南スペインはセヴィリアから一路北上、スペインの最北西に位置する
一大巡礼地サンティアーゴ・デ・コンポステーラに向かう巡礼道、
ヴィア・デ・ラ・プラータの行程を、
友人ジャコモの写真を拝借してご覧頂いてますが、
一大巡礼地サンティアーゴ・デ・コンポステーラに向かう巡礼道、
ヴィア・デ・ラ・プラータの行程を、
友人ジャコモの写真を拝借してご覧頂いてますが、
今回がいよいよ最後、35日目にして聖地に辿り着きます。
まずは先回見て頂いたサラマンカから続く山道の、
寒村の宿の様子からどうぞ。
寒村の宿の様子からどうぞ。

大きな街のきちんと整備された宿は少なく、写真の様に、
殆どは外から眺めただけでは普通の民家と変わらない宿の様子。
殆どは外から眺めただけでは普通の民家と変わらない宿の様子。
内部もこんな様子。 どこかの家に似てごたごたしていて、ははは、
古そうな質素なテーブルに、家庭的な赤白チェックのテーブルかけ、
そして、冷蔵庫が輝きます!

それにしても、石段のすり減っているのに驚き。
要塞とか鐘楼ではすり減った石段を見かけますが、
普通の家の中に石段、そしてこんなにすり減っている!
これはバールでしょうが、巡礼の印のホタテの貝殻に名前を書くと、
店内に吊るしてくれるのだそう。
古い貝、新しい貝、そしてこの夥しい数!

曇り空の下、通り抜ける道脇に見えるこれ、穀物倉だそう。

ほら、日本でもネズミ返しと言いましたっけ、進入を防ぐ知恵、
あれがやはり、ここにも見えます。
ジャコモの写真には、これ1つだけでなく何枚も。
そしてまたの山道。 細く細く続く道の先に平地が見え。

またもや美しい中世の橋を渡り、大きな街に到着。

この写真は多分、街の外れと思いますが、
ここはオレンセ・Orense、またはオウレンセの街。
ここはオレンセ・Orense、またはオウレンセの街。

巡礼道の地図をどうぞ。 オウレンセの街は、通常35日間の
巡礼日程で29日目。 はい、あともう少し! の位置。
巡礼日程で29日目。 はい、あともう少し! の位置。

上で見て頂いた美しい橋はミーニョ河・Miñoに架かり、
人口11万人程のこの街は、この辺りの交通要所。
人口11万人程のこの街は、この辺りの交通要所。
周辺一帯は大変肥沃な地で、近代的農業、豚の飼育も盛んで、
温泉地としても有名なのだそう。
温泉地としても有名なのだそう。
オウレンセという街の名も、町が造られたローマ期のアウリエンセ・
Auriense・金の町から来ているそうで、
ミーニョ河の砂金に由来するのだそう!
Auriense・金の町から来ているそうで、
ミーニョ河の砂金に由来するのだそう!
美しい塔と鐘楼が見えますが、これは11~12世紀の物で、
17世紀前半までこの街は司教の支配下にあったのだそう。
17世紀前半までこの街は司教の支配下にあったのだそう。

旧市街の狭い小路の先に、美しい塔が見え、



この一帯で一番美しい聖堂の1つ、というオウレンセの聖堂正面。

聖堂内にある天国の門。 ここのは色鮮やかな彩色ですが、
巡礼達の目指すコンポステーラの聖堂にもやはり、天国の門があり。
巡礼達の目指すコンポステーラの聖堂にもやはり、天国の門があり。

外からの眺めで大きな美しい塔と思ったのが、実は内陣部分で、
明かり取りを兼ねた2連の窓が2層になり、アーチの重なりで
丸天井になっていて、外側のレース飾りは美的見地からですね。
丸天井になっていて、外側のレース飾りは美的見地からですね。

マイヨール広場。 お天気で良かった!

さて、オウレンセの街を出発、再びの巡礼道を辿ります。
ロバ君の向こうに、無言の矢印、背後の緑の並み板にも矢印。
道が付きあたりの曲がり角かも。
道が付きあたりの曲がり角かも。

再びの山道ですが、舗装され、少し幅広く。
漸くに花咲き始める早春。
漸くに花咲き始める早春。

通りかかりの村はずれ、共同洗濯場でのお洗濯。
そう、まだ現役の洗濯場があるのですねぇ。
そう、まだ現役の洗濯場があるのですねぇ。

他所者達が村を通り過ぎるのに慣れたワンちゃんは、
朝の陽射しの中でカメラに収まるにも、座ったまま。
朝の陽射しの中でカメラに収まるにも、座ったまま。

遂にやって来ました! サンティアーゴまで、あと20キロ!!

で、ジャコモ達は巡礼行最後の夜をここで泊まったそう。
宿の写真を見るとまだ明るい内で、きっと、明日最後の20kを、
という事だったのでしょうね。
大きな施設で、きっと国営の宿泊所ですね。
宿の写真を見るとまだ明るい内で、きっと、明日最後の20kを、
という事だったのでしょうね。
大きな施設で、きっと国営の宿泊所ですね。

最後の1日。
聖ヤコブ・サンティアーゴが祝福を与える像の見える泉もあり、
聖ヤコブ・サンティアーゴが祝福を与える像の見える泉もあり、

遂に遂に、大聖堂の尖塔が家並の向こうに!!

到着! 聖堂前広場で、へたりこむ2人。

ここでは笑顔が見えますが、アーチの柱に寄りかかる写真の
ジャコモの顔は、憔悴しきった表情で。
きっと知らず知らずの内に、急ぎ足になっていたのかも。
ジャコモの顔は、憔悴しきった表情で。
きっと知らず知らずの内に、急ぎ足になっていたのかも。
一息ついて、内部参拝に。

こんな風に記念撮影もして。
ええ我々も、この石段の所で写真を撮りましたっけ。
ええ我々も、この石段の所で写真を撮りましたっけ。

聖堂前広場北側のかっての巡礼宿兼病院、現在は高級ホテル。

広場で出会ったらしい、こんな子犬連れの巡礼者。
チビちゃんはカンガルーの赤ちゃんみたいに、
首から下げた袋に入れて貰い、まぶしそうな目で外の世界を。
チビちゃんはカンガルーの赤ちゃんみたいに、
首から下げた袋に入れて貰い、まぶしそうな目で外の世界を。

さて街を一回り、旧市街のどこか懐かしい町並みも愉しみ、

こんな若者達のバンドの行進も。
先頭の太鼓とシンバルの若者は、お腹で車を押していて、はは。
先頭の太鼓とシンバルの若者は、お腹で車を押していて、はは。

夕陽の陰が長く延びる聖堂前広場。

写真が無く残念ですが、夜は照明されてとても綺麗だったよ、と。
ついに35日間の巡礼行を終え、疲れ果てながらも、
心軽く迎えるコンポステーラの夕暮れ。
心軽く迎えるコンポステーラの夕暮れ。

ジャコモ、ご苦労様でした! そして、写真有難う!!
お陰さまで、数枚の写真では分からない巡礼行の凄さを
多少なりとも窺い知る事が出来ました。
サンティアーゴ・デ・コンポステーラへの巡礼道(フランスから)が
1993年にユネスコの人類遺産に指定されて以来、
それまでは年間2千人程の巡礼者数だったのがどんどんと増え、
1999年以降は2万人を越え、2004年には4万人以上、
そして2010年には8万4千人を超える程に!
歩くだけでなく、自転車でバイクで、という若者達もおり、
聞いた所では、宿が荷物を運んでくれる所もあるとか!
聞いた所では、宿が荷物を運んでくれる所もあるとか!
ちょっとしたスポーツ感覚で挑戦する人達も多いと思いますが、
それでもやはり1カ月間を歩き通す、多人数のグループでは無く、
小さなグループ、または単独で、
そんな人達がやり遂げる事に、大きな意義がある様に思います。
きっと、机の前に座っていては分からない何か、
自分の脚を使って歩く事が、何かに繋がるのでしょうね。
皆さま、4回もの長い間お付き合い下さり、有難うございました!
楽しんで下さった様に願います。
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