・ ニース ・ 紺碧海岸、結婚式、メルカート 

初夏に訪れた南仏旅行の最終日はひたすらに走り、イタリア国境に
ほど近い紺碧海岸のニース・Niceを訪れました。

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コートダジュール・紺碧海岸。
フランソワーズ・サガンの作品に何度か登場するコートダジュール、
こんな形で訪問できる様になるとは考えてもおりませんでしたが、

実際に行ってみると、現在の興味はかってとまるで別の物に移っており、
古いメルカートに並ぶ新鮮な野菜類とか、色とりどりの石鹸などなど。
街の高台の古い教会では、2組の結婚式にも出会いました。
人口45万の大都市は到底上手く説明できませんので、
自分の見た物だけをここにちょっぴり。 どうぞ! 

街に近ずくとまず見える、この高層アパート群。
船の形、と聞きましたが、大きくうねる波にも見えません? 

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海のすぐ脇に飛行場があり、

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海岸沿いの散歩道プロムナード・ザングレを進むと、海に面して立ち並ぶ
高級ホテル、アパート群。

プロムナード・ザングレ・イギリス人の遊歩道、と知り避暑や避寒に来る
イギリス人観光客を想像していたのですが、
失業者対策でこの道建設にイギリス人が働いたからなのだそう。
真実を知ると、時に若い頃の憧れのこもった想像もふっ飛びますねぇ。

海水浴客もちらほら。 はい、6月20日でした。
う~む、これがかの紺碧海岸、ね。



まず訪問したのは、ロシア正教会サン・ニコラ・San Nicola.
1912年建設の、ヨーロッパでロシア以外で一番大きなロシア正教会だそうで、
亡くなった皇帝ニコラス2世の妃の提唱によるものと。

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かっては冬の厳しさを逃れるため、ロシア貴族がこの暖かな南仏の地に
たくさんやって来て、彼らの礼拝の為でもあったそうですが、
ご存知の通りロシア革命があり、その後の所有者問題が今も続いているのだとか。 
屋根の青い瓦はフィレンツェのロッビア工房から、とか、とにかく莫大な費用を
かけて建設されたそうですが、高層高級アパート群がひしめく中に、
まるでオアシスの如く、今に至るも広い公園を持ち、5つのクーポラが聳えます。



またバスに乗り、街を横切り高台に向かいますが、
ニース駅を上から眺め、

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確かこの白いホテルに、イギリスのヴィクトリア女王が滞在されたのだとか。
お気に入りのニースにお出での際の女王様のお付き、召使、お荷物、
なんじゃらかんじゃらと、当時はとにかく大変な大移動だったと。
       
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という訳で、ニースの街の一番奥の高台に。

シミエ修道院・Monastère Notre Dame de Cimies(発音をhiroshiさんに
教えて頂き)の庭が解放されおり、その木陰に座って長~いガイドの説明を
聞きましたが、ははは、な~にも覚えておりませんで。
遠くに広がる青い海を眺め、
 
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こちらを不思議そうに見つめる鳩君とも目が合い、

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咲き乱れる花々を見つつ、ぽわぁ~ん。

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教会では結婚式が行われていて、素晴らしい教会内部と、

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いささか蚤の夫婦的な新郎新婦。

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教会の前には、この新婚さん用お車が待機。 

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とすると、新婚さん用のお車の花は、イタリアと同じに華麗ですね。



と見ているうちに、飾りつけをした別の4輪駆動のごついのがクラクションを
鳴らしつつやって来て、

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見ると新婦は大きなお腹で、しかも新郎は黒人で!
!をつける事自体がすでに古いのかもですが、友人のジュリアーナには
かなりの衝撃だった様子。
       
でもね、新婦もその父君もとても嬉しそうで、皆で声を揃えて
「アウグーリ!」と言いましたのです。
       


この高台には、すぐ近くにマチスの住居(現在は博物館)や、上の教会墓地に
彼は葬られているそうで、ローマ期の遺跡も残っていて、
ゆっくり見ればたくさんの見所がありそうですが、残念ながらまた下街に移動し、
古い昔ながらのメルカート・市場を見に行きます。

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日本の団体さんが歩いて来るのと一緒になり、女性ガイドが、我々イタリア
グループを追い越しながら、イヤホーンで「脇の花壇に入られないよう
お願いいたします」と皆さんに注意されるのが聞こえ、(やかましいわい)
「前がつかえておりますので、ごゆっくり!」と振り返ったshinkaiは
付け加えたのでありました。

高級ホテルや建物の写真はすべて省いても、市場に並ぶ品の写真は
捨てがたく、泣く泣く少しだけ削り、

古本の屋台、  ああ、時間があったらねぇ・・、

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イタリアの花屋さんとの大きな違いは、既にブーケに作られたのが
数多く売られている事かな、

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白い花に陽が当っているのが面白いと思ったのですが、やはり色が飛び。



辺り一面に漂うラヴェンダーの香り!

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本物の海綿、なにか懐かしいイメージ。

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最近は液体石鹸ばかり使っていますが、これら色とりどりの石鹸を見ると、
ささやかな贅沢がしたくなるのですけど、

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この広い庶民的なメルカートで一番 わぉ! と思ったのが、
この白アスパラガス。

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イタリアのは頭まで白いのですよ、勿論とても美味しいのですけど。

で、リンクさせて頂いているOtium さんの「エスカルゴの国から」に
この頭が緑紫の見るからに美味しそうな白アスパラガスが載っていて、
http://otium.blog96.fc2.com/blog-entry-405.html
羨ましかったのですが、本当だ、と自分の目で確かめ。
ですがまだ味わっていませんから、心残り大!



カルチョッフィのこんな大きな丸い形、少し小さい尖った物などなど
イタリアにもありますが、
手前の二十日大根、この細長いお尻の白いのは初めて。 お味はどんな?

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フランス語では tomate なのですねぇ。 単数形は?

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果物類、

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このニンニクの量!

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そして香辛料類。

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こちらは市場横通りのワイン店。 両壁奥までぎっしり。

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最新スタイルの市電・トラムの走る通りまで戻った所に、イタリア食品店が。
山形に並ぶ缶詰はカルチョッフィ、ケース内には詰め物パスタ類、

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下にはドライトマトとか、アンティパスト類の瓶詰。奥には生ハムもぶら下がり。
イタリア頑張れ! 

南仏ご案内はまだセナンク修道院、ゴルド、ニームなど残っていますけど、
素朴なイタリアが恋しくなり、一旦戻ります。
さ~てと、どこをご覧頂きましょうか?!


◆*◆

低地にも雪が来る、との天気予報が見事当たりまして、
26日午前、この一帯にも牡丹雪が5cmほど積りました。

朝コネリアーノに出かける時は雨だったので、やれやれ。
所が10時頃からぼっぼっと振りだし、みるみる駐車場の車の上に
積もり始めるのが見え、道脇には白く積り、車の通り道はベチャベチャに。

11時過ぎに家に戻る時には車のウインドウにはボッテリの雪、
道もかなりな渋滞となっていて、いつも大賑わいの人出となる毎週金曜の
市の日でしたが、出店は既に引き揚げ、ライトをつけそろそろと走る車のみ。
幸い家に向かう坂道にかかりましたら、雨に変わっていて
町中よりも気楽に走れ助かりました。

この冬は昨年にも増して、厳しい雪の季節になるかも。
来週中には冬タイヤに替えて貰わないと!
皆さんも寒さにお気をつけて、お元気でお過ごし下さいね。


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・ 南仏アルル ・ ヴァン・ゴッホの足跡の残る街

今日のご案内は既に写真でお分かリですね、南仏アルル・Arlesです。
ローマ期から中世にかけての遺跡群が数多く残り、世界遺産指定の街、
そして、スペインの大巡礼地サンティアーゴ・デ・コンポステーラへ向かう
イタリアからの巡礼者達がまずは目指した巡礼地、

そしてそして、1888年からフィンセント・ファン・ゴッホがこの街に滞在、
僅か15カ月間に300点以上の作品を描いた事で余りにも有名な街。

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見所がたくさんあるのですが、写真の数をうんと絞りまして、
街の様子はほんのおさわり程度にして、ゴッホ関連をご覧頂こうと。

・・それにしてもこの日本語の、なんともほんのりと、それでいて核心を突く表現、
おさわり程度だの、お尻が青いだの、毛の生えた心臓だの・・。
日常的に使いつつ時に振り返ると、きゃはは、の言い回し。
昔の人は洞察力に優れ、お偉かったですねぇ!



ローヌ河を渡り街に入り暫く進む間に、何軒もの大きなカフェ、レストランを
見かけました。
大樹の並木歩道が幅広く、真ん中が通行人用に残され、

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またこちら端にもテーヴルと椅子が設置され、いかにも開放的、庶民的な
印象を受けました。 夏の陽射しの下では、さぞ気持ちが良いでしょうねぇ。



目ざとく見つけた1人が笑い声を上げ、何かと見ましたらこれ。

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フランス語でのHOTELは公共の建物を指しますから警察用のホテルでなく、
警察署と勿論分かりますが、なんとなしに拘留人ホテル を想像し! はは。



中心にあるラ・レピュブリカ広場・Pl.de la République.
真ん中にオベリスクと泉、

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そして奥左に見えるのが市庁舎・Hôtele de Ville、
右に見える教会サント・トロフィーム・St-Trophime.

この古い歴史を持つ教会は、11~12世紀に加えられた素晴らしい全面石彫の
施された正面入り口を持ち、これが大変気に入りましたが、
今回は省略、またのチャンスにご覧頂きたいと思います。
内部も拝見しましたが、見ずに終わった中庭の回廊が大変美しく
有名な物だと後で知り残念。



街の地図をどうぞ。 アルルの街はアヴィニョンから国鉄で約20分程の距離、
マルセイユから、という訪問も充分可能の様子。

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街の人口は53000人程ですが、市の面積は759K平方、
フランス国内で一番広いのだとか。
でもご覧の様に、見所のある中心部は歩いて回れる距離。
       
上でご覧頂いた中心のラ・レピュブリカ広場とサント・トロフィーム教会は
お分かりですね。
その右の TH.Antiquę は、古代のローマ劇場、
右上の Arènes は 野外円形闘技場。

アレーナの左に見える小さなオレンジ色は、
Fondation V.Van-Gogh-Arles ・アルルのヴァン・ゴッホ財団とでも。
ゴッホの絵の展示は無く、彼についての様々、の博物館だというので
ここは友人数人と逃げまして、ゴッホのカッフェに行きました。

有名な「夜のカフェ」は、ラ・レピュブリカ広場の市役所から北に、
ドュ・フォールム広場(発音、これで良いのかな)・Pl.du Forumの横、
赤の四角の位置。

で一番左下に見えるかなり大きなオレンジ色は、



エスパース・ヴァン・ゴッホ・Espace Van-Goghと呼ばれる、かって
ヴァン・ゴッホが入院した病院ですが、彼が描いたように中庭も整備され、
ヴァン・ゴッホのスペース、芸術家の為の文化センター、だそう。
      
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入り口の上には HOTEL DIEU・オテル・ドュウ・病院と読めますが、
窓枠なども彼の描いたように青く塗られ、
のっけから、こちら訪問者も何か不思議な印象を受け。



中庭も彼が絵に描いたように整えられ、ゴッホの絵がお好きな方には
作品を偲ばせる場所なのでしょう。
ま、少し観光客に迎合というのか、親切というのか・・。

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スーヴェニール店には、彼の絵のカレンダーやら絵葉書、画集も揃っておりました。
こちらで彼の作品様々がご覧に

片耳を切り落とした後の包帯の自画像等を見ていて、思い出した事。
昔々「炎の人 ヴァン・ゴッホ」という映画がありましたね。確かカーク・ダグラスが
主人公に扮していて、暗くて深刻だったイメージが残っていますし、

若き頃に感動しつつ読んだ「ゴッホの手紙」も、この年になって思い返すと、
切実で真摯ながら如何にも早急で、芸術家とはなんと自己中心な生き者よ、と、
弟にしっかりと巻きつき吸い上げた姿に思い至ります。
そんな生き急いだ画家に、改めて想いを馳せたアルルの街。
       


こちらは「夜のカフェ・テラス」に登場の店。
建物もテントも黄色く、1階の扉、窓枠が赤く、やはり彼の絵の通りに。

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ゴッホの絵のタイトルから「カフェの夜景」で店の名は別だと思っていましたが、
「Café la nuit ・カフェ・夜」となっていますね。
やはり絵に従い変更されたのでしょう。

このカフェは最初にグループと一緒に見た後、余りにも急ぎ足の数こなしの
行程なので、ゴッホ財団博物館と円形闘技場の内部見物を外し、
数人でまたこのカフェに。
入り口脇の席に座りジュースを頼み、2階にあるトイレを拝借、
暑い陽射しの日にちょっと一息入れたのでした。

レストランとも書いてありますが、色の関係でしょうか、それとも店のお兄さん達の
印象でしょうか、友人達も、余り良い雰囲気では無いね、と。
なぜかアルジェを連想したりで、ははは、トイレも2人連れだって。
2階はがらんとした広い部屋でその片隅にトイレ。

今となると写真が無いのが残念ですが、ちょっと座って寛ぐのを躊躇した
カフェでありました。

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こちらはカフェのすぐ横に広がるフォールム広場、ローマ期のフォーロ、
司法行政の中心となった広場の跡でしょう、
素晴らしい門の片側だけ残っておりました。

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広場に大樹が茂り、カフェのテラス席もあり、後ろに下がる事が出来ず、
全体が見渡せませんがご容赦を。



と、こんな4輪バイクに親子が乗って。
この子の行く末はバイクレーサーかも、ですねぇ!

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こちらは少し街の高台にあるアレーナ・円形野外闘技場の横、
角から2軒目の中世風の建物、ここにヴァン・ゴッホ財団があり、

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博物館内には、彼についての様々な資料展示がされているそう。



財団博物館の横にあるローマ期の円形野外闘技場。

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土地の高さを掘り均した巨大なアレーナですが、せっかくここまで行きながら、
ヴェローナのアレーナ、ローマのコロッセオを見た目には、
不遜ながらピンと来ませんで・・。
何やら、骨董店の跡継ぎ修行をした息子同様の感想を、はい。



アレーナの横の坂道に立ち並ぶスーヴェニール店の店先、布の店の
ほんの一部ですが、南仏プロヴァンスの布の色と柄。
どこかゴッホの作品の彩にも似ている感じがしてここに。

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プロヴァンスの色と柄、と言いましたが、同じプロヴァンスでも
エクサン・プロヴァンスの学術都市の雰囲気の漂う街や、
ニームの街の店先で見る色柄は少し違い、
派手なだけでなくちょっとお洒落で重くない、素敵な布でしたっけ。



最後に南仏全体の地図を。 次回はもっと東に移動して、イタリアに戻る
直前に訪れたニースの街、とはいえほんの一部、古いメルカートの様子などを
ご覧頂く予定です。

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◆*◆

週2度アックワジムに通っている市のプール、既に3年になりますが、
今朝初めて大きな窓のサッシとその間の柱類が黄色く、
まさにゴッホの病院と同じ黄色に塗られているのに気がつき、あれま! 
 
急いで、どこかブルーになっているかしらと探しましたが、ノゥ。
ちょっと安堵しましたが、待てよ、
このプールのシンボルは、ラーナ・ブルゥ・青蛙、あはは。

今日は久し振りの青空の1日ですが、天気予報では、明日は低地にも
雪が来ると!  あわわ、外れますように!!


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・ 南仏の、煌めく陽射しを懐かしみ ・ マルティーグ 

今年晩秋の北イタリアは、大被害も出た程の大雨、雨、そして霧、
とお天気に恵まれず、
初夏に訪れた南仏プロヴァンスの強い陽射しが懐かしくなりました。

と言う事で、とりわけ素晴らしい快晴の下に輝いていた
マルティーグ・Martiguesの写真をご覧頂きますね。

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マルティーグ、という呼び名で良かったっけ、と検索をかけ、
「南仏のヴェニス」と呼ばれている事を知りました。
まぁ、運河が通っているという意味でならそうでしょうが、
ほぼヴェネツィア地元民の目にはそうは見えませんで、はい。
      
ヴェネツィアよりももっともっと明るく、色の彩度も高く、
そしてその色も何とも素敵な柔らかい取り合わせで、
如何にも おフロ~ンス! (鼻にかけた発音でお願い)
と、イタリアの色、形に慣れた目には映り、
これは絵になる町! と大喜びでシャッターを押し続けまして、
・・アップする写真を選ぶのが大変だったのを白状いたします。

バスの窓からの写真2枚、ガラスの斑が反射して見難くご容赦願いますが、
奥に見えるのがベール湖で、こちら側が地中海に繋がります。
マルティーグの街に行くのに高架の長い橋を渡りますが、
そこから、訪問する真ん中の島の様子がよく見えました。

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下の写真に島の教会と鐘楼が見えますが、
脇の運河沿いに奥右に辿る辺りが、とりわけ素晴らしかった。



地図をどうぞ。 下の中央に、マルティーグ・Martiguesが見えますが、
今回行かなかったマルセイユ・Marsiglia・マルシーリア(イタリア語)から
約40Kの距離だそう。

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南仏プロヴァンスで既にご紹介したのは、
エクサン・プロヴァンス・Aix-en-Provence、セザンヌのアトリエ
アヴィニョン・Avignon の街 そして教皇庁宮殿
ポン・ドュ・ガール・Pont du Gard
カマルグ・Camargueとサント・マリー・ド・ラ・メール・Saintes Maries de la Mer
こちらからどうぞ。      

う~む、この怠け者はまだ アルルも、ニームも、ゴルドも、セナンク修道院も、
モナコも、ニースも・・、纏めてないですねぇ!
はぁ、ぼちぼち頑張ります、・・とほほ。



高所から見えた左側(西)に到着。 つまり街は北に広がる大きなベール湖・
Berreの沼地にあり、両岸と小さな島が橋で繋がり、海と運河で
繋がっていると言う訳で、小型漁船がたくさん停泊しています。

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渡って来た高架の橋が見え、



真ん中の島への青く塗られた橋の手前、3つの地区を現わす小舟に花が満開。

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橋を渡って真ん中の島に。
角の家の壁には、古い漁船の絵が描かれ、

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狭い道を抜けて行きますが、これまた狭い間口の建物に並ぶ窓。
それぞれに表情があって面白く、片っ端から写して行きます!
       
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南仏の建物の窓についてまず思ったのは、イタリアよりも幅が広く大きい事。
冬の北西の強風ミストラルの為に、建物も低く北西側には窓が無い、
というのも確かに平野の農家に見たのですが、街の中の建物は皆大きな窓を
持っていて、冬、少しでも明るさを取り込もうという事なのかしら、とも。



上からの写真で見えた教会、Ste-Madleine-de-l'île・
サン・マドレーヌ・ドュ・リレ(で良いのでしょうか)
17世紀建設、正面壁がコリント式とガイドブックに。
    
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今回見たマルティーグ、ゴルドの教会内部の彩りと装飾様式が、やはりイタリアと
少し違う事、とりわけ使われている空色がとても明るく、印象に残りました。

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入り口上にあった箱入りオルガンが有名とあるので、写真追加し、

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正面扉のこの閉め具、可愛いでしょう?

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教会正面から道を渡り、運河沿いの道を行きますが、最初と同じ
写真で失礼を。

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良いと思う場所だと、少し角度を変えたりして何枚か写すのが、
余りにも絵葉書的すぎると思い1枚しか撮っておらず、例のごと今は残念。



建物の色、鎧戸の色と形が大いにイタリアと違いますし、窓や入り口扉には、
とりわけ住む人の印象が現れる気がして、見るにも撮るにも貪欲に。

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辿ってきた小運河が大きな運河に合流する辺りから、振り返って見る
小さな家の並びの面白さ。

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幅広い運河の向こうに見える、これも歴史ある様子の教会。

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魚釣りの若者2人、向こう側にも釣り人が。

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右の若者の頭、ちょっと茶色の髪の毛が、王冠のように輝いているのが
分かります? つやつやの柔らかい髪の毛なのですねぇ!



のんびりと、戻りは中の道に入り込みましたが、
広場があり、

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ここにも、ちょっと鄙びた入り口があり、

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建物角の上には、救済の聖母が両手を広げ。

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また橋を渡り西岸の広場に戻りますが、
広場で見つけた窓と鎧戸。写真ではよく分かりませんが、薄紫!
ああ、おフロ~ンス!

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最後は広場のカフェ、美人を1枚。

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◆*◆

これを書いている今日日曜、フリウリの奥に行って来ました。
予想していた通りに生憎の雨になりましたが、コドゥロイポ・Codroipoにある
ヴィッラ・マニン・Villa Manin、 かのヴェネツィア共和国最後の総督となった
ルドヴィーコ・マニンの壮大な別荘で開催中のムンク展を見、そしてフリウリの奥に。
       
ムンク展とはいうものの、スカンジナビアの国々の作家達の印象派絵画が
たくさん来ており、ムンクに至るまでの流れが大変良く分かる構成で、
彼の作品も素晴らしいのが来ておりました。
珍しい興味深い展覧会と思い、カタログも買いましたので、
皆さんにもまた見て頂きたいと思っています。

フリウリの奥では、山上にある小さな教会を見たのですが、40年程も前に、
フリウリ一帯を襲った大地震で崩壊した教会を修復中に、ローマ期に溯る
古い遺物が発見されたのを発掘、研究の後、現在教会地下に博物館として
保存されているのを、考古学者の説明により見学しました。
この説明がなければ到底価値が分からないと思うほどで、
いやぁ、さすが専門家というのは凄いものと、生憎のお天気でしたが、
大変満足して戻りました。

という事で、昨日用意した南仏の大快晴のマルティーグを、
お楽しみ頂けるよう願いつつこれよりアップいたします。
ではまた次回に!
         
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・ 美味しいチーズ ・ サン・レオで食べた 旨いもの!

さて今日は、先回と同じエミーリア・ロマーニャ州のサン・レオですが、
ここで食べた大変に美味しいチーズ各種をご覧頂きます。

食通の街として知られる州都ボローニャ・Bolognaのある
エミーリア・ロマーニャ州・Emilia-Romagna自体が美味しい物で有名で、
このサン・レオ・San Leo に行ったのは、チーズも一つのお目当でした。
       

まず町の門から見える中心広場への坂道ですが、

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右手の角に矢印が見えますね、あそこを曲がり真っ直ぐ坂道を行くと
先回ご覧頂いた塞に向かいますが、
あの角を入ってすぐ、小さな何台分かの駐車場の奥に我々の泊まった
小さなホテル、ラ・ロッカ・La Roccaがあります。

ここを選んだのも、ホテル兼レストランのメニューに
フォルマッジョ・ディ・フォッサ・formaggio di fossa、穴倉に貯蔵して
熟成させたチーズ、とでも言いますか、それを見つけたからなのですね。

ボローニャのご案内はこちらに。



通りの食料品店、土地の産物を売る店にも同じ表示が見えますが、
D.O.P と言うのは、原産地呼称規制 の事で、その土地固有の
昔ながらの伝統に従い生産する食品規制に合格、というお墨付きで、
有名なパルミッジャーノ・レッジャーノ・Parmiggiano Reggiano を筆頭に、
チーズは現在34種ほどあるようですが、
フォッサ・チーズがDOPになったのは確か近年だったと。

    
今この写真で見えているのが、フォッサ・チーズか私には特定できませんが、

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この黒っぽいのは、stagionato in botte con foglie di noce       
胡桃の葉に包み、樽の中で熟成させたチーズだそう。

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は~い、これも頂きましたので、 のちほど写真を。



まずは夕食の前に、サン・レオの夜景をどうぞ!
町の中心にあるダンテ広場・Piazza Dante.
D.アリギエーリはこの町を1306年に訪れ、神曲に書いているそう。

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ちなみにもう一人歴史上有名人物のアッシジの聖フランチェスコ、
彼は1213年にやって来ているそうで、
この聖人は我が国の弘法大師さまみたいに、どこにでも出かけていますねぇ!

単なる断崖上の鄙びた村とは言えない、
由緒ある歴史を持つ、文化的にも開けた町なのでした。



広場の写真の右端に切れているのが、こちら
サンタ・マリーア・アッスンタ教会・Piave di S.M.Assunta.
訪問した翌朝はちょうどミサの最中で内部は遠慮しましたが、
元はご覧の様に9世紀に溯る趣のあるもの。

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この教会のすぐ右奥に、この町の名の由来ともなっている守護聖人の
サン・レオーネ聖堂・Cattedrale di San Leoneがあり、
12世紀の素晴らしいロマネスク様式。
内部も少し変わった造りで、またご覧頂きましょう。

でこの聖レオーネと言う方は、お隣のサン・マリーノ共和国の起こりとなった
聖マリーノと一緒にキリスト迫害から逃れて来たそうで、
のち、聖レオーネはこの地に引きこもった、という事だそう。

サン・マリーノ共和国については、こちらに。
       
      

山上の照明に浮かぶ要塞。

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脇の小路にそれるとすぐに暗闇に包まれ、小さな街灯のみに。

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葉の残る葡萄棚が壁に映ります。

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ではいざいざ、ラ・ロッカ・La Rocca のレストランに! 
             
白いシャツ姿がこのレストラン兼宿のご主人で、イタリア人歌手の
エンリコ・ルッジェーロに似た声と顔で、いや、もっとドスのきいた声と容姿で、はは、
でも料理に関しては大変親切丁寧に説明してくれます。

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で食べました物は、例により、ポルチーニのタリアテッレ。

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野菜のグランタン風と言うのか、ズッキーニ、ナス、玉ねぎ、トマト、ぺぺローネに
パン粉をのせオーヴンで焼いた物、

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友人は確か、肉を食べたのだっけ、(写真mkちゃん)

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そして、赤ワインはご主人が選んでくれたもの。

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は~い、お待たせいたしましたぁ! チーズ7種の盛り合わせ、と付け合わせ。

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ご主人が、2人一皿で十分と、言われる通りに半分づつ。
説明して貰ったのを図と共に友人が書き留め、
サイトでもう一度検索しましたので、間違っていないと、

右上の一番色の明るいものから左回りに、
・ミスト・ムッカ・エ・ペーコラ・牛乳と羊乳を混ぜたチーズ
・ぺコリーノ・フレスコ・Pecorino fresco ・羊乳チーズの新しい物・熟成なし
・スコパローロ・Scoparolo・羊乳チーズ、生産量が大変限定された物で、
 高湿気で温度が一定の場所で熟成最低3カ月
・ぺコリーノ・アッレ・ヴィナッチェ・エ・モスト・Pecorino alle Vinacce e Mosto              
 羊乳チーズを、葡萄の搾りかすとワイン熟成前の葡萄ジュースに浸け熟成
・ぺコリーノ・スタジョナート・イン・フォーリエ・ディ・ノーチェ・
 Pecorino stagionato in Foglie di Noce・写真にあった店頭の物で、
 胡桃の葉につつみ樽内で熟成
・ぺコリーノ・アッレ・フォーリエ・ディ・カスターニョ・
 Pecorino alle Foglie di Castagno上記同様に、こちらは栗の葉で
       
・そして真ん中が、フォッサ・Fossa  正式にはこのレストランのは
 フォルマッジョ・ディ・フォッサ・"アンブラ・ディ・タラメッロ"・
 Formaggio di Fossa "Ambra di Talamello"
       

フォッサ・チーズ・穴倉貯蔵チーズと言うのは、このエミーリア・ロマーニャから
マルケ州にかけての特有のチーズで、
中でもこのタラメッロ・Talamello(サン・レオの近く)と、
ソリアーノ・アル・ルビコーネ・Sogliano al Rubicone(フォルリの近く)が
一番有名なんだと。

最近は周辺あちこちで作られるものの、最終的にはこの土地の穴倉に
貯蔵される事が条件だそう。

頂いたタラメッロの品は、唯一伝統に従い年に一度、8月の末から9月にかけて
穴倉に貯蔵密閉、11月25日のサンタ・カテリーナの祭日に開けられると。

穴倉に貯蔵する方法は大変古く、15世紀に既に記録に出てくるそうで、
これはチーズ保存の為だけではなく、盗難よけに穀類も貯蔵したもので、
つまり理にかなった季節による2重の穴倉の利用法ですね。

で、チーズは岩に掘られた穴倉に保存される事により、場所の持つ木々、
タルトゥーフォ、苔等の香りを蓄え、大変濃い味わいとなるのだそうで、

確かにこの一皿を半分づつ2人で、言われたとおり軽い味のものから順繰りに食べ、
もうすっかり満足、満腹状態!

そうそう、右下の小皿に入った物は、濃い黄色の物が、リンゴと栗の蜂蜜
濃い色に見えるのは、コリアンドロ・Coriandolo (植物名と出ましたが・・)
と、玉ねぎのトロぺーア種・Tropea (赤紫皮の楕円球で美味しい)の煮物。

牛乳のチーズよりも羊のチーズは味が濃くモッタリですが、
この最後の3,4種はますます美味しくコッテリで、
       
ああ、美味しゅうございましたぁ!!!

以前読んだ日本の雑誌で、このフォッサ・チーズが物凄く臭い、と書かれて
いるのを読み、熟れ鮨みたいな物かと少々恐れておりましたが、
なんのなんの、そんな事はまるでない、大変美味しいものでした。
この地方にお出かけの方、是非お試しください!           
        
穴倉の様子などこちらで。
http://www.riviera.rimini.it/situr/enogastronomia/prodotti-tipici/-formaggio-di-fossa-ambra-di-talamello.html      



でデザートは、ムースとジェラート。

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書記に、ここの値段は幾らだった?とメールすると、2人で66,5エウロだったと。
ね、お高くはありませんね。



そして突然のクロワッサンですが、(写真mkちゃん)
こんなに美味しいレストランなのに、ははは、
ここの朝食はこのクロワッサン一つと(2つ目は要求しづらく)
カフェとかカフェラッテとかをお願いして・・。

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同時に宿泊していたドイツ人夫婦が片言のイタリア語で、朝食はこれだけか
と聞きましたら、ドスのきいた声で、「イタリアの朝食は、どこもこれだよ」と
あっさり片づけられ、ははは。

mkちゃんが「お前ら、このクロワッサンでも食っとけ!」とドスのきいた
低い声で言い、2人でくっ、くっと笑いをこらえたのでした。



こちらは2日目の夜、ダンテ広場の別の店に。(写真全部mkちゃん)
広場の夜景写真の教会横に写っている店ですが、
パスタはラディッキオの入ったクリーム味と、野菜の詰め物パスタ。

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ズッキーニと茄子とトマトのグリル

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そして豚肉ソテーの茸ソースかけ

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レモン味のソルヴェと、パンナコッタ(プリンみたいなもの)

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こちらの店は2人で47エウロ。
はい、食事はラ・ロッカがお勧めです。
サイトはこちらに。 http://www.laroccasanleo.it/
       
今回の旅行では、食べ物の写真がmkちゃんのも含め他にもありますので、
またのチャンスにご覧頂きますね。

右のカテゴリにも、旨い物! を早速に追加しましたが、
・・美味しい物を食べるのが好きな割に、土地訪問に1枚の写真とかで、
なかなかこのカテゴリへの記事がありません。
よっしゃ、少し頑張って増やす事にいたしましょう!


      ◆*◆

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はたまた突然の葡萄畑の写真ですが、

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これは9月の最初にご覧頂いた、ヴェネツィア共和国時代のワイン復活を目ざし 
の中でご紹介したドラーナ・Drana という古い品種です。

この時お世話になったプロセッコのメーカー・ビゾールの宣伝担当ミケーラから
メールが届き、女流作家がヴェネツィア・ラグーナの宣伝に使いたいと
言ってるけどOKかと。

勿論! 使ったら何処にあるか教えて、と返事をしましたが、
少し嬉しくなりましたので、皆さんにも聞いて頂きたく。

過日のヴェネトの大水害被害対策でも大いに活躍している
県知事のルーカ・ザイア氏が葡萄を持った写真は、
既にビゾールのニュース・レターで使われましたが、
専門家でない私なので、こういうニュースはやはり嬉しい事でした。
       

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・ サン・レオの城塞 と カリオストゥロ伯爵・conte di Cagliostroなる男 

今日のご案内は、サン・レオ・San Leoの断崖絶壁の上の要塞と、
内部にあった監獄の様子、そして、ここにかって収監された有名人物
カリオストゥロ伯爵・Conte di Cagliostroなる男について、です。

サン・マリーノ共和国から眺めたサン・レオの様子で、道程は20k足らずですから、
直線距離はもっと近いですね。 断崖の上の要塞が良く見えます。

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サン・レオにはヴィザンティン・モザイクで有名なラヴェンナから行きましたが、
トムトムで大変な九十九折りの道が出て、考える方向とはまるで逆方向に走ったりで、
今どっちを向いてる? と何度も友人に訊ね、彼女は携帯の羅針盤で見てくれ!
まぁ漸くに町の入り口、断崖を見上げる位置に到着しましたが、
       
余りの凄さに何度も歓声を上げつつ、断崖を見上げつつ坂道を上り、写真mkちゃん。

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漸くに町の入り口の門に到着。  

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宿に荷を置き、夕暮れ迫る町を探訪、 広場から見上げる要塞。

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灯りが点いているので、夜も見物できるのかと、近くにいた婦人警官に訊ねましたら、
今日は町のお祭りで、要塞内で写真展が開催中の為と。

現在要塞内には、展示会場と武器の博物館もあり、夜はライトアップされた姿が美しく、
また町の夜景と共にご覧頂きますね。



翌朝要塞への道を辿りますが、なんとも凄い! 町自体の海抜は589mですが、
断崖から生え出たかのようなこの要塞は639mの高さ。


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要塞の入り口を入ると広場があり、 ぐるっと回ってもう一つ上の広場に続き、
この写真に見える階段を上がり内庭にでて、

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要塞内への入り口は、内庭側から。

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見取り図をどうぞ。 下側横向き部分が町から見上げる部分で、
上辺と右側部分は絶壁上にあり、町への写真でご覧頂いたのは、上辺部の断崖。

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要塞自体の歴史は大変古く、6世紀以前に溯るとの事ですが、
当時の面影はまるで残っておらず、現在見るこの姿はルネッサンス期の物。

14~15世紀にかけ、この天然要塞の地を巡る争いが激しかったそうですが、最終的に
1441年ウルビーノのフェデリコ・ダ・モンテフェルトゥロ・Federico da Montefeltro
の元に下り、彼がこの要塞の価値を認め大改修をしたわけですが、

後、教皇領に近辺一帯が含まれると要塞の意義が無くなり、監獄として使われ、
時代が下りイタリア王国となってのちも、1906年まで監獄として使用されたと。

図の前面に丸い塔が2つ見えますが、かっては4つあったのだそうで、

赤丸をつけた場所、上の写真の階段部分に張り出した下側の窓、
あの場所がポッツェット・Pozzetto・小井戸と呼ばれる、
18世紀のイタリアのみならず、ヨーロッパ中を騒がせた稀代のペテン師と言うか、
山師というか、自称カリオストゥロ伯爵が収監され、獄死した牢で、

左に見える矢印の付いた場所、こちらはフェリーチェ・オルシーニ・Felice Orsiniという
ナポレオン3世の暗殺を企て捕えられ処刑された男が、それ以前の活動で捕えられ収監
されていた牢で、イタリア統一運動に携わった他の運動家たちも収監された、とあります。



こちらが中庭部分、と書いていますが、いわば断崖上に張り出したテラス。

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南東、海側に向け開き、素晴らしい眺望で、こんな風に、団体の観光客も。

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素晴らしい眺めをどうぞ!
今日の一番最初にご覧頂いたのはサン・マリーノ共和国からの眺めでしたが、

この1枚目の一番右端奥に見えるこんもりとした山、
あれが、サン・レオから見えるサン・マリーノ共和国で、

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続いて、アップを。 山の頂上に、第一の塔がひときわ高く。

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海がこんな風に見え、その間にある小山の一つ一つの頂上に、小さな村が
存在しているのが見えます。 他の小山も、すべてこんな感じなのですよ。

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丸い大きな一つの塔の中には、武器が展示されているのですが、実際の内部は
もっともっと暗く、おまけに入り口に騎士の鎧兜姿が立っているので、
一瞬ぎょっとして、そろそろと内部に。

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こちらは、イタリア統一運動に関わり、捕えられて収監された愛国者たちの牢で、
たくさんの肖像画が壁にありました。

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1858年パリのオペラ座前で、ナポレオン三世ご夫妻の馬車に爆発物を投げ込み
暗殺を謀った、というフェリーチェ・オルシーニ(1819~1858)について、
この時代の事は何も知らず、彼の名も知らずでしたが、今回初めて少し読みました。

オルシーニと言うローマの名門貴族と同じ姓の為か、日本のサイトには貴族とありますが、
どうやらフォルリ・Forlì近くの町生まれの商人階級出身、絹布の生産と販売に
携わる叔父の元で育ちます。

17歳で愛情問題から家のコックを殺害、後弁護士をしながら、イタリア統一運動に関わり、
遂にはナポレオン3世の暗殺を企て、実行するものの果たせず、獄中で逆に考えを改め、
皇帝に対し、イタリアの独立を頼めるのはあなただけ、との書簡を送り、
この手紙に打たれた皇帝を始め多くから助命嘆願されるものの、本人は恩赦を乞わず、
ギロチンの下に消えた、という愛国者。

革命家と言うか、愛国者と言うのか、昔ならばそのカッコ良さにしびれたのでしょうが、
今頃は少々鈍って来たのでしょう、 ・・そういう生き方をした人がいる、と言う事で・・。



こちらが、アレッサンドロ・カリオストゥロ伯爵・Alessandro conte di Cagliostro
と名乗った、本名ジュゼッペ・バルサモ・Giuseppe Balsamo(1743~1795).

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シチーリアのパレルモ生まれ、父親は布売りで彼の幼いうちに亡くなり、孤児院に預けられ、
後ローマの修道院の学校に。 乱暴者で何度も逃げ出しますが、庭園の薬草には
興味を示したそう。 逃げ出したのか、止めたのかパレルモに戻りますが、
すぐに鍛冶屋を騙し損害を与えた事からメッシーナに逃亡。

といった調子で、長々と彼のぺテンと山師の人生が始まるのですが、
いちいち書き出せない程の変遷を辿ります。
     
25歳ローマで、ロレンツァ・セラフィーナ・フェリチャーニ・Lorenza Serafina Feliciani
17歳の美少女と結婚しますが、この時の結婚証明書には、彼の実名が書かれていると。

自称貴族と名乗る悪仲間と付き合い、書類偽造をしたりで危なくなるとフランスに逃げ、
スペインに行き、ヨーロッパのあちこちに・・。

結婚したロレンツァが美人だった、と書きましたが、彼は彼女をそそのかし金持ちを誑かさせては、
その後脅して大金をせしめるとか、はたまた上流階級の男と知り合う為に彼女が働く、
が常套手段。

後に嫌気がさしてジュゼッペと別れようと、こうして知り合った弁護士と共に、売春強制で
訴えたりもするのですが、正式に結婚している為に逆に婚姻放棄で彼に訴えられ監獄に。
出獄したい為にまた元の鞘に収まり、再度の放浪生活に、と哀れです。

子供の頃興味を持った薬草から手製の高貴薬を作り、偽薬効果で患者が治る事もあり、
有名医者として持て囃されたり、ヨーロッパをあちこちする内に貴族階級との接触も多くなり、

遂に自らが女房と一緒にフリーメースンのエジプト派を創設、どういう言葉が正確なのか、
よく分かりませんが、半文盲だったと言う彼自身もよく分かっていなかったでしょう。
妻のロレンツァも文盲だったと言います。

こうしてフランスで、有名なマリー・アントワネットの首飾り詐欺事件に巻き込まれますが、
これは関わりの無かった事が分かったものの、国外退去命令に。
こうして、じわじわと彼の運が傾き始めます。

この時期に、イタリアに滞在中のゲーテが好奇心に駆られ、ナポリからパレルモに赴き、
ジュゼッペの母親と姉に、ロンドンから来たイギリス人で、家族の様子を
カリオストゥロに伝える為にと偽り、面会します。

彼を、チンピラで詐欺師、とゲーテは書いているようですが、
母親と姉との面会の様子の描写は、少し胸に詰まるものがあります。

貧しい小さな家ながらきちんと掃除され、かって彼が行った詐欺の償いに家具類を
質に入れた事、母親は彼の事を片時も忘れず、毎日神に祈っている、
祭りの日に戻ってきたら、よく見えるように公園に一緒に行こう、と。
       
ゲーテは2度と会う事はありませんでしたが、自分の懐から借財の、金14オンスを
届けさせたといい、後に「Der GrossKophta」の作中にカリオストゥロを描いているそう。

こうしてイタリアに1789年の春に戻ってきた彼はローマに行きますが、
教皇庁のスパイに、フリーメイスンに入会したいと持ちかけられ、これは教皇領では死罪に
当たるのを知らずに承知、行事に参加させ、彼らは加入金を払う前に逃亡。

一方再度、妻のロレンツァとその父親、スパイの方からも上訴され、
カリオストゥロは1789年12月27日に逮捕され、カステル・サンタンジェロに収監。

逮捕に至る経過は、教皇以下枢機卿も参加の最高レベル会議で決定されたとの事で、
告訴の内容は、フリーメースンに所属、魔術、神を始めとして全てカトリック教に対する冒涜、
売春斡旋罪、詐欺、中傷等々もし罪が明確になれば死罪となる重大な物で、

弁護士は妻の訴訟内容は信用できない物として反駁、そしてカリオストゥロは教会教義も
よく知らない程の無知である事などを訴え、彼自身も許しを乞う手紙を法皇に送りますが、
1791年4月に、異端の罪は免れないものの特別な慈悲を持ち、要塞監獄に終身収監、
恩赦の望みは無し、との判決が下され、このサン・レオの城塞監獄に連行されたという、
長い長い彼の経歴、お疲れ様でした!



で、これから彼の収監された牢を見て頂きますが、
これは、壁の穴から牢内を監視する穴、

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こちらは、ここから彼が牢内に入れられた上げ蓋、そして一日2回の食事が
差し入れられた場所なのです。

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現在、この入り口から、我々は牢内に入り、

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今は内側にこんな感じの扉があり、片隅に木のベッド、

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そして、上の写真で見て頂いた監視用の穴と、上げ蓋のある天井の四角い穴。

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最初の見取り図でこの牢は、ポッツェット・小井戸と呼ばれる、と書きましたが、
井戸、まさにその通りで、現在の入り口である扉部分の壁は石で塞がれ、

多分4月の終身監禁の判決の後工事が行われ、
9月に穴底の様な10m平方の牢に、彼は上から吊り降ろされたのですね。



厚い壁にある唯一の窓から、サン・レオの村の鐘楼が見えます。

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最初は祈りを捧げる毎日があり、そして絶望から来る痴呆状態、
そして無気力、幻覚症状となり・・、
この井戸の中で、彼は4年間生きます。

そして1795年8月23日に卒中を起こしているのを発見され、3日後に死亡、52歳。
村の西側の平地に、棺なし、場所の記録も記しもなく、葬られたという事。

付け加えますと、妻のロレンツァも同時に逮捕されたものの無罪に。
但し修道院に入れられ、15年間出る事を許されず、後、門番として勤め、
1810年に卒中で亡くなったとの事。

サン・レオの断崖上の要塞の写真を見た時、見に行こうと思い、ガイドブックで
彼の事を知りましたが、単なるペテン師が収監された位に考えていました。
が、実際に牢を見て、今回これを書く為にもう一度読み直し、きちんと書かずには
おれなくなり、長くなりました。 最後まで読んで下さり、有難うございました!



要塞の上階の窓から眺めるサン・レオの村、

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そして北側に見えるクレーター、実際はこれが上下2段になっているのですよ。

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要塞から村に降りて来た所にある井戸。 カリオストゥロの井戸、と呼ばれますが、
彼の遺骸を要塞から運びおろした時、この井戸の所で、一休みしたのだとか。

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村から見上げる要塞の威容。 
真ん中の飛び出し部分の下の窓が、彼の窓でした。

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◆*◆
ブログご訪問、有難うございます!
ブログを書く事により、旅行の写真もちゃんと整理し、いろいろ読んだりするのですが、
時に思いがけずに深入りする時があります。

その場所の持つ歴史とか、関係する人物になのですが、
今回は、昨日読み始めたら止まらなくなり、大変気持ちが重くなりました。
単純にペテン師とかたずけて書く事も出来ず、かといって、勿論持ち上げる気も
ないのですが、人間の哀れさ、と言うのか、それに触れた想いです。

と言う事で、次回は何か軽い物を・・、と伏線を! ははは。

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・ 雨と霧のカステルッチョ と 大平原

晩秋にかかるこの時期、北イタリアは霧の朝が多く、朝、窓を開けると真っ白、
近くの木が霞んで見える有様ですが、

ならばイタリアの霧の風景を見て頂こうと、1ケ月前に行ったウンブリアの奥、
カステルッチョ・Castelluccioと、ピアーノ・グランデ・Piano Grande・大平原を。
雨と霧にかすみ、既に晩秋の色濃いウンブリアでした。

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ウンブリア州の既に東の端のプレーチから約15k北東にあるヴィッソ、ここは既に
マルケ州になるのですが、ここから南に36K、九十九折りの山道を辿り、
標高1496mの峠を越え、再びウンブリア州に含まれるカステルッチョに到着。

上の2枚は、漸くに九十九折りの山道を過ぎホッとした辺りですが、
辿って来た谷の道は、真っ白に雲に覆われているのでした。

カステルッチョと大平原に出かけるのは、既に3度目ですが、
n.1 カスッテルッチョ、 そして大平原のお花畑
ヴィッソ ・ ヴァルネリーナ渓谷の珠玉の町
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463304165.html



グアルド峠・Passo di Gualdo、1496mの頂上にある祠を過ぎると、何度かの
行き来で見覚えのあるカステルッチョへのカーヴ道がおぼろに見え始めましたが、
ですが、霧が深すぎて村は見えず。

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峠の上からカステルッチョの村までは4~5kmあります。 坂道を下り始めると、
道脇に路肩を示すと共に積雪量を示す棒が、既に打ち込まれているのに気が付き。

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霧が常に流れ動き、濃くなり薄くなり。 漸くに前方に村の姿が見え、眺めながらゆっくり。       

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この姿を見つつ思うのはやはり、遥々とまたやって来たなぁ、という感慨に近いものです。

ヴェネト州の我が家からカステルッチョまで580程、真っ直ぐ走れば6時間前後で到着
する筈とはいえ、いつもあちこち回ってから、ここに来るからでしょうか?
いや、やはりこの地で感じる「地の果て」の感覚に近い、普通の生活感ではない
異質な空気、それだと思います。

ちなみに高速入り口のヴィットリオ・ヴェネトからローマまで何キロあるのだろう、と思い
調べましたら、596K、5時間40分と出ました。
少し距離数が多くなりますが、高速乗継でほぼ同じか短い位なんですよ。
       
                    

一旦坂道を下りきった時、ヴェットーレ山・Vettore2476m、が霞んで見えましたが、
今回はこの時の1度だけになりました。

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カステルッチョの村に向かい坂道を上りますが、村の標高は1452m、
大平原の北に突出す形に。

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下の写真の真ん中に白く小さく車が見えますが、その右上に小さな点々が丸く
なっているのが分かりますか? あれは羊の群れなのです。
元の写真をアップして見ると、車の周囲にも散らばり、中間に四角い小屋の屋根が見え、
その近くにもかなりたくさんの羊が見えました。
もうこの時期、最後の群れでしょう、冬には、暖かいアドリア海沿いに移動して行くのだそう。



坂を上がりきった所にある村の駐車場。 初夏には満杯だったのに、この日は2台だけ。
ぐるっと回って並んで止めてから、そうか、どこに止めても邪魔になりはしないのに、と。

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そうなのですね、気がついて見ると広場を囲んで幾つかある土産物店、バール、
レストラン、みな閉じているのです。 そう、この村はもう冬眠に入っているのでした。



1軒だけ灯りの付いた店、バール兼食料品店を見つけ入ります。

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以前お土産に買って戻りましたら、風味があって美味しかったと好評だったので、
ちょうど良いと今回ここで調達を。

前日、豚肉製品本場のノルチャにも行ったのですが、入り口近く迄押し寄せる
強烈な匂いに到底店に入れず、断念したのですね。

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自分が食べない物ですから、店の主人に訊ねながらあれこれ買い込み、その後の写真で、
少し品薄になっています! ははは。
      
とりわけこの一帯で付けている品名前が可笑しいので、
ええとですねぇ、お祖父ちゃんのタマxxとか、ロバのキンxxとか、大xxとか・・!
わざとその手の名前の品を選んでですねぇ、きゃはは。
       
ノルチャで、その手の名前がいっぱい下がった店の写真をたくさん撮りましたので、
また特集でも。 ははは。
チーズも写っていますが、サン・レオで食べたのが格別でしたから、またそれもご覧に。



お店のご主人、カウンター内と常連と思しきおふたり。       

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最初から店の中とかこの方達を写させて貰ったのではなく、最初はカフェを頼み
トイレをお借りし、買い物をして出たのですね。

で、近くを一回りして写そうと思いましたら、大変な霧で真っ白、
道の先もかすんで見えない程でおまけに寒く、雨。

諦めてまたバールに引き返しましたら、常連と一緒に座ってしゃべっていたご主人が、
知り合いが店に来たかの様に、ひょいと片手を上げてくれたので気楽になり、
またカフェラッテを頼み、ついでに写させて貰ったという次第。



広場の向かいの、家並が広がる方で、左の道を上った奥にぼんやり映っている
黄色の建物がレストラン兼宿で、2年前には、ここで紹介して貰った貸し部屋に2泊し、
このレストランで食事をしたのですが、今は閉っていますね。

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壁に何やら書いてあるのが見えますが、こちら側の家の壁にも書いてあり、
土地の風習だとどこかで読みましたが、何を書いてあるのかは息子に見せたものの、
土地言葉が多く分かりませんでした。



カステルッチョの村から坂道を下り、大平原の道を行きます。 ほぼ一直線の道が
途中で一度角度を変え、南側の峠に向かってまた一直線に進みます。

北の今回通った峠から、ノルチャから来る道の大平原南の峠迄が16K程ですから、
大平原を通る直線の道は約10Kですか。

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初夏には幾つもの羊の群れがおり、馬も牛も放牧され、四角く区切られた畑が広がり、
花も咲き乱れていたのが、

今は白い霧に覆われ、雲が動き、イタリアの形に植えられた木々の姿も、南半分だけ見え。

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遠くに白黒に点々と牛の形が見えましたが、雨で草原には入り込めず断念。

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振り返って見上げると、漸くにカステルッチョの村。    
3年前の早春に訪れた時と同じように、窓も扉も閉じられた村になっているのでしょう。

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雨と霧のお天気で、大平原の南まで走る元気も出ずに、途中で分岐する
アスコリ・ピチェーノ・Ascoli Picenoへの道を辿ります。

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大平原を囲む東側の山道にかかり、曲がりくねりながら徐々に南東に向かって行きます。
かなり上ってから振り返るカステルッチョの村、

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そして、ノルチャに向かう南の峠道。

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最後のカーブ辺りで振り返ると、村の姿は雲と霧の中に。

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ここからのアスコリ・ピチェーノの道もまっ白白!
バールのシニョーレが言ったように「美しい!」景観は何も見えず、両の道脇すぐ真っ白、
の霧の中を進む、いささか緊張した道のりでした。

このウンブリアの奥で見るのはイタリアの常のイメージとは違う景色です。 
でもね、きっとまたチャンスを見つけ出かけて行くだろうと思います。
       

◆*◆
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霧の毎朝が多いので、と選んだ風景でしたが、なんと今朝は一番の霧で、
コネリアーノに向かう道がぼんやりと。
道の両脇は真っ白で何も見えず、流れる霧にワイパーをつけるほど。

さすが町近郊になると、霧も薄れワイパーは勿論不要。
が到着し、財布も免許証も忘れている事に気が付き、こりゃ頭にワイパーが必要だ、と。
       
徐々に旅行の写真整理も進み、次は何をアップしようか、とあれこれ考えるのですが、
横着者はとかく手っ取り早い物に・・。
う~ん、少し気合いを入れて資料も読まねば! 積読ばかりが増えて行きます。
はぁ~い、がんばりま~す!

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・ 秋の味覚、 トリフ と ポルチーニ について

今日は、この秋に味わったタルトゥーフォ・Tartufo・トリフ、
そしてポルチーニ・Porcini についてのお話ですが、

まずは白ワインのグラス越し、素晴らしいスポレートのドゥオーモを!

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ウンブリアはスポレート・Spoleto のドゥオーモですが、
今年行きましたら、鐘楼が修復中のため覆われておりました。
大変美しい正面壁を持ち、内、後陣には優美なフィリッポ・リッピの、
入り口脇の礼拝堂にはピントリッキオのフレスコ画と
たくさん見所がありますので、また別に詳しくご覧頂きますね。



お天気に恵まれた秋の朝早めに町に到着、宿に鞄を置き、
アルボルノスの要塞をまずゆっくり見学の後、坂を下りドゥオーモに。
既に1時頃でしたからお昼をと思い、
このドゥオーモ広場前のテラスの席に。
       
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肉を食べないので選択肢が狭められますが、今回はタルトゥーフォのリゾット
を見つけ注文。値段はまぁお高いものの、なんとか払えそうな範囲!

サラダも欲しいけど、値段から考えると量が多そうなので
小さいのはないのか、と訊ねましたら、しますよ、との事で、
他に白のグラスワインを。
   


まずワインが運ばれ、それで最初の写真となった訳ですが、
地図を眺めたりしていて気が付くと、テーブルの横に細長い別のテーブルが
運ばれて来ていて、 ん? と思いつつ眺めていると、
タルトゥーフォの乗った小皿が届き、・・あれ!

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で、こうして右の蓋つき容器の上にお皿を乗せて彼が運んで来て、
中からリゾットの入った鍋を取りだし、お皿に盛り始め・・。
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思いがけない成り行きに、一瞬、おりゃ?! と思ったものの、
こうなれば、傍らのバッグから再度カメラを取り出し、
写すしかないではありませんかぁ。



タルトゥーフォが削られ、リゾットの上に!
少しこんもりとなった所で、パシャッとシャッターを切りましたら、
彼が削る手をパッと一瞬止めたのですよ!

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プロだなぁ!!
ウプッ!! と吹き出しそうになりながら、終わりを待ちます。



はい、これが黒タルトゥーフォのリゾットで~す。

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お味ですか?
これがまぁあ~た、今迄で食べたタルトゥーフォの料理の中で     
一番に美味しい物でございました!! 
      
皆さんが美味しい、美味しいとおっしゃいますが、
何度か食べたタルトゥーフォ、いえ、まだ白は食べた事がなく黒だけですが、
アッシジ、ヴィッソ、プレーチ、ルッカ、ヴェローナ、ウィーン等で
この様に茶色ではなく真っ黒の物や、サラダの上に片で散らされた物も
頂いた事があるのですが、美味しいとは思いつつ、

この様にムムゥ!と感じたのは初めてでして、
ああ、やはりタルトゥーフォは美味しいのだ!と納得した次第。

お給仕の彼とは違う、ピシッとスーツで決めた中年のシニョーレ、
彼が注文を取ったのですが、やって来て
どうですか? とにこやかに。
今迄食べた中で一番美味しい、と素直に答えましたが、
こういう味を知ると、またのチャンスが欲しくなりますねぇ!



で、お勘定でございます、ははは。

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上から、パンとテーブル代   1,90
グラスワイン     3,00
サラダ        6,00
リゾット       23,90
カフェ        1,50
〆て、36,30エウロでございました。
      
高いと言うとまぁ高いですね。 
今迄食べた中では(私が払った分で!)一番高かったですが、
聞く所によると、黒よりももっと美味しいという白トリフは、
上から降りかけるだけで+40エウロとか!
       
猫缶の美味しいのを一度食べた猫ちゃんが、
次から不味いのは食べなくなるのに似て、ははは、
次は、白の美味しい物を食べて見たいものです!!



このリゾットを食べたのはドゥオーモの真ん前、テラス席の見える所で、

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3年半前にスポレートに行った時も店の中で食べた事があり、
お給仕の彼の顔を覚えておりました。
以前食べた時もやはりなかなか美味しかった記憶がありますので、
お出かけになられたらお試しください!



も一つのこの秋のタルトゥーフォのお話を、こちらはウルビーノ・Urbino。
街の通りが集まる中心のレプッブリカ広場から、ラファエッロ通りに入って
すぐ近くの木のある広場に、小さな屋台が2つ3つ出て蜂蜜や土地の産を
売っているのですが、このシニョーレはタルトゥーフォを。

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台の前に確か100g=30エウロと書いてあり、友人のmkちゃんと冷やかしに。
シニョーレは白の小瓶入りの小さな高いのを勧めてくれたのですが、
買わずに一度は離れ、が、小さいのを買って食べようか?!と戻り、
小さいのを一つ。 値段をメールで確かめましたら、12エウロ払ったと。



これよりの写真3枚はmkちゃんで、 その12エウロのがこの小さい固まり、
胡桃より一回り大きい位だったかな、ホテルのベッドの上です。

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どうやって食べたかと言いますと、炊事係のmkちゃんが持参のナイフで削ってくれ、
この日は買い出しをしていたもので、確か野菜入りのオムレツ式に振りかけて。
       
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屋台のシニョーレが匂いを嗅がせてくれた時は、確かにえもいえぬ香りがあった
のですが、こうしてイザ食べて見ると、残念ながら特別な感慨もなく、
翌日、翌々日の夜は見つけた美味しい店に通い、
半分残っていたのも忘れてしまった程!



で最後の写真の真ん中に写っているのは、ピティリアーノに移動しての店開き。

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やはり暖かい物に振りかけたりで、香りをたてた方が美味しいのかな?とも
思うのですが、でもサラダにも薄切りにしてかけますよね。
となると、個体差がかなり大きな食べ物かも、です。



突然登場の中世のシニョーレは、イタリアの大詩人のダンテと並ぶペトラルカ、
フランチェスコ・ペトラルカ・Francesco Petrarca.
ヴェネトのパドヴァの南アルカ・ペトラルカ・Arca Petrarcaに、彼が最後を
過ごした家が博物館で残っていますが、そこにある石像です。

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なぜ急に彼がお出ましかと言いますと、
旅行中に買ってきた中世の献立などを記した本の中に、
ペトラルカがタルトゥーフォについて書いたソネットがあると記してあり、
彼が好きなタルトゥーフォの食べ方についても。

それによると、小さく削った物を、つまり上の我々の様なと想像しますが、
オリーヴオイルと塩コショウで軽く炙る、とあります。  お試し下さい!
       
アルカ・ペトラルカの穏やかな村については、こちらに。
       


タルトゥーフォについての思い出を、
ブログ・リンクさせて頂いてる友人で絵の師である日本画家の二木(ふたつぎ)さんが
こちらに書かれておりますので(笑えます!)どうぞ。
http://blog.goo.ne.jp/futa2560/e/3711b4513f1bbca9fd96372650d1876a



最後は、大好きなポルチーニ・porciniについてですが、
日本の松茸と並び称されるポルチーニ。
私めは茸大好き人間で、今回も何度かタリアテッレ・アイ・ポルチーニ
Tagliatelle ai porciniを食べました。

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上の写真はアンギアーリで食べた物ですが、



そう言えば今年は、ポルチーニを家で丸ごと食べていない、と考えていて、
なんと忘れた頃に出会いました!

スーパーで見つけて買った物で、10月22日に234g、
大きい方が12,5cm 小さいのが6,5cm程で、6,76エウロ、 安いでしょう?!
1kが28.90エウロの計算で、証拠写真をどうぞ!

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家に戻り早く食べたいものですから、必死に思いつくままに写真を撮り、
さっと洗って切り、オリーヴオイルで炒め、付け合わせのホウレンソウもさっと炒め、
お皿に盛り、写真を撮り美味しく頂いたのですが・・、

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ですがぁ、今になって写真を見て呆れています。
あはは、まるで素人の料理法、盛り付けというか、
旨けりゃ文句ないだろ!のイタリア式というか・・。

あはは、でも本当に美味しかったのですよぉ!

松茸の美味しさを書いて、どんと大きく写真も見せて下さったパンダさん、
http://allegria1i.exblog.jp/13464029/
二木さん、
http://blog.goo.ne.jp/futa2560/e/1cdf90cbdb9d5e54164b71a61cb2dcec

ざまぁ見ろ! きゃはは。

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・ サン・マリーノ共和国 ・ 絶景かな、絶景かな!! 

今日のご案内は、ヨーロッパで3番目、世界では5番目に小さい国で、現存する
世界で一番古い共和国サン・マリーノ、正式にはセレニッシマ・レプッブリカ・
ディ・サン・マリーノ・Serenissima Repubblica di San Marinoを。

エミーリア・ロマーニャ州とマルケ州に挟まれ、海から15Kの、世界遺産指定も
受ける国の首都の高所の要塞から、何とも何とも素晴らしい眺めをご覧頂きますね。

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この前日は、こちらも高所にあるサン・レオ・San Leo泊でしたので、ゆっくりと
リミニ方面に出て九十九折りの坂道を上り、約1時間で到着。
運よく1台分だけ空いていた駐車場に止め、せっせと歩いて中心に向かいますが、
狭い上り坂の両脇には土産物、バール、レストランがずらっと。

サン・レオのちょっぴりのご案内は
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461246801.html


中心街へ入るサン・フランチェスコ門・porta San francescoの壁に見える
右側の石碑、そして博物館収蔵絵画に見える3つの塔に、羽が立っているのが見えますか?

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これは「3つの羽・トゥレ・ペンネ・Tre Penne」といい、街の3つの要塞と塔、
そしてサン・マリーノ共和国自体のシンボルで、確かに塔の先にありましたので、後ほど。



坂道を右に左に上って行くとピアッツァ・デッラ・リベルタ・Piazza della Libertàに。
後ろに見えるのがプッブリコ宮・Palazzo Pubblicoで、国の人口は3万人ほどの
大評議会が置かれていると。

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「リベルタ」とは「自由」の意で、この国の標語でもありますが、
国の元々の成り立ちにも由来します。

元石工の聖マリーノがキリスト教徒への迫害からこの地に逃げ、301年、仲間と
小さな共同体を作ったのが国の始まりで、土地の持ち主のリミニの女性フェリチッシマ・
Ferlicessimaが、息子ヴェリッシモ・Verissimoの命を救ってくれたマリーノに、
「あなた方を、2人の男(皇帝と法皇)から自由にして上げます・Vi lascio liberi
dal'uomo e dall'altro uomo」と寄進。

以来何度かの進撃に遭いながらも何処にも従わず、税を納めず現在に至る、
という国の歴史に残る、重い意味を持つ「自由」の標語です。



広場の左手はテラスになっていて、ここからも絶景の眺め!
で、この広場で結婚記念撮影をするカップルを見つけました。 風の大変強い日で、
しかも高所ですから寒い程だったのですが、お二人はそんな事も感じなかったでしょうね。

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で、またまた坂道をせっせと上り、要塞に。 要塞の入り口を入った所から
見上げたもので7世紀から20世紀にかけての建設修復の様子。

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ティターノ山・Monte Titano、海抜約700mに街があり、そのまた一番高い断崖の上に
3つの要塞がありますが、この最初の要塞グアイータ・Guaita が一番古く10世紀に溯り、
高さも3つの内で一番。

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全体は細長い菱形と言いましょうか、ぐるっと城壁の見張り台が取り囲み、
そこに5角形に尖った高い塔があり、登れます。

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要塞も塔も直接に岩山の上に、山の石を切り出し造ったもので、街にはいくつかの
石切り場が残り、現在は石弓競技場や駐車場に。



で、塔に上りましたが、2階迄は普通の階段なのが、

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最後がこの急な梯子みたいなもので、あの狭い穴を潜るのです!

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まぁ上がるのは大丈夫なのですが、下りは上から2,3段降りて体の方向転換をし
皆さんが下って来る、それを下で待つ訳。

で、ロシアからの若い女性グループがいて、彼女達は寒さに強いのか、大概ひらひらの
薄物のミニ・スカートなのですね。 で、スカーフを巻いたりして降りてくるのですが、
そうでない一人が降りかけて下で見上げる連中に気が付き、きゃ!と竦んでしまい、
下の連中は大喜びではやし立て、手を叩き!! 勿論私もイェイ、イェイと。ははは。



そしてそして、さすがさすがの、絶景が眼下に!
海も肉眼で良く見えましたが、この写真では少し見難いかな?

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この周辺にもクレーターがあちこちに認められ、

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2番目チェスタ・Cesta、 3番目モンターレ・Montaleの要塞と塔もしっかり見えます。

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11世紀建設の2番目のチェスタには武器博物館があり、確かどの要塞も入場料が
必要だったと思うのですが、この日は日曜で皆無料、おおきに!
       


1番目から2番目へのこのかなりの急坂には、魔女たちの通り道という名が
付けられていましたが、断崖絶壁振りが良くお分かりでしょう?

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2番目の塔チェスタからの眺め。 街と、リベルタ広場のプッブリコ宮。

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1番目の要塞グアイータが空に突出す眺め。
目の当たりに見ると、やはり凄い! 出てくる言葉は、凄いねぇ! の一言だけ。

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奥に13世紀の最後の塔モンターレが見えますが、最後の羽の写真はmkちゃん。

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モンターレの塔は3つの内で一番小さいのですが、かって内部は牢獄として使用され、
8mの高さがあるそう。



3番目の塔からのんびりと小道を戻る途中に見つけたたくさんのドングリと、
密生する野生のシクラメン。

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強い風に吹きさらされ、おまけに塔の上も寒く、熱い野菜スープ・ミネストローネと
スパゲッティで元気回復、坂道を下って戻る途中、再度リベルタ広場に。

プッブリコ宮の鐘楼に見える3人の聖人は、聖女アーガタ・Sant'Agata 
聖マリーノ、そして聖レオ、女性像は多分リベルタ像でしょうね。

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広場に素晴らしく綺麗に磨かれた4つ輪の高級車が、サン・マリーノの紋をつけ
駐車していましたが、あの狭い坂道をどうやって曲がるんだろ?

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坂下とこの山上を結ぶロープウェイ駅横からの眺め。
雲の影が地上に落ち、向こうに広がるアドリア海!

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どこから見ても、絶景かな! 絶景かな! のサン・マリーノ共和国。



そしてこの国のポストは、白いのですよ。

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最後はmkちゃんの写真を拝借して、この国のお巡りさんを。 長いチャリ、濃い眉。
う~ん、遠くからサングラスだけ見える方がカッコ良いかも!

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駐車場の女性管理人に、花の名前を訊ねられました。
色は様々あり、大きくて美しくて・・、
東洋人にあれこれ訊ねているのだと見せる紙片には中国語も。

そうかと気が付き、それはBotan、牡丹だと書きましたが、彼女はイマイチ腑に落ちぬ顔。
それもそう、イタリア語でどう言うかが分からないのですものね。まさにトンチキshinkai!

今調べて、ぺオーニア・peoniaと知りましたが、
どなたかサン・マリーノに行かれる方、教えてあげてくださ~い!

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・ n.1 ラヴェンナ ・ モザイク詣で 

今日は余りにも有名なラヴェンナ・Ravennaのビザンティン・モザイクのn.1、
サン・ヴィターレ聖堂と、同じ敷地内にあるガッラ・プラチーディア廟のご案内を。
   
まずはラヴェンナの街の地図をどうぞ。
ラヴェンナには、ボローニャから東に国鉄で1時間20分ほど、フィレンツェからだと
ボローニャ経由で2時間半、いずれにしても、なんとか日帰りできる範囲ですね。
真ん中右矢印に国鉄駅があり、街の中心ピアッツァ・デル・ポポロ・Piazza del Popolo
まで約700(測りました)で、
        
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赤線で囲った左上に、ご案内のサン・ビターレ聖堂・Basilica di San Vitale  
図の黄丸1と、ガッラ・プラチーディア廟・Mausoleo di Galla Placidia 黄丸2.
左下黄丸4には、オルトドッサ(ギリシャ正教)の礼拝堂と、
黄丸5は、ムゼーオ・アルチヴェスコヴィーレ(大司教博物館)内に含まれる
サンタンドレア礼拝堂・S.Andrea.
右下に囲った黄丸6のサンタッポリナーレ・ヌオーヴォ、ここは今回訪ねませんでしたが、
 
その下に↓で記した、街から南に7K程にあるサンタッポリナーレ・イン・クラッセ・
S.Apollinare in Classeは訪問し、モザイク詣で・その2でご案内致します。
28には、この地で亡くなったダンテのお墓と博物館。



ラヴェンナは26年振りの再訪で、鄙びた町という印象が残っていたのが、なんのなんの!
例によって駐車場探しに行ったり来たりしましたが、怪我の功名で、
気が付けばぴったり入り口脇の大駐車場に到着。

以前よりも大幅に整備され、何せ世界遺産指定ですものめ、北側隣接の
国立ラヴェンナ博物館から入場するようになり、
ローマ期の発掘物が所狭しと並ぶのを通りぬけます。
 
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実際これだけでもしっかり見る価値大なのですが、今回はモザイク詣で、という事で。

このラヴェンナはローマ期に、アドリア海を掌握するための大ローマ海軍が置かれた地で、
あちこちに残るクラッセという地名もクラッシス・Classis・ローマ海軍、から来ているのだと。

cucciolaさんの興味深いこちらをどうぞ。
http://blog.livedoor.jp/cucciola1007/archives/902945.html

実際当時の繁栄は大変なものだった様で、行き会ったグループのガイドの話を漏れ聞くに、

金を使ったモザイクは、一つの教会と思うと大した事がないようだが、巡礼達が回る
教会礼拝堂の類は当時xxとあり、90と聞いた気がするものの、肝心の数字が頭に残らず!
その総量とすると大変な金額となる、との説明でした。 なる程!


で、この現在の地面よりも低い位置の、このアーチを抜けサン・ヴィターレ聖堂の方に。

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このアーチの雰囲気が大変に荘重で、見た途端なんとなしざわっと来た事を忘れません。



聖堂内にも、以前とは逆に奥の暗い位置から入り、そろそろと内部に。
こんな風に見え始めますから、なんとなしに息を詰めて・・。

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内部は八角形に堂が張り出していますが、奇跡的にも残っているこの部分。
6世紀のビザンティン美術の傑作、なんぞという説明はまるで必要のない、
圧倒的な美しさが目の前に!!
       
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まずは天井部分。

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そして後陣上部のキリスト。

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後陣キリスト像の下部、
窓の左側には東ローマ帝国のジュスティニアーノ1世・Giustinianoの姿。

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左部分の手前側、何とも豪華絢爛に、様式に従いつつ、かつ、いとも大胆に。

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ユスティニアヌス1世の像と向かい合う位置にあるのが、彼の妃テオドーラ・Teodora像。

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この元娼婦だったと言われる、意志の強そうな彼女の美貌。
そしてこの表現の、大胆で的確な色と線!
誰がどう見ても、圧倒的な美人である事を認めさせる描写力に乾杯!

皇帝と后妃はコンスタンティノープルにて在位で、一度もラヴェンナに来た事はなく、
モザイク職人も、きっとあの東の都からやって来たのでしょう。

547年にこの聖堂が完成し、その翌年に2人共に亡くなった様ですが、
1500年後の今も艶然たる美貌を黄金色に囲まれ、ここに健在。

聖堂のブックショップで「テオドーラの生涯」という小冊子を購入、
今回肝心の前半生部分を大急ぎで読みました。

父親の早い死による生活苦より逃れるために、その美貌と若さを武器に娼婦生活に。
20歳の時に未来の皇帝と知り合い、じわじわ食い込み陥落させ、
身分差のある結婚に反対の法律をも変えさせ7年後に結婚、遂に皇帝妃となり
21年間その位に。 お分かりですねぇ、単に美貌と若さだけでは出来ない事、はい。


右側手前部分。 少し斜めになりましたが、テーブルの上の金の壺、
どの様に金のモザイク片が使われているか、お分かりでしょうか。

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これでもか、というほど金色があちこちで輝き、赤、緑、白、青と極彩色の柄で
埋め尽くされ、小鳥達が、羊が、天使が、神の福音を伝えます。

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教会の入り口部分、今は逆に出口となっているのですが、床モザイクをどうぞ。
堂内全部埋め尽くされていますが、内後陣の凄さの前には、素朴で質素に見えますね。

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教会正面入り口、手前の小道を右奥に辿ります。
  
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聖堂の後ろからの眺めと、

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奥に見えるガッラ・プラチーディア廟。

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名前を冠されているガッラ・プラチーディアなる女性は、西ローマ帝国皇帝テオドーシオ・
Teodosioの娘で、5世紀中頃に、自分と夫コスタンツォ3世・Costanzo、
そして弟オノーリオ・Onorioの礼拝墓地として建設させた、との事ですが、
彼女自身はあれこれ歴史の波の中で変遷の末、ローマに葬られている様子。



それはともかく、この素晴らしく美しい小さな廟をどうぞ!
アーチ状の天井部分に輝くブルー地の柄と、

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入り口上部の半円の、良き羊飼い。

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中央の高い丸天井部分、
満天の夜星の真ん中に十字架があり、四隅に4福音者のシンボル、

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左右の半円には、神(水)を求めるキリスト信者の姿が、泉で水を飲む鳩、
水を探す鹿の姿として描かれ、

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良き羊飼いのキリスト像と向かう奥の半円には、火刑に処せられたサン・ロレンツォの姿。

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赤茶色に見えるのは、窓のアラバスター(大理石)で仄かに光を通し、内部は殆ど薄暗がり。
次々の観光客に静寂を乱されて、お気の毒なような・・。



最後にもう一度、美しい柄模様と蒼をどうぞ!

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ラヴェンナ ・ ビザンチン・モザイクの輝き  グロリオーザさんのご案内
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463253355.html

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・ イタ犬イタ猫 ・ イーモラ、ラヴェンナ、サン・レオ編

久し振りのイタ猫イタ犬で~す!       
この秋の旅行日程に従い、今日ご覧頂くのはイーモラ、ラヴェンナ、そして
サン・レオの皆さん方で、写真は友人のmkちゃんのも拝借していますので、
かなりあれこれ雑多な特集となっていると・・勝手に自負し、はい。
では、ごゆっくりどうぞ!

・ イーモラ・Imola

町の中心通りで出会った白黒片耳垂れのこの子は、一度分かれた後に
また出会うと、向こうから笑顔で尻尾をパタパタやってくれたのですよ。

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目が見えてるのかどうか、長い顔のお爺さん風貌の子とは
中世のお屋敷があった通りで。 (写真mkちゃん)

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・ サン・レオ・San Leo

物凄い岩山の上にある小さな町ですが、一旦町の門の中に入ってしまうと
特別な急坂もなく、のんびりと猫ちゃん達が道端で日向ぼっこ。

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お互い少し離れて、白黒はせっせと身づくろい中で、
人間ならば、もちょっと寄って下さい!と言いたいのを我慢し、
人畜無害の顔をして、少しづつすり寄るshinkai。

で、決めて下さったお2人のポーズですがぁ、あはは、身づくろい途中のままと、

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逆にすごんで見せたかのような、ミケちゃん。

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・ ラヴェンナ・Ravenna

ラヴェンナというと「モザイク」ですが、先に犬猫が来るこのブログ!ははは。
勿論モザイクもしっかり見たのですが、ちょうど街中の広場で
各種ヴォランティア団体の出店催しがあり大変な賑わい。
で、手芸作品を見ていましたら、しっかり捉まり寄付する羽目に!

最初の2枚と最後のはmkちゃんの写真で、すごすごと後からついて歩くのやら、

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自転車のかごに乗せられた子。

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広場で悠然と休むご主人の傍らにいた一見すっきりな子は、気が付くと
尻尾が脚の間に入り込んでいるし、

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mkちゃんの写真でも、何やら気弱そうな横顔で、ははは。

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・ サン・レオ・San Leo 

道の真ん中で、のんびりと寛いでいた猫ちゃんなのですが、たまたま車が通り、

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黒ちゃんは植え込みの陰に。

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mkちゃんの話によると、オートバイの一団がやって来たそうで、
向こうに小さく見えるポインター、という構図が面白いのと、

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なんとなんと、前の席にちょこんといるのは誰?! 袋に入ってはいるものの、
ゴーグルをつけヘルメットも被り、う~ん、特等席ですねぇ!

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町の裏通りで蝶々が道に止まったのを見つけ、ピントを合わすうちに、
何やらカサカサと音がし、 蝶は逃げ、写った写真は肝心の蝶の顔がピンボケ。

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はい、犯人はこの黒ちゃん。 まるで悪びれずゆっくりと身を横たえ、
遊んでやろうか?と。
      
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一方mkちゃんが町の広場で出会ったのは、この子。 まだまだ赤ちゃんの
域を出ておらず、それでも大きく、座った写真を見ると、
大きな太いお相撲さんみたいな赤帯回しをね!

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どうやらこの裏道は猫ちゃん達の縄張りの様で、あちこちから集まって来るのですね。
住んでいる人達が餌をやっているのだ、と通りかかったシニョーラが教えてくれました。

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両親がこのサン・レオ出身で、彼女自身はジェノヴァ生まれですが、
10年ほど前に戻って来たのだとか。
雪は降りますか?と聞くと、シィーィ!と1m以上を手で示し。



別の猫ちゃんも、小さな虫が通りかかるとチョッカイを出す、さっきの黒ちゃんも
またやって来る、と暖かな午後の陽射しを受ける、猫ちゃん通りなのでした。

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イーモラ・ラヴェンナのご案内はこちらから
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460834489.html

サン・レオの城塞 と カリオストゥロ伯爵・conte di Cagliostroなる男
https://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463938935.html


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