引き続いてのご訪問、有難うございます!
南仏プロヴァンス、セナンク修道院のご案内を続けます。
いよいよ建物内部のご案内ですが、
ここはn.1で覧いただいた修道院全体の写真の右側2階部
に当たる、かっての修道士たちの寝室部分。
南仏プロヴァンス、セナンク修道院のご案内を続けます。
いよいよ建物内部のご案内ですが、
ここはn.1で覧いただいた修道院全体の写真の右側2階部
に当たる、かっての修道士たちの寝室部分。

そう、当時は修道士たちの個室はなく、一緒に寝起きの生活で、
長さ30mにもわたる大きな部屋で、アーチ天井は建物東側の
教会に繋がる翼の部分で、建設は1170年。
長さ30mにもわたる大きな部屋で、アーチ天井は建物東側の
教会に繋がる翼の部分で、建設は1170年。
こちら側の後ろ上部に薔薇窓がありますが、この向きは東の教会側。
壁の厚さは、なんと1m30cm以上あるそう。
奥に扉が見えますが、かってここには石の階段があり、
多分革命時に盗まれたのだそうで、現在は木の階段で、
修道士達が寝室から直接に、時梼の為に教会に
行けるように使われていたと。
多分革命時に盗まれたのだそうで、現在は木の階段で、
修道士達が寝室から直接に、時梼の為に教会に
行けるように使われていたと。
これは、窓際の元のままの床の部分で、
凹んで見える部分は、かっての寝台のあった跡。

壁に残る、石切り職人の印。
つまり、石を切り出した職人たちが手間賃を貰うため、
自分の切った石の数を明確にするために記したのだそうで、
100ほどもの印が壁に残るそう。
自分の切った石の数を明確にするために記したのだそうで、
100ほどもの印が壁に残るそう。

これは、かっての物差し。 長さに従っての呼び名が書かれ、
日本でも丈とか尋とかいいますね、あれと同じと思います。

教会東側の翼の部分。 かっての寝室から、
木の階段で下りてきた場所。
木の階段で下りてきた場所。

天井アーチの横上に見えるちょっと変わった形、
貝殻の様な形、Trombaと書いてあるのですが、
クーポラを支える以外の働きの意味が良く分からず。
ひょっとして、反響を上げる為?
左下奥に、三角形の屋根の形の祠が見えるのは、
シトー派内のどなたかのお墓。
貝殻の様な形、Trombaと書いてあるのですが、
クーポラを支える以外の働きの意味が良く分からず。
ひょっとして、反響を上げる為?
左下奥に、三角形の屋根の形の祠が見えるのは、
シトー派内のどなたかのお墓。
教会のガラスは、1994年に入れられた物だそうですが、
ガラス吹きの技術は古い技術に従っているそう。

内陣部分。
教会はラテン十字形の3廊式で、ご覧の通り素朴で骨太で、
重量感ある薄暗い空間が大変心地良い物でした。
重量感ある薄暗い空間が大変心地良い物でした。

戻って後ガイドブックを読むと、合唱席などにも
見るべきものがあった様なのですが、
残念、ガイドの説明を聞きながらの写真撮りに忙しく。
見るべきものがあった様なのですが、
残念、ガイドの説明を聞きながらの写真撮りに忙しく。
中庭と回廊部分。 アーチの形は、全て半円アーチ。


教会に接する回廊の壁には2か所、彫り込んで箪笥を入れてあり、
聖書や各種の精神の高い本が入れてあったのだそう。
聖書や各種の精神の高い本が入れてあったのだそう。
外の空気に触れつつ回廊を歩きながら、修道士たちが
静かな瞑想に浸る場所でもあり、
少し外れた横の小路では、ちょっとのお喋りも許されたとか。
少し新しいイメージも受けたのは、2002年に修復がされたばかりと。

こんな古い石の鉢も。

回廊に沿って、2階のかっての寝室の下に2つの部屋があり、
1つはこの筆写のための部屋で、
1つはこの筆写のための部屋で、

台所以外に、修道院唯一の暖炉のあった部屋。
寒い冬の日、修道士たちは唯一暖かいこの部屋に集まり、
仕事をし筆写をしたという、かなり大きな部屋。
仕事をし筆写をしたという、かなり大きな部屋。
壁に残る扉。
小さな狭い扉と、壁の厚みにいつも驚きます。
小さな狭い扉と、壁の厚みにいつも驚きます。

こちらはそのお隣の、カピートロの部屋・Sala di Capitolo.

カピートロというのは「章」を現わしますが、
まさにこの部屋で毎朝、聖ベネデットの定めた会則が
1章づつ読み上げられたのですね。
朝のお祈りが済むと、毎朝修道士全員がこの部屋に集まり、
長老の見守る中で、会則が読まれ、殉教録、過去帳と続き、
そして世俗の集会と違って、静かな落ち着いた空気の中で、
修道院の問題、修道士の問題を話すのだそう。
長老の見守る中で、会則が読まれ、殉教録、過去帳と続き、
そして世俗の集会と違って、静かな落ち着いた空気の中で、
修道院の問題、修道士の問題を話すのだそう。
部屋には3段の階段を下って入るようになっていて、
ご覧の様に天井も低く、他のどの場所よりも音響効果が良いそうで、
低い声で話しても、よく聞こえると。

ガイドが付け加えた説明では、
ですが、新入りは話す事が許されなかったのだとか。
ですが、新入りは話す事が許されなかったのだとか。
そして修道士が亡くなると、その遺骸が仲間の見守る元に
この部屋に置かれ、葬られるのを待つのだそう。
この部屋に置かれ、葬られるのを待つのだそう。
カピートロの部屋の窓から見える中庭、部屋の低さが分かります。

部屋入り口の真ん前にあるタラスク・Tarasqueの像。

タラスクというのは、硬い甲羅に鋭い背鰭とヤマネコの上半身、
6本の肢とドラゴンの体を具え、獰猛で、人を喰らい、
特に子供を好んだという伝説上の怪物ですが、
聖女マルタによって祈りと聖水によって捕えられた、という物。
6本の肢とドラゴンの体を具え、獰猛で、人を喰らい、
特に子供を好んだという伝説上の怪物ですが、
聖女マルタによって祈りと聖水によって捕えられた、という物。
ですが、なぜここにあるのか聞きましたが、忘れましたぁ!
確か、お守りの意味だったと。
確か、お守りの意味だったと。
出口の横にある売店。 ガイドブック、宗教関係の本、カレンダー、
絵葉書、ラヴェンダーの石鹸、ポプリ、なんでもあり、
会計口が2つもあって、良く繁盛しておりましたです。
絵葉書、ラヴェンダーの石鹸、ポプリ、なんでもあり、
会計口が2つもあって、良く繁盛しておりましたです。

再度ラヴェンダー畑の薄い藤色を睨みつつ、


修道院に別れを告げたのでした。

一番の花盛りにはこんな感じ、という雑誌の表紙で、今日はお終いに。

蛇足ながら・・、
こんな女性が実際にいるとは、よもや思われますまいね?
ああた、ここは修道院ですぞ、修道院。
トスカーナはオルチャの谷の
サンタンティモ修道院再訪 ・ Abbazia di Sant'Antimo n.1
http://www.italiashiho.site/archives/20170414-1.html
こんな女性が実際にいるとは、よもや思われますまいね?
ああた、ここは修道院ですぞ、修道院。
トスカーナはオルチャの谷の
サンタンティモ修道院再訪 ・ Abbazia di Sant'Antimo n.1
http://www.italiashiho.site/archives/20170414-1.html
サンタンティモ修道院再訪 ・ Abbazia di Sant'Antimo n.2
http://www.italiashiho.site/archives/20170415-1.html
http://www.italiashiho.site/archives/20170415-1.html
n.1にもちょっと書きましたが、
現代社会のせわしなさ、人間関係に疲れた人、
様々な疑問を抱えた人々がちょっと振り返りたくなった時、
何日かを修道院で過ごす、というのが静かな流れとしてあると。
受け入れてくれる修道院もいくつかあり、
その日課に従い、祈りと単純労働で過ごすのだそう。
その日課に従い、祈りと単純労働で過ごすのだそう。
そうですね、都会の喧騒から離れ、空気の美味しい
静かな緑の中で過ごし、自分を見つめる、
人間はそれだけでも、元気になれるのかもですね。
静かな緑の中で過ごし、自分を見つめる、
人間はそれだけでも、元気になれるのかもですね。
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