・ 映画、DVDのお話をちょっぴり、 そして暫くのお休みを

お天気はまだ安定しておらず、雨がぱらついたり、カッと陽が照ったりの
繰り返しですが、緑に埋もれる良い季節になっています。

来週早々に日本からお客様が来られ、まだ日程は未定ですが、
あちこちお伴したりご案内したり、という事になりそうで、
来月20日頃までブログをお休みさせて下さいませ。

で今日はお休み前の息抜き、はい、私めの、ははは、
最近購入したDVDや、見た映画の事などをちょっぴりここに。

◆ ジュリー&ジューリア・Julie & Julia
  ・2009年 アメリカ映画
  ・ノーラ・エフロン監督
  ・メリー・ストリープ、 エィミー・アダムス

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食べる事の大好きなアメリカ女性が、戦後のパリでフランス料理を習い、
遂にアメリカにおいて初めてのフランス料理大全を出版したジュリーと、
現代のニューヨークで働きつつ、ジュリーの料理を1年間
毎日1品づつ作り、それをブログに発表するジューリア。

2人の各逸話の交錯で、ジュリーの料理と共に出版にこぎつける苦労、
毎日の料理試作でお給料が吹っ飛ぶ程のジューリア。
ともに夫の協力もあり、めげずに進む女性2人の爽やかなお話。


ここからのDVDはつい最近オン・ラインで買った物で、
以前ご贔屓にしていた大手系コネリアーノ店は今年から閉鎖で、
そんな不景気なニュースもつい最近知った事でした。
      
◆ ヴァージン・フライト
  ・1989年 イギリス映画
  ・ポール・グリーングラス監督
  ・ヘレナ・ボナム・カーター、 ケネス・ブラナー

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偶々TV放映していたのを途中から見て、DVDを探しました。

双翼飛行機に取りつかれたリチャードは、ビルの屋根から飛び降り
社会奉仕の罰を受け、難病で車椅子生活のジェーンの世話をする事に。
最初は彼女の我儘にうんざりする物の、次第に心を通わせる様になる。 
所が彼女のこの世の最後の希望は・・。

美しいイギリスの自然の中で繰り広げられる、どこか可笑しくも哀しい、
そして厳しい現実。
御一見をお勧めです!



◆ 宮廷画家ゴヤは見た
  ・2006年 スペイン・アメリカ映画
  ・ミロス・フォアマン監督
  ・ハビエル・バルデム、 ナタリー・ポートマン

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イタリア語のタイトルは、「最後の異端審判官」で、インター・ネットに
接続すると日本語ページなのにイタリア語のCMが出て、
「アマデウス」のミロス・フォアマン監督というので、注文したのでした。

1792年のマドリッド、お隣のフランスでは革命の反動が始まり、
そんな動乱の時代に、無理矢理にも異端者を探し創り上げる
異端審問官。 ゴヤの絵のモデルとなった富裕商人の娘もその1人で、
時代の動く中、獄中に放棄されたままに・・。

異端審問なるもののでっち上げの恐ろしさはおぞけをふるいますが、
映画「アマデウス」に比べて、出来が少し・・、かな。



◆ 愛の嵐
  ・1973年 イタリア映画 
  ・リリアーナ・カヴァーニ監督
  ・ダーク・ボガード、 シャーロット・ランプリング

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1957年のウィーン、元ナチの親衛隊将校が身を隠し、ナイト・ポーター
として働いているホテルに、かって強制収容所で弄んでいた少女が、
有名指揮者の妻として現れ・・。

怖い映画でございます。
ナチの様子はどの映画を見ても怖いものですが、戦後もしっかり仲間の
繋がりを持っている事、焼けぼっくいの関係に火がつく事の怖さ、
兵糧攻めと言うか飢えの苦しみにさらされる怖さ。



◆ 冬のライオン
  ・1968年 イギリス映画
  ・アンソニー・ハーヴェイ監督
  ・ピーター・オトゥール、キャサリン・ヘップヴァーン、アンソニー・ホプキンス

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1183年のクリスマス、夫のイギリス国王ヘンリー2世によって
ソールズベリーの城に監禁中の妻アリエノール・ダキテーヌも
クリスマスを一緒に過ごすべくやって来る。

彼らの息子リチャード(後のリチャード獅子王)、後のジョン王らと共に
夫の愛人も集まる中世の城の中。

老いたヘンリー王の世継ぎは誰かを巡り、皆それぞれの思惑から
陰謀をめぐらす中世の城中で、気性が強くまだまだ負けぬ妻と
11歳年下の夫と、3人の息子たち。

大変に見応えのあるドラマで、DVDは画像も新しく美しく、一見をお勧め。



◆ 英国王のスピーチ
  ・2010年 イギリス映画
  ・トム・フーパー監督
  ・コリン・ファース、ジェフリー・ラッシュ、ヘレナ・ボナム・カーター

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最近の映画で、アカデミー賞も取ったので、説明は要りませんね。
良かった! 見応えがあります! 是非!!

兄の、前イギリス国王エドワード8世が、離婚歴を持つアメリカ人の
シンプソン夫人と結婚するために国王辞任しますが、
実情はよく知らないものの、映画の中でのシンプソン夫人の
描き方に興味を持ちました。
単なる国王との純愛ではない様な、凄腕の女性に見えましたぞ。



次の2本は最近映画館で見たものの中で、良かった!!もの。

◆ アーティスト
  ・2011年 仏、ベルギー、アメリカ合作
  ・ミシェル・アザナヴィシウス監督

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白黒、無声映画でも、こんなに楽しい生き生きとした
素敵な映画が出来るのですよねぇ!
3Dだの、ファンタジーだの、あんなのは子供向けだよねぇ、ははは。



この可愛い芸達者なワンちゃん、ウッギ―君は10年間の
お仕事から、つい最近引退したんだとか。

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◆ 最強のふたり
  ・2011年 フランス映画 
  ・エリック・トレダノ監督
  ・フランソワ・クリュゼ、 オマール・シー

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脊髄損傷の大富豪のフィリップと、介護人ドリス。
イタリア語のタイトルは「ほとんど友達」というと、2人の関係がお分かりと。
最近見た中で、一番気に入った素敵な映画。
爽やかで心温まる、うん、DVDが出たらすぐに買うのだ!!


ついでに老婆心ながら、余りにも身にぴったりの言葉ですが、がはは、
最近見た映画で、お金を払ってご覧にならぬのが身のため、と思うのは、
ウッディ・アレンの、ローマを主題にした映画、「ローマでアモーレ」

なんとまぁ、こんな実体のないつまらぬ映画、
見に行く時間も、お金も勿体ないっす!!
私はお口直しに、「最強のふたり」を見て、
映画はやはり素晴らしい、と思い返せたのでした。
      
では皆さま、来月20日過ぎまで、お休みを頂きます。
良い季節を、快くお過ごし下さいね!       


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・ イスラム、オリエントの香り ・ ベリー・ダンス

昨年もご覧頂いたベリー・ダンス、参加しているグループの最後の発表会での
舞台ですが、いえいえ、私めはダンスに参加はしておらず、勿論!

最後に見せて頂けるシルヴィア先生の模範演技をうっとり眺め、
いや、目の前で動かれる様子をカメラで必死に追いかけ、
カメラのファインダーを通して、常にオッ! アッ!と
その美しさに感嘆しつつシャッターを押し続けるものの、
いかんせん、なかなか思う様には撮れません。

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が、まぁ、下手な鉄砲も数うちゃ・・と今回300枚程写した中から、
ははは、我ながら呆れますが!
シルヴィア先生・Silviaから嬉しいご了解も頂けましたので、
なんとかご覧頂けそうなのを、ここにアップです。

今年の先生の衣装は、上でご覧の様に大変豪華なもので、
皆が一斉に感嘆の溜息を洩らしましたです。
              
昨年の踊りの様子は  ベリー・ダンス ・ オリエントの香り
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461685708.html



説明は要りませんね。
では、ごゆっくり魅了されて下さいませ!

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昨年に比べ一段と美しく、ふっくらと丸くなられ、
それがまたこの踊りに相応しい丸さなのですが、
     
2曲目には扇に布が付いたのを持って踊られ、
布の動きと共に、また一段と素晴らしかった!!

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オリント・ダンスというコースを持っておられ、仲間が何人も体操代わりに
参加していて、先生の各地での教室の生徒さんが集まり、
来月中旬にトゥレヴィーゾ・デヴューをするそう!!
カメラを持って、応援に駆けつける予定で~す。

    
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・ ルイーザの、イルデ叔母さん ・ zia Ilde  

今日はちょっといつもと趣向が違う、1人のイタリア女性のお話を。
我が友人のルイーザ・Luisaの叔母さん、イルデ・Ilde.

彼女には2,3回会っていますが、私にもいつも言葉をかけてくれ、とても親切。 
昨年秋にあった時に、

ダ―チャ・マライーニ・Dacia Marainiの本
「神戸への船・La nave per Kobe」という良い本を持っているから
あんたにプレゼントしてあげる、という事で、
だいぶ前にその本がルイーザ経由で届きました。

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サブ・タイトルに「私の母の日本日記・diari giapponesi di mia madre」
とある様に、ダ―チャ・マライーニがまだ幼い1938年、
一家はアイヌ研究の父親と一緒に来日、札幌に住みますが、
イタリア本国でムッソリーニが敗戦間近に、ガルダ湖のサロに置いた共和国を
承認する書類に父親はサインせず、一家は日本で収容所生活を強いられ、
飢えに苦しんだりもした様子。

が、このプレゼントの本は私はまだ読みかけで、内容を知りません。
が、最初にルイーザが読み、そしても一人の友人が回し読みし、
大変良かった、という感想を聞きました。


で、今日お話したいのは、この本をプレゼントしてくれた
ルイーザの叔母さんのイルデ・Ildeについてです。

既に80歳ほどと思われる彼女ですが、化粧ばっちりで細い高いヒール、
レースの高価な衣装、頭脳明晰、そしてお金持ち、・・位の知識しか
ありませんでしたが、ある時ルイーザから彼女の人生模様を聞き、
まったく世の中には色々な事があるものよ!と。

ダ―チャの本の中には、彼女の幼い頃や古いかっての日本の写真が掲載されており、
そんなのを眺めている内に1つアイディアが来て、
この素敵なイルデ叔母さんの話をブログに載せても良ろしいか?
と許可を貰い、古い写真もルイーザが送ってくれました。

文は、文章工房コースに行っているルイーザが3年前に書いた
イルデ叔母さんの話を、私が拙訳し、いささか長くなりますが、
ごゆっくり、この愛すべきイタリア女性のお話をどうぞ!

双子姉妹のエンリーカ・Enricaと一緒に。 右がイルデ。

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どんなに無関心な人の目にも付かずにはいない特別な女性、
我が一族にいるそんな女性、それは叔母のイルデ。

10人の兄弟姉妹の1番下、美しく、奇抜で、良くも悪くも極端な行動をとり、
本能的、直情的、嘘つき、敏感、人を騙し、愛情に溢れ、役者で・・、
そしていつも遅刻する。

20歳の時、自分よりもずっと年の行った男性と衝動的に結婚したのも、
上手く行かなかった恋愛を忘れたかったから。
が、じきに自分が間違いを仕出かした事に気づく。
というのも結婚相手はアルコール中毒者であり、反感を持つだけとなった彼女は
2年後には生まれた子供を抱え、田舎の両親の家に戻った。

両親、私の祖父母はそんな彼女を温かく受け入れたが、
当時の田舎社会では人々が大いに噂するスキャンダル。 
50年以上も昔の事、当時の田舎では「離婚」という言葉は存在しなかったし、
「別居」も無かった。
が、彼女は人々の言う事などまるで気にかけず、自分の好む仕事では無いにしろ、
稼ぐために工場に働き口を見つけた。

当時私はまだ子供だったが、その頃発売されたグラツィエッラという名の
婦人用自転車で通りすぎるのを見ている。
黒い美しい髪を、サカゲを立てた20センチの高さにもシニョンを結い、
それに私の妹ラウラの金髪のお下げを黒く染めたつけ毛を付け、
黒く長いアイラインを引いた目、つけまつ毛、細い高いヒール、
そしてペダルをこぐと上にずり上がり腿が見える程のぴったりした服、
それを絶えず片手で押さえつつ・・。

そうやって通りすぎると、あちらこちらから飛んでくる口笛の音。
工場の仕事も上手く行かず、そうやって何ヶ月後かには首になる。
が決してめげることなく新しい仕事を探し、最初はブティックの店員、
大変シックに努め、次には自分でブティックを経営するも破綻。
なぜなら叔母は大変に創造的ではあるものの、経営勘定に疎く、
おまけに慎重さにかけていたから。


イルデのお母さんチェチ―リア・Ceciliaと、右イルデと娘、
左エンリーカと娘。

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そんな様子で彼女の人生は様々な上がり下がりの連続で、
愛情問題も上手く行ったり行かなかったり・・、
それも運命の男に出会うまでの事。

55歳を目前に、既に人生の黄昏時にかかったと思った時、
彼女は結婚相談所に登録し、じきに2度目の夫となった男性と知り合う。
彼女よりも10歳年上の没落した伯爵、やもめで素敵な男性。
心だても良く、見かけ振る舞いも申し分なく、フリウリの、たくさんの貴族の紋が
打ちつけられた緑の大きな鉄の門のある、古い大きなお屋敷に彼女を連れて行った。

高価な陶器類、時代ものの銀食器の溢れるその古い家に叔母はすぐに馴染み、
女王の様に訪れる人すべてを親切充分にもてなし、居心地良くさせる、
そんな生活を本当に上手に采配した。

彼女は人生において初めて、幸せで守られていると感じ、
留まる事の出来る港を見つけたのだった。
が残念な事に、10年間のこの平穏な生活の後、彼女の傍らから夫を
短い期間の病の後連れ去ってしまった。

彼女にとって、我々親族にとっても最悪の時だった。
だがまたも彼女の性格通り、打ちのめされたりはしなかった。
相続が済むとフリウリを離れ、我々の土地、親族一同のいる土地に戻って来た。

いま彼女は80歳近くなるが、未だに彼女の魅力を充分に保っている。
いつもしっかり化粧し、スパンコールと蛇皮摸様、またはレオパルド柄の衣服をまとい、
高い細いヒール、きちんと髪をセットし、いつも騒々しく、そしていつも遅刻する。
何か悲しい事がある時は、大泣きする為にミルクの入った小鍋を抱え、
ほんの暫く引きこもり、そして前よりも一層元気になって現れる。



2年前の写真で、右側イルデ、左は彼女のお母さんチェチ―リア。

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私は彼女が本当に落ち込んでいるのを見た事がない。
いつも闘士で先頭に立ち、内に絶望を抱えている時でも屈服しない。
時の経過と人生の変遷は彼女に賢明さを与え、人々を即理解し、慰め、励ます。
家の扉はたとえ夜中でも、彼女を必要とする人にはいつも開かれている。

そんな彼女は、私の人生の逆境においての頑張るモデルとなった。
こういう人物が家族の中にいるというのは、とても良い事。
有難う、イルデ叔母さん。
もしあんたのような人が居なかったら、誰か似た人を作らないといけなかったものね。

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***

如何でしたか? この強くて美しい女性の半生、
ルイーザの文章も良いでしょう?!
       
イルデの如何にもシャキとした強い顔立ち、そして強くて優しい姿勢が大好き。
ルイーザの言う通り、人生における女性の大先輩。
めげずに生きていく事を、見せてくれます。
       
Grazie zia Ilde e Luisa!


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・ n.3 ファルネーゼ邸 カプラローラ

3回に分けてご覧頂いたラツィオ州の北東に位置するカプラローラにある
ファルネーゼ邸、いよいよ最終回。

今回はこの豪奢な大邸宅を造り上げたアレッサンドロ枢機卿、
先回肖像画をご覧頂きましたが、教皇パオロ3世の孫に当たり、
偉大なる枢機卿と呼称される彼の寝室と、邸宅の奥の山中に造られた
素晴らしい庭園をご覧頂きますね。では、どうぞ!

写真は、豪華絢爛たる部屋の装飾に比べ、大変簡素な部屋の閂。
が、これは既に閉っていた扉の閂なので、特別な部屋ではないのかも知れずで。

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こちらが、アレッサンドロ枢機卿の寝室。
五角形の建物の北側部分は夏用、南側は冬用と、用途に従い分けられて
いるそうですが、彼の寝室は北側の西角の部屋の北隣り。

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窓の壁の厚みと装飾。
ぽこっと小さな丸いボタン式の飾り、紋章付きが可愛いですが、

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・・眺めていると、ラーメンが食べたくなり! 失礼。
       
ガラスとの内側に鎧戸があった事を示す金具が見えますが、
内側の壁上部に突出したフックが見えますか?
あれにつづれ織をかけ、部屋の装飾に、寒さよけにしたのですね。



床の模様も特別では無いですが、ベッドを置きますものね、暖炉があり、

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当時のこんな素晴らしい家具、椅子というかベンチがあり、

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壁上部と天井の装飾。
  
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天井画のモチーフは「夢」、新約聖書に由来する様子。

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この天井画の向きから考えると、窓側にベッドの頭が来たのでしょうね。



こちらは確か「天使の部屋」の装飾で、天使像の下の扉は騙し絵。

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「ソロモンの審判」の部屋。
各部屋の装飾はそのテーマに従い神話のモチーフが多く選ばれていますが、
いずれも優雅繊細。

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これは細い通路の小部屋で、びっしりと木の茂りに紋章と縄の柄。

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ほら、ミラノのスフォルツァ城内に、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたという
大樹の部屋がありますね。
規模も表現も違うのですが、建物内に木々の茂りを描き、小鳥を飛ばしたり、
青空が覗いたり・・、は良く見かけます。

きっと現代人が部屋に観葉植物を置いたりするのと同じ感覚だったのでしょうね。



北側の部屋から、奥の庭園に続く橋が見え、
平面図には橋は北側の西と東に2つありますが、

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現在の行程では西の橋を渡り、建物を出ます。
ちょうど「ソロモンの審判」の部屋に扉があり、橋に続き・・、

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振り返るとこういう様子。

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つまり建物の2階から我々は外に出て、上に見える窓3つの部分が、
護衛兵士、召使達の居住部分にあたる2階分の窓。



橋から見下ろす堀、深いでしょう?!
古い要塞の後に設計建設された、と言いますが、これを見ると1階、地階部は
完全に要塞の形を取っているのが良く分かりますね。

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このファルネーゼ邸の建設を決め、工事を始めたのが1530年。
4年後に教皇パオロ3世に選出されるアレッサンドロ枢機卿で、後に建設を
引き継ぎ豪奢な邸宅に仕上げたアレッサンドロの祖父の時代。

設計を任されたのはアントニオ・ダ・サンガッロ・ジョーヴァネ・
Antonio da Sangallo giovane.
当時はこの一帯の領土の管理も兼ねた要塞城館としての意図もあり、
こういう堅固な形も取り入れ、残されたのでしょうが、

このアントニオ・ダ・サンガッロ・ジョーヴァネという設計技師、同じ名前の叔父の
アントニオと区別するため、ジョーヴァネ・若い方、と呼ばれます。
叔父のアントニオ・ヴェッキオは、長兄のジュリアーノ・Giulianoと組んで、
古い要塞を大砲の攻撃にも耐えられる強固な近代的な物に修復した事で
有名な設計技師で、ローマのカステル・サンタンジェロとか、
リボルノのフォルテッツァ・ヴェッキオ等が有名な仕事。

Youtubeにこの邸宅を紹介したヴィデオがあり、この堀の説明もありますが、
やはり強固な事を強調しています。
http://www.caprarola.com/palazzo-farnese.html

ファルネーゼ邸の最初の仕事を始めたアントニオ・ジョーヴァネは、若い頃から
叔父と共にローマに出て仕事を習い、素晴らしく優秀だったのでしょうね、
じきに当時サン・ピエトロ聖堂の工事にかかっていたブラマンテ・Bramanteの
助手となり、彼の死後はラファエッロの協力者となり、法王庁の仕事を受ける様になり、
遂に教皇パオロ3世となったアレッサンドロ・ファルネーゼから、
1536年に法王庁のお抱えに任命されます。

当時のローマにあって設計技師として最高の地位に上った訳で、これにより
サンソヴィーノ、ジューリオ・ロマーノを始めとする多くの芸術設計家達が
ローマを去ったという程。

1546年にアントニオ・ジョーヴァネは死亡し、この邸宅の仕事も中断されますが、
死亡原因はマルモーレの滝・Marmoreというローマ人の造った素晴らしい滝、
これは水を運ぶ為の物だそうで、まだ見た事がありませんが、写真だけでも
素晴らしい物で、その工事中だったと。
       
   
所で、最初に見て頂いた平面図でお分かりの様に、このファルネーゼ邸は5角形。
偶然というよりも当時の大砲攻撃が始まった時代の設計論理に由るのでは
ないかと思うのですが、ローマのカステル・サンタンジェロも、はい、5角形。

この5角形の城について、フランスのブルゴーニュにお住まいのOtiumさんが注目され、
同じ5角形の城があるのを記事にされています。
興味深いこの城の設計由来ですので、是非こちらをご覧下さい。
http://otium.blog96.fc2.com/blog-entry-259.html
      


さて橋を渡り、薔薇園だったと思いますが、その横を上り、さらに石段が続き、
紅白の椿のトンネルになっていて、皆が大いに歓声を上げ!

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こうして上に上って来ると、またこの様に城壁があり、造りは大変堅固。
向こうに見える建物は、来る途中に見た元厩舎ですが、
何処とも本邸は切り離された設計になっているそう。

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広い地所の中にはこういう林が広がり、
中をだらだらの上り坂が続き、これが結構長いのですよ。

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そしてついにこの奥の庭園の前に。上から真ん中を水が流れ落ち、
手前の池に入る仕掛けで、両脇はちょっとした洞窟風の造り。

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手前の池につけられた顔。

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一番上にはこんな風にお屋敷が見え、大きな像も。
この上り階段の真ん中を水が流れ落ちるのですね。

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で、上まで行くと、さらにまたこんな風に回り込み式の階段があり、
ご覧の様に、脇にはたくさんの泉が並んでいて、

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上には、この風に馬の像、貝を捧げ持つ男の像があり、

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上の上り坂はこんな様子で、はぁはぁ、

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貝を持つ男、そして巨大な男性像が見えた下には小池があり、金魚ちゃんが。

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つまり、上から順々に水が流れ落ちる仕掛けになっていて・・。



上のお屋敷、ここにもフレスコ画装飾ですが、近寄れず・・、

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先程見えたお馬ちゃんの横を通り、

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またまたこんな石段を、はぁはぁと・・!

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そしてまたこの石段の横にもこんな魚たちが並び、ここも上から水が流れ落ちる
仕掛けなのですね。

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魚の隙間から通って来た庭を見下ろすと、こんな形。 通って来た時はまるで
気が付かない、というか、気が付かない様にしているのかも。
ここで貴人たちが優雅にかくれんぼう遊びをしたのかも、ですね。

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そしてついに一番上、お屋敷の裏に出ると、
小石のモザイク柄があり、真ん中にはやはりファルネーゼの紋。

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右後ろに見える大きな像のある所が門で、ここが庭園の最後。
左右に低い段になった泉が並び、

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こうして見ると、四季の花咲く花壇もありますが、水遊びを楽しむ夏の庭園で、
優雅な貴族達がそぞろ歩きしながらの様子が垣間見える様な・・。

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暫く休憩し息をととのえ、また下に戻り、橋の手前から右に曲がると、
出口の手前にこんな人口の洞窟があり、

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とても暗いのですが、なんとか写った、隠れている者たち。

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そしてなんとまぁ、ここは人口の水滴が落ちるのでした!
水滴というよりも雨に近い程でしたけど・・。

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何処を見ても何を見ても、凄いねぇ!という言葉ばかりが出る
豪奢優雅な邸宅でしたが、
      
出口脇に咲きかけの可憐な椿があり、なんとなしにホッと、ははは。 

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長いお付き合い、本当に有難うございました!

少し離れた場所ではありますが、ローマからは70Kの距離、
是非チャンスを作ってお出かけ下さいね。
一見の価値は充分にありますです!!


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・ n.2 ファルネーゼ邸 カプラローラ

先回に続き、ラツィオ州北に位置するカプラローラ・Caprarolaの
ファルネーゼ宮のご案内です。
16世紀に建設され、現在残る有数の美しく壮大なルネッサンス建築の
良き例と言われる豪奢な貴族の館、ファルネーゼ家・Farneseの邸宅ですが、

今日はいよいよ2階に、ピアーノ・ノービレ・Piano Nobileと通常呼ばれる、
貴族の居室部分のご案内を。

写真は、2階への美しい階段で、

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こんな風に段が低く作られ、ここをアレッサンドロ枢機卿など、
多分お招きにあずかった貴族たちも、馬に乗ったまま上がった様子!

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ご覧の様に内側には円柱があり、これが全部で30本、
円柱と手摺の下、階段まわりの内側にはファルネーゼ家の紋が並びますが、



こちらは外回り。

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どこもかしこもフレスコ画で装飾され、やはり家紋の百合の浮彫。
この階段は王宮階段・Scala reggiaとも呼ばれ、ご覧の通り、
まさにその名がぴったりですが、

この邸宅内をあちこち回って見物していて、どこにあるのか分からなくなった物の、
幸いに内部地図もサイトで見つけまして、建物正面側の向かって左角、と。
明かり取りの窓がご覧の様にたくさん外に向かって開いており、



その窓の内側一つ一つも、この様に全て装飾。

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こちらが階段の天井部。 いやはや何とも素晴らしく優雅で、洗練されたもの!
ここの装飾に3年かかったというのも、大いに納得です。 

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そしてこちらが、祖父教皇パオロ3世が始めたこの館の建設を、貴族の邸宅、
宮廷要素を大いに取り入れた設計に変え、都合27年間かけて完成させた
アレッサンドロ・ファルネーゼ枢機卿。

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ティツィアーノ描く所のこの肖像画は1545~6年作とありますから、
彼が25,6歳の時。(1520-1589)

14歳にして枢機卿に任命され、若い頃は貴族女性とのロマンスが絶えなかった
というのも、大いに納得できますねぇ!

トゥレヴィーゾの教会内で偶然に、先のヴェネツィア大司教様と、
トゥレヴィーゾの司教様お二人に1mほどの距離で出会った事がありますが、
あの黒い長い裾の広がった、赤がちょっと入った司教様の衣服、
あれはまさに男性をもひとつ美しく際立たせるもの!
       
こんな赤い枢機卿の衣服で歩いておいでの所を見たら、それはもぅ若い女子なら、
いや、若くなくとも、ははは、イチコロになりますわな。

ティツィアーノの描く女性像は美しくはありますが、好きではなく、
が、彼が男を描くと、なんとも色気があり迫力があり、
まぁ、世に知られる程の男性の肖像だからとはいえ、良いですねぇ! 素晴らしい!

が、このアレッサンドロ枢機卿は血筋が良いだけでなく、才気教養に長け、
単なる枢機卿の位置にとどまらず、政治的外交官的にも大いに活躍した様子。



2階の中庭を囲む廊下部分の装飾をどうぞ。 
これらの優雅な装飾模様は、グロテスク模様と呼ばれますが、

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最初に知った時は、この様な優雅な柄になぜグロテスクという名が、と
不思議に思ったのでしたが、日本語でグロテスクと言うと、エグイ、醜いという
イメージですものね、

ですが、グロテスクというのはグロッタ・Grotta・洞窟の意味から発祥していて、
それもローマ期の皇帝ネロが地下に建設した未完のドムス・アウレア宮殿で、
その宮殿が15世紀頃に再発見され、模様が模倣され始め、
16世紀にラファエッロが優雅繊細な形で取り入れ始めたのが大いに流行したと。

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2階の廊下から僅かに見える、上階の護衛兵士、召使たちの居住部分。
細心な設計で、貴族の居住部分とは切り離されていますね。

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2階南側の大きなエルコレ・ヘラクレスの部屋、入った途端に驚かされる
部屋の中の泉! 細かい細かい彩色された壁部分と泉と、なんともはや・・。

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泉の右奥の扉に人影が見えますが、



こちらが騙し絵の扉で、普通の扉よりも低く作られており、誰か名の残る人物か
ガイドさんに訊ねましたが、単に当時流行った騙し扉の人物だそう。

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そして床の色柄模様ですが、

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この大部屋は、この様に全ての床が色タイル式に彩色されていて、
長年の使用により剥げかけているのが、逆に良い雰囲気ですね。

南仏アヴィニョンで見た教皇庁宮殿の床は、色タイルでしたが、
この彩色はどの様に作ったものなのか、焼き付けた色ではないのかな?



この部屋は南側を占め、町に向いているので、窓から町の様子、
そして真っ直ぐ通った通りが見え、

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古い瓦の家並、

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そして遠くに広がる、谷を埋める雲海。

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こちらはどの部屋だったか、床の柄で、ここにもファルネーゼ家の紋章が見え。

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グループの男性が、shinkai!と呼び、何かと思いましたら、閉っていた
控えの間の扉を開け、真っ暗な小部屋を見せてくれるのですね。

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ははは、shinkaiが如何に写真魔かは既にすっかり認識され、
自分では到底開ける勇気のない小部屋の扉を開けて見せてくれ、
余りにも暗いので思い切ってISOを上げて写しましたが、



凄いものです、控えの間もこんな感じの装飾で埋められ・・!

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ここは、ファスティ・ファルネジアーニ・Fasti Farnesiani、
ファルネーゼ家の記念すべき出来事を描いた部屋と。

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長方形の大きな部屋で、正面中央の肖像はアレッサンドロ枢機卿の弟
オッターヴィオ・Ottavio、2代目パルマ公爵と。

左の絵が1538年、彼が15歳の結婚式の模様で、
花嫁は、アレッサンドロ・デ・メディチ・Alessandro d'Medici、
法皇クレメンテ7世の隠し子とも、ロレンツォ・マニーフィコの息子ピエロの息子
つまり孫の、ロレンツォ2世ウルビーノ公の庶子とも言われる、
暗殺されたアレッサンドロの未亡人16歳、
神聖ローマ皇帝カルロ5世の庶出の娘・マルゲリータ・ダウストゥリア・
Margherita d'Austria。

ファルネーゼ家は、殊にアレッサンドロ枢機卿は神聖ローマ帝国皇帝カルロ5世と
フランスとの間に立って、その和解に努めた様子ですが、
・・こういう同じ名前があちらにもこちらにもでるわ、まして当時の時代に疎い
shinkaiには理解するのが大事!

いずれにしても、若い夫の気遣いのなさ、今迄属していた宮廷生活との違いから
花嫁には気に入らない結婚生活だったようですが、
3年後に夫が戦地から負傷して戻って来たのを機会に、彼女の嫌悪感は
愛情に変わったそうで、・・良かったぞなもし。 

cucciolaさんがこちらにファルネーゼ家について。
http://blog.livedoor.jp/cucciola1007/archives/cat_93650.html



反対側の壁に描かれたのは、アレッサンドロ枢機卿のパリ入城、と
ファルネーゼ邸の説明にはあるのですが、・・我が家自慢で、ははは、

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中央の天蓋の下、白馬に跨るのがフランス王フランソワ1世で、
彼に迎えられた皇帝カルロ5世がフランス王の右に、そしてその右の赤い帽子と
衣服が枢機卿。
       
ちょっと調べただけでも、このカルロ5世とフランソワ1世の間には何度もの衝突と
仲直りがあり、この絵が一体何年の出来事かを、
途中からはムキになって調べ回り、ははは、
ついに1540年の出来事だったと知りましてございます。

蛇足ながら、ロンバルディア州のクレモーナ・Cremona、ストラディヴァリの
ヴァイオリン博物館のある、そのクレモーナの西20k程でしょうか、
ピッツィゲットーネ・Pizzighettoneという小さな町に3年ほど前に出かけた時、
ガイドブックで見た河べりに古い塔がある写真に魅かれたのですが、

町の博物館の展示をなんとなしに見ていて、かってフランス王フランソワ1世が
捕虜になっていた、という塔内の写真があり、何これ?!ちんぷんかんぷん。
戻ってイタリア語の先生アンナリーザに知ってる?と訊ねてもノー!ははは。

その後調べてみると、確かに皇帝軍との1525年のパヴィーアの戦いで捕虜となり、
この小さな町の塔に79日間、マドリッドに移されるまで監禁されていたそうで、、
その時に町の司祭との間に深い友情が生まれ、後にフランスに招待され、
王の懐から下賜金も賜ったとか。

ヨーロッパの地続きの土地での歴史の変遷、私めにはその都度知るだけで
精一杯ですが、小さな名も知れぬ様な土地にも面白い歴史が隠れているものと、
感嘆実感したものでした。
    


こちらもフランソワ1世と、カルロ5世との出会いの図ですが、

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・・これは調べをパスして、はは、

このファルネーゼ邸に一連のフレスコ画を描いた画家はタッデオ・ズッカリ・
Taddeo Zuccariで、
父親も画家の8人兄弟の長子、3番目のフェデリーコは建築家として名をなし、
タッディオは若くして亡くなり、このファルネーゼ邸の仕事は弟フェデリーコが継ぎ、
彼らの他にもこの邸宅の装飾については、当時の優秀画家の名が挙がります。

このズッカリの修行、そして兄弟愛についてcucciolaさんがこちらに。
http://blog.livedoor.jp/cucciola1007/archives/3395257.html

所で今回この館の壁画について読んでいて、新しい言葉に出会いました。
クワードロ・リポルタート・quadro riportato・移された絵、とでも。
 
移された絵、という訳も中途半端ですが、サイトの説明も分かるような
分からない様な・・、遂に友人のジュリアーナにメールと写真を送り、解説を求め。
で、分かった事は、この館の仕事がタッディオ・ズッカりの最上の仕事と言われますが、
     
上記の壁画にしても、天井画にしても、それ以前のバロック様式で良く用いられた
短縮法、つまり遠近法の一種と言っても良いかも、の、描法を使っていないと。

マンテーニャの「死せるキリスト」等を思い出して頂くと納得と思いますが、
それと同様に短縮法は、視線に対して斜めになるに従い実際よりも短く見える、
という視覚効果を利用した描法ですが、

ここのタッデオの仕事は、自然な目線で見える遠近法を使っている、と、
つまりその場の情景を写している、という描き方。
       
最近の我々が描くのは、目に見える自然な形で描きますよね。
なので逆にこういう説明をされると、??!!となった訳ですが、
遠近法や短縮法を使い迫力のある絵を描いた時代からまた一歩進んだ、
という絵画描法の説明なのでした!



さてこちらは部屋にあった椅子。 お尻がちゃんと乗るのか、さぞや座り心地が、
と心配ですが、素晴らしい彫り、濃いめの茶色に金塗りの柄。
後ろに見える扉の角柱の脚も、凄いでしょ?

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どの部屋だったか覚えておりませんが、真ん中の四角い位置に立って手を叩くと、
部屋の中に反響するという・・。 勿論私めもポンポンと試し、はい、確かに!

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この美しい天井画。 単にフレスコ画のみでは無く、漆喰で浮き彫りが施され、
中にフクロウもいたり・・。

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これは廊下の床で、ここにもファルネーゼ家の紋。

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建物の西側を占める大部屋、地図の部屋の天井画、星座ですね。

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地図の色が本当に美しいと思うのですがぁぁ、日本がなぁい!



天井部の漆喰の浮彫、凄いでしょう?!

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で、ここにはまた少し以前の騙し絵手法の、小人とワン君。

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当時の宮廷内には、お笑い役を務める為の小人達がいた様で、
スペイン宮廷内を描いた絵にもよく登場していますね。


2階のアレッサンドロ枢機卿の寝室や、奥に広がる素晴らしい庭園などは、
また次回のお楽しみに、という所で、
       
お疲れ様でした! お付き合い、有難うございました!

こちらのサイトに説明、Toutubeもありますので、どうぞ。
http://www.caprarola.com/palazzo-farnese.html

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・ n.1 ファルネーゼ邸 カプラローラ 

今回から3回に分け、ラツィオ州のカプラローラ・Caprarolaにある
ファルネーゼ邸・Palazzo Farnese、ルネッサンス期の貴族の邸宅として
今に残る有数の素晴らしい例で、

ローマにあるミケランジェロ設計のファルネーゼ邸は、現フランス大使館として
有名ですが、それよりも豪奢な邸宅と言われる、
カプラローラのファルネーゼ邸をご案内です。

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選び出した写真が100枚を越え、余り減らすと見て頂くのに
その豪華さが伝わらないと思い、3回に分ける事にしました。
あれこれ読み、それでも到底読み切れなかった、というのが正直な所ですが、
めげずに頑張ってお伝えしたいと思います。

カプラローラの町の位置は、先先回の「ファルネーゼ邸のある・・」に
載せておりますので、そちらをどうぞ。

写真は、バス駐車場から谷を挟んでの眺めで、左後ろに聳える大きな建物、
これがファルネーゼ家の元厩舎で、右後ろ奥にちょっと見えるのが本邸。



こちらが元厩舎の入り口、現在は子供達の夏のキャンプ宿泊施設に
使われている様子ですが、

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かってこの1階部分の厩舎には120頭もの馬を収容出来たそうで、
貴族のお屋敷、まして実力枢機卿、そして教皇パオロ3世の私邸なので、
お付きの偉い方々、伺候するお偉い方々ご使用の駐車場という訳ですね。

上階は、馬丁や召使たちの住まいとなり、また1部分は藁置き場、
馬車置き場にも使われたそう。
馬車を上階に?と思われるかも知れませんが、本邸の方にある
らせん状の階段が、多分こちらにも、と思います。



本邸南に広い広い前庭があり、そこから見上げるファルネーゼ邸の威容。

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前庭は土庭ではなく、こんな風に煉瓦が杉綾模様に埋め込まれていて、
ご覧の様にかなりすり減り、壮大豪奢なお屋敷への馬車のお客が
多かった事を物語ります。 勿論、ローマからだと73kmの距離ですしね。

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そして前庭の一番南端には、こんな風に緩やかな半円を描く石段が
両脇から突き出しており、馬車で上の前庭に上がる為のアプローチですね。

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この両側の緩やかな石段部分に挟まれ、前庭の段差を利用し、
物置きか、門番小屋かな、があり、両脇の水槽はきっとお馬ちゃん用ね。

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水槽についている百合の花はファルネーゼ家の紋章で、
ここにまず最初ですが、もう至る所に出て参ります。



広い最初の前庭から正面玄関に至るジグザグの階段。

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ではどうぞ!
段差がとても低く作られているので、きっとここも馬車のままお上がりになり、

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ここが正面扉前のポーチで、ここでお降りになられたのだろう、と。

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入り口から、中に。  ほら、真ん中がすり減っていますね。
こちらの邸宅やお城、また古い塔に上る石の階段の足の当たる部分、
そこが丸くすり減っているのはよく見ますが、
歴史を感じるというより、かっての人々がとても身近に感じられ、好きな部分。

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入り口を入った所は広い部屋で、切符売り場などもここにあり、
部屋にあったパネル写真をどうぞ。

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見ると、正面からは四角く見える建物が実際は5角形なのも良く分かり、
南に真っ直ぐに下る道、先回あれこれ建物の写真を見て頂きましたが、
この道も実は建物が整備された時に、この様に整備したものと知りました。
建物の裏、北側には広大な庭園が広がり、様子も順にご覧頂きますね。



これはウィキペディアのイタ版から拝借で、内部構造が分かりやすいと思い、

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1階と2階が見学出来る部分で、最上階3階には護衛兵士の宿舎があり、
召使の部屋、また台所などもここにあったのではないかと。
火事の危険から、かっての台所はたいてい上階にありましたので。
       
設計の配慮というか、2階からもこの階は殆ど見えず、召使たちの使う
螺旋階段があり、手摺を滑り降り即呼ばれた部屋に行けるようになっていたと。

はい、呼ぶには部屋に下がった紐を引くと、召使の部屋のベルが鳴り、
どの部屋のご用か分かる仕組み。
ほら、映画にも出て来ますよね、あれです。
       


これは入り口を入った大部屋のフレスコ画のほんの一部で、
奥にこのお屋敷が見え、町の真っ直ぐの道を建設中かな?

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最初の部屋を出ると、こんな感じで中庭を囲んでの廊下。
そう、全てこの様にフレスコ画が描かれ、よく残った物と感嘆。

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天井部分、木々の中に小鳥が飛び交い、所々にファルネーゼ家の紋。

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こちらをどうぞ。 ほらね、こんな風に大きくファルネーゼ家の紋が描かれ、

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部屋の扉の上に読めるのは、隣にいた友人に読ませましたが、ははは、
アレッサンドロ・カルディナーレ・ファルネーゼ・ヴィーチェ・カンチェッレリーア、
だろうと。  確かですか?

となると、これはこの豪華な邸宅を建設し始めたアレッサンドロ、
後の教皇パオロ3世ではなく、その孫で、この館の建設に積極的に関わった
同じ名を持つアレッサンドロ枢機卿の方なのでしょうね。



外側の形は5角形ですが、中庭は丸く、

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上階の、もひとつ上品優雅な壁画が見えます。

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このお屋敷の建設が始まったのは1530年、後に教皇パオロ3世となる
アレッサンドロ枢機卿がアントニオ・ダ・サンガッロ・Antonio da Sangalloを指名、
彼の設計の元に、以前からあった5角形の要塞の上に建設開始。

この一帯のファルネーゼ家の領土の管理と住居を兼ね、アレッサンドロ枢機卿
62歳の時の事ですが、4年後の1534年、先の法皇クレメンテ7世、
メディチ家出身でローマ略奪を引き起こした教皇、の死去に伴い、
アレッサンドロが66歳で教皇に選出され、一旦停止。

後1546年にサンガッロの死去により、建設は中断されますが、
同年に教皇の孫、という事自体がまぁ本当は有り得ないのですが、はは、
孫アレッサンドロ枢機卿は父親ピエール・ルイージ・Pier Luigiが、
初代パルマ公爵がピアチェンツァの城内で殺害された事にショックを受け、
同年にこのカプラローラに移って来ます。

彼はこの地の美しさに感銘を受け、中断されたままになっていた祖父の城館の
建設を情熱を持って引き継ぐべく、新しくジャコモ・バロッツィ・ダ・ヴィニョーラ・
Giacomo Barozzi da Vignolaを指名、建設は1559年に再開。

ヴィニョーラは5角形の基本線は変えない物の、かなり大きな変更を加え、
つまり貴族の住居、宮廷要素を大きく加えたのですね。
例えば邸宅部分を孤立させ、角部分に大きなテラスを設け、周囲に広がる
所有地の良い雰囲気を取り入れ、
南に続く真っ直ぐの道を新しく造ったのも彼ヴィニョーラで、奥の丘の上に広がる
素晴らしい庭園も彼の設計。
という事で、我々は現在のこの素晴らしい邸宅にお目にかかれるわけです。

今回あれこれ読んだ中に、アレッサンドロ枢機卿の父にして、
教皇アレッサンドロの長男のピエール・ルイージの逸話が大きな興味を。

後には嫡出子として認められるものの、所謂教皇の庶子として子供の
頃から負い目を感じ続け、多分それから抜けだすのに傭兵隊長として
軍歴を積み、勇敢ではあるものの残忍、時に仲間からも嫌悪感をもって
見られるという人柄で。

父の教皇はその権力を持って、教皇領からパルマ公国を引き離し、
愛する長子に渡しますが、それ故の憎しみを呼び、自分の城の中で
反逆者に殺害される、という男の逸話。

そしてその長子であるアレッサンドロ枢機卿。
長い歴史の中で、偉大なと称される教皇は幾人もいますが、
偉大な枢機卿、と呼ばれるのは彼のみ、という素晴らしい才気と教養、
そして母似と思われる麗しい姿。

若い頃には貴族女性との数々のロマンスがあったそうで、
建物にまつわるその人間模様にも魅かれ、これを書く為に読み、
知る事をも楽しみました。



という事で、これから少しずつ部屋の様子をご覧頂きますが、
到底全部の部屋は無理で、なにせ70部屋あるとか読んだ気が・・、
どの部屋がなんと呼ばれる部屋かは控えておらず、
良い、凄い、と思って写した物の中からご覧頂きますね。

こちらはまだ1階の部屋でジュピターの間だったかな、
とにかくどの部屋も素晴らしい壁画で飾られ、
この部屋の奥には、騙し絵の壁画の部屋も見えます。

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当時の最高の画家、建築家を集めての仕事だったそうで、どの部屋の装飾も
全て違い、それぞれテーマを持っており、と、ご覧の様に優雅なグロテスク模様。

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天井の装飾が見事になされている割に壁の装飾が少ないのは、
きっとタぺスリーを壁に掛けていたからと思われ、それ用の釘が残っているのも
見かけました。



こんなシンプルな椅子が置かれ、床の焼煉瓦が渋いのも、
逆に目に心地良い程の、周囲の装飾の豪華さでして!

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出窓ですが、それを設えた壁の厚さにもご注目を!
召使い用の部屋の中には、壁をくりぬいた部屋もある、という説明もあり、
納得できる厚さですねぇ。

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建物が5角形、丸い中庭、というので、こんな角に張り出した、
でも逆に秘密の小部屋式に素敵なアングルもあり、

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書き物机。

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こんなのに我がPCを乗っけたら、も少し優雅な文章が書けるかも!!
いや、無理か? きゃはは。



なんとも、優美で手の込んだ天井装飾!

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可愛い地図でしょう?! 真ん中に見えるのが、イタリア、のつもり?!

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ではでは、このなんとも素晴らしい螺旋階段でお二階にどうぞ!

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という所で、今回はお終いにさせて頂き、
次回は2階のお部屋、もっと素晴らしく豪奢な2階のご案内をどうぞお楽しみに!

そうそう、最後にこれを。 見学時間、そして月曜休館のお知らせ。

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こちらのサイトにToutubeもありますので、どうぞ。
http://www.caprarola.com/palazzo-farnese.html              


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・ 元修道院ホテル ・ドムス・ラ・クエルチャの様子は 

今日は予定していたカプラローラのファルネーゼ邸が間に合わず、
読んでない物、飲み込めない物がたくさんで・・、急遽予定を変え、

北ラツィオ一帯を回った旅の基地となったホテル、Domus La Quercia・
ドムス・ラ・クエルチャの様子を連休最後に、ごゆっくりご覧下さいね。

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出かける前に聞いた話では、修道院経営のホテルと言うので、検索をかけると、
近くのトラピスト会の女子修道院がかかり、残念、男子修道院では無かった! 
なんぞとほざいていたのに罰が当たり、ははは、
往きのバスの中で、元修道院の建物を使用したホテル、と分かり、
夢も消え、・・あれ? ・・という次第でしたが、
       
建物は大変に大きく広く部屋も悪くはなく、場所もヴィテルボの町からすぐ近くで。



地図をどうぞ。 ヴィテルボ・Viterboのすぐ北に記したLa Quercia・
ラ・クエルチャという町にあり、ヴィテルボから4kで10分もかからぬ場所。

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もひとつ東に記したBagnaia・バニャイアには、ルネッサンスのイタリア式庭園で
有名なヴィッラ・ランテ・Villa Lanteがあり、ここも訪問したのでした。  
  
ホテルのご案内は。
https://www.initalia.it/hotel/hoteldomuslaquercia.htm



ここがホテルの入り口。

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フロントで各自が鍵を貰い、さて部屋に辿り着くのが大変!
とにかく広い広い建物で、中庭を囲んで四角に建物があるので、長い廊下を
真っ直ぐ行き曲がって、また真っ直ぐにと自分の部屋への行き方を飲み込むのが、ね。



初日の夕食のプリモで出たパスタ。鴨のソースと言うのでパスし、
これはエレオノーラのお皿。

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これは美味しい、という事でしたが、肉を食べないジュリアーナと私めには
ペンネのトマトソース。
これがもうああた、パスタはアルデンテ、歯ごたえのある位に茹でると言いますが、
アルデンティッシモ!! 噛みごたえ充分過ぎ、胃に悪いのじゃなかろうかという奴で、
     
セコンドに何が出ましたっけ? 覚えがない程で、野菜の付け合わせにもがっかり、
これが3晩とも。 で、今回のホテルの食事はこれ一枚のみ!

往きと帰りのアウトグリルで食べた鱸とサラダの方が、・・なぜかどちらも鱸に
なりましたが、はは、調理法は別でして、ホッとする、まぁまぁの美味しさでしたぁ。

皆さま、ひょっとしてお泊りになる際には、決してここでお食事はされませぬよう!!
食い物の恨みは残りますです、ははは。



さて、部屋の中の写真がないのですが、・・いつも忘れます、
こちらは廊下にずらっと並ぶ扉の一つ。

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朝、私の部屋から見えた西隣の教会の鐘楼と、正面壁の三角の天辺。

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初日の夕方ホテルにチェックインする前に、ぐるっと歩いてこの教会を見学しましたが、
サンタ・マリーア・デッラ・クエルチャ教会、由緒ある聖所・サントゥアーリオの教会。

前のヨハネ・パオロ2世もおいでになられた程の教会で、宿泊したこの修道院も
元はこの教会付属の修道院だったのですね。
教会内部も、中の回廊も素晴らしかったので、チャンスを見てご紹介を。

ずっと放棄され荒れていたのを修復、現在こうしてホテルに、会議場に、
結婚式場にという訳。



中庭。

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朝日のあたる屋根。 かなり凸凹していて、

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こういう屋根瓦の並べ方は初めて。

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こちらは廊下の端から見えたやはりかっての修道院の建物と思われますが、
素晴らしく年を経た瓦でしょう?!

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さて、廊下の様子はこんな感じで、

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十字角に当たる部分の明かり取り。 15世紀の修道院とありましたが、
ルネッサンス様式というか、ブルネレスキの香りというか・・、

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廊下を曲がると、また同じ並び、同じ突き当たりの眺め。

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これは廊下の角から見た角部屋の窓。 窓ガラスに映る木々の影と、

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翌日、朝陽の射す窓。

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鎧戸が外されていましたが、鎧戸止めだけ残り・・、

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朝、ホテルの前から続くオリーヴ畑に入り込み、

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ゆっくり坂道を上って行き、

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オリーブの枝の葉の付き方は、2枚横に出て、次は縦方向に2枚、という、
順に交互に葉が出るのですね。

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アッシジの壁の絵にオリーヴの鉢植えを描きましたが、あれ? 葉はどうだっけ? 
と描いていて疑問になり、近くのお家に見に行ったのでした。



鳩君も朝の散歩中。

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かなり上った所でホテル・元修道院と教会と、固まりとなった建物の様子が見え、

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こうして見ると、私の部屋は写真に写っていないもっとずっと左奥という事で、
かっての修道院の大きさ、教会の勢力が偲べます。
きっとこのオリーヴ畑も地所の内だったのでしょう。



北の眺めが広がり、雲海がかかっているのが見え、

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雲海の上にちょっと頭を出している町が見えます。

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アップするとこんな感じで、坂道を上がって来たご夫婦が、モンテフィアスコーネ・
Montefiascone の町だと教えてくれましたが、

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旅行最後の日は、この町の下を通りボルセーナ・Bolsenaの町に、
上の地図をどうぞ、に抜けましたが、

出発は上天気で、ちょうど雲海の下を通る時にはご覧の通り、霧の景色!

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そして雲海を抜けるとまた快晴の上天気で、
       
ほら、これが雲海の上に頭を出していたモンテフィアスコーネの町、海抜590m.
ああ、そそられる眺めですねぇ!

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これを1枚撮るのがやっとだったカーヴ続きの道で、町の下の道を通り山の北側に
出るともうこの眺めはなく、ボルセーナ湖への道を下ったのでした。

1年半前に友人と通ったボルセーナの町でしたが、今回はちょっとあれこれ見たので、
またご案内致しますね。


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・ カプラローラ ・ ファルネーゼ家邸宅のある町

今日のご案内はカプラローラ・Caprarolaの町、と言ってもご存知の方は
少ないと思いますが、はい、かく申すshinkaiも初めて聞き知った町の名で、
3月末のラツィオ州北部巡りの際に訪問し、町の佇まいの素晴らしさに感嘆し、
町の上に君臨するファルネーゼ家邸宅の豪奢さにも驚きました。

ファルネーゼ邸の方も写真の整理は済んでおりますが、
なにせ数が多いので、手始めに今日は町の様子をご覧下さいね。

写真は、基地の宿のあったヴィテルボ近くから山道をぐんぐんと上り、
カプラローラに向かう途中にみえた、山仕事中のシニョーレ。
お伴のワンちゃんが左にいるのが見えるかな。

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カプラローラはどこにあるか、地図をどうぞ。
真ん中にヴィテルボ・Viterbo が見え、南に約21k、30分程の行程。

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ローマからはと調べましたら、カッシア街道を通り約73k、車で1時間7分と。
カプラローラの西にラーゴ・ディ・ヴィーコ・Lago di Vicoという湖が見えますが、



これがその湖。 この辺り一帯、エトルスク遺跡の宝庫の様ですが、
さもありなんという印象を受けました。 なんとも住みよさそうな土地で。

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湖を過ぎ道が下り坂にかかると、前方の谷一面に雲海が広がるのが見え、
おお!と勇みましたが、ひどい揺れとカーヴの坂道で上手く撮れず・・。

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これはカプラローラの町のバス駐車場に着いてから。

       

駐車場にあった町の地図。 左下の緑のPがバス駐車場で、
ここから黄色の点々を辿り町の中心に向かいます。

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1が目指すファルネーゼ邸で、見物の後町を見に少しだけ自由時間が
与えられたので、斜めに通る町の中心通りを途中まで行ってみた、という。
ご覧の通り、この通りにだけ見所の印が付いておりまして・・。



駐車場から谷を挟んで見える家並。 左後ろに大きく見えるのが、
ファルネーゼ家の元厩舎! 右奥に木の陰に見えるのが、ファルネーゼ邸。

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位置が悪くおまけに金網越しで、肝心のファルネーゼ邸は奥に見える
大きな四角い建物・・。

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町の向こうに広がる雲海。

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こちらは駐車場側の谷の傾斜にある
3.サンタ・テレーザ教会とカルメリターノ派修道院。

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町の方に谷に架かる橋を渡り進みますが、朝ファルネーゼ邸見物に行く時に
撮った写真は逆光で見難く、ここからの写真はお昼頃、戻り道に写した物。
谷の傾斜に立ち並ぶ家並が素晴らしい!!

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この景観の美しさは、イギリスのチャールズ皇太子も1995年に、建築学での
研究素材に取り上げた、とイタ版ウィキペディアにあったのですが、未確認。



谷の橋を渡り、ぐるっと回り込むようにして近づき、

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だらだらと坂道を下って行きますが、左手にこんな城壁、
ファルネーゼ邸の城壁が続きます。

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見上げるファルネーゼ邸。素晴らしく大きく、そして四角い建物に見えるでしょう?
ですが、実際は中庭を抱えた五角形。

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建物内の素晴らしさと、奥に広がる庭の見事さは、またのお楽しみに!



で、ファルネーゼ邸の見物を済ませ、短い時間ながら町の見物に。
左の塀はまだファルネーゼ邸の物で、門前町を思わす風情で、
町の中心の通りが真っ直ぐ南に。

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如何にも古い町のイメージが始まり・・、



通りの両横はすぐに傾斜地で、真っ直ぐ通るフィリッポ・ニコライ通り・
Via Filippo Nicolaiにも、下の道を横切る橋がかかり、
こんな風に半円の塔が見え、

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塔の向こう下には、ガレージと見える緑の扉、そして古い町の細い道には
付きものの3輪車も。

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こちらが道に向かった正面側で、下の案内板で、13世紀の元ヴィーコ家の城と。

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来る途中で見た湖がヴィーコという名でしたが、中世のこの時期カプラローラの
領主がヴィーコ家だったそうで、お城、というか要塞兼だった建物の様子。

その後は領主も変わりつつ16世紀になって改装され、ファルネーゼ家の
代理人かな、の住まいとなったそう。
     
町の北側高所にある豪奢なファルネーゼ家の邸宅も16世紀に元の要塞を
利用して建てられたものだそうで、この時期町は一番の繁栄を迎えた様子。



狭いかなりな急傾斜の道で、片側に車が縦列駐車し、その隙間をかなりな車が
通り抜けて行くのですが、
そのまた隙を見ては、あっちを向きこっちを向きして、撮って歩くshinkai。

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なにせ時間が短く、小路に入り込む時間がなく残念! 曲りくねった小路の奥に、
改装された家も見え、きっと面白かろう、という匂いに満ち満ちた町!

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下りつつの道の先、こんなに高低差があるのですよ!
そしてずっと道の先には、雲海!!

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好きな壁、好きな入り口がたくさん!

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道から振り返ると、こんな風に、突き当たりいっぱいに塞がるファルネーゼ邸!

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そろそろと引き返し、皆と合流し駐車場に向かいますが、同じ道ながら
光線が変わり又新しい眺めで、谷の縁に立つ家々。

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ここも、谷に突出す家。

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カプラローラの町の紋でもある2頭のヤギ・カプラと、真ん中に見えるのは
百合の花、ファルネーゼ家の紋。 これは邸宅の城壁にあったのですが、

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同じ形を使った店の看板、手作り陶器のお店でした。

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最後もう一度、谷に向かって広がるカプラローラの素晴らしい町並みをどうぞ!

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