・ バッサーノ・デル・グラッパ ・ ヤコポ展を見かたがた 

今日はつい先日出かけたバッサーノ・デル・グラッパ・Bassano del Grappaを。

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以前にご紹介済みですが、建物の色が修復で変わったり追加場所があったり、
今回初めて訪問した市の博物館が大変素晴らしかったので、
そのご案内も含めてのバッサーノ・デル・グラッパ改訂版をどうぞ!



バッサーノデル・グラッパはどのあたりか、地図をどうぞ!
ヴェネツィアからだと、国鉄でカステル・フランコ・Castelfranco経由の
トレント・Trento行きで約1時間半、
車だとパドヴァ経由で73K程、やはり1時間半の位置に。

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今回急に出かけたのは、現在開催中のヤコポ・バッサーノ展・Jacopo Bassano
がこの13日までとcucciolaさんのブログで知り、余り彼の絵には魅かれないものの、
一枚見たい絵があり、それで出かけて行ったという訳です。

後ほど町の地図もご覧頂きますが、この市博物館は町の中心にある
元サン・フランチェスコ教会修道院を使っていて、ここは知ってはいたものの
入り口が即分からず・・??

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と、訊ねたシニョーラが同じ方向に歩いていた事もあり、広場の向こうから、
親切に大きな声で指さしてくれ・・。



で、辿り着いたガリバルディ広場・Piazza Garibaldi横の
元サン・フランチェスコ教会の修道院、現在は市の博物館入り口。
       
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教会は12世紀後半に、当時この町を領有していたエッツェリーノ家のバルド・
Baldoによって建てられたロマネスク・ゴシック様式。

当時はこの周囲を堀と城壁が取り囲んだ町の入り口に当たり、
修道院は巡礼者や旅人を迎えた宿でもあったそう。



見たかった絵はこれ、ピエトロ・ベンボ・Pietro Bemboの肖像。

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一般には「枢機卿の肖像」と書かれ、今回の展覧会のサイトには
Ritratto di cardinale, calvo e con la barba bianca
「枢機卿の肖像、禿頭白髭」と。(57,5x45,5) 可哀そうに!
でも会場にはしっかり「Pietro Bembo」とありました。
      
枢機卿の赤い衣の色はもっと渋く茶色がかり、頭の色、特に肌の色はもっと明るく、
そして頬や鼻筋がほんのり赤く。
目もきりっと、眉に交じる白い毛がしっかり描かれ、耳の中にも!
肌の艶もよく、老いた男ではありながら見とれるほどで、
何とも迫力のこもった、他の作品とはダンチの作品で驚きました。
       
ピエトロ・ベンボ(1470-1547)についてはヴェネツィアの貴族の生まれ、
キプロス女王であったカテリーナ・コルナーロの親戚筋でもあり、人文学者であり作家
という以外には、大変な美男で、フェッラーラ滞在中にルクレツィア・ボルジャと
愛人関係にあった、という程度しか知りませんで・・。

ティツィアーノも彼の肖像画を描いておりますが、こちらはより後年の作で、
多分亡くなる2,3年前と思われるこの絵のベンボは、

衰えても、まだまだ精神が研ぎ澄まされているかのような人物に見え、
それに立ち向かい、こう描きあげた画家の真骨頂にも感嘆しました。
以前からこの作品には魅かれていましたが、やはり見に行って良かった! 
と大いに満足、納得です。

ピエトロ・ベンボとルネッサンスの創造展 ・ パドヴァ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461921616.html



最終日迄あと10日、というので混んでいるかと心配し、日曜を外し急遽出かけたのが
拍子抜けするほどガラガラで・・。
ジョルジョーネ展は最後は2時間並び、チーマ展も順延と言うのに、
やはり知名度が低いのでしょうか。

博物館と言うだけあり、館内にはアントニオ・カノーヴァの作品、絵画作品も
数多く展示、考古学部門も併設。
   
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が、何よりも気に入ったのは、元修道院の中庭の素晴らしさ!
大きく伸びたジャスミンがまさに花盛りで、辺り一面が馥郁たる香りに包まれ、
薔薇もたくさん咲き、古い回廊に花を添え、
お天気の良さと共に素晴らしい一時を味わいました。

       

博物館の回廊の壁にあった、上が、17世紀のバッサーノの町の盾の紋章で、
下の可愛いフクロウは、ロカテッリ家・Locatelli の紋章と。

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中庭の四隅にあった井戸ですが、これはかなり古そう。

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写真では見えにくいですが、写真の向こうの生け垣に囲まれた部分に、
ヤコポの絵のポインター犬の写真が置かれていて、芸の細かさがちょっと笑え。

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町の地図をどうぞ。 今日ご案内の場所に赤い点です。
右端中のP の道を行くと国鉄駅
15. サン・フランチェスコ教会
4. 市博物館

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7. プレトーリオ邸・Palazzo Pretorio
10. モンテ・ヴェッキオ広場・Piazzotto Monte Vecchio
24. グラッパ酒醸造博物館ポーリ・Grapperia Poli
11. ポンテ・ヴェッキオ・Ponte Vecchio
5. アルピーニ兵博物館・Museo degli Alpini
17. ドゥオーモ・Duomo di S.M in Colle
8. ストゥルム邸・Palazzo Strum 陶器博物館

以前のご案内 バッサーノ・デル・グラッパ ・ グラッパ酒、アルピーニの橋
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461664355.html



ヤコポ展を見た後、私は更に西に17K程にある、サクランボで有名な町、
マロスティカ・Marostica迄お城を見に行ったので、またご案内を、
博物館以外の写真は2007年の初夏に2度訪れた時のものです。

ポンテ・ヴェッキオから、ブレンタ川の流れを。

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南ティロルのアルト・アディジェ州の山から流れ出すブレンタ川は平野に出て、
ヴェネト州の最初の大きな町がこのバッサーノで、
海抜129m、人口が43000人程の豊かな町。



橋からの眺め、東側上流の家並と、高台にあるお城とドゥオーモ。
お城のある位置が町で一番高く、町の最初の起こりの場所でもあり、ここを取り囲み
城壁が出来、古い集落があったそうで、ドゥオーモもお城の中庭に位置します。

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橋からの眺め。

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橋脚。

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川床に打ち込まれ橋脚の張り出し部分は、やはり太い! 水が透明でしょう?!

ポンテ・ヴェッキオは、ヴェネトの各地にその名を残すアンドレア・パッラディオ・
Andrea Palladio(1508-1580)が設計し1569年に完成したもので、
ポンテ・デッリ・アルピーニ・アルプス兵の橋 とも呼ばれる、この町の象徴。
       
かってブレンタ川が西のヴィチェンツァとの国境であり、橋の存在が記録にある
最初は1209年で、12世紀頃には既に収税人が交通税を取り立てていた様子。

たび重なる川の氾濫で流されるにも拘らず、その都度パッラーディオの設計通り
再建されるのも、木製の橋の柔軟さが水の勢いに耐性を持つからで、
一度架けられた石の橋は7年も持たなかったとか。

先日ご紹介したドーロを流れるブレンタ川は、平野を往くゆったりの表情でしたが、
ここの流れはまだまだ激しいのですね。
   


水に張りだす橋脚の木の桟の重なり、石が敷き詰められた橋の上はかなり広く、
車は禁止ですがバイクは通れたと。

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パッラーディオ設計の ヴィッラ・バールバロ・ディ・マゼール
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463456543.html

以前のご案内で  マロスティカ ・ 中世のお城・ 人間チェス・さくらんぼ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462861927.html



こちらは緑滴る東岸、橋の南の眺めと、橋脇の建物に残る銃痕。
1809年5月4日の日付があり、フランス軍の物と。

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文中の人名も知らずあれこれ検索し漸くに、1797年のヴェネツィア共和国崩壊後
ヴェネト各地でオーストリア軍とナポレオン軍との戦闘が起こった様子を知りましたが、
この後1815年にオーストリアの下に入ります。

そして、バッサーノ・デル・グラッパも含め北ヴェネト一帯は、第一次大戦では
大激戦地となり、オーストリアからの独立の為に勇敢に戦ったアルプス兵と
土地の誇りは今も高らかで、この橋の西詰にはその博物館も。
             


こちらが橋西詰めのバール兼タベルナで、写真に見える川に張りだしたテラスで、
パニーノなども食べることが出来、地下部にアルプス兵の博物館があり、無料公開。

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1948年に爆撃された橋が再建され、同時に博物館も設置され、
様々な当時の兵器や、兵士の装備など、
また第二次大戦のロシア戦役における兵士の写真等も。

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イタリアに住むと、過去の戦争や現役の兵士に対する感覚が、日本と大変違うのに
気が付きます。
過去の記憶をきちんと保ち、続け伝える事と、
兵士は国を護るために戦った、戦うのだ、という認識。
戦争を賛美するのではなく、しかし防衛に対する基本線の意識が日本と違うと。
     
       

橋の西岸、南の建物も、東側同様綺麗に修復され、

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こちらは、お城近くの高台からの眺めを。

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橋の東岸のたもとに、グラッパ酒醸造所の一つポーリ・Poliの店と博物館があり、
中には大きな銅の蒸留用具がたくさん。

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グラッパ酒は40度もある強い食後酒で、町の名前に付く程の産地で、
かってはワインの搾りかすから作られたというグラッパ酒も、現在ではグラッパ用に
栽培される葡萄もあるそうで、各種果物、各種香り付け、と
実に様々なグラッパが存在し、食後のコーヒーに垂らす、また小さなグラスで
ちょびっと舐める、美味しくて強い食後酒です。



小瓶から大きな化粧瓶まで、様々なグラッパ酒のお土産を売っている店のウインドウ。
 
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見るからに美味しそうな食品を並べたお店。 この町は豊かだなぁ、と感じる一瞬。

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陶器でも有名なバッサーノの町、たくさんの店が。

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モンテ・ヴェッキオ広場(地図写真10)と、

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広場に面するモンテ・ディ・ピエタ・Monte di Pieta.

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この広場は町でも大変古い広場で、壁にフレスコ画の装飾も残り、かってはもっと
広く井戸があり、井戸の広場とも呼ばれ、そして塩の広場、ゾッコリの広場・Zoccoliとも。
ゾッコリと言うのは、木靴、木のサンダルを指しますが、実際20世紀の半ばまでは、
ここで大きなゾッコリの市が開かれていたのだそう。

モンテ・ディ・ピエタと言うのは公営質店の事ですが、15世紀末にフランチェスコ会派の
ベルナルディーノ僧がここバッサーノにも創設しました。

で、それ以前は13世紀半ばからユダヤ人がこの近辺に住み高利貸しをし、
その最後の記録がモンテ・ディ・ピエタ開設の1492年という歴史の流れです。

中世に於いて例外はあるものの、ユダヤ人が不動産を持つ事は禁止されており、
町に住むにも年数制限があったり、税金が高かったり、突然に法律が変わり
追放されたりの迫害が絶えませんでした。
職業の選定もままならず、キリスト教徒には禁止の金貸しをせざるを得ずの状態で、
それもまた迫害の対象になったという、
時に読むのが辛くなる程の深い歴史の一端がこの町にもあったのですね。

イタリアのたいていの町にはモンテ・ディ・ピエタの建物があり、
窓に厳重に鉄格子が嵌っているのが特徴で、すぐ分かりますし、
「モンテ・ディ・パスキ・ディ・シエナ」という中世創設の大銀行もあります。



お城の近く、古い一郭に残るフレスコ画装飾が残る建物。
 
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町の地図1~12の通りは、ヴィア・デイ・マルティリといい、通りの北側は谷で、
素晴らしい眺望が開けます。

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通りに並木が続き、木の1本毎に名前と写真、または身元不明と書かれた札が
打たれていて、
これは1944年9月、この近辺のパルティザン31名がナチスに処刑され、
朽ちるまでこの木に吊るされのだそう。

清々しく広がる眺めを愛でつつ、月並みな言葉ながら、
平和な時代に生きれる幸せを思い、戦って亡くなった人々に感謝の追悼を。


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