・ n.2 古寺巡礼  サン・ピエトロ教会 ・ スポレート

古寺巡礼の2回目、今日のご案内はやはりスポレートの町の南端に位置する
サン・ピエトロ教会を。

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正式にはサン・ピエトロ・エクストラ・モエニーア・San Pietro extra moenia・
市壁の外のサン・ピエトロ教会と呼ばれ、かっては町の城壁外だった事を示します。
なぜこの教会が登場かと言うと、写真でも少し見えますが、
素晴らしい浮彫の施された正面壁を持っており、是非ご覧頂きたくここに。

この写真はサイトからで、私めのは2度訪問したどちらもが薄曇りの日で、
この抜ける様な青空と、正面の石段が全部写っているのを拝借。
     
という事で、では石段をお上り下さい!
 


そうそうその前に、サン・ピエトロ教会はどこにあるか、地図をどうぞ。 
地図というのは、上が北、が原則ですが、スポレートの町は南北に広がり
ここでは左が北で、これは旧市街で、町は左にもっと広がり、
スポレートの駅は、この地図外、左下遥かに!

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肝心の今回のサン・ピエトロ教会は、地図の右上、町から離れた場所に。

ついでにご案内いたしますと、先回のドゥオーモは左上19の位置、
その右上18はアルボルノス要塞、町中のインフォメーションの下38はローマ劇場跡。

ウンブリア全体のご案内は
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460871638.html           



サン・ピエトロ教会の正面全景。
石段を上りながら少しずつ正面が見えて来る時のはやる心。 これは素晴らしい! 
と気持ちが急きます。

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まず上の層から、順にアップでどうぞ! 屋根上に素朴な像が見えますが、
これがどなたか、写真も撮っておらず、サイトに記載も無く。
上から2層目の真ん中には、多分真ん中にモザイク装飾が入っていたのかもで、

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2層目の、左右に見える浮彫の人物像は、
左側が鍵を持っていますから、サン・ピエトロでしょうね、下には雄牛がいて、
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右側の人物像はどなたか分かりませんで、と、やはり雄牛。

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下の正面中央部。 上の層、真ん中と両脇の薔薇窓部分にガラスが入ってますが、
ここにもきっと浮彫の薔薇窓が入っていたのでしょうし、
下の層に、中央の扉を挟んで有名な一連の浮彫。

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かっての薔薇窓の様子を。

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周囲にはやはりモザイクが施され、四隅には4福音者を現わすそれぞれの動物。
上段左に鷲・聖ジョヴァンニ、右の天使像は聖マッテーオ、下段が写真が小さく
ちょっと見難くて申し訳ないですが、翼を持ち、顔を斜め上に持ち上げた形で、
左に有翼のライオン・聖マルコ、右が雄牛の聖ルーカ。

今迄あちこちで薔薇窓のこの4福音者を見ていて、上の鷲と天使像の位置が
入れ替わる事があっても、下段にはライオンと雄牛、というのは変わりがない様子。
       
多分真ん中には素晴らしい薔薇窓があった筈、と思うのは、このサン・ピエトロ教会が
現在の形で建設されたのは12世紀ですが、元々この場所は紀元前7世紀に
溯る墓地があった場所で、これで市門の外、という意味も分かりますね。

5世紀に司教たちの埋葬の為に教会が建設されたのが始まりで、この教会に
あったサン・ピエトロの聖遺物がローマに移され、それを記念しての建設、
と記したサイトもありましたが、
続く世紀に何度か修復や改装が行われつつ、12世紀後半に現在の正面壁の
改装がされた、という経過で、

この正面壁は一度も改装されずに現在に残っているのですが、
14世紀に市民戦争のとばっちりを受け、焼かれた歴史があります。
幸いこの美しい正面壁は残り、再建されたのですが、薔薇窓はきっとその時に
破壊されたのでしょう、勿体ない気がしますが、これだけ残ったのが幸いと思う事に!



では、中央の扉を挟む浮彫をどうぞ。 左右の図柄に少し変化がありますが、
どちらも幾何学模様、花柄、植物、の装飾で、

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農民が雄牛を使って耕す姿、

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こちらは扉の右側、

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鹿が蛇を喰らう姿が、扉を挟み向かい合います。

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扉の脇には素朴なライオン像が並び、

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浮彫の深さがお分かりでしょうか、かなり深い彫り込みで、
扉脇には、嵌め込みモザイク柄も。



正面左の扉の上には、大天使ミカエルがドラゴン退治の姿。
今迄ドラゴン退治は聖ジョルジョの得意技かと思い込んでおりましたが、
う~ん、大天使ミカエルも悪を現わすドラゴン退治なのですねぇ。

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ちょうど都合よくcucciolaさんが大天使についてお書きなので、詳細をどうぞ。
http://blog.livedoor.jp/cucciola1007/archives/3496391.html



そして中央扉の花柄装飾の外側に、有名な一連の浮彫、ウンブリアでも一番美しい
と言われる物の一つ、があり、今迄はその図が語る物語を知らずに眺めておりました。
が、今回ちょうど良いサイトを見つけて読み、分からない事は友人のジュリアーナ、
アンナリーザの助けを借り、素晴らしく面白く愉快な話が語られているのを知ったので、
皆さんもどうぞじっくりご覧下さいね!

全体として教訓的な戒めとエピソードを聖人天使の姿と、動物の姿で語ったもので、
まず左側の上2場面ですが、上からどうぞ。

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死者がベッドに横たわり、その枕元にいるのが右にサン・ピエトロが天国の門の鍵を
手にしており、左に大天使ミケーレ。
       


中央に見える天秤計りに悪魔が手を伸ばし、自分の方に引き寄せようと!

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つまりこの秤は、死者の魂を善か悪か計るもので、悪魔が自分の方に引きよせようと
したのを目ざとく見つけたサン・ピエトロが、左側に現れ、手に持つ鍵でゴツンと
悪魔に一発喰らわせた場面なのですね。

右側でサン・ピエトロが縛られた死者の手から縄をほどいている描写もあり、
悪魔が手に持った紙切れに言葉が彫られているのが見えますね。

今回ジュリアーナが説明してくれて分かり、大笑いしたこの言葉は、
ラテン語で DOLEO QUIA ANTE ERAT MEUS
日本語に意訳しますと、残念、もうちょっとで自分のものだったのに!       
ははは、なんとも人間的なこの悪魔のつぶやき!
       
はい、この場面は善人の死の場面で、



その下、こちらは後悔懺悔せずの死者の場面。
秤は悪魔の方に傾き、その右にはさっさと立ち去る大天使ミカエル。

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死者の手は縛られたままで、悪魔が上に座り込み、もう一人を煮えたぎる釜に
放り込もうとする悪魔。 釜には既に先に放り込まれたどなたかの脚も見え、ははは。

それにしても、この大天使ミカエルの立ち去る姿がなんとも可笑しい、
ワシャ、知らん! とでもいう声が聞こえそうでしょう?!

この如何にも中世的で、素朴ながら素晴らしい彫りの描写。
当時、教会に来た人々がまずこの正面壁を眺め、悔い改めないで悪事を続けると
こんな釜行きになるのだ、とお説教を聞く前にしみじみと我が身を振り返った事と!

それにです、
話し言葉は消えますが、石に彫り込んだ言葉は消えずに残りますものね。

所謂地獄に落ちた悪者達の焼かれたり吊るされたりのフレスコ画はよく見かけ、
いつも愉しく眺めるのですが、こういう浮き彫りとなると数が少なく、一つ見つけたのは、

フェッラーラ ・ ドゥオーモとその博物館
       


同じ位置の右側上は、キリストがサン・ピエトロとサンタンドレアの足を洗う場面、
そして湖上を歩くキリスト。

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先程の善人と悪人の下には、このライオンが主役の3場面が続き、
上から、樵が作った木の罠に捕えられたライオン。

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許しを乞う樵に憐みをかけ、許すライオン。

一方、傲慢な兵士はライオンに喰い殺される、という。

以前この浮彫を見た時は逸話を知らず、単純にライオンと樵、男、兵士との戦いを
現わしているのか、と思ったものでしたが、・・知らないとそう見えません?
こうして知ると、かって中世の文盲の人々が、口伝えに浮彫の逸話を聞き知り、
また伝え、行いの戒めにした様子が伝わってきますね。



こちらは右のエピソード、まるでイソップ物語なのです。
一番上は、死んだふりをした狐を2羽のカラスがついばもうとしますが、
逆にキツネが賢く、カラスを捕まえた、というお話。

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中は、右に雄羊、左に本を読む狼で、雄羊は狼から逃げる為、うぬぼれ屋の狼に
本が読めるかと煽て、狼が読むのに没頭しているすきに雄羊は逃げ出す、という。

一番下はドラゴンをやっつけるライオン、というお話だそう。



所で、スポレートのこの教会の浮彫について、日本画の野村義照画伯が
この雄羊を描いておられる事を知り、画集の写真を探しました。

素晴らしい絵で、実際の浮彫リの雄羊の姿を超え、画家の目を通しての 
壁に生きる雄羊の姿! 皆さんにもご覧頂きたいと思いここに。 どうぞ。

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07年に訪問した時は修復の真っ最中でクレーンが立ち、中もがらんどうのままでしたが、
10年秋には修復が済んでおりました。
が、17世紀後半に改修されたという内部はご覧の様子で、正面の趣はまるでありません。

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石段の上、教会のある高台から見るスポレートの町外れの様子。
この町にはまだまだ中世の面影が残ります。

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こちらは07年の春の写真で、町から遥かに望む教会の様子。
こうして今回も写真を見つつ、またもや教会の正面だけ見て、裏には
回っていない事に気が付き! あ~あ。

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17世紀後半の改修により、ウンブリアで唯一という楕円形の優雅なクーポラがあり、
どうやら修道院もあるのですね。



手前を蛇行する道は、ローマ期からのフラミーニア街道で、アドリア海に抜けます。
ウンブリアの山並みをどうぞ。

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*****

我がイタリア語の先生アンナリーザは、現在隣村オリアーノの小学校を会場に、
英語のサマーキャンプで毎日奮闘中。 小学生を対象の朝から夕方まで
英語だけの毎日を約1ヶ月半、と、プールにも山への散歩にも出かけているそう。
彼女はそれ以外に戯作の舞台公演にも参加、翻訳等など
小さな2人の子持ちとは思えない頑張り屋なのですね。

で、先週の木曜夜にヴェローナでの公演があり、水曜に会った時の話では、
サマーキャンプを4時に済ませヴェローナに。
公演後に片づけを済ませ、家に戻るのが朝の4時頃、と。
で、金曜の朝はプールにサマーキャンプの子供達と行くというので、
では私もプール体操があるので、プールでね、と。

金曜の朝、ですが彼女の姿は見えず、はは、やはり家でのびているかな? 
と思っていましたら、土曜の夜「私の冒険談」とメールがあり、
なんとまぁ、高速のヴェローナ東辺りで、フルハ―スの軽トラックに追突されたのだそう!

120K程のスピードですから、追突されガードレールに突き当たり、
反転して別のトラックにぶつかり、最後はガードレールに挟まったと!

幸いな事に同乗の他の2人にも彼女にも怪我はなく、追突した方の19歳の若者は
朝の3時からの仕事で居眠りで、無事だったそうですが、彼女の車は大破、
ドアがなかなか開かず、やっと車から出て、自分の車を見た途端に恐怖で泣きだしたそう。

体の痛みはあるものの、検査も大丈夫で、元気な彼女は月曜から、
再びサマーキャンプの仕事に!
       
ヴェローナのあの辺りの車の混み具合も良く知っておりますので、
聞いた方が恐ろしくなるような話ですが、無事で本当に良かった!!
             
どうぞ、皆様も夏のお出かけの際には、くれぐれもご用心下さいませませ!!

そして私めは、今月末から8月の中旬にかけ、2組のお客様があり、
モデナにも出かけてくる予定ですので、お盆前まで、お休みを頂きます。
どうぞ、よろしくお願いいたしま~す!


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・ n.1 古寺巡礼  スポレートのドゥオーモ ・ Duomo di Spoleto

ここ暫く友人から拝借の写真でのご案内が続きましたが、ご案内する場所の
ネタ切れではありませんで、はい勿論、
溜まりに貯まって、どこから手をつけたら良いものやら・・!

という事で、お盆も近づく事ではありますので、はは、古寺巡礼シリーズとして
何回か、纏めてアップをと思います。

まず大好きなウンブリアの素晴らしいドゥオーモ、スポレートのドゥオーモを。
スポレートは何度かご案内したものの聖堂内部はまだでしたので、
古寺巡礼に相応しい、その典雅な美しさをどうぞ!

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スポレートには07年春と10年秋と2度訪れ、今回見て頂く写真は両方から選び、
10年秋に行った時は鐘楼が修復中ですっぱり覆われていたので、上の前景写真は
07年春の時の物。
       
ドゥオーモは町の中程の東隅、とでもいう位置にあり、石段をだらだらと下って行き
正面にこうして姿が現れる時、その美しさに魅せられます。



こちらも以前の写真で正面アップを。

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現在こうして我々が見る正面は、手前のルネッサンス式テラスの柱廊は別として、 
鐘楼、上のモザイクも含め16207年に完成、と記録に残ります。

つまりこの聖堂は、以前ここに存在した教会の上に建てられた物の様で、
それ以前の古い記録が残っていないのだそう。

手前に見えるすっきりした柱廊は15世紀のもので、それ以前に在ったのは薄板の
屋根のある素朴な柱廊だったそうで、上はテラスになっていて、今もなのかどうか、
町のお祭りの時には、ここに聖母のイコンが掲げられたと。

5連のアーチの外側、両脇に小さい窓様が見えますが、
       


向かって右側のみ10年秋に写しており、こんな形、説教壇だそう。

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という所で、正面壁の美しさをご堪能下さいね。

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こういう三角形の傾斜の正面壁を、納屋式正面壁・facciata a capanna
と呼ぶそうで、イタリア語の素朴な形容にちょっと笑えますが、
小さめの薔薇窓が全部で8つ、これがなんとも愛らしいというか・・、



こちらが上の層で、真ん中のモザイク「祝福するキリスト」には、
13世紀のモザイク師ソルステールノ・Solstèrno 1207年、という署名。
左右に見える小さめのアーチ形にも、モザイクが入る予定だったのでしょうね。

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こちらが下層の大きな薔薇窓とその周囲。 この部分が一番好きですが、
薔薇窓とその周囲に細かくモザイク柄が入ります。

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上の飾り部分、こんな鷲の姿が4か所に。 同じ柱の下側には雄牛。

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中央の大きな薔薇窓。

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アッシジの大きな1つだけの典雅な薔薇窓も大好きですが、このスポレートのは
小さめに繰り返す形で、とても可愛らしい。



取り分け好きなのは薔薇窓を支える姿の2人で、特に右の腰布の赤い翻りが大好き!
こういう形、色を、思いつく中世!
ここ迄アップして見ると、薔薇窓に入っていたモザイクが良く見えますね。

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で、こちらは正面柱廊の下、中央扉の脇にいるライオン君。

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内部は外の眺めと違い、17世紀に大改装されていて、

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この改装をしたのが、マッフェオ・バルベリーニ・Maffeo Barberini、
後の教皇ウルバーノ8世が、スポレートの司教になって後の大改装だったそう。

という様な事を知り、ああ、そういえば町の山上のアルボルノス要塞に
バルベリーニ家の蜂の紋章があった訳だ、と、また一つ知るshinkai。

正面内陣奥に見える壁画はフィリッポ・りッポですが、後ほど。

スポレート ・ アルボルノス要塞 その1と2
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/471736468.html
 
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/471736708.html
    
バルベリーニ家については、cucciolaさんがこちらに。
http://blog.livedoor.jp/cucciola1007/archives/923133.html



床模様をどうぞ。 今まで何度かあちこちで見て頂いたビザンチン式の
流れをくむコズマ式模様も見えます。

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n.1 大聖堂の煌めきを ・ アマルフィ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/468056410.html 
     
n.2 大聖堂の煌めきを ・ アマルフィ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/468059230.html



右側中程にある説教壇。

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内陣奥のフィリッポ・リッピ・Filippo Lippiの壁画「聖母マリアの生涯」。

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実は2010年秋に訪問した際、夕方に行くとミサの最中で、照明された聖堂内部に
見える壁画は大変に美しく、出直してしっかり撮ろうと翌朝再度。

所がお掃除の最中で照明なし! 聖堂内部は薄暗く、おまけに内陣はもっと暗く、
shinkaiの人生同様思い違いが重なり、ははは、上手く撮れず、
細部は07年に撮ったものでどうぞ!
   
    
           
受胎告知。
壁画下側は3場面に分かれ、一番左側にこれがあり、
       
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真ん中に、聖母の死。

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右にはキリストの誕生場面があるのですが、撮っておりません。
このスポレートの内陣壁画はリッピの最晩年、最後の作品で、61歳になった画家が
1467年から取り組むものの彼は2年後に亡くなり、その約3カ月後に
協力者達の手で完成した物。

が、こうして作品をご覧になってもお分かりのように、如何にもリッピらしい
繊細優美な作品で、最晩年、しかも亡くなった時の作品と知り驚きました。



そしてこの天井部の豪華絢爛たる「聖母戴冠」。
青の色が素晴らしく深く美しく、中央の金色によく映え。

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こちらは聖堂入り口に近い右側にあるエローリ司教の礼拝堂・
Cappella del vescovo Eroli.

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これはピントゥリッキオ・Pinturicchioの壁画1497年作で、上の天井部
にも絵がありますが、



麗しき聖母をどうぞ。
       
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エローリ司教という方は、法律家からナル二の司教になり、アヴィニョンの
教皇代理もされた方の様で、1500年没。

一方この礼拝堂に描いたピントゥリッキオは、当時のローマ教王アレッサンドロ6世に
招かれ、ヴァティカン内の「ボルジャのアパート」の壁画類、かのルクレツィアの肖像と
見られる女性像もある、を描き、成功裡にウンブリアに戻った時の仕事だそう。

ペルージャ ・ 町の中心を、ほんの少し
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/471449262.html



という聖堂内のご案内でしたが、最後にエピソードをひとつどうぞ。
やはり19年秋でしたが、聖堂のロッジャで会ったシニョーラ。 彼女は鳩用の
パン屑を持って来ていて、こんな風にロッジャの片隅にぱらぱらと置き、
呼ぶと、綺麗な白鳩がやって来て、パン屑をついばむのですね。

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訊ねると、1週間程前に何かの行事があって、聖堂前で鳩たちを離したのだそう。
所が、この鳩君だけは遠くに飛んで行かずに居残り、
シニョーラは可哀そうにと、こうして毎日ご飯を持ってくるのだそう。
       
ね、お互いに心が通じている様子でしょう?!
動物たちとの気持ちの触れ合いを見たり感じたりする時、言葉がない分、
もっと温かい気がしますが・・、しません?!



最後はもう一度、美しい正面をご覧下さいね。 夕暮れ時に少し粘って写した物で、
ミサの最中で、中の明かりが薔薇窓から見え、
       
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扉が開きミサを終えた人々が出て来ますが、この時は若者達の集いもあった様で、
大勢の若者の姿。

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中の明かりが消え、ロッジャの下と、外からの照明のみに。 空も暮れ始め、

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鐘楼の修復の覆いはもう外れたかな? 美しくなった聖堂を見に、
見残しの多いスポレートの町に、もう一度行きたいもの!!


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・ ヴェネツィア観光、 島巡りツァーはいかが? 

6月初めにお客様とヴェネツィアに出かけた時に、島めぐりをしたい、
というご希望があり、最初は普通にヴァポレットでムラーノ島に行き、
それからブラーノ、そして出来たらトルチェッロに、と考えていたのですが、

行かれた方はご存知のようにムラーノ島はともかく、ブラーノ島へはかなりの距
離で時間がかかります。 そして乗り換えてトルチェッロとなると、待ち時間、
お昼ご飯等など、一日がかりでも少し厳しいのですね。

所が朝、軍資金調達にサン・マルコ広場西の郵便局に行くべく
スキアヴォーニ河岸の監獄宮の前を通りかかった時、小さな窓口式屋台が
出ていて、「島めぐり周遊観光」とあるではないですか?!

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写真の地図の隅に小さく見える屋台がそれで、あれ?!と思って訊ねると、
       


こんなシニョーレが、なんとも達者な、正確丁寧な日本語で答えてくれて。

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ええとです、写真では髭もゴマ塩に見えますが、大きめのサングラスをかけ、
かなりカッコ良く、ええ、こちらの男はんはサングラスをかけていると実物以上、
という事が良くありますです、ははは、

それがです、本当にしっかりした日本語での応対で、
ムラーノ、ブラーノ、トルチェッロを回り4時間の周遊、1人20エウロ、
(2019年当時も)9時半出発、というので、
ではこれで行こうか?! という事で参加を申し込みました。

ツァー・ガイドは英語やドイツ語でガイドします、というので、日本語は? と
わざとイケズ女が訊ねますと、わぁ、と吹き出していましたが、
私が郵便局に往復の間に、ご一緒していたRsさんが聞いた所によると、
日本に行って旅行社で働いていた事もあるんだとか。

この周遊は、夏の間は朝9時半と14時半出発、冬季は14時出発、
当日の朝、監獄宮の前の屋台で直接申し込むか、
サイトでも予約出来る様子。
http://www.serenissimamotoscafi.it

今迄気がつかなかったのは、きっと朝の間だけ、冬ならばツァー出発前の
何時間かのみ店を出し、ツァー出発時間には店仕舞いという事なのでしょうね。



周遊コースは、こんな感じ。

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切符を買って待っていると、9時半にガイドさんがやって来て皆一緒に
スキアヴォーニ河岸を東にかなりの距離を歩き、ヴァポレット式の船に
乗り込み、いざ出発。

今日の写真は、ご一緒したRsさんからの拝借でご覧頂きますが、
彼女はwebデザインのお仕事だそうで、それもあってか写真の狙いが
とても分かり易く、おまけにデジのテクにも強い様で、これは羨ましい事!
       
さて、出発です。 ピエタ教会の少し東が発着場でした。

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朝の内は少し曇り加減でしたが、ヴァポレットとはまた違ったスピードで
行くのは気持ちが良く、と、スピード大好き射手座のshinkai。

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飛行機が見えるかな?! 

      

ヴェネツィア本島の先っちょを回り、通常の航路とは別にお墓の島
サン・ミケーレの東を抜けて、

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ムラーノ島の灯台が見えて来ます。

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船の中ではガイドさんが何カ国語かで次々と説明をしているのですが、
我々は船の後ろ外の席に座り何も聞かず、ははは、潮風を受けつつ
ただただ風景を楽しみます!



で、ムラーノ島では通常のヴァポレットの停留所とは違う、
ガラス工場の入り口に横付け!!
あれま、こういう事か?! とちょっと驚いたものの、
       
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ですが、以前2度ほど見たガラス製品制作の実演も暫くぶりで、面白かった!
こうして見ると、後ろに並ぶ様々な計器のボタン類というのか、
素晴らしく機械化されているのですねぇ!
       
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工程を説明する人が、「マエストロ」と敬称で呼び、まさにマエストロ・師匠で、
ヴェネツィア共和国時代には貴族階級の娘と結婚できた程ですが、
       
昔最初の海外旅行でやって来て見た時に、若いお兄ちゃまが日本語で
「先生が、馬を作って・・」とか言うのに、
先生だって?! とクスクス笑ったのを思い出し、昔は物を知りませんで!



飴細工のように、別の色をくるくると巻きつけ、

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出来上がった壺を皆さんの前に置き、ちょうどRsさんの真ん前でして、
これは壺の口に紙きれを刺し込んで見せた所。

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出来上がった壺はすっと色が見えるようになるというか、温度が下がって行きますが、
それでも700度と言ったかな、の高温だそうで、パッと紙が燃え上がった所。
皆一斉に、おお~!  ははは。



一丁、上りぃ!

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ですが、壺の形に吹く場面を見落としました、残念!



で、マエストロはお馬も作って見せてくれ、まさに飴細工式に、ちょんちょんと
つまんだり引っ張ったりで、あっという間に出来上がり、
では、店の方にどうぞ! となりました。
窯口の横に、色石の粒が並んでいるのが見えますね。

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ガラス工場で約40分間、見学と買い物で過ごした後、今度はレースの島
ブラーノに向かいますが、今度も通常の航路とは違い、マッゾルボ島の裏を抜け、

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ヴェネツィア ・ ムラーノ島、サン・ミケーレ島
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463330379.html



ブラーノ島に近づきつつ、また南に回り込み、
・・それにしても、ブラーノ島の鐘楼は恐ろしい程に傾斜していますねぇ!

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島の横を通り抜け、中央の広場に近い、島の南側に到着。

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広場の一郭にあるレースの店に一応案内され、店の人があれこれ英語で
説明してくれますが、適当に見た後、近くのバールに行き一休み、おやつもね。

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やはりブラーノ島も40分間の上陸で再び乗船し、島の東側をぐるっと回り、

ブラーノ島 ・ 昼下がりの散歩を
http://italiashinkaishi.seesaa.net/archives/20110609-1.html
      


トルチェッロ島に。 ここは通常の船着き場に到着の後、やはり40分後に、と。

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特別なガイドも無し、ここはのんびりゆっくりと、聖堂見学もせずに
島の長閑な緑を楽しみ、

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木陰に並ぶ猫ちゃん、ワンちゃん用の館を見物し、
ついでに館の主も見て船着き場に戻ります。

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トルチェッロ島は船着き場から奥の聖堂までかなり歩きますから、戻りの時間を
注意されていますが、やはり、遅刻者がね。
インド人のカップル2組、夫達の方は急ぎ足でやって来ましたが、妻たちの方は
悠然と、まるで急がず! 時間観念が少し違うのかなぁと思った程で。

ヴェネツィア ・ トルチェッロ島へ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463330033.html



こうして再び船に乗り、今度は初めて通る航路、
ヴェネツィア本島の一番東先を目指して一直線にぐんぐんと。

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3か所x40分で計2時間、つまり4時間のツァー時間の内の半分がサン・マルコ
からの船の往復にかかる訳で、実際に1ヶ所40分の見物時間では、
少し慌ただしい事は確か。
   
ですが最初に切符を買ったら、あとはすべてお任せ、で済む気軽さもありますね。
それにツァー代金の20エウロも、ヴァポレットの往復料金を考えると、
とりわけ高い程ではありません。
    
ゆっくり島めぐりをする時間は無いけれど、それでもちょっぴり島巡りの気分を
味わいたい方、ガラス製品作りなども見て、観光客したい方、
そんな方には良いかも、と思った事でした。
    
当日の朝、現場で申し込み出来るというのも魅力ですね。 お試しを!
       
ヴェネツィアのご案内はこちらから
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460835393.html
  
     
*****

九州は大雨で、多くの死者も出た程の被害の様子、お見舞い申し上げます。
引き続きの災害で心の休まる暇も無いだろうと、お察し申し上げます。

こちらも暑い日が続いておりましたが、漸くに北イタリアの方は変わり目が
来たようで、今日日曜のお昼に、おかしな曇り空になったと思うと、
豪雨となり、それとともに霙、雹というか、2~3cm程の氷の塊がバラバラと!
音を立ててテラスにも振り込み、コンドミニオの庭はあっという間に一面に白く。

が、まぁ暫く降った後は落ち付き、午後はまた陽が射して、涼しくなりました。
今現在、家の中の温度は26度!

夏はまだまだ続きますが、少しは一服出来るかも、やれやれ、です。
皆さまも、夏バテなどされませぬよう!


*****

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・ n.4 セヴィリアから、サンティアーゴ・デ・コンポステーラに 

南スペインはセヴィリアから一路北上、スペインの最北西に位置する
一大巡礼地サンティアーゴ・デ・コンポステーラに向かう巡礼道、
ヴィア・デ・ラ・プラータの行程を、
友人ジャコモの写真を拝借してご覧頂いてますが、

今回がいよいよ最後、35日目にして聖地に辿り着きます。
まずは先回見て頂いたサラマンカから続く山道の、
寒村の宿の様子からどうぞ。

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大きな街のきちんと整備された宿は少なく、写真の様に、
殆どは外から眺めただけでは普通の民家と変わらない宿の様子。



内部もこんな様子。 どこかの家に似てごたごたしていて、ははは、
古そうな質素なテーブルに、家庭的な赤白チェックのテーブルかけ、
そして、冷蔵庫が輝きます!

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それにしても、石段のすり減っているのに驚き。

要塞とか鐘楼ではすり減った石段を見かけますが、
普通の家の中に石段、そしてこんなにすり減っている!



これはバールでしょうが、巡礼の印のホタテの貝殻に名前を書くと、
店内に吊るしてくれるのだそう。
古い貝、新しい貝、そしてこの夥しい数!

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曇り空の下、通り抜ける道脇に見えるこれ、穀物倉だそう。

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ほら、日本でもネズミ返しと言いましたっけ、進入を防ぐ知恵、
あれがやはり、ここにも見えます。
ジャコモの写真には、これ1つだけでなく何枚も。



そしてまたの山道。 細く細く続く道の先に平地が見え。

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またもや美しい中世の橋を渡り、大きな街に到着。

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この写真は多分、街の外れと思いますが、
ここはオレンセ・Orense、またはオウレンセの街。

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巡礼道の地図をどうぞ。 オウレンセの街は、通常35日間の
巡礼日程で29日目。 はい、あともう少し! の位置。

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上で見て頂いた美しい橋はミーニョ河・Miñoに架かり、
人口11万人程のこの街は、この辺りの交通要所。

周辺一帯は大変肥沃な地で、近代的農業、豚の飼育も盛んで、
温泉地としても有名なのだそう。
オウレンセという街の名も、町が造られたローマ期のアウリエンセ・
Auriense・金の町から来ているそうで、
ミーニョ河の砂金に由来するのだそう!



美しい塔と鐘楼が見えますが、これは11~12世紀の物で、
17世紀前半までこの街は司教の支配下にあったのだそう。

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旧市街の狭い小路の先に、美しい塔が見え、

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この一帯で一番美しい聖堂の1つ、というオウレンセの聖堂正面。

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聖堂内にある天国の門。 ここのは色鮮やかな彩色ですが、
巡礼達の目指すコンポステーラの聖堂にもやはり、天国の門があり。

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外からの眺めで大きな美しい塔と思ったのが、実は内陣部分で、
明かり取りを兼ねた2連の窓が2層になり、アーチの重なりで
丸天井になっていて、外側のレース飾りは美的見地からですね。

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マイヨール広場。 お天気で良かった!

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さて、オウレンセの街を出発、再びの巡礼道を辿ります。
ロバ君の向こうに、無言の矢印、背後の緑の並み板にも矢印。
道が付きあたりの曲がり角かも。

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再びの山道ですが、舗装され、少し幅広く。
漸くに花咲き始める早春。

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通りかかりの村はずれ、共同洗濯場でのお洗濯。
そう、まだ現役の洗濯場があるのですねぇ。
      
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他所者達が村を通り過ぎるのに慣れたワンちゃんは、
朝の陽射しの中でカメラに収まるにも、座ったまま。

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遂にやって来ました! サンティアーゴまで、あと20キロ!!

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で、ジャコモ達は巡礼行最後の夜をここで泊まったそう。
宿の写真を見るとまだ明るい内で、きっと、明日最後の20kを、
という事だったのでしょうね。
大きな施設で、きっと国営の宿泊所ですね。

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最後の1日。 
聖ヤコブ・サンティアーゴが祝福を与える像の見える泉もあり、

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遂に遂に、大聖堂の尖塔が家並の向こうに!!

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到着! 聖堂前広場で、へたりこむ2人。

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ここでは笑顔が見えますが、アーチの柱に寄りかかる写真の
ジャコモの顔は、憔悴しきった表情で。
きっと知らず知らずの内に、急ぎ足になっていたのかも。
     
   

一息ついて、内部参拝に。

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こんな風に記念撮影もして。
ええ我々も、この石段の所で写真を撮りましたっけ。 

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聖堂前広場北側のかっての巡礼宿兼病院、現在は高級ホテル。

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広場で出会ったらしい、こんな子犬連れの巡礼者。
チビちゃんはカンガルーの赤ちゃんみたいに、
首から下げた袋に入れて貰い、まぶしそうな目で外の世界を。

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さて街を一回り、旧市街のどこか懐かしい町並みも愉しみ、

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こんな若者達のバンドの行進も。
先頭の太鼓とシンバルの若者は、お腹で車を押していて、はは。

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夕陽の陰が長く延びる聖堂前広場。

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写真が無く残念ですが、夜は照明されてとても綺麗だったよ、と。

ついに35日間の巡礼行を終え、疲れ果てながらも、
心軽く迎えるコンポステーラの夕暮れ。

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ジャコモ、ご苦労様でした! そして、写真有難う!!
お陰さまで、数枚の写真では分からない巡礼行の凄さを
多少なりとも窺い知る事が出来ました。

サンティアーゴ・デ・コンポステーラへの巡礼道(フランスから)が
1993年にユネスコの人類遺産に指定されて以来、
それまでは年間2千人程の巡礼者数だったのがどんどんと増え、
1999年以降は2万人を越え、2004年には4万人以上、
そして2010年には8万4千人を超える程に!

歩くだけでなく、自転車でバイクで、という若者達もおり、
聞いた所では、宿が荷物を運んでくれる所もあるとか!
ちょっとしたスポーツ感覚で挑戦する人達も多いと思いますが、

それでもやはり1カ月間を歩き通す、多人数のグループでは無く、
小さなグループ、または単独で、
そんな人達がやり遂げる事に、大きな意義がある様に思います。
       
きっと、机の前に座っていては分からない何か、
自分の脚を使って歩く事が、何かに繋がるのでしょうね。

皆さま、4回もの長い間お付き合い下さり、有難うございました!
楽しんで下さった様に願います。

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・ n.3 セヴィリアから、サンティアーゴ・デ・コンポステーラに

暑い日が続いているこちら北イタリアですが、一休みの後、
再び、サンティーアゴへの巡礼道を辿って頂きますね。
友人ジャコモがこの春行って来た、南スペインはセヴィリアから
一路北上するヴィア・デ・ラ・プラータ・Via de la Plata巡礼道。
彼の写真を拝借しご覧頂いていますが、

3回目の今日見て頂くのは、35日間に渡る巡礼の大筋の日程の
ほぼ中程17日めに当たるサラマンカ・Salamancaが含まれます。

写真はサラマンカ県の名が見える道路標識。

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イタリアだと、この緑は高速道路になるのですけど、
やはりお国変われば品変わるですね。



ヴィア・デ・ラ・プラータの地図をどうぞ。
サラマンカ・Salamancaが中程上に見えますが、
ここに至る南にかなりの山越えがあったのを先回、先先回にご覧
頂いてますが、この辺りもまだまだ高地で、凄い道の写真もあり!
      
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巡礼道脇にはこんな飲み水の泉があり、巡礼の目印も。

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ジャコモ達も別の泉で喉を潤している写真がありましたが、
中世の昔から、こうして巡礼達が一服して行った事でしょう。



今にも大雨になりそうな雲が動く山村。
古い石の十字架が、こういう日に見るには、ちょっと恐ろしげで!

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巡礼道脇にある宿。 テラス部分を持ちあげる角柱が、如何にもの趣。

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この写真の宿の内部なのかどうか、
寒空の曇り空を辿って来て、迎えて貰えるとホッとしますよね。

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宿には温かな食事があり、清潔なベッドがあり、
同じ道を行く仲間との一時の交流があり。



これは別の宿の寝室部分で、どこもがこんな2段ベッド。

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こちらも別の宿の暖炉。
まだまだ火が恋しい、寒い春だったような。

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寒そうな曇り空の下、遥かに見える街を目指し荒野を進み、

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どうやら、あの先がサラマンカの街。 大聖堂の鐘楼らしきものも。

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漸くに街に辿り着き、またもや渡るローマ期の橋。
そしてまたもやshinkaiの同じ感慨、ローマの民は偉かった!!

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はい、世界遺産指定の、サラマンカの街の素晴らしい大聖堂。

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多分下の写真が、建物左側部分の入り口でしょうね。
この大聖堂は右の古い部分が7世紀の建設で、左側の新しく
ぐっと大きな方が16世紀の物。
新旧部分が一緒になり、街の一郭に素晴らしい趣を与えていると。
       


こちらが、旧聖堂の正面側かも。
右に見える建物の上階の壁にサンティアーゴの印の帆立て貝の形、
サイトで見る建物正面には、約350ものびっしりの貝が並び、、
15世紀建設、現在は図書館と観光局が入っているそう。

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こちらはサイトの写真を調べ判明、
サン・エステバン修道院・ドメニコ会派・17世紀の正面と。

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サン・エステバンって誰? と思いましたら、
イタリア語ではサント・ステーファノ、
フランス語ではサン・エティエンヌと。



こちらは写真の並びから考え、サン・エステバン内部と。
素晴らしく天井が高く、美しい柄でアーチが構築され。

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ジャコモの写真には珍しくこの1枚だけあった、夜のバール写真!
サラマンカは大学の街として有名なのだそうで、写真にも若者が。

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サラマンカ大学の入り口というのも素晴らしい装飾ですが、
残念、ジャコモの写真にはありません。
この大学は13世紀に創設、スペインで一番古い大学だそうで、
その著名な教授陣と相まって1580年には最高の6500人もの
学生が学んでいたそうで、
「学びたい方は、サラマンカにお出でなさい」という言葉があるそう。
       
街の現在の人口は15万千人程ですが、入植定住の歴史は古く、
紀元前3世紀にハンニバルによって征服され、後にローマの下に、
という訳で、街の最初に見て頂いた橋は1世紀の物の様。
そしてゴート族の侵入やアラブの占領があり、街が最高に
栄えたのは16世紀だそうで、
ユネスコの世界遺産指定も、この旧市街と。



雨のマヨール広場、多分ね。
どことなく、ヴェネツィアのサン・マルコ広場を思いだし。

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お天気も回復した様でやれやれ。 さて次の町に到着し。

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夏には木陰がさぞ素晴らしかろう、という広場があり、

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そして、恐ろしい山越えの小道!
道なき道の奥に、白い小さな物が見えますね、
あれが先行者がリュックの上にくくり付けた何かなのですよ。
中世の巡礼達が通った道は、殆どがこんな道程だったのでしょうねぇ!

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そして辿り着く小さな町の広場に見る巡礼道の標識。

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こんな標識1つ1つを見る毎に、宿に着くたびに、地図と見比べ、
ああ、ここまで来た!という感慨なのでしょうねぇ。



はい、サンティアーゴ・デ・コンポステーラには、こっちに真っ直ぐね。

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こんな道しるべもあり。

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素晴らしい渓谷の眺めもあり、

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そしてまたこの美しきローマ期の橋。 この半円アーチにこの橋脚、
ローマ期の物に間違いありませんね? 本当に美しい!

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やっと平野に出たと思うと、この一直線の道!

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ジャコモが作っていた写真集を見て、わぁ、この道!と驚きましたら、
そう、20キロ以上も続くんだよ、って!!

ひたすら道の先を見ながらどこまでも、どこまでも、
何時間も歩く事を想像すると、 はぁ、私には到底無理!



こういう古い、丘かな岩山かな、を利用した家も眺め、

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通りすぎる小さな村の泉の脇、 ロバ君とのすれ違い。

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夕暮れ迫る頃、丘の上に見える小さな集落。
城壁に囲まれ、教会があり、要塞、城館も見え。

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そしてまた、霧雨の日、雨装備のジャコモ。 
傘をさしている別の日の写真もありましたっけ。

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今回の35日の巡礼行は、かなり厳しかったそうです。
曇り空だけでなく、雨の日、風の寒い日が多く、
さすが頑丈なジャコモも体調を崩し、救急病院にも行った程と。

昨年のフランスからの巡礼道では、大体30日の行程を
4日程早く到着したそうですが、今回は35日ちょうど、というのも、
短い距離にした日もあったのでしょうね。
       
それにしても、ジャコモも、他の巡礼さん達も立派ですねぇ!
あんな山道を、一直線の野の道も、雨の日も歩き続ける、
凄い精神力!!

次回はいよいよ、サンティアーゴ・デ・コンポステーラに到着ですが、
もひとつ大きな美しい街を通ります。
お楽しみに!

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・ とりとめなく、モノクロ ・ カラー ・ 猫ちゃん写真など

友人ジャコモの写真を拝借しての、スペインはセヴィリアから
サンティアーゴ・デ・コンポステーラへの巡礼行を一休み。
はい、余りの暑さに、写真とはいえ歩くのを一休みで、ははは、

先日郵便局で見つけて貰って来た、古い写真をご覧下さいね。
と、あれこれ、ああ、あれもあった、と思いだしたのも一緒に、
おまけを加えましたので、ごゆっくりどうぞ!

郵便局の写真は、
1862-2012 Posteitaliane 150  Foto Archivio Storico
つまり、イタリア郵便局創業150年記念、歴史的なイタリア郵便局の古写真と。

トップは、バイクに乗っての配達を撮影中。

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写真カメラでは無く、ほら、丸い映画撮影用カメラですよ。
となると、初めて郵便局に配達用のバイクが採用された時かも!

創業150年の歴史的な写真とはいえ、いずれも戦後も暫くしての写真に
間違いありませんね。



市内電車にも、投函用ポストが付いていたのですねぇ!
袋を開けるシニョーレのくわえ煙草に笑いましたぁ。

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これよりの2枚の意味がちょっと不明でしたが、上の写真をクローズアップ、
で、どうやら貯金通帳らしい、と分かりました。
となると、子供貯金を呼びかけたキャンペーンがあったのかも!

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それにしても、上の写真の子供の右背景に見える投函箱の宣伝の、
「奥さま方の美容院」に見える髪形がねぇ!



ちょっとモダンさを狙って、窓枠に郵便車を合わせていますね。
今の車は、白に黄色の組み合わせだったと。

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突然の野良猫ちゃん写真ですが、モノクロのレトロ写真からの尻取り発想で、
ははは、そういえば、ヴェネツィアの白黒の猫写真が1枚あった、と。

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うん、白黒猫がもう1枚、ね。
これは友人のmkちゃんが、昨秋のパリ土産に送ってくれた物。

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mkちゃんは、マドロス猫、と書いてくれたのですが、
机の前にあったのを見て、我がイタリア語の先生アンナリーザは、
あ、絵描き猫! ですって。
横縞のシャツか、ベレー帽か、 どちらを取ります、あなた?!



猫ちゃん写真が続くと、ああ、あれもあった、と、尻取りで、
これは、「にゃ~こ」のママ、ゆんぴょさんから届いた案内状。
「にゃ~こ」も芸名で、ははは、出ているのですよ。 
     
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これだけたくさん並ぶと、可愛いでしょう?!



で、可愛いとなると、 ・・無理矢理に可愛い!と言わせようと、がはは。

何世紀も前のshinkai の写真を、本邦初公開。
1歳2歳のお誕生前、と聞きました。
散髪に連れて行ったら満員だったので、隣の写真館で撮ったのだそう。
       
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さて、これでクリック数が増えるか、ガクッと減るか・・! きゃははぁ。
少なくともこれで、「shinkaiは、男か、女か?」という疑問は、
一掃されるだろうと・・、だよねぇ?!

うっかりの記憶のままに、1歳のお誕生前、と書きましたが、
はい、良く考えてみると、私めは12月生まれで、この写真は夏。
となると、やはり皆さまがコメントに書いて下さったように、
1歳前という事はあり得ませんね、2歳のお誕生前ですね。
あああ、ここでも良い加減を御披露してしまいましたぁ!
     

      
最後は、ハワイの友人から先日届いたレトロ調絵葉書で、
アロ~~ハァ~!!

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皆さん、暑さ負けしないよう、体調にお気をつけてお過ごしくださ~い!


◆追記です。 
なぜ郵便局の古い絵葉書か、をご説明しませんでしたが、
無事、広島の画材店に注文したケント紙、想像していたよりも薄く、
黄身がかっていますが、昨日無事に、信じられない速さで届きました。
良かった! 嬉しい!!

イタリア郵便局だって、やりゃぁ出来るんじゃん!
早速インキで描き、濡らしてみましたが、大丈夫!!

ですが、郵便局の、イタリア政府の税金が、なんと、36,78エウロも!!
なんでやねん!! まるで、後進国の税関並みではねぇの?!
・・この際、イタリアが後進国か非かの疑問はさて置き、ははは。

この絵葉書は、画材店への払い込みに行った時に頂いて来たものです。 
クヤチイので、あったのを全部貰って来たの!

ですが、ケント紙がたっぷり届き、今描いているペースだと何年分もあり、
shinkai 死してケント紙残す、
てな事にならぬよう、ははは、・・大いにありえるなぁ、
頑張って描きま~~す!


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・ n.2 セヴィリアから、 サンティアーゴ・デ・コンポステーラに

スペインの南セヴィリアから、スペイン北西にある大巡礼地
サンティアーゴ・デ・コンポステーラに向かう古く中世からの巡礼道、
ヴィア・デ・ラ・プラータ・Via de la Plata.

約1000kの道程をこの春35日かけて踏破して来た様子を
友人ジャコモの写真でご覧頂いていますが、その2回目を。

先回最後に、ローマ期の橋を渡り到着した街が巡礼のお祭りの最中、
子供達がローマ兵士の扮装で参加しているのをご覧頂きましたが、
       
昨日の橋の脇には、こんなローマのシンボル、
雌狼がロムルスとレムスの双子に乳を与える像が見え、

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それにしても寒そうな空の色ですねぇ! 
この雌狼の像は、古くエトルスクの像と言われていたのが、
だんだん怪しくなりつつある、現状ですが、

それはともかく、こんな像があるこの街Cáceres・カセレスとは、
一体どんな街なのかと、ちょっと検索してみました。
       
というのも、ジャコモのカメラに素晴らしいローマ遺跡の写真が
たくさん収められていたからでして。

      
巡礼道の地図をどうぞ。 セヴィリアから北に辿り2つ目の赤マルの左、
緑の四角で囲った所、Cáceres・カセレスがこの街。
大体の行程表に由ると、全35日の11日めに当たります。

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大きな野外闘技場があり、席数もかなりのものですねぇ!

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この立派な石組!

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こんな美しい劇場跡も! 驚きました。

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まったくもって、ローマ人というのは公的施設建設の天才でしたね。
2000年後の今も残るこの遺跡の素晴らしさ、美しさ!
ローマ帝国がヨーロッパを制覇したからこそ、これらの美しいのが
残っている、と考えると、う~~む、他の民族でなくて良かった!
・・なんぞと、だんだんおらが国、になっているかな? ははは。

カセレスの街は現在人口が9万2千人程、
街は紀元前25年に、ローマ人によって造られたそうで、
こうして素晴らしい遺跡が残っているのですね。
街の旧市街は、市壁に囲まれた古い町並みが完全に残っていて、
ユネスコの世界遺産に指定されているとの事。



こちらはローマ貴族の屋敷跡の様で、これもまた美しいですねぇ。

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ジャコモの写真の並び順にご紹介していますが、

一列に並んでご挨拶のウシ君達が居て、

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そして写真提供のジャコモと、その隣の石柱、
これはなんとポストなんですって!

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つまり、穴が見える所に手紙などを入れて置くと、
穴の周囲に凹みが見えますから、扉が付いていたのでしょう、
郵便伝令というのか、飛脚、はたまた馬車馬かも、が通って
中の物を運んだのだそう。
  
これは公の書類伝達だったと思いますから、切手や配達料等を
shinkaiが心配しなくても良い筈ですが、
どの程度の速さで届いたのか、
       
cucciolaさんが、古代の郵便制度について書いておられます。
http://blog.livedoor.jp/cucciola1007/archives/764997.html



これはまたカセレスの街、ウィキの写真から判断し、
マヨール広場にあるエストレージャ門。

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ここを上ると、きっと旧市街なんだろうなぁ。
こういうのを見ると、旅の虫ウズウズ。



アダルーへ・Adarve小路。
標識にCALL ADARVE が見えるのですが、さて何の建物?

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どうやらジャコモ達は遺跡見物の後、カセレスの街に戻って
巡礼宿に泊まった様子ですね。
      


この宿の写真はカセレスのではなく、それ以前のものですが、
今回同行したこの2人は、昨年フランスからの巡礼道で、
最後の10日ほどを一緒に歩いた仲間だそう。

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手前がシチリアの男性で、奥がフィレンツェと聞きましたが、
きっと昨年話が合って、では今年は南からトライしようと
なったのでしょうね。
宿の台所でサラダを作り、フライパンで何か料理中。



さて、これは間違いなく、夜明けの出発。

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荒野にこんな門と家があり、

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今日も早くからお発ちですねぇ! お気をつけて行って下さいねぇ。
のお見送り連中。

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この幅広い河、多分スペインで1番長く、ポルトガルのリスボンで
大西洋に注ぐタホ河と。

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またこんなローマ期の橋の遺跡があり、

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古い町の坂道の小路を抜け、

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塔の上に幾つもの巣を作るコウノトリ。 

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仔馬ちゃんも見送ってくれ、
それにしても、道は大変な上り坂の様。

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曇り空の下、漸くに遠くに街が見えて来て、
今夜の宿は、あそこにしよう。 

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翌朝は快晴。

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牛の親子が草をはみ、

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またローマ期の遺跡が右に広がる道を行き、門をくぐり、 

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曇り空の下、小さな町の古い教会の横を通り、

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また山道にさしかかり、細い小道が奥に。
道脇の木々は、漸くに新芽が出かかった所。

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という所で、サンティアーゴ・デ・コンポステーラへの巡礼道、   
南スペインはセヴィリアからのヴィア・デ・ラ・プラータ、n.2のご案内でした。

田舎の細い道を、ただ前に向かって、どこまでも!
かなりの山道も、黙々と進む大変な巡礼行ですが、
歴史のある街には、見る楽しみの一時もあり。
宿について清潔なベッドに横になる時、心からホッとする事でしょう。

あと2回のご案内を予定しております。 どうぞお楽しみに!

*****
 
今朝は恒例月初めのお墓参り、お花を換えに。
スコミーゴ村は晴れていたのに、トゥレヴィーゾにかかる頃から
霧がかかり始め、ヴェネツィアにつく頃には、まるで冬の霧景色。

少し遠くはぼわ~んと霞み、おまけに反対車線はかなりの停滞!
そして車をでると、もわぁ~んと蒸し暑く、帰り道を心配しましたが、
有難い事にほんの少しの停滞で済みました。

今夜は、いよいよユーロ2012年の決勝戦!
早めにお風呂をし身を清め、ははは、
ご飯も済ませて、ゆっくりTVの前に。
よっしゃぁ、頑張るぞぉ! 皆さんも、応援してねぇ!!

*追記*
あああ、イタリアが負けてしまったよぉ。
しかもねぇ、かなりの差を見せつけられてねぇ。

・・うん、仕方がないよね、これが実力。
また、出直すだけ、の話ね。  頑張ろ!!


*****

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*****

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・ n.1 セヴィリアから、 サンティアーゴへの道 

スペイン北西にある中世からの大巡礼地、サンティアーゴ・デ・
コンポステーラに向かう巡礼道は、フランス南からピレネー山脈を
越える行程が有名ですが、
昨年初夏のポルトガル旅行のとっぱしに、1番最後の札所に寄り、
大聖堂の聳えるサンティアーゴの街を訪問できました。

その時に我らのグループの1人のご主人が先に出発、
フランスからの道を1カ月間かけて踏破、我々を飛行場に
迎えてくれたのですが、
その御夫婦と、この春に行った北ラツィオのチヴィタ、天空に浮かぶ町
として有名なチヴィタで偶然お昼を一緒するチャンスに。

その際、彼が再びサンティアーゴへの巡礼に出かける事、
今度はスペインの南セヴィリアからの道を辿る事を聞き、
では是非に撮った写真を見せてくれ、と依頼しました。

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5月中旬頃には戻ると聞きつつ、こちらもバタバタで連絡が遅れ、
先週漸くに電話すると、CDに写真を入れてあるから、と
翌日に貰う事が出来ました。

が、なんと家で開けて見ましたら、905枚!入っており、
きゃぁぁ、どうするのぉ、これぇ、という有様!
CDを貰うのに会った時、彼ジャコモは既に自分の写真集を作っており、
それを見ながら少しあれこれ聞きましたが、
残念、彼は写真集にも場所の名を入れておらず、
私には到底その場所を特定する事は出来ず・・、はてさて。

という事で今回は、漸くに100枚程に絞った写真を4回分に分け、
これでも大変で、これ以上絞ると面白くない、という私の独断で、
もう否が応でも見て頂こうと・・、 がはは。
どうぞお楽しみ頂けますように!!

というのも、毎日が晴れの日ばかりではありませんで、
今回はとりわけ雨や寒い日が多く、大変な行程だったらしいのです。
観光地を巡る旅行とは違い、遥かに続く平野の中の道を行く、
それが35日間続く旅の風景です。

私には到底経験できない旅と思いますし、多分多くの皆さんも、ね。
という事で、
中世から巡礼達が辿ったこの道を、味わって下さいませませ!

トップは、セヴィリアの街の夜明け、旅立ちの朝。

ハワイに住む我が友人mちゃんからメールが届き、
写真に見えるのは「コロンの塔」というのだそう。
彼女は以前セヴィリアに住んでいた事があり、
ブログを見て驚き、懐かしく、教えてくれ方々メールを。
        


セヴィリアからサンティアーゴ・デ・コンポステーラに至る道、
この道は、ヴィア・デ・ラ・プラータ・Cammino Via de la Plata
と呼ばれる、約1000K、大体35日の行程。

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こちらが、今回の写真提供者ジャコモ・Giacomo.

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歩くのが好きで、毎日訓練を兼ねて歩いているそうで、
今回の巡礼は3度目!
どんな感じ? と月並みな事を聞きましたら、
やり遂げた時に、やはり考え方が変わった、と。
どう変わったか、というのは本人にしか感じえない事でしょうし、
多分言葉では伝えきれない何かなのでしょう。

なぜ始めたのか、と聞きましたら、歩くのが好きな事もあるけど、
名前が同じだし、と。
そう、サンティアーゴ・聖ヤコブのイタリア語名はジャコモなのですね。



セヴィリアの王宮かな?
mちゃんより、ここは「スペイン広場」といい、観光のメッカですと。

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王室煙草工場、ですと。
セヴィリアの煙草工場と言うと、あのカルメンが働いていた?

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mちゃん曰く、現在は「セヴィリア大学」なのだそう。
内部は天井が高く古く薄暗く。 彼女も物語の舞台となった
建物だと思うと、いささか気持ちが高まった、と。



こちらは写真をアップして判明。 巡礼手帳の発行所で、
これを持って旅をし、お札所で判を押して行くと、
最後のサンティアーゴの聖堂で、巡礼証明書を下さると。

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セヴィリア大聖堂の前にあるという、
ここがいよいよヴィア・デ・ラ・プラータの出発点。

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こんな、真っ直ぐな道!

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いえ、彼らはたまたま一緒の道にいるだけで、
巡礼に参加しているわけでは・・、ないよね?!

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どの街かな、これはセルバンテスの顔ですよね?

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遥かに広がるこんな原の道を行き、

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展望台が突き出し、カルヴァーリオの丘・ゴルゴダの丘と!

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広がる風景は一見なだらかですが、
名前からすると、かなり酷い上り坂なのでしょうねぇ!

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寒そうな霧の日。

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まだまだ春遠いベランダの鉢植え。

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またまた遥かな野原の道。
こういう先が遠い道は、気持ちが萎えるのですよねぇ。

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こんな紋章の見える街に着き、 

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一時を、素晴らしい教会内で過ごし、

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かなり大きな街の、素晴らしい教会の様ですが、さて?! 

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これはかって鉄道が通っていた道ですよね?
今はこんな風に両脇に敷き石とレールが積み重ねられ!
盗まれないのかなぁ?!

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また、町に着き、

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これは大変綺麗で大きな巡礼宿。 巡礼の為の宿は、
公設と私設と様々あり、大体5~10エウロで泊まれるそう。

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かって公設の宿は無料だったのが、今55エウロと、
昨年聞きました。 ただし、朝には出発しないといけないそう!



田舎の街を抜け、

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高台から見る街と、広がる畑、平野。

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そして、またの夜明け? いや、日没後かも!

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樹齢を重ねたオリーヴの樹と、

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こんなオリーヴ畑!

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そしてまた街に到着し、渡るローマ期の橋。

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ローマ人は、本当に偉かったですねぇ!! ヨーロッパ中に今も
使える橋があり、野外劇場、闘技場があっちにもこっちにも。



そして、この街Caceres・カセーレスかな?では、
巡礼のお祭りがあり、子供達はローマ兵士の扮装で!

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行程表に由ると、ここは11日めに当たるのでした。



ジャコモ、そして巡礼者の皆さんは本当に偉い!
毎日20~30Kを歩き続け、1000kの道程を行くのです。
毎日ですものね、これが凄い!

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という所で、初日を終わり、n.2に続きま~す。


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