・ イタリア・珠玉の町・村  ・ 空からの眺めをどうぞ

いよいよ年の瀬も押し迫りましたが、皆さまにはいかがお過ごしでしょうか?
既に休暇に入った方もおいででしょうし、
女性の皆さま方には、心忙しい事とも存じます。

例年、その年に旅行した土地の写真で締めくくっておりますが、
今年は春に北ラツィオに出かけた位で過ごし、余り遠方に出かけなかった私め。
ですが幸い大変興味深いサイト、私のブログ・タイトルの「イタリア・珠玉の町・村」
にとても相応しい、小さな町・村を上空から眺めた写真サイトに出会いました。

町中にて眺める近い風景とは大いに違い、上空からの眺めは中世の面影を
残した、イタリアの珠玉の町・村の全体の姿を一瞬に見せてくれます。
飛ぶ鳥になったつもりで、年末の一時をちょっぴりのんびり、
空からの眺めを楽しむべく、お茶でも入れて、ごゆっくりどうぞ!

写真は、フリウリ・ヴェネツィアジューリア州のパルマノーヴァ・Palmanova.

1-1-Palmanova -Udine.jpg

サイトは「Documenti di Volo Ultraleggero・ウルトラ軽飛行機の記録」
とでも言うのでしょうか、それにご夫婦2人が乗りこみ、
あちこちの名所旧跡を上空から訪問、撮った写真を載せているものです。
http://www.minniti.info/index.php

パイロットが夫のセバスティアーノ・Sebastiano
コマンダンテ・司令官が妻のパオラ・Paolaで、お2人の写真もサイトにあり、
archivio fotografico という横にある数字をクリックすると、
其々に20枚の写真が小さく出て、次々と拝見する事ができますので、どうぞ。

ここでは私めの好みで勝手に選ばせて頂いたものを、今迄に訪れた町には
記事にリンクをし、未だの町は地図と共にどこにあるかをお知らせし、
お楽しみ頂きたいと思います。


で、上のパルマノーヴァの町ですが、地図をどうぞ。

1-2-palmanova.jpg

ウーディネ・Udineから南に約30kに位置し、
9角形の星型、周囲を土塁が取り巻き、その外に堀が巡ります。
16世紀にヴェネツィア共和国のフリウリにおける守備の要として造られた町で、
それぞれの星型の先には砲台がありました。
真ん中の広場、ピアッツァ・グランデに臨んでドゥオーモがあり、
放射線状に道が通ります。

以前2度ほど訪ねておりますが写真をその心算で撮っておらず、 
再度のチャンスがありましたら、またご案内いたしますね。



こちらはパドヴァの北にあるチッタデッラ・Cittadellaという町。
見事に円形の市壁が取り囲んだ姿を保っています。

2-1-Cittadella -Padova.jpg

市壁のちょうど四方に町の門があり、そこから中心に向け道が通り、
中心の十字に交わる位置にドゥオーモがあり、
夏に訪問した時、この広場には風が通り抜け、大変に爽やかでしたが、
一歩町中の道に入り込むとまるで風が通らず、その暑さに辟易した記憶が!



地図をどうぞ。 トゥレヴィーゾ・Treviso からカステルフランコ・Castelfranco
を抜け、ヴィチェンツア・Vicenzaに抜ける道、鉄道線上にあり、南にパドヴァが。

2-2-cittadella.jpg

町を囲む城壁は、ちょうどカステルフランコの壁とよく似た13世紀の物で、
小さい町ながら見所も多く、この町にもまたカメラを持っての再訪問を願います。



さてエミーリア・ロマーニャ州に下り、サン・レオ・San Leo の城塞。

3-Rocca di San Leo -Pesaro Urbino.jpg

見事な天然懸崖上に築かれた城塞で、マルケ州と北との守備の要であったのが、
一帯が教皇領となるとその価値を失い、単なる監獄として使われましたが、
中には大物の収監者もおり・・。

サン・レオの城塞 と カリオストゥロ伯爵・conte di Cagliostroなる男
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463938935.html



こちらはフィレンツェ県のチェルタルド・Certaldoの町。

4-1-Certaldo firenze.jpg

如何にも中世の面影を宿すこの町は、14世紀の作家・詩人、かの「デカメロン」を
書いたボッカッチョ・Boccaccioの生まれた町として名高いのですが、
彼の生家は博物館として公開され、塔の上にも上れるとか。
一度は訪問したい町の1つです。

n.1 チェルタルド ・ ボッカッチョの故郷 博物館 城 結婚式
http://www.italiashiho.site/archives/20170924-1.html

n.2 チェルタルド ・ ボッカッチョの故郷 博物館 城 結婚式
http://www.italiashiho.site/archives/20170928-1.html

n.3 チェルタルド ・ ボッカッチョの故郷 博物館 城 結婚式
http://www.italiashiho.site/archives/20171002-1.html



どこにあるか、地図をどうぞ。 フィレンツェからエンポリ・Empoliで乗り換え、
シエナ行きの途中に位置します。

4-2-certaldo.jpg



これはガイドブックの写真でご覧頂いたのとよく似ていますので、即お分かりの方も
多いかも。 はい、アンギアーリ・Anghiariの町、旧市街。

5-Anghiari.jpg

大変に特徴ある町並みで、こうして見ると下の駐車場からエレベーターで上に上がり、
それからあの道を行き、あそこを曲がり、石段を上って・・、と
それぞれの道を思い出せ、懐かしい! また訪問できるかなぁ~?!

n.1 アンギアーリ ・ 中世の宝石箱の様な町
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461129676.html

n.2 アンギアーリ ・ 中世の宝石箱の様な町
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461129968.html

「アンギアーリの戦い」始末記と、その周辺もろもろ
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461130197.html



そしてもう1つ、これも訪れて良く覚えている町、と言っても記憶が自慢にならぬほど
小さな可愛いトスカーナの町、モンテリッジョーニ・Monteriggioni.

6-Monteriggioni siena.jpg

この町も周囲を市壁に取り囲まれ、物見の塔がそびえますが、
シエナがフィレンツェとの境に13世紀初期に築いた町。
手前に見える門を潜り、広場を通り真っ直ぐ行くと東に抜ける門があり、
城壁の上にも2か所ほど上れる場所が整備され、のんびりと散策を楽しめる町。

モンテリッジョーニ ・ 市壁と、中世巡礼街道の町
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462678404.html



ここはまだ訪問した事が無く、いつかと狙っている町、
トスカーナ州アレッツォ県のルチニャーノ・Lucignano.

7-1-Lucignano arezzo.jpg

楕円形に市壁が取り囲み、内に家並が輪を描いて囲み、中心に広場と教会と。
古くからアレッツォ、シエナ、ペルージャの商交易の要として栄え、
町は後期中世の面影を濃く残す、と。
      


どこにあるか、地図をどうぞ。 アレッツオから南に約30kの地点にありますが、

7-2-lucignano.jpg  

東に見えるカスティリオン・フィオレンティーノ・Castiglion Fiorentinoと、
モンテッキオ・ヴェスポーニ・Montecchio Vesponi、という名にご留意を。



で、こちらがカスティリオン・フィオレンティーノ・Castiglion Fiorentinoの町。
アペニン山脈を東のマルケから越えて来て、遠方に見えたこの町の姿に引かれ、
2年前の秋に寄りました。

8-Castiglion Fiorentino -Arezzo.jpg

中央上方に見える塔の下にも行きましたが、残念、ちょうど月曜日で、博物館も
塔も閉じておりましたが、なかなか見所の多い町、という記憶が残ります。

カスティリオン・フィオレンティーノ  n.5 イタリア中部紀行 2010年秋
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461247613.html



この素敵な小さな城はモンテッキオ・ヴェスポーニ・Montecchio Vesponinoに。
サイトにはジョン・ホークウッドの城、と載っており、

9-Castello di John Hawkwood -Arezzo.jpg



ジョン・ホークウッド?! あのフィレンツェのドゥオーモにあるウッチェッロの
フレスコ画のホークウッド?!

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驚きましたが、でもこの城館の写真の可愛さ見事さに魅かれ、
どこにあるのか、と探しました。

montecchio vesponi.jpg


       
意外に簡単に見つかりましたが、サイトのこの写真に驚き!
というのも、カスティリオン・フィオレンティーノという町の名と共に、
確かに、この遠くに見える山上の塔の突き出した姿に覚えがあったのですね。

12-14.jpg



アッペニン山脈を下りつつ見たこの塔。
ほらね、車中撮影係のmkちゃんが確かに写しているのを見つけました。

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中世の面影を残す町の姿、城の姿にはミーハー並みに喜ぶ我ら、
ほら、あそこ見て! こっちにも!と何枚も写しておりました、ははは。
今こうして、何という誰の城、と分かったのは凄く嬉しいです!!

サイトはこちら。 お祭りや、様々な催しの写真がたくさん!
http://www.castellodimontecchio.it/index.php



ジョン・ホークウッド・John Hawkwood. 
イタリア名ジョヴァンニ・アクート・Giovanni Acuto.

s-DSC_0181.jpg

アクートとは鋭いとか刺す様なという意味で、針を現わすフランス語のニックネームから、
マッキャヴェッリがつけたとか。

イングランド出身の14世紀の傭兵隊長で、英国で、フランスで働き、イタリアでも、
その報酬によってはどちら側にでもついて戦う男。
晩年をフィレンツェの為に働き勝利に導き、亡くなった時には国葬で送られ、
現在もドゥオーモにウッチェッロの描く大きな騎馬像が残ります。

当時としては偉大な傭兵隊長であり、政治的にも動いたと言われ、
秩序だった自分の配下を引き連れ、軍の駆け引きにも優れていた様子。

ですが、日本版のウィキに登場する彼と、イタリア語版ではかなり空気が違い、
とりわけ彼が非識字者であった、という記述がイタリア語サイトでは一つも見つからず、
少々興味を持ってあれこれ調べ回りました。
       
で、英語版ウィキにある記述には、翻訳して読みましたのが、
非識字者であったろう、と。
雄弁術に欠ける事、文章のやり取りも最初は管理人が、後には彼の妻が
行っていた、という部分がありました。

日本版には彼が買ったと書いてあるこのモンテッキオ・ヴェスポーニの城も、
イタリア版では、フィレンツェ政府からの居城としての贈り物、
他に2つ持っていた城も賜り物、一つはシエナに通じる道を見下ろす場所、
との事で、如何に彼の最後の20年間ほどの働きを、フィレンツェが買っていたか
がよく分かる事でした。
       


上空からの写真では、城の位置が良く分かりませんが、
こんな素敵な写真も他のサイトで見つけ、

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下の写真、本当に美しいでしょう?!
いつか実際に訪問できるチャンスがあります様に!



次にご覧頂くのは、この可愛い、一体住人は何人ほど?
と思われるモンタッポーネ・Montapponeの町、いや村ですね、これは。

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海抜370mに位置し、コムーネの住民1760人とありますが、
他にきっと新しい町が開けているに違いなく、この城壁の中に住んでいるのは
せいぜい50人未満でしょうね。
それにしても、このなんとも魅惑的な小さな囲われた村の姿!
ですが、若い人には耐えがたいかも!ですね。



どこにあるか、探しました。
アスコリピチェーノ・Ascoli Piceno県ですが、マチェラータ・Macerataに近い
マルケ州にあります。

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最後は、サン・マリーノ共和国・San Marinoの絶景写真をどうぞ!

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18-S.Marino -Rocca della Guaita.jpg

サン・マリーノ共和国 ・ 絶景かな、絶景かな!!
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463938760.html


見て頂きたい、と思って選びだした数が多く、あともう2回ほど続けたい予定ですが、
絵ブログの方に、教会とヴィッラを7つ程載せますね。 見てやって下さい。

イタリア・珠玉の町・村、空からの眺め ・ 教会、ヴィッラ
https://italiashinkai.seesaa.net/archives/201212-1.html


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・ クロアチア 島のヴァカンス ・ ルイーザの夏 

年の瀬も近く、既にクリスマス気分の日本の皆さま、
寒さも厳しいこの折、ほんのひと時を夏のヴァカンスの想い出、
青い蒼い透明な海と、美味しい魚料理を味わって下さいませ!

はぁ、私もいささか羨望の目で見つめましたこれらの写真の提供者は、
パリの写真などもご覧に入れたルイーザ・Luisaで、
7月の2週間を妹のルチーア・Lucia一家と一緒に出かけた折の物です。
       
まず、島の青い海。
     
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こちらが既にこのブログでもお馴染のルイーザ。

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地図をどうぞ。 クロアチアの島、といっても大変数多く、
この辺りから家族連れで出かけて行く様子をよく聞きますが、
彼らが行く島はケルソ・Chersoと言い、島に赤点をつけた
ヴァルン・Valunにアパートを借りるのだそう。

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西上に囲った我が町コネリアーノ・Coneglianoから出発し、
イタリアの国境の町トリエステ・Triesteからスロヴェニア・Slovenia
を通り抜け、印をつけたブレストーヴァ・Brestovaからフェリーで島に。

コネリアーノからブレストーヴァの港まで約3時間半、
これは私がスロヴァニアに行った時に知ったのですが、
コネリアーノから一旦高速に入ると、そのままスロヴェニアに行け、
クロアチアに入る時に旅券審査、という行程で、



フェリーが約30分、降りてから約1時間、
都合約5時間の行程で行ける距離なのだそう。

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到着するケルソ島はこんな海に囲まれ、

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水はこんなに透明!

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彼らの行くヴァルンはこんな様子の小さな村で、
レストランが3軒あるのみの、どこにも歩いて行ける距離。

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猫ちゃん達の写真も、ルイーザはたくさん撮っておりましたが、
なにせ2週間分、家族写真をのけた185枚の中から選ぶのが大変で、
ここでは1枚だけを。 ちょっと痩せぎすの猫ちゃんですが。

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ラヴェンダが咲き誇り、所々に見える茶色は群がる蝶ちょ!

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島の村には、まだこんな服装のお婆ちゃんも見かけ、

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村外れには、羊の放し飼い。

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多分この景色が、借りているアパートからの眺め。
ここに港があり、レストランもあるという・・。
ルイーザ達が借りるアパートは、小さな台所と寝室で
2人分で1泊60エウロ、4人だと90エウロだそうで、
    
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ルイーザとレナートは毎年、既に20年間もここに夏出かけていて、
戻る前に次の夏の予約をして来るそう。
最初にこの場所を見つけたのはルチーアで、20年以上前の事。
当時は本当に何も無い村で、魚を食べさせて呉れる様頼んだそうで、
宿泊も10エウロもしなかったのだとか。

そしてボスニア戦争が起こり、それが済むと徐々に観光が開け、
ドイツ人がたくさん来るようになり、家々も整備され、
値段も上がってきている、というのですが、
それでも1泊2人で60エウロで、次の年の予約をして戻る、という、
クロアチアに出かけるイタリア人家族は、皆翌年の予約を言います。


町の上からの港の眺め。 右上に見える海に張り出したテラスが、
彼らの行く魚の美味しいレストランで、後ほどたっぷり!

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この辺りは、というよりも島全体が保護地域の様で、
そのお陰で観光が栄えだしているとはいえ
新しいホテルなどは建てられず、良いままで残っている様子。

海への道。

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どんどん下って行くと、こんな風に海が見えてきて、
突き出している先っちょが、

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こんな風に見えてきて、

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素晴らしい海水浴場! 泳いだり、小さなゴムボートを漕いだり、
・・それにしても、人が少ない!!

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夕陽を見るのに、絶好の場所に出かけます。 

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こんな風に、他にも夕陽を見に来ている人々の姿も見え、 

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海の向こうに沈む陽。

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そして夕暮れ時、港近くのレストランに。

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少し離れて停泊中の大型豪華ヨット。

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海に張り出すテラス席から見る港の夕暮れ。

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レストラン入り口ではジョヴァンニが魚をグリルしていて、

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こんな風に、ジョヴァンニの息子イヴァンが
今日の魚はこれで宜しいか、と見せに来て、

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手前が前菜の、自家製のマグロのオイル浸け。
1年前に獲ったマグロをオリーヴ油につけておくのだそう。 にゃお~ん。      

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貝類のワイン蒸し。 にゃお~。

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蛸のマリネ。 にゃ、にゃぁ~お!

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先程の魚が焼き上がり、各自の皿にイヴァンが取り分けてくれ。
にゃお、にゃお、にゃあ~~お!!

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出かけた2家族。 手前がルチーア一家で、
左奥がルイーザの夫レナート。

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レストランの息子イヴァン。

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ルイーザによると、この店は本当に魚が美味しく、ジョヴァンニも親切、
息子もとても素敵な良い息子なのだそう。
うん、バルカンの顔ながら男前ですねぇ。



小さなカフェの前で、カルテットが演奏しながら、
指の影絵をして見せている様子、・・素朴!

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村の教会の鐘楼がライトに浮かび、

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そんなのんびりの2週間のヴァカンスも過ぎ、戻るフェリーの上から。

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こうしてまた来年の夏、彼らは出かけて行くのですね。
魚の写真を見て、ジュリアーナに一緒について行こうよぉ!と
言うと、うん、それも良いね、と言いましたがぁ・・、

さて、2週間、美味しい魚と、人のいない美しい海辺と散歩のみで、
shinkaiは耐えられるでありましょうや?!
うんにゃぁ~。



では皆さま、良いクリスマスをお過ごしくださ~い!!

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・ n.2 冬のヴェネツィア散歩  ・ リアルト ~ ドルソドゥ―ロ ~ 駅

先回に引き続き、冬のヴェネツィア散歩のその2.
ご一緒に、寒いながらも快晴のヴェネツィアの様子をどうぞ!

写真はリアルト橋北詰のクリスマス用の飾りつけで、イタリアでは大体12月8日の
無原罪のお祭りの祭日頃から点灯されますが、どうもこの不景気で、
少し寂しい感じなのだとか。 観光客も今のこの時期、少ないでしょう?

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リアルト橋を渡ってから西に進み、ここはマニン広場の先、
運河の隙間からサン・マルコの鐘楼が見える場所。

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ちょうどアメリカ人たちの乗ったゴンドラが通りかかり、彼らはもう大はしゃぎ。
ゴンドリエーレが「オッチ、オッチ!」、目の意味で「注意」、と行きかうゴンドラに
声を掛けるのを真似て一斉にオッチ、オッチと叫んだり・・、ははは。



ヴェネツィアの広場では広い内の一つサンタンジェロ広場。
冬の陽の陰が長くのび、鳩達もゆっくり。

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広場北西に近くに小さな教会があり、初めて可愛い鐘に気が付き撮ったもの。

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広場から西に抜ける橋の横に大きな建物があり、いつもは扉が閉まっているのが
開いていて広い中庭が見え、初めて中に入ってみました。

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内庭の全体が石段4段ほどの高さで大きな井戸があり、円柱のポルティコが取り囲み、
それを高い建物が囲みます。
表札を確かめると、州関係の様々な事務所が利用している様子で、
それにやって来る人々もポチポチと見えるのでした。



まだ12日の時点ではクリスマス市の屋台が無かった広いサント・ステーファノ広場を抜け、
アッカデミア橋に。

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アッカデミア橋の上からは本島の東のずっと奥、裸木となった公園の辺りまで見渡せ。

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サン・ヴィオ広場の端の店でお昼を食べ、落ち着いて広場の様子を。 この広場で、
9月最初のレガータ・ストーリカを楽しんだのでしたが、
今は日向ぼっこのシニョーレと、

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杭の上のカモメ君。

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ゆっくりと小運河沿いの道を東に辿り、ソットポルティゴとヴェネツィアで呼ぶ
建物の下をくぐる小路、そこに射し込む陽の眺めを楽しみます。

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ペギー・グッゲンハイム・コレクション入り口部分にある、素晴らしい井戸の彫り物。
ちょうど陽の当たり加減が良かった。

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こちらはダリオ邸の裏からの眺め。

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そして、サンタ・マリーア・デッラ・サルーテが見える細い小路の橋の上。

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手前に見える煉瓦積みの教会は、



元べネデッティー派の修道院、サン・グレゴーリオ教会。

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夏と秋に見た時、このレンガ壁と手前の井戸の眺めが素晴らしく、多分陽の当たり方、
その反射の明るさもあったのでしょう、ここは描きたい、と何枚も写真を撮ったのですが、
今回見たこの陰の形も面白いなぁ、と。
でも夏に見たこの広場の印象の方が素晴らしかった。 不思議ね、同じ場所なのに、ね。


なので、旅で感じる印象、想い出に残る風景というのは、その日のお天気、時間にも
大いに関係するのだろうと思いますし、
それと同様に、受け取る側の状態による変化が、読む物、音楽、映画、絵画への
印象にも言えるのだろうと。



広場横に見える建物は現在ホテルですが、入り口にクリスマス用の飾り付けが。

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サンタ・マリーア・デッラ・サルーテ教会の入り口階段。 ちょうどの陽の当たり具合が
まるでピラミッドを思わせ、

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広場の向こうで何やら若者が遊んでいて、2人でゴミ箱を同時に飛び越える様子を
カメラに収めたい様子。

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う~ん、やはり正面からぶつかるのが怖くて、大した飛越しでは無かったですが、ははは、
付き合ってる2人の彼女が、1人は左側でロビン・フッドみたいな衣装でカメラを構え、
それをまた石段の上から狙う、暇なshinkai!



ヴェネツィアの正面玄関方面を、異常なし!と写し、ははは、
ゆっくりとアッカデミアの方に引き返します。

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まだ修復が続いているアッカデミア美術館前で、その覆いにあったこのポスター。

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Trame di moda・モードの筋書き、とでもいうのでしょうか、
ヴェネツィアが登場した映画の中で、主演女優が着た衣装の展示会、なのですね。

たまたまTVでドキュメンタリー風に紹介していたのを見ましたが、
それはもう素晴らしい衣装が次々に紹介され、ヴェネツィアがいわば脇主役の、
ヴェネツィアらしさを感じさせる衣装の展示会で、優雅な事にはまるでご縁のない私も
見惚れましたが、
その会場にあてられたモチェニーゴ邸の内部が背後に映ると、これがまた素晴らしい館で!
1月6日までの展示ですねぇ、虫ウズウズ!!

モチェニーゴ博物館のサイトは
http://mocenigo.visitmuve.it/

pescecrudoさんがモチェニーゴ邸の歴史、逸話を書いておられます、1~3をどうぞ!
http://pescecrudo.blog122.fc2.com/blog-entry-304.html
http://pescecrudo.blog122.fc2.com/blog-entry-305.html
http://pescecrudo.blog122.fc2.com/blog-entry-307.html
      

アッカデミア美術館の前から橋を渡らずに、西回りに駅方面に。
ゆっくりとサン・バルナバまでやって来ましたら、映画「旅情」で
キャサリーン・ヘップバーンが落ちた運河に日が当たり、右上隅にちらっと見える店が、
骨董店として登場した店。

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その反対側のゲンコツ橋方面も綺麗に映り込み。

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手前に見えるゴンドラの艫が少し変な形、と思いましたら、
あれま、どこかにぶつかったのか、折れておりました。 で、よく見ると、修復するのが
大変なのか、横着なのか、でもちゃんと繋ぎの金属と細い鎖で失くさぬ様に! ははは。

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ゴンドラの並びには、以前の様に野菜売りの船がちゃんと復活しておりまして、
店内と船の上のテントにもクリスマス用のささやかな飾り付けの最中で。
が、店の持ち主が変わったのか、若い夫婦になっておりました。

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その先の、これも細長く広いサンタ・マルゲリータ広場の東端から見る
サン・パンタロン広場の角。そろそろ午後も半ば過ぎの陽の中で、お喋りする2人。 

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駅前の大運河側にまで出てきて、ヴェネツィアの冬の散歩もそろそろお終いですが、
レストランの入り口の飾りつけを。

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と、こうして戻って来た我が町コネリアーノの駅前。 クリスマスの飾りつけが
点灯されていたのを1枚どうぞ!

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ヴェネツィアの長い散歩にお付き合い頂きまして、
お疲れ様、有難うございましたぁ!


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・ n.1 冬のヴェネツィア散歩  ・ 駅前からリアルト橋

快晴のお天気に恵まれた12日、ヴェネツィアに出かけて来ました。
9月の最初に出かけて以来ですが、今回は1人でのんびりゆっくり、
カメラをお伴の、冬のヴェネツィア散歩を楽しみつつ。

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小路を覗き、中庭があれば入り込み行ったり来たり。 ヴェネツィアは1時間の距離に
あるお馴染の街とは言え、仲間と一緒だとこうはいきませんので、一人でじっくりと。

今のこの季節、観光シーズンも盛りを過ぎ、がまだクリスマスの休暇には早く、
がらんとした広場の端まで、人の姿で途切れる事なく見渡せ、
そこに冬の陽射しが斜めに差し込み、光と影が一際鮮やか。

そんな様子を楽しんであれこれ撮って来ましたので、2回に分けご覧頂こうと思います。
説明は簡単に、  ごゆっくりどうぞ!

トップは、駅前大橋スカルツィ橋より、大運河の東を。



こちらは橋の上から、駅横のスカルツィ教会。

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朝9時半頃ヴェネツィアに着き、駅前大橋を渡り、足の向くまま気の向くまま、
お昼はアッカデミアの東の店で食べるつもりで、余り観光客の通らない様な道を
選びつつ、南東に横切りゆっくりとリアルト橋方面に、という道順で。

ゴンドリエーレが朝の準備中。

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見上げる窓の中に、こんな明かり、

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冬の低い陽に、建物の影が長く運河を渡り、

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入り込んだ中庭に翻る洗濯物。

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細い小路に差し込む光。

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何度も通った事のある広場サン・スティン・Campo S.Stinですが、
光に浮きだす建物の軒の面白さに、初めて来た場所の様な印象を受け。

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小さいワン君には、ヴェネツィアの冬は厳しいよね。

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広場から道を辿って来ると、角を曲がる時にフラーリ教会がこんな風に橋越しに見え、
ああ、美しいなぁ!といつも思う場所。

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道行く人の姿が逆光に浮きだし、

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運河越しに見るフラーリ教会の美しい入り口。 以前の一般入り口は脇からでしたが。

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教会前、斜めに射す光の中の若者。 彼が向かう先には古文書館の入り口。

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フラーリ教会前の橋。

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また覗きこむ中庭、空と同じ色のシーツ。

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路地の先から運河を覗きこむと、ゴンドラが逆光に光り、ちょっとした迫力!

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渡る橋、欄干の陰。

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運河に射す光と影と。

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客待ちのゴンドリエーリ。 はい、複数形ね。

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サン・ポーロ広場に出て、初めて見かけたクリスマス用屋台。 諸国物産展の様子。
奥に見える旗はサルデーニャのですよって。

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サン・ポーロ広場の南東の隅を渡るポルティコの橋。 
ちょうど女性が降りて来てくれ。

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光が強い分、陰も強く鮮やか。

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サンタポナール・S.Aponal広場と教会。
手前左のレストランが暫く前から閉じていて、広場が寂しい感じに。

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鳩達が餌をあさるのも、陽の射す場所の様な気がしますが、

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大運河沿いに出てきた所。 お昼頃というのに、まだこんなに斜めの長い陰。

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リアルト橋界隈も観光客の姿が少なく、

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橋の左の天使像。
    
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リアルト橋を渡る手前で一旦お休みとし、次回に続きます。


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・ グラッパ酒の蒸留所見学 ・ アンドレーア・ダ・ポンテ

10月末に、我が町コネリアーノの近くにあるグラッパ蒸留所、何度も通る道なのに
少し奥にあるせいか、はたまた節穴目か、へへ、まるで気が付かなかった

グラッパ酒の蒸留所・Distilleria della Grappa - Andrea Da Ponte
の見学にグループで出かけました。

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大概見学と言うといつもは圧倒的に女性が多いのですが、グループ自体も、
今回はその逆でして、ははは、男性方は熱心に見、説明を聞き質問。
ですが、工場の見学は機械音が大きく聞きとり難く、それにお察し下さいね、 
柔らかい話の部分はなんとか理解出来ますが、
少し込み入った技術的な話になるとついて行けませんで・・!

工場の見学の後、事務所の奥にある広い試飲販売所兼見学者接待所
とでもいう所に案内され、会社の経歴、様子とか、あれこれ説明を聞き、
そこで美味しいプロセッコとグラッパの接待も受けました。
      
その時に聞いた話にちょっと驚いた内容もあり、ブログ掲載の了解を願いましたら、
後でグラッパ蒸留について概要を書いたのもあるので送りましょう、と快く。


皆さんもイタリアの食後酒グラッパ・Grappa はご存知でしょう?
食後のコーヒーに垂らしたり、小さいガラスのコップで供される強い、
40度ほどの透明なお酒ですね。

ワイン用の汁を絞った後の葡萄の滓から作るのがグラッパ、とは知っていますが、
さて実際にどの様に作るのか、と考えるとまるで知りませんで、
 
サイトでもグラッパ酒蒸留について読み、頂いた概要も読んだのですが、
イマイチぴんと来ず、遂にイタリア語の先生アンナリーザに一緒に読んで貰い、
漸くに、ああ、そうなのか、という納得が多々あり、はい、
ですからここで大いに知ったかぶりで、ははは、ご説明させて頂きます。

トップの写真は、奥の蒸留所の建物。
ガラス越しに、ステンレスと銅の円柱状の蒸留機が見え、
GRAPPA DI PROSECCO・プロセッコ種から作るグラッパ、とあり、



蒸留所の名前 ANDRERA DA PONTE. このダ・ポンテという姓にご留意を。

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地図をどうぞ。 この蒸留所のある位置は、コルバネーゼ・Corbaneseと言い、
コネリアーノからだと車で10分位か、もっと近いかの距離。

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道はずっと北に抜け、ヴィットリオ・ヴェネトから西に向かう道と合流し
ヴァルドッビアーデネ・Valdobbiadeneに。

地図の色のついているこの一帯がプロセッコD O C G の生産地で、その中心の
一番新鮮な葡萄の絞り滓の集まり易い地に、このアンドレア・ダ・ポンテ蒸留所
があり、プロセッコのグラッパと銘打っている訳ですね。



向こうの丘の上にはフォルメニーガ・Foremenigaの教会が見え、

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工場の道の向こうの家は、こんな大きな農家。

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1980年代の最初に、コネリアーノから山沿いの平地にこの大きな蒸留所が
移って来たそうですが、創業は1892年と、既に100年を越す社歴を持ちます。
       
プロセッコのワイン醸造はこの辺り一帯にたくさん点在するのですが、
グラッパの蒸留所もコネリアーノやヴィットリオ・ヴェネトにあり、もっと西奥になる
バッサーノ・デル・グラッパは、まさに町の名が示す様に有名ですね。

n.1 ヴァルドッビアーデネ ・ プロセッコ ワイナリー訪問
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463526381.html

n.2 ヴァルドッビアーデネ ・ プロセッコ ワイナリー訪問
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463526671.html



最初に見て頂いた蒸留塔のある建物の手前を抜けると、大変広い広場で、
ステンレスのタンク・サイロが並びます。

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つまりこのサイロに、プロセッコ種の葡萄の絞り滓、まだ発酵する前の、
絞って4時間以内の絞りかすが順に入れられる訳ですね。
プロセッコ種の搾りかすは、約800軒の葡萄栽培農家分がここに集まってくるそうで、
サイロ1本の収容量なども聞きましたが、いつも通り数字に弱く・・。
       
この大きなサイロは一定温度に冷却されており、圧縮された葡萄絞り滓が
発酵しながら底に沈まぬよう、常に新しい葡萄滓が導入される様に管理されていると。
こうして発酵した後、



この建物内の蒸留器に移され、グラッパの蒸留が始まるのですね。

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工場での説明の方に写真の許可を願いましたら、こっちは良いですが
奥はダメです、と言われ、その奥なる物が表の建物かと思い、ははは、

この蒸留器の部分、何機も背の高いステンレスの円柱式が並んでいるのを、
パシャパシャ撮っているのですね。きゃはは。
説明者を皆が取り囲んで聞いているので、写真を撮っても気が付かなかった様で、
私以外にも・・!

最後に事務所でブログ許可を貰う時に、この部分の写真がダメらしいと気が付き、
ディスプレイで見せましたらノーだったのですが、
この建物の窓から見えるのは問題無いという事で、皆さんにはちょっと覗いて
見える部分だけを、はは、shinkaiの出し惜しみではない事を強調し、どうぞ!



どこもかしこも皆オートメ化されており、実際に働いている人は2,3人見かけただけ!

奥の方の工場が大きな騒音で稼働しており、明るい方の内部と、暗い内部と
ちょっと極端でしたが、

こんな風にトラクターで、一見土の様に見える、明るめの茶色の物体を
運んで来ていて、

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こちらの工場の取り入れ口から、こんな風に内部に落ちて行くのですね。
ね、まるで土の様でしょう?
これが蒸留された後の葡萄絞り滓、つまり皮と種でして、

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こちらの工場で、葡萄の種と皮(粉)に分けられるのですね。

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この時点では、皮よりも種の方が断然重くなっているそうで、
葡萄の種からは大変に質の良い油が採れ、化粧品にも多く使われ、
日本にもたくさん輸出されていると!

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へぇ!と驚きましたら、あんた日本人?と聞いて来て、自分の所が直接に
売っているのではないので詳しくは知らないけど、
とにかく日本がたくさん買っているよ、と。
       


こちらは頂いて来たパンフレットから、社の写真。 美しい場所にあるでしょう?

13-nte.jpg
       


これがプロセッコ種の葡萄で、食べても美味しいそう。

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手前の建物2階には、こんな風に社の製品がずらっと並び、本当はこの何倍も
棚があり、贈答用の箱入りも各種テーブルに並び、販売もしており、

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その奥に、見学者接待所が続き、

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テーブルには、こんな風に既に誘惑の姿で並んでおりましたが、

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この方が、こちら接待所の方で説明をして下さった社の相談役、
お名前をどこかに控えていたのにぃ・・、
大変洒脱なお人柄で、お話しぶりも、すっきりの応対も気持ち良く。

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さてこちらが社の創業者、ダ・ポンテご一家19時00年代初め。

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奥の列左から3人目がアンドレーア・Andreaで、その右が
弟のマッテーオ・Matteo。

このマッテーオがグラッパ蒸留法についての研究というか、技術面を請け負った様で、
1896年に「蒸留の手引書・Il manuale della distillazione」
という本も出版しているのだそう。

最初に見て頂いた社名の写真で、ダ・ポンテという姓に御留意を、と申しましたが、
この時の社の由来説明で、
モーツァルトの3大オペラ、フィガロの結婚、ドン・ジョヴァンニ、
コジ・ファン・トゥッテの台本を書いたロレンツォ・ダ・ポンテ・Lorenzo da Ponte
の名が出て驚きました。 詰まり縁続きだというのですね。



こちらが良く見かけるロレンツォ・ダ・ポンテの肖像ですが、

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彼はすぐ近くのヴィットリオ・ヴェネト、正確には合併する前のチェーネダ・
Ceneda の生まれでユダヤ系。

父親がカトリックの女性と結婚する時に一家で改宗し、その時のチェーネダの司教
ロレンツォ・ダ・ポンテの姓を貰い、長男の彼はその名も貰ったというのですが、

つまり、この台本作家として有名なロレンツォの父親から3代目が、
この蒸留所の創業者アンドレーアになるのだそう!

早とちりのshinkaiは最初の驚きが醒めぬままに、ロレンツォとアンドレーアが
兄弟だったのかと思い訊ねると、だって最初にハッキリ説明されなかったのですものぉ、
いえ、父親から数えて3代目、100年の違いがあります、と。
ははは、数字に弱い私は、年代がパッと計算できないもんね。

現在の経営者はフランチェスコ・ファブリス・Francesco Fabrisと言いますが、
彼の父親ピエール・リベラーレ・ファブリス・Pier Liberaleが、
アンドレーアの娘ブルーナと結婚しているのだそうで、
社名として創業者アンドレーアの名が引き継がれている訳ですね。

日本だとこういう場合、婿に、となりそうですが、イタリアはそういう事も無く、
夫婦も別姓のままです。

ロレンツォ・ダ・ポンテの破天荒な生涯については、ペーシェクルードさんが


で、実際の写真が使えないので、サイトから拝借の写真で、
実際の蒸留器や蒸留の仕組みを簡単にご説明しますね。

これがマッテーオが作り特許を取ったという蒸留機ですが、

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以下の写真はいずれもバッサーノ・デル・グラッパの橋の脇にある
ポーリ・Poliという蒸留所が公開している博物館の物。

こちらが一番初期の形で、右上に見える図の様に、釜の下から火を焚き、
アルコール分が蒸発したのが左の細い管を伝わる内に冷やされ、液化するという物。

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そして一段進んだものがこれ、いわゆる湯煎型、
イタリア語ではバーニョマリーア・Bagnomariaと言います。
熱が直接に当たって葡萄滓が焦げたりせぬよう、沸いた湯の熱が伝わる方法で、

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この左の写真が、ダ・ポンテのパンフレットにあるバーニョマリーア機。

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現在は技術研究、革新も大変に進んでいまして、この湯煎法も下からだけの
湯ではなく、ぐるっと周囲を取り巻く方式。
その加熱も常にゆっくりと、つけたり消したりだそうで、この伝統の銅製湯煎器も
最新型で、蒸留所建物内で稼働中。

ダ・ポンテの製品の内の2種、ヴェッキア・グラッパ・ディ・プロセッコ・
Vecchia Grappa di Proseccoと、
ウーニカ・ダ・ポンテ・Unica Da Ponteが、この古い形の蒸留機で作られているそう。



全て完全にオートメ化され、内部の様子が映るディスプレイがあり、上の右写真、
一面の霧状態や、右写真の様にポチャン、ポチャンと滴の落ちる映像も見え。

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こちらがサイトから拝借の、最新の真空継続蒸留機、という言葉でよいのか、
真空にした場合の利点などもあれこれ読んだのですがぁ・・、

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つまりです、より美味しいのが蒸留できるようで、がはは、
こんな短いものではなく、最初にご覧頂いた写真の様に、
4階の建物分の天井まで届くのが、何機も稼働中でした!


ここまで書いて来た所で、では、グラッパの定義とは、ですが、
グラッパ・Grappaと呼べるのは、イタリアとサン・マリーノで作られた物、
とヨーロッパ議会で決められており、

グラッパとは、葡萄の搾りかすを発酵させ、蒸留して作る物。
             
フランスにも同様に絞りかすから作る物があるそうですが、上記の条例により、
アックワヴィーテ・Acquaviteに含まれます。

アックワヴィーテと呼ばれる物は、絞りかすが既に発酵した物から蒸留する、
または絞り汁(モスト・mosto)から蒸留させる物で、

ブランデー、コニャックは、ワインを蒸留させた物、
という事で3種、それぞれに違う種類という訳ですね。

蒸留した際のアルコール分は65~86度にもなり、飲むのに適正な40~42度に
蒸留水で薄めるのだそう。



こうして蒸留の後液化した、いわば葡萄絞り滓のスピリト・魂、または葡萄の精
とでも呼べるアルコール、葡萄が育った土地の香り、葡萄の種の違い、
収穫年の出来具合をも全て含んだ葡萄の精は、

25-1.jpg 

フランスはLimousin産の楢の木樽に入れられ、4年から12年熟成され、
果物や花、香料の香りが強まり、優しく精製されるのだそうですが、
木樽で熟成させるこの段階は大変複雑だそうで、湿度と温度そして年数が絡み、
熟練技術が必要とされると。

そして最後にマイナス10度前後の温度で濾されますが、
この温度がグラッパに特有の透明度を与えるのだそう。



という訳で普通のグラッパは透明色ですが、例外も勿論あり、
薄く黄色になったグラッパの年代物もありまして、

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葡萄酒だと同じ名前のワインでも、何年産と呼ばれますが、
ダ・ポンテのグラッパの場合、高級2種はブレンド物で、
ヴェッキア・グラッパ・ディ・プロセッコ・Vecchia Grappa di Proseccoが
8年分のブレンド、
この写真のグラッパ・ウーニカ・Grappa Unicaは10年分!
ね、美味しそうな色をしていますねぇ。

つまりそれだけ品質保持に努めている事になりますが、展示されていた品の
お値段もお高うございまして、
勿論化粧箱入りでしたが、30とか60エウロとかの朧な記憶。

サイトで見ましたら10年ブレンドが31エウロ、
8年ブレンドが24エウロ、と出ておりましたぁ。



最後のこの写真は、今春のヴェローナ、ヴィニタリー・VINITALYの会場写真で、
我々に説明して下さった方がサンタ・クロースに扮しての、
クリスマス用グラッパ、メリー・クリスマスの宣伝です。

27-5.jpg

この為に何カ月もかけて髭を伸ばされたそうで、かゆかったと!

なぜこのクリスマス用グラッパが登場するかと言いますと、
ロレンツォ・ダ・ポンテは晩年をニューヨークで過ごし亡くなりましたが、
1822年のクリスマス・イヴに招かれた友人宅で、ヨーロッパのクリスマスについて
あれこれ語ったのを、その友人が書き遺している、という事に因むのだそうで・・。

親戚の叔父さんのお話とお仕事を結びつけたというご愛敬ですが、
・・まぁクリスマスも近い事でありますので、こちらをどうぞ!
       
Viva la grappa di Babbo Natale!
No grappa No Christmas! ははは。
                     
社のサイトは
http://www.daponte.it/index.php

Youtubeがあれこれ見れます
http://www.youtube.com/distilleriadaponte

shinkaiはです、グラッパの試飲はしておりませんで、なぜと言いますと、
接待で最初に出された、プロセッコのドン・ジョヴァンニ・Don Giovanni、

社ではプロセッコも作っていまして、勿論この命名もモーツァルトのオペラ、
ロレンツォ・ダ・ポンテ台本の「ドン・ジョヴァンニ」に因む訳ですが、

これが美味しかっただけでなく、それが供された細身のグラス、
DとGがデザインされている美しいグラスが欲しくなり、
ははは、若い時以来した事のない、黙ってのお持ち帰りを、ね。
       
このブログを載せましたら、社の方にご報告を致しますが、
イタリア語に訳して最後までじっくり読まれない事を願いつつ、へへへ、
       
皆さんにも、楽しんで頂けましたように!       

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・ n.2 グリマーニ邸  ・ ヴェネツィア、ルネッサンスの館

ルネッサンスの宝石箱の様な素晴らしいヴェネツィアの館、
サンタ・マリーア・フォルモーザ広場からすぐの位置にあるグリマーニ邸、
現在は博物館、の豪奢な邸内を引き続きご覧頂いております。
       
こちらの部屋も名前が分からず・・。

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展示されていた壁画の一部は、リアルト橋脇にあるかってのドイツ商館、
長らくヴェネツィアの中央郵便局だった、そして未来の商業センターに
なると言われているあのフォンダーコ・デイ・テデスキの正面、運河側の壁を
飾っていたと言われるジョルジョーネのフレスコ画の一部、ヌード像。

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ご覧の様に損傷がひどく、この部分だけなのが残念ですね。
で蛇足ながら、商館の脇壁の方はティツィアーノという、
当時の画家の格付けを現わすエピソードも。



柄が大好きな私は、暖炉の陶器の渋い柄に魅かれ、

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こちらは別の部屋の暖炉。


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部屋の奥に通り抜けできる細い部分があり、入って見ましたら、
これは化粧部屋というか、お風呂トイレ部分だった様子。
壁も天井もすっかり美しく埋め尽くされた贅沢さ、優美さ!

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窓の隙間から覗くと、建物の正面玄関の前を流れるサン・セヴェーロ運河の
向こうに細い路地、で、も1つ運河、その向こうにサン・ロレンツォ教会。

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こちらは食事の部屋・Sala da pranzoで、天井画のモチーフは鴨や魚。
まぁ意図は分かるのですが、こういうのを見ながら食べて、
食欲が湧くのかなぁ? どう思われます?

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通路の扉の向こうに惰円形の螺旋階段が見え、サイトの案内には
パッラーディオ風・パッラーディオの、という形容詞がついているのですが、
正確には意味が分かりませんで。

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下の写真はサイトから拝借で、この階段は多分召使たち専用と。



大理石の色と柄を上手く使った装飾があちこちに。

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大広間と書いてあるサイトと、ドージェ・アントーニオの部屋、と
説明してあるのと両方ですが、重々しさと優美さの部屋。

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下の写真はサイトから。



また別の窓から覗く庶民の世界、ははは、ですが、この大きな教会名が
分かりませんで・・。

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* 追記です *
「ヴェネツィア ときどき イタリア」のfumieveさんが、北の位置にある
サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ教会、と教えて下さいました。
有難うございました!



赤色が美しい、優雅なアポロの間。

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床は大理石柄以外には部屋によって色と柄が違うのですが、
こんな風に色を塗り特殊な加工、ポンペイの壁画でご紹介した
エンカウストという方法、上から蝋を塗り込む方法に似ているらしいのですが、
パステッローネ・ヴェネツィアーノ・pastellone venezianoと呼ばれます。

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この白と金で装飾された天井の部屋は、カッリストの変身の間・
Stanza delle Metamorfosi di Callistoと呼ばれますが、
まるで説明を聞いておらず、ご容赦!

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で、柄の角に光る小さなものは、

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鏡を、というよりも凸面の金属が嵌め込まれているのでした。



奥の部屋には、訪問当時展示がされていたカナレットのデッサンなど。

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こんなフレスコ画の装飾も残り、

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如何でしたか? なんとも素晴らしいグリマーニ邸の内部で、裕福な
ヴェネツィア貴族の生活を垣間見れる素晴らしい館。 
n.1の最後にご案内の「ガニメーデ像」の部屋のすべての壁龕に
像が収まっている写真も見つけ、

お時間のある方、是非見学を、とお勧め致します!

月曜: 閉館   火曜~日曜: 10時 ~ 19時
(閉館は1月1日、12月25日、5月1日 サイトには表示なしですが、2019年末時、
大概の美術博物館は閉館ですので、お出かけ前にお調を)



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・ n.1 グリマーニ邸 ・ ヴェネツィア、ルネッサンスの館

今日ご覧頂くのは、ヴェネツィアの素晴らしいルネッサンスの館、
30年近い歳月をかけて修復され、つい3年ほど前から博物館として
一般公開されているグリマーニ邸・Palazzo Grimaniです。

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前年に友人と訪問した時はガイド付きの見学、いわば見張り付きで、
写真は1枚も撮れなかったのですが、
今春グループで再訪問、我らのガイドでぞろぞろ移動するもので、
写真禁止なんのその、ははは、前年の分まで憂さを晴らすべく撮りまくり、
その挙句に整理するのが例の如く遅れまして・・。

グループの1人が記事を纏めたから写真が欲しい、いつできる?と
何度もの催促で、遂に個展会場にPCを持ち込み、午前中は暇なのを幸い
漸くに整理した所ですが、まぁ、まだ年内ですものね、ははは。

余りにも邸内の雄大さ豪華さに驚き呆れ、説明は一つも記憶に残らず、
あれこれ親切なサイトを探しまわり、漸くになんとか部屋の名前が幾つか
分かりましたので、はい、その程度のご説明で、

ヴェネツィアの裕福な貴族の館が如何に豪華であったか、
溜息をつきつつ、楽しんでくださいませ!
       
写真の数が50枚を越え、半ばやけくそで2回に分けますので、
よろしくお願いいたします。 では、どうぞごゆっくり!!

トップのは、細い小路の奥に見える邸の入り口。



ヴェネツィアのグリマーニ邸と言うと、(写真はサイトから)
リアルト橋から西に少し行った所、大運河に面したこちらの
サン・ルーカのグリマーニ邸が有名ですが、

1-2-ani.jpg



地図をどうぞ。 今日ご案内のグリマーニ邸はサンタ・マリーア・フォルモーザの
グリマーニ邸と呼ばれる方で、場所はリアルト橋から南西に、
サンタ・マリーア・フォルモーザ教会広場からすぐ近くにあります。

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広場から南東隅にある橋を渡って少し進み、左手にある小路の
突き当たりに、最初にご覧頂いた入り口が見えます。



細い小路の突き当たりに見えるのは、ほんの入り口だけですが、
門をくぐると四角く広い中庭が広がり、3階建ての建物が周囲を囲みます。
土地の狭いヴェネツィアで、これだけの中庭、建物だけで大変な贅沢!

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入り口から入って来た中庭の眺めの向こう端に、サン・セヴェーロ運河・
Rio di San Severoからの入り口、船着き場が見え、

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こんな風にゴンドラが通り過ぎるのも見え、かっては運河側が建物の正面、
入り口だった訳ですが、現在は閉じられていて、

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中庭こちら側のポーチの角柱の上の飾りはこんな様子で、
花や、こんな野菜果物の籠が乗っており、

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こちらのポーチは道からの入り口の並び、上のポーチの向かい側。

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円柱上のこの飾りはイオニア式、ローマ期の物の再利用で、柱の数に
1つ不足で、新しい、と言っても建物建設当時の16世紀の物を追加
しているのですが、見てすぐに分かる程の技術の違いで!
ローマ人は凄かった、といつもの呟きが出ます。

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ポーチの下はこの様な木の天井。

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さて建物に入り、正面大階段・Scalone monumentaleとも呼ぶ
階段を上がりますが、床にはモザイク柄、

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そしてこの天井部分が、ドゥカーレ宮を思わす素晴らしい漆喰細工!

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階段を上った、細長い大広間からの階段の様子。

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グループで行くと写真は撮り放題ですが、ははは、どこにでも仲間がいて
全体が撮れず、サイトからの写真をどうぞ。



この部屋の名前が分かりませんが、暖炉部分と格子天井。

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葉っぱの部屋・Stanza a fogliamiと呼んだら良いでしょうか、
天井一面に木々と果物、飛び交う鳥達が描かれた素晴らしい部屋。

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有名な物ではミラノのスフォルツァ城にレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた
大樹の部屋があり、あちこちの貴族の館にも、天井部に木の枝が絡まり
花が咲き、鳥達が飛び交う棚が描かれているのを良く見かけます。
きっと彼らの野外への憧れだったのでしょうね。


このグリマーニ邸は16世紀に建設され、長らく放置されていたのを
1981年に国が買い取り27年間に渡っての修復が続き、例により資金不足で
長引いたらしいのですが、漸くに2008年12月から公開されているもので、
ヴェネツィアのアッカデミア、カ・ドーロ、東洋美術館、考古学博物館に並ぶ
5つ目の美術博物館と。

建設主であるグリマーニ家・Grimaniは、ヴェネツィア貴族ではありますが、
古くからの家柄ではなく、最初に名が出たのは商業交易で目覚ましく財をなし、
遂にヴェネツィアの76代ドージェにまでなった(1521~23)
アントーニオ・グリマーニ・Antonioが最初。

ですがこの後の家の発展は素晴らしく、ドージェが計3名、枢機卿2名、
アクイレイアの総大司教が3名、政治家、美術のパトロンとしても有名な家柄。

この屋敷は元々ドージェのアントーニオの屋敷だったものを、彼の孫に当たる
アクイレイアの総大司教ジョヴァンニ・Giovanniとその兄のヴェットーレ・
Vettoreが指揮を取り改装した物。

ジョヴァンニはギリシャ、ローマ美術品のコレクターとしても有名な人物で、
ご覧の様に家の内部の調度品は全て散逸し、家の建設に使った色大理石の
組合せの素晴らしさと、天井のフレスコ画が残るのみなのですが、
ジョヴァンニの鑑識眼の見事さとその情熱が結晶した館、と言えましょうか。



通り抜けの通路は部屋の真ん中、または端を通りぬけ、
こんな風に奥の部屋まで見通せます。

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柄と色大理石のハーモニー、大変古典的な重々しい美。

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そしてこちらが圧巻、ラ・トゥリブーナ・La tribuna・観覧席とか傍聴席
の意味ですが、ここでは賓客用特別鑑賞室とでも!
ご覧下さい、この天井の高い塔状の上から光が射しこみ、
宙に浮く鷲の姿のゼウスと青年ガ二メーデ・Ganimedeの像。

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ガ二メーデはオリンポスで神々の給仕をする為に誘拐されたのだそうで。



部屋の下部分も如何にもの重々しさでご覧頂きたく、サイトから拝借。

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床の大理石の花模様。

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残念な事に、青年ガ二メーデの鼻が欠けているのですが、

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舞台設定の見事さに何枚も角度を変え撮っており、
その都度に鷲の目の表情が変わるのに、見とれました。

という所で、n.1はお終いに、n.2に進みますので、
よろしくお願い致します。


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・ ちょっぴり歴史に名が残る、 我が町コネリアーノの様子を

昨日土曜にこちらイタリアでの初個展が無事済み、今日日曜はごそごそと、
ブログ再開の下準備に取り掛かり、お洗濯をし、のんびりゆっくり始動開始を。
で、個展の総括は最後に書かせて頂くとして、

ブログ再開の第1回は、我が町コネリアーノ・Coneglianoの話題を。
ヴェネト平野の北、人口3万5千人程のまぁ穏やかな町ですが、

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以前からご紹介したかった2つの話題、ちょっぴり歴史に顔を出し名が残る、
という2つを纏めてで、
       
一つはフランス王アンリ3世に関するもの、もひとつはキプロス王ジョヴァンニ2世と、
その妃カテリーナ・コルナーロに関するものです。
事件があった訳ではないのですが、まぁ、以前から興味を引かれ
調べたりしたので、どうぞ見て、読んでやって下さいね。

上は、町の中心部の西端にあるカヴァッリーノの門・La porta del Cavallino
と呼ばれる場所のロータリーで、正面に見える建物の壁に描かれた絵が、
本日の第一話。

3年程前になるでしょうか、アクリルで描かれており、まぁ、絵そのものは・・ですが、
興味を引かれたのはその主人公と日付でした。



コネリアーノの町の地図をどうぞ。 地図はいわば町の中心にもあたり、
真ん中に見える電車の印に鉄道駅があり、赤い印1に上の写真の建物が。

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2の印がキプロス王の家のある位置で、その左にある丸い小さな印が
今回の個展会場の場所で、上向きの矢印がスコミーゴ村への道。

蛇足ながら、右下に打った小さな赤マルの位置にホテル・チッタ・ディ・コネリアーノが
あり、ここはお値段も50エウロ程で、場所もまぁ便利でお勧めです。



カヴァッリーノの門のある位置は数年前再開発され、この宣伝の様な大きな住居と
事務所に生まれ変わったのですが、向こうの丘の上にはコネリアーノのお城も見える、
という位置にあります。

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先程のアクリル画ですが、その主たる場面はこんな感じで、
左にフランス国王アンリ3世がコネリアーノを訪問した姿で、右に町の鍵を持った
代表がお迎えしている、という図。

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実はこのアクリル画が出来上がった時に除幕式があり、地図でご覧の様に
ロータリーを中心に道が5本交差する位置。
集った人々が道にはみ出し、車がかなり停滞をし、私も止められた記憶がありますが、
絵の主題は考えなかったのですね。

所がブレンタ川の船行きをブログに載せた時、あれこれ読んでいる内に
フランス王アンリ3世がヴェネツィアに行くのにブレンタを船で行った、
という記述を読み、へぇ~と思い、それを友人のエレオノーラに話した所、
あそこの壁画にアンリ3世がコネリアーノに来た場面を描いているよ、と。

早速見に行き、それをルチーアに話しましたら、あれはヴェネツィアに行く時に
通ったのよ、といとも明快に。

ヴェネツィアに行く時にコネリアーノを通ったのか、
それともブレンタを通りヴェネツィアに行き、そしてコネリアーノから戻ったのか、と
こうなるといささか執拗に、ははは、調べ始めたshinkaiです。



実はこの絵の下に字が描かれておりまして、少し見え難いですが、
IL RE ENRICO III ARRIVA A CONEGLIANO IL 14 LUGLIO 1574
LA CITTA` LO ACCOGLIE IN FESTA
アンリ3世王はコネリアーノに1574年7月14日に到着した
町は彼をお祭りでお迎えした と。
       
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所で、フランス国王アンリ3世(1551 - 1589)と言っておりますが、
実際まだこの時点ではフランス王ではなく、未来のフランス王アンリ3世で、
この時はまだポーランド王でありました。

と読み出したら、これがまた大変可笑しい、ひひひ、と笑えるほどの
お話が詰まっておりましたので、皆さんにもゴシップ並みの話題をね。

アンリ3世のお顔をどうぞ。

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彼は1551年9月にフランス国王アンリ2世の3男として出生、
母はイタリアからお輿入れのカテリーナ・デ・メディチ。
夫婦仲はあまり芳しくなく、夫には結婚前からの有名な愛人がいたそうで、
このアンリは母親から「私の目」と呼ばれ溺愛されて育ったのだそう。

父国王アンリ2世が馬上槍試合で右目を貫かれたのが原因で死亡、
長兄フランソワ2世が王位を継ぐものの16歳の若さで死亡。
次兄シャルル9世が継承しますが彼は病弱、兄弟仲は当然良くないですね。

ですがポーランド王が死亡後、議会が新国王を選挙で選ぶ事になり、
彼も立候補し、前国王の妹で次期の国王妃とみなされていたアンナが彼を支持、
こうして1573年5月にポーランド国王に被選出。

兄の病状が進むのを見てポーランドに行く事を躊躇いつつも、
迎えに来られ送られ、遂に1574年2月に戴冠式を。
ポーランド貴族との関係も上手くいかず、28歳年上!のアンナとの結婚にも
踏み切れず、国王としては上手い滑り出しとはいえなかった様子ですが、

遂に5月30日に兄王逝去、の知らせが母親カトリーヌから6月17日に届き、
帰国を促します。 で、アンリは6月18日深夜に側近数人を伴い、
ポーランド国王冠のダイヤモンドを盗み出し、王宮から逃亡、ははは。

つまり国王が国を捨て逃げ出した、という驚愕的事件だった訳ですが、
オーストリアとの国境を越えると、これはもう未来のフランス王ですから、
ウィーンで皇帝の歓迎を受けた後、ヴェネツィア共和国に入り、
7月14日にコネリアーノに、という次第なのでした。

ヴェネツィアに到着は18日という事ですから、きっとトゥレヴィーゾでも
町を挙げての大歓迎だったに違いなく、ゆるゆると進んだ様子。

ヴェネツィア共和国当時のドージェは85代アルヴィーゼ・モチェニーゴ・
Alvise Mocenigoで、アンリは大歓迎を受けます。
同年5月11日にはドゥカーレ宮が火事になったり、それ以前にはトルコとの
屈辱的な協定もあった時期だったのですが、

10万スク―ディを利子なしで借り出したり、1125スク―ディを費やし香水を買い、
当時フランスではまだ使われていなかった4本に分かれたフォークを使ったり、
歌人で高級娼婦でもあるヴェローニカ・フランコ・Veronica Francoも
賓客のおもてなしに参上!

彼の魅力、洗練された上品な物腰は、彼の行く先々で大きな熱狂を
引き起こしたようですが、
       
ヴェネツィア共和国側のもてなし、ヴェローニカとの様子はpescecrudoさんが
こちらに詳細に書いておられますので是非!
http://pescecrudo.blog122.fc2.com/blog-entry-176.html

長い間あれこれ興味を持って考えた彼の行程だったのですが、
pescecrudoさんがヴェネツィアでの日々を書いて下さっていて、
あっけなく解決したのでした、有難うございました!

アンリ3世はヴェネツィアからブレンタを船で行き、フランスに戻ったのですね。
実際ポーランドからの道を考えると、こちらの方が断然真っ当な行路ですよね。

王位についていた期間は、カトリックとプロテスタントの抗争が次々起こり、
彼も結局それで暗殺されたのですが、

こういうのをあれこれ読みだすと、本当に嵌りますです!

ブレンタ川の船行きは n.1 ブルキエッロ ・ ブレンタ川を船でゆるゆると
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467560978.html

n.2 ブルキエッロ ・ ブレンタ川を船でゆるゆると
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467561173.html
      
ヴィッラ・フォスカリ、 または、 ラ・マルコンテンタ
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467561421.html




さて、2つめの話題はこれ、キプロス王の家・Casa del re di Cipro.

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マドンナ通りの北側を占める家並はこうなっておりますが、
この手前から2つ目の大きな3連のゴシック風アーチの家がそれなのです。

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実はこの通りは平日大変な交通量ですが、これは日曜に撮ったので良く見えます。

ここの空間は不思議な建物の並びで、つまり、このキプロス王の建物と呼ばれる
15世紀の建物の前すぐを現在は道が通っているのですが、
この一群の建物の東側は道だけが通り抜けれる広さで、かっては多分門があり、
中が内庭風に建物に囲まれ、また西側にも多分門があり、川に迫っていたのだろう、
と想像出来る場所なのですね。

長い年月の内に並んだ建物が併設され、門が無くなり道が突き抜けたのだろうと、
コネリアーノに住み始めた当初から、不思議な一郭とは思っていたのです。

この道をバスが通りますから、古い不思議な建物をいつも見つめ、壁に殆ど
消えかかったフレスコ画が残っているのを眺めては、摩訶不思議なイメージを
見つめていましたが、偶然に「キプロス王の家」と呼ばれる事を知り大いに驚きました。

なぜって、キプロス王というのは、ヴェネツィア共和国の養女として嫁いだ、
カテリーナ・コルナーロ・Caterina Cornaroの夫を指しますし、
なぜその家がコネリアーノに?!



3階には3連の美しいヴェネツィア風窓があり、

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1473年と刻まれた、天使が盾を持つ形の古い家紋があり、
この家紋はキプロス王家の家紋とは違うのですが、

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うっすらと、かっては全面にフレスコ画が施されていたことが窺えます。

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この動物の姿も何度もバスの窓から見つめ、虎かな、何かなと想像していましたが、
牛なんだそうで。

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現在は1階部分に店が入っておりますが、真ん中部分には大きな厳めしい扉があり、
私所有の建物だそう。
ご覧になれますか、アーチにも残るフレスコ画の名残を。

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15世紀の建物と言われ、建設は当時のキプロス王カテリーナの夫の
ジョヴァンニ2世とも、カテリーナの居住用に建てられたとも記述があり、
私の関心はずっと、なぜコネリアーノに、という事でした。

ここよりもっと北に行ったカステッロ・ローガンツゥオーロには、生地のカ・ドーロと
ヴェネツィアの中間になり気温が温暖である、という理由で、かのティツィアーノも
家を持っていた様ですが、イマイチ納得が行かなかったのですね。

なぜと友人の歴史研究者に訊ねた時に聞いた答えは、当時はヴェネツィア貴族が
本土に別荘を持つのが流行っていたからと。

が、たまたまこの辺りの中世からのユダヤ人研究をしている方の本の出版記念に
行った時にちらっと聞いたコネリアーノの金貸し、多分大きな影の力を持っていた筈で、
それとキプロス王家とが関係があった、と知り、
ああ、そういう事なのか、と漸くに腑に落ちた事でした。



建物の前のアーケードはこんな感じで建物ごとに整備され繋がりますが、

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このキプロス王の家のアーケードの支えの下には、こんなフレスコ画が残り、

手前側には飾り綱で、奥は、

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こんな様子の、受胎告知。 肝心の下側が無く残念ですが、
背景には、要塞化された町の壁も見えます。

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という、ちょっと中の様子、中庭を覗いてみたい思いにさせられる
キプロス王の家なのでした。

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キプロス王に嫁いだカテリーナ・コルナーロについては
アーゾロを彩る女性ふたり ・ アーゾロ市立博物館 n.2
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463693935.html


***

先週1週間はこちらイタリアでの初の個展を開く事が出来、お陰様で漸く
無事終わる事が出来ました。
      
オープニングには大勢の友人知り合いが集まってくれ、賑やかに盛りたてて頂いた
様子は先回ご覧頂きましたが、

その後、日本よりお客様の数は少ないもののそれでもぼちぼちと来て頂き、
そして絵に対しては、本当に有難い嬉しい評価を受けました。
が、それに反し絵の売り上げは芳しくありませんでした。

今のイタリアのこの不況では、絵を買う気持ちにならない人々の様子も良く分かり、
また日本とは違いきちんとした画廊のない町、文化センターなどでの日頃の
趣味活動も少ない人々の様子も思い起こされ、
まぁ、嬉しい評価を受けた事を有難く受け止めよう、
来年の上諏訪での個展に向け、気持ちをしっかり、と考えています。

そうそう、会期の終了間際に来年の個展会期が決まりました。
2013年10月12日(土)から20日(日)まで、
長野県上諏訪のギャラリー橋田さんで開かせて頂きます。
年が明け春頃には、と思っていた会期も早々に決まり、
ぶつぶつ文句を言わずに、とにかく描け! 良い絵を描け!
と励まされた想いでおりますが、やはり得難い経験だったと思います。
       
はい、頑張りま~す!

そうそう、先回ご覧頂いた「カンシーリオの森」写真のジョヴァンニを通し、
面白い提案も出ました。彼の奥さん、そして義理の妹さんと一緒に見に来てくれ、
この義理の妹さんミケーラは何とスコミーゴ村の小学校の先生だそうで、
私に子供たちに絵を教えてやってくれ、というのです。 授業の一環として。
       
今の緊縮経済で子供が15人以下だと学校閉鎖になるのだそうで、
現在の所20人程! で、危機感を持ち、何か活性のある事をと、
先生はこの人、と貼りだして宣伝しても良いか、どうぞどうぞ!
貧乏なので報酬は払えません、問題無いですよ。
 
なんぞと話しておりましたら、ジョヴァンニが横から、
(その分、俺が)カンシーリオに連れて行くけん、と。
いえいえ、彼が広島弁で言った訳ではないのですが、ははは、
私にはしっかりそう聞こえ、奥さんと顔を見合せて笑った事でした。
       
あちこちから、日本に行きたいのだけど、という声も出始め、
日本の旅行社に様子を聞いてみようか、という動きもあります。

日頃はまるで日本人と出会わない生活なのですが、今回はお陰さまで、
コネリアーノ在住の君江さん、ヴェネツィアからはfumieveさん、
トレント方面からは「おお、信州人!」でご一緒した小平さんご夫妻、
そしてパイプオルガン奏者の愛さんご夫妻が来てくださり、
久し振りに日本語でのお喋りも!
    
そんなこんなの友人達の有難い支えを、しっかり感じたイタリアでの初個展でした。
有難うございました!!
今後とも、どうぞよろしくお願いいたします!


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