先回はリアルト橋からカッレ・デル・パラディーゾを通って頂きましたが、
引き続き、今日はサンタ・マリーア・フォルモーザ広場のご案内を。
引き続き、今日はサンタ・マリーア・フォルモーザ広場のご案内を。
土地の狭いヴェネツィアにしては有数の、大変に広い広場で、
余り気取らない庶民的な雰囲気もある場所ですが、
先日の可笑しかった話も含めご案内しますので、ごゆっくりどうぞ!
余り気取らない庶民的な雰囲気もある場所ですが、
先日の可笑しかった話も含めご案内しますので、ごゆっくりどうぞ!
写真は、先日が薄曇りに近い日で発色がイマイチなので、今迄に撮り貯めて
あったのも混ぜてご覧頂きますね。 地図は先回の記事に。
あったのも混ぜてご覧頂きますね。 地図は先回の記事に。
S.M.フォルモーザ教会北側の正面と鐘楼。
ヴェネツィアではこの教会がルネッサンス様式の先がけとなったそう。
ヴェネツィアではこの教会がルネッサンス様式の先がけとなったそう。

中の様子、これはサイトからの拝借で、入った事もあるのですが、覚えておらず。

この教会、現存のものは1492年から建設が始まったものですが、設計者が
死亡の後止まっていたのを、1542年から新たにカッペッロ家・Cappelloが
資金を出して建てられたのだそう。
死亡の後止まっていたのを、1542年から新たにカッペッロ家・Cappelloが
資金を出して建てられたのだそう。
カッぺッロ家、そうです、かの有名なビアンカ・カッぺッロ・Bianca、
フィレンツェのメディチ家のフランチェスコ1世の愛人、そして後添えとなり、
トスカーナ大公妃となった彼女の実家で、ヴェネツィアの裕福な貴族の家柄。
フィレンツェのメディチ家のフランチェスコ1世の愛人、そして後添えとなり、
トスカーナ大公妃となった彼女の実家で、ヴェネツィアの裕福な貴族の家柄。
彼女の父親バルトロメーオ・Bartolomeoはヴェネツィア共和国の重職を
歴任する男性だったのですが、ビアンカの母親が死亡した後に再婚した相手が
グリマーニ家出身の寡婦。
歴任する男性だったのですが、ビアンカの母親が死亡した後に再婚した相手が
グリマーニ家出身の寡婦。
少し日陰に置かれていたのかもで、フィレンツェ出身の裕福でない男と
駆け落ちを、というのが彼女の運命を変えたのですね。
父親は1519~1594ですので、ちょうどこのフォルモーザ教会建設に資金を
出した当時に存命、という事に気が付きました。
出した当時に存命、という事に気が付きました。
上でご覧頂いた写真は広場に面した北向きの正面で、こちらの入り口が現在
通常に使われているのですが、かっての正面は教会、鐘楼の西側だった様子。
通常に使われているのですが、かっての正面は教会、鐘楼の西側だった様子。
鐘楼入り口の扉の上に、こんな顔!

鐘をついて遊ぶ悪魔が鐘楼に入り込まないように、という訳で、ははは、
効果があったかな?
鐘楼の並びに、こちら教会の西側の入り口。 運河に面しており、
この正面扉上の人物、

こちらですが、これが1541年死亡の、一族のヴィンチェンツォ・カッぺッロ・
Vincenzoで、1542年からの建設資金提出で、ここに像を置いた様子。
Vincenzoで、1542年からの建設資金提出で、ここに像を置いた様子。

名前が分かるとどんな人物かと興味がわきますよね?
おまけにこんな軍人スタイルですからね。
おまけにこんな軍人スタイルですからね。
分かった事は、ガレー船船長で通商に携わり富を持ち、ヴェネツィア共和国の
海軍提督に5度も選ばれた人物。
バルトロメーオの父親では無く、叔父さんあたりかも、です。
1538年に対トルコの海賊バルバロス・ハイレッディン、オスマントルコの提督、との
海戦の指揮を取った、かのアンドレア・ドーリアから不信頼を受け引退した、と。
海戦の指揮を取った、かのアンドレア・ドーリアから不信頼を受け引退した、と。
このトルコの海賊バルバロス・ハイレッディンの名をご記憶に。
後ほどもう一度出て参りますので。
後ほどもう一度出て参りますので。
S.M.フォルモーザ広場は広いと申し上げましたが、これは広場の南東角の
橋の上からの眺めで、教会の後陣部分、手前の井戸、この広場には2つ
井戸があり、広場を囲む建物群が見えますが、

これは教会の後陣背後に見える井戸。

井戸には大体聖人像が浮き彫りにされておりますが、かってはまさに命の泉で
あった井戸を護って欲しい為だったと。
広場を囲む建物を見て頂きますね。
これはパラディーゾ通りの方からやって来て、広場の東側、中程に見える
建物とバール。
これはパラディーゾ通りの方からやって来て、広場の東側、中程に見える
建物とバール。

このバールで先日仲間とお昼を食べましたが、その時の笑い話は後ほど。
で、一番右端の低めの建物、
これです。 壁に碑が見えますね。

この家は、レパント海戦の勝者セバスティアーノ・ヴェニエールの家だった、と。
こちらがヤコポ・ティントレットの描いた
セバスティアーノ・ヴェニエール・Sebastiano Venier.
セバスティアーノ・ヴェニエール・Sebastiano Venier.

若い頃は弁護士、後にクレタ島カンディアの港の執政官を務め、
オスマン・トルコとの風雲急を告げる1570年、
ヴェネツィア共和国の総艦隊指揮官に就任。
オスマン・トルコとの風雲急を告げる1570年、
ヴェネツィア共和国の総艦隊指揮官に就任。
1571年のレパントの海戦では、75歳の高齢にもかかわらず、
自ら第一線で石弓を引いて戦い、が、硬い重い石弓を引くだけの力がなく、
傍らにセットさせる為の従卒を置き、タコか魚の目に苦しんでいて、
濡れた甲板上ではブーツでは滑るからと、スリッパをはいて、とか、
負けん気の老将の姿が彷彿と!
自ら第一線で石弓を引いて戦い、が、硬い重い石弓を引くだけの力がなく、
傍らにセットさせる為の従卒を置き、タコか魚の目に苦しんでいて、
濡れた甲板上ではブーツでは滑るからと、スリッパをはいて、とか、
負けん気の老将の姿が彷彿と!
で、ついにスペイン王国、ジェノヴァ、ヴェネツィア、法皇とのカトリック連合軍が
オスマン・トルコを打ち破ったという物。
オスマン・トルコを打ち破ったという物。
上にカッぺッロ家のヴィンチェンツォが、アンドリア・ドーリアとの不信任で
辞任せざるを受けなかった、と書きましたが、
その時のトルコとスペインとのプレヴェーザの海戦、1538年ではスペインが負け
地中海における覇権をトルコに譲っており、このレパントの戦いで、
西洋側が初めてオスマン・トルコに勝利した、というもの。
辞任せざるを受けなかった、と書きましたが、
その時のトルコとスペインとのプレヴェーザの海戦、1538年ではスペインが負け
地中海における覇権をトルコに譲っており、このレパントの戦いで、
西洋側が初めてオスマン・トルコに勝利した、というもの。
ヴェニエールは凱旋将軍としてヴェネツィアに戻り、81歳にして86代目の
次のドージュに満場一致で選ばれた、という。
あれこれ因縁めいた面白い話がありましたが、もひとつ興味深い逸話も。
次のドージュに満場一致で選ばれた、という。
あれこれ因縁めいた面白い話がありましたが、もひとつ興味深い逸話も。
日本版ウィキペディアのS.ヴェニエールの記事に、
姪チェチーリア・ヴェニエル=バッフォをイスラム教に改宗させ、
1536年にオスマン帝国のスルタンに売り渡した。
彼女が寵愛を受ければ、スルタンをヴェネツィア寄りに操縦できるのが
目的であったという。 ヌール・バヌと改名した彼女はセリム2世の側室の
1人となり、ムラト3世を生んだ。
とあり、幾らなんでもそれはなかろう、と別のも読んでみました。
姪チェチーリア・ヴェニエル=バッフォをイスラム教に改宗させ、
1536年にオスマン帝国のスルタンに売り渡した。
彼女が寵愛を受ければ、スルタンをヴェネツィア寄りに操縦できるのが
目的であったという。 ヌール・バヌと改名した彼女はセリム2世の側室の
1人となり、ムラト3世を生んだ。
とあり、幾らなんでもそれはなかろう、と別のも読んでみました。
確かにセバスティアーノの弟ニッコロの庶子として生まれ、ニッコロはギリシャの
パロスに領土を持っており、そこに住んでいた所を1537年トルコの海賊、
海軍提督でもあるバルバロス・ハイレッディン、これもカッぺッロ家がらみで
名が既に出ましたが、彼が島を襲い、チェチ―リアも捕らわれイスタンブールに。
パロスに領土を持っており、そこに住んでいた所を1537年トルコの海賊、
海軍提督でもあるバルバロス・ハイレッディン、これもカッぺッロ家がらみで
名が既に出ましたが、彼が島を襲い、チェチ―リアも捕らわれイスタンブールに。
そして名もヌール・バヌ・Nûr Bânû としてイスラム教に改宗させられ、
スルタン・セリム2世のハーレムで寵妃となり、後のスルタン、ムラト3世の
母親となり、美しさと頭の良さで、ハーレムも息子の政治も治めた、という女性。
スルタン・セリム2世のハーレムで寵妃となり、後のスルタン、ムラト3世の
母親となり、美しさと頭の良さで、ハーレムも息子の政治も治めた、という女性。
捕えられた際、身分の高い女性である事はすぐ分かるでしょうから、
多分身代金要求が行ったのを、払わずに黙認したか、途中で話が滞ったか、
という事なのでしょう。
多分身代金要求が行ったのを、払わずに黙認したか、途中で話が滞ったか、
という事なのでしょう。
1537年は、まだセバスティアーノ・ヴェニールも政治の表には立っておらず、
先を見越して「売り渡した」というのは、少し言葉が短いですね。
公文書のやり取りに彼女の名が登場するのは、コスタンティノープルに
住んで20年後だそうで、
住んで20年後だそうで、
塩野七生さんも彼女について書いておりますが、
ずっと以前より密かに連絡のやり取りがあったに違いありませんね。
そんなこんなで、この建物の碑文を見た時は、おっ、こんな所に?!
と驚いたのでした。
さて、少し先を急ぎたいのですが・・、と言いつつ、
先日この前の広場のバールで仲間とお昼を食べた時の事を。
皆がサンドウィッチやパニーノ、生ビールでお昼を食べ、
請求書を見た一人が「カメリエ―レ 3エウロだって!」と。
請求書を見た一人が「カメリエ―レ 3エウロだって!」と。
サーヴィス料の事なのですけど、となると、もう止まりませんで、ははは。
お金を集めに来たカメリエ―レ・ボーイさんに、これは3エウロで
お持ち帰り出来るのか?と質問。
お金を集めに来たカメリエ―レ・ボーイさんに、これは3エウロで
お持ち帰り出来るのか?と質問。
客あしらいに長けた彼は、ええ、まぁ、と。
途端に、壁塗りは上手か、窓ふきは出来るか、eccecc。
途端に、壁塗りは上手か、窓ふきは出来るか、eccecc。
若いお兄ちゃまにそんな要求をするのは失礼なのですが、はは、
そういう要求しか出ない位の皆の年頃でして・・、がはは。
そういう要求しか出ない位の皆の年頃でして・・、がはは。
彼も負けておりませんで、同僚が脇を通ったのを見て、
彼なら俺よりも安いです、って! きゃはは。 大笑いでしたぁ。
彼なら俺よりも安いです、って! きゃはは。 大笑いでしたぁ。
では、先に進ませて頂きますね。
北に向かってのこの建物の並びがなかなか素晴らしく、2年半前の古い
写真では改装中だったですが、先日見ましたら、ホテルになっておりました。

窓の飾りと、あ、動物がいる・・、

アップして見ましたら、お尻にかぷっと齧りついている、ライオンかな?

そのお隣、ここもなかなか素敵でしょう?!

そしてその北、ここも窓が良いですねぇ!


ここから先日の写真で、広場の北側を占めるホテル、

広場北側の井戸。

そしてこれは広場北西の端にある、柄のある建物。

こんな屋台も出ておりましたが、

この広場にいつも出ている八百屋さん。 緑のアスパラガスが見えますか?

その左隣にある細めのは、野生のアスパラガスで、とても美味しいと
聞きますが、まだ食べた事なし。
その上に白い球が見えるのは、ウイキョウ・フィノッキオ、美味しい冬野菜。
こちらが広場の南面、運河越しにあるマリピエーロ邸。



どっしりとしたルネッサンス様式で、名前からしてやはりヴェネツィア貴族の
マリピエーロ・Malipiero家のものと考えましたが、
検索ではマリピエーロ・トゥレヴィザン・Trevisan邸と出ます。
マリピエーロ・Malipiero家のものと考えましたが、
検索ではマリピエーロ・トゥレヴィザン・Trevisan邸と出ます。
というのも一家の持ち物というより、貴族の館として16世紀に建てられたもので、
両家がここに住んだ事からの名前が残っているそうで、
現在は個人所有、3階に美しいフレスコ画が残っているそう。
両家がここに住んだ事からの名前が残っているそうで、
現在は個人所有、3階に美しいフレスコ画が残っているそう。
広場の南東の隅の橋が、サント・ザッカリーア方面に続きますが、
この先すぐの小路を左に入ると、グリマーニ邸があり、
これは橋の上から東の眺め。
この先すぐの小路を左に入ると、グリマーニ邸があり、
これは橋の上から東の眺め。

そして近くのお屋敷の排水溝。 勿論今は使われておりませんが、かっては。

では、如何にもヴェネツィア、という事で、ゴンドラの眺めをどうぞ!
S.M.フォルモーザ教会の西面は運河に向かっていて、ゴンドラの向こう奥に
見えるのが、先回渡って頂いたパラディーゾ小路からの、パラディーゾ橋。
見えるのが、先回渡って頂いたパラディーゾ小路からの、パラディーゾ橋。

ぶつからない様に、双方が避ける工夫を、

するとまた後方からやって来て・・、ちょっと怖そうな剃りあげのゴンドリエーレ!

長いお付き合い、有難うございました!
最後は、綺麗に〆たいと思います。 これをどうぞ!
最後は、綺麗に〆たいと思います。 これをどうぞ!
*****
先週土曜14日にグループでヴェネツィアに出かけました。
サンタ・マリーア・フォルモーザ教会近くのグリマーニ邸と、クエリーニ・
サンタ・マリーア・フォルモーザ教会近くのグリマーニ邸と、クエリーニ・
スタンパリーア博物館を見学し、午後3時半ごろでしたでしょうか、解散になり、
仲間数人とS.M.フォルモーザ広場を歩いていましたら、
仲間数人とS.M.フォルモーザ広場を歩いていましたら、
「シンカイさ~ん」と声をかけられました。
挨拶よりも先に、あぁ!何で知らせなかったのよぉ!
という言葉が飛び出しましてございます、ははは。
という言葉が飛び出しましてございます、ははは。
以前は月一で我がブログに写真をお願いしていましたし、
一緒に車で出かけたり、ヴェネツィアに来られた時はお会いしたリで・・、
なんとまぁ、驚きました!
一緒に車で出かけたり、ヴェネツィアに来られた時はお会いしたリで・・、
なんとまぁ、驚きました!
今回はヴェネツィア3泊と短く、我がブログを見るといつも出歩いているみたいだから、
という事でしたが、同じヴェネツィアにしても、こんなにばったりすれ違った、
という事でしたが、同じヴェネツィアにしても、こんなにばったりすれ違った、
というのに、仲間も驚いておりました。
グリマーニ邸は以前行った時は、ガイド付き案内で写真もまるで撮れず、
素晴らしい邸内なのにとても残念でした。
がぁ、今回はです、
グループ一同で動きまわり、こちらの引率がガイドするものですから、
管理人も寄って来ないのを良い事に、ははは、ざまぁ見ろ!
撮りまくりましてございます、はい、前の分もね、ははは。
という事で、また整理しまして順にご案内致しますね。
クエリーニ・スタンパリーアの方は、写真を撮ります、と1エウロ切符売り場に払うと、
ステッカーをくれ、それを胸に張り、大手を振ってパシャパシャ出来まして、
はい、こちらも中が素晴らしかった!
ステッカーをくれ、それを胸に張り、大手を振ってパシャパシャ出来まして、
はい、こちらも中が素晴らしかった!
楽しみにお待ち下さいませませ!!
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