時に懐かしく思い出す旅のあれこれ。 未整理の旅の纏めも兼ね、
今回は昨年初夏に訪ねたポルトガルはリスボンの旧市街地、
アルファマ地区・Alfamaを2回に分けてご覧頂こうと思います。
今回は昨年初夏に訪ねたポルトガルはリスボンの旧市街地、
アルファマ地区・Alfamaを2回に分けてご覧頂こうと思います。

アルファマ地区はリスボンの東、急傾斜の地形に沿ってあり、
いわばリスボンの古くから開けた地区。
が次第に街の中心が西に移るにつれ、漁師と貧しい人々が取り残された
地域となったものの、
1755年の大地震を唯一、古い街で生き延びた地区でもあり、
いわばリスボンの古くから開けた地区。
が次第に街の中心が西に移るにつれ、漁師と貧しい人々が取り残された
地域となったものの、
1755年の大地震を唯一、古い街で生き延びた地区でもあり、
現在はアルファマの高台にある、素晴らしいパノラマを持つ
サン・ジョルジョ城が観光の主要点となり、
古い異国情緒を求めての観光客で賑わっている、という様子。
サン・ジョルジョ城が観光の主要点となり、
古い異国情緒を求めての観光客で賑わっている、という様子。
という事で、まずはサン・ジョルジョ城からの素晴らしい眺めを、
そしてアルファマの有名な急傾斜の石段を次回に。
そしてアルファマの有名な急傾斜の石段を次回に。
写真は、高台に向かうバスの窓から見るリスボンの有名な市電。
狭いカーヴの多い旧市街の坂を、ぐらぐらと揺れながら行きます。
狭いカーヴの多い旧市街の坂を、ぐらぐらと揺れながら行きます。
さてバスを降り、目の前に見えたこのリスボンの大聖堂。

shinkai は、あ、凄い!と喜んだのですが、
何の事はない、このリスボンのドゥオーモ・大聖堂は素通り!
で、連れて行かれたのが、すぐ近くのサンタントーニオ教会。
そう、リスボン生まれの聖人アントーニオ、イタリアではパドヴァの
聖アントーニオと呼ばれる聖人の生家跡に建つサンタントーニオ教会。
イタリア人には親しく、前の教皇様もお立ちよりの教会だそうですが、
時に不信心者は、あ~あ、何でやねんなぁ、と思いますです、はい。
時に不信心者は、あ~あ、何でやねんなぁ、と思いますです、はい。
とにかく狭い坂道を、市電が走り、その隙間を車が埋め、
歩行者は脇の狭い歩道をね。
歩行者は脇の狭い歩道をね。

地図をどうぞ。 右上がアルファマ地区のある部分で、左がその拡大。

8. リスボンの大聖堂
9. サンタントーニオ教会
10. サン・ジョルジョ城
城の右下にピンクで埋められた辺りが、下町アルファマ。
9. サンタントーニオ教会
10. サン・ジョルジョ城
城の右下にピンクで埋められた辺りが、下町アルファマ。
という事で、お城・Castelo de S.Jorgeに向かい、
せっせと坂道を上ります。

途中道脇に素晴らしい大樹、そしてその根元に素敵なカップル。

三角屋根を持つ、面白い姿の教会を横目に、
内部にはきっと何か見所があるでしょうにねぇ。
内部にはきっと何か見所があるでしょうにねぇ。

道はこんな感じ。 硬い石の舗装で歩きにくく。

せっせと坂道を歩きつつも、左右に目を配り、ははは。

こんな小さい、すっきり爽やかな入り口もあり、

坂道の様子、お分かりでしょうか?!
グループの皆は脚が達者でコンパスも長く、
shinkaiは写真を撮りつつ、せっせと追いかけます。
グループの皆は脚が達者でコンパスも長く、
shinkaiは写真を撮りつつ、せっせと追いかけます。

古い骨董店もあるのですが、見る暇もなく、

これは、ヴァスコ・ダ・ガマの帆船サン・ガブリエルかな?
リスボンでは、全てにヴァスコ・ダ・ガマの名が付いていましたっけ。
リスボンでは、全てにヴァスコ・ダ・ガマの名が付いていましたっけ。

「ファドのお祭り」のポスター。

お城の前のスーヴェニール店。

テラスの賑やかな飾りつけは、ちょうど訪問の時期がお祭りに重なり、
確か聖ジョヴァンニのお祭りだったと思うのですが、あやふや、
行く町、街で賑やかな飾り付けを見ました。
確か聖ジョヴァンニのお祭りだったと思うのですが、あやふや、
行く町、街で賑やかな飾り付けを見ました。
さて漸くにお城の門。 上に1846の年号が見える通り、この高台の
城も1755年の地震で大被害を受け、この門も19世紀の物。

門から入りぐるっと回り込むと、この大見はらし台に。

では、高台の城からの眺めをどうぞ!
これは街の西、ベレン地区にある4月25日橋、
殆どテージョ河の大西洋への河口近くに。
これは街の西、ベレン地区にある4月25日橋、
殆どテージョ河の大西洋への河口近くに。

河の対岸に見えるキリスト像は十字架に見えますが、キリストが両腕を
広げた形で、ブラジルはリオ・デ・ジャネイロの山上のキリスト像に倣った物と。
そう、ブラジルはかってポルトガルの植民地でしたね。
広げた形で、ブラジルはリオ・デ・ジャネイロの山上のキリスト像に倣った物と。
そう、ブラジルはかってポルトガルの植民地でしたね。
広い広いテージョ河。
川幅はどれ位でしょうか、川下の4月25日橋は長さ2277m、
川上にあるヴァスコ・ダ・ガマ橋は、カーヴしているとはいえ17,2kmも!!
川上にあるヴァスコ・ダ・ガマ橋は、カーヴしているとはいえ17,2kmも!!

コンメルチョ広場が見え、右には凱旋門の上部も。

バスでも通りましたが、夜皆でぞろぞろと探検に行きましたっけ!
地下鉄、なるものに乗り慣れない皆さんはいささか緊張し、
方向感覚を失くした様子で、可笑しかった想い出が。
地下鉄、なるものに乗り慣れない皆さんはいささか緊張し、
方向感覚を失くした様子で、可笑しかった想い出が。
手前真ん中に、凱旋門から続くアウグスタ通りから見えた
サンタ・ジュスタのエレベーターが見え、
サンタ・ジュスタのエレベーターが見え、

その奥に見えるアーチの繋がりは、
1755年地震の廃墟が記念物となって残るカルモ教会。
1755年地震の廃墟が記念物となって残るカルモ教会。
これはフィゲイラ広場と。
奥の建物の向こう側には、もっと細長く広いロッシオ広場。
奥の建物の向こう側には、もっと細長く広いロッシオ広場。

城の下すぐ近くの、坂道の家並。

親子連れかな? 3人とも片足を柵に乗せ遠くを見ている、ははは。

1755年のリスボン大地震は、6万人近い死者が出たという大災害で、
街はほぼ全滅しの再建築と言いますが、
それでもこうして見ていると、時に古そうな建物も見えます。
街はほぼ全滅しの再建築と言いますが、
それでもこうして見ていると、時に古そうな建物も見えます。

まさに海の様なテージョ河を往き来する船。

街の要塞だった城ですから、こんな古いのも備わり、

城の起源は大変古く、紀元前6世紀頃にまで溯るそうで、
ここに見えるアーチの上には何があったのか、かなり古いものですね。

城の見取り図。
大きな丸のついた右側辺りからパノラマを楽しみましたが、
大きな丸のついた右側辺りからパノラマを楽しみましたが、
7が入り口の門で、10の左の建物と城の間を抜け、
城館4、5の前庭に出ます。
城館4、5の前庭に出ます。

リズボンの街は、この城の下一帯に広がります。
18世紀の地震での城の被害も大きかったそうで、
その後一旦修復された物の、近年まで放置されていたと。


建物を回り込んだ所にあった天水井戸というのか、

前庭部分。 堀らしく見えますが、う~ん、この高台にねぇ、空堀かな?

前庭からの眺めで、見えるポスターは、城内で行われる歴史劇ショーの
宣伝の様。 ラヴ・シーンで釣るのは、いつもの事ながらね、ははは。

塔の上にも上がれる様ですが、我々は、やはり素通りしたのみ。
という所で今回はお終いに。
次回の、アルファマの下町の様子もお楽しみに!
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