・ ニューヨーク到着前、早春の上空からの眺めは 

今日ご覧頂くのは我が友mkちゃんの写真で、
ニューヨーク到着前の空からの眺めを。

先日広島に行った時に、千枚を超す写真を見せて貰い、
やはりニューヨークには1度行ってみたいもの、との思いを強くしましたが、

今日は彼女の写真の中から、抽象画にも似たその面白さに魅かれた、
ニューヨーク到着近い空からの眺め、
まだ早春の自然が展開する、凍りついた不思議な世界をどうぞ!

これはまぁ、成田空港離着後と分かりますが、

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後はなにせ行った事がありませんので、一切説明なしで、
スライド・ショウのおつもりでご覧下さいね。



機内食3回分。

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夜が明けたものの、

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まだ先は長し!

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さて、漸くに下界が見えて来て、

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美しいでしょう?!



やれやれ、もうちょっと!!

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長らくのご搭乗、お疲れ様でしたぁ! ニューヨークにようこそ!!

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という訳で、これから先、時々NYの風景、食べ物、ワンちゃん達に
登場願うかも知れませんが、よろしく!  そしてお楽しみに!


*****

2日今夜9時半過ぎに、無事ジェノヴァから戻りました。
幸いお天気に恵まれ、一時雨がぱらついただけで、
急ぎ足ながら、ジェノヴァ観光を大いに楽しんで来ました。
 
水族館、そして花のフェスティヴァル、なんとまぁ、考えていた以上に
大規模なもので、楽しみも大きく!
それにもまして、旧市街の歴史的な見るべきものは素晴らしく、
もう大急ぎの駆け足で、それでもまるで時間不足で、
また出直さないと、と思いつつ戻りました。

やはり歴史の表舞台にあった長さ同様、見るべきものの多さ
素晴らしさが想像以上で!
そして我がヴェネト、ヴェネツィア共和国との肌合いの違いを
大いに感じて戻りました。

ただ残念な事は、ホテルの食事がまるで並みだった事、
おまけに仲間との昼の食事もこれまた並みだった事で、
美味しい物に巡り合えずで、これはどこかで挽回しませんと!

戻って夜のニュースをつけると、英国の世紀の結婚式を再中継で、
つい見とれ、ブログアップが遅れましたが、これはもうご容赦願います。
       
ジェノヴァは写真の整理が出来次第、順次ご覧頂きますので、
お楽しみにお待ちくださいませませ!

ジェノヴァのご案内は。  マルケ州   ジェノヴァとその周辺       
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460834370.html


*****

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・ 韓国 インチョン国際空港にて 

5日間の広島行きから無事戻り、今日は最初のブログ更新。
行く前から考えて用意していたのもあったのですが、
犬も歩けば棒に当たる、shinkaiだって何かに出会う、で

往復のトランジットをした韓国のインチョン国際空港、
ここで見ました美しい物をご覧下さいね。

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上の写真は、フランクフルト国際空港のソウル行きゲートで見た
アシアーナ航空ジャンボ機ですが、もうすれすれまでに窓に近く、
こんなに近くで見た事がないので嬉しくて!
       


新しく美しく、大変すっきりしたインチョン国際空港。
緩い長~いカーブから2本搭乗棟が突き出している、
ここはその中心通路との交差部。

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上の写真の左下に見える、韓国伝統工芸店。
乗り継ぎに出て来た所にこの店があり、並ぶ美しい品々にそそられ、
すぐ両替えに走ったshinkai。
チマチョゴリの美しい女性にも目をとられ・・。

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今回は、ヴェネツィア~フランクフルト~ソウル~広島という往復で、
ヴェネツィア~フランクフルトがルフトハンザ航空、
それ以降はアシアーナ航空でした。

切符はオンラインで購入し、その時にはSeoulと出ましたから
すっかりソウルのつもりでおりましたら、
切符にはIncheon Interとあり、インケオンってどこ?!
はは、hが入る che は ケ と読むイタリア語式に慣れていて・・、

え?! ソウルじゃないの?! と焦り、
挙句に、韓国の首都はソウルよね?! とさえ考えだす始末!
我ながら、如何にお隣韓国について知らないかを再認識、反省。

例によりこれを書くのに検索をかけ、
Incheonはインチョン・仁川で、ソウル発の国際線が全てここから、
故にソウル国際空港とも称される事を知り、納得。
ソウルのお隣仁川市の海の埋め立て地に建設されたそうで、
素晴らしく長い橋が続いているのも上から見えました。



旅客ターミナルは大変モダンで美しく、すっきりのパイプ式。

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この設計は、関西空港とかシャルル・ドゴール空港を設計の
イタリア人のレンツォ・ピアーノに違いない、
でもこちらの方が少し柔らかくて良いね、なんぞと考えていましたら
違って、イギリスの設計家テリー・ファレルとの事、失礼をば。
でも良く似ています、素人目には。



今回利用したアシアーナ航空のデザイン。
グレイの色が見えますが、あれがホステスの服の色にも。

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素晴らしく鮮やかな水色、コレアン・エアー。

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長~い旅客ターミナルの両側にはずら~っと免税店が並び、
他の空港よりもずっと免税店の面積が広いのではないかと。

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大きな素晴らしいこんな広告写真もあり、
これでもまだまだ左側が切れていて、手前の女性の大きさからご想像を。

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往きはこのインチョン空港で、6時間20分の待ち、
戻りはここでは1時間10分でしたが、
フランクフルトで5時間25分という殺人的スケジュース。
それでも、戻りの待ち時間に出会いました美しい物を!



これです、韓国民族衣装の行列です。

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既にゲートの横でしたが、韓国の民族音楽が聞こえて来たので、
立ち上がって覗くとこれ! そりゃぁもう即お出迎えに。
先導の人がいましたので、一日に何回かのお出ましがあるのかも。



西ターミナル部分の半分ほどで折り返して引き返すのを、
ちょうど横を通る電動歩道(なんて言うのか、言葉が出ない!)に乗り、
はは、追っかけもして写しましたので、にっこりと、こちらも見てくれ・・、

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は~い、日本のshinkaiブログ読者の皆さま、こんにちはぁ!



まさに、今回再認識した韓国女性の美しさ!!
チマチョゴリの衣装の美しさ!!

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後ろから見る男性の衣装も素晴らしい。

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いやぁ本当に、エアー・ホステスも、空港カウンターで働いている方々も、
韓国女性がみな素晴らしい美人揃いで、驚きました!
おまけにスマートで、いつも笑顔で。

久し振りにジャンボ機に乗り、往きは翼のすぐ近くの席でしたから、
翼の大きさに驚き、こんな重たいのが飛ぶんかいな?!と。
ええ、この頃はすっかり、
新幹線に翼をつけたような大きさの飛行機に慣れており・・、はは。
      


で、フランクフルトまで戻って来ましたら、
どのカウンターも、空港内の店でも、働く人々の年齢層がぐっと幅広く、
体格美醜それぞれ様々で、ちょっとほっと安心したりで・・。
長い待ち時間を飛行機の離到着を眺めて楽しみ、

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朝9時40分に広島空港を出発し、
夜11時40分にヴェネツィアに戻って来たという、
時差7時間を入れてお考えを、長~い一日でした。

◆*◆

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ちょっと強行軍の広島行きでしたが、お陰さまで無事に、
そして大いに楽しんで、元気で帰って来ました。

懐かしい友人達とも会い、大いに笑い喋り、元気の元もしっかり頂き、
泊めて頂いた友人宅では、友人は元より、その御主人たちからも
暖かい心からの歓迎を受け、美味しい物もいっぱい頂き、
タヌキの様なお腹を抱えて戻りました。
皆さん、本当にありがとうございました!!

往きには飛行機の中で本も読み、映画も2本半見ましたが、
戻りには、ただ映画を3本見ただけ。

最後のフランクフルトの待ち時間に、途中でゲートが変更になり、
待ちの椅子でちょっと目をつむっているうちに、
自分でも途中で気がつくほど、ガクッと首が落ちる居眠りに。

フッと気がついて時計を見ましたら、10時12分、
周囲には誰もおらず、・・はは。
搭乗時間は9時55分、出発は10時25分なのです!

すぐカウンターに行きましたら、先客が長く喋っており・・、
でも途中で先に通してくれまして、
機内に入ると、既に皆さん全員着席で・・、ははは。
もう少しで、置いて行かれる所でしたぁ!

更新が遅い時間になりましたが、
今朝より写真整理、記事書きと頑張りましたよってに、
      
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・ n.2 カプリ島 一周にご招待! 

引き続き、有難うございます! カプリ島一周のご案内を続けます。

マリーナ・ピッコラを過ぎてすぐの辺りで、また別の洞窟に。

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入り込み、中でぐるっと回りこむと、別の方に出れるような、

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水の色は、やはり明るいエメラルド色で、名前を覚えておらず。
地図を見ても洞窟はあっちにもこっちにもいっぱいあり!
どれか特定できませんが、船員たちの宿・Grotta Albergo dei Marinaiかと。

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と言うのも、チーロは 恋人たちの浜辺 と説明したのですが、奥に小さな浜が
見えますね、あれがちょっとした避難場所の役をしているのではないか、と。

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崖上に建物が見えるあそこは、トゥラガーラの見晴らし・Belvedere Tragara.

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前日、上の道を散歩がてらやって来て、
3つの岩を見るのに、海への道を中途まで下りましたが、
素晴らしい快晴の午後で、蒼い海が垣間見える道を散歩しながら、
こういう場所も地球上に存在するのだなぁ、としみじみ。

自然の本当に美しい場所に、それを愛でさせて貰うため、人間が知恵とお金を
かけて建物を造っている、という様な、
ちょっと言葉が上手く見つかりませんが、そんなイメージを受けたのでした。

カプリの中心地には一流ブランドの店が立ち並び、お金持ち達の世俗な社交生活、
なんぞとも言われますが、それはそれで、私めには関係のない事でして、

美しい海辺の落ち着いた道をゆっくりと散歩していると、お金をかけているからの良さ、
というのも感じたのですね。

都会の薄汚れた暗さとはまるで違う、自然の美しさを享受している、できている明るさ、
やはり稀有な美しさだと思ったのでした。
       


さて、漸くに3つの岩ファラリオーネ、陸に近い場所からだと、こんな風に
重なって見えるのですが、

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一番左、陸側、テッラ・Terra・陸とも、ステッラ・Stella・星とも、 

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真ん中、メッゾ・Mezzo  ・・そして穴!

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そろそろと近づき、・・通り・抜け・ま・す、

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通り抜けつつ見る、前方、

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通り過ぎて振り返る岩、

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あああ、・・ぐんぐん遠ざかって行きます。

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そうそう、ちなみに一番外側の岩の名は、単純にフオーリ・Fuori・外と。

真ん中の岩の穴を通る前にちらっと記憶がよみがえり、チーロに訊ねたのは、
あの、ドルチェ・エ・ガバーナのCMはここで撮ったの?
あ、そうだよ、ここだよ。 あれ、見たか?!

はい、あのCMは良く覚えてますです、こちらに。
 


こちら南側は一際暖かいのか、崖の上が花盛り。 黄色い花は灯台草ですが、
木か、と思うほど大きく育っているのを前日も見ました。

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光のせいか、白い岩、蒼い海が一層鮮やか。

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そしてもう一つの洞窟に。 大きく口をあけた 白い洞窟・Grotta Bianca. 

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いかにも鍾乳洞で、垂れ下がりも見え、奥の方は水の反射で青く染まり、
そしてパシャッと、まさに滴の直撃をおでこに! 

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島の南東側を進み、


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見えて来たサレルノ半島の先っぽ。
あの先を右に回って行くと、ポジターノからアマルフィに、左に行くとソッレント。

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島の北東部を回りこみ、帰路に。
かなり育った植物が浜の方まで続いている部分があり、石段も見えたので、
奥に人が住んでいるのでしょうね。 

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チーロの言うには、あの上にヴィッラ・ティベーリオ・Villa Tiberioがあると
いうのですが、見に行かずで・・。     

     

突き出した岩、岩。 時に少年漁師の像があったり、カモメ君がいたり。

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もう殆ど、港近く、
  
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ようやっと港に戻って参りましたぁ。 お疲れ様でしたぁ!!

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いやぁ、少々お高いオプションだったのかもしれませんが、それだけの物は見れた、
というのが正直な感想でした。
3つの岩を過ぎた辺りで既に満腹状態、でしたね。

昔、能登半島や島根の青海島で岩壁を見た事がありますが、
凄いけれども暗く、悲壮感さえ感じた記憶が。

それに比べ、ここカプリの岩壁は明るく白く、海の蒼さと相まって一層美しく、
楽しい満足感が残りました。

勿論お天気に恵まれた事もあるでしょうが、やはり南の海、世界に名を知られた
観光地である事の納得も。
チャンスがありましたら、お試しください!

カプリ島で少々ぼられても、それはそれで、話のネタにはなりますけん、ははは。



最後にもう一度、青の洞窟の水の色をどうぞ!

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◆*◆

ブログご訪問、有難うございます!
次の日曜日は復活祭、休暇を取って旅行に出かける方も多いと思うのですが、
・・ええと私も、ちょっと広島に出かけて来ます。

長年のお友達であるお医者様の引退記念会があり、仲間が集まるというので、
では、と急遽決め、19日の午後ヴェネツィア発、24日の未明に戻るという
5日間とはいえ、広島に3泊の強行軍。

19日の午後14時に発ち、フランクフルト~ソウル~と、広島着は20日の夜8時。
旅行時間の長さを、時差も入れて考えてみて下さいませ、
考えただけでヨレヨレになりそう!

でも、あれこれ食べたい喰いたい日本食を考え、頑張って行って来ます。
無事に戻りましたら、25日にブログでご報告を!

皆さま、良い復活祭を!!

回転ずし、赤だし、お吸い物、鰻のかば焼き、肝吸い、お刺身、
鯛茶漬け、ラーメン、メンマ、タケノコの煮物、木の芽あえ、
絹ごし豆腐、揚げだし豆腐、野菜と高野豆腐の煮物、おからの炊いたの、
天麩羅、天丼、味噌漬け魚の焼き物、お好み焼き(広島風大阪風どちらでも)
牡蠣はフライならまだOkかな、カレーライス、キツネうどん・・、
       
・・ん?! この馬鹿は、一体何食するつもりかいな?!

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・ n.1 カプリ島 一周にご招待! 

カプリ島に行った時、少しお高い宿に安く滞在したとお話しましたが、
その時送迎してくれたホテルの運転手カルロが、
カプリ島一周のボートがあるが如何?と持ちかけて来ました。

青の洞窟は勿論、緑の洞窟もあれこれ見て島を一周、約2時間で120エウロと。
こちらは友人と2人旅ですから、一人6月0エウロの計算。
勿論仲間がもう2,3人いれば安くなる訳で、60エウロがお安いとは言えませんが、
2時間かけて島を一周できるというのは魅力で、
まぁ一度経験するのも良いかね、とOKし、翌朝出発の運びに。

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この120エウロというのが高いのか安いのか、ひょっとしてぼられているのか、
と港に値段を見に行くと、島一周の案内図はあるものの値段が書いてなく、
切符売り場で訊ねると、していないとの事。夏のシーズン中はあるのかもですが、
既にあの素晴らしい海の色をちょっぴり見ているので、期待して。

という次第で、本日は皆さんには ロハで! きゃはは、
島一周の様子をご覧頂こうという訳で、船酔いの心配無しに、ごゆっくりどうぞ!!

写真は、我々の乗ったモーターボートと、船頭のチーロ。

で、可笑しかったのは、チーロが我が友人を見た途端に、チャオ!と言い、彼女も。
というのは、待ち合わせの間に浜でスケッチしていた友人に、彼が英語で、
島一周しないかと持ちかけ、そう、カプリの観光客相手の人は皆英語を喋るのです、
彼女がもう予約していると答えたのが、当の相手だった訳、ははは。



これが港の切符売り場に出ていた案内板。

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マリーナ・グランデ・Marina Grandeがナポリやソッレントへの連絡の港で、
水色の線で見えるのが、青の洞窟・Grotta Azzurraへの観光、
ここだけの観光は確か22,5エウロで、

我々はマリーナ・グランデから出発し黄色の線の矢印と逆回りに、
まず青の洞窟に行き、 左上Faro di Punta Carena・プンタ・カレーナの灯台
その下Grotta Verde ・緑の洞窟、Marina Piccola・島の反対側の小さな港、
図にはありませんが、この先でもう一つ洞窟を見て、三つの岩のあるファラリオーニ・
Faraglioni、更に、鍾乳洞式の白い洞窟Grotta Biancaを見て、
ぐるっと島の東側を回って戻った、という行程です。



では、出発! カプリ島、マリーナ・グランデの眺め。

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右の高い山を越えた真ん中に、もひとつの中心地アナカプリ。
今日ご覧頂く写真は、中に少しブレテいるのもありますが、
モーターボート上からですので、ご容赦を。



港を出ると、西に向かい、

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すぐにこんな切り立った崖が始まり、近くを通るので、まさにぐっと見上げる感じ。




カモメ君たちは、どこにでも場所を見つけるのですねぇ。

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こちらが、青の洞窟入り口。
右に見える階段が、陸側からの洞窟へのアプローチですが、
夏の混む時期には、港からの船の観光客優先とか。

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で、ここでちょっと やられた!という思いを味わったのですが、つまり最初の話では
120エウロと言っていたのが、それは船での島一周の値段であって、
ここの入場料は含まれておらず、2人分25エウロと、洞窟へは手漕ぎの小舟でしか
入れないので、洞窟の前で待っていた小舟に乗り換えましたが、
その舟代10エウロ、つまり余分に35エウロ支払ったという事になります。

写真には写っていませんが、この左手に小舟が舫い、その上に男が2人、
まるで銭湯の番台みたいに、ははは、はたまた、地獄の釜の番人みたいに、
こちら向きにイタリア男にしては珍しく少しむっつりとした顔で座り込み、
寒い場所でもありましたが、払うと切符を渡してくれるのですね。

素直な心弱い日本女性2人、ええっ?!と言いつつ払い、チーロが、
じゃあ、行くよ!と洞窟内に繋がる鎖をグイッと引き、我々は寝そべる格好で・・。 



はい、青の洞窟内です。
入り口が狭いので、中は真っ暗、水の蒼さだけが見えます。
余りにも真っ暗過ぎて、カメラのピントが合わず、何枚か写したものの皆ピンボケ、
ブレまして! かろうじて、なんとか見られるのをここに。

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それでも、やはり綺麗!! 暗い洞窟に入り込む光の具合で、
こんな色に見えるのでしょうが、水の透明度も素晴らしく。

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チーロは、最初に言っていた様に洞窟内を2周し、おまけにサーヴィスで、
へったくそな歌も歌ってくれ・・。
でもあの真っ暗の中で皆が黙っていたら、・・やはり怖いね、ははは。 

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青の洞窟を出て、モーターボートに乗り換え、ここは島の北西角を回った当たり。

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岩場というか、崖というか、どこもがかなりの高さ、傾斜で切り絶ち、
その上にかっての要塞跡が見え、

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水深はかなりのもの、水の色が群青。

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崖の上の1本の木。

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こんな崖の景観が、小さい写真では迫力が伝わらないだろうと、少し残念ですが・・。
上に要塞の塔が見え、

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こんな様子。

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島の南西の先っちょ、プンタ・カレーナの灯台。
手前に突出す岩場の奥に浜があり、レストランらしき建物も見えましたが、
夏は海水浴客で賑わうのだとか。

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ここから島の南側になり、

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ちょこっと、一瞬3つの岩の一つが見え・・、おお!  でも、すぐまた隠れて。

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ほら、水が緑色に見える部分が見え、緑の洞窟です。

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近寄り、

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こういう時、船の上で発する言葉、声は、わっ、わっ! とか、わぁ~!のみで・・、

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洞窟の入り口が大きいので、明るい緑なのですね、
それにしても本当に、水が透明。

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水の蒼さが反射して、岩の色もこんな風に!

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おお! 3つの岩が見え、あっ、穴が見えた!と喜びましたら、
チーロが、穴の中を通るよ、と。 うふん。

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前日陸の方から、この岩を見に行ったのですが、あの穴は海からでないと見えず、 
ガイドブックで見るのを、こうして実際に見れたのが素直に嬉しく。



カプリ島の南側の真ん中に位置するマリーナ・ピッコラ。
あの辺り、上からの眺めが素晴らしかった!

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また見て頂きますので、お楽しみに。

という所で、n.2にどうぞ。

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・ アッシジの春 ・ 想い出の中でいつも静謐、端正な 

来週はちょっと出かけ、またお休みを頂くので、義理がたい私めは、はは、
週末も働きまして(仕事じゃないだろがぁ?!)

先日アッシジの写真を眺めていて、まだご覧に入れていないのがたくさん
あるのを拾い出し・・、
皆さんは既に良くご存じであろう有名な場所から少し外れて、ちょっと一味違う
アッシジの春を感じて頂こうと。  ごゆっくりお楽しみ下さい!

写真はどれも3,4年前の、春4,5月の物で、
よくご存じの、サン・フランチェスコ聖堂・Basilica di San Francesco.

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なんとも素晴らしい、ウンブリアの五月晴れ、
アッシジはいつ眺めても、静謐で端正。



正面の大薔薇窓。 どこの薔薇窓よりも素晴らしい! ・・と思います。

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1997年秋にウンブリア一帯を襲った大地震で、サン・フランチェスコ聖堂の
天井の一部が崩れ落ちましたが、即修復にかかり、2年という短期間で蘇りました。
その際、年月の汚れが見えていた正面壁も綺麗に洗われ、
現在はほらご覧の通り、白く輝いています。

考えてみれば、13世紀に建設されたというこの聖堂をほぼ完成当時の姿で、
700年後の我々も眺めている訳で、
イタリアの中世が残る町や村で感じる心の落ち着きを、
とりわけこのアッシジで感じるのも、考えてみれば当然なのかも知れません。



こちらは、フランチェスコが隠棲したカルチェリ・Carceri.
スバシオ山中腹にある小さな教会、修道院。白い鳩が数羽飛び交い・・。

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町の上に聳えるロッカ・Rocca・要塞。

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昔訪れた時は廃墟同様だったのが、見事に修復され、見物出来る様になり、

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内部もこんな感じに。

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昔、薄暗い廃墟の中を恐る恐る覗き込んで見たこの床、
杉綾織り柄の記憶が一瞬にして蘇りました。

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要塞の前庭から見下ろす、町と平野の緑。 かなりの高さでしょう?

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こちらは町の東にある、サンタ・キアーラ聖堂・S.Chiara.
こちらはアッシジ特有の白とピンクの石で縞柄になった、優雅で清楚な形。

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細長く東西に延びるアッシジの町の、西端にサンフランチェスコ聖堂、
そして東にサンタ・キアーラ聖堂と、町を抱き挟む形に。



昔スケッチした家のある坂道、サンタ・クローチェ。 家が綺麗に整備され、
鉢植えの花がたくさんに。

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サント・ステーファノ教会・S.Stefano.

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小さな屋根の上に造られた鐘楼はa vela・船の帆とも呼び、建築用語では
アーケード式鐘楼と言うそうですが、小さな鐘を引き綱で鳴らす、素朴なもの。
ロマネスクからゴシック様式の時代に小さな教会に取り入れられたそうで、
とりわけフランチェスコ会派の教会に、飾らないその素朴さが理由で
建設されたのだそう。

が後の時代になると、大きな建物などにも作られるようになり、
ローマの現在下院議事堂となっているモンテチトーリオ・Montecitorio、
元は16世紀の枢機卿のお屋敷、の正面上にも見かけられます。
             
12~13世紀建設のサント・ステーファノ教会について読んでいて、興味深い事を。
聖フランチェスコが亡くなったのは1226年10月3日ですが、
フランシスコ会派の伝統として、始祖の終焉の日には一日中途切れる事無く、
この小さな鐘が鳴らされるのだそう。
小さな教会で、まだ中も拝見した事はありませんが、次回のチャンスには。

昔スケッチをした時、背後の木をどうにも持て余したものですが、
先日リンクさせて頂いている日本画家の二木さんのブログ「風色明媚」で、
見事に作品に仕上がっているのを拝見。

懐かしくなって、3年前にはこんな風に木が育っていましたよ、と写真をお送りし、
それをチャンスに、久し振りにアッシジの春を見直して楽しんだのでした。



野に咲く清楚な花。

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アッシジの町は山腹に広がりますから、建物の隙間やちょっと開けた所からは、
常に長閑で美しい平野の景色が。

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奥に見えるドゥオーモのある町は、サンタ・マリーア・デッリ・アンジェリ・
A.M.degli Angeli、大きなドゥオーモの中に、フランチェスコが亡くなった
場所と言われるポルツィンコラ・Porzincolaがあります。

と書きつつ、・・まだこの聖堂内に入った事は・・。 反省。

手前に見える鐘楼はサン・ピエトロ教会・S.Pietroのもので、


こちらがサン・ピエトロ教会正面。
サン・フランチェスコ聖堂から坂を下って来ると見えてくる姿で、ドキッとする程の
素晴らしいアプローチで、鐘楼は本堂の後ろについている、珍しい形です。

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アッシジの坂道を上って下って町中を行くと、こんな素晴らしい窓枠飾りの建物が
ジェラート屋になっていたり、

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下の道に接続する階段の奥に見える建物。

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壁に見える1477年の年号。 上には動物の姿らしきものが見え、下に3つ玉。
当時の名のある家系なのでしょうが・・。 

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町の中心に位置するコムーネ広場・Piazza del Comuneの南面に、
アーチになった通り抜け道がありますが、その天井のフレスコ画。
なかなか面白い楽しい図柄でしょう?

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「教皇パウルス4世」 という名と紋章が真ん中にあるので、どなたかな?と。
知らない、という事は全く強いもので、はは、あれこれと分かった事に、我ながら!
  
1555~1559年在位の第223代の教皇様、御年79歳にして選出、
頑固頑迷にして非妥協的、教皇庁の権力強化に努め、イタリアにおける
異端審問を強化、反対の枢機卿までをも投獄、強烈な反ユダヤ主義者で
ローマにゲットーを、
そして、システィーナ礼拝堂のミケランジェロ制作の「最後の審判」に
描かれた裸体に、腰布・braghe をつけさせた・・、
ははは、そうか、この方でしたか。 
で、上塗りした画家は、ミケランジェロの助手の一人だったようですが、
パンツ野郎・Braghettoneとあだ名されたと・・!

なぜこの法皇の紋と名前がアッシジのここにあるか、ですが、
コムーネ広場に面しての、ローマ期のミネルヴァ神殿が教会になっていますが、
この教皇様はここに葬られている、という由来の由。



コムーネ広場に面した建物の2階、窓際でシニョーラが一服中。

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最後は、春の夕暮れ でお終いに。

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700年前から既に巡礼者の集まる都市であり、穏やかなウンブリアの景色に、
常に変わらず、訪れる者をやさしく抱擁してくれる町、アッシジ。

いつもなぜか春の訪問ですが、次回チャンスがありましたら、秋にもね。


◆*◆
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若い頃は大好きで食べたチョコレートなのですが、もう何年も前から殆ど食べず、
買う事もなくなっています。

所が最近、パソコン指南に、はは、私めが教えれる人もいるのですぞ!
行ったタータの家で、彼女がお土産にくれた唐辛子入りチョコレート、
これが、彼女のお勧め通りとても美味しく、長い間口にしなかったのを、
ちょぴリ割っては、しみじみと味わう事に。 う~ん、大人の味ですなぁ。
もう一枚はオレンジ入りで、まだ未開封。そう、長年の禁断の味はちびちびと。

と、先日リモンチェッロのレシピを書きましたが、それが縁で、イタリア語の先生
アンナリーザのご主人お手製のリモンチェッロが届きました。
色は少し薄めですが、こちらも美味しい!
そのうちにレシピを頂く予定ですから、そしたらまたご紹介を。

お家では、彼トーマスがあれこれ手作り酒を並べたり、お客様には彼の手料理が
出るのだそうで、ふ~む、いつもの感想ながら、世の中の男性も色々ですねぇ!

復活祭もそろそろ近づく時期、少しはのんびりの気持ちも、良いですよね?!

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・ コルマール ・ フランスはアルザス地方の

今日のご案内はフランスはアルザス地方の、中世・ルネッサンス期の
家がしっかり残った、可愛いロマンティックな町、として有名な、
コルマール・Colmarです。

と言っても私が行ったのでなく、kazuさんに写真提供をお願いし、
かねてより一度行ってみたいもの、と念願している町のご案内を。

写真はコルマールの有名な観光名所、
プティ・ヴェニスと呼ばれる運河沿いの一郭。

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例によってご親切に、たくさんの案内や想い出を書いて頂いたので、
それは嘘で~す! と、またバラしてやりましたぞ、ははは、
shinkaiが及ばずながら少しばかり調べた事を添えて纏めますが、
もし違っていたら、お教え下さるようお願いいたします。
いつかは行くぞ!と思っていますので、同様の方は是非参考に。



コルマールはどこにあるか、ですが、
フランスの北東域、ドイツ、スイス国境に近く、赤い印のパリからだと、
ストラスブールで乗り換え、約70k南に位置し、5時間前後で到着。

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街の中心地図をどうぞ。
人口は6万5千人を越えるかなりの市街ですが、
ここではほんの中心の旧市街のみのご案内を。

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少し見難い地図で申し訳ないですが、これより北に
国鉄駅やバス駅があり、赤い四角印がインフォメーション、
その向かいにウンターリンデン博術館・Musee Unterlinden
右下にサン・マルタン聖堂・Collégiale St-Martin
そしてマルシャン通り・Rue des Marchendes
この辺りに有名な木組み剥きだしの家が並ぶようで、
そこから南に行くと、運河沿いのプティ・ヴェニスとなる様子。
       

地図での歩き順とは異なりますが、まずは木組みの家々の眺めを。
色もさまざま、窓には花が色を添えます。

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コルマールの中心に中世からの旧市街がそのまま残ったのは、
まさに第二次大戦の激戦の戦禍を逃れた幸運からなのだそう。
そして中世において、1階の床面積の広さから税金が定められたので、
上の階が飛び出す形になっているのだとか。



プフィスタの家・Maison Pfister
16世紀建設の家で、名前の付いているプフィスタは
後の所有者の名前、現在1階は酒屋さんに。

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木組みの張り出しや出窓も美しいですが、装飾画まで!



木組みの家の壁の部分。 こうして見ると、木の部分から
壁の地がかなりはみ出ているのが分かりますね。

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仕立て屋の家。 角の看板の人物像が面白いですが、
手に持っているのは物差しでしょうか?

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右下の壁には、1419とあるそうで、窓枠部分や
円柱の形の木に彫られた飾りが素晴らしい!



こちらも木組み、3階部分が張り出しの家。

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狭い旧市街を行く観光バス。 これはイタリアでなぜか汽車ポッポの
形が多く、 ・・行けた暁には、勿論乗るぞ!

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タイルの屋根が可愛い、旧税関の家。
小塔の下の窓が斜めに切られているのに、目の錯覚かと眺め、
暫く考えて納得、塔の中はらせん階段ですね、きっと。
   
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「税関」があるのは、中世から自由都市だった由来と思うのですが、
運河を使い、物資の運搬も船に依っていたのでしょう。
              
旧市街のマルシャン通りから来て、大通り・Grand'rueを渡り
この旧税関の建物をくぐると、運河沿いに出る、
と書いてあるのも見つけました。

と、こうしてあちこち読みかじりながら、行った事のない町、
また実際に行っていても地理が飲み込めていない町が、
そう、ガイドに連れられて歩く町の地理は覚えてませんものね、
徐々に頭の中に組み立てられて行きます。

これがちょっぴり面倒ではあってもとても楽しく、
なんとかブログを続けて行く理由の一つかも、です。
なのでぇ、自分の足で歩ける位の大きさの町が、
シンプルな頭の持ち主には、分かりやすくて好きなのかも! 
     


では、いよいよ運河沿いの眺めをどうぞ。
プティ・ヴェニス地区・プティット・ヴニーズ・Petitte Venice
と呼ばれる地域です。

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小舟による周遊もあるようで、

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最初の写真、眺めの美しい場所からをもう一度どうぞ。

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仕立て屋の家と同様に、美しい窓枠の飾りがあり、

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でも何やら恐ろしい事に、はは、家が傾いていません?!



真ん中に見える緑の壁は、どうやらホテル。
    
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小さいヴェニス と呼ばれるそうですが、運河は1本。
その支流が中心地区を通りますが、かなりの部分が暗渠。

ヴェネツィアのイメージというよりも、もっと別物で、
中世からの木組みの建物が数多く残る、しっとりとしたドイツ風趣の
素敵な町、と言った方が良いと思いますがぁ。



さて、こちらはコルマールの魅力の1つ、ウンターリンデン博術館。

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かってのドメニコ会派の修道院が美術館になっているそうで、
こちらが中庭。

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ウンターリンデン、と響きのよい名の意は、リンデンの樹の下で。
ではリンデンの木はと調べましたら、シナノキの種で、
これは春に香りのよい小さな花がたくさん開く木。
素敵な名前の博術館なのでした。



中世からルネッサンスにかけての絵画や彫刻工芸品を主に、
マティスやピカソも収蔵していますが、中でも有名なのが、
マティアス・グリューネヴァルト・Mathias Grunewaldの
イーゼンハイムの祭壇画。

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かっては、コルマールの南20k程にあるイーゼンハイム・Issenheimの
修道院の礼拝堂にあった、観音開き、全11画面による祭壇画。

サイトから拝借の写真で、
かって平日に祭壇画を閉じた時、常に見えていた筈の、
なんとも凄惨な キリスト磔刑図。
身も指もよじれる悲しみ、苦しみ。 宗教画の最高傑作の1枚と。

マティアス・グリューネヴァルト、と知られるこの画家の本名は、
マティス・ゴートハルト・ナイトハルト・Mathis Gothart Neithart
というそうで、本名が証明されたのも20世紀に入ってからだそう。
1470年から75年頃生まれ、マインツ大司教の宮廷画家の時代もあり、
この祭壇画は1511年から15年にかけて制作されたもの、
が、のちのドイツ農民戦争時にルター派に加担した事から解職。
以後は筆を執ることなく1528年にペストの為死亡。

長い間忘れさられた画家の名が再評価されたのは、19世紀末になって。
時代的には、ドイツ・ルネッサンスの巨匠とされるA.デューラーと
同じですが、作風はゴシック末期のもの。

と、多分美術館の南東側すぐ近くと思うのですが、
ドメニコ教会・Eglise des Dominicainsの祭壇画
ショーンガウアー・Schongauer「薔薇の茂みの聖母」も、是非1度!



さてこちらは、旧税関前にあるレストランの看板で、
ミシュランの1つ星だそう!

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で、上のレストランではないと思うのですが、お昼の一皿。
シュークルートと、白ワインで煮込んだ豚肉マスタード添えで、
ジャガイモがごろん。

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イタリアに劣らず田舎風で、でも美味しそうですねぇ!

そうそう、肝心な事を書き忘れる所。
ここコルマールは「アルザスワイン街道」の中途に位置する
美味しいワインでも有名な土地。これも是非ご賞味を!

料理に限らず、如何にもドイツ色が濃いと思われるこの街は、
地理的に国境に近いというだけでなく、

元々はドイツ圏であったコルマールの街とアルザス地方が、
17世紀後半にフランスに割譲、 19世紀の普仏戦争に
敗北の後ドイツに、 20世紀初頭に再びフランス領に、 
第二次大戦の初めにフランスがドイツに降伏後はドイツに、
漸くに1945年にフランスに、と
何度も2ヶ国間を行ったり来たりの変遷を辿りました。

アルフォンス・ドーデーの「最後の授業」に描かれた場面は、
19世紀の普仏戦争の敗北による、
明日からはドイツ語しか教えてはいけない事になった、という、
島国で育った昔の純な心には、重たく響いたお話でしたが、
まさにそうして2国間の狭間で生きて来た街なのでした。
    
   
           
最後は、新しいマーケットの様子を。
プリッツェルでしたっけ、この形のパンというかお菓子は。

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オーヴン・トースターに火が入っている所を見ると、
どうやら温めて食べさせて貰えるようですが、
はは、ケチャップの入れ物も計算機も見えますねぇ!



全体にドイツ風のイメージが強い気がしますが、
とはいえ、そこは食に拘るおふら~んす、
さすがチーズの種類はたくさんあって美味しそう!!

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豆類と思いますが、右の1番手前は岩塩ではないかな?!

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私には目の毒の、お寿司のパックも市場に!

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街郊外には多数の日本企業が進出していて、日本人住民もかなり、
との事で、いやぁ、このお寿司はイタリアのスーパーより美味しそう!
それにしてもオリーヴの隣、というのがねぇ、ははは。

という事で、フランス特集、はは、をこれでひとまずお終いに。
kazuさん、有難うございました!
 
   
◆*◆
夏の様な暑さの日が続いていましたが、一転し、
すっかり平常の春の肌寒さに戻り、
PCの前に座る時には、この寒がりは膝かけを。

それでも木々の緑はいっぺんに膨らみ、隙間が殆ど
見えなくなり、柔らかな、美味しそうな薄緑で、
葡萄畑の畝にも、明るい緑がぼわっと続きます。

やはり良い季節! 新しい芽吹きが蘇るこの季節です。


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・ n.2 モナコ公国  ほんのちょっぴり、駆けめぐり 

引き続き有難うございます!
モナコ公国駆け巡り のご案内を続けます。

植物公園も断崖上に海に突出す形で、すぐ近くにまで
カモメ君がやって来ます。

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下嘴にピッと赤い色がついている種と、そうでないのと。
時に首をかしげて、こちらを見つめるのもいて。

お天気であれば、奥に見える海ももっともっと青い
紺碧海岸のモナコですが。



あの西に見える岩山は既にモナコではなく、フランス領。
確か、中程右に見える黄色いクレーンの辺りまでがモナコだと。

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そうそう、モナコとモンテカルロを混同しがちですが、
国名はモナコ公国・Principauté de Monaco(仏語)
で都市国家、立憲君主国。

モンテカルロ・Monte-Carloというのはモナコ国内の4つに
分かれる内の1つの地区を指し、
まぁ、一番賑やかで有名な地域で、東側に位置します。

国の総面積は2平方キロメートル未満、人口3万3千人弱。
国の独立は13世紀に溯りますが、世界で2番目に小さな国、
何度も主権を危うくする変遷を経て、19世紀後半に回復。
      
現君主は、グリマルディ家アルベルト(アルベール)2世50歳、
漸くに近々の婚礼がお決まりの様子で、おめでたい事です。
グレース王妃のお子さんのうち、彼のみが母上のあの麗しい目を継ぎ、
TVでお見かけするだけですが、磊落そうで。
       
この国が有名なのは、カジノやF1ラリーもですが、
個人居住者に対して所得税が課せられない事。

その代わり、家賃や土地資産がべらぼうに高い訳ですが、
富裕な外国人たちが多く住み、一般市民はすぐお隣のフランスに
居住し、働きに通って来るのだとか。
またタックスへイヴンの国、とも言われているようですが、
経済には大変疎いので、これについては乞うご容赦。



海洋博物館そして植物公園と、道を隔てたお向かいの裁判所。
古い建物に見えますが、古い様式に従って建設されたのだとか。

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で、裁判所の前の道路脇に駐車していたこの車、
弁護士か裁判官さま用駐車許可のワッペンがついていましたが、

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タイヤ・ホイールにも、車のマークが嵌め込まれていてぇ、
モナコではぁ、流石ぁ、弁護士様もお高いスポーツ車で、
あの狭いカーヴだらけの道をぶっ飛ばすんでやんすねぇ!



ナンバー・プレート横の王冠は、なんだべ?

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法廷の横にはドゥオーモ。 こちらも古い様式の新しい建物。

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内部はこんな様子。

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古いテンペラ画の素晴らしいのも、何点か。

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こちらが、グレース王妃のお墓なのですが、

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我ら女性陣がいささか呆れた事に、手前のバラは造花で、
奥の薔薇は萎れかけておりました。
幾らなんでも、造花はないよねぇ、
花を新しく次々替えられない程に貧乏ではあるまいし! と。



宮殿前広場に着いた時は、パラついていた雨が激しくなり、
高い場所にあるとて風もひどく、傘がめくれる程。
旗が出ていないので、この日はアルベルト公は宮殿におられず、

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入り口脇の衛兵も、どこか玩具の兵隊さん風で、

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宮殿向かい側の美しい建物も、どこもかしこも綺麗過ぎ、

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それでもと、広場の端から港を見下ろして説明を聞きました。

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プールが見えますが、毎年5月に開催のF1グランプリは、
あのプールの横が出発ゴールで、
アーチになった坂道を上り、丘の一番右端に見える
丸屋根と鐘楼が霞んでいる所から曲がり、も少し上まで、
そしてあのアーチの下のトンネルを通って戻って来る、
狭い市街の3Kちょっとの行程を70周だったかするのですと!

桟敷席の取り付けや済んだ後の片付けに前後3ヶ月以上かかり、
あのF1の物凄い騒音には、皆さん耳栓を着用とか。
それでも世界中の上流のお金持ちたちが集まり、
F1の後はカンヌ映画祭と、近くなので便利だとか、はぁ。



漸くに見物から解放され!、雨の中を駐車場に戻ります。
通った古い市街が中々良い雰囲気だったのが、
雨が激しく風が強く寒く、写真どころではなかったですが、
今となるとちょっと残念。

懸念した通り、雨の市街地を抜けるのに停滞続き、

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それでもプール横では、F1レース・カーの停止位置を写し、

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イタリアン・レストランやら、

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お高い車ばかりが並ぶショー・ウインドウや、

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エノーテカ、グルマン・ショップも見つつ、

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漸くに市街地を抜けるトンネルに入り、我らは直進、
一路南仏プロヴァンスに向かいましたが、

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この後もの凄い豪雨の中を走る事になり、
滝のように崖から流れ出る水、水浸しの畑も見、
そう、死者も多く出た豪雨だった事を翌日知ったのでした。


◆*◆
昨年、エアコンの室外機の中、角の部分に蜂が巣を作り、
気がついて格闘する事3日間、漸くに巣が落ちた時に
その大きさを見てぎょっとしたのでしたが、

先日窓の外をふら~っと蜂が飛ぶのに気がつき、
ふっと見ると、寝室の窓の桟に小さな小さな巣。
幸い蜂も1匹だったので、叩き落とし巣も始末。
で翌々日、気がつくとまた同じ場所に小さな巣!
きゃぁぁ、またやぁ! と
再度蜂を退治し巣も始末し、近くの窓桟にも、室外機にも
殺虫剤スプレーを吹きかけ、予防対策を。

田舎に住んでいると、こういう事が時に起こります。
ベランダに朝、細い蛇が顔を出していた事もありますし、
大きなガマ君が自分の家の様な顔をしていたり、
蟻たちが時に列を作って続いたり・・、

でも、ゴキブリ君は北イタリアにはいません!
それだけは良しと致しましょう。


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・ n.1 モナコ公国  ほんのちょっぴり、駆けめぐり

昨年の初夏、プロヴァンスにグループで行った時は、
我が町コネリアーノからのバス旅行でした。
       
フランスへの道 ・ 689キロの道のり
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461109871.html

朝5時に出発、休憩やお昼を挟み正午過ぎに国境を越え、
午後2時頃モナコ・Monacoに到着、

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フランス人ガイドと落ち合い、街の中心をちょっぴり歩きましたが、
今日はその様子をご覧下さいね。

モナコ公国なんぞは、私めには生涯縁の無いお金持ち用の国で、
こういうチャンスでないと足を踏み入れる事もないでしょうし、
その意味では、見れて良かったと思っています。
       
写真の数はいつも通りの数ですが、はは、見せたがり屋でして、
ほんの軽い説明で、お気軽にご覧下さいね。

上と次の写真は、高速道路からモナコが見えた時。
やはり一種独特の美で、バスの中で皆が わぁ!と声を上げ、
立ち上がって眺めました。
この日は朝からの曇り空で、それが少し残念でしたが。

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高速から出て、市内に。

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モナコ公国一番の中心部。
手前の城壁に張り出している部分が王宮で、
奥に見える白い大きな建物が、モナコ海洋博物館。

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素晴らしい色のブーゲンビリアが咲き誇り、

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狭い街中の道に入り、見上げる建物群。

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港には、豪華ヨットがずらっと並び、クルーズ船も見え、

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上から見えた城壁の下に辿り着き、ここからぐるっと回り中心に。

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港の眺め。 何を見ても、何やら映画のシーンの様で。
港の向こう真ん中下部分、アーチの坂道が見えますが、
ほら、あそこがF1のモナコ・グランプリで走り回る道。

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地下の駐車場にバスが入り、エレベーターで上に、
そして少し歩いて着いたのが、上から眺めた海洋博物館前。
窓の上に船の舳先が飛び出した飾りが、分かりますか?

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入り口。 真ん中に見える男性は、ジャック・クストー・
Jacques-Yves Cousteau.
右に切れて見えるのが、現在のモナコ君首アルベルト2世。

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実は左にはアルベルト2世の祖父、アルベルト1世の写真があり、
そこには1910年とあり、どうやら100周年記念だったよう。

この入り口前でガイドが長々と説明したのが、
モナコ公国の成り立ちやら、海洋博物館にかける2人の情熱、
つまり祖父は海軍出身の海の冒険家で、その関係もあってでしょう、
海洋学者であるジャック・クストーがこの博物館の館長をも務め、
盛りたてた様子で、祖父と孫は大変良く似た性格なのだとか、云々。

フランス語訛りのイタリア語の説明で、あまり関心の無い話題で
殆ど覚えておりませんで、・・すんまへん、お終い!
    

   
入り口にモナコ公国の紋章が見え、蛸の足が絡んだり、クラゲが浮いたり、
横には魚も見え、内部の水族館を見れた方が面白かったかも。

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入り口脇に、懐かしい方の写真が。
麗しのグレース王妃に、ご説明申し上げているジャック・クストー。
こちら手前は、レーニエ公。 

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市内観光のバスが回って来て、この形はモダンですねぇ。

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我々は隣接の植物園に連れて行かれ、

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世界中から祖父殿が収集の、珍しい植物などを拝見させられ。

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そうそう、日本の鯉がいるという小さな池がありましたが、
網が被せてあって見えないのですね。
なぜというと、カモメが来てさらってしまうのですって!      



まぁ、私には珍しいサボテン等よりも、

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こんな眺めの方が。埋め立てられて造られた居住区だそうですが、
屋上の緑が見えるかな?

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モナコはどんどん新しくなり、いつもどこかが工事中で、
狭い土地の大活用という事で屋上に庭園を造り、
緑の面積は大変広く、どこやらの2倍とかガイド嬢が自慢して
おりましたが、車とヨットの数の比較は、どうなんだろ?!

という所で、今回は終わりにし、n.2に、お進み願います。


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・ n.2 セナンク修道院 ・ 南フランス、プロヴァンス 

引き続いてのご訪問、有難うございます!
南仏プロヴァンス、セナンク修道院のご案内を続けます。
   
いよいよ建物内部のご案内ですが、
ここはn.1で覧いただいた修道院全体の写真の右側2階部
に当たる、かっての修道士たちの寝室部分。

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そう、当時は修道士たちの個室はなく、一緒に寝起きの生活で、
長さ30mにもわたる大きな部屋で、アーチ天井は建物東側の
教会に繋がる翼の部分で、建設は1170年。

こちら側の後ろ上部に薔薇窓がありますが、この向きは東の教会側。
壁の厚さは、なんと1m30cm以上あるそう。

奥に扉が見えますが、かってここには石の階段があり、
多分革命時に盗まれたのだそうで、現在は木の階段で、
修道士達が寝室から直接に、時梼の為に教会に
行けるように使われていたと。



これは、窓際の元のままの床の部分で、
凹んで見える部分は、かっての寝台のあった跡。 

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壁に残る、石切り職人の印。
つまり、石を切り出した職人たちが手間賃を貰うため、
自分の切った石の数を明確にするために記したのだそうで、
100ほどもの印が壁に残るそう。

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これは、かっての物差し。 長さに従っての呼び名が書かれ、
日本でも丈とか尋とかいいますね、あれと同じと思います。

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教会東側の翼の部分。 かっての寝室から、
木の階段で下りてきた場所。

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天井アーチの横上に見えるちょっと変わった形、
貝殻の様な形、Trombaと書いてあるのですが、
クーポラを支える以外の働きの意味が良く分からず。
ひょっとして、反響を上げる為?
       
左下奥に、三角形の屋根の形の祠が見えるのは、
シトー派内のどなたかのお墓。



教会のガラスは、1994年に入れられた物だそうですが、
ガラス吹きの技術は古い技術に従っているそう。

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内陣部分。
教会はラテン十字形の3廊式で、ご覧の通り素朴で骨太で、
重量感ある薄暗い空間が大変心地良い物でした。

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戻って後ガイドブックを読むと、合唱席などにも
見るべきものがあった様なのですが、
残念、ガイドの説明を聞きながらの写真撮りに忙しく。



中庭と回廊部分。 アーチの形は、全て半円アーチ。

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教会に接する回廊の壁には2か所、彫り込んで箪笥を入れてあり、
聖書や各種の精神の高い本が入れてあったのだそう。



外の空気に触れつつ回廊を歩きながら、修道士たちが
静かな瞑想に浸る場所でもあり、
少し外れた横の小路では、ちょっとのお喋りも許されたとか。
少し新しいイメージも受けたのは、2002年に修復がされたばかりと。

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こんな古い石の鉢も。

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回廊に沿って、2階のかっての寝室の下に2つの部屋があり、
1つはこの筆写のための部屋で、

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台所以外に、修道院唯一の暖炉のあった部屋。
寒い冬の日、修道士たちは唯一暖かいこの部屋に集まり、
仕事をし筆写をしたという、かなり大きな部屋。
  


壁に残る扉。
小さな狭い扉と、壁の厚みにいつも驚きます。

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こちらはそのお隣の、カピートロの部屋・Sala di Capitolo.

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カピートロというのは「章」を現わしますが、
まさにこの部屋で毎朝、聖ベネデットの定めた会則が
1章づつ読み上げられたのですね。

朝のお祈りが済むと、毎朝修道士全員がこの部屋に集まり、
長老の見守る中で、会則が読まれ、殉教録、過去帳と続き、
そして世俗の集会と違って、静かな落ち着いた空気の中で、
修道院の問題、修道士の問題を話すのだそう。



部屋には3段の階段を下って入るようになっていて、
ご覧の様に天井も低く、他のどの場所よりも音響効果が良いそうで、
低い声で話しても、よく聞こえると。

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ガイドが付け加えた説明では、
ですが、新入りは話す事が許されなかったのだとか。

そして修道士が亡くなると、その遺骸が仲間の見守る元に
この部屋に置かれ、葬られるのを待つのだそう。



カピートロの部屋の窓から見える中庭、部屋の低さが分かります。

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部屋入り口の真ん前にあるタラスク・Tarasqueの像。

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タラスクというのは、硬い甲羅に鋭い背鰭とヤマネコの上半身、
6本の肢とドラゴンの体を具え、獰猛で、人を喰らい、
特に子供を好んだという伝説上の怪物ですが、
聖女マルタによって祈りと聖水によって捕えられた、という物。

ですが、なぜここにあるのか聞きましたが、忘れましたぁ!
確か、お守りの意味だったと。      



出口の横にある売店。 ガイドブック、宗教関係の本、カレンダー、
絵葉書、ラヴェンダーの石鹸、ポプリ、なんでもあり、
会計口が2つもあって、良く繁盛しておりましたです。

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再度ラヴェンダー畑の薄い藤色を睨みつつ、

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修道院に別れを告げたのでした。

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一番の花盛りにはこんな感じ、という雑誌の表紙で、今日はお終いに。
 
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蛇足ながら・・、
こんな女性が実際にいるとは、よもや思われますまいね?
ああた、ここは修道院ですぞ、修道院。

トスカーナはオルチャの谷の
サンタンティモ修道院再訪 ・ Abbazia di Sant'Antimo n.1 
http://www.italiashiho.site/archives/20170414-1.html

サンタンティモ修道院再訪 ・ Abbazia di Sant'Antimo n.2
http://www.italiashiho.site/archives/20170415-1.html


n.1にもちょっと書きましたが、
現代社会のせわしなさ、人間関係に疲れた人、
様々な疑問を抱えた人々がちょっと振り返りたくなった時、
何日かを修道院で過ごす、というのが静かな流れとしてあると。

受け入れてくれる修道院もいくつかあり、
その日課に従い、祈りと単純労働で過ごすのだそう。
そうですね、都会の喧騒から離れ、空気の美味しい
静かな緑の中で過ごし、自分を見つめる、
人間はそれだけでも、元気になれるのかもですね。
  
     
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・ n.1 セナンク修道院 ・ 南フランス、プロヴァンス

ラヴェンダーの花咲き誇る畑の向こうに、中世の修道院。
こんな写真をご覧になった方はたくさんおいでと思いますが、
今日は南仏プロヴァンスにある、このセナンク修道院・
Abbaye de Sénanqueにご案内を。

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ですが、ラヴェンダー咲き誇るこの写真はガイドブックからで、
昨年初夏に訪問した時は、残念、ここまで咲いておりませんでした。



セナンク修道院はどこにあるか、地図をどうぞ!
南仏プロヴァンスのご案内も、こうして地図につけた印を見ると、
とぎれとぎれながらかなり消化致しましたね、エライエライ! 
はい、時には自分で景気をつけませんと、はは。

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ちょうど真ん中の上にゴルド・Gordesが見えますが、Avignoneの東に、
その上に赤い■に赤字で「Senanque」と入れた所、山の中に。
ゴルドの町も素晴らしく、絵になる珠玉の町で、
近日中にご案内をと考えていますので、お楽しみに!



ゴルド手前から山道を辿ってどんどん上り、岩だらけの山を見晴らし、

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石造りの家を眺めつつ、

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漸くに、「セナンク修道院 こっち」という矢印を見つけ、
なに、グループ旅行のバスの運転手君が坂道を辿ってくれるのですが、

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ちょっと下り坂になり、こんな奥にも素敵な家が見え、

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わぁ、谷底に修道院が見えました! 建物の構成がしっかり分かり、

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谷の奥に、ラヴェンダー畑が広がるのも見え、

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ゆるゆると坂道を下り、大きな駐車場に。 定時の時間より早めにつき、
近くで暫し時間をつぶします。 周囲には林が広がり、

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来る道でもたくさん咲いていた黄色い清楚な花も見え、
名前を教えて貰ったんだけどなぁ、

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なんという雑木なのか、露が宿ってとても美しい細い細いピンクなど、

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境の石塀が邪魔ですが、精一杯背伸びして。

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入り口に向かいながら見るラヴェンダー畑。
ほんのささやかに、薄い藤色がもやう程度。

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昨春は春が寒く、この修道院の有名なラヴェンダーは満開に3週間程
早いと到着前に聞かされ、グループの皆さんはがっかりでしたが、
余り予習期待なしのShinkai は、あ、そうなの?! ははは。



古い石造りの重厚な修道院の建物。 四角い鐘楼の下の丸い屋根2つ。
ここは教会の身廊が向こう側に、後陣のふくらみがこちら、
そして左右に翼が延びる中心部は、塔の屋根の形は八角形に。

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屋根は石の板瓦葺で、年代を経た様子が良く見えますが、
何の固定剤も使われていないと。

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入り口に向かいながら。
谷底の細長い平地に、この修道院がある事が良く分かりますね。

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手前側に延びる、新しく19世紀に建設された部分と、



入り口。

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ここでちょっぴり修道院の歴史を。
分かっている様な、そのくせ実際には良く知らない修道院の実態ですが、
理解しやすく書かれたのを見つけましたので、それを要約しますね。

イタリア、ウンブリアはノルチャ出身のサン・ベネデット・S.Benedettoが
5~6世紀にかけ、西洋における最初の実践的な修道院活動を、
ローマの南にあるスビーアコ・Sbiacoで行い始め、
「ora e lavoro 祈りと労働」すなわち自給自足を基本とし
次第に大きな広がりを持ちます。

修道院制の起こりは、それ以前に既にエジプトや中近東に於いて
行われていた様ですが、西洋においてはこの聖ベネデットが
会則を定め、初めて実践し始めたと言われます。

で、その会則の主なものはと言いますと、
・最初に入った修道院に定住する
・修道院長、長上への心からの服従
・厳格且つ過酷でない生活の保障・1日2回の食事(2皿)と寝具
・更正のための戒規
・全員肉体労働従事と労働の公平
・規則的な祈り・朝課、賛課、一時課、三時課、六時課、九時課、終課
 これらの聖務日課(時祷)では詩篇の朗唱と聖書の朗読
 
という事で、自給自足の生活のゆえに、農業、土木大工仕事、
薬草、医療にも通じ、聖書の理解、書物の書写を始め学問に励み、
最初はとりわけ奨励した訳ではないものの、
修道院が次第に教育学問の中心地となり、

また、土地の開墾、寄進にもよる所有農地が広大なものとなり、
そこからの豊かな収入により、次第に最初の厳しい会則も無視され、
聖職界における地位争奪にも加わるようになって行きます。

一方909年にフランス、ブルゴーニュのクリュニー・Culunyに
やはりベネデット会派の会則に従う修道院ができ、
優れた院長の指導の元、約2世紀間に渡り大きな発展を遂げ、
最盛期には管轄下の修道院が1200、修道士も2万人という繫盛ぶり。
となると、厳しい元の会則に従っていた改革も変化します。

土地財産の寄進も増え、修道院は莫大な富を持ち、
礼拝堂は美々しく飾りつけられ、宗教儀式も壮麗となり、
もはや修道士たちは自給する為の労働も必要が無くなり、
ベネデットの会則はあってなきがごとし、に様変わり。

こうしたクリュニー派自体の中から、1098年に改革を目指す派が
出ますが、これがシトー派で、この会派が大きく発展したのは
1115年にクレルヴォー修道院長となったベルナールの働きに寄り、
ヨーロッパ全体に大きな影響力を持つまでになったと言います。

こうした修道院制を持ったのは、他にもドメニコ派、フランチェスコ派、
イエズス派とありますが、
この修道院制が覆ったのがフランスの場合フランス革命であり、
またナポレオンがイタリアの修道院も破壊解放したのですね。

それが19世紀後半になり、再び各地の修道院が再建され始め、
現在に至っている、という経過です。

聖ベネデットがスビーアコに創設した修道院について、
修道士たちの生活状態についても cucciolaさんがこちらに詳しく。
http://blog.livedoor.jp/cucciola1007/archives/764907.html



これがセナンク修道院発展の様子。
この修道院が建設されたのは1148年で、
マザン修道院、フランスのどこと地名も書いてあるのですが、
見当がつかずにこれのみでお許しを、
マザンから来た12名程の修道士たちが建設に当たったと。

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1番左の図が13世紀の様子で、約1世紀を経て
ここまで大きくなったのが分かります。
真ん中赤の部分は17世紀に改修され大きくなった部分、
右の黄色の建物が19世紀に新設された物。

生活に欠く事のできない水流が、建物内に取りいれられているのが
見えますが、左側に、このセナンクの地は、森に囲まれ孤立した土地で、
修道院建設にうってつけの石材があり、
石灰も、鉄を作る鉱石も豊富な土地でもあったと。

勿論、近くのカヴァイヨン・Cavaillonの司教、ゴルド・Gordesの
領主シミアーヌ・Simianeの後押しもあり、
書類には残っていない物の、シトー派を盛りたてた
ベルナールの影響も見られるとの事。
       


現在の修道院内の様子。 これはガイドブックから。

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上記したように、シトー派自体の繁栄衰退の歴史、フランス革命の
破壊という変遷を経て、現在再び「祈りと労働」という修道院生活が
850年以上に渡り続けられている訳ですが、
       
写真の様な場面は、どの修道院でも見学者には解放されておらず、
建物内部の幾らかと、彼らの労働の産物である薬草入りの品々、
クリーム類から飲み物までや、印刷物、スーヴェニール類等が
売店で買える、という様子です。



内部に入り、まず修道院の歴史について説明を受け、その後、教会内部や
幾つかの部屋を見学しましたが、これはその部屋からの眺め、

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案内を受けた部屋にあった彫像。

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シトー派は豪華絢爛のクリュニー派から分かれた質素を旨とし、
彫刻や美術による教示に反対、との事でしたが、
その意味からか、フランス革命時の破壊によるものなのか、
他の彫像類は教会内でも見なかった気がします。

部屋の隅にあった図に示される、各修道院の繋がり、
統率関係の偉大なピラミッド図に、一同感嘆の声!
とりわけ一番下方に、我がコネリアーノ近くのシトー派修道院の
ファッリーナのサンタ・マリーア修道院の名を見つけた時はね!!

フォッリーナ ・ 中世の修道院と町
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462217673.html

という所で内部の見学に移り、n,2にお進み願います。
      
地味な内容ですが、物が溢れ最新技術が先行する現代では、
逆にこうした単純素朴な修道院生活に憧れる向きがあるのだとか。
その意味でも、ちょっと内部も覗いて見て下さいね。
    
          
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・ カプリ島の海と空と ・ 朝と夕暮れ 

今日はカプリ島の朝と夕暮れの風景をご覧下さいね。

ナポリの港から出発の朝は曇り空でしたが、水中翼船で40分16エウロ、
カプリに到着、ホテルに荷を置いて中心街に出かけ、
お昼を食べてからの午後は、大変良いお天気になりました。

島の南東にある、素晴らしい眺望のトゥラガーラ・Tragaraへの長閑な散歩も
ゆっくりと楽しみ、海の色の凄さ、眺めの素晴らしさ、空気の穏やかさに感嘆!

ですがそれらはまたご覧頂く事にして、まずは写真の整理が済んだ、
カプリ島の朝の海の色、そして夕暮れの色をお楽しみ下さい。

これは2日目の朝、高台のホテルから港へ下る道から。
お天気の良い、爽やかな空気の朝。

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奥に見える影は、ナポリ湾に突出すソッレント半島で、右側から少し濃く見える
突き出しの、2つ目の入り込んだ所にソッレント・ソレント・Sorrentoが。
ここも民謡に唄われる通りの素晴らしい町で、またご案内を。



高台に位置するホテル近くから、港に石段を下る近道があり、その脇にあった
家庭菜園のレモンの木。
朝日が強すぎて光ってしまいましが、たわわに重く垂れさがり。

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そして、この海の色!
エメラルド色の川とか湖は、北イタリアでも何度か見ましたが、
海のこの色は生涯初めてで、やはり感激!!

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浜を行くカモメのカップル。
いや、カモメを写したのではなく、水の透明さをね。 彼らは、点景です、点景。

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港に近づくと、素晴らしい海の色が見えて来ます。
天候により、やはりまるで色が違って見えます。

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「青の洞窟」見物に出かけていく舟。
カモメが飛び交い付いて行きますが、漁船じゃないってば。

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港脇の狭い広場の、車でごった返す中を、朝の散歩の2人が行きます。

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港前通りの家々。 面白いと思ったのは、外階段が各家に繋がっていて、
窓枠や扉の色も、やはり南のイメージですねぇ。

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昔見たソフィア・ローレンとクラーク・ゲーブル主演の映画「ナポリ湾」では、
ここカプリの港が如何にも古い小さな漁港という印象が強く残っていたのですが、
今見る港近くの風景は、すっかり観光地化して小奇麗で・・。



客待ちのバール、外のテーブルと椅子。

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港の突堤。 到着した人、出かけて行く人。

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これ、分かります? ナポリから日本人観光客が到着し、整然と即小船に
乗り込み、青の洞窟見物に出かけていくのですが、
後ろに小舟を、洞窟内には小舟でしか入れないので、曳いて行く様子です。

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これは一艘だけですが、朝の早い内に出かける船は、何艘も小舟を引き連れ、
まるで金魚のウ○チみたいで・・、失礼!
また、長いウ○○を見て頂きますね、ははは。

それにしても、ナポリからの船の中は日本人観光客で埋まり、カプリでたくさん
見かけたのに驚いたのでした。
勿論自分もその一人なのですが、ナポリでは殆ど見かけなかったので。



今、ナポリに戻って行く水中翼船。

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そしてやって来る船。

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ここから、夕暮れの風景をどうぞ。 夕陽の中、イスキア島が遥かに。

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夕暮れの写真は、いずれもカプリの中心街の展望台から。

港と上の中心、そして島のもう一つの中心のアナカプリ・Anacapriへは、
小さめのバスが15分毎に連絡しています。
港から中心街にはケーヴルもあるというのですが、行った時はバスのみで、
どこも片道1,4エウロ。
イタリアの交通費入場料など、いつ変更されるか分かりませんので!
まぁ、この程度とお考え下さいね。

それにしても、切符売り場で他の店でも、値段を訊ねると、こちらがイタリア語で
訊ねているにもかかわらず、必ず英語でお返事が来るのです!

外国人と見たら、自動的に頭脳が英語に切り替わる様で、アマルフィ沿岸の町は
どこもこの傾向が強かったですが、いやぁ、カプリがその最たるもので、
まさに世界の大観光地、という感がありましたです!!



港の突堤にも灯がともり、

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町の通りの店にも灯り。

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港に今また船が到着、灯りの色も濃く見え始め。

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街灯の並びがはっきりと見え始め、

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展望台から見上げる家々の灯り。

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海も闇にとけ始め・・。

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では、晩御飯に行こうね。



夕ご飯を食べて後、ホテルからの迎えの車を待ちつつ、
すっかり暗くなった町と海と空と。

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ほら、海の向こうに点々と光って続く線、あそこがナポリ。
夜はなんと近く見える事でしょう!
下の写真の右端高い位置の灯りが、カプリ中心街の展望台。

蛇足ながら、・・ホテルの迎えの車、云々ですが、泊まったホテルは4つ星で、早めに、
安く宿を探せるサイトから見つけて予約し、一人1泊42エウロ位だったのですね。
が、本来はお高い宿のようで、宿専用の運転手つきの車があり、  
電話すると迎えに来てくれ、送ってくれ・・。

部屋も大変良くすっかり味を占め!、それ以降、バスの窓からも良さそうな
ホテルを見ると、ここが45エウロでサイトに出たら、泊まりに来ようね、と、ははは。
      


忘れられないカプリの海の色。

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◆*◆

ブログご訪問、有難うございます!
今日お昼のTVニュースで、福島発電所から放射能濃度の高い水が海に放出
された事と共に、先日救出されたワンちゃんが飼い主に無事巡り合った映像、
小学校も始まった事が放映されました。

まだまだ行方の分からない不安と共に、
それでも新しい生活が始まっている事に、少し安堵をおぼえます。

この1か月近く、被災地の皆さんともども、我々日本人は皆が、今迄の生活、
自分について振り返ったと確信します。
そして漸くに、再び、新しく取り組む気持ちになりつつあるのではと。

私も、自分のブログを今迄通りに続けながらも、どこかしら、本心からではない
思いでいましたが、書き込んで頂くコメント、メールからも逆に励まされ、
いつまでも逃げ腰ではダメ、と思い至りました。

皆さん、ご一緒に、頑張って参りましょう! と、申し上げます。
強く、そして優しく、しっかりと生きて行けますように!!
今後とも変わらぬ励ましと応援を、よろしくお願いいたします!

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・ n.2 ラヴェッロには、ワーグナーの旋律がよく似合う

引き続き、有難うございます!
世界遺産指定のアマルフィ沿岸にあるラヴェッロの町の、高台にある素晴らしい
邸宅の廃墟、ヴィッラ・ルーフォロ・Villa Rufoloのご案内を続けます。

入り口左側、そして右側にも中世の顔があり、

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下脇にはこの像。 ライオン君だと思うのですが?!

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見上げる窓。 2重、3重に縁取られたかっては豪奢な窓も・・。

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奥が少し暗く、入り口からそろ~っと、 

四角に内庭を取り囲んだ回廊になっているのですが、2本並ぶ細い円柱の上の
切り込みの形が、やはり異国の雰囲気を漂わせ・・。

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ここ回廊から覗きこむと、こんな形に下の中庭が見え、

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回廊の上部分は、こんな模様で飾られていて、やはり独特な柄。

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今回これを書く為にヴィッラの事や、名前が冠されているルーフォロ家の事について
少し調べましたら、やはり興味深い事が分かりました。

ルーフォロ家・Rufoloというのは、このラヴェッロの町の強大な富を持つ裕福な貴族で、
中近東との交易や銀行業、とりわけ穀物取引が大きかったようで、
法曹界や聖職位にも人物を送りだした家系で、ラヴェッロには既に10世紀以前から
住んでいた様子。
   
13世紀のナポリの領主、大要塞を作ったフランスのアンジュー家のカルロ1世にも
莫大な金を貸し、借金のかたに王冠を取った事もあるとか!

ルーフォロの名を持つ有名な人物はたくさんいるのですが、中でもボッカッチョ・
Boccaccioのデカメロン・Decameroneの第2話に登場する、
嘘みたいな大冒険の主人公、ランドルフォ・ルーフォロ・Landolfo Rufoloも
この家系なのだそう。

ですがさすがの莫大な富も、王の陰謀にさらされ巻きあげられ没落、
15世紀のラヴェッロの司教ペレグリーノ・ルーフォロ自身が、自分が最後の子孫
であると言明しているのだとか。

このヴィッラが造られたのは、ルーフォロ家が繁栄していた11世紀で、当時のアマルフィ
一帯の全ての建物がそうであるように、アラブ風の建築様式が取り入れられていると。

後年ルーフォロ家の没落に伴い、このヴィッラも人手に渡り、放置されたりで、
19世紀の半ばにイギリス貴族の手に渡った時は、使用不可能な状態だったそうですが、
建物1棟は修復されて残り、現在は素晴らしい庭園が公開、という経過。



回廊部分から抜けるとこの狭い内庭で、右手には蔦の絡むこの建物。
夏はさぞ美しい事でしょう!

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左手にはこの主塔。
そして音楽が聞こえて来たのです、そう、ワーグナーの「パルシファル」の旋律が。
そんなに音楽に詳しい訳でもないのですが、ああ、あれだとすぐ分かったあの旋律で、
あの時にひょっとして、一種の魔法にかかったのかも。

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音に惹かれて暗い塔の中に入り込むと、ヴィデオが映っていて、それで
夏のフェスティヴァルの様子を知ったのでした。
この廃墟の庭の先、テラス状に舞台が張り出され、そこで音楽やバレエ、
朗読の催しなどがあるのだそうで。

ワーグナーはラヴェッロに1880年に滞在し、この廃墟の庭園の美しさに
インスピレーションを受け、「パルシファル」の曲想が浮かんだと言われていますが、
確かに、この廃墟と庭園を見ると納得でき・・。

フェスティヴァルの第1回目は1953年、ワーグナーの死去70年に当たる年でもあり、
ナポリのサン・カルロ劇場のオーケストラにより演奏されたそう。

2003年からは財団が新たに作られ、世界中からの著名な音楽家芸術家による、
夏のフェスティヴァルに。



主塔の横から少し高くなった庭園に入り込むと、教会風の建物や藤棚、井戸などが
点在し、整備された花壇を巡りつつ、行きます。

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そろそろ日が傾く時刻でもあったせいか、ワーグナーの音楽の印象が余りにもぴったりで
驚いたのか、時を越え、時代を溯り、北ヨーロッパの国のどこか、
寂れた古い屋敷の庭園をさまよっている、という印象で・・。
 


実際は庭に人気が少ないだけで、きちんと手入れされた花壇が階段状の庭園に広がり、
その向こうには、遥かに海が広がるという空間なのですが、

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こんな柱の並び具合にも、なぜか廃墟をさまよう感じを強く受け、
勿論廃墟には間違いないのですが、現生から離れた感じとでもいうのかな・・。

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テラス式庭園の一番下の部分。ヴィデオで見た張り出し舞台は、この真ん中に。
       
そう、海に向かって舞台が張り出し、観客は、花壇の間を縫う小道に
椅子を置いて鑑賞、という形。

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夏の夜、咲き乱れる花の間に座り、香りを楽しみつつ、音楽を、バレエを。
ね、やはりこれは一種の魔法、でしょ?!  



庭園の右に広がる海。 靄っていて残念ですが・・。

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山側を眺めると、奥の山の頂上にもお屋敷が見え、 

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マイオーリ、ミノーリの町にも、西日が射し始め、 

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戻りつつ見た、屋敷下部の円柱の彫り込み。  

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前庭に戻って見る、入り口の塔とドゥオーモの鐘楼。

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入り口の塔の下。

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友人と約束したアマルフィでの夕食の時間に戻るには、バスだと早く帰らないと、ですが、
不思議な印象の庭園を去りがたく、時間ぎりぎりまで、そして、タクシーで戻りました。    
       
そう、たまにはじっくりと浸りたい空間もありますが、
めったにない、そんな強い印象を受けた庭園でした。

最後にもう一度どうぞ!

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アマルフィにお出かけのチャンスがあったら、足を延ばして、ぜひどうぞ!


◆*◆
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昨日友人のジャンナから電話があり、野菜のお昼を作るから食べにお出で、
との事で、有難く出かけました。

実は先週彼女の家に、シェパードの赤ちゃんがやって来て、予想していた雌ではなく、
名前をどうするか、アイディアを出せとメールが来たり、早速の写真が届いたり、
つまり、ペードロちゃんを見せたくもあったのですね。

顔も背中も真っ黒な、ころころのチビちゃんで、今いる年老いたシェパードの
ルーナにじゃれたり、広い庭で遊んだり、しっかり食べたりの様子を見て楽しみ、
写真も何枚か撮りましたので、またブログ・デヴューを。

野草のショペティン、彼女の発音ではチョぺティン、のリゾットを頂いたり、
リモンチェッロのレシピも訊ね、夕方からは、彼女の娘ジューリアも出る演奏会に。
      
ヴィヴァルディの「四季」と、他にやはりヴィヴァルディを1曲。
「四季」を生で聞いたのは初めてでしたが、
12才の素晴らしく上手い子がいて、これが救いで、・・あれ?!
という事で、うららかな春を楽しみました。

ニュースでは、まだ良いニュースが聞けませんが、
被災された方々にも、早く早く春が訪れます様に!

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・ n.1 ラヴェッロには、ワーグナーの旋律がよく似合う 

今日のご案内は、世界遺産指定のアマルフィ沿岸にあるラヴェッロ・Ravelloの町、
というよりも、小さな高台の町にあるヴィッラ・ルーフォロ・Villa Rufoloをどうぞ。

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タイトルは、どなたかの言葉をお借りして洒落てみましたが、
これはまさにこのヴィッラ・ルーフォロで私自身が感じた印象で、どこか時代がかった
庭園の中をふわふわと漂っている様な、そんなちょっと不思議な感覚を味わい・・。

写真はラヴェッロの町に行く分かれ道、アマルフィ~サレルノを繋ぐ道からちょっと
高台にあるラヴェッロ、そのバス停にあった、案内の大きなモザイク標示。
何の動物か魚か、ラヴェッロ・音楽の町と。



アマルフィ沿岸一帯の地図をどうぞ。 カプリ島が左下に、北に真っ直ぐの航路の
先がナポリで、ポンペイ・Pompeiが真ん中上に見えますね。

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我々はカプリに3泊の後、ソッレント・Sorrentoに船で20分程。 ここからバスで
山越えしてポジターノ・Positanoを通り、アマルフィ・Amalfiに、約1時間半。
アマルフィから海岸沿いをずっと1時間10分程東に行くと、
サレルノ・Salernoに出る、という土地ですが、

このバスというのがまた高速を通るのと違い、狭い狭い曲りくねった山道、
海岸沿いの崖の上をくねくねと行くバスで、まさにヘアピン・カーヴの連続。
詳細はまたくわし~~く書きますです!

で、アマルフィから東に少し行って、山道を上るとラヴェッロですが、バスはもう少し奥に
見えるスカーラ・Scalaという村に寄り、戻る形でラヴェッロに停まります。
       


なんという町なのか、途中のバスの窓から。
お天気の良い暖かい日でしたが、靄がかかり、奥に見える海がはっきり見えず残念。

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ラヴェッロに着くと、展望台兼の道脇が停留所で、張り出しテラスの
屋根の上の猫ちゃんが、お出迎え。
目はつむっていても、ちゃんと聞いているのですよ。 奥に見える水色は、海の色。

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まずは、猫ちゃん越しの展望を。  真ん中にちょっと張り出している裏側にミノーリ・
Minoriの町があり、その向こうに見えるかなり大きな町がマイオーリ・Maiori.       

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アマルフィ沿岸のどの町とも同様、マイオーリも夏のヴァカンス客で賑わうそうですが、
ご覧の通りこの浜は結構長く、町から直ぐですから、貸しアパートが大変多く、
確かにまだ閉った窓をたくさん見かけ、・・この情報はタクシーの運転手さんからね。

見える段々畑はレモンと、チェードロ・cedro、レモンよりもっと大きなシトロンの畑。



ラヴェッロのバス停の右手、つまり山側にトンネルがあり、そこを潜り抜けると町の広場。
で、トンネル内の両壁にずらっとこんな風にポスターがぎっしり。
       
毎年夏にラヴェッロ・フェスティヴァル・Ravello Festivalというクラッシック音楽、
映画、文学等など、文化の祭典が行われていて、今迄の催しのポスターなのでした。

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これを撮ったのは、マン・レイの懐かしい写真が見えたからで、停留所のすぐ傍に
ワーグナーの顔も確かにあったのですが、

トンネルが暗く口をあけているし、フェスティヴァルの事を知らずに行ったので、
眺めながら通りすぎ、知った戻りには、写真を撮るのを忘れてしまい・・。
フェスティヴァルについては、また後ほどに。



トンネルを抜けてすぐ広がる広場脇のドゥオーモ。そう、ラヴェッロの町のドゥオーモ。
ご覧のように18世紀に修復されたようですが、オリジナルは12世紀だそうで、
残る鐘楼は13世紀のものと。

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ドゥオーモの正面扉脇にあった円柱。
午後遅めの時間に行きましたので、中は見れませんでしたが、
ガイドブックによると、素晴らしい説教壇などもある様子。
 
9-983_GF.jpg        



ドゥオーモ正面の階段を上り、見はらす広場。
あの先は既に崖となって落ち込み、見える建物類は、向かい側の崖の上。
なんとも穏やかな空気が漂い、まさに別世界の感。

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広場の一郭にバールがあり、広場にもテーブロと椅子。
夏だといっぱいに人が溢れるのでしょうが、今の時期の、のんびり感が素晴らしい。

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ドゥオーモの奥から山手に続く道があり、陶器作業所やバールの案内も見えましたが、
自転車にまたがる少年の左に、坂を行くシニョーレが見えますね、

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こちらの手前、左の道から走り出して来た10歳位の少年が、あのシニョーレを
呼びとめたのですね。 オゥ、パスクワーレ!とかなりのナポリ訛りで叫び、
宿題を見てくれるって言ったじゃないか。 パスクワーレは振り向き、今ダメだ、
少年はかなりせがんだもののダメで、悲しそうな声で、パスクィー! と後ろ姿に。
       
まるで映画の1シーンのようでした。



広場の南に、こんな建物というか塀が見え、
隣に古い塔や、奥にも塔が見え、こんな姿を見て通り過ぎ出来ませんよね、勿論!

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近くに行くと、この掲示。  ヴィッラ・ルーフォロ、訪問場所!

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上の写真で見えた塔の門から入ります。 入場料は確か4か、5エウロ。

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ラヴェッロにあるヴィッラの庭が素晴らしい、というのは、日本のガイドブックでも
読んでいましたが、奥に見える建物を見て、あれ? これ廃墟ですか? 
と切符売り場の女性に訊ね、そうです、と。

建物の上部が独特な丸みを帯びていますが、やはりアラブ様式の影響なのだそう。



並木道を少し行き、いよいよ入り口。
廃墟とはいえ、綺麗に整備手入れされているので、不吉な印象はまるでないですが、
中世風でもあり、やはり一種独特な雰囲気が漂います。

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という所で本日はお終いにし、その2 にお進み願います。
 
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