・ ドロミーティの景観 ・ 山小屋サン・マルコ

写真仲間のジョヴァンニ・Giovanniの提供でご覧頂いているドロミーティの大景観、
今日ご覧頂くのはドロミーティの山々の中でも2番目に高いアンテラーオ山・Antelao、
標高3264mを望む山小屋サン・マルコ・Rif.San Marcoへの道。

1-Rosa selvatica_GF.jpg

ご覧の様に今回は色とりどりのお花と、アンテラーオ山の夕暮れ色の、素晴らしい写真を
送ってくれましたので、皆さんもご一緒に高山の爽やかな散歩をお楽しみくださいね。
上の可愛いピンクは、野生の薔薇。


       
ジョヴァンニの送ってくれた地図ですが、なんとまぁ、見ただけで目眩がしそうな、と
思われません?! 

2-1-Antelao_GF.jpg

彼と友人が行ったのは、上に囲った山小屋サン・マルコ、標高1823m。
アンテラーオは右下に見え、位置をとちゃんと囲ったのですが、ははは、
その上からサイト名を入れたドジshinkai!・・まぁ、位置はお分かりですね?!



で、どの辺りかはこちらの地図を。 コルティーナ・ダンペッツォの南東に位置する
サン・ヴィトー・ディ・カドーレ・San Vito di Cadoreから北東に約2時間程の距離、
赤点をつけた辺りでしょうか。

2-2-s.vito _GF.jpg 
      
サン・ヴィトーの下に追加したセルデス・Serdesは、山小屋から下り、
夕暮れのアンテラーオ山を撮った場所なのだそう。
左のモンテ・ペルモ・Monte Pelmoは、彼の次の写真の中に。

ヴェネツィアから我が町コネリアーノ、そしてべッルーノを通る国鉄線は、
地図に見えるカラルツォ・ディ・カドーレ・Calalzo di Cadoreが終点で、
ここでバスに乗り換えコルティーナに向かいますが、

国道との合流点ピエーヴェ・ディ・カドーレ・Pieve di Cadoreには、
かのティツィアーノ・Tizianoの生家があります。

ティツィアーノの生家博物館 ・ ピエーヴェ・ディ・カードーレ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467641435.html

ティツィアーノの生まれた町 ・ ピエーヴェ・ディ・カドーレ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461664802.html



リフージョ・サン・マルコに向かう山道から、出発したサン・ヴィトーの町と、
奥にモンテ・ペルモ3168mの姿。

2-3-Monte Pelmo e San Vito di Cadore dal sentiero per il rifugio_GF.jpg



花の咲き乱れる草原。

3-Prato_GF.jpg

4-2-Prato_GF.jpg

4-Prato di montagna_GF.jpg



日本名が分からず、パラディージア・Paradisiaと。 大変清楚な白百合。

5-Paradisia_GF.jpg



オダマキ・Aquilegia・アクイレージア。

6-Aquilegia_GF.jpg

さすがジョヴァンニ! 良く花の名を知っています。
イタリア人は、女性でもなかなか花の名を知らないのですよ。



鹿の子百合・Gilio martagone・ジ―リオ・マルタゴーネ。

7-Giglio martagone_GF.jpg



草原に咲くオレンジの百合、
この百合はサン・ジョヴァンニの百合・Gilio di San Giovanni.

9-San Giovanni_GF.jpg

10-Giglio_GF.jpg



小撫子・Garofano minore・ガローファノ・ミノーレ。

11-Garofano minore_GF.jpg



野生の(森の)ゼラニウム・Geranio silvano・ジェラーニオ・シルヴァーノ

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13-Geranio silvano_GF.jpg



日本名はなんと?  ボットン・ドーロ・Botton d'oro.

14-Botton d'oro_GF.jpg



木の祠のマリア様と幼子。 素朴な信仰が伝わって来ますね。

15-Devozione_GF.jpg



アネモネ。

16-Anemone_GF.jpg



さて、険しい断崖絶壁の山道の写真が始まり、稲妻みたいに続く道!

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この稲妻みたいなジグザグの山道は行程図にも見え、ジョヴァンニの説明によると
行程は2時間ほどと時間的には短いものの、
常に前面にアンテラーオ山を見ながらの、信じられない程の大景観なのだと。
       


お天気も、どんどん雲が流れる様子が見えますね。
       
19-Monte Antelao dal Rifugio_GF.jpg



これがアンテラーオ山。 ドロミーティ山塊中で2番目に高い3264m

20-Rifugio San Marco_GF.jpg

こちらが目指して登って来たリフージョ・サン・マルコ1823m。



ゆっくり下り始め、道脇の十字架像。

21-Ritorno a San Vito_GF.jpg



サン・ヴィトーのすぐ近くの村セルデスに移動し、山の夕暮れを見守ります。
ソラピス山・Monte Sorapis.

22-Tramonto_GF.jpg

23-DSCN3816_GF.jpg



空に晴れ間が見えるアンテラーオ山の夕暮れ。

24-Tramonto_GF.jpg

25-Tramonto_GF.jpg

26-DSCN3807_GF.jpg

27-DSCN3821_GF.jpg



夜の色が少ししのび込む空。

28-Quasi sera sull'Antelao_GF.jpg

美しいですねぇ! 雲が動き、色がどんどん変わっていく様子を、
さぞかし夢中になって追いかけた事でしょう。
Grazie Giovanni!!



このアンテラーオ山がドロミーティ山塊の内で2番目に高い山とのジョヴァンニの説明で、
では一番高いのはなんという?

はい、この山マルモラーダ・Marmolada. サン・ヴィトーからほぼ西、地図上の
直線距離にして約30kの位置に。

s-Marmolada.jpg

写真はウィキから拝借で、右に見える峰がマルモラーダの主峰プンタ・ぺニア、3343m
奥がプンタ・ロッカ、3309m、という事で、
アンテラーオ山3264mは、厳密に言うと3番目の高さ、という事になりますが、
一般にはマルモラーダと一つに数えますので、2番目と。
       
「マルモラーダ」という名だけは知っておりましたが、漸くにその位置と姿に
お目にかかりました、なるほどぉ!


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・ トゥレ・チーメ・ディ・ラヴァレード ・ ドロミーティの大景観!! 

皆さ~ん、この写真をご覧になられ、どこの山かお分かりでしょうか?

1-1-3_GF.jpg

はい、世界遺産指定のドロミーティの山々の中でも一番有名な姿、
トゥレ・チーメ・ディ・ラヴァレード・Tre Cime di Lavaredo・
ラヴァレードの3つの頂き. 登山やトレッキングをされる方には、憧れの姿と。

遥かに姿を見た事はあるのですが、到底山登りする根性はないshinkai、はは、
今日はジョヴァンニ・Giovanniに写真を提供して貰いましたので、
素晴らしい姿、美しい写真をじっくりご覧下さいね。



トゥレ・チーメ・ディ・ラヴァレードはどこにあるか、地図をどうぞ。

1-2-edo_GF.jpg
       
コルティナ・ダンペッツォから、ちょうど北東に。 見える点線はヴェネトと
トレンティーノ・アルト・アディジェ州の境で、トゥレ・チーメ・ディ・ラヴァレードは
4分の3がヴェネトのアウロンツォ・ディ・カドーレに入り、
後のちょっぴりが北のドッビアーコのコムーネに入るのだそう。

そうなのですね、ドロミーティ山脈は世界遺産に指定されたのですが、
跨る州がヴェネト、トレンティーノ、そしてフリウリと3州に渡る広さで、
その為なかなか管理が難しいのだとか。

ま、難しい問題はさて置き、
今日はジョヴァンニの写真で夏に相応しい景観を存分にお楽しみ下さい!!

ドロミーティの写真を送ってくれるというので、では、どこの場所かも書いてね、
と頼みましたら、地図も付け、エクセルを使って写真何番はどこ、と、ははは。
なかなかやるやん!

という事で、つけてくれた行程図をどうぞ。

1-3-1_GF.jpg       

下に見える白い丸が出発点のリフージョ・アウロンツォ・Rif.Auronzo・避難所、
山小屋アウロンツォ。  ジョヴァンニと友人のピエロは、行程図の矢印とは逆に
左側から回ったのだそう。

出発点の上側に見える山の姿がトゥレ・チーメ、つまり3つの峰のすぐ下に当たる訳で、
全体の姿を見る為にぐるっと回る、という行程。
ジョヴァンニの説明によると、この行程に4時間掛かったそうですが、そう難しくはなく、
それにこの景観なので、大変さも忘れたと。

リフージョ・アウロンツォの眺め。 はは、ちゃんと分かりやすいように印し付き!

2_GF.jpg

既にこの山小屋の標高が2320m、トゥレ・チーメの一番高い頂きが2999m!

この位置からは頂きが2つに見えますが、そう、コルティーナ・ダンペッツォ、
ミズリーナ湖からもちょうどこんな感じに見えます。

夏のドロミテ ・ コルティナ、ミズリーナ湖
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460885260.html

コルティナ・ダンペッツォの遅い春
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461526710.html
       
ドロミテからご挨拶 ・ Saluti da Dolomiti
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460884868.html



出発点のリフージョ・アウロンツォからの、この大景観!!

3_GF.jpg

ジョヴァンニは今回かなり大きなピクセルで送ってくれ、私もいつものブログよりは
大き目の写真にしたのですが、それでもちょっと残念!



行程図、左回りでちょうど緑の州境辺りのフォルチェッラ・コル・ディ・メッゾ・
Forc.Col.di Mezzo辺りを行く小道。

4_GF.jpg



日本語でなんと呼ぶのか、レーティッシュ・ケシ・Papavero retico.

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リフュージョ・ロカテッリ・Rif.Locatelliの遠望と、トッレ・ディ・トブリン・
Torre di Toblin.

6_GF.jpg

と彼の説明にあり、トブリンの塔というのがどれか分からず調べましたら、 
ロカテッリの山小屋は分かりますね、ここで標高2405m、で、山小屋のすぐ左にある山の、
膝辺りに突き出して見える山の様。

ロカテッリの山小屋が、行程図の一番上に当たる場所で、このトブリンの塔の2617mに
上る基地の様ですね。

ジョヴァンニのこの写真の位置ではちょっと分かりづらいのですが、検索をかけると、
頂きが2つに分かれた塔の姿もドロミーティの有名な姿の一つと分かりました。
       
       

クローダ・ロッサ・Croda rossa.

7_GF.jpg

クローダというのは険しい岸壁を示し、赤く見える所からその名が由来する様ですが、
あちこちにあり、多分これは光線の具合から見て、コルティーナの北10kほどにある
標高3146mの物と。



ジェンツィアーナ・Genziana・リンドウ。

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山小屋ラング・アルペ・Malga Lang Alpe、標高2283m.

9_GF.jpg

日本語では同じ「山小屋」となると思うのですが、リフージョとマルガと2種類あり、
リフージョは登山の為の避難小屋、
マルガは夏の放牧の為の山小屋が元で、観光用とでも。



コル・フォルチェッラ・Col Forcellaの小池から見るフォルチェッラ・ラヴァレード・
Forcella Lavaredo. 行程図の左側、中程の位置に。

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フォルチェッラというのはフォーク形になった場所を示し、この名もあちこちに。



ジェンツィアネッラ・Genzianella・チャボリンドウ。

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先に遠望した、ロカテッリの山小屋に到着。 ドロミーティ一帯は第一次大戦の
激戦地だったのですが、当時この山小屋もオーストリア軍により破壊されたとか。

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お待たせいたしましたぁ! トゥレ・チーメ・ディ・ラヴァレードで~す!!

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真ん中の一番高いのが、ラ・グランデ、2999m
続いて右(西側)ラ・チーマ・オヴェスト 2973m
左の一番低いエレガントな ラ・チーマ・ピッコラ 2857m


残雪がちょっぴりのパノラマもどうぞ! これは、ロカテッリの山小屋からの眺めだそう。

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モンテ・パテルノ・Monte Paternoとフォルチェッラ・ラヴァレード。

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再びジェンツィアネッラ。

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トゥレ・チーメ・ディ・ラヴァレードに近寄りつつ、

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トゥレ・チーメ・ディ・ラヴァレードの高い真ん中と西側。       

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日本名が分かりません、 アルプスのアンドロサーチェ・Androsace alpinaと。

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フォルチェッラ・ラヴァレードから遠望する、ロカテッリの山小屋。

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リフージョ・ラヴァレード・Rif.Lavaredo 2385m. 行程図の右下に。

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トゥレ・チーメ・ディ・ラヴァレードの、一番低いラ・チーマ・ピッコラ。

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最後はアルプスのケシ・Papavero alpinoとジェンツィアネッラ。

23_GF.jpg


如何でしたか、トゥレ・チーメ・ディ・ラヴァレードの景観は?!
素晴らしいですねぇ!!  Grazie Giovanni!!

・・う~ん、4時間の歩きねぇ、行けそうな気も・・、うん。

と書いていて、出発点のリフュージョ・アウロンツォまでどう行くのか、
下から歩くのか、それとも車で行けるのか、とジョヴァンニに質問のメールを。

返事が来て、この出発点までは車で、ただし通行料25エウロ程を払い、行けるそう。
普通は行程図の右から回る方法を勧められるそうですが、ジョヴァンニによると、
逆に彼らが取った時計回りの方が、ほんのちょっぴり楽で、
眺めはこちらの方がダイナミックと。
必ず登山靴を用い、上着を持参する事、とありました!

行きたい、と思っていると見破られたかな・・? ははは。
彼は私に登山靴を買え、と勧めているのですよ、かなり前からね。
      

サイトを見ていたら、・・ワンちゃんも行ってるぜ! ははは。

24-tre-cime.jpg



冬の赤富士ならぬ、赤いトゥレ・チーメ。
http://www.dolomitibellunesi.com/2013/05/05/tre-cime-di-lavaredo-27/

s-Tre-Cime (2).jpg

ジョヴァンニはもう一度、別の行程の写真も送ってくれるそうで、お楽しみに!
彼にお伝えしますので、宜しかったらどうぞコメントを書いてあげて下さいね!


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・ チゾンの村 ・ 水の道 ・ Via dell'Acqua 

昨日午前に写真仲間と一緒にチゾン・ディ・ヴァルマリーノ・
Cison di Valmarinoの村に行って来た様子をご覧下さいね。

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水の道・ヴィア・デッラックワ・Via dell'Acquaと呼ばれ、
何世紀にもわたり村人の生活の中に重要な位置を占めてきたリュージョ川・
Rujoから引かれた疏水、という言葉で良いのかな、
細い水路が村の中を流れ下ります。

現在はかっての様に水車やロクロを回したり、共同洗濯場であったり、
はない様子ですが、きちんと整備されつつ、細い山道がずっと奥まで。
チゾンの村は何度かこのブログにも登場しており、今回の道も途中までは
辿った事があるのですが、こんなに奥まで行った事はなく、
       
おまけに最後に、??!!という動物にも出会い、写真が多くなりましたが、
その分説明は少なく、ははは、
緑陰と水の涼しさの写真をごゆっくりどうぞ!

上の写真は、チゾンの村に着き、まずは元気づけのカフェをやったバール。

チゾン村、夏のサーグラ ・ 手作り職人市
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463847355.html

チゾンの村に、春をさがしに
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463526050.html     
       


明け方に雨が降り、曇天の朝。  村の下の方からの川床の眺め。
今見える橋を右に渡り、上り始めます。

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ふと見上げると、黒猫ちゃんが屋根裏の窓に。 呼ぶとびっくりした顔で!

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お花が綺麗な窓を横目に、

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上り道を辿ります。 まだこの辺りは集落というか、家が道に沿って立ち並び、
きちんと修復され集会所になっているらしい建物。

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近くにあった地図の左側の図、下から3分の1程の所に、上の写真の
大きな橋が掛かります。 幅の広い水色がリュージョ川ですが、

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上の3分の1程の位置、川の左に家が見えますね。 ここから下の橋の間までを、
分水されて右側を細く流れるのがかっての村人たちの生活の中にあった「水の道」



お家があると、こんな家庭菜園も脇にあり、

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山道を辿りつつ振り返ると、カステル・ブランドがほぼ同じ高さに。

8-353_GF.jpg

2000年の歴史 ・ カステル・ブランド・Castel Brando
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462784366.html


水路に沿った道は、下流側はきちんと整備されていて、
でもすぐ脇には林が迫り、うっそうと。

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再び小さな家の集まりがあり、

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このお家のこの窓は以前も見て頂いたと・・。

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裏の納屋の上には、干し草の束があり、確かに牛舎がある匂いも、ね。

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こんな石ゴロゴロの道も上り、

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途中廃墟になった家の跡も見つつ・・、この家の所までは来た覚えが、はい。

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細い水路が通る道の左下を、川が流れ下り、

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時にこんな溜まりがあったりし。 本当に透明な綺麗な流れでしょう?!

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道を外れて川まで下ると、小さな橋が掛かり、先生役のジョヴァンニに
訊ねながら写真を撮る仲間たち。
右からサンドラ、ミレーナ、ジョヴァンニ、タータ、ジャンナ。

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ジョヴァンニは本当に丁寧に、質問に応えるのですね。
例えば今回は水の流れ、小さな滝を流れ落ちる水を撮るのに、
どの位のシャッター・スピードにしたら絹布の様に写るとかね。

はぁ、shinkai は余りそういう事に興味が無く、いぇ、他人様の美しい写真を
見ると、確かに美しいと感心しますが、
滝の流れは必ず絹布に撮らねば、とは思わず、はは、

この時も一人で手前奥の草原を上って行きましたら、
一軒のお家があり、広い庭の囲いにはジャスミンが絡まり、

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気配を嗅ぎ付け、早速ワンちゃんが来てくれ・・。

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この辺りの水路は、こんな感じ。

21-406_GF.jpg



川を渡る水路の橋。 ちょっとした水道橋みたいでしょう?!

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この辺り、幾つものこんな溜まりがあり、小さな滝となって次々と。

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左にはかなり大きな家、そして2,3軒の集落があり、
水の溜まりに作られたこの素朴な小さな水門。

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これが図で見て頂いた、川から水路が分けられる水門なのでした。



さて、ここからが素晴らしい山道の始まりで! 
京都の鞍馬の山道もこんなだった記憶がありますが・・。

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へっへっと上り付いた所が、あれっ?!とちょっと期待外れというか意外な草原が
広がり、人家も見え、おまけにこんなピクニック用の椅子とテーブル!

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そうなんですね、この道はとても有名ですし、実際に、家族連れの散歩に
何組か出会い、お休みの日など、ちょっとしたハイキングに良い場所なのかも。



草原には花も咲き乱れ、

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・・この辺りで、そろそろ引き返すかと思いきやなんのその、ははは、
まだまだ奥に行くのですよ、皆さん方は!



道沿いには、ところどころに立像があったり、道の標識も出ていまして、
これはなかなかの出来と思った彫りの作品。

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時にこんなトンネルの様な木立の中も行きますが、

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かなり湿気が多くなり、倒木にはこんな苔がびっしり。

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小さい小さい野草の花も見かけ、

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これは野生のシクラメン。

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小さな蝶、とジョヴァンニは言いましたが、蜂の様な胴に、小さな羽。

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陽が一瞬射すと、蝶が飛び交い始め。

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川の流れは緩やかになったり、小さな滝になったり、

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木の皮にも苔が生し、

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そしてお天気が一瞬にして変わり、強い陽が射し始め、
林の姿も鮮やかな緑に!

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陽が当たると水の煌めきも賑やかになり、

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大きな堰はこの下にもあったのですが、我らはここまで。

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どんどん山道を上るので、いささか心配になったshinkai。
ジョヴァンニに、まさか山越えするつもりじゃなかろうね?!

はい、朝8時に集合し、山道を辿りだしたのは8時半頃だったと。
で、この場所で11時半で、山道はまだ続くのですが、
ジョヴァンニはお昼には戻らないといけないので、ここでお終い。

ええとです、彼の奥さんはまだ働いているので、年金者である彼が
平日のお昼の用意をし、奥さんと娘さんが食べに戻ってくるのだそう。
あんまり勝手な事をすると、女房に首にされる、という、可愛いジョヴァンニ
なので~す、ははは。

そうそう、ジョヴァンニがドロミーティの写真を2回分送ってくれるそうですので、
次回をどうぞ、お楽しみに!!



木漏れ陽の道を下り始めます。

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突然に川の向こうに茶色の動物! 皆が、犬だ、いや違う、という間に、
特別慌てるでもなく、林の中に消えて行きましたが、

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これ、キツネですよね?! 尻尾のふさふさが無く、細い、毛のない尻尾だけ。
ははは、少しピンボケですけど、6名の中で写真を撮ったのは、
えっへん、私メだけ!!



人家のある所まで下って来て撮った黒い糸トンボ。
・・なのですけどぉ、止まってくれた角度がねぇ・・!

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水の流れより、こんな草のなびく様子が好きなshinkai。

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真っ青に晴れ、白い夏雲のチゾンの山を最後に。

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・ n.2 麗しの古都 コインブラ ・ ポルトガル 

そちら日本はそろそろ梅雨明けの様子。 今夏は猛暑という予想も
見ましたので、皆さま、体調にお気をつけてお過ごし下さいね!

さて先回に続き、ポルトガルは麗しの古都コインブラ・Coimbraの
2回目、街の一番の高台にあったコインブラ大学から坂道を下り、
旧大聖堂をちらり、街中もちらり、ははは、
つまり観光客のおつもりでご覧下さいね。

1-897_GF.jpg

百聞は一見にしかず、と例によって写真が多くなりましたが、
ごゆっくりどうぞ!

写真は先回も見て頂いた、コインブラ大学から見下ろす旧大聖堂で、
こちらに向かって坂道を下ります。



街の地図をもう一度どうぞ。

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10.の大学から、北の7.旧聖堂に。 で西の6.アルコ・デ・アルメディーナ
に下り、南に向かい大通りの繁華街を通り、
サンタ・クララ橋の袂の広場辺りまで、の様子です。



夜ハァハァと上った坂道、狭い石段をどんどんと下りつつ、
由緒ありげな古い建物の扉、素晴らしい赤でしょう?!

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そして旧聖堂・Sé Velhaの東側に出て来ます。

3-2-939_GF.jpg
       
大学から見下ろした写真でご覧の様に、如何にも古い中世の聖堂らしく、
銃眼もある要塞並みの造りで、上部の丸屋根辺りがイスラムの趣もあり。



こんなガーゴイル・雨水の吐き出し口、も見かけ。

4-940_GF.jpg

ガーゴイルをイタリア語でなんというのか調べましたら、ガルゴッラ・gargolla.

検索図版ではやはり圧倒的にパリのノートルダム聖堂ですが、
こちらにもちょっぴり。 ミラノのドゥオーモ ・ Duomo di Milano
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460940205.html



旧聖堂の北側面にある、こちらは16世紀に改装追加された
ルネッサンス様式の大きな美しい入り口。

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少し損傷が進んでいて、残念。



こちらが正面。 足元まで写った写真が無く、ウィキぺディアから拝借。

9-px.jpg

コインブラを「麗しの古都」と書いていますが、実際に、1109年に
北の街ギマライシュ・Guimarãesからエンリケ公爵がこの街に首都を移し、
その息子アフォンソ1世が1128年にポルトガルの初代王となった街なのです。

この旧聖堂は当時に建設が始まったポルトガルに現存する
数少ないロマネスク様式で、
2代目の王サンシュ1世・Sancho I はこの聖堂で戴冠を。

聖堂設立当時のこの国はいまだイスラム占領の下にあり、
この如何にもがっしりの要塞風の造りは納得ですが、
300年に渡るイスラム下からのレコンキスタは1139年。

初代王アフォンソ1世下でしたが、正式にポルトガル王アフォンソ1世と
名乗るのは独立後で、それ以前はエンリケ・アフォンソと。
       
コインブラに首都が置かれたのは1255年までで、
第5代王アフォンソ3世の時にリスボンに遷都。

そうですね、ちょっと奈良、京都のイメージに近い感じもある、
まさに「麗しの古都コインブラ」、と思います。

コインブラの南15k程にあるコニンブリーガ・Conímbrigaには、
かってここに町を築いたローマ期の大規模な都市遺跡、
ポルトガルで最大と言われる規模、が残り、
こちらが主たる町だったのが、ゴートの侵入によって破壊され、
時とともにコインブラに中心が移ったのものと。



コインブラはリスボンから200k北に、ポルトからは100k南にと、
地理的にちょうど中央部に位置し、商業の中心地としても繁栄したそう。

さて、旧聖堂の正面入り口、石段の上部分。
施された中世の装飾が美しい!

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内部、これは入り口横辺りだったと。 四角いタイル装飾がびっしり。
なにせ窓が狭く、内部はとても暗くて、色がよく写りません。

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3身廊式で、こちらは内陣奥の祭壇。

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人も多く時間もなく、奥にまでも行きませんでしたが、
先回のコインブラ大学を創設のディニス1世の妃イザベッラ・Isabella
(1271-1336)は聖女イザベッラと呼ばれ、聖堂奥にお墓があるそう。

伝承によると、彼女が貧者に施しをするのを好まなかった王が、
パンを入れた籠を持つ彼女に何が入っていると訊ね、薔薇の花と答え。
で、王が籠の覆いを取ると、中には薔薇の花があったと。

労働王とも呼ばれ、大学創設もしたディニス1世ですが、
貧者には冷淡だったという事?
こういう部分が少し理解に苦しみますが、まぁね。



旧聖堂前の広場には、バールやスーべニール店が何軒か。

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ポルトガルの象徴の雄鶏の置物、お土産がどこにでも。



広場はこんな石が敷き詰められ、丸石舗装とも違い、少々歩き難く。

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下り坂の細い道は、こんな風に石段が三角に張り出していたり、

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石垣には、鮮やかな青紫の朝顔が咲き乱れ、

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道脇に出ているレストランのお招き。

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物好きshinkaiは、どんな料理か、ははは、見て頂こうとサイトで探し。
Bacalhau a portugeusa・バカラウ・ア・ポルトゲーザ、で
発音は良いのかな、つまり、鱈のポルトガル風と。 はい、こちら。

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つまりポルトガル旅行中に4、5回食べる羽目になった、ははは、
鱈とジャガイモのグラタン風と。
       
見ると、またかぁと思ったのですが、食べるとどこもが美味しくて、
今は、はい、懐かしい!



下のBacalhau assado na brasaは、発音抜きで、はは、
どうやら鱈のグリルらしい、と見当が付き、こんな感じかな・・?

21-2--sp.jpg      
 
これも美味しそうですねぇ!



坂道を皆でぞろぞろと下りながら、せっせと写真を撮りつつ、
置いて行かれない様に!

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これは如何?!
ファド・デ・コインブラ  ライヴ!
今夜18時から、ポート・ワイン付き 10エウロ。

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夜は到底無理ですが、ちらっと見るとCDも売っている感じ。
で、1枚買って戻り、時々聞いています。

皆さん、ファドはお好きですか?
私は大好きで、お絵描きしながら買ってきたファドや
ポルトガル・ギターのCDを良く掛けますが、

コインブラのファドというのは、一般にいうファドとはちょっと違い、
それをガイドさんに教えて貰ったのですが、

コインブラのは、大学の学生たちから始まった、所謂愛する女性に
送るセレナードで、これは男性のみが歌うのだと。
どんな感じなのかをこちらYouTubeでどうぞ。

歌っている場所は旧聖堂前の入り口前、
広場をぎっしり埋めた学生たちは皆黒いマントをはおい、
どうやら大学の記念式典に関しての行事の様子。

https://www.youtube.com/watch?v=f3WGttZdksg
一緒に口ずさむ様子、涙を流す女子学生、
いかにも大学生の街らしい、なかなかに良い雰囲気です。

お暇な方はこちらも! ははは。
如何にも大学生らしい、若い熱気あふれる様子。
http://www.youtube.com/watch?v=AzHg4ozpqEM



アルコ・デ・アルメリーナ・Arco di Almedinaに続く、
曲がり角にスーヴェニール店。

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絵葉書や古いCDも売っていたので、お昼御飯の後ここまで戻り
アマーリア・ロドリゲスの古い録音のCDと、セピア色の絵葉書等も買い。

セピア色の絵葉書で ・ ポルトガル
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461067635.html

モノクロの絵葉書で ・ ポルトガル
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461067917.html



写真に見える右のアーチはこんな感じで、

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こちらがアルコ・デ・アルメリーナ。
真ん中奥に見える古い石壁の足元に、上のスーヴェニール店。

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このアルコ・アーチがなぜ名を残すのか、と言いますと、
コインブラは既に12世紀に、上の街、貴族や聖職者たちの居住区、
のちに大学の学生の住まいもこちらに、
で、下の街は一般庶民地区で、モンデーゴ河の川沿い地区、と
分けられていたのだそう。

今は勿論往き来自由ですが、きっと当時は開閉の門があり、
門番もいたのでしょうね。



正面真ん中に見える建物の右の坂道を下って来て、
いま手前がフェッレイラ・ボルゲス通り・Rua Ferreira Borgesに。

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こんな様子のかなり幅広い、店の並んだ通りで、

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車は通らず、敷き石の道。

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両側には、タイル装飾された建物がびっしりと。

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で、サンタ・クララ橋に続くPortagem広場に。
下手な、うるさい写真で済みません。

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広場を逆に見るとこんな感じ。 ね、右側の坂道も急でしょう?! 

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我々はこのあたりで自由行動で好きな様にお昼を済ませましたが、

これは橋の袂にあるちょっとレトロ調の建物。
壁の色がピンクなのですけど、ポルトガル銀行と!   

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再度集合した後にバスに乗り、川向うの高台にある
サンタ・クララ修道院に向かいましたが、
これは振り返える街の中心部。 大学の位置がよく分かりますね。 

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河のこちらは新しい住宅地なども開け、鮮やかなアガパンサスの花も、

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サンタ・クララ修道院。 大学の外の通路から、細長く続く大きな
建物が見えたアレですが、ミサが終わらず結局中に入れずの記憶が。 

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という事でバスに乗り込み、斜張橋ライハ・サンタ橋を渡り、

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次の予定地であるバターリャ、庶民信仰の篤いファーティマに向かい。
この辺り、既に2年経ったのに、全然整理が出来てませ~ん、ああ!



最後は、もう一度河を渡りながらのコインブラの街を。
大学の中庭の向こう、ラテン回廊の入り口も見え、
それにちょっと掛かる位置に、ジョアン3世の石像も!

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コインブラの街も、ポルトガルも心に残ります。

ファドを聞いていると、いつも出てくる言葉
サウダーデ・saudadeは、郷愁、ノスタルジーアと。
うん、またいつか訪問出来たら良いな・・。
   

*****

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・ n.1 コインブラ、麗しの古都  ・ ポルトガル 

先回遥々またポルトガルにやって来て、素晴らしい青空の写真が
多いのに味をしめ、はは、そのまま居座る事に決め、
今回はコインブラのご案内を。

コインブラ・Coimbraと、その名が頭に浮かぶだけで、
麗しの古都、ポルトガルで一番古い大学のある街、
イネスとペードロの恋物語、哀愁に満ちたファドの響き、と次々に!

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コインブラに到着した日  コインブラ、 夜の探訪をご一緒に ・ ポルトガル
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/473959726.html

肝心の大学内部の写真が禁止で撮れなかったのと、
他の写真の数が多く整理するのが億劫で、つまりです、
写真整理は、自分の頭の中の整理でもありますよって。
ですが漸く2回に分けてご覧頂こうと頑張りまして、
まずはコインブラ大学の様子をどうぞ!

上の写真は、気持ちよく晴れた初夏の朝、高台にある大学に
バスで向かう所。



街の地図をどうぞ。

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10. コインブラ大学  見える図は大学ではなく、
7. 旧大聖堂 のもの
9. 新聖堂
  以前の夜散歩で見て頂いたコンサート開催のコンメルチョ広場・
  Praça do Commercioは、
6. アルコ・ディ・アルメディーナ・Arco de Almedinaの左に。



大学前の広場ポルタ・フェッレーア・Porta Férreaに到着。
正面に見える門が大学の同名の門、多分鉄門という意味。

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大変に広い、街で一番の高台にある大学前なので、
見晴らしが良かったですが、広場全体の写真は無しです。

この日は日曜の朝。 前夜仲間とはぁはぁ石段を上り辿り着いた時には、
この広場はどんちゃん騒ぎの後で、暗い中にゴミが散らかり放題でしたが、
日曜の朝、きちんと掃除が済んでおり、これには驚いたものでした。
右側の建物の屋根のとんがりと、色タイルが面白いでしょう?!


門のアップを。
この鉄柵は1634年に鋳造されたと言いますが、この門をくぐり、
大学の内庭に入ります。

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こちらは広場のモザイク柄。
残念ながら、門の前にあった大きな立派なのを半分見逃し!

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門の内側、内庭側からの門の様子。

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内庭の北側と鐘楼。 この建物は法律学部の古くからの物ですが、 
半円の石段が導く3連アーチの壮麗な入り口は18世紀の追加と。

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奥に見える塔は大学の象徴とでも言える鐘楼で、街のどこからでも見え、
3つある鐘の1番有名なのが1733年からのカブラ・Cabra、ヤギの意で、
塔ができて鐘が取り付けられて以来、代々の学生達に
そう呼ばれているのだそう。



内庭がちょうど工事中で柵で囲われており、広い建物全体が上手く収まらず。
こちらは奥に長く続く西側の棟で、上部茶色の飾りの見える扉部分が、
サン・ミゲール礼拝堂・Capela de São Miguelの入り口。

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西側の棟の一番端に見えるのが、かの有名な図書館、
ジョアニーナ図書館・Biblioteca Joanina.

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屋根の色が変わる位置の上に見えるのは、この石像。

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古くからの大学の学部などを象徴する像でしょうか?
色タイルの丸い瓦の様子、面白いですね。



建物に沿って西側に移動した所からの正面の様子。

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石段を上り、上の廊下テラス、いわゆるラテン回廊と呼ばれる、
かってはラテン語しか使えなかった場所との事で、
皆喜んで記念撮影をしたりしましたが、ははは、



1階の扉横に、法学部の文字。

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内庭の南にある石像が、法学部の建物に向かい合っているのが、
どなたか分からず、半ば意地になって探しまわり、ははは、
はい、漸くに! イェイ!

14.jpg

ジョアン3世・João III (1502-1557)
彼の治世時は、ポルトガルは最高の繁栄期にあったというのですが、
異端審問を始めた事でも歴史に名を残します。

で、なぜ彼の像がここにあるかと言いますと、
コインブラに創設の大学は、後にリスボンに移されたりまた戻ったりですが、 
1537年の彼の命により、最終的にコインブラに戻った功績によるものと。


コインブラ大学について、ほんのちょっぴりの歴史を。       
ポルトガルで1番古い大学、と書きましたが、
創設は1290年の3月、ヨーロッパでの最古の大学の1つとして、
ポルトガル第6代の王ディニス1世・Dinis I(1261–1325)により。

大学のそもそもの前身はリスボンにあった様なのですが、
1354年にコインブラに設置され、その後リスボンとの間で行ったり来たり、
遂に1537年、上記の通り最終的にこの街に。
       
教授陣の優秀さとも合いまって、大学も、街の経済も発展を遂げる事に。
 
最初の学部は芸術、教会法、市民法、薬学でしたが、
・Artiという学部の訳が芸術で良いのかどうか、
多分、文学もこれに含まれるかと思うのですが。

現在は8学部に増え、設置場所も大きく3か所に分かれ、
約22000人の大学生、街の人口15万人弱に大きな割合を占める、
まさに大学生の街、と言えるかも。
       
学生達は伝統に従い黒マントを纏い、各学部を示す色リボンを付け、
と有名ですが、60年代の独裁政権時代に、治外法権的な
役割を果たした学生達の家の存在でも有名です。

コインブラ大学出身の著名人はたくさん居るのですが、
shinkaiが知る、このブログに関連しては、
詩人カモンイス、カモイーシュ、ロカ岬に碑が残る彼もで、
正式な記録はないらしいですが、当時唯一の大学があった
このコインブラで学んだろう、と。
    

    
さて、建物のご案内に戻りまして、
 
こちらは西棟のサン・ミゲール礼拝堂の入り口上部。
1521年の建設で、マヌエル様式と呼ばれる装飾がみられますが、

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マヌエル様式というのは、ポルトガル独特の過剰装飾で、
内庭の石像のジョアン3世の父親マヌエル1世・Manuele(1469-1521)
の時代に始まった装飾様式。

大航海時代により世界各地から様々な情報が集まり、新しい物への
好奇心も綯い混じり、植民地からの膨大な富を使い、
独特の手の込んだ装飾が好まれ、始まった物で、
下の写真に見える天球儀もその典型的特徴の1つ。



これはジョアニーナ図書館の扉上部の大きな紋章で、
18世紀初期、建設に資金を出したジョアン5世・João Vの物。

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見学時間の為に暫くこの辺りで待ったのですが、
その時に目に止まった、異様な顔を、ははは、どうぞ。

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如何にも東南アジア的でしょう?!



では、大学の図をおさらいに。
打った番号がバラバラになってしまい、すみません。

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右下8の鉄の門から内庭に入り、
1. がラテン通路、またはラテン回廊のアーチ、
9. 鐘楼
5. サン・ミゲール礼拝堂入り口
6. ジョアニーナ図書館の奥の壁
      
 
      
館内は写真禁止で、内部はガイドブックとサイトからのでご覧頂く事に、

2. 決議の大部屋・Sala Grande dos Actos
   または帽子の間・Sala dos Capelos

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ここは大学の大きな儀式の部屋として使われているそうで、
壁を飾る肖像画は歴代のポルトガル王、
その下、壁沿いに並ぶ椅子は教授たちの席。

中にも入れず、上部を巡る通路から覗くだけでしたが、
天井部分が大変に特徴あるもので、部屋全体も大変素晴らしく、
ここは写真を撮れないのが本当に残念でした。



鐘楼の左側に印の付いた部屋、救急診療所とでも・
Sala do Exame Privado.
私的な、と付いているのは、大学内クリニックの意と。

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写真はここの天井に1701年に描かれたフレスコ画で、
壁の上部、帯状に教授陣の肖像画があるそう。



サン・ミゲール礼拝堂内部、17~18世紀の装飾で、
これは内部にある素晴らしいオルガンの装飾天使像と。

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さて、お待たせいたしました。
コインブラ大学見学の目玉の1つ、ジョアニーナ図書館をどうぞ。

上記した様に、18世紀の初めにジョアン5世により建設された
バロック様式の豪華絢爛の図書館で、奥の部屋に見える肖像画が彼。

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金と高価な木材、異国趣味の装飾で、蔵書は30万冊と!
ですが、現在はほぼ博物館の存在の様。

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という所で、外の空気、高台からの外の景色をどうぞ!

内庭のジョアン3世の石像と、街の西側を流れるモンデーゴ河・Mondego
そして背後に見える斜張橋のライハ・サンタ橋・Ponte Rainha Santa.

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こちらは街の下町と対岸を結ぶサンタ・クララ橋・
Ponte de Santa Clara.

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対岸の上方、細長くのびる白い大きな建物が見えますね。
あれが見学にも行った、サンタ・クララ修道院。



サンタ・クララ橋のすぐ袂部分。

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大学の儀式の間・帽子の間から外回廊に出て、細い通路を通りますが、
そこからの眺めがこんな様子で、
そう、コインブラ大学は街の一番の高台にあるのがよくお分かりでしょう?!



建物の隙間から見えた新聖堂。

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大学のすぐ足元、北側の部分。

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そして、こちらが旧聖堂。 次回にご案内を。

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外の通路を歩いている時ブィ~ン、ブィ~ンと。 これは何、パラ飛行機?!

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何度も我らの頭の上を通り、皆がわぁ~いと手を振り、
写真を少し大きくしましたら、ははは、彼らも手を振っておりましたぁ!

という青空の写真で、今回のご案内をお終いに。
またの続きをお楽しみに、お願いいたします!!


*****

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