今日は、エクサン・プロヴァンス・Aix en Provence
の街の高台にある、フランス印象派の巨匠として名高い
ポール・セザンヌ・Paul Cézanneのアトリエのご案内です。
の街の高台にある、フランス印象派の巨匠として名高い
ポール・セザンヌ・Paul Cézanneのアトリエのご案内です。

エクサン・プロヴァンスはどこにあるか、もう一度地図でどうぞ。

かってのプロヴァンスの首都で、文化芸術も庇護され大いに繁栄した街、
15世紀末にフランス王国に併合され、大学・法院で名高いのだとか。
大変に爽やかな、緑の多い洒落た大きな街の印象が残りますが、
まずは写真が少なく! 整理しやすかった、ははは、
セザンヌのアトリエからご紹介を。 街のご紹介は、少々お待ちを!
街の地図は最後にご覧頂きますが、アトリエは街の北高台にあり、
せっせと緩やかな坂道を上ります。
現在の木々に囲まれたアトリエの様子と、
古い写真に残る、オリーヴと無花果畑の中の姿を。



道も現在はもっと広く舗装されていて、
ずっと街の中心に向かい家が立ち並び、ちょっとした住宅街。
アトリエの売店には、日本語版のガイドブックと、ガイドが確かある筈、
と貰ってくれたパンフレットもありましたが、
アトリエ内は写真禁止でしたので、それらの写真でご覧頂きますね。
と貰ってくれたパンフレットもありましたが、
アトリエ内は写真禁止でしたので、それらの写真でご覧頂きますね。
古い写真にも様子が伺える門。 門扉に貼ってある案内には、


ほら、これが私のアトリエ。
私以外はだれも入れませんが、でも君は友達だから
一緒に入りましょう。
下の小さな写真はちょっとしたユーモアで、
犬は入れません、の標識をワン君が咥えているのです。
犬は入れません、の標識をワン君が咥えているのです。
が、入ってすぐの位置に猫ちゃんが寝ており、
皆ぞろぞろ入って行くのにも、頭をもたげただけ・・!

1階の入り口辺りと、庭のテラスに置かれたテーブル席と。


傾斜地の為、アトリエの前庭部分は細長く奥に続き、段差がついて
下の庭に繋がります。 大きく育った木々がうっそうと枝を広げ、
木漏れ日が落ち、美しいゆったりとした空間を。
入り口部分と、右に見える画架上の写真のセザンヌ。


彼はこの7000平方mの土地を、2000フランで1901年11月に購入。
1886年に父親が死去し、その遺産金で、と聞きましたが、
10ヶ月間をかけアトリエを建設し、
ここに彼の絵のモチーフを全部運びこみます。
63歳になる画家がこうして自分の想いをこめたアトリエを持ち、
住居から、季節も天候も意に介さずに毎朝ここに通い
朝の6時から10時半まで仕事、11時にお昼を食べに街に下り、
午後またここに戻るか、外に描きに出かけたのだそう。
住居から、季節も天候も意に介さずに毎朝ここに通い
朝の6時から10時半まで仕事、11時にお昼を食べに街に下り、
午後またここに戻るか、外に描きに出かけたのだそう。
夏の酷暑の時などは食事をここに運ばせ、
来客の時などは2人前を頼み、・・と。
来客の時などは2人前を頼み、・・と。
いかにも堅実頑固で、自分の絵とのみ取り組む
既に若くない画家の姿が見える様です。
既に若くない画家の姿が見える様です。
アトリエ1階の窓、 左の窓の内は事務所、右は売店に。


木漏れ日の下のベンチ。

かっては葡萄や無花果畑だったという土地も、今はこんな風に
気持ちの良い、ゆったりと思索に耽り、気持ちの休まる庭に。
気持ちの良い、ゆったりと思索に耽り、気持ちの休まる庭に。



アトリエの西の角から軒下の様子を。
破風が東に向かってと、この南向きと2つあり、
破風が東に向かってと、この南向きと2つあり、

傾斜地の下側から見た1階部分、

建物の右横、上の傾斜地に続く石段横の井戸。

この石段を上ると(写真は上から)

アトリエ北側の、建物の中間の高さに出て、大きな窓が見えます。
北側の窓からは日の光が一定して入りますから、
画家のアトリエは常に北窓が大きいのですね。

左奥に見える細長い切れ込みの窓は、
「大水浴」の大作が窓から搬出できず、開けたのだそう。
「大水浴」の大作が窓から搬出できず、開けたのだそう。
と、その絵の前のセザンヌ。

写真は1904年撮影だそうで、後ろに見える絵の構図が
ロンドンのナショナル・ギャラリーのとも、フィラデルフィア美術館とも
違っていて、どこのか特定できませんが、
年代と下部の空きから見て、フィラデルフィアの作品中途かも。
で、いよいよアトリエ内部に。
入り口を入ってすぐの狭い階段をあがると、そこ、2階全部がアトリエ。

ほぼ正方形の形に近いでしょうか、
天井も高く、広いアトリエですが、高名な画家のアトリエとしては、
意外に小さい印象を受けました。
写真撮影禁止の表示に気がつかず、(想像はしていましたが)
1枚撮った所ですかさず、ダメですよ、の声がかかりこの1枚だけ。
1枚撮った所ですかさず、ダメですよ、の声がかかりこの1枚だけ。
こちら側が東向きで、天井の高さなどもご想像できるかと。


イーゼルの後ろの細い切れ込み部分が、大作搬出用窓で、
上の写真にも写っているストーヴが、何とも素敵でした。
こちらは西側。
カラー写真はガイドブックにある現在の姿で、
白黒のは、セザンヌの没後15年にここを買い取った
マルセル・プロヴァンスという人の時代の写真とか。
カラー写真はガイドブックにある現在の姿で、
白黒のは、セザンヌの没後15年にここを買い取った
マルセル・プロヴァンスという人の時代の写真とか。


同じ場所ですが、少し違いますね。
私が見たのもカラーの写真とはほぼ同じでも、角のイーゼルの
下辺りが少し違いました。
管理の方の話では、セザンヌ当時の雰囲気を残すように努めている、
との事で、果物などもプラスティックながら静物画のモデルと
そっくりに置かれていました。
との事で、果物などもプラスティックながら静物画のモデルと
そっくりに置かれていました。
アトリエを買い取ったマルセル・プロヴァンスという人は詩人で、
セザンヌの仕事を高く評価しており、保存の為にアトリエには手をつけず
1階部分のみで生活したそう。
セザンヌの仕事を高く評価しており、保存の為にアトリエには手をつけず
1階部分のみで生活したそう。
が、1951年のこの彼の没後、近辺に土地業者の動きが出始めたので
保存運動が起こり買い取り、現在も市の博物館の一環として
管理されていると。
保存運動が起こり買い取り、現在も市の博物館の一環として
管理されていると。
カラー写真の右端に切れて見える引き出し式の小箪笥を
ガイドが開けて見せてくれ、絵に使われた白いパイプなど、
意外に小さいパイプ、を見る事が出来ました。
真ん中にアモールの石膏像がある写真、上の棚に青いガラス瓶が
見えますね。
見えますね。

写真のアトリエ内に写っているモチーフ類は全てあるそうですが、
唯一、この青いガラス瓶が現在無いのです。
何年か前の建物の修復時に紛失したのだとか。 やりますねぇ!

セザンヌが晩年にこのアトリエを建て、実際にここで仕事をしたのは
わずか4年間ですが、お気に入りのモチーフを全部運び込んだ事からも、
いかにも彼の絵に掛ける気迫が伝わってくる場所で、
作品の展示もなく、常の美術館とは違いますが、
仕事場、そして場の持つ空気が十二分に感じられました。
仕事場、そして場の持つ空気が十二分に感じられました。
自筆の書簡は1902年9月1日付け、姪のポール・コニル宛てで、

ちっちゃい(可愛い)マリーが
出来上がったアトリエの掃除をしてくれたので、
少しづつ引っ越しをしています。
私にはまるで読めませんが、達筆ですよね。
カタログにあった「庭師ヴァリエ」 1906年 65X54cm

私には正直言ってセザンヌの絵は分からず、実物を見た事もなく、
画集の中の作品も美しいとも思えませんが、これは好きです。
そして画集で見るセザンヌの有名作品よりも
ずっとこのアトリエが気にいりました。
自分の思う形を求め続けた格闘そのものの作品よりも、
一直線に追う姿勢を映し出すアトリエが好き、
というのは生意気なのでしょうが・・。
ずっとこのアトリエが気にいりました。
自分の思う形を求め続けた格闘そのものの作品よりも、
一直線に追う姿勢を映し出すアトリエが好き、
というのは生意気なのでしょうが・・。
壁に写る2階の鎧戸の影。

エクサン・プロヴァンスの街の地図をどうぞ。
ちょっとチリチリして見難く申し訳ないです。
左下にインフォメーションがあって、そこからセザンヌの足跡を辿れる様に、
>>> の印がついているのですが、まぁ、省略してご案内を。
ちょっとチリチリして見難く申し訳ないです。
左下にインフォメーションがあって、そこからセザンヌの足跡を辿れる様に、
>>> の印がついているのですが、まぁ、省略してご案内を。

数字の横に緑の四角をつけた場所、
1.生家ですが、1839年1月19日にポール・セザンヌは
慈善病院で生まれ、妹はこの家で1841年に誕生
両親が結婚したのは1844年1月29日
34.サン・ピエール墓地 1906年10月24日ここに埋葬
2.セザンヌの父親がしていた帽子店
街のご紹介の時にこの辺りもご覧頂きますが、
父親はその後 地図26で銀行業を
3.芸術家たちの集った キャフェ・デ・ドゥ・ギャルソン
15.ミニュ中学校 エミール・ゾラ等と知り合う。
28.セザンヌの最後のアパート 1899年から1906年10月22日夜
に亡くなるまでここに。
10月15日にアトリエの近くで描いている時に嵐になったものの描き続け、
ずぶ濡れになって意識を失い、洗濯屋の荷車で家に運ばれる。
が、また翌朝アトリエに出かけ、死にかけて帰宅。
絵を描き続けながら死ぬ事を望んでいた彼は、
22日から23日にかけての夜に亡くなりました。
ずぶ濡れになって意識を失い、洗濯屋の荷車で家に運ばれる。
が、また翌朝アトリエに出かけ、死にかけて帰宅。
絵を描き続けながら死ぬ事を望んでいた彼は、
22日から23日にかけての夜に亡くなりました。
31.大変美しいサン・ソヴァール大聖堂。
毎日曜にミサに通い、彼の葬儀もここで。
毎日曜にミサに通い、彼の葬儀もここで。
グレーの丸の付いたあの道を約800m上ると、彼のアトリエに。
売店の隅に、なぜかピカソの絵葉書が何種かあり、
男臭いこの手の顔に弱い私は、はは、買って戻りましたので、
おまけとして2枚程ご覧頂きますね。
1954~55年にかけてのピカソの顔。 既に73歳、信じられん!!


売店の若いお兄ちゃんは片言の日本語をしゃべり、
お金を払うと、「アリガトゴザ~マス」
こちらも負けずに「どういたしましてぇ~」
こんな様子のアトリエ訪問でしたが、戻って来てこれを書く際になり、
漸くに、サン・ヴィクトワール山を確かめずに戻った事に気付きました。
あ~あ、ダメだなぁ!!
*****
ブログご訪問、有難うございます!
見たよ! の応援クリックも宜しくお願い致しま~す!
見たよ! の応援クリックも宜しくお願い致しま~す!
*****
コメントの書き込みについてのお願い。
ブログの記事下に、「コメントを書く」が出ていない時は、
上か右の、記事タイトルをクリックして頂けると
記事の一番下に「コメントを書く」が出ますので、よろしくお願いいたします。
上か右の、記事タイトルをクリックして頂けると
記事の一番下に「コメントを書く」が出ますので、よろしくお願いいたします。
非公開コメントをご希望の場合は、非公開で、と書いて頂くと、
コメント承認制ですので、保留にし、お返事だけ公開しますので、
それもご了承下さいませ。
コメント承認制ですので、保留にし、お返事だけ公開しますので、
それもご了承下さいませ。