エジプト旅行のご報告は、遺跡巡りを避けては済まされませんが、
詳細は他のブログ、サイトでご覧を!と横着を決め込み、
今迄通り、写真と最低のご説明のみで・・、よろしくお願いいたしま~す!
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今迄通り、写真と最低のご説明のみで・・、よろしくお願いいたしま~す!
今回は2回に渡り、カイロの美しいモスク2つ、そしてギザ、サッカラ、メンフィスの
ピラミッドとスフィンクスをご覧頂きますが、
ピラミッドとスフィンクスをご覧頂きますが、
観光バスで連れて行かれ、説明を右から左にと聞き、写真を撮りまくり、
ああやれやれ! とホテルに戻ったカイロ2日半の模様です。
まだ、カイロ・バイ・ナイトと、ピラミッドの夜の光と音楽のショーが
残っておりますが、・・夜景は最後にやっつけますです。
ああやれやれ! とホテルに戻ったカイロ2日半の模様です。
まだ、カイロ・バイ・ナイトと、ピラミッドの夜の光と音楽のショーが
残っておりますが、・・夜景は最後にやっつけますです。
最初の写真は、チッタデッラ・Cittadella・要塞と呼ばれる地区、
カイロの南東高台に当たり、ここに美しいモスクが2つ、
今見えるミナレットの、あのモスクに行きます。
カイロの南東高台に当たり、ここに美しいモスクが2つ、
今見えるミナレットの、あのモスクに行きます。

チッタデッラは伊語で、地図を見るとCitadelとありますが、
12世紀に作られた要塞で、どうやらギザの小さなピラミッドの石を
リサイクルで使ったというお話。
12世紀に作られた要塞で、どうやらギザの小さなピラミッドの石を
リサイクルで使ったというお話。

首都が紀元後969年にカイロに建設される前は、
メンフィス、アレキサンドリアなどあちこち移住したといいますから、
12世紀のこの要塞は、いわばカイロの町の起こりなのでしょう。
メンフィス、アレキサンドリアなどあちこち移住したといいますから、
12世紀のこの要塞は、いわばカイロの町の起こりなのでしょう。
上の写真の城壁をぬけてくると広場があり、壁の向こうに
こんな丸屋根が見え、何かと思ったら、貨幣鋳造所だったそう。
こんな丸屋根が見え、何かと思ったら、貨幣鋳造所だったそう。

広場の横、壁の上ににこんなライオン君がいて、
日本の神社の狛犬みたいですね。
日本の神社の狛犬みたいですね。

で、この間の道に入り込むと、
わぁ! と思わず声が出ました。 素晴らしい眺め!

間の緩やかな坂道を歩きながら、圧倒的な存在感に威圧され。

道の先を右手に。 ここに別のモスク、エン・ナジール・en-Nasirがあり、
先にこちらに入りますが、モスクに入るにはご存知のように靴を脱ぐか、
入り口で売っているナイロンの靴カバーを買って上から履きます。

広い四角な中庭が広がり、周囲をこんな回廊がぐるっと。
たくさんガラスのランプが下がっていて。
たくさんガラスのランプが下がっていて。

綺麗な明るい青の柄入り、いや、柄ではなく文字なのかも。

14世紀の建設だそうで、柱頭の形も様々、ペルシャ風でもあるとか。

このモスクは、何やらガランとした雰囲気ですが、要塞の城壁内に入るのに
切符が手渡され、検問所を通りましたから、
現在は完全に観光客の見物用なのかも。
切符が手渡され、検問所を通りましたから、
現在は完全に観光客の見物用なのかも。
鳩君たちが何かついばんでいましたが、今考えると、餌を貰っている
動鳥類を見たのはここだけで、鳩の羽色は、ね、いつもの色ですね。
動鳥類を見たのはここだけで、鳩の羽色は、ね、いつもの色ですね。

入り口からの正面奥に見えた部分。 柄大好き人間は、説明を聞かず
写真撮りに専念、何がなんだかご説明は・・。

実は、見学したこのモスクの名を知らず、いくらなんでも、自分が見たモスクの
名前位は知らないと、と探していてご案内のn.1のモスクを見つけたのですが、
カイロで一番有名な美しいモスク、スルタン・ハサン・Sultan Hasanモスク
名前位は知らないと、と探していてご案内のn.1のモスクを見つけたのですが、
カイロで一番有名な美しいモスク、スルタン・ハサン・Sultan Hasanモスク
この壁の壁龕部分、右の木の小さい塔の様な形がまるで同じで、
ただあちらはもっと豪華版、壁がすべて柄で埋まっていましたっけ。
この壁龕、隣の階段付きの木製の物が、何に使われるのか、
ちゃんと説明を聞いておくべきでしたぁ。
◆追記◆
これを読まれた方から、ご丁寧に教えて頂きましたのでここに追記を。
・壁龕:礼拝をおこなう方向:つまりカアバ神殿のあるメッカの方向を示すもの
・隣の階段付きの木製の物:これは説教壇.
金曜の昼に行われる集団礼拝のときなどに,階段状の部分に導師が座って
説教をおこなうためのもの.一番上には座らないことになってます。
これを読まれた方から、ご丁寧に教えて頂きましたのでここに追記を。
・壁龕:礼拝をおこなう方向:つまりカアバ神殿のあるメッカの方向を示すもの
・隣の階段付きの木製の物:これは説教壇.
金曜の昼に行われる集団礼拝のときなどに,階段状の部分に導師が座って
説教をおこなうためのもの.一番上には座らないことになってます。
という事で、 利根様、有難うございました!
アップでどうぞ。 石の柄は描いているのではなく、全てはめ込み象嵌。
凄いですねぇ!
凄いですねぇ!

回廊部からの眺め、入り口部分と隣のモスクと。


右手前のミナレットの先端が、隣と違い丸い形ですが、これはペルシャ風なのと。
アップで。 先端の丸い部分で、やはり何やら文字が見えます。

1番上に環というか三日月の形、下の部分が太い形が見えますが、
後にナイル上流域で見た三日月は、まさにこんな風に下側が太い形、
三日月が寝そべった形というか、
我々の見る縦になった形とは違うのでした!また写真をご覧頂きますね。
後にナイル上流域で見た三日月は、まさにこんな風に下側が太い形、
三日月が寝そべった形というか、
我々の見る縦になった形とは違うのでした!また写真をご覧頂きますね。
隣のモスク、ムハメッド・アリ・Muhammed `Ali.
イスタンブールのサンタ・ソフィア寺院をモデルに、19世紀建設の大変美しいモスク。
イスタンブールのサンタ・ソフィア寺院をモデルに、19世紀建設の大変美しいモスク。

ですが無知蒙昧な私なんぞ、ムハメッド・アリと聞くと、頭にパッと、
カシアス・クレイと閃き。 入り口は、写真の右側。
カシアス・クレイと閃き。 入り口は、写真の右側。
入り口から入ると、まずこの美しい中庭で、真ん中に泉、平和のオアシス、
後ろに見えるのは、フランス製の時計塔。
後ろに見えるのは、フランス製の時計塔。

こちらがその時計塔で、ガイドのナッセールの説明では、現在パリのコンコルド広場に
あるオベリスクと、交換した時計だそう。
で、オベリスクは今も健在ですが、まだ見た事なし、この時計はすぐに止まったそう!

コンコルド広場で間違いないよね、とパリ知らずの私はまた検索、
で、ここのオベリスクが、ルクソール神殿からの物と知りました。
そう言えば、ルクソール神殿入り口には、オベリスクが1本しかなかったっけ。
内部はご覧の通り、ランプの明かりが花のよう!



実際はもっと暗く、ランプのみが輝き、
あちらにもこちらにも、幾重にも環が広がります。
あちらにもこちらにも、幾重にも環が広がります。
クーポラの内部は暗く、下に広がるランプの明かりと、ランプを吊るす鎖で
肉眼ではほんのりと見えます。
肉眼ではほんのりと見えます。



で、思い切ってISOを上げて撮ったら、なんと素晴らしい模様がありました!
モスクの暗い内部から外に。
庭の端から、カイロの街の素晴らしいパノラマ!



地図をどうぞ。 今回の旅行で行った部分に、赤印を。

まずカイロ・Cairo、そしてギザ・Giza、実際はカイロの西に位置します。
カイロの下の赤い印2つは、左がサッカラ、右がメンフィス、
このブログで続けてご覧頂きます。
カイロの下の赤い印2つは、左がサッカラ、右がメンフィス、
このブログで続けてご覧頂きます。
ナイル河上流の遺跡群については、次回のご紹介ですが、
カイロ見学の後ナイル上流のアブ・シンベル・Abu Simbel迄飛行機で、
神殿を見て後、再度アスワン・Aswan迄飛びました。
カイロ見学の後ナイル上流のアブ・シンベル・Abu Simbel迄飛行機で、
神殿を見て後、再度アスワン・Aswan迄飛びました。
ここでダムや、既にご覧頂いたヌビアの村などを見て、
船でルクソール・Luxor迄下りながら、コム・オンボ・Kom Omboの神殿、
エズナ・Esnaの水門を。
ルクソールの一日は大盛りで、テーベ・Thebesのお墓や王家の谷、
カルナック・Karnakの神殿などを、で、イタリアに戻ったという日程でした。
船でルクソール・Luxor迄下りながら、コム・オンボ・Kom Omboの神殿、
エズナ・Esnaの水門を。
ルクソールの一日は大盛りで、テーベ・Thebesのお墓や王家の谷、
カルナック・Karnakの神殿などを、で、イタリアに戻ったという日程でした。
ピラミッドは、ギザの町に近ずくと見えて来ます。
余りにも簡単に前方に現れるので、拍子抜けの感も。

カイロ2日目の夜は、このギザ・Gizaまで光と音楽のショーを見に行ったのが、
風も強く寒くて寒くて!
風も強く寒くて寒くて!
暑い暑いと聞いていたエジプトですが、前日迄の30度を超す気温が
一挙に10度ほども下がった毎日で、風が強く日中でも寒く感じるほど。
本当にジリジリと焼かれたのは、最後の2日間のみでした。
一挙に10度ほども下がった毎日で、風が強く日中でも寒く感じるほど。
本当にジリジリと焼かれたのは、最後の2日間のみでした。
ピラミッドに到着し検問所を通るのに一旦バスを降ります。
あっけなくと言いつつも、イザこうして実際に見ると、
イェイ、は~るばる来たぜ、ピラミッドォ~~。 やはり、美しい!

またバスに乗り、ぐるっと回って行きます。
ギザのピラミッドは3つあり、頂上にかって覆われていた部分の残る、
真ん中のがカフラ、今手前に見えるのがクフで、
この2つは大体同じ大きさだそう。
真ん中のがカフラ、今手前に見えるのがクフで、
この2つは大体同じ大きさだそう。

バスの中から見たクフ王のピラミッド。 石の大きさが良く分かりますね。


子供の頃、ピラミッドは三角形とインプットされて以来ずっと、
滑らかな三角と思い込んでおり、大人になって後、この石ごろごろ、
でこぼこ三角と知った時の驚き! そんな事を思い出しました
滑らかな三角と思い込んでおり、大人になって後、この石ごろごろ、
でこぼこ三角と知った時の驚き! そんな事を思い出しました
クフ王のピラミッド。 このピラミッドの中には入る事が出来ます。
はい、入りました。
はい、入りました。

縦横1m20cmのトンネルが下って上ってと続き、いちばん奥には天井の
高い部屋があり、大きな石棺があったと。
というのも、狭い通り道よりも大きな石棺なので、ピラミッドが出来て後に
持ち込んだのではなく、その上に造り上げて行った、と聞いた記憶が。
まぁ、猫に小判、豚に真珠、馬の耳に念仏、豆腐にカスガイ、
ecc eccの体験でありましたぁ。
ecc eccの体験でありましたぁ。
クフ王のピラミッドから少し離れた場所にあったこれ、地下墳墓の1つで、
中に入ると、警備員が下に降りて良い、というので暗い中を下に潜り込み、


入り口両脇にあるこの像からも位置からも、かなりの人物の墓
とは思うのですが、う~ん、これも猫に小判の類でありました。
観光ポリスは、ここではラクダに乗って。

見遥かす向こうは、ず~~っと砂漠。

真ん中にあるカフラ王のピラミッド。

やはりこれが一番美しい印象かな?離れたり、近寄ったり、
右に行き左に行き、眺めます。
右に行き左に行き、眺めます。
左側の小さいのはメンカウラのピラミッドで、その奥にも小さいのが見えますが、
名前は? なにせ、ピラミッドなる物は、100程もあるそうで。
名前は? なにせ、ピラミッドなる物は、100程もあるそうで。

ピラミッド群の前をだらだらと少し行くとこんな様子。
すぐそこまで住宅が押し寄せているのですね。

ここまでの街になるともうすでに取り壊しは無理ですし、下水設備が
行き届かずの汚染問題が、このピラミッドとスフィンクスの保存に大問題で、
現在ユネスコが取り組んでいるのだとか。
谷の向こうに広場があり椅子が並んでいますが、あそこから夜のピラミッドの
光と音楽のショーを眺めた訳で、
光と音楽のショーを眺めた訳で、
手前中程に見える丸い形、あれがスフィンクスの頭。
こんな風に、ラクダが歩く姿には風情を感じますが、

ははは、結構大きなウンチを見つけました!

という所で、次回に続きます。
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