・ n.2 サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂

昨年初夏ポルトガル旅行の初っ端に訪れ、幾らかでも雰囲気なりとも
味わえた、中世からのサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼行と、
巡礼達の目指したサンティアゴの街と大聖堂。

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スペイン北西部からポルトガルへ、一路南下する日の午前中に
再度訪れた大聖堂内部の様子後半と、
お昼のミサの最後に行われた圧巻ボータフメイロ。
今日はそれらをご覧下さいね。

上は、サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂正面の、
高さ70mにも及ぶという荘厳な塔。

街の地図のある、旧市街と大聖堂の外からの眺めは
n.1 サンティアゴの街 ・ 中心広場の周辺を
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/474114344.html



大聖堂内部の見学で、ここは回廊部、
中央に大きな泉水盤がありましたが、天水利用かな?

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というのも、上がってまた降りての見学で、写真と平面図を睨みつつ、
例に寄り、薄らぎ混乱した記憶を辿りながら、自分の見てきた物が
何かを確かめていますが、平面図では見えない事は、
確かにここは土地の高低を利用した2階部分でした。

スペイン2日目、そしてポルトガル初日でもあるこの日は、
生憎の曇り空が遂に小雨となり、南下してポルトガルに入る頃は
かなりの雨となりましたが、
       
この広い階上の回廊部分、雨模様のせいだけではない
少し厳しく厳めしい回廊の雰囲気。

イタリアの修道院でいつも見る、花の咲き乱れる回廊、
緑滴る様子とはかなり違いました。
なので、この回廊中央の由緒ありげな泉水盤も、
2階ですし、単純に天水を受けていたのかも。



回廊の外側テラス部分から見る街の家並と通り。

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正面のオブラドイロ広場側に回って来て、

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見下ろす広場と、周囲を囲む市庁舎と元巡礼用病院の現ホテル、
そして聖堂入り口の階段部分。

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聖堂正面の階段前に、こんな服装の男性2人。
聖堂所縁の何か係の人、の様子でしたが、さて。 

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聖堂の中には博物館もありあれこれ見物しましたが、撮影禁止。
こちらは管理の方の見張り付きで厳しく、到底無理。

で、こうして聖堂内見物の後一旦解散となり、
12時半頃にはボータフメイロがあるので戻る様にと。
       
大香炉が頭上で振られるボータフメイロ・Botafumeiroは、
お昼のミサの最後に行われるというのですが、毎日ではなく
どうやら特別な日以外は、お布施を払って申し込む様で、
この朝ガイドから「今日は行われます」と知らされておりました。
       
近くのバールで一服の後12時過ぎに聖堂に戻ると、
聖堂内はもう満員の人々。 運良く同じグループの男性の1人が
いるのを見つけた、一段高い洗礼盤の横隅が空いていて、
日本人用に取って置いたと! ははは。
という訳で、こんなに明るく照明された中央が見えたという訳。

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各国からの巡礼達が、ミサに参加して聖書の一部を朗読、
その後に、各国出身の司祭たちがまた違う言語で朗読、
とミサが続きます。

吊るされているのが大香炉、青銅に銀メッキ 高さ約1.6m 
重さ70Kgというのですが、これに炭や香、約13kgが加えられ、
炭10k、香3kだそう、つまり83kgの重さの香炉が、
聖堂内の巡礼達の頭上で振られる訳ですね。

先回、この香炉が世界で一番大きい、と書きましたが、
2003年からイタリアはカンパーニャ州カーヴァ・デ・ティッレーニ・
Cava de' Tirreniの街のフランチェスコ派の聖所教会の香炉が
世界一の大きさとなったそうで、
教会関係でもこういう競争をするのか、と少し味気ない想い。

サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼が始まった遠い遥かから、
香炉の存在はあった訳ですが、巡礼達の頭上で振られる大香炉、
ボータフメイロの確かな記録は、
16世紀のフランス王ルイ11世の贈り物として登場。
ですが、これはどうやら銀の大鍋の形、だったようで、
現在の物は1851年に鋳造されたと。

先回見て頂いた様に、天井にある滑車を使って振られる仕掛けですが、
この大きさ、重さ、長い歴史の中では何度か外れて落下した事もあり!
大きな事故は1499年、そして未来のアラゴン国妃カテリーナが
王女の時に臨席していた1622年に起きたそう。
       


こうしてミサの終わりを待っていた訳ですが、これが長びいた! 
12時半頃、というのが1時位までミサが続き・・、

写真は、とんぼの本「スペイン巡礼の道」から拝借で、
大香炉が右の何人もの男性によってロープが引かれ振られる様子。
さすが重さ大きさもあり、7人程の男性がロープを曳いていますね。

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所で、この大香炉の振り方について、
ophthalmosさんから疑問のコメントを頂き、
ついでに良く分かる図解のサイトまで探して教えて下さいました。
こちらです。
http://www.sciences.univ-nantes.fr/sites/genevieve_tulloue/Meca/Oscillateurs/botafumeiro.html
フランス語のサイトですが、図解ですので一目瞭然!

ophthalmosさん、感謝です! さすが!!

「ですが、この図では地上の輪になっているのですが、
聖堂内にはこの輪はありませんので、つまりロープを曳く8人の男性が、
輪の代わりに回っているのだ、と知りました。
また、イタリア語のサイトでは、10人がかりで独特な操作をする、
とも書いてあり、ガイドブックの写真には、
香炉の上のロープの間に長めの棒が射しこまれているのもあるので、
最初に、香炉自体の操作もあるのかも、というのは、可能でしょうか?」
    
と追記した所で、再度ophthalmosさんからコメントを頂き、
「・・直線的に引っ張ったり緩めたりでも同じです。
要は、滑車から香炉までの振り子の長さが、
振り子の振動に合わせて伸縮すればよいのです。」との事。
              
という事は、やはり天井の滑車に既に巻きついているのが見えた
余分のロープが、滑車が回る事によって働いている、という事ですね?
飲み込みの悪い鈍い生徒で申し訳ないです! きゃはは。
私の位置からは人混みでまるで見えなかったのですが、
そうなのか!と知る事ができ、疑問を持って書いてくださった事にも、
ophthalmosさん、感謝です!
       


さて漸くに(失礼!)ミサが終わり、するすると大香炉が降ろされ、
司祭たちが取り囲んでいる様子が見え、

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もうもうと煙が立ち上り、この時は、聖堂内から期せずして、
おお!という声が上がり、

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ほらね、如何に写真禁止か、良くお分かりでしょう?! ははは。




するすると上がる香炉。 おお! おお!

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じわっと振られ始め、

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いやぁ、私は一段高い所におれて、本当に幸いでした!
ミサの終わる頃には、もう動きが取れないほどの大満員。
そしてもひとつ幸運な事に翼廊側にいたので、
香炉が翼廊の右、左と往き来するのが良く見れたのでした。

仲間の1人が、以前身廊から見たのだけど、
通りすぎの一瞬だけしか見えなかった、と。

香炉が往ったり来たりしながら徐々に高く上がり、
ふわっと、古典的な香りが届きます。
巡礼達の疲れきって辿り着いた体にも心にも、
届いたであろう、古くからの香り。

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どんどん振りが大きくなり、香炉はグンと強く高く上がり、

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これが最高に高い位置に上がった時の香炉。
殆ど天井に届かんばかり、22m位まで上がるそう!

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香の煙が薄くなりつつ、徐々に下がり、

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数えてせんでしたが、全部で10回程も振られたでしょうか?
 


着地。

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心地良さに浸る間もなく、せかされて大急ぎで駐車場に!
こうして我々はスペインを後にポルトガルに向かった訳ですが、

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こちらはガイドブックからで、
往時の巡礼達は、サンティアゴ大聖堂への巡礼を済ませた後、
国に戻る前に、街から更に西に進み海辺に。

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未だ新大陸が発見されぬ中世に於いて、大西洋に向かう
この浜辺が、この世の果てだったのですね。
土地の名も、まさにFinisterre・地の終わり。
    
ここで着て来た衣類、靴なども全て燃やし、新しい衣類を身につけ、
生まれ変わった心と体で国に戻って行ったのだそう。

サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼道の道脇には、
巡礼達が書いたという数々の詩があるそうですが、
Nájeraの司祭 Eugeno Garibay Boñosが書いたという韻詩を。

土埃、泥、太陽、そして雨が
サンティアゴへの道。
何千人もの巡礼達が
千年以上に渡って続く。

巡礼よ、誰がお前を呼ぶのか?
隠されたどんな力がお前を引き寄せるのか?
星降る野・サンティアゴの街でも、大聖堂でもない。
ナヴァッラ・Navarraの勇気でも、
Riojaのワインでも、
Galiziaの魚介でも、
Castigliaの原でもない。

巡礼よ、誰がお前を呼ぶのか?
隠されたどんな力がお前を引き寄せるのか?
巡礼道の人々でもなく、
田舎の伝統のお祭りでもない。
歴史と文化でもなく、
Calzadaの鶏でも、
Gaudiの邸宅でも、
Ponferradaの城でもない。

私(巡礼)が通り過ぎながら見る物は美しい。
が、私を呼ぶ声はもっと深くから。
私を押し、引き寄せる力、
それは自分でも説明できない力。
唯一、彼、空の彼のみが知っている。

サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼道
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/474113993.html



毎年7月25日がサンティアゴの祭日で、
その日は広場に各国からの信者も集い、大きなお祭りがある様子。

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そして夜には、こんな花火大会も。 このお祭りに居合わせた
巡礼達は、辿り着いた達成感に心が弾けたでしょうね。

長々とサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼道、
旧市街、大聖堂の様子とご案内して来ましたが、
お楽しみいただけました様に!


*****

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・ n.1 サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂 

昨年初夏のポルトガル旅行では、たくさんの素晴らしい風景も、
歴史ある教会、修道院もたくさん見たのでしたが、

旅行最初に訪れたスペイン北西部の一大巡礼地、
サンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂のご案内を。

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ここはやはりその歴史に相応しく、素晴らしく威厳ある高い高い
大建築とそれを取り巻く装飾、そしてかっては、漸くに
遥々辿り着いたであろう巡礼達を、その香りで清め、
陶酔させたに違いない大香炉。
       
サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂は、巡礼道をも含めて、
西洋への、中世への憧れを込めずっと想像していたものを見れた、と、
そう納得させるだけの圧倒的な凄さがありました。

世界遺産にも指定されている旧市街と、大聖堂の外からの
様子は既にご覧頂きましたので、
今回と次と2回に分けて聖堂内部をご案内致しますね。

詰めると1回でもOKかもしれませんが、
あの大香炉が振られるボータフメイロは、ですね、
やはり大迫力でしたから、実況中継とはいかずとも
少し並べたいではないですか、お喋りshinkaiとしましては、ネ。
という事で、よろしくお付き合い願います。

上の写真は、朝、参道を行く時に見かけた乗馬姿の一行で、
ご機嫌で挨拶している彼ですが、
馬の方はちょっと恥ずかしそうな感じで、可笑しいですね、はは。
       
巡礼と言うと、ロバ、とすぐ頭に浮かぶのですけど、昔も今も
勿論馬での巡礼もある訳で、彼らの前にも何人かの
乗馬のグループが通って行ったのです。
ほらね、お土産が道に残っているでしょう? ははは。

街の地図はこちらに。 n.2 中世の巡礼の街 サンティアゴの旧市街を
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/474114581.html



この朝は聖堂の裏の方から回り、これは北側にある
9.サン・マルティン・ピナーリオ修道院
地図をご覧になるとお分かりの様に、ここも大変大きな建物で、
2万平方に及ぶ広さとか、現在は神学校を始め各種に使用と。

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大聖堂の横に並ぶPalacio de Gelmires・ジェルミレス宮殿
との間を通り抜け、オブラロイド広場に抜ける道。
その薄暗い道脇で、バグパイプを吹き、小太鼓を叩く2人組。

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バグパイプの妙に中世を想わせる音色が遠くまで響き、
参道を行く我々にまで届いていたので、
あ、あそこにいたのか、と撮ったのでした。



こちらが大聖堂の北の入り口Azabacheria・アザバチェリア側。
修復が終わりかけ、上部は綺麗になっていて、

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入り口の扉にも、帆立て貝がたくさん付いているのを
撮りたかったのですが、暗くて手ぶれし。

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こちらの入り口は翼廊部分になるので、中央祭壇に近く、

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大聖堂の平面図をどうぞ。 左側がAzabacheria側の入り口で、
オブラドイロ広場側が一番下に。
街のご案内n.2で見て頂いた聖なる門・Porta Santaが右上に。
右下の広い四角い部分が回廊・Chiostro.

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下に見えるPortico della Groria・栄光の柱廊とでも、
ここが修復中でしたが、最後にご覧を。
     


入って行った時がちょうど朝のミサの最中で、中央にはカメラを
向けぬよう、と注意され、最初は守るのですが、へへ。

とりわけ神父たちの明るいブルーの僧服に、上から頭巾付きの
黄色い前後に垂れる袖なしの上着姿。
こんな色を初めて見たので、写したくてうずうず。
注意されているので正面からはカメラを向けられず、
1枚やっと写したのが大ぶれで、ご覧にいれられず残念。



翼廊から見る中央の身廊部分。 建物が13世紀と古いので、
全体がとても暗く、差し込む光が筋を作る程。

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ガイドブックからの写真で、内陣のサンティアゴのお墓の周囲を
巡る部分で、外側にはたくさんの礼拝堂があり、

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こちらはその1つ、Pilar・ピラールの礼拝堂というのだそう。
帆立て貝が様々にデザイン化され装飾され、1つ1つの礼拝堂が
素晴らしく豪華絢爛で、最初に聖堂が建設された後、
長い歴史の中で次々と追加美化された様子が良く分かります。

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壁の窪みの帆立て貝に見える十字架、剣の様に見える十字が
サンティアゴの十字と呼ばれる物。



内陣中央のサンティアゴのお墓を囲む部分で、

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こちらが中央のサンティアゴ像。
撮ってはいけないと言われてもですねぇ、説明を聞きつつ
移動していて、あ、見えた!となるとつい、はい。
      
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これが高さ約1,6m、重さ70Kという大香炉。
青銅に銀メッキの、世界一大きな香炉だそうですが、
詳細は次回のボータフメイロの時に。

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天井のこの大きな滑車を使って、大香炉が振られるのですね。

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写真追加を。 ophthalmosさんから、こんな大きな香炉を
振り回す滑車の仕組みが良く見えない、との事で、
この部分のみアップして見たのですが、少しブレていて。
これで分かるでしょうか?



パイプオルガンの管が横に突き出す形。 これはポルトガルでも
たくさん見ましたが、イベリア(半島)式というのだそう。
どんな響きなのか、聴いてみたいものですね。

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身廊側から見る御本尊、というか内陣のお墓部分。
意外と身廊部の幅が狭く、建設年代が古い事が分かります。
中央のお墓の照明が強く、周囲が暗く色が飛んでいますが、
この部分は2層になっていて、

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下側に、上でご覧頂いたサンティアゴ像があり、ここは像の後ろを
通り抜けながら、巡礼達が聖人を抱きしめる事が出来、
はい、私も背中に手を置かせて頂きました。

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その上部にもやはりサンティアゴ像があり、手ぶれご容赦、
こちらは白馬に跨り剣を振りかざし、
イスラム教徒をなぎ倒す勇ましい聖人像。

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これは内陣を取り囲む礼拝堂の1つ、聖遺物礼拝堂と呼ばれますが、
祭壇でもある木製の素晴らしいもので、王家の埋葬礼拝堂でもあったと。

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現在のはどうやら新しい様ですが、その素晴らしさに皆がカメラを
向けると即たしなめられ、でもshinkaiは既に撮ってしまったもん。



これはガイドブックからで、栄光の柱廊部分。
オブラロイド広場から入った所にあるのが、ちょうど周囲上部を
修復中で、この素晴らしい全体が見れませんでした。

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中央の円柱上部にサンティアゴ像があり、光輪に嵌め込まれた
宝石が光るのが見え、足元にはライオンが猫みたいに擦り寄い、

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手の届く部分の像は、長い歴史の中で巡礼達に撫でまわされ、
彫りが薄くなっていて、

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円柱の1番下の部分はこんな形で、両脇の口を開けた像が、
何かの意味の説明を聞いたのですがぁ、

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こちらはガイドブックからで、敬虔に祈る信者の姿を。

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という所で、今回はお終いに。
大聖堂の続きを、よろしくお願いいたします!


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・ スコミーゴ村、冬の夕暮れ と、 おまけのヴェネツィア

冬の日の夕暮時、同じ太陽なのに少し力弱さを感じるのは
寒さがこちらの体にも心にも滲みこんでいるからでしょうか?
雨戸を閉める時に素晴らしい色の夕暮れを見ても、なかなかカメラを持って
外にまで出て行く気力なく、ベランダのテントの隙間から狙ったり、ははは、
おまけにあっという間にお終いになり、なおの事、寒い空の色を感じます。

とはいえ、やはり夕暮れの空は独特なもの。
今日は予定を変え、スコミーゴ村の冬の夕暮れの色をご覧下さい。
写真はいずれもここ2年間のもの。

トップは、お馴染のお隣のオリアーノ村の鐘楼。

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街頭にも灯が灯る頃。
ネオンが見えるのは、パエーリャが美味しいレストラン。

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こんなに赤い夕陽になる時もあり、

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雲が面白い動きをしてくれる時もあり、

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飛行機雲2本。

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お隣のオリアーノは、スコミーゴよりも高い位置にあり、丘の峰が狭く、
すぐ向こうはまた低い谷で、我が家から見える丘の起伏の稜線が面白いのです。

丘の上を通る道に沿って家があり、木々が透けて見える部分、
そして1枚上の写真の様に、葡萄畑の畝の支柱が弧を描くのが見えたり・・、



時に雲が重なる、赤い迫力ある夕日もあり、

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これはまた別の日ですが、重なる雲が動いて行きます。

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つい先日の夕暮れ、落日後の照り返しが、赤い帯の様に。

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雲が三々五々と、

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固まりと、流れる筋のような雲と、

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最後の弱い照り返し、

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ぐっと寒さがます空の色。
  
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もう一つの スコミーゴ村 ・ 冬の夕暮れ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/465337915.html



おまけに、はは、 1月上旬のヴェネツィアの夕暮れも。

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駅前大橋の上、少し靄がありましたが、ほぼ満月の日。

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ヴェネツィアの夕暮れ。

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・ n.2 中世の巡礼の街 サンティアゴの旧市街を 

スペイン北西に位置するサンティアゴ・デ・コンポステーラの街。
中世には東のジェルサレム、中央のローマ、そして西のこの地と、
一大巡礼地として12世紀の最盛期には年間50万人もの
巡礼が訪れたという街と大聖堂なのですが、
    
先回に引き続き旧市街の様子を少しと、大聖堂の南東側の
広場などをご覧下さいね。

お土産用のTシャツでしょうか、

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ここにもひとつ、帆立て貝。

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街の地図をもう一度どうぞ。

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中央に、大きな中心広場オブラドイロ・Praza do Obradoiro
1.サンティアゴ大聖堂・Catedral
3.現在はパラドールで、元は巡礼の為の救護所
5.現在自治体政庁のラジョイ宮・Palacio de Rajoy
6.コレージョ・デ・サン・ジェロニモ・Colegio de San Jerónimo
 現在はサンティアゴ・デ・コンポステーラ大学学長オフィス
8.コレージョ・デ・フォンセーカ・Colegio de Fonseca
 現在は大学図書館
9.サン・マルティン・ピナーリオ修道院・
 Monasero de San Martin Pinario
11.サン・ミゲール教会・Iglesia de San Miguel
20.サン・パヨ修道院・Monasterio de San Payo
24.サンタ・マリーア・サロメ教会・chiesa di Santa Maria Salomè

最後の24の教会ですが、



この道はルア・ノーヴァ・Rua Nova. 一帯は旧市街の趣が
まだ濃厚に残っている部分ですが、奥に突き出した
小さなロッジャ部分が見え。 これは聖堂側から来た眺めで、

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古い街部分をぐるっと辿って来ると、こんな風に見え、
入り口の小さな屋根付きロッジャは、イタリア語でプローティロ・
protiroと呼ぶロマネスク教会様式。

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教会の中は修復中でもあり見れませんでしたが、如何にも
中世風な動物たちの像と共に、こんなマリーア像が2つあり、

入り口扉を挟んで、こちらはお腹の大きなマリーア像、
反対側には金髪の天使像があり、つまり受胎告知なのですね。

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そして真ん中に、授乳する聖マリーアとキリスト像。

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受胎告知のマリーア像が既に大きなお腹を抱えている、
のは初めて見た気がしますし、
よくご覧になると、ここにある像とロッジャ全体にかっては着色されて
いたのがかすかに残っているのが見えますね。

着色されていたのも大変興味深かったのですが、
教会の名サンタ・マリーア・サロメ教会のサロメは、
サンティアゴ・聖ヤコブのお母さんの名前なのを知りました。

サンティアゴはキリストの12使徒の1人ですが、
彼の兄弟ヨハネがやはり使徒のひとり。
使徒ヨハネと福音者ヨハネが同1人物であるや否や、という
研究課題もあるのも知りましたが、詳細知らずで聞いたままをここに。



近くには、こんな彫りを施したポルティコもあり、

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こちらが先回ご留意頂いた、通りの奥に見えた高い建物の壁。
坂道にあるとはいえ、凄い建物、壁でしょう?!

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この壁は、サンタ・マリーア・サロメ教会のあるRua Novaの
突き当たりに見え、建物手前の道はRua de Conga.

つまりこの建物は、20.サン・パヨ修道院・Monasterio de San Payo、
はい、女子修道院だそうで、後ほど、もう一面のもっと凄い壁を。



通りの脇には、時にこんなかっての古い建物を取り壊したのを
リサイクルしていたりで、勿体ないというか、残るだけマシというか。

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サン・パヨ修道院の壁から突き出す中世の怪獣たち。

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時に可愛い天使も。

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狭い坂道のちょっとした小広場には、こんなバールの席も。

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これは正確に確認できませんが、20サン・パヨ修道院教会
として同じ祭壇の写真があるので、
修道院の教会部だけが公開されているのかも。

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今回ポルトガル旅行で何度もお目にかかったキンキラゴテゴテの
祭壇彫刻ですが、やはりまるでイタリアとは違う美の表現ですね。



内陣上のドーム、簡素な造り。

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入り口扉脇の上に見えた鉄格子。何かとガイド嬢に訊ねると、
かってのミサ参列の際の、婦人たちの席だったそう。

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これは地図で19が見えるキンターナ広場・Praza da Quintana
に望む階段上から大聖堂の東側。 露出が上手く行かず、ご容赦。

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見えるこちらの聖堂のテラスは、かっては巡礼達に解放され、
ここで眠る事が許されていたのだそうで、その巡礼の数も半端でなく
長い年月なので、現在テラス自体が少し危険だそうで、
一般には公開されていないとか。



この軒下装飾は、石段上の建物Casa della Parraの物。

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石段で憩う北国からの女性。

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こちらはキンターナ広場の向かいにある
18.カーザ・デ・ラ・コンガ・Casa de la Conga.

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上のカーザ・デッラ・パッラもこのコンガの家も、17~18世紀の
建物として説明があり、建築様式については書いてあるのが、
他の説明はなく。 ですが、こうして聖堂周囲にあるので、
聖職者とか行政官の使用した建物であったろうと。



コンガの家の、キンターナ広場に面したバールのテラス。

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それにしても、このQuintanaをキンターナと読ませるスペイン語!
打ち間違えないよう気を付けないと! ははは。

イタリア語のクインターナは、槍で的をついたりする競技を示しので、
同じ様な競技が行われた広場なのかも。



石段の下から続く、壁下の石のベンチ席で憩う人々。
観光客だけではなく、学生らしき人々も沢山みえます。

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同じ壁の上にはこんな風に鉄格子の窓が並び、
素敵な灯りや、色とりどりの花で趣を添えてはいますがぁ、

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ほら、この長い長い頑丈な壁、鉄格子の嵌った沢山の高い窓。
はい、20.サン・パヨ女子修道院の壁なのです。

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広場からこの鉄格子の高い窓と壁を眺め、ヴェネトからの
旅行者は一様に驚き呆れ、なんとまぁ、ヴェネツィアの
女子修道院と違う事よ!と。
かってのヴェネツィアの女子修道院の堕落ぶりを
知らぬ者はない程ですので!



こちらはキンターナ広場に面す、聖堂の聖なる門・ポルタ・サンタ。

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やはり上にサンチャゴの姿があり、この門は、聖堂にとって重要な
意味を持つ門で、聖年、つまりサンチャゴの祭日7月25日が
日曜に重なる年に、この扉が開けられるのだそう。
最近では2010年が聖年でしたが、次は2021年との事。



こちらはやはり聖堂の、もっと先にあった扉ですが、

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この門の前で、日本からの巡礼の方々にお会いしました。

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4人で、やはりピレネーを越え1カ月かけて来られたそうで、
グループの仲間と一緒にちょっとお話しできましたが、
時間が無くて残念でした。

所で、この方がたのお名前を知りたいのです。
とりわけジュリアーナが、一番右の方のお名前を知りたがっていて、
写真を何枚か撮っており、・・バラしたぞ!
私に何度か、まだブログに載せないのか、と!

ご本人様、またはご存知の方がおられましたら、非公開コメントで
結構ですので、是非お知らせ頂きたいと思います!!

お会いしましたのは、2011年6月16日。
北イタリアにお越しの時は、お会いしたいと書け、と言われており、
いえ、大丈夫、奥様とご一緒だったのは申し聞かせておます、ははは。



こちらはホテルの窓から見た、スペインの落日。

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ホテルが街の新地区にあり、夜の聖堂写真が無く残念!
ガイドブックからの、夕暮れの写真をどうぞ。
       
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という所で、街の中心部ご案内をお終いにし、
次回は大聖堂の中をご覧頂きますね。
  
  
*****

昨日は友人のジュリアーナ、ルイーザと共にパドヴァに出かけて来ました。
昨年7月にドゥオーモの洗礼堂や、グアリエント展を見に行き、
秋にもう一度、と言っていたのが年明けになった訳ですが、

修復後のスクロヴェーニ礼拝堂、ジョットの素晴らしい壁画を
25年振りかに再び見る事ができ、同じ切符でお隣の
エレミターニ博物館に展示中の、ロシアのエレミタ―ジュ美術館
から来ていたレンブラントの油彩画2点と版画作品を何点かも。

パドヴァはさすが街が大きく、市の博物美術館も充実している、と
大いに感心しましたが、到底見きれるものではなく、
また出直そう、という事に。

午後は少し南のザバレッラ邸で展示のイタリアの象徴主義作家
の展覧会に。 いつもはヴェネツィアのカ・ペーザロにある
クリムト様がお出ましになっていて、舐めれる程の位置で
見る事ができ、幸せでした!

そして水彩画材を漸くにエルバ広場近くの画材店で求め、
他にもあれこれ買い込み、   
お天気も良く、あれこれ見れた事も嬉しく、お喋りの相手も良く、
やっと欲しい物も手に入れ、皆満足で戻って来たのでした。

また、ジョットのスクロヴェーニ礼拝堂については、
ご案内できる様にと思っています。

スクロヴェーニ礼拝堂 ・ パドヴァ
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463179334.html


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・ n.1 サンティアゴの街 ・ 中心広場の周辺を

昨年初夏のポルトガル旅行の始まりに訪れる事が出来た
中世からの一大巡礼の街サンティアゴ・デ・コンポステーラ・
Santiago de Compostelaのご案内2回目を。

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今日は街の中心広場オブラドイロ・Praza do Obradoiroと
この広場に面するサンティアゴ大聖堂、そして現在は国営ホテルの
パラドールになっている元のオスペダーレ、
現在自治体政庁のラジョイ宮などの外からの眺めを中心にご覧を。

大聖堂の中は最終回にという事で、巡礼の道よりも一足早く
1985年に世界遺産指定を受けた旧市街の様子をほんのちょっぴり。

ちょっぴりとはいえ、やはり感じをしっかり見て頂こうと思うと
下手な説明よりもと写真が多くなり、百聞は一見に如かずで、
2回に分ける事にしまして、今日はn.1をどうぞ!

上の写真は先回にも見て頂きましたが、
サンティアゴ巡礼のシンボル、帆立て貝と瓢箪と杖。



こちらは先回飛ばした参道入り口部にあるサン・フランチェスコ修道院。
現在は聖地博物館になっているという巨大な建物の正面。

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建物の横にあった、聖フランチェスコの生涯を描いた十字の円柱。

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大概どこの街に行ってもフランチェスコ派の修道院があり、
それにいつもへぇ!と驚くのですが、ここにも。

聖フランチェスコ自身、この地に巡礼されたのみならず、
遥かジェルサレムまでも行かれたとかで、
その宗教的情熱というか熱狂的信仰心に感嘆しますが、

・・いや、そういう意味ではどの宗派でも同じですかね。
遥か極東の日本に迄もザビエルは来られたのですものね。



ガイドブックからの街の地図をどうぞ。
番号が見難いので、ご案内に必要な場所だけ打ち直しました。

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上のサン・フランチェスコ修道院が、地図上部の48で、
そこからRUA DE SAN FRANCISCO・サン・フランチェスコ通りを行くと、
大きな中心広場オブラドイロ・Praza do Obradoiro
1. サンティアゴ大聖堂・Catedral
3. 現在はパラドールで、元は巡礼の為の救護所
5. 現在自治体政庁のラジョイ宮・Palacio de Rajoy
6. コレージョ・デ・サン・ジェロニモ・Colegio de San Jerónimo
  現在はサンティアゴ・デ・コンポステーラ大学学長オフィス
8. コレージョ・デ・フォンセーカ・Colegio de Fonseca
  現在は大学図書館
9. サン・マルティン・ピナーリオ修道院・Monasero de
  San Martin Pinario
11.サン・ミゲール教会・Iglesia de San Miguel
20.サン・パヨ修道院・Monasterio de San Payo

興味深いマリア像が2つある、小さなサンタ・マリーア・サロメ教会前の
ロッジャを写していて、次回ご覧頂こうと思っているのですが、
ガイドブックには説明があるものの、場所が曖昧。
次までに分かると良いのですが・・。



サン・フランチェスコ修道院前から聖堂に向かいますが、
この通りにちょっと面白い歩道がありまして、こんな感じ。

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店の並ぶ前だけ高く、所々に石段があり、道の広い部分は低く。
理由をあれこれ考え、う~ん、良く分かりませんが、 ひょっとして、
広い方を宗教行事の大行列が通り、参加者以外は
脇に寄って見るとか?
とにかく巡礼者の数も半端でなかった様なので。



この通りの並びに、土地の名物菓子店があり、試食をさせてくれ、
Feuchos、という名ですが、どう発音するのかな、
アーモンド粉に蜂蜜などを使った甘いお菓子の様で、
買うつもりが無いのに試食するのは、ちょっとねぇ。

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オブラドイロ広場に出て仰ぎ見るサンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂。
余りにも高く、大きく、到底1枚には入りきらず!

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正面上部、

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その真ん中の塔、

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そしてそのまた真ん中の、聖ヤコブ・サンティアゴ像。

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はるばると遠い厳しい道を歩きとおし、漸くこの広場に到着、
仰ぎ見る感涙でいっぱいの中世の巡礼達の目には、
天国の門にも等しく映った事でしょう!

スペイン北西部のこの辺りは、大西洋からの海風と半島内部の
高山地帯の気候とがせめぎ合い、大変雨が多い地帯だそうで、
これにはポルトガル北部も含まれ、

聖堂の石にもたくさんの苔が生えているのが見えますが、
白く見える斑が苔で、一方茶色のは黴なのだとか。
聖堂の一部には修復の覆いが掛かっていましたが、
これだけの物を順次修復保存して行くのは、さぞや!



聖堂正面真ん中、入り口に上がる階段部分と、

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階段上の扉部分。

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ちょうど昨年6月に行く前、スペイン各地で政府に抗議する若者たちが、
各地でピケを張る行動に出ていましたが、この広いオブラドイロ広場の
真ん中にも、たくさんの色とりどりのテントが張られていました。
       


聖堂の左横には13世紀の古いPalacio de Gelmires・
ジェルミレス宮殿が並び、厳めしい壁がありますが、
その前を観光汽車が出発。

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こうしてご覧になると、壁の高さが良くお分かりと。



聖堂の向かい正面にある5.現自治体政庁のラジョイ宮、

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建物真ん中上には、剣を振りかざすサンティアゴ像。
下の三角タンパン部分も、戦うサンティアゴの場面でしょう。

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で、その剣が、ほらこんな波を打つ恐ろしい刀で、
馬の足元には助けを乞うイスラム教徒達(アラブ人)。

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サンティアゴ・聖ヤコブは、キリストの12使徒の1人で、
ジェルサレムで44年頃に斬首されて殉教します。が、
      
彼の遺骸が遥か後9世紀初頭となって、不思議な光に導かれて
やってきた宗教隠者によってこの地で発見。
船で流れ着いたとか、羊飼いが発見したとか、あれこれの説が
語り継がれ、墓の上に礼拝所が造られ、こうして巡礼が訪れるように。

聖堂建設は1075年に始まりますが、人民暴動による中断もあり、
聖別式が行われたのは1211年との事。

時あたかもスペインは、イベリア半島を制圧していたアラブ人・
イスラム教徒から自分達の土地を取り戻すため、
キリスト教側はレコンキスタ戦争のさなかにあり、
8世紀前半から始まったイベリア半島再征服活動は、なんと1492年
まで続きましたが、キリスト教徒の守護神となったサンティアゴが
陣を導き、多くの異教徒達を切り倒す伝説も生まれ、

サンティアゴ・マタモーロス・イスラム人殺しのサンティアゴ・
Santiago Matamorosという勇ましい像がこれ。

レコンキスタと言うと、チャールトン・ヘストンとソフィア・ローレンの
映画「エル・シド」なんぞがつい頭に浮かびますが、
彼も11世紀の人物だったのですねぇ。
あのチャールトン・ヘストンは、切なくてカッコ良かったなぁ。



オブラドイロ広場の北側を占めるのが、こちら正面
3.現在は国営ホテル・パラドールで、元は巡礼の為の救護所の
Hostal de Los Reyes Católicos.

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重厚な、由緒正しさを偲ばせる正面入り口。

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15世紀末から16世紀初頭にかけての建設装飾だそうで、
建物内部にはゴシック様式の教会もあると。



広場の南面の一部を占める、6.コレージョ・デ・サン・ジェロニモ・
Colegio de San Jerónimo。 
建物全体の写真が無く、入り口部分のみを。

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現在はサンティアゴ・デ・コンポステーラ大学学長オフィスとの事ですが、
地図をご覧になるとお分かりの様に、この棟に3つの学校名が並び、
8.はコレージョ・デ・フォンセーカ・Colegio de Fonseca、
現在は大学図書館。 中庭に入り説明は聞きましたが、
修道院の回廊に似た中庭を見ただけで・・。 



これはオブラドイロ広場の中央にあった帆立て貝の碑。
これを踏むとまた戻って来れる、というので、
しっかり足踏みをして参りましたが、ははは、さて! 

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薄曇りの日でしたが、時に薄日も射す中を旧市街の通りを。

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ポルティチのアーチにも、彫り込まれた帆立て貝。

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如何にも由緒ありげな古い建物で、白い窓がレトロな印象で。

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通りの奥には、大概いつも大聖堂が望め、
フィレンツェのドゥオーモみたいな感じなのですね。

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坂道の奥に立ちはだかる壁、ご記憶を! 

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ね、白い窓枠が多いでしょう?! 

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張り出した狭いテラスというか、出窓式というか、
このサンティアゴの街でたくさん見かけた形。

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新市街で見かけた新しい建物の窓にも多く見たので、
気候風土的にこの窓がもたらす恩恵がきっとあるのでしょう。

サンティアゴ・デ・コンポステーラは、中世からの巡礼の地として栄え、
長い歴史の中で破壊もされ、南部への偏重経済から弾き出され
衰退も経験した様ですが、

16世紀になって大学がこの街に設置された事に因り、文化的にも
経済的にも再発展し、観光都市でもあり、ガリシァ州の州都である、
人口約9万人+大学生3万人という街。



さて今回の最後は、ガイドブックの写真で、この街の旨い物!

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海が近いので当然海の幸が美味しく、percebes・フジツボ 
necoras・カニ camarones・海老、勿論santaiaguiño・
帆立て貝があり、その他にも子牛肉も豚肉も。

我々のツァーはお昼は各自自由に式ですが、初日にホテル近くの
バール兼レストランで皆が頼んだハムの盛り合わせ、
これが大変美味しかったそう。

この地のホテルの夕食は大変美味しく、ビュッフェ形式で
パエリャ各種もその他も色々あり、バカラ(鱈、メルルーサ)と
ジャガイモのグラタン風も美味しく頂きましたが、
その後ポルトガルを南下しつつ、これが4回も出るという!
       
がもう既にすっかり回復。 書きながら、ああ、あれは美味しかった、
また食べたいなぁ、という、馬鹿につける薬はないですねぇ、ははは。

という所で、サンティアゴ・デ・コンポステーラの街案内、
次回もよろしくお願いいたします!


*****

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・ サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路

サンティアゴ・デ・コンポステーラ・Santiago de Compostela.
この言葉を口にする時、遠い異国の果ての巡礼道を想い、
なんと憧れた事でしょうか!
       
遥か昔に購入以来遠い夢だった、「スペイン巡礼の道」とんぼの本
をイタリアにも持って来ていて、改めて出版年を見ると1985年。
行ける事があるかなぁ、と考えていたこの街と聖堂に、
昨年の初夏、ポルトガル旅行の初っ端に寄る事ができました。

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憧れつつも、「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」の言葉の意味が
「星降る野の聖ヤコブ」と知ったのもつい何年か前で、
はい、ムチムチshinkaiはいつもの事で、ははは。

巡礼道の最後の札所モンテ・ド・ゴーザに、すんまへん、バスで
連れて行って貰ったのですが、へへ、
中世の巡礼と同様にドキドキしながら、少しはね、丘の上から
遥かに大聖堂の塔の先を眺め、その後に大聖堂に向かいました。

一旦の拝観の後、翌日再びお昼のミサに参加、
ボータフメイロと呼ばれる、かの大香炉の大振りも拝見、
満足の後一路ポルトガルに向かった、という行程でした。

いつもの様に写真が多く、3回に分けてご覧頂く事とし、
今回は、サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路のご案内と、
モンテ・ゴーゾからの眺め、そして聖堂に向かい、という部分を。
どうぞ、宜しくお付き合い願います!

上の写真は、これも2,3年前にこちらで見つけた
サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路のガイドブック。



ヨーロッパ各地からサンティアゴに向かう巡礼の道筋。
東のジェルサレム、中のローマと並び、
3大巡礼地の1つ、サンティアーゴ・デ・コンポステーラ。

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スペイン北西のこの聖地を目指し、10世紀頃から巡礼が始まり、
12世紀の最盛期には年間50万人もの巡礼が通ったという道で、
フランス側からピレネー山脈を越えスペインに入り、
スペイン国内だけでも約800Kの道程、だそう。

イタリアからの道筋に当たるジェノヴァ、ニース、アルルなど、
そして巡礼の道筋に当たっていたアヴィニョン、ゴルドの様子はこちらに。
ジェノヴァの街角 ・ 見下ろす守護神
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/470952597.html

ニース ・ 紺碧海岸、結婚式、メルカート
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/473572573.html

南仏アルル ・ ヴァン・ゴッホの足跡の残る街
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/473571302.html

n.1 アヴィニョンの教皇庁宮殿
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/473518302.html

n.2 アヴィニョンの教皇庁宮殿
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/473518604.html

アヴィニョン ・ 街の中心をほんの少し
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/473518085.html

n.2 ゴルド ・ 南仏プロヴァンス
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/473663157.html

n.1 ゴルド ・ 南仏プロヴァンス
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/473662923.html



表紙を見て頂いた「サンティアゴへの道」ガイドブックには、
フランス側の出発点サン・ジャン・ピエ・ドゥ・ポル・
Sain Jean Pied de Portからのこんな行程図が。

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大体1日分の距離と途中の宿の案内が32に分けて載っていて、
多分これが大体の目安の日数なのでしょう、
1日に20~30k程の行程で、32日間。

ページの下には同じ土地の高低図もあり、
そう、初日に即、海抜1300にまでの上り道で、
ピレネー山脈を越えて行くのですね。

歴史や、何を持参するか、服装はどうが良いか、
マメの手当てはどうするか、靴やズボンはどう乾かすか、
等の実際的な事も書かれています。

そうなのですね、現在の巡礼行は中世のそれと違い、
もっとスポーツ的な意味合いになっている様子があると思いますが、
若い人から中年まで、やはり圧倒的に「歩く」ようです。
とりわけ1993年に世界遺産に登録された後は、
挑戦する人々が増えた様で、1カ月間内なる自分と対しながら歩く、
やはり一種の巡礼行なのかもですね。



何枚かガイドブックからの写真をどうぞ。
巡礼道のこんな様々な道しるべの写真や、

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宿の朝立ちの様子。

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1人で歩く姿も、グループの姿も。

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最初に施設や案内所でこんな巡礼手帳を購入すると、
巡礼の道筋にある札所というか、教会でスタンプが押せ、

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徒歩で100以上、自転車で200k以上の距離をこなすと、



最後にサンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂で

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上の写真の上に見える、証明書が貰えるそう!
中世においては、この証明書は贖宥状と同じ価値があったと。



こちらが、御本尊と言って良いのかな、キリストの12使徒の1人
サンティアゴ(スペイン語)。聖ヤコブ、イタリア語ではサン・ジャコモ、
フランス語ではサン・ジャックだったと。

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両肩の後ろに手が見えますね。 これは像の後ろが
巡礼の通り抜け道になっていて、
背後から聖人の肩を抱きしめる事が出来るのですね。
はい、shinkaiも通り抜け、背中に手を置かせて頂きました。
       


こちらが、ミサの後、大香炉を振るボータフメイロ。

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ポルトガル旅行の予告編で1枚見て頂きましたが、
今回ご案内のn.3では、実況中継並みに、はは、見て頂く予定!

リンクさせて頂いてるOtiumさんの「エスカルゴの国から」に
サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼道についてあれこれ書かれて
いますので、フランス内の道についてもこちらに。
http://otium.blog96.fc2.com/blog-entry-1130.html

もひとつOtiumさんの記事「ロマネ・コンティの葡萄畑で見つけた
サンティアゴ・コンポステーラ巡礼道の帆立て貝」については、
http://otium.blog96.fc2.com/blog-entry-1559.html




さてガイドブックの n.32 最後の行程図。
Monte do Gozo・モンテ・ド・ゴーゾが見えますか、 標高370、
大聖堂まであと5弱の位置にありますが、この丘に出かけました。

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我々のホテルは街外れの新地区にあり、一旦荷を置きお昼を食べ、
それから出かけましたが、すぐ近くに、新しいこんな巡礼の門もあり、

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遠くに、もこもこの羊たちの姿、

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手ぶれご容赦、早速に見えた巡礼たちのシンボル、帆立て貝。

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札所に近づくと、早速に見えてきた現代の巡礼達。

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小高い丘の上にある記念碑。

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ヨハネ・パオロ2世や、サン・フランチェスコのこの地への巡礼姿を
彫り込んでありましたが、
う~ん、好きでないタイプなので遠くからのを、ね。



丘の周囲にはこんな草地が広がり、

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少し下に見えた国営の巡礼宿。

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以前は宿泊が無料だったそうですが、現在は5エウロとか。
12世紀の巡礼最盛期には年間50万人を超えたといい、
現在でも10万人程の巡礼道を辿る人々がいるのだそうで、
それだけ、篤くもてなし続けているのですね。

今回の旅行グループの1人のご主人が先に出発、この巡礼道を
35日かけて踏破し、3日前に到着、我々を空港に迎えてくれましたが、
奥さんの友人を通して聞いた彼の感想は、
「良かったけど、お天気の日ばかりではないからね」 まさに!



モンテ・ド・ゴーゾ、Gozoというスペイン語は喜び・歓びを現わし、
長い長い辛い道のりの果て、遂にサンティアゴ聖堂の
塔が見えるこの丘に、辿り着いた歓喜!

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今は手前の木々が邪魔をし、・・何で切らんのかいな?!
でも塔の先が見えるでしょう?!


中世の人々を熱狂的に駆り立てた巡礼行。
単に信仰心ばかりだったのでしょうか?
       
狭い苦しい辛い味気ない実社会から離れたい思い、
戻って来れないかもしれないけど、死ぬかもしれないけど、
でも、出て行きたい想い、外を見たい想いに捕らわれた時、
1番他人に説明しやすい言葉は「巡礼に行く」だったのでは?!

   借金も返し、息子達にも言い聞かせ、
   女房にも別れを告げたなら、
   さぁ、出かけよう!
       
外への、自由への憧れに捕らわれたなら、
それを止められるのは、自分以外には無いですものね。

夢を味わったなら野垂れ死にをしてもよいのか、
それとも苦い思いを抱えて留まるか・・。
中世も千年後の今も、人の想いはいつも同じなのかもですね。



曲りくねって丘を下って行く道。 巡礼の果てに辿り着く道。

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記念碑の丘の麓にある最後の札所、
どうも四国のお遍路さんや熊野霊場巡りと重なりますが、
サン・マルコス礼拝堂。

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入り口脇の小さな机の上に、記念のスタンプがあり、

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はい、1つ押させて頂き、

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山を下り、街に向かいます。

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新市街地区は道も広々と、窓の形に特徴がありましたが、
それはまたにしまして、
旧市街の方もぐるっと回ってくれましたが、それもパスし、

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一路、この矢印に従いまして、

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観光バス用の駐車場に降り、すぐ脇からスーべニールの屋台も並び、

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我が家の壁にも1つ、今この帆立て貝が下がっていますが、
丸いのは水筒代わりの瓢箪、そして杖。
この3つが、サンティアゴ巡礼のシンボル。

観光バス用の駐車場は聖堂にすぐ近く、かなり広いのですが、
15分位しか停車できず、待ち時間は一旦別の場所に移動、
乗り降りの為の所定の15分を過ぎると罰金だそうで、
つまりそれ位、観光参拝客用のバスの数が多いのでしょうね、

翌日の長~~いミサの後のボータフメイロを見て、
皆大急ぎで駐車場に行ったのが間に合わず、罰金を払ったとかで、
大人しく可愛いポルトガルからの運転手君がぼやいていたそう!



所謂、大聖堂への参拝道に当たると思いますが、
今は博物館になっているフランチェスコ派の修道院もあり、
道脇の建物の上からはこんな動物たちが迎えてくれ、

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ほら、ここにも帆立て貝。

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おお、ついに見えた! 大聖堂の塔の先っちょ!!
ええ、これはやはり、おお!! でしたね。

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大聖堂の眺めは次回にし、
こちらは脚立の上に乗った、記念撮影のセニョール。
はぁ~い、皆さん行きますよぅ!

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写真は5エウロで、こんな具合でしたぁ!

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ではでは、次回もよろしくご訪問下さいませませ。


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・ ちょっと面白いカレンダーを、 ・・遅ればせながら 

新しい年を迎えて既に月半ばになる今、ですが、
いつも遅れているshinkaiが、ははは、今年のカレンダーを、
目の前に置いている面白いカレンダーをお目にかけようという訳です。

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卓上カレンダーで、ブログ更新予定日を記したりしていますが、
友人ジャンナ・Giannaの長女ジューリア・Giuliaから届いたもので、
彼女が務めている印刷会社の物。

日本の企業や店がお客にくれるカレンダーはとても美しく、
時に豪華な物もありましたが、現在もそうですか?
ですが、こちらのは至って質実素朴な物が多く、ははは、
大概が日付だけ、色も2色刷り、みたいなもので、
写真が入ったものなどは、なかなか頂けないのですね。

その点今回頂いたのは、さすが印刷会社とあって、
アイディアがとても面白いので、ご覧下さいね。

トップのは表紙で、会社の名はご覧の様に GRAFICHE C&D.

最新のコンピューター制御の文字切り抜きなども見れるサイトは
http://www.grafiche-ced.it


では参りますね、
日曜日・domenica 以外の色付けの日が、イタリアの祭日で、
日本よりずっと少ないのをご覧下さい!!

と、ほら、アーチンボルド式とでも言うか、面白いでしょう?!
       
1月 頭の髪の毛がねぇ、ははは、それに飲み過ぎかも!

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2月 バレンタイン・デーもすぐそこ。

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3月 今回の中で、これが多分1番の傑作。

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4月 可愛い自転車。

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5月 こんな男性、本当にいそうな感じ!

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6月 地中海式ダイエットかな?

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皆さん、ご覧になって気が付かれました?
野菜などを実際に並べて形を作っている物と、野菜の写真を切り抜き、大きさを変え
嵌め込んでいるのと、2種類ありますね。
宣伝印刷会社なので、こんなテクはお手の物なのでしょうけど、
アイディアが豊富で面白いでしょう?!

7月 基礎体力をしっかりね!

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8月 この魚も可愛いでしょ?!

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9月 ははは、このシニョーラ!

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10月 う~ん、茶色の野菜だったらもっと美味しそうなのに!

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11月 度の強い眼鏡の、芸術家タイプかな?

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12月 漫画的シェフの登場で、はい、2013年もすぐそこ!!

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13枚になりましたので、ゲンを担ぎ、はは、
つい先週末撮りに行ったコネリアーノの丘と、お城の様子をどうぞ!

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この丘とお城の姿は、コネリアーノ出身の画家チーマ・ダ・コネリアーノの
絵の中に何度も登場していますが、彼の展覧会と町の様子はこちらに。

n.2 チーマ・ダ・コネリアーノ展 ・ コネリアーノの町
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463848078.html

n.1 チーマ・ダ・コネリアーノ展 ・ コネリアーノの町
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463847804.html

お城の塔の様子や、画家の生家もまた改めてご覧頂きたいのですが、
買ってある古い資料をまだ読んでおらず・・。

上の写真を撮った近くに、ワインの樽作りでは世界一の工場があり、
その見学の様子は   世界一のワイン樽製造所 ・ ガルベロットのご案内を
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463849891.html


ではでは、今年も相変わりませず、
励まし応援クリック、よろしくお願いいたしま~~す!


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・ イタリア男性を、 ヴェネツィアにて ・ この1枚!

ヴェネツィアのスキアヴォーニ河岸、サン・マルコから東に
2本目の橋の上のお巡りさん。
       
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よく見ると、完全武装のいでたちで、装備が凄い、重たそう!

通りがかりながらオッ!と思いカメラを見せると、同僚と話しながら
さりげなく小さく頷き、ちゃんとポーズを取ってくれた
そつのないハンサムなお巡りさん!

イタリアには警察が2種ありまして、ポリツィア・Poliziaと、
カラビニエーレ・Carabiniereで、こちらはカラビニエーレの方。
ですからお巡りさんというよりも、軍組織というのかな。

黒の制服の、ズボンの横に赤線がすっと通っている、
ミラノのスカラ座前広場周辺では白馬に乗ったりしている、
と言うと、ご存知の方も多いでしょう。

てな事で、本日のイタリアの美男部門でしたぁ。


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・ ヴェネツィア ・ ドゥカーレ宮、 サン・マルコ広場

一昨日の土曜に小グループで、ヴェネツィアに出かけて来ました。
写真に見える様に、ドゥカーレ宮で開催中の「ヴェネツィアとエジプト展」
見学が目的だったのですが、

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以前にドゥカーレ宮のご案内をした時にガイドブックで見た、中庭の巨人の階段に
施された青銅の象嵌模様、これは知らず、気が付かずにいたのでとても悔しく、
ははは、今回は必ずそれを見る事も一つの目的でしたが、
結果的にサン・マルコ広場周辺には新しい変化も幾つかあり、それをご覧頂きますね。

そしてお昼を食べた後に出かけたカ・ペーザロ美術館の上階、オリエント部門で見た、
日本のそれはそれは素晴らしい品々、漆塗りに金をたっぷりの様々な品、
女用駕籠から日用品に至る物、鎧兜、刀の鍔、印籠、根付けなどなど、
日本人の私でも驚くばかりで、グループの皆も大満足という一日でしたが、
素晴らしい品を、またご案内致しますね。
   


コネリアーノを8時半に電車で出発、サンタ・ルチーア駅の近くで朝食兼カッフェ休憩
をし、歩いてサン・マルコ広場についたのが10時半。

小路の奥にサン・マルコ聖堂の小塔が見え、ちょうど聖人に光が当たっていて・・、

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広場の北端に出て来た所で気が付きました。 長年覆われていた修復用幕が
取り除かれ、漸くに、美しく洗われた聖堂の北壁にお目にかかれたのでした!



余りにも長い年月だったので、覆いがあって当たり前、の感覚になっていたのですが、
ああ! 白く美しい壁となり、サン・ジョルジョのドラゴン退治の姿があるのも知りました!
ほら、一番左の尖塔の中です。

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ほらね、ちょうど10時半でしょ。

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時計塔探訪 ・ ヴェネツィア、サン・マルコ広場
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463622959.html



ヴェネツィア共和国のシンボル、有翼のライオン、これは聖マルコを現わしますが、

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目に慣れて、この有翼ライオン像はヴェネツィアの特産品、ははは、という気に
しっかりなっているのが、なんとエジプトにもあるのを知りました!

リンクさせて頂いてる利根さんの「かくや 日々の写真の貼り雑ぜ帖」のこちらを。
http://tonikakuya.blog54.fc2.com/blog-entry-431.html



目に新しい物、もう一つ。 ほら、こんな方が新しく登場しておられましてぇ、
こういう広告だと、なぜか歓迎する空気がありません? ははは。

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背景は、彼の別荘があるというガルダ湖ですねぇ。
折角ならヴェネツィアにすればいいのに、・・手抜きしたな?!



で、ドゥカーレ宮の階段の踊り場。 金の階段ではない一般用階段で~す。

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展覧会のみ、という切符で入ったので、東棟の見学場所には柵があるとか、ね。
ですが今回の仲間にも、ドゥカーレ宮初めて、というのが2人!
ああた、1時間でヴェネツィアに来れるコネリアーノの人間がですよ!



上の回廊から見えるサン・ジョルジョ。
ここはテラスには出れず、いつもとても残念なのは、ちょうど手摺の高さと
サン・ジョルジョの水面位置が重なる事! 少々背伸びしても無理なのですよぉ。

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こちらもここで行き止まりの、南西角のテラス。

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以前のドゥカーレ宮のご案内で、フォスカリ父子の別れの場面n.4 の絵に描かれたテラス。

n.1 パラッツォ・ドゥカーレ・ディ・ヴェネツィア
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464578376.html

n.2 パラッツォ・ドゥカーレ・ディ・ヴェネツィア
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464578725.html

n.3 パラッツォ・ドゥカーレ・ディ・ヴェネツィア
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464578987.html

n.4 パラッツォ・ドゥカーレ・ディ・ヴェネツィア
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/464579305.html




円柱列の隙間から見える、広場の円柱上のライオン君。

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これが今回のちょっとした発見場所というか、むか~し、見た覚えがあったのですが、
広場に面したテラスで、手摺には寄れませんが、すぐ近くまで広場を覗きに行けるのです。

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このテラスは、中庭に面した西側の部屋に一旦入ってのテラスで、一般観光でも
行ける場所なのですが、余りにも見所が東棟にかたまっていて満腹状態となり、
なかなかこちらまでは足を運ばない、という場所。

この時も先に展示会を見て、後でゆっくりという事でそそくさと先に進んだのでしたが、
展示会を見た後は、ははは、頭から抜けておりました。
つまりそれほどヴェネツィアは見所が多い、という事で・・。 また行かにゃ!



窓格子。

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こちらが「ヴェネツィアとエジプト展」の会場、スクルティーニオ・Scrutinioの間・
多分投票会場だった?ですが、内部は写真禁止で、階段上り口からの様子。

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この大広間の壁には、かの「レパントの戦い」の絵もあるのですが、
照明が余りにも暗く、まるで見えず!
この天井画も写真の方が良く見える、という状態でして、

展示品は、ヴェネツィア共和国の領事が黒人女の奴隷を買った契約書とか、
キリスト教徒の奴隷を買い戻したとかの興味深い書類もあり、
ガレー船の大きな模型、ミイラ何体か、装飾品などなど。

それにしても、会場が暗い暗い!
広間の横の通路を行くと、大評議会の間が覗けましたが、柵があり
通り抜けは出来ない仕組みに。

展示内容について簡単に済ませましたが、「ヴェネツィア ときどき イタリア」の
fumiemveさんがこちらに詳細に書いておられますので、どうぞ。
http://fumiemve.exblog.jp/14484927/
       


会場から出て、テラスから中庭を。
「フォスカリのアーチ」と呼ばれるカルタ門からの通路上部と、

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中庭に2つある井戸のうちのひとつ。 傍に寄れず、背の高い井桁で
中が覗けずですが、上から見ると、やはり井戸ですねぇ、ははは。

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フォスカリのアーチ越しに見る巨人の階段。

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こちらが、はい、漸くにしかと見ました階段の象嵌装飾。

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巨人の階段上の巨像。

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マルス像は、やはり美しい! 

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カルタ門から出た所の、サン・マルコ聖堂側の壁の大理石模様。
小さなモザイクも施されているのに気が付きました。

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小広場の2本の円柱の向こう、ちょうどクルーズ船が航海から戻って来る所で。
     
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そして船が行く ・ ヴェネツィア
http://italiashinkaishi.seesaa.net/archives/20110613-1.html


ドゥカーレ宮南西角の、アダムとイヴ。

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定番とはいえ、やはりこの場所に来ますとこれを、ね!

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ヴェネツィア ・ センサのお祭りの日
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463741436.html



午前中は快晴の良いお天気だったので、
円柱上の飾りを通して差し込む陽が、壁に並び・・、

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大評議会広間の窓。

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南面壁の最上部、裁きの女神。
がこうして見ると、右手に持っているのは何だろ? 剣にしては握りが太いけど・・。

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目に新しい物、もう一つ。 嬉しい嬉しい事に、溜息橋両横の覆いが無くなり!

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本当に長い期間、しかもとんでもない広告もありましたから、
こうしてすっきりの壁をご覧に入れる事ができ、とても嬉しいです!!



ドゥカーレ宮東南角の像も、こんな風に姿を現し、酔っぱらったノエと息子、だそう。
奥で息子二人が、うちの親父は本当に困ったもんだ、とでも、ははは。

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スキアヴォーニ河岸の東の眺め。
見える教会は、ヴィヴァルディ所縁のピエタ教会。

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男性ソプラノ歌手による、・ ピエタ教会のコンサート
http://italiashinkaishi.seesaa.net/archives/20110611-1.html



ドゥカーレ宮南面のロッジャ、真ん中が見物の入り口。

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最後はこちらも定番の、サンタ・マリーア・デッラ・サルーテの眺めをどうぞ!

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おいでませ、ヴェネツィアに! 徐々に覆いが少なくなっています故。
・・なんて、言っても大丈夫かな?!

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・ 子供のための国際絵本挿絵展 ・ サルメデ 

先回は山村のアグリトゥリズモでのお昼をご覧頂きましたが、
あの山の村に出かけたのは、山麓の町サルメデ・Sàrmedeで開催中の、
子供のための国際絵本挿絵展・
Moatra Internazionare d'illustrazione per l'infanzia
をグループで見に出かけたからなのでした。

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イタリアで子供の絵本原画展としては、世界最大の規模という
ボローニャ国際絵本原画展が有名ですが、
サルメデのは規模は小さいものの既に29回目の開催。

そして確か、ボローニャのは絵本になる前の、絵本作家たちの出品ですが、
こちらサルメデのは、すでに絵本として出版されている本、の違いがあり、
毎年国を決め、その国の絵本と挿絵原画を紹介する部分も含まれ、
例えば今回はインドからの様々な絵本と挿絵の原画が展示。

で、それ以外に世界各国、ヨーロッパの国からが多い様でしたが
原画の横に実際にその絵本が吊るされ、それを手にとって見れ、
小グループに分かれてのガイド付き見物は、
ガイドが絵本のページを繰りながら内容を語る、という仕組みも。
子供たちも勝手に見て歩いたり、マンマやパパが読んで聞かせたりで、
とても楽しい展示でした。

このサルメデの絵本挿絵展の元のアイディアは、近くに住みついたチェコ人画家
ステファン・ザヴレル・Štěpán Zavřelから始まったそうですが、
ボローニャの商業的な大きな展示に比べ、
手作り感溢れる暖かい絵本挿絵展という感じでしょうか。
       
とはいえ、この展覧会も大変充実していて、この後イタリアの何ヵ所かの街や、
ヨーロッパ各国も巡回する様子。



ルーゴロのアグリトゥリズモに描かれたザヴレルのフレスコ画や、
教会の扉は既に見て頂きましたが、
 
サルメデの町中にも彼の壁画が幾つかあり、これは町の風景を描いたもの。

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実際小さな町中をこんな風に川が流れていて、昔は伐採した木で
筏を組み、ヴェネツィアにまで運んだ、というのですが、
春先の雪どけの季節の今でも難しそうな、はは、小川でした。



はい、この橋の下を小川が流れていて、橋は立派でしょ?
向こうの家の壁画もザヴレルの作品。

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これも彼の作品で、ご存知ヴェネツィア。

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ザヴレルの作品は、大変にファンタジー溢れる画風で、画面の中は自由奔放に
描いている物の、周囲の額縁に当たる部分は、かっての教会壁画に見られる
紋様装飾を用いている所が興味深いですね。
こういう古い装飾様式が、ヨーロッパ人のDNAにあるのかも。



通りの奥に見えた壁画。 これは別の作家で、アクリル画ではなく、
フレスコ画の教習を兼ね、地塗りの上に自然色で描いている物。

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フレスコ、というイタリア語は新鮮な、とか冷たいを指しますが、

まさにフレスコ画・アッフレスコ、というのは、壁に地塗りをし、
その下地が乾かない内に、粉絵具を水で溶き描くのですね。
下地が乾き始めると水溶き絵具を吸わなくなりますから、
塗る下地の面積は、乾く迄に描ける広さを計算して、という訳で、
       
こうして描かれた壁の絵は壁の質と同化して、
何百年も同じに残っている、という訳です。

アクリル画というのは現代兵器で、はは、壁にも紙にも描け、
そのまま油絵の様に厚塗りも出来ますし、
水で薄めて水彩画式にも描け、色も多彩、という違いがあります。



サルメデの町は北に聳える山の麓にあり、古くからの通商道路、
ヴェネト・フリウリから、北の国々に抜ける街道の近くに位置し
栄えた歴史を持ちます。

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サルメデの町から見上げる、お昼を食べたルーゴロの村は、
町の家並の上に、ぽこっと見える高さです。

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こちらが、子供のための国際絵本挿絵展の会場でもあるサルメデの
市役所で、入り口アーチには、ご覧の様に絵が描かれているのですね。

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こんな感じで、1つのアーチに1人の人物のお話で、真ん中はご存知、
ドラゴン退治のサン・ジョルジョで、この聖人は山上のルーゴロの守護聖人。

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このアーチには、音楽の守護聖女のサンタ・チェチーリアが描かれていて、
近くのボルゴ・ヴァルの守護聖人でもあり、

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こちらにはサルメデの守護聖人サンタントーニオの逸話。 

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このアーチの部分、そしてこれからご覧頂く市役所内部の壁画は、
ザヴレルの没後、サルメデの町がいよいよ本格的に
童話の郷・paese della fiaba と名乗るのに従い、
ポーランドの画家ジョゼフ・ウィルコン・Josef Wilkonに依頼し
2004~2006年に描いて貰ったものなんだそう。

これらはアクリル画で、ファンタジーに満ちた楽しいもので、
とりわけ市役所内部が大迫力!  では、どうぞ!
    
市役所の扉を開け、一歩入ったホール部分に、こんな風に動物が
いっぱい描かれて、とても気に入りました!!

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あはは、これは天井にいるコウモリ、それともコウモリ傘?!
日本の市役所で、こんな事をさせる勇気があるかな? ははは。

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ホールの壁の各部をどうぞ。

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極め付きは、階段の横壁のこれ。 私も自分の家に、と言っても
階段が無いので、玄関にでも一匹欲しくなったのがこれでした!!

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字は人を現わすと言いますが、絵もまさに!
ザヴレルの絵は、私にはどこか暗い陰鬱が感じられ、あんなにファンタジーに
満ちていても、イマイチなのですけど、
・・これは私の偏屈的な趣味、好みですので、すみません。
このウィルコンの絵はとても気に入りました。



という所で、絵本の原画展の作品をいくつか。
ですが、最初にお断りを。
選択は、全く私の独断と偏見、好みに従い選んでおりまして、
絵本の物語がどうとかはまるで関係無し、絵として見て、素晴らしい! 良い!
と思った物でして、偏屈者としては、

子供向け絵本といえども、上等な絵でないと!と思うのでありますので。
今迄は、子供の為の絵本展と聞き、誘われても出かけなかったのですが、
というのも、こちらでは部屋にたくさん絵を飾る習慣からか、
何でこんな絵を?!という様な下手なのを、がはは、見る事が多く、
見るだけ、聞くだけで辟易していたのですが、

いざ出かけて見ると、素晴らしい絵がたくさんあるのに驚くばかりで、
偏屈者としてもとても嬉しい、目から鱗でございましたぁ!
という事で、

どこの国の画家の作品か、なんの絵本かも覚えておらず、
ガラスが反射して見難いのもあるのですが、どうぞご容赦、ご覧下さい!

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これは、スペインの画家だったのを覚えています。
バックの暗い素晴らしい絵も2枚ほどあったのが、私めが映りこみぺケ。

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これは、映画「カンフー・パンダ」の作者だそう。
お話も面白く、多少ブラック・ユーモア的でしたね。

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柄の紙を上手く使い、 

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こちらはインドの画家で、緻密なペン画が素晴らしく、

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これもインドからの作品で、なんとも素晴らしい画面構成と表現で。 

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展示会場からの、サルメデの町の眺め。 ひとやすみ!

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現在、市役所の横に新しくファンタジー館なる物が建設中で、
展覧会そのものの充実も計られる事でしょう。



上の、中世を想起させるスペインの作家、省略の末の表現のインドの作家
と共に、今回とても気に入った作家の1人の、熊さん。

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別紙に描き、切り取り、コラージュ、余白の感覚も素晴らしく。    



紋様を上手く使っていると、それだけで心がときめきます。

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このお猿さん、描ける人だと感嘆!

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最後は、なんとも楽しく愉快な猫ちゃんのお遊び図。

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お話も楽しかったらしいのが、他の絵の写真を撮っていてちゃんと聞いていなかった、
とshinkaiは仲間から非難されましたです!

他にもたくさん素敵な絵がありましたが、全部ご紹介出来ず残念です。
でもね、内容の程度が分かったので、また来年出かけて、ご報告いたしますね。



市役所の前にあったドングリの実、樫とは違う、と皆さん言ってましたが、
私には違い分からず!

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お楽しみ頂けました様に!


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・ 旨い物たっぷり! ・ 山村のアグリトゥリズモで 

新年も3日目の今日この頃、日本の皆さまもそろそろ
お正月の美味しい上等なご馳走に飽食されたのではないかしかん?!
・・悔しいなぁ、こういう時はまったくもって!

てな事で、こちらも負けずに、ははは、特別な食べ物でもなく、目にも
特別美しくもなく、盛り付けも自分でお皿にドバッとよそう、ですが、
これがまたとても美味しいの、という事でこのブログにはちょいちょい登場の、
旨く安くたっぷりの、イタリアの山村奥深くのアグリトゥリズモでの、
仲間と一緒のお昼の様子をご覧下さいね。

写真は、ルーゴロ・Rugoloという村にあるアグリトゥリズモの駐車場から
眺めるモンタネル・Montanerという村。

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美しいでしょう?! かなり高く上って来て、そこからまた奥に村が見える、
となると、早速に名前を訊ね、古い謂れも教えて貰い。

一番奥の山並み、電波中継塔が見える山並みは我が家からの写真で
お馴染の、ヴィゼンティンと呼ぶ北の山、1763mですが、
今日眺めているこの場所は、かなり北東に寄った所からで、
手前の山との間を、北国に抜ける古くからの街道、山間民族との道とも呼ぶ
アレマーニャ街道が抜けて行きます。



この辺りの地図をどうぞ。 1番下に我が町コネリアーノ・Coneglianoがあり、
丘の上の鐘楼を時々ご覧頂くのがオリアーノ村・Oglianoで、
私の住んでいるのがスコミーゴ村・Scomigo.

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東にコッレ・ウンベルト村・Colle Umbertoがあり、
北にヴィットリオ・ヴェネト・Vittorio Venetoの町。
北東に印を付けたサルメデ・Sarmedeで毎年12~1月に
子供の為の絵本国際展が開かれ、今回はこの展覧会に皆で。
       
そして、ルーゴロ・Rugoloに住み付き、サルメデの家々の壁に幾つかの
壁画を描き、子供の為の絵本国際展の元を作ったチェコ人画家・
シュテファン・ザヴレル・Štěpán Zavřelの家も見て、
ルーゴロでのお昼だったのですね。



サルメデのコムーネに、ルーゴラの村もモンタネルも含まれるのですが、
サルメデは麓に位置し、そこから見上げる高さにルーゴラがあり、

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一旦アグリトゥリズモの駐車場に車を置き、歩いてザヴレルの家博物館に
向かう途中の眺めですが、
見はるかす平野は、ヴィットリオ・ヴェネトの北はずれ辺りかな。

なんで皆、お喋りしながらせっせと早足で歩くんだろ?!
こんなに眺めの良い場所なのに、大して見もしないのですよ。

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shinkaiは早撮りでパシャパシャやりながらも結構歩くものの、
それでも1隊の最後。
ですが今回はノロい、失礼!タータもカメラを構えているので、彼女が常に
1oo歩遅れの最後尾で、気が楽でしたねぇ! ははは。



シュテファン・ザヴレル(1932ー1999)の家は現在博物館になっていて、
彼が小さな山中の農家を買い取り、自分の夢を込め次々と
自分と仲間の手で修復建て増しをしたもので、
床モザイクや、如何にも山の素朴な家の面影が興味深かったので、
子供の為の絵本展と共に、またご案内致しますね。

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彼の名は時にルイーザを通して聞いておりましたが、今回は彼女の娘ロセッラが
この展覧会にも関わっているので、ザヴレルの家の内部も見る事が出来ました。
       


お腹を減らし、漸くにアグリトゥリズモに戻り、いよいよのお昼!     
駐車場の傍らには、こんな暖炉用の薪が積まれ、

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こちらが入り口上の看板、ダ・ドーロ・Da D'oro.
表からは普通の家の趣で、全景写真なし。

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ええとです、これらの写真はです、食べた後満足して出てきて、
漸くに写真を撮る気持ちの余裕が出た時の物で、
12月中旬近く、既に夕日の色! ははは。



中に入りこれが我々の席で、この時は総勢14人ほどだったか、
見える壁画は、後ほどご覧頂きますが、全てザヴレルの絵で、
ここで無料で食べるのと引き換えに描いたのだとか!

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shinkaiも夏に息子の山の家に、全食込みで泊まり、
壁や箪笥に絵を描いておりますが、ははは、ケタが違いますねぇ。



さて、ジュリアーナのお皿を例にとりご覧頂きますが、
彼女も肉を食べず、私のと同じ様なお皿になるからで、

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大皿に盛ったのが各種出てきて、それを皆が取り分けますが、
サラダに、インゲン豆の煮物、ジャガイモのフライ、



こんな感じで、次々と野菜料理が出てきて、カリフラワーのグラタン風、
茴香とニンジンの煮物、

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ウイキョウは日本では食べた事が無かったですが、冬はとりわけ美味しく、
スープに入れたり煮物にしたりで、大好きな野菜の1つに。



という訳で、お皿の上はこんな感じの山盛りに!

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ここではカリフラワーが1片だけ下側に見えますが、



美味しくて再度注文しましたら、だいぶ経って後、
皆お腹がいっぱいになった辺りで届き、

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もうお腹がいっぱいと言いつつ、いつの間にかこのお皿も綺麗に
片付きまして、ははは。



こちらは肉のグリルの盛り合わせ、鶏肉、豚肉の各種部分でしょうね、
こんなお皿がまず2枚、

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そして、ポレンタ!

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クリスマスの前に、も1人同じ名前のジュリアーナが仲間をお昼に呼んでくれ、
その時には彼女の家でのポレンタを。

ポレンタを作るには、水からポレンタの粉・トウモロコシを入れ、
30分程もぐるぐるかき回す、必ず1方向にだそう、でかなりの重労働ですが、
彼女の家では銅の鍋の縁に、電動のポレンタ用掻きまわし器を取り付け、
最初の様子見をしつつの粉入れが済むと、皆でお喋りしている間に、
1人で掻きまわしてくれて出来上がり。

器械の動くのは初めて見たので、次回は写真を撮るから、もう1度ポレンタを!
という約束で、ははは、その時はご覧に入れますね。

この出来上がりほやほやの柔らかいポレンタは本当に美味しく、
バカラ・鱈の煮物、野菜付け合わせと一緒に頂き、美味しかったぁ!            



こちらは、肉を食べない我ら2人に出たチーズ。 もちろん、1人1皿で、
チーズを鉄板の上で焼いてあって、熱々柔らか!

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ですが、12,3cmセンチ角のこれを1つ食べると、夕方までお腹いっぱいに
なるのは何度も経験済みで、はは、
周辺の皆に、1口づつ取って貰い、漸くに半分片付けました!
       


このアグリトゥリズモの壁に描かれたザヴレルの絵2枚。
いずれも自然から取った茶系の色を使ったファンタジーな絵で、
上のは、ここを通ったローマ期の皇帝にワインを差し上げた、と。

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お腹がいっぱいになり、皆がのんびりとお喋りをし、漸くにカフェを
頼んだりしている間に、ジュリアーナと卓上のカップやカラフを並べ変え、
テーブル写真の撮りあいっこ。

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お腹いっぱいに食べ、ワインとカフェ込みで15エウロ!



朝のうちは薄日だったのが、食堂から出てくると太陽が顔を出し、
標高308mというモンタネルの村が輝いて見え、

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家に戻って例の如くウィキペディアを見て、中世にこのヴェネトに大いに
栄えたカミーノ家・i Caminiの出身地だったと知り、驚きました。

カミーノ家の逸話は、ダンテが「神曲」に書いている程ですが、
そのひとつが残る古い町の訪問記をどうぞ。
ポルトブッフォレ ・ Portobuffolè 再訪
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462862622.html

       

ぐるっと道を回り、ルーゴロの村の高台の外れにある教会前に。
この扉は教会から墓地に続く扉ですが、昔見て一目惚れした扉の柄、
これもザヴレルが描いた物だったと知りました。

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ファンタジーに満ち満ちた絵は(余り)好きではないのですが、
ははは、この扉は大好き!!
   
    

ルーゴロの村の標高は242mで、麓から一挙に上がる道。
昔むかし自転車で来た事があるのですね。

上るのは自転車を押し押しの歩きでしたが、帰り道の急傾斜のカーヴの
恐ろしかった事! なにせカーヴを切り損なうと下まで転げ落ちそうな、
ははは、山の端っこを通る道なのですよ。

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ですが、この時はルイーザの夫レナートの大きな白い車便乗で、
のんびりと、この夕陽を愉しみました。


という様な感じで、今年のブログが始まりました。
だんだんお喋りになっている感がありますが、ははは、
ごゆっくりの一服のお共に、今年も楽しんで頂けますように!


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・ 新年、明けましておめでとうございます! 

皆さま、新年、あけましておめでとうございます!
本年も、どうぞよろしくお願いいたします!!

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日本との時差が冬は8時間あり、
こちらイタリアはまだ年が明けておりませんが、
日本のブログ、という事で日本時間に従いましてご挨拶を。

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shinkai家のフィニです。
ブログの看板でいつも小さく出ている彼ですが、
年明けという事で、改めてのご挨拶に。

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再度、お絵描きにじっくり取り組みたい、   
という気持ちが秋口よりじわじわと。

何を、どの様に、とあれこれ試行錯誤しておりましたが、
暮近くになり漸くにエンジンがかかり始めました。
嬉しいです!
暫くしたら、見てやって下さい、と言えるかも。

そんなこんなの、年初めです。
どうぞ、よろしくお願いいたします!


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