いよいよ年の瀬も押し迫りましたが、皆さまにはいかがお過ごしでしょうか?
既に休暇に入った方もおいででしょうし、
女性の皆さま方には、心忙しい事とも存じます。
既に休暇に入った方もおいででしょうし、
女性の皆さま方には、心忙しい事とも存じます。
例年、その年に旅行した土地の写真で締めくくっておりますが、
今年は春に北ラツィオに出かけた位で過ごし、余り遠方に出かけなかった私め。
今年は春に北ラツィオに出かけた位で過ごし、余り遠方に出かけなかった私め。
ですが幸い大変興味深いサイト、私のブログ・タイトルの「イタリア・珠玉の町・村」
にとても相応しい、小さな町・村を上空から眺めた写真サイトに出会いました。
にとても相応しい、小さな町・村を上空から眺めた写真サイトに出会いました。
町中にて眺める近い風景とは大いに違い、上空からの眺めは中世の面影を
残した、イタリアの珠玉の町・村の全体の姿を一瞬に見せてくれます。
残した、イタリアの珠玉の町・村の全体の姿を一瞬に見せてくれます。
飛ぶ鳥になったつもりで、年末の一時をちょっぴりのんびり、
空からの眺めを楽しむべく、お茶でも入れて、ごゆっくりどうぞ!
空からの眺めを楽しむべく、お茶でも入れて、ごゆっくりどうぞ!
写真は、フリウリ・ヴェネツィアジューリア州のパルマノーヴァ・Palmanova.

サイトは「Documenti di Volo Ultraleggero・ウルトラ軽飛行機の記録」
とでも言うのでしょうか、それにご夫婦2人が乗りこみ、
あちこちの名所旧跡を上空から訪問、撮った写真を載せているものです。
http://www.minniti.info/index.php
とでも言うのでしょうか、それにご夫婦2人が乗りこみ、
あちこちの名所旧跡を上空から訪問、撮った写真を載せているものです。
http://www.minniti.info/index.php
パイロットが夫のセバスティアーノ・Sebastiano
コマンダンテ・司令官が妻のパオラ・Paolaで、お2人の写真もサイトにあり、
コマンダンテ・司令官が妻のパオラ・Paolaで、お2人の写真もサイトにあり、
archivio fotografico という横にある数字をクリックすると、
其々に20枚の写真が小さく出て、次々と拝見する事ができますので、どうぞ。
其々に20枚の写真が小さく出て、次々と拝見する事ができますので、どうぞ。
ここでは私めの好みで勝手に選ばせて頂いたものを、今迄に訪れた町には
記事にリンクをし、未だの町は地図と共にどこにあるかをお知らせし、
お楽しみ頂きたいと思います。
記事にリンクをし、未だの町は地図と共にどこにあるかをお知らせし、
お楽しみ頂きたいと思います。
で、上のパルマノーヴァの町ですが、地図をどうぞ。

ウーディネ・Udineから南に約30kに位置し、
9角形の星型、周囲を土塁が取り巻き、その外に堀が巡ります。
16世紀にヴェネツィア共和国のフリウリにおける守備の要として造られた町で、
それぞれの星型の先には砲台がありました。
9角形の星型、周囲を土塁が取り巻き、その外に堀が巡ります。
16世紀にヴェネツィア共和国のフリウリにおける守備の要として造られた町で、
それぞれの星型の先には砲台がありました。
真ん中の広場、ピアッツァ・グランデに臨んでドゥオーモがあり、
放射線状に道が通ります。
放射線状に道が通ります。
以前2度ほど訪ねておりますが写真をその心算で撮っておらず、
再度のチャンスがありましたら、またご案内いたしますね。
再度のチャンスがありましたら、またご案内いたしますね。
こちらはパドヴァの北にあるチッタデッラ・Cittadellaという町。
見事に円形の市壁が取り囲んだ姿を保っています。

市壁のちょうど四方に町の門があり、そこから中心に向け道が通り、
中心の十字に交わる位置にドゥオーモがあり、
中心の十字に交わる位置にドゥオーモがあり、
夏に訪問した時、この広場には風が通り抜け、大変に爽やかでしたが、
一歩町中の道に入り込むとまるで風が通らず、その暑さに辟易した記憶が!
一歩町中の道に入り込むとまるで風が通らず、その暑さに辟易した記憶が!
地図をどうぞ。 トゥレヴィーゾ・Treviso からカステルフランコ・Castelfranco
を抜け、ヴィチェンツア・Vicenzaに抜ける道、鉄道線上にあり、南にパドヴァが。
を抜け、ヴィチェンツア・Vicenzaに抜ける道、鉄道線上にあり、南にパドヴァが。

町を囲む城壁は、ちょうどカステルフランコの壁とよく似た13世紀の物で、
小さい町ながら見所も多く、この町にもまたカメラを持っての再訪問を願います。
さてエミーリア・ロマーニャ州に下り、サン・レオ・San Leo の城塞。

見事な天然懸崖上に築かれた城塞で、マルケ州と北との守備の要であったのが、
一帯が教皇領となるとその価値を失い、単なる監獄として使われましたが、
中には大物の収監者もおり・・。
サン・レオの城塞 と カリオストゥロ伯爵・conte di Cagliostroなる男
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463938935.html
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463938935.html
こちらはフィレンツェ県のチェルタルド・Certaldoの町。

如何にも中世の面影を宿すこの町は、14世紀の作家・詩人、かの「デカメロン」を
書いたボッカッチョ・Boccaccioの生まれた町として名高いのですが、
彼の生家は博物館として公開され、塔の上にも上れるとか。
一度は訪問したい町の1つです。
n.1 チェルタルド ・ ボッカッチョの故郷 博物館 城 結婚式
http://www.italiashiho.site/archives/20170924-1.html
http://www.italiashiho.site/archives/20170924-1.html
n.2 チェルタルド ・ ボッカッチョの故郷 博物館 城 結婚式
http://www.italiashiho.site/archives/20170928-1.html
http://www.italiashiho.site/archives/20170928-1.html
n.3 チェルタルド ・ ボッカッチョの故郷 博物館 城 結婚式
http://www.italiashiho.site/archives/20171002-1.html
http://www.italiashiho.site/archives/20171002-1.html
どこにあるか、地図をどうぞ。 フィレンツェからエンポリ・Empoliで乗り換え、
シエナ行きの途中に位置します。

これはガイドブックの写真でご覧頂いたのとよく似ていますので、即お分かりの方も
多いかも。 はい、アンギアーリ・Anghiariの町、旧市街。
多いかも。 はい、アンギアーリ・Anghiariの町、旧市街。

大変に特徴ある町並みで、こうして見ると下の駐車場からエレベーターで上に上がり、
それからあの道を行き、あそこを曲がり、石段を上って・・、と
それぞれの道を思い出せ、懐かしい! また訪問できるかなぁ~?!
それからあの道を行き、あそこを曲がり、石段を上って・・、と
それぞれの道を思い出せ、懐かしい! また訪問できるかなぁ~?!
n.1 アンギアーリ ・ 中世の宝石箱の様な町
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461129676.html
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461129676.html
n.2 アンギアーリ ・ 中世の宝石箱の様な町
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461129968.html
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461129968.html
「アンギアーリの戦い」始末記と、その周辺もろもろ
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461130197.html
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461130197.html
そしてもう1つ、これも訪れて良く覚えている町、と言っても記憶が自慢にならぬほど
小さな可愛いトスカーナの町、モンテリッジョーニ・Monteriggioni.
小さな可愛いトスカーナの町、モンテリッジョーニ・Monteriggioni.

この町も周囲を市壁に取り囲まれ、物見の塔がそびえますが、
シエナがフィレンツェとの境に13世紀初期に築いた町。
手前に見える門を潜り、広場を通り真っ直ぐ行くと東に抜ける門があり、
城壁の上にも2か所ほど上れる場所が整備され、のんびりと散策を楽しめる町。
城壁の上にも2か所ほど上れる場所が整備され、のんびりと散策を楽しめる町。
モンテリッジョーニ ・ 市壁と、中世巡礼街道の町
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462678404.html
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462678404.html
ここはまだ訪問した事が無く、いつかと狙っている町、
トスカーナ州アレッツォ県のルチニャーノ・Lucignano.

楕円形に市壁が取り囲み、内に家並が輪を描いて囲み、中心に広場と教会と。
古くからアレッツォ、シエナ、ペルージャの商交易の要として栄え、
町は後期中世の面影を濃く残す、と。
町は後期中世の面影を濃く残す、と。
どこにあるか、地図をどうぞ。 アレッツオから南に約30kの地点にありますが、

東に見えるカスティリオン・フィオレンティーノ・Castiglion Fiorentinoと、
モンテッキオ・ヴェスポーニ・Montecchio Vesponi、という名にご留意を。
モンテッキオ・ヴェスポーニ・Montecchio Vesponi、という名にご留意を。
で、こちらがカスティリオン・フィオレンティーノ・Castiglion Fiorentinoの町。
アペニン山脈を東のマルケから越えて来て、遠方に見えたこの町の姿に引かれ、
2年前の秋に寄りました。

中央上方に見える塔の下にも行きましたが、残念、ちょうど月曜日で、博物館も
塔も閉じておりましたが、なかなか見所の多い町、という記憶が残ります。
塔も閉じておりましたが、なかなか見所の多い町、という記憶が残ります。
カスティリオン・フィオレンティーノ n.5 イタリア中部紀行 2010年秋
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461247613.html
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461247613.html
この素敵な小さな城はモンテッキオ・ヴェスポーニ・Montecchio Vesponinoに。
サイトにはジョン・ホークウッドの城、と載っており、
サイトにはジョン・ホークウッドの城、と載っており、

ジョン・ホークウッド?! あのフィレンツェのドゥオーモにあるウッチェッロの
フレスコ画のホークウッド?!
フレスコ画のホークウッド?!

驚きましたが、でもこの城館の写真の可愛さ見事さに魅かれ、
どこにあるのか、と探しました。
どこにあるのか、と探しました。

意外に簡単に見つかりましたが、サイトのこの写真に驚き!
というのも、カスティリオン・フィオレンティーノという町の名と共に、
確かに、この遠くに見える山上の塔の突き出した姿に覚えがあったのですね。

アッペニン山脈を下りつつ見たこの塔。
ほらね、車中撮影係のmkちゃんが確かに写しているのを見つけました。
ほらね、車中撮影係のmkちゃんが確かに写しているのを見つけました。

中世の面影を残す町の姿、城の姿にはミーハー並みに喜ぶ我ら、
ほら、あそこ見て! こっちにも!と何枚も写しておりました、ははは。
今こうして、何という誰の城、と分かったのは凄く嬉しいです!!
ほら、あそこ見て! こっちにも!と何枚も写しておりました、ははは。
今こうして、何という誰の城、と分かったのは凄く嬉しいです!!
ジョン・ホークウッド・John Hawkwood.
イタリア名ジョヴァンニ・アクート・Giovanni Acuto.
イタリア名ジョヴァンニ・アクート・Giovanni Acuto.

アクートとは鋭いとか刺す様なという意味で、針を現わすフランス語のニックネームから、
マッキャヴェッリがつけたとか。
イングランド出身の14世紀の傭兵隊長で、英国で、フランスで働き、イタリアでも、
その報酬によってはどちら側にでもついて戦う男。
晩年をフィレンツェの為に働き勝利に導き、亡くなった時には国葬で送られ、
現在もドゥオーモにウッチェッロの描く大きな騎馬像が残ります。
その報酬によってはどちら側にでもついて戦う男。
晩年をフィレンツェの為に働き勝利に導き、亡くなった時には国葬で送られ、
現在もドゥオーモにウッチェッロの描く大きな騎馬像が残ります。
当時としては偉大な傭兵隊長であり、政治的にも動いたと言われ、
秩序だった自分の配下を引き連れ、軍の駆け引きにも優れていた様子。
秩序だった自分の配下を引き連れ、軍の駆け引きにも優れていた様子。
ですが、日本版のウィキに登場する彼と、イタリア語版ではかなり空気が違い、
とりわけ彼が非識字者であった、という記述がイタリア語サイトでは一つも見つからず、
少々興味を持ってあれこれ調べ回りました。
で、英語版ウィキにある記述には、翻訳して読みましたのが、
非識字者であったろう、と。
雄弁術に欠ける事、文章のやり取りも最初は管理人が、後には彼の妻が
行っていた、という部分がありました。
日本版には彼が買ったと書いてあるこのモンテッキオ・ヴェスポーニの城も、
イタリア版では、フィレンツェ政府からの居城としての贈り物、
他に2つ持っていた城も賜り物、一つはシエナに通じる道を見下ろす場所、
との事で、如何に彼の最後の20年間ほどの働きを、フィレンツェが買っていたか
がよく分かる事でした。
イタリア版では、フィレンツェ政府からの居城としての贈り物、
他に2つ持っていた城も賜り物、一つはシエナに通じる道を見下ろす場所、
との事で、如何に彼の最後の20年間ほどの働きを、フィレンツェが買っていたか
がよく分かる事でした。
上空からの写真では、城の位置が良く分かりませんが、
こんな素敵な写真も他のサイトで見つけ、
こんな素敵な写真も他のサイトで見つけ、


下の写真、本当に美しいでしょう?!
いつか実際に訪問できるチャンスがあります様に!
いつか実際に訪問できるチャンスがあります様に!
次にご覧頂くのは、この可愛い、一体住人は何人ほど?
と思われるモンタッポーネ・Montapponeの町、いや村ですね、これは。

海抜370mに位置し、コムーネの住民1760人とありますが、
他にきっと新しい町が開けているに違いなく、この城壁の中に住んでいるのは
せいぜい50人未満でしょうね。
それにしても、このなんとも魅惑的な小さな囲われた村の姿!
ですが、若い人には耐えがたいかも!ですね。
ですが、若い人には耐えがたいかも!ですね。
どこにあるか、探しました。
アスコリピチェーノ・Ascoli Piceno県ですが、マチェラータ・Macerataに近い
マルケ州にあります。
アスコリピチェーノ・Ascoli Piceno県ですが、マチェラータ・Macerataに近い
マルケ州にあります。

最後は、サン・マリーノ共和国・San Marinoの絶景写真をどうぞ!


サン・マリーノ共和国 ・ 絶景かな、絶景かな!!
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463938760.html
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463938760.html
見て頂きたい、と思って選びだした数が多く、あともう2回ほど続けたい予定ですが、
絵ブログの方に、教会とヴィッラを7つ程載せますね。 見てやって下さい。
イタリア・珠玉の町・村、空からの眺め ・ 教会、ヴィッラ
https://italiashinkai.seesaa.net/archives/201212-1.html
https://italiashinkai.seesaa.net/archives/201212-1.html
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