・ 最近見た映画とDVD ・ 春休みを前に*映画祭り*を

日本から桜開花のお知らせがちらほらで、早速に美しい花ニュースを、
このブログを見て、ついでにこれも、とこちらの友人達に見せびらかしを!

皆一応にその美しさに驚嘆し、一度は満開の桜の下に身を置き、
美しさを愛でたい、と願う様ですが、開花の日が毎年こうも違うと、
旅行で訪問、満開の花に出会うのは宝くじを当てる様なもの!
と納得させつつ、京都の桜を見つけたら知らせるから、となだめています。

最近友人と映画を見に行くチャンスが結構あり、とても興味深く
楽しめた映画もあり、是非皆さんにも!と。

と、あれこれ関連した手持ちのDVDも一緒にご案内で、
映画好きな方も、そうでもない方も、ごゆっくりどうぞ!

◆ アンナ・カレーニナ 最新版
  ・2012年 イギリス、アメリカ合作
  ・ジョー・ライト監督
  ・キ-ラ・ナイトレイ、ジュードゥ・ロウ、アーロン・ジョンソン

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最新版、と上に書いたのは、既に過去に確か4度も映画化されている
トルストイの名作だからですが、



1927年、35年の主演女優は、このグレタ・ガルボですが、
この写真がどちらの年の物か私には男優の顔が判別できませんで。

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1948年の主演女優は、「風と共に去りぬ」のヴィヴィアン・リー。

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で、こちらが1997年の、ソフィー・マルソー。
これはTV放映で見たのですが、原作通りというか、
ロマン大作編だった記憶があります。

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そして今回のケーラ・ナイトレイのこの作品。 これは先に見て来た
ルイーザの感想では、ちょっと変わっていて不思議な映画だったよ、
舞台みたいに幕が上がってね、舞台上みたいに進行するの。
気に入った?   そう、面白かった。

という話だったのですが、まさにそうでして、
ほらこの写真でも舞台の上と下、の様に見えるでしょう?

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その構成の面白さと、進行のテンポの速さもリズム感良く、
アイディアの斬新さというのか、退屈せずとても楽しめました!
はい、ああいう重たい不倫、夫婦不和のお話は、もし堂々と進みましたら、
この年の私めには重すぎるかもで。

が、主演女優陣も美しく、場面も綺麗、舞踏会も美しくセクシーで、
はい、本当にお勧めの映画です!!



ただ一つの驚きは、です、夫になったジュードゥ・ロウのフケ振りで・・!
       
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写真を彼のファンである、私のイタリア語の先生アンナリーザに
意地悪く、ははは、送りましたら、
「なんという老け様! 何という禿げ方! なんとブスになった事!」と
嘆きのメールが届きましたぁ。 ははは。
まぁ、でも善人役をする彼の笑顔も、最後に見れますぞ。 役者です!



主演を務めたキーラ・ナイトレイの、手持ちの彼女のDVDも、ついでに。

◆ プライドと偏見
  ・2005年 イギリス
  ・ジョー・ライト監督
  ・キーラ・ナイトレイ、マシュー・マクファディン

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shinkaiなどジェーン・オースティン作の、「高慢と偏見」、「自負と偏見」
というタイトルで覚えていたのが、はは、読んではおりませんが、
今回の日本語タイトルは「プライドと偏見」になっておりました。



◆ ある公爵夫人の生涯
  ・2008年 イギリス
  ・ソウル・ディブ監督 
  ・キーラ・ナイトレイ、レイフ・ファインズ

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実在のデヴォンシャー公爵夫人ジョージアナ・キャヴェンディッシュなる方の、
世に評判の美人でありながらも不幸な結婚生活を描いた映画で・・、
まぁねぇ、世の中色々あるよねぇ、ははは、という感想でござった。



所で上の「高慢と偏見」の原作者ジェーン・オースティンを描いた、

◆ ジェイン・オースティン 秘められた恋
  ・2007年 イギリス
  ・ジュリアン・シャロルド監督 
  ・アン・ハサウェイ、ジェームス・マッカヴォイ

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「高慢と偏見」の原作も読んでおらず、ましてまるで関心もなく
このDVDを買ったのは、単にこのアン・ハサウェイの美人の写真に
魅かれたからでありまして、へへ、
      
これを見て途中から、あれ?これはあの英国小説の作者?と知ったという、
ははは、ムチムチのshinkai!
今こうして改めて見れば、DVDの下にちゃんと書いてあるのですが、
まぁ、買う時はそんとな小さな字は読まんもん、ね。

英国貴族の、如何に良き結婚をするか、という大関心事についても、
お知りになれますです。

所で、アン・ハサウェイ最新作の「レ・ミゼラブル」は、ジュリアーナが
ミュージカルに興味ないとお誘いが来ず見逃しました。
が、見たもう一人のジュリアーナ・ミランによると、
イタリアでの公開版は、フランス語で歌い、イタリア語字幕だそうで、
私めは読むのが遅いもので、ああ、では仕方ないか、と・・。



◆ リンカーン
  ・2012年 アメリカ
  ・スティーヴン・スピルバーグ監督 
  ・ダニエル・デイ=ルイス、サリー・フィールド

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映画の最初は、時代背景、議会進行の状況をまるで知らず掴めず、
私のイタリア語理解力では、正直な所???という感じでした。

が、今現在では当たり前となっている民主社会の大前提、
奴隷法廃止、法の前では何人も平等である、が、リンカーンと
共和党議員による議会工作、工作と言うと悪い意味になりかねませんが、
       
当時、この法を議会で批准させるための様々な駆け引きをしていた、と知り、
逆に私はちょっと興奮気味となりました。

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そうですね、夢は語るのみでなく、それを実現させていくには、
時に様々な動きも駆け引きも必要なのですね。

良い映画だった、と思っておりましたが、これを書くのに読んで、
たくさんのアカデミー賞も取ったと知り、ちょっと嬉しいです。
  
     

◆ ラ・ミリオ―レ・オッフェルタ(最上の指し値)
  ・2013年 イタリア
  ・ジュゼッペ・トルナトーレ監督 
  ・ジェフリー・ラッシュ、ドナルド・サザーランド

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「ニュー・シネマ・パラダイス」等でお馴染のトルナトーレ監督の新作で、
主演は「国王のスピーチ」のジェフリー・ラッシュ、で話題を呼びますよね。

で、大変巷の評判は宜しいのです。 が、ひねくれ者の私めは、
始まってすぐにがっくり。 というのも、最後の結末は分かりませんでしたが、



話の進み方が、若い綺麗な女の子が、
仕事では切れ者でも、所謂真面目でうぶな中高年を引きずり込み落とす、
もうその常套そのもので、うんざりして椅子の中でごそごそ。

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筋はスリラー仕立てですので、最後をばらすのは控えますが、こちらもどうぞ。
つまりこの男の秘密の部屋、個人コレクションの部屋として出る部屋ですが、

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まるで絵に関心のない人ならともかく、有名美術館蔵の有名な肖像画が
ちらほらあるのがすぐ目につき、それが個人像として出るのは、
仕掛けが雑で甘いですよね。 だってどちらかが模作という事になりますものね。
       
そういう仕掛け、伏線の荒さが他にも幾つか目につき気になり、
イタリア色を極力廃しているにもかかわらず、・ヴァティカンの丸屋根が一瞬
眺めの中に映りますがぁ、
やはりスリラー仕立てに弱いイタリア映画だなぁ、と、ははは。

こちらにちょっぴり。
https://www.youtube.com/watch?v=rAvyBSxv_c0



◆ シャイン
  ・1996年 オーストラリア
  ・スコット・ヒックス監督 
  ・ジェフリー・ラッシュ、アーミン・ミューラー=スタール

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同じジェフリー・スコット主演の、これは好きな映画「シャイン」。
オーストラリアの実在の天才ピアニスト、若い時にコンクールで
ラフマニノフを弾き、精神世界の一線を越した、という・・。
       
厳格な父親との葛藤や、後に結婚した女性との出会い、
ピアニスト生活も再開しての穏やかな生活に。
良い映画だと思います。



こちらはつい1週間前に見た、

◆ 大統領のコック・La cuoca del Presidente
  ・2012年 フランス
  ・クリスティアン・ヴィンセント監督
  ・カテリーナ・フロー

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大作映画ではありませんが、楽しく興味深く。
フランス大統領ミッテランの時代に2年間ほど私的なコックとして、
女性シェフがエリゼー宮に存在したらしく、その様子を描いた映画。

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正式な大きな調理室では大勢のコックが腕をふるい、彼女はもう1人の
コックと共に大統領の私的な料理を、気取らない、でも昔からの美味しい、
子供の頃にお祖母さんが作ってくれた様な料理を、と
大統領のお気に入りになるのですが、

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その裏では、大調理室で作る料理の3倍もの経費が掛かると
突き上げられ、そちらのシェフとの確執もあり、結局長くは続かなかった様。

ですが、出てくる料理の美味しそうな事!!
如何にも食の大国フランスの愛情がこもった映画でした。



最後はTVで見た映画ですが、まさに一服の清涼剤とでも言える

◆ ブライト・スター いちばん美しい恋の詩
  ・2009年 イギリス
  ・ジェーン・カンピオン監督
  ・アビー・コーニッシュ、ベン・ウィショー

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イギリスの詩人ジョン・キーツの名は、詩はちゃんと読んでおらずとも
あちこちでお目にかかり、知っていましたが、
彼が25歳の若さでローマで亡くなったというのも知らずで、
そんな彼の最後の3年間、許婚者ファニーとの恋愛を描いたもの。



ジェーン・カンピオン監督の「ピアノ・レッスン」や「ある貴婦人の肖像」も
大変美しい、素晴らしい映画でしたが、
この「ブライト・スター」の場面の美しい事!!

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溜息が洩れそうなイギリスの美しい風景、空気の緩やかな動きを
捉え見せてくれる映画で、

「いちばん美しい恋の詩」、なんて俗な題名を付けたんだろ?!
ご一見をお勧めいたします!!

では皆様、良い春をお過ごしくださ~い!!


*****

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・ ルイーザの雪国報告 ・ ブルグ・サン・モーリス 

さて昨夕、漸くにヴァティカンに新教皇が誕生しましたが、
南アメリカ、アルゼンチン、イエズス会派、フランチェスコという呼称、
と初物つくしの教皇様。

たまたま7時半頃に晩御飯を持ってTVの前に座りましたら、
フマータ・ビアンカ、新しいパーパ誕生、とTV生中継中で、
おお!とそのままこちらも夕御飯を食べながら待機。

8時過ぎになり、一番年長の枢機卿がテラスに現れ、
アベムス・パパム・L'Abemus Papamと告げ、
アルゼンチンのホルヘ・ベルゴーリオ・Jorge Bergoglio大司教と
告げると、中継中のジャーナリストから、
これはちょっと意外だった、と一斉に嘆声が漏れました。

ですが前教皇が選ばれた時には次点だったと言いますし、
いよいよテラスに白い教皇の衣装でお出ましの姿は、
背の高いがっしりとした体格、76歳とはいえ、
激務の教皇職もしっかりお勤めになれそうです。
それに率直そうな構えのない姿、口調も印象に残りました。
      
前教皇選出の際は、我が家も大変な時期でしたし、
22年イタリアに住みながら、今回初めてコンクラーヴェなる物を
TV中継ながら体験した事になります。

先々代のヨハネ・パオロ2世が大教皇様でしたから、私には前教皇は
失礼ながら如何にも教皇職勤務中、という感じがぬぐい切れずでしたが、

さて、このフランチェスコは、真の教皇様にお成りでしょうか?
フランチェスコという呼称をお選びになった、というのも
その覚悟を現わされているようで、
まずは新教皇様誕生をお祝いしたいと思います。

***

という事で前置きが長くなりましたが、今日ご覧頂くのは
ちょっと冬に後戻りして頂き、
友人ルイーザ・Luisaから届いた雪国の便り、ブルグ・サン・モーリス・
Bourg-Saint-Maurice、イタリアとスイス国境に近い
フランス東南部の町の様子です。

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なぜこの町かと言いますと、以前ルイーザの孫がパリに誕生、とパリ便りも
見て頂きましたが、娘さん夫婦が昨年の夏にこの町に引っ越したのですね。
子供を育てるには、パリよりも自然の中で、という意見で。

という事で上の2枚は、ルイーザの娘クリスティーナ・Cristina一家の
現在の家からの眺めで、まぁ、この雪、ゆき、雪!!!



ブルグ・サン・モーリスなる町はどこにあるか、地図をどうぞ。

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大きな地図に見える右のグレーの線が、イタリアとの国境という事になり、

パリよりはイタリアに近くなるものの、逆に飛行場からは遠くなり、
イタリア・ヴェネトから行くには、車で7時間の距離と!
それでも孫可愛さにひかれ、ルイーザとレナート夫妻は
昨年は5度出掛け、向こうからは2度やって来たそう!



こちらが行程図。お風呂に入りながら、ふと、レナートのあの飛ばし屋が、
ルイーザもかなりで、7時間の行程と聞いているけど、一体どの位の距離を
7時間で?と。で、検索して出たのがこれ。

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コネリアーノアからずっと高速で、685Kと出ました。
それにしてもやはり凄い! 途中の休憩、最後の山道も含めて7時間ね、フム。
 
      
  
今日ご覧頂くのは、先月2月に彼らが出かけて来た時の写真で、
標高2000mに位置する町の雪景色をどうぞ!!

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ブルグ・サン・モーリスという名は聞いた事がありませんでしたが、
地図に見えたAlbertville・アルベールヴィルという地名はね、
ご存知1992年の冬季オリンピックが開催された土地で、
その時には50kの距離のこのブルグ・サン・モーリスでも競技が行われたそう。

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町では夏やスキーのヴァカンスを兼ねての各種の催しがあり、
ルイーザの娘クリスティーナは、市役所のそういった催しの仕事をしているそう。
ソルボンヌに留学し優秀だったそうで、パリでも各種催し開催に
携わっていたというので、まさにぴったりの仕事を見つけた訳ですね。



ルイーザ夫妻が7時間の長距離を出かけて行くのは、
ただただ孫のヴィットーリオ・Vittorioを見たい、抱きたいと行くのですから、
その肝心のヴィットーリオの姿をね、
余り顔が見えない写真だから、とOKを貰っての3枚をどうぞ!
この6月で2歳になります。

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殆ど毎日スカイプで話す彼らなのですが、よく喋るようになり、
先日は10分程もヴィットーリオが演説したけれど、何を言いたいのか
まるで分らなかったと、ははは。



雪景色もちょっと趣が違って美しいですが、
やはり青空の見える雪景色もどうぞ。

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はい、ルイーザには次回、緑のアルプス風景を頼んで置きますね。


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・ n.1  ヴェーラ・ダ・ポッツォ ・ ヴェネツィアの井戸 

先日来から前歯がぐらつき歯痛で、・・はぁ、歯のみならず、徐々に
あれこれ進行中の諸問題については諦めの境地でおりますが、クシュン、
歯茎が少し腫れ出し、こりゃいけん! 歯医者に電話しましたら、
何とこの不景気が影響しているのか、即日午後に診察OK!
抗生物質のリチェッタを貰い、来週水曜午後の再診察に備え中ですが、
右側ほっぺの皺が消える程にまだ腫れておりまして、あ~ん、

頭も重く、せめてブログのネタは軽く楽なものにしたい、と。
何か良いアイディアが来ないかと思っておりましたら、
はい、ヴェネツィアの広場の井戸はどう?と。
これなら場所を書けばOK、写真はあれこれ今迄のがあるし、と
いう事で、端境期用の、ははは、新しいシリーズ物にしたいとも!

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今回は12月にヴェネツィアに出かけた時に写したのから選び、
行程は「冬のヴェネツィア散歩」として見て頂きましたが、

駅から東南にサン・ポーロ地区を抜け、リアルト橋を渡り西に。
アッカデミア橋を渡り、デッラ・サルーテ教会から西回りに駅に戻る、という
歩きでしたので、今回見て頂く写真に、井戸はサン・ポーロ地区のが6つ、
サン・マルコ地区が4つ、ドルソドゥ―ロ地区が6つあります。

で、ヴェネツィアの井戸、石の囲い・井桁の付いた井戸を
ヴェーラ・ダ・ポッツォ・Vera da Pozzo と呼びますが、
  
これはなんと数えられたのが600以上、最近ではそれ以外にまだ200はありそう、
と言われているそうで、私など目に留った時は結構写しているつもりですが、
到底修業不足!
という様子ですが、今後ともよろしくお願いいたします!!

上はまず幕開けに相応しく、季節は秋ですがパラッツォ・ドゥカーレの中庭から。
ここには2つ、青銅の立派な井桁のがありますです。

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さてでは、駅から歩いた順にご覧頂きますね。
コルテ・デル・カルデレール・Corte del calderer.

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ヴェネツィアの地図で検索しても出ない程の小さな中庭ですが、
サン・ポーロ地区のスクオーラ・グランデ・ディ・サン・ジョヴァンニ・
エヴァンジェリスタ・Scuola Grande di San Giovanni Evangelistaの
ほんの少し手前を、南向きに左の小路を入った所。



カンポ・サン・スティン・Campo San Stin.

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ここから橋を渡るとフラーリ教会、正式の名はサンタ・マリーア・グロリオーザ・
デイ・フラーリ・Santa Maria Gloriosa sei Frariに出る前の広場で、
かなり広い広場にこの井戸。
       
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カンポ・デイ・フラーリ・Campo dei Frari.
上のカンポ・サン・スティンから橋を渡ってくると、この写真の右下隅に出てくる
という訳で、余りにも教会が大きく、上手く入らなかった下手な写真でご容赦!
       


教会の南に広がるのがカンポ・デイ・フラーリで、写真左下に切れて
写っているのが、はは、この広場の井戸!

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フラーリ教会から東にサン・ポーロ広場を抜けると、
・・今回このサン・ポーロ広場の井戸は写真なしで、

次の広場がカンポ・サン・アポナール・Campo San Aponalで、
正面の教会がサン・アポナール教会。

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西からこの広場に入ると、以前はお天気の時は教会前に鳩が餌を食み、
広場右手の食料品兼スーヴェニール店の猫ちゃんが鳩たちに鋭い目を
光らせながら日向ぼっこし、
そして手前の緑のテントの下にはレストラン、という広場でした。

いつの間にかレストランが姿を消し、とても殺風景な広場になり、
イタリアの不景気は、とても根深い気がします。
追記: レストランは多分経営者が変わり、再開されています。



アポナールの教会前の左手に、ソット・ポルティゴ・建物の下を潜る
アーチがあり、そこを抜けると、
コルテ・デイ・プレーティ・Corte dei preti、
教会司祭たちがこの周囲に住んででもいたのでしょうか?

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さて大運河をリアルト橋で渡りまして、

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橋南詰のゴルドーニ広場から西に、サン・ルーカ広場、マニン広場を抜け、
この広いカンポ・サンタンジェロ、いやヴェネツィア訛りでは
カンポ・サンタンゼロ・Campo Sant'Anzeloに出て、
写真は広場の西から見た様子で、

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今見えるのが広場南側にある井戸。
もう一つ広場の北側にありますが、今回は写しておらず。


所で、ヴェネツィアの井戸に付いての詳しい事はまた、にさせて頂きますが、
こういったちょっとした広場、内庭に必ず井戸がある、
広い広場には2つある事もちょいちょいで、

というのも、ヴェネツィアの井戸は天水利用の井戸。
広場の下には粘土や小石を敷きつめた層があり、広場に傾斜をつけて
流れ込むようにし、それを汲み出す井戸、という仕組みなのですね。
海の浅瀬に囲まれた民の生活の知恵で、
本土から水道が通るまでは、この井戸が生活の基盤でした。



サンタンジェロ広場の西端には、西向こうにあるサント・ステーファノ教会の、
かっての修道院の建物があり、このどっしりとした内庭の井戸
サント・ステーファノ・元修道院・San Stefano ex Convento.

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この建物内には現在税務署などが入っていますが、
井戸はもう一つの内庭にもある様子で、どちらも私的な持ち物と。

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つまり建物の内庭にある井戸は私的な物、という事で、
最初にご覧頂いたパラッツォ・ドゥカーレの井戸も、記録にはprivatoと。
   
  
所で、世の中には大変奇特な方、奇特なサイトがありまして、はい、
ここにご紹介できるのが嬉しい物を1つ。
サイトの以前のアドレスが引っ越しで、探して見つけました。
http://www.venise-serenissime.com/planinteractif/puits_venise/puits_venise1.htm
最初にヴェネツィアの地図が出ますので、その区域をクリックすると、
区域全部の住所、または建物の名が出て、クリックすると写真が見れます。

現在ヴェネツィア全部で1070の井戸が確認されており、以前このサイトを
見つけた2013年当時は790となっていたので、かなり増えていますね。

と同様なサイトも見つかり、こちらの方が簡単に見れるかもで。
LE VERE DA POZZO  http://veredapozzo.com/


       
さて細長く広いサント・ステーファノ広場を抜けると、アッカデミア橋の手前に
小さな広場がもう1つ、
カンポ・サン・ヴィダール・Campo S.Vidaで、

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アッカデミア橋を渡り、

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デッラ・サルーテ教会に向かいますが、
これは細い運河越しに覗く向こう側の広場、いや内庭の井戸。
コルテ・デル・サビオン・Corte del sabion.

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道の突き当たりの角にペギー・グッゲンハイム美術館があり、
入り口前のこの美しい井戸。

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なおも先に進むと、サン・グレゴーリオ教会前に。
カンポ・サン・グレゴーリオ・Campo S.Gregorio.

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細い暗い教会脇をくぐり抜け、橋を渡った位置からの
サン・グレゴーリオ教会後陣の美しい姿。

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既にここはサンタ・マリーア・デッラ・サルーテ教会前。

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で、教会前に細長く広がる広場の東、現在美術館前にあるのが、
カンポ・デッラ・サルーテ・Campo della Salute.

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という所で引き返し、アッカデミアの前を通り西回りに駅に。

サン・バルナバ教会前に出て、鐘楼と広場の井戸。
カンポ・サン・バルナバ・Campo S.Barnaba.

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も一つ駅に行く途中の、広い広場サンタ・マルゲリータ、
カンポ・サンタ・マルゲリータ・Campo S.Margherita.

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この広い広場には井戸が2つあり、上の写真は広場南側の井戸で、
       


こちらが広場の北側半分で、真ん中に見えるのがもう1つの井戸。

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改めて井戸を見ながらのお散歩をお楽しみ頂けたように願います!
また別の地区も、順にご案内いたしますね。


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・ ドムス・デル・ミート ・ サンタンジェロ・イン・ヴァード

先回に引き続き、マルケ州の知られざる珠玉の町とでも言える
サンタンジェロ・イン・ヴァード・Sant'Angelo in Vadoのご案内で、
今回は町外れの草原で発見された紀元後1世紀末の、ローマ期貴族の家の
素晴らしい床モザイクです。

そして最後にちょっぴり、これで町が有名な白タルトゥーフォの姿もね、ははは。
では、ごゆっくりどうぞ!

写真は、遺跡発掘所に案内し説明してくれたインフォメーションの女性の笑顔を再度!
     
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先回の記事に町の小さな地図もありましたが、そうなのです、こんな風に町を
南に出はずれた草原に、遺跡があるのですね。

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東に見える教会はサン・フランチェスコ。

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発掘場所の上には、こんな様子に屋根が設えられているものの、
周囲はまだ単にナイロンで囲った、と言うだけでして・・、

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この写真は友人のmkちゃんのもの。

今回見て頂くのは、中が写真禁止でしたので、案内所で貰ったパンフレット、
コムーネのサイト、そして他のサイトで探したものです。

このモザイク遺跡があるのを知ったのも本当に偶然というか、町を歩いていて
たまたま出会った若いシニョーラが、今日は遺跡が見学の日で開いていますよ、
インフォメーションで聞いてご覧なさい、と教えてくれたのですね。
で、遺跡なる物が何か良く分からないままインフォメーションに行き、見学したい、と
申し込んだという訳で、毎日ずっと開いてはいないという幸運もありました。



考古学上の発見として最近50年の内で最大の物、と言われる
このローマ貴族の屋敷跡のモザイクですが、
       
この広大な草原はカンポ・デッラ・ピエーヴェ・Campo della Pieve・教会広場
とでも呼ばれるもので、この下に遺跡が見つかったのは偶然にも、航空写真からだそう!

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周囲に写っている家々の大きさから、遺跡の大きさをご想像下さいね。
写真が何年に撮られたものか書いてありませんが、この写真が元で1999年から
調査が始まり、2000年から発掘が始まった、と。



こちらはまだ覆いも屋根も無い時の上空からの写真で、
各部屋に床モザイクがあるのが見えますね。

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現在内部はこんな感じで、ぐるっと見学者用の歩道が出来、ガイド付きで見学が
出来るようになっていますが、発掘の大変さ、損傷のひどい部分の修復等を考えると、
ここまで整備されたのも、ついつい最近の事なのでしょう。

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こちらが発掘された家全体の平面図。

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下に見える赤い矢印部分が見学用入り口ですが、実際に玄関ロビーに当たる部分。
全体は1000平方にも及ぶ1世紀末の広い貴族の屋敷で、中央に中庭と井戸が。
そうですね、ポンペイ遺跡で見た家の形もこうでした。

この一帯にはローマ期にTifernum Mataurenseという町があり、
ご覧の様にこの家の持ち主はかなりの地位、富の持ち主だったのが分かりますが、
モザイクで描かれた内容が神話に基ずく物が多い事から、ドムス・デル・ミート・
Domus del Mito・神話の家、と命名。
       
草原の下にこうして2000年の間眠っていた訳ですが、まったくよくもまぁ土地開発で
破壊されなかったもの!
サンタンジェロ・イン・ヴァードの町はローマ期の後、川の氾濫により破壊されて
いたのを、その上にロンゴバルドの民が新しく町を造ったという歴史があると
読んだので、町外れに埋まったまま、手つかずの良い状態で残っていた訳なのでしょう。



ではモザイクの細部を、最初の玄関ロビーからどうぞ。
ネプチューンの凱旋。

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写真では図柄の端が切れていますが、下部にはイルカが泳ぎ、戦車に乗る
ネプチューンと迎える妻の、この華やかな勇壮さ!
こういったモザイクの線の、体の表現の巧さにいつも驚嘆します。
     
  

そして、その細部。 

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玄関ロビーの奥、図でVANO16とある部分、中央に酒神バッカスと、

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写真左が、顔の部分、

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そして、4隅にある人物と植物柄。

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大きな部屋、約7m四方ある横臥食堂だったろうという部屋。
平面図では上側の4の部屋を、ほぼ全体が見える写真でまずどうぞ。
     
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このモザイクは中心部が多色使いと2色使い、周囲が2色で、
4辺の内一面を覗いて幾何学模様の素晴らしいデザイン。

      

中心の四角の中はご覧の様に、多色モザイクで海の生物。
色使いが大変鮮やかで、装飾的にも優れていますね。

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中心を取り巻き円形、十字の変形とでもいうのか、人物、鳥、植物などが囲まれ、
その周囲は幾何学模様ですが、多色と、白で浮き出る柄の取り交ぜが素晴らしい!

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そして1辺は、勢子と犬と鹿とイノシシの狩りの図という、なんとも豪勢なモザイク柄。

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別の角度からの様子をどうぞ。

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所で今回コムーネのサイトを読んでいて大変興味深い事を知りました。と言うのは、

こういったモザイクを作るには勿論その道の職人がいる訳ですが、
柄を、配置を、色を決めるにはどうするのか、
そういった事を疑問に思われた事がおありでしょうか?

私はモザイクについては考えた事が無かったのですが、ギリシャの赤絵、黒絵の壺、皿
などに描かれている人物像、あれは大変にシャープで無駄な線も無く、
そして下手な絵!というのを見た覚えが無いのですね。
皿絵はともかく、カーブしている壺に描いてもです!

一方古い陶器の絵付けはもう様々で、素晴らしく上手いのもあれば、下手もで、
ははは、それで、きっとギリシャの壺絵は下絵作りのプロがいて、
その型紙を使って描いていたのだろうと、想像していたのです。

で、たまたまギリシャの壺を見た時にガイドさんがおられたので、型紙について質問すると、
多分そうでしょうねぇ、どれもが上手すぎますものねぇ、との事で、やはりそう思われるか、
と納得していたのですが、

今回コムーネのサイトに書いてあったのは、
当時この一帯に、こういった大規模で質の高いモザイクを注文する貴族がおり、
それに対応する腕の良いモザイク職人達が、型紙を持って入りこんでいたであろう、と。
という事で一挙に疑問解決。

そうですよね、注文主にすれば、良いのを作ります、と請け合ってくれても、
どんなのが出来るのか不安でしょうし、もちろん好みもあるでしょうしね。
絵描きでも昔は注文を受けるのに、あれこれ見せる下絵があったり、フレスコ画なら
穴をあけた型紙を持っていて、ピエロ・デッラ・フランチェスカなど、同じ人物の顔を
右向き、左向きと使い分けている例があるそうで、ははは、賢い!

モザイク、彫像、彫りの飾り、調度品、絵・・、何でも商品見本や型紙があって、
仕事を受けていたのでしょう。

金箔を貼ったり金を使う、又はラピスラズリなどの様な高価な画材を使う場合は、
どれ位使うかも決めたそうですから、
写真のない時代の、まだ芸術家という存在が無かった時代の、そういった値段決めの
駆け引き場面を想像すると、可笑しいですね。
       
       

さて本題に戻り、こちらは9番の部屋。 真ん中に髪が蛇になったメドゥーサの顔があり、
周囲を様々な柄が取り囲みます。

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写真右がそのメドゥーサの顔で、なんとも大胆で、素晴らしい表現!
蛇もちゃんと口を開け、舌が、きゃ。

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こちらは周囲装飾の一部。

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我々は大変幸運な事に、ちょうどガイド付きでグループが見学中の所に
いわば紛れ込む形で見れたのですが、見学するには申し込が必要です。
+39.347.9782936 に電話するか、
info@domusdelmito.it にメールを。
      
サンタンジェロ・イン・ヴァードのコムーネのサイトは
http://www.comunesantangeloinvado.it/index.php?id=8957

ドムス・デル・ミートについては、こちらにも。 申し込みが出来ます。
http://www.domusdelmito.com/

発掘の様子なども含めてのYoutube n.1~3は、こちらに。



さて気分を変えまして、は~い、サンタンジェロ・イン・ヴァードの名物、
白タルトゥーフォ。
まずは昨年のお祭りのポスターから。 毎年10月に開催の様ですね。

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こんな写真もサイトにあり!

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ここの白タルトーフォの特徴は、香りも味も刺激臭が少ない柔らかなものなのだそう。
が、はぁ、まだ白いのは食べた事がありませんで。
TVニュースのピエモンテの方の白タルトゥーフォの市、また今回見たこの町の
ヴィデオでも、出品者のいう事は同じ。

つまり大きな、高いものはイタリアでは売れない、イタリア人は買わないと。
どこに行くか? 昨年のアルバのはマカオだったかな、あの辺りのお金持ちがね!
ええ、こういうニュースは日本にお住まいのグルメの方がご存知ですね、ははは。



タリアテッレにかけた白いタルトゥーフォ! ム、ム、ム。

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お祭り最中の夜の広場。

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タルトゥーフォをワン君と探す様子のヴィデオを探しました。
最初のは短く画質も良く、但しここのではなく、ピエモンテのランゲの物で、
以前1kもの大きなのを見つけた事があり、忘れられない!と。
http://www.youtube.com/watch?v=8-1A1VqEdDE

こちらは長く、私もまだ全部見切れていませんが、フェッラーラ市のドキュメンタリーで、
秋の森の様子も美しく、白と茶のワン君がタルトゥーフォを探す様子、黒君は現在
まだ修行中などなど、お時間のある方どうぞ!
http://www.youtube.com/watch?feature=endscreen&v=3xDCnpqOUlg&NR=1



マルケ州の町のご案内の最後に、土地の旨いものの写真をどうぞ!
       
マルケは東がアドリア海に接し、西はアッペニン山脈なので海と山の産物がある州で、
美味しいものがどっさりの筈で、ちょっぴり涎を飲み込んで下さいね。
肉類、チーズ、魚のスープ・・!!!

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てな事で、こうして他の町も横目で睨みながら、ここも良さそうですねぇ、

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ここもサン・タンジェロ・アンジェロの反対側なんだと、クリスさんに教えて
頂きましたが、こうしてアッペニンを越えトスカーナ入りをしたという訳でした。
       
マルケ州は、トスカーナやウンブリアに比べ観光売り出しもまだまだの様子で、
余り有名ではありませんが、その分掘り出し物の町、村がたくさんある気がします。
またのチャンスを狙いましょう!


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・ サンタンジェロ・イン・ヴァード ・ マルケ州の珠玉の町

先日ご覧頂きましたマルケ州はウルビーノのパラッツォ・ドゥカーレですが、
あの館と、ウルビーノの町の代名詞とでも言うェデリーコ・ダ・モンテフェルトゥロ。

彼と向き合わせの素晴らしい肖像画によって、2番目の妻である
バッティスタ・スフォルツァは有名ですが、では彼の最初の妻は?と言うと・・。
       
で、今日ご案内するサンタンジェロ・イン・ヴァード・Sant'Angelo in Vado、
ウルビーノから西に26程に位置する小さな町なのですが、

ここがフェデリーコの最初の妻ジェンティーレの生まれた町なのですね。
そしてここのブランカレオーニの宮廷にフェデリーコは預けられ、
はい、彼は庶出でしたので、二人は一緒に育ったという経緯もあります。

が、そんなこんなを知っていてこの町に寄った訳ではありませんで、たまたまウルビーノから
アンギアーリの町に移動する途中、走りながら川向こうに見える町が大変良い雰囲気。 
で友人と、良さそうよこの町、寄ろうか?! といった様子だったのです。

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良い町は魅惑的な香りを放つもの! まさに大掘り出しの町でして、
2回に分けてご覧頂こうと、はい、その価値大です!

写真は、駐車した広場の脇で見かけた銅像で、タルトゥーフォ採り達が、
タルトゥーフォ探しとその歩きの、分かち難い仲間であるワンちゃんに捧げたもの。

フェデリコ・ダ・モンテフェルトゥロの特徴ある鼻について と、おまけ
http://italiashinkai.seesaa.net/archives/20181210-1.html

ウルビーノの、パラッツォ・ドゥカーレ・Palazzo Ducale di Urbino
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463304758.html

そうなのですね、この町は「白タルトゥーフォ」で有名な町で、
こんな風に毎年「白タルトゥーフォのお祭り」も開催されるという。

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これは2011年のポスターですが、お預けを喰らっているワンちゃんの顔! ははは。



地図をどうぞ。 ウルビーノからウルバーニア・Urbaniaに、ここに
モンテフェルトゥロ家の後を継いだデッラ・ローヴェレ家の要塞居城があり、
有名なミイラの残る教会もあり・・! 勿論、ミイラは見てませんよぉ!!
       
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上の小さな枠内がサンタンジェロ・イン・ヴァードの町の様子で、町自体は
小さいものの、中世の古い趣が良く残り、
そしてです、町の外にDOMUSと書かれた場所が見えますね。 ここには最近50年の内で
考古学の最大の発見、とされるローマ期の紀元後1世紀の素晴らしい床モザイク、
それも素晴らしい広さの家の、各室に残る床モザイク!があるのです。

それも知らずに寄ったのですが、偶然に教えて貰えて
発掘現場の中も見学出来た、という嬉しい番外編の町なのでした。



我々は町の西側に駐車し、こんな風にガリバルディ通りを抜けて東に。
田舎町ながら結構な活気がある町でして、はい。

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今回ご案内の為に読んでおりましたら、やはりタルトゥーフォのみならず、最近は
工業生産も盛んで、ローマ期モザイクの発見もあり観光業にも力が入り、という。
       


町のドゥオーモのクーポラの上、町の名にちなんだアンジェロ、大天使ミケーレの姿。

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町の北側をメタウロ川・Metauroが流れますが、ここが西から来ての町の中程北に
ある広場で、突き当たりの左手に橋が。

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上の広場の左手。 建物の壁に「ガリバルディが・・」という碑が見えましたっけ。

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橋の中程から見る町の東側。

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町の名「・・イン・ヴァード」はこの川の渡河を指すという説、つまり昔は川の浅瀬を
渡河点とし、そこで渡河税を取って渡らせた、という記録が良く出ますが、



もう一つ、川の岸にホソバタイセイという青い染料の採れる植物の繁殖が
あったからとか。
どちらの説も行けそうな感じですね。
    
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右奥にアーチが見えますが、
アーチの上にRistorante Re -Tartufoという下手な字の看板がみえ、ははは、
 


メニューがこちらに貼りだしてあったので、ご参考に!

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シェフのお勧めは、
アンティパスト クロスティーニ・ミスト カナッペの盛り合わせ
プリモ  黒トリフのタリアテッレ と、ポルチーニとガレッティという茸を混ぜた
     太めの手作りパスタ・これはミンチを作る様に挽器を通した、
     ぶつ切り状パスタと、ルイーザに教えて貰いました。
セコンド  牛肉小切りにタルトゥーフォのソース
      ポテトのオーブン焼き付け合わせ
デザート  ドルチェあれこれ  
        
如何ですか?  ちょっとトライしたくなりません?!
ですが、このお値段は2010年秋のというお断りを。



町の通りを行きつつ、こんな逆光の中のワンちゃんを見つけ撮っていると、

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そんな犬など撮らずに俺達を撮って!の声で、はい、日伊親善に努めるshinkai。

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・・ええと、私はです、・・美的が好みなのですがぁ・・。



先程のクーポラの見える教会の裏を通り過ぎ、これがドゥオーモと思わず写しましたが、

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時計の文字盤と、上の大天使ミケーレの姿もなかなか良いでしょう?

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かなり広いウンベルト1世広場にあった法皇像と、後ろは現在市役所になっている
ファニャーニ邸・Fagnani。
これはどなた?と言うと18世紀の249代のクレメンテ14世。

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なぜここにあるのかは、ははは、像の下に彫られたラテン語は読めずですが、
この法皇はこの地のファニャーニ家縁続きの出身だそうで、イエズス会を潰した
法皇として有名な方、なのだそう。



壁に見えた日時計が面白くて写したのですが、9時半を指していますね、
はい、間違いなくその時間帯だったと。

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下に見える碑は、この家で1839年8月2日に有名音楽家の
アゴスティーノ・メルクーリが生まれた、と。

この名をご存知の方は? ナポリの音楽院で勉強し云々、と出ましたが、
・・まるで、皆目、全然、まったく・・。



曲りくねる町の通りに朝の陽が射しこみ、おしゃべりに余念のない若い主婦2人。
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山の中の田舎町にしては、3階建てのしっかりした家が続くでしょう?!



ベランダの花鉢。

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細く自然なカーヴを描く道、古い町並み。

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そして、こんな一郭にでて。

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新しい町を訪ね、歩き回っていてこんな場所に出ると、shinkaiの内で
「わぉ!!」と喜びの声が上がり・・、



美味しいのが分かっているのをじっくり味わうみたいに、ははは、
周囲を眺めまわし、確かめながらそろそろと進み、

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ほらね、広場の中。 広場の名はピオ2世広場、正面は13世紀建設のラジョーネ宮。
市役所が以前ここにあり、現在は観光事務所が入っている様子。

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13世紀建設と言うと、そう、この建物はフェデリーコ・ダ・モンテフェルトゥロも
見ている筈!
    
で、最初に書いたフェデリーコの最初の妻について読んだ事を。
この町で生まれ育ったジェンティーレ・ブランカレオーニ・Gentile Brancaleoni、
フェデリーコも一緒にここで育った、という事ですが、
中世に於いてサンタンジェロ・イン・ヴァードの町は、ラツィオからトスカーナ、
マルケ、エミーリア・ロマーニャに渡って広がるアペニン山中に存在した教皇領の
マッサ・トゥラバーリア・Massa Trabariaの首都だったのだそうで、

ジェンティーレの父親バルトロメーオ・Bartolomeo・ブランカレオーニは、ここと
西にあるメルカテッロ・Mercatelloの行政官、領主だったと。
8歳の時に父親が亡くなり、母親ジョヴァンナ・アリドージ・Giovanna Alidosiが
跡を継ぎ、ただしウルビーノのフェデリーコの父グイダントーニオ・Guidantonio
の後見の下で、との教皇からのお達しに因りますが、
グイダントーニオの叔母が、ジェンティーレの父方の祖母、という血の繋がりもあり、
       
後添えの継母が嫡子を生む、という難しい状況のウルビーノ宮廷からこの地に
幼いフェデリーコが預けられ、その時に手回し良く、将来の婚姻許可も得ていたと。

実の母親同然に彼を育てたジョヴァンナですが、命の危険もある皮膚病に
フェデリーコがかかった時も、適切で親身な世話のお陰でイボは残ったが命拾いを!

そしてフェデリーコが15歳の1437年に結婚しますが、ジェンティーレは父親の
唯一の後継ぎとして、土地とその支配権を婚資に持参の、6歳年上の21歳。

騎馬戦が好きで無骨な性格のフェデリーコには、この年上の温和で忍耐強い妻が
大変に援けになったようですが、残念ながら二人は子に恵まれず、
夫の婚姻外の子を実子の様に育てつつも、新しい結婚を考え始めた夫により
修道院に隠遁を強いられた、という説も出るほどに、彼女の晩年は
引きこもりがちだった様で、41歳で肥満から来る症状の悪化で没と。

サンタンジェロ・イン・ヴァードの町紹介のヴィデオを見ていましたら、
歴史家が町の経緯を語りながら、

ウルビーノ公国を継いだフェデリーコの義弟オッダントーニオが、もし1444年に
家臣の反逆で殺害されなかったら、ひょっとしてフェデリーコのいたこの町が
ウルビーノの位置になっていたかも! と熱意を込めて話しておりましたが、
いやいやそれは幾らなんでも、おらが町の贔屓が過ぎましょうぞ!

11歳の時には所謂人質の形で父親からヴェネツィアに預けられ、15ヶ月もこの地の
開けた空気を吸い文化に触れ、その後にはマントヴァの宮廷で勉強したという彼の事。
ウルビーノの山の中にあっての、あの優雅なドゥカーレ宮の姿は、
あれはヴェネツィアで、マントヴァで得た影響の現れでしょう。

ウルビーノ公国の領土と、ジェンティーレの持参した土地とでは比べ物になりませんし、
フェデリーコの野望は大きく、その実現の為には明確で強固な意思があった筈で、
義弟の暗殺も命は援けるからと下手人として家臣を使い、後に自供させ、
2年後には処刑という・・。
彼自身庶子として生まれ、自分の婚姻外の子には法皇の認めを得ながらも、
バッティスタとの結婚で得る嫡子の幼子を後継者に、等など。
              
単純に、ルネッサンス文化の香る宮廷をウルビーノに開き、芸術家達の大パトロンで、
傭兵隊長としては武勲を誇る、という様な表の姿だけでなく、
私生活のあれこれを知ると、如何にもルネッサンス期の君子に相応しく、
政治にも大変合理的な男だったのだろう、という気がします。

それにしても彼の2人の妻の人生についても考えさせられました。
最初の妻は日陰でひっそりと生き、2番目の妻バッティスタ・Battista Sforzaは
14歳で結婚し、12年間の結婚生活で7人の子を出産し、26歳の若さでの死。

信仰深かった彼女自身の希望で、普通の長衣のまま修道院の共同墓地に埋葬。
愛された妻だったというのですが、最初の妻ともども、彼女達の心の中には
どんな想いがあったかと思います。

すみません、長くなりました。
随分前からのんびりと読んではいたのですが、納得の為の時間も要り、
そのままになっていたのが、今回縁ある町のご案内でつい・・。
お付き合い頂き、有難うございました!
       
      

建物のポルティコの下で何か作業中で、

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見に行くと、ドアの修復、というか、古いニスを落としている所で、右が親方、
左が見習い中の若者。 剥げかけのニスを落とし、虫食いの穴を埋め、
新しくニスをかけ古いドアを蘇らす、という訳ですね。

OKを貰って写しましたが、こういう仕事が続いているのを見ると、なぜか嬉しくなり。
       


広場の東側に教会の入り口があり、お祭りかな、飾りを取り付けている最中で、
中に入らずでしたが、

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今回町の地図と首っ引きでどこをどう歩いたのか、写したのは何なのか調べていて、
これが後を通り抜けたドゥオーモと分かりました、ははは。

我々は教会訪問はしなかったのですが、幾つもの古い由緒ある教会も、収蔵品も
立派なのがある様子で、はい、また次のチャンスには・・。
       


町の西にあるアルバーニ門・Albani.

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こちらがまた趣のある建物でしょう? ここにインフォメーションがあり、
コルソ・ガリバルディ通りの西端近く、ここでローマ遺跡を見たい、と
申し込みましたら、

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この爽やかな女性が自転車を押し押し、町の外にある広い草原、
「ドムス・デル・ミート」に連れて行ってくれ、あれこれ説明してくれたのでした。

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遺跡モザイクのご案内は次回、という事にさせて頂きますが、
1枚だけ内部の広さと様子の予告編をね。

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ね、素晴らしいでしょう?!  神話からのモチーフが多く、
多色と白黒との使い分けでしたが、内部は写真禁止で、これはサイトから。

という事で、次回のご案内をお楽しみに!!


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