トスカーナの南東の端、ラツィオそしてウンブリア州のすぐ近くに位置する
ソラーノ、ソヴァーナ、ピティリアーノ一帯のご案内を始めておりますが、
今日はソヴァーナの町を。
ソラーノ、ソヴァーナ、ピティリアーノ一帯のご案内を始めておりますが、
今日はソヴァーナの町を。

現在はほんの中心が残っているだけの小さな小さな町なのですが、エトルスクの昔から
中世、ルネッサンス期に掛けてはこの一帯の中心地であり、ソラーノの町のご案内でも
名前が出たアルドブランデスキ家・Aldobrandesuchiの元にありました。
この家出身の157代ローマ教皇グレゴリオ7世はこの町の生まれ(1020~1085)で、
グレゴリオ改革と呼ばれる一連の教会権力の立て直しに励み、
ハインリッヒ4世の「カノッサの屈辱」事件の立役者でもあった方ですね。
グレゴリオ改革と呼ばれる一連の教会権力の立て直しに励み、
ハインリッヒ4世の「カノッサの屈辱」事件の立役者でもあった方ですね。
この町は人口が100人ちょっと、と言っても周辺を含めてのことと思われますが、
上の写真の様に「イタリアで一番美しい村々」にも選ばれており、
平野の中に位置する穏やかな田舎の町。 では、ごゆっくりどうぞ!
上の写真の様に「イタリアで一番美しい村々」にも選ばれており、
平野の中に位置する穏やかな田舎の町。 では、ごゆっくりどうぞ!
町は東西に細長くのび、町の東端には1000年前後にアルドブランデスキ家により
建設された要塞が。

ですが、この一帯はアルドブランデスキ家の分裂によりオルシーニ家の下に入り、
後にシエナに下り、シエナがまたトスカーナ大公国の下に入ると城塞の戦術的価値が下がり、
司教座も後にはピティリアーノに移り、町は衰退の道をたどります。
後にシエナに下り、シエナがまたトスカーナ大公国の下に入ると城塞の戦術的価値が下がり、
司教座も後にはピティリアーノに移り、町は衰退の道をたどります。
要塞から真っ直ぐの道が町の中心に続き、こんな中世風の素朴な建物が並びます。


そして町の中心、プレトーリオ広場・Piazza Pretorio.
正面に見えるちょっと面白い形の建物、上に鐘楼があり時計もありますが、
これがアルキーヴィオ邸・Palazzo dell’Archivio.
正面に見えるちょっと面白い形の建物、上に鐘楼があり時計もありますが、
これがアルキーヴィオ邸・Palazzo dell’Archivio.


アルキーヴィオというのは古文書、記録を指しますが、建物がこの名になった由来は、
かって公的機関の事務所だったと。 左にある教会にお目を留めておいて下さいね。
かって公的機関の事務所だったと。 左にある教会にお目を留めておいて下さいね。
このアルキーヴィオ邸を中に挟み、道が奥に2本続きますが、
町の出はずれで一緒になり、そこに町の素晴らしいドゥオーモがあります。
町の出はずれで一緒になり、そこに町の素晴らしいドゥオーモがあります。
で、道を挟んで右側、2階建て、上に大きな紋章がある建物は、カピターノのロッジャ・
Loggetta del Capitanoと呼ばれ、紋章は16世紀にトスカーナ大公国になって後の
コシモ1世の物と。 写真はウィキのサイトから拝借。

その右に続くたくさんの紋章が見える建物は、広場の名の由来でもある12世紀建設の
プレトーリオ邸・Palazzo Pretorio.
プレトーリオ邸・Palazzo Pretorio.


ルネッサンス期に修複されているそうで、紋章は代々の司法長官のもの、
現在はこの一帯の考古学公園の事務案内所になっている様子。
その右横には、こんな建物。 風情があるでしょ? 皮細工の店の様でした。

という様子で、町が小さいのでこれで主要建物全部をご案内しましたが、ははは、
広場にはこんな風に煉瓦が敷かれていて、素朴な印象です。

広場の西から東を見て、一番奥に最初に見て頂いたアルドブランデスキの要塞の塔。
町の大きさをご想像下さいね。

こちらが広場の南側を占める建物群。 左端に切れているのが、今回下調べで読むまで
まるで気が付かなかった、ははは、いつもの事なのですがぁ、
まるで気が付かなかった、ははは、いつもの事なのですがぁ、

町の一番古い教会サン・マミリアーノ・Chiesa di San Mamilianoだそう。
この教会については、次回のドゥオーモと一緒にご案内いたしますね。
真ん中の建物がブゥルボン・デル・モンテ邸・Palazzo Bourbon del Monte.
ルネッサンス期の建物だそうですが、ご覧の通りまったく簡素で、はい、見た覚えも
ルネッサンス期の建物だそうですが、ご覧の通りまったく簡素で、はい、見た覚えも
しっかりあり、写真も2枚撮ってはいましたが、
最初にブログ用に選ぶ時に外しており、下調べを読んで後、慌てて拾いに戻り・・!
ははは。そうなのです、中世のトスカーナ地方においての重要な貴族、侯爵家で、
家系の祖ラニエーリ公は11世紀初期のトスカーナ侯爵国の領主。
家系の祖ラニエーリ公は11世紀初期のトスカーナ侯爵国の領主。
当時の教皇領の倍以上もの広さを持つ領土だった地図を見て驚いたshinkai!
いつもながらまるで知らない事ばかり、だからブログは止められないのですねぇ、ははは。
つまりこういう名に由来の、所縁ある建物が残るソヴァーナの町なのでして・・。
建物内の1階は広いロッジャ風、フレスコ画の名残があるそうで、現在は市の持ち物に。
建物内の1階は広いロッジャ風、フレスコ画の名残があるそうで、現在は市の持ち物に。
そして右に延びる茶の凝灰石部分が、町の広場の最初に見て頂いたアルキーヴィオ邸の
左に見えた教会サンタ・マリーア・マッジョーレ・Chiesa di Santa Maria Maggioreで、
入り口は広場に向いた脇側に。 この教会内部は、次回にご案内いたしますね。

左に見えた教会サンタ・マリーア・マッジョーレ・Chiesa di Santa Maria Maggioreで、
入り口は広場に向いた脇側に。 この教会内部は、次回にご案内いたしますね。



おさらいを兼ねて、町の地図をどうぞ。 ほらね、本当に小さな中心部なのです。

東の端に要塞があり、真ん中にプレトーリオ広場があり、
道が2本に分かれ、西の端にあるドゥオーモ前で一緒になります。
で、shinkaiは南側の田舎道を行く事にし・・。

はい、北側の道は一応煉瓦で舗装され、店とか大きな建物が並ぶ道で、
間のポルティコを通し、こんな風に見える場所もあり・・。
間のポルティコを通し、こんな風に見える場所もあり・・。

南側の田舎道はこんな感じの石ころと土の道で、ワンちゃんが散歩していたり、

猫ちゃんが日陰に控えていたり・・、 で、道脇には畑が続きます。


のんびり歩いても、はい、じきにこんな風にドゥオーモが見えてきます。

という所で今回はお終いにし、次回に、古い素敵な聖堂をご案内いたしますね。
お楽しみに!
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