ヴェネツィア・アッカデミア美術館所蔵の名作ジョルジョーネの「テンペスタ」に、
4月上旬まで開催のジョルジョーネ展で、久し振りに出会いました。
4月上旬まで開催のジョルジョーネ展で、久し振りに出会いました。

没後500年記念のこの展覧会は、生地カステルフランコ・Castelfrancoの、
彼の家とされている博物館での開催で、久し振りにこの町を訪問。
カステルフランコの、以前ご紹介の緑滴る町の様子はこちらで。
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/462521345.html
この「テンペスタ」の絵の謎、そして人物のモデルについては
カステルフランコはどこにあるか、地図をどうぞ。
ヴェネツィアの北西に位置し、電車だとトゥレヴィーゾ・Treviso経由か、
またはパドヴァ・Padovaからも。
ヴェネツィアの北西に位置し、電車だとトゥレヴィーゾ・Treviso経由か、
またはパドヴァ・Padovaからも。

地図をご覧頂くと、ヴェネト平野に於けるカステルフランコの位置が大変重要
だった事が良くお分かり頂けると思います。
トゥレヴィーゾから西に30k、パドヴァから北に40k、西のヴィチェンツァから35k、
ヴェネツィアからは北西に直線距離で45k。
だった事が良くお分かり頂けると思います。
トゥレヴィーゾから西に30k、パドヴァから北に40k、西のヴィチェンツァから35k、
ヴェネツィアからは北西に直線距離で45k。
でこの町の起こりは、12世紀の末にトゥレヴィーゾから、西のヴィチェンツァ、
南のパドヴァに対する砦としての移殖政策に由ります。
南のパドヴァに対する砦としての移殖政策に由ります。
カステルフランコの「フランコ」は、移植民に対する税免除を意味し、
守備兵士の砦ではなく、商業農業の取引の場としても重要だったのですね。
税免除を意味する「カステルフランコ」という地名はあちこちにあり、
検索、地名探しには、カステルフランコ・ヴェネトと特定します。
検索、地名探しには、カステルフランコ・ヴェネトと特定します。
古い町の中心部はご覧の様に城壁と堀に囲まれ、大きな橋はこの西側と、東、
北と3ヶ所にあり、今はこうして石の橋ですが、かっては跳ね橋だったと。

上の写真の堀を渡っての門で、現在この左脇にインフォメーション。 ご覧の様に、
ジョルジョーネ展のポスター、垂れ幕があちこちに見え、町はジョルジョーネ展
一色なのでした。
ジョルジョーネ展のポスター、垂れ幕があちこちに見え、町はジョルジョーネ展
一色なのでした。

城壁内はほんとに小さく、先ほどの門を入るとすぐに東の門と市の塔が見え、
電飾の飾りは、クリスマス用のまま。

左手中程の白いアーチの建物が市役所で、かっての執政官の建物跡に
19世紀に建て替えられたものと。
19世紀に建て替えられたものと。
こちらが市役所の正面側、ドゥオーモの前から。
中世の町中にあると新しく見えますが、真ん中に18世紀の礼拝堂を内蔵。

町の中心、城壁内部分の地図をどうぞ。
左下の門から入り、まっすぐに見えた市の塔 1、 市役所は真ん中 7
ドゥオーモ 16、 ジョルジョーネの家、博物館 17で、ここが今回の会場
2は、死者の塔・Torre dei morti.

他にご案内する場所もついでに。
4 劇場 テアトロ・アッカデミコ、 12 国立音楽大学
13 トゥーツィオ・コスタンツォの家
ご覧の様に城壁はほぼ真四角で、一辺の長さが約230m、
現在残る塔は四隅の塔と、市の塔、死者の塔と6つですが、元は8塔あったと。
現在残る塔は四隅の塔と、市の塔、死者の塔と6つですが、元は8塔あったと。
こちらがドゥオーモ、左奥のクリーム色の建物がジョルジョーネの家とされる博物館。
ドゥオーモはかってのロマネスクの教会の場所に18世紀に建設されたもので、
右の小路の奥に見えるのが死者の塔。
右の小路の奥に見えるのが死者の塔。

ドゥオーモの右脇に細い階段が付いているのが分かりますか?教会内からも
抜けれますが、ここにコスタンツォの礼拝堂があり、
ジョルジョーネの素晴らしい祭壇画・Pala di Giorgioneが。
こちらがその祭壇画。 フラッシュなしで写真OKでしたが、ガラスが反射し、
これはサイトからの拝借。
大変美しい静謐な作品で、穏やかな明るい光に満ち、深い瞑想に誘われる感が。

後でご紹介するテアトロ・アッカデミコで、懐かしいポスターに再会。
以前は、家博物館内に残るフレスコ画の清新さに魅かれていましたが、
これで見た聖母のまなざしに魅かれ、ジョルジョーネに興味を持つ切っ掛けでした。
これで見た聖母のまなざしに魅かれ、ジョルジョーネに興味を持つ切っ掛けでした。

この作品は一度盗まれて戻り修復に、で長らく町に戻らなかったのですね。
その経緯をこちらに書いた事がありますので、どうぞ。
http://italiashinkaishi.seesaa.net/article/461060181.html
祭壇画の下部分の左、若い兵士マッテーオ・コスタンツォ・Matteo Costanzo
が23歳の若さで亡くなり、父親のトゥーツィオ・Tuzioがジョルジョーネに
が23歳の若さで亡くなり、父親のトゥーツィオ・Tuzioがジョルジョーネに
依頼したのが、この祭壇画と言われます。

この鎧はマルタ騎士団員である事を示し、聖人の名が3名ほど挙げられますが、
顔は亡くなったマッテーオと言われ、憂愁に満ち、こちらを見つめます。
展覧会の最初の展示に、祭壇画の依頼者トゥーツィオ・コスタンツォについての
展示があり、彼とアーゾロの女領主カテリーナ・コルナーロとの関係についても
触れておりました。
展示があり、彼とアーゾロの女領主カテリーナ・コルナーロとの関係についても
触れておりました。
例により、家に戻り調べ改めて知る事が多く、あれ、見なかった!というやつを・・。
これは トゥーツィオ・コスタンツォの住んだ家、地図13。

彼はシチリアのメッシーナの生まれでマルタ騎士団に属し、父親ムーツィオ・Muzioは、
カテリーナの夫キプロス王ジャコモ2世に仕え、ジェノヴァ人追い払い功績で、副王に。
息子のトゥーツィオはキプロスには行ったものの、ヴェネツィア共和国の下で
傭兵隊長として働き、キプロス王が亡くなり、カテリーナが政治を執るようになると
ヴェネツィア政府は彼の影響力を恐れ、島に戻ることを許さず、遂にカテリーナが
キプロスをヴェネツィアに献上し、1489年にアーゾロに来る前に、
1475年彼もカステルフランコに。
傭兵隊長として働き、キプロス王が亡くなり、カテリーナが政治を執るようになると
ヴェネツィア政府は彼の影響力を恐れ、島に戻ることを許さず、遂にカテリーナが
キプロスをヴェネツィアに献上し、1489年にアーゾロに来る前に、
1475年彼もカステルフランコに。
血筋が良く武勲にも優れたトゥーツィオは、キプロスの縁もあり、アーゾロ領主となった
カテリーナのお気に入りとなり、二人の結びつきは深く、セレニッシマの10人委員会の
注意を引いた程と。
カテリーナのお気に入りとなり、二人の結びつきは深く、セレニッシマの10人委員会の
注意を引いた程と。
が、息子マッテーオの死に際しジョルジョーネに祭壇画を依頼、ドゥオーモに
コスタンツォ家の礼拝堂を作った事から、漸くこの地に落ち着いたと受け取られた、と。
コスタンツォ家の礼拝堂を作った事から、漸くこの地に落ち着いたと受け取られた、と。
アーゾロはカステルフランコからも近く、キプロス王家がらみの良家の傭兵隊長が
この町に住み、あの祭壇画を依頼した事を、大変興味深く感じました。
トゥーツィオの年齢が分からないのが残念ですが、カテリーナとはほぼ同年代と
考えて良いのではないかと。
アーゾロの領主カテリーナ・コルナーロについては、こちらに。
この町に住み、あの祭壇画を依頼した事を、大変興味深く感じました。
トゥーツィオの年齢が分からないのが残念ですが、カテリーナとはほぼ同年代と
考えて良いのではないかと。
アーゾロの領主カテリーナ・コルナーロについては、こちらに。
家の壁に見えるトゥーツィオ・コスタンツォの紋章。 祭壇画にもある紋章で、
ライオンの下に見えるのは肋骨を示し、両脇に、T と C とイニシャルが。
ライオンの下に見えるのは肋骨を示し、両脇に、T と C とイニシャルが。

昨年末の市会議に、市長からこの家の購入提議があった様で、ゴシック様式の
古い家で階段も急で狭く、床の強度にも問題があり、何に使うかも未定の
高い買い物はできない、と大論争になったという記事がサイトにありました。
さて、どうなりますか。
サイトで見つけたフレスコ画で、ジョルジョーネ展会場の建物に、つまり博物館にある
というのですが、昔見た時は気がつかず、今回も展示物で一杯で・・。

カテリーナ・コルナーロはアーゾロから下ったアルティーヴォレに「バルコ」と呼ばれる
夏の住居、宮殿を造ったのですが、バルコの花壇に寛ぐカテリーナとトゥーツィオだそう。
奥に見えるのが、キプロスの宮殿を表していると。
カテリーナは多分右端なのでしょうが、トゥーツィオがこれでは良く分かりません。
うむ、ジョルジョーネ展が済んだらまた建物を見に行って来よう!
うむ、ジョルジョーネ展が済んだらまた建物を見に行って来よう!
キプロス島をヴェネツィア共和国に引き渡す事については、彼女の実弟ジョルジョが
説得をした様子ですが、夏の宮殿バルコについても、ジョルジョ自身が見た事のある
ウルビーノのモンテフェルトゥロ公、パヴィアのジャン・ガレアッツォ公のバルコについての
情報を与え、それを上回る物をと進言したそう!
説得をした様子ですが、夏の宮殿バルコについても、ジョルジョ自身が見た事のある
ウルビーノのモンテフェルトゥロ公、パヴィアのジャン・ガレアッツォ公のバルコについての
情報を与え、それを上回る物をと進言したそう!
今は単に一棟のみが残るバルコですが、かなりの宮殿だった様子。
アルティーヴォレのバルコについても、上の記事リンクでご覧頂けます。
ジョルジョーネの静謐で神秘的な画風は、ヴェネツィア貴族からの依頼が多く、
公的な仕事は2件のみで、ドゥカーレ宮の聴聞室の油彩と、リアルト橋脇の
現郵便局、かってのドイツ商館の正面のフレスコ画のみで、
このフレスコ画の値段について、150ドゥカーティの請求に対し130しか
払われなかった様で、揉めた様子の書類展示があり、大変可笑しかった。
ドイツ商館のジョルジョーネの壁画については、こちらに。
お昼を食べ、町の散歩に。
城壁内には大きな建物が並びますが、中庭が覗ける大きな門の上に、
雰囲気のあるフレスコ画。
雰囲気のあるフレスコ画。

市役所の横を入って来た所にあるテアトロ・アッカデミコ。
18世紀の建設で、こちら手前の入り口部分は後に増設した物と。

テアトロ・アッカデミコのロビー。 なかなか素敵でしょう?

舞台も小さく席数も少ない、が、美しく素晴らしい劇場。TVニュースで
よく見かける、イタリアの豊かな小さな町にある劇場です。

左側はこの様に塞がれていますが、右側、東に当たるこの部分は大きな窓で、
講演会等に使われる時は、カーテンが開けられるのだそう。
たまたま小グループがガイド付きで来て、説明が聞こえ、儲けものでした。

天井画。

後方のボックス席。

舞台の垂れ幕。 垂れ幕が下りているのをTVニュースで見ましたが、
天井と同じモチーフが真ん中に。

ボックス席の様子。 人口3万人程の小さな町の劇場とは思えませんね。
如何にこの町が商業交易で豊かであったか、文化的にも高い水準を持っていた事も
偲ばせます。

町はジョルジョーネ展一色に染まり、ここにはパンで作った名前。

バールか、レストランか良く分かりませんが・・、

ガラスに反射して見えるお庭は、
これです、地図の12。 個人住宅ではない様子なので、入ってみました。

右手高台にこの建物が見え、ピアノの音が聞こえます。 何かと思いましたら、
かってのバルバレッラ邸・Barbarellaが現在国立の音楽大、
アゴスティーノ・ステッファーニ・Agostino Steffani に。

広い空間の大樹に囲まれた音楽大学、なんとも優雅で、建物選択の
センスに感心しました。
センスに感心しました。
細長い中庭の古い井戸、巻き上げ滑車が可愛い形。
向かいの建物も音大使用でしょうが、かっては使用人住居、作業場だったのかも。

高台のお屋敷の流れですが、すぐ後ろが城壁。
城壁の高さは約17mで、厚さは1,7m、古い時代の造りで特別な基礎はなく、
16世紀の重火器使用になるとまるで脆く、16世紀初めのカンブライの戦時には
(これについてはまだ・・、ご容赦!)あちこちに損傷や陥落が出たとの事。
16世紀の重火器使用になるとまるで脆く、16世紀初めのカンブライの戦時には
(これについてはまだ・・、ご容赦!)あちこちに損傷や陥落が出たとの事。

ドゥオーモ前まで戻り、東の市の塔から城壁外に。

これは市の塔の、例によりヴェネツィア共和国シンボルのサン・マルコの
ライオン君と15世紀末の時計。
カステルフランコの町は、パドヴァのダ・カッラーラ家、ヴェローナのスカーラ家
カステルフランコの町は、パドヴァのダ・カッラーラ家、ヴェローナのスカーラ家
領有の変遷の後、14世紀からヴェネツィア共和国の下で4世紀間の平和を享受。
が、この門内天井部にはダ・カッラーラ家の輪の紋章が今も。
が、この門内天井部にはダ・カッラーラ家の輪の紋章が今も。
城壁を囲む堀の東南部分。 鐘楼の見える方に行くと、国鉄駅。

堀を囲み歩道が巡りますが、彫像が立ち大変良い雰囲気。
堀の向こう城壁外にも散歩道があります。

城壁外の北東角、ジョルジョーネ広場が西に広がります。 この辺り一帯、
かっては穀類と家畜市で繁栄した場所ですが、この日も市で大賑わい。

正面に見える建物群が良い雰囲気でしょう?年代が古く素朴な建築様式の
3,4階がせいぜいで、空が広く見えます。
3,4階がせいぜいで、空が広く見えます。
堀の北東角に、ジョルジョーネの彫像。

堀を囲む東と北の建物群には、フレスコ画がかなり残っています。

こんな感じで、フレスコ画のモチーフは神話が多く、人物、動物、植物と多彩。

後ろの高いのが、ジョルジョーネ君。 お堀周辺の空気、お分かり頂けますね?

城壁とお堀をぐるっと回って、駐車場に戻ります。


◆おまけの予告宣伝を。
この2月26日から、6月2日まで、我がコネリアーノの町で
チーマ・ダ・コネリアーノ・Cima da Conegliano展が開催されます。
チーマ・ダ・コネリアーノ・Cima da Conegliano展が開催されます。

我が町出身、15~16世紀にかけて活躍した画家で、写真は町のドゥオーモの
祭壇画。 ジョヴァンニ・べッリーニに師事した優しい画風が特徴です。
祭壇画。 ジョヴァンニ・べッリーニに師事した優しい画風が特徴です。
作品は約40点、ロンドン、ワシントンのナショナル・ギャラリー、
サン・ピエトロブルゴのエルミタージュ、ヴェネツィアのアッカデミア等など、
上等なのが集まります。
サン・ピエトロブルゴのエルミタージュ、ヴェネツィアのアッカデミア等など、
上等なのが集まります。
これを良い機会に、我がコネリアーノにお出かけ下さい、ませませ!!
写真の多いサイトはこちらに。
http://www.daringtodo.com/lang/it/2010/01/26/grandi-mostre-cima-da-conegliano-maestro-del-paesaggio/
http://www.daringtodo.com/lang/it/2010/01/26/grandi-mostre-cima-da-conegliano-maestro-del-paesaggio/
*****
ブログご訪問、有難うございます!
見たよ! の応援クリックも宜しくお願い致しま~す!
見たよ! の応援クリックも宜しくお願い致しま~す!
*****
コメントの書き込みについてのお願い。
ブログの記事下に、「コメントを書く」が出ていない時は、
上か右の、記事タイトルをクリックして頂けると
記事の一番下に「コメントを書く」が出ますので、よろしくお願いいたします。
上か右の、記事タイトルをクリックして頂けると
記事の一番下に「コメントを書く」が出ますので、よろしくお願いいたします。
非公開コメントをご希望の場合は、非公開で、と書いて頂くと、
コメント承認制ですので、保留にし、お返事だけ公開しますので、
それもご了承下さいませ。
コメント承認制ですので、保留にし、お返事だけ公開しますので、
それもご了承下さいませ。