暑い日が続いているこちら北イタリアですが、一休みの後、
再び、サンティーアゴへの巡礼道を辿って頂きますね。
再び、サンティーアゴへの巡礼道を辿って頂きますね。
友人ジャコモがこの春行って来た、南スペインはセヴィリアから
一路北上するヴィア・デ・ラ・プラータ・Via de la Plata巡礼道。
彼の写真を拝借しご覧頂いていますが、
一路北上するヴィア・デ・ラ・プラータ・Via de la Plata巡礼道。
彼の写真を拝借しご覧頂いていますが、
3回目の今日見て頂くのは、35日間に渡る巡礼の大筋の日程の
ほぼ中程17日めに当たるサラマンカ・Salamancaが含まれます。
ほぼ中程17日めに当たるサラマンカ・Salamancaが含まれます。
写真はサラマンカ県の名が見える道路標識。

イタリアだと、この緑は高速道路になるのですけど、
やはりお国変われば品変わるですね。
ヴィア・デ・ラ・プラータの地図をどうぞ。
サラマンカ・Salamancaが中程上に見えますが、
ここに至る南にかなりの山越えがあったのを先回、先先回にご覧
頂いてますが、この辺りもまだまだ高地で、凄い道の写真もあり!
頂いてますが、この辺りもまだまだ高地で、凄い道の写真もあり!

巡礼道脇にはこんな飲み水の泉があり、巡礼の目印も。

ジャコモ達も別の泉で喉を潤している写真がありましたが、
中世の昔から、こうして巡礼達が一服して行った事でしょう。
中世の昔から、こうして巡礼達が一服して行った事でしょう。
今にも大雨になりそうな雲が動く山村。
古い石の十字架が、こういう日に見るには、ちょっと恐ろしげで!
古い石の十字架が、こういう日に見るには、ちょっと恐ろしげで!

巡礼道脇にある宿。 テラス部分を持ちあげる角柱が、如何にもの趣。

この写真の宿の内部なのかどうか、
寒空の曇り空を辿って来て、迎えて貰えるとホッとしますよね。

宿には温かな食事があり、清潔なベッドがあり、
同じ道を行く仲間との一時の交流があり。
同じ道を行く仲間との一時の交流があり。
これは別の宿の寝室部分で、どこもがこんな2段ベッド。

こちらも別の宿の暖炉。
まだまだ火が恋しい、寒い春だったような。
まだまだ火が恋しい、寒い春だったような。

寒そうな曇り空の下、遥かに見える街を目指し荒野を進み、

どうやら、あの先がサラマンカの街。 大聖堂の鐘楼らしきものも。

漸くに街に辿り着き、またもや渡るローマ期の橋。
そしてまたもやshinkaiの同じ感慨、ローマの民は偉かった!!
そしてまたもやshinkaiの同じ感慨、ローマの民は偉かった!!

はい、世界遺産指定の、サラマンカの街の素晴らしい大聖堂。


多分下の写真が、建物左側部分の入り口でしょうね。
この大聖堂は右の古い部分が7世紀の建設で、左側の新しく
ぐっと大きな方が16世紀の物。
新旧部分が一緒になり、街の一郭に素晴らしい趣を与えていると。
ぐっと大きな方が16世紀の物。
新旧部分が一緒になり、街の一郭に素晴らしい趣を与えていると。
こちらが、旧聖堂の正面側かも。
右に見える建物の上階の壁にサンティアーゴの印の帆立て貝の形、
サイトで見る建物正面には、約350ものびっしりの貝が並び、、
15世紀建設、現在は図書館と観光局が入っているそう。
サイトで見る建物正面には、約350ものびっしりの貝が並び、、
15世紀建設、現在は図書館と観光局が入っているそう。

こちらはサイトの写真を調べ判明、
サン・エステバン修道院・ドメニコ会派・17世紀の正面と。
サン・エステバン修道院・ドメニコ会派・17世紀の正面と。

サン・エステバンって誰? と思いましたら、
イタリア語ではサント・ステーファノ、
フランス語ではサン・エティエンヌと。
イタリア語ではサント・ステーファノ、
フランス語ではサン・エティエンヌと。
こちらは写真の並びから考え、サン・エステバン内部と。
素晴らしく天井が高く、美しい柄でアーチが構築され。
素晴らしく天井が高く、美しい柄でアーチが構築され。

ジャコモの写真には珍しくこの1枚だけあった、夜のバール写真!
サラマンカは大学の街として有名なのだそうで、写真にも若者が。
サラマンカは大学の街として有名なのだそうで、写真にも若者が。

サラマンカ大学の入り口というのも素晴らしい装飾ですが、
残念、ジャコモの写真にはありません。
残念、ジャコモの写真にはありません。
この大学は13世紀に創設、スペインで一番古い大学だそうで、
その著名な教授陣と相まって1580年には最高の6500人もの
学生が学んでいたそうで、
「学びたい方は、サラマンカにお出でなさい」という言葉があるそう。
街の現在の人口は15万千人程ですが、入植定住の歴史は古く、
紀元前3世紀にハンニバルによって征服され、後にローマの下に、
という訳で、街の最初に見て頂いた橋は1世紀の物の様。
その著名な教授陣と相まって1580年には最高の6500人もの
学生が学んでいたそうで、
「学びたい方は、サラマンカにお出でなさい」という言葉があるそう。
街の現在の人口は15万千人程ですが、入植定住の歴史は古く、
紀元前3世紀にハンニバルによって征服され、後にローマの下に、
という訳で、街の最初に見て頂いた橋は1世紀の物の様。
そしてゴート族の侵入やアラブの占領があり、街が最高に
栄えたのは16世紀だそうで、
ユネスコの世界遺産指定も、この旧市街と。
栄えたのは16世紀だそうで、
ユネスコの世界遺産指定も、この旧市街と。
雨のマヨール広場、多分ね。
どことなく、ヴェネツィアのサン・マルコ広場を思いだし。
どことなく、ヴェネツィアのサン・マルコ広場を思いだし。

お天気も回復した様でやれやれ。 さて次の町に到着し。

夏には木陰がさぞ素晴らしかろう、という広場があり、

そして、恐ろしい山越えの小道!
道なき道の奥に、白い小さな物が見えますね、
あれが先行者がリュックの上にくくり付けた何かなのですよ。
道なき道の奥に、白い小さな物が見えますね、
あれが先行者がリュックの上にくくり付けた何かなのですよ。
中世の巡礼達が通った道は、殆どがこんな道程だったのでしょうねぇ!

そして辿り着く小さな町の広場に見る巡礼道の標識。

こんな標識1つ1つを見る毎に、宿に着くたびに、地図と見比べ、
ああ、ここまで来た!という感慨なのでしょうねぇ。
ああ、ここまで来た!という感慨なのでしょうねぇ。
はい、サンティアーゴ・デ・コンポステーラには、こっちに真っ直ぐね。

こんな道しるべもあり。

素晴らしい渓谷の眺めもあり、

そしてまたこの美しきローマ期の橋。 この半円アーチにこの橋脚、
ローマ期の物に間違いありませんね? 本当に美しい!
ローマ期の物に間違いありませんね? 本当に美しい!

やっと平野に出たと思うと、この一直線の道!

ジャコモが作っていた写真集を見て、わぁ、この道!と驚きましたら、
そう、20キロ以上も続くんだよ、って!!
ひたすら道の先を見ながらどこまでも、どこまでも、
何時間も歩く事を想像すると、 はぁ、私には到底無理!
そう、20キロ以上も続くんだよ、って!!
ひたすら道の先を見ながらどこまでも、どこまでも、
何時間も歩く事を想像すると、 はぁ、私には到底無理!
こういう古い、丘かな岩山かな、を利用した家も眺め、

通りすぎる小さな村の泉の脇、 ロバ君とのすれ違い。

夕暮れ迫る頃、丘の上に見える小さな集落。
城壁に囲まれ、教会があり、要塞、城館も見え。

そしてまた、霧雨の日、雨装備のジャコモ。
傘をさしている別の日の写真もありましたっけ。
傘をさしている別の日の写真もありましたっけ。

今回の35日の巡礼行は、かなり厳しかったそうです。
曇り空だけでなく、雨の日、風の寒い日が多く、
さすが頑丈なジャコモも体調を崩し、救急病院にも行った程と。
昨年のフランスからの巡礼道では、大体30日の行程を
4日程早く到着したそうですが、今回は35日ちょうど、というのも、
短い距離にした日もあったのでしょうね。
それにしても、ジャコモも、他の巡礼さん達も立派ですねぇ!
あんな山道を、一直線の野の道も、雨の日も歩き続ける、
凄い精神力!!
4日程早く到着したそうですが、今回は35日ちょうど、というのも、
短い距離にした日もあったのでしょうね。
それにしても、ジャコモも、他の巡礼さん達も立派ですねぇ!
あんな山道を、一直線の野の道も、雨の日も歩き続ける、
凄い精神力!!
次回はいよいよ、サンティアーゴ・デ・コンポステーラに到着ですが、
もひとつ大きな美しい街を通ります。
お楽しみに!
もひとつ大きな美しい街を通ります。
お楽しみに!
*****
ブログご訪問、有難うございます!
見たよ! の応援クリックも宜しくお願い致しま~す!
見たよ! の応援クリックも宜しくお願い致しま~す!

*****
コメントの書き込みについてのお願い。
ブログの記事下に、「コメントを書く」が出ていない時は、
上か右の、記事タイトルをクリックして頂けると
記事の一番下に「コメントを書く」が出ますので、よろしくお願いいたします。
上か右の、記事タイトルをクリックして頂けると
記事の一番下に「コメントを書く」が出ますので、よろしくお願いいたします。
非公開コメントをご希望の場合は、非公開で、と書いて頂くと、
コメント承認制ですので、保留にし、お返事だけ公開しますので、
それもご了承下さいませ。
コメント承認制ですので、保留にし、お返事だけ公開しますので、
それもご了承下さいませ。