・ サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路

サンティアゴ・デ・コンポステーラ・Santiago de Compostela.
この言葉を口にする時、遠い異国の果ての巡礼道を想い、
なんと憧れた事でしょうか!
       
遥か昔に購入以来遠い夢だった、「スペイン巡礼の道」とんぼの本
をイタリアにも持って来ていて、改めて出版年を見ると1985年。
行ける事があるかなぁ、と考えていたこの街と聖堂に、
昨年の初夏、ポルトガル旅行の初っ端に寄る事ができました。

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憧れつつも、「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」の言葉の意味が
「星降る野の聖ヤコブ」と知ったのもつい何年か前で、
はい、ムチムチshinkaiはいつもの事で、ははは。

巡礼道の最後の札所モンテ・ド・ゴーザに、すんまへん、バスで
連れて行って貰ったのですが、へへ、
中世の巡礼と同様にドキドキしながら、少しはね、丘の上から
遥かに大聖堂の塔の先を眺め、その後に大聖堂に向かいました。

一旦の拝観の後、翌日再びお昼のミサに参加、
ボータフメイロと呼ばれる、かの大香炉の大振りも拝見、
満足の後一路ポルトガルに向かった、という行程でした。

いつもの様に写真が多く、3回に分けてご覧頂く事とし、
今回は、サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路のご案内と、
モンテ・ゴーゾからの眺め、そして聖堂に向かい、という部分を。
どうぞ、宜しくお付き合い願います!

上の写真は、これも2,3年前にこちらで見つけた
サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路のガイドブック。



ヨーロッパ各地からサンティアゴに向かう巡礼の道筋。
東のジェルサレム、中のローマと並び、
3大巡礼地の1つ、サンティアーゴ・デ・コンポステーラ。

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スペイン北西のこの聖地を目指し、10世紀頃から巡礼が始まり、
12世紀の最盛期には年間50万人もの巡礼が通ったという道で、
フランス側からピレネー山脈を越えスペインに入り、
スペイン国内だけでも約800Kの道程、だそう。

イタリアからの道筋に当たるジェノヴァ、ニース、アルルなど、
そして巡礼の道筋に当たっていたアヴィニョン、ゴルドの様子はこちらに。
ジェノヴァの街角 ・ 見下ろす守護神
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/470952597.html

ニース ・ 紺碧海岸、結婚式、メルカート
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/473572573.html

南仏アルル ・ ヴァン・ゴッホの足跡の残る街
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/473571302.html

n.1 アヴィニョンの教皇庁宮殿
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/473518302.html

n.2 アヴィニョンの教皇庁宮殿
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/473518604.html

アヴィニョン ・ 街の中心をほんの少し
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/473518085.html

n.2 ゴルド ・ 南仏プロヴァンス
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/473663157.html

n.1 ゴルド ・ 南仏プロヴァンス
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/473662923.html



表紙を見て頂いた「サンティアゴへの道」ガイドブックには、
フランス側の出発点サン・ジャン・ピエ・ドゥ・ポル・
Sain Jean Pied de Portからのこんな行程図が。

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大体1日分の距離と途中の宿の案内が32に分けて載っていて、
多分これが大体の目安の日数なのでしょう、
1日に20~30k程の行程で、32日間。

ページの下には同じ土地の高低図もあり、
そう、初日に即、海抜1300にまでの上り道で、
ピレネー山脈を越えて行くのですね。

歴史や、何を持参するか、服装はどうが良いか、
マメの手当てはどうするか、靴やズボンはどう乾かすか、
等の実際的な事も書かれています。

そうなのですね、現在の巡礼行は中世のそれと違い、
もっとスポーツ的な意味合いになっている様子があると思いますが、
若い人から中年まで、やはり圧倒的に「歩く」ようです。
とりわけ1993年に世界遺産に登録された後は、
挑戦する人々が増えた様で、1カ月間内なる自分と対しながら歩く、
やはり一種の巡礼行なのかもですね。



何枚かガイドブックからの写真をどうぞ。
巡礼道のこんな様々な道しるべの写真や、

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宿の朝立ちの様子。

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1人で歩く姿も、グループの姿も。

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最初に施設や案内所でこんな巡礼手帳を購入すると、
巡礼の道筋にある札所というか、教会でスタンプが押せ、

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徒歩で100以上、自転車で200k以上の距離をこなすと、



最後にサンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂で

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上の写真の上に見える、証明書が貰えるそう!
中世においては、この証明書は贖宥状と同じ価値があったと。



こちらが、御本尊と言って良いのかな、キリストの12使徒の1人
サンティアゴ(スペイン語)。聖ヤコブ、イタリア語ではサン・ジャコモ、
フランス語ではサン・ジャックだったと。

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両肩の後ろに手が見えますね。 これは像の後ろが
巡礼の通り抜け道になっていて、
背後から聖人の肩を抱きしめる事が出来るのですね。
はい、shinkaiも通り抜け、背中に手を置かせて頂きました。
       


こちらが、ミサの後、大香炉を振るボータフメイロ。

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ポルトガル旅行の予告編で1枚見て頂きましたが、
今回ご案内のn.3では、実況中継並みに、はは、見て頂く予定!

リンクさせて頂いてるOtiumさんの「エスカルゴの国から」に
サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼道についてあれこれ書かれて
いますので、フランス内の道についてもこちらに。
http://otium.blog96.fc2.com/blog-entry-1130.html

もひとつOtiumさんの記事「ロマネ・コンティの葡萄畑で見つけた
サンティアゴ・コンポステーラ巡礼道の帆立て貝」については、
http://otium.blog96.fc2.com/blog-entry-1559.html




さてガイドブックの n.32 最後の行程図。
Monte do Gozo・モンテ・ド・ゴーゾが見えますか、 標高370、
大聖堂まであと5弱の位置にありますが、この丘に出かけました。

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我々のホテルは街外れの新地区にあり、一旦荷を置きお昼を食べ、
それから出かけましたが、すぐ近くに、新しいこんな巡礼の門もあり、

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遠くに、もこもこの羊たちの姿、

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手ぶれご容赦、早速に見えた巡礼たちのシンボル、帆立て貝。

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札所に近づくと、早速に見えてきた現代の巡礼達。

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小高い丘の上にある記念碑。

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ヨハネ・パオロ2世や、サン・フランチェスコのこの地への巡礼姿を
彫り込んでありましたが、
う~ん、好きでないタイプなので遠くからのを、ね。



丘の周囲にはこんな草地が広がり、

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少し下に見えた国営の巡礼宿。

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以前は宿泊が無料だったそうですが、現在は5エウロとか。
12世紀の巡礼最盛期には年間50万人を超えたといい、
現在でも10万人程の巡礼道を辿る人々がいるのだそうで、
それだけ、篤くもてなし続けているのですね。

今回の旅行グループの1人のご主人が先に出発、この巡礼道を
35日かけて踏破し、3日前に到着、我々を空港に迎えてくれましたが、
奥さんの友人を通して聞いた彼の感想は、
「良かったけど、お天気の日ばかりではないからね」 まさに!



モンテ・ド・ゴーゾ、Gozoというスペイン語は喜び・歓びを現わし、
長い長い辛い道のりの果て、遂にサンティアゴ聖堂の
塔が見えるこの丘に、辿り着いた歓喜!

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今は手前の木々が邪魔をし、・・何で切らんのかいな?!
でも塔の先が見えるでしょう?!


中世の人々を熱狂的に駆り立てた巡礼行。
単に信仰心ばかりだったのでしょうか?
       
狭い苦しい辛い味気ない実社会から離れたい思い、
戻って来れないかもしれないけど、死ぬかもしれないけど、
でも、出て行きたい想い、外を見たい想いに捕らわれた時、
1番他人に説明しやすい言葉は「巡礼に行く」だったのでは?!

   借金も返し、息子達にも言い聞かせ、
   女房にも別れを告げたなら、
   さぁ、出かけよう!
       
外への、自由への憧れに捕らわれたなら、
それを止められるのは、自分以外には無いですものね。

夢を味わったなら野垂れ死にをしてもよいのか、
それとも苦い思いを抱えて留まるか・・。
中世も千年後の今も、人の想いはいつも同じなのかもですね。



曲りくねって丘を下って行く道。 巡礼の果てに辿り着く道。

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記念碑の丘の麓にある最後の札所、
どうも四国のお遍路さんや熊野霊場巡りと重なりますが、
サン・マルコス礼拝堂。

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入り口脇の小さな机の上に、記念のスタンプがあり、

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はい、1つ押させて頂き、

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山を下り、街に向かいます。

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新市街地区は道も広々と、窓の形に特徴がありましたが、
それはまたにしまして、
旧市街の方もぐるっと回ってくれましたが、それもパスし、

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一路、この矢印に従いまして、

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観光バス用の駐車場に降り、すぐ脇からスーべニールの屋台も並び、

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我が家の壁にも1つ、今この帆立て貝が下がっていますが、
丸いのは水筒代わりの瓢箪、そして杖。
この3つが、サンティアゴ巡礼のシンボル。

観光バス用の駐車場は聖堂にすぐ近く、かなり広いのですが、
15分位しか停車できず、待ち時間は一旦別の場所に移動、
乗り降りの為の所定の15分を過ぎると罰金だそうで、
つまりそれ位、観光参拝客用のバスの数が多いのでしょうね、

翌日の長~~いミサの後のボータフメイロを見て、
皆大急ぎで駐車場に行ったのが間に合わず、罰金を払ったとかで、
大人しく可愛いポルトガルからの運転手君がぼやいていたそう!



所謂、大聖堂への参拝道に当たると思いますが、
今は博物館になっているフランチェスコ派の修道院もあり、
道脇の建物の上からはこんな動物たちが迎えてくれ、

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ほら、ここにも帆立て貝。

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おお、ついに見えた! 大聖堂の塔の先っちょ!!
ええ、これはやはり、おお!! でしたね。

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大聖堂の眺めは次回にし、
こちらは脚立の上に乗った、記念撮影のセニョール。
はぁ~い、皆さん行きますよぅ!

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写真は5エウロで、こんな具合でしたぁ!

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ではでは、次回もよろしくご訪問下さいませませ。


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