・ n.2 チーマ・ダ・コネリアーノ展 ・ コネリアーノの町

引き続き、有難うございます! コネリアーノの町のご案内を続けます。

会場のサルチネッリ邸から西に行くとこのチーマ広場で、長く続く9月20日通りの
ほぼ真ん中になります。

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右のクラッシック様式はテアトロ・アッカデミア・Teatro Accademiaで、
様々な講演会や催しが行われ、 写真では見えませんが、右に市役所が。
    
この広場では毎年6月に、生きた駒によるダーマの競技のお祭り、
ダーマ・カステッラーナが開かれますが、そのご案内はこちらに。

広場の北西角を入りこみ、西に行くとチーマの生家前に行きます。


2年ほど前、市の古文書館に保存の戦後直ぐに出版された本、紙の質も悪く小さく、
片面だけに印刷された、コネリアーノの15世紀までの歴史の本を読むチャンスがあり、
その控えの中から、当時の庶民生活を偲ばせる部分を抜き出してみますね。

14世紀の半ばにコムーネの建物が建築され始めたらしいのですが、
周囲の一般庶民の家はまだまだ木の家で、屋根も藁葺きだった様子。

そして町のお触れには、今では笑えるお達しが見えます。
いわく、
・何人も家の前に肥ダメを作ってはならぬ。
・何人も道や広場にゴミや皮屑を捨ててはならぬ。
・何人もポルティチの上に鳥小屋や子豚小屋を作ってはならぬ。
・何人も道に妊娠中の豚や、子豚に乳をやる雌豚を放してはならぬ。
ははは。 

こういうお触れが出るというのは、たくさん違反者がいたという事で!
で、犯罪者に対する刑罰は少し凄いので割愛・・。

       

チーマ広場、テアトロ・アッカデミアからの眺め。 ロッジャがあり、アルピーニの
階段を下り南に行くと、突き当たりに、アーチの下から少し覗いて見える国鉄駅。

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建物角に美しいバルコニーのある、広場南側角の美しい建物は、15世紀の
ピュッティの家・Casa Piuttiと呼ばれ、後に何度か改装されつつも、
貴族の住まいというより、常に公共の学校に使われ、文法の先生とあるので
ラテン語と思いますが、その先生の住居だったりした様子。

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9月20日通りは西にまだまだ続き、通りの右側には、チーマの祭壇画のある
ドゥオーモがあり、西端にある門はダンテ門・Porta Danteで、
この通りは終わりますが、

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下側(南)を並行して通る現在の中心通りに続き、ここにも大きな古い建物が
続きますので、またの機会にご案内を。

と、今回町の古い建物についていろいろ調べていましたら、
なんと、キプロス王の家・casa del Re di Cipro というのに出くわし、
仰天して読みましたら、間違いなくカテリーナ・コルナーロの夫の為に
コネリアーノに、住宅用に15世紀に建てられた物。

家の由来こそ知りませんでしたが、ポルティコの下のフレスコ画も、場所も知っている
建物で、またきちんと写真も撮り、ご紹介いたしますね。

カテリーナ・コルナーロについてはこちらに。
アーゾロを彩る女性ふたり ・ アーゾロ市立博物館 n.2
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463693935.html



チーマ広場の北西角を少し行くと、角にこのバルコニーの家、カーザ・ズバッラ・
Casa Sbarraと呼ばれる15世紀の建物で、 ご覧の様にかっては全面フレスコ画で
埋められていた様子で、バルコニーの形も、煙突の形も凝っています。

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ズバッラ家については、「ルッカの古い家柄という羊皮紙の記録があるが、
今世紀の初頭(20世紀)に消滅した、コネリアーノにこの姓の詩人がいた」
という事だけ分かりました。



手前から左折するこの細い道がチーマ通りで、ここを入って行くと・・、

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この案内板があり、チーマの家博物館の入り口。 

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但し、これはチーマ展の会期中だけで現在はありませんが、



表示で分かります。

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3年前の写真になりますが、内部の様子をどうぞ。
ちょうど彫刻の展覧会が開かれていた時の模様です。

1階の梁組み、

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2階の暖炉・北側と、

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南側の部屋・こちらにも暖炉。
これは当時の庶民の家としては、かなり贅沢ではなかったのでしょうか?

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やはりこれも市の古文書館で、当時の納税記録を見せて頂きましたが、
その時、チーマの叔父さんの納税記録だと教えて貰った記録があり、
額は当時の一般よりも少し多い、という事でしたので、
画家ではありませんが、ちょっと特殊な職人一家だったのかもですね。



3階は広い部屋で、

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ここの窓からドゥオーモの鐘楼が見えますが、実際すぐ近く。

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昨日イタリア語の先生アンナリーザに、市の図書館にはチーマに関する書類、本が
たくさん揃っていて持ち出しはできないものの閲覧はできると聞きました。
気持ちの準備が出来たら、読みに通っても良いな、と思った事でした。



チーマの家の前を先に進むと、ベッカルッツィ広場・Piazzatta Beccaruzzi.

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先年、広場も周囲の建物の修復され、少し整いすぎですが、
真ん中の小礼拝堂の左、格子の嵌った場所から覗くと・・、



こんな細い坂道が見え、カスタニェーラの道・Via della Castagneraといい、
丘の上のお城に通じる古い道です。

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コネリアーノの現在のドゥオーモが14世紀に建設される以前は、お城の横にある
教会がその役割だったそうで、中世初期の皆さんは、せっせとこの道をね。
で、現在の道は・・、



上の小広場から、もう一本坂道が右に分かれていて、そこを辿って行くと、
かってのフランチェスコ会派の大修道院、現在は国立のワイン学校の本部・
ワイン製造技術者育成学校の横を通り、

この古い市壁、チーマの絵にも何度も登場するこの市壁、10世紀頃より造られた
カッラレージの壁・Mura Carraresi.

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多分、上で見たカスタニェーラの道はここに続いている筈で、ずっと以前は
あの広場から上った覚えがあります。



そして、お城。 ローマ期からの遺跡跡も残り、お城の建設は10世紀頃といいますが、
現在残るのはこの塔のみ。 市の博物館でもあり、塔のあの一番上にも上れます!

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この塔に久し振りに上ったのが3月11日で、なんとこの朝、雪景色だったのです。
また塔の中などもご紹介したいと思いますが、

今日はとりあえず、塔の一番上からの駅方面の眺めを。

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真ん中に3角形に広がるのが、駅舎と駅前広場。右端手前にドゥオーモの鐘楼。
       


そして北に広がる眺め。 真ん中の丘の中央に小さくオリアーノ村の教会と鐘楼、
我がスコミーゴ村は、あの丘の向こうに。
そして手前に、ぐぅっとカーヴしながら続く、いつも通う道。

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という様子で、ざっとご案内をして来ましたが、

我が町コネリアーノは、ヴェネツィアからは電車で1時間弱にあり、
プロセッコも美味しい、のんびりとした美しい町。

近辺にも美しい見所のある町・村がたくさんあります、どうぞ、お出かけを!!


◆*◆*◆
ちょっぴりおまけの、笑い話を。

先日出かけて来たマントヴァ近辺のサッビオネータ、 そして再度の訪問になった
サン・ベネデットポーの大修道院。
どちらも素晴らしく、ガイドの説明にも見所にも大満足で戻りました。

ヴェスパジアーノ・ゴンザーガ、そしてマティルデ・ディ・カノッサ。 
この2人について今回初めて大いに興味を持つ事が出来、
いろいろ調べ始めていますので、消化できましたらまたご案内を!


所で、次の3枚の写真をどうぞ!

その前日に出かけたヴェネツィアの、造船所前のライオン像ですが、
真ん中の雌ライオンちゃんの、いつもながらの泣きそうな顔に笑って気を取られ、
10センチもない段差に気付かず、転げました!

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痛い! と思うよりも、とっさにカメラに目が行くこの根性! あほが。
でも、痛いなりに歩けたので、サン・ザッカリーアからヴァポレットで駅に。

その間にどんどん左の足首が腫れてくるのが分かり、駅に着くとビッコを引き引き、
痛いのなんの! 駅内には薬局が無いのでそのまま乗車し、コネリアーノまで
足首マッサージを続け、必死の思いで車を運転し、家に。

エジプト旅行に持参したまま残っていた湿布薬を貼ったものの、
その夜は殆ど歩けず、ああ、明日のマントヴァに行けなかったらどうしよう?!
こういう所がね、遊び心のみ、というか・・。

翌朝起きると、パンパンに腫れあがり痛いものの、ビッコを引きつつなんとか歩けます。
駅まで車で出れば、後は観光バスですから、で、朝5時半に家を出発。 
普通の靴は履けず、運動靴の口を精いっぱい広げ・・。 根性、根性、ははは。
       
痛かったものの、やはり行って良かった!!

という経過で、これを書いている水曜日現在、
まだまだパンパンに腫れ、真っ黒で、おまけに水膨れがいっぱい!

一番大きな水膨れは、長さ4cm、高さ1,5cmの見事な黄金色!
薬局のドットレッサに大いに笑われましたが、お陰様で痛みは殆ど無くなり、歩けます。

友人から届いた、友情溢れる嬉しいメールには、
遊びすぎで罰があったったんだ! 出かけ過ぎるな! もっと家で本を読んで勉強しろ!

はぁ~い、来週までおとなしくしま~す。
皆さんも、道の段差と、ヴェネツィアの造船所前の雌ライオンちゃんにはご注意を!!


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・ n.1 チーマ・ダ・コネリアーノ展 ・ コネリアーノの町

今日のご案内は、イタリアはヴェネトの我が町コネリアーノ・Coneglianoで  
現在開催中の(6月2日迄) 我が町出身のチーマ・ダ・コネリアーノ展の様子、
そして、絵の中に繰り返し描かれているコネリアーノの町の、現在の姿を。

これは案内に使われている看板ですが、 聖母子の左の町と、右上のお城は
まさに現在も見分けられる町とお城で、

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「市壁に囲まれた町・ジャンバッティスタ・チーマの偉大な芸術と
歴史の中に今も生きるコネリアーノにようこそ」、と書かれています。



まずこちら、ワシントンのナショナルギャラリーから出品の
サンエーレナ・Sant'Elena 板に油彩49.5x20.5

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大変美しい絵ですが、左に橋が架かり町の城壁が見えますね。
そして彼女の右側に、市壁が丘の上に延びお城に続きます。

左奥の丘の上に見えるお城は、この距離感よりも遠いですが、
隣町のサン・サルヴァトーレのお城で、いずれも現存なのですね。

中世の城跡 ・ サン・サルヴァトーレ
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463525627.html

勿論、今の町はもっと広がっていまして・・・、



こんな感じ。
モンティカーノ川・Monticanoに橋が架かり、かっての町の門もそのまま。

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この門は町の古い中心通りの東側の門で、モンティカーノ門、
そして見える塔はカッラレーゼ塔・Torrione Carrarese.
 
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カッラーラ家はパドヴァの領主で、ヴェネツィア共和国の元に滅びましたが、
かってはコネリアーノをも領有していたのですね。



町の地図をどうぞ。
10.が上の橋と門の位置で、ここから 9・チーマ展会場、 7.カーザ・ズバッラ、
8・ドゥオーモ、 6・チーマの生家、 9~6に繋がる道がかっての中心通り。

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その下を通る白い道が現在の中心通りで、中程に石段が見え、そこから北の一帯が
かってのコネリアーノの中心地で、右下に見えるのが国鉄駅。

町については何度かご案内していますので、なるべくダブらないよう、
今日は古い通りを東から辿り、チーマ展の会場と絵を少し、そして彼の家、
お城への道をご覧頂きますね。

我が町 コネリアーノ ・ ダーマ・カステッラーナのお祭り
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463527210.html

我が町 コネリアーノ ・ 再発見
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461745312.html


我が町コネリアーノ・Conegliano と ブログ開設のご挨拶
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460841080.html

  

町の東の門をくぐり、石畳の少し坂道を歩き始めるとじきに、右手に小さな
16世紀のアンヌンツィアータ礼拝堂・Oratorio della Annunziataが。

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現在閉っていますが、かっての町の有力者グラツィアーニ家・Grazianiの持ち物
だったそうで、隣に邸宅。
右横に見える上り道は、アージノの小道・ロバの小道と言いお城に続く細道。



この古い通りは、ヴィア・ヴェンティ・セッテンブレ・via XX Settembre・
9月20日通りで、緩やかな坂道が上って下って続きますが、
コントラーダ・グランデ・Contrada Grande・大地区とも呼ばれ、
町一番の古くて美しい、建築的にも価値ある建物が並びます。
       
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これを撮ったのは3月初旬の日曜日、お店もお休みで人通りが殆どありませんで、
見えるのはチーマ展の観客のみ。



ここは中心のチーマ広場にほぼ近く、中程に見える半月形の屋根の建物は、
ベアータ・ヴェルジネ・デッラ・サルーテ礼拝堂・
Oratorio Beata Vergine della Salute.

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1652年ペストの終焉を機に、モンタルバン家のリナルド・Rinaldが建設。 
同時期のヴェネツィアのデッラ・サルーテ教会の小さな模倣でしょうか。
左手の一番手前に半分写っている大きな建物が下の写真。



モンタルバン邸・Palazzo Montalban. 18世紀末の物で新邸で、
別に旧邸も斜め前に。
       
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南側を通る下の道との両方に入り口を持つ大きな建物で、実際、通りが狭く
下がれず、全体が写せない程!
1797年には、ヴェネツィア共和国を倒したかのナポレオンも泊まったのだとか。

コネリアーノの町が記録に登場するのが10世紀、べッルーノの大司教、
戦争好きなジョヴァンニ2世・Giovanni IIの領土としてですが、

このモンタルバン家の名は町の大評議会にも1180年から登場し、16世紀には
オーストリア皇帝マッシミリアーノより伯爵位も授けられたとの事。



通りの両脇の建物下にも、ポルティコの歩道が続きます。

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テラス席のあるこの建物は、元のモンテ・ディ・ピエタ・Monte di Pietà・
公営質店で、1524年の建物。

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正面壁には、ルドヴィーコ・フィゥミチェッリ・Ludovico Fiumicelli という画家
の名が残る美しいフレスコ画が見えますが、
現在は4つ星ホテル・レストランのカノン・ドーロ・CANON D'OROに。

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昨年春プロセッコの取材に来られた坂本さんの宿だったので中を見るチャンスがあり、
なかなか豪華な物でした。
ご覧の様に入り口はこの細長い建物ですが、ホテルとしては右隣の建物も使用の様子。
       
ホテル、カノン・ドーロのサイトは
https://www.hotelcanondoro.it/

n.1 ヴァルドッビアーデネ ・ プロセッコ ワイナリー訪問
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463526381.html

n.2 ヴァルドッビアーデネ ・ プロセッコ ワイナリー訪問
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463526671.html



ほんの少し先の左側、この白い建物がチーマ展の会場、サルチネッリ邸・
Palazzo Sarcinelli. 現在は市の持ち物で建物内部が修復され、
絵画展など、各種展示会場となっている様子。

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今回初めて内部を見ましたが、大きな建物で内部もかっての豪奢を偲ばせ、
1420年に町がヴェネツィア共和国の下に入った後、400年の平和を享受して栄えた、
この町の商人の力を彷彿と。

ちょっと調べましたら、サルチネッリ家はヴィットリオ・ヴェネト、かってのチェーネダ、
セッラヴァッレの出身で、後にコネリアーノにも進出(何商かが良く分かりませんが)、
16世紀にはオーストリアのマッシミリアーノ、フランスのヘンリー3世なども
この家に逗留の記録があり、
      
ティツィアーノの娘ラヴィーニア・Lavinia が、一家のコルネーリオ・Cornelio
と結婚していて、セッラヴァッレに住んでいた家に表示があります。



サルチネッリ邸の会場入り口と、入り口内部の様子。

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扉内がロビー式になっていて、ここにチーマ展の切符売り場、奥が内庭。
天井下に渋いグリーンのフレスコ画の帯が見えますね、内部の部屋にもこんな感じの
装飾が残って素敵でしたが、今頃はどこもかしこも写真禁止で・・。

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今回のチーマ展のキャッチ・フレーズは、
「ある種の展覧会は見るだけだが、他のいくつかは見つめる」です。

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この凝視する目、チーマの作品の中の見つめる目の部分が、階段周りの壁に
埋めつくされていて、これは迫力でした!



彼の作品で唯一、生地コネリアーノのドゥオーモにある
天使と聖人に囲まれた聖母子・Madonna in trono col Bambino
fra angeli e santi  1492年頃 150x235cm 板に油彩 

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コスタンティーノとサンタ・エーレナ・Costantino e Sant’Elena
140×73cm ヴェネツィア、Parrocchia San Giovanni Battista in Bragora 
板に油彩

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コスタンティーノ帝と母親エレーナですが、エーレナの衣装の襞の美しさに驚きです。
この絵の中央にも、町の城壁とお城の様子が見えますが、現在のお城は
塔が1つ残った小さい物に。

追記: この絵の持ち主がヴェネツィアの教会サン・ジョヴァンニ・イン・ブラーゴラと
    あるのに改めて気が付き、驚いています。
    ここはヴィヴァルディが洗礼を受けた教会でもあり、主祭壇の絵は、
    チーマ・ダ・コネリアーノの美しい「洗礼図」なのです。

A.ヴィヴァルディが洗礼を受けた教会と、その周辺を
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/463740577.html



全カタログを買いませんでしたので、分かったのみでご勘弁を。
上から順に、

聖母子像・Madonna con il Bambino.
ロサンジェルス County Museum of Art

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眠るエンディミオーネ・Endimione dormiente.
パルマ、Galleria Nazionale

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キリストの遺骸に嘆く聖母と聖人たち・
Lamentazione sul corpo di Cristo con santi carmelitani.
モスクワ、 Museo Statale delle Belle Arti.

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出エジプト、聖人達との休憩・Riposo durante la fuga in Egitto
coni santi Giovanni Battista e Lucia.
リスボン、 Calouste Gulbenkian Museum.
    
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聖母子と2聖人・Madonna in trono con il Bambino tra i santi
Giacomo e Girolamo、ヴィチェンツァ、Musei Civici di Vicenza

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ジャンバッティスタ・チーマ・ダ・コネリアーノ・Gianbattista Cima da Conegliano
の署名スタイルを最後に。

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展示の作品は40点程で、他にもエルミタージュ美術館、ロンドンの
ナショナル・ギャラリーなどからも出品。

常に古典に題材を取り、明るく静謐な空気に満ちた彼の作品は、
先に生地カステルフランコで開催されたジョルジョーネの作品と比べ
少し硬い印象はあるものの美しく、誠実で真面目な性格を偲びました。

彼についての記録は不足で、生年も1459年か1460年と曖昧、
ヴェネツィアに出てジョヴァンニ・ベッリーニに学び、工房も持ち、1489年には
作品への初の支払い記録があるそう。

後にはパルマやボローニャ辺りにも教会からの作品依頼で出かけ、生地には夏に
戻っていたようですが、1517年か18年にコネリアーノで亡くなった様子。
彼の家は現在博物館として公開されていますので、後ほど。

TVニュースによると、今回の地元でのチーマ展は大変好評で観客数も多いとか。
実際観光バスが停まっているのを良く見かけますし、
如何にも観光客と分かる、地元以外の人の姿も多く見かけます。

このチーマ展は、この後パリで開催とか昨日聞きました。
世界各地からの良い作品が集まっていますし、このイタリアヴェネトの青い空の色が
見られるチーマ展はパリでもきっと評判を呼ぶ事でしょう。

カステルフランコの町 ・ ジョルジョーネ展
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462522712.html

という事で、n.1 をお終いにし、 次回の n.2 にお願い致します。


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・ n.2 エジプトの夜 ・ エジプト見たまま

引き続き有難うございます!
エジプトの夜 その2 ナイル河上流に移ります。

アスワン・Aswan からは宿泊がクルーズ船となり、河岸に停泊。
「道に上がっても、右に150m、左に150mで戻るように」と
ガイドから言われましたが、特に街に危険はないとの事なので、
仲良くなった夫婦3組と夜の散歩に抜け出しました。

実際、昼の散歩の時もそうでしたが、のんびりとした小奇麗な街で、
河岸から上がって直ぐの広い道をたくさんの人が行き来、
家族連れも多く、時に手を繋いだ男女のカップルも。

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そして、こんなモダンな建物が前方に。

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はぁい、マクドナルドがありまして、

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その看板の横には、このナセル大統領の写真。
大統領直々の、お勧めのお言葉、お店かな?!

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店頭はいたってすっきりのイメージですが、
建物自体は軽食、待ち合わせなどで賑わっている様子でした。

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古い型のバスがやって来るのを見つけ、嬉しくなり!

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ナイル河岸の道は広くまっすぐで、車の交通量も多いのが、
観光客を乗せた馬車が何台も繋がり走って行きます。

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お馬ちゃんは大変だなぁ、と思うのは変?



昼間見つけた国鉄駅に向かいます。 地図で確かめると、
どうやらアスワンから南のハイ・ダム辺りでこの国の鉄道は終わりの様。

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まさにナイル河に沿って、カイロから延々とここまで続き、
他の大きな街はアレキサンドリアの様に、
カイロより地中海沿岸沿いにあるのですね。



待合室の横の切符売り場、ホームの方を覗き、ホームに出る通路に
警察官がいるので、覗くだけ。 

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逆に、街の方を眺め、

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エジプト運輸省の広告。

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駅の手前にあったピッツァ屋、

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と、本屋さん、ですが、多分貸し本屋だろうと。

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かなり大きく、文盲率が高いと言われるこの国でも、やはり本好きは
どこにでもいますよね。 写真を拡大して眺めていましたら、
表紙の顔にチェ・ゲバラとか、イランのホメイニ氏とかも。

駅前の大きな食堂店の前を通りかかりましたら、さっと2人ほど
店の人が走り出て来て、店に入れ!と盛んに勧誘。
観光客は、やはり良い鴨なのでしょうか。



河岸通りの広い道、と、ここでも乗合の車を待つ人々。

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手前に見える横断歩道の印。 これはカイロでは殆ど絶無だった案内板で、
おまけに見えるかな、小さな点々には、豆電球がつくのです!
で、それよりも凄いのは・・、



皆で大笑いしたのを、ご紹介です。
待っている歩行者に、緑になるまで4秒ある、待て!

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ホラ、緑に。 で、34秒もあるのに、最初から既に走る姿!

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20秒、勿論走れ!

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その走る姿が、だんだん本気で走る姿になり、
最後の3秒間は、全力疾走の姿!!

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広い通りでも、こんな風に本気で走ったら10回も往復できそう!あはは。



船の1夜、ベリー・ダンスのショーがありました。 ですがぁ、彼女の
太やかなのは良いとせよ、踊りは申し訳みたいな物で、1枚だけね。

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が、男性の方はこれは大変見事でした!
タンヌーラというのか、いわゆる旋回舞踏で、クルクルと休みなく旋回しつつ、

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パッチワークのスカートを脱いで回す、子供の様に抱えて回る、
2枚目のスカートも、という様子で見応えがありました。

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クルーズ船でルクソールまでナイルを下り、ホテルの夕食後、味を占めた
7人で船を脱出、夜の散歩に。 最後のホテルが今迄で最高級でしたが、
河岸通りから少し離れていて、長い散歩になりました。 が、
ルクソール神殿の夜景を柵の外から楽しめました。

まずは、ルクソールの有名ホテル、と皆さんが言うウィンター・パレスの
前を通ったので1枚。 前も豪華ですが、地図で見ると
ホテル後ろの庭園が大変な広さ。

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ルクソール神殿の前の先端をぐるっと裏に回りましたら、広い広い
公園広場が広がり、街の人々が寛ぎ、少年たちはボールを蹴り。

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広場の中を神殿遺跡に沿いながら、ぐるっと一回り。

照明されているのが美しく、ボール蹴りの少年の横を抜け、鉄柵に
少しよじ登って写したり。 ここでもやはり、三日月が寝ていますね。

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この正面のオベリスクの所まで来ると、なんと音楽が聞こえました。
それも「ヴェルディのアイーダ、凱旋行進曲」。

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余りにもぴったりで、皆がおお!となりましたが、
でもね、この1曲なのですよ、繰り返し繰り返し!
このルクソール神殿のオベリスクの1本が、現在パリのコンコルド広場に。

    
  
神殿の端、まだ発掘現場の様な所まで来ると柵が無く、
shinkai、あんたのカメラで正面が撮れる? と言うので、
少し入り込み、こちら向きの照明が邪魔ながら2,3枚。

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あっ、警備員が来るよ、と言うので、あわてて退散。 エジプト・ルクソールで、
日本女性警備員に撃たれる、なんて洒落にもなりませんものね。
でも、時間的に我々は幸運でした。
10時迄の照明で、戻る時には神殿は暗闇の中でしたもの。



ナイル対岸、西に見る町の光。 あの西岸奥に王家の谷や、墓があり、
朝は気球が飛ぶのが、見えました。

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カイロのモスクの説教壇についての疑問を書いた折、コメントでお答え下さった
利根さんのブログ「かくや」にお邪魔して、拝見していた所
気球からのルクソールの眺めの写真がありました。
上空からの眺めは格別、1~5迄の写真をご覧下さい!
http://tonikakuya.blog54.fc2.com/blog-entry-184.html



「エジプトの夜」と称して、ピラミッドとスフィンクスの夜の写真から始めた、
エジプト旅行最後の今回、
最後は記念写真のカバーにあったアブ・シンベル神殿の夜の写真を。

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長いお付き合い、有難うございました!
これでやっとイタリアに戻れます、嬉しいぃ!!


*****

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・ n.1 エジプトの夜 ・ エジプト見たまま

あれこれ1か月近くに渡り「エジプト見たまま」をご覧頂きましたが、
今回でひとまず〆という事で、やれやれ!
どどんと打ち上げ花火など、が、財政緊縮の折がら、
エジプト各地の夜の風景をささやかに。

まずカイロ2日目の夜に出かけた「ギザのピラミッドの音と光のショー」
を入場券の写真から。

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実際の座席の位置はもっと低く、こんなに良くは見れませんでしたぁ。



手振れながらも、なんとか撮った写真をどうぞ!
3つ並ぶピラミッドの内の、いちばん左の小さなメンカウラ、
その左の小さいのは、名も知らず。

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真ん中のカフラのピラミッド、そしてスフィンクス。

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最後のピラミッドは、クフ王のもの。

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「音と光のショー」と銘打ち、ピラミッド建設の説明やら音楽も。
レーザー光線も使い、劇的効果もあった割にはイマイチの感で、
風も強く寒く、終いには内心早く終わらないかなぁ、と!
       
5000年の歴史を持ち、時が止まったままの様なこの国では、
最新技術に慣れた国から来る観光客に対応する、
ショー構成には特に関心がないのかも、です。

英語版、イタリア語版、そしてフランス語版と観客が入れ替わりましたが、
これを書きつつ、日本語版はあるの? と入場券にあるサイトを訪問。
http://soundandlight.com.eg はい、水曜の夜に1度ありますね

追記 サイトを確かめましたら、各地の様々なショウのご案内も見れますが、
   このピラミッドでのショウの、日本語版は無くなっており、
   イタリア語版のもなくなり、アラブ語、中国語などが出来ており、
   はぁ、世の変遷を感じましたです。 2020.4.11

       

「カイロ・バイ・ナイト」なるオプション・ツァーにも3日目の夜に。
相も変わらずの、車のラッシュぶり。

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この下の写真3枚は、何かお分かりでしょうか?
エジプトの(前)大統領サダトの、暗殺現場とそのお墓です。

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1981年10月6日の事で、当時のニュースをよく覚えておりますが、
閲兵式の行進の際に、兵に交じっていたイスラム原理主義者に、
貴賓席の大統領が暗殺されたのでした。
席がそのまま残され、道を挟んだ向かい側に、ピラミッドの形の廟が。



古い中世からのメルカートの周囲には、たくさんの店が並び、
昼間同様たくさんの人々で賑わっていましたが、

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はてさて、色の調子を見る事など関係ないのでしょうか?!
こんな夜の色電球の下で、一体どうやって選ぶんだろ?!

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その店主の好みにより、色電球を使っているのか、
小さな店が続くのを覗いていると、目がチカチカしそう。

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そして、1席だけの床屋さんも。

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オレンジをこんな風にたくさん吊っているのは、生ジュース屋。
奥にはバナナも見えますね。

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道脇で何やら焼いている姿が見え、なんだろ?と何枚か、
アップしたら、ケバブの屋台。

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この頃イタリアでも、安くて早くて美味しく、と大変増えていますが、
日本でも流行っていますか?



店の通りの上をふと見上げると、こんな感じの格子窓とこの色電球。
どうやら喫茶店か何かのようですが、

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どうもこういう格子には、秘め事臭いイメージが、と思うのは、
私だけかなぁ?  ははは。



シンデレラのカボチャの馬車みたいな、最新のモスクと、
古いメルカート近くのモスクのミナレット。

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エジプトの人々の美的感覚、宗教建築の灯りに対する感覚にも
違いを感じます。 他にも、モスクやミナレットに煌びやかな色の灯りが
どっさりなのを、ガイドのナッセールは、綺麗でしょう?!と言うのですが、
こちらは、ディズニー・ランドみたい、と。

上のモスクの近くには、墓地の街がありました。
エジプトのお墓は一般の家の建物の様な形で大きく、しかも内部が男性、
女性用室に分かれているので部屋数もある、

で、イスラエルとの戦争後(1973)逃れてきた人々の為に
墓地の持ち主が提供し、政府が電気や水道の設備をし、
そこに今も人々が住みついているのだとか。
まるで普通の住宅の様に電気がつき、TVが映り、
家の外にベンチを出しているのも見かけました。



暗い中の屋台店、そして人々の群がり、見えますか?
いささかぎょっとする程の人混みで!

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そしてやはり人々が、車の隙間を縫い道を渡り、
大きく広がって歩いて行きます。



赤いスケスケ下着が目立つ店を2軒。

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黒いストンとした女性の衣装と見比べ、ふ~む!という驚き。



靴屋のショウ・ウィンドウをどうぞ!
       
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なんともはや凄い並べ方で、この国は、びっしりぎっしり埋めつくすのですね。



ナイル河沿い風景をどうぞ。 空間、隙間が見えるのが、嬉しい!

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とはいえ、小舟の飾り付けの色が凄い!



立ち看板の宣伝をどうぞ!
1番上は映画で、カイロとなるとやはりアメリカ映画なのかな?

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2番目の浴槽写真は、まだまだ慎ましく。
イタリアならば当然、斜め上からの写真が登場ですが。

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中には、如何にもエジプト、がありましたが、これ1枚のみ。

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交通混雑の写真はギザからの戻りで、遅い時間でしたが。

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ライトアップされた建物、これが何だったか覚えていないのですが、
1番美しいxx、と聞いた覚えが。

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追記です
先回、モスクの説教壇について教えて下さった利根さんが再びお答を!
バロン・パレス・Baron Palaceと呼ばれる物で、
20世紀初頭にベルギー人のBaron Empainが建てさせたもので、
ご覧の通り、やはりヒンドゥー式なのだとか。
利根さん、有難うございます!


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・ n.2 ナイル下り ・  エジプト紀行

引き続き、有難うございます!
エジプト紀行 ・ ナイル下り その2 を続けます。

クルーズ船係留河岸の横に咲く、ブーゲンビリア。
やはり季節が早いですね。

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我々のクルーズ船、ミス・エジプト。

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大型クルーズ船の旅についてはいろいろ拝見しており、余り豪華船だと
困るなぁと思っていましたが、単に移動手段に船を利用という感じの、
いたって庶民的な船で、私でもまるで大丈夫でした、はは。
       


もう一度地図をどうぞ。
アブ・シンベル・Abu Simbelは、既に南の国スーダンとの国境に近く、
我々はアスワン・Aswan迄飛行機で戻り、

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クルーズ船で下りつつ、コム・オンボ・Kom Omboの遺跡、
エドフ・Edfuの遺跡を見つつ、エズナ・Esnaの水門を通り
ルクソール・Luxorまで、船で3泊の旅。
そして、ルクソール神殿、カルナック神殿、そしてナイル西岸の王家の谷
などを見てルクソールに1泊、イタリアに戻りました。



ミス・エジプトのロビー風景で、ここが1階に当たり、半地下に大食堂、
3階の半分にバール、ディスコ、屋上部分に小さな浅いプール、
バール、デッキ・テラスが。

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エドフに接岸、見学して戻りましたら、部屋の中がこんな風に。
タオルの白鳥の脇に広がるは、ワタチのパジャマ! あはは。

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ロベルタに、ねぇ、と聞いたら、やはり同じ。
写真を撮ったよ、と、ああやはり同じ!



すれ違うクルーズ船。いずれも似たような造りで、
窓はすべてミラー式なので、こんな風にナイルの水が写ります。

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上のデッキ・テラスから見る空はどこまでも広く、風が強く寒い程で、
人の少ないのを幸い、あっちに行きこっちに戻り、写真撮りに専念。

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ナイルの西側にはすぐ砂漠が広がり、アスワンからの送電線が続きます。

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時にほんの狭い土地でも、人の住んでいる気配があり、家畜たちの姿、
家らしき囲いも見え、砂漠の方にも人影が。

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幾つか見かけた、水上ポンプ と書かれた小屋。
なんだろ? 水上ガソリン・スタンド?

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住んでいるらしい家族の姿、家畜たち。
遠くから叫ぶ声が届き、見ると子供が手を振っていたり、

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どこから来たのか、どう見ても観光客ではない人々の姿。

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東に見えた、迫る岩の砂漠と、

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西岸の、どうやら神殿遺跡の名残りと、住居跡かな。

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続く送電線と、砂漠に埋まりそうな細い道。

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ナイル下りで見た景色の中で、一番心にしみた眺め。
緑の野、畑が続き、働く人の姿、子供の姿、家畜がいて、
ロバに跨って行く人。

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とてものどかで、その余りの素朴さに、中世の人々の姿をも思い重ねました。



タグ・ボートに曳かれて行く大型帆船。

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東岸には、時にかなり広い畑地が広がり。

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小舟での魚取り、網にたくさんかかるのかな?

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小さな入り江には、時に家畜の姿、小舟が見え、

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ヤシの木陰で休む人の姿も。

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白い柱が見えるのは、鉄道線が走っているのです。

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ロベルタが、shinkai ほら!と呼んでくれた時は既に遅く、
汽車が走る姿を見逃しました。



夕暮れが迫ります。

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落日。 太陽の陽が余りにも強く、丸く写らず!

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夕陽の名残の中、エズナの水門に近づき、水門通過の
順番待ちを。正面に長く見えるのは、橋だそう。

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折しも夕暮れのお祈り時間となり、エズナの町のあちこちの
ミナレットから、お祈りお知らせの声が、朗々と響き渡ります。

上のデッキに何人か集まり、水門通過を見ようと待っていましたが、
ふと見ると、船の先端で乗組員のお祈りが始まり、

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TVニュースでは見るものの、実際には初めて。



暫く待機の内に、町の明かりも濃くなり、

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漸くに、順番に囲いの中に。
ええ、何やら牧畜になった様な気が無きにしも非ず。



ほら、三日月、 寝そべった形でしょう?

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今回知ったのですが、水門通過にはやはり手順が!
即に水門、という訳ではなく、この狭い通路を抜け、
一旦内囲い式の場所に入るのですね。
       
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これは橋が架かっている為の措置なのかどうか、たとえばスエズ運河でも
そうかは知りませんが、投光機で確認しつつ狭い通路を抜けて行きます。



で、これから右側の水門に。 左側はどうやら上り専門ですね。

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ナイルのクルーズ船は、この水門の幅に従い、最長横幅が定められていて、
我々の船はそう長くもないので、2隻一緒に入ります。



固定された後、徐々に排水され、船体が下がって行きます。

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横の河岸の高さと見比べると、ほぼ船体の高さ分が
下がったのが分かりますね。
       


ディーゼル油の匂いが臭かったですが、時間はそうかかりませんで、
なぜこの場所に水門があるのかを、ミリアムと話していて、
彼女がガイドに尋ねたら、かってはここに滝があったのだそう。

水門が我々の後ろで閉るのは見ましたが、
暗すぎてピントを合わせられず、水門の写真は無しです。

こうしてあっけなく水門通過。 前の船がエンジンをかけ、
ゲートを抜けて行き、続いて我々も抜け、ルクソールまで。

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3泊とはいえ、アブ・シンベルの砂嵐で予定が変更になり、
余りクルーズを楽しんだ感じは無かったですが、

さて、あの調子で何日間も足止めとなると、私の様なイラチには、
長旅クルーズは楽しめないかも。
地中海一周とか、カリブ海とか考えて事もあったのですがぁ、
あはは、考え直した方が良さそう!

という事で、クルーズ船の旅も経験を済ませ、
次回はかなり無理やり最終回、エジプトの夜を! ははは。

◆*◆*◆

先日来のアイスランドの火山噴火の灰被害で、
ヨーロッパ中が麻痺した状態になっています。 
最初は北ヨーロッパの空港閉鎖のみで、イタリアは大丈夫だったのが、
昨日より北イタリアすべて閉鎖、今日はローマも閉鎖、
おまけにいつ再開できるかの見通し立たずとか!

国鉄に振り替えも、レンタ・カーも、バスも、フェリーもすべて満杯、
身動きが取れない状態で、全ての窓口に長蛇の列。
旅行予定の皆さんは、さぞ気がかりな事でしょう!
       
今日お昼のニュースでは、ルフトハンザとKLMが低空飛行を試し、
OKだったというニュースも。 上手く機能するように願います!

日本はこの時期になり雪が降ったりの、不安定気候の様ですが、
体調にお気をつけて、風邪などひかれませぬよう!!
お元気で!

*****

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・ n.1 アブ・シンベル神殿・ナイル下り ・ エジプト紀行

今日はナイル河上流に位置するアブ・シンベル神殿・Abu Simbelと
アスワン・ダム、そしてアスワンの街の様子をほんの少し、
そして、ナイル下りの沿岸風景をごゆっくり! 
     
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最初は、アブ・シンベル神殿同様に小島に移されたイシスの神殿、
その後クルーズ船でナイルを下りながら見たルクソール・Luxor迄の
遺跡群を少しづつでも、と思っていたのですがぁ、

どの遺跡もそれぞれに見所はあり、特徴もあるにせよ、
ほぼ同じスタイルの神殿構築で、何せ5000年前の物ですから、
ローマ遺跡をあちこちで見ている目には、どれもが同じ様なイメージ!

彫り込まれた浮き彫りの類、びっしりと埋められた象形文字。
実際にはかなり興味深く眺め、写真もたくさん撮りましたが、
さてブログにと選び出すと、皆ほぼ同じなのですね。

という事で、思い切って以下略で、アスワンから乗り込んだナイル下りの
クルーズ船でルクソールまでに見たナイル沿岸風景をご覧頂こうと。
其々の遺跡については、また懐かしくなったら纏めて見て頂こうと。
よろしくお願いいたしま~す!
      
      
カイロからアブ・シンベル迄、1時間半弱の飛行予定でしたが、
朝カイロ空港に着き、ツァー会社の持ち飛行機利用の為
チェック・インも無しに待合室に入ったものの、
狭い待合室が超満員になり、予定時間を過ぎてもそのまま!
皆がお互いにツァー仲間の顔を探し、安心確認する内に漸くに説明があり、
アブ・シンベル空港が朝からの猛烈な砂嵐で閉鎖されており、
運航がOKとなり次第出発するので待ってくれ、との事。

春先からは砂嵐が強くなる、とか読んでいましたので、
あれま、やったぜ!と思いつつ、
それでも1時間半ほど待つうちに、搭乗、飛行でやれやれ。

到着のアブ・シンベル空港は、こんな色!

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写真はあちこちで見かけた、ドラム缶に色をつけ、道の両側から交互に
突出している物。 つまり、ジグザグに運行させ車のスピードを落とさせたり、
検問所代わりの物ですが、どこからか、ホラ、自動開閉柵だぜ、の声。



砂嵐の色をどうぞ!

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空港からのバスが素晴らしかった! 真ん中のドアの布張りが半分剥落、
がたがたと。 う~ん、観光バスでこれだもの、一般のバスはどうだろ?

大きなヨシズ張りの、待合所兼バールに到着、検問の柵を通り抜けると
この小山。 右からぐるっと、回り込むように進みます。

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こんな風に、石ころがゴロゴロする道を行きます。

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湖の水の色も、水平線もボワンと濁り、

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小山をぐるっと回り込んで近づく形に造られていて、まず向こうの小神殿、
そして手前の大神殿が目に入ります。 何とも、素晴らしい瞬間!

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そう、これを見るために、エジプトに来たのでした!



時に薄日が射しますが、以前として風が強く肌寒く、
皆、口を閉じて見惚れます。

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アスワン・ダム建設で水底に沈むのを救うため、幾つもに切り分け、
この高所に運んで再構築されたのは知っていましたが、
この辺り一帯地震地帯の為、中の神殿の上部にはドームが作られ、
その上から岩で覆っているのだそう。

エジプトの神殿遺跡を、この後あれこれ見物しましたが、
この神殿に勝る美しい神殿、この正面の美しさを超える神殿は他にはないと!

岩に彫り込まれたので、この正面の形なのでしょうが、細部や大きさは違っても、
他の神殿はほぼ同じ形態を持つのに対し、
ここは唯一の、独特な構成で、像の美しさの完成度も群を抜いていると。



大小の像の対比から、その言わんとする所が推し量れるような、
単に力の誇示のみでなく、ここの像には愛情もこもっている様な。
細部の彫りも、大変美しく。

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奇怪な姿で現わされる事の多いエジプトの神々ですが、
鷹の姿はホルス神とか。

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この国の古代宗教についても、政治についても余り関心がなく、
単に姿、形としてのみ見るのですが、
動物の姿にはすぐ目が行き、ここの鷹は素晴らしいと。



風が強いので、雀がチィチィ鳴きながら、飛び交います。

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4体のラムセス像の真ん中に、内奥の神殿入り口があり、
内部は写真禁止で、これは記念写真を撮ったカバーから。

内部通路の両脇に、8体の巨像が立ち並び、
この両脇に、びっしりと浮彫の施された部屋が並びます。

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で65m奥の部屋には神像が4体。 この4像には、夏至と冬至の朝日だけが
何分間か届くのだとか、こんなロマンを何10年振りかに思い出しました。

写真禁止なので、内部で撮りはしませんでしたが、奥から入り口を見た時、
砂嵐で弱い光が射しこみ、ぼんやりと浮かぶ巨像の姿が見え、
これはもうまったく、写せないのが本当に残念でした!

でもね、ちょっとズルをしたのですよ。
入り口脇に制服の警官と、もう1人民族衣装ターバンの小父さんがいて、
脇に抱えたカメラを見て、制服が内部はダメと言いかけると、
小父さんが私を見ながら、彼をとめるのですね。

魚心あれば水心、亀の甲より年の功、はは~んと思い、外に出た時、
私を撮ってくれと頼むとOK!で、入り口に立つと、もっと中に入れ、とね。
カメラを渡す前に、思い切りISOを上げておきましたから、
はい、暗い奥の像までしっかり写っていました。
記念撮影代、2エウロ。 良いカメラだと、褒めて貰いましたぁ。



隣の小神殿、こちらにはラムセスとその妻ネフェルタリ、そして皇子と王女の
像が並びますが、隣の迫力ある美しさには、やや劣りますね。

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立像は、後の神殿でもイヤというほど見ましたが、高くはなっても、
やはり坐像の迫力には欠けるのでしょうか。

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小神殿のこちらから見る大神殿。

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そして見納めの、両アブ・シンベル神殿。
       
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ピラミッドとスフィンクス、そしてこのアブ・シンべル、
我がエジプト旅行の目的達成!!



小山をぐるっと回りながら、入り口に戻ります。

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道脇に、こんな素敵な柄を持つ鳥のカップル。

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そう、考えてみれば、このアブ・シンベル神殿を見に来る世界中の
観光客の為に、ここの空港は存在するのですね。
他には、何もないのです。
考えると凄い事ですが、いや、その価値は12分に!



入り口脇にある、バール兼休憩所はかなり大きいのが、見る見るうちに
いっぱいになり、席もなくなり、出発の知らせがないなぁ、と待つうちに、
またもや、砂嵐の為空港閉鎖、空港は先に行った観光客でいっぱいで
行っても無駄ですから、食べ物もあるここで待ちましょう、と。

なにぃ?! そんなに待つのぉ?!
仕方もなく、ジュースとポテトチップを買い、砂嵐を見ながら、皆でポリポリ。
雀たちが騒ぎながらすぐそこまでやって来て、風にあおられつつ、
観光客のおこぼれ頂戴。

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ヤシの葉も、草木も砂嵐に吹き流されますが、
それでも不思議な事に、扇風機も回されたまま!

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有難い事に、1時間半も待たずにバスに乗せられ再開した空港に。
ここでもまた多少は待ちましたが、なんとかアスワンに到着。
45分程の飛行だったと。
カイロからの鞄の行方不明が出たりして、また暫く待機。

漸くに、今夜からの宿になるクルーズ船に向かいつつ見た夕陽。
途中で見たアスワン・ダムの風景と重ねて納得の、
砂漠にずっと延びる送電線。

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道には、黄色い細かい砂が吹き寄せられ敷き詰め、
ブレーキをかけたら危険だろうなぁという風景。

後に聞いた話では、確かに待ちはしましたが我々は幸運でした。
後発のグループは、アブ・シンベル空港が閉鎖の為カイロに引き返し、
翌日には行ったものの、またもや砂嵐で、蜃気楼を見ただけだったとか!

蜃気楼も、そりゃまぁ見れるなら見たいものですが、
あの神殿とは比較できませんよね。

余談ですが、到着した船の入り口でおしぼりが渡され、
顔を吹いたら、おしぼりが茶色に!
シャワーを浴び、耳の中をタオルで拭いたらまだまだ茶色!
入り口では、さすが耳の中までは拭けずでしたからね、ははは。



翌日は前日の砂嵐が嘘の様な快晴で、早速アスワン・ハイ・ダムの見物に。

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ダムの下流側、と上流の広い広い湖。
      
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そして、アスワン・ダムの構造図。

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こういうのは、私は説明されても分からないので、説明は省略。
・・こうなっているんですと。 皆さん、お分かりになりましたねぇ?
      
       

フィラエ島と。 この島にあったイシス神殿がダムの水に沈み、現在別の島に
移されているのを見物に。 なかなか素晴らしい神殿でした。

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昨夕アスワンに到着した時に見た送電線。 武骨な姿を見せますが、
ダムの発電で得た電気をカイロに迄も、国中に運んでいるのでしょう。

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ナイル河の流れに寄り添い村落が続き、そのすぐ奥には砂漠。

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ナイルの東岸側、こちらにアスワンの市街が広がりますが、
大きなオアシスになるのか、深い緑。

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緑色に塗られたこの家は、アスワン・ダムの建設時にイギリス人技師の
住んだ家だそう。 庭の縁取り部分の、黄色と黒が気になりつつ、
長崎の洋館を連想しましたが。

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ツァー仲間で仲良くなった夫婦2組と、クルーズ船を抜け出し
アスワンの街散歩に。

カイロと違いアスワンの街は、小奇麗でのんびりとした雰囲気。
船の係留河岸から道に上がると、すぐに公園が広がり、
ナイルの西に見える砂漠の丘が、こんな風に。

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これは公園の清掃人と、バイクのゴミ収集車。

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この程度の大きさの車で十分なのかいな? ガイドのナッセールの話だと、
アスワンの市長が働き者で、街が上手く機能している、との事でしたが。



所で、エジプトのカラスは真っ黒ではないのですよ。 こんな風に、
ネズミ色とのツートン・カラーで、ええ、まぁ大きさも少し小さめかな。

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合歓の木の葉が、広がり始め。

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手書き?と思うナンバー・プレート、
       
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そして、荷物風に運ばれる子供。 落ちるなよ!

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映画館入り口と、ポスター。

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エジプト国産映画の様で、ラヴ・シーンもしっかりあるようですがぁ、
濃厚かどうかは、わしゃ知らんよ。

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道の奥にアスワンの国鉄駅。

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この時は時間切れで引き返しましたが、夜再度脱出を敢行、
駅の中も覗きに行きました。
各種、各街の夜景写真は、次回に一挙公開予定で、お楽しみに!
       
という所で、ナイル下り その2 に続きま~す。
       
*****

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・ ほら、春だよ! ・ スコミーゴ村も、春だよ!

柔らかい春の陽射しが続く毎日、暖かい春の陽気に誘われ
この日曜の午後、我がスコミーゴ村・Scomigoを一回り。

柔らかい緑の草原、咲き始めた小さな花々、萌えだす新芽、
のんびりとした、イタリアはヴェネトの春をお届けしますね。

家からすぐの所で見つけた春の花、春の色。

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萌えだす新芽。

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ムスカリの花、草地に咲いているのですが、野生かな?

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イヌフグリと、同じ位の大きさのピンクの小さな花。

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タンポポの黄色、満開!

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良く見ると、小さな他の花も咲いているのですが、黄色に埋まってますね。



イタリアの春はカリカントス・蝋梅の薄黄色で始まり、レンギョウの黄色が続き、
今は既に盛りを過ぎ、これは、山吹。

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日本の様に花の咲く順番がなく、その土地の陽当たりや風あたり等の条件により
暖かくなるといっせいに咲きだします。
山吹など、日本では梅雨時に咲くものと思っていましたが・・。



いつもの風景、隣のオリアーノ村の教会と鐘楼。
村の境の谷を埋める木々が芽吹きだし、今様々な色で埋まりはじめ。

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草原で、シニョーラが草を探して摘んでいますが、向こうから声をかけてくれました。

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ほら、この草の先を摘んでいるのですね。 sciopetin・ショペティンとこの辺りでは
呼ぶそうで、イタリア語の先生に写真を送り訊ねましたが、やはりこの言葉。
ヴェネツィア・メストゥレに住む息子セルジョの奥方ドナテッラは別の言葉で
教えてくれたのですが、思い出せず・・。

リゾットにすると大変美味しいとの事ですが、まだ食べた事なし。
スーパーでもこの季節、ほんの少し売っているのを見かけます。
日本でも蕗の薹やらタラの芽とか土筆とか、春の野の味を賞味しますね、
所違えど、やはり人間の感覚というのは同じですね。 
  
スコミーゴで生まれ育ち、ずっとここにというこのシニョーラとは初めての出会いで、
どこに住んでいて、誰と結婚したのか、いつからこの村にと、ははは、
ちょっとした身元確認の会話があり、にっこりと、また会おうねとめでたく無罪放免。
ええ、田舎ではこれが大事なのですよね。



葡萄畑の脇を通りかかり、新芽が出ているのを確認。
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葡萄のこの一見枯れた様な肌の枝から、こんな可愛い、みずみずしい新芽!



ほらね、逆光に新芽が煌めいています。

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少し奥に入り込むと、土地の傾斜に連れて列が伸びるのが、良く分かります。



だらだらと傾斜を下り入り込むと、雑木林。 向こう側に湧き水の細い流れがあり、
渡った場所にも雑木林があるのですが、最近どんどん刈られて行きます。

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草地の奥でひっそりと野生のクリスマス・ローズが咲き、今、種袋が膨らみつつ。

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3年前に種取りをし、日本の各地にお嫁入りした野生のクリスマス・ローズが、
皆さんの丹精のおかげでこの春咲き始めたとの嬉しいニュース!
しかもなんと、爽やかな香りを持っているのですって!!



葡萄畑と道との境にある、小さな果樹の花が開き始め、蜂君が寄って来ていますが、
花に潜り込むと写せず、飛ぶとピンボケで・・。

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ここの果樹はなんだったっけ? リンゴだったっけ?



向かい側の畑の脇の木。 ここも様々な色の新芽、そして白い花。

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お家の庭のこれを写していましたら、

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ガードマン君が吠えながら走り寄って来たので、声をかけつつ、カメラを向け
1枚撮りましたら、途端に何やらモゴモゴいいながら母屋の方に、ははは。



藤の蕾も、ほら、膨らんで来ています。
      
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最初のはスコミーゴ村の郵便局のお隣で、次のはもすこし先のお家の垣根に。



隣のオリアーノ村への谷の道を下らず、東に延びる道をだらだらと。
住んでいる人位しか通らない道なので、早速にワン君たちが騒ぎます。

細いスカンポに、もっと細い蜘蛛の巣が。 見えるかな?

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イタリアの白い桜と果樹の白い花。 いずれも少し盛りを過ぎて。

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この花はなんでしょうか? 辺り一面に、馥郁たる香りが漂い、蜂君たちもたくさん
集まっていましたが、なかなか、こちらの思う花には立ち止まってくれず。

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オリアーノ村との傾斜に広がる葡萄畑。
逆光の位置ですが、大好きな眺めなのでご覧頂きますね。

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この大きな農家の左下を高速が通り、村道の高架が架かります。
車で旅行に出かけて戻って来た時、手前で大きくカーヴする高速を走りながら、
見上げるこの家。 いつも、ああ無事に戻って来た、と安堵する場所なのです。

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写真は、も一つ南の高速にかかる橋上からなので、下から見上げるイメージは
ありませんが、スコミーゴ村のとっかかりです。



やはり高架橋の上から面白い畝の形の畑を見つけましたが、
どうしても橋の上からしかこの位置は写せずで、左に白い線が写り込んでいるのは、
高架の金網の線。

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葡萄畑も今のこの時期、まだこんな風に骨格のみ。

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空き家になった大きな農家、それでも、庭木に春が。

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これらの写真を撮った前日の土曜の夜、ざぁっとかなりの雨が降り、雷も鳴り響き、
日曜もずっと北の山には雲がかかっていたのですが、

家に戻りかけの時少し薄れ、なんとまぁ、また山の上が白くなっているのが見えました。

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葡萄畑の間に広がる草原に、猫ちゃん。
遠くから望遠で狙いましたが、パシャっというシャッターの音で、一目散!

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それがなんと、まさに馬が疾走する様に、後ろに長い尻尾を一直線に閃かしながら、
素晴らしい走りっぷりで逃げて行ったのですよ、あはは。


◆*◆
今日のブログ・タイトルにした、ほら、春だよ は、
2年前に見に行ったアッシジの「カレンディ・マッジョ」のお祭りで何度も聞き、
CDも買って戻った「Echo la primavera・エコ・ラ・プリマヴェーラ」から。

ほら、春だよ。
心を浮き浮きさせ、恋をする時、
幸せな気分を味わう春だよ。
空気も季節も、浮き浮きさせる。
この軽やかな季節、
憂いもなく、すべて優美で楽しくて。
草はみずみずしく、花は野原を覆い、
飾りつけられた木々も、そんな様子だよ。

あのお祭りは、まさに訪れる春を寿ぎ、喜びを歌いあげる素晴らしいお祭りで、
繰り返し想い出しては楽しんでいます。
ご案内はこちらからどうぞ!
アッシジ   ウンブリア州  
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/460871638.html
       
◆*◆*◆

ブログご訪問、有難うございます!
今日は文字数が少ないので、ちょっとお喋りを。

ご自分がブログをされている皆さんはご存知でしょうが、
「お気に入り」に入れて訪問して下さる方の身元は分からないものの、
どのリンクから訪ねて下さったか、どんな検索言葉で訊ねあてて下さったか、
一日に何人ご訪問くださったかは、分かるようになっているのですね。

所で、このブログは有難い事に、今年になり、ぐっと訪問して下さる方が増えました。
本当に有難うございます!!
好きな事を好きな様に綴っておりますが、訪問して下さる方が多いと、
尚の事励まされます。 今後とも、どうぞよろしくお願いいたします!!

と、しおらしくご挨拶をすませまして、・・ははは、
検索をかけて、このブログを訊ねあてて下さるのに、時にとんでもない言葉で、
来られる方がおられるのですね。

以前、砂地・ニンジン というので、数人の方が!
でもこの、砂地・ニンジンには心当たりがありました。 ポー河のデルタの干拓地で、
砂地の人参畑を見たのを一行書いた事があります、はい。

好奇の虫で、逆にこの言葉で検索をかけましたら、砂地・ニンジンでかかる
サイトの多い事!! 20ページまで行きましたが、当ブログには行きあたらず断念。
一体何ページ位で探し当てて、訪問して下さったものでしょうか!
まさかに、イタリアの田舎くんだりに辿り着くとは、予想外だったでしょうねぇ、ははは。

で、つい4月1日の事、
なんと、お前の血が欲しい という言葉で、お一人様ご訪問!
な、なに?! 覚えがないです! 無実です! どう考えても!

で、逆検索を。  
物凄いページ数、ホラー・ページ検索かと思う程、血まみれ!!
これも20ページまで行きましたが辿り着かず断念。

お前の血がほしい、だと?!
いらん、いらん!! やらん、やらん!!

日頃、世間常識とは離れて暮らしておりますが、認めます!
思いがけずにお付き合い頂けるようになった方々との繋がりがどんどん広がり、
これは大変に嬉しく有難く、
そして時にこの様に、大いに世間に引きずり込んで、笑わせて貰える
ブログの功名にも大感謝です!!

どうぞ今後とも、よろしくお願いいたしま~す!
       
*****

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・ n.2 ピラミッド・スフィンクス ・ エジプト紀行

エジプト紀行、 n.2、ピラミッド・スフィンクスの続きを。

まずはギザのピラミッドから。
バスに乗り、ピラミッドが3つ、1度に眺められる場所に。

確かに3つ同時に見れますが、ガイドブックで見る角度とは違い、
横並びで。 まぁ、ガイドブック通りに重ねて3つとなると、
ラクダでかなり遠い場所に行かないと無理なのでしょうね。

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大きな方の2つはカフラとケフのピラミッドですが、隣通しとはいえ、
こうして見ると如何に離れているものか、
砂漠での距離が、通常とまるで違うのに気がつきます。



またバスに乗り、今度はスフィンクスの方に移動。

バスの窓からで、首の辺りに白く見えるのは何かの反射、
こちら側には歩いてこれませんでしたので、これを1枚どうぞ。

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まずは、観光おのぼりさんの定位置で1枚。 やはり美しいですねぇ!

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駐車場でバスを降り、スフィンクスの前に出る前にこの柱廊というか、
柱廊の間というか、日本語のガイドブックには、河岸神殿とありましたが、
ここを通りぬけて行きます。

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こんな風な細い部屋が幾つも並んでいるのですが、ミイラの製作に
使われた部屋で、柱は普通の石ですが、床はアラバスターなのですね。

アラバスターは半透明の柄の浮き出る美しい石。 光を通すので、薄板は
古い聖堂などでガラス代わりに用いられていたのをイタリアでも見ますが、
大変冷たい質で、冷蔵庫代わりに使われたそうで、その意味でも、
アラバスターの壺にミイラ作りの際に内臓を入れたのが納得。
       


鼻と唇が破損されてはいるものの、やはりやはり、圧倒的な美しさ!

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そして傍で見ると、かっては彩色されていたのが見えます。
さぞや、綺麗だったでしょうねぇ。

エジプトの神殿の彫像は、たいてい鼻と唇が破壊されていますが、
息を吸い込み吐き出す、善を吸い込み悪を吐き出す、として
アラブ民族が侵入してきた時に破壊したのだそう。 なんと勿体ない事を!
      


ライオンの胴体を持っている訳で、これがなんと73,5mもの胴長で、
そろそろとお尻の方に向かうと・・、

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はい、ちゃんと尻尾がありました!
       
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岩から掘り出して作ったというのですが、かっては上から綺麗に
滑らかな石で覆われていたのですね、
綺麗なお尻と長い尻尾を持っていました。



いつも話題にされる事ながら、使われている石の大きさに驚きます。

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石によじ登り、鉄柵の間からの、見納めのスフィンクスとピラミッド。

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小学生以来の夢が、これで1つ叶いました。



サッカラ・Saqqaraに向かいます。 途中バナナとミカンを満載の車と
抜きつ抜かれつ、バナナは幹ごと、いくつもの房がついた枝ごとでした。

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オアシスの緑が広がり、ヤシ林がうっそうと続き、隙間から
大きなお屋敷などもちらほらと。 上等そうな別荘、レストランなどもあり、
週末を過ごす人々も多いとか。

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サッカラのピラミッドと聞いても、ピンと来ませんでしたが、ここには階段状の
有名なピラミッドがありました。 バスの窓からの写真で、少し変な色に。

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例によって、柱廊の間の列を抜けて行きますが、これが結構長く。
       
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で、パッと広場にでると、このピラミッドが右手奥に。

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このピラミッドの内部は、木で基本構築がされていて、朽ちて内部が陥落
しているそうで、現在は観覧禁止。
ですが、ガイドブックによると、かなりの遺跡の様子。

手前に木の足場が組まれ修復中なのが見えますが、日本のチームだそう。
カイロの街の建設現場でも、足場は木製でしたね。



広場南側の壁沿いに階段があり上りますが、壁の飾りには、
王の冠に見られるコブラの列。

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いわば城壁の上に出たわけで、南の下にはこんな構造物が見え、
未だ発掘中で、ピラミッドの周辺に多くの墓があった様子。

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城壁の上から広場を見ると、かってあったという神殿の位置がなんとか。



広場の東に残る神殿跡と、 最初に通った列柱の間。

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お話中のこの2人、物売りでもなく、ラクダの客引きでもなく、なんだろ?

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地下墳墓群の発掘現場の様子。

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砂漠に向かい、客待ちの馬、ラクダ。

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南に見えるピラミッドと、北に見えるピラミッドと。 もっともっと霞んで、
ギザのピラミッドも遥かに。

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こちらは砂漠、そしてすぐ隣にこの緑が広がり、はるか遠くにビル群が霞み。
何とも凄い対比の世界。

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メンフィス・Memphisに向かいます。
     
小さな可愛い3輪乗合いを見つけ、大喜びで写した2枚。
カイロなどでは見ませんでしたが、こちらでは何台か。

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道端で開店準備中の屋台食堂と、果物店の店先。

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果物の種類が少ないですが、季節の品、現地の品だけなのでしょうね。
2つお皿の並んだ、懐かしい天秤ばかり。
メンフィスには確か、手織り絨毯の学校や店が多いのだとか。



メンフィスで何を見たかと言うと、これ、巨大なラムセス2世像。

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古代の首都でもあったメンフィスですが、石類はリサイクル用に持ち去られ、
遺跡は殆ど無いのだそう。

が、この巨像は素晴らしく美しく、ぐるぐると周囲を回りながら眺めました。



博物館脇に広がる公園式庭には、このスフィンクス。

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そして、お尻の眺め。 やはり尻尾を見つけ、安心。

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美しい物に出会い、眺め、写真を撮っていると、あっという間に集合時間が。

ここでもラムセス像を眺めている間に時間になり、皆が集まっている
スフィンクス像前まで走りました。 はい、イタリアの大人は、走りません!
澄まして、ガイドの説明を待つ皆さんの端に加わったのですが、
皆の向きからは、ちょうど走って来るのが丸見えで、
おまけに、何となく「気をつけ!」の姿勢になっていたらしく、はい、日本人!
途端にガイドが「じゃぁ、皆さん行きましょうか?」と歩きだし、
大いに笑われ、からかわれました。
       


円柱の台座に彫り込まれた象形文字。

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まだ旅行の始まりで、新鮮に見えて写しましたが、
ナイル上流の遺跡巡りになると、飽きるほどに!



広場の脇に何軒かのスーヴェニール店があり、
その脇に、ははは、こんなユーモラスな展示。

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清楚な白い立ち葵の花が、脇の花壇に。

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ああ、今回は綺麗に閉められて、良かったぁ!
      
という所で、ではまた次回に。
次はナイル上流に飛びますが、砂嵐の色などもご覧頂けます。


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・ n.1 モスク・ピラミッド・スフィンクス ・ エジプト紀行

エジプト旅行のご報告は、遺跡巡りを避けては済まされませんが、
詳細は他のブログ、サイトでご覧を!と横着を決め込み、
今迄通り、写真と最低のご説明のみで・・、よろしくお願いいたしま~す!

今回は2回に渡り、カイロの美しいモスク2つ、そしてギザ、サッカラ、メンフィスの
ピラミッドとスフィンクスをご覧頂きますが、

観光バスで連れて行かれ、説明を右から左にと聞き、写真を撮りまくり、
ああやれやれ! とホテルに戻ったカイロ2日半の模様です。
まだ、カイロ・バイ・ナイトと、ピラミッドの夜の光と音楽のショーが
残っておりますが、・・夜景は最後にやっつけますです。

最初の写真は、チッタデッラ・Cittadella・要塞と呼ばれる地区、
カイロの南東高台に当たり、ここに美しいモスクが2つ、
今見えるミナレットの、あのモスクに行きます。

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チッタデッラは伊語で、地図を見るとCitadelとありますが、
12世紀に作られた要塞で、どうやらギザの小さなピラミッドの石を
リサイクルで使ったというお話。

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首都が紀元後969年にカイロに建設される前は、
メンフィス、アレキサンドリアなどあちこち移住したといいますから、
12世紀のこの要塞は、いわばカイロの町の起こりなのでしょう。



上の写真の城壁をぬけてくると広場があり、壁の向こうに
こんな丸屋根が見え、何かと思ったら、貨幣鋳造所だったそう。

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広場の横、壁の上ににこんなライオン君がいて、
日本の神社の狛犬みたいですね。

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で、この間の道に入り込むと、



わぁ! と思わず声が出ました。  素晴らしい眺め!

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間の緩やかな坂道を歩きながら、圧倒的な存在感に威圧され。

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道の先を右手に。 ここに別のモスク、エン・ナジール・en-Nasirがあり、
先にこちらに入りますが、モスクに入るにはご存知のように靴を脱ぐか、
入り口で売っているナイロンの靴カバーを買って上から履きます。

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広い四角な中庭が広がり、周囲をこんな回廊がぐるっと。
たくさんガラスのランプが下がっていて。

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綺麗な明るい青の柄入り、いや、柄ではなく文字なのかも。

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14世紀の建設だそうで、柱頭の形も様々、ペルシャ風でもあるとか。

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このモスクは、何やらガランとした雰囲気ですが、要塞の城壁内に入るのに
切符が手渡され、検問所を通りましたから、
現在は完全に観光客の見物用なのかも。

鳩君たちが何かついばんでいましたが、今考えると、餌を貰っている
動鳥類を見たのはここだけで、鳩の羽色は、ね、いつもの色ですね。

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入り口からの正面奥に見えた部分。 柄大好き人間は、説明を聞かず
写真撮りに専念、何がなんだかご説明は・・。

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実は、見学したこのモスクの名を知らず、いくらなんでも、自分が見たモスクの
名前位は知らないと、と探していてご案内のn.1のモスクを見つけたのですが、
  カイロで一番有名な美しいモスク、スルタン・ハサン・Sultan Hasanモスク

この壁の壁龕部分、右の木の小さい塔の様な形がまるで同じで、
ただあちらはもっと豪華版、壁がすべて柄で埋まっていましたっけ。
       
この壁龕、隣の階段付きの木製の物が、何に使われるのか、
ちゃんと説明を聞いておくべきでしたぁ。

◆追記◆
これを読まれた方から、ご丁寧に教えて頂きましたのでここに追記を。
       
・壁龕:礼拝をおこなう方向:つまりカアバ神殿のあるメッカの方向を示すもの
・隣の階段付きの木製の物:これは説教壇.
金曜の昼に行われる集団礼拝のときなどに,階段状の部分に導師が座って
説教をおこなうためのもの.一番上には座らないことになってます。
という事で、 利根様、有難うございました!



アップでどうぞ。 石の柄は描いているのではなく、全てはめ込み象嵌。
凄いですねぇ!
      
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回廊部からの眺め、入り口部分と隣のモスクと。
  
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右手前のミナレットの先端が、隣と違い丸い形ですが、これはペルシャ風なのと。



アップで。 先端の丸い部分で、やはり何やら文字が見えます。

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1番上に環というか三日月の形、下の部分が太い形が見えますが、
後にナイル上流域で見た三日月は、まさにこんな風に下側が太い形、
三日月が寝そべった形というか、
我々の見る縦になった形とは違うのでした!また写真をご覧頂きますね。



隣のモスク、ムハメッド・アリ・Muhammed `Ali.
イスタンブールのサンタ・ソフィア寺院をモデルに、19世紀建設の大変美しいモスク。

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ですが無知蒙昧な私なんぞ、ムハメッド・アリと聞くと、頭にパッと、
カシアス・クレイと閃き。  入り口は、写真の右側。



入り口から入ると、まずこの美しい中庭で、真ん中に泉、平和のオアシス、
後ろに見えるのは、フランス製の時計塔。

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こちらがその時計塔で、ガイドのナッセールの説明では、現在パリのコンコルド広場に
あるオベリスクと、交換した時計だそう。
で、オベリスクは今も健在ですが、まだ見た事なし、この時計はすぐに止まったそう!

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コンコルド広場で間違いないよね、とパリ知らずの私はまた検索、
で、ここのオベリスクが、ルクソール神殿からの物と知りました。
そう言えば、ルクソール神殿入り口には、オベリスクが1本しかなかったっけ。



内部はご覧の通り、ランプの明かりが花のよう!

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実際はもっと暗く、ランプのみが輝き、
あちらにもこちらにも、幾重にも環が広がります。



クーポラの内部は暗く、下に広がるランプの明かりと、ランプを吊るす鎖で
肉眼ではほんのりと見えます。

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で、思い切ってISOを上げて撮ったら、なんと素晴らしい模様がありました!
    


モスクの暗い内部から外に。
庭の端から、カイロの街の素晴らしいパノラマ!

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地図をどうぞ。 今回の旅行で行った部分に、赤印を。

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まずカイロ・Cairo、そしてギザ・Giza、実際はカイロの西に位置します。
カイロの下の赤い印2つは、左がサッカラ、右がメンフィス、
このブログで続けてご覧頂きます。

ナイル河上流の遺跡群については、次回のご紹介ですが、
カイロ見学の後ナイル上流のアブ・シンベル・Abu Simbel迄飛行機で、
神殿を見て後、再度アスワン・Aswan迄飛びました。

ここでダムや、既にご覧頂いたヌビアの村などを見て、
船でルクソール・Luxor迄下りながら、コム・オンボ・Kom Omboの神殿、
エズナ・Esnaの水門を。
  
ルクソールの一日は大盛りで、テーベ・Thebesのお墓や王家の谷、
カルナック・Karnakの神殿などを、で、イタリアに戻ったという日程でした。



ピラミッドは、ギザの町に近ずくと見えて来ます。
余りにも簡単に前方に現れるので、拍子抜けの感も。

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カイロ2日目の夜は、このギザ・Gizaまで光と音楽のショーを見に行ったのが、
風も強く寒くて寒くて!

暑い暑いと聞いていたエジプトですが、前日迄の30度を超す気温が
一挙に10度ほども下がった毎日で、風が強く日中でも寒く感じるほど。
本当にジリジリと焼かれたのは、最後の2日間のみでした。
       


ピラミッドに到着し検問所を通るのに一旦バスを降ります。
あっけなくと言いつつも、イザこうして実際に見ると、

イェイ、は~るばる来たぜ、ピラミッドォ~~。  やはり、美しい!

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またバスに乗り、ぐるっと回って行きます。

ギザのピラミッドは3つあり、頂上にかって覆われていた部分の残る、
真ん中のがカフラ、今手前に見えるのがクフで、
この2つは大体同じ大きさだそう。

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バスの中から見たクフ王のピラミッド。 石の大きさが良く分かりますね。
      
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子供の頃、ピラミッドは三角形とインプットされて以来ずっと、
滑らかな三角と思い込んでおり、大人になって後、この石ごろごろ、
でこぼこ三角と知った時の驚き! そんな事を思い出しました



クフ王のピラミッド。 このピラミッドの中には入る事が出来ます。
はい、入りました。

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縦横1m20cmのトンネルが下って上ってと続き、いちばん奥には天井の
高い部屋があり、大きな石棺があったと。
というのも、狭い通り道よりも大きな石棺なので、ピラミッドが出来て後に
持ち込んだのではなく、その上に造り上げて行った、と聞いた記憶が。

まぁ、猫に小判、豚に真珠、馬の耳に念仏、豆腐にカスガイ、
ecc eccの体験でありましたぁ。



クフ王のピラミッドから少し離れた場所にあったこれ、地下墳墓の1つで、
中に入ると、警備員が下に降りて良い、というので暗い中を下に潜り込み、
       
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入り口両脇にあるこの像からも位置からも、かなりの人物の墓
とは思うのですが、う~ん、これも猫に小判の類でありました。



観光ポリスは、ここではラクダに乗って。

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見遥かす向こうは、ず~~っと砂漠。

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真ん中にあるカフラ王のピラミッド。 

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やはりこれが一番美しい印象かな?離れたり、近寄ったり、
右に行き左に行き、眺めます。



左側の小さいのはメンカウラのピラミッドで、その奥にも小さいのが見えますが、
名前は?  なにせ、ピラミッドなる物は、100程もあるそうで。

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ピラミッド群の前をだらだらと少し行くとこんな様子。
すぐそこまで住宅が押し寄せているのですね。

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ここまでの街になるともうすでに取り壊しは無理ですし、下水設備が
行き届かずの汚染問題が、このピラミッドとスフィンクスの保存に大問題で、
現在ユネスコが取り組んでいるのだとか。

谷の向こうに広場があり椅子が並んでいますが、あそこから夜のピラミッドの
光と音楽のショーを眺めた訳で、

手前中程に見える丸い形、あれがスフィンクスの頭。



こんな風に、ラクダが歩く姿には風情を感じますが、
  
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ははは、結構大きなウンチを見つけました!

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という所で、次回に続きます。


*****

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・ イタ猫改め、 エジ猫・エジ犬・ そして、エジ駱駝

早くイタリア本土に戻りたい一心で、はは、写真整理に励み、
友人からのメールにも、早くピラミッドを見せろとあるのですが、
遺跡の方はまだ少し未整理分が残っていて・・。

で、こちらイタリアは、既に復活祭の休暇に入っている事でもあり、
今日はエジ猫、エジ犬、エジ駱駝、そして働くロバ君たちの姿をどうぞ!

いつものノンビリ姿のイタ猫、イタ犬とはちがい、エジプトに生きる
彼らの姿にはサヴァイヴァル精神が窺われ、見るのが少し辛い部分もあり・・。
      
・ カイロの古い大きなメルカート前の広場で。 1~10.

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メルカート前広場のベンチで寛ぐ人々の前の、猫ちゃん。



日本猫の雰囲気もある猫ちゃんですが、細い細い。
どの猫ちゃんも、みんな細身で。

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同じ様な白黒の猫ちゃんですが、どちらも大変長い尻尾の持ち主。

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お風呂に入って磨いたら、この子は素晴らしい美猫でしょうに!

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こちらも美猫で、お行儀も良く。

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こんな子猫ちゃんもいて。

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こちらも子猫。 踏まれるなよ! と言いたくなる感じ。

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唯一見つけた、大事にされている感じの猫ちゃん。

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大混雑の車が行きかう中、オアシスみたいな騎馬像の足元で、
うとうとしていた猫ちゃん。

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・ ピラミッドの駐車場にて。 カイロ南のサッカラ・Saqqaraで。

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猫ちゃん達とは違い、ワン君たちは観光客のバスの駐車場近辺で
多く見かけました。 が、とてもおとなしく、ただ集まって来て、
待つ様子で、彼らを見るのが少し悲しかった。



ギザ・Gizaのピラミッドの駐車場。 吠えもせず、ねだりもせず。

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こんな綺麗なワンちゃんも。

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ナイル上流の、コム・オンボ・Kom Omboの遺跡。
放心した様子で、こちらを振り向きもせず。

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ワンちゃんの写真は少し辛いので、これでお終いに。



・ アスワン近くの見学したヌビア人の家で

入り込む見物客に恐れをなし、ベッドの下に逃げ込む猫ちゃん。

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やはり家猫ちゃんは綺麗で、見るのもホッとします。



こちらも、緊急避難のヌビア村の猫ちゃん。

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屋根の上に避難した、綺麗な子。

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・ エジ駱駝。 ギザのピラミッドの横、ラクダに乗る韓国人観光客。

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ガイドのナッセールが、ラクダ乗りは、時に乗って幾ら、降りて幾ら、
というのがあるので、余り乗らない方が、との事で、
まぁ時間も余りなく、我々のツァーでは誰も乗らなかったような。
が、皆さんがお持ちの「エジプトのラクダ」のイメージはこうでしょう?



とか、こんな客待ちの姿とか。

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カイロ南のサッカラで、遥か砂漠の地平線を見渡し、座るラクダ君。

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・ これより、「ラクダ君の真実」に迫ってみたいと思います!

まず、横顔のアップから。 凄い歯! そしてそして、凄い鼻くそ!!

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こちらは別のラクダ君。 正面に回ると、なんと凄い顔で!
冗談でして見せてくれているのではないよね?!

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目の位置が通常の動物と違い、ぐっと下なのを発見!
横顔の写真を確かめに戻り、そうか、鼻の横奥に目があるのか、と。

それにしても、やはり凄い歯ねぇ!
顎の下に山羊髭があるのですが、この方、男性?
他のラクダの写真では、髭が見られないので、
ひょっとして、ラクダは女性の方が重宝されているとか?



ブログで紹介しますから、と言いましたら、嘘だよ、
普通の顔に戻ってくれ、・・まぁこれでもまだね。

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一見優しそうな目で、こちらを見つめていますが、
一撃を食わないうちにと退散。



子供のラクダ君をどうぞ。

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ナイル上流、王家の谷に行く途中に見かけたもので、
肌がまだ滑らかで綺麗。 遠くに行けないよう、脚が繋がれ。



・ 働くロバ君 

少なくなったとは言われても、イタリアでもロバは見かけます。が、
馬より見るチャンスは少なく、何年も前の田舎のお祭りで、
ロバの競馬を見た位。

が、エジプトでは健気に働いている姿を、カイロの車の雑踏の中でも、
郊外の道でも至る所で。
カイロの南のサッカラやメンフィスへの道筋で見た、荷車を引く姿をどうぞ。

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ちょっとした駐車場の雰囲気ですね。
トラックも、ロバの荷車も、後ろには馬の荷車も待っています。

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間に川を挟み、こちらと向こうは逆行きの一方通行らしく、
荷車は常にこの向きで行きます。

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茶色のロバしか記憶になく、白いロバもいる、というのが最初の感想。



荷車が3台連なって行きます。 ロバと子供がしっかり働き、
大の男どもはお喋りにふけっている、と思われません?

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鞍なしのロバにまたがり、乗用車なのね。

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カイロの南には畑の緑が広がり、いささかホッとする、田舎の風景。

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かなり重そうな荷車。

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荷台に柄が描かれ、道脇にも何やら柄が描かれていますが、
そのままではほって置けない国民性なのかも。
遺跡にみる、あの埋め尽くされた文様や象形文字も、
元は一つなのかもですね。



荷車の引き棒、そして荷台の下にも消えかけの柄。

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積んでいる草は、家に戻ってのロバ君のご飯かな?
      
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畑に白い鷺の姿も見える緑の田園風景で、
今回のエジプト動物特集を終わりに。

       
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