・ 久し振りのお天気に誘われ、 スコミーゴ村を一回り 

先週の土曜は漸くに久し振りの快清となり、いそいそとカメラを持って村の巡察に。

お天気に誘われて外に出て来たのは、何もshinkaiだけでなく、ははは、
村のワン君、猫ちゃんもたくさんおり、葡萄畑で働く人、林の手入れを
する人も見かけ、それに、小さな春の花が咲きかけておりました。

そしてそして、スコミーゴ村についてのちょっぴりの歴史、
白ワイン、プロセッコについての新しい知識も仕入れましたので、
何度も見て頂いているスコミーゴ村ですが、
お喋りと共に、村内巡回にお付き合いくださいませませ!

写真は、北の眺め、北との境ともなるビゼンティン・Visentinの山。

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手前の山の麓にヴォットーリオ・ヴェネトの町があり、二つの山の隙間を
北国への道が通り抜けて行きます。
       


東隣の村、コッレ・ウンベルト・Colle Umberto.
スコミーゴとの間の平地に、少し靄がかかっていましたね。

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この日はいつもの様に家から畑道にすぐ向かわずに、村の幹線坂道を、ははは。

じきにシェパードのレオ君の家があり、いつも寝ているのが、
おお、猫ちゃんと庭で遊んでいる!

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車に乗るようになり、お付き合いが無くなりましたが、昔はとても仲良しで、
名前を呼ぶと振り返り、暫く見つめてから私と分かり、
ビッコを引きひきやって来て、触らせてくれました。

関節炎になったか、ビッコを引くレオを見るのは哀しい!
昔は道に添い、何度も行ったり来たり走りまわっていたのですもの。
でも、猫ちゃんのお友達がいるのは、良かった・・。 



こちらで仲良くしていると、後ろで吠えまくる子がいて・・!
手前の家にレオとshinkaiと三角関係だったオットーがいたのだけどなぁ・・。

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高速を渡る陸橋の手前で右折し、谷の道を辿ります。
日陰はまっ白に霜が降りたままで、
道横の低地には長雨でかなりの水溜まりができていて、

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それでも陽射しに溶けかけた霜の中から、春の小花も、ね。

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また少し東への道を辿り、半分廃屋の大きな農家の横。
大きな素晴らしい井戸と、納屋の張り出しが光と陰で面白く、狙いつつ、
あれ、猫ちゃんがいる・・!

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少し戻り、チャ~オと声をかけつつ。 お家の半分には人が住んでいるのかも・・。

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ここの葡萄畑の畝の眺めが大好きで、

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手前の平地の畑。

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横に見える高速はここで大きくカーヴを切り、南、ヴェネツィア方面に。

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お家が並ぶ所には、庭木のボケもほころびかけ、

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日当たりの良い庭のレンギョウはすでに満開。

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水仙の咲いているお家もあり、春もすぐそこ、という嬉しさが来ますね。

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後ろから自転車のグループが大声で喋りながら追い越し、谷の道をオリアーノに。
そう、春を待ち兼ねてトレーニングが始まっています。

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いつものオリアーノ村の鐘楼と教会。 ええ、ここの鐘楼も少し斜塔なのです。

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坂道脇のお家のワンちゃんは吠えもせず、何か不思議そうにこちらを眺め・・!

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ここの黒ちゃんも日向ぼっこで庭にお出まし。

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そしてこの子は、大喜びで塀の向こうで飛び上がり、そんなに喜んで貰えると、
手が臭くなるんだけどなぁ、とは思いつつも、おうおう、良い子だねぇ!と
あちこちをさすりつつ、チャオ、チャオ、またね、とこちらは塀のこちらを進みますが、

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彼は何度も向こう側で飛び上がり、またまたおさすり。
で、3度目の時には口に青いボールを咥えていて、遊ぼうって! ははは。



何軒か先の家の茶のチビ君も飛び上がり・・! 点になった目が見えます?!

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ビゼンティンの山を背景に、我がコンドミーニオが見える所まで引き返し、

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ええと、奥の階段状の棟の、右から2段目の1階に我が家です。



で、ここから左に緩やかな起伏の葡萄畑に入り込みます。
中を通る道の、こちらが左手の畑。

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道と言っても、草原を勝手に通るのですが、野草の花畑みたいになっている
この草原が楽しみなのですね。
これは、野カンゾウですっけ? まだ蕾がほころびかけた所。

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デイジーの小さな蕾も開きかけで、

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花を探して地面を見つめていると、どこかからちらっと紫っぽい色が目に届くものの、
大イヌフグリはまだまだ蕾のままで、やっと見つけた、これが一番に開いた姿。

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午後のお天気の中では、グンと開くのかも、ですが。



トウダイ草も少し育った形。

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数年前からの右手の葡萄畑では、ちょうど剪定が始まっていて、

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こちらの畑の人とは2年前に一度話した事があるのですね。
・・林の奥でうろついている私に、何を探しているのか、というので、
クリスマス・ローズの写真を見せて説明した事があったのですが、

ちょうど良い!と思い、働いている姿を撮らして貰って宜しいか、と。
余分な枝を切り、こんな風にたわめ、

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支え柱に渡した針金に取り付けた輪の中に差し込み、止めます。

ついでにちょっとお喋りをしたのですが、その内容をブログに書くのに
頭の中で整理しつつ、疑問点をサイトで探し、アンナリーザにも訊ね・・。
その過程の中から、とても興味深い事が分かったので皆さんにも。

このシニョーレ、ジャンピエトロ氏と言われましたが、私がここの畑もプロセッコか、
と聞きましたら、プロセッコだけど普通のとは違い、ディオーチェジなんだと。

ディオーチェジ・diocesi、つまりカトリック司教区とか教区という意味なので、
変わった名前と思いつつ、普通のとは違う、と言うので、
プロセッコの中の品種かと思ったのですね。 でまぁ、サイトで調べようと・・!

ジャンピエトロ氏は、これは自分の仕事ではなく趣味なんだと言い、外で、
お天気の良い日に働くのが好きだし、本当はメカ―ニコ・車の整備というので、
まぁ、家の葡萄畑をしつつのメカ―ニコかと思い、良いご趣味で、と、ははは。

ディオーチェジというのは高い品種かと思い訊ねると、
この畑で、かなり広いのですよ、8万から10万エウロと思う、と。
う~ん、今の相場でまぁ1千万円位ですかね。勿論葡萄の木だけの話で。



で上の写真にある様に、枝を交差して留めているのですが、彼の言うには、
昨年は交差させず半円形で留めたのだけど、
今年はこうして長めにして交差させているんだ、と。

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そんなこんなのお喋りをして別れたのですが、サイトを探しても、プロセッコの
ディオーチェジなんてぇのは見つからず、ははは、それよりももっと興味深い事がね。
       
つまりです、北隣のヴィットーリオ・ヴェネトの町はかって2つの町で、
南のチェーネダ・Cenedaと、北のセッラヴァッレ・Serravalleが1899年に
合併してできた町なのですね。

南のチェーネダは、それ以前は司教領主の下にあり、
最後の司教領主はロレンツォ・ダ・ポンテ・Lorenzo da Ponte.

そうです、かのモーツァルトの3大の、オペラ、ドン・ジョヴァンニ、フィガロの結婚、
コシ・ファン・トゥッテの台本作者が同じ名前ですが、
彼はこの司教のもとで改宗したユダヤ人一家の長男のエマヌエーレ・コネリアーノ・
Emanuele Coneglianoが司教の名と姓を貰い受けた、という由来です。

で、チェーネダの教区には僧侶を育てる神学校がありますが、その経費を
捻出援助する為に、農企業チェネターエ・l'azienda agricola Cenetae
を1985年に設立。

活用する土地は司教区の持ち土地で! 現在葡萄畑が80ヘクタールで、
トレヴィーゾからヴェネツィア県にまで広がるのだそう。

ここヴァルドッビアーデネからコネリアーノのプロセッコの土地で生まれるDOCGが、
マーゾ・ディ・ロンケ・Maso di Roncheという名、20万本!だそう。
サイトはこちらに。 http://www.cenetae.it/
       
長い説明になりましたが、お分かり頂けたでしょうか?
働いておられたあのジャンピエトロ氏は、やはり本職のメカ―ニコで、
ここの畑はヴィットーリオ・ヴェーネト教区の持ち物で、収益は神学校の経費の
賄いに回され、彼は多分パートで働いているのか、または奉仕なのですね。

でなぜこのスコミーゴ村の畑が、と言いますと、ついでに調べた村の歴史で、
村の教会がダ・ポンテ司教の時代にチェーネダの教区に組み込まれた事も分かり、
その後はまたオリアーノ村の下なのですが、
多分当時から、いやもっとず~~っと以前から、チェーネダの司教領地として
残っている部分なのでしょう。

改めて、カトリック教会の持つ力の大きさと強さ、してその浸透力の凄さに直面、
という感じですが、
       
いやぁ、こんな事が芋づる式にひっかかって来て、ははは、
本当に驚きましたし、愉快でしたぁ!

グラッパ酒の蒸留所見学 ・ アンドレーア・ダ・ポンテ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467230336.html
ロレンツォ・ダ・ポンテについては、上の記事からリンクしています。

ヴィットリオ・ヴェネト ・ 町と四季と
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463847585.html



ではまた!とジャンピエトロ氏に挨拶し、林の方にクリスマス・ローズを探しに。

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こちらは3日前かに見つけていたもので、開ききり、

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まだ蕾が膨らみかけたばかりの、若い茎。 これは葉が茶色の種。

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なにせ丈が低いうえに、花も下向きが多いので、写すのに、しゃがみ込んでも
難しいのもあり・・!  これは花弁が厚めの種。

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まだまだ花が咲いているのが少なく、おまけに小さめ。 かと思うと虫喰いだらけに
なったのもあり、 ・・それに陽射しが強すぎ、気をつけても色が飛び加減。

花の写真は難しい・・! 他のは楽だというのかや?!



手前の林は以前はもっと広かったのですが、葡萄畑が進出するのにつれ、
どんどん刈り取られ、上でご覧の様にほんの一列位になってしまっていますが、

その向こう脇には湧水が流れ、奥の空き地に繋がります。

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以前は大き目の石が渡り道用に置いてあったのですが、いつの間にか除かれ・・、
向こうの空地にもかなりのクリスマス・ローズがあったのですが、
さて、どうやって探しに行きましょうか?  



湧水は本当に透明で、音を立てて流れる程の水量。 

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という様子で葡萄畑の傾斜地を後にしますが、
も一つあれこれ調べて分かった「プロセッコ」についても聞いてやって下さいませませ。

アンナリーザとサイトを調べながら話していて、彼女が「グレーラ・glera」という
言葉を使いました。 プロセッコではあるけど、彼女の住む町はコネリアーノから
30分程南で、プロセッコの土地範囲ではないので、「グレーラ」と夫が言う、と。

今迄ずっとそう聞き思い込んでも来た事ですが、そんなこんなで話し、調べた結果、
2009年より「プロセッコ」なる白の辛口発泡性ワインと、葡萄の木を混同しないよう、
白ワイン「プロセッコ」を構成する主たる葡萄の木を、同義語として「グレーラ」と呼び、
少なくとも85%から100%を占める事、と決まったのだそう。

そうですよね、同じプロセッコでもメーカーによって呼び名が違いますし、味もね。
という様な、新しい定義も学んだという訳です。
      


家への道を辿りつつ、金網越しのこのワンちゃん。

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既に何年越しか、古い家が改修されつつあるのですが、そこの管理犬さんで、
大体いつも普段は1人でお留守番。



そのお隣の廃屋の庭に、あ、猫ちゃんがいる、と見て止まると、
向こうもこちらを見て座り直し・・、

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お、行けるか、と思い近寄る途端さっとダッシュして、この扉の穴に潜り込み・・!

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塀の向こうから伸び上がり吠えるワン君。 なんやねんな、またお前かぁ?!と
カメラを向けると、途端に黙りこみ、引っ込んで隙間からね、ははは。

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前にも一度、黙り込んだ所を撮ったの、覚えているかぃ?!
shinkaiの魅力には勝てんのだぜぇ!! てな調子で威張り、犬にはね、ははは、
家に戻ります。


       
見上げる青空に、飛行機雲。

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*****      
 
春の様な陽射しに誘われ、一巡りした我が村の様子でしたが、
暖かい日が来るのには、まだもう少しかかりそう。

ですが、雨降りになる、いや雪かも、と脅されたこの水曜29日の、グループでの
ヴェローナ行きは快晴に恵まれ、ヴィチェツァ西のヴィッラも、
ヴェローナの「モネ展」も、サン・ゼーノ教会もしっかり見て、愉しんで戻りました。

ティエポロの大フレスコ画の見事さ、モネ展での、モネの水や光の色の鮮烈さ、
ターナーの単純な深さ、・・素晴らしい物との出会いには、こちらも鼓舞されますが、

ヴェローナの素敵さのご案内を殆どしておりませんね。
頑張って纏める事に致しましょう!

*****

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・ スコミーゴ村、 冬の黄昏 

今週初め、漸くに雨の降らない日が3日程続き、とはいえ、なかなか快清の
上天気とはなりませんでしたが、夕暮れに何とか落日が見れました。
とりわけ火曜の夕方ふと窓を見ると、素晴らしい赤色が広がっています!

暫く前にもこういう鮮やかな色に気付くのが遅く、逃した事が2度ほどあったので、
大急ぎで飛び出したのですが、

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残念、既に照り返しの色でしたので、あっという間に力を失い、寒空の色に・・!
良い場所に辿り着く前にしぼんでしまったので、

・・おまけに上の写真でお気づきかどうか、ちょうどの場所にクレーンがね、
で、「よっしゃぁ!」と翌日に期待。

スコミーゴ村 ・ 冬の夕暮れ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/465337915.html

      

少し早めに家を出て、夕陽を受けるタンポポなんぞも写し、
ははは、余裕、余裕!

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葡萄畑の、光る支えの針金。

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夕陽を受けると、温かい色になりますよね。

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こちらは陰に沈む葡萄畑と、オリアーノ村。 ここの葡萄畑は既に剪定済み。

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そして今、落日。

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こんな感じに、オリアーノ村は丘の上に長く広がります。

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日が落ちた近くは、渋いオレンジ色に、

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そして少し外れた北の方は、ほのかなピンクから紫色に。
夕暮れのこの色が大好き!

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もっと北の方は冷たいブルーに沈み、雲だけピンク色を受け・・。

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最後は、次第にグレーに近い色になりつつ・・。

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翌朝は雨!
が午後から少し晴れ間が出て、夕方の太陽は健在で、
少し靄っているものの、なんとか行けそう!

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まだ丘よりかなり上の丸い太陽を睨みながら、せっせと良い場所に、と歩くうち・・、
あっちゃぁ~、丘の上には厚い雲が広がっており、家並の続く場所を歩くうち、
雲の中に入ってしまったよぉ~!!

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右のこの道が、スコミーゴからオリアーノ村に続く坂道。

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こうして写すとなだらかに見えますが、かなりの傾斜道で、いつもこの道を通って、
プールに、コネリアーノの町に出かけて行きます。



中日の落日後、葡萄畑の奥の林まで、クリスマス・ローズの様子を見に行きました。
夕暮れの中で見つけた小さい花ひとつをどうぞ。

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後日談。
では明日の朝、林の方に行って見よう、と思ったものの、翌朝は雨。
そして遂に今朝は久し振りの快晴で、いそいそと、ね。

葡萄畑にも剪定の人が出ていて、少しお喋りもでき、
村内のあちこちのワン君、猫ちゃんにも会い、クリスマス・ローズも撮れました!
せっせと整理をし、次回を少し早めに、青空の写真を見て頂く予定です。

お日さまが照って青空が広がると、それだけで嬉しくなりますものね。
お楽しみに!

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・ モンテカティーニ・テルメ ・ 中心をちょっぴり 

毎日雨続き、高所では雪、各地で地滑りや交通災害も出ているイタリアで、
まだ暫くこの悪天候で、2月にはひどい寒さがやって来るかも、というニュースを
昨日聞きましたが、そちら皆様方は如何ですか?
被害など出ておりませんように!

今日のご案内は、昨年春に出かけてきましたトスカーナの有名温泉地
モンテカティーニ・テルメ・Montecatini Terme.

いつも「町の中心をちょっぴり」ばかりですが、ははは、
グループ旅行だと一人でふらふら歩けませんので、我慢、乞うご容赦です。

出かけたのは昨年の春4月下旬になりかけの頃でしたが、ルッカでは漸くに
並木道の木蓮がほころびかけ、2泊したモンテカティーニの宿の近くの
ミモザが咲き誇っておりました。

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この日ルッカ見物から少し早めに戻り、モンテカティーニの町の中で解散、
暫く各自仲間との自由時間を楽しんだ時の様子ですが、
    
復活祭前でしたので、お菓子屋さんのウィンドウは賑やか。上の写真の、
トスカーナ風ズブリッチョラーナ・Sbricciolanaと書いた札には、
アーモンドとヘーゼルナッツ、そして新鮮バターがたっぷり、6,5エウロ。

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うす曇りの少し夕暮れが迫る頃で、町にはどことなし華やかな空気が漂い、
グランドホテル・プラザ&ロカンダ・マッジョーレ、どちらが上等の名前なのか、
面白い名のホテルもあり! ちょっぴりレトロなイメージも健在です。

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現在はモンテカティーニ・アルタと呼ばれる丘の上に見える古い町が良さそうで、
ロープウェイがあるというので、仲間とそこに行こうと話していたのですが、

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確かめてみると、夏以外の運行は少ないというので取りやめ、
町中の散歩に限る事にしたのでした。


モンテカティーニの町はフィレンツェから西に39k、ピサには34kという位置にあり、
中世にはフィレンツェ、シエナ、アレッツォ、ルッカなどなどの勢力争いに巻き込まれ、

16世紀半ばには、挙句フィレンツェのメディチ家に憎まれ町は根こそぎ破壊、
残ったのは160人の住民と3つの修道院、行政官庁と裁判所だけ、
ということも起こったそう。

但し、ここに言われる要塞の地というのは、現在の平地の町ではなく、
山の上の、今モンティカティーニ・アルタと呼ばれる地ではないかと思います。

そして、温泉が出るというのは既にローマ期から知られており、
1530年には浴槽が作られ、18世紀後半になりトスカーナ大公レオポルドにより
大いに温泉保養地として振興され、大浴場が作られ始めた様子。
   
19世紀から20世紀にかけホテルも増え、娯楽やスポーツ、レストランや劇場、
という夜の楽しみも増え、18世紀末から始まった社交がいよいよ盛んになり、
音楽家のジュゼッペ・ヴェルディやピエトロ・マスカーニ、レオンカヴァッロなど、
作家のピランデッロなども通い始めます。

イタリアも日本と同様火山国で、あちこちにテルメがあり、その効用も謳われ、
以前は保険が利用できたので大変温泉療法が盛んだったとか。

現在はそれが無くなり、温泉地の社交も下火となり、一般の人々、中熟年が
主と思うのですが、のヴァカンス地となり、結構安い料金で利用できる様子です。
       
が、日本人の頭にある、温泉は冬に、というのではなく、
このモンティカティーニ・テルメのシーズンは5月から秋だそうで、
我々が行った時は、市の温水プールのみが開いているとか、聞きました。
      


町の地図をどうぞ。
フィレンツェ・ピサを結ぶ鉄道の駅は右下に、フィレンツェが右、ピサ方面は左で、
中ほど下に太線で囲った場所が市役所、その上にいくつか見える噴水の形が
有名な温泉池、日本で言うとさしずめ源泉とでも。 これ以外ホテルは軒並みに!

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右上に、上の町とを繋ぐロープウェイ乗り場があり、
その下に囲ったテットゥッチョ・Tettuccioというのが大変有名な浴場。



こちらが市役所、

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たしかシャガール展が上階で開かれていたのですが、パスし、
建物内部のちょっとレトロな様子のみを!

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市役所前であったワンちゃん、こちらで牧羊犬として活躍する種ですが、

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ほら、目の色が左右で違うでしょう、この子?!
後ろでご主人が「ほら、シニョーラを見て!」と指差していて、ははは。



斜め前にこんななかなか素敵な建物が見え、音楽がもれ聞こえるのですね。

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入り口扉脇はこんな感じで、

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建物前にあった写真パネル、どなたかお分かりですね、
はい、モナコ王妃のグレース・ケリーとご夫君、・・こういう場合は逆に書くべき?

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音楽に惹かれ、ジュリアーナが入ろうというので、仲間で覗きました。
で、こんなサロンがあり、

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以下、ボケ写真ご容赦、
サロンの角部屋でミニ・コンサートが開かれておりまして・・、

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ちょうどスウィング・ジャズだったのですが、すぐ傍でカップルが踊り始め、

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隣脇で順番待ちをしていた少女たち。
今回地図を見て気付いたのは、このホテルは「エクセルシオール」でありましたぁ!

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これがモンテカティーニ・テルメでよく見かけるサイトの写真で、
1775年建設のテットゥッチョ、という浴場。

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トスカーナのオルチャの谷には、有名なバーニョ・ビニョーニという温泉があり、
やはりそこもこんなプール式の浴槽で、このモンティカティーニのは浅そうですが・・。
どうも日本の温泉地の浴槽とは、イメージが違いますね。



そしてこちらのテルメでは、温泉を飲むようで、こんな写真も。
はぁ、温泉が主か、カップルが主か、意味不明そうな写真ではあります・・!

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結婚式をモンテカティーニで、という誘致写真もあり!

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バーニョ・ヴィニョーニ ・ ローマ期からの温泉保養地
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461362741.html

バーニョ・ヴィニョーニ ・ ローマ期からの温泉保養地 再訪
http://www.italiashiho.site/archives/20180611-1.html



さて、歩道を歩きながらふと気がついた、埋め込まれたメダル。
この有名温泉地を訪れた著名人の名と訪問年が刻まれているのですね。
       
最初に見つけた ヘンリー・キッシンジャー、1985年。

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懐かしい名でしょう? ニクソン大統領の補佐官、国務長官、
写真は1972年にノーベル平和賞を受けた時のもの。

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クレメンティン・チャーチル、 1952年。

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クレメンティン・チャーチルって誰? はい、あのチャーチル首相の奥方でした。

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ロバート・デ・ニーロ、 2003年。

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どの写真を選ぼうかと迷い、懐かしいメリル・ストリープとの「恋におちて」を。

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彼のような俳優を、単に好きだとは言えなくなりました。
一見平凡な人間が、ある事をきっかけにどんどんのめりこむ、というか、
エキセントリックになっていくのを演じると怖い程で、単純に好きとは・・。



ゲーリー・クーパー、 1956年。

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彼はアカデミー賞を2度獲得しておりますが、2度目は「真昼の決闘」
18953年、ということで、その映画の場面を。 女優さんは上に顔が出ている方。

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クラーク・ゲーブル、 1948年。

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ゲーブルといえば、もうこの映画、「風とともに去りぬ」。 映画は1939年と。

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トルーマン・カポーティ、 1955年。

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映画「ティファニーで朝食を」の原作が彼というのは知っているのですが、
・・読んだっけ? 覚えてもいませんが、後の「冷血」というノンフィクションも彼と。

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私の様な単純人間には到底分からない、複雑高度な頭脳の持ち主の様で、
様々なパフォーマンスの写真も見つかり、これはイタリアに来た際のものと・・。

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最後は、クラウディア・カルディナーレ、 1963年。

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この年の彼女の活躍ぶりは、映画「山猫」と「ブーべの恋人」で、
「山猫」の美しい彼女をどうぞ。 アラン・ドロンも若いなぁ!

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お元気で時々TVに出ておられますが、彼女の化粧がこの頃怖いほどで・・!
アイシャドウを瞼の半分に濃く塗り、そのくせ描き眉が細くほそく・・、う~ん。

メダルの嵌め込みは道の両脇にたくさんあり、ヨーロッパの王室の方の名とか、
イラン国王とか、エジプトのお金持ちとか、歌手もたくさん様々あったのですが、
まぁ、懐かしい往年の、即思い出せる方のみを、ね。
       
     
 
骨董品店も覗き、

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暮れ始めた道を、ホテルに戻ったのでした。
アルタの町の灯を、最後にどうぞ!

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所で、今年の復活祭・パスクワは4月20日(日曜)で~す。


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最近の、嘘のような、信じられないお話をどうぞ!
昨年12月の半ばに、使っていたノート・パソコンが雷にやられ、敢え無く討ち死、
と書きましたが、幸いにもイタリア語版のみと思っていたデスク・トップでも
日本語が打てるのが分かり、助かったぁ、と。

電源スイッチを押してもまるで反応が無く、そのまま暫く机の上にあったのですが、
大き目の絵も描き出したので、机の上も整理しようとはずし、ガレージの隅に。
勿論電源スイッチも反応なしでしたが、年内に捨てに行けず、そのままに。

所で、いつも写真はPCに移した時点で、外付けのメモリーに移動させているので、
PCがアウトになった時も写真は無事でやれやれと思ったのですが、
だんだん落ち着いてくると、以前整理する前の写真の一時置き場にしていた
ローカル・ディスク、ここに残したままだったのも幾つかあることに気がつきました!
あっちゃぁ~!!
イスタンブルのモスクの幾つか、そして昨年春のルッカ周辺旅行のも見つからず、
しまったぁ、と思ったものの・・・。

写真が諦めきれず、雷事故から1ヶ月、つい先日ガレージの隅から引っ張り出し、
電源を繋ぎ、スイッチを押してみました。

そしたら、なんと、プイーンと電源が入るではありませんか!!
そう、1ヶ月間昏睡状態だったのが、蘇生した、とでも!
       
のんびり、ゆっくり徐々に、じわじわ動き始め、最後に再起動しておくれ、と出て、
無事社会復帰を果たしました!

偉いよぉ!!と誉めてはあげたのですが、既に元の職場には19インチの
四角なディスプレイのイタリア君が、ね。で、今向こうの部屋で、控えの選手に。

てなことで、ルッカ周辺の写真も復活し、今回モンテカティーニ・テルメを、
ということでありました。
皆さんも、くれぐれも写真の保管、バックアップをお忘れなく!

そして、故障したと思っても、暫くの余裕を見て、もう一度お試しを、ね!!


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・ A・パッラーディオの街 ヴィチェンツァ ・ 中心をほんのちょっぴり 

今日はアンドレーア・パッラーディオの街として有名なヴィチェンツァ・
Vicenzaの中心をちょっぴりご覧くださいね。

ヴィチェンツァの街は、1994年に世界遺産に指定されておりますが、
街の周辺、そしてヴェネト一帯に点在する彼の設計によるヴィッラも含まれていて、

街の中心には、かの有名なパッラーディオのバジリカ・Basilica Palladiana
と呼ばれる素晴らしく大きな公会堂建物があり、
位置する広場の向かい合わせに、パラッツォ・デル・カピターノ・行政長官邸・
Palazzo del Capitano、
そして有名なテアトロ・オリンピコ・Teatro Olimpicoが街の東にあり、
他にもパッラーディオ設計の邸宅・ヴィッラがいくつもあります。

2年前の2月に出かけた時はこの中心街と、ヴィチェンツァの北方にある、
彼の始めての建築として有名なヴィッラ・ゴーディ・Villa Godiを訪問し、
ここのご案内はさぼっており・・。

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テアトロ・オリンピコについては既にご案内済みで、
今回漸くに街の中心をほんのちょっぴり、ご覧頂く事に。



写真はパッラーディオ設計の(1550年と1680年)パラッツォ・キエリカーティ・
Pal.Chiericati. マッテオッティ広場・Piazza Matteottiに面し、
現在は市絵画館に。

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こちらは同広場東端の角の建物。 左奥にテアトロ・オリンピコの入り口が見えます。

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テアトロ・オリンピコ ・ ヴィチェンツァ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467565180.html



街の地図をどうぞ。 右上に見えるキエリカーティ邸・Chiericatiを基点とすると、
そこから南西にコルソ・アンドレーア・パッラーディオを通り、
途中から南に行くとシニョーリ広場・Piazza dei Signori.

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ここが街の中心広場で、そこから北にパッラーディオ通りに出て戻った、
という行程で、地図上ではほんの少し。

ヴィチェンツァの鉄道駅は左下に囲った所で、そこからまっすぐ北に、緑の部分が
サルヴィ庭園・Giardino Salviで、ここにパッラーディオのロッジャ・サルヴィがあり、

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サルヴィ公園からシニョーリ広場に向かう途中に、正面壁が素敵なドゥオーモ。

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街の南の高台にモンテ・ベーリコ・Monte Bericoがあり、ここには奇跡で有名な
ロココ様式の教会もあありますが、教会前広場のテラスからは街の見晴らしが素晴らしく、
パッラーディオのバジリカの大きさも良く分かります。

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以前何度か出かけた時の街の写真が無くなり、例によってサイトからの拝借で、
ブログ・アドレス入りがshinkaiの写真です。



細長いシニョーリア広場の東側、商店街の並び。

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広場の東側には円柱が2本あり、右の上にはお馴染みヴェネツィア共和国のシンボルの
有翼のライオン君がいて、左の円柱上の人物は写しておらずですが、
・・パッラーディオ様なのだそうで、失礼をば!

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広場の南側を占めるのがパッラーディオのバジリカで、塔は12世紀建設の
トッレ・ビッザーラ・Torre Bissara.
82mで街で一番高い建物だそうですが、なかなか美しいでしょう?!

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ビッザーラの名の由来は、塔を建設したビッサーリ・Bissari家に因み、
隣に一族の屋敷があったのだそうですが、本来はずっと低かった様子。

13世紀の初めに町が、執政官邸にする為に屋敷と塔を買い取り、後1347年の
地震の後、現在の半分ほどの高さになり、15世紀になって現在の高さに。

バジリカとともにこの塔も、第2次大戦の空爆でやられたそうですが、
その後の何度もの修復、美化保存により、元の姿の様子です。

塔の鐘は、最終的に2005年の修復により、毎時と30分毎に時を告げるだけでなく、
12時と18時の前に、それぞれ7分間独特のメロディを鳴らすのだそうで!
       
ヴェネツィアのデッラ・サルーテ教会の鐘が、11月末のお祭りの日に
独特のメロディを奏でるのは聞いたことがありますが、
このビッザーリの塔のも、一度聞くチャンスを持たないといけませんね!



さて、ヴィチェンツァの街のシンボルとでも言う、パッラーディオのバジリカ。
一度昔上階に上がり、その内部の大きさ、天井の高さは朧に記憶しておりますが、
この時は上階に行きませんでしたので、細部の写真のみでどうぞ。

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白い大理石で覆われた、元々は2つの15世紀ゴシックの建物で、上階は
中に支えの柱が1本も無い大広間で、議会場として使われていたもので、
この形はパドヴァのラジョーネ宮(1306年建設)にも見られ、
屋根は船底の竜骨部分をひっくり返した形で青銅製。

バジリカという呼び名は、聖堂にも使われていますが、
この場合は古代に使われた公的集会場とか、裁判所、討論、商集会所
などの意味で使われ、宗教的意味合いはありません。

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15世紀の終わり、古い建物の修復が終わろうという時に南西部が崩壊し、
長い長い討論の末1546年、当時38歳の殆ど名の知られていなかった
アンドレーア・パッラーディオ(1508-1580)の案が採用され、

更に3年の論争の末、パッラーディオのパトロンで導きの師でもある
ジャンジョルジョ・トゥリッシーノ・Giangiorgio Trissinoと、後に彼に邸宅設計を
依頼する貴族たちの後押しで遂に本格的に決定したといいます。

中に通路のある2つの違う建物をつなぐパッラーディオ提出案のセルリーナ・
Serlinaと呼ばれる、違う間隔のアーチを使う弾性、自在さ、というのか、
・・この辺り、私には上手くご説明できませんで申し訳ないっす、
最初にブラマンテが使った古くからある方式だそうですが、それを用い、

周囲にロッジャをめぐらし、1階部分の円柱はドーリア式、2階部分はイオーニア式、
大理石の費用として当時としては莫大な6万ドゥカーティだったそうで、
これと同じ費用は約10年後のヴェネツィアのサン・ジョルジョ教会の建設費まで
でておりません。

ですが、パッラーディオの給料は月に5ドゥカートだったそうで!
彼は生涯大変に質素な生活を送ったというのですが・・。

工事はゆっくりと進行し、最終的に終了したのが1597年、
パッラーディオの没後17年の事になります。

所でこのバジリカですが、大きさをお伝えするのにどこかに寸法でもないかと
探し回りましたが見つかりませんで、ひょっとして日本の方のサイトならと、
ははは、探しましたが残念!

2007年から始まった大修理も2012年には済んでいるはずですので、
またチャンスを見て出かけてみないといけませんね。

n.2 パドヴァ ・ 黄金の世紀 の 1
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462330115.html

n.3 パドヴァ ・ 黄金の世紀 の 2
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462330356.html

     

こちらは間の通路で、1階部分には店舗があるのですが、まだこの時は修理中か
終了間際で、寂しいイメージでしたし、本来なら店の名が見える看板も消耗した儘で・・。

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そしてシニョーリア広場の北側を占める、長さがなんと72mもあるという
モンテ・デイ・ピエタ・Palazzo dei Monte di Pietà、つまり公営質店で、
真ん中にサン・ヴィンチェンツォ教会・San Vincenzoを含みます。

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このモンテ・デイ・ピエタは1486年にこの街からユダヤ人が追放された後、
彼らの住居区域跡に建設されたものなのだそう。



建物の角で、見える、というか半ば消えかかったフレスコ画は、モゼ・Mosèの生涯を
描いたもので、モンテ・デイ・ピエタの建設位置を考えると、選んだ主題が・・。

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同じくシニョーリア広場を挟み、バジリカの斜め前にのパラッツォ・デル・カピターノ・
Palazzo del Capitanoがあり、同じくパッラーディオ設計のロッジャ1565年。

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モンテ・デイ・ピエタとの間の道を北に進みます。

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こんな風にバジリカの青銅の屋根や、ロッジャの2階も見え、

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右に見える教会のファッチャータは、正式にはこちらが正面入り口なのかも・・!
道が狭く、見上げるようにしか撮れませんで。

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道の両脇には大きな建物が立ち並び、中庭がこんな風に見え、

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ヴィチェンツァの街は1404年からヴェネツィア共和国の元に入り、1797年の崩壊まで
他のヴェネトの町と同様400年の平和と繁栄を享受した訳で、
その繁栄の名残が各所に残っていて、

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現在も繊維業、金細工、そして各種中小工業が大変に盛んな土地だそうで、
人口が11万6千人程の、活気に満ち溢れた街です。



こちらはパッラーディオのパラッツォ・テイーネ・Palazzo Theine.
正面入り口の写真が無いのですが、この一見豪壮重厚な石組みも、

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実は中は煉瓦で、その上から大理石の粉を混ぜた漆喰を塗り、いかにも重厚そうに
見せる、という、工期が早く済み安くあがるというパッラーディオ建築が、
ヴェネトの貴族たちにもてはやされた一つの理由でもあります。

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パッラーディオ設計の ヴィッラ・フォスカリ、 または、 ラ・マルコンテンタ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467561421.html

ヴィッラ・エモ ・ ヴェネトのヴィッラ訪問
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467639836.html

ヴィッラ・バールバロ・ディ・マゼール
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463456543.html



名前が分かりませんが、ヴェネツィア様式のshinkaiの好きな形で、

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コルソ・アンドレーア・パッラーディオ通りのカ・ドーロ邸・Palazzo Ca’ d’Oro.
同じ名のヴェネツィアの館とは比ぶべくもありませんが、
ゴシックの入り口が気に入り撮っておりましたので・・。

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コルソ・アンドレーア・パッラーディオにある建物位置と名前は、まずこのサイトに、
https://www.comune.vicenza.it/utilita/documento.php/188824



夕暮れ迫る中、ポルティチの下を辿って戻りますが、

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店に灯が入ると、なかなか良いでしょう?

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本日最初のマッテオッティ広場の横、キエリカーティ邸の空も夕暮れの色。

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少し長い散歩、お疲れ様でしたぁ!


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・ 映画はお好き? ・ 最近見たもの、懐かしいもの

お天気が、暖かい陽射しが恋しい、寒い霧の毎日が続きますが、
さぁて、元気を出して参りましょう!

というわけで今日は最近見た映画や届いたDVDのお話を!

トップは、お正月休み最後の6日に仲間と見に行った映画
こちらでは主人公の名のまま「フィロメーナ」でしたが、

◆ あなたを抱きしめる日まで
  ・2013年 イギリス製作
  ・スティーヴン・フリアーズ監督
  ・ジュディ・ランチ、 スティーヴ・クーガン

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若き日にふとした出会いで身ごもり、修道院で出産。
生き別れのまま50年経ち、今、我が子を探す旅に。
そして、知った真実は・・。

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実話からの映画化だそうですが、やはり哀しい。
そしてカトリック、宗教というより、その世界に住む人々の偏狭さ、
取り繕いの偽善は、胸をえぐります。



◆ アンコール!! (マリオンへの歌)     
  ・2012年 イギリス映画
  ・ポール・アンドリュー・ウィリアムズ監督
  ・ヴァネッサ・レッドグレーヴ、 テレンス・スタンプ
     
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暫く前に見たのですが、とても良かった!

年金生活者たちのコーラス・グループ。 妻は明るく前向き、でも夫は
内にこもり息子とも上手く行かない、
そんなカップルの妻が先立ち、一人残された夫はコーラスに参加。

妻はかたくなな夫に「あなたの心の色はどんな色、見せて」と歌い、
夫は最後に「お休み、私の天使、我々はいつまでも一緒だよ」と歌う。



名女優ヴァネッサ・レッドグレーヴに久しぶりに会えて嬉しかったし、
夫役は「コレクター」のテレンス・スタンプ。
薄いブルーの瞳は相変わらずだけど、冷たさが無くなっていた様な。

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コーラス・グループの指導に当たる若い女性の描かれ方、
優しくそして適切に年配者に接し、扮した女優も可愛く素晴らしかった。


それにしても、日本語のタイトルを知るために見たウィキペディア日本版の
あらすじに「老婆マリオンの・・」とあって、久しぶりに開いた口が塞がらず!

一体幾つにおなりの方が書かれた文章なのか、
いまだこんな言葉が辞書としてのサイトにまかり通るのか、
KSBKをつけてお返ししたい気になりました!!
       


大分前に見た映画なのですけど、元気な年配者達を描いた

◆ マリーゴールド・ホテル
  ・2012年 イギリス、アメリカ、アラブ首長国製作
  ・ジョン・マッデン監督
  ・ジュディ・デンチ、ビル・ナイ、マギー・スミス、トム・ウィルキンソン

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それぞれが各人なりの悩みや解決すべき問題を抱え、経済問題も含め、
やって来たインドでの新しい生活、そしてインドの若者カップル。

インドに行ったから問題が解決するわけでもない、でも新しい展開もある、
という内容、面白かった!
       

最近元気な年配者達を描いた映画がたくさん出始めたと思われません?
現実社会にそういう方たちが多い事も反映しているでしょうし、
新しい現実的な問題も多いのかもですね。

暫く前に、パリ近郊の高層アパートに住む貧しい年金生活の女性が、
如何に少しでも稼ぐか、から、なんとマリファナの売人になる、
それも自分のかっての料理人の腕を生かし、お菓子の中に混ぜ込んで売る、
それがバカ売れで、友人達も手伝う程、そのくせ自分の婿は警察捜査官!

というような、ちょっとおとぎ話的な可笑しなフランス映画もありましたっけ。
たしかタイトルは「ポーリーン」というこの女性の名前で、
今回探しましたが分からず、残念!
       


タイトルだけで笑えてくる、ちょっぴり皮肉で可笑しなイタリア映画、

◆ ゾラン・私の馬鹿な甥
  ・2013年 イタリア、スロヴェニア製作
  ・マッテオ・オレオット監督
  ・ジュゼッペ・バッティストン、テーコ・チェーリオ

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フリウリの田舎に住むパオロは、お隣のスロヴェニアに住む叔母さんが
亡くなったとの知らせで相続に赴くものの、遺産は甥のゾランのみ!
やむなく引き取って戻ったものの、飲ん兵衛で、まじめに働きもしない彼には、
甥なんて面倒くさいだけ。

所がこの一見鈍げな甥が、なんとダーツの抜群の名手と知り、
最後の詰めは、まぁ最初から読めるのですが・・、



こんな田舎のバールというかメンサというか、わやくちゃな場所が皆のたまり場で、

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芸達者な役者たちが、生き生きとイタリア男を演じて見せます、ははは。

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映画の中で、男性熟年コーラス・グループが、いとも荘重に歌う場面があり、
歌詞(標準語)は下記の如し。 ただしフリウリ訛りで歌われます。

il vino fa allegria       ワインは楽しくさせる
l'acqua è il funerale      水はお葬式
chi lascia il vino furiulano   フリウリのワインを飲まない者は
è proprio il figlio d'un cane  まったくもってろくでなし
il vino sorregge la vita     ワインは人生を支える
l'acqua la beve il cane     水は犬が飲むもの
chi lascia il vino furiulano   フリウリのワインを飲まない者は
è proprio il figlio d'un cane  まったくもってろくでなし




友人のルイーザがフランスからお持ち帰りのDVDを、一夕彼女の家で楽しみました。
はい、日本映画の

◆ 裸の島
  ・1960年 日本映画
  ・新藤兼人監督
  ・音羽信子、 殿山泰司

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ご存知の通り、この映画は台詞が一言もないので、
フランス版とはいえ、はい十分に、皆が私めの解説で納得いたしました、ははは。

水の無い瀬戸内の小島に住む貧しい一家のお話、
医者を捜し歩き、手遅れで子供が死ぬ所など切ないですね。
       


クリスマス前にオンラインで注文したDVDが、漸くに先日届きました。
ジュリア・ロバーツの新しい2作もあるのですが、
懐かしい映画を見つけて3本購入。

可愛いマシュマロちゃんみたいなマリリン・モンローの

◆ バス・ストップ
  ・1956年 アメリカ映画
  ・ジョシュア・ローガン監督
  ・マリリン・モンロー、 ドン・マレー

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「7年目の浮気」とか、「お熱いのがお好き」「王子と踊り子」などいろいろ
ありますけど、彼女の映画ではこれが一番好き。

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純情な青年に、これまた心根の優しい女、という取り合わせで、
こちらも素直に楽しめる、良く出来た映画ですよね。

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自分はまったく踊れませんが、ダンス映画は大好き人間で、はは、
こちらはブロードウェイの大ヒット作の映画化

◆ コーラス・ライン
  ・1985年 アメリカ映画
  ・リチャード・アッテンボロー監督
  ・マイケル・ダグラス、 アリソン・リード

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ブロードウェイのミュージカル舞台に引かれた線、コーラスライン。
主役でないバックで踊るダンサー達はこれより前に出れないラインだそうで、

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バックで踊る役を得るためのオーディションに集まるダンサーたちの、
それぞれの人生を語りながら進行します。

何よりも最初の速いテンポの音楽と、凄い数の応募ダンサーたちの
熱気溢れる踊りが素晴らしい!!

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こちらでちょっぴりどうぞ!
https://www.youtube.com/watch?v=4t7oXxFAlHM
       
       
Youtubeを見て頂くにはどれが良いかなぁ、と探していて、
ウェスト・サイド・ストーリー」のオープニング場面が見つかり、DVDを
持っているのに、忙しいのに見てしまい! 困ったもんだ、まったく!
       
これも凄い映画でしたぁ!!  我が青春のひとコマで。  
http://www.youtube.com/watch?v=bxoC5Oyf_ss



そして、あのテーマ・ソングはいつでも即思い出せる

◆ 日曜はダメよ
  ・1969年 アメリカ映画
  ・ジュールス・ダッシン監督
  ・メリナ・メルクーリ、 ジュールス・ダッシン

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ギリシャの港町にやって来た古代ギリシャ信奉者のアメリカ人観光客と、
港町の娼婦イリア、そして町の男たちが繰り広げるコメディ。

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サマセット・モームの短編に、南方のモンスーンの島で娼婦を改悛させようとし、
自分が破綻する伝道師のお話がありますが、
この港町の娼婦に同様に接する頭でっかちの、ははは、観光客。

結末は分かっているのですが、テーマソングとともにいつまでも残る映画。
それに、このメリナ・メルクーリの存在感が素晴らしい!

今頃はどうか知りませんが、我らの時代にあっては、ははは、
女の子が憧れる大人の女、の1人でしたよね、女性の皆さん?!

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こちらでちょっぴり音楽とあらすじをどうぞ!
http://www.youtube.com/watch?v=2Wap_KyNF_s        

いやぁ、やっぱり映画って素晴らしいですねぇ!!


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・ トスカーナ・シエナのクレーターの麦秋と、 アシャーノの町

お正月休みもついに最後となりましたが、
皆様には良い休暇をお過ごしでしたでしょうか?!

こちらイタリアは6日のべファーナ迄が一応クリスマス休暇なのですが、
2日から既にお仕事の方も多く、我が家の洗濯機の故障も
2日に修理依頼、3日の朝テクニコが来て無事復活という、
はい、平日よりもスムースな、ははは、年明けでございます。

ブログは現在の所まじめに5日毎にアップしてますが、はは、
さて、次は何を?と考えるのがかなり大変で・・!
つまり見て頂くのに、あれこれ調べないといけない面倒なのは、
ははは失礼!
とか、これは皆さん興味があるかなぁ・・?というのは
ついつい後回しになるのですね。
で、後回しのお蔵入りをいっぱい抱えておりまして・・、反省。

少しまじめに取り組んで、とは思うのですが、その時の気分次第で
何にしようかぁぁ?がなかなか決まらない時があり、
今回もひょんなことから、シエナのクレーターに!

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何がきっかけかと白状しますと、へへへ、
春にかねて念願の「緑のオルチャの谷」を見に行く予定にしてますが、
どのように回ろうか、と地図を眺めつ嬉しく行程を考えながら、
・・そうだ、ではついでにシエナのクレーターも回ろう!
という事から、届きましたアイディア。

一度「トスカーナは麦秋の色」としてご覧頂きましたが、
アシャーノ・Ascianoの町はそのままになっておりました。
       
暫く前に偶然この町の博物館のサイトを見つけた事も重なり、
漸くに晴れて日の目の、はは大袈裟な、アシャーノの町をどうぞ!

      
地図は、シエナのクレーター・(複数形で)レ・クレーテ・セネージ・
Le Crete senesi.
赤い線が道路の行程を示しますが、
アシャーノの町は、まさにクレーターの中心に位置します。



以前に少しご覧頂いたので、写真が同じでないのを選びましたが、
シエナから東南に、カーブの多い坂道を辿ります。
麦畑がなだらかに見える刈り入れ前の畑と、

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手前が既に刈入れの済んだ、トラクターの筋が見事な畑。
そして後ろに白く地表に見え始めるのが、クレーター。

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白い象の背中が地表に、みたいなのがビアンカーネ・Biancane、

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削ったような険しいのをカランキ・Calanchiと呼び分けます。
このカランキの写真はオルチャの谷の南、ラディコーファニの古城を
見に行った時の物。

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カランキはかなりの広範囲で、マルケ州でもラツィオ州でも見ますが、
ビアンカーネの丸い象の背中は、ここアシャーノ周辺の特徴の様。


所で、クレーターと呼ぶのは厳密には一体何かですが、
クレータ・Cretaという言葉自体が粘土を指し、それに岩塩や
石灰岩が混ざった灰青色の物で、
2万5千年~4万5千年前の海底にあったもの。

アシャーノの町について読んでいましたら、2008年に
町の中心住宅地から程近いクレーターに、3万年以上前に
この一帯に生息していたイルカの一種の化石、
今までにない重要な科学的発見もあったのだそう!

このシエナのクレーターの風景は時に月面に喩えられますが、
なだらかに起伏する荒野に、樫や糸杉がぽつんとあったり、
丘の上の孤立した農園、雨水のたまる小池、といった魅力あるもの。
       
オルチャの谷、ラディコーファニのご案内は
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461280756.html       
       


起伏する丘に広がる麦畑の刈入れは、まさにダイナミック!!

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さてアシャーノの町に到着。
シエナから東南に約20kに位置し、これは町の印。

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見えます? 原始人的な手が斧を握った感じでしょう?!
アーシャ・Asciaとなると、斧とかマサカリ、戦斧・トマホークを
指しますが、う~ん、町の名もそれにちなんでいるのですかね?!
古代から開けた土地の様ですが・・。


何せ5年前に訪問した町でして、ははは、
おまけにあまり特徴の無い町並みで・・!

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町の駐車場が県道筋脇にあり、中心には坂道を少し上がり、
この道の家並みの壁の特徴は良く覚えていますが・・。

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全景写真が無いのでこれはサイトから拝借で、
町外れに近い位置にあったサンタガータ教会・Sant.Agata。

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教会の中の写真も1枚あり、はぁ、見てはいるのですね、へへ。

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シニョレッリさんがコメントに「ソドマでは?」と書いて下さり、
確かに16世紀のソドマ・Sodomaの壁画
「聖母子とトビオーロと天使・Tobiolo e l'angelo」
       


通りの奥に入り込みましたら、面白い古い建物が見つかり・・、

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その隣に高い素晴らしい建物があり、これは!と嗅覚がね、ははは、

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表に回りましたら、はい、やはり町の考古学、聖芸術博物館。
コルボーリ邸・Palazzo Corboliという、
現在町に唯一残る中世の建物。

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写真は、shinkaiが写した物は我がサイトのアドレス入りで、
他はサイトからの拝借です。



この看板は町の外、街道筋にあった物。

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で、考古学博物館と名乗るとおり、私が訪問した時は1階にかなり
大掛かりな古代墓、エトルスク物の発掘調査発表の展示があり、
町はエトルスク、そしてローマの下でも商業交易の町として発展。



こんな展示のサイトの写真もありましたが、

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多くの絵画展示もある様で、私の時は長い建物修復の後に
漸くにその年オープンになった時で、
今サイトで見る作品類も後に他から移動して来た様子。
       
この博物館は、イギリスの大手新聞デイリー・テレグラフ紙により、
イタリアの小さな素晴らしい博物美術15館のうちの一つに
選ばれているのだそうで、
    
作品が見れるサイトを見つけましたので、是非どうぞ!
http://www.cretesenesi.com/museo-civico-archeologico-e-d-arte-sacra-palazzo-corboli-p-1_vis_2_1.html



上の看板に横顔が載っていた作品がこれ、「聖母の誕生」。

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マエストロ・デッロッセルヴァンツァ・Maestro dell'Osservanza.
と言う画家の名は初めてで、ちょっと興味を持って調べてみました。

シエナ派の画家で1425~50年にかけての作品が残りますが、
生年も没年も、本名さえもまだ分かっておりません。

名前の「オッセルヴァンツァ」は、シエナの北の丘の上、
街の北、鉄道駅をはさんでの向かい側、オッセルヴァンツァ通りの
教会にある「聖母子と2聖人」の名から来ており、

徐々に各地の彼の作品が認められ始め、シエナ派の優雅な絵で
有名なサッセッタ・Sassettaの助手としての仕事、
またシエナのドゥオーモの幟旗なども知られ、
15世紀シエナ派の、サッセッタと並ぶ主役級の画家であったろうと。
  
そう、看板にみる女性の横顔も、この板にテンペラの「聖母の誕生」
の各女性も、とてもたおやかで優雅ですね。
彼の作品が、このアシャーノ博物館にかなり収蔵されている様で、
チャンスがあればまた再訪したいもの!



修復が済んだ、アンブロージョ・ロレンツェッティの
「ドラゴン退治のサン・ジョルジョ」

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ここから、shinkaiがちょっぴり興奮した、ははは、
2階の14世紀のフレスコ装飾の部屋で、
「四季の部屋」、天井部分に四季の寓意人物が描かれた物。

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グラナイヨ・穀物庫と呼ばれた部屋ですが、家の中での公共の場
とでも、商業契約などが取り交わされた部屋と。
       
天井の広い面積のブルーに、朱、赤、黄土、黒、白と鮮やかで、
四季の図柄が選ばれたのも分かる気がしますね。

他に盾型の紋章が見えますが、この屋敷はシエナの裕福な貴族
バンディネッリ家・Bandinelliが1212~1214年に
住居兼商業活動の場として建設した物だそうで、

この年代はシエナ共和国がアシャーノの領主シャレンガ公爵から、
この一帯や貴族位を買った年なのだそう。
       
バンディネッリ一族は170代の教皇アレッサンドロ3世が1159年に、
他にもかなりの著名人を輩出している一族で、
       
屋敷の名がなぜコルボーリ・Corboliなのか、またその意味も
分からずで、 ご存知の方がおられましたら、お教え願います。



そしてこちらが一層気に入った部屋でして、はい、
アリストテレスの部屋・Sala di Aristoteleと。
壁にびっしりと描かれた寓意画と大理石柄ですから、
哲学者の名が冠せられたのかな?

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こちらは多分諸聖人の処刑場面があれこれで、

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これも諸聖人の逸話場面と・・。

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ソロモン王の、2人のどちらが実の母親かの審判場面かも・・。

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こうして横から見ると、あの大理石柄の一つ一つの枠が、
だまし絵であるのが良く分かりますね。

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右側、出口に近い場所に白黒で囲われた扉部分が見えますね・・。
実はあの内部に花柄が描かれておりましてぇ・・、



こちらは隣の部屋との境にあった小部屋で、
同じ花柄に、床の奥に蓋・・!

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一旦何気に通り過ぎたshinkaiですが、・・むむ?!と引き返し、
ははは、はぁ~い、ここと広間のあの切り込みの奥は、おトイレ!!

こういうのが見つかると、とても嬉しくなる私、ははは。

アシャーノの考古学聖芸術博物館・
Museo Civico Archeologico di Asciano
住所 Corso Matteotti 122  Tel 0577719524-0577719510
11月~2月 金曜日から日曜日 10:30-13:00 15:00-17:30
3月~10月 火曜日から日曜日 10:30-13:00 15:00-18-30

フィレンツェ・ヴェッキオ宮のおトイレ探求は
       


町下の駐車場に戻りますが、途中の広場に素晴らしい泉が。
なぜこんな中途半端に撮ったか、この横から奥にかけ工事中で、はい。

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アシャーノの町を後に、まだ続くクレーターの地、麦畑を横に、
ピエンツァに向かい下ります。

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写真はサイトからですが、アシャーノとあった、美しい夕暮れを!

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旅心が誘われるでしょう、皆さん?!
はぁ~い、寒い間は体力気力つくりに励み、そしてお出かけを!!


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・ 新年明けまして、おめでとうございます! 

皆様、新年明けまして、おめでとうございます!
良いお年をお迎えの事と存じます。
今年もまた、どうぞ宜しくお願いいたします!!

年明け最初のブログには何を? と考えておりましたら、
午年と知り、ひとつアイディアが!

という事で、はい、年初めの最初のブログは馬づくしで、ははは。

写真は、イタリアの地図とshinkaiの車パンダちゃんですが、
さて、これだけでどこかお分かりの方は、はい、かなりのイタリア通!

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そうで~す、ウンブリアの奥マルケ州に近いピアーノ・グランデ・
Piano Grande・大平原にあるイタリアです。
この大平原、そして北端の丘の上の集落カステルッチョ・Castelluccioには
都合3度出かけていますが、2度目の初夏に行った時は2泊し、
有名なレンズ豆の花や畑、一面の花畑となった大平原、
羊や牛の群れの写真を飽きもせずに撮りまくりました。

既に1度、通しでご覧頂いておりますが、まだ見て頂いてない写真も
多数あり、はい、その中から馬の写真を拾い出しました。
初春の一時を、イタリアの初夏の大平原、心まで広がる様な・・を、
ごゆっくりどうぞ!
       
昼間は囲いの中にいる馬たち、

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地面に横になって寝ているチビちゃん。

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こんな風に乗馬もさせて貰えるようで。

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中の1日、大平原を囲む丘の道を辿りました。
下に見えるのが、カステルッチョの集落。

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大平原と呼ばれるこちら南側は7月の初め、既にレンズ豆の花の時期が済み、
ほのかにオレンジに見えるのはポピーで、他に矢車草も。
そして、突き出したカステルッチョの村でくびれた形で北側の小さい平原では、
まだ黄色いレンズ豆・レンティッキエの花が見れたのでした。
       
大平原の海抜は1350m、全体の広さは15km²あるのだそう。

雨と霧のカステルッチョ と 大平原
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464309438.html

n.1 カステルッチョ、 そして、大平原のお花畑
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464308843.html

n.2 カステルッチョ、 そして、大平原のお花畑
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464309182.html

ノルチャ ・ そして、カステルッチョ
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464307296.html
 
    

何の気なしに、今までのカステルッチョの記事を見直しましたら、
なんとまぁ、どこにも地図を載せておりませんでした! 済みません。
遅くとも無いよりはまし、というイタリアの諺に従いまして・・、どうぞ!

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ピアーノ・グランデ、カステルッチョに行くには、3基点から。
マルケ州のヴィッソ・Visso 北から、
又はアスコリ・ピチェーノ・Ascoli Piceno 東から、
同じウンブリア州のノルチャ・Norcia経由 南から。
いずれも峠越えの山道ですが、景色は素晴らしい!



3日目の朝、宿の窓から平原に雲が流れるのが見え、 
暫くするうちにす~っと消えて行きましたが、素敵な眺めでした。
下に見える線が、大平原の真ん中をまっすぐに通る道。

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最後の朝、南の端近くまで走り、馬たちが自由に草を食む姿を傍で。

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馬の姿というのは、傍からだと本当に大きいのですね。
道を横切り反対側の草むらに渡るのに、斜めにカポカポと近寄って来られた時は、
思わずわっわっ!と逃げ腰に、ははは。
  
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彼らは草をぱくっと咥えて噛み切るのです。
なので傍に居ると、バシッバシッとかなり大きな噛み切る音が聞こえる、
そんな事も初めての経験で・・、はは。

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奥のほうに、白黒の馬が見えますね、



で見ていると、2人でどんどん上の方に、皆と離れて歩いて行くのですね。
なんだぁ、あれらはぁ、と、物好きshinkai、ははは。

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北、朝の光の中のカステルッチョの村。

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そして南。

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という様な、うま年の初め。
どうぞ、皆様にとって良いお年でありますように!!
そして、本年もどうぞ宜しく、
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