・ コネリアーノのお城と、イタリア男性を 

日本はゴールデン・ウィークに入り、あちこちお出かけになる方も多い事でしょう。
・・と思うと少し羨ましくもありますが、
       
まだ我が町コネリアーノのお城の中をご案内していないので、ではお城ご案内と、
ついでにイタリア男性を、というゴールデン・ウィーク・モードで、ははは、どうぞ!

まず町中から見える、お城とパッラーディオ様式のお屋敷。

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今回の写真は、季節関係無しに集め、ご覧頂きますが、はは、
これが現在残っている城の塔で、

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町中からはこの古い坂道を歩いて上るか、ぐるっと城の裏側のカーヴの道を
車で行くかでして・・、

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町からの坂道は、上の方がこんな13世紀のパドヴァのカッラーラ家の
名の残る城壁・市壁に続きます。

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城の横には広場兼駐車中があり、そこから見る北の眺め。 鐘楼の見えるのが、
お馴染お隣のオリアーノ村の教会で、我がスコミーゴは丘の向こうで見えません。

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上で見て頂いた城の塔を広場の方から。 大きな杉の木が何本もあり、
どの方角からも撮り難い塔ですが、

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はい、この写真は2年前の3月半ばで、雪が降った日でした。



この塔は中が博物館になっていて、一番上まで上れます。
で、ちょっと見せびらかしの塔の中の様子、2枚だけね。

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塔の窓。

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こちらが広場兼駐車場で、パノラマが楽しめますが、

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広場の、こちらは塔の脇。 古い大砲なんぞも置いてありますぞ。

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広場の古い井戸。

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そしてこちらが、広場東端にある元教会。 現在のドゥオーモが町中に出来る前、
中世はこの聖ウルスラ教会が、コネリアーノの町のドゥオーモだったのだそう。

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ここは現在展示会場に使われておりまして、3月の中頃に、北欧のラップ族の
展示会が開かれたのですね。
単に北欧、というよりもシベリアの方まで広がる民族の様で、そのシャーマニズムに
関する展示で、参加しているグループに頼まれ写真を撮りに出かけたのでした。
       
はい、展示品やオープニングの写真も撮り、来賓のフィンランド大学の若い教授の
説明なども聞きましたが、・・展示会の様子を説明しろとは言って下さいますな。
モンゴル民族の様子、果ては日本のアイヌにまで関連する内容で、
shinkaiの頭には入りきらないまま・・!
      
で、少し夕暮れ迫る頃の教会前庭にテーブルが置かれ、ちょっとしたおつまみと
飲み物が出まして、 ・・お腹がすいて少し恨めしく眺めつつ、

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この後、お城脇にあるレストランから野菜の各種空揚げ、あつあつも届き・・!
ちょっぴり手を出し、ノン・アルコールも1杯ね。



で、お待たせいたしましたぁ! これらのテーブルで接待係をされていたマッテオ君。
ね、なかなかでしょう?!

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ルチーアが、shinkai、マッテオを撮ってブログにね、と。
はい、遠慮なく1枚、ははは。



で、目の前の男性のお尻に下がるこの可愛い袋、南米の品とすぐ分かりますが、
・・これを男性がねぇ!

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可愛い赤い袋をぶら下げていたのは、以前フリウリの見学のガイドを務めてくれた
ファビオ君で、既に一度「この1枚!」に登場ですが・・、

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後ろから写しているのを知ると、こんな風に見せてくれまして、
となりの彼女がくすくすと笑っていましたけど・・。

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馬鹿は何でも撮る、と思って笑っていたのでしょうけど、
ははは、そうだよ、ブログのネタになるもんね、へっへっへっ。



最後は広場からの眺めをどうぞ。 ええ、ヴェネト平野の地平線が見え、

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こちらは西に、サン・サルヴァトーレの城の塔が霞みます。

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皆さん、春のお休みを心ゆくまでお楽しみくださ~い!!


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・ 水中ボール取りに挑むワンちゃん達の・・!!

今日ご覧頂くのは、先日ハワイの友人経由で届いた
水中ボール取りに挑戦するワンちゃん達の、がはは、物凄い形相!!

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A PHOTOGRAPHER IN CALIFORNIA DECIDED TO TAKE A FEW
OF HIS FURRY FRIENDS,
A BALL AND A HIGH RESOLOUTION UNDERWATER CAMERA --
HERE ARE THE RESULTS ENJOY!!!
カリフォルニアのカメラマンが高性能の水中カメラで、毛皮を着た友人達とボールの、
写真を撮る事にした。 で、その結果。 楽しんで!!
 
メールには上のキャプションのみが付いており、どのサイトからの転送かは
分かりませんで、というお断りを。

広角レンズで、ワンちゃん達を水中で撮ると、
あなたの目の前では可愛いだけのワンちゃん達が、人が、もとえ、犬が
変わった様に闘争心むき出しで、素晴らしい歯並びもむき出しで、きゃはは、
時に眼ん玉向きだしでボールを追いかける・・!
カメラマンの素晴らしい着想とその結果を、ははは、お楽しみ下さい!!

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最後の2枚は数年前になりますが、shinkaiがガルダ湖で撮ったお気にいり。
振った尻尾から滴が飛び散る、湖岸で石取りをして遊ぶ2人をどうぞ!

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上の彼らの写真に比べると、ほっと安心されません?! ははは。


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・ n.2 サンタ・マリーア・フォルモーザ広場 ・ ヴェネツィア 

先回はリアルト橋からカッレ・デル・パラディーゾを通って頂きましたが、
引き続き、今日はサンタ・マリーア・フォルモーザ広場のご案内を。

土地の狭いヴェネツィアにしては有数の、大変に広い広場で、
余り気取らない庶民的な雰囲気もある場所ですが、
先日の可笑しかった話も含めご案内しますので、ごゆっくりどうぞ!

写真は、先日が薄曇りに近い日で発色がイマイチなので、今迄に撮り貯めて
あったのも混ぜてご覧頂きますね。 地図は先回の記事に。

S.M.フォルモーザ教会北側の正面と鐘楼。
ヴェネツィアではこの教会がルネッサンス様式の先がけとなったそう。
 
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中の様子、これはサイトからの拝借で、入った事もあるのですが、覚えておらず。

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この教会、現存のものは1492年から建設が始まったものですが、設計者が
死亡の後止まっていたのを、1542年から新たにカッペッロ家・Cappelloが
資金を出して建てられたのだそう。

カッぺッロ家、そうです、かの有名なビアンカ・カッぺッロ・Bianca、
フィレンツェのメディチ家のフランチェスコ1世の愛人、そして後添えとなり、
トスカーナ大公妃となった彼女の実家で、ヴェネツィアの裕福な貴族の家柄。

彼女の父親バルトロメーオ・Bartolomeoはヴェネツィア共和国の重職を
歴任する男性だったのですが、ビアンカの母親が死亡した後に再婚した相手が
グリマーニ家出身の寡婦。

少し日陰に置かれていたのかもで、フィレンツェ出身の裕福でない男と
駆け落ちを、というのが彼女の運命を変えたのですね。

父親は1519~1594ですので、ちょうどこのフォルモーザ教会建設に資金を
出した当時に存命、という事に気が付きました。



上でご覧頂いた写真は広場に面した北向きの正面で、こちらの入り口が現在
通常に使われているのですが、かっての正面は教会、鐘楼の西側だった様子。
鐘楼入り口の扉の上に、こんな顔!

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鐘をついて遊ぶ悪魔が鐘楼に入り込まないように、という訳で、ははは、
効果があったかな?



鐘楼の並びに、こちら教会の西側の入り口。 運河に面しており、
この正面扉上の人物、

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こちらですが、これが1541年死亡の、一族のヴィンチェンツォ・カッぺッロ・
Vincenzoで、1542年からの建設資金提出で、ここに像を置いた様子。

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名前が分かるとどんな人物かと興味がわきますよね?
おまけにこんな軍人スタイルですからね。

分かった事は、ガレー船船長で通商に携わり富を持ち、ヴェネツィア共和国の
海軍提督に5度も選ばれた人物。
バルトロメーオの父親では無く、叔父さんあたりかも、です。

1538年に対トルコの海賊バルバロス・ハイレッディン、オスマントルコの提督、との
海戦の指揮を取った、かのアンドレア・ドーリアから不信頼を受け引退した、と。

このトルコの海賊バルバロス・ハイレッディンの名をご記憶に。
後ほどもう一度出て参りますので。



S.M.フォルモーザ広場は広いと申し上げましたが、これは広場の南東角の
橋の上からの眺めで、教会の後陣部分、手前の井戸、この広場には2つ
井戸があり、広場を囲む建物群が見えますが、

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これは教会の後陣背後に見える井戸。

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井戸には大体聖人像が浮き彫りにされておりますが、かってはまさに命の泉で
あった井戸を護って欲しい為だったと。



広場を囲む建物を見て頂きますね。
これはパラディーゾ通りの方からやって来て、広場の東側、中程に見える
建物とバール。

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このバールで先日仲間とお昼を食べましたが、その時の笑い話は後ほど。

で、一番右端の低めの建物、



これです。 壁に碑が見えますね。

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この家は、レパント海戦の勝者セバスティアーノ・ヴェニエールの家だった、と。



こちらがヤコポ・ティントレットの描いた
セバスティアーノ・ヴェニエール・Sebastiano Venier.

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若い頃は弁護士、後にクレタ島カンディアの港の執政官を務め、
オスマン・トルコとの風雲急を告げる1570年、
ヴェネツィア共和国の総艦隊指揮官に就任。

1571年のレパントの海戦では、75歳の高齢にもかかわらず、
自ら第一線で石弓を引いて戦い、が、硬い重い石弓を引くだけの力がなく、
傍らにセットさせる為の従卒を置き、タコか魚の目に苦しんでいて、
濡れた甲板上ではブーツでは滑るからと、スリッパをはいて、とか、
負けん気の老将の姿が彷彿と!

で、ついにスペイン王国、ジェノヴァ、ヴェネツィア、法皇とのカトリック連合軍が
オスマン・トルコを打ち破ったという物。

上にカッぺッロ家のヴィンチェンツォが、アンドリア・ドーリアとの不信任で
辞任せざるを受けなかった、と書きましたが、
その時のトルコとスペインとのプレヴェーザの海戦、1538年ではスペインが負け
地中海における覇権をトルコに譲っており、このレパントの戦いで、
西洋側が初めてオスマン・トルコに勝利した、というもの。

ヴェニエールは凱旋将軍としてヴェネツィアに戻り、81歳にして86代目の
次のドージュに満場一致で選ばれた、という。
    
あれこれ因縁めいた面白い話がありましたが、もひとつ興味深い逸話も。
日本版ウィキペディアのS.ヴェニエールの記事に、   
  姪チェチーリア・ヴェニエル=バッフォをイスラム教に改宗させ、 
  1536年にオスマン帝国のスルタンに売り渡した。
  彼女が寵愛を受ければ、スルタンをヴェネツィア寄りに操縦できるのが
  目的であったという。 ヌール・バヌと改名した彼女はセリム2世の側室の
  1人となり、ムラト3世を生んだ。 
とあり、幾らなんでもそれはなかろう、と別のも読んでみました。

確かにセバスティアーノの弟ニッコロの庶子として生まれ、ニッコロはギリシャの
パロスに領土を持っており、そこに住んでいた所を1537年トルコの海賊、
海軍提督でもあるバルバロス・ハイレッディン、これもカッぺッロ家がらみで
名が既に出ましたが、彼が島を襲い、チェチ―リアも捕らわれイスタンブールに。

そして名もヌール・バヌ・Nûr Bânû としてイスラム教に改宗させられ、
スルタン・セリム2世のハーレムで寵妃となり、後のスルタン、ムラト3世の
母親となり、美しさと頭の良さで、ハーレムも息子の政治も治めた、という女性。

捕えられた際、身分の高い女性である事はすぐ分かるでしょうから、
多分身代金要求が行ったのを、払わずに黙認したか、途中で話が滞ったか、
という事なのでしょう。

1537年は、まだセバスティアーノ・ヴェニールも政治の表には立っておらず、
先を見越して「売り渡した」というのは、少し言葉が短いですね。
公文書のやり取りに彼女の名が登場するのは、コスタンティノープルに
住んで20年後だそうで、

塩野七生さんも彼女について書いておりますが、
ずっと以前より密かに連絡のやり取りがあったに違いありませんね。
       
そんなこんなで、この建物の碑文を見た時は、おっ、こんな所に?! 
と驚いたのでした。

さて、少し先を急ぎたいのですが・・、と言いつつ、
先日この前の広場のバールで仲間とお昼を食べた時の事を。

皆がサンドウィッチやパニーノ、生ビールでお昼を食べ、
請求書を見た一人が「カメリエ―レ 3エウロだって!」と。

サーヴィス料の事なのですけど、となると、もう止まりませんで、ははは。
お金を集めに来たカメリエ―レ・ボーイさんに、これは3エウロで
お持ち帰り出来るのか?と質問。
客あしらいに長けた彼は、ええ、まぁ、と。
途端に、壁塗りは上手か、窓ふきは出来るか、eccecc。

若いお兄ちゃまにそんな要求をするのは失礼なのですが、はは、
そういう要求しか出ない位の皆の年頃でして・・、がはは。
彼も負けておりませんで、同僚が脇を通ったのを見て、
彼なら俺よりも安いです、って! きゃはは。 大笑いでしたぁ。
       
     

では、先に進ませて頂きますね。
       
北に向かってのこの建物の並びがなかなか素晴らしく、2年半前の古い
写真では改装中だったですが、先日見ましたら、ホテルになっておりました。

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窓の飾りと、あ、動物がいる・・、

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アップして見ましたら、お尻にかぷっと齧りついている、ライオンかな?

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そのお隣、ここもなかなか素敵でしょう?!

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そしてその北、ここも窓が良いですねぇ!

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ここから先日の写真で、広場の北側を占めるホテル、

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広場北側の井戸。

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そしてこれは広場北西の端にある、柄のある建物。

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こんな屋台も出ておりましたが、

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この広場にいつも出ている八百屋さん。 緑のアスパラガスが見えますか?

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その左隣にある細めのは、野生のアスパラガスで、とても美味しいと
聞きますが、まだ食べた事なし。
その上に白い球が見えるのは、ウイキョウ・フィノッキオ、美味しい冬野菜。



こちらが広場の南面、運河越しにあるマリピエーロ邸。

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どっしりとしたルネッサンス様式で、名前からしてやはりヴェネツィア貴族の
マリピエーロ・Malipiero家のものと考えましたが、
検索ではマリピエーロ・トゥレヴィザン・Trevisan邸と出ます。

というのも一家の持ち物というより、貴族の館として16世紀に建てられたもので、
両家がここに住んだ事からの名前が残っているそうで、
現在は個人所有、3階に美しいフレスコ画が残っているそう。



広場の南東の隅の橋が、サント・ザッカリーア方面に続きますが、
この先すぐの小路を左に入ると、グリマーニ邸があり、
これは橋の上から東の眺め。

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そして近くのお屋敷の排水溝。 勿論今は使われておりませんが、かっては。

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では、如何にもヴェネツィア、という事で、ゴンドラの眺めをどうぞ!
S.M.フォルモーザ教会の西面は運河に向かっていて、ゴンドラの向こう奥に
見えるのが、先回渡って頂いたパラディーゾ小路からの、パラディーゾ橋。

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ぶつからない様に、双方が避ける工夫を、

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するとまた後方からやって来て・・、ちょっと怖そうな剃りあげのゴンドリエーレ!

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長いお付き合い、有難うございました!
最後は、綺麗に〆たいと思います。 これをどうぞ!

  
*****

先週土曜14日にグループでヴェネツィアに出かけました。
サンタ・マリーア・フォルモーザ教会近くのグリマーニ邸と、クエリーニ・
スタンパリーア博物館を見学し、午後3時半ごろでしたでしょうか、解散になり、
仲間数人とS.M.フォルモーザ広場を歩いていましたら、
「シンカイさ~ん」と声をかけられました。

え?!と驚きましたら、なんとブログリンクしている
新イタリアの誘惑  https://blog.goo.ne.jp/gloriosa-jun
の、グロリオーザさん!

挨拶よりも先に、あぁ!何で知らせなかったのよぉ!
という言葉が飛び出しましてございます、ははは。
以前は月一で我がブログに写真をお願いしていましたし、
一緒に車で出かけたり、ヴェネツィアに来られた時はお会いしたリで・・、
なんとまぁ、驚きました!

今回はヴェネツィア3泊と短く、我がブログを見るといつも出歩いているみたいだから、
という事でしたが、同じヴェネツィアにしても、こんなにばったりすれ違った、
というのに、仲間も驚いておりました。

グリマーニ邸は以前行った時は、ガイド付き案内で写真もまるで撮れず、
素晴らしい邸内なのにとても残念でした。
がぁ、今回はです、
グループ一同で動きまわり、こちらの引率がガイドするものですから、
管理人も寄って来ないのを良い事に、ははは、ざまぁ見ろ!
撮りまくりましてございます、はい、前の分もね、ははは。
という事で、また整理しまして順にご案内致しますね。

クエリーニ・スタンパリーアの方は、写真を撮ります、と1エウロ切符売り場に払うと、
ステッカーをくれ、それを胸に張り、大手を振ってパシャパシャ出来まして、
はい、こちらも中が素晴らしかった!
楽しみにお待ち下さいませませ!!


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・ n.1 サンタ・マリーア・フォルモーザ広場付近 ・ ヴェネツィア

今日は先日出かけて来たヴェネツィアのほぼ中心、リアルト橋を南に渡って
少し東に、サンタ・マリーア・フォルモーザ広場・Campo S.M.Formosaと、
その少し手前の小路カッレ・デル・パラディーゾ・Calle del Paradiso
日本語だと「天国小路」とでもなりますが、大変特徴のある通りですので、
その辺りをご案内致しますね。

まずは、リアルト橋の方からサン・リオ通り・Salizzada S. Lio、
を南に向かって行くと左上に見えるこの標識OSPEDALE SS.Giov,Paolo・
病院 サンティ・ジョヴァンニ・エ・パオロ、
ここがカッレ・デル・パラディーゾの入り口で、ここを左折願います。

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地図をどうぞ。 左端真ん中にリアルト橋。 橋を渡って進むと

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四角い広場の中央にカルロ・ゴルドーニの像のあるサン・バルトロメーオ広場・
Campo S.Bartolomeo、その南側の建物のほぼ真ん中をくぐり抜ける道、
これがカッレ・ビッサ・C.Bissaで、サン・リオ通りと名が変わり、
この道を行くと上の標識が左上に、という訳。

カッレ・パラディーゾの入り口近くにつけた丸点と、突き当たりにつけた
四角い赤点、にご留意おき下さいね。

ここを通りぬけた先にサンタ・マリーア・フォルモーザ教会62と広場、
そしてその近くに、またご案内したい2か所、
63がグリマーニ邸で、66がクエリーニ・スタンパリーア美術館。



カッレ・デル・パラディーゾは、まさに小路で長さが60m程。
現在この小路にはレストランが2軒、カーニヴァルの仮面の店、木工の小さな
工房などがあり、ここに入り込んですぐの右側に本屋さんがありますが、

フィリッピ書店というか、出版屋さんでもあり、店頭をご覧下さいね。

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とにかくヴェネツィアに関係した本の品揃えが素晴らしく、

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写真集なども多いので、ヴェネツィアのお土産に、想い出に是非お寄りになるのを
お勧めいたしますです。頼むと送ってもくれますので、重たい写真集でも大丈夫!

Libreria Editrice Filippi
Calle del Paradiso, 5763, 30122 Venezia
041 523 5635



これが奥の突き当たりに見える15世紀のアーチで、
両側の置かれた高さが違うのでちょっと傾いでおりますが・・、

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アップしますと、こんな感じ。 細部が見えやすいようにちょっとピンを締め。

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真ん中にはマントを広げた慈悲の聖母がいて、右に見える円形の花2つの
紋がモチェニーゴ家・Mocenigoで、左がフォスカリ家・Foscari‎。
左の上にに剣を持つサン・マルコのライオン像がみえますね。
つまりこの小路の両側に並ぶ建物がこの両家の資産だったという訳。
       
が今回あれこれ読んでいてもう少し詳しく分かりましたので、
えへん、はは、書かせて頂きますね。

聖母の前に跪くのが、1491年に結婚したアルヴィーゼ・モチェニーゴ・
Alvise Mocenigo、左の男性、上院議員の衣服にベレー帽を被っており、

右がペッレグリーナ・フォスカリ・Pellegrina Foscari、首元も袖も
膨らんだ長い服で、頭に帽子、彼女がこの地所建物を婚資として持参したと。

モチェニーゴ家というのは、ヴェネツィア貴族の中でも最も著名な家柄の1つで、
7名ものドージェを輩出した家柄で、同名の85代ドージェがいますが、
彼ではありません。

フォスカリ家出身の有名なドージェ、そして一家の悲劇はこちらに。
n.3 パラッツォ・ドゥカーレ・ディ・ヴェネツィア
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464578987.html

n.4 パラッツォ・ドゥカーレ・ディ・ヴェネツィア
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464579305.html



これは最初見落とし後から写した写真、こちらが小路入り口上にあるアーチで、
つまり2つのアーチでこの小路を囲う形になり、

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こちらのアーチには、ここに1407年から建設した最初の持ち主、
ポンポーザの修道院の名前が彫られているそうで、ポンポーザ修道院の名には
時々あちらこちらでお目にかかり、当時の勢力振りが偲べます。

メーゾラの森、 そして、ポンポーザの修道院
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463258528.html   



この小路はその後大きく改装され、16~17世紀には上に増築されたりもし、
この小路の特徴の一つが、これ、バルバカーニ・barbacaniと呼ばれる
2階部分の張り出し、です。

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つまり1階の店舗部分の上に住居部分が張り出し、その分床面積が広くなる訳で、
このカッレ・デル・パラディーゾは両側からこのバルバカーニが張り出し、
それが見事に現在も両側ともに残っているのですね。

ヴェネツィアの様に限られた土地に住む為の工夫としてこのバルバカーニですが、
2階の床面積が広くなる利がある代わり、地面に日の射す部分が減り、
湿気の様々な問題が出るのを避けるため、
かってのヴェネツィア共和国政府は、勿論勝手な張り出しを規制しており、

最初の石の張り出し部分に、これ以上はダメ、という彫り込みを見本に
入れているそうで、残念、これは見逃しました。

所でこのカッレ・デル・パラディーゾという小路の名ですが、大体は土地の持ち主の
名とかに由来しますが、ここのは関係無しで、
多分宗教行事、とりわけ復活祭の前の聖金曜日に美しく飾りつけられた
当時において、天国小路、と呼ばれたのであろうと。



でこの小路の突き当たりにある橋、これはポンテ・デル・パラディーゾと呼ばれますが、
橋の向こうに見えるこの建物、ここにかってA.ヴィヴァルディ一家が住んでおりました。

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1722~1730年の事で、入り口が2つある、多分こちらの5879番地に。
この後リアルト橋近くの南岸の家に移っており、そこが彼のヴェネツィアでの
最後の家となり父親も亡くなり、彼はウィーンに旅立ち、かの地で亡くなります。

これまでの彼が住んだ家の写真も写しているのですが、
いまだきちんと纏めておりませんで・・。



パラディーゾ橋を渡ってからの眺めですが、こんな風に上記のアーチの裏側、
というか表、が見え、

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アップするとこんな様子で、こちらにも慈悲の聖母があり、
が、こちらの紋章はフォスカリ家の有翼のライオンの紋のみで、
下に跪くのは、最初の持ち主であったポンポーザ修道院の僧であろうと。

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フォスカリ家とモチェニーゴ家の両家の紋の見えた裏側は、両家の結婚記念で
フォスカリ家の娘が婚資に持って行ったというので、花嫁花婿の姿でしたが、
こちらはそれ以前にはフォスカリ家の持ち物であった事を示し、
こちらの像の方が古いそう。



これは2年前の冬に写したものですが、奥に見える橋がパラディーゾ橋で、
角の剥げかけのピンクの建物がヴィヴァルディがかって住んだ、という家。

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手前のもひとつの橋を渡り、建物に沿って手前に出て来ますと、



ほら、ここがサンタ・マリーア・フォルモーザ広場。
広い長方形の広場で、ヴェネツィアでも有数の広さの広場と。

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ここまで進んで来て、予定では広場のご案内も、と考えていたのですが、少々疲れ、
今日一日、夕方までお絵描きを頑張ったので、予定変更し、
フォルモーザ広場は次回に、という事で、よろしくお願いいたしま~す。
その代わりに、またしっかりご案内致しますけん!

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・ ヴェネトの春、 スコミーゴ村の春 

今朝は昨日までの雨と曇り空が一転しての大快晴!
写真コースの講習日で、5月中頃にある講習終了展示に出品予定の写真9枚を
キーに入れて持参し、同じ場面で角度違いのどちらを、という選択を2枚して貰い、
あとはこれで宜しいでOKを貰ったのみで退出。
こんなお天気の良い日に、PCソフトの使い方なんぞを習いたくないですよね?!
どうせ、そういういじり方はしませんし・・。

家に戻りカメラを持って、コネリアーノからの戻り道、オリアーノ村の教会の裏、
スコミーゴ村の坂の下、などをさっと写して来ました。
どこもかしこも、柔らかい新芽の色が溢れ、おまけに北の遠くの山には
また雪が降り白くなっていて、カッコウの鳴く声も遠くに聞こえ、本当に美しい日。

という事で、今日は予定を変更、ヴェネトの春、スコミーゴ村の春をどうぞ!
       
こちらは、北国との境に屏風のように聳えるヴィゼンティンの白くなった山。

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少し東に目を移し、奥に白く覗くのは、フリウリ州の高山。
集落が広がって見えるのはフレゴーナ・Fregonaの村、海抜292m。

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右下に見える白いパイプが2本は、ずっと下った近くの村の水力発電所。



隣村オリアーノからスコミーゴに下る手前、こんな風に遠くに地平線が見え、
左奥にこんもり高いのはカステル・ローガンツォーロ・Castel Roganzuoloの村で、

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手前を蛇行するのが高速A27。
べッルーノからヴェネツィアまでを繋ぐ、車で出かける時いつも通る高速です。


ヴェネトの春、 そして ティツィアーノの家 n.1 
http://www.italiashiho.site/archives/20170404-1.html

ヴェネトの春、 そして ティツィアーノの家 n.2
http://www.italiashiho.site/archives/20170405-1.html

古きロンゴバルドの教会と、 「ティツィアーノの家」始末記 n.2
http://www.italiashiho.site/archives/20170420-1.html



遠くが薄曇りで少し見えにくいですが、フリウリ平野の地平線の向こうに連なる
雪を被った山々は、フリウリからスロヴェニア、オーストリアに続く高山で、
そう、ここはもうイタリアの北東部なのです。

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薄いブルーの花、これはなんと言う名かな、フルフルとそよ風に揺れ・・。

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サルビア系ですよね、これは・・、

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タンポポ満開!

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そしてそのすぐ隣には、咲き収めの一群。

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下に広がる葡萄畑を見ていましたら、畝の間の草刈にトラクターがゆっくりと
動いて行きます。

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畑の脇でチビちゃんとお祖父ちゃんが見守っているのに、気が付きました。



スコミーゴ村の郵便局の近くの藤。
満開を過ぎ、先日来の雨に少しやられておりました。

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今度は坂を下り、東の方に。
オリアーノ村の外れが見え、右に目を移していくと・・、

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丘の上の教会が見え、順に下って平地に。

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下の平地はこんな風に広々と、トウモロコシ畑。
気を付けて見ると、芽が出かけたのもほんの少し。

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小さな小川の流れですけど、青空が映るとなぜか嬉しく・・。

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ここの葡萄畑は、この辺りでは珍しい赤ワイン用なのですが、
ほらね、今の時期は畝が等間隔に広がるのが見えます。

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畝の間にタンポポがまだ黄色く満開ですが、

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道を挟んで南側の畑。 ね、凄いでしょ、南側はもう白い落下傘部隊!
高くなった道を挟むだけで、こんなにも違うのですよ。       

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土手を見下ろしながら歩いていて、ちらほらとムスカリを見つけ、

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そして、ほら、土筆! あった、あった!と他のも探して歩きましたら、

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何の事は無い、土手の下辺りに団体さんが!

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何年か前にこの土手に土筆があるのを見つけて知っていましたが、 
こうしてまた会えるのは嬉しい事! 何せ春の使者ですものね。



こうして家に戻って来ると、道の端で寝ているこの子を見つけ、
彼は大体いつも道の真ん中で寝ているので、
あ、いたいた!と車を止めカメラを手に出ましたら、

むっくり起き上がって道の真ん中に! 最初は尻尾をフリフリしていたのが、

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すぐに尻尾が下がり、目も半眼に。
はいはい、じゃあね、と車に戻ってバックミラーで見ると、

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いつもの通り、はは、道の真ん中で寝始めており、証拠写真を皆さんにと思い、
また車を止めドアを開けましたら、

ああ、目は半眼ながら、頭を持ち上げてしまい、 残念、証拠物件は半分に!

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ですが、この子はノラ君では無く、すぐ前の大きなお家の、れっきとした家付き
ですが、柵の隙間を通り抜け、こうして広い道の真ん中でね、ははは。

この辺り一帯のワンちゃん達は、教会の鐘が鳴ると、一斉に合唱しますが、
中にはうぉ~ん、うぉ~ぉんと小節を聞かせる子もいてね!



最後はそよ風にふるふると揺れる小さな花、
少しブレましたが、色が綺麗に出ましたので。

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スコミーゴ村の四季  その周辺  
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460835296.html

新しい、 スコミーゴ村の四季 の記事一覧はこちらから
http://www.italiashiho.site/category/26628525-1.html


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・ n.2 ボーマルツォの怪物公園、と町

2回に分けてご覧頂いているボーマルツォの怪物公園のn.2で、
今日もごゆっくりのんびり、4世紀前から公園の木陰に潜み続ける、ははは、
石像の怪物たちをご覧下さいね。

まず、口を開けて飛び出す怪魚、が狙う物は・・、

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手前にしどけなく寝そべる女性の姿。
       
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16世紀当時、所謂イタリア式庭園と呼ばれる整った庭が各地に造られ始めますが、
この庭園はまるでその趣を異にした物。

後にご覧に入れますテンピエット・小寺院、これが多分最初の造園意図で
あったろうと思われる、ヴィチーノ・オルシーニの亡くなった妻の墓所だろうといい、
それに次々に神話からのモチーフが加わり、複雑怪奇な庭園になった模様。

今回の旅で2か所、当時の有名庭園を見ました。
一つはバニャイア・Bagnaiaのヴィッラ・ランテ・Villa Lanteの庭、
これは規模も大きく素晴らしかったので、またご案内を。
そしてファルネーゼ家の庭で、ここの邸宅も勿論ご案内しますね。

いずれも土地の高低を大きく段差を付け利用した物ですが、
この怪物公園は土地の起伏そのままに、そぞろ歩きの道の傍らに怪物たちが
潜む形に、少し開けた場所には何体もと、趣が違っています。

この様な女性のしどけない姿など、神話からのモチーフとはいえ、
当時にあってはやはり新鮮な驚きと共に眺められた事でしょう。

その昔フランス宮廷内でダンスが流行った時、踊る女性達がちょっと飛び上がる時に
見える足首、足首です、脚ではありませぬ、を見る為に、
男性方は床に寝そべり歓喜と恍惚に満ち・・、と読んだ事がありますが、

まぁね、芸術家達は神話のモチーフを拝借口実に、
大いに裸体をご披露した事でしょうって!



これは、ちょっとした小劇場風に設えたのかも、ですね。

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そしてこちらがこの公園の看板像、とでも言うオルコ・Orco・冥界の神オルクス、
醜悪な男、人喰い鬼、とでも。 ええ、本当に大きく・・、

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ちょうど口の中に人が立てる程!

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口の中の様子はと言うと、こんな風に東屋を気取り、石のテーブルが中に、
ベンチは無いのですが、まぁ、5,6人は優に入れる広さで、

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この穴が目の位置。 写真では明るく見えますがとても暗いので、
外の緑の反射がこんなにハッキリと。

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石段の上にうずくまる犬、と思うのですが、後ろにも2つの頭を持ち・・、

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オルコ像のあった辺りから下る行程になっていて、

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オルシーニ家の名に由来する熊さんの像もあり、抱えているのは、
これも紋章にある薔薇の花。

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たくさんドングリも落ちていて、

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これも、ドングリですよね?!

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ぐるっと回って傾斜地の開けた場所にでて、そこにこのテンピエット・小寺院が。

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庭園を作ったヴィチーノ・オルシーニの亡妻ジューリア・ファルネーゼの墓所
だったろうと言い、
ボーマルツォのオルシーニ家最後の当主が1585年に亡くなった後、
町にあったオルシーニの館は、後にボルゲーゼ家が買い取りますが、
この庭園は放置された儘になります。

樹木がうっそうと茂り、さぞや怪物たちに似つかわしかったかもですが、
20世紀後半に修復、現在は毎日朝の8時から日没まで有料公開中。



テンピエットの天井の彫り。 四角の真ん中にオルシーニ家の薔薇があり、
その周囲の4つの百合の花に似た形はファルネーゼ家の紋。

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開けた傾斜地の上に上って行くと、谷の向こうにボーマルツォの町が見え、

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アップで順に、東から西へ。 如何にも中世が残る一郭と、

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オルシーニの館。 ここはガイド付きで見学出来るそうで、上の塊部分が全てで、
現在は市役所が入っているそうで、最後に表側をご覧頂きますね。

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町外れに当たる所に見える岩山。 寄り添って家が建てられたり、
かって住んでいたらしい穴も見えますね。

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庭園の丘の上の門。

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再度道を辿りますが、これは可愛い女性像。

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プロテーオ・グラウコ・Proteo Glaucoとあり、プロテーオはホライモリの意とあり、
洞井守とも書き、全長約25cm アドリア海北岸に分布する石灰岩の
地下水に住む両生類ですと。 目は見えず、紅色の外ヒラを持つイモリの一種と。

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グラウコは多分名前でしょうから、何かどこかに登場している偉いイモリかも!
頭に球体を乗せていますが、

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その一番上には城、オルシーニ家の城。

像に少し色が残っているのを見て、オリジナルは着色されていたのだろうと
思っていましたが、買って戻った古い小さな写真集のこの球体の縞の凹部分に、
しっかり金色が残っておりました。

ご想像を! かってこれらの怪物像には色があった事を!!
・・夜は絶対歩きたくないですねぇ!



という事で見物を終え、町の方には行かず、行けず、バスに乗り
ヴィテルボ方面に出発。

元の道に戻った所で、来る時に見えた村の姿がくっきり!
ボーマルツォに含まれるムニャーノ・Mugnanoの村。

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見える塔はやはりオルシーニ家の城のもので、現在はどうやらホテルというか
各種催し物会場になっている様子。結婚式もでき、レストランもとサイトに。
     
海抜160m 住人118人。 描けそうな村ですねぇ!



そして、これを見てやっておくんなせえ!
手前はムニャーノの村、遥か山の上には、来た時に見えたお隣ウンブリアの町
ジョーヴェ・Giove 海抜292m。

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そそられます、と書きましたが、shinkaiの勘は的中、
イタリアの美しい村々に選ばれておりました、はい。

ローマ期から栄えた町で、ジョーヴェという町の名の由来は、ゼウスに捧げられた
神殿があったからなのだそう。
戦略的に絶好の位置で、中世初期からオルヴィエート、トーディ、アメーリア等に
狙われる変遷を重ね、16世紀になりファルネーゼ家の下に。

このファルネーゼ家の下で町は栄え美化され、いま遠目にも見える素晴らしい城や
宮殿が出来た様子。 で、この平和を破ったのは1796年のナポレオン軍。
まったくねぇ、この男と彼の軍隊がねぇ、イタリアのあちこちをねぇ!

町の美味は、茸類、タルトゥーフォ、アスパラ、そして猪肉、鳩の詰め物煮込み。
訪問は秋が良さそうですねぇ!



我らのバスは町の裏から県道に戻り、町中の細い道を通り抜けたのですが、
まず、こんな風に高台に古い館が見え、これはもう由緒ある屋敷に違いないと
思いましたら、はい、これがオルシーニ邸でありました。

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狭い細い道を曲りくねりながら上り、こんな高さで見えるまで!
フレスコ画で飾られた広間もあるそうで、中も一度見たい物ですねぇ!

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古い作りの家がすぐ迫る細い道を抜け、

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庭園からみた岩山の裏側でしょう、こんな感じに古い家々が寄り添って建ち、

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古い古い屋根瓦の小さな教会も見え、

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最後に見えた、正面に聳えたつ町の古い部分。
町の海抜263m 町の住人1900人足らず、
怪物公園だけ見て済ますなんて、本当に勿体ない事でしたぁ。
    
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凄い坂道、カーヴだらけの道でしたが、町には、再訪できる事を願います!

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最後の写真は、サイトで見つけた町の全景。
まさに軍艦の様に厳しく聳えたち、オルシーニ家の名に相応しい姿。

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名門貴族オルシーニ家については、cucciolaさんがこちらに。
http://blog.livedoor.jp/cucciola1007/archives/764901.html


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・ n.1 ボーマルツォの怪物公園 

ボーマルツォの怪物公園・Parco dei Mostriのご案内、今日はn.1です。 
ご気楽にご覧下さいね。

ここにはエトルスコとその周辺を巡る旅の最初に寄りました。
公園にある、例の大きな口を開けた怪物の像の写真は余りにも有名ですが、
こういうのには興味がない私めは旅行のパンフレットを見て行く気になれず、
他の内容も見なかった程なのです。が、

と言いつつ、ははは、いざ行きますと写真をたくさん撮り、はぁ、目の前に見ると、
ついブログに載せる事を考え・・、ならば自分の好みに合う無しは別として、
無理にでも見て頂かずばなるまいぞ! という事でして、ははは。
まぁ、今時のテーマ博同様にお考えになり、気楽にお楽しみ下さいませませ。

写真は、太陽の高速道路でアッペンニーノ山脈を越え、アレッツォ近くの
アウト・グリルでお昼を済ませ、も少し南下、アッティリアーノ・Attigliano
で高速を降りた所。

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目的地のボーマルツォ・Bomarzo、今回の旅の基地とも言えるヴィテルボ・
Viterbo等の名も見えますが、 右の1番上のジョーヴェ・Gioveというのが、



高速を降りつつ東の山の上に見えるこの町、海抜292m 人口2000人弱 
と分かりましたが、どこかそそられますねぇ!

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次回までに何か分かりますかどうか、お楽しみに。

       

地図をどうぞ。 右端中程に高速を降りたアッティリアーノがあり、
ジョーヴェの町はも少し南に。 で、この2つの町はウンブリア州で、
地図の中の点線のボーマルツォから西はラツィオ州、という訳で、この辺りが州境。
   
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ボーマルツォからヴィテルボ迄約20k程。西にトゥスカーニア・Tuscaniaが見え、
南にヴィーコ湖・Lago di Vico.
湖の東にファルネーゼ家の邸宅のあるカプラローラ・Caprarolaで、
先回ご覧頂いたお昼を食べた土地物産展もこの近くに。



高速を降りてすぐに山道に差し掛かり、こんな農家跡も見え、

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これはローマまで行くテーヴェレ川、 まだ河ではありませんよね、川でしょ?!
魚釣りの3人が見えますが・・。

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この山道がまた険しい坂道のカーヴ続き。 あっちにこっちに揺られながら、
それでもこんな小さな村を見ると、撮らずにおれない哀しい性、ははは。
この村はムニャーノ・Mugnanoというそう。

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そしてこんな集落の裏を通りぬけ、ボーマルツォに到着と知ると、
・・怪物公園なんかよりも、こっちの村に行きたいよぉ!

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バスは無情にも町の裏の谷をぐっと下り、こんな石が転がっているのも見え・・、

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駐車場からは集落は木の陰になり上手く見えず・・。 3日間ご一緒する
ガイドさんに迎えられ、後ろ髪を引かれる思いで、はは、怪物公園の門をくぐります。
      
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ガイドさんの説明により、
ボーマルツォのあの館はオルシーニ家の物だったと知り、この公園も16世紀に
ボーマルツォの領主であったピエールフランチェスコ2世・オルシーニ・
Pierfrancesco II Orsini、通称ヴィチーノ・オルシーニ・Vicino
なる人物が造った事も。

ヴィチーノ・オルシーニは、ここボーマルツォの館に軍隊生活から引退後引き籠り、
妻ジューリア・ファルネーゼ・Giulia Farneseの死後、
「単に心の憂さを晴らすため・・」にこの公園作りに着手した様子。

ジューリア・ファルネーゼなる女性、同名にかの教皇皇アレッサンドロ6世(ボルジャ)
の愛人であり、パオロ3世アレッサンドロ(ファルネーゼ)の妹なる人がおりますが、
同名異人。
が、このヴィチーノと後に教皇となるアレッサンドロの枢機卿時代に
知りあっている筈で、婚縁にも繋がり親しかった様子。
      


公園の門を潜ると、最初に出会うのがこのスフィンクス像。
左右1対ありますが、こちらは右の顔の良い方、はは。

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像の下に「世界の不思議を求めて彷徨われる方・・」なんぞという
警句じみた言葉が刻み込まれていますが、この手の物苦手で、軽く無視。

これからご覧頂くたくさんの様々な像、怪物風動物も、神話からの人物像もあり、
様々な学者達がその神秘を探ろうと、意味付けに挑んだようですが、
結局は体系だった物には至らなかったようで・・、
       
とどまる所、様々な意味づけはあるものの、人の目をひく、驚かす、
という意図が大きかったのだろうと。
   
という事ですので、皆さまも難しくお取りにならず、お気楽に400年前の
怪奇な像の並ぶ劇場じみた公園をお楽しみ下さいませ。



こちらは古の神殿が崩れた風に、わざと倒した形に造られた物。
と、説明中のガイドさん。

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写真を見やすいように回すと、こうなります。 神殿のタンパン部を模した物。

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ヘラクルスとカークス。
ギリシャ神話の逸話で、牛を盗みヘラクレスに殺されるカークス、ですと。

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手前の人物から像の大きさがご想像出来ると思いますが、
う~ん、手前のカークス像、背中に見えません?



でも、ちゃんとこうして手前に顔があるのです!

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なんぞとイチャモンばかりつけておりますが、はは、自分の絵が上手くいかない
腹いせをしているのでは断じてありませんが、きゃはは、
時に大きさから来る可笑しさも大いにある、この公園の像達で~す。



ペガサス像。 とにかく大きいのが行程の上り下がりに配置され、
歩くのに余り熱心になれない仲間がかなりおりましたです、ははは。

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大きな大きな亀さん。 甲羅の上には乙女が乗り、笛を吹き・・。

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これはもう、皆が笑いましたね。 三美神なのでしょうけどぉお、
おみ脚の長さがねぇ~、ははは。

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蟹が付いた大きな泉水盤。 

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女神の祠かな、と、大きな顔。 

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彫り込まれたのもあり、いや、はめ込みかな。

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こちらが有名な傾斜した家。 外から見るとこんな感じで、2階に入れます。

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基礎部のこの傾斜ぶりをどうぞ。 

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こうして家脇の石段を上り2階部に入りますが、中の印象が圧巻でした。

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家の床が傾斜するとこんなにも気分が悪い物か、という・・。
傾斜の角度は滑るほどではないのですが、方向感覚も何もかも一時に
忘れそうな気分悪さ! 肉体的に本当に気分が悪かった!



海の神ネプチューン。 

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象がいて、奥にはドラゴンもいて・・、 

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籠がのせられた運搬役の象君の、飾り付けられたお尻。 

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ドラゴンと戦うライオン、ですって。 ワンちゃんかと思った・・。

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女神像かな、正面からも撮ったのですが、はは、膝を開いておられましてぇ・・。

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という所で、今回はお終いで、n.2の続きをお楽しみに!


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・ オルヴィエートの煌めき、大聖堂 

暑い程のお天気に恵まれたトスカーナ、ラツィオの旅から戻って以来、
イマイチすっきりの快晴とはならず、曇り空、雨模様が続き、肌寒い程です。

旅行の最後に予定外で急遽寄つたオルヴィエート。 大急ぎでドゥオーモだけを
見に寄ったのですが、ウンブリアで一番華麗なドゥオーモと言われる
その姿を今日はご覧下さいね。

ン十年前と、はは、そして5年前の冬にナポリに行く途中と、今回は3回目になる
オルヴィエートなのですが、まだブログには載せた事がないので、
今回はこれに書くので少しサイトも読みました。

内部は写真禁止で、おまけに監視人があちこちに、で、中の写真はほんの少し、
・・まぁ深く追求は無しで、ね。
       
お昼をチヴィタ・ディ・バーニョレージョ、天空に浮かぶ町で済ませ、
皆がオルヴィエート・Orvieto に寄る事に賛成し、バスは一路田舎道を
ガタゴトと走り、

緑滴る風景の中、羊の群れを見たり、で進みます。

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写真の背景には何も無く、遥か遠くの山が霞んで見えますが、これはチヴィタの町から
見える北側の崖の上辺りで、一瞬だけ、空中に浮かぶチヴィタの町を逆光の中に!

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あ!っとカメラを構える間もなく通りすぎてしまい、残念。 

オルヴィエートにも今迄余り魅力を感じませんでしたが、だんだん良くなる法華の太鼓式に、
ははは、今回の忙しい訪問で、もう一度ゆっくり見たい思いになりました。
チヴィタの遠望も含めあの辺り、また行けるチャンスがありますように! 

n.1 チヴィタ・ディ・バーニョレージョ ・ 天空の町
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467757700.html

n.2 チヴィタ・ディ・バーニョレージョ ・ 天空の町
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467757874.html



バスの向こう側に座っていたのが急に、shinkai!と声を上げ、見るとこれ! 
遥かに望むオルヴィエートの姿!

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ガタンガタンと揺れながら、カーヴを切りながらの下り坂で、おまけに
反対側の窓に見える事が多く思う様に撮れず。

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町東の駐車場でバスを降り、階段を上り駅前に。そしてケーブルカーで上の町に。
上り降りの2両が、あの2車線の所で交差します。

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ケーブル駅前からドゥオーモ前まで、また市内バスで。
とにかく大急ぎで、というのも、我々のバスは夜11時までにコネリアーノに
戻らないといけないとかの規則だそうで、
いつもは皆てんでんばらばらの行動を得意とするグループが、結構必死で
同じケーブルカー、同じバスで移動を、ははは。



とにかくドゥオーモだけ、というのですが、横道にこんなのが見えると、
写さずにはおれず。

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さて、ドゥオーモ前に。 オルヴィエートが誇る、いやウンブリアが、イタリアが、
世界に誇る華麗なドゥオーモです。

まず全景を。

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中央。

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中央最上部のモザイク。

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薔薇窓。

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この大聖堂の建設が始まったのは1290年で、最初はロマネスク様式で、と
始まったらしいのですが、じきに初のゴシック様式が取り入れられる方針に変更。
そして1591年に建設が終わるまで延々3世紀間、次々当時の芸術家たちが携わり、
とりわけ現在見られる正面壁が完成するには、数多くの芸術家・職人が働き、
ルネッサンス様式まで取り込まれる息の長い仕事で、彼らの名を逐次挙げられない程。

ですが、この薔薇窓と中の礼拝堂の壁画は別でして、薔薇窓は
アンドレア・ロルカーニャ・Andrea l'Orcagna作ですが、円形の薔薇窓だけで、
四隅のモザイクは別人作。

後に見て頂きます中の礼拝堂には、ルーカ・シニョレッリの名が残ります。

今回こうして見て写真も見直して気が付いたのですが、意外に石の色が濃いピンク色
というか、とにかく白では無いですね。 両脇壁の白黒の縞の印象が強いのと、
フィレンツェのドゥオーモの白と緑とピンクや、シエナのドゥオーモの白と黒の印象から、
なんとなしオルヴィエートの聖堂正面も白い石、と思い込んでいたのでしたが。



薔薇窓の下のモザイク群。
これらモザイクも後の修復再制作で、元の原作では無いそうで、唯一残っていた
原作のモザイク1つは、現在イギリスはロンドンのヴィクトリア・アルバート博物館にと。

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正面扉の上の装飾と、聖母子像。
ここに現在あるのはコピーで、本物はドゥオーモ博物館に。

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そして、正面扉。 現在のドゥオーモ一般見物入り口は、左右両脇の扉からで、
しっかり入場料5エウロを徴収されます。 これは2012年現在の金額で~す。

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この像が左右入り口扉の上に。 何を現わしているのか、説明も見つけられず。

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入り口扉両脇と、外側の柱の下に、4使徒を現わす動物の像があり、
ここでは、聖マルコの有翼のライオンのみを。

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では、聖堂内部にどうぞ。 内部は写真禁止で、監視係があちこちにおり、
これはサイトから拝借で聖堂内部を。 悔しい事に、結構カメラを構えている姿が!

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8日が今年の復活祭で、イタリア国営放送RAIでミサの中継がある様子。
外の広場に中継用の大きな車が停まっていて、中継準備でしょう、
トントンカンカンと、まぁ、賑やかな事でした。



こちらが聖堂右奥にあるサン・ブリ―ツィオ礼拝堂・San Brizio の、
ルーカ・シニョレッリ・Luca Signorelliのフレスコ画、天井ボールト部。

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サン・ブリ―ツィオはオルヴィエートの守護聖人で、この町の司教様だったそう。
もうこの辺りになると我慢できず、屏風をしてね、と入り口から隠れて撮り、はい。
この礼拝堂にフラ・アンジェリコが最初にフレスコ画を描いたと言い、どれがそうかと
管理人にジュリアーナが訊ねましたが、正確に分からずじまい。

ですが、サイトを読んでいてちょうどの場所を写していたのが分かりました。
この天井部分、2つに分けられた中を、3角に4つに分けていますが、一番奥に
キリストが見えますね。 あの部分とその右、つまり天井8区画のうちのこの2つが、
フラ・アンジェリコがべノッツォ・ゴッツォーリの援けを受け、1447年から描いた部分と。

彼はその後を描かずに戻って行ってしまい、1499~150-4年にかけて残りの部分と、
周囲の壁も描いたのが、ルーカ・シニョレッリと。


こんな様子。

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どちらを向いても、お尻プリプリの男性像で、今回つくづく思ったのは、
ひょっとして彼はhomo君だった?

上の画面に見える、死者の蘇りの周囲にぼわっと白い煙。 この表現発想と、
フレスコ画で描くのにどう描いたのか、と感嘆! 
彼は好きな作家では無いですが、やはり凄いなぁと。



そして、この殺人光線みたいな表現! 16世紀になったばかりの時代に
現代の漫画的表現が既に! いや、逆に現代が真似をしているのかもですが。

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お尻プリプリ、誇示するコックピース、ですっけ? 殺人光線。
なんとまぁ、大聖堂礼拝堂の壁画にこんなのがねぇ!!



さて青空の下に戻りまして、毒消しに、ははは、外壁のこの白と黒の縞の
素晴らしさをどうぞ!

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聖堂の北側広場。 

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手前の塔、マウリツィオの塔と呼ぶらしいですが、ここも中が、
古い時計の仕掛けなども見物出来る様子。 はい、次のチャンスには。



広場を囲む建物の壁が、なかなかの趣で。

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また聖堂正面に戻り、下の壁にはそれぞれ旧約聖書の逸話の浮彫があり、
ここはアダムとイヴのお馴染のお話部分。

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正面壁の飾りをどうぞ。

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聖堂南面の大好きな縞々。

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お天気の良い土曜の午後、草原に憩う若者達。

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聖堂南面の奥突き当たりに、ドゥオーモ博物館がある様で、
ルーカ・シニョレッリのマグダラのマリア像のポスター。

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いつもなぜか短い滞在のオルヴィエート。 出直さねば、ね。

博物館のサイトはこちらに。 http://www.museomodo.it/it

では皆さま、良い復活祭を! Buona Pasqua a tutti!!


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・ アッペンニン越え ・ ボローニャ ~ フィレンツェ

 エトルスク巡りから戻って2日間、必死で写真整理に励みましてぇ、
今日はまず「天城越え」ならず「アッペンニン越え」の様子をご覧下さいね。

イタリアの北から南にかけ斜めに縦断するアッペンニン山脈、
つまり北イタリアから南に下るには、また逆も然りの避けては通れぬ山脈で、
北側のボローニャと、南のフィレンツェの間に横たわります。

もっと北西のパルマからラ・スぺ―ツィア間にも高速が通っていますが、
いずれもイタリアの北と南を結ぶ大動脈が、アッペンニン山脈を越える訳です。

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車の免許を取ってすぐに出かけたウンブリア行きでは、地図を見ただけでビビり、
ははは、 ボローニャからアドリア海方面に少し下ったチェゼーナから越しましたが、
これがまぁあぁた、酷い凸凹道でございました! 

その後自分で運転して2度ボローニャから越え、グループのバスでは
今回が2回目のアッペンニン越え。
バスでは2度とも、戻りもフィレンツェから通っておりますが、自分の車では
今の所この間を戻った事がありません。

とにかく、なんとなし武者震いする感の、ははは、「アッペンニン越え」を、どうぞ!

「アッペンニン越え」に当たるイタリア語があるかな、と見ましたら、ありましたです。
トランザッペンニーニコ・transappenninico ですって!

上はまだパドヴァの手前、防音壁に写る我らのバス。
shinkaiは一番後ろの窓際の席で、腕だけちょこっと。
 

地図をどうぞ。
A点がコネリアーノで、Bが初日にまず行きましたボーマルツォ・Bomarzoで、
はい、あの怪物公園の、494k 4時間40分の行程と出ましたが、
7時出発、朝とお昼休憩を挟み、午後3時にボーマルツォ到着、
宿はヴィテルボ・Vitervo のすぐ東隣でした。

1-2-4.37.JPG



これがアッペンニン越え、ボローニャ~フィレンツェ間、約100k 1時間程の行程。
この地図では余り大した事がなく見えますがぁ、

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なにせカーヴとトンネルと高低差の連続!!
そして地図では見えませんが、ほぼ片側2車線!
そう、イタリアの北と南を繋ぐ大動脈が、片側2車線なんすよ!

これを平易にご説明申し上げますとですね、
2車線のうち、外側は大体トラックが連なって走っておりまして、もう1車線を
一般車が通る訳です。 
お高い性能のよい車です~っと走る熟練運転の方から、私の様な運転免許取得
5年未満もですね。 ・・はい、お陰さまで昨年末に無事免許延長致しました。
   
トラックの間に挟まると前が見えず、坂道を上るトラックの後には幾らなんでもねぇ。
で、内側を走りますが、なんぼ厚かましいshinkaiでも自重して、
こういうカーヴ、トンネル、傾斜道では100kかそこらですよね。
そうすると、直にバックミラーに写る訳です、お高い車がす~っと近寄って来るのが。

で、トラックの間が開いていると問題無いのですが、ず~っと連なっていると、
後ろに高級車を従えてフィアット・パンダが必死懸命に走る、という冷や汗もの!

2008年の夏に越えた時は、一番高所区間5kmを通過するのに1時間、
という混雑振りで、クーラーも効かなくなったという有様。

という事で、今回は写真が40枚にもなりましたが、
皆様もご覚悟を持って、ははは、「アッペンニン越え」に挑んで下さいませ!


ボローニャの道路標識。
A1 MILANO - FIRENZE とあるのが、ミラノとローマを結ぶ
太陽の高速道路・Autostrada del Soleで、我々はこれに合流します。       

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高速はボローニャの街の西側外を走り、街からも見える高台の教会のみが見え・・、

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いよいよ南に下るA1に合流する辺り。

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まだ丘の上に見える建物は、街の建物風ですが、

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ぐんぐん坂道を上がります。

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東側に見える特徴ある岩山と、岩肌。

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大きくカーヴして、トンネルに繋がるのが見え、

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このトンネルの写真は帰り道ですが、長いのも短いのも、殆どカーヴしていて・・、

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山の中に点在する家、農家。 遠くにも、すぐ近くにも・・。

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トンネルを抜けて見ると、山の上に家があり、

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こんな集落もあります。 アッペンニンを通る度にわぉ!と眺める集落ですが、
今回漸くに、戻り道に撮る事が出来た物。

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写真の並びは、戻り道に撮った順のまま、つまり手前に大きなカーヴがあるので、
気がつく時には目の前に高く迫っており、いつも新鮮な驚きと共に見つめます。

なんという集落なのか、今回も探しましたがまだ分かりません。



高速は山に沿って走り、谷を挟み向こう側の集落や、村々を繋ぐ道も見え、

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すぐ近くの家々も、農家も、

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そしてこれは一般道にある、多分ホテル兼レストラン。

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バスの一番後ろの席に座っていましたので、こうして時々振り返ったりしましたが、
このアッペンニン越えの高速は、こんな風に橋というか、高架道路が実に多く、

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ほら、遠くに狭い谷を越す高架が見え、低い山をトンネルで抜けるのが見えます。

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自分で走っていると、この高架のカーヴが目の前に見え、高い谷の上を
ずっと先まで見えるのが印象的なのですね。
今回、橋の写真の戻り道に撮ったのも一緒に見て下さいね。

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調べましたら、このアッペンニン越えの部分に、つまり100k程の区間に、
高架が45もあり、その長さを合計すると11,5kmにもなるそう!

数字の凄いのが4つあり、長さ340m 高さ44m、
長さ270m 高さ96m カーヴの半径1km、等など。

トンネルについては、上り側が総計6,6km、下り側が5,9kmになるそう。



高い高架から谷底を見下ろしていると、こんな地道が見えたりし・・、

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この手前辺りから下り道となるので、ここの風景はよく憶えている物。

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高速鉄道の線路建設が並行している部分があり、その向こうに見える家々。

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穏やかな優しい散歩道の様な風景も見え、山桜が点景を添えます。

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満開の白い色。

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奥に迫る山が少し低くなりはするものの、

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平地になっても、放置された家が見え、

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ついに平地が広がり、工場の長い屋根も見え始め・・、

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なんの変哲もない風景の中を走り、

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フィレンツェ・ノルドの高速の交差点あたり。
西方面プラート・Prato からピサ・Pisa リヴォルノ・Livorno への分岐と、
そのまま南ローマに向かう線と。

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この辺り何度も分岐標識が出るのですが、Fi, Pi, Li と出るのがあり、
最初見た時は、え?! と焦りましたがなぁ、
Firenze Centro, Pisa, Livorno を勝手に省略しないでやぁ。

こうしてアッペンニンを越えフィレンツェ到着。
我々はも少し先のヴィテルボ近くまで行きましたが、ブログはここで一応お終いに。
という所で、お疲れ様でしたぁ!
お楽しみ頂けました様に!

エミーリア・ロマーニャ州のご案内は
       

フィレンツェのご案内は

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・ 北ラツィオの旅から、無事、戻りました!

28日から出かけたトスカーナ南部、ラツィオ北部のとでも言うのか、
お天気に恵まれたエトルスク中心の旅から、日焼けし、無事戻りました!

31日の午後4時半にオルヴィエートを出発、ボローニャの手前で45分の
夕飯休憩を挟んだものの、10時20分、正味5時間少々でバスが突っ走り、
ヴェネトの我が町に戻って来ました!

たったの4日間でしたが、なんと中身の濃い旅だった事!!
エトルスクから、ルネッサンス期の庭園2つ、予定外のヴィテルボ、
オルヴィエートの見物も含め、見た物、得た物一杯の、楽しい旅でした。
まずは無事戻りましたのご挨拶と、少しの写真を旅の予告編に。

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PCは持参しましたが、インターネットのキーの遅さと、草臥れ加減の
我がPCの相乗効果で、遂にインターネットに接続できないまま行き倒れとなり・・、

毎夜、その日に写した写真のみをPCに移し、
ブレや、まるで駄目を消して残ったのが、2485枚ありました。

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頑張って整理して、順にご覧頂くつもりです。よろしくお願いいたします!!
       

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