今日はポルトガルはリスボンの西の地区ベレン・Belémにある
「発見のモニュメント」をご覧下さいね。
「発見のモニュメント」をご覧下さいね。
いやぁ、毎回あちこち飛びまわりたい訳ではないのですが、
ヴェローナのドゥオーモかお城を、と用意しつつもイマイチ気が乗らず、
ヴェローナのドゥオーモかお城を、と用意しつつもイマイチ気が乗らず、
結果、大航海時代を開いたポルトガルの男達がわんさかいる、
ははは、この記念碑の背後の青空を思いだし・・、という訳です。
ははは、この記念碑の背後の青空を思いだし・・、という訳です。
写真はベレン地区に向かうバスの中からの4月25日橋、約2kの長さ。

対岸に見える腕を広げたキリスト像は、
ブラジル、リオ・デ・ジャネイロの山上にあるもののレプリカ。
海の様なイメージを持つ大河テージョが緩やかに蛇行してゆき、
リスボンの街と対岸を繋ぐ橋は、この4月25日橋と、
上流側のヴァスコ・ダ・ガマ橋の2本。
リスボンの街と対岸を繋ぐ橋は、この4月25日橋と、
上流側のヴァスコ・ダ・ガマ橋の2本。
ヨーロッパで一番長いと言われる17kに及ぶヴァスコ・ダ・ガマ橋については
n.2 リスボンの新地域 ・ 町の新しい顔
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/474011914.html
n.2 リスボンの新地域 ・ 町の新しい顔
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/474011914.html
西に向かい、やがて見えてくる「発見のモニュメント」

ベレン地区には、1枚の写真に収まらない程の大きな
このジェロニモ修道院も、
このジェロニモ修道院も、

有名なベレンの塔もあるのですが、
今回は1枚づつだけでパスし、次回に、ね。

ベレンの塔前からこんな風に見える4月25日橋と、
手前左に「発見のモニュメント」。

こんな風にカラヴェッラ帆船、15~17世紀にかけポルトガルやスペインで
使われた3本マストの快速帆船、の舳先を模したもの。
使われた3本マストの快速帆船、の舳先を模したもの。

後ろから近ずくとこんな風な形で、高さは52mと。

中程までエレベーターがあり、その後は階段を自力で、はい、
塔の一番上まで上がれ、パノラマを堪能できるそう。
塔の一番上まで上がれ、パノラマを堪能できるそう。
船の両側には、ポルトガルに大繁栄をもたらし、世界地図、地球の形への
認識を大いに改めさせた、大航海時代の男達の姿が居並びます。
認識を大いに改めさせた、大航海時代の男達の姿が居並びます。
こちらは東側、先頭に立つのはエンリコ航海王子。

テージョ河に舳先を向けた形のモニュメントですが、現在のこれが
作られたのは1960年、エンリコ航海王子の没後500年を記念しての事。
作られたのは1960年、エンリコ航海王子の没後500年を記念しての事。
それ以前にも同様の記念碑があったようですが、粗雑資材での
建設で崩壊の危険もあり、この記念年を期しての再建設だった様子。
建設で崩壊の危険もあり、この記念年を期しての再建設だった様子。
船型部分はセメントですが、両側の人物像は白い石像。
背後の突堤には、この羅針盤を模した大理石のモザイクがあり、
「薔薇の風」と呼ばれる円形の直径がなんと50m!
写真はウィキペディアから拝借で、

こちらも拝借の写真で、中心にある世界地図の様子を。

白く描かれたシダの葉型、と、なんの気なしに「シダの葉」と書いたのですが、
シダの葉に何か意味があるのかも知れませんが、
航海に関連する、羅針盤の中のブルーの部分なので、
ひょっとして「海草」を現わしているのかも!と気が付きました。
どう思われますか?
シダの葉に何か意味があるのかも知れませんが、
航海に関連する、羅針盤の中のブルーの部分なので、
ひょっとして「海草」を現わしているのかも!と気が付きました。
どう思われますか?
如何、この大きさなのです、 全体をご想像下さい!

で、はい、我が日本国は! 許容範囲の姿かなぁ・・?!

帆船も見え、shinkaiの頭も写っていますが、ははは、
日本の下に見える数字1541は、ポルトガル側からの日本発見年で、
日本の下に見える数字1541は、ポルトガル側からの日本発見年で、

我々は1543年に、種子島にポルトガル人が鉄砲を伝来、
と学んでいますが。
人間像の細部をご覧頂きますが、東側から、前半分をまず。

先頭に立つ、手にカラヴェッラ船を持つのがエンリコ航海王子(1394-1460)
こちらがポルトの街で見かけた大きなエンリコ王子のタイル装飾、
教会の壁にあったものですが、
教会の壁にあったものですが、

大航海への熱い情熱を持ち、航海士たちへの資金提供をし、
大航海時代の到来を招いた人物としての評価ですね。
大航海時代の到来を招いた人物としての評価ですね。
もう1度写真をご覧頂き、2人目はアフォンソ5世・AfonsoV(1432-81)
エンリコ航海王子の甥にあたるポルトガル国王で、
航海への資金提出をしたと。
航海への資金提出をしたと。

3人目がヴァスコ・ダ・ガマ(1460-1524) アフリカ南岸を経ての
インド航路を開拓、ポルトガル海上帝国の大繁栄の基礎を築いた人とでも。
インド航路を開拓、ポルトガル海上帝国の大繁栄の基礎を築いた人とでも。
頭だけ見える方を除き、手前に全身が見える4人目は、
ペドロ・アルヴァレス・カブラル(1467-1520)ブラジル発見者。
ポルトガルの大繁栄は、ブラジルそしてアフリカに植民地を持ったのに
由来しますが、そう、この方が発見者。
由来しますが、そう、この方が発見者。
5人目がフェルナン・デ・マガリャンエス、はい、フェルディナンド・マゼラン
(1480頃-1521)、初の世界一周航海を成し遂げたものの、
自身はフィリピンで戦死という。
後ろ半分をどうぞ。

紋章の付いたのを持っているのが、アフリカのコンゴ発見の
ディオゴ・カオン(1450–1486)
後ろから2人目十字架を胸に、手を合わせているのが、1549年日本に
初のキリスト教伝道のフランシスコ・ザビエル(1506頃-1552)
初のキリスト教伝道のフランシスコ・ザビエル(1506頃-1552)
では西側の全体をまず見て頂きまして。

私がなぜこのモニュメントに興味を持ったかと言いますと、
こちら側の真ん中から下辺りに僧服が2人、
上の1人は十字架を高く捧げ持っているのですね。
こちら側の真ん中から下辺りに僧服が2人、
上の1人は十字架を高く捧げ持っているのですね。
あ、坊主がいる、(失礼!) 神の名の下に、侵略を大いに励ました
輩に違いない、と名前を知りたくなったのでした、はい。
輩に違いない、と名前を知りたくなったのでした、はい。
エンリコ航海王子の後ろに屈む人物は、
エンリコの弟フェルナンド聖王子(1402-1443)
聖王子と呼ばれているのは、モロッコ遠征に出かけて捕虜となり、
獄死して後、カトリック教会より列福されている為で、
獄死して後、カトリック教会より列福されている為で、

そうですね、大航海時代と言うと華やかな大冒険のイメージが沸きますが、
植民地を求めての大航海で、戦争、残虐な殺戮も大いにあった訳ですね。
航海士、数学者、天文学者などが続きますが、中程にパレットを持った
画家の姿! ヌーノ・ゴンサルヴェス、15世紀後半に活躍の画家と。
画家の姿! ヌーノ・ゴンサルヴェス、15世紀後半に活躍の画家と。

その次がカモンイス、又はカモイーシュ(1524年頃-1580)
ポルトガル史上最高の詩人と謳われますが、
彼が謳った ロカ岬 ・ ここに地が果て、海が始まる
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461067791.html
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461067791.html
その後ろに僧服2人が続き、フエレイ・エンリケ・カルバーリョ、
(フェルナン・ゴンサロ・デ・カルバーリョ)と言い、神学者というのですが。
続くもう1人の名が見つからず、
(フェルナン・ゴンサロ・デ・カルバーリョ)と言い、神学者というのですが。
続くもう1人の名が見つからず、

王冠を戴く女性が1人、この方はエンリコ航海王子、フェルナンド聖王子、
後ろに控えるコインブラ公ペードロ達の母君、そして東側にいるアフォンソ5世の
祖母に当たるドナ・フィリパ・デ・レンカストレ(1359-1415)と。
後ろに控えるコインブラ公ペードロ達の母君、そして東側にいるアフォンソ5世の
祖母に当たるドナ・フィリパ・デ・レンカストレ(1359-1415)と。
英国ランカスター家出身の王妃で、ポルトガル王ジョアン1世との婚姻での
嫡子達が優秀で、ポルトガルを繁栄に導いた、という事で、
ここに唯一の女性像なのかも。
最後は上に名が出たコインブラ公ペードロ(1392-1449)
最初に名を知った時は少し驚き、あれこれきちんと名前を調べる元にもなりました。
はい、私のブログに何度か名前が出ておりますが、覚えておいででしょうか?
フィレンツェ、ルネッサンス期の彫刻家デジデーリオ・ダ・セッティニャーノを。
コインブラ公ペードロは彼の実の父親で、デジデーリオは庶子の為
フィレンツェ近郊の石工の家に養子に出されたと、
森下典子さんの「前世への冒険」に。
フィレンツェ近郊の石工の家に養子に出されたと、
森下典子さんの「前世への冒険」に。
デジデーリオ・ダ・セッティニャーノという彫刻家をご存知ですか?
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464150494.html
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464150494.html
コインブラ公ペードロは旅行好きで外交官を務めていた様子で、
イタリアはフィレンツェのみならずヴェネツィアにも勿論、トゥレヴィーゾにも
来ている事を知り、驚きつつもなんとなしに親近感を感じたものでしたが、
エンリコ航海王子の兄にあたるのに気が付かず、知らずにおり、
・・なにせ同じ名がめったやたらですものね、と言い訳、
当然東側2番目にいるアフォンソ5世王の叔父、というのに結びつかずで。
・・なにせ同じ名がめったやたらですものね、と言い訳、
当然東側2番目にいるアフォンソ5世王の叔父、というのに結びつかずで。
幼い王の即位に関し摂政を勤め、後に反逆罪の名の下で戦死、
というので、こちら側の一番しんがりの位置に、と思いますが、
というので、こちら側の一番しんがりの位置に、と思いますが、
ポルトガル王家の歴史まで手が届かず、知らない事ばかりで、
時々芋づる式にこうしてずるずると出てくると・・!!
n.1 オビドス ・ ポルトガル
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/473960774.html
時々芋づる式にこうしてずるずると出てくると・・!!
n.1 オビドス ・ ポルトガル
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/473960774.html
カモイーシュが「ここに地が果て、海が始まる」と歌った
ロカ岬からの大西洋の海。
この海の先を目指し、彼らは出かけて行ったのでした。

最後はサイトから拝借した、美しい写真をどうぞ。
海の先は落ち込んでいて、誰も戻れないかも、という恐怖と闘いつつ、
夢と欲を持ち航海に出かけて行った男達の姿を想像できるような。
海の先は落ち込んでいて、誰も戻れないかも、という恐怖と闘いつつ、
夢と欲を持ち航海に出かけて行った男達の姿を想像できるような。

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