・ コインブラ、夜の探訪をご一緒に ・ ポルトガル

ポルトガル北部、古くからの街コインブラ・Coimbra.
ポルトガル最古の大学もある、如何にも古都の趣が漂う
美しい街でしたが、到着の夜の夕食後、
何人かのグループで探訪に出かけました。
既に夜9時半頃、無事戻れるようホテルから1人が地図を貰い、
せっせと歩いて大通りに出て、そこから狭い横道に。

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写真を撮りつつ、置いて行かれぬ様、何せ皆脚がはやい!
コンパスの違いかとも思うのですが・・、はぁ、
どこを歩いているのか、どこに向かっているのかも分からずに、
とにかくついて歩きまして、
ですから街の地図もまたのご紹介の時に、という事で、
翌日に、ああ、そうだったか、と分かった場所のみ書きますので、

皆さんも、夜のコインブラ探訪に出かけたおつもりで、
見慣れぬ風景を、手ぶれの写真にも我慢して頂いて、ははは、
お楽しみ下さい!

上は、近くに迫った祭日用に、飾りつけられた小路。

そうそう、ポルトガルの音楽ファドの古典に「コインブラ」を
歌ったのがありますので、まずは街の雰囲気をどうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=LqB8RAPC9QM&feature=fvsr

歌詞を。
 コインブラは憧れと伝統の教室
 手本は一曲の歌であり 光は大学 本は一人のご婦人
 知り 自習するものだけが試験に通る 思い出を 
 
 ポプラ並木のコインブラは
 依然として ポルトガルの愛の都 依然として・・
 コインブラはかって麗しのイネスの物語に
 涙でかき曇らせた
 かくも心根の優しい歌の
 我らの赤裸々の心に訴える歌のコインブラ
 学者のコインブラ
 我らの為の愛の泉の歌い手
 それはコインブラ お前だ
 コインブラは憧れと・・
はぁまぁ、大変良く分かる訳ですが、大体こんな感じと。

「麗しのイネスの物語に」とあるのは、
王家の愛の物語 アルコバッサ修道院 ・ ポルトガル
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/473914109.html



こんな狭い小路をどんどん行き、一帯のお店はみな閉っていて、

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こんな風に階上に建て増し、というのが
今回あちこちで見かけたポルトガル風!

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出て来た広場の教会、サンチャーゴ教会・São Tiagoと
今は分かっておりますぞ。

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12世紀に溯る古い教会で、正面はこの様に残されていますが、
中はロココ様式のゴテゴテキンキラキンだそう。



この広場が細長くカーヴしながら奥に続きますが、
商業広場・Praça do Comércioと呼ばれる広場。

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こんな風に細くて高い建物がびっしりと繋がり、なんと7階まで!
表は修復されていますが、元は中世のままと分かります。
多分、エレベーターなんぞはないでしょうねぇ!

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そのまま広場の奥に進むと、学生のコンサートが始まる所で、
ええ、ちょうど土曜の夜だったのですね。

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奥に見える教会の手前の石段を上り、この教会の名は
分からずですが、ほら、時計が10時前を指しているでしょう?

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ちょうど広場のコンサートが見下ろせる良い場所が見つかり、
既にかなり歩いて来たので、ここでコンサートを見物、はは、
聞くのではなくて、様子を見れるかと思いましたら、

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shinkai、行くよ!とお声がかかり、ワンちゃんみたいにとことこ
後について。
で、出たのがこの目抜き通りRua Ferreira Borges.
この辺りは翌日行ったり来たりして、お馴染となりましたが、
コインブラの下街で1番の繁華街のよう。

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そこからこんな古いアーチを潜り、どんどん上に!
このアーチも翌日陽の光の下で落ち着いて見て、
ガイドブックにもあるアルメディーナのアーチ・L'arco di Almedina
と分かった次第。

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とにかく坂道! 石段! が続き、写真を撮ろうとちょっと止まると、
即shinkai!と呼ぶ声、ウロチョロする飼い犬扱いなのですう!

アーチを潜り、左に折れ、この辺り、学生らしき若者たちが
うじゃうじゃ騒いでいて、

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屋外のバールの席も、まだまだ賑やか。

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そして、また石段!

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またまた、細い小路の石段!

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とどめの一撃、いや石段!!
暗くてよく見えない石段ですが、置いて行かれぬよう、
哀れなワンちゃんは、はは、必死でついて上ります。

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これは振り返って見た様子。
分かります? 角度を変え続いていて、はぁはぁはぁ、

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で、出ましたのがこの要塞の様な大教会前広場。
旧聖堂だそうで、翌日中を拝見しましたが、
かっての繁栄を思わすタイル装飾が残っておりました。

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広場も緩やかな傾斜地にあり、
周囲のバールもスーヴェニール店もみな閉り、

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いるのは我々8人と学生らしき若者たち数人、
と、このワン君。 彼は丈夫そうな脚と、頑丈そうな顎。

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ここから戻るかと秘かに望みましたが、
まだまだ坂道を上って行くのです、我が連れの連中は!

で、街を眺めおろせるような広い広場に出て、

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それも何やらドンチャン騒ぎをした後の様な広場で、
立派な門だけ写したのですが、

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見えます? 鉄柵にも衣類がぶら下っているし、
広場にも散らばっている様子が。



遠くの新市街の大きなアパート群も見え、
下街が文字通り脚下に広がります。
写真では色が出ませんでしたが、空の色が深い藍の良い色で。

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上の門をちょっと回り込んだ下にはこんな塔を持つ建物があり、
要塞跡かな、などと皆で想像したのですが、       

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なんと、ここがコインブラの街の一番高所にある
ポルトガルで一番古いコインブラ大学だったのですね!
大学の創立は1290年、ヨーロッパでも最古の大学のひとつで、
大学がある事が、このコインブラの文化的な面を
大いに助長させたと言われます。

翌朝バスで街の観光に出かけ、ここに来た時には
既に広場は綺麗に清掃され、昨夜の狼藉跡は何も残っておらず、
・・日曜と言うのに、この辺りがイタリアと違うよねぇ!!

うん、これ以上高い場所はないね、とやっと仲間連中も納得、
漸くに暗い坂道を下り始め、
そうか、高上がりをしたがる連中だったか!



これは旧聖堂の脇の扉。 こちらが正面より素晴らしい様な。

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広場の暗い陶器店内。

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せっせとまたあの石段を下り、大通りに出る
アルメディーナのアーチの上から。

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目抜き通りを抜けて行くと、バンドの音楽が聞こえます。
まだ広場のコンサートが続いていて、別の仲間グループの
一群にも出会い、

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既に11時半ごろ!
ホテルに戻ろう、と広場の端まで来るとこの警察官。
POLÍCIA と胸の上に書いてあるのを見て、むずむずっと、はは。

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前からはいけないだろうから後ろから、とカメラを構えましたら、
さすが敵もさる者、左の年配の方がくるっと振り向くので、
背中のこの字を、と自分の背中を指さしつつ手真似と共に言うと、
正面向きに。 パッシャと写し、グラーツィエ!と言いましたら、
彼はおう、とあの太い腕をちょっと上げてくれ。 

隣にいたジュリアーナが呆れて、
あんたはヴェネトの女よりも酷くなってる、と、ははは。
という様な事で、またせっせと歩き、
真夜中前に、皆無事に夜間探訪を済ませホテルに。

夜歩いた時は地理も何も知らずについて歩いたのですが、
これが翌日結構役に立ち、落ち着いて見物できました。

閉っていたコインブラ大学の鉄の門内にも入り、
素晴らしい図書室や聴講室も見れましたが、
残念な事に撮影禁止で、余り内部写真も見つかりませんが、
またご案内致しますね。


◆*◆

今年の夏は暑くなったかと思うと、雨が嵐がやって来て、
例年の様にお天気が一定しませんで、
こんな事は30年振りと天気予報で言っていたそうで、
となると、私が知る前のイタリアですね。

1ヶ月半前から山の家に行っているセルジョが電話をくれ、
殆どが雨の日で、奥の方では雪も降ったとか。
流石にあちこちに出かける元気も出ないと見え、
暇つぶし出来る相手がやって来るかと、様子伺いの電話を
呉れたようですが、雨の山に行ってもねぇ!
       
今朝も、太陽が出ているからと屋外のプールで体操、
最初はそうでもなかったのが、徐々に手や足指の感覚が無くなり。
時に涼しさを通り越す今年の夏で、

例年だと何度か作る冷やし中華風スパゲッティも、
まだ出番なし、暖かい味噌汁を作ったりしています!
皆さんも体調管理にご注意を!
      
*****

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・ n.3 パドヴァ ・ 黄金の世紀 の 2

さて、もう一度パドヴァのご案内を。 宜しくお付き合いを!
ラジョーネ宮の中からのロッジャ越しの青空と、
エルベ広場に面する建物の並びをもう一度ご覧頂きまして、

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これはサローネの入り口の上に掲げられた碑。

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本を手にし、背後の書見台にも本が置かれ、周囲に残るフレスコ画、
上には例によりヴェネツィア共和国のライオン君がいますが、
左右には地球儀やコンパスが見えます。

衣服から見て中世の学者を現わしているのと思うのですが、
下の碑文も半分薄れ私には見当もつかず、ラジョーネ宮のサイトにも
記載がなく分かりません。 どなたか、ご存知の方お教えください!



ロッジャから見下ろすエルベ広場。 もう殆ど屋台店が片づけられ、

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バールで憩う人も、今はお昼を食べに。

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サイトで見つけたラジョーネ宮の図をどうぞ。
建物内の様子はお分かりと思いますので、ここでは右の現市役所に繋がる
渡り廊下、ヴォールト・デッラ・コルダ・Volto della cordaにご注目を。

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サローネから階段を下り、ラジョーネ宮の東側の道、上の図の
ヴォールト・デッラ・コルダを潜り、北側の広場・フルッタ広場に出た角に
見えるのがこの標識、

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カントン・デッレ・ブジーエ・Canton delle Busie・嘘つきの角、
見事な柱頭の上にある、この可笑しな標識!

中世の昔からラジョーネ宮を挟む広場一帯は、市が開かれ市民の集まる
賑やかな中心地だった訳ですが、
これは、ここには嘘つき商人たちがいるから気をつけろ、という警告から
そう名付けられたと、ははは。



実際このアーチの右側のラジョーネ宮の壁には、他の4隅にも、
当時のパドヴァで使用された寸法が白い石に刻まれていて、
買い手が騙されないよう、試す事が出来たのだと。

という事で、こちらもサイトで見つけた、刻まれた寸法!

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寸法、言うので長さだけかと想像しましたが、この種々様々な形と大きさ!
一体、どれが何の基準寸法なのか、これを知りたくなりません? はは。
ガイドさんと街巡りをしたいものです!
       
で、先ほどのヴォールト・デッラ・コルダ・ロープのアーチですが、
名の由来は、この場所でロープの刑が執行されたというのですね。

先回サローネに置かれている支払い不能者や破産者への罰に使われた石、
ヴィトゥペーリオの石に座る刑罰について
ご説明しましたが、それ以前の刑罰がこのロープの刑だった様子。

つまり破産者達はここで後ろ手に縛られ、アーチの上部からのロープで
3~4m吊るしあげられ、そして落下させられたのだと。

読んだだけで怖くなる、中世の刑罰の物凄さですが、ですからあの石に
下着だけで座って財産放棄を宣言するのは、恥さらしではあっても
命に別条はない訳でして・・。
厚顔無恥の輩なら、何度か繰り返す野郎もいたでしょうねぇ、ははは。



という所で、再度街の地図で位置確認をどうぞ。
8,14辺りがドゥオーモ、洗礼堂、そしてモンテ・ディ・ピエタ、
26の横に見えるのがラジョーネ宮、

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その横に見える真ん中に石段の見える19の建物、これがモローニ宮・
Palazzo Moroni 市役所の入り口で、その向かい側にパドヴァ大学が。
28.かのカフェ・ペドロッキ・Caffe` Pedrocchi 実際の位置は数字の
見える下側、市役所の絵に隠れる所、その裏側にインフォメーション、
右上緑の中の2が、スクロヴェーニ礼拝堂で、すぐ南にエレミターニ教会と
市博物館。

前の大通りを真っ直ぐ行くと国鉄駅に行き、ここにもインフォメーションがあり、
なんと日本語のパンフレット!
私の顔を見て、日本語のがあるけどいるか、と訊ねてくれる親切さで、
皆さん、駅のインフォメーションをご利用下さいね。
カフェ・ペドロッキの裏のはお昼休みで閉っておりましたし。

書き忘れを追記しますと、パドヴァカード・Padva CARDというのがあるそうで。
48時間と72時間があり、それぞれ16エウロ、21エウロ。
これを利用するとバス、トラムが無料、スクロヴェーニ礼拝堂を含む博物館
美術館の入場料無料、(スクロヴェーニの予約料は1エウロ必要)等など。

駅のインフォメーションなどで販売しているそうで、サイトはこちら、英語版も。
http://www.padovacard.it       
       


という訳で、パドヴァ大学前。 白い紙がひらひらしているのは、
卒業がめでたく決まった方たちのお知らせの紙。
大概友人達が描く漫画風の似顔絵があり、時に風刺風や、笑える服装で
描かれておりまして・・、
で、今見えるあの入り口から入り、

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このかっての代々の卒業生の紋章のある廊下を通り、

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あの紋章のたくさん掲げられた部屋が見たい、と言いましたが、
あいにく修復中の様子で、おまけにジュリアーナが言うには、
どこかにガリリオ・ガリレイのもあるんだけど、どこか忘れた、と。
ああ、大先輩の紋の場所位覚えておいてやぁ!
折角に日本向けのブログに載るのにさぁ!!

なにせ1222年に創立されたボローニャ大学に次いで、イタリアで2番目に
古い大学ですから、ちょっと見でも、ひしめくその紋章に恐れをなします。



この写真の真ん中のは、LVCAE QVARTANO XXXXX 
SYNDICO MERITISSIMO VNIVERSITAS IVRISTRARVM 1611年
大変優秀な学生だったんだろう、と見当をつけましたが・・。



ぐるっと廊下を回って出てくると、こちら側の入り口で、

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斜め前にカフェ・ペドロッキ。
お絵描き中が見えますが、本人はおらず・・。

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カフェ・ペドロッキの左に見えるロッジャの奥にインフォメーションがあると
いうので、入って行きましたが、お昼休みで閉っており、



その先の水飲み場では、男性が1人下側で飲み、上では鳩君が。

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水飲み場の角を回ると、はい、カフェ・ペドロッキのライオン君。
昔々最初にパドヴァに来た時も、確かライオン君の写真を撮り、
中でのお茶は無しでしたが・・、はは、

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裏側のテラス席、どうやら大学卒業祝いのパーティーが始まる様子で、

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ジュリアーナが、中を通り抜けようか、と。
ええ、お茶をしよう、とは言いませんで、ははは。

通り抜けながら一枚撮りましたが、ブレているでしょう?
はい、shinkaiにはこういう高級カフェは不向きな様子、はは。

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創業1831年というカフェ・ペドロッキのサイトは
http://www.caffepedrocchi.it/              



由緒ありげな横道奥のライオン君の像も、横目で睨むのみで、

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古本市の開かれているのも素通りし、

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こんなレトロ調の建物、現郵便局も見つつ、
  
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行きつきましたのが、エレミターニ教会・chiesa degli Eremitani.
ここにはグアリエントやメナブオーイの壁画、そしてマンテーニャの見たい壁画も
ありますが、閉っておりましたし、再度出直す予定なのであっさり諦め、

正面とこの横に見える彫像のみを写し、

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直ぐ横にあるエレミターニ市博物館に。

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ここでは「パドヴァの黄金の14世紀」を招いたカッラーラ家に関する資料や、
当時の地図、貴金属、陶器、衣類などの様々な展示がありましたが、



こちらは展示品の一つ、お隣にあるスクロヴェーニ礼拝堂に、
ジョットが1303~05年に描いた壁画で有名な礼拝堂の依頼主、
エンリコ・スクロヴェーニ・Enrico Scrovegniの像、

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ジョヴァンニ・ピサーノ・Giovanni Pisanoの作だそうで、等身大の
足までの像が印象に残りました。

父親共に金融業、高利貸しや土地の売買で儲けた私財を投じ、
礼拝堂を建設、ジョットに壁画を依頼、
現世での高利貸しで儲けた贖罪の為と言われますが、彼自身は学問も
納めた優秀な人物だったそうで、画家や彫刻家を選ぶ目も確かだったですね。

あれこれ見て戻りかけましたら、博物館の方が親切に中庭のあちらの
考古展示の赤丸の付いたのを見ていらっしゃい、大変重要なものだから、と。

はい、有難くお言葉に従い見に行ったのですが、古い重要な物らしいし、
美しい碑文や柱頭であるのは分かるのですが・・、
2人で、これは豚に真珠だね、と。
イタリアにも同じ言葉があるのを知り笑いましたので、ついでに、
「猫に小判」を教えてあげましたです、はい。
       

       
こちらが、現在は広い公園の奥に見えるスクロヴェーニ礼拝堂・
Cappella degli Scrovegni.

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中の有名なジョットの一連のフレスコ画、そしてアッシジの
サン・フランチェスコ聖堂の彼のフレスコ画、
それらについては、また秋にこの礼拝堂を見た後にご紹介出来ると思います。


という訳で、パドヴァ駅前に戻りまして、帰路に。

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やれやれ、今日はもう頭が満杯だね、と、大いに満足したパドヴァ行きの1日、
駆け足でほんの少しだけご案内したパドヴァの中世ですが、
当時人口4万人程の街が、14世紀に文化の黄金期を迎え繁栄した様子の、

ほんのとっかかりでもお伝え出来ました様に願います。
長いお付き合い、有難うございました!
       
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・ n.2 パドヴァ ・ 黄金の世紀 の 1

先回からのパドヴァのご案内の続きですが、
「グアリエントとパドヴァのカッラレーゼ家」展覧会の様子と共に、
街中心部の歴史ある古い建物や、それにまつわる興味深い面白い話も
見つけましたので、ごゆっくりお付き合い下さいね。

今日はまず、14世紀にパドヴァで活躍した画家、
「天使たちの巨匠・Maestro degli Angeli」と呼ばれる
グアリエント・Guarienntoの展覧会の様子をほんの少し。

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写真は、彼の絵・テンペラ画やフレスコ画が集められたグアリエント展の
主会場モンテ・ディ・ピエタ宮の入り口。
これはドゥオーモ広場に面した、かってのパドヴァ領主カッラーラ家の
豪邸の一部が改装された物だそう。



展覧会にはグアリエントの作品だけでなく、彼以前にパドヴァで活躍した
ジョット・Giottoのテンペラ画「玉座の神・Dio Padre in trono」も。

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ジョットが、パドヴァのスクロヴェンニ礼拝堂に1303~05年に、一連のフレスコ画を
描いているのは、よくご存じですね。
この作品は彼の最高傑作の一つとされ、後の画家達に大きな影響を与えましたが、
その中に先回ご紹介した洗礼堂のフレスコ画を描いたメナブオーイや、
このグアリエント等がいたわけです。

つまり1300年代に、繁栄する街パドヴァに芸術家たちが呼ばれ集まり、
カッラーラ家の庇護の元、この街は「文化の一大黄金期・Secolo d'oro」
を迎えたという訳です。


天使たちの巨匠と呼ばれるグアリエントの、一連のテンペラ画。

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これらは、カッラーラ家の、今はない屋敷内の礼拝堂の為に1357年頃
描かれたもので、大きさは57x80cm. たくさん展示がありましたが省略し。

グアリエント・ディ・アールポ・Guariento di Arpo という画家、
生年も生まれ場所も記録が無く、アールポというのも生地の名ではなく、
多分父親の名前だろうといい、
パードヴァの東南20km程にあるピオーヴェ・ディ・サッコ・Piove di sacco
に1310年頃に生まれ、1370年没。

彼の名は、カッラーラ家の仕事を受けた1338年から記録にあり、
1367年までの約30年間パドヴァやヴェネツィアで活躍。



天使というと、可愛い子供の顔で翼を持った、というイメージですが、
天使の中にも戦う天使、守護する天使、徳の天使などなどいるのだそうで、
・・この辺りのご説明はパスさせて頂き・・、はは、

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この様な大きなテンペラ画もあり、
グアリエントの描く天使たちは、衣装の優美さ、翼の色の素晴らしさなどで
評判を取ったと。


ビザンチン、ゴシック様式の固い表現から抜け出す様な、
どこか物憂げなキリストの眼差し。

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焦点の定まらない様な眼差しは、天使達の表情にも見られ、印象に残りました。

彼はパドヴァのみならず、ヴェネツィアでも活躍、ドゥカーレ宮の大評議会室に
25mにもわたる大きなフレスコ画も描いており、これは1577年の火事で損傷を
受け、現在はその上にティントレットによる同じ主題「天国」の大作、
こちらは油絵があります。
       
その破損したフレスコ画の一部も展示され、後に続くヴェネツィア派の
画家たちの作品もありました。
      
       

これは会場のモンテ・ディ・ピエタの入り口、ポルティコに残る壁画。

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モンテ・ディ・ピエタというのは公営質店ですが、この建物がその目的に使われ
始めたのは16世紀と言い、この壁画はもう少し後の時代の様ですが、
人々が品物を担いだり持ったりし、右の台の上でお金を数えている様子も。

つまりモンテ・ディ・ピエタ・公営質店は、そう、今と同じ抵当貸し。
質種、これは貸りたい金額の3分の1以上の値打がある物である必要があり、
質に置いておける期間は1年、返さないと競りで売り払われたそう。

左上部に僧が見えるのは、フランチェスコ会派の僧と見られ、つまり彼らが
ユダヤ人による、イタリア人もいましたが、高利貸しを阻止する目的で、
15世紀末から始めたのを示します。

こうしたモンテ・ディ・ピエタ・抵当貸しがあったのは都市部で、
ついでに言いますと、質種を持たない程の貧乏な農民たちには
モンテ・フルメンターリオ・Monte frumentarioというのが同時期に出来、
長く存在しました。

フルメント、つまり小麦や大麦の種もみを貸出したのです。 
貧しさの余り、作付すべき種もみも食べざるを得なかった農民たちに、
種を貸したのですね。 
その代償として、農民たちは無料で畑で働き、その畑の収穫物が貸付分ともなり、
過剰分はお金に換えられモンテ・ディ・ピエタに!

こういう構造があった事を知ったのは、ウンブリアのノルチャでかっての建物・
現ホテルを見てですが、貧しさの余り、作付けの種モミまで、というのを読み、
悲し、背筋が寒くなったのを覚えています。
そして日本のお百姓や、かっての民衆の厳しい貧しさも想いだしました。


さて青空の下でお昼を食べ、元気回復、中心部に向かいます。

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ポルティコの続く狭い道を往きながら、左右をきょろきょろ。

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お昼休みのパン屋さんの店先を覗いたり、そうか、ナポリであの店が美味しいと
聞いたスフォリアテッレ・sfogliatelleというのはこれか、と納得したり、

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横道の、如何にも中世のポルティコを眺め、

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街灯も写し・・、

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広場に出る前の建物の下の、このポルティコはかなり見事。
それもその筈、どうやら由緒ある建物だったようで・・。

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こちらがラジョーネ宮・Palazzo della Ragione、
既に2度訪問しておりますが、再訪はいつも嬉しく!

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手前のピアッツァ・デッレ・エルべには野菜市が立ち並びますが、
お昼を過ぎた今は片づけの真っ最中。

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古いラジョーネ宮が描かれた図の展示もあり、外側に張り出すロッジャは
後世の建て増しと知りました。

ラジョーネ宮の1階部には各種食料品店が並びますが、
北と南の広場には、新鮮な青物果物の屋台店やバールが。

片づけのドサクサにまぎれ、志で残されたズッキーニの箱に鳩達が群がり・・。

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一緒したジュリアーナは下で待つというので、1人で写真を撮りに
2階のサローネ・Saloneに。

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階段を上ると、こんな風にロッジャが続き、一瞬にして受ける鮮やかな印象は
最初の訪問の大昔も今も変わらず、

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この大きな薄暗い部屋に入ると、その広さにも、再び新鮮な驚きを。
広さも凄いですが、取り囲むフレスコ画から受ける印象も素晴らしく!

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普通サローネ・Il Salone・大広間と単純に呼ばれるそうで、これ程の
大きさの広間はイタリアでも有数の物。

1218年から建設されたそうですが、当時は屋根部分が無く、
2階部分にこの大きさのテラスの広間というのは世界唯一だったそうで、
屋根がかけられたのは1306年。 

上は東寄りにある入り口から入って見る西側の様子で、



こちらは中程から東側を。 なんとなし正確な長方形を想像してましたが、
こうして見ると、少し歪でしょ?

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確かに少し歪んでいるのが衛星からの写真でも良く分かるそうで、
この細長い形になっているのは、元々両脇を運河が流れていた為の制限から
だろうとの事で、当時から両方の広場は街の中心として賑わっていた場所と。

長さは81m、幅27、天井までの高さは約40m!
天井部はカラマツの木による船底形で、その上から鉛板で葺いていると。

写真奥に入り口が見えますね、あれは現在の市役所に繋がる部分で、
ラジョーネ宮の東横を抜ける通りの上にアーチがかかりますが、
ここも後ほどご説明を。



周囲を取り巻くフレスコ画、様々な占星術に関する物、その影響を及ぼす物が
主題だそうで、現在のこれは1425~40年に描かれたもの。

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想像上の動物達も見えますが、人物が何か治療を受けている様子も。

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このサローネのフレスコ画は、最初にジョットが1306年以降に描いたと
言われますが、これは1420年の火事で失われており、残念!
現在残るのは、その後直ぐ修復された建物に同じ主題で描かれているそうで、
約500の場面と。

それらの主題の元は、当時のパドヴァ大で教えてもいた著名な医者、数学者、
哲学者、天文学者のピエトロ・ダーバノ・Pietro d'Abano(1257-1316/17)
が授けたと言われますが、
彼は異端の罪に3度問われ、2度は無罪になったものの3度目の獄中で受けた
拷問で亡くなり、その遺骸は火刑になったと。
       
日本版ウィキペディアには、友人達が遺骸を隠したために、
代わりに藁の人形が火刑に付されたとありましたが、さて・・。

幾つもの有翼のライオン、ヴェネツィア共和国のシンボルも見えますが、
1405年にパドヴァは遂にセレニッシマの元に下りましたので・・。



このサローネでは時々各種展示会や催しが行われますので、以前行った時は
この様に広々とは見れませんで、

この巨大な木製の馬の像も今回ゆっくりと眺め、

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この馬の像はよく似ている事から、サンタントーニオ聖堂前のドナテッロ作の
ガッタメラータ将軍騎馬像の馬とされるそうですが、

実際はそうでなく、パドヴァ市のサイトによると、
1466年にお祭りか騎馬戦の催しに作られたもので、そのカーポディリスタ家・
Capodilistaから、1837年に市に贈られたものだそう。
近くで見ると、如何にも大きく、立派な出来ですねぇ!



もう1度サローネの、素朴で厳格な美しさを持つ、素敵な広さをどうぞ!

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最後に、入り口脇にあるという、黒い斑石ヴィトゥペーリオの石の事を。

私はこれを書く為に読んでいて知ったので、全く残念な事に見ておらず、
次への宿題となりましたが、
例により好奇心にかられ、・・かられる様な事なのでして、ははは、
あれこれ読んで回りましたので、ここに。

つまりこの黒い斑岩、丸い真ん中に穴のあいた石、かってはこれを首につけ、
川に投げ込み水死させる刑に使われた石だそうですが、
ここでは負債支払い不能者や破産者に対する罰に使われた
ヴィトゥペーリオの石・La pietra del Vituperio.

ヴィトゥペーリオというのは、侮辱とか、悪口雑言、罵りの意味で、支払い不能者
や破産者への罰として、牢に長く繋ぐとか、ロープの刑、・これはまた明日、はは、
の代わりに、1231年に司祭アントニオが提案したもので、

下着とパンツだけになってこの石に座り、少なくとも100人もの見物人の前で、
チェード・ボーニス・財産を放棄します、と3度宣言しなければならない、
という刑に使われた石なのだそう。
座るのが3度なのか、または3日と書いてあるのもありまして・・。
       
でその後街を一度離れ、出直しをせねばならなかったそうで、それも負債を
受けた側の承認を受けない内に戻ると、再び石に座らされ、
おまけにバケツの水を3杯浴びせられたのだそう!

何世紀間もこの石はサローネの中央にあったのだそうですが、現在は
入り口脇に置かれているそうですから、これから行かれる方、
何となくユーモラスなこの刑罰の石を、ご覧になるのをお忘れなく!

そうそうもう一つ、この刑罰の石がこのサローネにあるというのは、
もともとこのサローネには裁判所が置かれていたからで、西側にあった牢獄の
建物とを繋ぐ、ヴェネツィアの溜息橋と同様の浮廊下もかってあったのだそう。
      


という所で、今日はもう満杯! 中間にある扉からの、青空の眺めを。

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では明日、もう一度のお付き合いを先にお願いしておきますです、よろしく!


*****

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・ n.1 パードヴァ、でございます! 

金曜日に行こう、と計画していたパドヴァ・Padova行きを、
木曜21日に変更、大いに楽しんで戻りました!

パドヴァに出かけた目的は、展覧会「グアリエントとパドヴァ・カッラーラ家」、
14世紀のパドヴァで、ジョットーに続き活躍した画家グアリエント・Guarientoと、
当時のパドヴァの領主カッラレーゼ・カッラーラ家に関する展覧会を見る事で、

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パドヴァの南にあるアルカ・ペトラルカの町、ここはかの中世の大詩人
フランチェスコ・ペトラルカが晩年を過ごし、その家が博物館になっている、
町というよりも村ですが、ここを省くにせよ、

展覧会は街内4つに会場が分かれており、グアリエントの絵画展示の
モンテ・ディ・ピエタ宮を、そして同じ広場にあるドゥオーモの洗礼堂を見よう、
それからカッラーラ家関連の展示のあるエレミターニ市博物館、
そしてズッケルマン宮を、と計画。

冬寒く夏は暑いパドヴァの気温を恐れていましたが、有難い事に前日の雨で
大変爽やかな上天気、計画通りに無事こなし、次の、秋にもう一度
出直そうの予定もたち、大満足で戻りました。

ですが今朝から、どのようにブログに、と苦労しておりまして・・、
グアリエント、なんぞと初めて聞く名前に、皆さんも戸惑いでしょうが、
実際私めも初めて聞く名前でして・・、
ゆるゆるご説明もして参りますので、写真の整理がなんとか済んだ
前半のみを、どうぞご覧下さいね!



まずはパドヴァ中心部の地図を。
これは駅のインフォメーションで貰った地図で、展覧会場が載っておりませんが、
一応の場所を。
8.ドゥオーモと洗礼堂
14.司教館 ここも会場の一つで素晴らしい部屋がある様ですが今回パス
8.の番号の位置に、展示主会場のモンテ・ディ・ピエタ宮

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26.の横、ラジョーネ宮
2.スクロヴェーニ礼拝堂、エレミターニ博物館、通りの向かいにズッケルマン宮
スクロヴェーニ礼拝堂の前の道・Corso Garibaldiが、
Corso del Poporo となり、国鉄駅前に繋がります。
   
健脚の方なら、街の中心部は駅から十分歩いて回れますが、
一緒に行ったジュリアーナの脚が丈夫、早足なのを知っていますから、
帰りは歩くけん、と行きはバスで、はは。

パドヴァ、グロリオーザさんによるご案内は、
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462329045.html       



という訳で、中心部近くでバスを降り、ドゥオーモ広場に向かいますが、
こんな建物が見えると、観光客だから、とカメラを取り出し・・、

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先ほど調べましたら、この建物は20世紀に建てられたリヴィアーノ宮・
Liviano と呼ばれる、パドヴァ大学の文学、哲学部門のものだそう。
ジュリアーナはパドヴァ大卒ですので、軽くリヴィアーノと言ってましたが、
知らない者には、猫に小判、XXに真珠同様ですねぇ!


古くはないけれども美しい、星座表の時計をどうぞ。

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前はシニョーリ広場・Piazza dei Signori、市の日で賑わっていて、

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先ほどの道を進みますと、グアリエント展の垂れ幕も見え・・、

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パドヴァは、我がコネリアーノに比べると大都会! それでも、中心部には
たくさんの古い建物が残り、ポルティチ・アーチの歩道が続き、
ほっと落ち着く街並みなのですね。



狭い道の突き当たりに一転して開けるドゥオーモ広場。
左に未完の正面を持つドゥオーモと、右に洗礼堂。

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この写真には見えませんが、広場の南側(左)には、司教館があり、
右側には、モンテ・ディ・ピエタ、かっての公営質屋が。
大快晴の青空!の日でした。



広場の東にはバールのテラス席があり、その古い建物の2階のテラスと、

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特徴ある煙突。 この形は、パドヴァ一帯から南の地域でも見かけるもの。

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こちらが広場の北を占めるモンテ・ディ・ピエタ。 グアリエント展の主会場。
モンテ・ディ・ピエタというのは、かっての公営質店。

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で、各地でモンテ・ディ・ピエタの建物を見ていますが、いずれももっと剛健質朴
というか厳めしい建物なのが、これは一応窓にしっかりの鉄格子があるものの
イメージに遠く、それに大きいのです。

それを言うとジュリアーナが、貧乏人から吸い上げて、金持ちは太ったのよと。
まぁ、一理あると笑いましたが、これを書くのに調べましたら、

16世紀からモンテ・ディ・ピエタになっている物の、元々はカッラーラ家の
今はないかっての住居レッジャ・カッラレーゼ・Reggia Carrareseの
建物の一部を改装したものと分かりました。

レッジャ・カッラレーゼという言葉に今回何度も出会い、展覧会場を3軒
回りながら備え付けのヴィデオを見、漸くに飲み込めたのが、
このカッラーラ家の住居を示す言葉。

レッジャ・Reggia というのは、王宮とか御殿、豪邸を示しますから、
今はないその邸宅が凄かったのが想像できますね。
かっての住居位置は、現在のモンテ・ディ・ピエタが含まれるドゥオーモの北側
一郭で、その豪邸を飾った最初の宮廷画家がグアリエント、という事情。



ドゥオーモの正面。

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現在のドゥオーモは同じ場所に建てられた3度目の物で、初代はキリスト教が
公認となった313年の「コスタンティーノの勅令」による建設で、
これは10月117年の地震により崩壊。
2代目はその後にロマネスク様式で再建され、隣接して建てられた洗礼堂内に
14世紀のフレスコ画が残ります。

で現在のこれは、14551年に認可されたミケランジェロの設計、
はい、ミケランジェロなんですと! によるものだそうですが、1754年まで
建設が長引き、結局は未完の正面に終わっているのだそう。
そう知って見ると、フィレンツェのサン・ロレンツォ聖堂に似ている様に見えますね。
       
       
       
その細部を。 聖人像が置かれる筈だった壁龕。

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上部の窓。

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内にも入って見ましたが、中部は広々でして・・。

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こちらが、ドゥオーモ北側に接する洗礼堂・Battistero.
11世紀からの建設で、カッラーラ家の廟ともなり、何度か改修建て増しを
されていると言います。 

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丸い上部の屋根。 天井部のフレスコ画の為に加えられた様子。

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この洗礼堂は訪問した事がありませんで、一緒したジュリアーナが言うに、
あの洗礼堂のフレスコ画は一見の価値があるから、と、即決で訪問が
決まった次第ですが、まさにその価値はありました。



内部は写真禁止、最初いたグループが行ってしまうと、残りはホンの数人で、
カメラを取りだすのも躊躇われ、
はい、こういう時に役立たずの小心うぶなshinkai・・。
       
という事で、カタログからの写真でどうぞ。

1375~76年にかけてフレスコ画を描いたのは、ジュスト・デ・メナブオーイ・
Giusto de'Menabuoi(1330頃~1390頃)というフィレンツェ出身の
ジョット派の画家。

1370年頃より北イタリアに住みつき、ミラノでも活躍、そしてパドヴァに。
エレミターニ教会、サンタントーニオ聖堂の壁画も手がけますが、
彼の最高傑作と言われるのが、この洗礼堂の壁画と。


クーポラに描かれた「天国」

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真ん中にキリスト・宇宙の支配者、そしてその下に神の母、
周囲を聖人達が取り囲みます。

私には、全能の神、宇宙の支配者を現わす言葉 Pantocratore と、
Cristo Pantocratore と続いているガイドブック言葉の違い、意味が
分かりませんが、その説明のままにここに。
周囲の輪には、旧約聖書の各場面が。



こちらが入り口部分からの内部の様子で、真ん中は、洗礼堂の井戸に
後年飾り蓋が付いたものと想像しますが、

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フレスコ画の中に、当時の人物があれこれ隠れているのも知りました。
壁の中央、洗礼者ヨハネの上にマリア像が見えますね、



その部分のアップを。

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聖母マリアに洗礼者ヨハネから紹介を受けているのが、カッラーラ家最盛期の
パドヴァ領主フランチェスコ1世・Francesco I イル・ヴェッキオ・il Vecchio
の妻フィーナ・ブザッカリーニ・Fina Buzzaccariniなのだそう。

彼女の名前も今回初めて知りましたが、どうやらパドヴァの文化芸術の向上に
尽力した人物の様で、絵の中で聖母やキリストに紹介を受ける、という形は、
普通その作品の依頼主を示しますから、
彼女の意向が大いにこの洗礼堂のフレスコ画に反映されているのでしょう。
こうして名前を知ると、次のとっかりに繋がるようで嬉しいです。

フランチェスコ1世・イル・ヴェッキオという名は、アルカ・ペトラルカにある
フランチェスコ・ペトラルカの家を詩人に贈った人物、という事で記憶があり、
有名な詩人に対しての礼、と思っておりましたが、
単に礼を尽くしたのではなく友人の間柄で、それも深い友情で繋がっていたそう。



で、「キリストの奇跡」の中に、左の白い柱の手前に黒い被り物をした人物、
これがフランチェスコ・ペトラルカ・Francesco Petrarcaの様子。

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様子、というのも、会場に置かれたヴィデオを確かめつつで、場面にペトラルカ、
フランチェスコ1世、フィーナ、などと名前が出るものの矢印が出ませんので、
あれこれ今迄の情報を元に、そう考える訳でして、
周囲、又は彼を挟んでフランチェスコ1世とフィーナなのかも、です。

アルカ・ペトラルカのご案内は
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461499745.html



パドヴァのカッラーラ家については、ヴェネトの歴史上に登場する名家ですから、
何度も出会いつつ、詳しく知るチャンスを逸しておりましたが、

今回、こんなカッラーラ家4人の肖像、というのにも!

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どれが誰、とヴィデオには一応名前が出たのですが・・、
そんなもんあ~た、一発で覚えられたら苦労はおまへん! ぼちぼち調べます。
それにしても、やはり現地に出かけると収穫がありますねぇ。



キリスト教臭の強いフレスコ画は別にして、
中世の絵に時に登場する愉快な動物をどうぞ!

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突き出した形の礼拝堂後陣にある、黙示録場面に登場の
海から上がる怪獣、ですって!
7つの竜の首を持ち、それが王冠をつけた10の角を持ち・・、ははは。

ガイドブックを見つつ各場面を特定し、ジュリアーナと大いに楽しみましたが、
この洗礼堂、パドヴァにお出かけの際には、一見をお勧めです!
      


ドゥオーモ広場の強い太陽の下、パニーノのお昼をする、涼しげなシニョーラ。

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我々は広場の東にあるバールのテラス席でお昼を。

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サンドイッチはシーチキンと玉ねぎ、海老とサラダ菜、そして冷たいビール1杯、
ああ、美味しかったですぅ!

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本当はこの倍くらい食べれるのですけどね、午後の会場巡りを考え、
ぐっとこらえまして・・。
       
それでは、次回のパドヴァもお楽しみに!!

*****

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・ n.2 トリエステの海に臨み ・ ドゥイーノの城 

引き続き有難うございます!  イタリア最北東部、国境の街トリエステから
西に約15k、トリエステ湾に臨み、絶景の眺望を持つドゥイーノのお城・
Castello di Duinoのご案内を続けます。

写真は今回5月末の訪問の際写したもので、眺めが素晴らしい、なんぞと
呑気に言っておりますが、現在廃墟になっている古い10世紀からのお城が出来た
当初は、それ以前のローマ期からの要塞があったと言い、16世紀のこのお城も
やはり懸崖絶壁上の要塞として恰好の役割を果たしていた事でしょう。

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さてここからは2階のお部屋で、壁の厚さにご注目を!
厚みを利用して、すっぽり暖房機が収められているのですね。

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古いお城を訪問した時は壁の厚さにいつも驚くのですが、窓辺はその厚さを利用し
座れる様になっていたりで、城に住んだ中世の人々の、外の世界への憧れも感じます。



窓から、この様に海が!
部屋の窓から海が見える、しかも建物の隙間の海ではなく、
広い水平線が見えるなんて、大変贅沢な事ですよねぇ!

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ですが私の様な人間には、気が散る事も確か!
昔、海の無い長野から神戸の西の山の上の中学に転校した時、一日中
海を眺めておりました。 幸か不幸か、3週間後にまた転校という事になり!



こちらは奥が礼拝堂で、入れません。
       
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ちょっと私室風イメージがある部屋で、楽器や肖像画など。

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美しい衣装箪笥と、お揃いの書き物机。

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この緑色は、本当はもっと柔らかい薄い緑色で、机の上に吸い取り紙の揺らす形、
懐かしい形が見えます。
       
       

快晴の暑い日曜で、海にはたくさんのヨット、ボート。 養殖の筏や杭も見えます。
何の養殖だと、レナートが教えてくれたのですが・・。

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メールが届き、コッツェ・Cozze、ムール貝の養殖だそう。



お城のすぐ近くからこの海辺の崖上を通り、東のシスティーナ・Sistinaまでの
約2kの散歩道は「リルケの小道・sentiero RILKE」と呼ばれる、切り立った崖。

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この一帯は、カルソ・Carsoと言われる石灰岩の地域で、
厳しい眺めではありますが、白いので、重苦しい印象は受けませんよね。

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一番奥に見える大きな街がトリエステで、左手前に海に突出す白いお城が
ミラマーレの城。

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リルケの小道 ・ ドゥイーノ ・ Duino
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460993159.html

トリエステ ・ ミラマーレ Miramare
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460993347.html

ミラマーレのお城はどの部屋からも海が見える素晴らしさで、かのエリザベス皇妃
シシーも何度か訪れたのだとか。
建設したマッシミリアーノ(マキシミリアン)はメキシコ皇帝となり旅立って行き、
僅か3年後、かの地で革命の為銃殺刑に。

初めて知った時は驚きましたが、考えて見ると、既に19世紀の後半で、
日本でも明治維新に、新たな政治気運が各地で巻き起こった時代。
逆にヨーロッパは未だ宮廷文化だったのだなぁ、と、歴史の横の繋がり広がりにも
もっと目を向けないと、と気が付いた事でした。
       
       

お城の崖のすぐ下辺りにも、たくさんのボートが舫い・・、
う~ん、やっぱりカメラを持っていると、覗き趣味になるなぁ。

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食卓もセットされ、

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彩がなかなか可愛い気もするのですが、コップなど、家紋が入っているにせよ、
少し形や厚さが無粋な気も・・、失礼!



この大きな大きな燭台! ローソクの足元からコップの口まで50cm程。
う~ん、ローソクの時代も、このお城は知っているのですねぇ。

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音楽室、と呼んで良いかと。

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各室に楽器があるのはお気づきと思いますが、このご一族は代々音楽に親しみ、
奏した様子。 後でご覧頂きますが、大変な数の楽器のコレクションもあり、
一家揃ってこの部屋で音楽を合奏し、愉しみ、お客様のおもてなしにも、と。

壁にある絵画は、騎馬像とか枢機卿とかで、ご一族、またはご親族から輩出の
人物でしょうね。 はい、世の中色々でございますです!       



3階にあるテラス、 既に何度も繰り返していますが、
まさに素晴らしい180度の眺望!

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ヨットが舫い、

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右上のぼんやりは・・、



テラスの柱にからむジャスミンの花。 咲き誇り、むせるような甘い香りを一面に。

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古い城の廃墟越しに広がる海。 潮目が光ります!

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居心地良さそうな、読書に最適の部屋の隅。

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図書室があり、この左右にも床から上までぎっしり。 中に入れず薄暗く、
これ一枚だけブレずに撮れました。 やはり、殆ど革製本。

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ご一家で、こうして合奏の練習もされ、愉しまれたのでしょう。 

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廊下にずらっとコレクションが並んでおり、これで半分、いやもっと少ないかも、

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みな弦楽器で、中には名のある楽器、由緒あるものも含まれている様子ですが、
説明を全て読む余裕も、それほどにもの関心も・・、とにかく、品数が多すぎ!
はい、弦楽曲は大好きですが、名手の弾くCDを聴くのが良い、無粋な人間で。



薄暗い廊下から再度テラスに出て、海の眺めを愛で。

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そうですね、次のチャンスにはあの古いお城の廃墟にも行ってみたいもの。

2回に渡るお付き合い、有難うございました!


◆*◆

この夏は、暑い日が少し続くと嵐が来たり雨になったり。 まぁその分、涼しく
凌ぎやすくなるので助かりますが、おかしな夏には違いありません。

今朝のプールも、昨夕からの雨で余りにも水の温度が下がったと、屋内に変更、
さぁ、そうなると子供達のコースもあり、大賑やかでコーチの声も聞こえません!
明日からまたお天気になるという予想ですが、さて・・。
       
金曜日に、パドヴァで今月末まで開催の「グアリエントとパドヴァ・カッラーラ家」の
展覧会に友人と出かける予定です。
久し振りのパドヴァなので、写真も見て頂けるよう、展覧会の様子もお知らせ
できるようにと思っていますが。

再度見て読んで頂こうという時に自分の古い記事にリンクし、見直すのですが、
時になんとまぁ、と我ながらその物足りなさ、ずさんさに驚き・・、
ですが、ご勘弁願います!!
その想いがある分、今も少しずつでも努力していますので、・・ホンマだすぅ。
       
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・ n.1 ドゥイーノのお城 ・ トリエステの海に臨み

今日はイタリアの最北東、国境の街トリエステ・Triesteから西に約15kの
ドゥイーノ・DuinoーAurisinaにある古城・Castello di Duinoにご案内を。
行ったは5月末の快晴の日で、海に臨むお城からの眺めが素晴らしかった!

この写真は何年も前に行った時のもので、当時はまだお城が公開されておらず、

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お城のすぐ横から東のシスティーナ・Sistinaに向かい海沿いの崖の上を辿る、
全長約2kのリルケの小道・sentiero RILKEと呼ばれる散歩道からのもの。

詩人リルケ・Rainer Maria Rilkeがかってこの城に滞在し、散策しつつ
インスピレーションを受け書いたといわれるドゥイーノの悲歌・
Elegie duinesiで有名な、眺望の素晴らしい小道から。

リルケの小道 ・ ドゥイーノ ・ Duino
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460993159.html



ドゥイーノはどこにあるか、地図をどうぞ。 グレイの線がスロヴェニアとの国境で、
地図に赤いAの付いている場所は町の方で、
今日ご案内のドゥイーノのお城は海沿いの赤い四角の位置に。

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トリエステ・Triesteから約15kと書きましたが、もっと近くにはミラマーレの城・
Castello di Miramareもあり、こちらはオーストリアはハプスブルグ家最後の皇帝
フランツ・ヨハネの弟の悲劇のメキシコ皇帝マキシミリアンが建てた19世紀のお城があり、
 
トリエステ ・ ミラマーレ Miramare
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460993347.html

そこから北東、山の中にあるルピングランデ・Rupingrandeの山の上の教会から
見下ろす向こうは、スロヴェニアの国。
石造りの重厚な要塞兼の教会を良く覚えておりますが、様子をまたご紹介します、
と書いたきりの宿題無提出に気が付きました、ははは。

それでもまぁ、イタリア北東部国境の村々の様子はこちらに。
イタリア東北部 国境の町 ・ さまざま
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462967545.html

地図の左上に見えるモンファルコーネ・Monfalconeは、
ヴェネツィア・メストレと共に、大型クルーズの造船で有名な町。


さて、ここがお城への入り口。

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現在(2019.8月)の公開日と料金は
公開 3月15日~3月31日 9時半-16時半
    4月~9月 9時半-17時半
    10月1日~14日  9時半-17時
    10月15日~11月3日 9時半-16時
    11月~3月半ば 週末のみ 9時半~16時
    要入場料、8エウロ  割引 6エウロ
      
 

入り口から見える奥の城館。

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ちょっと珍しい彫りを施した井戸もあり、

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奥の城館に続く、中の門。
  
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この右手前に見える低い石塀の右側には、低い位置に庭園が広がり、
向こうに海が見える素晴らしい眺め。

その噴水池に、ほら、カモメが飛んで来たのが、見えますか?

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あ、カモメだよ、と言っているうちにチャポッと浸かり・・、水を飲みに来るのかも。

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いつも通っている市のプールですが、仲間の言うには、屋外プールには冬の間、
近くの川から鴨達がやって来て泳いでいるそうで・・! ははは。



入り口から城館へは少し緩やかな坂のカーヴした道で、とにかく素晴らしい眺め!
海沿い左から右への眺め。

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岩の上に、古いお城の遺跡がみえますね。 ローマ期の廃墟を利用して作った
10世紀のお城跡だそうで、ここには悲しい王妃・ダーマ・ビアンカの逸話、
残酷な夫に耐えかね海に身投げしたという、が伝わります。

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ここも要予約で見物出来る様子。

お城のサイトは https://castellodiduino.it/
住所  Duino 32  34011 Duino-Aurisina - TS
Tel. +39 040 208120
見学の問い合わせ visite@castellodiduino.it
他の問い合わせ info@castellodiduino.it



で、この岩の下にこんなボートが見え、

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ルイーザの夫レナートが、
シンカイ、あんたのカメラならドルチェ・エ・ガッバーナが撮れるだろ?!

ドルチェ・エ・ガッバーナ云々は、こちらのCMをね。 この夏、また新版が時々ね。
       

ついでにカプリ島一周、青い海も! n.1 カプリ島 一周にご招待!
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/465140971.html

n.2 カプリ島 一周にご招待!
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/465141146.html

レナートの写真で   サン・ボルド峠 ・ 難所の峠越えは
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/467388089.html 



と、そそのかされ、精いっぱいの望遠で!

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  あのね、お腹の出っ張ったシニョーレでね、で、3人いるよ。
  出っ腹か、がはは!
・・我らは覗き仲間かや?!  



カーヴの道の向こうに、綺麗に修復された城館が見え、

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館の下になる入り口を潜り、 写真は中庭からで、右から入って来て、

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中庭の、向こう正面の建物。

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入り口脇に礼拝堂と書いてありますが、こちらの棟に、現在も城主一家がお住まいと。



中庭の左手に聳える塔、途中まで上れるそう。

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中庭の右手奥の棟と右手前の棟、この海を見はらす棟が公開され、見物出来ます。

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入り口脇の部屋から、

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なんとも素晴らしい眺めでしょう?!! 



下の部屋の展示物。 たくさんありすぎ、しかも有象無象な物までもで、・・ひがみ、
ですがこれらは、値打と見ます。

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下の部屋の廊下から、中庭を望み、

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廊下奥にある階段から上の階に行きますが、これが素晴らしいらせん階段で!

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まず床の大理石の柄、

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3階まで部屋の公開があったと思いますが、上から眺めおろすとこんな様子。
優雅でしょう?!

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ドゥイーノのお城は、古い10世紀からの城、古い遺跡が岩山の上に見えた、
の代わりに、元からあった16世紀の塔に増築されたものだそう。

城の現在の持ち主は、なにせ14世紀以来の歴史を誇る城と貴族でして、
その変遷を語るのはお許しを願い・・、
現在はデッラ・トッレ・エ・タッソ公爵・della Torre e Tasso、
元はベルガモ出身のドイツの著名な貴族の流れをひき、
       
Thurn und Taxis家と言うと、1400年代からヨーロッパの郵便事業を始めた
草分けで、350年以上にもわたり事業を続け、
その家名が郵便システムに結び付いた家系なのだそう。

詩人のリルケが滞在し、彼の大パトロンでもあったのは良く知られているそうですが、
それ以前にダンテが滞在したとも、と昔読みました。
が、こうして改めて城の歴史を見ると、ダンテの時代には現在の城はまだなく、
まぁ、城館持ち主のご先祖様はお出でで、そのお館に、という事でしょうか


                   
展示の中にはこんな古い写真もあり、如何にもの貴族的風貌が窺われますが、

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この麗しい婦人の肖像を、今日の最後に。

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次回は上階の部屋や、テラスからの素晴らしい眺めをご覧頂く事にしますね。
お楽しみに!


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・ 夏の夜、広場でオペラを ・ オデルツォ 

いよいよ夏本番の暑い日が続いていますが、昨夜オデルツォの町の広場で
上演されたプッチーニのオペラ「蝶々夫人・Madama Butterfly」の
舞台の様子をどうぞ暑気払いにご覧下さい!

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オデルツォ・Oderzo の町は、我がコネリアーノ・Coneglianoから約20k
南西に位置する、ローマ期以前からの交通要所として歴史ある町ですが、
町の広場で既に20年程も前から開催される夏の音楽祭、
オペラ・イン・ピアッツァ・Opera in Piazzaでも名高いのですね。 
サイトはこちらに。 http://www.operainpiazza.it/       

戦後のテノール歌手として有名なジュゼッペ・ディ・ステーファノ・
Giuseppe Di Stefano の名を冠された音楽祭ですが、
彼は、ルチャーノ・パヴァロッティが憧れた程の声と成功をなし、
かの最高のソプラノと言われる、マリーア・カラスとの共演、彼女との
私生活での噂も絶えないテノール歌手だったそうですが、

彼の最後の公演の場となったのがこのオデルツォであるからなのか、
・・その後アフリカで強盗に襲われ重傷を負い、復帰出来ないまま3年前に
亡くなり・・、奥さんのソプラノ歌手モニカの縁によるものなのかどうか
分かりませんでしたが、彼女は来場しておりました。

今回、「蝶々さん」を歌ったソプラノが素晴らしい声と出来で、
大いに満足して戻り、写真もなんとかお見せできる様子ですので、
プッチーニの旋律をあれこれ思い出しながら、ご覧下さいね!

上の切符に見える広場が会場のグランデ広場、

オデルツォの町については、こちらにご案内を。
       
博物館や町に残る素晴らしいモザイク画も載せておりますので、どうぞご覧を!



さて9時開催という事で、8時過ぎにコネリアーノを三々五々車に分乗して出発。
土曜の夜でもあり、広場から少し離れた場所では夜祭りも開催、  
オペラ共に大変な人出と車で、やっと駐車でき会場に。

グループの切符を一括で取ってくれているので、ポルトガル旅行以来の
仲間との顔合わせ、いつもの連中とも挨拶を。
我々だけでなく、ちょっとした夏の夜の庶民社交会の顔合わせ、と言った様相で。


広場の舞台設定はこんな感じ。
おお、日本の金屏風を使っている!
始まると、真ん中の4つの四角い部分が左右に開き、障子を模した舞台設定。
    
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ご覧の通り、既にほとんど席が埋まっていますが、我々は階段状の上の方でして、
とりわけ私は端の席が当たり、写真も撮りやすく・・。

さて、第一幕の始まり、長崎に赴任して来たピンカートンが、港を見はらす
高台に小さな家を買い、ついでに斡旋人のゴローのつてで、
100円で結婚相手の蝶々さんも・・、

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時は1890年頃の日本の長崎という設定ですが、日本であるという事に拘ると、
それはもう衣装から住まい風習まで、まるでちぐはぐですから、
その辺りはもう、舞台のお話、として見る事に。



蝶々さんの登場、結婚式が始まる、わけですが・・、

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私、15歳、

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めでたく一応の結婚式が済み、

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所へ、叔父のボンゾが、蝶々さんが改宗した事に文句を言いに、
蝶々さんは、あくまでも正式の結婚と思い込んでいる訳ですね。

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少しピン甘ですが、後ろのボンゾの護衛、ゴロツキどもの肉体美をご覧に、
というおまけでござるります、ははは、ホンマにコーラスなの?!



皆が引き上げた後の、一時の愛の語らい。 女中のスズキが見張っていて・・、

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一旦引き揚げた蝶々さんが着替えて現れ、

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これがまぁあ~た、ネグリジェというかなんというか薄物でして、おまけに
このスタイル、ちょっとしたストXXXと・・、
う~~ん、イタリア式悩殺チョチョさん。 はぁ、チョチョさん、という発音です。



二重唱「可愛がってね」

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おおぅチョチョさん、おまえは可愛いねぇ。 うんにゃぁ~ん。



という様子で、万月に向かい出立のお二人。

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幕間に見る、広場脇の鐘楼で~す。

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さて、第2幕第一場。
3年が過ぎ、アメリカに帰ったピンカートンは戻らず、手持ちのお金も少なくなり・・、
結婚を斡旋したゴローも悪口を触れまわっているらしく、

でも蝶々さんはピンカートンを信じていて、有名なアーリア
「ある晴れた日に」が歌われますが、これが素晴らしゅうございましたぁ!!

13-016_GF.jpg       



ある晴れた日、遠い海のかなたに一筋の煙が見え
そして船が姿を現す
やがて白い船は港に入り、礼砲を打つ
・・・
見える? あの人が来たのよ
でも私は迎えに行かない 行かないの

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切ない切ない、可愛い可愛い女心。

ジャコモ・プッチーニのオペラは、正直言って全編通して聴くのは
少々退屈するのですが、ファンの皆さま、ごめんなさい、
ですが「ボエーム」にも、「トスカ」にも素晴らしいアーリアが散りばめられ、
ヴェルディの強い旋律とは違うセンティメンタルさが、なんとも素敵ですねぇ。



結婚申し込みのヤマドリ氏も現れますが、断られ・・、

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ピンカートンの手紙を持ってくる領事のシャープレス。
が、蝶々さんの純真さに、ピンカートンが結婚した事を告げられず、
逆に2人の間の子を見て動揺、

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と、港から聞こえる礼砲。
望遠鏡で覗くと、船の名は「アブラハム・リンカーン」!

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一夜、眠らずに彼を待つ蝶々さん。奥からのコーラスが静かに響く良い場面。

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ピンカートンとシャープレスが子供の引き取りに、結婚したケイトと共に現れ、
激怒するスズキ。

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声を聞きつけ、大喜びで出て来た蝶々さんの見たものは・・、

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今はこれまで、と自刃しようとする場にかけ寄る子供、
「おお、愛しの我が子よ」が歌われ、

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そっと子供に目隠しをし、蝶々さんは自刃を遂げ・・、終幕。

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膝を縛る仕草がやはり目に付いたと見え、帰りの車の中で仲間から理由を
尋ねられ、見苦しくないようにというのが、ちょっと感銘を与えた様子。



一旦閉った屏風が開くと、こうして母子が座っておりましたが、
この場面がなんとも良かった! 美しい終幕でした。

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登場人物が順々に舞台に上がり観客に応えますが、やはり蝶々さんを
演じたグラツィア・リー・Grazia Leeが大歓声を受けました。

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美しい声と、素晴らしい出来栄えでしたもの、
出ずっぱりの蝶々さん役が、彼女で成功でした!



ブロンドの髪の子供を演じたステーファノだったかな、
この子は、「蝶々さん」のお話に何度も泣いたのですって!

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抱えているのは、プレゼントに貰ったトラクター!



蝶々さんのグラツィア・リー、

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韓国生まれ、ソウルで、ミラノで、そしてトリノで勉強してデヴュー。
蝶々さん役を何度かしている様子。


9時10分ごろより始まり、幕間休憩15分ほど、
済んで駐車場に向かいながら時計を見ましたら、12時半!
わぁ~、長かったねぇ、と驚きましたが、
道の奥では、まだまだ夜祭りが賑やかでして・・!

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満足して家に帰りつきましたのは、午前1時15分でした。


       
皆さま、暑中お見舞い、申し上げます!
体調にお気をつけてどうぞ!

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・ 青い蒼い大西洋、ナザレの浜 ・ ポルトガル

夏の週末でもあり、今日は大西洋に臨む青い蒼いナザレ・
Nazaréの海をご覧下さいね。

先回ご覧頂いた修道院のあるアルコバッサのすぐ近く、
西に13K程の距離にあります。

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町に到着というよりも、浜を望む崖上に到着し、ぐるっと迂回しながら
下の町に下って行きますが、

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写真に見えるこの張り出した岩とその上にある家々、
ここもナザレの町に含まれ、ほら、石段が続いているのが見えますね。
素晴らしく青い海を見下ろしながら下るのが素敵でしたが、
急傾斜のカーヴで揺れ、立ち並ぶ家々で写真が撮れず残念。



かなりの距離を行き、この小さな港辺りでぐるっと回り、
浜辺の道を町の中心に向かいます。

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浜が長い! 素晴らしく青い海を見ながら、町の中心に向かいますが、

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こんな様子や、

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こんなのや・・、 これ、どこかユーモラスでしょう?!
中年ご夫婦が浜に避難場所を探しているようにも見え、
向こうには、どなたか行き倒れているし!! ははは。

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ナザレはかっては漁師の村で、色とりどりに塗られた船も有名ですが、
今のこれは浜に置かれた展示用と。

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ほら、これ! 我ら日本人には大変なじみ深い光景、
魚を干していて、かなりの干し場がありましたが、何の魚かな?
ポルトガル人ガイドも、干し魚がとても美味しいと言いましたから、
魚喰い民族の舌は同じかも、ですね。

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で、テント村が始まり、
彼女が棒で風よけを作っていますね。 他にもこういう自作の屏風を
かなり見かけましたから、やはり大西洋を渡って来る風が強いのですね。

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町の中心に近づくと、こんな色鮮やかなテント小屋が立ち並び、

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ガイドが、ほら、土地のシニョーレ、と教えてくれた
衣類黒一色のお年寄り。
ふふ、ゴム草履の花緒まで黒いね。

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まずは腹ごしらえで、細い路地にある食堂に。
食べた物はまた纏めてご覧頂くつもりなので、
この時に食べた鰯のグリルのみを。塩焼きで、美味しかったぁ!!

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ちょうど目刺し位の大きさの鰯と、茹でたジャガイモ、
サラダも付いて、これで6エウロ!
この前にパンとバターが出て来て、ビールをお伴に鰯を待つ間に
しっかり食べ・・、お代は全部で10エウロ位!
最後にサーヴィスで食後酒の甘くて強いお酒、勿論クイッと。

鰯のグリル、ここナザレでは6エウロでしたが、
もっと南に下った観光地のエストリルでは9,5エウロ。
仲間が食べるのを見ると、茹でジャガイモは同じでもサラダ無し。
リスボンで見たメニューでは10エウロだったと。
土地の物価が良く分かるお値段でしょう? ははは。



さて、元気になって、浜に出かけます!
広い浜は、まだこれ位のぱらぱらの人出。
突き出す岬の先っちょには、要塞跡らしきもの。

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我々が行ったのは6月20日で、もうシーズン中ですが、
ちょうどお昼のすぐ後だったから、と再度バス集合の時に分かりました。

その頃には、浜がたいへん賑やかになっていましたから。
とはいえ、日本の、イタリアの浜に比べますと、ねぇ。



可愛いボクとママ。

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余りのお天気の良さと浜の綺麗さに、堪らずにズックを脱ぎ。

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少し色が濃い目の細かい砂、とはいえ、見えますか、
日本の浜の方がずっと砂が細かいと。
暖かくて気持ちがよく・・、ああ!       



でもしっかりカメラを構えていましてね、はは、こういうのも勿論!

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浜から見上げるナザレの町の高台、シティオ・Sitio地区と言い、
最初に見えた石段のこちらにケーヴルカーもあり上の町と連絡を。 

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シティオの海側に突出す部分。 凄い岩!

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ナザレという町の名の由来は、
キリストの生まれはイスラエルのナザレですよね。
で、母のマリアの像が紀元後4世紀頃にこの村に流れ着き、
そこからナザレという名になった、という伝承があり、

その像を祀るノッサ・セニョーラ・デ・ナザレ教会・
Nossa Senhora de Nazaréが高台の町中にあるそう。

そうですね、フランスのプロヴァンスでも海沿いの町には
海からXXが来た、流れ着いた、という伝説が残るのを聞きましたが、
海は人と陸とを隔てもし、また結ぶ物でもあるのですね。
昔の人もそれを知っていて、そんな伝説が生まれたのでしょう。

ヨーロッパ大陸の最西端  ロカ岬 ・ ここに地が果て、海が始まる
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461067791.html



大西洋の波!

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波がかなり大きく、何回かに1度どっぱ~~んと高い大きなのが。
うっかり近づいた仲間が腿まで埋まってね、ははは。

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ね、力強い波でしょ? 砂が巻きあげられています。



これはブログ初公開、shinkaiのアンヨ。

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砂も暖かく、波も冷たくなくて気持ちが良く、
波に追いかけられ、きゃぁきゃぁと走って逃げる写真を
しっかり撮られておりましたが、それは公開できませんです。
       
で、・・生ビールが飲みたくなりません?!



ね、素晴らしい浜でしょう?! 幅も広く、そして長~いのです。

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ずっと下った町の南端に、ちょっと突き出したぺデルネイラ・
Pederneiraという地域があり、
その辺りがかって最初に漁村が出来た場所と。

       
セピア色の絵葉書を見て頂いた時に、漁船が浜から漕ぎだすのを、
後ろから押す男達の写真がありましたが、
ガイドの説明では、戻って浜に引き上げるのに、昔は男達と牛で曳き、
次にはトラクターを使う様になり、
そして今は小さな港が出来ていましたね。
日本でも、昔は村の女達も出て引き揚げたと聞きますものね。

セピア色の絵葉書で ・ ポルトガル
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461067635.html



バスに引き上げながら、最後にもう1枚。
はい、上は白、下はピンクでした。

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バスで、中心広場を抜けて行きます。
この辺りはヴァカンス観光地となり、こんなモダンな建物が立ち並び。

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お昼を食べたちょっと入り込んだ場所の小路とか、少し奥の方まで
行ったというジュリアーナの話でも、まだまだ昔風の家が残っていたと。
       
ゆっくりお昼を食べ浜で遊んだので、奥まで見に出かける
余裕がありませんでしたが、美味しい鰯も食べ、
大西洋の浜で遊んだので良しとしましょ。



バスから見かけた土地の黒い服を身につけた老婦人。
かっては、既婚女性が黒を着たのだそう。

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右に見える女性も、どこかしら土地の伝統的装いと。
スカートの下に何枚も、時に10枚以上ものペティコートを
つけていたといい、確か戦後になり7枚まで、と決められたとか。
2枚撮ったのにどちらもブレていて、済みまへん。

高台への道を辿りながら、細い路地が海に抜けるのを何度か眺め、
ああ、と悔しく思いつつバスに揺られ。



最後にもう一度、ナザレの蒼い海と波と浜をどうぞ!

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・ 王家の愛の物語 アルコバッサ修道院 ・ ポルトガル

さて引き続き、ポルトガルはアルコバッサ修道院のご案内ですが、
まずは修道院、教会の図をどうぞ!

と言うのも、昨日打ち忘れた場所の番号もあり、へへ、
wikiのポルトガル版からも写真を拝借して来ましたので。

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1.正面入り口
2.ペードロ1世とイネス・デ・カストーロの墓
3.イネス・デ・カストーロの墓
4.修道士たちの宿坊
5.台所と大煙突
6.八角形の泉 
7.静寂の回廊付き中庭
8.ポルトガルの代々の国王の像のある部屋
9.聖具室への入り口
10.カピトラーレ室
11.食堂



では昨日の教会以外の、修道院内部の写真を。
図番号 9.聖具室への入り口  

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ちょっとピン甘でご容赦ですが、今回のポルトガル旅行の
あちこちの修道院、教会で見たマヌエル式・manuelinoとでも
呼ぶのか、15世紀後半から始まった後期ポルトガル・ゴシック様式。

大航海時代の始まりに伴い、船具のロープやエキゾチックな植物、
はたまた球体の羅針盤とでもいうのか、目を見はる豪奢で
壮麗な様式。名の由来は当時の国王マヌエーレ1世・Manuele Iからと。
戸外にあるのは苔が付いたりで見難いのですが、
この戸口のは修復されたのでしょう、白くて大変美しいもの!



4.修道士たちの宿坊  ここからの写真4枚はwikipedia-poから

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宿坊の南半分。修道院生活の初期には個室はありませんで、
この様に大部屋で寝起きしていたそう。

この修道院の起源等については先回書きましたが、
イタリアの聖ベネデットが最初に始めた修道院制度から派生した
質素を重んじるシトー派のこの修道院で、

1200年代から6世紀間に渡り、完全な静寂の裡に祈りと労働の
生活が続きましたが、時の変遷のうちに修道士たちは、
時の王への服従なしに、周辺地域内での特権や大変な力を持つ様に。

そして16世紀後半には、芸術や文学への献身も始まり、
ポルトガル内でも有数の蔵書を誇る図書館も持つように。

当時この修道院内には約999名(この数字が可笑しいですが)
の修道士が生活していたといいますが、ペストの死者で激減、
ですがまた盛り返し、18世紀にこの修道院の最盛期を迎えたと。

農業、料理法の広がりから、最初の精神の質素は脇に置き、
ミサも当番制に、大宴会も行われるように。
      
そして1810年にフランス軍による奪略破壊、
1834年には政府による宗教団体解体の告示と続き、
このアルコバッサ修道院も放棄されますが、
       
現在は修復が進み、1985年よりユネスコの世界遺産指定に。
       
シトー派の修道院生活について 
n.1 セナンク修道院 ・ 南フランス、プロヴァンス
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/473615169.html

n.2 セナンク修道院 ・ 南フランス、プロヴァンス
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/473615315.html



5.台所と大煙突
 18世紀に改装されたとの事で、その大きさにも驚きですが、

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 まぁ、千名もの修道士が生活していたというので納得、
 壁も、2つある大煙突も、天井部分も皆タイル張りの豪華版!
 手前に見えるのは、巨大な石の調理台で、 
 同時に7頭もの牛をグリルできたのだそう!
       
どの修道院も水利の便を考えて建設されていますが、
ここでもアルコア川が台所に引き込まれていて、
で、魚にも不自由なかったと、これはガイドの言葉。
      
台所の大きさと規模では、こちらアヴィニョンの教皇庁も凄かった!
n.2 アヴィニョンの教皇庁宮殿
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/473518604.html

n.1 アヴィニョンの教皇庁宮殿
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/473518302.html



11.食堂
 写真では見えにくいですが、少し高めの場所に説教壇があり、
 修道士たちが静寂の裡に食事をする間、1人が聖書の朗読を。

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6.八角形の泉
 こちらも18世紀に改装された物と。日本語の説明では
 泉とあるのですが、修道士たちが手を洗う場所だった様子。

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7.静寂の、回廊付き中庭   ガイドブックより
 1308年、当時の王ディオーニジ・Dionigiの要請で
 造られた、厳格な美しさはまさにシトー派のものと。

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以下は、写真が無いのですが、

8.ポルトガルの代々の国王の像のある部屋
 これは最初の図の下にちらっと見えますが、
 壁面の下部に藍と白のタイル図柄で埋められた美しい部屋で、
 通りすがりにちらっと見ただけで、写し損ないました。

10.カピトラーレ・Capitolareの間
  ここは常に沈黙のうちに生活をしている修道士たちが集まり、
  修道院生活についての問題を討議したり、
  院長を選んだり、と、唯一喋れる部屋だったそう。



これは教会内の柱に見かけた3種ほどの石工の印のうちの1つ。

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セナンク修道院でも見ましたが、石工が自分の切り出した
石につけた印なのですね。
この数で賃金を貰うという、つまり出来高払いだったのでしょう。


        
教会内で見かけた小さな聖母子像。
優しくて、ほのぼのした雰囲気で良いでしょう? 

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さて、いよいよ今日の本題に入らせて頂きまして・・、えへん、
昨日見て頂いたスーヴェニール店の壁にあった絵皿のアップですが、

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このお2人が、左イネス・デ・カストーロ・Inês de Castro
右がペードロ1世・Pedro Iというよりは、まだ国王を継ぐ前ですので
ドン・ペードロと言う方が正しいのかも。 
           
       

少し大きな2人の肖像をどうぞ。

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この2人の素晴らしい石棺が、アルコバッサ修道院の教会内、
翼の部分に向かい合って置かれているのですね。
教会図の2にペードロ1世、3にイネスの石棺です。

民間伝承では、最後の審判を受けて後再びまみえる時、
最初にお互いの顔が見えるように、という事ですので、
私めもそれに従い、向き合える形にイネス、ペードロの順にここに。

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石棺とはいえ、なんともはや美しく!
石は、歩道にも使われている石灰岩で、大変に固い石だそうで、
この白さが美しいですよね。



今回のポルトガル旅行で知った2人の名前と逸話なのですが、
大いに好奇心に駆られまして。
いぇもうこの年になりますと、中世ポルトガル王家の悲恋
なんぞとは思いませんし、まして後でお話しする後日談もあり、

ガイドが話してくれた2人の運命と、戻ってざっと読んでの違い、
疑問に思った詳細部分を、埋めたかったからなのですね。

では・・、
ポルトガルの次代の王を継ぐべきドン・ペードロと
イネス・デ・カストロが知り合ったのは、
1339年8月24日に執り行われた、ドン・ペードロと
隣国カスティーリアの王女コスタンツァ・Costanzaの婚礼の際で、

彼女は王女のお付きで当時19歳(24歳との説も)
ドン・ペードロも1320年生まれの19歳。

コスタンツァの容貌については何も書いたのが見つからず、
政略結婚でもあり、まぁイネスが大変な美貌だったのでしょう。
ペードロは盲目的な恋に落ち、まぁイネスもでしょうね、
1346年~54年の間に4人の子も生まれる関係に(1人は夭折)

勿論そうなると人々の口にも上り、隣国との関係懸念もあり、
遂にぺ―ドロの父王アルフォンソ4世・Alfonso IV は
1344年にイネスをポルトガルの北、カスティーリアに近い城に
隠棲させますが、この遠距離も2人にはお構いなし、
ペードロはせっせと通います。
彼らの子供の生年を見て頂くと、これはもう、
宮廷から離れた事が2人には愛の生活に没頭できた様子で、はい。

で、彼と王妃コスタンツァとの関係はと言いますと、
まぁ冷えてはいたのでしょうが、
こちらにも3人の子が生まれていまして。

父王アルフォンソが懸念したのはよく分かりますね。
ひょっとして王族でもないイネスと息子が結婚するような事になれば、
隣国カスティーリア王国との関係も悪化、まして彼女との間の子が
王位を継ぐようになれば、ポルトガル王国の存続問題にもになりかねず、
イネスの兄弟とペードロが親密なのも、父王は心配したといいます。

そして1345年10月、王妃コスタンツァは未来の王となる
フェルディナンド1世・Ferdinando Iを生み落とした後亡くなります。

寡となるやペードロはイネスに隠遁生活から戻るように促し、
一緒に暮らし始め、これは一大スキャンダルを巻き起こし、
父王との関係もこじれます、勿論ですよね。
再婚を進める訳ですが、まだ王妃を失くした悲しみがある、
と受け付けない、でもイネスとは結婚を考えていないとも逃げ。

そうこうするうち2人はコインブラのサンタ・クララの邸宅に住まうようになり、
ここはペードロの祖母のエリザべッタ王妃が造り、晩年を過ごした所で、
1354年に2人が秘密裏に結婚したという噂も流れ、
しびれを切らしたアルフォンソ王の側近は、王にイネスの殺害を迫り、
こうして遂に1355年1月7日、コインブラの屋敷で
ペードロが狩りに出て留守の間に、イネスは斬首に。

2人の年齢を計算すると、お互い19歳の時に知り合って後16年、
35歳だったという事になりますね。
    
私がこれらの逸話の何に一番関心を持ったか、と言いますと、
ガイドが、子供の前で斬首された、と話したのですね。
14世紀の事とはいえ、それはちょっと凄いなぁ、本当に? と
あれこれ読み始めた訳です。

ですが、余り書いたものが見つからず、結局ウィキペディアの
ポルトガル版を引き、イタリア語に翻訳をかけ、
読んで知ったのがこの経緯です。

で、ペードロはイネスの殺害を知ると逆上し、父親への反乱も
起こしますが、母親ベアトゥリーチェの執り成しで
1355年8月に一応の和解を。       
という所で、物凄い戦慄の後日談はまた後ほどに!
       
       

石棺の、ペードロ1世の顔。
彼の命によりこの2つの石棺が造られたのだそうで、両脇に3人づつの
天使が従い、彼の方には足元に忠誠の印のワン君が。

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彼の石棺の大変に美しい頭部側の彫り。

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これには2人の逸話が語られていて、 写真はwiki-poから。

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外側のアラビア数字から、
1. 子供達を愛撫するイネス
2. 3人の子と生活する2人
3. チェスをするイネスとペードロ
4. 2人の愛人たちの生活
5. イネスが、何か小さな動物に触れているのかな、
6. 大きな玉座につくペードロ
7. イネスが父王アルフォンソからの刺客に驚く
8. 1人の刺客の正体を暴くイネス
9. イネスの打ち首
10. 死んだイネス
11. イネスの刺客に下る罰
12. 経帷子をまとうペードロ

内側のローマ数字は、
I. ペードロの左側に座るイネス、まだ結婚していない事を示す
II. 2人の座る位置が交替する、つまり結婚後を示す
III. 並んで、公式な肖像の様に
IV. 父王アルフォンソ4世が(指で)イネスを王国から追放
V. イネスが、多分アルフォンソ4世を拒否する
VI. 輪を手で支える何者かの下に膝まづく2人
    (これが彫りと説明ともに良く分かりません)

これは運命の輪と呼ばれる物ですが、外側の彫りにある2人の
生活の様子、彼のみが知る愛情にあふれた想い出がこもり、哀れ。



素晴らしく美しい天使の顔や、ワン君の表情をどうぞ。

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こちらはイネスの石棺。 天使が王冠を支え、
残念ながらイネスの顔は、少し破損しており、
写真も見つけましたが、女同士の情けでここには掲載せずに。

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頭の後ろにあるこれは、天蓋を示すそう。

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彼女の足元の彫りは、最後の審判の様。

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ペードロの石棺を支えるのはライオンたちでしたが、
こちらは如何にも中世の顔の男達。

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ご覧の様に2つの石棺はどちらもあちこち破損していて、とても残念ですが、
フランス軍が進駐して来たときの略奪破壊で、
彼らはフランスに持って帰りたかったらしいのですね。
所があまりの重さに断念したのだ、と聞きました。

ははは、ざまぁ見ろ! あちこちから盗んだろうが!!




たまたま近くに12世紀頃のイベリア半島の領土図があり、
当時のポルトガルは現在よりも小さかった事が分かります。

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白い点線をつけた辺りが現在のスペインとの国境で、
緑の印、北が最初の首都コインブラで、
南が13世紀中頃からの首都リスボン。




イネスの処刑ののちの後日談というのが、またまたぞっとの戦慄もので。

母親の執り成しで一旦は父王と仲直りをしたペードロですが、
半年ほど後に父王が亡くなり、彼が8代目のポルトガル王に。
1357年の事です。

で1360年に、イネスとは1354年に秘密裏に結婚していて、
子供達は彼らの子である事を公に認める声明を出しますが、
それは礼拝堂司祭とペードロ1世のみが言う事で、
おまけに日付けは覚えていないという様子。

そしてイネス殺害の3人の内の2人はカスティーリア王国に逃げたものの
つかまりSantarémで処刑、フランスに逃げた1人は自殺に追い込まれます。

ですが民間伝承は、こう伝えます。
捕まった内の2人は連れて来られ、お祭りの見世物として、
1人は前から、も1人は背中から心臓を引きちぎられたと。

そして恐怖のおまけに、イネスとは結婚していたので、
彼女は王妃であるとし、墓の中から遺体を引き上げ玉座に座らせ、
王冠を戴かせ、忠臣達に、王妃に対する礼をと、手に接吻させたと!

これは多分16世紀後半に民間伝承に取り込まれたのだろう、
というのですが、この死んだ王妃の手に接吻、という図は、
後に煙草の袋の図柄にも登場したり、絵画も残り、恐ろしい図!

という事で、国民的詩人と呼ばれるカモイーシュ(カモインエス)や
他の詩人たちもがその悲恋を詠ったといわれる
逸話語りがやっと済みましたです。
お疲れ様でした、そして有難うございました!



陽のあたる表に出て来て、
広場のカフェで憩う人々の姿になにやらホッとして。

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教会前の階段の女の子を撮りましたら、彼女、気が付いたようで。
可愛い子でしょう?

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暑い陽射しの道を戻りつつ、タイルの壁、少しレトロな
イメージの窓に見とれつつ、

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ここのお家の壁にも、イネス・デ・カストーロが。

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こちらがアルコア川。 何やらカップルが遠くの方で、

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これがバッサ川。 2つの川がここで合流すると聞きましたが、
何か、イネスとペードロの象徴みたいですね。

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今日は長い長いお付き合い、有難うございました!
私も少々書き草臥れました・・。


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・ アルコバッサ修道院 ・ ポルトガル 

今日のご案内は、ポルトガルのほぼ中程の大西洋に近い
アルコバッサ・Alcobaça.
ここにある、ユネスコの世界遺産に指定されている歴史ある
サンタ・マリーア修道院・Mosteiro de Santa Maria de Alcobaça
通称「アルコバッサ修道院」のご案内です。

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上の標示の様にAlcobaçaと書き、ポルトガル語での発音が
良く分かりませんが、イタリア語ではそのままアルコバカと読み!
それはやはりね、日本人には多少抵抗がありますので、
日本語でのアルコバッサに従います。



アルコバッサはどこにあるか、地図をどうぞ。
リスボン・Lisboaと古都コインブラ・Coimbraのちょうど中間で、
すぐ北に見えるバターリャ・Batalhaという、ここの凄い修道院を
午前中に見物。
前日には東に見えるトマール・Tomarで、テンプル騎士団由来の
大修道院跡も見物しており、修道院はもういいよぉ! 
という声も聞こえましたが、ははは、

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お昼にナザレ・Nazaréの青い広い大西洋の浜で波と遊び、
美味しい鰯や鱸のグリルを食べて元気回復、
またまたここアルコバッサで修道院見学を、という行程でした。



小さい町というか、修道院の他は特別に何もないというのか、
鄙びた古都の趣のある雰囲気の良い町で、
バスを降り、歩いて中心に向かいます。

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アルコバッサという町の名の由来は、アルコア・Alcoaと、
バッサ・Baçaの2本の川がここで合流するからだそうで、

こちらはアルコア川に架かる橋、と言っても、バッサ川も
すぐ傍を流れますが、この橋もなかなか良い雰囲気でしょう?

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で、こんな門を持つ建物前の広場に出て、
この門に並ぶ左にある別の門を潜ります。
後から考えて、これは修道院の城壁代わりの建物にある門で、
つまり使用人たちが住んでいた建物だったろうと。

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広場に咲いていたアガパンサス、ですよね?
イタリアで見るこの花は優しい藤色をしていますが、
今回ポルトガルで見たのは濃い藤色、時に紫と言いたい程の
濃い色で、路地にもたくさん咲き乱れていましたね。

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通った門の内壁にあった天使像。

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そして正面に、この威圧的とも言える建物入り口が見え、
これは、修道僧たちの居住区に繋がる入り口。

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上の入り口に続き、建物が横にず~~っと長いのですが、


      
間の広場を埋めて、カフェのテントや椅子もずっと続き、
どうにも写すチャンスを掴めぬまま通り過ぎ・・。

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右手の建物にはカフェやスーヴェニール店。
真ん中の壁にある四角な陶器のお皿を覚えておいて下さいね。

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可愛い薄いクリーム色の新品のスクーター。
ヘルメットと並んで、チェックのベレー帽が。

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で、細長い広場の端まで行き、角を曲がるとこの景観!
とにかく、とてつもなく大きな修道院。

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あちこちでかなりの数の修道院を見ていますが、いつも驚くのは
その規模の大きさと凄さ! で、そこに集まったであろう
富の莫大さを考え、ついで世俗領主達の心底を、想います。
       


こちらが教会正面入り口で、18世紀に改装されたバロック様式。

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アルコバッサの修道院の起源は、1153年に初代のポルトガル王
アルフォンソ1世・Alfonso Iにより建設が決められた物で、
4世紀に及ぶアラブ人支配に勝った1147年のサンタレン・Santarém
での戦いの勝利の記念と、
シトー派の(聖)ベルナルド・Bernardo di Chiaravalleへの
贈り物として創建されたものと。

漸くにしてアラブ人支配を抜け、新しくポルトガル王国の
領土ともなったこの土地への権限強固をも目的に、
1178年から建設に着手。

約25年後にシトー派の僧がアルコバッサにやって来たものの、
当時はまだ木造の家に住み、1223年になり漸くに石造に、
教会建設が完成したのは1252年と。



教会正面上部と、

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薔薇窓部分。

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教会入り口部からの眺め。 いや建物全体が高いので、
前の広場の向こうの建物を見はるかす感じ。

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入り口扉部分。
手前の人物との関係で、その大きさをご想像下さいね。

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この扉の両側に、聖ベネデットと聖ベルナルドの像があり、
写してはいるのですが、光線が強すぎ色が飛びました。
       
  

フランスからの学生たち、中学生位かな、
お喋りしつつ、虫さされの比べあい?!

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ワッと出て来て、まぁその賑やかな事!

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教会扉内から。

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薔薇窓の内側。

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質素を重んじるシトー派教会、という事で、内部はゴシック様式の
如何にも簡素で重厚な物。 高さをご覧下さい!

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暗いのと誰かが前に立つので上手く撮れず、これはウィキ・イタから
拝借の写真を。 内部空間の広さもご想像下さいね。
ポルトガルで一番大きな教会で、身廊の長さが109mあるそう。
 
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正面に祭壇が見えますが、祭壇背後からの様子を、
ガイドブックの写真で。

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大変に簡素ではあるものの、重厚な美しさをどうぞ。

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同じシトー派の、やはり簡素で厳格な美しさを持つ
n.2 セナンク修道院 ・ 南フランス、プロヴァンス
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/473615315.html

n.1 セナンク修道院 ・ 南フランス、プロヴァンス
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/473615169.html



こちらが修道院と教会の図。
到底1回ではご案内しきないのと、今回かなり好奇心に駆られて
調べた事がありますので、
明日内部の様子をもう1度ご案内、という事で
ここでは番号に従い、何かとのみ記しますね。

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1.正面入り口
2.ペドロ1世とイネス・デ・カストーロの墓
3.イネス・デ・カストーロの墓
4.修道士たちの宿坊
5.台所の大煙突
6.八角形の泉 
7.静寂の回廊付き中庭
8.ポルトガルの代々の国王の像のある部屋
9.聖具室への入り口

教会内部奥、翼の部分にあった、2.ペドロ1世とイネスのお墓、
この石棺の彫りが、ポルトガル・ゴシック様式の素晴らしさの極致、
と言われる通りに素晴らしいもので、
すっかり見惚れ、またお墓の2人の逸話にも気を取られ。

つまり我々は教会内部を見ただけで、
他の見物出来る場所、中庭回廊も、泉も、台所もな~んにも見ず、
まぁ、ツァーの時間制限もあったでしょうが、
バスに戻ったのを、これを書きながら改めて知った次第、ははは。

・・悔しいので、明日はしっかり、
この有名なお2人の、歴史に残る愛のお話をたっぷりと
お聞かせいたしますよぉ。 お楽しみに!!
       
はい、今夜しっかりとおさらいを。

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・ モノクロの絵葉書で ・ ポルトガル 

今日はポルトガルの郷愁溢れる、モノクロの絵葉書をどうぞ!

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ポルトガルで買って戻ったセピア色の絵葉書ですが、
裏に書いてある撮影年を確かめると、古い時代どころか、
1990年代から2010年、11年の迄あったのですね。

そりゃあまぁ、あ~た、あんたが好きで買ったので、こちとらは何も
昔の絵葉書とは言っとらん、と言われるとその通りですがぁ、

セピア色というのが曲者ではありませんか?!
最新の2011年のまで、セピア色に印刷してあるんでっせ!

ヴェネツィアで売っている本当に古い版の絵葉書でも、
セピア色ではなく、モノクロなのですよぉ。
あのセコイので有名な、ヴェネツィア商人の上を行く
ポルトガルの絵葉書やさん、なのであります。

てな事で、すぐその気になる甘い己への反省と、
これから訪問される皆さんへの警鐘をこめて、ははは、
今日はセピア色ではなくモノクロにて、ポルトガルの絵葉書をご覧に。

トップは、この一部色が入った絵葉書で、
小さい方はナザレ・Nazare'の黒い衣装の女性たちと、
右は、12弦のポルトガル・ギターを弾く男性。
ポルトガル・ギターはマンドリンの形を大きくした輪郭で、裏側は平板。

セピア色の絵葉書のポルトガルはこちらに。
       


リスボン・Lisboa   1995
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リスボンのアルファマ地区にあるケーブル・カー。
ちょうどこの終点に停まっているのを、私も見ましたっけ。
アルファマ地区は、リスボンの一番高所にあるお城から少し下って
傾斜地に続く、いわゆる古くからの下町地区で、
庶民的な雰囲気のある素敵な場所でした。



リスボン・Estrela   2002

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こちらは市電。
街自体が傾斜地に広がるので、こんな市電の利用者もね。
狭い通りをなお狭くして、キキキィという感じで、
ぐらぐら揺れながら坂を下る市電。
ああ、やはりちょっと乗って見たかったです!



リスボン・Alfama   1999

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この絵葉書も、如何にも古い時代、の感じでしょう?!
でも最初に?!と気が付いたのがこの写真で、
確かに雰囲気は古そうなのですが、
女の子の足のサンダルは、底の広い現代のスポンジ・ゴム製!
ですが、素晴らしい写真である事に間違いなく!



リスボン・4月25日橋  1997

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テージョ河・Tejo にかかる2本の橋のうちの古い方、
街の西方ベレン地区にありますが、長さ2,2K。
     
まるで海の様な広い川幅になる街の東側には、
17kmものヴァスコ・ダ・ガマ橋があり、
その素晴らしい雄大さに目を見張りましたが、
靄に隠れるこの吊り橋も美しいですねぇ!

左に浮かぶのは、ブラジルはリオ・デ・ジャネイロの
山頂にあるキリスト像のコピーなんだそう。
       


リスボン  2010

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カフェやレストランのテントが並ぶ、歩行者天国のアウグスタ通り
・Rua Augusta を行く白い夏のドレス。

正面に凱旋門があり、その向こうに騎馬像の見える
コンメルチョ広場が広がり・・、
そう、この通りを夜、皆で行ったり来たりの探訪をね。



リスボン  2011

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こうして見ると、まさに海に面する港町みたいですよね。
奥に白く見える橋が、ヨーロッパ最長と言われるヴァスコ・ダ・ガマ橋。



ポルト・Porto  1998

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リスボンもコインブラも、このポルトも、とても趣のある興味深い街。
先月訪問した時には、この河岸に並ぶ屋台がなく、
世界遺産に指定されて徐々に整備されているのか、
道の奥にずらっと並ぶカフェ、レストランのみで、
観光客で大変な賑やかさでした。

ポルト市内を流れるドゥオーロ河の7本だったかの橋の内、
一番中心地にあるのが、このドン・ルイス1世橋。
パリのエッフェル塔の、エッフェルの弟子が設計したそうで、
少しレトロなイメージもあり、美しい!

今回このドゥオーロ河のミニ・クルーズも経験しましたので、
素晴らしい眺めもまたご覧頂きますね。



ポルト  2010

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ドン・ルイス1世橋を渡り、対岸の少し奥にある
かの有名なポート・ワインの醸造所見学もし、
とろっと濃厚で美味しいワインの味見もね。

醸造所に行く途中に、こうしてパノラマの見える場所にも寄りましたが、
残念な事に針金の柵で近寄れず、橋の影は半分ほどのみ。



ポルト  1992

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何の店だろ、何が入った袋だろ?と疑問に思っていましたが、
ガイドブックで同じ店の写真を見つけました。
はい、干し鱈!
バカラ・Bacala` の有名な店の様です。

書いてある値段は、写真撮影の年から考えエウロの前、
とすると、なんでしたっけ、通貨は?
今回驚いたのが、物価の安さですから、安い事はまちがいなし!
       
バカラ、日本で言うメルルーサをですね、
ジャガイモと一緒にグラタン式に料理したのを、8日間の旅で4~5回
食べる羽目になり!
美味しかったですが、暫くは食べたくありませんです、はい。
      


Tavira  1998

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Tavira というのは、ずっと南の町で、メルカートの写真だそう。
にっこり笑って手にしているのは、カタツムリ!
どうやら美味しい様で、あちこちで見かけましたが、

知ってますぞ、 この手の小さめのカタツムリの料理はですね、
エスカルゴと違い、体全体と小さな小さなツノがしっかり見えるのですぅ!
ヴェネトでも食べるのですが、見えると食べ辛くて、ね。
同じ種でも、エスカルゴは美味しいと思うのですがぁ。



リスボン・アルファマ  2011

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ははは、これはちょっと悪戯してみたshinkai の写真。
旅のレポートのつもりで、色もせっせと写したい私には、
モノクロ写真は記録として不足に感じ、撮りませんが、

こうして見ると、
モノクロに写す写真にも、色幅が必要な事が分かります。
色幅と言うか、白から黒までの諧調がね。
となると、やはり被写体を選ぶのが重要なのかも。


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・ 色いろいろ、そして洗濯物 ・ ブラーノ島

今日ご覧頂くのは、色とりどりに塗られた家とレースで有名なブラーノ島。
目がくらくらする程の色鮮やかな家の壁、窓、扉、そして戸口に翻る
様々なカーテンなのですが、他にも目に付く物があるのですね。
それは洗濯物!
窓、家の前、そして狭い広場に張り巡らされたロープに盛大にはためく洗濯物!

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日本人だと、なんとなしヒッソリと洗濯物を干しません?とりわけ下着なんぞはね。
でもこちらはお陽様の下、大きなサイズもしっかりと。
という事で、今日は洗濯物のあるブラーノ島風景をどうぞ!

上の写真にも、ご覧になれますよね、洗濯物が。
正面突き当たりの小路を奥に辿った所が、船着き場です。

先回の、ブラーノ島ののんびり散歩はこちらに。
http://italiashinkaishi.seesaa.net/archives/20110609-1.html       


島の中心広場の手前、左手に続く運河。
建物の色に紛れて見落としそうですが、やはりしっかりと、ね。

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これは中心広場の右手奥、余りにもテントの色が激しかったので1枚。

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暑い日でしたので、日陰でのお昼に皆ホッと一息。

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さて、ここから洗濯物シリーズの始まり、始まり!
狭い島の中を行ったり来たりで撮った中から、洗濯物、で抜き出しましたので、
場所の特定は無しで。

島の目抜き通り、店の続く辺りでは見かけませんが、ちょっと中に入り込むと、
ほら、ご覧の通り!

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ここのご主人は、ゴンドラ漕ぎかな?

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上の写真の、家の並びはこんな様子。

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藤色のシーツだよ。

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そしてこのブラーノ島で、もひとつ目に付く物、それは戸口にある箒とバケツ。
清潔好きなのか、少々癇性病みシニョーラが多いのか、失礼!
それとも戸口内に置く場所が無いのか・・、
ちょいちょい見かけますから、お出かけの時には気をつけてご覧下さいね。



これ、彩が上手く出たと思うのですか、どうでしょう?

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洗濯物と、箒はないですがバケツがありますね。

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と書いた後でゆっくり眺めていましたら、やはりあります。
ほら、左の花鉢のある高い窓に引っかけた柄が見えます。




賑やかな柄物タオル。

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良かった! 猫ちゃんは普通の色柄でした、はい。

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これ、洗濯物も少し見えるのですが、それにも増して、奥の家の色が凄いでしょう?!
どピンク!

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入り込んで見ると、花も壁の色と同じ! 目がクラクラしそう!

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ブラーノ島の教会の鐘楼は、こんなに傾いておりまして・・。

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これは、スケッチをしていた我が友人に、シャッターを押すよう頼んだ厚かましい野郎、
いやカップル。 運河のこちらから見ていたもんね。
おまけに、人様のお家のベンチに腰掛けてからさ、ははは。

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中心広場から運河を東に辿ると、こんな風に少し鄙びた感じになり、
その分、洗濯物は逆にしっかり翻るようになりまして、

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ふっと路地奥を覗くと、干潟が広がるのが見え・・、

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こんな木の橋がかかり、島の内側に入り込みます。

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ずっと以前、この家の絵葉書を買った事があり、今回実物を見つけましたが、
既に本物は少し色あせて・・。 それにしても、手がこんでいます!

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戸口上にサイト・アドレスが見えますね。 ちょっと覗いてみましたが、写真が出ず、
アンティ・ヴィールスのソフトからフィッシング注意報が出ましたので、お気をつけて!



戸口、窓のみならず、アンテナにまで色。

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本日の〆はこれ。 細い小路の両脇から、頭の上からも下がる洗濯物。
戸口にも干され、右の家も左の家も、家の壁色と同系色のシーツ、タオル類で・・。

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凝っているのか、色彩感覚が豊かなのか・・?!
そして戸口に箒のあるのが2軒、バケツもね。

次回は寒い冬に、この色鮮やかな島をまたご覧頂きましょう。


◆*◆
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今日このブラーノ島の写真を揃えていて、以前ご覧頂いた写真20枚、
金髪女性の傑作狙い、ゴンドラ漕ぎの休憩、日陰の椅子で雑誌を読むシニョーレなど、
あの20枚のオリジナルを削除しまっていて、ブログ用の640ピクセルの大きさのみが
手元に残っているのに気がつき、泣いています。 うぇ~~ん!!
気に入った写真だったのにぃ!

書いたものを消してしまったかと青くなったり、うっかり削除とか、失くしたりも経験し、
写真は気をつけているにも拘らず、今回やってしまいました。 あ~あ。

写真は容量が大きいので、なるべく本体を軽くしようと、こまめに外付けメモリーに
移しているのですが、ついうっかり他と一緒に削除してしまい・・。

書いたものは何とか再び、という事もあり得ますが、写真はそうはいきませんから、
皆さんも、どうぞお気を付け下さいね!!

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・ ロカ岬 ・ ここに地が果て、海が始まる

今日は、ヨーロッパ大陸の最西端、ロカ岬・Cabo da Rocaを。
大西洋に臨む大陸の最西端、イメージはやはり大ロマンですよね?!

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上の地図でお分かりのように、素晴らしい宮殿で有名なシントラ・
Sintra から近く、バスが出ているそうですし、
リスボンからの日帰り観光も出来る距離と。

我々もシントラ観光の後に立ち寄り、お昼は南に見えるカスカイシュ
・Cascais 近くのエストリル・Estoril で食べ、
リスボンに夕方到着という日程でした。


緑の濃いカーヴ続きの道をどんどん進み、あ、海が見えた!
なぜか遠くに海が見えると、嬉しくなりません?
あ、海、海、と叫んだりして・・。

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写真を整理していて、遠くのかなりの街並みに気が付きましたが、さて。



海を見つつ、どんどんバスは進み、こんな麦畑も見かけたり、

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途中に出会う集落の洗濯物、強い海風に翻り。

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シントラに向かう途中で、たくさんの風車(跡)や、
現代的なプロペラ式(なんと呼びますか?)を見かけ、
この道筋でもこの風車と、古い風車を一つ。

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こういう場合の構図は、風車の向く左側に空間を、となる筈ですがぁ、
バスの中から、あ、あっ!とシャッターを切るので・・、う、う、う。



この浜辺、カスカイシュの浜と聞きましたが、
何度か見え隠れしつつ近寄り、そしてまた離れ・・、

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海に臨み、崖となったり、

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漸くに道路標示、Cabo da Roca → 

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遂に、遠くに灯台が見え、

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カーヴする道をぐんぐん下り、近づいて行きますが、
電柱の並びが、如何にも地の果てに続く趣。
そう、この地にあるのは、灯台と観光事務所とバールのみ。

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到着。
この事務所で、どうやらヨーロッパ大陸最西端到達証明書、
有料、が貰えるらしいのですが忘れました。

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こちらが、海に向かって立つ記念碑。

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2年前だったか、私のイタリア語の先生アンナリーザが
ポルトガル旅行でこの地に行った時のお土産話に、
リスボンではまるで日本人観光客を見かけなかったのに、
この岬に行ったら日本人ばかりで、
イタリア人・西洋人は彼ら3人だけだった、と!
ええ、でもこの日は、日本人は1人だけでしたよ、ははは。



上の記念碑にある、あの素晴らしい言葉。

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ロカ岬
ここに地終わり
海始まる
(カモイーシュ)
ポルトガルの16世紀の軍人であり詩人のカモイーシュが
その作品「ウズ・ルジアダス」Os Lusíadas の中に
詠っている一節だそう。
       
インド航路を開拓したヴァスコ・ダ・ガマや、
航海先駆者達を讃えた英雄叙事詩だそうですが
当時の状況、軍人、キリスト教徒である事などを越え、
大変に人類的、抒情的な作品と。

ポルトガルの大英雄と見なされているヴァスコ・ダ・ガマと共に、
リスボンのジェロニモ修道院にお墓がありましたが、
彼の母方の親戚に繋がるそうで、
父方の曾祖父には、スペイン西北ガリーシアの有名な吟遊詩人が。


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この海の先は大きな滝となり地が終わる、という中世の観念を抜け、
海の向こうには広大で肥沃な大地があるのだと
新世界に向け勇み立っていただろう当時、
この地に立ち、遥かな海の先を眺める彼の高揚、
想像できる気がします、ね?

ポルトガル語の発音は難しく、
Luís Vaz de Camões・ルイス・ヴァス・デ・カモイーシュ、
日本語ではカモンイスと記されているのを知りましたが、
今回何度もこの発音で、国民的詩人と呼ばれると聞きましたので、
ここではカモイーシュと。



140mの高さの崖上から眺める大西洋、
吹き付ける強風、打ち付ける波の強さ、ご想像下さい!

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北を望み、

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足元はゴロゴロの岩場、細かい砂地の細い道を、
風にブルンブルンとあおられながら、そろっと辿り・・、

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岩場の割れ目越しに見る灯台。
1970年までは、灯台守りが住んでいたとか。

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もひとつの碑。 

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強風に吹きなびく野草たち。

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いずれも草丈の低い、見かけない植物たちもあれこれ。

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出発時間が迫り、
最後にもう一度、ヨーロッパ最西端の海の眺めを!

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