がないというのに、内陣の中にまで入らせてくれ・・!

駆け足で約束の銀行に行くのに、ドゥオーモの横を通り、始めてみた道のモザイク!!
道の真ん中を丸く大きく掘り、周囲から覗く感じで見れ、やっと脇から3枚だけ。

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アクイレイアのドゥオーモのに良く似ていますが、・・やはり再訪問しないと!!

アクイレイア・Aquileia と グラード・Grado
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463998126.html

アクイレイア ・ ローマについで栄え、そして衰退の町
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462970421.html 
     
n.2 アクイレイア と、 アルティーノ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462970554.html



銀行の部屋を見学後、北西方面に小路を辿りますが、お昼前とてあっちもこっちも
レストラン、トラットリーアが準備中で・・、お腹がへったぁ~と喚くshinkai!

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トゥレヴィーゾという街の名を直訳すると、3つの顔となりますが、市役所の近くの
小路にあるこの像、トゥレヴィージ・Trevisiと、文法的に正しい名前!

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幸せ、驚き、悲しみと3つの顔という、何か良く分からないまま一応、街のシンボルと。



何度かご覧頂いてますが、ここはやはり美しく、ブラネッリ運河・Branelliを。

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街の地図でみて頂いた3本の街中を通る運河の、真ん中がこのブラネッリ運河で、
東側がカニャン・グランド・Cagnan Grando、西側がロッジャ・Roggiaと呼ばれます。

トゥレヴィーゾの街の中心は、住民の許可車以外は通行中止区で、街のど真ん中と
なるこの一帯も殆ど車が通りません。 まぁ、道も狭いので妥当な措置とは思いますが、

歩行者がのんびりと、お年寄りがゆっくりと買い物袋を提げて歩く姿も多く見られ、
道脇の運河には水鳥たちが餌を漁るという、人口8万を越す街としては、素晴らしい姿。



少し北に行った所のフランチェスコ橋の脇、カニャン・グランド運河が通りますが、
通路に沿って、トラットリアーアのテーブルが並び、

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お昼のメニュー、プリモ(パスタ類)と、野菜のビュッフェ・スタイル、
お水とカフェで12エウロ!
       
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ここ良いじゃなぁないの!と食いしん坊が騒ぎますが、その内に食べれるからね、と
敢え無く返り討ちに・・。



橋の上から東側を。 正面の建物の下を、運河が潜って流れて行きます。

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この反対側には、大きな水音を立て水車が回っていて、



ぐるっと北方面を回ってこの広場に。 毎日ここで開かれる野菜果物の屋台と、  
反対側にはチーズ・ハムの屋台車。

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桃、スモモ、イチゴ、後ろには野菜類。 大きくぷっくり熟れたサクランボを買い、

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広場の端の水道で洗い、皆で平らげます。
こんな花鉢で埋まったバルコニーを見上げながら・・。

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先ほどのカニャン・グランド運河が広場の南を流れ、脇にあるフレスコ画のある建物。 

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この右側が中ノ島となっていて毎日魚市場が開かれますが、この一帯は野菜の屋台も
店も多く、市民の中央市ですね。



さて、漸くにお昼にありつきます! それが以前通っていた画材店の隣で、始めて入り、
中年のご主人が、適当で良いか、と人数分を見繕い、

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出てきたのが、ははは、これ!!
直径50cmはあろうかという大きな丸い俎板の上に、

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カナッペ式にアスパラガス、茸、ハム類、チーズ、海老にアンチョヴィー、タラ、
卵焼き、丸いのは肉団子と、てんこ盛りに出てきまして、ははは、皆大満腹!
shinkaiはビールもね、勿論! 8人分を7人で割り、一人13エウロのお昼でしたぁ。



お腹が落ち着き、店もちょっと覗き、今時はまるでお洒落心が無くなりましたが、
それでもね、

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こんなざっくりの涼しげなジャケットを見ると、おお、良いじゃなぁないの、と、はい。



こんなのも、色が賑やかで、眺めるのには良いですねぇ!

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ブラネッリ運河の横を再度通りますが、夏休みが始まったばかりの若者達が集まり、
       
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・・でもね、皆携帯で、一人で遊んでいる!



もう一本の運河ロッジャの横を通りますが、すぐ近くなのに、ここには来た事が無く!
それになんと、この家並みはまるでヴェネツィア!!

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そしてすぐ脇の路地を入ると、そこもまた中世のまま!

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トゥレヴィーゾの街中、あちこちに残る多くの古い建物類。 戦時中の爆撃も免れ
生き残ったものは、現在は中を改装しつつ保存の方向の様子で、
訪れる者にとっては、ほっとする一時を味わえます。



そろそろティーリ(オ)・シナの花も最後で、香りが強くあたり一面に漂います。

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さてここがボッテニーガ川が街に流れ込む場所、7つの半円の堰が設けられた
プーリア橋・Ponte di Pria.

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この辺りの風景、建物は古い絵画にも描かれているのですが、
       
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この堰の出来たのは1521年で、堰の中にはシャッターがあり、水流調節が
出来るようになっていると。 そして鉄製の格子があり、これを閉めると
街中には水が流れず、この堰の外側を流れる濠にのみ水が行く仕掛け。

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つまり敵に攻撃された時にこの格子を閉めると、濠から溢れ出る水で街の周囲は
氾濫状態となり、敵を近づけさせないという防御にも使える仕組みだそう。

堰があるとか、街中の運河とか部分は知っていましたが、はぁ、今回のように
系統だっては初めて知ったので、付け刃の知識を皆さんにもね、ははは。

そしてこの水量豊かなボッテニーガ川、なんとトゥレヴィーゾの北何キロかに
水源がある、つまり湧き水の川なのも知りました!
こんな湧き水がヴェネト・フリウリ地方にはいくつもあるそう。
              
2年程前に写真仲間と行った湧き水の一つ、フォンターネ・ビアンケを思い出し。
イタリアの秋、 ヴェネト晩秋の朝の色
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/465415745.html



すぐ近くにあった、この橋の脇でお洗濯をするかっての女性達の姿。
上にもう1枚ありましたが、ブラネッリ運河脇でも見ましたっけ。

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街中の細い運河の横の小路、大きな白い車の上に猫ちゃん。
それがほら、ウインドウとボンネットの隙間にしっかり頭を突っ込んでいて、
まぁさか、死んでいるんじゃなかろうねと騒いでいると、
うるさいわねぇ!と頭をもたげ、

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わっ、良かった! ・・生きてるのは分ったけど、・・でも、どこに目があるん?!

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もう、まったく煩いんだからぁ・・、ほら、目をあけたげたからね、早く行って!



ぐるっと体の向きを変え、目を尖らせる猫ちゃん。

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ははは、ジュリアーナと大笑いしましたが、近くの女性も笑っていましたっけ。
こんなお高そうな猫ちゃん、道の脇で一人で寝ていて、大丈夫なんかなぁ・・?!



最後は、カニャン・グランド運河脇のお家。
古い建物のあちこちを残し修復していて、素敵でしょう?!

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・ 狙いたがわず!  モンティージの町

トスカーナはシエナ県、オルチャの谷の北に位置する
カステルムーツィオサン・ジョヴァンニ・ダッソと続きまして、
この地域三点セットの、ははは、今回最後を〆ますは、
モンティージ・Montisiのご案内。

サイトで知る町の歴史、イメージ情報、衛星地図で見る町の形などから、
ここは良さそう!と狙って行ったのですが、
まさに!珠玉の町と呼ぶに値する姿を見る事が出来ました。

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上の写真は町の東側からの眺め。



海抜413m、町の住人350人弱という様子をゆるゆるとご案内、どうぞ!

旅の初めに1泊した朝、前夜からのかなりの雨降りの中を歩きつつ、
これは良い町だ、出直そう!と決め、旅の最終日の快晴の空の下にもう一度
訪問したので、ここにアップの写真は殆どが2度目の訪問時の物。

町は東西に細く伸び、西端と北側に駐車場があり、宿に近い西側に停め、

町を抜ける一本道ウンベルト1世通り・via UmbertoI に
出てくる角にこの小さな礼拝堂。
案内も何もなく、そう古い物でもなさそうですが・・。

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グランチャ・ディ・サンタ・マリーア・デッラ・スカーラ・
Grancia di Santa Maria della Scala・
サンタ・マリーア・デッラ・スカーラの荘園が道の向こうに。

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これです!
こちらが入り口で、緩やかな坂道の敷石には、荷車を引いて上がった
かっての轍の跡が残り、建物全体は素晴らしく大きく、
今、車が通る左端の向こうにチラッと見えるオレンジ色のミラー、
あれより奥まで続きます。

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現在は手前側の建物がアグリトゥリーズモの宿にもなり、イタリアで一番
小さい劇場の一つでもある、座席58席のテアトロも近年復元されていると。
       


入り口扉上に見えるシエナのデッラ・スカーラ病院の紋、
スカーラは梯子、階段の意。

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入り口脇の角に見えるタベルナーコロ・
聖母像などを安置する壁龕。

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タベルナーコロをたくさん見かけたジェノヴァの街は
       

       
こちらが奥に続くまさに巨大な建物で、
見えるあの扉には「オリーヴ油エキストラ・ヴェルジネ直販」の看板が
出ていて、13世紀から延々とこのグランチャの歴史が続いているのですね。

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今回モンティージに行くにあたり、デッラ・スカーラ病院の荘園が
あったのを知り、今までもあちこちでこの病院の名前と設けていた
巡礼宿に出会っていますので、今回は少しその実態について知りたくなり、
読んでみました。ほんの一端ですがどうぞ。

かってあった大きな高い塔、シエナのカンポ広場にあるマンジャの塔を
模したといわれる塔は、第2次大戦終戦間際、ドイツ軍が引き上げる際に
爆破したといい、現在ありませんが、



これは1762年の財産目録・カブレーオ・Cabreoに描かれた、
この荘園の細部に至るまでの図が添えられた目録だそうで、
塔以外は現在と余り変化の無いのが良く分かります。

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現在内部を一般公開しておらず見れないのが残念ですが、
サイトからの写真を1枚どうぞ。
入り口扉を入った第一の中庭で、もう一つ中庭があるそうで、
坂道から門のアーチを入った所の、石の擦り減り具合が印象的!
     
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サイトはこちらに。 http://www.lagrancia.com/
道脇から眺め、まさに要塞!と感じた威容、圧迫感ですが、
これがグランチャ、中世における修道院付属の荘園の姿です。
       
このモンティージのグランチャの元は1295年、
町の領主シモーネ・カッチャコンティ・Simone Cacciacontiが
彼の資産すべてを、シエナのサンタ・マリーア・デッラ・スカーラ病院に
遺言で残したのに始まり、これについては後に再度触れますね。

グランチャ・Granciaと呼んでいますが、一般にグランジャ・Grangia
とも呼ぶそうで、
15世紀の記録に残る記述によると、
   塔のある邸宅、外扉と回廊内庭を挟んで巻き上げ橋、
   深い外堀がある城壁が取り囲み、
   内部の住居、穀物倉、ワイン貯蔵庫を護るまさに要塞
という当時の様子。
はい、現在無いのは塔と外堀、そして巻き上げ橋!

こういう大規模要塞造りの荘園を、デッラ・スカーラ病院はイギリスの
カンタベリーからローマへの巡礼通商道のフランチージェナ街道沿い、
またその近辺に設け、つまりトスカーナ一帯に跨る各地に。

モンティージの他にこの近くではサン・クイリコ・ドルチャ、
その南東にあるスペダレット・Spedaletto

先回ご案内のサン・ジョヴァンニ・ダッソの城・要塞も一時
デッラ・スカーラの持ち物だったとありましたし、

つまりその周辺の穀物の集積場、倉庫であり、保管し護る為の要塞であり、
またオリーヴ油やワインの製造所も兼ね、如何に合理的に膨大な農産物を
管理するかで、
最初はこの荘園も、修道院付きの信用できる僧侶達が管理を任され、
15世紀まではそれで続きましたが、それ以降は世俗の人物に任せたと。

一方モンティージの町は1371年にシエナの元に入るものの、シエナの凋落
と共にフィレンツェのトスカーナ大公国の元に。
続く世紀はこの町を貧しさが覆いますが、サフランの栽培で何とか凌いだ、
という記述も!

サフラン栽培で町が発展したサン・ジミニャーノのご案内は


1778年にここのグランチャを私有にする事になり、町の有力者である
イアコポ・マンヌッチ-ベニンカーザ・Iacopo Mannucci Benincasa
が買い取り、現在に。
まさに町の歴史そのままのグランチャの歴史、姿なのですね。

マルケ州のファブリアーノの紙の博物館で、
たまたま開催中の公証人の展示会で見た愉快な落書
農民が荘園に農産物を納め、管理する修道僧の様子もどうぞ。

       
中世の巡礼道ヴィア・フランチージェナについては
       


衛星地図で町の様子を。
左下斜めに薄緑の線で囲った所がグランチャで、
町中を通る道がヴィア・ウンベルト1世・Via UmbertoI.

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中程、薄緑の四角を打った広場に今回泊まった宿があり、
広場から通りの右側2軒目の大きな建物が、マンヌッチ-ベニンカーザ邸、
写真撮り忘れ、へへ、元々はフィレンツェ出身の貴族の家系なんだそう。

ブルーのバス停の位置から坂道を上り、右上の楕円形部が町の古い中心核。



さて、グランチャから町の中心に向かい、
緩やかにカーヴする道をそろそろと行きますが、

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道の両脇に並ぶ建物群の背が高いこと、重厚な事など、
単なる田舎町でない事を示します。
       
建物の壁には、デッラ・スカーラの紋がある所も見え、
その関連の建物でもあったのでしょうね。



ここが町の通りの中心広場、見える鐘楼は、
古い一廓にあるサンティッシマ・アヌンツィアータ教会のもの。

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実はこの日、町の入り口で時代衣装を纏った人々が出かけるのを見かけ、
どうもなにやらあるらしいと・・。
窓から白い布が翻っているのが見えますが、最初は単に洗濯物かと、
ははは、失礼、思ったのですが、訊ねてみると、やはりぃ!

ポルトガルのファーティマの聖女像が、今日この町にお出ましになり、
皆さんでお出迎えし、上の教会まで行進するのだそう!

ポルトガルのファーティマ・Fátimaにも行きましたが、
ご案内は宿題のままで!

強い民間信仰の雰囲気にも触れていますから、
町の皆さんが浮き浮きと興奮するのも分りましたが、
上の町の路地を歩いている時には、車椅子に座った
お年寄りから、今日はね・・! と話しかけられたりでした。



広場から、ラ・ロカンダ・ディ・モンティージ・
La Locanda di Montisi、泊まった宿。

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朝食の部屋は、古い17世紀頃という建物の雰囲気を利用していたものの、
各部屋は特別の事はなく・・、
それにしては今回の宿で一番お高い、シングル75エウロ!


この広場で町の皆さんが、食べて飲んで騒いでいるのを!
毎年8月に開催される町の最大のお祭り、と想像、
ジオストラ・ディ・シモーネ・Giostra di Simoneの後、    
勝者をたたえ、負けた地区は慰めあい・・、はは、の光景。

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こちらがそのジオストラの様子。
ジオストラというのは、現在の移動遊園地も指しますが、
回顧の馬上競技、槍試合などを言います。

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大体がこういうサラセン人と見立てた像の持つ標的を槍で突いたり、
下がる輪の中を突き刺したりですが、ここのは凄いですよ、はは、
標的は左手部分に、左の肩には輪が、槍の先5,5cmよりも1,5cmだけ
大きな直径で、延ばした右手には石膏の球が2つ下がり・・!

この石膏の球は、標的を突くと像自体がぐるっと回り、つまりその勢いで
この石膏の球が、走りの遅い騎士をぶっ叩く、という事なので~す!

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輪を突き通す、または標的の真ん中を突くと点数が加算され、5回の勝負の
通算点で、町の地域の一つが勝者に。
はい、町は4つの地域に分けられていて、勝つと聖母子像の描かれた布・
この町ではパンノと呼ぶそう、が与えられると言うもの。

shinkaiめが何で必死に読んだかと言いますと、標的の数もさる事ながら、
ははは、ジオストラに冠された名前がシモーネのジオストラ、なんですね。
これはこの町の領主だったシモーネ・カッチャコンティ、
シエナのデッラ・スカーラ病院に遺言で資産を残した、男の名に由来しますが、
読んで分った事はです、

このシモーネは悪辣な領主で、町の住人から憎まれモンティージから追放
されますが、自分の兵士を使い逆襲し、町を焼き払い略奪、
農園の家畜を皆殺しという残虐行為。

挙句、結局町を治められずシエナに逃げてそこで亡くなり、
遺言で町を病院に残したのだ、というのを知りました。

つまり18世紀には既に記録にある、というこのお祭りで、未だに13世紀の
悪辣領主が槍で突かれ続けているという、
ははは、そんな由来のあるお祭りなのでしたぁ!



さて町の古い地区、衛星地図でも見えた北東部に。
素晴らしい青空でしょう?!

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時計塔は、かってトスカーナ大公国に入る前の町の動乱期、フランスの占領下
にもあったようで、その時の遺産ですが、かなり改修を経ているとの事。



翻る旗は町を4分する地区の一つ、ここカステッロ地区のもの。

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道の奥に見えるサンティッシマ・アヌンツィアータ教会・
Pieve della Santissima Annunziata.
13世紀建設のロマネスク様式で歴史的にも由緒あるそうですが、
入り口上の半円のモザイク部分、内部も改修されています。

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今日は重要な祭日とて、扉も開け放たれ、

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こちらは最初に訪問した時はガラス戸が閉まり入れずに、
カメラを押し付けて撮った内部。

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で、扉の開いていた祭日に撮った写真はもっとボケ!
はぁ、ボケのshinkai・・。



教会の横、鐘楼と隣の建物の間に隙間があるのを見つけ、
そろっと覗きに行きましたら、

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はい、町のパノラマ! 金網が残念!

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教会前の建物、道に沿ってのカーヴが面白いでしょう?
右手前の建物からは、ぐぃ~~んとドリルの音が響き、

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石版彫刻のギーゴ・Ghigoというシニョーレの工房でした。
町の至る所で彼の作品を見かけましたが、ええ、素朴稚拙な味わいの。

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古い一廓をあっちにこっちに行ったり来たりで、楽しみます。
 
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ご覧の通りちゃんと人々が住み手入れされた家々で、姿は見ないものの
寂れた感じは一つも無く、石の色も美しく、見かける人々もにっこり!



細い路地を辿り、町の一番の高所の広場に。 こちらが南側で、

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西側。 あれ、白いワンちゃんがいるのか、と一瞬思うほどの

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大きな猫ちゃんが、寝ておりまして・・、

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こちらは北側ですが、こちらには茶色の猫ちゃん。 見えますか?

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ほらね。

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東側の大きな高い建物はカッゼーロ・Casseroと呼ばれる
元々はモンティージの領主の住まいだったと。

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その後小学校になったり、様々な改修もされ、現在は住宅に
なっているそうで、確かに自転車やボールが転がり・・。



茶色の猫ちゃんに触らせてもらって遊んでいると、
後ろに白ちゃんがやって来て、ごろんごろんして見せてくれ、
おお、可愛いねぇ! と喜ぶshinkai。

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すると後ろで茶ちゃんが、
何だ、その位で喜ぶのかぃ、そんなの簡単じゃぁないかぁ、と
ごろんごろんをね、ははは、うれしいぃぃ!

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遊んでもらって、じゃぁね、またねぇ! 元気でねぇ!



と再度路地歩きを。

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教会の鐘が切れ目なく鳴り始め、ろそろ行事の始まりを告げるのを潮に、
バールでカフェとクロワッサンを食べ、引き上げますが、

道脇の下にのんびり日向ぼっこのワンちゃんを見つけ、チッチッ、と
舌を鳴らして呼びますが、見てくれたのは茶色の方だけ! ははは。
このワンちゃん達は、トリフ探しのワンちゃん!

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駐車場脇のサクランボの実、5月上旬の日、まだ緑色。

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そして、脇のオリーヴ畑。
 
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眩しいほどに晴れ上がった5月のトスカーナ。
素敵な町を見た喜びを味わいながら、
北のシエナのクレーターの道に向かいます。

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・ 白タルトゥーフォの町と、雨上がりの緑のクレーター風景

今日は、タルトゥーフォ・ビアンコ・白トリフで有名な
サン・ジョヴァンニ・ダッソ・San Giovanni d'Assoの町と、
雨上がりの緑が美しいシエナのクレーターの風景をご覧くださいね。

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行った朝は雨降りのどんよりの空模様で、オマケに正直に言い、
失礼ながら町中の風景は本当に、見る程の物が見つからなかった!
どんな田舎町でもどこかしら、良いなぁ!を見つけるshinkaiでも、
ははは、まったく今回、あれま!と感じた唯一の町!

と言いつつご覧頂くのは、やはりどんなかを見て頂きませんとね、
と、この町に行ったお陰で、
雨上がりのしっとり緑の美しいクレーター風景が撮れましたので、
茶の町と緑の平野、という対比でご覧下さい!

上の写真はコムーネのサイトから拝借の
サン・ジョヴァンニ・ダッソの町の、一番の高所310mの高さに
聳える13世紀の城。
       
これはもう素晴らしい威容で、前日にこの町を通り抜けた時の
印象が素晴らしかったので出直したのでしたが、
この内部は現在ホテルとレストランになっていて入れず、
後は道筋の家並みのみの町なのでしたぁぁぁ・・!



サン・ジョヴァンニ・ダッソの町はどこにあるか、地図をどうぞ。
先回ご案内のカステルムーツィオ・Castelmuzioの北の町
モンティージ・Montisiから西に6km、7分の位置に。

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ピエンツァ・Pienza、サン・クイリコ・ドルチャ・San Quirico d'Orcia、
モンタルチーノ・Montalcinoから南の町はオルチャの谷に含まれる
コムーネ・市なのですが、

カステルムーツィオ、モンティージ、ご案内のサン・ジョヴァンニ・ダッソ、
西のブオンコンヴェント・Buonconvento、
そして北にあるアシャーノなどはクレーテ・セネージ・
シエナのクレーターの地域に含まれます。


お城の前の町の駐車場に車を止め、さて、どこに何が?!
と案内板を見つつ、古い教会がある様子なので、
坂を下って上り、お城の裏側に。

見つけたのがこのサン・ジョヴァンニ・バッティスタ教会・
S.Giovanni Battista.
13世紀の建設だそうですが綺麗に修復されすぎで、オマケに閉!

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町の名のサン・ジョヴァンニはこの聖人の名に由来しますが、
後ろにつくダッソ・d'Assoは、すぐ近くを流れるアッソ川を。

というので探したのですが、35に渡る流れ、オルチャ川に注ぐ、
という川はついに見つけられず! 雪解けの春先限定・・?



教会前からのお城の裏側と、一本通る道。

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お城の裏側に入り口を見つけ、

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石段にはこんな古い煉瓦が並び、なかなか良いでしょう?
が雨降りなので、滑って転ばぬよう、
おっちょこちょいで有名なshinkai、気をつけて、はい。

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中庭はまたまたこんな風な整備で、がっかり!

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唯一中世の面影を残す、城壁の一部。

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ホテル・レストランの物と思われるテラス席が井戸の横にも続き、
ですがこちらもまだ閉店。

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後は道を挟んでの家が何軒か並び、

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隙間から向こうは即平野の風景。

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ですがグーグルの衛星地図で、この家並みの裏に
大きなプールのある庭園があるのを発見!ちょうど教会裏辺り。
・・素朴なshinkaiには良く分からない町。



白トリフで有名な町、と書きましたが、
町の名で画像検索をかけると、トリフ祭りの写真とか、

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これ、可愛いでしょう?!
タルトゥーフォ(トリフ)探しの鼻、ははは。

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町にはトリフの博物館もあり、このポスターは、
トリフ採取者が、トリフ探しのワンちゃんを使って、模擬演技をする
のを見せてくれるというもの。 見たい! ははは。



お昼を食べる手頃な店も見つからず、町案内の地図掲示で
見つけたバールでサンドウィッチとジュースでお昼。
       
漸くに雨も上がる様子でやれやれと駐車場に戻って来ると、
中年のカップルに声をかけられました。

相手が外国人と分っていても、質問するのがイタリア人!!
   この町のドゥオーモとかチェントロとかは・・?
同じ印象を持つ人がいるんだ、と嬉しくなり、ははは、
   ええ、お城の裏に古い教会がありますが閉まっていて、
   家が10軒ほどありましたけど、他には・・。
   やっぱり・・!
町中の道を行って見た様子で納得し、挨拶して分かれました。

いやぁ、あのお城の威容には、何かありそう!とコロッと騙されますよ、
誰だってね、ははは。
やはりシエナのサンタ・マリーア・デッラ・スカーラ病院の
持ち物だった歴史もあるようなのですが、中が見れないのではねぇ!



サン・ジョヴァンニ・ダッソとモンティージ間の衛星地図をどうぞ。
一目でお分かりですよね、波打つ大地、平野の広がりが?!

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この道は旅行初日にピエンツァに抜けるのに通り、
ですがこの時は、お昼から緑の風景に浸りきりで頭が満杯!
でこの朝にモンティージから町に行くのに通り、
素晴らしい!のを既に2度も見て知っていますから、
少し行っては止まり、また止まりと、6km 7分どころか!ははは。



という事で皆さんも、ごゆっくり、緑の広がりをどうぞ!!

奥の高所に見えるのが、サン・ジョヴァンニの町のお城で、
まだこの辺りは木々が茂り・・、

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雨上がり後の、雲の切れ間から青空が少し覗き、
緑の丘も陰ったり陽が射したり、雲が動いていきます。

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麦畑ではない茶色の土の畑ですが、
何か花が咲いているのか、時にとても色が濃いピンクに。

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奥の山の右に切れる位置の、町並みが分りますか?
あれはモンタルチーノ、海抜567m!

20-572_GF.jpg

モンタルチーノの以前のご案内は
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461362974.html       



平野の中に見える農家、道、畑の波打つ様子、
広さの中で一層際立ちますねぇ!

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平野の広がりに圧倒され、小さな写真では迫力が劣る、と分りつつも、
やはり撮らずにはおれません!

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道の向こうに車が止まり写真を撮っている様子なので、
shinkaiはこちらに止め・・。

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向こうの車が動き出すと、中で盛んに手を振っているのが見え、
ははは、町で話したカップルでした!


同じ道を前後して行きながら、写真を撮るのに同じ場所で
止まるので、なんとなしに顔見知りになり、
顔を見て笑うというのは、トスカーナではよくありますねぇ。

そして良くした物で、素晴らしい!と思う場所の道脇には、
余程の傾斜とか細い道でない限り、ちゃんと停める場所が
出来ていまして・・。



右下に見えるのは線路で、シエナからアシャーノを通り、
サン・ジョヴァンニ・ダッソ、そして西海岸に抜ける線。

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シエナのクレーターの中を、季節限定の蒸気機関車も走り、

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11月にはサン・ジョヴァンニ・ダッソの町の
白タルトゥーフォのお祭りにシエナから機関車で、という催しも!
http://www.mostradeltartufobianco.it/festa-del-tartufo-marzuolo/



糸杉の並び、トラクターの跡、光と影・・、

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畑による緑色の違い、波打つ丘!

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奥の山の稜線にモンタルチーノの町。



木々が増えたり、波打つ畑、遠くに見える農家、

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丘の波打つ起伏! 見飽きませんねぇ!!  

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モンティージに近づき、山の木々が増え、丘の上に教会と
修道院かな。 下は古い農家を修復中の様。

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まだ若い緑の平野を、お楽しみ頂けましたでしょうか?
ピエンツァ周辺の素晴らしく広大な起伏も、
アシャーノからのクレーターの中の地道も、
あちこちの町の様子もぼちぼちと、ご案内いたしますね。
お楽しみに、お願いいたしま~す!! 

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・ カステルムーツィオ ・ 古い小さな町歩きを 

今日はトスカーナの小さな古い町カステルムーツィオ・
Castelmuzioにご案内です。

ヴァル・ドルチャ・Val d'Orciaの、世界遺産に指定の町
ピエンツァ・Pienzaの北に位置する小さな町で、
地図も要らないほどの町歩き点描をどうぞ。

1-246_GF.jpg

上はこの町の案内で必ず出てくる町の門ですが、
この日は雨上がりの曇り空で少し残念。



周辺の位置確認をどうぞ。
ピエンツァからだと約10km 15分、
も一つ北の町モンティージ・Montisiには3km 7分。

2-uzio_GF.jpg

地図では、ナヴィでは分らないもの!と今回痛感したのが、ははは、
道路のカーヴの、角度は平面図でも分りますがぁ、
高低差は行って見ないと分らない!! これです!

つまりピエンツァからだと一旦谷を下り、そして上って行った所に
カステルムーツィオがあり、町に入る最後の曲がり角は、
上り坂のまま30度を切る角度!!
そこからモンティージの町に向かうと、これまた谷を下って上る、
おまけに連続カーヴの道!

今回はこの道を結局2回行き来した事になりますが、
日常的に通る方はお偉いですねぇ、ははは。



という事で、それぞれの町は山の上に位置するわけで、
カステルムーツィオの駐車場から見た、谷越しのモンティージ。

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カステルムーツィオは海抜443m、モンティージは413m、
が、向こうが少し高く見えるのは、はい、カステルムーツィオの
駐車場が、町北側の低い場所にあったからなのですね。



グーグルの衛星地図で、町の古い地区部分をどうぞ。

4-tro.JPG

町は西に広がりますが、まぁ、家並みがある、という程度で・・!
上に切れる部分に駐車場があり、青いバス停の左の印から右下に、
そこに上の写真の町の門が。



バス停の左の印位置から見た、町を通り抜ける県道の家並み。

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この道を右に通り抜け、町外れ1k程の位置に、
小さなロマネスクの教会サント・ステーファノがあります。
今回一緒にご案内しようかと思ったのですが、
意外に写真の数が増えましたので、次回のチャンスに。



町の門は素敵なのですが、なにせアーチの向こうど真ん中に、
赤丸の交通標識が写るので、味わい半減!
でこんな風に、町を覗く感じでは如何でしょうかぁ?

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そして、門手前横に続く壁の様子。

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門の壁の重厚な石組み。

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実を言うと、町訪問の時は余り良い印象を受けなかったのです。
門の外の家の庭には、家庭菜園手入れ中の人の姿もあり、
この門のすぐ外では子供たちも遊んでいたのです。

が門内で見た人は、お昼を食べたバール兼宿の2人とお客、
そして教会前で町の人2人だけ!
曇り空の下に見る、寂しい町の姿は余り・・、ですよね?!

ですが写真整理をしながらじっくり見ると、
石組みの石の色が大変美しい事に気が付きました。

手入れをされている町、という感じは受けていましたが、
重厚な趣を持ち、石の色が美しい!
       
そう考えつつ写真を整理し纏めると、数が増え!という結果に。
       
町の歴史もちょっと探しましたが、特記する程でもなく・・。
なので今回は、古い趣きある町点描、という事で、
気軽に町散歩をお楽しみください!


道に沿い、斜めに入り込んでいくと、

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建物の下をくぐるアーチがあり、
 
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アーチの下から辿ってきた道を振り返り、

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下り坂の道。

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また別のアーチをくぐり、町の中心広場に戻り、

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中心広場にある教会サンタ・マリーア・アッスンタ・
Santa Maria Assunnta.
      
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元はロマネスク様式というのですがご覧のように改修され、
余り魅力も感じず、失礼! 入らず・・。 鐘楼は16世紀のものと。



その向かいの、お昼を食べたレストラン兼ホテルの
重厚な造りの建物。

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トスカーナで食べた旨いもの
       

お昼を食べて落ち着き、ははは、
またゆっくりゆっくり、小さな町の中を行ったり来たり・・。

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扉が並んだ建物は、レストランの向かい側に。
二つ並ぶ扉アーチの左側、上に1837と刻まれたのが見え、

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ですが上に伸びる壁は、こんな感じの中世のまま。
きっと19世紀にお金持ちがここを買い取り、彫り込んだのでしょう。

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町の歴史にも特記する程のことは無い、と書きましたが、
町自体の歴史は古くエトルスク・ローマに遡ります。

記録に登場するのは1213年、カステル・モッツォ・Castel-Mozzo
というのが古い町の名で、
アシャーノのシャレンガ・Scialengaという郷士がここの持ち主で、
要塞化した、というのが最初の記録なんだそう。

1270年にシエナ共和国の元に入り、1470年まで
サンタ・マリーア・デッラ・スカーラ病院・
Spedale di Santa Maria della Scalaの持ち物に。

その後ピエンツァの町造りのピオ2世の一族ピッコローミニ家が買取り、
16世紀半ばよりカステルムーツィオの名で
トスカーナ大公国の一部となった、という変遷。

サンタ・マリーア・デッラ・スカーラ病院というのは、
シエナのドゥオーモ前に現在博物館として残りますが、中世以来、
貧民・巡礼救済の為の宿も街道筋にたくさん設けていると同時に大地主。

お隣の町モンティージには、まさに要塞まがいの修道院・農園跡が
今も残りますので、またご紹介しますね。


この石組みも素晴らしいでしょう?!

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古い梁の見える暗いアーチの向こう、鮮やかな石の色。

21-260_GF.jpg



住まいは左の階段が入り口で、下は納屋ですね。

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緩やかな下り坂の道の先、

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開けた展望をどうぞ! まず、すぐ近くから、

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多分通ってきた道。
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そして遥か奥に見える町は、
  
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28-274_GF.jpg

そう、ピエンツァ!
裏から、いや北側からの眺めは珍しいでしょう?!

花のピエンツァ点描
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461453714.html       



そして一際そびえる、ラディコーファニ!

29-280_GF.jpg

ラディコーファニのご案内
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461280756.html       



そして、これには驚いたshinkai、そう、モンテプルチャーノの町!!
町の右下には、教会サン・ビアージョも上部が見えます。

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地図上の直線距離では8k程ですが、道程は21km 30分!
海抜605mの高さにあるので見えるのでしょうが、
・・そう言えば、風が吹きまくる町だったよなぁ! 
 
モンテプルチャーノの以前のご案内
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461279571.html       


例によって一般車は入れない古い小さな町ですが、
三輪車が町の外れに。

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古い古い壁に、今年も咲く薔薇。

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聖母子像が描かれたアーチも。

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ここもなかなかどっしりで・・。

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引き上げる前に、もう一度町の門を。

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翌日モンティージの西にあるサン・ジョヴァンニ・ダッソからモンテプルチャーノ
に向かう途中、カステルムーツィオを通り抜け、暫くして見えた町の姿。

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陽の光の下、オリーヴ畑に囲まれて、なかなか素敵でしょう?!


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