・ n.1 トゥスカーニア 古寺巡礼 ・ サンタ・マリーア・マッジョーレ教会

暑い日が続いております! TVニュースで連日イタリアの各都市で40度近く、
との報道があり、聞くだけで汗疹が出そうですが、

それでも漸くに「古寺巡礼 その3」として、ラツィオ州ヴィテルボ県は
トゥスカーニア・Tuscaniaの素晴らしく美しいロマネスク教会、
サンタ・マリーア・マッジョーレ・Santa Maria Maggioreを纏めましたので
ご覧下さいね。

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この春グループ旅行で出かけた際の訪問ですが、とても気に入り写真を撮りまくり、
数が多すぎどれを省いたら良いものか!
例により、まず何がどうなのかを読んで知り、分からない所をアンナリーザや
ジュリアーナに聞く、という手間がありますが、まぁこれもボケ防止の楽しみと、はい。

勿論ガイドさんがいて、詳細に説明してくれたのですが、説明をその場で聞くと、
自分で見て回れず、ガイドさんが説明したい場所のみを見る事になり・・。
という見極めがついた今頃は、勝手に動きまわって撮る事になり、

まぁ、似た様な勝手者がたくさんいますから、ははは、で、写真OKとなると、
いぇ、本当は禁止だった様ですが、大勢がパチパチと、存分に撮りまくった次第!

上の写真はバスの窓からで、ヴィテルボから緩やかに広がる平野を行き、
段差のある丘の上に教会が見えて来た所。



地図をどうぞ。 ヴィテルボ・Viterboから西に約30k、半時間程でしょうか。

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ローマ、そしてエトルスク文化で名高いタルクイニア・Tarquinia、
天空の町チヴィタのあるバーニョレージョ・Bagnoregio
オルヴィエート、スポレートの位置関係もどうぞ。

トゥスカーニア周辺に最初に人類が住み着いたのは、紀元前2500~3000年頃
と言う事で、エトルリア人の定植地となり、紀元前3世紀頃にローマの下に。

クラウディア街道が通り通商業の、また西のティレニア海岸から東のボルセーナ湖
への家畜の季節移住の交差点として、ローマ帝国以降の一時の衰退は
経験した物の、中世には自由都市となり大いに栄えた様子。

町にはエトルスクの博物館もあり、周辺にはネクロポリスなどもあちこちに
見る事が出来る様ですが、行っておりません。
が、タルクイニアで見た素晴らしい、というより凄い様子をまたご案内致しますね。



教会はこんな風に道の曲がり角に背を向け位置し、真ん中に飛び出している
部分が後陣部分。 多分最初はこの高さでの教会建設だったろうと。
       
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教会の前すぐに鐘楼があり、おまけに狭い所に皆が入りこみ足元が見えず、
全体の写真が無く、こちらはサイトから拝借。

真ん中に大きな薔薇窓、小円柱で区切られた小アーチのロッジャ、
その下に大理石の正面扉と周囲の飾り、

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両脇に脇の扉が其々に、向かって右が大きく左は小さい、があり、
全体にこの一帯の特徴である凝灰石が用いられ、茶色に白の大理石がアクセント。
       


正面真ん中部分をどうぞ。
上部に大きな薔薇窓、周囲に4福音者のシンボル、その下部が少し張り出して
あれこれ顔のついた庇があり、
その下、9本の小円柱で仕切られた小アーチ、中央入り口、という様子。

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薔薇窓と小アーチ部分。 そして薔薇窓のアップ。

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全体が茶色と白のツートンですが、薔薇窓とアーチには壁の茶色よりも
濃い色の石が使われ、はっきりくっきり、モダンなイメージさえします。

ご案内では中世特有の怪物彫像や、素朴な表現をたくさんご覧頂きますが、
土地の味わいがあると言われる一帯のロマネスク様式をどうぞお楽しみ下さいね。
       
このサンタ・マリーア・マッジョーレ教会が最初に言及されるのは9世紀、
法皇レオーネ4世の勅書によるそうですが、
建設されたのは11世紀の末、12世紀の半ばと2度に渡り、
建設年代も歴史家により多少の違いがありますが、ほぼこの年代。

最初はまず身廊と翼廊、離れて鐘楼が建設され、次に翼廊に接続する形で
3廊式となり、それが全て長く増設され、鐘楼との間が狭くなる結果に。

建設時期が分断された事による様式の混合となり、度重なる地震被害の
修復からも複数様式になった物と。 教会の聖別式は1206年10月6日。

現在のトゥスカーニアの町は、このサンタ・マリーア・マッジョーレ教会よりも
もっと小高い北に移り、城壁が町を囲む形になっているのですが、
建設された当時は、この一帯が町の中心だったと。
       
       
   
薔薇窓の周囲4か所に配置された4福音者を現わす
左側の有翼のライオン、聖マルコ像があり、

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上には鷲の姿の聖ジョヴァンニがいて、右側はこの、天使の姿の聖マッテオ。

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下には雄牛の姿の聖ルーカがいるのが、庇が少し飛び出しており、
後ろに下がれず見えません。

この鐘楼との間の狭さも、後の時代の増築による結果だろうと言うのですが、
教会のこの場所は丘の中腹という感じなので、土地確保の問題もあったのかも。



これは薔薇窓の下の、少し飛び出した庇の下、
・・庇部分を支える形の、さまざまな顔も3つ程見えますが、

白い短い9本の円柱と10の小アーチで装飾されたロッジャ部分で、
両脇にいるグリフォン・鷲の頭と翼、ライオンまたは蛇の胴を持つ伝説の怪獣が、
左側は牛を抑え込み、

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右側は人間の男を襲っている姿。

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正面中央の素晴らしい5層の入り口。 両脇外にライオンが支える太い円柱と、
中央に聖母子のいる半円の周囲の装飾を4本づつの円柱が支え、
扉の両脇には聖人。

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以下に追々とアップで見て頂きますね。

扉上の半円、素朴な聖母子のいる半円部分。
右に神の子羊、左側はイザクの犠牲と、ロバに跨る邪神の姿。

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本来だと聖母子像というのは中央にある筈ですよね。それが少しずれている事、
上の部分には濃い茶の石が1ブロックあり、 こういうのは多分2つの建設時代に
渡るのと、地震被害後の修復状況も示すのだろうとの事。

で、この稚拙とも言える聖母子がとても気に入りました。
素朴で稚拙な顔立ちも良いですが、衣類の流れる線の表現がゆったりと優雅。



これは入り口右の一番外の螺旋状の溝が刻まれた円柱上の、アルピア・
arpiaという女の顔と、欠けてますが、鳥の体を持つ飢えた怪物が
人間を襲っている様子と言い、

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左にはライオンがやはり人間を抑え込んでいるのが、欠けている部分が多く、
良く見えないので省略を。
      


扉脇の2聖人、左には聖パオロで、各円柱上にも旧約聖書のお話が
刻まれている様子ですが、

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こちらは右の聖ピエトロ。

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気が付かれましたか? どちらの聖人も顔の部分が後世の物で、
どちらも顔を盗まれ、追加したのだろうと・・!

この聖人像も上の聖母像に似たゆったりの衣類の表現で、肩と前幅に
単純な小穴で付けた柄が意外に効果を上げていますが、

こういうのを見るのが大好きで、中世の職人が「こんなんでどう?」と
ポチポチと穴を打ったのではないかと、想像して楽しみます、ははは。



右側の、脇入り口上部の様子。 大きさは大体中央入り口と同じで、
左側の脇入り口よりは大きく、半円を描く装飾も手が込み美しいのですが、
中の半円部の像は少し雰囲気が違い、稚拙なイメージで。

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鐘楼。 写真左側の陰になっている面が、教会に向かい合う部分で、
上部は地震で落ちたか、切り取られた様子ですね。

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こちら側が、教会正面から見る鐘楼の壁。

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では教会内部にどうぞ! 我々が行った時は修復の足場がいっぱいに組まれ、
見通しの効く写真がありませんので、こちらもサイトから拝借。

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最初の教会背後の写真2枚目で見て頂いた、後陣部分のアーチの高さ、
お分かりですね。 高くなった天井部は小屋式・capanna と呼ばれる物で、
内陣上部、後陣、そして身廊のアーチにも、円柱にもフレスコ画が描かれた
素晴らしい物!



こちらが正面中央部、

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そして14世紀のフレスコ画上部、キリストを挟み12使徒が並び、
その下左側には聖人や寄進者の姿、そして「最後の審判図」。

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後陣のアーチ左側には、とてもユーモラスに見える、
棺の蓋を開け、土の中からも出てくる、ははは、死者たちが描かれ、

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右側は大きな画面で、地獄の様子がしっかりと!

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この写真もshinkaiのより良く見えるサイトのを拝借で、
中世の善人達はこんな画面を毎度眺めさせられ、怖かったでしょうねぇ!!

保存状態がかなり良いこのフレスコ画はグレゴーリオとドナート・ダレッツォ・
Gregorio e Donato D'Arezzoの作と名が残っておりますが、
画家の記録は殆ど見つからず、1315年とサインしたのがブラッチャーノの教会に、
彼らの出身地であろうアレッツォにも作品があるそう。
       


こちらは数段高くなった内陣部にある祭壇。 天蓋風に設えられ、天蓋内部にも
フレスコ画が施されていますが、内側はまさに当時の色のまま、と思える鮮やかさ。 

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後陣の奥に玉座が見えますが、



こんな石作りの物。

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ヴェネツィアはトルチェッロ島にあるサンタ・マリーア・アッスンタ聖堂、
素晴らしい黄金モザイクのある聖堂ですが、ここにも同じ様な位置、
形の玉座がありましたっけ。



こちらは身廊と左側廊との間にある、見事な彫りの施された説教壇。

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身廊側に突出している角にはこんな彫像も見え、
この柄はロンゴバルド様式と思いますが、着色されていますね。

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説教壇に上る素朴な石段。
転げ落ちたりしないのか、と心配と共に嬉しくなりますが、ははは。

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身廊と側廊の間の円柱は片側4本づつで、柱頭には其々装飾が施され、

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柱頭装飾は如何にも中世風で、大好きな物。

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サンタンティモ修道院 ・ Abbazia di Sant'Antimo
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461363897.html

サンタンティモ修道院再訪 ・ Abbazia di Sant'Antimo n.1 
http://www.italiashiho.site/archives/20170414-1.html

サンタンティモ修道院再訪 ・ Abbazia di Sant'Antimo n.2
http://www.italiashiho.site/archives/20170415-1.html



円柱にもそれぞれにフレスコ画が施され、往時の素晴らしさ、美しさを想像させ、

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こちらは左側廊の一番奥の様子で、この部分の奥行きのアーチは、壁の厚みを
利用してくり抜いた形だそうで、見えるフレスコ画は後代の物。

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ここにも祭壇が見えますね。この祭壇の下部に隙間があり、塞がれた様子も
撮っていますが、この地下には殉教者たちが埋葬されていたのだそう。
右手前に、説教壇への螺旋階段が見えます。



こちらは右の側廊半ばにある洗礼用の泉で、丘の上のサン・ピエトロ聖堂が
ドゥオーモであっても、洗礼はここで行われたのだそう。
で現在のトゥスカーニアのドゥオーモは、町中にあるサン・ジャコモ聖堂。

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さて、こちらが丘の上に見えるサン・ピエトロ聖堂。 かっての要塞を
兼ねた塔も3本残り、こちらは次回にご案内を。

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町の地図で位置をどうぞ。 現在の町は北側の高所に、こんな風に城壁に囲まれ、
城壁外にある右2つの下に見えるのが、今日のサンタ・マリーア・マッジョーレ教会、
それよりももっと外れた上に見えるのが、サン・ピエトロ聖堂。

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かっての低い位置から町が北の高所に移ったのは、やはり中世の町の防御から、
と思われますが、となると、この大きな素晴らしい大聖堂も栄華を誇ったのは
比較的短い期間と言う事になりますね。
サン・ピエトロ聖堂のご案内前に、もうちょっとあれこれ読まないといけません。




最後にご覧頂くのは、現在の町の南端にある展望台状広場からの眺めで、
上の地図と重ねてどうぞ。
一番奥に見えるのがサン・ピエトロ聖堂、
その斜め右下に今日ご案内したサンタ・マリーア・マッジョーレ教会、

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サン・ピエトロ聖堂と同じ高さの延長に見えるのが、リヴェッリーノ城の廃墟で、
町の城壁がここから始まるのが見えます。


トゥスカーニアの町を訪問した時は、まさに春たけなわの良いお天気で、
長閑な平野が広がり、まだ中世のままのような感じがしたのを良く覚えています。
皆さん、最後までお付き合い頂き有難うございました!

ロマネスク教会をお好きな方はたくさんおいででしょうし、エトルスクに興味を
お持ちでトゥスカーニアに行かれた方も、町に関心をお持ちの方も多いと思うのですが、
紹介されておられる方が多くなく、イメージを掴んで頂こうと思うと、
つい写真も多く説明も長くなりましたが、退屈せずに見て頂けた様に願います。
       
次回はまたちょっと息抜きを兼ね、美味しい物でも。
その後、サン・ピエトロ聖堂に参りますね。
ここは映画撮影でも有名な聖堂ですので、お楽しみに!
     
 
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・ n.2 トリエステ ・ 突堤アウダーチェ、ウニタ広場、サバ書店

暑い日が続きますが、皆さまにもお変わりありませんか?
夏も終わりに近づき、お仕事再開の方も多い事でしょう。

こちらイタリアは最後の熱波襲来とかで、あと1週間酷暑が続く様ですが、
お陰さまで我がスコミーゴ村は、薄暗いゴキブリ生活でしのげる程ですので
文句は言えません。
そんなこんなで、本格的にエンジンがかかるにはまだ馬力不足で、今回もう一度
緩やか発進で、と言うと、いつも緩やかだろうが、という声が聞こえそうですが、
ははは、聞こえないよぉ~だ、

もう一度トリエステの爽やかな陽射しを。 そして思いがけない発見もあり、追々と。
街の地図は先回載せておりますので、そちらをどうぞ。
という事で、今日は三題話で写真が多くなりましたが、ごゆっくり!

写真は、鉄道駅から港への道を行く途中、港の反対側、街に入り込む大運河。
奥に見えるのは、サンタントーニオ・タウマトゥルゴ教会・S.Antonio Taumaturgo.

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教会前広場に、トリエステに住んだジェームス・ジョイスの像がある様ですが、
まだ見ておりません。



すぐ右手にトリエステ湾の眺めが広がり、かっての大きな頑丈そうな船舫いが
並びますが、現在はヨットが何隻か。

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海の眺めにはつきもののカモメたちも勿論!

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そして見えてくる突堤アウダ―チェ・Molo Audace. 

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岸からの眺め。

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突堤アウダーチェ。 アウダーチェという言葉は、大胆な、勇敢な、という意味なので、
単純に、戦争中の何か逸話を意味するのだろうと考えていましたが、
船、それも駆逐艦の名に由来する事を知りました。

元々のこの突堤の名はサン・カルロ・San Carloで、1740年に岸に近い位置で、
この名の船が沈没したのだそうで、残骸を新しい突堤の基礎として、建設。
ただし当初の突堤は95mと短く、岸とは木製の小さな橋で連絡していたのが、
その後1778年、1860年と長くされ、現在の長さ246mとなり、岸とも接続。

当時のこの突堤は乗客用、商船共に大いに使用され、大賑わいだった様子の
スケッチが残っておりますが、現在はご覧の通り、市民の散策、観光客、
そして不定期の観光船発着となり、
大型貨物、大型クルーズ船、フェリーなどは他の突堤に。



突堤にもあるトリエステの街灯の電球デザインは、こんな風に漁網をかぶせた様な
感じで、ガラスに鉄線が入っているのかも、街のレトロな雰囲気に良く似合い、

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突堤から、ウニタ広場・イタリア統一広場の方を。

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爽やかな風の吹きぬける突堤の上を、嬉しく走り回るワン君、

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皆思い思いのスタイルで、遥かに海を眺め・・、

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ガイドブックかな、を広げる観光客、釣り糸を垂らす地元の人もいて・・。

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こちらは文字が見やすいように写真の向きを変えましたが、2枚上の写真で
若者たちが寄りかかっている盤で、
風向きを示すローザ・デイ・ヴェンティ・Rosa dei venti と呼ばれる物。

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北西風がマエストロ・Maestro  北東風・グレーコ・Greco
アフリカからの東南風・シロッコ・Scirocco  ここでは見えませんが、
南西風が・リべッチョ・Libeccio
そして、グレーコの下に見えるのがトリエステ名物のボーラ・Bora.
とりわけ冬に北東から吹き下ろす台風並みの冷たい強風。

で、この青銅盤に刻まれている文字ですが、
  APPRODÒ
  A QUESTO MOLO
  LA R.NAVE
  AUDACE
  PRIMA
  COL VESSILLO D'ITALIA
  III NOVEMBRE
  MCMXVIII
この突堤に、イタリア海軍アウダ―チェ号が
最初にイタリアの軍旗を掲げて接岸した
1918年11月3日

つまり当時北イタリアはオーストリア治世下にあったのが、第一次大戦終戦直後、
この戦争はイタリアにとってはオーストリアからの独立戦争でもあったのですが、
終戦直後にこの港に、イタリア海軍として初めてアウダ―チェ号が着岸した、
という記念碑なのですね。
で、この出来事を記念して、1922年に名前も「突堤アウダ―チェ」となったのだそう。

私は気がつかなかったのですが、横にご丁寧に、
この碑は、敵の青銅を鋳造して作った、と説明があるそう!

そうなのでした、単なる戦争の勇者を讃えての「勇者の突堤」という名では
ないのを知ったという訳ですが、実はもひとつ驚きの発見を!



こちらが駆逐艦アウダ―チェ号で、日本語版ウィキにも説明がありまして、

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なんと本来は、大日本帝国海軍が駆逐艦江風(かわかぜ)として、イギリスに
発注したものなのだそう! 当時としては新型機関のディーゼルエンジンを
搭載する予定が、第一次大戦の影響でドイツからの減速装置が入手出来なくなり
タービン・エンジンのみの搭載となり、日本海軍は欲しがらず、
1916年進水直前にイタリアに譲渡されたのだと。

ここではshinkaiが付いて行ける範囲のご説明で、
詳しくお知りになりたい方はウィキぺディアにどうぞ!
トリエステの突堤の名から、遥々「大日本帝国海軍」に行きついた時は、
驚いて笑いました。 なんと世界は狭い事!



こちらは、現代の大クルーズ船。 この角度だと、道の上にぐっと舳先が
飛び出してる様に見えますが、いえぇ、舳先はきっちり海の上にありましたです。

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ウニタ広場、正式にはイタリア統一広場・Piazza Unita d'Italia.
広い広い、海に向かって開けた広場で、正面は市役所。

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イタリア統一広場という名は、第2次大戦後敗戦国となったイタリアで、
トリエステ一帯は国連の統治下に置かれ、2分割もされていたのが、
漸くに1954年にイタリアに返還された事を記念しての広場。

ローマ期以前よりの古い歴史を持つ土地ですが、国境の町にありがちな何度も
統治者が変わる複雑な土地で、東欧側に残ったままの以前のイタリア領もあります。

トリエステの夏の写真は、紫外線が強い為か、
この広い広場を写すと、気をつけていても暗く写り、と言い訳。



正面市役所の塔の部分のアップで、
 
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写真を見ていて、鐘付き男が2人いるのに初めて気が付きましたが!
実はこの後高台にあるお城に行った時に、オリジナルの大きな像があり、
きちんと衣類をつけたこの鐘付き男はどこの?と、
・・ヴェネツィアの鐘付き男は、短い毛皮だけですものね、
一瞬湧いたままだった疑問が、ここで解決したのでした。
はい、shinkaiも歩けば棒に当たる、ですねぇ、ははは。



トリエステの大きな建物類はバロック様式が多いのですが、こんなアール・デコ調の
柄モザイクも施されたりで、こちらは広場の北側を占める県庁の壁。

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向かいにあるこれも大きな建物、上部には・・、

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こんな群像があり、ロイド・トリエスティーノと読めますが、それ以前は
オーストリア船舶会社だったそうで、現在は州庁が置かれていると。

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広場の中途から脇道に入り、曲がってボルサ広場・Piazza della Borsa
に出る途中の眺め。
正面の建物の壁、窓、色が、なんともレトロで良いでしょう?

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この辺り一帯、車の出入り禁止ですので、こんな素敵なカフェが道に次々と。

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こちらがボルサ広場・かっての証券取引所・ボルサがあった事の名の由来ですが、
こちらは広場の東側で、ここも広々と、人々がのんびりと歩ける広場。
左奥にネプチューンの泉が見えますが、

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その奥に立つ円柱上のこの人物は、神聖ローマ帝国王にして、ボヘミア、
ハンガリー王でもあるレオポルド1世(1658~1705在位)だそうで、

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なぜにこににお出でかと言いますと、跡を継いだ息子ヨーゼフ1世がトリエステを
自由港にし、これがこの街の繁栄の元となったのだそうで、はい。

そうそう、このレオポルド1世の最初の妃が、ベラスケスの描いた有名な皇女
マルゲリーテ・テレジアで、彼女は母方の従妹でもあり、姪でもあるのだそうで!
夫婦仲も良かったのが、お気の毒に22歳の若さで没。



広場の西側部分、ネプチューンの泉が見え、写真左にちらと見える円柱の建物が
かっての証券取引所・ボルサで、

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現在は商工会議所となっており、こちらは上部の飾り。

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広場の北西角、ここにもBORSAと入った建物が見えますが、この優雅で
豪壮な建物も素敵ですねぇ。

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広場は歩行者のみなので、あちこちにお喋りの輪が固まり、カフェのテラス席もあり、
皆のんびり気分ですが、中に彼のみ、ご主人のお喋りに断固背を向け、
半ば無念無想で広場の彼方を見つめ・・!

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さて漸くに三題の内二つが済みまして、
我ながら、少し詰め過ぎかと反省しつつ書いておりますが・・、
まぁ、もうちょっとのご辛抱でございます、皆さま、ははは。

ボルサ広場から北に通りを一つ抜けた、サン・ニコロ通りの30番、
南北に横切るダンテ通りに近く、古書店ウンベルト・サバがあります。

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小さい扉を開けた正面に見えるのが、このサバの写真。
ウンベルト・サバについては須賀敦子さんが書かれ、サバの詩も訳しておられるので、
そちらでご覧頂くとして、ここでは割愛しますね。

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上の写真の右下部分、本棚の前にはあれこれサバを描いた絵があり、

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間口の狭い店ですが、天井は高く、奥にも高い本棚が並び、

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こちらは左手の書棚。

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現店主のマリオ・チェルネ氏・ Mario Cerne.

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2か月前にも一度店にお邪魔しましたが、その時も今回も、こちらが日本人と見ると
さっと奥の本棚からこの書店の載った各雑誌、そして須賀さんの「トリエステの坂道」を
取り出して来て見せてくれます。
須賀さんの本に書かれているご自分の名前のマリオ氏の部分に、鉛筆でくるっと
丸が書かれ、それを指さしながら、ちょっと自惚れで、と自己紹介されるのですが、
店には次々と見物客が入れ替わり立ち替わり。
       
そつなく応対しながら、あれこれとお喋りをし、訊ねられた事に応えていく、
須賀さんが描かれた彼の様子、「観光コースの一環のような応対ぶり」、
まさにその通りで、これで一体店が成り立つのか、と他人事ながら気になる程。
観光客はマリオ氏を見て喋り、店の写真を撮り、彼を撮り、
そして何も買わずに出て行く。
私にはその辺りが見ていて少し腹立たしく、せめてにもと、



先回行った時に買ったのが、この、サバと書店について書かれた本。

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全部は読めておりませんが、今回このブログ書きで拾い読みし、
サバの書店にその人生を捧げたカルロ・チェルネ氏・Carlo Cerne、
サバが「カルレット」と親しく呼んだマリオ氏の父親の事も少し知りました。

サバが鬱状態に落ち込んだり、ユダヤ人排斥運動のあおりを受け、パリやローマ、
フィレンツェ、ミラノで逃亡生活を送る間、書店主となり店を、サバを支え続けた
カルロ氏は、サバが亡くなった後書店の所有者に。
日本のどなたかが、書店についてか、サバについてかな、本を出される準備中と
お聞きしましたが、

無料の観光地の様に出入りする方用にも、店に日本語で書かれた物を
是非置いて欲しい、と余計な事も考えました。
そしてたとえイタリア語は読めずとも、日本の方には、薄い小冊子でも良いので、
店を訪れた記念の想い出としてでも、何か買って欲しいもの、
というのが、部外者shinkaiの思いです。



サン・ニコロ通りのすぐの突き当たり、交差するダンテ通りに、このサバ像が。

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足元の碑には、「岩だらけの山と煌めく海に挟まれた美しい街を持っていた」
1944年、亡命中の望郷の想い。

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ダンテ通りの突き当たりには、詩の通りに山が立ちはだかり、
夏はどこまでも明るく爽やかなトリエステの街。

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須賀さんが訪れ描かれたトリエステには、いや、トリエステのみではなく
ヴェネツィアにもミラノにもですが、今のイタリアとは少し違う空気が漂い、
実際の姿よりも、心に沁み込む美しさで迫ります。
それは文学の、そして須賀さんの大きな魔法かも!

最後に、サバの詩「トリエステ」の一節を須賀さんの訳でどうぞ。
   トリエステには 乱暴な
   優しさがある   たとえば
   硬い実のようで  欲ふかい無骨な少年に
   似ている   眼が碧くて
   花束を捧げるには  大きすぎる
   手をした-------
   嫉妬まじりの
   愛にも似ている       
    
  
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・ n.1 トリエステ ・ 陽光さんさん、 そして旨いお昼を

皆さま、お久し振りです! オリンピックもお盆も済み、
私めのお休みも済み、元気はつらつ、という事にして置きましょうねぇ、ははは、
ブログを再開させて頂きます。 またよろしくお願いいたします!

まずは、このお盆休みを利用してやってきた広島の若い友人と出かけた
トリエステ、イタリア最北東部に位置する国境の街、光溢れ解放感溢れる
この街を、のんびり、そしてしっかり歩きまわった様子をご覧頂きたいと思います。

今回は休み明けでもありますし、街と港の雰囲気、そして美味しいお昼を
頂いた店のご案内をまずどうぞ!

トップはトリエステに向かう電車の窓から海が見えてきた辺り。
潮目が見え、手前ではムール貝養殖の杭も見え、

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もっとトリエステに近づくと、こんな風に湾の外に停泊する大型タンカーが見え始め、
見えにくいですが、奥に広がるのがトリエステの街。
そうなのです、トリエステに行く時はいつも海が見え始めると、
気持ちが、期待が高まります。

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駅構内。 これは駅の案内所の中から撮った物。

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トリエステの駅構内は、この部分はともかく、だだっ広かった内部が改装され、
ホームからここに至る部分がたくさんの店に分割され、スーパーもバールも
開店していますが、まだ空いたままの店もたくさん。

インフォには我らの前に2人先客がいたのですが、なんとまぁ、列車の時間比較、
割引比較に粘りに粘り、2人が済んで街の地図を貰うまでに優に30分!

トリエステご訪問をお考えの皆さま、駅構内のインフォメーションは、
トゥレーニターリア・Trenitaliaの案内が主業務で、街の情報は不案内なので、
地図以外の他の情報は、街の中心にあるウニタ・ディターリア広場・
Piazza dell'Unita d'Italiaのインフォでどうぞ!!



駅を出た所にある観光案内板。
はい、全て矢印が東、あっち、あっちに行け、と出ておりまして、

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駅のインフォで貰った地図でご案内を。
1. 駅  駅前にはリベルタ広場・Piazza Liberta

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2. モーロ・アウダ―チャ・突堤アウダ―チャ
3. ウニタ・ディターリア広場
6. カフェ・トマゼーオ・Caffè Tommaseo
7. ウンベルト・サバの書店・Libreria Antiquaria Umberto Saba
4. サン・ジュスト聖堂・Cattedrale di S.Giusto
5. サン・ジュストの城・Castello di S.Giusto

トリエステの見所としては他に、駅近くのオーベルダン広場・Piazza Oberdan
からケーブル電車で街を一望に見下ろせるオピチ―ナ・Opiciinaへ、
ここには巨大な洞窟・Grotta Giganteがあり、
駅から西に行くとミラマーレの城・Castello di Miramare、

駅前、オーベルダン広場、ゴルドーニ広場・Piazza Gordoni等を通る
バス10番が、リジエーラ・ディ・サン・サッバ・Lisiera di San Sabba、
イタリアに唯一在ったナチの絶滅収容所に、

バス20番が、トリエステ湾の向かい側小さな漁港、海水浴場のある
ムッジャ・Muggiaに行きます。

ムッジャには、魚を食べるには本当に美味しくて安い組合経営のレストラン、
小さな安いホテルも幾つもありますし、バスで30分程。
港の水族館脇から出る水中翼船だと15分ほどですので、お時間のある方、
ゆっくり泊まり美味しい魚を、の方にお勧めです。
フランスはブルゴーニュにお住まいのotiumさんがムッジャの美味しい
レストランを紹介して下さり、shinkaiも行き、旨さ保証!
小さな港の、突き出した突堤にあります。       

トリエステ ・ ミラマーレ Miramare
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460993347.html

ムッジャ ・Muggia ・ トリエステ湾の、小さな港町
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/469254561.html

イタリア唯一の絶滅収容所 ・ リジエーラ・ディ・サン・サッバ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461762321.html

トリエステとその周辺のご案内
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460834526.html



重厚な駅の眺め。

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駅前のリベルタ広場にあるオーストリア最後の皇帝妃、愛称シシー、
素晴らしい美貌でフランツ・ヨーゼフ皇帝をイチコロにしたエリザべッタの像。

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ここは広場というよりも公園の感じで大きな木が茂っているのですが、
こんな風にカモメが何羽も鳩に混じって餌の確保を。

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こうして駅を後にし、右手の道を辿ると、

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じきに港、海が見えてきます! 素晴らしく陽が煌めく朝で、爽やかな風、

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傍らの海を覗きこむと、こんな小魚がいっぱい!

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朝食を家で軽く済ませ出かけ、到着後にもう一度朝食をしたにもかかわらず、
こういうのを見ると、網でざっとすくって、ジュッと空揚げにしたら・・!
と言いあう我ら!! ははは。



突堤アウダ―チャで港の空気を吸い爽やかな風に吹かれ、開放感を味わいつ、

ここはサン・ニコロ通り・Via San Nicolò.  横切る通りは車が通るのですが、
この道は歩行者専用で幾つもカフェが道に張り出し、素敵な通りなのですね。

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この写真の右側に、地図7番のウンベルト・サバの書店があり、
2か月前にもお客様と一度来たのですが、今回の友人も須賀敦子さんのファンで
やって来た次第で、書店の様子はまたご案内いたしますね。



通りで、どこでお昼をしようかと話していると老ご夫婦から英語が話せるかと
話しかけられ、向こうが何か聞きたいのかと思いましたら、
逆にどこに行きたいのか、とご親切に。

シニョーラの方は20年ほどクルーズ船に勤務していたそうで、地中海内は
あちこち行ったけど、日本には行ったことが無い、いつか行けると良いなぁ、と。
良いですねぇ! 
トリエステはイタリアで一番年金生活者層が多いのですが、
それでもこの気分の若さ、明るさ! お手本ですねぇ。

魚が食べたい、と言いましたら、ではこの道を真っ直ぐ海に向かい、サン・ニコロ教会の
横のカフェ・トマゼーオに行きなさい。 カフェという名でもちゃんと食事ができ、美味しく、
外でも食べられるし、リストも値段がちゃんと出ているから、と教えて貰い、

では、と感謝の握手をして別れ、やって来たのがこの店、年季の入ったメニュー。

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実は駅前に夏のシーズン用か、テントの案内所が出ていて、そこで再度地図を
貰いつつ、有名なカフェ・サン・マルコの位置を訊ねましたら、今は夏で閉っている、
と、カフェ・トマゼーオはここ、と印をつけてくれたのですね。
という事で、名前が重なリ、ここにしようと決めたのでした。



外のテラスはこんな感じで、写真では他のお客が見えませんが、徐々に詰まり。

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サン・ニコロ通りと駅から来る海岸大通りの角に接し、西横にサン・ニコロ教会。

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まずは生ビールが来て、・・ああ、美味しいねぇ!!

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左に見える容器にパンが入っており、フィノッキオ・ウイキョウの種入りパンもあり、
プンと香りのする、ビールにぴったりのパンでしたぁ。

生ビールはビッラ・アッラ・スピーナ・Birra alla spinaと言い 大概の店にあり、
ビオンダ・ブロンドか、モ―ラ・黒髪か、と聞かれます。

ビッラ・ビールが女性名詞なので、ブロンド女か黒髪女かという事になり、
好みの女性を聞かれているのではありませんので、
男性方、慌てしゃんすなよ、ははは。
お味は、ブロンドが軽め、モ―ラは濃い目です、色の通りね。



さて、まずは海の幸のアンティパスト。 右下手前が、蛸のマリネ、メルルーサの
ヴィチェンツァ風パテにカリッと焼いた薄いパン、海老のマリネ、鰯のサオール・
イワシの唐揚げと玉ねぎ炒めのマリネ。

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半分づつ取り分け、自分のお皿に盛り、ルーコラと一緒に頂きます、旨かった!
      
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お次は、shinkaiが魚のスープ、

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友人は貝類と海老のスパゲッティ・スパゲッティ・アッロ・スコーリオ・Spagetti
allo scoglio.

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ボンゴレ・アサリだけのスパゲッティも美味しいですが、こちらはムール貝も海老も
入る豪華版で、お値段も少し張りますが、美味しさは各段で、まだの方は
次回のチャンスには是非どうぞ!



食べている間に、横を小さなブーケを持った白いドレスの女性と数人が行き、
あ、結婚式だ、と思っていたのが、
我々が食べ終わった頃、無事市役所での式が終わったか、再び通り、アッ、と
思ってカメラを手にしたものの、あああ、美しいブロンドの花嫁の横顔が隠れ・・、

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こんな友人同士の挨拶のキス場面がね。
男性はイマイチですが、ははは、失礼、女性が美しいので、良しとしてやって下さぁい。

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で、最後をカフェで〆まして、トリエステに本社のあるイッリ・illyの
カフェ・マッキアートと横に生クリームが付いて来ました。

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ウィンナ・コーヒーの面影がこんな所に顔を出し、さすがオーストリア治下にあった
土地柄ですねぇ、奥に小さく丸く見えるのは、チョコレット・クッキー。
ええと、これで全部で56エウロ足らずだったと。



こちらが店の正面で、奥に見えるのがサン・ニコロ教会、
海岸通りですから、すぐ分かります。

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店内も素晴らしく、写真を撮りませんでしたので、サイトの方でどうぞ。
メニューもあります。 https://www.caffetommaseo.it/


この後港を一望に出来る高台のお城とサン・ジュスト教会に行き見物、
駅とを結ぶバスに乗って戻り、

駅の掲示板に、国境駅に相応しく、というにはまだ夕方なので1便だけですが、
ドュッセルドルフ行きの文字が見えたので、

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時間が少し早いのですが、コネリアーノまで2時間少々掛かり、この夕には再度
我が友人達との会食があり、早めに戻ったという訳でした。

トリエステのお城や聖堂、サバ書店については、ご案内をお楽しみに!


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・ 「おお! 信州人」 ・ 信州からTV取材班来伊 ・ 放送時間決定

最初にご覧頂きますのは、信州は長野善光寺名物の、
懐かしい八幡屋蟻五郎の七味唐辛子!
つい先日お土産に頂いたのですが、
蓋の上に記された「おお!信州人」という文字にご注目頂けました?!

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長野県人、また長野県にお住まいの方はご存知かと思いますが、
長野朝日放送の月一番組「おお!信州人」

長野県でご活躍の方々、または海外で頑張っておられる信州人を取り上げて
紹介されている番組で、始まって2年半ほどになるのだそうです。
で今回、その番組の10月編に出して頂く事になりました。

番組の中でご一緒させて頂くのは、やはり信州出身の方々で、
そのうちのお1人は有名なテノール歌手の佐野成宏さん!
世界的にご活躍の佐野さんと、同じ番組に出して頂けるなんて大変な光栄ですが、
他の方については、番組を見てのお楽しみ、という事で。
       
で、つい先日遥々長野から、この1番暑い時期のイタリアに
取材班が3人お出でになり、私も3日半程ご一緒に動きました。

写真をブログに出してよろしい、実名でどうぞ、という事で、
今日は我がカメラで撮りました取材班3名の姿と、いつもの仲間が
集まってくれての食事会の様子を、番組に先駆けてご覧下さいね。


という事で、暑い暑い夏の日、コネリアーノのお城脇のレストランで
仲間との会食がありまして、
その後上り口の石段上で「おお!信州人」のフラッグを持った我が友人達。

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余りにも収集のつかない賑やかさに、アナウンサーの青池玲奈さんも
さすがにあきれ顔ですねぇ!ははは。
1番左にいるのがルチーア・Luciaで、この秋の個展会場の責任者。



まぁ、上の写真でもお分かりかと思いますが、本当に暑い日で、
テラスに設えられた食事の席で皆汗だく!

そして私が想像していた通りに、ははは、
皆の元気の良さ、初対面でも物おじせずに喋りまくる賑やかさに、
日本からの取材班は驚いて(あえて、呆れてとは書きませんが、ははは)
おられましたです、はい。

では、ついでに我が友人達をご紹介致しますね。
今1番の親友の1人でもあり、色々教えてくれるジュリアーナ・Giuliana.

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彼女が買った「吾輩は猫である」のイタリア語版を横取りし、
「天正院様のご祐筆の・・」をどう訳しているのかを見ましたが、
あの日本語での可笑しさは無かった、ですねぇ!



も1人の親友、彼女は本当にエレガントで心遣いの優しいルイーザ・Luisa.
はい、パリの写真やイルデ叔母さん・Zia Ildeを描いた文章を
提供してくれているのが彼女です。

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彼女は今「雪国」を読みつつあり、もうじき終わるそう。
やはりね、あの主人公2人の関係がイマイチぴんとこない感じです。



いつもいつも写真写りの良い事でも、皆が羨む美人のエレオノーラ・Eleonora.
彼女も読書家で、本当にあれこれよく知っていて驚きます!!

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こちらもジュリアーナ・Giuliana. 間違えない様に姓のミラン・Milanを付けますが、
ポルトガルに行った時は一行の中に4人もジュリアーナがいたのですよ!

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彼女は仲間を食事に招いてくれるのが大好きで、
少し涼しくなったらポレンタを作って呼んでくれる約束。



ルイーザとルチーアの従妹でもあるマーラ・Mara.
1度ブログでご覧頂いた、子猫をゴミ捨て箱から救ったシェパード犬、オルソ・Orso
のマンマでもあります。 彼女もとてもエレガントで優しい!

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オーストリア女性のヘルガ・Helga。 ドイツ語、英語、イタリア語を話し、
今英語版で「芸者の想い出」を読んでいるそう。

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Hをイタリア語では発音しませんので、友人達は皆エルガと呼びますが、
ジュリアーナは私がヘルガと発音するのに気が付き、Hを発音するように努力中。
で、良き友人のshinkai は「ヘルガのへは、日本語では屁なんだぜ」
と教えまして・・。ぎゃはは。

それにしても、日本人の友人がいる、という事で、彼女達も日本に対して
興味関心を持ち、あれこれ読もうとしてくれるのは有難い事です。



イタリア熟年女性連の熱気に当てられ、ジュリアーナからわざと
「モリタァ、チンチン」と乾杯され、
誰だぁ、チンチンの日本語の意味を教えたのはぁ?! がははぁ、
笑うしかない、カメラマンの森田さん。

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お天気が良すぎて、私の位置からは逆光となりよく撮れなかった2人、
左からタータ、青池さん、ジャンナ、ルイーザ。

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タータ・Tataはデザイナーをしていたので、独特のセンスを持ち、
ジャンナ・Giannaはとても優しく、ちょいちょい家の食事に誘ってくれます。
     

本当に賑やかな食事会となりましたが、食事内容はまた別にアップしますね。
1人住まいの私ですが、こんな友人達がいてくれる事に本当に感謝!!

この仲間の内の半分はやはり1人住まいで、時に誘い合ってピッツァを
食べに出かけたり、映画を見たり、バールでお喋りしたり、時に旅行も一緒にと、
とにかく明るく元気!
私など彼らの歩き会のペースには到底ついて行けない体力も!
また番組本番の中で、その賑やかさがお分かり頂けるかと、ははは。



この食事会のあった前日、ドロミーティーのシロール・Siror、何度かブログでも
ご紹介している息子の山の家があるシロールに取材班の3人と出かけました。

行く途中に白ワインの素晴らしい道があります、という事で、プロセッコの本場、
グイアからサント・ステーファノ辺りの道を行き、段々畑の素晴らしさに
車を道脇に止め、

グイアの村、育ちつつある葡萄の実、段々畑、

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トラクターが通りかかり、青池さんが見ていると、トラクターの中年男がにっこりと。
それを脇から見ていたディレクターの塚田さん、「イタリア男は愛想がいいねぇ!」

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この道はカーヴ、上り下がり連続の道で、自転車競技選手の練習が何組も。

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さて、この方が「おお!信州人」の番組ディレクターの塚田さん。
いつも笑顔の物柔らかい話し方で、相手に威圧感を与えず、
その癖しっかり番組の主題から外れることなく、注文を出す・・、
まさにプロだなぁ! と思いましたです。

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アナウンサーの青池玲奈さん。 若くて美人で頭の良い方が来られるのだろうなぁ!
と思っておりましたら、はい、まさに色白で美しく、優しい彼女でした。
きちんと質問して下さり、時に笑いを誘って下さる、こちらもプロ。     

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既に笑顔をお見せしたカメラマンの森田さん。
プロのカメラマンというのは、もの凄く粘るのだ、と感嘆!

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プロのお2人が、あれこれポーズを変え写真を撮り、

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青池さ~ん、そこまでされると、ははは、やり過ぎで~す!

22-059.jpg  


ドロミーティー、シロールのご案内
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460834798.html



ヴェネトの西外れから山間の道を抜けドロミーティーの平野にでた所、
イーメル・Imerという村の横で目の前に現れた岩山。
おお! と道脇に車を止めましたが、

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私はその前に見えていたこの木材置き場の写真を撮りたく、
いつも車に待って貰っている時の様に、つい走りました。

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暫く来た道を走っていて、後ろからパタパタと追いかけてくる足音、
カメラマンの森田さんがカメラを構えて付いて来られているのに気が付き、
しまった! と思ったのですが、今更、と走り続け!
森田さん、済みませんでした、炎天下を走らせて。
      


ドロミーティーの雄大な山並みを撮影中の取材班。

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こうしてシロールに到着し、町の観光事務所でご挨拶と取材を。
本当は市長がお出でになる予定だったのですが、突然の水の浄化問題が起こり
急遽出かけられたそうで、お詫び方々観光局長が来られました。

私が描いたシロールの絵も持参して見て頂き、今迄のブログに載せたシロールの記事も
印刷し差し上げたりで、遥かな日本から、はるばるこんな山の中の小さな町に
取材班が来た、しかも絵にもなり、ブログにもこんなに、というので
ずいぶんな驚きと喜びで、市長自ら礼状を出す様に伝えます、と。


セルジョの家で一服した後、彼の案内でお昼を食べに出かけ、
テラスのテントの下での昼食。
       
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私はピッツァを頼んだのですが、青池さんのスパゲッティを1口、
なんとこれが素晴らしく美味しかった!



昼食の後はセルジョが迎えに来て、私が描いた村の家の案内取材に。
この家は、2枚目に描いた家の裏側からで、

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平野の道に沿って点在する小さな小屋や、その奥に立ちふさがるドロミーティーの
山々の素晴らしさに、高台からの取材を。



彼らは本当にプロなのですよ。
私がカメラを向ける度に、ははは、さっとポーズを取ってくれるのです!!

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こちらは、1枚目に描いたシロールの家を逆方向から。

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奥に白い壁の家が見えますね。 あそこの老シニョーラが、セルジョ達の
家の持ち主だったのですが、テラスに出てきて挨拶とちょっとお喋りを。
で、セルジョが彼女の年を90歳と取材班に言った事を知ると、
90歳ではない、89歳だ!と。
はい、90歳には後まだ3カ月もあると、ね。ははは。



シロールの村の中で塚田ディレクターが、薪運びのシニョーラとお喋り。
うん? 何語で話しているんだろ?!

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山に向かう道脇に、かっての、いや今も使われているそうですが、
冷たい山水が流れ込む共同洗濯場があり、
水槽に手を浸す青池さんの顔に、水の煌めきが反射します。

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美人大好きセルジョ・Sergioの嬉しそうな顔!! ははは。

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日本からテレヴィの取材班が来るというのは、もう村中の話題で皆さん知っており、
青池さんが通ると、「綺麗な娘さんだ」という声がかかりましたです、はい。



こうして最後の取材地、私が写真を撮りたかった家のあるメッザーノ・
Mezzanoに寄り帰路についたのですが、
その前にこの周辺の観光地の中心とでもいう、フィエラ・ディ・プリミエーロ・
Fiera di Primieroに寄り一服。

カメラを回しながら大好物のジェラート、いやこれはグラニ―タ・氷水ですね、を
口に運ぶ森田さん。 私が写すと知った途端に、スプーンを止めてくれるプロ!

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相変わらず嬉しい笑いが止まらないセルジョと、
少々お疲れの見える塚田さん、青池さん。

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とはいえ、セルジョが「あのジェラートを舐めたら?」というと、
しっかりサーヴィスをして下さったお2人!

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酷暑の日が続いた北イタリアで撮影取材のお3人、本当にご苦労様でした!
そして、有難うございました!!

長野朝日放送「おお!信州人」イタリア編の放送は、
10月16日火曜日18:55~19:54.


追記 
改めてご連絡を頂き、上記放送時間が決定との事。
長野県内にお住まいの方、どうぞ見てやって下さいね!!

私本人も勿論、(この顔出しがネックで番組出演を渋ったのでしたが、はい)
お絵描きする様子も、我が家も、スコミーゴも写ります。

長野県以外の方には見て頂けないのが残念ですが、Youtubeには出していないとの事で、
まことに厚かましいながら、お知り合いにDVD録画を依頼してくださいませませ!

長野朝日放送のサイトは、 https://www.abn-tv.co.jp/
  
     
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・ ヴェネツィアの、手軽に美味しく食べられる店2軒

先回暑くて暑くてと書いた後、こちら北イタリアにはさっと雨が来て、
日中はまだまだ厳しい陽射しですが、朝夕はぐっと涼しくなりました。
やれやれですが、まだ夏が終わった訳ではないそうで・・!

今晩は友人達とトゥレヴィーゾまで久し振りに映画を見に出かける予定。
中国の優しい柔らかい映画だとは、誘惑者の甘い言葉で、
更にこの日曜にはヴェネツィアまで。
ゲットーで何か記念の催しがあるそうで、催しの趣旨もしっかり分からない、
という、例によって可笑しなお出かけですが、ははは、
シナゴーグも博物館も無料で見れるそうなので、再訪します。

という様な事で、今日はブログの方も息抜きを兼ね、
夏休みに、忙しいヴェネツィア訪問の友人と行った、通りすがりに手軽に
美味しく食べられる店を2軒ご紹介です。 ごゆっくりどうぞ!

写真は、まず頼んだスプリッツ。 スプリッツはちょっと甘い食前酒、
オレンジの色がとても綺麗なのですが、
残念、ここのは赤いグラスに入って出てきて、色が見えない!

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店の名前と地図をどうぞ。
オステリーア・ヴェーチョ・フォルネール・Osteria Vecio forner・
ヴェネツィア訛りで、古い釜・パン屋とでも。

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店は、カンポ・サン・ヴィオ・Campo San Vio、アッカデミア美術館から
サンタ・マリーア・デッラ・サルーテ聖堂に向かう道筋に。



店の入り口は、こんな感じ。 入り口脇に見える木の大きなしゃもじ
の様なのは、釜へのパンの取り入れに使います。

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店の並びは広場に沿ってのこんな建物で、

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横にある小さな教会は、確かイギリス国教会派の教会。

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入り口脇に座っている白い衣服の男性の横にある黒い楽器ケースには
リュートが入っていて、と何で知っているかと申しますと、
お昼前にダリオ館の裏の小さな広場で弾いていて。

この写真の右横には橋があり、アッカデミアに続く、というこの道筋。 
分かりやすいでしょう? 



朝のうち、デッラ・サルーテ教会方面をしっかり歩きまわり、
お腹をすかせて店に辿り着き、
まずは、蛸のマリネ。 柔らかくて美味しくて、セロリとの相性が抜群! 

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奥は、魚介のパスティッチョ、手前は野菜のグリル盛り合わせ。     

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こんな風に2人で各自のお皿に取り分け、頂きまして、
ああ、いつ食べても魚と野菜は美味しいよねぇ~!

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上の魚介のパスティッチョ、というのは、日本ではラザーニャと呼ばれる
種類に入るのかな、こちらではパスティッチョ・Pasticcioとも呼び、
間に挟む具も、ホワイトソースにこんな魚介類やら、冬野菜ラディッキオの
赤ワイン煮もとても美味しく、簡単ですから、お家でお試しを。



こちらが店の内部と、経営者の仲間3人のうちの2人、と。
店のカウンターがガラスケースになっており、その中に色々前菜風が並び、
道沿いになる右側に席が並ぶ、小さな細長い店。

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奥に厨房があり、そこから出て来た経営者の1人コックさん。

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2人でワイワイ言いながら、写真を撮りながら、ビールを飲みながら
楽しく頂いていると、となりの席のイギリス人らしいカップルの男性が
こちらを見ずにおれない感じ、ははは。

で、彼らが食べている美味しそうなのを見て、あれは何?と訊ねると、
一皿料理・ピアット・ウ―ニコ・Piatto unicoと。
そうそう、前にあれを食べて美味しかったのよねと、2人で一皿追加注文!

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どう、美味しそうでしょう?! これはピアット・ウ―ニコの確か魚が主の方と
思うのですが、海老やイカのフライ、丸いのはオリーヴに挽肉を詰めたもの、
小さなカナッペに鱈のペースト、ポレンタに小さなソーセージ、
鰯と玉葱のマリネ、蛸、鰯のマリネ、海老や貝柱のグリル、野菜類。

そう、普通はこれ1皿にビール1杯、付いてくるパンで充分!
お値段は確か、はは、少しあやふやですが10エウロ少々だったと。
はい、アッカデミア方面にお出かけの方、
簡単にお昼をするには、ここはお勧めの店です。


友人の今回一番関心のあった場所は、フェニ―チェ劇場。
「ヴェネツィアが燃えた日」ジョン・べレント著 光文社  を読んで
大変興味を持ち、本を持参してくれて今読んでおり、確かに面白い! 
大変スノッブな人物が次々登場し、忘れもしないあの火事の夜の
周辺事情を、興味を持って読んでいます。

で、お昼の後はアッカデミア橋を渡り、フェニ―チェ劇場の方に。
中の見物もし、またご案内いたしますね、それからリアルト橋方面に。
サン・マルコ聖堂は既に4年前に見ている、というので、
広場からゆっくり東に向かいアルセナーレ・造船所の方に。

ヴェネツィアの地図を頭に置いて、この行程をお考え下さいね。
宿はザッテレの近くにあり、探し歩いて昼前に着き、ゆっくりながら、
写真を撮りつつ、途中で1服しつつ、あちこちふらふらと見ながらで、
かなりの行程ですぞ、この歩きの距離は!



で、なぜアルセナーレまで行ったかと言うと、
あの広場横に、焼き鰯を食べれるトラットリーアがあるからでして!
この店、トラットリーア・ダ・パオロ・Trattoria Da Paolo

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既に7時過ぎだったと。 で、こんな風にアルセナーレ前のライオン君たち。

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こちらの写真右側、雌ライオンちゃんは、

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私めが笑って転んで、左足の踝を痛めた元凶の方ですが、
今も変わらぬ可愛いお顔で健在、ははは。

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店には中国人のよく働く女性がいて、春にも行ったので既に顔見知り。
こちらが日本人と知って、料理を皆一緒に持ってくるかと。
そう、我々東洋人は皆テーブルに並べて、あちこちつつきますものね。

で、注文品が並んだ所。

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前菜の盛り合わせ。 既にお馴染の顔触れですが、ははは、

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右下の海老の茹でたのから、時計回りに、鰯のマリネ、小海老のマリネ、
鰯の唐揚げと玉ねぎのサオール、子蛸、真ん中に鱈のペースト。



そして、茄子のグリルの1皿があり、
アサリのスパゲッティ。

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そして後から届いた肝心の鰯のグリルを撮り忘れ、
ははは、如何に集中して食べているか、ですねぇ。

悔しいので、春の時の写真をここにもう1度!!
何せこの鰯に釣られて、本島の端まで歩いたのですものねぇ。

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食べているうちにどんどん日が暮れ、アルセナーレ、現在の海軍が
入っている建物の明かりも点き、

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すぐ横を、海軍兵の1人がスッ、スッとカッコよく通り、
あ、国旗降納だ!とすぐ分かり。

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日没時にサン・マルコ広場で行われるのを見た事もありますが、
あちらはちょっとした数の兵士がやって来るのに比べ、こちらは彼と、



海軍工廠入り口のこの2人、都合3人というささやかさ。
ですが、ちゃんとイタリア国歌も流れ、

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こうしてするすると降りた旗を取り外し、

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ん?! 顔が見たいですか?
はい、こんなお顔。 うん、なかなか良い目だ。

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入り口にいた上官の1人がやって来て、国旗を畳むのを手伝います。
なにせ、かなり大きいのですよ。
この辺りは観光客も少なく、散歩の犬同士が出会い、喜んで走り回り、

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友人が笑いだして、ほら、こちらはまだ仕事中なのに、
あっちでは記念撮影なんぞしているよ。

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ははは、まぁね、これもお仕事の内かもしれませんが、
如何にもイタリアらしいのんびり感でしょう?!



こちらは漸くに畳み終わり、紐を固定する作業が続き。

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我らの後ろのテーブルのフランス人家族の奥さんが振りむき、
失礼、あの音楽は?  
はい、イタリア国歌。 
ああ、やはり。  私がハモッていたのが聞こえた様子。

え、フランス人なのに、イタリアの国歌を知らないの?と
友人に言うと、そりゃぁ、我々だって韓国国歌を知らないもの。
なるほど! 賢い友人だぁ。



すっかり満足、満腹のお腹を抱え、もう1度ライオンちゃん達に挨拶し、

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良い色になりかけた空の下、時計が9時を指しますが
ひょろひょろとまた長い道程をホテルに戻ります。

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サン・マルコを過ぎ、頼みにしていたジ―リオの渡しが既に終了しており、
またよろよろとアッカデミア橋を渡り・・、
こうして、長~~い夏のヴェネツィアの1日が暮れたのでしたぁ。
       
この2軒とも高級店嗜好の方向けとは思いませんが、
どちらも既に2,3度行った店で、美味しく気楽、
観光の途中に心配なく寄られるには良いかと思います。
お近くに行かれた時はどうぞ!


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